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経済・政治・国際

2022年1月15日 (土)

山崎孝明 「精神分析の歩き方」総評

心理カウンセラーは、その専門的学習・研修の過程で、まずはある特定の「心理療法」流派のオリエンテーションに基づき研鑽を積む場合が多いと思う。

著者である山崎氏にとっての精神分析技法がそうであったように、大学・大学院に入学する時点で、特定のオリエンテーションへの自発的モチベーションがあった場合もあるであろう。

しかし、多くの場合、入学時には、漠然と「心理カウンセラー」になりたいとしか思っていないケースが、今日大半だとは思う。基礎教育で様々な心理療法流派について入門的な知識等を得たり、セミナーに幾つが出てみる過程でとりあえず選択してみるという人が一番多いであろう。

もっとも、単純に、入学した大学の教育者が拠って立つ心理療法オリエンテーションに取りあえず従うしかなかったというケースもあるだろう(様々な教育スタッフを備えた指定校大学院制度の充実の中で、こうした「受け身の」選択のケースは減っていると思うが)。

いずれにしても、こうした特定の「心理療法」をある程度学んで、カウンセリングの現場に投げ出されたカウンセラーは、大抵の場合、大きな壁に直面する。

特定の「心理療法」を密室でしていればいいという現場であることが、そもそも少ない。更に、クライエントさんを、特定の「心理療法」を受けるようにカウンセラー側から誘導すると、実際にはカウンセリング過程がうまく進まないことが実に多いのである。

カウンセラー自身がこのことに無自覚なまま、特定の心理療法に「巻き込み」、押し付けていて、多くのクライエントさんをはじき出していたり、クライエントさんのモチベーションと異なる方向へとカウンセリングの進行と成果を期待されることによる齟齬が生じていることは、ままあると思う。

著者は、現場カウンセラーとしての経験を重ねる中で、こうした「痛い思い」を繰り返し、そこから「実践知」を自覚的に抽出したきた人だと思う。

第9章「モチベーション論」は、心理専門家が、どのような領域で、どのような雇用形態で働いているかに全く無関係に、面接の、クライエントさんとの合意形成に至るまでの「実践知」として、極めて優れており、自己点検のために、この章だけ独立させてでも必読かと思う。

これは確かに、どの「心理療法」をしていくか「以前の」問題なのである。「心理療法」すら求めていないクライエントさんが多いことは事実であり、何を「当面の」面接過程で目標とするかの合意は、丁寧なやり取りのなかでまずは形成されなばならない。

もっとも、クライエントさんの側に、カウンセリングに現れた自分の「無意識的」モチベーションが自覚されていないことも多く、それに無理のない形で気づいてもらえることも重要であることは少なくないが、これすら、クライエントさんの内面への「侵襲」となる危険を犯すものであることを、カウンセラー側は自覚しているべきであろう。

しかし、著者は、こうしたことを、面接過程での単なる「実戦的テクニック」として示しているだけではない。

クライエントさんがどの流派の心理療法の適用がマッチングするかといった「選択」の問題にとどまるものですらない。

著者は、主として精神分析的オリエンテーションの見地からではあるが、そもそも「心理療法」という枠組みそのものが持つ、潜在的権力構造と、期待される、社会での人格のありかた、生き方のおしつけになりかねない問題にまで視野を広げ、問題提起する。

そのことの重要性については、私も全く賛成であるが、その具体的な内容に関しては違和感がある。

果たして、認知行動療法をはじめとするエビデンス重視のアプローチは、即、「新自由主義」に適合する人間を生み出そうとするものであろうか?

