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育児

2021年8月13日 (金)

「シン・エヴァンゲリオン」-理想化された女性像との訣別- 【ネタバレ・解釈全開注意】(第2版)

Amazon Prime Videoの8月13日零時公開と同じ時間に観始めた。

トラフィックが混雑してつながらないのではないかとか、画質が落ちるのではないという杞憂は必要なかった。

それにしても、ごく最近まで一部の映画館では上映していて、ブルーレイ発売前、追加料金不要というのは太っ腹である。

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私はTVシリーズから、いわゆる「旧劇場版」封切り後一ヶ月ぐらい発売に間に合わせる形で、「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮-」を書かせていただいた。

私がエヴァをきっかけに完全な一般女性とネット婚した直後の1997年(36歳)のことである。当然子供はまだいなかった。

当時流行った謎解き本とは一線を画し、実際に映像を観なくても、旧劇を含めた作品の全体像がつかめるという本だったが、旧劇がすでに終わっていたせいか、そんなに印税は稼げていなかった。

むしろ、今回とりあげる「シン・エヴァンゲリオン」効果か、勘違いして(?)買ってくださる方もいるようで、つい一週間前に入金された最新の印税は、ささやかなものだが、前年を大幅に上回っていた。感謝。

劇場版「序」は、封切り時に、まだ故郷に引っ越す前の横浜で観ている。2007年だから、今60歳の私が46歳頃だったことになる。はやいものだ。

「序」は、TVシリーズ第6話までの内容を背景美術を精細化したものに置き換えることを中心にクオリティ・アップして総集編とし、オリジナルの伏線は最小限控えめに添えられた程度だったから、「TVシリーズの大詰めにあたる部分まではこんな調子でクオリティ・アップで進めるのか」とも想像し、「ま、こんなものかな」という印象。

エンディングの宇多田ヒカルの"Beautiful World"はホントよかったが。

「破」(2009年)は確かレンタルで観たと思う。

これは、TVシリーズを大胆に脚色し、作画も全面新作、新キャラ、マリも登場。マリはそんなに活躍しなかったが、新作だからという以外に意図はつかめなかった。

しかし、クライマックスをトウジとの対決からアスカとの対決に置き換え、更に使命感あふれるシンジくんへの劇的覚醒まで、新鮮な形で描いてくれて、私は随分感動した。

ところが、「Q」(2012年)になって、困り果ててしまった。これは地上波テレビ放映まで待った。

物語は14年経過し、ミサトとリツコはネルフとは別組織を立ち上げて変ちくりんな戦艦に乗っているわ、シンジとアスカとマリは齢をとらないままだったりして、シンジは全く受け身で引きこもりに近く、結局無理やりエヴァに乗せられるだけ。

いったいこの劇場版は、次の完結編で、どうやっていったん広げた風呂敷をたたむのだろうかと見当がつかない状態。

これで観客動員数だけは最高とれたみたいだからいよいよわけがわからん。

******

それから実に9年後に、今回の、完結編としての「シン・エヴァンゲリオン」が公開されたわけだが、評判がいいのは知っていた。

でも、あまり先入観は持ちたくないので、「レイがなぜか農作業している」画像を観たくらいで、Youtubeに公式に上がっているであろうPVについてすら禁欲していた。

さて、本日、思っていたよりずっと早く観ることができたわけだが、これからこってりと作品の解説をし、考察を、主に心理学的観点から書きたいと思う。

一回観て、時々は巻き戻しながらだが、大まかに、どんどんセリフを引用し、展開も書いてしまい、私なりの解釈も差し挟むので、そのつもりで、読みたい人だけ以下を読んで欲しい。

あまりSF的考証には興味がないので省略している。

*****

冒頭の10分以上の激しい戦闘シーンの後、舞台は一変。

新所原の、まるで1960年前後を思わせる、開拓農村に舞台を移す。

ここに"Q"ラストでアスカに引きずられていたシンジくんと「かつて綾波レイと呼ばれていたもの」はたどり着く。

トウジが生きていて医者とは思わなかった。妻は「委員長」なわけで。

二人には生まれてまもない赤子がいる。

ケンスケもいるが、ミサトやリツコの組織に所属しているようである。

そして二人は、シンジやアスカと異なり、年齢を重ねて大人になっている。

レイは、もはや以前のレイとは別の個体で、名前もなく、「そっくりさん」と呼ばれている。

あいさつや授乳やネコなどについてすら知識や経験がなく「・・・て何?」と質問してばかりの、無垢そのものレイは、ともかくカワイイ。

シンジは、冒頭から40分間、全く何もセリフがない。

食べ物も食べない。

アスカは、

「どうせ生きたくもないし、死にたくもないだけなんだから」

と突き放すだけ。

アスカの首に、カヲルと同じ、DSSチョーカーという「首切り」ベルトがあるのを見ると、シンジは嘔吐するばかりである。

それでもアスカに人工食料を口にねじ込まれる。

この後、シンジは、廃墟の湖畔まで家出を繰り返すようになるが、アスカは影で見守っている。

レイは、住民の農業にいそしむようになり、地域に完全に溶け込む。

・・・この、田舎でのくだけた日常生活のじっくりとした描写は、従来の人工都市中心の舞台とは全く異なるものであり、この8年間での庵野さんの心境の変化はあまりあると思う。

あたりまえの「生活」をすること、「労働」をすることを描かずにおれない・・・などということをいうだけでは、陳腐になるが。

確か元「委員長」のセリフだったと思うが、

「毎日が今日と同じでいい」

というのが印象的である。

アスカの方は、「私はここを守ることが仕事なの」と言って、それ以外の労働はしない。

「そっくりさん」は、「名前ぐらい自分でつけたら」と住民に言われるが、シンジに名付けを頼む。

シンジは、当初「考えておく」と応えるのみだったが、その後、「やはり綾波と呼ぶしかない」と告げる。

再び綾波がシンジの前に姿を現した時は、ある決断を胸に秘めていた・・・・

いずれにしても、シンジの心境と行動の変化が、全く自然に描かれていると思う。

*****

途中で忽然と書いておくが、今回の作品において、庵野さんは、この「エヴァ」という物語を非常に「客観視」する境地に達していると思う。

TVシリーズの時点では、庵野さんはシンジに同一化し、ゲンドウを実は「理解を超えた父親像」あるいは「大人像」として作品を作っていたのではないか。

庵野さんは私と同じ1960年生まれ、今年すでに61歳を迎えている。

奥さんもとっくにいる。私が調べた限りでは、子供はいない様子だが、結婚が早ければすでに孫がいてもおかしくない年齢である。

私自身、そこそこ晩婚な方だったと思うが、離婚し、それ以来住所不明の長男は確か22歳、次男は20歳である。

恐らく、庵野さんは、シンジの父親、ゲンドウの、少なくともTVシリーズ当時の設定よりは、かなり年長に実際になってしまっているはずである。

後で具体的に述べるが、実はこの点が、登場人物心理の描き方に大きく影響を与えていると思う。

この映画は、詳しくは後述するように、あくまでもエヴァという作品を(少なくとも新劇場版「序」から)追いかけてきた人間を対象として制作されていると思うし、いわゆる「厨二病」から脱しているように思われるのが興味深い。

