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自分史

2022年1月26日 (水)

何のかのといって、なぜ私は結構健全に育ってきたのだろう?

私自身が若い頃、女性への劣等感のかたまりの「弱者男性」そのものだったから思うのだが、男って、結構、一回風俗ではない女性と関係を持てたら、相手がそこそこいい人である限り、非常にあっさりと性的劣等感の壁は超え、それ相応のスキルも急速に身につくことも多いのでは?

私の経験では、いっぱい実際告白していっぱい振られてみると、女性がどういう心境で生きているのかについての経験値が増えて、どういうふうに交際していかないとその先に行けないのかにも気づいていった。どれだけふられようが自己肯定感が揺るがなかったのは、自分の仕事への自負があったからだと思う。

おたく趣味持ってる人が性的に奥手であると決めつけるのも全くの偏見で、深い交際できて幸せな人はいくらでもいると思っている。

今でもいろいろと未熟で、不勉強で、決して幅広い人たちに満足していただけてきたカウンセラーとは思わないし、実際反省するようなことばかり重ねてきたし、過去の事例記録を読み返したりしたら目も当てられないとは思っているが、それでも自己肯定感は揺るがないできたのはなぜだろう?

私にとっては「うらやましい」は若い頃から「魔法の言葉」だった。

これは誰に教わったわけではない。

「自己嫌悪」とは「ねたましい」の「抑圧」された形であり、「ねたましい」は「うらやましい」のこれまた「抑圧」された形であると、ある時突如洞察したのである。

自分より現場臨床の力があるなと言う人に接したら、自己嫌悪するというより、「うらやましい」と思い、どう技量を「盗んで」やろうかと思うタイプだった。

20代までは、対人恐怖症そのもので劣等感の塊だったと思うが、自分の(専門を含む)おたく性には妙に自負があった。そこに、非常に寛容で受容的なカウンセラー仲間や先輩方に受け入れてくださってきたのも支えとなった。今振り返れば私の生意気なところによくあれだけつきあってくださったと感謝している。

変に権威主義的で、自分のプライドを守るために人をおとしめるようなことがなく、攻撃的でもない、腰の低い、謙虚な先輩方に恵まれてきたのも幸いだったと思う。

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2022年1月23日 (日)

昔、小林よしのりと論争した時に思ったこと

このご時世では、いかなる「ムーブメント」も、それが価値観の押し付けになり、個人自身の感じ方を抑圧する装置となれば、結局は全体主義を促進する作用しかもたらさないと思う。敢えていうが、狂信的なフェミニズムすら、「全体主義の一翼を担う」装置の一部となり得ると思う

私はいかなる価値観の「押し付け」にも反対する。一人ひとりが自分だけのユニークな価値規範を生み出し、それに基づいて行きていくことを理想して掲げる。

ひとり一思想であり、共感できるひとりひとりの人間と、「個々の条項で」同意できる場合においてにのみ共闘を結ぶ。

そもそもすべての点において同意できる相手なんて、この世には存在しないのではないか。すべては「条件付きの」信頼であり、共闘だと思う。

昔、小林よしのりが「自分の頭で考えろ」と「ゴーマニズム宣言」で書いたので「すべての人がひとりひとりゴーマ二ストになるべき」と手紙を書いたが、次の誌面で「それでは価値紊乱の社会になる」と逆襲された。私は価値紊乱でいいと思うけど。手を組むところだけ手を組む。それが個人主義だと思うが。

仮に私が今より名前が知られるようになったとしても、私は決して「信者」を求めないだろう。批判者だらけがふさわしい。それで個々の人がいうことがもっともだと思ったら個別に同意するだけだ。

親鸞も「歎異抄」で「俺を師としてたてまつる奴らはアホだ。偉いのは阿弥陀如来様だけ」と言っている。

何かあまりに「正義」の名のもとに人を屈服させ、洗脳しようとしている人が多い気がしたから、相当なストレスになってるので、思わず書いてみた。

「正義」をふりかざすことは、すべて「全体主義」への誘惑だと思う。

敢えて宣伝すれば、実は、フォーカシングというのは、他人の言うことへの、すぐには言葉にならない「違和感」にとことん敏感になり、それを相手に「通じる」形で言語化するスキルを磨きあげ、徹底した「個人主義者」を生み出す装置だったりする。

それと矛盾するようだが、他人のいうことは、何らかの意味で「正しい」。その「正しい」部分だけを選り分け、自分の糧にすることが、人間の貪欲な成長なのだと思う。

もっとも、自分が「違和感」を感じた意見に、いちいち自分から反論したり挑戦したりは、よほどのことがない限りしません。 スルーして、その人がその後どういう見解を述べていくかを「観察」する方が、「省エネ」だし、余計な誤解や先入観で泥沼化しないで済みますから。 挑まれれば受けて立ちますが。

Twitterでは、基本的には、その人の言うことに新鮮な発見と学びがあり、一理あると思った時にだけ「いいね」やリツイートをして、それでも「更に」同意したい時だけ引用リツイートやレスを返します。

