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フォーカシング

2021年9月 6日 (月)

高校で成績低下に苦しみ、いじめを受ける夢

ちょっと久々の、私が見た夢の報告シリーズ。

******

私は高校2年生。

私立高校に通っている。リアルワールドで私が通った高校だが、男子校だったのが、夢の中では男女共学となっている。

私は(夢の中では)1年生の時に、数学以外は抜群の優等生であったが、2年生になってから、学業への意欲を次第に失っている。

授業中に、繰り返し教室を抜け出し、トイレに籠もっている。

教室に戻ってみると、授業は進行していて、途中の内容がわからなくなっていることを不安に感じている。

しかし、頭の回転が急速に衰えており、とても去年のようにはできないと感じている。

特にもともと苦手だった数学の授業の際に、ただでさえ苦手だった科目がいよいよ授業の進行が意味不明になり、これで次の定期試験に点が取れるだろうかと不安になっている。

小グループに分かれて、テーマについて討論しながら進めるという、ある意味で進歩的な進め方をしている時限にも、最初から教室を抜け出して、しばらくして戻ってくるのだが、自分が今更どのグループかに入れてもらうことは無理だと感じる。

担任教師(リアルワールドでも担任だった数学教師)に、

「私は調子が悪かったので教室を抜けさせてもらっていたのですがどうしたらいいのでしょうか?」

とうち明ける。

教師は別に私を咎めだてすることはない。

その後教師が私にどう対応したかは夢の中では描かれていない。

******

シーンは飛び、私が授業をあまり受けていないことについていじめを受け始めている。

私は2人がかりで押さえ込まれ、そこにこれまた二人がかりで女子生徒が無理やり連れて来られ、スカートの中の女性器(毛が生えていない、肌色の、きれいな女性器である)を、私の顔にを無理やり押し付けて来ようとする。

私は、

「馬鹿野郎! 私は女性経験が豊富だから、女性器なんていくらでも見ているし、クンニ何のことはない」

と答える。

結局女性器は押し付けられることはなく、女子生徒も解放されたようだ。

私は、トイレに自分のリュック(リアルワールドで現在使っているものと同じ)を置いてきたままであることを思い出し、トイレの個室に向かう。

しかし、リュックの中の持ち物の重要なものは、消えている。

どう探すかについて、クラスメートに問いかけるが、その後の展開不明。

教室に戻ってみると、NHKのドキュメンタリーをもとに討論する展開の途中に出食わす。

私は、その中に参入できない。

*****

しばらくシーンが飛び、クラスに学年中から選抜された、20人程度の「リーダーと言える生徒」の集会が、円陣を組んで開かれているのに遭遇する。

その中のひとりが、

「去年のままの君なら、当然このメンバーの中に選ばれていた」

と言って来るが、私も

「確かにそうだろうと思う」

と答える。

*****

再び教室での通常の授業のシーンに飛び、私は、先程登場した教師にと生徒たちに、

「私はうつ病で、思うに任せない」

と打ち明ける.

*****

シーンは飛ぶ。

図書室に、「○○文庫」という、私の大学学部生時代の心理学の恩師の名を冠した大きな書棚がある。

夢の中の世界では、そういう書棚が登場するシーンはこれまでにもあり、いわば私の夢の中では「常識」となっている。

私は、恩師が実は学界では非常な業績を残した人物だったのだと、今更のように感慨にふける。

・・・・以上。

*****

「高校2年生になってそれまでの優等生から一転して、勉学への意欲を失う」

というのは、私の夢の展開として、非常によくあるパターンである。

これは、中学時代に、実際、1年生の時勉学意欲が旺盛だったのに、2年生になって急速にそれが萎えていったというのと符合する。

ただし、私は教室から抜け出すというようなことはなかった。

「途中でブランクがあるために、今更参入するグループを見いだせず、途方にくれる」

というのは、私が学界で実際に生じていた現象で、その原因が「うつ病」であるのも事実である。

(こう見えても、私は周期的なうつ病持ちであり、それがこのブログの、生産性が高い時期と、休止同然になる時期の繰り返しとも関係している)

実際には、復帰してみても、私はよく覚えてもらっていて、好意的に「久しぶりだね」と挨拶されるのだが、現在、母の介護のこともあり、再びグループに参入して、具体的な活動をしてはない。

・・・今思い出したが、来週には、ZOOMを通して、私が久しぶりに参入したグループのミーティングに参加することになっている。

問題の「いじめ」のシーンだが、持ち物を隠されるといういじめは、結構受けていた。

女生徒の性器を顔に押し付けられそうになるという、ある意味でこの夢のクライマックスは、意味不明だが、私が女性の性器などには平気であること、クリニングスなど何の抵抗もないのは事実である。

女性に関しては「現役」であることは、何度かこのブログでも言及した。

それがなぜ今夢の中に登場したかということになるが、2つ前のエントリーで、フロイト「狼男」症例を久々に読み返したことについて触れたが、狼男症例が、生々しい性描写と関係することの影響が大きいかと思う。

