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宗教

2021年10月22日 (金)

宇宙を覆い尽くすような超強大な竜に地球が汚染される夢

今朝の夢は、私が過去覚えていた範囲では一番スケールが大きい夢であった。

雲ひとつない、しかも天の川も見えそうなくらいに澄んだ夜空を、覆い尽くさんばかりの龍が、天の川の星々のような細かい粒状の光で現れる。

それをアメリカ(国連?)の空軍(宇宙軍?)の全部隊が迎撃に向かう。

しかし龍によって散り散りに粉砕されてしまう。

地上に龍の吐き出した薄茶色の茶色の粒が3センチほど降り積もる。

それには毒性があるといわれる。

家に中にいた人にはそのことに気づかないままの人もいる。

なぜかTV中継などはされていない様子である。

私はそれを(どうやってそうしたのかはよくわからないが)多くの人にふれて回る。

その中には、(亡き)父の住む部屋も含まれている。

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私の海外の師であるアン・ワイザー・コーネル女史が、"Treasure Map"(こころの宝探し)という技法を開発している(ネットで検索したら、韓国のバラエティ番組に同じタイトルのものがあるようですね)。

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私はこの技法にはそんなに関心がなかったが、この技法について直接アンさんから学んだ、今では日本のフォーカシング界の有力なトレーナーのひとり(私の教え子なのだが)が、アンさんが、「夢の中でドラゴンが出てきたら、どういう武器で戦うかを想像すべきだ」と教えたのに対して、彼は「東洋では、龍は神の化身ともされ、神聖視されるのだが」と答えたという。

実はこのエピソードを聴いた事自体が、この夢に反映している可能性があると思う。

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龍が空を飛ぶ神聖な存在であるという点では、少し古いものでは、「ネバーエンディング・ストーリー」を思い出す。だから別に龍の神聖化は別段東洋の独占物ではないはずである。

日本では、「まんが日本昔ばなし」のオープニングや、何といっても「千と千尋の神隠し」で著名だろう。

「龍」というと、私には反射的に、「竜とそばかすの姫」で、ネット上の仮想世界で悪役とされた竜が、(ネタバレだが)実は家庭内虐待児が真の姿であったのも思い出されるが、私の無意識の複合体(言葉本来の意味でのcomplexであり、アドラー的な「劣等感」という意味ではないユングの用語)に含まれているのかもしれない。

しかし私の夢に出てきた龍は、それらよりはるかに巨大なスケールである。

実は私は実際の天の川というものを、大学学生相談センター時代に研修合宿で行った、長野県白洲塩沢温泉の夜空でしか観たことはない。この地は、フォッサマグナの線上にあることでも知られているが、当時は携帯の圏外にある、秘境といっていいところであった。私達は自家用車の編隊を組んで、山を超えて数時間かけてたどりついた。

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この星を観ながら、子連れだった同僚の女性のカウンセラーに、「来年はお子さんを連れておいでになればいいのではないでしょうか?」と言われたのだが、実際にはその翌年、その日が来るわずか3日前に、妻は私と大げんかして、子どもたち二人を連れてそのまま家を出ていき、それ以来、連れて行くはずであった、当時4歳の長男とは会っていない。

いろいろ連想が広がるが、先日阿蘇山が噴火して、大きな石が降り注いだ地域もあるというニュース、そして、「宇宙からの襲来を迎え撃つ」という意味では、先日ひさしぶりに観た、「アルマゲドン」のことも連想される。

宇宙から降り注ぎ、降り積もる細かい粉のようなもの、というあたりは、旧約聖書に出てくる、約束の地を求めて移動しているユダヤの民のために神が与えたという、食べられる「マナ」というものを連想させもする。

いずれにしても、私の中では、この竜から地上にもたらされたものは、実は毒などではく、天からの施しものであり、祝福であることに人間は気づいていない・・・という気がする。

地球を覆い尽くす、目に見えないパンデミックといえば、当然コロナのことも連想させるが、もちろんこれを私は神の祝福などというつもりはない。しかし、宗教的な人の中には、神から人類に与えられた罰であり、警告であると吹聴している人々など(それがいいかどうかはともかく)いくらでもいるであろう。

