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PTSD

2022年9月15日 (木)

日本におけるフォーカシングの現状についての私見

皆様

 

「集い」「総会」直前ですが、私が日ごろ感じていて、耳にしたり目に入ったりしてい
ることに基づいて、狭い世界から見ているに過ぎないかもしれないことについての私見
を、これを機会にまとめて述べさせていただこうかと思います。

 

現在の日本フォーカシング協会が、会員数500名程度で停滞し、新たな展開の糸口を見
失っているとのことです。

 

私はこのことの一つの要因が、「パートナーシップ」中心の状況にあると考えています

 

フォーカシング学習が、互いにフォーカサーとリスナー(ガイド)が役割交換可能な形
で「身につける」ことをますはめざすのがふさわしいことは言を待ちません。

 

しかし、あと一歩進んで、日常の中で、必要を感じた時にひとりでフォーカシングして
成果を上げられることは増えていくこと、敢えて言えば、「条件反射」の域に到達し、
全く意識しなくても、起きている時も寝ている時もフォーカシングを「している」状況
(夢フォーカシングも慣れれば自動化します)にも到達することを理想とすべきと私は
考えます。

 

私は日常の中で意識的にフォーカシングすることはもう滅多にありません。よほど不測
の事態の対人関係が生じた時だけであり、今回会社設立→天神での開業に関しても、税
理士や役所、不動産会社、Wweb制作業者をはじめとして、他の職種の方々との交渉を重
ねましたが、全く無駄のないtightなビジネス交渉をして行けて来たと感じてます。そ
れはすべての瞬間に自分の中でフォーカシングを無意識の内にでもして来れたからだと
思っています。

 

ある意味では、ガイドのいるフォーカシングには、相手に対する見栄や配慮などという
「不純な」ものが入り込み、かえってシビアではなくなり、自分の責任で自分のために
フォーカシングをするという姿勢に限界を与えるとすら感じています。

 

パートナーシップ中心主義は、フォーカシングに未熟な者同士の「なれあい」となり、
いつまでもフォーカシングの勉強会に「依存」させるのではないか、むしろさっさと「
卒業」していく形で「回転率」が上がるくらいになるのが健全かと思います。

 

「卒業」して、それぞれの日常や現場で役立つという手ごたえがある人が増えれば、そ
うした評判から新規の学ぼうとする人たちが自然と出て来る・・・という、良循環です

 

思い出したときに、ふるさとのようにクループや「集い」に参加する、それでいいので
はないかと。

 

最近ではPTSDやDVをはじめとした、新たな方向への心理療法への適用が、どの流派でも
トレンドな課題となっているのは時代の趨勢で、全く正しい姿と思っていますが、一つ
間違うと「流行」を追い、「新しい」ものを「みてまわる」表層性に陥る危険もあるか
と思います。

 

そういう意味では「原点回帰」といいますが、とっくの昔に書かれた論文や著作、トレ
ーニング法を、ほんとうに地に足がついた形で学べているかに立ち返ることが大事かと
思います。

 

すでに私が訳出してみましたが、ジェンドリンの統合失調症者に対するアプローチは、
1961年の「体験過程と意味の創造」と1964年の「人格変化の一理論」の間のたった3年
間に「完成」されていました。私は改めて読み返してみて、私の現場臨床ですでにあた
りまえにできていることが書かれていることを再確認しました。

 

そこで描かれているのは、面接現場のただ中で、セラピストの側がフォーカシングし続
け、「そこ」から何を言葉にするか、しないままにするかを当意即妙に、オープンに(
しかし実は厳密に)守るということに他ならなかったわけですが、この「フォーカシン
グの『臨床適用』とは、治療者自身が自立したフォーカシング能力を獲得して面接現場
に接すれば、おのずからスタイルが定まる」ということは、7「フォーカシング事始め
」を分担執筆させて歌だいた時点ですでに書いていたことです。

 

もとより、それを文字通り実践することができるまでには、私個人の人生上の課題が多
すぎたと感じています。

 

単純明快に、特に儲けようという気がないけど、「日々の糧を得るために(中井久夫)
」開業カウンセリングに専念しようとしてきた時、私の中の余計なものはすべてそぎ落
とされ、やっと効果を発揮するようになってきたという印象です。

 

敢えて言いますが、個性やオリジナリティというものは一切不要だと思います。

 

私の場合で言えば、「フォーカシング入門マニュアル」の時点でのアン・ワイザー法の
習得→Focuser as Teacherの習得→インタラクティブ・フォーカシングの習熟(おまけ
で夢フォーカシングにもなじんでおくこと)、ここまでできれば、フォーカシングの学
習は、王道を、最もtightに省エネで極めたとことになり、あとは各自が「応用問題」
を、興味と関心のままに展開していけばいいかと思います。

