ゲームライブ発信者、うどんさんのご紹介
ゲーム系Youtuberといえばうどんさんである。プロのゲームライターで、妻子持ちなのに一日4本ぐらいライブ配信の連載をしている。
うどんさんは何よりKOEI「三國志」の発信者として知られる。
うどんさんの「栄冠ナイン」の発信は、現実の野球中継にハラハラするように毎晩手に汗握った。
うどんさんの「ウイニングポスト」配信は、私にリアル競馬について調べるきっかけとなり「ウマ娘」にスンナリ入れるきっかけとなった。
ゲーム系Youtuberといえばうどんさんである。プロのゲームライターで、妻子持ちなのに一日4本ぐらいライブ配信の連載をしている。
うどんさんは何よりKOEI「三國志」の発信者として知られる。
うどんさんの「栄冠ナイン」の発信は、現実の野球中継にハラハラするように毎晩手に汗握った。
うどんさんの「ウイニングポスト」配信は、私にリアル競馬について調べるきっかけとなり「ウマ娘」にスンナリ入れるきっかけとなった。
前回の続きである。
たいへん読みやすい本なので、残りの3分の2を2時間あまりで一気読みできてしまった。
前にも書いたが「通史」として読むと頭の整理がつくが、実は私にとって目新しいことは何も書いてないに等しいのである。
内容は、精神疾患におけ神経伝達物質仮説がとこまで信頼でき、どこからが曖昧かという方向に進みます。具体的に言えば、統合失調症のドーパミン・セロトニン仮説と躁うつ病におぇるセロトニン・ノルアドレナリン仮説です。
実はこれらの仮説に基づいて作られた薬は60%ぐらいの人にしか効かないことが提起されます。
そして、原因が脳の「機能的」変化だけではなくて「器質的」特性に期起源をもったり、実際に「器質的変化」が環境因や薬そのものによって引き起こされる可能性について(海馬の萎縮とか)。
DSM(アメリカ精神医学会診断基準)の成立過程で、精神分析などの力動心理学と薬物療法を中心とする精神科医がどう折り合って来たのかとか、その「政治的」側面も。
大規模精神病院への長期入院の経済的コストを軽減する目的での薬物療法の推進。
製薬会社のプロモーションにどれだけ精神科医が依存しているか、一般大衆が感化されているか。
学会のスポンサーとしての製薬会社の影響力の強さ。(私自身てんかんと自閉症についての国際学会でしたが、実際出てみてどれだけ製薬会社のバックアップが大きいかに驚きました)
心理療法と薬物療法、両陣営の間での確執。特にアメリカでの保険適用における薬物療法の優位性の問題について。
心理朗報に関しては、ロジャーズのことも出て来ますし、認知行動療法や行動療法、対人関係療法の効果についても出て来ます。
そうそう、ADHDとリタリンのことも出てきますよ。
いずれにしても、筆者のスタンスは、決して薬物療法批判ではなくて、中立的な見地からその限界について問題提起しようとしているものです。
訳者も進めているけど、臨床心理士さんも読んで得るものがあると思います。
やっとこちらで書いた予告の約束を果たせる時が来た。
この著作は、少なくとも精神科で使われる薬の処方について最低限の入門的知識とそれに関わるとされる神経伝達物質仮説についてのこれまた入門的知識(統合失調症、躁うつ病、うつ病、不安神経症だけでいい)を持っている人にとっては、非常に興味深く、かつ実に読みやすい本だと思う。
それこそ、最初の統合失調症薬がクロルプロマジンやハロペリドールであり、躁うつ病の最初の薬がリーマス(炭酸リチウム)であることを知っていればいいというレヴェルである。
訳もいいのだと思うが、恐らく原文そのものがいたって読みやすいものなのではなかろうか。
本書の前半は、そうした薬が、ほとんど偶然に発見され、素朴なまでの臨床適用が実験的に進められ、普及するまでの歴史についての、実にわかりやすい通史となっている。
そして、精神医学的症状が、脳内の神経伝達物質のバランスである、という今日主流となっている仮説となる経緯についも、実に見通しがいい解説がなされている。
そして、黎明期の製薬会社の宣伝の在り方についても。
これらの内容は、私にとっては何ら新奇なものではなく、少なくとも断片のつなぎあわせとしてはたいてい知っていた事柄だが、こうやって「通史」として読めるとなると、実にいい頭の整理となる。