・・・ここまでで私の連想は現状では目一杯だが、私がこうした現象を述べ伝える役割を夢の中で負っていることは、ちょっと畏れ多い気もする。

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実はこれに続くかのように別の夢を観ている。

私は「JR久留米駅」にいるのだが、どうもそれは私の子供時代に「夢の中で」再訪している、という「夢」なのだ(ややこしい)。

駅は、実際とはまるで違う構造で、ヨーロッパではありふれているターミナル(終着駅)方式である。日本では今やJRでは、ある程度以上の規模があるのは、上野駅と高松駅ぐらいだろう。

私鉄の終着駅にはありふれた構造であり、阪急梅田駅(2ヶ月前となりの阪急3番街で重要な知り合いと長時間食事を共にしている)、数年前までの東急渋谷駅(東京時代に私には親しみのある駅)、そして私の地元の西鉄福岡(天神)駅などいくつもある。

あと、自由連想的に出てくるのは、「ハリー・ポッター」シリーズでおなじみの、ロンドンのキングス・クロス駅である。

いずれにしても、我が地元のJR久留米駅が、私が子供の頃の「夢」の中では、そうした巨大なターミナル駅の構造をしているのが常識だったのを「夢」の中で再訪するという「夢」という入れ子構造になっている。

どうも、私の地元時代からの男の友達が同伴者となっているようだが誰だか不明。ユング的に言えば私の分身の「影」である可能性もあるが、フロイト的な夢の登場人物の「置き換え」の理論に基づけば、該当しそうな、わたしにとっての同年代の重要人物は容易に連想できる。ただしそれが誰かはここでは具体的には言及しないでおく。

その駅の壁に掲げられた時刻表がまた変わっていて、直接つなかっている都市への時刻や料金等が掲示されているのはわかるのだが、どういうわけか兵庫県の三田をはじめとする予想外の土地への、一日一回しか列車のない(ことになっている)表示も別々に、ホームの前ごとに、大きな掲示板で書かれている。

改札口がまた変わっている。卵型をしていて、表面は陶器で覆われているのがいくつも並んでいる。 しかもその通り道の間隔がやたらとゆったりしていて、駅職員の姿はない。

乗客たちは、自由に改札口を出たり入ったりして散策しており、私達も実際それを楽しんでいる。「夢」の中ではいつもそうだったよなあ・・・と思いながら。

これなど、現在の自動改札機の、切符をうまく入れなかったり、ICカードをうまくかざせねば一発シャットアウト!というのとは対極の構造である。

私の連想では、これは、いくつもの「別の世界」への「結界」を出入りすることができるということの暗示でもあるように思われる。

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以上、夢が短い割に長い解釈となったが、いずれにしても基本的には「吉調」の夢であると思う。

ただし、私にのしかかる責任は重大のようだ。

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2021年10月14日 (木)

マックス・ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の超解説

「職業としての政治」「職業としての学問」に続いて、ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの話題に戻ります。

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の訳者の大塚久雄先生の詳しく長い解題を読んでみたのですが、わかりやすく、かなり流れが掴めた感じです。

利潤を否定する禁欲的ピューリタニズムのエートス(「倫理(ethics)」というより、社会が共有する「倫理的雰囲気」、というのに納得)が、利益追求のヨーロッパ型「近代」資本主義を生み出したという「逆説」的問題提起こそこのウエーバーの著作のキモである・・と。

中世からのカトリック世界自体は、教会の権威に服すれば、あとはさほど禁欲を求めてはおらず、一部修道会の「内部」における倫理規範の厳守に過ぎなかった。

それを転換したのがルターの聖書ドイツ語訳の際に浮かび上がった"Beluf"という鍵概念。大塚氏以前の訳では単に「職業」と訳したが、大塚氏は新訳で「天職」と意訳。

ドイツ語の"Beluf"自体は日常語もいいところで、"profession"や"work"にあたるわけですが、確かにこれは聖書的には、通常「天命」と訳されると思います。

神様に命じられた使命をひたすらに果たすということになり、見返りを求めず職務への純粋な努力の傾注となるわけです。

これが修道院を超えて、一般社会での職業倫理となるのは、カルヴァン派の浸透した地域で、これがイギリスに渡りピューリタンとなる。これはブルジョアジーのみならず、労働者も共有する労働規範である。

この"Beluf"に基づく「行動的禁欲」による職務遂行は、「結果的に」多くの利益を生み出す。しかしカルヴァン派の資本家は浪費をしないので、それは新たな事業の開拓や投資活動へという拡大循環を生み出す。