恩師の名を冠した図書館の文庫というのが、夢の中に何回か出てきたことがある展開だとはすでに述べたが、それが高校の図書館にあるというのは時代の転倒ということになる。

私の恩師(学部と大学院、ふたりいる)が、学界でも業績ある人物であったことは事実だが、図書館のひとつの書棚がいっぱいになるほどの著作があるわけではない。

******

まあ、こんなところであろうか。

夢の中だから当然とはいえ、「頭がまわらない」のは結構苦しかった。

現実の私は、むしろ生産性を増し、頭の回転が向上しているのは、このブログの現状が示すとおりである。

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2021年9月 1日 (水)

61歳の誕生日になって何を書くか迷ったのだが・・・・

ブログを再開したのが今年(2021年)の3月26日だから、まだ5ヶ月ぐらいであるが、ほぼ毎日更新できてきた。

カウンセラーのブログにしては心理関係が最近は少ない。

私のカウンセリング論は、「若きカウンセラーに向けて」カテゴリーですでにかなり言い尽くしていて、繰り返しても意味がないと思っている。

新たに専門書を読んでレビューすればいいのだろうが、私の収入からすれば、心理や精神医学の専門書はともかく高いのが多いのでなかなか手が出せない。

そこで、ともかくできるだけ毎日映像作品を観るという課題を自分に課してきて、そのエントリーを書いた直後にはアクセスがそこそこ増える。でもそのことによって常連さんが増えるというわけでもない。

そもそも、エントリーの再開のきっかけは、ゲーム「ウマ娘」のおかげなのだが、ウマ娘関係のエントリーを載せるとアクセス数が落ちるという悪循環をかかえている。

先日書いた「攻略法」のエントリーなんて、シンプルで、役に立つという自負はありますが・・・

もうひとつの柱は、オーディオサイトであるということ。昔はともかく、現在は決して高いものには手を出さないが、高級品を使っている人も忘れがちな基礎の基礎についていろいろコツを書いているという自負はあります。

お金をほとんどかけないで、あなたのパソコンシステムの音を劇的に変える方法満載のつもりですから、お気軽に読んでください。

今日のエントリーは何の動画で締めようかと思いましたが、夏も終わりましたことですし(まだ暑いですが)、追憶として、すでにエントリーでレビューを書き、高評価しましたが、シャフト制作の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のテーマソング、DAOKO × 米津玄師の『打上花火』がなかなかの名曲だと思いますので、再度、アニメの名場面を連ねた動画を埋め込みたいと思います。

これからも、「カウンセラーchitoseの雑記帳」、どうかいっそうご贔屓のほどを。

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2021年8月27日 (金)

「ドライブ・マイ・カー」公開記念、濱口竜介監督へのインタビュー記事から連想すること。

――村上春樹さんの作品は原作の『ドライブ・マイ・カー』が収められた短編集『女のいない男たち』(文春文庫)はもちろん、大ヒット作である『ノルウェイの森』(講談社文庫)にしても、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)にしても、主人公の男性が「女性に去られる」という設定がとても多いです。男性が女性の不在をきっかけに自分と向き合うということが村上春樹作品の本質だと感じます。

濱口:僕もその点は、村上作品の面白さの一つだと思っています。今回の作品でもその設定をいただきつつ、「女性に去られた男性が自分と向き合う」までをきちんと描きたいと思いました。

「女性に去られる」というのは、未だに男性の根源的な恐怖でしょう。男性にとって自分が一番信頼していた他者である女性がいなくなってしまうのは、人生が土台から揺らいでしまうことです。もちろん、女性が男性に去られる場合もありますが、どこかニュアンスが異なる気がします。今回は男性が、そこからどう抜け出して人生を立て直すか。それがこの映画の基本的な運動になります。

――この作品は40代後半の家福が打ちひしがれ、涙する様子が臆面もなく描かれます。自らの弱さを認めてそれを乗り越えることが強さであると受け取りましたが、1978年生まれの濱口監督よりも上の世代の監督作品で、男性が泣くことはほとんどなかったように思います。

濱口:今、僕たちの世代は過渡期ではないでしょうか。映画の撮影現場ひとつにとっても、少し前の世代までは暴力が横行していた。下の世代には、明確にそれはおかしいという感覚がある。僕たちの世代は既にある上の世代の文化に飛び込んである程度順応しつつ、違和感のあるものは下に伝えないよう努めている世代だと思います。

とはいえ、暴力的な態度が資源や時間がない時に人をコントロールするために有効な方法であることも目にしましたし、その文化が内面化された部分も必ずあると思います。それに対しては意識して自分を更新する必要があります。男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。

(中略)

濱口:女性を描く時には社会の圧を跳ね返すようなある種の強さまで辿り着くよう、自分に課しているところがあります。一方で、男性を描いていても社会的な問題にたどり着かない。当人の内面の問題に終始しがちです。それは、男性が社会構造に保護されているからです。現時点で、男性を描く場合にリアリティを持ってできたのが、「弱さを認める」ということでした。

これからの時代、男女平等が進んでいくとすれば、男性は生まれた時から無自覚に得てきた特権をどんどん奪われていくことになります。それは個人の視点からすると単に抑圧され、奪われるようなつらい体験なのかもしれないけれど、自分にその特権が与えられた歴史を学びつつ、それはむしろ起こるべきこととして、その痛みを受容しなくてはいけない。

今回の作品は直接的にそういうことを描こうと思ったわけではないのですが、映画を作るうちに自然と、「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