私には、ここに「仮想敵」を投影的に作っている側面も感じなくはない。

これは、人格の「成熟」というものを、社会に単に「適応」的な人間になることととらえるかどうかという根源的な問題につながるものとしてとらえられるべきである。

少なくとも私の考えでは、個人心理療法が暗黙のうちに想定している、成熟した人格像というのは、左派リベラリストというのに近い。

理想とされるクライエントは、個人主義者であるが、すべてを自分の「人格の問題」としては考えない。家族や社会に対する自分の不満を自覚し、周囲に迎合せず、むしろ変化すら迫り、場合によっては社会運動に関与するだけのアサーションスキルをも磨かせる性質のものである(少なくともそれをめざさない心理療法を私はよくないものであるとすらみなす)。

認知行動療法ですら、すべてを自分自身の問題として処理するスキルを磨くにとどまらず、周囲に働きかけたり、自分と連帯できる新たな人間関係や社会的資源の活用スキルを向上させる側面を持っていなければ「おかしい」とすら思う。

カウンセラーは、そうした新自由主義ではないリベラリストとしてクライエントが育っていくさまを支援し、見守る役割を果たすのであり、必要とあればそれに「連帯」し、時としてはそれを主導する存在ですらあるべきと私は考える。

もとよりこれはあくまでも「私の」立場であるに過ぎないという自覚はある(ただし、このように自覚し、普遍的価値観と「みない」こと自体が、新自由主義的ではない、リベラリストの価値観だと思うが)。

これが、著者に対する私の違和感であるが、著者の問題提起の視角に価値があるとみなすことには変わりがない。

2022年1月14日 (金)

フォーカシングと創造性

私の目からみたら、精神分析系の人は、文学的というのに近い「華麗な」概念を「ユニークに」使えることにほとんど自己愛的に酔っていて、そういう次元での論争に明け暮れているように思えることがあるというのは偏見だろうか。

そもそも、いわゆる力動心理学と、認知行動療法や行動療法と対立的にとらえるより、むしろ実践的にみてそこに生起する現象が「共通の」ものであり、そこに別の「説明」を与えているのではないかという視点も重要だと思う。

心理療法の学派の違いなんて実は現実のカウンセリングにはほとんど影響せず、「概念」をどれだけ「血肉化」しているかという違いだけで、頭でっかちの、あるいは逆に、技法を小手先で学ぼうとする人と、臨床の「普遍」なものに気づいているかいないかのほうが大きい気もする(すごく偉そうですが)。

極論すれば、心理療法各学派間の、優劣をめぐっての「論争」は、ほとんどの場合「内ゲバ」なのではないか? 単に「折衷」するのではない意味での、効果的に活用できる臨床家に共通のエッセンスの掌握こそ、生産的な探求のように思える(私なりの理解では、#村瀬嘉代子 先生はこうした立場に近い)。

念の為にいうが、私はすでに後者の境地に十分に達していると言いたいのではない。私より優れて現場臨床的なフォーカシングに拠って立つ臨床家の数は決して少なくない。そういう人は容易に識別でき、そういう人と出会うたびに自己愛の鼻をへし折られ「負けた!!」と思う程度というのが私の現実である。

ある意味では心理療法理論をニュートンからアインシュタインに昇華してしまった #体験過程理論 を背景とする #フォーカシング を学んだ臨床家も、この例外ではないのであって、いつまでも「技法」のまわりをぐるぐるまわっていて現場臨床と隔絶している人と、それを克服した人の落差は大きい。

自慢になるのは承知だが、#体験過程理論 の基本文献である、ジェンドリンの「人格変化の一理論」を、心理学科に転籍する以前にあっさり理解でき、訳者の村瀬孝雄先生に認められたことが、私がこの業界に入れたきっかけである。

それでも、#体験過程理論 が、心理療法理論の「ポストモダン」で(すでに50年前から!!)あることまで知らない(というか、わかりやすく教えられない)フォーカシング・プロパーの人が多いと感じる。この点で自分がそういう存在になるべく一層研鑽を積む「責任」はあると感じている。

非常に単純化していえば、私たちは、言葉になる以前の「こういう」感じとしかいいようのない、一定の質感とトーンを持った「感じ」それ自体に支配されてしか生きていないという、ある意味で非常にあたりまえの前提に引き戻した点こそ、#ジェンドリン の #体験過程理論 の最大の貢献。