「Q」なんて、恐ろしく「閉じた」世界の「厨二病」そのものではなかったか。

*****

さて、舞台は大気圏外のミサトたちの組織の戦艦の方に移るが、アスカはマリから「姫」と呼ばれている。

思い切って途中を省略するが、アスカは、第13使徒の発現を抑えるために出撃する。

マリからの

「姫、人を捨てる気?」

というセリフが印象的である。

しかし、第13使徒は、アスカの張ったATフィールドをATフィールドで中和してしまう。

それどころか、アスカを「使徒化」して取り込んでしまう。

(ネタバレごめんね、だが)アスカ自身が、レイと似たところがある人工量産タイプ、しかも使徒の遺伝子も受け継いでいることが示唆される。

この第13使徒の覚醒によって、人工的なリリスの再現がはじまる。

*****

新組織の乗員たちは、戦艦の艦上にやってきたゲンドウと対峙する。

リツコは迷いなく銃で撃つが、簡単に再生してしまう。

「ネブカドネザルの鍵」を取り込み、「望んで『人』を捨てた」と語られる。

「私が神を殺した」とも。

「セカンド・インパクトが海の浄化、
 サード・インパクトが大地の浄化、
 フォース・インパクトは魂の浄化を目指す」

「人類がその器を捨て、汚れなき楽園へと誘う」

******

唐突に書くが、25年近くにおよぶこの作品の展開の中で、ひとりの声優も交代せず、ましてやお亡くなりになった方もいないことはほんとうに幸いだと思う。

本作品とは無関係だが、鶴ひろみさんの早すぎる事故死などを知っていると、つくづくそう思う。

******

ゲンドウを取り込んだ13号機(姿は初号機と同じ)は、初号機への合体を試みる。

シンジは、

「僕は僕の落とし前をつけたい」

と、DSSチョーカーを自ら装着する。

シンジの乗った初号機と、ゲンドウの13号機の一騎打ちの戦いになるが、舞台は異世界空間、ちゃぶ台のある和室(笑)、教室、レイの病室と次々変容する。

そして、古い電車の中のシーン。

ゲンドウの、

「まさかシンジを恐れているのか、この私が」。

シンジは答える:

「これは捨てるんじゃなくて、渡すものだったんだね。僕と同じだったんだ」

シンジが一旦捨てて、レイが拾い、シンジに渡したDATが、今度はゲンドウのもとに。

ゲンドウも、DATとヘッドフォンが必要だった。

実はここからがゲンドウの、実に長い独白となる。

「私はひとりでいたかった、なのに周囲はそれを放っておいてはくれなかった。」

「私はピアノを弾くことだけが心の慰めだった」←これ重要。

「唯と出会うことで、私は生きることが楽しいと感じるようになった。
 唯だけがありのままの自分を受け止めてくれた。
 ・・・・唯を失った後、私は自分ひとりで生きる自信を失っていた。
 私ははじめて孤独の苦しさを知った。
 ただ、唯の側にいることで、自分を変えたかった」

******

ミサトは、ゲンドウの第13号機のロンギヌスの槍と、アスカの戦闘で失われた正義の槍の代わりとして、戦艦(これ自体人工生命体としての性質を持つ)を第3の槍として変化させ、巨大化した唯(?)めがけて特攻をかける。

ともかくこの物語のミサトはかっこいいです。

ゲンドウは、

「他人の死と思いを受け取れるとは。大人になったな、シンジ」

非常に興味深いのが次のセリフ:

「子供が私への罰だと思っていた。
 私と会わないことが、私の贖罪だと思っていた。
 その方が子供のためになるとも信じていた」

・・・・これ、人によっては感情移入できないゲンドウの言い草かもしれないが、私はよくわかる気がする。

私自身が、自分の子供にまさにそうしてきた当事者だから。

子供のいない庵野さんの、この想像力は、どこから来たのであろう?

ここからが、私の今回最大のネタバレですが(読むのをやめるならここまでしてね)。

*******

ゲンドウは、ある画面上のさりげない演出の後、突然叫ぶ。

「そうか、そこにいたのか、唯」

これは、ホントに暗示的な演出なので、気づかない人は気づかないと思うが、書いちゃう。

「シンジ」=「唯」。

ここでゲンドウは駅の出改札口から退出する。

代わってカヲルが車内に。

シンジにこれからやっていけるかと尋ねる。

シンジは、

「僕はいいんだ、辛くても大丈夫だと思う」。

これに対して、カヲルは、

「君はイマジナリーではなく、リアリティの中で立ち直っていたんだね」

と答える。

このセリフは意味深だと思う。

虚構の世界ではなくて、現実の出会いによって立ち直っていたのは庵野さん自身だろ。

******

ゲンドウがどうなったかは省略。

シンジ、

「父さんがやったことは僕が落とし前つけるから」。

詳しくは避けるが、シンジは、アスカを救出し、別れの言葉を残す。

私の勝手な思い込みで言うと、アスカはかつての庵野さんの想い人のことを指す。

続いてはカヲルの番。

カヲルの正体に、物凄い意外性があるがここでは伏せる。

次はレイの番。

レイの姿があまりにも印象的だがこれまた伏せる。

「ここじゃない、君の生き方もある」。

レイをシンジが送り出す世界も、かなり意外性がある。

「僕も、エヴァに乗らない生き方を選ぶよ。
 ただ、エヴァのいない世界に書き換えるだけだ。」

これも、庵野さん個人の意思表明であると同時に、他ならぬ、「観衆のために」そうするという宣言であろう。

このシーンで、さりげなく背景に、劇場版シリーズのタイトルが次々映し出される点に注意。

これらの作品を、過去のものとしてしてしまうための、「書き換え」がはじまったのだ。

「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」

観衆にとって。

このあとマリの救出のシーンが来るが、

突如画面が作画設定の鉛筆書きのようになり、前半は線画だけで動画が進む点に注意すべきだろう。

いよいよエヴァという作品が、ただのアニメであることの相対化が進む。

******

ラストシーン。

登場人物たちの数年後(書き換えられた世界)がいきなり描かれ、シンジの声まで別の人がやっているかのように聴こえるが、ここで、どの登場人物が、どういう関係で描かれているかはお楽しみということで。

これも相当な意外性があります。

少し観衆を突き放している気もします。

更に付け加えるなら、この駅は、どこの、何という駅ですか?

それは、誰にとって、どういう駅でしょうか?