――監督の過去作『ハッピーアワー』も本作も、「自分ときちんと向き合うことで相手を理解する」ということがテーマになっていると感じました。本作の原作者の村上春樹さんは『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)の中で、「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁をこえてつながる」ことをコミットメント(人との関わり合い)の本質だとしていますが、そのことは濱口監督のテーマなのでしょうか。

濱口:その本は僕も好きで20代前半の頃読んでいました。特段そのことを意識して来たわけではないのですが、原作『ドライブ・マイ・カー』の中の「どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。(中略)本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」という岡田将生さん演じる俳優の高槻の言葉は、彼自身の深いところから発せられた言葉として家福に受け取られるし、村上さんが書かれたその高槻の言葉自体が、きっとそうなんだろうという説得力を持つものでした。

なので、そのシーンは映画の中で実現したいと思いましたし、結果的に映画の核となる部分にもなりました。

――本作では手話を使うろうの人も含めて、異なる言語を持つ人たちのコミュニケーションの豊かさが描かれていましたが、このような「多言語演劇」のスタイルを起用するきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

濱口:ボストンで1年間暮らしていた頃、英語の語学学校に通って勉強していたのですが、自分より言語ができなくてもコミュニケーションできる人っていますよね。その時にコミュニケーションの本質は言語ではないと改めて思い知らされました。

言葉が流暢だからコミュニケーションできるのではなく、言葉を持っていなくても、コミュニケーションしたいという気持ちや相手に対する好意がある人は、多少英語が話せて言語によるコミュニケーションが可能な自分よりも、深いコミュニケーションをしているなと。そして、自分もそうできたらいいなと思っていました。

言葉によってコミュニケーションが阻害されているとまでは言いませんが、言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。それは映画の中で多言語演劇をやってみようと思ったきっかけの一つです。

――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。今回のキャストでは、たとえば演劇祭スタッフのユンスを演じたジン・デヨンさんはまさにそういう人だし、そのことが映画にもにじみ出ていると思います。

――脚本を担当した1940年代の日本と中国を舞台に国家機密を前にして揺れ動く夫婦を描いた『スパイの妻』もそうでしたが、今回も「悲しみを失った人同士がつながる」というテーマの下、多言語演劇を取り入れ、時空や空間を大きく跨ぐスケールの大きな物語を描いています。どのようにしてプロットは思い付いているのでしょうか。

濱口:大きいテーマを扱っている意識はないです。それよりは、ボストン在住や国際映画祭での体験など、自分の個人的な身体感覚をベースに作っています。スケールが大きいというより、パーソナルな感覚の映画を作っているという意識の方が強いですね。

確かに本作には、東京にいた主人公が地方へ行ったり、また他のキャストが海外から来たりするという地理的なスケールがあります。しかし、基本的には人と人とのコミュニケーションを描いた小さな話です。実感に基づいた感覚をベースにしないとディテールは描けないとも感じます。

例えば『スパイの妻』で言うと、家庭内のことが戦争にまでつながっているだけで、日本と中国、アメリカという距離は地理的な問題に過ぎません。誰しも自分たちでコントロールできる世界の範囲は小さいです。なので、映画の構想も自分が認識できる範囲から始めています。

一方で、「描かれる世界の大きさ」は認識能力を超えた時に感じるものだと思います。なので、見る人の認識能力を超える部分をキャスト・スタッフの人たちと共に考えながら、どのように見せるのかを考えながら映画を作っています。

――最後に、この映画で伝えたい濱口監督からのメッセージについてお聞かせください。

濱口:メッセージというものはない、とは言いませんが、あくまで映画を通じて感じていただけたら、と思っています。様々な要素が重なり合っている映画ですが、決して難しい話ではなく、むしろ単純に「面白い」映画だと思っています。どこかで必ず自分自身の経験につながるものがあり、受け取れるものがある作品だと思います。前知識も何も必要ありません。構えずにリラックスして見て欲しいですね。

『ドライブ・マイ・カー』は8月20日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
(C)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

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このFRaUのインタビューは、なかなか含蓄のあるもののように思う。

  • 男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。 

これは、対女性にかかわらず言えることなのではなかろうか。自分は弱いところがあると認めている人だけが、相手の目線にも自然と立てる気がする。

・・・と思っていたら、

  •  「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

続いて、

  • 本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです 

同感。自分に自分が見えている分だけしか、他人のことは見えてこない。

  • コミュニケーションの本質は言語ではない。 言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。

これは、ネット空間では殊に忘れるべきではないでしょうね。

ネット上でいい信頼関係を築くためには、相手が「身体で」どう実感しているかに波長を合わせるようなつもりになる必要があると思います。

これは日頃からフォーカシングのリスナーをしている私の肝に銘じていることです。

  • ――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

    濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。

好意は具体的に表現し続けなければならないということは、すでのこのブログでも何回も繰り返して来ました。それは言葉の上だけではなく、身体から自然と湧き出るようなものでなければならないと思います。

