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精神医学

2021年9月16日 (木)

フランケンシュタインの誘惑:「ナチスとアスペルガーの子供たち」

ハンス・アスペルガーが、ナチスの障害児安楽死作戦に協力したということは、何をきっかけは忘れたが、すでに知っていた。

Eテレのこの番組は、その問題にどどまらず、アスペルガー症候群とはどのようなものかについての、平易で要を得た解説にもなっていて、非常に良質のものだったと思う。

******

環境活動家であるグレタ・トゥーンベリがアスペルガー症候群であることをカミングアウトしていることは、結構知られているかと思う。

アスペルガー症候群とは、発達障害のひとつ、自閉症スペクトラムにおいて、

  1. 対人関係の障害
  2. パターン化された行動

はあるものの、

  • 言語・知能の障害

はない人たちのことである。

(番組ではこの呼称は用いられなかったが)、特に知能が高く、専門分野で成功する(しそうな)人たちについては「サヴァン症候群」とも呼ばれる。

歴史上の人物としては、モーツァルト、マリー・キュリー、アインシュタインなどがそうだったのではないかと言われ、現代の人物では、ティム・バートン監督、歌手のスーザン・ボイル、俳優のアンソニー・ポプキンスがアスペルガーとの診断を受けている。

生まれながら他人への関心が薄く、相手の気持ちが読めない傾向がある。

******

ハンス・アスペルガーは1906年、オーストリアのウイーンの生まれ。

父は高等教育は受けられす、苦労して就職したので、ハンスの勉学への要求水準は極めて高かった。

小6の授業のネズミの解剖で、寄生虫を発見し、「一つの生物の中に別の生物が生きていて、密接な関わりを持ちつつ共存している」ことに魅了され、医者への道を進もうと心に固める。

1925年、ウイーン大学医学部に入学。

ところが大恐慌が起き、就職を危ぶまれた。

そこから彼を救ったのが、ウィーン大学小児病院院長のフランツ・ハンブルガーだった。

アスペルガーはハンブルガーを父のようにあおぎ、指導者と教え子の関係を超えたものであったという。

1932年、アスペルガーは病院内の特別施設の担当となる。そこには、社会適応できない発達障害の子供たちが送られてくる。

アスペルガーは、そこに病院のニオイがしないことに驚く。

当時の児童診療所は、ベッドに縛りつけ、検査漬けにして、「患者」として扱うのが普通であった。

ところがこの診療所は、子供を遊ばせ「生活者」として扱い、教育的扱いをするという点で画期的だった。

病名は当てはめられず、子供の無意識の行動をひたすら観察し、週1回、スタッフたちが、ひとりひとりの処遇について意見を交わす、世界最先端の施設であった。

生まれ持った能力や性格の変えられる側面は変え、異常な行動は抑制するという活路を見出そうとするものだった。ひとりひとりの夢や目標を実現することをめざした。

アスペルガーは、10年間で200人診察し、1944年に、「小児期の自閉的精神病質」という論文をまとめることとなるのだが、それはまだ先のことである。

アスペルガーは、優れた言語感覚を持つ子供に注目し、自閉症に言語障害や知的障害が伴うというそれまでの考え方をくつがえした。

「医師には全身全霊をかけて、これらの子供たちに代わって声を上げる権利と義務がある」

*****

だが、アスペルガーにもうひとつの顔があった。

能力のある、生産性が高そうな子供には情熱を注ぐが、能力の低い、生産性の見込めない子供はあっさりと切り捨てた。

時はナチスが政権を握った。ハンブルガーはナチスに入党し、彼の指示でアスペルガーはドイツに研修に赴いた。

ナチスは、優生学に基づき、優秀な人間のみを選別し、劣る人間を排除しようとしていた。

力強い民族共同体を作ろうと、障害があるものへの強制断種・不妊手術が行われるようになった。

ナチスが健康な子供たちを体制に忠実な人間に育てようと、幼い頃から徹底的に教育する光景を目の当たりにしたアスペルガーは敬服した。

1934年、ウイーンの施設の所長に28歳にして抜擢され、ナチスと政治的に足並みをそろえることとなる。

1938年、ナチスはオーストリアに侵攻、ウイーン大学は、ヒトラーに忠誠を誓わないものは排除し、残りの半分はナチに入党した。

アスペルガーはナチスと関係が深い団体に次々加盟。その中には「国家社会主義ドイツ医師連盟」もあった。医療部門のナチとも呼ばれ、ユダヤ人の排斥を主導した組織でもある。

アスペルガーは特別講演で、ナチス礼賛、強い民族共同体をめざすとし、

「全体が部分より大きいという考えのもとでは国家が優先されねばならない。遺伝病の予防と優生思想を浸透させねばならない」

と述べた。

「才能ある」精神異常がある子どもに彼は専念し、最良の奉仕をした。「役立つ」「役立たない」という選別にこだわった。

1939年、ポーランド侵攻とともに第二次世界大戦がはじまる。

その日にヒトラーは、「障害者安楽死作戦」を打ち出す。

このことは、このあとのエントリーで私が紹介する予定の、ハフナーの「ヒトラーとは何か」でも、最大の罪のひとつとして取り上げられている。

この安楽死作戦は、大人だけではなく、子供にも適用された。

ウイーンのシュピーゲルグルント児童養護施設がその舞台となった。

この施設には、「教育不可能」と診断された子供たちが次々送られてきて、たいてい「肺炎」と死亡記録が残る形で、実は薬で弱らされて死んでいった。

近年、アスペルガーが診断に多数関わり「シュピーゲルグルントに移送することが解決法」と明記したことを示す書類が、ウイーン公文書館から大量に発見された。

****

1945年、ドイツは連合軍に無条件降伏、1年後の裁判で安楽死作戦の責任者は死刑や懲役となったが、多くの医師は、ヒトラーに強制されたと弁じ、無罪となる。アスペルガーもそのひとりである。

