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育児

2021年11月24日 (水)

新著刊行についての今後の進捗(1)

明日、幻冬舎からの新著の刊行の正式契約をネットクラウドを通して取り交わします。

まさに今の社会情勢を反映した内容で、状況はあまりにも流動的、「旬」を逃すと明らかに売り上げにも影響するので、このブログへの新規記事を抑制してでも空き時間を執筆に傾倒、1月初めまでには完成原稿を送付できることはほぼ確実です。

内容は、精神分析をはじめとする、これまでの私のカウンセラーとしての知見の集大成と行っていいものになりそうで、現代の家族関係の問題を色濃く反映させたものとなるはずです。

すでに送った原稿は、担当編集者も予想以上の内容だと身を乗り出す感想をしてくれ、自分もそのテーマについていろいろ勉強してみたいと言い出しています。

自分で言うのも何ですが、非常に魅力的な文章と構成だろうと思います。

ただ、大出版社というのは、こういう時にできるだけ緊急出版する決断をするまでにはいろいろあるようで、当初私が想定していたより実際の刊行は遅れ、2022年夏になりそうです。

中学生ぐらいならスラスラと読める、一般の人目線の、誰もが我がことのように感じる、関心をもたれやすい題材と思いますので、是非期待しておいてくださいね。

私のこれまでの著書は以下のとおりです:


2021年10月 7日 (木)

羽馬千恵:「わたし、虐待サバイバー」目次

14歳のわたしへの手紙

 

■第1章 こうして「虐待」は始まった。

経済力のなかった母

愛情に包まれた柔らかな暮らし

幸せの雪うさぎ

母の再婚

妹が生まれて、変貌する家族

「人間は年齢ではない」と思い知らされた

妹を憎たらしいと思った日

俺はおまえの本当の父親じゃない

 

■第2章 「離婚」「貧困」「再婚」「虐待」でぐるぐる。

優しかった母までもわたしを傷つけた

離婚------最後にわたしを抱きしめた義父

食パンの耳で生き延びろ!

12歳で自殺を考えた

逃げ場がなくて頭が混乱していく

勉強の楽しさを教えてくれた、はじめての友達

母さん可愛くなったやろ

父親は、もういらない

くだらない! 教員たちのファンタジー

 

第3章 愛着障害 ~精神崩壊へのメルトダウン

再び 不登校になり、高校は中退

大学進学後、さらに精神を病んでいった

お父さんが欲しい!

「愛着障害」からトラブルに

恋愛感情って何ですか?

新たな依存先を求めて漂う

自殺未遂から医療保護入院に

閉鎖病棟での冷たい日々

人間を一番脅かすものはなんだろう

 

■第4章 大人になってからもトラウマは続く!

人生を受け入れるために、わたしがしたこと

就職活動に失敗しアルバイト生活の日々

社会が求めているのは結局「ふつうの人」だった

25歳、生活保護に頼るしかなかった

生活保護者は、病院を選べないんですよ!

職場はお父さん天国か、それとも地獄か

もう大人なのに....と言う医者

異常者に近づくな.....村八分になる

それでも、前に進みたい

 

■第5章 母の物語から見える虐待の連鎖

「お前のほうがマシと言う母のトラウマ

支援のなかった時代はそう昔ではない

母ににていく自分が悲しかった

「赤ちゃん日記」をつけていた

わたしにおきたある"変化"

 

■第6章 解離------虐待がもたらした大きな爪痕

虐待サバイバーの「病の来歴」

わたしが攻撃的人格に変わるとき

顔つきも、雰囲気も、口調もすべて別人に

加害者への治療と支援が必要な理由

虐待サバイバーは、悲しい別れを繰り返す

 

対談 和田秀樹✕羽馬千恵 虐待サバイバーたちよ、この恐ろしく冷たい国で、熱く生きていこう!

 

おわりに 虹色で、いい

 

2021年8月13日 (金)

「シン・エヴァンゲリオン」-理想化された女性像との訣別- 【ネタバレ・解釈全開注意】(第2版)

Amazon Prime Videoの8月13日零時公開と同じ時間に観始めた。

トラフィックが混雑してつながらないのではないかとか、画質が落ちるのではないという杞憂は必要なかった。

それにしても、ごく最近まで一部の映画館では上映していて、ブルーレイ発売前、追加料金不要というのは太っ腹である。

******

私はTVシリーズから、いわゆる「旧劇場版」封切り後一ヶ月ぐらい発売に間に合わせる形で、「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮-」を書かせていただいた。