筆者は長年精神科薬物の脳化学的機序についての研究に取り組んできた人であり、単純に薬物療法を否定するために書いているわけではないことは言い添えておきたい。
中盤以降を読むのが楽しみである。
続きはこちら。
現在東京都美術館で、「クリムト展 ウィーンと日本 1900 Gustav Klimt: Vienna – Japan 1900」展が開かれているそうですね。
( ↑ 展覧会公式画像。「ユディト」)
私も東京時代にクリムト展は観にいきましたよ。
あの「金色」との対比の中で浮かびあがる人物像は、完全に自然光の反射を計算づくで取り入れたもので、実物をみないとその核心に迫れません。複製では駄目。
会場の照明がどうなっているかが成否を分けそう。ライトで照らしたりしたら最悪。
私が観た時の展示は、どこの美術館かは忘れましたが、自然光の入るオープン・スペース中心でした。
クリムトは父親がボヘミア人なので、少し東欧系の香りが融合されています。美しくて、そんなに退廃的とは感じませんでした。
確か同じようにボヘミアの血も流れている同時代の作曲家・指揮者マーラーとも相性が良かったようです(どこかでほとんど「関係者」だったはず)。
クリムトはベートーヴェン・フリーズで有名ですか、
(部分)
CDでマーラーの交響曲全集の各表紙をクリムトでまとめたのはクーベリックだったかな(クーベリックは生粋のチェコ人)。
*****
一転して、ノルウェーの画家、ムンクのことを書きましょう。
私は2回ムンク展に行ったことがあります。
「叫び」があまりにも有名で、独り歩きをしていますが、ここで「叫んで」いるのは真ん中の人物ではない。
実際にムンク展(一回目)に行った時に、カンバスの裏に回って目に入ってきたのですが、ドイツ語で、確か、
"Ich hörte die Welt weinen."
とありました。
「世界が叫んでいるのを私は聴いている」
なんですよね。
耳を抑えているとも、聴いているとも受け取れる構図にはそういう意図があります。
実は「叫び」の絵はムンクは大小取り合わせて数枚、同じ構図で描いています。
一回目の展覧会は、オスロ美術館からムンクの全作品を借り受けたもので、全部揃っていました。
晩年の作品は、ほとんど殴り書きの未完成なものが多く、ムンクの精神荒廃(統合失調症?)がうかがえます。
・・・それはそれとして、私が好きなムンクの絵に、「思春期」と題するものがあります。
これは少女の初潮をあらわしたものと言われています。ベッドのシーツに赤いしみのようなものがありますよね。
後ろの黒い影が、まるで魂が抜けだしているかのようで、気になりますが、ムンクは多くの絵にこういう「影」をつけます。
この絵は一回目のムンク展のチケットに印刷されていまして、私はパスケースに入れていつも大事に、お守りのように持ち歩いていました。
エリオット S.ヴァレンスタイン の 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構 を Amazon でチェック! https://t.co/NioHwyG4c9 @さんから ・・・いつの間にかこの本をかっていたのか今回の部屋の整理でみつかった、内容に関係なく読んでみたいな。ああ、どんどん宿題を増やしていく。#精神医学
— chitose (@kasega1960) 2019年6月17日
【追伸】:やっとこちらで書き始めました。
天井まで積んだ段ボールの山を業者が取り払った向こう側からこんなものが「発掘」された。
成績表で残っているのはこれのみです。
高校は西南学院高校で、当時は公立の修猷館に落ちた人間のたまり場でした。
クリックすれば大きくなります。
すでにいろんなレビューを読んでしまって観たので、私なりの言葉がなかなか思い浮かばないが、実に完成度の高い映画だ。
エンドロールにこの作品に登場している本人の写真が次々現れるが、役者はそっくりさんばかりをよくもまあ集めたものだと思う。
これで監督さんが事実上降板した状態で作られたというのは、ハリウッドの最大公約数の実力を思い知らされる。
私にとって、ロックバンドの中で2番目に好きなのがクイーンで、オリジナルアルバム盤は手を出さない域ではあるものの、よく聴いている。だからこの映画で使われた域の曲は皆知っている。