彼は1946年、ウイーン大学小児病院の院長となり、更には終身院長となった。

しかし、戦後、自閉症研究は再開しなかった。

1974年、ラジオ番組にはじめて出演、自身のナチス時代を公の場で初めてふりかえることとなるが、

「ナチの非人道的なことは受け入れることはできませんでした。私は子供たちを引き渡すことを拒否しました」

と釈明。1980年急死した。

1981年、イギリスの精神科医、ローナ・ウイングが、自らのリサーチとアスペルガーの論文の症例が極めて類似していることに気づき、「アスペルガー症候群の臨床報告」という論文を公表し、アスペルガーの名は一躍脚光を浴びることとなる。

前述のアスペルガーの診断書が発掘されたのは2010年である。

アスペルガーの元患者で、大学の歴史と美術の教師として成功したヴァルトカルト・ホイフルは、独自に調査に乗り出し、789人の安楽死者を特定した。

「アスペルガーは、時間がある時はいつも子供たちに本を読み聞かせる良い医師でした」

しかし、骨格異常のあった妹は、シュピーゲルグルントに送られ、死亡していた。

2018年、アスペルガー症候群という診断名は、「自閉症スペクトグラム障害」に統合された。

*****

私が発達障害について学んだ頃は、「アスペルガーは、敗戦国ドイツの研究者であったために、日があたらない存在であった」と解説されるのが普通であったと思う。

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2021年9月 5日 (日)

ユングとナチズムの関係。そこから話題を広げて、対話的心理療法に共通する「物語」化の役割について。

まずは、小俣 和一郎著:「精神医学とナチズム ―裁かれるユング、ハイデガー」に関する小レビューからはじめます。

本書におけるユングについての記述は認識が浅いと感じます。

いくらフロイトたちユダヤ人を亡命に追い込んだ後のドイツの「精神療法」の業界が、ナチ公認の「ユング派」に独占せれていたという事実があるにしても、ユング自身はそれと慎重に距離をとっていた可能性は、本書の記述を素直に読み解けば、むしろ見えて来る気がします。

「ユングはナチズムを支持している」というのはすべて外部の人間の発言で、本人の著作にはそうした言及はない。

唯一述べているのは、「アーリア的無意識はユダヤ的無意識よりポテンシャルが高い」ということを述べた論考ですが、これが性欲を強調するフロイト派に対する敵愾心から出た、「不用意な」発言というふうにむしろ読み取れます。

また、この著作の中で紹介された、「ヴォータン」という論考は、恐らく私がどの本かに収録されているのを実際読んだことがあります。

私は、「ドイツ民族の中で長い間眠っていた古代ゲルマン神話の神、ヴォータンが、死火山のように蘇って活動をはじめた」という記述を含むこの論考を、むしろナチズムへの警鐘の意味を込めたものという気がしながら読んだはずです。

更に言えば、ユングの言う「全体性」を「全体主義」と結びつけた小俣氏の論理展開は、そもそも小俣氏がユングのいう「全体性」概念を全然理解していないことを露呈している箇所でもあります。

人間の「自我(Ich)」(意識的自我)というのは「自己(Selbst)」のほんの一側面だけが認識されたものであり、いわば「自己」という太陽のまわりをまわる衛星のようなものに過ぎず、その他の側面は実は心のバランスを取る形で無意識下に「布置(constellation=星座)」されて、全体としては統合的に機能しているというのが、ユングの言う「全体性」の心理学ですから。

*******

私が思うには、ユングという人は、いったん理解してしまえは、非常に実用的な人間理解になる側面と、衒学的な側面の両方を持っています。

ユング個人がどれだけすぐれた臨床家であったかどうかはわかりませんが、現場臨床家にとって刺激的なパラダイムを提供したことは確かですし。個人的にはフロイト自身の著作より影響を受けたと思っています。

それに、フロイト自身も、この点では似たようなところがあり、自分が提唱した治療原則・・・これは今日に至るまで決定的な影響力を持っている・・・を現場ではいろいろと逸脱した人物であり、有名な症例にも脚色が多いことは、元患者の手記やインタービュー(狼男へのもの。オプフォルツアー「W氏との対話」は私も手短にですがレビューを書いています)などから今日では知られていますし。

非常に専門的になりますが、ネット上には以下のような資料もあります。

●フロイトと狼男(村井翔)

その1

その2

この「その2」の方に、

「神経症患者が、私はこれこれこういう経緯で目下の症状に苦しむようになったのだという病歴=患者の歴史・物語を語れるようになることは、直ちに症状を消滅させることはできないかもしれないが、症状を消し去れるようになるための、決定的なステップなのである。そして病歴=患者の歴史・物語とは、しょせん物語なのだから、真実であるにこしたことはないが、必ずしも真実でなくともよいことになる。」

と村井氏によって書かれていることは興味深い問題だと思います。

「物語化」という意味づけがその人を救済する。

これは多くの対話的心理療法に、流派を問わず(認知行動療法を含む)共通するテーマかと思います。

ここにはもちろん光と影の部分がありまして、新興宗教や占いでも、そうした「意味づけ」と「歴史」を与えられることが、少なくともとりあえずの救済になってしまう面があるわけで。

現在の最先端の現場では、一定の条件下での「ダイアローグ」という対話の過程における回復の可能性(精神病者を含む)というのが一番ホットなテーマです。

社会構成主義的な「ナラティブ」心理療法や「オープン・ダイアローグ」がこれにあたります。

・・・このことをいい出したら、これだけで一つの長大なエントリーが書けてしまいますが。

****

なお、調べたところ、ユングの「ヴォータン」という論文は、現在では,

●ユング/現在と未来 (松代 洋一他訳 平凡社ライブラリー)

という本に納められているようです。

私はこの編書で読んだわけではありませんが、書評からみれば私が想定した内容のようですね。

これは安価で中古が出ているようですから、読んで(読み返して)みようと思います。

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2021年9月 1日 (水)