・・・これはファンにとっては常識に近い知識でしょうが、わかんない人は少し調べればわかります。

*****

SF的側面と展開をほとんど削ってしまい、解釈もしませんでしたが、これが「エヴァンゲリオンの深層心理」の著者のやり口だから、許してくださいませ。

あまり「深層心理」的な解釈の切り口は不要だと思います。大人になれば(中年になれば)自然と見えてくることかと思います。

このエントリーの副題の「理想化された女性像への訣別」という点については、具体的に解説していないではないか、とも言われそうですが、それは敢えてこのシーンはこうと解説を控えたところがあります。

ただ、繰り返してネタバレむき出しで強調しておきたいのは、ゲンドウは、「シンジ」=「唯」である、ということに気づいていなかったということ。

これを「シンジの中に、唯は生きている」という言い方に改めてしまうと、途端につまらなくなると思うわけ。

この点は、実際の絶妙な画面上の演出を探してください。

この映画は、エヴァ的世界に馴染んだ人にとっては、すべての絵解きで、最初に述べたような「いったんひろげた風呂敷は、たたまねばならない(これは、押井守さんの言葉です。エヴァについてではありませんが)」を実現していると私は思います。

意外と、劇場でなければ楽しめない画面の作りにもなっていない気もしますので、(決してステマではないですが)Amazon Prime Videoで2,3回繰り返してご堪能のほどを。

・・・といいつつ、私は一回しか観ないで速攻でこのブログにアップしたんですけどね。

もし明らかな間違いや補足があれば、いつものように改訂して、その旨「版」を表示し、Twitterでも告知いたします。

******

【追記】:岡田斗司夫さんのネタバレ解説動画では、私が敢えて伏せたことまで解説しています。観たい人は観てください。

 

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2021年7月11日 (日)

いなくなった猫をめぐっての夢

今朝の夢はかなりしんどかった。

私どこかの大学の常勤教授をしているようだ(ちなみに、実際の私には、常勤チーフカウンセラーの経験はあり、いろんな大学の非常勤講師の経験はあるが、「教職」の経験はない。プロフィール参照)。

大学では、数日間にわたる学会のような催しが開かれており、私はそれに忙殺されている。

別れた妻も、大阪から上京してきている。

子供も、私が別れた時の姿のままで上京してきているらしいが、夢の中には直接現れない。

妻は、自分たちと一緒に過ごす時間がなかなか取れない私のことをなじってくる。

その際に妻との相手で生じている諍いは、現実の中でも生じていた独特のコミュニケーションギャップで、何故か夢の中でしか再現不可能なのは私の夢によく出てくるパターンである。

私の弱みを、結構図星でついてくるのだが。

妻子は、大阪から、子猫に近い、茶色い毛の猫をつれて来ているようで、妻は、私がその子猫の世話をしているのかどうかとなじってくる。

私は、大学に通じる道路の側溝に、子猫を遊ばせておいたようだ。

本当は妻子と会う時間をもっと作れそうなのだか、私は、妻とコミュニケーションするのがわずらわしくて、忙しくて余裕がないと言い訳する。

気づいてみると、側溝の中には、子猫はいないようで、私は焦りはじめる。

*****

実はかなり長大な夢だったようだが、先程述べた、元妻との諍いのシーンが延々と続き、それをここでは再現不能だ。

ともかくしんどい夢だった。

起き上がった時点で、どうもこれは、昨日、「未来のミライ」を観た影響がまずは大きいなと思った。

映画の中には、猫が欲しいとねだる幼い頃の母親が出てくる。

(ついでに言えば、「天気の子」の方にも、猫がマスコットとして出てくるのだが)

「未来のミライ」には、愛犬も登場し、この愛犬は、物語の中で、非常に重要な役割を果たす。

このブログでは書かなかったが、実は、私は「天気の子」ではなくて、「未来のミライ」の方で、年甲斐もなく、涙をボロボロこぼしていた。

*****

妻子の登場は何を意味するのか。

以前も書いたと思うが、長男は今年で22歳、次男は成人のはずである。

でも、実際には4歳の時に別れたまま会ったことはないから、夢の中ではいつも4歳という設定でしか現れない。

自分から興信所を使って探したことはあるが、興信所は探り出したものの、妻の親権を理由に教えられない、でも成功報酬はいただくと言い出したので、私はキレて電話を切り、それ以来報酬は払っていないし、請求されてもいないことは以前書いたかと思う。

ユング的に言えば、私は夢の中で、自分の分身として妻子を置き去りにしていることになる。

「夢フォーカシング」の手順に沿って、妻子に「なってみる」・・・やはり私とホントは仲良くコミュニケーションを取りたいばかりか、一緒に暮らしたがっているようにも感じられた。

側溝の猫は?

私と妻子を結ぶ、絆のようなものという気もする。

私の「分身」としてとらえ、猫に「なってみる」と・・・以外にも、

「心配しないで欲しい。ボクは自由にやっていくから」

と訴えているようだ。

これには安心した。

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2021年7月10日 (土)

「未来のミライ」−細田守監督のアイデンティティの確立−

正直心配していたんですよ。細田守監督の「未来」を。

こちらでも書きましたが、細田さんって、作れば作るほど、だんだん完成度の低い作品になってきている気がしていました。

細田さんの「時をかける少女」は、私が数年ぶりに観たアニメでした。

それで、「今のアニメはここまで技術力上がってるのね」という新鮮さもあったのだと思います。

エンディングの、奥華子さんの「ガーネット」があまりにも素晴らしい曲で、余韻に浸らせてくれたのも大きいと思います。

 (このエンディングをTV放映時にカットしていた時もあると伝え聞きましたが、アホか!! と思いました)

続く「サマーウォーズ」は、当時の恋人とのデートの時に、映画館で一緒に観た作品ですが、恋愛要素こそ「時かけ」より後退しましたが、娯楽作品としての完成度は非常に目覚ましいものがあったと思います。「感動した」、というより「面白かった」。

あの「花札決戦」なんて凄いアイディアと思いましたし。私はとんと花札のことはわからないけど、それでも楽しめた。

「サマーウォーズ」については、すでにこのブロクに詳しいエントリーを公開当時書いているので、こちらをご覧ください。これでも精一杯深読みしたつもりです。 

*****

ところが、「おおかみこどもの雨と雪」に至って、「あれれれ・・・」と思い出した。言いたいことはそれなりにわかるけど、新海誠作品と比較すると顕著な人物作画の平面性が気になって気になってしかたなくなった。