時代を経るにつれて、この「倫理観」の方は形骸化し、労働と経済活動の遂行のみが残った時、利潤追求型の「近代」資本主義は肥大化していく。

ところが、この結果、ブルジョアジーも労働者も、職務に専心するというより、いわば「楽して稼ぐ」ことを目指すようになり、ここにマルクスの言う意味での資本家によるプロレタリアートの搾取の構造の基盤が築かれる。

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・・・本編を読んでもいないのに言うのもなんですが、何とわかりやすいんだ!!というところ。

ウェーバーの時代にはまだ完全に確立していませんでしたが、ここに更に、商品を植民地に売るという経済構造が、国内のブルジョアジーのみならすプロレタリアートを主要な消費者として対象とする現代消費社会と高福祉社会に突入する中で、当初は「イギリス病」ともいわれた職務怠慢主義の跋扈と経済の停滞となるわけですね。

あっさり要約できた(つもり)。

遠からず、ウエーバー自身の本文にもチャレンジしますが。

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大塚久雄先生は、本来イギリス近代経済史が専門で、「大塚学」と呼ばれる、マルクスとウェーバーの社会学の解釈で権威とのこと。

大塚先生の「社会科学の方法」も発掘。

一般向けの講演記録の新書版というには高度な内容で、何とか内容についていける感じです。

この新書のほうは、ウェーバー自体というより「大塚史観」の凝縮でしょうから、ブログではレビューは書きませんが、「社会学」が学問としてどうして成立可能かという主旨の本ですので、チャンレンジされてみるのもいいかと思います。

2021年10月13日 (水)

マックス・ウエーバー「職業としての学問」の今日的意味

先日、マックス・ウエーバーの「職業としての政治」の詳しい紹介を書き、かなりのアクセスをいただきましたので、同じような小冊子である、「職業としての学問」の方も、簡単なレビューを書いておこうと思います。

ドイツの伝統の「私講師」制度への理解(ドイツの学者の伝記みればごく普通に出てきますが)は前提でしょうが、「神なき時代」が訪れる中、しかも第1次世界大戦直後のドイツに彷彿とした、大衆レヴェルに及ぶ政治意識が高まり、学問の中に全能的存在を、教師の中に指導者の姿を求めるような期待感が生まれつつあった時代状況の中で書かれたものです(もとは講演)。

職業的学問探求の非政治性を求め(「価値からの自由の原則」というそうですね)、教師と学者と学生の政治参加を戒めています。

ある意味では学生運動に対しては批判的とも受け取れるし、日教組運動とかへの批判にも使えそうですが、同時に保守系の「御用学者」への批判としても使えそうです。

特に、学者や専門家の、ネットやTV出演等を通しての安易なアンガージュマン(政治や社会問題へのコミットメント。サルトルの用語)に警告を発する意味も読み取れそう。

うけ取りようによれば前近代的なのに、同時に、時代を超えたメッセージにもなりそうな論調に興味を覚えました。

教師も学者も学生も、余計なことは考えず、Shache(日々の仕事)に帰れというメッセージです。

私も、今回の眞子さまの件で、あくまでも専門家として「おかしな診断」と判断して、まずは複雑性PTSDの診断を受けた当事者へのセフティネットをネット上に形成するという「危機介入」を淡々とこなしただけで、ここから、まかり間違って、政治家への志向とか持たないほうがいいのでしょう。

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2021年9月10日 (金)