私がエヴァをきっかけに完全な一般女性とネット婚した直後の1997年(36歳)のことである。当然子供はまだいなかった。

当時流行った謎解き本とは一線を画し、実際に映像を観なくても、旧劇を含めた作品の全体像がつかめるという本だったが、旧劇がすでに終わっていたせいか、そんなに印税は稼げていなかった。

むしろ、今回とりあげる「シン・エヴァンゲリオン」効果か、勘違いして(?)買ってくださる方もいるようで、つい一週間前に入金された最新の印税は、ささやかなものだが、前年を大幅に上回っていた。感謝。

劇場版「序」は、封切り時に、まだ故郷に引っ越す前の横浜で観ている。2007年だから、今60歳の私が46歳頃だったことになる。はやいものだ。

「序」は、TVシリーズ第6話までの内容を背景美術を精細化したものに置き換えることを中心にクオリティ・アップして総集編とし、オリジナルの伏線は最小限控えめに添えられた程度だったから、「TVシリーズの大詰めにあたる部分まではこんな調子でクオリティ・アップで進めるのか」とも想像し、「ま、こんなものかな」という印象。

エンディングの宇多田ヒカルの"Beautiful World"はホントよかったが。

「破」(2009年)は確かレンタルで観たと思う。

これは、TVシリーズを大胆に脚色し、作画も全面新作、新キャラ、マリも登場。マリはそんなに活躍しなかったが、新作だからという以外に意図はつかめなかった。

しかし、クライマックスをトウジとの対決からアスカとの対決に置き換え、更に使命感あふれるシンジくんへの劇的覚醒まで、新鮮な形で描いてくれて、私は随分感動した。

ところが、「Q」(2012年)になって、困り果ててしまった。これは地上波テレビ放映まで待った。

物語は14年経過し、ミサトとリツコはネルフとは別組織を立ち上げて変ちくりんな戦艦に乗っているわ、シンジとアスカとマリは齢をとらないままだったりして、シンジは全く受け身で引きこもりに近く、結局無理やりエヴァに乗せられるだけ。

いったいこの劇場版は、次の完結編で、どうやっていったん広げた風呂敷をたたむのだろうかと見当がつかない状態。

これで観客動員数だけは最高とれたみたいだからいよいよわけがわからん。

******

それから実に9年後に、今回の、完結編としての「シン・エヴァンゲリオン」が公開されたわけだが、評判がいいのは知っていた。

でも、あまり先入観は持ちたくないので、「レイがなぜか農作業している」画像を観たくらいで、Youtubeに公式に上がっているであろうPVについてすら禁欲していた。

さて、本日、思っていたよりずっと早く観ることができたわけだが、これからこってりと作品の解説をし、考察を、主に心理学的観点から書きたいと思う。

一回観て、時々は巻き戻しながらだが、大まかに、どんどんセリフを引用し、展開も書いてしまい、私なりの解釈も差し挟むので、そのつもりで、読みたい人だけ以下を読んで欲しい。

あまりSF的考証には興味がないので省略している。

*****

冒頭の10分以上の激しい戦闘シーンの後、舞台は一変。

新所原の、まるで1960年前後を思わせる、開拓農村に舞台を移す。

ここに"Q"ラストでアスカに引きずられていたシンジくんと「かつて綾波レイと呼ばれていたもの」はたどり着く。

トウジが生きていて医者とは思わなかった。妻は「委員長」なわけで。

二人には生まれてまもない赤子がいる。

ケンスケもいるが、ミサトやリツコの組織に所属しているようである。

そして二人は、シンジやアスカと異なり、年齢を重ねて大人になっている。

レイは、もはや以前のレイとは別の個体で、名前もなく、「そっくりさん」と呼ばれている。

あいさつや授乳やネコなどについてすら知識や経験がなく「・・・て何?」と質問してばかりの、無垢そのものレイは、ともかくカワイイ。

シンジは、冒頭から40分間、全く何もセリフがない。

食べ物も食べない。

アスカは、

「どうせ生きたくもないし、死にたくもないだけなんだから」

と突き放すだけ。

アスカの首に、カヲルと同じ、DSSチョーカーという「首切り」ベルトがあるのを見ると、シンジは嘔吐するばかりである。

それでもアスカに人工食料を口にねじ込まれる。

この後、シンジは、廃墟の湖畔まで家出を繰り返すようになるが、アスカは影で見守っている。

レイは、住民の農業にいそしむようになり、地域に完全に溶け込む。

・・・この、田舎でのくだけた日常生活のじっくりとした描写は、従来の人工都市中心の舞台とは全く異なるものであり、この8年間での庵野さんの心境の変化はあまりあると思う。

