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自分史

2021年9月15日 (水)

相川七瀬:Treasure Box -Tetsuro Oda Songs

ZARDのエントリーで、相川七瀬つながりで、プロデューサーであり作曲家の織田哲郎人脈を体系的に聴いてみたいと書いたばかりだが、相川による織田哲郎作曲ばかりを集めたカバーアルバムがあると知り、しかもそれがApple MUSICにあったので早速ダウンロードしてみた。

※( )内は源歌唱者。

M1.世界中の誰よりきっと (中山 美穂, WANDS)
M2.いつまでも変わらぬ愛を (織田哲郎)
M3.チョット (大黒摩季)
M4.Precious Summer (浜田麻里)
M5.碧いうさぎ (酒井法子)
M6.世界が終るまでは・・・ (WANDS)
M7.君がいたから (FIELD OF VIEW 坂井泉水 作詞)
M8.咲き誇れ愛しさよ (Wink)
M9.BOMBER GIRL (近藤房之助&織田哲郎)
M10.翼を広げて (DEEN)

■ゲストミュージシャン
・つるの剛士 【M1】
・寺田恵子(SHOW-YA)【M9】
・杏子【M9】
・中村あゆみ【M9】
Chorus
・大黒摩季【M3】
・宇徳敬子【M4,5,6,7,8】
・柴崎浩(ex.WANDS)【M2,6,10】
・浅岡雄也(ex.FIELD OF VIEW)【M7】

正直言って原曲を知っているのは限られていたので、比較論はできないが。

******

まず、音質には・・・はっきり言って失望した。

相川のオリジナルアルバムとの落差はひどい。ひどく底の浅いお風呂場録音。ロスレス音源であることは表示されているのだが、これだけひどい録音は滅多にない。

編曲もチープでペラペラなのが少なくない気がする。

これだけ気の入れ方が違うとはね・・・

******

M1.これくらい当然知ってるし、持ってるわい。これ、全然おもしろくないです。ロック調に無理やりやっつけ仕事していて、しかもスベっている感じ。

M2.これは聴きやすい方だろう。それなりにだが。編曲もあっていそう。

M3.恥ずかしながら大黒摩季は聴いたことがない。代表曲らしいですね。そういえば聴き覚えがある気がする。この編曲はそれなりに気を入れているかな。ラップ入り。本人とのデュエットか。

M4.浜田麻里って、一枚ぐらい持ちたいと思っていたが買わないままだった人の一人。アレンジは相当力をいれてるかな。この曲に関しては十分満足。Amazon評には歌唱が本家に全然かなわないという意見もある。

M5.おいおい、これをやるかよ。CD持ってますけど。ロック・バラードという感じの仕上がりになってますけど、何かリミックスに相川がカラオケしてるみたいな感じ。似合わないなあ。

M6.WANSって、世代のはずなんですけど、如何せん私が一番負け組のクラいおたくだった頃だから、触れていないのだ。これはそこそこ音質がマトモ。編曲も凝ってる方かな。

M7.これは、ロック的に分厚くすることにこだわらず、それこそ早いテンポのZARDみたいにしてガール・ポップに開き直っているから、非常に聴きやすい気がする。

M8.Winkって、世代ですけど、持ってない。これは16ビートにして、ユーロビート風、あまりロック的に分厚くしてないままなので、意外と聴きやすい。でも、やはりどうしてこれを相川がやる必要があるの? カラオケじゃーという思いは残る。

M9.これもまたユーロビート的か。何か男二人の浪花節みたいな感じの曲ですねえ。

M10.DEENってのも、ビーイング系でしょ? 当時の私が住んでいる世界とは対極すぎて。これも、なんでこんな海辺でよろしくやってますみたいな曲を相川がやるのかようわからんなあという感じ。

******

全体として、メロディアスな曲を無理やりロックに乗せようとしている印象がある。しかもその編曲がやっつけ仕事っぽい。

ベスト“ROCK or DIE”の「六本木心中」のカバーの場合は、原曲を倍のテンポに引き伸ばして、ユーロビートをロックバンドでやってるみたいなグルーヴに乗せて、原曲解体に近いみたいにして、まるで相川のオリジナルみたいに聴こえる域まで凝っていた。編曲も細密だったし。

裏を返せば、織田がどれだけ若い頃の相川に気を入れていて、オリジナル曲を懲りに凝り性にして、緻密で凝集的で独自の世界を築くことに汗水たらしていたかがよくわかった。

やはり、根暗で生真面目に思いつめてツッパってるイメージがありだからこその相川七瀬なのではなかろうか?

*****

・・・なんか、さんざんなことを書いてしまった。

・・・あ、聴きながら同時進行で書いているうちに、そのまま相川のオリジナルアルバムにメドレーでつながった。

ファンになりたてなのに言うのもなんだが、故郷に返った気分だ。

*****

Apple MUSICではオリジナル・アルバムもたくさん落とせるので、それを楽しみにしておこう。

*****
最後にオリジナルのアーティストの動画をまとめて貼り付けておきます。

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2021年9月14日 (火)

ZARDのベストアルバムをはじめて通して聴いた

2つ前の相川七瀬のエントリーで、「六本木心中」のYouTube動画で、坂井泉水、相川七瀬、アン・ルイスがワン・コーラスずつ歌ったものがあることを紹介した。

これは、坂井泉水がオーディションの時に歌った録音を、動画製作者が編集したものとの解説がある。

そのことがきっかけで、今日は、2週間に一度の福岡市への出張時の帰路から、実は15年も前に購入していた"Golden Best 〜15th Anniversary〜"をiTuneロスレスとしてとっくに取り込んでいたものを、スマホのApple MUSICを通して聴いていた(未だに、パソコン側でiTunesに取り込んでさえいれば、スマホ側でも自動的に再生できてしまうメカニズムはよくわからない)。

その後も25周年のベストなども出たにもかかわらず、現役盤のようである。

実は、正直に言って、ZARDについては、ご多分にもれず、アニメ「スラムダンク」の「マイ フレンド」で知った組であり、このベストを買った直後に、タイトルだけは知っていた「負けないで」を聴いてみて、あとは放り出していた。

ともかく、15年前の私は、CDを思いつくままに買い漁って身を持ち崩して(?)いたのであり、これはジャンル関係なく生じていたことで、クラシックでも、全く聴いていなかったもの、あるいは少し聴いて放り出していたものは山程ある。

そうしたCDを、久留米に帰って、決して高価ではないが、CD再生にとっては至極合理的な、フルデジタル環境を整備するに連れて聴き直して、「あれ、こんないいの聴いてなかったとはもったいなかったな」という思いにとらわれたケースは実に多い。