フーカシング「技法」を学ぶ人は、得てして、実はこれさえできればいいというベースライン以上のことをしようとしていて、かえってフォーカシングを「できない」だとか、日常や現場臨床で使いこなせないという自家撞着にはまっている。・・・ホント、これだけなんだってばさ。

この、いろいろ「説明」できる前の、曖昧な「感じ」それ自体を大事にし、それをいじくりまわさず、静かに注意をむけ、「そばにたたずんで」いられるようにさえなれば、人の中に、それまでになかった変化が始まるということを「実感」したことこと自体が私の運命的転機である。

私は、最高学府大学院という学歴の割には、高度な抽象概念を自分では使いこなせない人間で、それを完全に「血肉化」して(これは頭でっかちに信条化することとはまるで逆のこと)、使いこなせる人には敬意しか感じないが、少なくともそれを使いこなせる人の「言語の使用」についての、柔軟な「理解力」はあるつもりである。

(これはどの専門・学問領域であるかに関係なく)どんなに高度に専門化された学問的専門概念にみえるものであっても、少なくともそれを案出した創始者の中では、非常に新鮮で生き生きとした、自分の体験に密着したものなのだと思う。そういう次元に還元して理解しようと努めるべきだと思う。

それが経済の理論であろうと新しい政策であろうと商品開発であろうと芸術作品であろうと、関係なく言えることだと思う。

もっとも、その新しい概念やパラダイムの創始者自身が、それを「頭でっかちに」「ドクマとして」教条化しようとし始めたり、少なくとも弟子が「頭でっかち」をはじめることの弊害が大きい場合も多いと思う。

ただし、クリエイティビティの高い新パラダイムの創始者は、決して己れの一旦打ち立てた概念や理論や方法論に飽き足らず、絶えず変化と進化を止めないのである。その変遷を「頭で」追いかけ、理解しようとする「信者」は混迷することが少なくないのだが。

いずれにしても、分野に関係なく、「クリエーター」であり続けることができている人って、別に技法として学ばなくとも、すでに #フォーカシング にあたるスキルは、天性のものとして身につけているので、今更学ぶ必要はない。

しかし、それ程の天賦の才能に恵まれていなかった人も、フォーカシングを学べば、「それぞれの分野における(それが経済や株投資(!)であろうと・・・れはジェンドリン自身が"economical instinct"として言及している)」業績を一層上げられるようになる可能性は高いと言える(大風呂敷ではない)。

そんなの下々の平凡な自分の日常には関係ないやいという人においても、いろいろな逆境におかれ対人関係や症状に苦しんでいる人についても、QOLを上げることには #フォーカシング は必ず役に立ちます(きっぱり)。それは自分と関わる「他人」すらいつの間にか変化させるくらいのパワーがあると思う。

以上書いてきたことは相当な大風呂敷に響くかと思いますが、少なくとも小手先の技法ではない次元でフォーカシングの技法を「身につけて」自分の生活に反映できているフォーカシングの指導者に学ぶ限りでは、学んで損ということは決してないでしょうね。

筋のいい人ならフォーカシングの本を読んで独習するだけで身につくのですが。 ただし、周囲の人に迎合する付和雷同なライフスタイルは超えてくことになるでしょうから、そのぶんの波風は覚悟しないとならないかとは思います。

フォーカシングを十分身につけた人間の人生は、ある意味では新たな出会いを引きよせることが多いかとは思いますが、同時にこれまでとのなれ合い的人間関係とは一歩距離を取り、孤独になることも覚悟せねばならないかとは思います(フォーカシング業界の内部でも孤独になる危険を犯すことに)。

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2022年1月13日 (木)

流派を問わず、心理治療者は、自分の用いる技法を、自分自身に対して刻々と「適用」できることができる必要があるのではないか? それが「関係性」中での治療を生じさせる前提ではないか?

