3kmを登り切り、灯台そばの駐車場のあたりまでたどり着くまで50分。順調なペースであった。


 昔の「嶋根郡」についての地図入りの解説の銘板があった。そうか、千数百年遡れば、境港を先端とする弓ヶ浜も、まだ砂が堆積してなくて、ほとんど砂州のような島だったわけだ....というのは納得。あとで出てきますが、後の写真で出てくる熊野大社にほど近かったらしい、出雲の国の国府も、今の松江市市街地よりはかなり南の奥の八雲町という、標高の高いところにありました。(wikipediaの「古代出雲」の項、参照)。耕作に向く開けた平地は今よりずっと少なかったんでしょうね。「国引き」神話が生まれるのは、島根半島の現在の大きな地図を観ても納得できます。島根半島は、ほんとに、海の彼方からいくつかの島を引っ張ってきてくっつけたかに見える地形なのです。


 中世までは、東京も、いわゆる「山の手」はともかく、「下町」はすべて海の中で、その深く入り込んだ入り江のひとつに江戸城は築かれたわけです。

 我が郷里の福岡県久留米市も、強大な豪族である「国造くにのみやつこ)」がいて「大社(高良大社)」があり、日本書記に4世紀から記述があり、6世紀の筑紫国造、磐井の大反乱と、磐井の墓といわれる岩戸山古墳の九州一の巨大さと、その近隣の「石人山古墳」の、独特の巨大な「石人」「石馬」像群の遺跡に象徴される、ヤマト王権の支配が及ばない独自の古代文化を持っていた点では、出雲に負けず劣らずでしたが、筑後の国の国府跡もまたは、随分丘の上(久留米市御井町)にあるんですよね。そして「○島」という地名がむやみに多い。そこは、筑後川が氾濫しても水中に没さなかった地域のことです。そして、今は20数キロ先の柳川や大川の向こうにはじめて有明海があるのですが、平安時代までは、今の市街地のすぐ近くまで海だったようです。