NHKEテレ、「視点・論点」、『イスラムと西欧の二十年』

同志社大学、内藤正典氏による。

10分間の短い番組だったが、非常に整理された内容だったと思う。

9.11の、ビン・ラディンらのアルカイダによるアメリカ同時多発テロをきっかけに、欧米諸国のアフガニスタン侵攻がはじまる。

これは「テロリズムとの戦争」と呼ばれ、イスラム住民への攻撃ではないとされた。

しかし、現実には多くのイスラム住民が殺された。

「テロリズムとの戦争」という概念は、弾圧の正当化となっていく。

チェニジア、エジプトなどで民主革命がおきるが、イスラムによる世直しをかかげる政党が圧勝。しかしそれらも軍部による掌握で倒される。

シリア・リビア・イエメンでは反政府勢力との激しい内戦となる。

シリアのアサドは「テロとの戦争」をかかげるが、反政府勢力の激しい反発を買い、ISの台頭となる。

シリア難民はまずはトルコ、それからギリシャ、そしてドイツへと流入する。

もともといたイスラム移民へも、テロリストでは?という懐疑がかけられるようになる。

ヨーロッパでは、反イスラム政党が台頭。

女性の服装など、イスラム教徒への規制が広まる。

これに応じて、ヨーロッパ諸国ではテロが頻発、ますます反イスラムへの機運が高まる。

アメリカのアフガニスタン撤退、タリバンによる新政府が樹立される。これにより、再びアフガニスタンから多くの難民が流出するであろう。

西欧はイスラム世界を見下してきた。

2つの文明世界には根本的な違いがあり、一方が他方を従属できるとはみなさないほうがいい。

「人権」概念そのものが違う。

タリバンは、西欧流の「民主主義」は通用しないと主張する。

内藤氏は、相手の話をきいた上で改善を求めること、「文明間の講和条約」を築くことだけが、唯一の共生の道であると訴えている。

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2021年9月 7日 (火)

とりあえずユングの「ヴォータン」読んだところ。

今、先日お約束した、「ヴォータン」所収の、ユングの「現在と未来」読んでますけど、「ヴォータン」をナチへの警鐘として読解しないのはやはり困難でしょう。ヒトラー名指しでの、ドイツの集合的無意識暴走への警鐘そのものだと思います。

むしろ1936年の時点で、隣国スイスでとは言え、このような評論を書くのは危険といっていいくらいかもしれません。小俣氏はどう曲解したのでしょうかね。

*****

ユングは、この論考を、

「水はいずれ堰を破るに違いない。その時はヴォータンが『ミーミルの頭と何を語る』かが明らかとなるであろう」

と結ぶのですが、

ユングが言わんとすることを理解するためには、「ミーミルの泉」「ミーミルの首」についての知識が必要です。

●【北欧神話ってどんなもの?】初心者でもよくわかる、北欧神話のあらすじと神々。

================引用はじめ==================

オーディン(北欧神話における、ゲルマン神話のヴォータンにあたる)が目をつけたのは、巨人の国へ伸びた大樹・ユグドラシルの根元にあるミーミルの泉でした。この泉の水を、口にするだけで優れた知恵や知識が授けられるという噂があったのです。

しかし泉を守る賢い巨人ミーミルは、オーディンに、泉の水を飲む対価として片方の目を差し出すように言います。オーディンは一瞬ひるむも、知識を得るためには安いものだと覚悟を決め、片目を差し出して泉の水を飲みます。その瞬間、オーディンの頭は膨大な知識で満たされるのでした。

片目と引き換えに知識を得たオーディンは、やがて「いつの日かアース神族は巨人族と戦い、世界とともに滅ぼされる運命にある」ことを予言します。滅びの日を回避できないと知った神々は、自らの運命を受け入れて戦への備えを始めます。オーディンもばらばらだった神々を組織化して協力体制を築いたり、戦力の増強を目的に勇敢な人間を集めたりと、戦の準備に余念がありませんでした。 

また、ファンタジー作品がお好きな方ならば、ルーン文字は一度でも耳にしたことがあるはず。実はこれも、オーディンが会得した知識です。ルーン文字のために、オーディンはユグドラシルの枝に縄を結んで自らの首を括り、9日もの間自分の身を生贄にしたのだとか。それも、自分が最高神であるため、生贄を捧げる相手が自分だったというのだから、驚きです。

==============引用終わり====================

ミーミル(ゲルマン神話におけるミーム)はオーディン(ヴォータン)の相談役なのですが、敵に首を切り落とされてしまいます。オーディンはその首だけを復活させ対話を続けます。

オーディンは、ミーミルのおかげで、知恵を獲得し、世界の未来を見通せるようになるのですが、そこで見いだされたのは、ラグナロック(世界の終末)でした。

ワーグナーの楽劇における、「神々の黄昏」ですね。

結局、ヴォータンは、世界を巻き添えに、自己破壊に至るのです。

ヒトラーは、意識的にはアーリア民族の世界制覇をめざしていたつもりでしょうが、実はアーリア民族、そして、他の民族も巻き添えにして、(自らの救済のために?)「自殺」をはかったようなものですね。

