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フェミニズム

2022年9月26日 (月)

恋愛を必要としない人間だけが、恋愛する資格がある。

やりとりの転載を許して下さった、@rUzXiU1EAoeYjhQ さんには感謝申し上げます。

このことをわきまえていたら、一部の「#フェミニスト」と一部の「#弱者男性」との間の不毛な争いなんて、一気に解決と思いますが。

==============================

阿:マジでいうが、転移や逆転移をこじらせるくらいなら、#出会い系 とかで相手確保しとくべきではないか(断じて私はやっていないが)。

E:逆転移(患者に惚れる)で困ったことはあり、だけど、それって出会い系とかで相手確保して済むものではないでしょうに。別に好きになるなら単数でなく複数いてもやむを得ん。一応、貴殿は、逆説で言っているとは思うがね。

阿:だから、#ウマ娘 プレイしてれば十分なのだよ。育成シミュレーションはいいぞ。

E:肉(リアル)の女を好きになるのを予防するに、#バーチャル な女を確保するは、それなりに効果があるとは実感する。薬物療法も精神療法も行き詰まった患者に(頼るべき相手がリアルでは少なすぎの患者に)レパートリーが少なすぎだからバーチャルな対象を見つけたらと助言したが、結末はここでは書けない。
但し、明確なる区分があります。揚げ足取りする意思はゼロですが、リアルは、ひょっとしたら、現実社会で間違い(不利益)の可能性あり。バーチャルは、その恐れはほぼ無しです。

阿:バーチャルか生身かに関係なく、パーソナルに関係が持てる #異性 を分散して確保しておく(指名の美容師さんとかを含めて)ことは精神衛生上好ましいことが多い気がします。下心から「行動化」しないで、更に「害のない(出さない)代替を見つけるように指導する必要がある場合があるかと思いますが。
この世のかなりの部分の異性は害のない振り方をこころえていて、そういう経験から適切な距離の取り方次第に学ぶのが理想でしょうが。
別にツイートしましたが、「振られるということは嫌われたということではない」とわかるだけですごい悟りになります。

E:「振られる」の理由として場合分けします。

①異性として全く興味がない

②私には彼氏や配偶者がいます

 

①は言葉通りで、人格否定でなく、#性欲 対象否定であります。

②は、当然人格否定でない、さらに性欲対象否定でもない。ただSEXの相手として、タイミングが合わなかったということに過ぎず。

 

阿:全く同意です。

①を「人格否定」ではないと理解できるかどうかがなかなか困難で、告白を拒んだあとの日常で全く普通に接してくるので、まだ脈ありと誤解して再アプローチをかける悪循環になり、#ストーカー 化することがあるわけですね。「好かれる」か「嫌われる」かの二択しか認知枠がない。
結局、自分の自尊感情を確認するのに異性を媒介とするのを卒業しろ、という課題が横たわることになります。
#恋愛 で自己実現しようとしないということにたどり着けるかどうか。
結局、異性と関係を持たなくても生きるのに何も困らない人間だけが、恋愛する資格がある、という結論に行きついてしまうわけですが。

E:生きるのに困らない人間だけが恋愛する資格がある。恋愛をあまり必要としなくなった人間だけに許されるのが、恋愛だ。
自己矛盾の塊のようだ。
恋愛を必要としている人たちは、恋愛することによって傷つくのに、敢えて恋愛を強迫的に性欲にドライブされている。
これは、若人の繰り返される歴史だ。

サイバーリンクパソコン工房

 

2022年9月 8日 (木)

若きカウンセラーに向けて

自分に思い込みがあったと反省する人の弁は尊重したいが、人に対して思い込みが過ぎると批判することは慎みたい。

誰でも自分自身や他者や社会について、テキトーに思い込んでいるからこそ、自我の安定は保たれているのではないか。

それなら、「私はあなたとは違う見解なのですが」と伝えるべきだろう。

「認知の再構成化」というのは、正答があるわけではなく、実は果てしなく続くステップの積み重ねなのだろうと思う。

これは単なる 「価値相対主義」とは違う。価値相対主義というのは、相手のことが「わかって」もいないのに「わかった」フリをすることだ。

およそ、「他者」との交流はすべて「異文化交流」とみなすべきであり、相手のことを「全然わかっていない」という手探りのつもりでなされるべきである。

そういう意味では、カウンセラーを見抜くのは簡単である。

人間の心のことならなんでも「わかっている」かのような発言をするカウンセラーはすべて偽物であり、「わからない」「理解できない」という前提で、ひとりひとりと一歩一歩関係づくりをしていくのはホンモノだ。