あたりまえの「生活」をすること、「労働」をすることを描かずにおれない・・・などということをいうだけでは、陳腐になるが。

確か元「委員長」のセリフだったと思うが、

「毎日が今日と同じでいい」

というのが印象的である。

アスカの方は、「私はここを守ることが仕事なの」と言って、それ以外の労働はしない。

「そっくりさん」は、「名前ぐらい自分でつけたら」と住民に言われるが、シンジに名付けを頼む。

シンジは、当初「考えておく」と応えるのみだったが、その後、「やはり綾波と呼ぶしかない」と告げる。

再び綾波がシンジの前に姿を現した時は、ある決断を胸に秘めていた・・・・

いずれにしても、シンジの心境と行動の変化が、全く自然に描かれていると思う。

*****

途中で忽然と書いておくが、今回の作品において、庵野さんは、この「エヴァ」という物語を非常に「客観視」する境地に達していると思う。

TVシリーズの時点では、庵野さんはシンジに同一化し、ゲンドウを実は「理解を超えた父親像」あるいは「大人像」として作品を作っていたのではないか。

庵野さんは私と同じ1960年生まれ、今年すでに61歳を迎えている。

奥さんもとっくにいる。私が調べた限りでは、子供はいない様子だが、結婚が早ければすでに孫がいてもおかしくない年齢である。

私自身、そこそこ晩婚な方だったと思うが、離婚し、それ以来住所不明の長男は確か22歳、次男は20歳である。

恐らく、庵野さんは、シンジの父親、ゲンドウの、少なくともTVシリーズ当時の設定よりは、かなり年長に実際になってしまっているはずである。

後で具体的に述べるが、実はこの点が、登場人物心理の描き方に大きく影響を与えていると思う。

この映画は、詳しくは後述するように、あくまでもエヴァという作品を(少なくとも新劇場版「序」から)追いかけてきた人間を対象として制作されていると思うし、いわゆる「厨二病」から脱しているように思われるのが興味深い。

「Q」なんて、恐ろしく「閉じた」世界の「厨二病」そのものではなかったか。

*****

さて、舞台は大気圏外のミサトたちの組織の戦艦の方に移るが、アスカはマリから「姫」と呼ばれている。

思い切って途中を省略するが、アスカは、第13使徒の発現を抑えるために出撃する。

マリからの

「姫、人を捨てる気?」

というセリフが印象的である。

しかし、第13使徒は、アスカの張ったATフィールドをATフィールドで中和してしまう。

それどころか、アスカを「使徒化」して取り込んでしまう。

(ネタバレごめんね、だが)アスカ自身が、レイと似たところがある人工量産タイプ、しかも使徒の遺伝子も受け継いでいることが示唆される。

この第13使徒の覚醒によって、人工的なリリスの再現がはじまる。

*****

新組織の乗員たちは、戦艦の艦上にやってきたゲンドウと対峙する。

リツコは迷いなく銃で撃つが、簡単に再生してしまう。

「ネブカドネザルの鍵」を取り込み、「望んで『人』を捨てた」と語られる。

「私が神を殺した」とも。

「セカンド・インパクトが海の浄化、
 サード・インパクトが大地の浄化、
 フォース・インパクトは魂の浄化を目指す」

「人類がその器を捨て、汚れなき楽園へと誘う」

******

唐突に書くが、25年近くにおよぶこの作品の展開の中で、ひとりの声優も交代せず、ましてやお亡くなりになった方もいないことはほんとうに幸いだと思う。

本作品とは無関係だが、鶴ひろみさんの早すぎる事故死などを知っていると、つくづくそう思う。

******

ゲンドウを取り込んだ13号機(姿は初号機と同じ)は、初号機への合体を試みる。

シンジは、

「僕は僕の落とし前をつけたい」

と、DSSチョーカーを自ら装着する。

シンジの乗った初号機と、ゲンドウの13号機の一騎打ちの戦いになるが、舞台は異世界空間、ちゃぶ台のある和室(笑)、教室、レイの病室と次々変容する。

そして、古い電車の中のシーン。

ゲンドウの、

「まさかシンジを恐れているのか、この私が」。

シンジは答える:

「これは捨てるんじゃなくて、渡すものだったんだね。僕と同じだったんだ」

シンジが一旦捨てて、レイが拾い、シンジに渡したDATが、今度はゲンドウのもとに。

ゲンドウも、DATとヘッドフォンが必要だった。

実はここからがゲンドウの、実に長い独白となる。

「私はひとりでいたかった、なのに周囲はそれを放っておいてはくれなかった。」

「私はピアノを弾くことだけが心の慰めだった」←これ重要。

「唯と出会うことで、私は生きることが楽しいと感じるようになった。
 唯だけがありのままの自分を受け止めてくれた。
 ・・・・唯を失った後、私は自分ひとりで生きる自信を失っていた。
 私ははじめて孤独の苦しさを知った。
 ただ、唯の側にいることで、自分を変えたかった」