61歳の誕生日になって何を書くか迷ったのだが・・・・

ブログを再開したのが今年(2021年)の3月26日だから、まだ5ヶ月ぐらいであるが、ほぼ毎日更新できてきた。

カウンセラーのブログにしては心理関係が最近は少ない。

私のカウンセリング論は、「若きカウンセラーに向けて」カテゴリーですでにかなり言い尽くしていて、繰り返しても意味がないと思っている。

新たに専門書を読んでレビューすればいいのだろうが、私の収入からすれば、心理や精神医学の専門書はともかく高いのが多いのでなかなか手が出せない。

そこで、ともかくできるだけ毎日映像作品を観るという課題を自分に課してきて、そのエントリーを書いた直後にはアクセスがそこそこ増える。でもそのことによって常連さんが増えるというわけでもない。

そもそも、エントリーの再開のきっかけは、ゲーム「ウマ娘」のおかげなのだが、ウマ娘関係のエントリーを載せるとアクセス数が落ちるという悪循環をかかえている。

先日書いた「攻略法」のエントリーなんて、シンプルで、役に立つという自負はありますが・・・

もうひとつの柱は、オーディオサイトであるということ。昔はともかく、現在は決して高いものには手を出さないが、高級品を使っている人も忘れがちな基礎の基礎についていろいろコツを書いているという自負はあります。

お金をほとんどかけないで、あなたのパソコンシステムの音を劇的に変える方法満載のつもりですから、お気軽に読んでください。

今日のエントリーは何の動画で締めようかと思いましたが、夏も終わりましたことですし(まだ暑いですが)、追憶として、すでにエントリーでレビューを書き、高評価しましたが、シャフト制作の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のテーマソング、DAOKO × 米津玄師の『打上花火』がなかなかの名曲だと思いますので、再度、アニメの名場面を連ねた動画を埋め込みたいと思います。

これからも、「カウンセラーchitoseの雑記帳」、どうかいっそうご贔屓のほどを。

210901

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2021年8月28日 (土)

フィクションと現実の弁証法 -なぜ私は「エヴァンゲリオン」をマジに論じるか-

この問題は、現代思想において、すでに語り尽くされたテーマであろうが、私なりの言葉で小論をまとめておきたい。

フィクションと現実を二項対立的にとらえることそのものが、あまりに古めかしいことは言をまたない。

いわゆる「現実」そのものが、何らかのフィクションを前提として成立している。

もとをたどれば、人間が「人工の」文明を形成する時点で、自然の法則から逸脱している何らかの「フィクション」を必要としているとも言える。

歴史的叙述というものは、どれだけ現実の事実を背景としている場合でも、何らかの「価値観」の呪縛からは、完全に超越し切れない。

そして、およそすべての理念(idea)は、虚構性を帯びているのであり、そうした「理念論理(ideology、すなわちidea-logy)」に基づいて人間は行動し、戦争なども引きおこすのであり、それが「現実」の殺戮等を生み出す。

「映像作品」においても、いくら「リアリズム」に基づく場合・・・それこそ「記録映像」「ドキュメンタリー」の場合においても、現実から何を切り取るかという時点で、製作者の「理念」の影響下にしかない。

もっとも、そうした「理念」による「現実」の切り取りの作為性があったとしても、作り手の意図を超えた情報(一見「ノイズ成分」ともみえるもの)は多大に盛り込まれるものであり、鑑賞者に、いくらでも解釈の多様性を生み出すものである。

ましてや、最初から「フィクション」を謳っていた場合においては、いよいよ作り手の意図を超えた理解の多様性は生み出されるものであることは言うまでもない。

もっとも、長年蓄積された、「映像の文法」というものは共有可能であり、よほどひとりよがりな作品でない限り、「作り手の意図」を推し量ることはできる。

作品レビュー等によく観られる、自分の体験や価値観のみに引き寄せた浅薄なものは、実際作品を観てみれば、容易に識別可能であろう。

他者の意図に感情移入する「想像力」が試される時であり、偏った作品レビューをする人は、現実世界の対人関係においても、他者を他者と認めつつも共感の接点を探すというスキルに欠けている人が多いと思う。

フィクションにおいてのほうが、人間の「真実」を描き得るという弁証法があることは言うを待たない。

いわゆる日常的「リアリズム」に基づく作品ではなくて、虚構世界を完璧に創造する手法をとる場合のほうが、人間の心理を描き出すには好都合ですらある。

なぜなら、人間の心理と相互作用そのものが、数々の理念とフィクションを背景とした、私的物語の対話(ダイアローグ)に他ならないからである。

この点からすると、映像作品においては、すべてが記号化され、現実の「ノイズ」成分が捨象されたアニメ・コミックの領域のほうが、虚構世界を創造する上で好適な手法であるとすら言えるであろう。

初代「ガンダム」、しかり、「ナウシカ」しかり、「銀河英雄伝説」しかり。

(ただし、最近のアニメやラノベの、「異世界転生モノ」の量産については辟易している。確かにいい作品も多いが、なぜこうした物語が安易に「消費」されているのかという視点は重要だと思う)

私は、それゆえに、こうしたアニメの虚構世界での人物描写においてこそ、まるで生身の人間における心理を分析するかのような論じ方をしてみる意味があると思う。

そうしたアニメの観方を何か純粋過ぎるもののようにとらえ、過去の作品のパターンに回収するような、知ったぶりのアニメ評論に対して私が批判的なのもそうした故でもある。

もとより、アニメにおける登場人物は、いくら現実世界での対人関係の経験が反映していたとしても、すべて、製作者の「分身」だとも言える。

これは、ユングにおいて、現実の人間に対して、人は、自分自身の「自我(Ich)」から追い出した「自己(Selbst)の投影を通してしか、普段は接触していないということでも説明がつく。

「エヴァンゲリオン」において、「すべては庵野氏の脳内世界」と評する向きも多いが、むしろそうであるからこそ、観客は自分自身を投影した登場人物をみつけやすいように思われる。