こういう問題になると、#中島みゆき は本当に辛らつだ。


「包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる」

 

世情/中島みゆき (歌詞付き)https://youtu.be/tk4VnGWU-cY
@YouTube
より

 

 

誰が悪いのかを言い当てて 
どうすればいいかを書き立てて
評論家やカウンセラーが米を買う

 

時刻表 #中島みゆき ギター弾き語りcover https://youtu.be/4VEwH3TQPqo
@YouTube
より

 

 

君の心がわかるとたやすく言える男に
なぜ女はついていくのだろう
そして泣くのだろう

 

空と君のあいだに - #中島みゆき (フル) https://youtu.be/U2jEWTrExsg
@YouTube
より

 

 

「ここにいるよ」
でいいのだ。
「ポプラの枝になる」
でいいのだ。

ある意味で「呆然としながら」クライエントさんのそばに「たたずむ」ことしかできないことこそ、カウンセラーが「失ってはならない『初心』」である。

その意味では、経験不足の若いカウンセラーの方が「神のかたわらにいる」。神に愛されている。

「理論」や「技法」はすべて、「カウンセラーが」身を守るための「必要悪」としての「武装」である。

理論や技法も身につけた上で、それを杓子定規に行う段階を「卒業」する必要がある。

そうなって、はじめて、クライエントさんに寄り添えるようになり、カウンセリングの成果が幅広く出せるようになる。

およそ臨床的「概念」というのは、「その」概念を発案したレジェンドの臨床経験においてぴったりだった「象徴化」であるに過ぎない。

「その」レジェンドにとって、どういう患者と、どういう流れの面接過程でそれが発案されたのかを「追体験」する必要がある。

ただし、フロイトの「狼男」の症例について、本人へのインタビューで明らかになったように、レジェンド自身が、自分の事例を好都合に書き換えていることも少なくないことには留意すべきである。

これはすべての「事例研究」にいえることである。

そして「当事者研究」が意味をもつ理由でもある。

「臨床」とは、本来、患者のベッドのそばに「たたずみ」、せいぜい包帯を変えたり、水枕を変えたり、消化のいい食事を供することしかできなかった援助者の、圧倒的な「無力感」との戦いの中にこそ原点がある・・・ということぐらいは「まずは」教わるよね。

実は、ナイチンゲール の人口に膾炙した伝記は、彼女がクリミア戦争ではじめて傷口を清潔にする実践を行ったかのようになっているが、これはウソ。

ナイチンゲールは、野戦病院に送られてくるのが「遅すぎた」せいだとしか当初思っていなかった。後にそれが誤りだったと気づいた。

帰国して様々栄誉を受けた中でも彼女の罪悪感はおさまらず(統計的に証明される事実があった)、それをわずか100名程度に真相を書き送った。これについては、「ナイチンゲール 神話と真実」という本に詳しく書かれている。

私がブログでこの本を詳しく紹介しています。

●「ナイチンゲール 神話と真実」について

・・・というようなことを書いた本を出版しようという企画があったのだが、さまざまな事情で、とりやめとなったんだよね。

このあたりが、資格試験に合格した皆様への、私なりのエールかな。

私のブログに独立カテゴリー、「若きカウンセラーに向けて」があります。

当然、この時の原稿は私の手元にある。

これにその後のブログエントリーを追加して、商業出版の声がかかるきっかけとしての、「ウマ娘の精神分析」でもあるわけです。

恐らくこれまでの人生で超最悪の悪夢を見た。

それがユングのアニマの理論にパーフェクトなまでに一致した。

それに比べれば、現実世界のでの悪の住人なんて、姑息なところで小金を稼いでいるだけの、至極「善良な」人たちだ。

やくざですらそうかも。

私は、こういう夢を見せて下さった神に感謝します。

断固として女性への暴力とそれによる性被害には反対します。

しかしAV女優とその雇用者(アングラではない)には、その正当な存在意義を認めることにしました。

援助交際やパパ活をする女の子たちと同じ目線に立ってみせます。

セフレを持つ人たちの生き方も肯定します。

まあ、純粋だと思っていたのに「実は娼婦だった」女性に金をたくさんとられて、更にその女性から紹介された2人の金髪の女性と寝て、またもや多額の料金を請求され、それでも「結合」した状態のままでいたら高利貸しが現れて、困ったな・・・そんな夢。