ユングは、「数十年後のことは予想できない」とことわってさっきのことを書いているわけですが、むしろヒトラー支配が「自滅」したあとの、世界の再生のことを見据えていた気がします。

それを、「ヒトラーは世界を制覇する希望の星」と近視眼的に読んでしまった人達がいるということですね。ゲルマン神話についての教養がないままに。

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2021年9月 5日 (日)

ユングとナチズムの関係。そこから話題を広げて、対話的心理療法に共通する「物語」化の役割について。

まずは、小俣 和一郎著:「精神医学とナチズム ―裁かれるユング、ハイデガー」に関する小レビューからはじめます。

本書におけるユングについての記述は認識が浅いと感じます。

いくらフロイトたちユダヤ人を亡命に追い込んだ後のドイツの「精神療法」の業界が、ナチ公認の「ユング派」に独占せれていたという事実があるにしても、ユング自身はそれと慎重に距離をとっていた可能性は、本書の記述を素直に読み解けば、むしろ見えて来る気がします。

「ユングはナチズムを支持している」というのはすべて外部の人間の発言で、本人の著作にはそうした言及はない。

唯一述べているのは、「アーリア的無意識はユダヤ的無意識よりポテンシャルが高い」ということを述べた論考ですが、これが性欲を強調するフロイト派に対する敵愾心から出た、「不用意な」発言というふうにむしろ読み取れます。

また、この著作の中で紹介された、「ヴォータン」という論考は、恐らく私がどの本かに収録されているのを実際読んだことがあります。

私は、「ドイツ民族の中で長い間眠っていた古代ゲルマン神話の神、ヴォータンが、死火山のように蘇って活動をはじめた」という記述を含むこの論考を、むしろナチズムへの警鐘の意味を込めたものという気がしながら読んだはずです。

更に言えば、ユングの言う「全体性」を「全体主義」と結びつけた小俣氏の論理展開は、そもそも小俣氏がユングのいう「全体性」概念を全然理解していないことを露呈している箇所でもあります。

人間の「自我(Ich)」(意識的自我)というのは「自己(Selbst)」のほんの一側面だけが認識されたものであり、いわば「自己」という太陽のまわりをまわる衛星のようなものに過ぎず、その他の側面は実は心のバランスを取る形で無意識下に「布置(constellation=星座)」されて、全体としては統合的に機能しているというのが、ユングの言う「全体性」の心理学ですから。

*******

私が思うには、ユングという人は、いったん理解してしまえは、非常に実用的な人間理解になる側面と、衒学的な側面の両方を持っています。

ユング個人がどれだけすぐれた臨床家であったかどうかはわかりませんが、現場臨床家にとって刺激的なパラダイムを提供したことは確かですし。個人的にはフロイト自身の著作より影響を受けたと思っています。

それに、フロイト自身も、この点では似たようなところがあり、自分が提唱した治療原則・・・これは今日に至るまで決定的な影響力を持っている・・・を現場ではいろいろと逸脱した人物であり、有名な症例にも脚色が多いことは、元患者の手記やインタービュー(狼男へのもの。オプフォルツアー「W氏との対話」は私も手短にですがレビューを書いています)などから今日では知られていますし。

非常に専門的になりますが、ネット上には以下のような資料もあります。

●フロイトと狼男(村井翔)

その1

その2

この「その2」の方に、

「神経症患者が、私はこれこれこういう経緯で目下の症状に苦しむようになったのだという病歴=患者の歴史・物語を語れるようになることは、直ちに症状を消滅させることはできないかもしれないが、症状を消し去れるようになるための、決定的なステップなのである。そして病歴=患者の歴史・物語とは、しょせん物語なのだから、真実であるにこしたことはないが、必ずしも真実でなくともよいことになる。」

と村井氏によって書かれていることは興味深い問題だと思います。

「物語化」という意味づけがその人を救済する。

これは多くの対話的心理療法に、流派を問わず(認知行動療法を含む)共通するテーマかと思います。

ここにはもちろん光と影の部分がありまして、新興宗教や占いでも、そうした「意味づけ」と「歴史」を与えられることが、少なくともとりあえずの救済になってしまう面があるわけで。