こうしたことが、拙書「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮-」(幻冬舎)執筆の際に前提としていた、私の切り口であり、「イデオロギー」である。

2021年8月25日 (水)

睡眠薬ベルソムナ(スボレキサント)は、深い睡眠状態を維持させるが・・・

今度は精神神経科・心療内科などで処方される睡眠薬(睡眠誘導剤)について書いてみます。

ただし、私は精神科医ではなくて、一介の不眠症傾向があるカウンセラーの体験記に過ぎませんので、詳しいことはお医者様に聞き、相談してください。

*****

睡眠薬は、開発当初は、バルビツール系と呼ばれるものがほとんどでしたが、翌日昼になっても眠気が残る、(そしてこれが最大の問題点ですが)自殺に利用できるなどの問題点をかかえていました。

そこで、ベンゾジアゼビン系睡眠「誘導」剤というものに置き換わりました。

このタイプの薬は、あくまでも睡眠のきっかけをつくり、スイッチを入れるという点にあります。

もっとも、短時間型から長時間型まで、実にいろいろな種類があります。

そして、大量服用しても、自殺につながりにくいとされます(この点は、あくまでも一般に言われることを書いています)。

睡眠「導入剤」は、飲んでしばらくのうちに、それこそ「コトン」と寝てしまいます。

ただし、

  1. 飲んだ直後、立ったり座ったりしたまま起きていると、薬効が現れないまま、やり過ごせてしまう。
  2. 途中覚醒の傾向が強い人には効かない(この場合は、「長時間型」を用いる)。
  3. 依存性がある。

という問題点があります。

*****

最近登場したのが、「選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬」に分類される睡眠薬で、スボレキサント(商品名:ベルソムラ)が代表的です。

この薬は、ベンゾジアゼビン系睡眠「誘導」剤とは作動機序が全く異なります。

具体的に言えば、ノンレム睡眠(脳を休めている状態)を数時間維持するという点で、途中覚醒の予防になることです。

副作用としては、この薬が切れてしまってからのレム睡眠(身体は寝ていて、脳は覚醒時に近くなる)において、少なくとも慣れないうちは、「悪夢」をみる傾向が強いということです。

 選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬には、依存性がないのもひとつの特徴です。

現実的には、寝入りを良くするベンゾジアゼビン系睡眠「誘導」剤と選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬(睡眠「維持」剤)は併用されることが少なくないかと思います。

*****

選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬(睡眠「維持」剤)使用の際の注意点だと私が経験上感じているのは、睡眠時間が遅くなり、翌朝早く起きねばならない場合(例えば寝られるのが4-5時間とか短時間となった場合)には、本当に深く寝入ったままになり、寝過ごしてしまったり、二度寝をしてしまったり、それでも無理して起きてしまうと、ふらつく、ぶっ倒れるするなどの危険があることのように思えます。

個人的経験では、どうしても短時間睡眠で目覚めなばならない時は、ベンゾジアゼビン系睡眠「誘導」剤服用だけにして、選択的デュアルオレキシン受容体拮抗薬(睡眠「維持」剤)抜いてしまうことかと思います。

繰り返しますが、一不眠症患者としての、あくまでも個人的見解です。

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2021年8月19日 (木)

社会福祉士、藤田孝典氏はいずれ全体主義者に「かつがれる」存在になる?

私は一昨日、DaiGo氏の「差別」問題について社会福祉士、藤田孝典氏にTwitter上で論戦を挑んだが、20回ぐらいコメントしたにもかかわらず、ことごとく無視された(^^;)

その内容がどのようなものであったかは、私のコメントはすべて藤田氏のツイートへの引用つきリツイートでしたから、私のTL(chitose@kasega1960)を追っていただきたいが、私以外を含めて、彼の発言で違和感があるものを幾つか並べてみたい。

 

これと、彼のよくする、「自己責任」批判の論調は矛盾しないだろうか?

続いては、すでに幾つか前のエントリーでも言及した、恐らく彼最大の問題発言。

 

 

引き続いて、彼の「恐怖政治」的制裁論について。

 

 

彼の、自分を批判するものに、十把一絡げに「差別擁護者」という独特のレッテルを貼ることについて。

私には、彼を「マッチョメンタル」と呼びたいところがある。このお方が、若い頃、底辺の福祉の世界で、利用者さんに細やかにやさしく接している姿がどうしても思い浮かばない。

どうも、彼は、生活保護受給者をできるだけ無償で援助することとはまるで正反対のことを10年前にはしていたようである。

いわゆる「貧困ビジネス」をしていたようなのだ。

以下はWikipediaからの転載なので、本来は慎むべきことなのだろうが、ここで述べられていることは事実であろうから:

===============================================

月刊誌『選択』は、藤田が過去に貧困ビジネスを行っていたと報じている[4]。

さいたま市議会議員の吉田一郎は、以下の行為が貧困ビジネスではないかと主張している[12][13]。

生活保護の申請支援、申請同行及び審査請求、不服申し立て手続の支援を『生活まるごとコーディネートサービス』と称して4万2000円で行っていた[12]。

吉田は、非弁行為として法律に抵触するとしている[12]。

8万円程度で一軒家を借りてグループホームという形式で運営し、1軒に5人程度ホームレスを住まわせて市からの住宅補助4万7000円と入居者から共益費として1万円を受け取っていた。吉田は、毎月20万円程度の粗利が上がっていたと見ている[13]。

そうした住居を15軒所有し3年間で2000万円以上利益を上げていた[13]。

代表も役員報酬として413万円を受け取っていた[12]。

この他にも吉田は、ほっとポットが不当に補助金を受けていたとして、監査請求を提出している[14]。

参議院議員の片山さつきは参議院の総務委員会で、以下のように発言している[15]