親子関係の物語としてもまだまた描けるぞいう感じ。宮崎駿さんを意識し過ぎかなとも思った。

次の「バケモノの子」に至ってはどうにも迷走。ファンタジーの想像力としても、画面の力がなさ過ぎ。

*****

そういう不安の中で観た「未来のミライ」。

しかも私の贔屓の新海誠監督の「天気の子」と同じ日に観て比較するという過酷なコンディション。

・・・結論から言おう。

「えっ、もう終わるの? くんちゃんのミライももっと共にしたいのに。・・・でも、そこまで描かないのが、いい余韻かもな・・・」

私も、離婚したが、子供には二人恵まれた。

しかも長男はくんちゃんと同じ4歳まで一緒だった。

下の子は弟で、未来ちゃんのような女の子ではなかったけどね。

長男は、くんちゃんと同じで、「プラレール至上主義者」で、ともかく列車の形式に詳しかった。

・・・まあ、それは、些細な思い入れに過ぎないのだよ。

******

この作品、これでも、セリフによる説明、そこまで絵解きしてくれなくってもいいよという感じ。セリフなしても、くんちゃんの心の動きや、この家族に代々継承されたアイデンティティのことは、クスクス笑いながら読み解けると思うよ。

観客の楽しみを奪わないように。親切過剰。

登場人物の変容した姿が誰かなんて、うふふと笑いながら、見え透いてるじゃないの。

くんちゃん、4歳児にして自分のアイデンティティ自覚出来すぎ。

細田さん、やっとこの作品と共に、新海監督とは全く異なる表現様式に到達できたんじゃないかな。

*****

エンディングの山下達郎さん、ここまでこの作品のテーマ、「解説」してくれなくていいって:

 

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2021年7月 4日 (日)

「おおかみこどもの雨と雪」に対する優れた評論について(第3版)

先日地上波テレビで放映されたばかりだが、その翌日、河野真太郎氏による、長文の評論がネット上に掲載された。

この批評そのものの要約的な紹介は、私の手に余るのでしないでおく。

すでに上のTwitter埋め込みで述べたように、「評論」とは、仮にひとつの「解釈」であり、「誤読」であったとしても、このような水準であるべきだと思う。

まず、この河野氏のレビューには、この作品を、守備一貫した思想性と構成を持つものとして読解させ、ひとつの完成された作品として理解「可能」であることを示してくれた点で、注目に値するものだった。

おそらく監督の細田守氏自身には、こうした意図を持って自覚的に作品を創造したわけではないであろうにしても。

ここでは私なりに論点を絞って、河野氏のレビューへの感想を述べたいと思う。

*****

河野氏は、おおかみ人間というのは、「差別」の対象であるということの象徴だと解釈する。

控えめに言って、主人公の花と、その彼氏で、二人の子供を設けることになるオオカミ男本人には、「本性を隠して生きないと、オオカミ人間は差別される」という意識が強くあったとは思える。

彼氏とその先達に、てっきりオオカミ人間であることを晒した時点で、ひどい目にあった経験があるのかもしれない。

私は、「差別」とは、本来同じ人格を有しているという点では全く対等な人間どうしが、民族・国家や肌の色、宗教、被差別部落のどの出自、経済的格差、政治的な立場、身体の構造や精神的障害、肉体的な力、があるかどうか、学力・学歴、性別、顔の容貌やファッションセンスなどによってものとされることであると考える。

「差別」とは、自分の許容できない「異物」に遭遇した時の、自分の方がフツーである、(あるいは「優秀]である)という認識の中から生じるものだと思う。

なるほど、「オオカミ人間」というのは、伝承やフィクションの世界の中で、人間に危害を加えてくる、恐ろしい存在であるという潜在的認識が人々の中に存在する。

ましてや、人間とオオカミが交わって生を受けたオオカミ人間など、「血的な純粋性」の点からしても、「けがわしい存在」ということになる。

一方、歴史上には、動物と交わって生まれた存在が、むしろひとつに「超人」的存在とした、崇めたて奉られることもある。チンギス・ハーンにおける、祖先はオオカミと交わって生まれた存在であるという伝承など典型であろう。しかし、人より能力のあるものも、差別の対象となり得る。

この物語の中で、実母に捨てられ、雪の両親と同様の「無縁社会」に放り出された転校生の草平が、雪を当初「獣臭い」と言い放つ。彼だけが見抜けたのだ。それが彼自身が疎外感と孤立の中に生きてきた存在であることから可能な「嗅覚」であろう。

(私は、この「獣臭い」という指摘は、思春期に入ろうとする女の子への、生理を始めとする事柄への、男の子の「嗅覚」であると解釈することも可能であろうと思う。)

雪は自分がおおかみ人間であることを最後にはカミングアウトすることによって、人間社会の中で生きていこうという決意を抱くことができた。

雨は、むしろ、人間共同体から疎外される、人間からみれば「影」の世界である、森と動物たちの世界で生きることを選ぶ。

このどちらかの「選択」を迫られるということは、ある意味で「残酷」ですらあある。

*******

私個人は、当初、この作品を見た時に、何か釈然としない思いをいだき、ラストシーンでも、さほど感動しなかった。

しかし、この河野氏の「解釈」によってやっと一本筋の通った理解ができるようになったと思う。

私は、これまでは、前作「サマーウォーズ」のほうが、ある意味で深みのない娯楽作品であるが、完成度は高いと考えていた。

「サマーウォーズ」は、ある意味で「深読み」をしなくとも、作品の自律性と完成度は高い。

興味深かったのは、他の登場人物の大半が、デジタルネット社会に順応して人との絆を結ぶ存在になっていたのに対して、一家を支えるおばあさんが、ネットを介してではなく、唯一、手紙とアナログ電話を通してコネを頼りに事態を打開しようとしている点への驚きであった。

「解釈」をしなくていい自立した完成度と言う点では、近年私が観たアニメーションの中で究極なのは、おととい紹介して手短な感想を述べた、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」くらいであろうか。

この「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品は、私が観てきたアニメの中で、一番秀逸なものであるという評価すら与えたいと思っている。

新海誠監督の最大のヒット作、「君の名は。」ですら、少し難解なところがあり、解釈によって「補完」させなばならない気がする。

その意味では、個人的には、「言の葉の庭」の方が、すべてを映像と物語が描き出せていて、無条件に好きな作品である。

でも、「解釈」の多様性の余地のある作品というのも、すばらしいと思う。

******

なお、近日中に、新海誠監督の「天気の子」、細田守監督の「未来のミライ」についての感想も書く予定なので、お楽しみに。

 

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2021年5月21日 (金)

ワレン・ファレル (著)「男性権力の神話 男性差別 の可視化と撤廃のための学問」についてのとりあえずの感想

ワレン・ファレルの本は1回目読み終わったところですが。とにかく事例が多い本です。これはもう一度読み返さなければ、すでに他の方がしているレビューの水準のものは書けません。

本書の紹介としては、訳者による次の記事が入門として的確でしょう:

●女は「ガラスの天井」、男は「ガラスの地下室」 男性の「生きにくさ」は性差別ゆえかもしれない

もう一度私なりの感想をまとめなおす時も来るかと思いますが、とりあえずのnoteを書いて起きましょう。

アメリカの映画やドラマについて、見ているという前提で書かれている叙述も少なくなく、私はそのホントに一部しか観ていませんし。

意外とフェミニスト攻撃の部分は少なくて、むしろ男性の「割のあわなさ(といっても、文字通り生死をかけた)」についての本という印象をとりあえず受けています。

「女性が」男性を「差別」しているというより、社会構造的に、男性に負担がかかるようなシステムなっていることについて、数多くの事例や統計をもとに実証しようとしているというか。

男性「差別」という言い方だと、フェミニストが男性を差別しているという意味合いが強くなり過ぎで、それはそれで誤解されそうな気がします。

それと「ガラスの天井」に対する「ガラスの地下室」という言葉は、それを知っているという前提でほんの2行ほど書かれているだけで、訳者があわてて訳注をつけているぐらいです。

女性が男性を「利用」して虐げていることについての事例も豊富ですが。

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2021年5月19日 (水)

女性のみの麻薬解禁による少子高齢化問題の解決についての興味深いやりとり

こちらの方が有用です。https://t.co/KWVhLcdTUE

— 黒猫使いの鈴木🎃🐈‍⬛スイーツハッピープラン (@kuronekomasters) May 18, 2021

【追記】:ワレン・ファレルの本で知ったのだが、女性の麻薬使用は胎児に伝達し、生涯にわたる後遺症を残す危険があるそうです。

●妊娠中の大麻は「生涯にわたる影響」を胎児にもたらす

2021年5月15日 (土)

そんなにセックスってつまらないか?(第2版)

このことは下手にTwitter上で書くと炎上しそうなのでブログの方で敢えて書いておこうと思う。

最近、男にせよ女にせよセックスを以前ほどしないというような情報が入ってくる。

念のために言うが、今思わず男と女という言い方をしたが、LGBTQの人たちのことを忘れているつもりはない。

確かに「草食系」とかいう言葉もあるし、昔よりもいろいろな娯楽や趣味が持て、ネット上の対人関係ってのもあるから、そちらの方で満たされるというのもあるのかもしれない。

中には虐待に近い形で男性に犯された女性もいるかもしれない。幼児時代から性的な目で見られ続けていた女性もいるかもしれない。そういう女性が男性嫌悪、ましてやセックス嫌悪なるのは理解できる。

逆に、セックスでを「飽きる」までやって、もういいやという境地の人もいるかもしれない。

例えば、マドンナのアルバム、"Amarican Life"は、たまたま9.11と重なったために反戦的なものととらえられがちだが、全体としては非常に精神主義的な愛への希求を現したものである。

浜崎あゆみの歌もまた、そこでいう「君」とか「あなた」というのは男性という意味ではなく、性的なニュアンスを越えた次元のものであるからこそ興味深い。いくら小説”M”で松浦勝人との関係が暴露されてもそう思うな。

"Memorial Address"なんて、知らない人が聴いたら、恋人の死を表現した歌だととらえられそうだが、長年別れ別れになっていた父の死を悼んでの曲だと、ある程度以上のayuファンなら皆知っている。

それに対して、宇多田ヒカルは、最初から性的ニュアンスの濃い歌を(恐らく実体験以上に)作る人だったと思う。フェミニストの人はここでいう「君」を女性とも受け取れると解釈するかもしれないが、「指輪を触る」とか「そばにいるだけで身体が熱くなってくる」をどうとらえるか?

私はその点で"Traveling"なんて一番好きなんだけどね。この歌、「僕」という言葉があるから実は主人公は男性の可能性もあるようにも取れそうだが、「胸をよせて」があるからやはり女性だろう。「もっと揺らせ」「飛ばせ」「君を乗せて」なんていう歌詞に別の意味を読み込んでしまう。もちろん行く先はディスコとかかもしれない説も出そうだが、「君」と一人称だし、やはり異性と会うためであることにはかわりないんじゃないかな。

****

・・・・話がそれたが、現在恋愛しない層が増えたと言われるのは、これから生きにくい未来の社会が待っていることへの不安も関係するかもしれない、子供ができた時の未来はどうなるかとか。

もちろん子作りとセックスは切り離していいと思う。

しかしこのままでは、およそ「家庭」というものをもたないままで暮らす人たちが増えていくのではないか。

ただ、私は、いわゆる「少子化対策」ということには少し疑問はある。「子作り」が前提にあるからね。

従来の家庭という単位で「養わなければならない」という道徳観は時代遅れだと思う。むしろ、親子関係にしばられない、離れた世代間、あるいは同世代間(まだ元気な老人がもう衰えた老人を支えるとか)の支えあいの新しい様式が必要だと思っている。

60歳そこらで定年になったらもう働かないという時代でもないと思う。

それでもあえて言いたい。

生身のセックス以上に繊細なアート的コミュニケーションがあるだろうか! と。

念の為に言うと、セックス=狭義の「性欲」を満たし合う行為、ではないと思う。心身を総動員した「コミニケーション」だと思う。

私は「倦怠期」というのもようわからんのだよね。結局夫も妻も無精になっているだけではないかと。

こんなことだから出会い系に走る人妻が多いのだろう。

これが60歳の、いまだに「元気な」オジサンの言いたいことである。

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2021年4月27日 (火)

カウンセラーが「出会う」ということ(第4版)

カミングアウトしておくが、ちょっと前まで、私は、どこのとは言わないが、いわゆる「出会い系」サイトに登録していた。

そのまた前までは「婚活」サイト(無料なのになんとも整ったマッチングシステム。身分証明書のアップロードが必要で、そっちではカウンセラーであることを表示していた)だったが、結局そこで出会った人に振られて不調だったので、乗り換えてしまった。

ちなみに、私にはすでに単に自分の性欲を「一方的に」満たしたいという欲求はもうないつもりだ。心身ともに「対等なパートナー」、はっきり言えば結婚相手を求めているだけである。

そのための手段にとして出会い系に乗り換えるというのはちょっとぶっ飛んだやり方だが、少なくとも私の「妄想」の中では、出会い系の、歳のかろうじてつりあった女性(35-40歳以上)の少なからずは、家庭をすでに持った、夫も浮気しているか、少なくともセックスレスであり、そういう女性にお金を出して訴訟をおこさせ、「略奪婚」するつもりであった(爆)

もちろんハンドルネームはこことは違うし、「一日中パソコンに向かってる自営業者。コンサルみたいな仕事」で通していた。実際、スカイプカウンセリングが多く、自宅であるカウンセリングルームまで来る人は稀です。年齢は5歳若く申告していたが。

結局、4名の女性と個人的なやり取りをし、2人と会いそびれ、ひとりと関係を持った。2人は「お小遣い」要求してきた(「2」=2万円とかという隠語がある)。

男性では珍しい「顔出し」、しかもこのブログの右上でおなじみの、そこそこカッコよく撮れたと思っている、しかし実は10年前の写真を流用しているせいか、「足跡」「お気に入り」はそれなりの数におよんだ(私のことを「ダンディなおじ様」と呼ぶ足跡もあった)。