私の中に、そういう連中のような所が少しはあっていいという解釈。

私は恩師の奥様の 村瀬嘉代子先生に認めてもらえることが夢ですが、夢を見て、先生が背負われた、負の側面と善の側面のすべてを背負った生き方の重さがやっと直観できる気がしました。

嘉代子先生は、決して私に直接お褒めの言葉を下さることはないでしょう。

でも、東京で、少しはひとり微笑まれるくらいの存在にはなってみせます。

2022年1月23日 (日)

昔、小林よしのりと論争した時に思ったこと

このご時世では、いかなる「ムーブメント」も、それが価値観の押し付けになり、個人自身の感じ方を抑圧する装置となれば、結局は全体主義を促進する作用しかもたらさないと思う。敢えていうが、狂信的なフェミニズムすら、「全体主義の一翼を担う」装置の一部となり得ると思う

私はいかなる価値観の「押し付け」にも反対する。一人ひとりが自分だけのユニークな価値規範を生み出し、それに基づいて行きていくことを理想して掲げる。

ひとり一思想であり、共感できるひとりひとりの人間と、「個々の条項で」同意できる場合においてにのみ共闘を結ぶ。

そもそもすべての点において同意できる相手なんて、この世には存在しないのではないか。すべては「条件付きの」信頼であり、共闘だと思う。

昔、小林よしのりが「自分の頭で考えろ」と「ゴーマニズム宣言」で書いたので「すべての人がひとりひとりゴーマ二ストになるべき」と手紙を書いたが、次の誌面で「それでは価値紊乱の社会になる」と逆襲された。私は価値紊乱でいいと思うけど。手を組むところだけ手を組む。それが個人主義だと思うが。

仮に私が今より名前が知られるようになったとしても、私は決して「信者」を求めないだろう。批判者だらけがふさわしい。それで個々の人がいうことがもっともだと思ったら個別に同意するだけだ。

親鸞も「歎異抄」で「俺を師としてたてまつる奴らはアホだ。偉いのは阿弥陀如来様だけ」と言っている。

何かあまりに「正義」の名のもとに人を屈服させ、洗脳しようとしている人が多い気がしたから、相当なストレスになってるので、思わず書いてみた。

「正義」をふりかざすことは、すべて「全体主義」への誘惑だと思う。

敢えて宣伝すれば、実は、フォーカシングというのは、他人の言うことへの、すぐには言葉にならない「違和感」にとことん敏感になり、それを相手に「通じる」形で言語化するスキルを磨きあげ、徹底した「個人主義者」を生み出す装置だったりする。

それと矛盾するようだが、他人のいうことは、何らかの意味で「正しい」。その「正しい」部分だけを選り分け、自分の糧にすることが、人間の貪欲な成長なのだと思う。

もっとも、自分が「違和感」を感じた意見に、いちいち自分から反論したり挑戦したりは、よほどのことがない限りしません。 スルーして、その人がその後どういう見解を述べていくかを「観察」する方が、「省エネ」だし、余計な誤解や先入観で泥沼化しないで済みますから。 挑まれれば受けて立ちますが。

Twitterでは、基本的には、その人の言うことに新鮮な発見と学びがあり、一理あると思った時にだけ「いいね」やリツイートをして、それでも「更に」同意したい時だけ引用リツイートやレスを返します。

自分が狭い世界に生きていて、大抵の人の言うことに、その人なりの生活の「現場」があり、そこから抽出された意見や思いだったりすると思うし、その人なりに探求してきた「博識」があると感じるから、滅多に自分のオリジナルのツイートはしなくて、むしろ「圧倒されて」、学びばかりと思っていますが。

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2021年12月29日 (水)

美人であることのフェミニズム

ほんとうの「私」を認めて欲しい、理解して欲しいと感じて、周りの人にそれを求めるようになった時、今度は、周りの人に自分がどう思われるか、ということに自分の判断の基準をおいてしまうという逆説的罠が待ち受けている気もする。

「自分は自分」、人にどう思えるか気にしないほうが良いのかと。

「ほんとうの自分」というのを自分でもわからなくなってしまっていると感じている人も少なくないかと思う。でも、その結果、「今とは別の自分」を探す旅に出てしまうと、いよいよ「ほんとうの自分」を見失うという逆説もある気もする。