(1番目はビートルズで、これは全アルバム、Past Mastersを繰り返して聴いている。3番目はリック・ウェイクマン・・・イエスではなくね)
ライブエイドの再現は、フレディのピアノの上に置かれたペフシ・コーラの位置や水位までこだわっているらしいですね。
ちなみに私のAVアンプはこの機種です。ドルビーサラウンド可能ですが、私は2chでとりあえす満足しています。
皇位継承の儀式も一通り終わり、憲法記念日関連の自民対リベラルの論争もTwitter上では下火になったので、そろそろインプットが必要かと思い、休みもまだ1日あるし、ここで私の好きな南北朝時代の本でも読んでみようかと思って一冊Kindleで購入したばかり。
これを読んだ感想は追い追いここで追記したいが、その前に、NHK大河ドラマ「太平記」について少し触れてみたいと思う。
NHKで毎年のように過去の大河ドラマランキングの番組をやるが、その際に未だに必ずと言っていいほど上位ランキングされるのがこのドラマである。最高視聴率34%。1991年だからもう30年前の作品なのに。
一連の大河ドラマでこの時代を扱ったのはこれ一作のみ。さすがに皇国史観から自由になったのでそろそろいいだろうとう題材でもあったのだろう。
主人公はあくまでも足利尊氏(真田広之)である。後醍醐天皇は歌舞伎役者の片岡孝夫、尊氏の弟の直義は高嶋正伸、新田義貞が萩原健一→根津甚八、まるで金八先生またいな楠木正成が武田鉄矢、高師直が梶本明、北畠親房がなんと後藤久美子l バサラ大名佐々木道誉が陣内孝則。北条高時は片岡鶴太郎、歴史上の人物ではない花夜叉が樋口可南子、猿(ましら)の石が柳葉敏郎・・・というあたりが印象に残っている。
特に第22話「鎌倉炎上」が傑作とされる。個人的には結局尊氏が弟である直義を毒殺してしまう際の高嶋政伸の感極まった演技が印象に残っている。
私はどちらかというと南朝贔屓だが、足利尊氏という、意外と軟弱な人間にも興味深さを覚えている。
南朝方は九州でも活躍した。西鉄宮の陣駅や大刀洗町の由来でもある、日本三大合戦の一つ、数万の兵力がぶつかり合った「筑後川の戦い」の地元に住んでいることもあるが、確かこのドラマでは一切触れられていなかった。
・・・以上、とりあえずの覚え書き。
このエントリーで、森茂暁著、「太平記の群像 -南北朝を駆け抜けた人々-」(角川ソフィア文庫)を読了した時点で増補していきたい。
【最初の追記】:読みだして15%ぐらいですが、この本が要求する南北朝時代についての「常識」水準はすごーく高いです。歴史の流れの大筋は知ってることが前提。歯ごたえ十分。
歴史の流れではなく、人について述べていく感じで、歴史の流れは平然と行ったり来たりする。
著名な人について結構流されているのにあまり有名でない人についてやたらと詳しい。Wikipediaレヴェルではとても追いつきません。
太平記原典をさらに補充する水準で、「学術書」です。
これがKindleで300円台というのは凄い。
私の水準は、もう手元にはないけど「日本の歴史〈9〉南北朝の動乱」 (中公文庫)が大好きでした。
【第2版での追記】:ただいま66%。森茂暁先生、ホント、南北朝を「専攻」とする研究者のようです。私が紹介した「日本の歴史」シリーズの9巻めを読まないまま読まないでください。決していきなり読んでは駄目です。
恐ろしいまでに入門者に不親切な著作。ともかく時間の流れが追えないのですよ。
徹底的な史料主義で、「太平記」以外の書物どころか、歴史上の登場人物「直筆」の書状を一人当たり何十枚、何百枚も集めて実証的に照合している。引用は全部古文のままです。
この本は特にそれを狙っているのでしょうが、歴史上の人物が実際には何をしたか、どういう人物かの「証明」に全力を注ぎ込んでいる。ドラマチックな要素皆無。良きにつけ悪しきにつけ「大局観」というものはありません。
なお、「 征西将軍宮懐良・菊池武光の軍が少弐頼尚を破った筑後川の戦い( 大保原〈 福岡県 小郡市)の戦い」という叙述があります。
【第3版での追記】:読み通してみると、ホントに前提としている南北朝時代についての理解水準は高い。さながら太平記のごとく雑然とした印象もある。史料にふりまわされている気もする。戦記物としてのわくわく感は皆無。繰り返すが、絶対最初に読んではいけない。
なお、文庫版のあとがきによればこの本は平成3年に出版されており、NHKドラマ「太平記」放送ブームより前である。