・・・これ、スキンシッップが必要という意味ではないですので念のため。

相手が言うことをかなえているだけでは愛情表現ではない、と私は繰り返し書いてきました。これが私の苦い人生経験の帰結ということも。

そして、人の気持ちの「裏を読む」ということを、相手の悪意を仮定してかかるということばかりであってはならない。

相手の悪意を仮定することは、「お人好し」になり過ぎないための術かもしれませんが、それと同時に、相手の言うことを「額面通りに」受け止めてとりあえずは応対するほうが、結局はリーダーシップすらとれます。

*****

・・・・などと、監督の発言に自分の見解を強引に押し付けただけかもしれませんが、このへんで。

私は、村上春樹は、「羊をめぐる冒険」しか読んだことはないですが、映画「ドライブ・マイ・カー」も、チャンスがあれば、観てみたいですね。

この予告編で使用されているピアノ曲は、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番、「テンペスト」の第3楽章です。 楽天トラベル

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2021年7月16日 (金)

夢二題2

今回は、ちょっとグロい内容も含みますのでお許しください。

******

私は自分の家(といっても、現実には住んだことのない、アパートみたいな部屋)で、3匹の、随分大きくて、肥え太ったネズミを飼っているようです。

私は眠気と戦いながら、親族の接待をしています。

ふと気づくと、いつものように、ネズミ達を、台所のレンジの鍋に一匹ずつ入れて「入浴」させていたことを思い出します。

あわててレンジまで駆けつけると、ネズミたちは一層え肥太って、お湯にしなびたような状態になっています。

最初は少し目が開き、少し身体をまだ動かしていましたが、すぐに死に至ったようです。

私は罪悪感と後悔に打ちひしがれます。

******

夢フォーカシングに、「昨日のことは?」という質問があります。

ここから連想したのは、昨晩夜遅く、私はソーメンをゆでて食べようとしていました。

その際に、いつの間にか眠りこけていて、鍋で沸騰したお湯をわかしていたことをすっかり忘れていたのです。

そのことに気づき、あわてて駆けつけると、お湯は蒸発していましたが、幸い、レンジの安全装置によって、とっくの昔に火が消えており、鍋はすでに冷え切っていて、取っ手とかも溶けるとかなく、私はほっとしました。

そのことをまずは想起したのですが、「私の飼っていたネズミとは何だろう?」ということが当然気になります。

このネズミが私の「分身」だとしたら?

・・・何となく想起される事柄はありますが、それをこのブログで具体的に書くのは控えたい気分です。

このネズミに「なってみた」ら?

・・・そんなにこちらを恨むことはなく、むしろこれまでここまで、過剰でお節介にまでに「甘やかしてくれる」中で天寿を全うしたことについて、感謝すらしているようでした。

ところが、今これを書いているうちにハッとしたのは、十年前の父親が、まさに浴槽の中で、自動温度調節の高熱のお湯に浸かったまま意識不明で植物状態になって死に至ったということでした。

母親はそれに気づかすにいた自分、私に電話をかけようとしても電話番号を間違えてばかり、それどころか199番にすらうまくかけられなかったことを後悔し続けていました。

父は税理士で、引退したあとも、母と共に暮すマンションで、十数件の確定申告をさばいていました。

徹夜に近い状態が続き、やっと最後の1件を残すところまで来て、少し気の緩みもあったのではないか、それなのに冬の寒い晩にベランダに自転車漕ぎに出て、それから急に熱いお湯に浸かったのもよくなかったのではないかと母は推測していた・・・そのことを思い出したわけです。

******

もうひとつの夢。

父親と私は連れ立って、久留米から西鉄電車で南に数駅から更に徒歩でかなり離れたところにある、郊外店の、実に巨大な大きな電気屋にいます。

私達は、誰か(忘れました)に連絡を取る必要があることを急に思い出しますが、あいにく父も私も手元に携帯を持っていないことに気づきます。

店の中に公衆電話がとこかにないかどうか探し回るのですが、今のご時世ですが、どこにもないようです。

それで、一階の案内所に二人で向かい、受け付け嬢(2人いました)に、「電話を借りたい」と頼むのですが、

「この店には電話はありません、スマホも売ってはいませんし、店員も使用禁止になっています」

という答えしか返って来ませんでした。

「今の時代に、それでは店員も不便だろう」

と、夢の中の私は思います。

私と父は諦めて、徒歩で西鉄久留米駅まで戻ることにします。

その際私は、

「僕はこの電気屋は使っていない。北の方の宮の陣の近くにある電気屋に、自転車で足をのばすことが多いから」

と父に語ります。

でも、それは、南の方の店に父と共に向かうのが嫌ゆえの屁理屈のように自分でも感じています。

ところが、すでに述べたように、久留米から南に数駅、しかも郊外にある電気屋から、実際には、ものの数分で西鉄久留米駅までたどり着けるのでした。

****

ひとつ思い当たるのは、今日の早朝、レビューとして書いた、「君の膵臓をたべたい」で、携帯電話のメール(この物語設定ではスマホですらないみたい)が二人のコミュニケーションで重要な役割を果たしていたこでとです。

電話というのは「関係」の象徴だし、無意識へのアクセスの通路でもあります。

私は今、無意識へのアクセスは、こうして夢を見るたびに自分で夢解釈を試みるくらいですから、十分に維持していると思いますが、「外部の」他者とのコミュニケーションは?というと、狭い範囲に限られているかもしれません。