自分が狭い世界に生きていて、大抵の人の言うことに、その人なりの生活の「現場」があり、そこから抽出された意見や思いだったりすると思うし、その人なりに探求してきた「博識」があると感じるから、滅多に自分のオリジナルのツイートはしなくて、むしろ「圧倒されて」、学びばかりと思っていますが。

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2022年1月 9日 (日)

全家財道具を訪問した大学に置き忘れる夢

夢をたて続けに見た。

1つ目。

私はある大学の学園祭を訪問している。

気がつくと、ある出店が開かれたいたその建物の一室(当初は普段はゼミとかに使う部屋のように思えた)に、スマホとクレジットカード等の入った財布と背負ったリュックを置いたまま、私はタバコと携帯灰皿とライターだけを持って、大学の構外の随分離れた場所まで外に出てしまっている。

私は荷物を置いてきたことを思い出し、あわてて大学の構内に戻ろうとするがどの建物かすら当初忘れていて、焦り、途方に暮れる。

恐らくこの棟だったろう、そのこの階の一室だったろうというところまで戻るが、すでに学園祭は終わっていて、通常の講義が再開されていて、その真っ最中のようで、今更中に入りづらいことに困惑する。

*****

ここで一度私は夢から覚め、悪夢だと思った。

そして、そうしてこういう夢をいたのかはすぐに思いあたった。

その大学は、私の夢の中にしばしば登場する(学会で3回ほど行ったことがある)、大規模な指定校大学院がある総合大学である。

なぜその大学が出てくるのかと少し考えてみたが、それは全く別の、2人の臨床心理士の方と関連しそうだと気づく。

そこに「私の大事な荷物を一式置き忘れ、どこに置き忘れたのかも覚えていない」というのが何を意味するのかもあたりがつく。

眠り込む直前、私は現在本の原稿を書いていて、ある章が来るまで自信満々だったのだが、突如ある章にあてる「事例」のデータを詳細に数時間かけて点検すると、実はそのデータが全く空疎であり、そこから何か考察めいたことを書ける自信を失っていた。

それを引き金に、自分の書こうとしていた本の内容が、当初の構想のあてが外れて、今後まともな内容の章を書けないのではないかという不安に一気に襲われた。

それは更に、その本の構想と、そこで一発大逆転して、今後の私のカウンセラーとしての経営の軌道を順調にしようという構想自体の底の浅さと、そこに「みせかけの自分」を構築しているのではないかという絶望感を引き起こした。リアルな私の実情は、その程度のものではないのか?

******

ここで私はまたいつの間にか眠り込み、夢の続きを見ている。

私は自分が荷物を置いてきたのは、現在講義が再開されている教室のある階の下の、半地下の、部屋が並んでいる階であることを思い出す。

そこは、学生とか教師とかが一時的に宿泊するための、6畳くらいの部屋が廊下に並んでいる。

その中のある部屋に荷物を置いてきたはずと、あたりをつけて入室すると、そこは家具のある畳部屋になっている。

ここで、私が置き忘れてきたのはリュック等だけではなく、そもそも私が独身時代に繰り返し引っ越す際に移動させていた家具一式(1000枚のCD等も含まれる)であった、ということに夢は拡張されている。

その部屋の中に、ひとりの男子学生がすでに「住んで」いるわけだが(ここで夢はそこが「学生寮」の一室であることに拡張)、私は私の荷物を知らないかと尋ねる。

すると、突如その学生の母親が現れる(ここでその部屋は学生と親の住む、少なくとも2部屋あるアパートの一室ということに拡張)。

そして、その母親から、「安心して下さい。荷物は皆、今あなたの住んでいる住所へ送りました」と言われる。

私はほんとうに全部の荷物を「選り分けて」送ってくれたのかどうか一抹の不安を覚えるが、ひとまずほっとする。

******

ここで再び目覚める。

どうも私は私なりに学生時代から積み上げてきた「蓄積」を確かに今も「所有」しているのであり、それを「見失って」いただけで、ちゃんと再確認できている気がした。

そこで、その章にあたる内容に関連する情報をネットで調べ始めるが、どうもその「事例」そのものが、他の事例に比べると、ネット界全体での情報量がそもそも薄いことに気づく。そもそも固有な特徴に乏しい事例であるということ。

そして、なるほど、その章の内容は他の章より薄めになり、「何とかでっちあげる」水準にとどまるかもしれないのもやむを得ない、30章も書くのだから、埋め草にそういう章が出てきてもしかたないではないかという思えるようになる。

すでに書いた章は、確かに興味深い「事例」が多く、内容も充実しているという自信を回復した。興味をひく「事例」から順不同に執筆しているので、今後薄味の章は増えてくるかもしれないが、全体のクオリティとしては何とかなるだろう。

その章の事例を書かないでおくことによって「網羅性」を失うことの損失のほうが大きいと判断できるようになった。

******

ここで私はまた寝てしまう。

外国の鉄道に乗っていて、駅から降りた所。私は警察に監視されている。私は(正確には忘れたが)ルパン3世か「シティハンター」の冴羽獠みたいな存在自身になっている。

霧の中、ロシア風の洋館の並ぶ行き止まりの壁に追い詰められそうになった時、私は「絶対に追い詰められない」と警察官たちに言い残し、壁に向かっでダッシュをはじめる。

******

目覚めて振り返ったが、これもわかりがいい。

警察とは、私の超自我だろう。しかし私はその「監視」をまんまとくぐり抜けてしまえるという自信にあふれた、ダーク・ヒーローのような存在になっている。トリックスター的とも言えるかも知れない。