そうした中には美人さんの企業キャリア・ウーマンの女性も少なくないのには驚く。どうしてこんな人たちが出会い系に登録しているのか信じがたい域。残念ながら東京とかの人が多かったのだが。市区まで表示した地域別のはずなのに、わざわざ東京から「お気に入り」とか「足跡」をつけに来るとは。

大学生の登録も目についた。援助交際の大学生版みたいな女の子たち。写真をみるとものすごい美人さんで、いくらでも恋人ができそう。

私もそういう中のひとりから、会うことを誘惑された。「あなたに何か、ピンときたの」。

当初は「経済的に困っているので、申し訳ないですが、”2”でお願いします」と低姿勢だったが、待ち合わせ場所で(使い慣れないJR博多駅の非常にピンポイントな場所だったのでそばの派出所で場所を確認して)待機したが、「これから3分以内にレスすること」とあったのを見逃した。私はスマホではなくあたりを見回していたのである。傲慢な調子で「私、帰るね。あなたも帰って下さい」と切り捨てられ、その後の書き込みはブロックされた。

私はちゃんと服の色やカバンの色、黒いマスクなどとレスしたつもりだったが、実はかばんの色を書き間違えていたので素通りされた可能性もある。ただ、少なくとも写真の彼女らしい人物は目の前に現れなかった。

いくらでも引く手余多の、ファッションや遊びにお金をつぎ込む女の子だったのだろうと思う。

でも、あのきまぐれさは、何だったのだろう?

わざわざ20分かけて博多駅に来たそうだ。

それが、「私、帰るね」だ。

後で考えてみれば、その子と関係を持たなくてホントによかったと思う。

****

カウンセラーという職種は、カウンセラーとしかつきあわない傾向が顕著である。広げても医療・福祉の領域か学校の先生止まりだろう。一般サラリーマンとの結婚は、私が個人的に知るかぎりでは一組だけである。

そしてカウンセラーで家族環境に欠損がある人も非常に多い。生涯独身、離婚者(私もそうだが)、別居、結婚していても子どもがいないなど。

心理カウンセラーであると公言するだけで私的関係上では「引かれる」。大学院修了であることを開示するなど持っての他、ましてや私のように東大大学院研究生であったなど、超ドン引きもいいところであろう。

ネット上でもいいので、同性でこうした私のキャリアに引かない信頼できる友人をひとりでも持てることは極めて貴重である。こっちが愚痴をいえるしね。

師弟関係での恋愛も、一つ間違えば「アカハラ」と告発されるであろう。

いわゆる「陽性転移」というのがある。異性のカウンセラーに深い話を受容的に聴いてもらえば、カウンセラーへの恋心が生まれる。これに応じてしまうとなれば「陽性逆転移に基づく行動化」となり、資格はく奪ものである。

正直言ってタマります。女性がクライエントだと。

カウンセラーが、他業種の人と出会い、対等な形で親密な関係を築くことは至難の業だと思う。

もっとも、産業カウンセリングの領域で働く方は、企業の方と対等な関係を形成することができているケースも少なくなかろうとは思うが。

クライエントさんには他業種の人も多いが、その仕事そのものについて話題にのぼることは滅多になく、多くが家族関係とかについてである。

例えば、クライエントさんとしてアパレル業界の人とは会ったことないなあ。体育会系の人はいたけど。

****

でも、「出会い系」というのは、いきなり身体の関係から始まるため、少なくとも当初はどことんドライな関係を求められる。本名もヒミツで通さねばならない。相手のプライバシーにも「無関心」でなければならない。

カウンセラーのように、相手の立場をおもんばかる習性がある人種にとっては、このドライさが壁になるようだ。

でも、ウエットな関係だけではなく、ドライな関係、というものにも習熟することは実は結構必要なことかと思う。

出会い系の彼ら・彼女らは実は脆い。メンタルな関係を持つことにあまりに不器用である。出会い系の暗黙のルールというものが私が慣れていない域まであるのかもしれない。ともかく「プライバシー」を一切詮索してはならないようだ(少なくとも実際に会うまで)。

まずは35歳以上の職業不詳の女性。自分から誘ってきて、相当のやり取りを楽しげに積み上げ、「田川まで来てほしい」ということになった。「田川なら新幹線で久留米から小倉に出て、日田彦山線でくだるのが一番早い」と伝えたら、彼女はいろんな条件をつけてきた。「まずは久留米駅出発するときに連絡」「小倉に着いたら連絡」「田川近郊の某駅・・・ここが私の家から歩いて15分・・・に着いたら連絡。それから田川で遊びましょう」と。

ところが当日になってみると、私が出会いサイトの課金が3000円とかあまりにも少額で済ませていたので切れてしまい、日曜日だったのでゆうちょ銀行のATMも閉まっていて、課金の補充ができず、ちょうどJR久留米駅からの出発時点でメールが届かなくなった。

私は不安をかかえつつも彼女が駅に現れると信じて予定ルートで進んだが、結局私は田川近郊のド田舎の駅で待ちぼうけを食らい、新海誠監督のアニメ「秒速5センチメートル」第1章の逆の待遇を受けることになる。列車が何時何分に着くのかも了解しているのに、現れもしないという状況に直面した。

1時間半以上待ったあたりで引きあげた。

この人ビョーキっぽいかなとの思いも生じた。

だが、こうして一度田川まで呼び出され、会えなかったものだから、変に私の中に使命感のような救済願望が生じていた(心理学ではこういうのを「認知的不協和」と呼ぶ)。

翌日、ゆうちょで入金したうえで「課金が切れていた」釈明したら、今度は数日後に福岡市で会いたいといい出した。それまでは「家事」も忙しいとも書いてきた。

なぜか田川と福岡市で二重生活をしていて、2,3週以上の長期にわたる移動のようだった。どこで働いているのか、住んでいる拠点が福岡なのか田川なのかも見当がつかない。

最後に「実はセフレがすでにひとりいるのにいいの?」と言ってきたので「僕もいろいろ誘惑されてるよ」と返事をした。

これではセフレ、私という2人の「オトコ」とかかわりを持とうとしていたことになる(夫はいたとしてもセックスレスの可能性が高いと思うが)。

常識的に考えれば、セフレとの関係にも欲求不満を感じていたからこそ自分から私に声をかけてきたとしか言いようがないから、私は敢えて強気に出たのだと思う。

さて当日。こっちが、「西鉄福岡(天神)駅の、まずはタクシー乗り場に行って」と伝えると、「どこに行けと言われるか怖い。これは普通ではないやり方。今日会うのはやめときます」と言い出し、その後音信不通。