今晩はほんとうは、昨晩読んで非常に面白かった、セバスチャン・ハフナーの「ヒトラーとは何か」について書こうと思っていたのだが、この本のレビューを書こうと思えば、丁寧に再読しながらメモを取り、要点を抽出しないとその面白みをレビューできず、それをするには、外出の疲れもあり無理だと感じたことと、実際にベスト・アルバムを聴き通す中でかなり癒やされてしまったので、順序を入れ替えることにした。

ZARDの熱心なファンの方にはたいへん申し訳ないが、その程度の動機づけで書いていて、相川七瀬のエントリーのように、細かい訂正と増補改訂を重ねて突き詰めたエントリーではないことをお許しいただきたい。

******

坂井泉水の悲劇的な死については当時の報道で知っていたし、実は彼女の出身が私の故郷、かつ現住所である福岡県久留米であるという説とか、「蒲池氏」つながりで、松田聖子のいとこであるとかいう説があり、私はそれを信じていて、てっきり「久留米市出身の有名人」と思っていた。

だが、念のためWikipediaを見たら、神奈川県平塚市と書かれていて、あれーと思い、少し検索したが、昔のWikipediaでは久留米市出身と書かれていたこと、本人もそう発言していた時があるらしいこと、このことを吹聴したのが、実際に久留米市出身である宮崎哲弥であることがとりあえずわかった程度である。

なぜこのグループ(というか、早い段階で固定メンバーは坂井泉水のみになっていたらしいが)に非常に熱心なファンがついたのかとなると、同時代体験の外にいた私にはまだつかみかねるところがある。

今回聴き通してまずは感じたのは、実に平凡な言い方だが、「永遠の青春の歌」だなということ。

ファンの方には彼女の変化が実感できるのかもしれないが、とりあえず聴いてみた私のような人間からすれば、ある意味で坂井自身による歌詞のメッセージには一貫したものがある気がする。

曲想も、ペスト盤に収録されている曲だけを聴いていく限り、ある意味では驚くほど変化していない。

私はポップスの音楽用語となるとまるで素人なので、一応YouTube動画の音楽の基礎みたいなのを調べてみたが「8ビート」にあたるのかな?ともかく「タタタタ、タタタタ」というゆっくりとした控えめなギターの刻みの上に旋律が載せられていることが多いと感じた。ある意味では「安心のZARD様式」ということにもなるのだろうか。

それはデビュー曲、"Good-bye My Loneliness"から綿々と受け継がれていた様式のようですね。

むしろ「マイ フレンド」はやや例外的なやや速めなテンポということになるであろうか?

・・・と思っていたら、「スラムダンク」で聴いていた時は、もっと速いテンポと感じていて、こうして比較してみると、それほど差がないのに驚いているのだが。

試しに「スラムダンク」のエンディングの実際の動画を見てみたが・・・
やはりこのテンポであったか。当時は多くの人がこういう体内時計であり、今の曲がむやみに速くなっているということか?

オーディオ的にみて、相川七瀬のように特異的な面はないが、基本的には、安定の、抵抗ない、多くの人には柔らかいと感じられる音色であろう。

でも、そういうことを気にして彼女のアルバムを聴く人はいないであろう。

*****

何か、こういう書き方をしていると、ファンの方には冒涜と受け取られなけれまいかという懸念もあるが、「入門者」としてご容赦いただきたい。

*****

相川七瀬、ZARDと聴いてきて、結びめとして、プロデューサー、作曲家の織田哲郎という人の、驚くべき数のアーティストとのネットワークがあることを知った。

そうした関係性のあるアーティストのCDは、いくらでも手元にある。

そのあたりを少し体系的に聴いていって、新たなエントリーを書いてみたいとも思う。

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2021年9月 9日 (木)

大学の一風変わった映画鑑賞実習?の夢

さっきまで、かなり変わってもいるし、凝ってもいる夢をみていた。

私は大学学部生なのだが、その大学で、一風変わった映画鑑賞実習が開かれることとなっていた。

非常に大きなホールのような部屋。横長で、敢えていえばボーリング場のような作りを想像してもらえばいいかもしれない。

スクリーンが8つほど並び、その前幅7列、縦には20列ほどの席がある。パーティーションはない。

そこでは別々の映画が上映されることになっていて、その映画を観てのレポートを提出することになっている。

どの映画を観るかは先着順。スクリーンにはサムネイルが表示されている。

学生各自が切符のようなID証明を持っている。

映画は、右から古いモノクロの映画が2つ、中あたりの5つは、どういうわけかリカちゃん人形の登場人物が出てくる、カラーだが劇場用アニメシリーズ。

その右側が現代のカラーのミステリーもの、一番左端が、「その他」となっている。

学生の多くはリカちゃん映画など観たくない。白黒の日本映画とミステリー、「その他」が狙い目である。でも、スクリーンの比率上、リカちゃんでもしかたないと多くの学生は妥協するつもりである。

学生たちはぞろぞろと席の確保をはじめる。

私は席の確保がかなり進んだ段階で会場に現れたため、残席は少なくなっている。

途中の経過は忘れたが、私は左から2番めのミステリーの席を確保する。

しかし、トイレの個室に自分の持ち物が入ったリュックを置き忘れたままにしているのを思い出す(この前のエントリーでもこのパターンありましたが)。

私はせっかく確保した席を失う不安を持つが、

「IDカード(すでに述べたように、切符のような大きさ)を席に置いておけば、確保していることを示し、その席は他の学生に取られない」

と、となりの女子学生がアドバイスしてくる。

私はホールを出て、廊下を歩き、エレベーターに乗るが、西(スクリーンの列からすれば、左側)の方向に歩き過ぎてしまい、トイレにはいきつかない、高層エレベーターに乗って上昇してしまう。

降り立ったところは、JRの中央線豊田駅(中央線でもかなり西寄り)と思われる駅で、そこから更に西、八王子駅に向かう電車に乗る。

豊田から八王子は一駅なのだが、途中に、廃止された駅がある場所を通過する(この豊田-八王子間の展開は、私の夢で頻繁に出てくるパターンである)。

私は大学の会場からとんでもな遠いところまで離れていくのに焦りを感じている。

*****

途中経過は一気に飛んで、私はリュックを確保した上で映画鑑賞実習の会場に戻る。

この時点で、

(ID切符を席に置いてきていても、それを他の学生がガメてしまえばその席は取られているではないか。アドバイスをくれた隣の学生が、そこはすでに私が確保済みと伝えてくれていることには期待薄だろう)