現在の最先端の現場では、一定の条件下での「ダイアローグ」という対話の過程における回復の可能性(精神病者を含む)というのが一番ホットなテーマです。

社会構成主義的な「ナラティブ」心理療法や「オープン・ダイアローグ」がこれにあたります。

・・・このことをいい出したら、これだけで一つの長大なエントリーが書けてしまいますが。

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なお、調べたところ、ユングの「ヴォータン」という論文は、現在では,

●ユング/現在と未来 (松代 洋一他訳 平凡社ライブラリー)

という本に納められているようです。

私はこの編書で読んだわけではありませんが、書評からみれば私が想定した内容のようですね。

これは安価で中古が出ているようですから、読んで(読み返して)みようと思います。

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2021年8月21日 (土)

若者に観てほしい映画5選。

いずれも古い、しかも長大な作品が多く、テンポ感もゆっくりで、最初はあくびが出そうな作品も多いでしょうが、歴史に残る名画には間違いありません。

 

●七人の侍

いわずと知れた黒澤明監督の作品、当然モノクロですが、欧米の映画にもものすごく影響を与えました。

野武士に繰り返し襲われる村人が7人の侍を雇い、すごく計略的なやり方で戦闘を挑む。

七人の侍が皆個性的なのもいい。

 

●羅生門

黒澤作品の時代劇の中で「七人の侍」より短いのをお望みの方はこの映画。

芥川龍之介の「藪の中」が原作。

 

●ベン・ハー

史劇スペクタクルの永遠の名作。

キリストの受難が描かれてもいる。

クライマックスの戦車競走のシーンも圧巻。

ハンセン病もテーマになっている。

 

 

●2001年宇宙の旅

すでにこのエントリーでもレビュー書きました。

 

●砂の器

松本清張の推理小説が原作ですが、ハンセン病に侵された父親と息子の放浪シーンが音楽にのせて圧巻。

2021年7月 4日 (日)

「おおかみこどもの雨と雪」に対する優れた評論について(第3版)

先日地上波テレビで放映されたばかりだが、その翌日、河野真太郎氏による、長文の評論がネット上に掲載された。

この批評そのものの要約的な紹介は、私の手に余るのでしないでおく。

すでに上のTwitter埋め込みで述べたように、「評論」とは、仮にひとつの「解釈」であり、「誤読」であったとしても、このような水準であるべきだと思う。

まず、この河野氏のレビューには、この作品を、守備一貫した思想性と構成を持つものとして読解させ、ひとつの完成された作品として理解「可能」であることを示してくれた点で、注目に値するものだった。

おそらく監督の細田守氏自身には、こうした意図を持って自覚的に作品を創造したわけではないであろうにしても。

ここでは私なりに論点を絞って、河野氏のレビューへの感想を述べたいと思う。

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河野氏は、おおかみ人間というのは、「差別」の対象であるということの象徴だと解釈する。

控えめに言って、主人公の花と、その彼氏で、二人の子供を設けることになるオオカミ男本人には、「本性を隠して生きないと、オオカミ人間は差別される」という意識が強くあったとは思える。

彼氏とその先達に、てっきりオオカミ人間であることを晒した時点で、ひどい目にあった経験があるのかもしれない。

私は、「差別」とは、本来同じ人格を有しているという点では全く対等な人間どうしが、民族・国家や肌の色、宗教、被差別部落のどの出自、経済的格差、政治的な立場、身体の構造や精神的障害、肉体的な力、があるかどうか、学力・学歴、性別、顔の容貌やファッションセンスなどによってものとされることであると考える。

「差別」とは、自分の許容できない「異物」に遭遇した時の、自分の方がフツーである、(あるいは「優秀]である)という認識の中から生じるものだと思う。

なるほど、「オオカミ人間」というのは、伝承やフィクションの世界の中で、人間に危害を加えてくる、恐ろしい存在であるという潜在的認識が人々の中に存在する。

ましてや、人間とオオカミが交わって生を受けたオオカミ人間など、「血的な純粋性」の点からしても、「けがわしい存在」ということになる。

一方、歴史上には、動物と交わって生まれた存在が、むしろひとつに「超人」的存在とした、崇めたて奉られることもある。チンギス・ハーンにおける、祖先はオオカミと交わって生まれた存在であるという伝承など典型であろう。しかし、人より能力のあるものも、差別の対象となり得る。