実は タクシーの行き先としてタクシーのりばについたら教えようとしていたのは、福岡市民なら場所を知らないものなどいない一流ホテル。タクシーなら2分で着いたであろう(楽天トラベル事前予約を使ったので意外と安く、ポイント還元も多かった)。私はそういう高級ホテルをとったことで彼女を「びっくりさせたかった」だけであった。

今思えば、いきなりどことも知らぬ場所に行けと言われるのが怖いという心情はわかるし、駅での待ち合わせを「普通」ととらえ、それから宿泊場所を慎重に選びたかったのかもしれない。どこかのラブホでのセックスの前にまずは一緒に天神で遊びたかった可能性も捨てきれない(16:00の約束でしたから)。

ただ、私の方は西鉄福岡(天神)駅は人が込み合っている、いくら目印になる服装をしていても見つけにくいと思っていた。私はホテルのロビーで落ち合う方がいいと思っていた。どこかで「今度は逃さないぞ」みたいな性急な思いもあったと思う。ホテル内のレストランの予約はしていなったが、食事とかはそれからでもどうにもなる繁華街地区であるとも思っていたし。

私はその後「何も怖いところへ行けといっているのではない。いい場所だよ」という婉曲な言い方からはじめて釈明し、「タクシーでは近すぎるくらいだが〇〇ホテルに来て欲しかった」と白状したのだが彼女はレスしてこなかった。

私が最初から「直接」そのホテルに呼び出せばやってきて、食事とかの後、コトに及んだかもしれないが。 

一応、「いいよ。どっちみち当日キャンセル料を全額取られるのだから、私一人でもホテルに行くから」と打っておいた。

ちなみに今確認したが、私の一連の釈明のメールはその日の深夜になってはじめて「既読」になっていたようで、深夜までスマホを投げ出して怒っていたか、未読メール(これは誰からかわからない形でまずは表示される)の蓋を開けるのを怖がっていた可能性があると思う。

ホテルに15時にチェックイン。「連れは後できますので」ということにしておいた。

私はもはや彼女は連絡をとってこないだろうなと諦めた。

そして、ホテルでひとり「暇」することとなったが、別の、「すぐしよう」と掲示板にあった、福岡県中央区(天神がある)の35歳以上の「医療関係者」を名乗っている人に「今〇〇ホテルにいます」と18時ごろ打診した。

すると、「20時以降なら来れます」と反応。

そして、のっけから「エッチはもちろん大丈夫ですし、キス、フェラ、クンニも大丈夫です♪よろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ♪」と返してきた。

そして「玄関まで来たら部屋番号を教える」というのに乗ってきた。

「1.2」との要求があったが私はそれを受け入れた(看護師を含め、ホントの医療関係者だと年収が高いらしく、わざわざ交通費まで使って12000円を引き換えに行為に及ぶというのは割の悪いことだと思うが)。

35歳前後にしては、一回何かを書き込んで来るたびに、よく絵文字を使う人だと思った。

ところが彼女が実際に家を出たのは21時を回っていた。「30分で来れます」・・・それでも来ない。これでは22時になるではないか!! 

「いまから行ってもいいですか」

私は「おいおいどうした? 君は自分のペースで来ていい。他の人に乗りかえたりはしないよ」と打った。

結局その人は、

「天神まで来たけど、家から電話を受けて帰らねばならなくなったの(涙)」

と書いてきた。

恐らく小さなこどもがいて、寝かしつけるのに苦労して出発が遅れ、今度は子ともが起きてスマホに連絡を入れてきたのであろう。

こりゃお泊りのつもりは最初からなかったなと思った。

ホテルに来れなくなったことを心底悔やんでいる様子だったので、もちろん不倫そのものであろうことを承知していたが、「やはり改めて実際にお会いしたいな」。

すると、「はい、連絡しますね」。

その後、コトに及ぶ日が来た。この日は「一貫して」プライバシーを問題にしなかった。

だが、更に後日、2回目の誘いをかける際に、うっかり「ひょっとしたらお子さんもいらっしゃって大変でしょうけど」とかいう言葉を添えてしまった。

しばらく間隔があいたが、こちらからのメールは一応「既読」にはなった。だが、現在まで具体的レスは受けていない。

2回目の誘いが早すぎた可能性もある。でも、この「おもんばかり」、相手のプライバシーへの介入、一歩でも踏み込めばアウトだったのではないかと思っている。

****

いわゆる「セフレ」というのは、「継続的な」割り切った関係のように見えて、要するに相手のことに責任を取りたくない状態をズルズル引きずる関係のように思う。

****

私も若い頃は、まわりの女性に次々いきなり告白しては振られまくりの人間だった。一応それだけの「度胸」はあったわけね、と言われそうだが。

それが結婚(パソコン通信の民間人の心理系を通してのエヴァ婚。相手は普通の社会人)→離婚してから豹変した。

実は女性遍歴も数人ある。

全員メンタルなきづながある「恋愛」であった。

「相手の望むことをかなえることは愛情ではない。愛情は自分から相手に表現し続けなばならない」

が、特に結婚生活を通しての教訓である。

そうしなかったために、妻に、他に愛人がいるのではないかとか、あらぬ嫉妬妄想に取りつかれることとなったが。

もちろん、私は浮気なと一度もしなかったし、そもそも情欲の対象として妻以外をみることもなかった。

だが、「あの道の陰に不倫相手がいる」「家の中に誰か入った」「シンジケートがある」「学会参加というのは皆嘘だ」「携帯電話が届かない山奥で研修会?」の域であった。

何かというと浮気相手に会うためというのを邪推されたのである。

私はそういうのに耐えかねて、別れることにしたが、こういう場合も親権は妻側にあるとされてしまった。

しかし「自分からの」愛情表現は乏しかったとは思う。

妻に妄想型人格障害の素質があった(弟は明らかに妄想性統合失調症をかすめていた)としても、それを助長した私の責任もあると思っている。

もともといつ不機嫌になるのか全く見当がつかない女性であったから、私は当惑しながらも妻の求めることには何でも従ってきた。

ただ、その後の女性経験からわかったが、私は妻とのセックスで、一度もオーガズムに達させたことはなかったと思う。それ以前の男性遍歴でもオーガズムを体験したことがあったかどうかも怪しい。ほんとうに「痙攣」とか身体を後ろにそらせてしまう域のものがオーガズムなのた。慣れれば一目でわかる。

****

・・・以上、実はかなり肉食系の、オタクらしくない本性を持つ人間の告白である。

ちなみに、かなりのテクニシャンであると自負している。全然衰えていません。 

射精より、女性の身体をいつくしむことこそ楽しくならねばならないと私は思っている。ペニスなどそのための道具だ。

****

男性として自信を持つとはどういうことだろう。それは女性からの肯定を待つことなく、自己肯定感を持つことじゃないかな。

オタクは探求心と、経験から学ぶ感度が強いから、一転すれば凄く「熟達」すると思うよ。

あとは試しにメジャー系のリアルワールドの大歌手や女優とかに関心を持ってみることかな。

私の場合、浜崎あゆみのファンになってライヴにも繰り返し行くようになってから、随分楽になりました。ayuのライブ画像はすぐに削除になるからこのブログには載せないけど。