私は1960年(昭和35年)9月に生まれた。
天皇陛下(浩宮様)は2月という早生まれなので、学年はひとつ私の方が下だが、上皇様(当時の皇太子殿下)ご成婚の日にあやかり結婚した親は、私の本名に「浩」の字を入れるばかりか、小学館の学習雑誌を1年繰り上げて買ってくるのだった。
「ひろのみやさまもしょうがくせい」というタイトルで、宮様のイラストが大きく書かれていたのが記憶にある。
・・・というわけで「なるちゃん」のご即位には格別な感慨もあるのだが。
それはそうと、私は「令和」という新元号が好きではない。
「令」の字が肉筆では結構書きづらいというのもあるが、英訳して"beautiful harmony"というのはちょっと苦しいのではないか?
首相は、万葉集について「幅広い階層の人が読んだ歌が収められており、豊かな文化と伝統を象徴している国書である」と話しています。
なるほど、
万葉集の大伴旅人の序文には、
天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披く、蘭は珮後の香を薫す。しかのみにあらず、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾く、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封ぢらえて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。
「春の訪れを告げ、
見事に咲き誇る梅の花のように
一人ひとりが明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かせることができる、
そうした日本でありたいとの願いを込め、決定した。」
まるで「世界にひとつだけの花」みたいだが、よくここまで解釈できたというべきだろうか。
私が現代語的に素朴に理解しようとすると、誰かが「命令」して、国民は場の空気を読んでみんなで一緒について行く・・・みたいな感じで、一つ間違うと、この先の日本が再び再軍備の道を歩み出してもいい・・・みたいな。
しかも結局、選考の際に安倍総理が「令和」で押し切ったというのが真相らしいと知るとなおさらのことである。
私はこの人が「美しい」という言葉を使うと虫唾が走るのだが。
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりが、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。新しい令和の時代が、皆様一人ひとりにとって、実り多き、素晴らしい時代となることを、心から祈念しております。 pic.twitter.com/GMAHGGIKh3
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) 2019年5月1日
安倍晋三は「令和」の原典とした『万葉集』について「天皇や貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化を象徴する国書」などと述べたが、当時の権力者が農民を強制的に兵士にしたのが防人であり、その悲しみ苦しみが詠まれていることも知らないのか?
— きっこ (@kikko_no_blog) 2019年5月1日
「令和」
— 但馬問屋 (@wanpakutenshi) 2019年5月2日
“巧言令色鮮し仁”
言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ。 https://t.co/kfvEPhPLqq
しかし、その安倍総理が気に入ってゴリ押しした「令和」の語源が、万葉集のその一句の原典の、「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦)の「張衡が安帝に召されたが、安帝が愚かで政治腐敗がひどく、嫌気がさして田舎に帰りたい」とは・・・ https://t.co/1dQxnusUpT
— 箱入り老人 (@midnighthistory) 2019年5月2日
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