*******

ここでまた寝てしまう。

私の本(今回とは全く別のテーマということになっている)の内容には、一切の取りこぼしもなく、つけ入る隙がない、完璧な仕上がりと誰もが認めるしかなくなっている。

******

夢を見ることと、目覚めてワークすることの往復が、一連の過程として成立しているが、それは私が普段から自分の夢に向き合うことを完全に習慣化しているからである。

この背景には、私が臨床現場でも使いこなしている、ジェンドリンの「夢フォーカシング」のスキルを、何よりまずは自分のために身につけているということにある。

夢と向きあうことは、起きている時に不可能な次元で、「現実」と向き合うためのきっかけとなるのであり、そこでのワークは、「現実の」具体的な自分の生き方を変えていけるほど強力なものである。

******

夢の「解釈」にはいろいろ専門的知識が必要と思われているかもしれないが、「いかに(how)」解析していくかの方法論は意外とシンプルであり、これは完全に定式化可能である。

これについては、私の書いた「入門フォーカシング」でも、一章を割いて、ジェンドリン自身の上記の著作を整理する形で、その方法をかなりくわしく書いている。

2021年12月30日 (木)

河合隼雄先生、村瀬嘉代子先生、中井久夫先生etc.のこと

#河合隼雄 先生は、そこそこ身近に「観察」する機会に恵まれましたが、驚くほどの「俗人」に見え、嫌悪すら感じました。 でも、ある意味でリアリストであるからこそ、実際に臨床心理士制度を政治との交渉で設立できたのだし、その「犠牲」となって文化庁長官になられ、亡くなったのだと感じています。

はっきり書きますが、#村瀬嘉代子 先生が #公認心理師 制度を樹立する際に発揮した「政治的」振る舞いに対して議論があることはある程度承知しています。 しかし、嘉代子先生ご自身の臨床センスというものが、滅多に真似できない境地であることは疑い得ない気がします。

いずれにしても、#河合隼雄 先生が日本の心理臨床の業界で不世出の「男の神様」の役割を「引き受け」、#村瀬嘉代子 先生が、河合先生の後を継いで、いろいろ毀誉褒貶を受けつつも「女の神様」の役割を「引き受けて」おられることで、お二人のリアリストさに、心理専門家が恩恵を受けてきたことは確かだと思います。

(不吉なことをいいますが、)正直に言って、嘉代子先生が亡くなった後、日本の心理カウンセラー業界が、足を地につけた発展ができるかどうかは、大きな課題だと感じています。

現場センスのある臨床の超大家は、他業界人との交渉力にも恵まれていて、「緊急事態」への対処能力も高いことが少なくないと思います。

これは名前お出しして全然問題ないでしょうが、#神戸大震災 の直後メンタル緊急危機管理の点で、精神科医の #中井久夫 先生と #安克昌 先生が発揮した、ほとんど瞬発的な行動力と、その経験に基づくマニュアル化が #東日本大震災 の際にどれだけ機能したかを覚えていない臨床家はいないと思いますが。

・・・・大震災時の記録ですが、非常に踏み込んだことを言えば、この本が、長年の虐待を受けた #複雑性PTSD の人の心にまでは響かない可能性が高いことは理解したいと思います。

2021年12月28日 (火)

改めて自己紹介

改めてもう一度ご紹介します。

*****

1960年 福岡県久留米市生まれ。

The International Focusing Institute(国際フォーカシング機構)認定トレーナー
Focusing Professional

元臨床心理士

著書:

「入門フォーカシング」(鳥影社)

現代のエスプリ410「治療者にとってのフォーカシング」(伊藤研一との編著 至文堂)

「エヴァンゲリオンの深層心理」(幻冬舎)

法政大学文学部哲学科卒業

都立八王子福祉園(重度知的障害児施設)で研修

立教大学大学院文学研究科心理専攻博士前期課程修了(指導教授:村瀬孝雄)

日本大学板橋病院精神科で研修

東京大学大学院教育学研究科教育心理専攻研究生

東京大学大学院教育学研究科教育心理専攻研究員

日本・精神技術研究所心理臨床センター フォーカシング個別指導担当

法政大学多摩学生部学生相談室非常勤カウンセラー

専修大学・神奈川大学・東京女子大学・学習院大学非常勤講師

日本人間性心理学会理事(2期)

明治学院大学学生相談センター常勤カウンセラー(横浜キャンパス チーフカウンセラー)

湘南フォーカシング・カウンセリングルーム(個人開業)

久留米フォーカシング・カウンセリングルーム(個人開業)

2021年12月23日 (木)

なぜ心理カウンセラーになったのか

これは #note の #この仕事を選んだわけ というお題に答えてみようと思ったから書くのですが。

私は一人っ子として育ったのですが、それはそれは面倒見のいい父でした。久留米で一番仕事量こなす税理士として激務だったのですが、旅行にもしばしば連れて行ってくれましたし、こちらから求めてもいないうちにいろいろおもちゃや本を買ってきてくれる父でした。