******

ミサトは、ゲンドウの第13号機のロンギヌスの槍と、アスカの戦闘で失われた正義の槍の代わりとして、戦艦(これ自体人工生命体としての性質を持つ)を第3の槍として変化させ、巨大化した唯(?)めがけて特攻をかける。

ともかくこの物語のミサトはかっこいいです。

ゲンドウは、

「他人の死と思いを受け取れるとは。大人になったな、シンジ」

非常に興味深いのが次のセリフ:

「子供が私への罰だと思っていた。
 私と会わないことが、私の贖罪だと思っていた。
 その方が子供のためになるとも信じていた」

・・・・これ、人によっては感情移入できないゲンドウの言い草かもしれないが、私はよくわかる気がする。

私自身が、自分の子供にまさにそうしてきた当事者だから。

子供のいない庵野さんの、この想像力は、どこから来たのであろう?

ここからが、私の今回最大のネタバレですが(読むのをやめるならここまでしてね)。

*******

ゲンドウは、ある画面上のさりげない演出の後、突然叫ぶ。

「そうか、そこにいたのか、唯」

これは、ホントに暗示的な演出なので、気づかない人は気づかないと思うが、書いちゃう。

「シンジ」=「唯」。

ここでゲンドウは駅の出改札口から退出する。

代わってカヲルが車内に。

シンジにこれからやっていけるかと尋ねる。

シンジは、

「僕はいいんだ、辛くても大丈夫だと思う」。

これに対して、カヲルは、

「君はイマジナリーではなく、リアリティの中で立ち直っていたんだね」

と答える。

このセリフは意味深だと思う。

虚構の世界ではなくて、現実の出会いによって立ち直っていたのは庵野さん自身だろ。

******

ゲンドウがどうなったかは省略。

シンジ、

「父さんがやったことは僕が落とし前つけるから」。

詳しくは避けるが、シンジは、アスカを救出し、別れの言葉を残す。

私の勝手な思い込みで言うと、アスカはかつての庵野さんの想い人のことを指す。

続いてはカヲルの番。

カヲルの正体に、物凄い意外性があるがここでは伏せる。

次はレイの番。

レイの姿があまりにも印象的だがこれまた伏せる。

「ここじゃない、君の生き方もある」。

レイをシンジが送り出す世界も、かなり意外性がある。

「僕も、エヴァに乗らない生き方を選ぶよ。
 ただ、エヴァのいない世界に書き換えるだけだ。」

これも、庵野さん個人の意思表明であると同時に、他ならぬ、「観衆のために」そうするという宣言であろう。

このシーンで、さりげなく背景に、劇場版シリーズのタイトルが次々映し出される点に注意。

これらの作品を、過去のものとしてしてしまうための、「書き換え」がはじまったのだ。

「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」

観衆にとって。

このあとマリの救出のシーンが来るが、

突如画面が作画設定の鉛筆書きのようになり、前半は線画だけで動画が進む点に注意すべきだろう。

いよいよエヴァという作品が、ただのアニメであることの相対化が進む。

******

ラストシーン。

登場人物たちの数年後(書き換えられた世界)がいきなり描かれ、シンジの声まで別の人がやっているかのように聴こえるが、ここで、どの登場人物が、どういう関係で描かれているかはお楽しみということで。

これも相当な意外性があります。

少し観衆を突き放している気もします。

更に付け加えるなら、この駅は、どこの、何という駅ですか?

それは、誰にとって、どういう駅でしょうか?

・・・これはファンにとっては常識に近い知識でしょうが、わかんない人は少し調べればわかります。

*****

SF的側面と展開をほとんど削ってしまい、解釈もしませんでしたが、これが「エヴァンゲリオンの深層心理」の著者のやり口だから、許してくださいませ。

あまり「深層心理」的な解釈の切り口は不要だと思います。大人になれば(中年になれば)自然と見えてくることかと思います。

このエントリーの副題の「理想化された女性像への訣別」という点については、具体的に解説していないではないか、とも言われそうですが、それは敢えてこのシーンはこうと解説を控えたところがあります。

ただ、繰り返してネタバレむき出しで強調しておきたいのは、ゲンドウは、「シンジ」=「唯」である、ということに気づいていなかったということ。

これを「シンジの中に、唯は生きている」という言い方に改めてしまうと、途端につまらなくなると思うわけ。

この点は、実際の絶妙な画面上の演出を探してください。

この映画は、エヴァ的世界に馴染んだ人にとっては、すべての絵解きで、最初に述べたような「いったんひろげた風呂敷は、たたまねばならない(これは、押井守さんの言葉です。エヴァについてではありませんが)」を実現していると私は思います。