・・・お手元に配らせていただいているこの「ほっとポットとは」、「生活まるまるコーディネートサービス利用契約書」。

実は、このほっとポットの代表理事の方は、今、生活保護の審議会、政府の審議会、厚生労働省の審議会の委員なんですよ。

ところが、この方は、生活保護者に帯同し、場合によってはその審査請求や不服申立ての手続支援をするという、これ普通書かないですよね、

弁護士法七十二条、七十三条、行政書士法十九条、普通書かないですよ。でも、書いちゃって、お金を四万二千円取っておられるんですね。

・・・地方自治体や、本当にプロとして、士業として認められた人たちの意見をきちっと聞いてならいいですが、位置付けがはっきりしないNPOが、本当にボランティアで親切心だけならいいんですよ。だけれども、じゃ、何で一件四万二千円が必要なのかということを誰でも思うので、

この件は、実はこの起こった政令市において議会で問題になっているんですよ。それに対して政令市の担当局長が何と答えているか、こういう方々が一緒に付いてきても何のメリットもありませんと答えているんですよ。つまり、こういう方々が付いてこようが付いてこまいが、生活保護は自分で申請するものですから、変わらないと。・・

================================

・・・まあ、あの生活保護不正受給者批判の片山氏がいうことですが、事実は事実でしょう。

私が感じるのは、彼が非常に極端な二分法を好み、差別者とされる人物への「上からの」制裁を志向し、実は「権力主義」の側面を持つということである。

彼は、異分子を排除するという、裏返しの「差別」意識を持っている気がする。

実は全体主義との親和性があるのではないか。まるでロベスピエールですね。

いずれ、むしろ右翼サイドにすら利用され、祭り上げられる存在になるように思う。

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2021年8月14日 (土)

【メンタリストDaiGo】:「再度の」謝罪は一応評価します。しかしそれでもこういう現象に対しての一部の方の反応については問題提起し続けます。

一回目の謝罪では、「生活保護者でも頑張っている人がいる」などという余計なことを言い、「がんばって生きない権利」を否定している面があることなどを含めて更に批判されていたようです(この1回目の謝罪の動画自体は私は観ていないので二次情報です)。

(追記:上記に関しては、少し問題もあったと思いましたので、後のエントリーで補足します)

この「1回目の」謝罪に関して、詳しい逐語的情報を伝えたサイトがありました:

●メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明

一部引用します

  •  なお、批判を受けて、DaiGo氏は8月13日夜、今回の発言を「謝罪」する動画を配信しました。長年ホームレス支援をしているNPO抱樸の奥田知志氏と連絡をとり、近々、現地に赴いて支援者や当事者から話を聞いて学びたいとしつつも、しばしば笑顔を見せながら、「ホームレスの人とか生活保護を受けている人は働きたくても働けない人がいて、今は働けないけど、これから頑張って働くために、一生懸命、社会復帰を目指して生活保護受けながら頑張っている人、支援する人がいる。僕が猫を保護しているのとまったく同じ感覚で、助けたいと思っている人、そこから抜け出したいと思っている人に対して、さすがにあの言い方はちょっとよくなかった。差別的であるし、ちょっとこれは反省だなということで、今日はそれを謝罪させていただきます。大変申し訳ございませんでした」と謝罪の言葉を述べたのです。

    しかし、ここで示された考え方は、他者を評価する基準を「頑張っている」(と自分から見える)かどうかに変えただけであり、他者の生きる権利について自分が判定できると考える傲岸さは変わりません。しかも、貧困や生活困難を社会全体で支え、生存権を保障するために、権利としての生活保護制度があることについて、根本的な理解を欠いていることに変わりがありません。少なくとも現時点においては、DaiGo氏が、自らの発言の問題点を真に自覚していると評価することはできず、その反省と謝罪は単なるポーズの域を出ていないと言わざるを得ません。

・・・おいおい、ネコと同格にしていたのか。

1時間前にアップされた「再度の」謝罪は、限界はありますが改善されたと思います(「自分が」生活保護を受ける立場になったら・・・という言及がないのは気になりますが)。

この最新の動画を知らないまま議論するのは良くないので、まずは貼り付けます。

まずは、新たな謝罪を受けても、問題にしていいと思う点について。

(彼には過去にも差別発言が山のようにあるとのことですが、それを実際にYoutube上で観ていないので言及は避けます)

彼の発言に、「当事者や家族や支援団体の方の苦境と努力」という意味の文言がありますが、例えば、現行の生活保護制度は、申請しさえすれば受理されるという前提で法律は制定されていると思います。

極論すれば、生活保護のお金をギャンブルで使う「権利」もあると考えられます。

このこと自体を、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」という条項との兼ね合いで、どう捉えるかは同然議論があるところでしょう。しかし現行の法規定では役所側は拒否できないという事実は尊重すべきだと思います。

ベーシックインカムや、現物給付などという意見は今後の問題として別に議論すべきです(私は色々疑問はありますが)。

私は、やまゆり園事件等における「生産性」議論の問題ともつながりますが、生活保護受給者や障害者、老齢者などは、何も「生産」しなくても、生活は保証されるべきという立場です。

さらに言えば、私は、資本主義社会においては、人は、「生産する義務」ではなく、「消費能力の一定水準の額の保証」の方が、本人のみならず、「経済効果」の上でも優先すべきことと確信しています。

これについては、中井久夫先生が、精神障害者の社会「復帰」において、「生産活動より消費活動をまずは優先すべき」と述べられていることに私の発想の原点はあります。

しかし、(コロナで加速しましたが、)日本の現在の社会・経済情勢において、「消費の冷え込み」が悪循環を生み出していることは、すでに論じ尽くされていると思います。

*******

次に、ここから述べることはTwitter上で余計なフレームに対応せなばならなくなるので、自分のブログでしか書きません:

Twitter上には、彼のTwitterとYoutubeのアカウント停止を求める声もうずまいていましたが、それは違うと思います。

二次情報のみが残ることになればむしろ不健全でしょう。

「表現の自由」などというお題目を唱える気もありませんが、オリジナルがどのようなものであったかを観て、主体的に判断できるような、あるいは色んな人の意見に耳を貸しながら討論して己れを貫けるような子供や若い人たちを育てる気概がないまま、「禁書目録」を作るのはやはり何かが違う気がします。