美人だとか、東大出だとかいうフィルターでしか自分を見てもらえないと感じて苦しんでいる人もいる。ネット上では、そういうことを隠してしまえばいいことだが、リアルワールドで人と親密になると、そうも行かなくなるだろう。それを「贅沢な悩み」と切って捨てられるといよいよ本人は辛いものだろう。

ありのままの自分に肯定的な人は、相手の「外面的」特徴を気にしないでいてくれる。そういう知り合いを、ひとりでも持てることは貴重だと思う。劣等感の裏返しで、人を外面的特徴でしか判断しない人も多いのではなかろうか。

自己愛的な人は、自分を「実際以上に」よく見せかけようとするものだ。その結果、自分より秀でていると感じた人と出会うと、相手をおとしめようとか、潰そうとか躍起になる。健全な自己愛というものがあり、そういう人は、他人の長所や実力に気づくと、率直に相手に敬意を払う。

自分がナルシスティックになっていないかに日頃からアンテナを張っておくことは大事なことだ。でも、ナルシスティックな自分に「自己嫌悪」したり、敢えて「謙虚」さをアピールしなくていい。自分のナルシスティックな面を、自覚的に「演じれ」ばいいのではなかろうか。

自分を殺して、「いい人」であろうと努めていると、今度は、天真爛漫にふるまえる人に何かと批判的になり、相手が「自己嫌悪」するように仕向けようとすらするようになる。そういう人を「ねたむ」のではなく、「うらやましい」と感じている自分をあっさり認める方が、結局は楽な生き方ではないか。

私が思うに、「ルサンチマン」の弊害とは、以上のようなことだ。相手を引きずりおろして、害したくすらなっているわけで、実はそういう人のほうが、傷つきやすい自己愛の持ち主ということになる。

「美人」と思われている人が謙虚であるということは、むしろ美人であることを「自覚」し、そうした自分に酔うことはなく、むしろ美人であることを「演じる」境地に達しているということではなかろうか。そういう人は、見てくれだけでなく、こころも「美人」なのだと思う。

「きれいだね」と言ってくれるからといって、相手が自分の外面だけしか見てくれていないと苦しむ必要はないと思う。結構、こころの「きれいさ」もみてくれている人もいることを信頼してもいいのではないだろうか。

アイドルやタレントやモデルをしていて、こころを病んだり、不祥事を起こしたりしない人は、恐らくこういう境地に達していると思う。

私は、こういうとらえかたこそ、真のフェミニズムだと思うのだけれども。

******

最後の1行を除き、今度刊行予定の著書の、書いたばかりの原稿の抜粋です。これだけでは何をいいたのかわかりにくいという人もあるでしょうが、それは、ある物語の登場人物の心の軌跡を追ったものだからでして、実際にその物語のあらすじと一緒に公開できる時がくれば、得心していただけるはずです。

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2021年12月 1日 (水)

相手を「理解」しようとすることは、相手をレイプしようとすることである

人から何かを言われた時、「グサっ」とくることがあると思います。

相手に図星をつかれたと感じている面もありますが、同時に、相手への怒りと、「それだけではないんだけどな」という思いが含まれていると思います。相手の言ってきてことへの「漠然とした違和感」はすでにそこにあるわけです。

そもそも、相手の言ってることに対して「本心を見抜いて言い当ててやろう」などと、自分のほうが相手よりも相手の「無意識」を知っているかのような態度を取るカウンセラーは、クライエントさんを萎縮させ、マウントを取って嬉々としている、「支配欲」を思っていると警戒すべきでしょうね(^^;)

いずれにしても、クライエントさん自身以上にクライエントさんの「心」がわかっている、見抜く力があると思っているカウンセラーは傲慢です。むしろ、簡単には「わからない」ことを、しっかり「抱えて(holding)」いられるカウンセラーのほうが生産的。答えは、思いもよらない所から「やってくる」

それどころか、次のことを敢えて言わせてもらいます:

相手を「『理解』しようとする」ことは、得てして相手の心の「生体解剖(vivisection)」であり、相手の「自我境界」を「壊す」作用があります。この、「毒」「害悪」の側面に無自覚なカウンセラーは危うい。自分のこころを「理解」していくのは、あくまでもクライエントさん自身の中で、望む範囲において、少しずつ進めばいいことです。