この物語の中で、実母に捨てられ、雪の両親と同様の「無縁社会」に放り出された転校生の草平が、雪を当初「獣臭い」と言い放つ。彼だけが見抜けたのだ。それが彼自身が疎外感と孤立の中に生きてきた存在であることから可能な「嗅覚」であろう。

(私は、この「獣臭い」という指摘は、思春期に入ろうとする女の子への、生理を始めとする事柄への、男の子の「嗅覚」であると解釈することも可能であろうと思う。)

雪は自分がおおかみ人間であることを最後にはカミングアウトすることによって、人間社会の中で生きていこうという決意を抱くことができた。

雨は、むしろ、人間共同体から疎外される、人間からみれば「影」の世界である、森と動物たちの世界で生きることを選ぶ。

このどちらかの「選択」を迫られるということは、ある意味で「残酷」ですらあある。

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私個人は、当初、この作品を見た時に、何か釈然としない思いをいだき、ラストシーンでも、さほど感動しなかった。

しかし、この河野氏の「解釈」によってやっと一本筋の通った理解ができるようになったと思う。

私は、これまでは、前作「サマーウォーズ」のほうが、ある意味で深みのない娯楽作品であるが、完成度は高いと考えていた。

「サマーウォーズ」は、ある意味で「深読み」をしなくとも、作品の自律性と完成度は高い。

興味深かったのは、他の登場人物の大半が、デジタルネット社会に順応して人との絆を結ぶ存在になっていたのに対して、一家を支えるおばあさんが、ネットを介してではなく、唯一、手紙とアナログ電話を通してコネを頼りに事態を打開しようとしている点への驚きであった。

「解釈」をしなくていい自立した完成度と言う点では、近年私が観たアニメーションの中で究極なのは、おととい紹介して手短な感想を述べた、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」くらいであろうか。

この「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品は、私が観てきたアニメの中で、一番秀逸なものであるという評価すら与えたいと思っている。

新海誠監督の最大のヒット作、「君の名は。」ですら、少し難解なところがあり、解釈によって「補完」させなばならない気がする。

その意味では、個人的には、「言の葉の庭」の方が、すべてを映像と物語が描き出せていて、無条件に好きな作品である。

でも、「解釈」の多様性の余地のある作品というのも、すばらしいと思う。

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なお、近日中に、新海誠監督の「天気の子」、細田守監督の「未来のミライ」についての感想も書く予定なので、お楽しみに。

 

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2021年6月27日 (日)

日本フォーカシング協会のZOOMによる「フォーカサーの集い」、無事終了

2日目は私はまずは分科会、"Focuser as Teacher"のリーダーを務めました。滞りなく進めることができ、密度の高い出会いの場にできたようで、安心しました。

続いて、分科会、「3.11とフォーカシング」に出席。参加者の方は何らかの形で震災時にコミットされた方が多く、私はコメントを控えましたが、私の中には、Twitterで速報され、テレビで流される生中継の津波が襲いかかるさまを、呆然と「これが現実なのか」と観ていた時のことが思い起こされ、もう10年の月日がだっんだ・・・と感じさせられました。そして、そこから更に10年遡るころ、一人旅で、宮古から八戸まで、現在ではすでに廃止となっている観光船で、三陸の海岸と、結局は破壊された、あの田老地区の大防潮堤を観た時の記憶がよみがえりました。

最後の分科会、「ジェンドリンの哲学や仏教をからだで感じて語り合おう」に出席、田中秀男さんと土江正司さんをパネラーとするディスカッションを刺激的な場として共有しました。

そして閉会式では、主催者のご好意により。拙書「入門フォーカシング」の無料献呈のお知らせのPDFファイルを流していただき、感謝しております。

その際に頒布した、PDFファイルを、ここにもリンク張っておきます:

ダウンロード - e3808ce585a5e99680e38395e382a9e383bce382abe382b7e383b3e382b0e3808de784a1e69699e381a7e78caee59188e38197e381bee381992.pdf

 

3次元での、相手の息づかいも聞こえる、場を共有したリアルな場での参加ではありませんでしたが、私にとっては、他の参加者への余計な気遣いもいらない、楽しい場だったと思います。
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ひとりの少女と共に見知らぬ街に旅立つ夢