私自身は、ドイツが「わが闘争」をごく最近まで禁書にしていたらしいことも常々違和感があります。

このへんについては一応以下のサイトが情報源:

●ヒトラー『わが闘争』ドイツで70年ぶり再発売、注文殺到で増刷も

少なくとも、「わが闘争」について、中学生ぐらいの時点から原典を引用しながら、どこが問題かを教育する環境は、整備されるべきかと思います。

ちなみに、「わが闘争」は、上巻は若い頃に読んだことあります。

この次のエントリーは、「わが闘争」上巻の詳しい紹介とレビューにしますので、1日ぐらいはお待ち下さい。

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2021年8月 7日 (土)

ETV特集「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」【追伸つき】

すでに7月31日に放送され、Twitterでもいろいろ話題となったが、普段テレビを全く観ない私は本放送に気づかす、あわてて8月5日深夜の再放送を録画しておいたが、それを忘れていたので、遅ればせながら視聴記を書きたい。

日本の精神科医医療の頂点に立つと言っていい、全国最大の都立松沢病院では、新型コロナ蔓延による都内の精神科病院の入院患者治療のひっ迫をうけて、20床の専門病床を昨年5月に開設し、他院のコロナ重症患者の入院受け入れをはじめた。それから1年間の密着ドキュメントである。

松沢では、精神科医とコロナ専門スタッフの合同チームを立ち上げ、一般病院では受け入れてもらえなかった、精神科入院コロナ重症患者を移送してもらって、コロナ治療と精神疾患治療を並行して行ってきている。

精神科病院において、重い精神疾患患者は、多くの場合狭い共同部屋に入院しており、治療・看護スタッフも密接なケアをせなばならない。これがコロナ感染の温床となり、患者ばかりか、治療・看護スタッフを含めたパンデミックを生じることが多いが、そのことについてはほとんど報道されていない。

精神科入院患者は、高齢で持病も重症化していることが多いが、一般病院に比較すると治療が劣ることがただでさえ少なくない。ましてやコロナに対しては十分な治療体制を持たないところが多い。

ところが、そういう精神科入院患者を一般病院は受け入れてくれないことが多いのである。

都内X病院では249人のクラスターが生じた。

松沢病院に移送されてきたコロナ重症患者は、そもそも基本的な身体のケアがなされておらず、壊死とが腎盂炎の治療がなされないままになっていることが映像でも示される。

古い病棟においては畳敷きの布団就寝のことも多く、個室は保護室のみであり、密な状況に置かれざるを得ず、通常であれば非常にストレスの多い環境であるが、入院歴が長い患者が多く、そういう過酷な環境にも慣らされている。

保健所の指導を仰ぐと、なるべく陽性患者と陰性患者を隔離するように指導されるが、一つの病棟全体をレッドゾーンとして隔離し、陰性患者も皆陽性患者となり、職員も3割感染していよいよ職員ひとりあたりが担当する患者数は増えるという悪循環が生じた。

精神科においては通常科の3分の1の医師、3分の2の看護師が担当するのでいいと法令では定められており、スタッフひとりあたりの担当患者は20を超えることもある。

こうした背景には日本の精神科医療の歴史があり、隔離医療政策のもとで、精神科特例として、少ない医療担当者で多くの患者を診るのが当たり前となっていたことがある。

世界の2割の精神科病床数が日本によって占められており、現在27万人が入院している。

退院促進が行われない状況には、日本社会の精神疾患患者への偏見の強さがある。

ある精神科団体の会長は、

「医療を提供しているだけで社会秩序の担保となっている。暴力を働く患者が社会に解き放たれ、警察や保健所が困るだけ」

とうそぶく。

患者と家族との関係はいろいろである。

家族のひとりたけに精神疾患者のケアが押し付けられていることも多く、外泊ですら徘徊などが生じて対応できないことも少なくない。

30年以上入院している患者も少なくなく、家庭にも地域にも受け入れらないまま、いわば「必要悪」として長期入院が機能している現状がある。

番組には、精神症状が落ち着いても30年以上入院を続けている患者が登場。退院して受け入れる環境もない。

ある精神科医は、

「社会には精神疾患患者のことを、自分の問題として引き受けたくない、患者を怖いものと見ている風潮が根強い」

と語る。

都内のY病院から移送されて来たコロナ患者は排泄物の処理すら長い間なされないまま放置されていた。

この病院では、大部屋に陽性患者のみを集め、突如南京錠を設置して閉じ込めた。

畳じきの30畳のへやに詰め詰めで、真ん中にトイレがひとつ設置されているのみ、ナースコールもなく、大声で「水をくれ」と叫んでもなかなか供給されない状況に諦めの状態にある。

保健所が訪問しても病室の中を見ることはしないまま廊下を歩き去ってしまう。そうした状況に対して保健所は取材拒否。

Y病院は、患者の証言によれば、保健所から視察に来た時だけは鍵を外し、視察が終われば再び鍵を閉めてしまう。

日本では、精神科のコロナ陽性入院患者の6割が一般病院に転院できず、拒否されている。

松沢病院院長は、

「世の中で何かが起こると歪みはまず弱い人に行く」

と語る。

現在、精神科145病院に4600人のコロナ重症患者がいるという。

******

コロナの蔓延は、日本の精神科医療の抱えた長年の問題をあぶり出したと言ってよいことがこのドキュメンタリーの結論であり、単なるコロナクラスターの病院入院患者における蔓延についてのレポートではない。

すでに述べたように、精神科入院患者の大病院における、場合によっては何十年にも及ぶ、しかも劣悪な環境での収容がままあるという現状は日本固有である。

番組でも語られていたが、現状では、精神科病院において患者の待遇改善のための施設や人員に投資をすると、病院自体の経営が行き詰まり、不十分なケアしか受けらない患者が社会に放り出されるという危ういバランスにある。