意外と、劇場でなければ楽しめない画面の作りにもなっていない気もしますので、(決してステマではないですが)Amazon Prime Videoで2,3回繰り返してご堪能のほどを。

・・・といいつつ、私は一回しか観ないで速攻でこのブログにアップしたんですけどね。

もし明らかな間違いや補足があれば、いつものように改訂して、その旨「版」を表示し、Twitterでも告知いたします。

******

【追記】:岡田斗司夫さんのネタバレ解説動画では、私が敢えて伏せたことまで解説しています。観たい人は観てください。

 

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2021年7月11日 (日)

いなくなった猫をめぐっての夢

今朝の夢はかなりしんどかった。

私どこかの大学の常勤教授をしているようだ(ちなみに、実際の私には、常勤チーフカウンセラーの経験はあり、いろんな大学の非常勤講師の経験はあるが、「教職」の経験はない。プロフィール参照)。

大学では、数日間にわたる学会のような催しが開かれており、私はそれに忙殺されている。

別れた妻も、大阪から上京してきている。

子供も、私が別れた時の姿のままで上京してきているらしいが、夢の中には直接現れない。

妻は、自分たちと一緒に過ごす時間がなかなか取れない私のことをなじってくる。

その際に妻との相手で生じている諍いは、現実の中でも生じていた独特のコミュニケーションギャップで、何故か夢の中でしか再現不可能なのは私の夢によく出てくるパターンである。

私の弱みを、結構図星でついてくるのだが。

妻子は、大阪から、子猫に近い、茶色い毛の猫をつれて来ているようで、妻は、私がその子猫の世話をしているのかどうかとなじってくる。

私は、大学に通じる道路の側溝に、子猫を遊ばせておいたようだ。

本当は妻子と会う時間をもっと作れそうなのだか、私は、妻とコミュニケーションするのがわずらわしくて、忙しくて余裕がないと言い訳する。

気づいてみると、側溝の中には、子猫はいないようで、私は焦りはじめる。

*****

実はかなり長大な夢だったようだが、先程述べた、元妻との諍いのシーンが延々と続き、それをここでは再現不能だ。

ともかくしんどい夢だった。

起き上がった時点で、どうもこれは、昨日、「未来のミライ」を観た影響がまずは大きいなと思った。

映画の中には、猫が欲しいとねだる幼い頃の母親が出てくる。

(ついでに言えば、「天気の子」の方にも、猫がマスコットとして出てくるのだが)

「未来のミライ」には、愛犬も登場し、この愛犬は、物語の中で、非常に重要な役割を果たす。

このブログでは書かなかったが、実は、私は「天気の子」ではなくて、「未来のミライ」の方で、年甲斐もなく、涙をボロボロこぼしていた。

*****

妻子の登場は何を意味するのか。

以前も書いたと思うが、長男は今年で22歳、次男は成人のはずである。

でも、実際には4歳の時に別れたまま会ったことはないから、夢の中ではいつも4歳という設定でしか現れない。

自分から興信所を使って探したことはあるが、興信所は探り出したものの、妻の親権を理由に教えられない、でも成功報酬はいただくと言い出したので、私はキレて電話を切り、それ以来報酬は払っていないし、請求されてもいないことは以前書いたかと思う。

ユング的に言えば、私は夢の中で、自分の分身として妻子を置き去りにしていることになる。

「夢フォーカシング」の手順に沿って、妻子に「なってみる」・・・やはり私とホントは仲良くコミュニケーションを取りたいばかりか、一緒に暮らしたがっているようにも感じられた。

側溝の猫は?

私と妻子を結ぶ、絆のようなものという気もする。

私の「分身」としてとらえ、猫に「なってみる」と・・・以外にも、

「心配しないで欲しい。ボクは自由にやっていくから」

と訴えているようだ。

これには安心した。

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2021年7月10日 (土)

「未来のミライ」−細田守監督のアイデンティティの確立−

正直心配していたんですよ。細田守監督の「未来」を。

こちらでも書きましたが、細田さんって、作れば作るほど、だんだん完成度の低い作品になってきている気がしていました。

細田さんの「時をかける少女」は、私が数年ぶりに観たアニメでした。

それで、「今のアニメはここまで技術力上がってるのね」という新鮮さもあったのだと思います。

エンディングの、奥華子さんの「ガーネット」があまりにも素晴らしい曲で、余韻に浸らせてくれたのも大きいと思います。

 (このエンディングをTV放映時にカットしていた時もあると伝え聞きましたが、アホか!! と思いました)