中学校に入って、私が自発的にしてクラシック音楽に興味を持った時も、結構立派なオーディオセットをある日突如電気屋に連れて行って買ってくれましたし、レコード代もしばしば現金で渡してくれました。自転車に興味を持てばサイクリング車を買ってくれるという具合。

ただ、私はそこまで「先回り」していろいろしてくれるものだから、自分からだだをこねてものをねだったということは皆無でした。おもちゃ屋に行っても、欲しいものをはっきり欲しいと言えない。結局父が「これはどうだ?」と言ってくれるものを買ってもらってばかりでした。

私のその後の理解では、「甘えた」ことはないということになります。「甘んじて」いた、と言ったほうがいいですね。

小学校では、運動音痴で、きょうだいの間でもまれて育っていなかったので、結構いじめの対象とされました。教員養成大学の附属校でしたから、粗暴ないじめではなかたっとは思いますが、医者の師弟とかがむやみと多かったから、恐らくそういう連中は家では厳しいしつけを受けていて、そのストレス発散の種にされたのだと思います。

私以外の全員が、いわゆる「お受験」のための英才教育型幼稚園出身で、その頃からの友だち同士が多かったですから、孤立していたとも言えます(私自身は、附属小に入るための「お受験」勉強などは特に親から求められていません)。

基本的には、私は才気煥発というタイプで、天真爛漫だったと思います。そういうのが逆に気に障ったのでしょうね。

親も、「勉強しろ」と言ったことはなかったです。そこそこ成績は取れて、中の中という感じでしたでしょうか。

ところが、附属校ではありますから、実質的には中学ヘはエスカレーターだったのですが、中学から入ってくる人たちも多い。そういう人たちのほうが秀才が多いわけです。そこで、6年生になると、学校をあげて「受験勉強」させられるわけです。

業者テストも何回も受けさせられたわけですが、私はその2回めの時に、唐突に学年2番になれてしまった。みんなはまぐれだと思った。次の回はまた馬群に沈むわけですが、ここで私は、2番の時がまぐれではないことを証明したいという気持ちに自分でなったのです。それから猛然と勉強をはじめた。

・・・で、実際に再び学年2番になれたわけです。しかし、そのことを親は特にほめてもくれませんでした。

中学に進んでも当初成績は良かったのですが、そのうちに何のために勉強しているのかわけがわからなくなりました。親は全然将来のためとかいいませんでしたからね。

自分で延々と長大な日記を書いて、「学習哲学」みたいなものを自分で考えることをしていました。

知識の実用性を重視すれば「実用主義」、将来の安定した地位を欲しい場合には「地位獲得主義」、努力すること自体に価値があるとするのを「努力主義」、純粋に知的好奇心にもとづくものを「本源主義」とか名付けました。

私はその答えを求めて、トルストイとか、ともかく小難い岩波文庫的な本を耽読するようになりました。そうして出会ったのが、すでに別の記事でも書いた、「幸福論」スイスの宗教的著述家、カール・ヒルティでした。

ヒルティは本職は弁護士だった人ですが、古今東西の書物に通じたたいへんな碩学でしたから、聖書は当然として、世界史上の哲学者や文学者などの知識人のことが情け容赦なく出てくるわけです。私の教養はヒルティによって養われたといっていいでしょう。

ところが、そうやって勉強する目的を見失なってしまったので、全然勉強しなくなったのですね。成績は低迷するようになりました。ただし、国語と社会科だけは何もしなくても学年でトップクラスでした。先生には「なぜお前は国語と社会だけできるんだ!」と怒られました。

ところが、どれだけ成績が下がろうと、親は何も叱っては来なかったんですよ。いよいよ私は人生に迷いました。

結局、多くの人が進学する、地域一の公立進学校には不合格。滑り止めの私立男子高校に入ります。ぬるま湯でして、そこそこ勉強すれば学年トップクラスにはなれました。

それでもあいかわらず勉強することには葛藤が強く、世界史と英語と古典だけは頑張りましたが、あとはかなりいい加減でした(現代国語と世界史は放っていても全国模試トップクラス)。

まあ、これで大学受験は、私立文系3科目はそろったわけで、どこかにはなんとか受かるだろうという水準にはなりました。

国語の教科書に出てきた、矢内原伊作という大学教授(サルトルの権威)のエッセイに感動して、哲学科のみをめざすことにしました。

ただ、「このまま親元にいれば自分は駄目になる」という思いから、東京の大学ばかりを受けました。

そうやって、めでたく故郷脱出に成功するわけです。六大学ではありましたが、レヴェルの高い方ではなかったので、これまた勉強はユルユルでした。すべての講義皆勤で、私が教室に現れるのが遅いと、「この時間は休講ではないか」といううわさになってマジで掲示板まで確認に行く学生もいたくらいです。

ただ、哲学科というのは、カントとかの原典購読はやっても、「人生とは何か」について学ぶ場所ではないという感じでした。「生身の人間のニオイがしない」(結局私がゼミに選んだのは記号論理学)。