抗精神病薬が開発されて以降、他諸国では開放政策が進み、地域におけるケア・システムが高度に整備された国も少なくないが(例えばイギリスの状況をこのエントリーで紹介した)、日本ではこの社会的包摂の力がまだ弱いままである。

精神障害者への偏見と差別も根深く、早期に薬物療法を開始すれば、入院を継続しなくでも(あるいは入院をそもそもしないまま)、通院医療だけで、さして問題を起こさずに社会適応できることも多いことすら一般の人は知らないことが多い。

働けなくても、障害年金を受け、社会の目立たないところで、作業所やグループに通いながらも、静かに生きられることも多いのである。

それすら不可能な人が、症状の急性期に、一定期間入院しては退院できるというのが、今日において可能なはずの社会のあり方である。

しかし、日本においては、例えば保育園を新規に開設しようとするだけでも「騒々しくなる」と地域住民が反対運動を起こすぐらいに、「平穏な」生活を守ろうとする圧力が、むしろ以前より高まっている風潮があり、ましてや精神障害者の施設となればいわずもがなという現状がある。

こうした現状を打破するためには、国や地方自治体の、法律、条例改正を伴う精神障害者支援制度の改革が必要だが、現状では、民間の手に委ねられている傾向が強い。

ネットにおいても、何かというと精神障害者への差別と偏見は根を立たず、事件やトラブルがある度に不当な診断名でレッテル貼りがなされる傾向が強いままである。

我々専門家も、そうした傾向の是正のために、こまめに、地道に、発信し続けねばならないと思う。

*****

【追伸】:番組の本来の趣旨から若干外れ、私は医者ではないので遠慮してしていたことを追伸します:

 統合失調症そのものが軽症化し、しかも非定型精神病薬(リスパダール、ジフレキサ、セロクエル等)の投与が主流となる中、予後が良好な患者が増えている傾向があります。

統合失調症は生涯治らない(だから「寛解」という言葉を用いる)と言われていたのが、「治る」患者さんも増えてきた。

ですから、長期入院が必要な患者自体が減少し、長期入院してきたいる患者の多くは、旧式の抗精神病薬を投与されていた時代の人の掃き溜めという傾向が強いわけです。

こうなった背景についてはいろいろ言われているようですが、発達障害の患者が増えることと反比例するかのようにして統合失調症の患者自体が減っているのではないかとも言われています。

発達障害の「増加」の背景には、見かけ上の増加、つまり昔は発達障害についての診断基準自体が未整備だっため発掘されていなかったということと、晩婚化、人工環境化学物質の影響等が言われています。

ある意味では統合失調症の素因が発達障害の増加によって覆い隠されてしまったという可能性があることになります。

いずれにしても、旧態依然とした長期間の大病院収容から、適切な薬物投与での通院治療で済む層が増えているということにもなります。

 

2021年8月 4日 (水)

「ルックバック」問題

すでにTwitter界隈で論じ尽くされているようだが、私も一応書いておこう。

わたしはすでにこの作品が批判され出してから読んでみた。

●ルックバック/ 作:藤本タツキ(改定後の版)

よくこういう描線の作品が、ネットとは言え、ジャンプに載っていると思った。

そして、セリフを少なめにして、画面に語らせるスタイルも興味深いと思った。私は、こういう「説明的でない」のは好みである。

問題になったのは、美大に男が侵入してくるシーン。

確か、「絵から殺せという声が聞こえる」「オレの作品をパクリやがって」というセリフがあったと思う。

これが、統合失調症の幻聴を思わせ、更に「パクリ」というのが、京都アニメーション放火殺傷事件の犯人を思い起こさせることに批判が集まったのだと思う。

斎藤環先生へのツイートだけ貼り付ける。

 

斎藤先生のnoteへの直接リンクを貼ります:

●「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?

少なくとも、京アニ事件の犯人が、統合失調症でなかったのは明白だと思う。

京アニは、原作募集の意図も持った小説コンクールを催していた。

犯人は小説家志望でもあり、コンクールに応募して落選していた。

そして、落選した小説を、アニメの中のワン・シーンでパクられたと信じてしまった。

それが「思い込み」であるとしても、それ自体は病的とは言い難いと思う。

こういう言い方は被害者に申し訳ないと思うが、ある意味で「筋が通った」思い込みだからである。

彼に、事件以前に、どれだけ、周囲を怖がらせる暴力的な問題行動があったとしても、「精神病的妄想」とは言えないと思う。

もちろん、そうした思い込みの結果として彼がしでかした犯行は、決して許されるものではないし、その極端で暴虐としか言いようがないやり方に、何らかの精神医学的メスが入れられとしかるべきだと思う。

ちなみに、彼は少なくとも「責任能力」はあったと思う。それに応じて裁かれるべきである。

******

この世には、歌手が自分のことを歌っているとファンレターや贈り物をする類の人は数多くいる。

ファンレターを数多く送るから、自分のために歌詞を書いていると思いこむのだが、これだけで「妄想」と呼ぶべきかどうかとなると、私はそうではないと思う。

恋愛においても、些細なことを、相手が自分に気があり、自分のために何かをしてくれているというサインだと思いこむことなど、茶飯事だと思うから。

以前のエントリーでも書いたが、私は「アニメージュ」や「OUT」の常連投稿者であった。アニメの製作者がそれを読んでくれていると思いこんだ。

直接ファンレターを書いたことがある。それに対して実際返事をもらえたことが2回ある。一人の方が実際に会いに来てくださるという過分な光栄に浴したことは以前も書いた。

その方は、今も現役ながら、最盛期を過ぎたが、もうひとりの監督さんは、現役バリバリで、今も注目作を連発し、熱心な信者も多い方である。その方から、主人公のイラストつきの返事をもらえた。