続く「サマーウォーズ」は、当時の恋人とのデートの時に、映画館で一緒に観た作品ですが、恋愛要素こそ「時かけ」より後退しましたが、娯楽作品としての完成度は非常に目覚ましいものがあったと思います。「感動した」、というより「面白かった」。

あの「花札決戦」なんて凄いアイディアと思いましたし。私はとんと花札のことはわからないけど、それでも楽しめた。

「サマーウォーズ」については、すでにこのブロクに詳しいエントリーを公開当時書いているので、こちらをご覧ください。これでも精一杯深読みしたつもりです。 

*****

ところが、「おおかみこどもの雨と雪」に至って、「あれれれ・・・」と思い出した。言いたいことはそれなりにわかるけど、新海誠作品と比較すると顕著な人物作画の平面性が気になって気になってしかたなくなった。

親子関係の物語としてもまだまた描けるぞいう感じ。宮崎駿さんを意識し過ぎかなとも思った。

次の「バケモノの子」に至ってはどうにも迷走。ファンタジーの想像力としても、画面の力がなさ過ぎ。

*****

そういう不安の中で観た「未来のミライ」。

しかも私の贔屓の新海誠監督の「天気の子」と同じ日に観て比較するという過酷なコンディション。

・・・結論から言おう。

「えっ、もう終わるの? くんちゃんのミライももっと共にしたいのに。・・・でも、そこまで描かないのが、いい余韻かもな・・・」

私も、離婚したが、子供には二人恵まれた。

しかも長男はくんちゃんと同じ4歳まで一緒だった。

下の子は弟で、未来ちゃんのような女の子ではなかったけどね。

長男は、くんちゃんと同じで、「プラレール至上主義者」で、ともかく列車の形式に詳しかった。

・・・まあ、それは、些細な思い入れに過ぎないのだよ。

******

この作品、これでも、セリフによる説明、そこまで絵解きしてくれなくってもいいよという感じ。セリフなしても、くんちゃんの心の動きや、この家族に代々継承されたアイデンティティのことは、クスクス笑いながら読み解けると思うよ。

観客の楽しみを奪わないように。親切過剰。

登場人物の変容した姿が誰かなんて、うふふと笑いながら、見え透いてるじゃないの。

くんちゃん、4歳児にして自分のアイデンティティ自覚出来すぎ。

細田さん、やっとこの作品と共に、新海監督とは全く異なる表現様式に到達できたんじゃないかな。

*****

エンディングの山下達郎さん、ここまでこの作品のテーマ、「解説」してくれなくていいって:

 

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2021年7月 4日 (日)

「おおかみこどもの雨と雪」に対する優れた評論について(第3版)

先日地上波テレビで放映されたばかりだが、その翌日、河野真太郎氏による、長文の評論がネット上に掲載された。

この批評そのものの要約的な紹介は、私の手に余るのでしないでおく。

すでに上のTwitter埋め込みで述べたように、「評論」とは、仮にひとつの「解釈」であり、「誤読」であったとしても、このような水準であるべきだと思う。

まず、この河野氏のレビューには、この作品を、守備一貫した思想性と構成を持つものとして読解させ、ひとつの完成された作品として理解「可能」であることを示してくれた点で、注目に値するものだった。

おそらく監督の細田守氏自身には、こうした意図を持って自覚的に作品を創造したわけではないであろうにしても。

ここでは私なりに論点を絞って、河野氏のレビューへの感想を述べたいと思う。

*****

河野氏は、おおかみ人間というのは、「差別」の対象であるということの象徴だと解釈する。

控えめに言って、主人公の花と、その彼氏で、二人の子供を設けることになるオオカミ男本人には、「本性を隠して生きないと、オオカミ人間は差別される」という意識が強くあったとは思える。

彼氏とその先達に、てっきりオオカミ人間であることを晒した時点で、ひどい目にあった経験があるのかもしれない。

私は、「差別」とは、本来同じ人格を有しているという点では全く対等な人間どうしが、民族・国家や肌の色、宗教、被差別部落のどの出自、経済的格差、政治的な立場、身体の構造や精神的障害、肉体的な力、があるかどうか、学力・学歴、性別、顔の容貌やファッションセンスなどによってものとされることであると考える。

「差別」とは、自分の許容できない「異物」に遭遇した時の、自分の方がフツーである、(あるいは「優秀]である)という認識の中から生じるものだと思う。

なるほど、「オオカミ人間」というのは、伝承やフィクションの世界の中で、人間に危害を加えてくる、恐ろしい存在であるという潜在的認識が人々の中に存在する。

ましてや、人間とオオカミが交わって生を受けたオオカミ人間など、「血的な純粋性」の点からしても、「けがわしい存在」ということになる。

一方、歴史上には、動物と交わって生まれた存在が、むしろひとつに「超人」的存在とした、崇めたて奉られることもある。チンギス・ハーンにおける、祖先はオオカミと交わって生まれた存在であるという伝承など典型であろう。しかし、人より能力のあるものも、差別の対象となり得る。