そうした中、一般教養の心理学を教える先生の講義がむやみとおもしろかったのです。本来は障害児臨床が専門の先生でしたが、行動主義的実験心理学からゲシュタルト心理学、そして精神分析からカウンセリングまで、当時ですからスライドから、映写機を使った教育映画まで動員、それはそれはおもしろい講義でした。

私はここで心理学に関心を持つわけです。その先生が学生有志に協力して「臨床心理自主ゼミ」というのをやっていて、私も途中から参加するようになりました。

フロイトやユングとかも自己流でかなり読みましたね。一番惹かれたのは、「自由からの逃走」で著名なエーリヒ・フロムで、邦訳書はほとんど読みました。

実は全然就職活動というものはせず、心理系の大学院に入ることだけをめざしました。

でも、当時の名の通った心理学科って、実験心理から社会心理、統計まで、最新論文の英語を読める水準のことはできないと入れない高き門でした。臨床心理なんて、設問のごく一部なんですよ。

(指定校制度のできた現在は少し違うかもしれませんが、心理学科に入ったら、フロイトやユングについてたくさん学べると思ったら、大間違いですよ。実験や統計だらけで、まるで理系です)

2年間、聴講生などをしながら浪人しました。

この期間に、前述の、児童養護施設が専門の先生の紹介で、重度心身障害者施設(殺傷事件のあった「相模原やまゆり園」よりもっとハードなくらいのところ)の研修生などもしています。

その浪人1年目に、偶然本屋で、ジェンドリンの「フォーカシング」が目に止まります。

私は、「これこそ私が求めていたものだ」と思いました。こころをいろいろ専門的な「概念」としてこれくりまわして分析するのではなく、言葉にならない「感じ」(フェルトセンス)そのものが一番大事なんだ、という発想が非常に斬新に思えた。

自己流にフォーカシングをひとりでやってみたのですが、その当時感じていた、周囲が社会人であることへの劣等感や疎外感を随分癒やしてくれた、頭でっかちだった私が、映画とかへの感性もずいぶん開かれるようになってきた。

そこでジェンドリンのフォーカシング技法の背景にある、体験過程理論の論文、「人格変化の一理論」所収の本(現在は絶版、以下の本に収録されています)を読んだら、これまた難なく理解できました(この論文、フォーカシングを学んだ多くのカウンセラーにとってもかなり難解な本だということがあとでわかりますが。

なお、この「人格変化の一理論」全文は、こちらのサイトでも読めます。

この「人格変化の一理論」、そして、前述の「フォーカシング」の論文の訳者である、当時立教大学の村瀬孝雄先生のもとで学ぶことに照準を縛りました。

ただ、当時の立教大学心理学科は、学部の受験でもすごい競争率のところでして、ましてや大学院です。

村瀬先生はすぐに私のフォーカシングについての特異な才能は認めてくれましたが、すでに書いたように、実験系の先生方を納得させる必要っがあったわけで、受験勉強は臨床心理学やカウンセリング以外のことばかりやりましたね。

こうして、挑戦3回目で立教大学院に入れました。村瀬先生はわたしを随分引き立ててくれました。

この時代に精神科病院臨床の研修も受けています。

ところが、村瀬先生は、私が博士前期課程を終える直前、唐突に「某大学」への転任が決まってしまいます。先生は私を博士後期課程まで行かせてくれる腹づもりでいたのですが、私は行き場を失った。

そこで、私は、その大学の「大学院研究生」の採用資格を自分で調べます。すると、原則はその大学の博士前期課程終了を前提としていたのですが、附則のようにして「これらと同等の経歴を持つもの」とあるのを発見します。それを村瀬先生に伝えると、「うん、それなら君を連れて行けるな」。

こうして、私は高校時代からすれば予想もできないとんでもない大学・・・カウンセリングの世界では無茶苦茶著名・・・の大学院の博士後期課程相当にもぐり込めます。

ところが、村瀬先生は私をフォーカシングの専門家としては認めてくれていましたが、「現場カウウンセラー」向きとは全然考えてくれていませんでした。

私は現場カウンセラになりたい一心で、日本ではほとんど紹介されていなかった、ピオトロフスキという人のロールシャッハテストの本の全訳までやってしまって、大人数のメンバーがいた心理教育相談室のメンバーに配布するとかもしたのですが。

村瀬先生とは相当喧嘩しましたが、結局先生は折れて、私に大学学生相談の非常勤カウンセラーの職を斡旋してくれました。

その一方、フォーカシング個別指導のカウンセラーとしては、日本で指折りの大規模カウンセリングルームでも担当させていただくことになりました。

非常勤カウンセラーだけでは収入が低かったので、幾つかの大学の一般教養の心理学の非常勤講師もしましたが、その時、すでに述べた、哲学科学部生時代の一般教養の心理学の先生の講義スタイルが随分参考になりましたね。