#フォーカシング って、それを学ぶ臨床家自身が意識的「技法」として学ぶ域を超えて、日常生活の中で「条件反射」になるくらいに「身につけて」しまって、その効能に恩恵を感じるくらいのところまで行って、はじめて持ち味とその人なりの活用法が見えてくるものだと思う。

このネットでの私の言動すべてが、実は「条件反射」の域まで血肉化されたフォーカシングの「実践」そのものなのだ。もとより個々の発言に何も誤りや行き過ぎがないわけではないのは自覚しているが、それを「軌道修正」する能力自体がフォーカシングの統御下にある。

精神分析の人ですら、日常の中でそこまでほとんど自動的に自己分析できるべきだし、認知行動療法の人も、日常の中で自分のスキーマを刻々と自覚し、修正できるところまで行きつけるべきと思うが。それができれば、実はCLさんに何も特別な「技法」を用いようとしなくても、なぜか面接はうまくいくと思う。

要は、臨床家の側が、絶えず日常や面接場面で自分の無意識にアンテナを張れたり、自分自身の認知の歪みに刻々と気づけないまま、クライエントさんの側にそれを引き起こそうとしてもうまくいかないのは当然だと思うのだ。

もちろん、全ての技法を自分で自分に用いるだけでは自分で超えられない限界はあると思うし、自己満足になる危険もある。自分がその技法を専門家との間で施してもらう(互いに役割を交換して関係性のなかで意識的にやる)機会を定期的に持つことは大事だと思う。

言い方を代えれば、クライエントさんの側に生じる心的メカニズムは、カウンセラーの側にそれに相応する心的メカニズズムを誘発するし、カウンセラーが自分の心的メカニズムの限界を克服できれば、クライエントさんの側にもそれに相応する心的メカニズムの克服を誘発するのではないか。

私の考えでは、「関係性における治癒」とはそのようなものだし、実は流派に関係ないのではないかとすら思っている。「意識的な」技法はその上に乗っかている程度のものではないか? これは精神分析でいう「治療者の逆転移の活用」とかいう理屈を持ち出さなくとも普遍的なのでは?

例えば、治療者の側がリラックスできていない状態で、クライエントさんの側にだけリラクゼーションが効果的に生じるのだろうか?

私はこうした「関係性」の問題を無視して、「客観的『エビデンス』」を証明しようとしても、無理が出て来ると思う。・・・というか、エビデンスを証明しようとすれば、こうした治療者側の因子も測定して、はじめて正確な証明ができるのではないかと思う。

こうしたことは、単に物質的薬物の治験の場合には考慮しなくてもいいことであろうが、治療者との関係性自体が治療的因子になる心理療法の場合には考慮されるべきと思う(もっとも、物資的薬の効能すら、治療者との関係性から完全に自由ではない気もする)。

実はこのように考えてくると、カウンセラーが面接室の外側の世界でどのような言動をどのような範囲でしていくかの指針と可能性も自ずから見えてくる可能があると思う。

精神分析系の人なら絶えず自己分析をしながら、認知行動療法系の人は絶えず自分の認知の歪みに敏感であり続ければ、どのような発言や行動を「社会」に向けてしていけるかが自ずから定まるのではないか? もちろんこれだけでは「十分」ではないかもしれないか、「必要」ではあるのではないか?

今述べてきたような次元で、心理専門家自身が自分の用いる技法の自分自身への「日常的」「条件反射的」適用を「身につけて」いれば、心理療法がClさんの、「特別な密室」の中での「癒やし」体験などではなく、現実生活の中での言動の変化(他者への影響力の変化)を誘発する域に達すると思う。

「治療者は、自分が行き着けたところまでしか、患者を導けない」・・・ユング「心理療法論」(林道義訳 みすず書房)。 ユングは「実用的」ではないと思われがちだが、実は相当現場臨床家に役立つ発言をしていると思う。

ある意味では、人格の成熟した完成、到達点などありえないと思う。人間は常に堕落の危機に直面しており、新たな事態に対応して行かねばならないのだと思う。もちろんこのことを現在の自分の失敗や限界の「言い訳」にしてはならないと思うが。

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2021年11月22日 (月)

どんな分野でも必要な、「臨床的」姿勢

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非常な極論を言えば、およそ「思想」というものを学ぶことには弊害しかないと思う。そこには、様々な現実と状況に置かれた個々の「具体的人間」というものが不在だから。