と気づく。

案の定、その、左から2列めの実写映画のセクションに確保していた私の席は、すでに誰かに奪われていた。

そこで一番左端の「その他」のセクションに移動してはみるが、私は「その他」については、自分がこの実習とは別に、勝手に観た映画についてレポートすればいいことになっているのを潔しとはせず、結局左から3列目のリカちゃん人形のアニメの残余席に移動する。

映画は各セクション一斉に上映開始となる。

目の前に、古めかしいカラーの、リカちゃんとその家族が駅から列車に乗ろうとしているシーンがはじまる。

私は、暗い中、その映画の内容を刻々とメモっている。

ところが、数分後に、それぞれの映画は一斉に中断される。

学生たちは、

「この数分間だけでレポートを書けというのか? 詐欺だ!」

と騒ぎ始める。

私は、

(手元に詳しいメモがあるから、レポートは書ける。でも他の学生は、記憶に頼らないとならないから、私ほど詳しくは書けないだろう)

と思う。

*****

ここで、リアルワールドで宅急便のチャイムが鳴り、夢は途切れる。

****

ユング心理学の影響が濃い、箱庭療法では、左側の方が無意識の世界とみなされることは、多くの臨床家にとっては周知だろう。

私にとっては、左側というのは「西」という方向性と密着しており、「豊田の隣の八王子」という時、私が15年以上数住んでいたのは八王子であることと、私の故郷、そして現在住んでいるのが、はるか西の、福岡県久留米市であることとも関連するかもしれない。

ちなみに、豊田の次の八王子の途中にある廃駅というのは、中央線の、神田と御茶ノ水の間にある、旧万世橋駅の風情にも少し似ているが、万世橋駅は、神田駅から曲線でぐーっと西側に曲がる途中で、中央線快速もゆっくり通過するのに対して、夢の中の旧西豊田駅は、高速で通過されてしまう。

しかし、この廃駅に、私の無意識の、打ち捨てられた何かが象徴されているのではないかという思いは常々ある。

映画鑑賞実習の真ん中のセクションの大半が、古いカラーのリカちゃん人形アニメであることは興味深く、何かインパクトがあるが、この映画は、昭和35年頃から40年頃の作風のようで、学生たちが生まれてもいない、無意識の古層への誘いを意味している気がする。これらの映画は、カラーだけどピンぼけである。

時代を変えれば、セーラームーンやプリキュアのような映画のようにも思う。これらの映画を、小さな子供向けのものとバカにしてはならないことは、私は繰り返し書いてきた。「セーラームーン」劇場版については、詳しい考察もし、学会発表までしている。

「座れる自分の席があるかどうか」というのは、まさに、自分の「社会的」居場所としての「椅子」が確保できているかどうかと結びつくだろう。

私が左端の、勝手に好きな映画の感想を書いていい「その他」を「ズルだ」と感じ、潔しとはしないというのも興味深い。恐らく私がひよりよがりな自分の居場所に安住することを望まず、現実のどこかの居場所を確保して、公平に人生の勝負をしたいと考えていること(現状はネット相談と年金ぐらしの「自宅警備員」同然なので「左端」なのだが)と関係すると思う。

私が速攻で同時進行的に詳しいメモをとるのは、私の習い性で、昔からカウンセリングや本を読む時や映像作品・TV番組を観る時、講演を聴く時、たいていやっている。

これは、速記録に近い文字でなされるため、ほとんどそれだけで逐語録が作成できるくらいのものである。

私が、これらについての記事をブログにエントリーする時、具体的で要を得ていることが多いのはそのおかげである。

いちいち詳しく読み返さなくても、頭の中に非常に整理された形でインプットされるのである。

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2021年9月 6日 (月)

高校で成績低下に苦しみ、いじめを受ける夢

ちょっと久々の、私が見た夢の報告シリーズ。

******

私は高校2年生。

私立高校に通っている。リアルワールドで私が通った高校だが、男子校だったのが、夢の中では男女共学となっている。

私は(夢の中では)1年生の時に、数学以外は抜群の優等生であったが、2年生になってから、学業への意欲を次第に失っている。

授業中に、繰り返し教室を抜け出し、トイレに籠もっている。

教室に戻ってみると、授業は進行していて、途中の内容がわからなくなっていることを不安に感じている。

しかし、頭の回転が急速に衰えており、とても去年のようにはできないと感じている。

特にもともと苦手だった数学の授業の際に、ただでさえ苦手だった科目がいよいよ授業の進行が意味不明になり、これで次の定期試験に点が取れるだろうかと不安になっている。

小グループに分かれて、テーマについて討論しながら進めるという、ある意味で進歩的な進め方をしている時限にも、最初から教室を抜け出して、しばらくして戻ってくるのだが、自分が今更どのグループかに入れてもらうことは無理だと感じる。

担任教師(リアルワールドでも担任だった数学教師)に、

「私は調子が悪かったので教室を抜けさせてもらっていたのですがどうしたらいいのでしょうか?」

とうち明ける。

教師は別に私を咎めだてすることはない。

その後教師が私にどう対応したかは夢の中では描かれていない。

******

シーンは飛び、私が授業をあまり受けていないことについていじめを受け始めている。

私は2人がかりで押さえ込まれ、そこにこれまた二人がかりで女子生徒が無理やり連れて来られ、スカートの中の女性器(毛が生えていない、肌色の、きれいな女性器である)を、私の顔にを無理やり押し付けて来ようとする。

私は、

「馬鹿野郎! 私は女性経験が豊富だから、女性器なんていくらでも見ているし、クンニ何のことはない」

と答える。

結局女性器は押し付けられることはなく、女子生徒も解放されたようだ。

私は、トイレに自分のリュック(リアルワールドで現在使っているものと同じ)を置いてきたままであることを思い出し、トイレの個室に向かう。

しかし、リュックの中の持ち物の重要なものは、消えている。

どう探すかについて、クラスメートに問いかけるが、その後の展開不明。

教室に戻ってみると、NHKのドキュメンタリーをもとに討論する展開の途中に出食わす。

私は、その中に参入できない。

*****

しばらくシーンが飛び、クラスに学年中から選抜された、20人程度の「リーダーと言える生徒」の集会が、円陣を組んで開かれているのに遭遇する。

その中のひとりが、

「去年のままの君なら、当然このメンバーの中に選ばれていた」

と言って来るが、私も

「確かにそうだろうと思う」

と答える。

*****

再び教室での通常の授業のシーンに飛び、私は、先程登場した教師にと生徒たちに、

「私はうつ病で、思うに任せない」

と打ち明ける.