この頃から、学会発表もかなりするようになり、日本中のフォーカシング研究・実践家とも交流を持つようになりました。

フォーカシング技法自体も、私なりのオリジナルなアレンジを試みるようになりました。

まだ臨床心理士は「経過処置」の時代でしたから、書類審査だけで資格を得ました。

その後、The International Focuing Instituteのフォーカシング教師の国際資格も、まだ全然日本から離れたことがないのに、村瀬先生の推薦で得ることができました(その後カナダの国際会議にも出ますが)。

当時はフォーカシングの名教師が続々来日しましたが、特にアン・ワイザー・コーネル女史とは意気投合してしまいました。私の現在のフォーカシング技法はアンさん影響が色濃いものです。

私は、大人しくフォーカシングの世界に安住するタイプではなく、いろいろな心理療法分野の本を多く読み、応用してきた人間です。

このへんは、現代のエスプリの編著をさせていただく際に色濃く出ています。

認知行動療法を学ぶとなれば伊藤絵美先生、行動療法となれば山上敏子先生、精神分析となれば藤山直樹先生や松木邦裕先生、ブリーフサイコセラピーとなれば児島達美先生のセミナーじゃなくちゃ嫌だという路線できました。

その後、明治学院大学学生相談センターでは、横浜校舎のチーフ常勤カウンセラーをやらせていただいたのが、勤め人としての最後のキャリアで、その後は開業ですが、正直に言って、大学学生相談時代、そして大船での開業時代は、今から見るとかなり未熟なカウンセラーだったと思います(今でも発展途上だと思いますが)。

今でも、多くのクライエントさんと、数をこなす形でコンスタントに成果をあげるタイプとは思えず、今のあまり流行らないくらいがちょうどいいかとは思っていますが、本来は、そんなカウンセラー向きの性格だったかというと、たしかにそうではないと思います。

でも「向いている」と当初周囲に見られるかどうかは、結局どうでもよくて、結果が全てとは思っています。

このブロクで相当に偉そうなことばかり書いていますが、できるだけ自分の経験に基づき、自分の言葉で書こうと思っています(典拠は示さないことが多いですが、私が意識的、無意識的に影響を受けている先達の先生方は少なくないです。例えば相当な中井久夫先生びいきであることは、先生の著作を読んだ人にはまるわかりでしょう)。

これからもどうかよろしくお願いいいたします。

2021年12月 5日 (日)

もうひとりの自分と関わる -イマジナリー・フレンド-

イマジナリー・フレンド、日本語でいえば、「空想上の友だち」となりますが、心理学の世界では、かなり知られた概念です。

小さい頃、この、空想上の友だちを持っている人は、結構たくさんいます。

たいてい同性で、遊ぶ時に、実際に声を出しながら対話します。

名前をつけている場合もあります。

このように言うと、実は自分もそうだったと思い出す人はいるのではないかと思いますが。

著者である私にも、いましたね。

このようなイマジナリー・フレンドを持つようになる理由は、心理学者によっていくつかの仮説が立てられています。

まず、前提として、一人で安心していられる空間を家の中に与えられていることが多いとされます。

そして、その「友だち」を持つ子供は、きょうだいがいないか、いても自分と年が離れていることが少なくないそうです。

でも、親はその子供を放ったらかしにしてきたわけではなくて、普段から子供に関心を持ち、声をかけつつも、子供の行動には干渉はせずに、自由に遊ばせるような態度をとっている。

つまり、まずは、親が子供に語りかけるその様子を、子ども自身がまねすることからはじまることが多いわけです。

親は「そんな人いないよ」と否定することはありません。子供のままごと遊びとかではあたり前のことですから。

でも、その子供は、友だちも少なく、ひとりぼっちと感じていることが少なくない。そういう寂しさを埋める役割を果たしているわけですね。

その「友だち」を、親が子供を叱るように、いじめてばかりのこともありますが、自分にとっての理想像であることも多いそうです。

 

(中略)

 

・・・ここで少し、「空想上の友だち」と「幻覚」の違いについて、かなりマジなことを書いておきます。

「幻覚」というのは、統合失調症の人に「見える」「聴こえる」場合があります。

「見える」ことはあまりなく、「幻聴」だけの場合のほうが多いのですが、いずれにしても、本人には、全く空想の余地がないものとして、実際に「見え」、「聴こえる」のです。

コミックやアニメで時として描かれているような、幻想的なヴェールやオーラのようなものにつつまれていたり、声にエコーがかかったりしないのです。ほんとうに実在の姿や声と同じ、生々しい存在として体験されています。

それが自分の空想や思い込みの産物であるとは、本人にも全く感じられません。

ただ、何かとても恐ろしい体験だとは本人も感じていることが多いようです。

また、統合失調症では説明できない、非常に宗教的な、あるいはスピチュアルな体験として生じる人もいます。ほんとうに神や天使やキリストや仏様、あるいは精霊の声が聴こえ、姿が見えるわけですね。

いろいろな宗教の開祖や、後に聖者として讃えられる人が、こうした体験をしたと、書物に書かれています。こうした人は現代にもいます。

本人には嘘をついているつもりは全くありません。本気です。

自分たちのような人間とは異次元の、畏(おそ)れ多い、神聖で高貴な存在との出会いの体験、しかも特別な時の体験として感じられているようです。

そうした体験をきっかけとして、その人の人生は変わってしまい、聖者としての活動をはじめ、それを信じる人たちがまわりに集まってくることも少なくありません。こうして、新しい宗教が始まることもあるわけです。