 

いささが傲慢とうけとられないことは承知ですが、私も62歳を迎え、残り10年ほどしか
後輩の育成に時間が残されていないと覚悟と責任を感じるようになりました。

 

そうした中で感じていることを、「集い」直前、福岡市に開業の拠点を移すにあたり、
お伝えするタイミングかと、私のフェルトセンスが言っておりましたので、敢えて「空
気を読まずに」発信いたします。

2022年7月 8日 (金)

安倍元首相暗殺への所見

今日は簡略な日本史の年表にも刻まれる日になってしまいましたね。
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これで、SNSは、眞子様複雑性PTSD過剰診断問題、ウクライナ情勢に続いて、そのアカウントの中の人の本性が焙り出される日々が当分続くことになります。

テレビやSNSを当面見ないで、状況がはっきりするまで小説や映画(それこそ今日は「竜とそばかすの姫」見るべき)に逃避した方がいい人も多いでしょう。

それこそウマ娘でもやってろと言いたいところですが、私がフォローしているウマ娘垢まで汚染が広がっています。

いろいろ情報がすでに出ています(他の右翼団体のトップを狙ったと本人は供述しているとか)、基本的には、既成の極右、極左組織と無関係で、近年でいえば、相模原やまゆり園事件あたりが一番似たケースかもしれないですね。

いずれにしても、5メートルの至近距離からの銃撃とのことで、SPや警備の警察ほほんとうに責められるだとうと思います。

「弔い合戦」と言い出す輩は論外ですが、リベラルを含めてこの暗殺には悼みいることと死を惜しむのは、当然かと思います。

2021年12月22日 (水)

いわゆる「解離(人格の交代)」について

クライエントさんにとって、恐らく少なからぬ治療者は、えらく「人工的な」仮面をつけていて、その鎧の下から色々なものがちらつく存在に映るのではなかろうか。それはクライエントさんの生育歴による「認知の歪み」などではなく、まさに「その面接場面での」関係性の中で生じていることではないか。

すでに前のエントリーこちらも参照)でも書きましたが、心理療法場面において、クライエントさんを「退行」させないと、幼児期の体験を掘り起こせず、セラピーにならないというのは嘘だと思っています。その人はすでに、苦しいながらも世間の(少なくとも片隅で)サバイバルできるだけの、オトナの能力を開花できているのですから。

そこに至るまでのクライエントさんの苦しい道のりには、いたわる必要があるとおもいますが。

これは何も特別な考え方ではなくて、例えば、精神分析における「対人関係学派」、そして「解決指向心理療法」、「ブリーフサイコセラピー」はそうした考え方が強いでしょうね。こういう技法も杓子定規になったら別の弊害も出ると思いますが。

もちろんご本人が子供時代からの虐待経験を話して聴いて欲しいというのであればまずはじっくりうかがうことが大事かと思います(この点前述の幾つかの療法は型にはまると杓子定規にそこを避ける傾向があります)。しかし自由連想や催眠とかで覚えてもいない幼児期の虐待経験まで想起させるのはどうか?

これから「解離」ということについて書いていきますが、これは、本人の意志に関係なく、人格が交代してしまい、別人のようにふるまい、もとの人格(主人格)に戻ったら、それが記憶に全くない状態を指すと思っていただけるといいかと思います。

その解離した状態で、リストカットなどに走り、主人格に戻ると、自分の傷に驚くなどという場合もあるようです。

その人の持って生まれた「解離」しやすさというのは想定されているようですが、少なからぬ場合、子供時代の深刻な虐待や性被害があるとされます。

これは子供時代に限定はされす、PTSDにおけるフラッシュバックも、普段は解離している記憶が、突如主人格の中に、ねじ込んでくるように現れるともとらえられるかと思います。

ある意味では「解離」することすら、自分を守るための「健全な」能力の発露だと思います。それをひとつの人格に「統合」しようとする必要が常にあるのか? もし本人が日常生活で困ってなくて、解決しないままでいいというのなら、「解離」したままでもいいとすら思います。

私は生粋の解離性同一性障害(DID)の方とお会いした経験まではありませんが、下手な精神療法する治療者の手にかかると、「解離」する人格はむしろどんどん増えていったりもするらしいですね。「解離」を治療するのは、あくまでも「本人が困るから」であるべきと私は考えます。

ある意味では、一見普通に生活できているかに見える人でも、実は「解離」の心理機制を弱いながらも用いているからバランスを保っていられる(それが人に迷惑になる場合もありますが)。「解離」とはスペクトラムだという理解も大事かと思います。

・・・などど、自分が特に専門分野でもない「解離」のことを書いてしまいました。実際にこの症状で苦しまれている方がどういう感想をお持ちだろうかと言う懸念はいだきますが、ただ、そもそも心理療法というのは、フロイトに先んじて、ピエール・ジャネがこの問題を取り上げたから始まったのです。