「私の中に入ってこないで!」って、#エヴァンゲリオン の #アスカ のせりふでしたっけ。#ATフィールド (#自我境界)を破って相手の心のなかを覗こうとすること自体、実は精神的な #レイプ そのものなのだと思います。このことを特に虐待被害者とカウンセリングする際は最大限に用心すべきです。

君の心がわかると たやすく言える男に
なぜ女はついて行くのだろう そして泣くのだろう
(中島みゆき 「空と君のあいだに)

「ポプラの枝」のように「ここにいるよ」と態度で示し続けるって、どういうことなのか?

なかなか深いテーマだと思うのですが。

「君のことはよくわかっているよ」というのは甘い「誘惑」の言葉と態度であり、実は #男根的 支配欲のあらわれなのだ。それに屈服させて #信者 にさせ、#支配者 になろうとしていることなのであり、これはたとえ #フェミニズム の教祖様でも陥りがちな #ダークサイド なのだと思う。本質は #SM 関係。


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2021年11月25日 (木)

虚構の性表現が、実際に性暴力「行動」を促進するという、行動主義的・実験的リサーチって、ありますか?

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●表現悪影響論・表現規制論に対抗するための『理論武装』~その科学的根拠~(手嶋海嶺 note) 

いずれにしても、ここで紹介されているのは、「アンケート」水準でのリサーチであり、行動主義的な実験心理学の手法を用いて、一般の被験者(投影法心理テストなど併用すれば、性衝動や攻撃性や行動化傾向についても被験者ごとに客観的に測定可能と思います)にポルノ媒体に触れさせ、現実の性衝動が性暴力的「行動」として亢進するかどうかの研究ではないようですね。

かの有名なシャクターの吊橋の実験などを参考にすれば、実験群・統制群を設定して、いくらでもリサーチできるはずです。

●吊り橋理論 - Wikipedia

ボルノ媒体に触れた群・触れない群それぞれに、サクラとなる人物を「実際に」誘惑するかどうかとか、あるいはバーチャル空間を設定して、性暴力「行動」に走るかどうかのデータをとればいいだけのことと思うのですが・・・どうしてそういうリサーチを誰かしないのでしょうか。

もしご存知でしたらそういう実験的リサーチも紹介していただければ幸いです。

いずれにしても、そういう「実験的」リサーチを経ないまま、性暴力の実際の増加についての論を張るのは、だだのイデオロギーだと思えます。

決して皮肉ではなくいいたいのですが、表現規制派は、そういう実証的実験を促進するように研究者を募り、資金提供すれば、いくらでも、自説に都合のいい結果が出る実験的研究は出て来ると思うのですが(それを支持する実験的リサーチが出れば、それを検証したり追試すればいいだけのことです)。

そこまで戦略的に踏み出すフェミニストはいないのでしょうか?😆

 もしそういう、実験群と統制群のある、「行動主義的」・実験的リサーチで、性表現に触れることが性暴力「行動」を促進することに有意性があるというリサーチが「あまた」あらわれ、それを反証できないとすれば、私も、一定の範囲での性表現規制には賛成にまわりたいと思います(約束します)。

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2021年11月20日 (土)

「温泉むすめ」とフェミニズム

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今回の温泉むすめの件で、#フェミニスト の方から、

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「性被害の当事者じゃなければ当該問題に声を上げることは認めない」みたいなのがまさに女性差別な気がするのですが……

===========================

とのレスを受けたので、次のように、論理的なレスを連投で更にお返ししました:

===========================

①「性被害の当事者しか声を上げられない」というのが極論というのはわかっているのですが、私は「sei被害の当事者」「(良心的な)その直接の支援者」「狂信的な活動家」「誹謗を受け経済的被害を被っている宿泊業者」「表現者」「それ以外の人」を敢えて切り分けないと(続く)

②(続き) #温泉むすめ 問題は透明に見えて来ないと考えました。ここでいう「性被害を受けた人」、とは、狭い意味では、強制的な陵辱を受けた人を指すつもりですが、広い意味では、痴漢に遭った人、もっと広げれば、性的好奇心で見つめられて不快だった人も含めていいと思っています。(続く)