*****

シーンは飛ぶ。

図書室に、「○○文庫」という、私の大学学部生時代の心理学の恩師の名を冠した大きな書棚がある。

夢の中の世界では、そういう書棚が登場するシーンはこれまでにもあり、いわば私の夢の中では「常識」となっている。

私は、恩師が実は学界では非常な業績を残した人物だったのだと、今更のように感慨にふける。

・・・・以上。

*****

「高校2年生になってそれまでの優等生から一転して、勉学への意欲を失う」

というのは、私の夢の展開として、非常によくあるパターンである。

これは、中学時代に、実際、1年生の時勉学意欲が旺盛だったのに、2年生になって急速にそれが萎えていったというのと符合する。

ただし、私は教室から抜け出すというようなことはなかった。

「途中でブランクがあるために、今更参入するグループを見いだせず、途方にくれる」

というのは、私が学界で実際に生じていた現象で、その原因が「うつ病」であるのも事実である。

(こう見えても、私は周期的なうつ病持ちであり、それがこのブログの、生産性が高い時期と、休止同然になる時期の繰り返しとも関係している)

実際には、復帰してみても、私はよく覚えてもらっていて、好意的に「久しぶりだね」と挨拶されるのだが、現在、母の介護のこともあり、再びグループに参入して、具体的な活動をしてはない。

・・・今思い出したが、来週には、ZOOMを通して、私が久しぶりに参入したグループのミーティングに参加することになっている。

問題の「いじめ」のシーンだが、持ち物を隠されるといういじめは、結構受けていた。

女生徒の性器を顔に押し付けられそうになるという、ある意味でこの夢のクライマックスは、意味不明だが、私が女性の性器などには平気であること、クリニングスなど何の抵抗もないのは事実である。

女性に関しては「現役」であることは、何度かこのブログでも言及した。

それがなぜ今夢の中に登場したかということになるが、2つ前のエントリーで、フロイト「狼男」症例を久々に読み返したことについて触れたが、狼男症例が、生々しい性描写と関係することの影響が大きいかと思う。

恩師の名を冠した図書館の文庫というのが、夢の中に何回か出てきたことがある展開だとはすでに述べたが、それが高校の図書館にあるというのは時代の転倒ということになる。

私の恩師(学部と大学院、ふたりいる)が、学界でも業績ある人物であったことは事実だが、図書館のひとつの書棚がいっぱいになるほどの著作があるわけではない。

******

まあ、こんなところであろうか。

夢の中だから当然とはいえ、「頭がまわらない」のは結構苦しかった。

現実の私は、むしろ生産性を増し、頭の回転が向上しているのは、このブログの現状が示すとおりである。

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2021年9月 3日 (金)

DTMで曲作りに挑戦する予定。

実は私は小学校低学年から私は小学校低学年から中学頃まで「作曲」を結構していました。

幼稚園時代にヤマハの音楽教室に通っていたので、基礎の基礎というか、素地はあります。

小学校1年生の時点で楽譜は書けました。

当時飼っていたネコを題材とした、「○○○の子守唄」が第1作(早くも伴奏付き)。

音楽は「楽器の演奏」だけ☓でしたが、単にクラシックに詳しいだけではなくて、楽典も十分理解していて、音楽の成績は常にAでした。

歌う方は◎。今は全然声が出なくなりましたが、中学3年までボーイソプラノで、ひとりだけ女子の中に並んでいました。

高校では完全にバリトンになり、実技試験で出たイタリア語の古典歌曲も歌いこなし、九州交響楽団の指揮もした先生に「もういい、君は合格!先は歌わなくていいから」と言われてしまうくらい。

作曲のクオリティは、学年一のピアノの名手よりよほど高く、中学校3年間の学級歌は全部私の作曲。

3年生の時は「混声合唱」に挑み、一部の和音だけ、ピアノを弾く生徒に、コード進行の決まりを守っていないと指摘され、修正を受けた程度です。

毎年生徒が新作を作詞作曲することになっている「卒業の歌」まで、メロディーが悪いと「添削」しました。

徐々にクラシック風のが増えていき、自分でもつまらなくなっていつの間にかやめてしまいましたが、結構ポップス風のものも作り、半音階進行も使い、コード進行に工夫したりましました。

(幾つかの楽器を想定した、伴奏付きのものもあります! 学級歌を入れても全15曲ぐらいですが、自作の「歌詞」は2曲しかありませんwww)。

それをカシオの簡単なキーボードに記憶させて人前で再生したりもしたのですが、これから、いわゆる"DTM(デスクトップミュージック)"で新たに再現して、Youtubeにアップしてしまうことを考えてもいます。

もちろん、当初は、恐らくモノラルのMIDI音源となり、アンビエンスとかはできませんがwww

******

購入したのはKORGの小さなキーボード、microKEY-25。2オクターブしかありませんが、どうせ私は両手弾きはできないのでこれで十分。

なお、DTMに使うキーボードは、PCに特にドライバはインストール不要もことが多いようですが、原則として単体では音が出ません。

あとは、PCにフリーソフト、例えば、Music Studio Producerを入れれば、演奏と楽器の音色の選択、五線譜上への作曲と自動再生はできるようです。

●作曲フリーソフトMSPの使い方:前編(Music Studio Producer)

まだキーボードをリアルタイムでたたいてみただけの段階ですが、少なくともKORGの前述の製品の場合は、キータッチも相当良く、ピアノからフォルテの音の強弱や、鋭さから柔らかさまで表現はデフォルト(piano 1)\でも十分可能なのには感動を覚えました。

果たして、何日後に、一曲めをYouTubeのアップできるかは、お楽しみということで。
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2021年9月 1日 (水)

カウンセラーchitoseのBeatlesざっと総まくり

誕生日記念で何をやろうかと思ったのですが、一番安直に豪華にできるものにしました。

おいでの方は、読み込みにたいへんでしょうが、お許しください。

私は、小学校6年生の時に"Let It Be"ですから、「わずかに遅れた世代」です。

以下、すべてのアルバムを網羅したわけでもないし、ホントに全制作1時間前後ですから、いい加減なコンテンツかも知れません。

全部記憶だけで書いてますから、間違いがあればどうかご指摘ください。

なお、YouTube動画は、原則として、The Beatlesさんのチャンネルのものを使っています。

*****

■Please Please Me

ビートルズの最初のアルバム。

●Please Please Me

●Love Me Do

ビートルズのデビュー曲ですが、シングル版とアルバム版ではドラマーが違います。

*****

■I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)

確か"Past Masters 1"にのみ収録で、アルバム曲ではなかったのではないかな?