私も以前は自分の顔に自信がなかった。ところがこのサイトに掲げている写真(鏡に写しているので実は左右逆)を撮れてから、妙にナルシストになれました。服装とか、見た目を変えれば自信が後からついてきます。

特にフィジカルな運動をしたわけではないですが、昔よりかなり痩せましたしね。以前履いてたズボンはここ数年でダブダブになりました。

中年太りというのは、ある年齢を超えると逆に痩せ始めることが少なくないかと思えます。

****

何かいやにドロドロとした(いや、結構ユーモラスな筆致になったかな?)、私小説めいたことを書き連ねましたが、これが私の少なくとも今週日曜までのリアルワールドであった。

婚活サイトで知り合った人との当初良好な関係が崩れてしまったことへの反動で荒んでいたかとも思うが。

繰り返す。男のカウンセラーが女性と「出会う」のはそれくらい困難である。

****

ちなみに私には4DKより大きな持ち家を含めてそこそこ資産がある。

離婚した子供2人が大阪にいる(ただし現在音信不通。今の住所も探偵に頼んだが親権者である元妻の了解がないと教えられないがいつも留守電状態と聞いて、私はキレて結局1円も調査費を払わず請求もされないまま)ので私の配偶者が新たにできても取り分は半分になるが、離婚時に養育費を全額前払いした息子たちはすでに18歳と20歳(ともかく私が5年間常勤を務めた明治学院大学学生相談センター常勤の給料は高かった。月50万円以上でボーナスが6か月分。妻子との離婚調停ではいきなり600万近くを差し出した)。

まあ、長男の方は成人するので独立してこちらと連絡を取る権利を持つようになったはずだが恐らく執行しないと思う。

別れた妻の性格からして、息子たちには奨学金は取らせても今更大学の学費をこちらにせびることはないと思う。

特に長男は、亡き父があきれ返るほど私の子供時代のコピーで、利発そのものだった(鉄道好きまで引き継いだ)から、恐らく大学には入ったと思うけど。

父の遺族年金が地元の中企業の部長まで務めましたからかなりの額で、私は常勤勤務していた時期があったのが異様に効いていて(詳しい事情は伏せるが)、60歳を迎えた今でも「すでに」私学共済年金の受給者である。

母の年金(母単独でもそこそこそ働いていた時期があるのでその分年金が出ている)と合わせれば、何も働かなくても、母の介護入院費(5万円)を除いてもベーシックに月35万円は手に入る。その上に私のカウンセラーとしての収入があるわけだ。

いずれにしても、出会った女性に経済面で査定されてもそこそこ対応できると思う。

死んでしまったらその資産の行き場はないので喜んでパートナーに50%継承してもらうつもりである。浮気の権利すら与えていいと思っている。

98歳の母は自宅から2分で着く介護施設つき大病院に介護入院していますが、今でも認知的な障害はなく(というか、家では軽度のレビー小体型認知症の幻視はあったが、施設に入ったら集団生活のせいかそれも消えてしまった)、トイレも自宅ではかなりお漏らししていたが、介護入院してからは一度も濡らしたパンツを返却されとことはない。

家では私の作る食事を全く受け付けなくなった。これが介護入院を決定づけたことなのだが、病院食には最初はおいしくないと言っていたが、現在では適応している。

もう家に戻る自信はないと医師には語るという。実際、家に帰りたいとは私に一度も言ったことはない。

家にあるものをもっと持ってきて欲しい、お菓子が欲しいとはいう。私がお菓子を送りすぎて、看護師さんから「しばらく止めてください」といわれることが2回繰り返されたが、母親がどの程度食べるかなんてわかりようがなかった。恐らくほんの少しでよかったのだと思うが。

今、コロナで完全面会禁止で、洗濯物の交換を玄関口でするだけである。時々電話をかけるように看護婦さんを通して訴えて、かけてはくるが。

・・・そうだ、先日から歯医者に通う時は介護タクシーに乗せて連れていくことが2回あったけど、ホント半年ぶりぐらいに顔を合わせた。当然車いすでの移動だったが、歯医者の椅子に座らせるまでが無茶苦茶たいへんだったっけ。

だから、母の介護には全く負担はかけず、いつでも私の家に転がり込んてもらっても構わない。

一応シングルベットは2つある。

(私の介護が必要になった時はどうなるかわからないが、父は非常にぽっくりと79歳で5日間の入院で死んだ)

「家には今も一人で住んどるとね?」と繰り返しいう母にとっては私にパートナーできれば喜ぶばかりで親孝行であろう。

親戚は変なしがらみはなく、かなりの人がすでに死んでしまったので子世代が増え、私が若かったころ「お兄さん」的だった人は皆孫をもつ「おじいさん」なってしまい、付き合いがある人は減ったが、オープンでみんないい人たちである。

コロナでもなければ喜んで小さな宴に参加してくれるであろう。

久留米の北隣りにある自宅最寄りの櫛原駅は、普通停車駅であるが、福岡市天神まで早朝に途中で急行に化ける西鉄電車で48分である。だから福岡市で働く人でもいい。

*****

でも、もう、出会い系サイトで新たな人を発掘するつもりはない。ちょっと飽きてしまった。

でも、こんな対人関係があるのか!というスリルがある、ちょっとオモシロイ世界ではあった。

なんとなく、「婚活」を含め、リアルワールドでの女性探しはそんなにせっかちにならなくていいやという心境。

どうして「ウマ娘」からここまでワープしたのでしょうね?

何か、これを書いてスッキリした。

これを読んだ皆さん、私を軽蔑しないでね。

*****

いずれにしても、私の場合、60歳の今からこそ本格的な人生!!と開き直れている。なぜなのか自分でもよくわからない。

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2021年4月17日 (土)

左右失調

私は本来左利きに生まれた。

赤ん坊の時に、上からつるされた紐に左手ばかりを差し出したので、父母はいきなり諦めたらしい。

普通なら、箸と書くことだけは右に矯正され、スポーツとかは左利きのままにされるものだが、私の場合は正反対。スポーツは全部右利きで、〇〇する時も右手です(大爆笑)。

おかげで「右に見えますものは・・・」「左に見えますものは・・・」とか観光バスで案内されても全然ついていけなかった。

昔は、左手人差し指にできたペン蛸をとっさに触って確認していたが、パソコンばかりになって、それも薄れたしなあ。

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2019年7月17日 (水)

おしゃれな補聴器に子供が「かわいい!」と反応した話。

他の方のTLですが思わすほっこりしたのでまとめさせていただきました。

こちらからどうぞ。

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。