③(続き)「狂信的な活動家」とは、今回は、ことの発端となった、#仁藤夢乃 さんのことを差します。仁籐さんのこれまでの業績を全否定するつもりはありません。きっと「(良心的な)直接の支援者」としての面もお持ちなのでしょう。

④(続き)しかし少なくとも今回の一連の発言の中で、非実在女性の性的な描き方が、実在女性への性被害を誘発する、という意味の発言をしたことについては疑問です。私の知る限り、そのことを実証した研究は存在しないからです。(続く)

⑤(続き)この点で仁籐さんは行き過ぎたと思っています。私としては、フェミニズムの基本は、こうした意味での性被害の問題という観点を見失うと、ただの感情論になると考えています。いかがでしょうか。

========================

深夜に書いたので、まだお返事はありませんが。

2021年11月19日 (金)

続・「温泉むすめ」問題。核心はどこにあるのか?

前回の続きです。

ことの起こりは、仁藤夢乃さんが、非実在女性の性的な表現が、実在女性に対する性犯罪を誘発するという論を張ってしまったところにあると思います。

私のTLに流れて来た人によれば、エビデンスのある(実証的な)研究としては、それは有意性がないとされているとのことです。

あとは、私が論陣を張りましたように、性被害「当事者」の声ではなく、規制派にせよ表現の自由を守る派にしても、この話題が「ネタ」であるに過ぎない人の声ばかりが大きな騒動になっているということでしょうね。

私もツイートしましたが、この件で温泉むすめ側を非難している人の中には、カミングアウトしていない実際の性被害当事者が含まれていると思われます。

そうした人たちはセカンドレイプを恐れていますから、多くの場合、そのことを隠しているわけですね。

そうした声と、いわゆる「活動家」(ツイフェミ)の判別が難しいということがあるかと思います。

もちろんこの両方を兼ねている人もいると思いますが。

実はこれは、表現規制問題を離れても、およそネット上のフェミニストと接する際全般に厄介な問題になる、というのは、私が以前のフェミニスト論争の時点でも私は感じていたことでした。

まあ、そこで私は今回は敢えてこの論争のメタレヴェルにマウントをとって、性被害当事者の問題と、実際に支援活動に直接関わっている人たち、ただの活動家、それの尻馬に乗っている「外野」、更には被害を受けている宿泊業者を「切り分ける」ことに徹し、敢えて表現規制の是非については判断停止するというスタンスを取ってみたことになります。

もう、どっちの味方かわからない発言や矛盾したリツイートをしてバランスをとっていくという。

(まあ、おたくたちに同情する面はややあります)

事態は非常に面倒で、私にレスくださった方の中に、性被害当事者で長年の2次元おたく、現在は結婚もできているが後遺症は残りながら、今回の件では、ツイフェミの暴走を苦々しく思っている人も現実にいたりしたわけですが。

******

話は変わりますが、「ウマ娘」の場合って、いわゆる「萌え絵」になるかならないかのギリギリのラインで踏みとどまっているバランス感覚がありますね。

Umamusumekabegami

Twitterに流れてくる二次創作画像は、非常に誇張されたせクシーなのも多いですが、一部には「馬主を傷つけるような表現はやめよう」という運動すらあります。

実は構想初期段階での原画の何枚かをネットで見たことがありますが、遥かに肉感的でした。

まあ、今でも胸はユサユサ揺れるウマ娘もいますけどね。

このへんが、これまでウマ娘がフェミニストの標的にされていない匙加減かと思います。

*****

続きはこちら

2021年11月18日 (木)

「温泉むすめ」問題における、ネットの無責任

Ws000000_20211118104401

湯原温泉「温泉むすめ」公式
@yubarasawa
·
10時間
一部のSNSによるコメントなどについて協力店・個人などにいたずら電話、悪意ある口コミ、侮辱、差別など各種棄損に当てはまる事態が発生しています。実害が続くと弁護士と相談し、業務妨害並びに名誉棄損を視野に入れた法的措置を行います。

 

神崎ゆき
@yuki_birth
いい加減に、表現に「性的搾取」という言葉をカジュアルに使うのをやめて欲しい。これは表現を貶めるなという意味と同時に『実在する被害者がいる性的搾取事件を軽く見ないで欲しい』という意味も込めて。悲惨な性被害を"漫画・アニメ・ゲーム"と同列に置いて、矮小化しないで欲しい。本当に、切実に。