「君の膵臓をたべたい」で描かれたような、「関係の中で生かされている」という状態からは、少し実感は遠くなっている気もします。

あと、父の向かう店に共に行きたくない、反対の道を行きたいというのは、私が常々感じていた、父の言うとおりにしたらろくなことはない、という反抗心かと思います。

ところが、亡き父の方が一枚上手だったのかもしれません。

結局、父の行く道の方が、遠いようで近いということかと思います。

父の方が、よっぽどリアリストでしたしね。
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2021年7月11日 (日)

いなくなった猫をめぐっての夢

今朝の夢はかなりしんどかった。

私どこかの大学の常勤教授をしているようだ(ちなみに、実際の私には、常勤チーフカウンセラーの経験はあり、いろんな大学の非常勤講師の経験はあるが、「教職」の経験はない。プロフィール参照)。

大学では、数日間にわたる学会のような催しが開かれており、私はそれに忙殺されている。

別れた妻も、大阪から上京してきている。

子供も、私が別れた時の姿のままで上京してきているらしいが、夢の中には直接現れない。

妻は、自分たちと一緒に過ごす時間がなかなか取れない私のことをなじってくる。

その際に妻との相手で生じている諍いは、現実の中でも生じていた独特のコミュニケーションギャップで、何故か夢の中でしか再現不可能なのは私の夢によく出てくるパターンである。

私の弱みを、結構図星でついてくるのだが。

妻子は、大阪から、子猫に近い、茶色い毛の猫をつれて来ているようで、妻は、私がその子猫の世話をしているのかどうかとなじってくる。

私は、大学に通じる道路の側溝に、子猫を遊ばせておいたようだ。

本当は妻子と会う時間をもっと作れそうなのだか、私は、妻とコミュニケーションするのがわずらわしくて、忙しくて余裕がないと言い訳する。

気づいてみると、側溝の中には、子猫はいないようで、私は焦りはじめる。

*****

実はかなり長大な夢だったようだが、先程述べた、元妻との諍いのシーンが延々と続き、それをここでは再現不能だ。

ともかくしんどい夢だった。

起き上がった時点で、どうもこれは、昨日、「未来のミライ」を観た影響がまずは大きいなと思った。

映画の中には、猫が欲しいとねだる幼い頃の母親が出てくる。

(ついでに言えば、「天気の子」の方にも、猫がマスコットとして出てくるのだが)

「未来のミライ」には、愛犬も登場し、この愛犬は、物語の中で、非常に重要な役割を果たす。

このブログでは書かなかったが、実は、私は「天気の子」ではなくて、「未来のミライ」の方で、年甲斐もなく、涙をボロボロこぼしていた。

*****

妻子の登場は何を意味するのか。

以前も書いたと思うが、長男は今年で22歳、次男は成人のはずである。

でも、実際には4歳の時に別れたまま会ったことはないから、夢の中ではいつも4歳という設定でしか現れない。

自分から興信所を使って探したことはあるが、興信所は探り出したものの、妻の親権を理由に教えられない、でも成功報酬はいただくと言い出したので、私はキレて電話を切り、それ以来報酬は払っていないし、請求されてもいないことは以前書いたかと思う。

ユング的に言えば、私は夢の中で、自分の分身として妻子を置き去りにしていることになる。

「夢フォーカシング」の手順に沿って、妻子に「なってみる」・・・やはり私とホントは仲良くコミュニケーションを取りたいばかりか、一緒に暮らしたがっているようにも感じられた。

側溝の猫は?

私と妻子を結ぶ、絆のようなものという気もする。

私の「分身」としてとらえ、猫に「なってみる」と・・・以外にも、

「心配しないで欲しい。ボクは自由にやっていくから」

と訴えているようだ。

これには安心した。

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2021年7月10日 (土)

「入門フォーカシング」、贈呈者からの声

さて、拙書、「入門フォーカシング」(鳥影社)無料贈呈に対する、贈呈させていただいた方からの、感謝のメールが、ぼちぼちですが、届き始めていますので、いくつかご紹介いたします:

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久留米フォーカシングカンセリングルーム ○○○○○○様  

 暑い日が続きますが、先生におかれましては、お元気でお過ごしでしょう か。
 さて、先日連絡をしておりました、「入門フォーカシング」(2冊)が、本日、自宅に届きました。ありがとうございました。
 今日も、中学生を相手にクリアリング・ア・スペースを行ったのですが、彼女にも この本を手渡し、○○○先生の本を教材にして、何度かフォーカシングを行っていきたいと思っています。
 本来なら購入しなければいけないものを郵送代も支払っていただき、本当に感謝し ております。
 まだまだ、厳しい暑さが続きますが、お体に気をつけてお過ごしください。

K.N.

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○○○○○○様

 本日、入門フォーカシング、届きました。 素敵な本ですね。何よりも高齢者の私には、字が大きい! 嬉しいです。ゆっくり拝読させていただきます。
  札幌は、今日は清々しい天気となりました。本州では大雨のための災害が生じています が、そちらの地域はいかがですか。
 どうかご自愛ください。 ありがとうございました。

A.K.

===============

○○○様、 本日、届きました。
  大切に読み味わってみたいと思います。
  何から何まで、ほんとうにありがとうございました。

A.Y.