また、さっきまでみていた夢のことを書きます。

日本フォーカシング協会主催の「フォーカサーの集い」1日目を終え、クレンペラー指揮によるマーラーの交響曲「大地の歌」を聴きながら、少し疲れて横になっていたら、みた夢です。

*********

高校生ぐらいの私服の少女がいます。

少女は、自分の住む田舎が嫌になって、飛び出して、あてもなく道をたどり、さまよい続けます。

(私は当初、それを映画の展開として観ているような感じでいたのですが、途中から、彼女の実際の同行者となっていたようです)

彼女がどんどん先に歩いていくのを、私はついて行くのがやっとです。

彼女はいろんな分かれ道を適当に選んで進んでいきますが、丘の上から、遠くに街の景色が見えてきます。

その街は、さながら砂漠の中のオアシスのようです。何か西部劇の中に出てくる街のようでもあります。

そこまでたどりつくには、かなり大回りして、坂を下って行かなければなりませんでした。

実際に街に行ってみると、そこには鉄道がありますが、「この線路はすでに廃線になっているようだ」とわかります。

その踏切を渡ってしばらく進むうちに、何か神社のような・・・いや、まるで「千と千尋の神隠し」の湯殿のような木造の建物のなかにいつの間にか入っています。

そこに、少女よりは少し歳上の、薄汚れた、白い着物を無造作に着て、兵隊帽を被っている少年がいて、何かあわただしく動き回って、木造の部屋の中のあちこちにある、いろんな装置(てこのようなものとか)をいじっています。

いろいろいじるのですが、彼が期待しているようには動かず、難渋しているようです。

今思えば、その少年は、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」の中に出てくる科学者のようでもあります。彼は、何かの使命感に取り憑かれてたかように焦っている様子なのですが。

少女はそれに参加しているのか、ただ見つめているだけなのかとなると、ちょっと記憶が曖昧ですが。

ただ、少女は突然、

「これって、庵野秀明監督が作った、『式神』の展開に似ていないかしら?」

と言い出します。

私は「式神」を観ていないのですが、

「そうかもしれないね。どこか宗教的な儀式のようだし、ひとりよがりな展開で、ウケも悪かったしね」

と、自分の得ていた最低限の情報に基づき、「知ったかぶり」だなあと思いつつ、同意を示します。

  • 【追記】:おっと、庵野さんの映画は「式日」でしたね。でも現実の私が勘違いしていたのですから、夢の中の少女も勘違いしていたということでいいのだと思います。

******

夢はここで終わり、目が醒めました。

・・・調べてみましたが、式神というのは「陰陽師が使役する鬼神のことで、人心から起こる悪行や善行を見定める役を務めるもの」(Wikipedia)とのことすね。

庵野さんの「式神」は、薄汚れた都会(庵野監督の生まれ故郷の山口県宇部市)の風景を映しながら、延々と男と少女の女の対話が続く、レビュアーによっては結構退屈な作品と感じたり、凄いと感じる人もあるらしい。

映画監督としての方向性を見失い、故郷に勝帰っての男女の出会いの話だとか。

少女は、複雑な家庭環境が嫌で、家出した少女とのこと(何か夢の展開と妙に一致する)。

私には、夢の後継が、私の敬愛する映画、ロードムービーの傑作である、ヴェンダース監督の代表作、「パリ、テキサス」にも似た雰囲気があるようにも思えてきた。延々と砂漠の中の道を車で突っ走るからね。

・・・恐らく、夢の中の少女も、少年も、私の分身であろう。

あてどもなく彷徨い、どこかにたどり着くのを求めている。

何とかしようと、何ともしれないものを、色々弄り回しながら、焦っている。

この夢の続きはどうなるのであろう?

少年と少女は交流を結ぶようになるのか?

・・・いや、少女は、少年の傍観者のままでいると思う。

これはマズいことのようにも思える。

・・・いや、むしろこのまま、私の中の少女の部分は、私の中の少年の、「傍観者」のままでいいのかな?

そんな気がする。

ちなみに、夢の中の私と同じように、私も、半可通の情報ををもとに背伸びする、「知ったかぶり」な面と、愚直なまでに自分の体験からしかものを言わない面が、両方あるように、思う。

あと、少年が「てこのようなものをあちこち探し回っている」という点からは、中島みゆきの夜会、「24時着00時発」も思い起こされまます。

 

 

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。