アイドル時代の代表曲でしょうね。ドイツ語バージョンもあります。、

*****

■A Hard Day's Night

同名の映画でも著名。映画としても傑作の誉れ高い。

まだアイドル性が強かった頃ですが、曲としては大胆なものが増えてきていると思います。

●A Hard Day's Night

●Can't Buy Me Love

この曲も発表当時はラディカルでしたでしょうね。

*****

■Help!

●Help!

急迫した和声的にも大胆な開始部。

●Ticket to Ride

カーペンターズがスローにしたカバー(「涙の乗車券」)でも著名。

●Yesterday

恐らく世界で一番有名な歌。

なのに、楽節構造の不規則さと、コード進行のめくるめく展開でも著名です。

*****

■Rubber Soul

私が2枚めに買ったアルバムで、妙に思い入れがあります。このアルバムの頃はヴォーカルが片方のチャンネルからしか出てなくて、試行錯誤の段階ですね。

●Norwegian Wood (This Bird Has Flown)

●Michelle

●In My Life

*****

■Revolver

私が3枚めに買ったアルバム。このアルバムにはサイケな香りがするとよく言われます。すでにアルバム全体に、後の「サージェント・ペパーズ・・・」を予感させるコンセプト性が出ているように思えます。

●Eleanor Rigby

急迫した曲想と、凝ったアレンジの名曲ですね。

●Yellow Submarine

同名のアニメ映画の動画を引っ張ってきました。日本では「イエロー・サブマリン音頭」でも有名になりましたね。

●Here, There And Everywhere

癒やし感があって、私の非常に好きな曲のひとつです。

*****

■Hey Jude

アルバムに入っておらず、シングルのみで、今では"Past Masters 2"で聴くことになりますが、時系列は確認していませんが、このへんに放り込んでおきます。

EPレコード限界の8分にも及ぶ大曲ですが、ロンドン・オリンピックでもボールが弾き語りしましたね。

*****

■Magical Mystery Tour

映画としてはひとりよがりな作品とも言われていますが、佳曲があります。

●The Fool On the Hill

●Hello,GoodBye

実は私の一番好きなビートルズの曲だったりします。チューリップの名曲、「心の旅」にモロに影響を与えていると思いますが。

*****

■以下の2曲は、確か表裏のEPとして発売されたもので、ビートルズの曲の中でも一番凝った作りのものと言われます。特に前者の和声進行の大胆さ。テープの切り貼りをしまくって作ったこともよく知られています。

●Strawberry Fields Forever

●Penny Lane

*****

■Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

「コンセプト・アルバム」というジャンルを確立した歴史的一枚。だから一曲ずつ切り離しては持ち味が出ません。全部通して聴いてくださいというしかありません。

物凄い多重録音で作られていますが、結果的には、非常に艶がある響きがしている気がします。

●Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band

●Lucy In the Sky With Diamonds

●When I'm Sixty-Four

楽しい歌詞の曲ですね。

●Good Morning Good Morning

かなり過激だな。

●A Day In The Life

前衛音楽だぜい。

*****

The Beatles(ホワイト・アルバム)

この2枚組のアルバムの時点でポールとジョンの対立がひどくなり、全体としては散漫な印象もあり、私も滅多なことでは聴かないのですが、次の3曲はあげておきますね。

●Back In The U.S.S.R.

●Ob-La-Di, Ob-La-Da

●Blackbird

*****

■Abbey Road

ビートルズの最高傑作と言われるアルバムで、確かに、凝集力が凄いと思います。B面が完全にメドレーとなっているのも革命でした。ここではB面の方の曲は紹介しませんが。

●Come Together

●Something

●Here Comes the Sun

*****

■Let It Be

私は同タイトルの映画のTV放映からビートルズに入門しています。

私がビートルズのアルバムで最初に買ったアルバム。

すでにビートルズがぶっ壊れてからのアルバムで、密度は低いと言われていますし、実際そうだと思いますが、忘れがたい曲があるのも当然で。

●Across the Universe

●Let It Be

●The Long and Winding Road

●Don't Let Me Down

アルバムには入っていないんだけど、"Get Back Session"で録ったものではなかったか?

映画"Let It Be"の「ルーフトップ・コンサート」のシーンに入っています。おかげで、"Past Masters 2"が出てなかった頃、「この曲はどうしたの?」と怪訝に思ったものです。


●Get Back

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61歳の誕生日になって何を書くか迷ったのだが・・・・

ブログを再開したのが今年(2021年)の3月26日だから、まだ5ヶ月ぐらいであるが、ほぼ毎日更新できてきた。

カウンセラーのブログにしては心理関係が最近は少ない。

私のカウンセリング論は、「若きカウンセラーに向けて」カテゴリーですでにかなり言い尽くしていて、繰り返しても意味がないと思っている。

新たに専門書を読んでレビューすればいいのだろうが、私の収入からすれば、心理や精神医学の専門書はともかく高いのが多いのでなかなか手が出せない。

そこで、ともかくできるだけ毎日映像作品を観るという課題を自分に課してきて、そのエントリーを書いた直後にはアクセスがそこそこ増える。でもそのことによって常連さんが増えるというわけでもない。

そもそも、エントリーの再開のきっかけは、ゲーム「ウマ娘」のおかげなのだが、ウマ娘関係のエントリーを載せるとアクセス数が落ちるという悪循環をかかえている。

先日書いた「攻略法」のエントリーなんて、シンプルで、役に立つという自負はありますが・・・

もうひとつの柱は、オーディオサイトであるということ。昔はともかく、現在は決して高いものには手を出さないが、高級品を使っている人も忘れがちな基礎の基礎についていろいろコツを書いているという自負はあります。

お金をほとんどかけないで、あなたのパソコンシステムの音を劇的に変える方法満載のつもりですから、お気軽に読んでください。

今日のエントリーは何の動画で締めようかと思いましたが、夏も終わりましたことですし(まだ暑いですが)、追憶として、すでにエントリーでレビューを書き、高評価しましたが、シャフト制作の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のテーマソング、DAOKO × 米津玄師の『打上花火』がなかなかの名曲だと思いますので、再度、アニメの名場面を連ねた動画を埋め込みたいと思います。

これからも、「カウンセラーchitoseの雑記帳」、どうかいっそうご贔屓のほどを。

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2021年8月28日 (土)