この物語の中で、実母に捨てられ、雪の両親と同様の「無縁社会」に放り出された転校生の草平が、雪を当初「獣臭い」と言い放つ。彼だけが見抜けたのだ。それが彼自身が疎外感と孤立の中に生きてきた存在であることから可能な「嗅覚」であろう。

(私は、この「獣臭い」という指摘は、思春期に入ろうとする女の子への、生理を始めとする事柄への、男の子の「嗅覚」であると解釈することも可能であろうと思う。)

雪は自分がおおかみ人間であることを最後にはカミングアウトすることによって、人間社会の中で生きていこうという決意を抱くことができた。

雨は、むしろ、人間共同体から疎外される、人間からみれば「影」の世界である、森と動物たちの世界で生きることを選ぶ。

このどちらかの「選択」を迫られるということは、ある意味で「残酷」ですらあある。

*******

私個人は、当初、この作品を見た時に、何か釈然としない思いをいだき、ラストシーンでも、さほど感動しなかった。

しかし、この河野氏の「解釈」によってやっと一本筋の通った理解ができるようになったと思う。

私は、これまでは、前作「サマーウォーズ」のほうが、ある意味で深みのない娯楽作品であるが、完成度は高いと考えていた。

「サマーウォーズ」は、ある意味で「深読み」をしなくとも、作品の自律性と完成度は高い。

興味深かったのは、他の登場人物の大半が、デジタルネット社会に順応して人との絆を結ぶ存在になっていたのに対して、一家を支えるおばあさんが、ネットを介してではなく、唯一、手紙とアナログ電話を通してコネを頼りに事態を打開しようとしている点への驚きであった。

「解釈」をしなくていい自立した完成度と言う点では、近年私が観たアニメーションの中で究極なのは、おととい紹介して手短な感想を述べた、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」くらいであろうか。

この「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という作品は、私が観てきたアニメの中で、一番秀逸なものであるという評価すら与えたいと思っている。

新海誠監督の最大のヒット作、「君の名は。」ですら、少し難解なところがあり、解釈によって「補完」させなばならない気がする。

その意味では、個人的には、「言の葉の庭」の方が、すべてを映像と物語が描き出せていて、無条件に好きな作品である。

でも、「解釈」の多様性の余地のある作品というのも、すばらしいと思う。

******

なお、近日中に、新海誠監督の「天気の子」、細田守監督の「未来のミライ」についての感想も書く予定なので、お楽しみに。

 

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2021年5月21日 (金)

ワレン・ファレル (著)「男性権力の神話 男性差別 の可視化と撤廃のための学問」についてのとりあえずの感想

ワレン・ファレルの本は1回目読み終わったところですが。とにかく事例が多い本です。これはもう一度読み返さなければ、すでに他の方がしているレビューの水準のものは書けません。

本書の紹介としては、訳者による次の記事が入門として的確でしょう:

●女は「ガラスの天井」、男は「ガラスの地下室」 男性の「生きにくさ」は性差別ゆえかもしれない

もう一度私なりの感想をまとめなおす時も来るかと思いますが、とりあえずのnoteを書いて起きましょう。

アメリカの映画やドラマについて、見ているという前提で書かれている叙述も少なくなく、私はそのホントに一部しか観ていませんし。

意外とフェミニスト攻撃の部分は少なくて、むしろ男性の「割のあわなさ(といっても、文字通り生死をかけた)」についての本という印象をとりあえず受けています。

「女性が」男性を「差別」しているというより、社会構造的に、男性に負担がかかるようなシステムなっていることについて、数多くの事例や統計をもとに実証しようとしているというか。

男性「差別」という言い方だと、フェミニストが男性を差別しているという意味合いが強くなり過ぎで、それはそれで誤解されそうな気がします。

それと「ガラスの天井」に対する「ガラスの地下室」という言葉は、それを知っているという前提でほんの2行ほど書かれているだけで、訳者があわてて訳注をつけているぐらいです。

女性が男性を「利用」して虐げていることについての事例も豊富ですが。

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2021年5月19日 (水)

女性のみの麻薬解禁による少子高齢化問題の解決についての興味深いやりとり

こちらの方が有用です。https://t.co/KWVhLcdTUE

— 黒猫使いの鈴木🎃🐈‍⬛スイーツハッピープラン (@kuronekomasters) May 18, 2021

【追記】:ワレン・ファレルの本で知ったのだが、女性の麻薬使用は胎児に伝達し、生涯にわたる後遺症を残す危険があるそうです。

●妊娠中の大麻は「生涯にわたる影響」を胎児にもたらす

2021年5月15日 (土)