こういう視聴者との個人的接触は、プロは決してしてはならない倫理のはずなのに・・・である。

そして、実際に「アニメージュ」の編集部を複数回訪問することを許されたし、実際に記事を書いているライターの人(この方は現在は非常に著名なサイトを運営するばかりか、作り手へのインタビューを重ね、様々な企画を取り仕切るなど、アニメジャーナリズムの世界で確かな業績を上げ続けている)と知り合いになり、電話する間柄となった。いろいろ業界のウラ話も聞かせてもらえた。

ただ、電話越しにせんべいの音をバリバリ立てながら話す態度には不快を感じた。

そして、これははっきり書くが、「ふしぎの海のナディア」の、その人が担当ライターを務めると私に言っていた特集記事に際して、私は物凄い誌面批判の手紙を送りつけた。

作者、つまり庵野さんの描きたがったことをまるで理解していない、それはこういう意図だ・・・と。

「アニメージュ」翌月号では、ものの見事に「パクられた」。

京都アニメーションのケースの場合とは全く異なっていて、私の場合には、はっきりとした、リアルな因果関係があるわけだが。

京都アニメーションのコンクールでは、アニメ制作者は、審査に関与することもないばかりか、応募されてきた原稿自体読むことはなかったという。

・・・何か、脈絡からそれた、自慢話のようにも受け取れることを書いてしまったが、私が言いたいのは、「作り手に対して、影響力をふるう」とは、このような次元でなされることと示したいがためである。

*****

話を戻すと、「ルックバック」の場合に、京都アニメーション事件の影響としか思えない「パクリやがって」というセリフを言わせ、しかもそれを幻聴と関連付け、統合失調症であることを示唆する形になった時点で、事件で生じたことの安易で表面的な引用であり、作者の藤本タツキ氏の勉強不足は否めないと思う。

Twitter上で、ある方が、「ブラックジャックによろしく」の精神科編を読めとツイートしていたが、それはなるほどと思う。あの作品は、相当しっかりしたリサーチをした上で書かれている。池田小事件の再現以外の何物でもない残虐極まりない描写そのものが、物語で不可欠な展開なのだ。

それと比べてしまうと、「ルックバック」の場合には、あまりに表層的な次元でのものであり、物語を進める上で不可欠な展開とは思いにくい。

自分の親友は殺傷事件で殺された。犯人はすでに逮捕されたが、それとは別の男から、今度は自分が殺される危険にさらされる・・・その事自体はドラマの展開として理解できるのだが。

*****

さて、結局藤本タツキ氏は、自ら申し出て、修正した。

現在読めるのはその修正後の版だけである。

これを歯が抜けたかのように感じる人も数多いようだが、私としては作品の本質は失われていないと思う。

安易に表現の自由の問題にしてしまうのもどうかと思う。

Twitter上では、「ルックバック」の名指しこそしないものの、明らかにこの「修正」問題を示唆するツイートがあとをたたない。

ただ、私なりに、今回の事象をとらえる上で、皆様のご参考になりうそうなことを書いてみた次第である。

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2021年8月 2日 (月)

原田隆之 著:「サイコパスの真実」

サイコパスと言うと、血も涙もない凶悪犯罪者というイメージがまず先立ち、興味本位の取り上げられ方が少なくなく、ネット上でも安易なレッテル貼りとしてよく使われる傾向があると思います。

少なからぬサイコパスは、その衝動性から、社会的にも成功しにくい。しかし、本書の著者、原田隆之氏は、社会的な適応水準の高い成功者の中にもサイコパスの人間が少なくないことを説く。

彼らは人当たりがよく、魅力的であり、人の感情を読む力を持っている。しかし、深く交流する相手に対しては暴君である。部下や提携先の人間も、利用価値がないとなると情け容赦なく切り捨てる。

スティーブン・ジョブスやドナルド・トランプもその類の人間ではないかと推測する。

トランプについては、専門家の集団が実際に研究を進めたとのこと。

アメリカには、昇進の人事選考の際に、サイコパスをスクリーニングできるテストがあるとのことである。

そして、サイコパスが向いている職業もあるという。腕のいい外科医、芸術家、研究者、スポーツマン、軍の指揮官など。

だいたい5%の人間がサイコパスだという。サイコパスの研究者自身が、検査を自分自身にやったところ、サイコパスと出て愕然とした事例も載せられている。

暴力と殺戮が荒れ狂っていた時代のほうが長い過去の歴史上、今ならサイコパスとみられるであろう人物が、英雄であったり指導者であることがあたりまえのことが多く、民衆も血なま臭いことに平然としていた。

著者は、人類が遺伝子を残し続けるためには、多様性を包含せねばならず、サイコパスの遺伝子もそのために淘汰されなかったのではないかと推測する。これなど、中井久夫先生が、「分裂病と人類」の中で、なぜ統合失調症の遺伝子が淘汰されなかったかについての仮説を立てる際の発想法に似ている。

サイコパスは、力あると認めたものには従順で、刑務所でも容易に模範囚となり、社会復帰してしまう。専門家も、そのためのキャリアを積んでいないと、容易に騙される。

彼らは、通常の更生プログラムでは、一層人身掌握術を学ぶだけで、逆効果ですらあるという研究があるというのは興味深い。

著者は、サイコパスの人物が、生育歴的に恵まれなかったことの結果とすることに批判的である。脳の扁桃体が有意に小さいという研究がなされているという。

この点については、私にとっては何ら新規な所見ではなかったが、一方、暴力や虐待が、CTやMRIで確認可能なくらいに脳の一部を萎縮させるという研究もあった気がする。

彼らを改善するには、認知行動療法のみが有効であるというが、その具体は、新書という枠もあるだろうが、さほど具体的には書かれていない。

ただ、彼らにとって魅力的な人物であること、改善したほうが、生きる上で「得」だとわからせることがポイントらしい。

・・・・以上、2時間ぐらいで読み、読み返すこともなく、記憶を頼りにざっと振り返ったので、レビューとしては失格だろうが、猟奇的な犯罪者の事例を延々と読まされるのに比べれば、公平な立場からの啓蒙書とは言えるのではないかと思う。

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トロントだより

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     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。