フィクションと現実の弁証法 -なぜ私は「エヴァンゲリオン」をマジに論じるか-

この問題は、現代思想において、すでに語り尽くされたテーマであろうが、私なりの言葉で小論をまとめておきたい。

フィクションと現実を二項対立的にとらえることそのものが、あまりに古めかしいことは言をまたない。

いわゆる「現実」そのものが、何らかのフィクションを前提として成立している。

もとをたどれば、人間が「人工の」文明を形成する時点で、自然の法則から逸脱している何らかの「フィクション」を必要としているとも言える。

歴史的叙述というものは、どれだけ現実の事実を背景としている場合でも、何らかの「価値観」の呪縛からは、完全に超越し切れない。

そして、およそすべての理念(idea)は、虚構性を帯びているのであり、そうした「理念論理(ideology、すなわちidea-logy)」に基づいて人間は行動し、戦争なども引きおこすのであり、それが「現実」の殺戮等を生み出す。

「映像作品」においても、いくら「リアリズム」に基づく場合・・・それこそ「記録映像」「ドキュメンタリー」の場合においても、現実から何を切り取るかという時点で、製作者の「理念」の影響下にしかない。

もっとも、そうした「理念」による「現実」の切り取りの作為性があったとしても、作り手の意図を超えた情報(一見「ノイズ成分」ともみえるもの)は多大に盛り込まれるものであり、鑑賞者に、いくらでも解釈の多様性を生み出すものである。

ましてや、最初から「フィクション」を謳っていた場合においては、いよいよ作り手の意図を超えた理解の多様性は生み出されるものであることは言うまでもない。

もっとも、長年蓄積された、「映像の文法」というものは共有可能であり、よほどひとりよがりな作品でない限り、「作り手の意図」を推し量ることはできる。

作品レビュー等によく観られる、自分の体験や価値観のみに引き寄せた浅薄なものは、実際作品を観てみれば、容易に識別可能であろう。

他者の意図に感情移入する「想像力」が試される時であり、偏った作品レビューをする人は、現実世界の対人関係においても、他者を他者と認めつつも共感の接点を探すというスキルに欠けている人が多いと思う。

フィクションにおいてのほうが、人間の「真実」を描き得るという弁証法があることは言うを待たない。

いわゆる日常的「リアリズム」に基づく作品ではなくて、虚構世界を完璧に創造する手法をとる場合のほうが、人間の心理を描き出すには好都合ですらある。

なぜなら、人間の心理と相互作用そのものが、数々の理念とフィクションを背景とした、私的物語の対話(ダイアローグ)に他ならないからである。

この点からすると、映像作品においては、すべてが記号化され、現実の「ノイズ」成分が捨象されたアニメ・コミックの領域のほうが、虚構世界を創造する上で好適な手法であるとすら言えるであろう。

初代「ガンダム」、しかり、「ナウシカ」しかり、「銀河英雄伝説」しかり。

(ただし、最近のアニメやラノベの、「異世界転生モノ」の量産については辟易している。確かにいい作品も多いが、なぜこうした物語が安易に「消費」されているのかという視点は重要だと思う)

私は、それゆえに、こうしたアニメの虚構世界での人物描写においてこそ、まるで生身の人間における心理を分析するかのような論じ方をしてみる意味があると思う。

そうしたアニメの観方を何か純粋過ぎるもののようにとらえ、過去の作品のパターンに回収するような、知ったぶりのアニメ評論に対して私が批判的なのもそうした故でもある。

もとより、アニメにおける登場人物は、いくら現実世界での対人関係の経験が反映していたとしても、すべて、製作者の「分身」だとも言える。

これは、ユングにおいて、現実の人間に対して、人は、自分自身の「自我(Ich)」から追い出した「自己(Selbst)の投影を通してしか、普段は接触していないということでも説明がつく。

「エヴァンゲリオン」において、「すべては庵野氏の脳内世界」と評する向きも多いが、むしろそうであるからこそ、観客は自分自身を投影した登場人物をみつけやすいように思われる。

こうしたことが、拙書「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮-」(幻冬舎)執筆の際に前提としていた、私の切り口であり、「イデオロギー」である。

2021年8月27日 (金)

「ドライブ・マイ・カー」公開記念、濱口竜介監督へのインタビュー記事から連想すること。

――村上春樹さんの作品は原作の『ドライブ・マイ・カー』が収められた短編集『女のいない男たち』(文春文庫)はもちろん、大ヒット作である『ノルウェイの森』(講談社文庫)にしても、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)にしても、主人公の男性が「女性に去られる」という設定がとても多いです。男性が女性の不在をきっかけに自分と向き合うということが村上春樹作品の本質だと感じます。

濱口:僕もその点は、村上作品の面白さの一つだと思っています。今回の作品でもその設定をいただきつつ、「女性に去られた男性が自分と向き合う」までをきちんと描きたいと思いました。

「女性に去られる」というのは、未だに男性の根源的な恐怖でしょう。男性にとって自分が一番信頼していた他者である女性がいなくなってしまうのは、人生が土台から揺らいでしまうことです。もちろん、女性が男性に去られる場合もありますが、どこかニュアンスが異なる気がします。今回は男性が、そこからどう抜け出して人生を立て直すか。それがこの映画の基本的な運動になります。

――この作品は40代後半の家福が打ちひしがれ、涙する様子が臆面もなく描かれます。自らの弱さを認めてそれを乗り越えることが強さであると受け取りましたが、1978年生まれの濱口監督よりも上の世代の監督作品で、男性が泣くことはほとんどなかったように思います。

濱口:今、僕たちの世代は過渡期ではないでしょうか。映画の撮影現場ひとつにとっても、少し前の世代までは暴力が横行していた。下の世代には、明確にそれはおかしいという感覚がある。僕たちの世代は既にある上の世代の文化に飛び込んである程度順応しつつ、違和感のあるものは下に伝えないよう努めている世代だと思います。

とはいえ、暴力的な態度が資源や時間がない時に人をコントロールするために有効な方法であることも目にしましたし、その文化が内面化された部分も必ずあると思います。それに対しては意識して自分を更新する必要があります。男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。

(中略)

濱口:女性を描く時には社会の圧を跳ね返すようなある種の強さまで辿り着くよう、自分に課しているところがあります。一方で、男性を描いていても社会的な問題にたどり着かない。当人の内面の問題に終始しがちです。それは、男性が社会構造に保護されているからです。現時点で、男性を描く場合にリアリティを持ってできたのが、「弱さを認める」ということでした。

これからの時代、男女平等が進んでいくとすれば、男性は生まれた時から無自覚に得てきた特権をどんどん奪われていくことになります。それは個人の視点からすると単に抑圧され、奪われるようなつらい体験なのかもしれないけれど、自分にその特権が与えられた歴史を学びつつ、それはむしろ起こるべきこととして、その痛みを受容しなくてはいけない。

今回の作品は直接的にそういうことを描こうと思ったわけではないのですが、映画を作るうちに自然と、「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