 

ymils(イム)⚡
@ymils_y
· 11月17日
表現を非難するだけで弱者を守っている様なポーズは取れるから楽でしょうけど、人をなじるだけなじって、人を非難する事で連帯して、実在の女性や実在の児童に対する犯罪の解決につながる動きをしないのでしたら、そんな運動のどこに正義があるんでしょうか。

 

これに対して、

 

さいき まこ11月20日【言え誰】⑥巻完結
@SaikiMako
·
9時間
こういうのが散見されますが、一般社団法人Colaboが「実在の女性や児童」のためにどういう活動をどれほどやってきているのか、ご覧になったらいいと思いますよ。活動報告会もスタディツアーもありますし。
ご存じないままこういうことを言う方が余程「人をなじるだけなじって」だと思います。

とレスがついたのに対して、私が日頃から感じていたモヤモヤが言葉になって「紳士的に」一気に連投として炸裂しました。

chitose
@kasega1960
·
1時間
実在性被害当事者のためにどれだけの活動をなさっているかどうかと、非実在女性の描き方がどういう影響を与えるかという問題(それをどうとらえるにせよ)、そしてすでに温泉地が誹謗中傷に晒されている問題は区別すべきかと思います。

 

chitose
@kasega1960
·
1時間
およそ正義や道徳の名のもとに特定の人物や団体を批判したり糾弾する場合、その相手の人権や生活権を脅かす形にならないかどうかは大事な事柄と思えます。そこを大事にしないのはリンチに過ぎません。

 

chitose
@kasega1960
·
57分
正義や差別や被害者支援や人権の名のもとに相手を批判する活動をする際は、実は自分の中から排除した「影」(ダークサイド)を相手に投影しているのかもしれないという点を常に振り返るべきと思います。それをしないと自分が差別や人権侵害や加害者や悪の存在自体にいつの間にかなってしまうかと。

 

chitose
@kasega1960
·
48分
こんなことは「ゲド戦記」や「スター・ウォーズ」でも描いていることかと思いますが。

 

chitose
@kasega1960
·
41分
実際にこうした活動をされている方や、実際に性被害を受けている方たちが声をあげている分にはいいんです。でも、その尻馬に乗って「正義の味方」ごっこをしている人たちは害悪にしかならない。そうした人たちは被害当事者に連帯し、共に歩む人たちでしょうか? ただ騒動を「消費」しているだけでは?

 

 

chitose
@kasega1960
·
22分
要するに「ネット劇場」の観客の野次に過ぎない無責任なことで「リアルワールド」の当事者に影響をふるうなということです。もちろんあなたがそうだと言いたいのではなく、そういう付和雷同なネット世論を「味方」だと思うなということです。

 

chitose
@kasega1960
·
14分
何か普段から感じているモヤモヤが一連のツイートですっきり言葉になった。
なぜネット世論が現実の投票行動や政治に影響力を行使できないか? それは「あなた」がネットに、ただのパンと見世物を求める無責任な野次を飛ばす「観客」であって、「当事者」意識がないからです。

 

chitose
@kasega1960
·
9分
実際に貧困や差別や虐待に苦しむ当事者の声は誠意を持って傾聴したいと思います。それが私の職業(マックス・ウェーバーのいう"Beruf")でもありますし。しかしただ外野から無責任なヤジを飛ばす、ネタの「消費者」でありたくはありません。

 

私も #温泉むすめ の問題について発言する際に、これを機会にマウントをとりに行っている面があることは自戒したいと思います。

 

私が重視したいのは、


1.性被害当事者の皆様の声
2.当事者を支援する具体的な活動をなさっている皆様の声
3.表現の自由のための活動をなさっている皆様の声


の順です。


その他は失礼ながら、


X.外野の「ネット劇場」的観客

です。

非実在女性の描き方が、実在女性の性被害に結びつくかどうかのエビデンス(実証性)のある研究がございましたら、謹んでうかがいたいと思っております。

私は実際の性被害者の方にカミングアウトを迫るつもりはありません。それではセカンドレイプになりますから。自己申告して下さらなくて結構です。

 

ただ、性被害 #当事者 の方を傷つけるようなコメントはご遠慮ください。

******

次回に続きます。

2021年10月28日 (木)

小室圭さんと、眞子さんの結婚に関する一連の騒動に、現代日本における真の「父性」の欠落を嘆く

より以前の記事一覧

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

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     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。