少なくとも、それをきっかけに、それまで神様とかの存在を全然信じていなかった人が、教会の熱心な信者になったり、お坊さんになるためにお寺で修行をはじめたり、自然の中で瞑想をはじめたりすることは結構あるようです。

もちろん、こうした宗教的・スピリチュアルな体験をしたと主張する人の中には、実はただの空想であることを自覚しているのに、人々を騙(だま)して金儲しようとしている人もいて、他人がそれを区別するのは難しいのです。

ではそういう人と関わるしかなくなった時にどうすればいいのでしょうか。

その人を聖者としてたてまつる必要はありませんが、少なくとも、ご本人が神さまや天使や精霊や、仏様と出会ったというのを否定しないでおいてあげる方がいいことは多いです。

多くのカウンセラーがそういう態度をとることを勧めています。

これに対して、イマジナリー・フレンドと共に過ごす体験は、楽しいもののようです。そして、本人もそれが自分の空想だとどこかで気づいていることが多いです。

こうした「空想上の友だち」は、子供時代を過ぎると、多くの場合、いつの間にかいなくなってしまうものです。でも、青年期になっても、こうした「友だち」がかけがえのない存在である人も、時にはいます。

 

(中略)

 

ここで、「空想上の友だち」との関係から話題を広げて、私たちも、「もうひとりの自分」を話し相手として意識した方がいいということについて触れます。

自分をダメだと責めて、自己嫌悪するばかりになるようでしたら、「あなた」のことを思いやるあまりに、「あなた」の都合などおかまいなしに、いろいろ警告をしたり、おせっかいの押し売りをしてくる、「もうひとりの自分」がいるのだと思ってみるのもいいかもしれません。

そして、そういう存在に向かって、「『あなた』の言い分も一理あるけど、ちょっと聞き飽きた気もする。ちょっと黙って、『私』がやりたいようにやってみる様子を、見ていてくれないかな?」とお願いするのです。

じようにして、「あなた」のグチや泣き言やホンネを、なんでも聴いてくれる、「カウンセラー」のような存在を、心の中にはっきり作ってしまうのもいいかもしれません。

そうすると、「あなた」自身にも、自分自身のほんとうの気持ちや、ほんとうは何をどうしたいのかが、冷静に見えて来くる場合があります。

カウンセリングを受けるというのは、実は、こういう、「自分の中の『カウンセラー』を育てることである、とも言えます、結局は、相談しているカウンセラーとのカウンセリングは、いつか終わりにしないとならないのですからね。

実は、こうして、自分の中のいろいろな「自分」と、焦らずじっくり「対話」できるようになる、ということが、その人のほんとうの心の成長ではないかと、私は考えています。

これは、私が学んだ「フォーカシング」という心理技法で、すごく大事にしていることなのですが、これ以上書くと、わたしのやっているカウンセリングの宣伝になってしまいますので、このへんで遠慮しておきます。

 

*******

 

私が今度出す本の原稿から、そのまま抜粋したものです。

 

2021年11月 1日 (月)

オペラの脚本を一日で完成しなければならないのに、当日を迎えてしまう夢

総選挙開けての今朝の夢。

いろいろ内容はあったようですが、覚えている部分だけ。

高校の学園祭を控えている。

私はこの日にクラスで上演することになったいるオペラの脚本と作曲を書く担当なのだが、前日になってもそのかなりの部分ができていない。

くわしくは忘れたが、私は翌日までに、いくつも宿題となっている課題をかかえていて、途方にくれている。

しかし眠ってしまい、当日の朝を迎える。

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このような夢だが、夢の中の世界では、私がクラスのオペラの脚本と作曲担当というのは、以前にもあった役回りである。

このようになる背景としては、私が中学時代、実際に、クラスで文化祭で上演する劇の脚本を書いたこと1回、BGM(作曲ではなくてセレクト)の担当者となったことが2回、学級歌の作詞作曲は3学年上がるたびに3回あったことがまずは元になっているだろう。

更に、ブログの方ではすでにいくつかDTMで公表しているが、私が小学校時代から、拙くはあるが、作曲をそこそこしていたこととも関連するのは間違いない。

そして、私がやっているゲーム、「ウマ娘」のキャラクターである、テイエムオペラオーが、作詞作曲歌唱全部自分の、上演時間数時間に及ぶ作品を繰り返して発表しているという設定であることも影響していると思う。

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更に連想するのは、私の愛するアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」で、まずはTVシリーズ本編で、ヴァイオレットが、劇作家の口述筆記に協力するエピソードがあり先日それを観たばかりであること、更にExtraストーリーに、オペラ歌手のために歌詞を作ることを求められるエピソードがあることも影響しているだろう。

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夢の中で、私は、オペラの作曲など、自分の能力を遥かに超えているのに引き受けてしまっていることを自覚している。

これは、私が今、ネットの領域で非常にコミットするようになり、障害当事者と交流を深め、連帯するようになっていることに、「実は自分の能力を超えたことを敢えて引き受けている」という重荷を感じていることの反映かもしれない。