――監督の過去作『ハッピーアワー』も本作も、「自分ときちんと向き合うことで相手を理解する」ということがテーマになっていると感じました。本作の原作者の村上春樹さんは『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)の中で、「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁をこえてつながる」ことをコミットメント(人との関わり合い)の本質だとしていますが、そのことは濱口監督のテーマなのでしょうか。

濱口:その本は僕も好きで20代前半の頃読んでいました。特段そのことを意識して来たわけではないのですが、原作『ドライブ・マイ・カー』の中の「どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。(中略)本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」という岡田将生さん演じる俳優の高槻の言葉は、彼自身の深いところから発せられた言葉として家福に受け取られるし、村上さんが書かれたその高槻の言葉自体が、きっとそうなんだろうという説得力を持つものでした。

なので、そのシーンは映画の中で実現したいと思いましたし、結果的に映画の核となる部分にもなりました。

――本作では手話を使うろうの人も含めて、異なる言語を持つ人たちのコミュニケーションの豊かさが描かれていましたが、このような「多言語演劇」のスタイルを起用するきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

濱口:ボストンで1年間暮らしていた頃、英語の語学学校に通って勉強していたのですが、自分より言語ができなくてもコミュニケーションできる人っていますよね。その時にコミュニケーションの本質は言語ではないと改めて思い知らされました。

言葉が流暢だからコミュニケーションできるのではなく、言葉を持っていなくても、コミュニケーションしたいという気持ちや相手に対する好意がある人は、多少英語が話せて言語によるコミュニケーションが可能な自分よりも、深いコミュニケーションをしているなと。そして、自分もそうできたらいいなと思っていました。

言葉によってコミュニケーションが阻害されているとまでは言いませんが、言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。それは映画の中で多言語演劇をやってみようと思ったきっかけの一つです。

――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。今回のキャストでは、たとえば演劇祭スタッフのユンスを演じたジン・デヨンさんはまさにそういう人だし、そのことが映画にもにじみ出ていると思います。

――脚本を担当した1940年代の日本と中国を舞台に国家機密を前にして揺れ動く夫婦を描いた『スパイの妻』もそうでしたが、今回も「悲しみを失った人同士がつながる」というテーマの下、多言語演劇を取り入れ、時空や空間を大きく跨ぐスケールの大きな物語を描いています。どのようにしてプロットは思い付いているのでしょうか。

濱口:大きいテーマを扱っている意識はないです。それよりは、ボストン在住や国際映画祭での体験など、自分の個人的な身体感覚をベースに作っています。スケールが大きいというより、パーソナルな感覚の映画を作っているという意識の方が強いですね。

確かに本作には、東京にいた主人公が地方へ行ったり、また他のキャストが海外から来たりするという地理的なスケールがあります。しかし、基本的には人と人とのコミュニケーションを描いた小さな話です。実感に基づいた感覚をベースにしないとディテールは描けないとも感じます。

例えば『スパイの妻』で言うと、家庭内のことが戦争にまでつながっているだけで、日本と中国、アメリカという距離は地理的な問題に過ぎません。誰しも自分たちでコントロールできる世界の範囲は小さいです。なので、映画の構想も自分が認識できる範囲から始めています。

一方で、「描かれる世界の大きさ」は認識能力を超えた時に感じるものだと思います。なので、見る人の認識能力を超える部分をキャスト・スタッフの人たちと共に考えながら、どのように見せるのかを考えながら映画を作っています。

――最後に、この映画で伝えたい濱口監督からのメッセージについてお聞かせください。

濱口:メッセージというものはない、とは言いませんが、あくまで映画を通じて感じていただけたら、と思っています。様々な要素が重なり合っている映画ですが、決して難しい話ではなく、むしろ単純に「面白い」映画だと思っています。どこかで必ず自分自身の経験につながるものがあり、受け取れるものがある作品だと思います。前知識も何も必要ありません。構えずにリラックスして見て欲しいですね。

『ドライブ・マイ・カー』は8月20日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
(C)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

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このFRaUのインタビューは、なかなか含蓄のあるもののように思う。

  • 男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。 

これは、対女性にかかわらず言えることなのではなかろうか。自分は弱いところがあると認めている人だけが、相手の目線にも自然と立てる気がする。

・・・と思っていたら、

  •  「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

続いて、

  • 本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです 

同感。自分に自分が見えている分だけしか、他人のことは見えてこない。

  • コミュニケーションの本質は言語ではない。 言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。

これは、ネット空間では殊に忘れるべきではないでしょうね。

ネット上でいい信頼関係を築くためには、相手が「身体で」どう実感しているかに波長を合わせるようなつもりになる必要があると思います。

これは日頃からフォーカシングのリスナーをしている私の肝に銘じていることです。

  • ――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

    濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。

好意は具体的に表現し続けなければならないということは、すでのこのブログでも何回も繰り返して来ました。それは言葉の上だけではなく、身体から自然と湧き出るようなものでなければならないと思います。

・・・これ、スキンシッップが必要という意味ではないですので念のため。

相手が言うことをかなえているだけでは愛情表現ではない、と私は繰り返し書いてきました。これが私の苦い人生経験の帰結ということも。

そして、人の気持ちの「裏を読む」ということを、相手の悪意を仮定してかかるということばかりであってはならない。

相手の悪意を仮定することは、「お人好し」になり過ぎないための術かもしれませんが、それと同時に、相手の言うことを「額面通りに」受け止めてとりあえずは応対するほうが、結局はリーダーシップすらとれます。

*****

・・・・などと、監督の発言に自分の見解を強引に押し付けただけかもしれませんが、このへんで。

私は、村上春樹は、「羊をめぐる冒険」しか読んだことはないですが、映画「ドライブ・マイ・カー」も、チャンスがあれば、観てみたいですね。

この予告編で使用されているピアノ曲は、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番、「テンペスト」の第3楽章です。 楽天トラベル

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2021年8月26日 (木)

魔法という名のモラトリアム -魔法のスター・マジカルエミ-

困ったお題でしたが、45年アニメファンやってる人間にどう答えろというのか。

私にとっては、

ということになります。

「マジカルエミ」については私のもうひとつのブログ、「chitoseの部屋」のこのエントリーで詳しく解説しています。

そこで、私が、アニメ誌(というか、サブカルチャー誌)「OUT」に投稿者として初掲載された時の文章を載せていますが、こちらに転載します。なかなかの美文たと思う。:

=========================

●魔法という名のモラトリアム

舞は、魔法を授かる時期限もつけられなかったし、使命も言い渡されなかった。ただ「立派なマジシャンになりたい」という夢の実現のためにのみ魔法を使っていたのである。

 だが、舞は自分から魔法を返した。マジックを、魔法でエミに変身してではなく、「舞(のまま)でやる方がおもしろい」ことに気づき、「もうエミにならなくてもいい」と思ったから。舞は、魔法の力で「水晶」として輝くのではなく、自分の力で 「ケイ石」に含まれているガラスの輝きをみがき上げていく道を選んだ。早咲きのスミレに過ぎないエミは今や舞台を去り、代わって「マジカル舞」が、花開くべき春を目の前に、つぼみをふくらませつつある。

 舞はなぜそうしたのか。自力で奨励賞を射止めたヤング・マジカラットの三人をみているうちに、魔法の力を借りている自分のことを「後ろめたく」思ったから? それもあろう。

 しかし、私には、舞が「罪意識」に目覚めて、つまり、「自分の努力で夢は実現すべきだ」と思うに至った結果として魔法を返したようにはみえない。

 彼女は、むしろ彼らのことが「うらやましく」なったのだ。自分の力のみを頼りにしてチャレンジしていった彼らの中に、自分の味わえていない喜びとやりがいがあり、「たのしそう」にすらみえたのではないか。

 試合を負けたのにむしろ「いい顔」している将に、舞は「どうして痛い思いしてまでボクシングするの」と尋ねている。しかし、彼女はその答えを、今や自分自身の問題として実感しつつある。「痛い思い」してもやらずにはいられなくなる「何か」がそこにあることに。

 魔法とは一種の「モラトリアム」であろう。それだけの社会的・経済的能力がないのに、まるで親のスネをかじって、欲しいものが手に入るのと同じようにして、やりたいことが実現できる。

 しかし、「時が来ました。あなたはもう『魔法』を返さねばなりません。これからは自分の力で生きて行きなさい」と言われたので仕方なしに魔法を返す....というのでいいのだろうか。

 むしろ、自分の夢の実現のために、許され得る限り、その『魔法』を使いまくり、その果てに、自分の力でやる方が「おもしろい」ということに気づける所まで行けてこそ、その人は真の意味でモラトリアムを卒業できるのではないだろうか。親に「のみこま」れ、妙に縮こまって、その『魔法』を生かしきれなかった人だけが、ずるずると「モラトリアム人間」になっていく気がする。

 ある意味で、舞はわずか10歳にして、肝心な点で「大人」になった。

 なぜ、「夢は自分でみるもので、人からもらうものではない」のか、そして「大人になる夢」こそ本当の夢なのかを、この作品は『モモ』に代わって十分描いてくれた。

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 「魔法のスター・マジカルエミ」は、4作連続して制作された、スタジオぴえろ制作の魔法少女アニメTVシリーズの第3作である。ちなみに他の3作は、最初から順に「クリィミーマミ」、「ペルシャ」、「パステルユーミ」である。

 これらぴえろ制作の4本に、スタジオライブ制作の「魔法のプリンセス・ミンキーモモ」……アニメファンの間で「モモ」といえばミヒャエル・エンデではなくてこの作品を差す……を加えた5つの作品を、東映動画制作の「魔法使いサリー」「魔法のマコちゃん」などの諸作品と区別して、「第2期魔法少女アニメ」と呼ばれることが多い。

 主人公の少女、香月舞は、マジック一座、「マジカラット」の家庭に生まれた小学生。舞もマジックがうまくなりたいのだが、まだ見よう見まねの水準である。ある日、モモンガのぬいぐるみ、トポに突然光の球が宿り、人の言葉を話すようになる。そして、自分の夢を体現する18歳の女性マジシャン、マジカル・エミに変身する魔法を授かる。

 この謎のマジシャンの加入により、マジカラットは一躍テレビでも大人気の一座となる。だが……

 ・・・・このようにあらすじを語っても、この作品独特の魅力を語ることにはならない。

 「マジカルエミ」は、ぴえろの4作の中で、一般に一番地味な作品とされているが、安濃高志チーフディレクターの繊細で日常性と幻想性が錯綜する様式が局限まで発揮された、ほとんど前衛的ファンタジーというべき作品である。

 放送当時地味だなとしか感じなかった人、「エヴァンゲリオン」について来れたのなら今この作品を見て下さい。今ならこの作品の、特に中盤以降の異様な味の濃さに気づかれると思います。 

 ともかくこの作品は状況説明が異様に少ない。

 主人公の少女がなぜ、誰から魔法を授かったのか、最後まではっきり説明されることはない。

 日常の狭間での幻想の世界とのさりげない出会い。舞は何でもないことのように二つの世界を往復する。

 言葉では語られない感情表現の微妙さ。

 このへんの描き方の独特の感性的世界は実際に映像を見てもらわないと分からない。

 ここで私の「魔法という名のモラトリアム」が対象にした物語大詰めの「4部作(35-38話)」を別にすると、第26話「枯葉のシャワー」という、前半全く台詞が出てこない、繊細きわまりないエピソードを特に推薦しておきたい。私がアニメにおける演出というものの意味に真に目覚めた、忘れられないエピソードである。

 さて、この「魔法という名のモラトリアム」という文章は、私がはじめて「OUT」のReader's Voiceに掲載された時のものである。最終回の一つ前の回、第37話「ためらいの季節」(演出:望月智充)における、舞が魔法を返す決心を固めるまでの非常に説得力ある描き方に共鳴して書かれたものである。(この回は望月氏の映像へのこだわりが異様に冴えているので、そうした興味からこの作品をご覧になるのもいいかもしれない)。

  「デビュー作にはその後の作風のすべてが現れている」とはよく言われるけれども、現在読み返しても、私がアニメについて書いた文章の中で最も完成度が高いものの一つという印象に変わりがない。まさにここで語られた論調こそが、その後の私のアニメ観のすべてを先取りしてすらいるのである。

 ちなみに私はこの文章を書いた翌日に心理学科の大学院に合格している。まさに、この「エミ」という作品、そしてこの「エミ」論から、今の私は出発しているのである。

=========================================

上記した、26話の「枯葉のシャワー」についての解説としてなかなかいいものは、

●アニメ様365日[小黒祐一郎]第248回 『魔法のスター マジカルエミ』26話(WEBアニメスタイル)

であろう。

小黒祐一郎氏は、こちらのエントリーで書いた、私と交流があった「アニメージュ」のライターその人である。その後仇敵(笑い)となって、いろいろパクられたと思うが、小黒氏は、その後のアニメジャーナリズムにおいて非常に重要な貢献をし続けている存在である。

最後に、「マジカルエミ」のBGM(奥慶一)の最高傑作と思っている曲がYoutubeにあったのでご紹介。

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。