そんなにセックスってつまらないか?(第2版)

このことは下手にTwitter上で書くと炎上しそうなのでブログの方で敢えて書いておこうと思う。

最近、男にせよ女にせよセックスを以前ほどしないというような情報が入ってくる。

念のために言うが、今思わず男と女という言い方をしたが、LGBTQの人たちのことを忘れているつもりはない。

確かに「草食系」とかいう言葉もあるし、昔よりもいろいろな娯楽や趣味が持て、ネット上の対人関係ってのもあるから、そちらの方で満たされるというのもあるのかもしれない。

中には虐待に近い形で男性に犯された女性もいるかもしれない。幼児時代から性的な目で見られ続けていた女性もいるかもしれない。そういう女性が男性嫌悪、ましてやセックス嫌悪なるのは理解できる。

逆に、セックスでを「飽きる」までやって、もういいやという境地の人もいるかもしれない。

例えば、マドンナのアルバム、"Amarican Life"は、たまたま9.11と重なったために反戦的なものととらえられがちだが、全体としては非常に精神主義的な愛への希求を現したものである。

浜崎あゆみの歌もまた、そこでいう「君」とか「あなた」というのは男性という意味ではなく、性的なニュアンスを越えた次元のものであるからこそ興味深い。いくら小説”M”で松浦勝人との関係が暴露されてもそう思うな。

"Memorial Address"なんて、知らない人が聴いたら、恋人の死を表現した歌だととらえられそうだが、長年別れ別れになっていた父の死を悼んでの曲だと、ある程度以上のayuファンなら皆知っている。

それに対して、宇多田ヒカルは、最初から性的ニュアンスの濃い歌を(恐らく実体験以上に)作る人だったと思う。フェミニストの人はここでいう「君」を女性とも受け取れると解釈するかもしれないが、「指輪を触る」とか「そばにいるだけで身体が熱くなってくる」をどうとらえるか?

私はその点で"Traveling"なんて一番好きなんだけどね。この歌、「僕」という言葉があるから実は主人公は男性の可能性もあるようにも取れそうだが、「胸をよせて」があるからやはり女性だろう。「もっと揺らせ」「飛ばせ」「君を乗せて」なんていう歌詞に別の意味を読み込んでしまう。もちろん行く先はディスコとかかもしれない説も出そうだが、「君」と一人称だし、やはり異性と会うためであることにはかわりないんじゃないかな。

****

・・・・話がそれたが、現在恋愛しない層が増えたと言われるのは、これから生きにくい未来の社会が待っていることへの不安も関係するかもしれない、子供ができた時の未来はどうなるかとか。

もちろん子作りとセックスは切り離していいと思う。

しかしこのままでは、およそ「家庭」というものをもたないままで暮らす人たちが増えていくのではないか。

ただ、私は、いわゆる「少子化対策」ということには少し疑問はある。「子作り」が前提にあるからね。

従来の家庭という単位で「養わなければならない」という道徳観は時代遅れだと思う。むしろ、親子関係にしばられない、離れた世代間、あるいは同世代間(まだ元気な老人がもう衰えた老人を支えるとか)の支えあいの新しい様式が必要だと思っている。

60歳そこらで定年になったらもう働かないという時代でもないと思う。

それでもあえて言いたい。

生身のセックス以上に繊細なアート的コミュニケーションがあるだろうか! と。

念の為に言うと、セックス=狭義の「性欲」を満たし合う行為、ではないと思う。心身を総動員した「コミニケーション」だと思う。

私は「倦怠期」というのもようわからんのだよね。結局夫も妻も無精になっているだけではないかと。

こんなことだから出会い系に走る人妻が多いのだろう。

これが60歳の、いまだに「元気な」オジサンの言いたいことである。

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2021年4月17日 (土)

左右失調

私は本来左利きに生まれた。

赤ん坊の時に、上からつるされた紐に左手ばかりを差し出したので、父母はいきなり諦めたらしい。

普通なら、箸と書くことだけは右に矯正され、スポーツとかは左利きのままにされるものだが、私の場合は正反対。スポーツは全部右利きで、〇〇する時も右手です(大爆笑)。

おかげで「右に見えますものは・・・」「左に見えますものは・・・」とか観光バスで案内されても全然ついていけなかった。

昔は、左手人差し指にできたペン蛸をとっさに触って確認していたが、パソコンばかりになって、それも薄れたしなあ。

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。