オペラとは、自分の心身を最大限に活用した、自己表現である。

私はその能力にまだ不足しているのかもしない。

でも、地道に努力と実践を積み重ねていくしかないと思う。


サイバーリンクパソコン工房

 

 

2021年10月29日 (金)

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」についての、カウンセラーの立場からの小考察(再掲)

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この作品は、すでに観ている人が多いであろうし、その評価も定まっている。

ここであらすじについて今更紹介する必要もないであろう。

現在も、Neiflixに加入しさえすれば、いつでも観ることができる。


まず思ったのは、今、介護施設にいて、コロナ対策のため、完全面解禁止で、玄関で洗濯物の交換だけを棚でしている99歳の母親に宛てて、母親がこの世を去る前に、手紙を書きたいということだ。

でも、下手に書いてしまうと、母親が早死しそうで、ちょっと怖いのだが。

そんなに私の日常って変化はないし、繰り返して手紙を書こうとしても、書くネタはない。


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「愛している」という言葉は、特に日本人は軽々しく使う言葉ではないだろう。

この言葉の安売りは、逆にウソっぽく、安易に口にすべきではないし、他人からきかされても、警戒すべきことのように思う。

ましてや、母親にこの言葉で現段階で表現するのは非常にウソっぽい。

「感謝している」とかいう言い方でもまだウソくさいかな。

内観療法で、年代ごとに、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という3つのお題がある。

先日、「フォーカサーの集い」で、フォーカシングに内観療法を取り入れた分科会に参加した。

短時間であったが、「小学校3年生までに、自分にとって重要な人物について内観する」ことを課題として出されたが、不思議なもので、私の場合、父母など、身内ではなく、私をいじめからかばってくれ、「親友」と呼んでくれたクラスメートのことが想起された。それは意外だった。

私は現在でも亡き父と生きている母に「甘えて」いて、ひとりの他者として対象化できていないのかもしれない。


******


この物語で登場する、自動手記人形=ドールという仕事は、ある意味で、カウンセラーとも少し似たところがあると感じた。

クライエントさんの気持ちを聴くにあたって、ただ額面どおりに鸚鵡返しにしているのでは駄目で、ある意味では、この物語でいう、「言葉の表と裏」を汲み取れねばならない。

かといって、「察した」気持ちを、そのままクライエントさんに返してしまうのも「侵入的」過ぎる。

このあたりの塩梅が難しいと思う。

自分の「気持ち」に気づくのは、クライエントさん自身が物語るなかで自然発生的になされるように寄り添う必要がある。

しかもそれが、クライエントさん自身のための「自閉的な」コトバではなく、他者(この物語で言えば、手紙の宛先の、『大事な』特定の誰か)に通じるコトバになる必要がある。

ある意味では非常に禁欲的な仕事である。自分の経験・物語を勝手にダブらせてはならないし。

でも、恐らく、カウンセラーが自分の気持ちに気づいてる程度に応じてしか、相手の気持ちを汲み取れるようにはならないと思う。

この物語で、ヴァイオレットは、自分を育ててくれた少佐の最後の言葉、「愛している」とは何なのかを知りたくて、自動手記人形の職を選ぶ。

それは、彼女自身の気持ちに気づいていくための旅路でもあるが、このTVシリーズでのエンディングの時点では、非常に控えめなものである。

しかし、それが自然な気がする。

********

・・・などと、上から目線でスミマセン。

********

最後に、不幸な事件によって、亡くなった皆様に、哀悼の意を捧げます。

そして、傷を負われた皆様と、その皆様を支えている方々の、こころ(と、ひょっとしたら身体にも?)に永遠に残る傷についても、その痛みを少しでも汲みとれればと思います。

********

【第2版で追記】: この作品を見終わったのは昨晩の10時頃。すぐにこのエントリーを書いた。

今(翌日5時)、悪夢にうなされて「これはいかん、目を覚ますしかない」と感じて目覚めた。

それはどうも、この作品を観たことがひとつの刺激になっているからだろう、と、ベッドから離れて立ち上がった瞬間に思った。

私は生涯に渡り背負わねばならない「十字架」がひとつある。

それが暴露されたら、スキャンダルになりかねないものである。

この点については、私はこのブロク上でも、一貫して、現実を隠し、私が被害者であるかのような書き方をしている。

それを私が知らせた時、亡き父は、電話の向こうで、私が生涯一度しか経験してことがないのだが、号泣した。

そのことでは、父に「迷惑をかけた」こと以外での何者ではもない。

このことについては、父に受け止めてもらえたことに「感謝」する次第である。

私はやはり、この物語でいう「火傷」を追っており、むしろそのことによって「燃えている」のだと思う。

それが私のこころを「燃えさせて」おり、永遠の「贖罪」への旅を、うながしているようにも思える。

引き続き、

●「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」Extra episodeと、劇場版第1作、「永遠と自動手記人形」観た
のエントリーもあります。

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2021年10月28日 (木)

小室圭さんと、眞子さんの結婚に関する一連の騒動に、現代日本における真の「父性」の欠落を嘆く

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。