===============

○○○さま、 お世話になります。
 本日帰宅したら本が届いておりました。 さっそく読ませていただいておりますが、とても読みやすいです。
  友人にもお渡しし、フォーカシングの輪をひろめたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

C.N.

===============

○○○ 様、 お世話になっております。 ご本ありがとうございました。
  勉強させていただきます。
  初心者の友人の分もありがとうございました。
  フォーカシングの輪を広げていきたいと思います。
 また、どこかでお会いできましたら、ご指導のほど よろしくお願いします。

C.Y.

===============

○○○○○○様

名古屋のM.K.です。
お世話になっております。

「入門フォーカシング」、届きました。
ありがとうございました。

拝読させていただきます。
今後ともご指導のほど、
よろしくお願い申し上げます。

M.K.

********

 ○○○ 様

お世話になっております。
高知のDです。

書籍が無事に到着いたしました。

素敵なデザインの表紙ですね!
読むのが楽しみです。

高知のフォーカシング仲間にも
配らせていただきますね。

お忙しい中、
ありがとうございました。

T.D.

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 ○○○○○○さま
 「入門フォーカシング」早速お送りくださいましてありがとう
ございます。楽しみに読ませていただきます。
 このところ、九州やその他日本中で、大雨のニュースが聞かれ
ますが、そちらはいかがですか? どうぞご自愛ください。

F.C.

===============

 

なお、無料贈呈は、今後も継続してまいります。

kurumefocusing@mbr.nifty.com

まで、郵便番号、住所、お名前、希望冊数を明記して、ふるってご応募ください。

●久留米フォーカシング・カウンセリングルーム

2021年7月 2日 (金)

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」についての、カウンセラーの立場からの小考察(第2版)

この作品は、すでに観ている人が多いであろうし、その評価も定まっている。

ここであらすじについて今更紹介する必要もないであろう。

現在も、Neiflixに加入しさえすれば、いつでも観ることができる。


 

まず思ったのは、今、介護施設にいて、コロナ対策のため、完全面解禁止で、玄関で洗濯物の交換だけを棚でしている99歳の母親に宛てて、母親がこの世を去る前に、手紙を書きたいということだ。

でも、下手に書いてしまうと、母親が早死しそうで、ちょっと怖いのだが。

そんなに私の日常って変化はないし、繰り返して手紙を書こうとしても、書くネタはない。


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「愛している」という言葉は、特に日本人は軽々しく使う言葉ではないだろう。

この言葉の安売りは、逆にウソっぽく、安易に口にすべきではないし、他人からきかされても、警戒すべきことのように思う。

ましてや、母親にこの言葉で現段階で表現するのは非常にウソっぽい。

「感謝している」とかいう言い方でもまだウソくさいかな。

内観療法で、年代ごとに、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という3つのお題がある。

先日、「フォーカサーの集い」で、フォーカシングに内観療法を取り入れた分科会に参加した。

短時間であったが、「小学校3年生までに、自分にとって重要な人物について内観する」ことを課題として出されたが、不思議なもので、私の場合、父母など、身内ではなく、私をいじめからかばってくれ、「親友」と呼んでくれたクラスメートのことが想起された。それは意外だった。

私は現在でも亡き父と生きている母に「甘えて」いて、ひとりの他者として対象化できていないのかもしれない。


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この物語で登場する、自動手記人形=ドールという仕事は、ある意味で、カウンセラーとも少し似たところがあると感じた。

クライエントさんの気持ちを聴くにあたって、ただ額面どおりに鸚鵡返しにしているのでは駄目で、ある意味では、この物語でいう、「言葉の表と裏」を汲み取れねばならない。

かといって、「察した」気持ちを、そのままクライエントさんに返してしまうのも「侵入的」過ぎる。

このあたりの塩梅が難しいと思う。

自分の「気持ち」に気づくのは、クライエントさん自身が物語るなかで自然発生的になされるように寄り添う必要がある。

しかもそれが、クライエントさん自身のための「自閉的な」コトバではなく、他者(この物語で言えば、手紙の宛先の、『大事な』特定の誰か)に通じるコトバになる必要がある。

ある意味では非常に禁欲的な仕事である。自分の経験・物語を勝手にダブらせてはならないし。

でも、恐らく、カウンセラーが自分の気持ちに気づいてる程度に応じてしか、相手の気持ちを汲み取れるようにはならないと思う。

この物語で、ヴァイオレットは、自分を育ててくれた少佐の最後の言葉、「愛している」とは何なのかを知りたくて、自動手記人形の職を選ぶ。

それは、彼女自身の気持ちに気づいていくための旅路でもあるが、このTVシリーズでのエンディングの時点では、非常に控えめなものである。

しかし、それが自然な気がする。

********

・・・などと、上から目線でスミマセン。

********

最後に、不幸な事件によって、亡くなった皆様に、哀悼の意を捧げます。

そして、傷を負われた皆様と、その皆様を支えている方々の、こころ(と、ひょっとしたら身体にも?)に永遠に残る傷についても、その痛みを少しでも汲みとれればと思います。