現場で重症の方と接するかどうかは別として、解離の問題について、最新の動向(人格の「統合」を理想化しない)をある程度掴んでおくことはベースラインかと思います。ボーダーラインと診断を受ける人のsplit(人格の「隔離」)の心理機制すら、解離の一種とも言えそうですし。だから境界性人格障害と解離性同一性障害(多重人格障害)はしばしば誤診されます。

ある意味では、自分も苦しまずに、人にも迷惑をかけず(ましてや自分の子供にも悪影響を与えず)という、弱い次元で済むなら、人は、「解離」する「能力」があるから、何とか現実をサバイバルできているのだ、という視点もあっていいとすら思います。

「統合」された、ひとつの「人格」というのはある意味で「幻想」に過ぎないと思います。実はこのように言うことに違和感を覚える人のほうが、平然と、無責任に、日常の中で「解離」の心理機制を使って、人に迷惑をかけて平気にしている、という逆説すらある気がして。

2021年11月16日 (火)

このままでは、日本のリベラルは現実社会に影響を行使できないまま、ナショナリスト勢力に敗北する。

今野 元 (著)ドイツ・ナショナリズム-「普遍」対「固有」の二千年史(中公新書)を読んで感じたことなんですが。
←私のレビューも載っています。

今野氏は、この著作の中で、戦後のドイツの歴史をとらえる上で「道徳の鉄槌」という言葉を繰り返し使っている。

最初は、第二次世界大戦終結後のニュルンベルク軍事裁判について。連合軍の「正義」の名のもとに審理がなされたという点について。

次に、その後のドイツ思想界における、過去の反省に基づくドイツ史全否定「ドイツ後進国」論を自らしていく潮流に関して。

そして、緑の党の躍進による環境主義の台頭について。

最後にフェミニズムの台頭について。

今野氏は明らかにノスタルジーに基づく過去復権論者でも保守主義者でもないにもかかわらず、こうした流れがグローバリズム的「普遍」主義に基づく価値観の押しつけという側面を持つことについて注意を喚起している。

むしろ非常に醒めたリベラリスト、個人主義者という印象である。

思うに、日本における左派リベラルの流れも、無自覚的に、西欧の「進歩的」価値観を受け入れてしまっている。

これでは、イスラム圏や中国との関係における多文化主義、体制の共存と対話という観点からしても、非常に硬直した、自分の立場からの、価値観と道徳の押し売りになる可能性があると思う。

そして、日本における国家主義の台頭に対しても、実は簡単な問題ではなく、自分のリベラル的な立場の対象化自己点検を経ての、用意周到な方略がないと、SNS上での叫びにはなっても、一般の人々の投票行動に結びつくアピールにはなり得ないのではなかろうか。

眞子さん複雑性PTSD診断「公表」問題をめぐっての議論も、この診断を受けた当事者に対して偏見が生じることについての当事者への連帯という意見が全くに近く見られず、ただ素朴な皇室への同情か、ゴシップ的な上げ足を取る中傷かにリベラル勢力すら大勢を占めた現実なども省みるにつけ、暗澹たる思いである。

差別の問題についても、単に優生思想を批判するだけでは、ホンネの次元に踏み込む形での、内なる「排除」意識との対峙に結びつかないと思う。

2021年10月28日 (木)

小室圭さんと、眞子さんの結婚に関する一連の騒動に、現代日本における真の「父性」の欠落を嘆く

2021年10月26日 (火)

左翼リベラル知識人はほんとうに庶民の立場に立っているのか

私は「自称」左派リベラルって、「ええかっこしい」の評論家気取りだけど、ほんとうに当事者のことを考えて発言したり、行動しない人たちも少なくないと感じています。

眞子さま複雑性PTSD過剰診断の件でのSNSの世論をみてつくづく思いました。

極論すれば、眞子さま自身や皇室のことはどうでもいいのですね。 

「眞子さまを」いたわるか、逆に「眞子さまを」「皇室を」「天皇制を」批判するばかりで、複雑性PTSDの診断を受けた当事者の人にふりかかる偏見(仮に診断が正しいと仮定しても)のことは、ほとんど誰も問題にしないんだもの。

 

2021年10月23日 (土)

おーい、杉山登志郎先生まで、眞子さま複雑性PTSD診断に加担するのか?