********

【第2版で追記】: この作品を見終わったのは昨晩の10時頃。すぐにこのエントリーを書いた。

今(翌日5時)、悪夢にうなされて「これはいかん、目を覚ますしかない」と感じて目覚めた。

それはどうも、この作品を観たことがひとつの刺激になっているからだろう、と、ベッドから離れて立ち上がった瞬間に思った。

私は生涯に渡り背負わねばならない「十字架」がひとつある。

それが暴露されたら、スキャンダルになりかねないものである。

この点については、私はこのブロク上でも、一貫して、現実を隠し、私が被害者であるかのような書き方をしている。

それを私が知らせた時、亡き父は、電話の向こうで、私が生涯一度しか経験してことがないのだが、号泣した。

そのことでは、父に「迷惑をかけた」こと以外での何者ではもない。

このことについては、父に受け止めてもらえたことに「感謝」する次第である。

私はやはり、この物語でいう「火傷」を追っており、むしろそのことによって「燃えている」のだと思う。

それが私のこころを「燃えさせて」おり、永遠の「贖罪」への旅を、うながしているようにも思える。

引き続き、

●「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」Extra episodeと、劇場版第1作、「永遠と自動手記人形」観た
のエントリーもあります。

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手短な夢二題

私は、以前にも書いたように、仕事が午後から深夜なので、普段は、相当な昼夜逆転気味の生活を送っている。午前3時ぐらいまで起きているのはザラで、今日も12時過ぎまで寝てきた。

そうした中での夢二題(というか、連続した夢なのだが)。

*******

私は高校生(こればっか)。

私は自分のクラスの生徒達全員に、例の拙書「入門フォーカシング」を無料で配ることを許される。

結構評判がいいみたい。

すると、「他のクラスにも配るのでないと不平等だ」という意見がどこからか出る。

クラスは3クラス、各クラス40名(これは私の現実の中学時代と同じ)なので、一気に120冊ハケることとなる。

(これでは在庫が少なくなり過ぎるな・・・)

と、内心では思い始めている。

********

ここからは、ここまでと連続した、夢の後半。

*******

放課後になっって、窓から外をみると、雲行きが怪しい。

雨も少し降り始め、風も強くなり始めている。

台風が接近中だと感じる。

(これはまずいことになった)

と私は思う。

なぜなら、私の、ちょっとガラの悪いクラスメートからの紹介で、女性と都心で会うことになっていたから。そこまで行くには、私鉄で数駅、JRで更に数駅かかる。

実はその女性に会うことに私はそんなに気が乗ってはいない。

私は、その紹介をしてきたクラスメートに連絡を取ろうと思うが、あいにく携帯の番号を知らない。

私は駅に向かって歩き始める。

駅に着いたあたりで、やっとそのクラスメートと遭遇する。

「今後のこともあるから、電話番号教えてくれる?」

彼は何度もありあわせの紙に電話番号を書いてくれるのだか、悪筆でうまく読めないか、桁数がどうにも多すぎるのしか書かれていない。

私は「これでは読めない」と繰り返し書き直しを求める。

彼は、「もういい加減にしてくれないかな」と言い出す。

ここで少し場面は飛ぶ。

展開が何故か少し前の段階に戻る。駅には2つの改札口が、線路をはさんで、ある。

私が以前使っていたのは、踏切を渡っていく、遠い方の改札口。

しかし、それでは遠回りなとかなり以前に気づき、それ以降は、踏切を渡らなくていい、手前の改札口を利用していた。

ところが、今回はそれを忘れてしまい、勢いで、踏切を渡った側の改札口に向かう。

しかし、自動券売機にJR連絡の自動販売機がない。

私は焦る。

そこに一人の小さな少女もいて、私と同様に、「どうしてこっちにJRまで行ける券売機はないの!」、とイライラしている。

しかも、2つの改札口を直結する、地下の連絡通路はない。

私はもう一度改札口を出て、踏切を渡り、もうひとつの改札口まで回り込むのを面倒くさく感じていたが、少女にも、

「仕方ないよ。向こうの改札口まで行くしかない」

と、共に向かうことを呼びかける。

********

・・・夢はここで終わる。

「入門フォーカシング」をたくさん配れて、むしろそのことで在庫減少に不安を感じているというのは現実と逆。

Zoomによる「フォーカサーの集い」でアピールの場を与えてもらえたことにより、すでに十数名の方からメールで配送希望が届いていて、しかも3冊とか5冊とかを求めて来る人が多いので、すでに30冊ぐらいはハケることが決まっている。

実は、この程度のペースではないかと、厳しめに予想はしていたものの、もっと多くの人に注文して欲しいとは思っている。

なにしろ今度手渡しで配る機会は来年9月に沖縄で開かれるフォーカサーの集いまでないのだ。

施設に入所している母が、その頃まで、私が遠出もしても大丈夫なくらいに元気かどうかとなると、不安でもある。

夢の中の、そんなに気が乗らないけど、クラスメートが勝手に段取りをつけた女性というのは何を差すのかはわかりにくい。クラスメートが柄が悪いとはいえ、その女性もガラが悪いという印象では、なぜかなかったから。

自分の分身だとすると、どういう段階のアニマなのか。

あるいは、私が望まないような女性とも、今後実際に会えそうにないということなのか。夢の中に突如現れ、向かう側の改札口まで周りなおすのを面倒がっている少女というのは、私の分身だろう。

私が、「たとえ面倒でも、ここしばらく使っていた、従来の『路線』に戻ろうとしている・・・というのはなんとなくわかる。

焦っても、面倒そうでも、それは仕方がない。「連絡切符」は、そっちの方でしか発売していないようだし。

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2021年6月30日 (水)

学会の紛争に巻き込まれるのを躊躇しはじめる夢

さっきまで見ていた夢のこと。

私は夜になって東京の福祉関係のオープン参加の学会のようなものの会場の外の公園にいる。

何らかの理由で、私は学会の会場の大ホールの外にいる。連れの男のカウンセラーがひとりいる。時間は夜の10時。

どうも学会の大ホールでのパネルディスカッションのようのものが大荒れであったという情報が入ってくる。

すると、会場から出てきたと思われるカウンセラーが呼びかけをしているのに遭遇する。

「大ホールの会場でどんな紛争が繰り広げられていたか、教えてあげるから、一緒に来ないか?」

という誘いをかけてくる。

私と連れは、彼についていって話を聴こうかと歩きだすが、突然、連れが、次のように耳打ちしてくる:

「彼の話を聴くのはヤバいんじゃないか? 特定の派閥の偏った情報に巻き込まれる可能性がある。」

それでも2人は誘ってきた人と一緒にレストランに向かおうとするが、私は、

(待てよ。私は住んでいる八王子に帰るための終電に乗らねばならない。ここは地下鉄で渋谷から何駅か離れた場所だ。ここから京王線まで乗り換えて、八王子に帰るまでには30分ぐらいしかつきあえないな。・・・ま、それでもいいか)

ところが、レストランへの階段を登ろうとする時に、また新たに気づく。

(待てよ。今はコロナで終電が30分早くなっているはずだ・・・まあ、スマホの乗り換えソフトで調べればいいのだが)

******

夢はここで終わる。

何なんだ。この生々しい現実的な夢は。

・・・ここでふと思い浮かんだのは、先日までの日本フォーカシング協会の、ZOOMによる「フォーカサーの集い」が、紛争などとは正反対の、実に和やかな一体感のある、安心できるネットを通した集いであったこと。

ユングの言う、夢の「補償作用」で、無意識が、全く正反対の夢を観させることはよくあることだ。

古くからの知り合いで、ネットで実に何年かぶりに再開した先生たちは「あ、○○○さんじゃないか。久しぶりだね」と何人も声をかけてくれたし、「あの○○○せんせいですか?」と言い出す若い人もいた。

私は、わすれらているどころか、大歓迎されたのだ。

幸い、例の拙書、「入門・フォーカシング」の無料郵送頒布の件も、公式に主催者から広報してもらい、すでに何人もの方から申し込みのメールが届いている。

私の「復活」は、ささやかながら受け入れらているのだ。

この調子なら、来年沖縄で、今度はリアルに集まって開かれる予定の「フォーカサーの集い」でも、私は分科会を持ち、その時にこそ、私の本を参加者全員に直接配ることができるだろう。

そうなれば、私に直接フォーカシングの指導を受けたい人は急増し、収入も延びまくるだろう。

昔はフォーカシング協会内部にも紛争はあった。しかしそれは過去の話である。

私の著作は、決して偏向したひとりよがりな内容ではなく、すでに読んでくれた方の中には、「小学校の教材として使っているから。たくさん送ってくれ」と言い出す人すらいる始末。

ともかく私は現実とは正反対の夢を観たのだ。

もう、私は、時代に取り残された、「過去の人」ではない。

 

 

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2021年6月27日 (日)

日本フォーカシング協会のZOOMによる「フォーカサーの集い」、無事終了

2日目は私はまずは分科会、"Focuser as Teacher"のリーダーを務めました。滞りなく進めることができ、密度の高い出会いの場にできたようで、安心しました。

続いて、分科会、「3.11とフォーカシング」に出席。参加者の方は何らかの形で震災時にコミットされた方が多く、私はコメントを控えましたが、私の中には、Twitterで速報され、テレビで流される生中継の津波が襲いかかるさまを、呆然と「これが現実なのか」と観ていた時のことが思い起こされ、もう10年の月日がだっんだ・・・と感じさせられました。そして、そこから更に10年遡るころ、一人旅で、宮古から八戸まで、現在ではすでに廃止となっている観光船で、三陸の海岸と、結局は破壊された、あの田老地区の大防潮堤を観た時の記憶がよみがえりました。

最後の分科会、「ジェンドリンの哲学や仏教をからだで感じて語り合おう」に出席、田中秀男さんと土江正司さんをパネラーとするディスカッションを刺激的な場として共有しました。

そして閉会式では、主催者のご好意により。拙書「入門フォーカシング」の無料献呈のお知らせのPDFファイルを流していただき、感謝しております。

その際に頒布した、PDFファイルを、ここにもリンク張っておきます:

ダウンロード - e3808ce585a5e99680e38395e382a9e383bce382abe382b7e383b3e382b0e3808de784a1e69699e381a7e78caee59188e38197e381bee381992.pdf

 

3次元での、相手の息づかいも聞こえる、場を共有したリアルな場での参加ではありませんでしたが、私にとっては、他の参加者への余計な気遣いもいらない、楽しい場だったと思います。
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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。