私は、ネット毎日新聞の有料読者だから、全文暴露してしまおう。

********

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●眞子さま「複雑性PTSD」 続く中傷、関係者「回復に影響ないか…」(毎日新聞)

「複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)」との診断が明らかになった秋篠宮家の長女眞子さま。誹謗(ひぼう)中傷と感じられる出来事が続いたことが原因とされるが、小室圭さんとの結婚については今も中傷と言える書き込みや、批判的な報道が続く。

 「もうやめてください。こんな結婚」「世間知らず」「結婚詐欺だ」――。最近のインターネットでの書き込みだ。病気そのものを「詐病」と決めつける書き込みもあった。

 眞子さまの診察にあたった医師は病名公表時、「周囲の方々の温かい見守りがあれば、健康の回復は速やかに進むと考えられる」と話していたが、当時より状況が好転したとは言いがたい。

 宮内庁関係者は「病名公表後も週刊誌報道の批判的トーンはほとんど変わっていない。回復に影響を及ぼさないか心配だ」と話す。

 眞子さまは2018~19年ごろから「人間としての尊厳が踏みにじられている」と感じ始めたとされるが、公務への影響がないことから病名は公表されなかった。眞子さまの意向もあったという。

 ある宮内庁幹部は「診断を聞いたときには衝撃を受けた。精神的苦痛はお察ししてはいたが、そこまで追い詰められていたとは」と驚きを隠さない。

 一方、病名の公表のタイミングに疑問を投げかける政府関係者もいる。

 「唐突感が拭えず、『結婚も決まったのでもう何も言わないで』というメッセージと受け取られかねない。眞子さまのご意向だったとはいえ、もう少し早い公表でも良かった」と話す。

 複雑性PTSDはICD(世界保健機関による国際疾病分類)の第11版で、18年に新しく導入された診断名だ。

 PTSDは災害や事件・事故被害などの一時的な強い恐怖体験によって引き起こされる。それに対し、複雑性PTSDは「長期間繰り返し大きな心的外傷(トラウマ)体験にさらされ続けた時に起きる複合的な症状」と福井大子どものこころの発達研究センターの杉山登志郎客員教授(児童精神医学)は解説する。

 代表的な例が、子どもの虐待や長期間にわたるドメスティックバイオレンス(DV)だ。

 杉山氏によると、つらい記憶が鮮明によみがえる「フラッシュバック」といった従来のPTSDの症状に加え、複雑性PTSDの患者には、感情のコントロールが困難▽自己無価値感、恥辱感▽他者とうまく付き合えない――といった特徴がある。

 複雑性PTSDの症状は人によって異なるのが現実だ。しかし、杉山氏は「日常生活に大きな支障が出ることが多く、治療には特殊な心理治療が必要。最重度のPTSDであり、完治までには数年以上かかるのが普通だ」と強調する。

 宮内庁は眞子さまの判断力に問題はなく、公務にも支障がないとの説明を繰り返している。実際、眞子さまはこれまで、公務を滞りなくこなしてきた。

 一方、婚約内定の延期が続くなか、2人の婚姻が認められたのは「このままでは眞子さまのお気持ちが持たない」と周囲が判断したことも背景にある。

 30歳の誕生日を前に、側近は現時点での眞子さまの体調について「特段お知らせするようなことはない」とだけ説明した。【井川加菜美】

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杉山先生は、発達障害の関しては日本のNo.1と言っていい先生で、児童虐待が発達障害と結びつくという、「発達性トラウマ障害」の権威です。 

 杉山先生は、自分へのインタビューがこのような形に記事としてまとめられることを確認しておられなかったのかもしれませんが。

 

「解離」についての言及はやはりありませんものね。

2021年10月16日 (土)

このまる1日にnoteにアップした新記事の一覧

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こうしてまとめてみると、いわゆる左派リベラルのいう「差別はよくない」「多様性の尊重」という論調の底の浅さに違和感を覚えるのは今にはじまったものではないと感じます。

やまゆり園事件の時からなんですね。

 

 

2021年10月15日 (金)

眞子さま「複雑性PTSD」診断問題の真の核心(note)

眞子さま問題で、「複雑性PTSD」という「過剰診断」が語られないままになっているのはゆゆしき事態です。

この診断が正しいとすれば、秋篠宮家内部で長年眞子さまに心的虐待があったということになり、小室さん騒動からくる中傷などほとんど影響を与えていないということになります。

この宮内庁の公表は、深刻な虐待を受けてきた、実際に複雑性PTSDの診断を受けてきた当事者に、偏見と差別を生じさせるのですが、この点にマスコミや自称リベラル知識人は一向に切り込もうとはしません。

私は皇室制度そのものには特に異論はありませんが、皇族方が多大なストレスに晒される存在として生きねばならないのは「宿命」という立場です(他の政治家も同じことですし)。

むしろ問題なのは、自称リベラル知識人に巣食っている、表面的な皇室擁護のスタンスだと思います。

精神疾患パラダイムは、発達障害モデルとPTSDモデルに収束していくであろう

短いですが、初のnote投稿です。

これからはブログと並行して進めたいと思います。

より以前の記事一覧

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。