およそどんな技法であろうと、その標準技法を一度はきちんと学び、身につける過程を経る必要はある。後はその技法の「信者」にはならないようにしていくことだ。この段取りは決して飛ばしてはならないと思う。

「〇〇主義」の人間、「〇〇派」の人間、「〇〇党」の、「〇〇障害」の人間がいる前に、ひとりひとりのみんな少しずつ違う、「人間」がいる。そのことを忘れたら、単なる「ファントム(幻影)」を相手とした不毛な対立・抗争があるだけで、何も生産的なことは生じないだろう。

一次データ・資料(あるいは生身の人間)を前にして、一から自分の頭で考えてみて、それから理論や技法を学ぶという段取りが、分野に関係なく、日本の教育で忘れられてきているのではないか? 理論や思想に「あてはめて」物事を見ないのも、ひとつの「訓練」だと思う。
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2021年11月20日 (土)

紅白歌合戦に、「ウマ娘」と「うっせぇわ」が出場しないことについて

今年の紅白に、ウマ娘が出るかどうかは博打めいたところがあったかと思いますが、まさかAdoを選ばないというのはいったいどういうことなのか状態ですね。

品が無いとか反体制ととられたのか?

・・・まあ、一部の良心的な社会派番組を除いては非常におかしなことになってきているNHKならありそうなこととはいえますが。

ウマ娘って、もともとコアなオタク層は見向きもしてないんだけど、マスコミやジャーナリズムは、何もわかってないなと思います。ウマ娘をやっている主要な層は、普段アニメを見ない普通のサラリーマンのおっさんで、通勤の行き帰りに電車の中でやっている。あとは子どもたちですね。だからあのラインのキャラデザがふさわしいわけで。

あと、もともとトレーナーの性別が選べるシステムだし、ツィッター上の絵師はほとんど女性、更にはこのゲームを実況するVtuberは女性が多いときている。そもそも今の競馬ブームがどれだけ女性のおウマさん好きにささえられているか。

うまぴょい伝説を歌う声優たちは半端なアイドルグループより超絶技巧だし、曲自体半端な独創性ではない。

いずれにしても、Adoとウマ娘を出さないことで今年の紅白は、瞬間最大視聴率の目玉を失い、いよいよ視聴率過去最低、このままではオワコンもいいところでしょう。
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「自己責任」論と自分を変えていくこと

「自己責任論」というのは、単に社会体制に屈従する思想に過ぎない。 それと「自分を変えていくことが社会を変えていくこと。自分が変えられるには自分だけ」というのは全く別次元の発想だと思う。

2021年11月16日 (火)

このままでは、日本のリベラルは現実社会に影響を行使できないまま、ナショナリスト勢力に敗北する。

今野 元 (著)ドイツ・ナショナリズム-「普遍」対「固有」の二千年史(中公新書)を読んで感じたことなんですが。
←私のレビューも載っています。

今野氏は、この著作の中で、戦後のドイツの歴史をとらえる上で「道徳の鉄槌」という言葉を繰り返し使っている。

最初は、第二次世界大戦終結後のニュルンベルク軍事裁判について。連合軍の「正義」の名のもとに審理がなされたという点について。

次に、その後のドイツ思想界における、過去の反省に基づくドイツ史全否定「ドイツ後進国」論を自らしていく潮流に関して。

そして、緑の党の躍進による環境主義の台頭について。

最後にフェミニズムの台頭について。

今野氏は明らかにノスタルジーに基づく過去復権論者でも保守主義者でもないにもかかわらず、こうした流れがグローバリズム的「普遍」主義に基づく価値観の押しつけという側面を持つことについて注意を喚起している。

むしろ非常に醒めたリベラリスト、個人主義者という印象である。

思うに、日本における左派リベラルの流れも、無自覚的に、西欧の「進歩的」価値観を受け入れてしまっている。

これでは、イスラム圏や中国との関係における多文化主義、体制の共存と対話という観点からしても、非常に硬直した、自分の立場からの、価値観と道徳の押し売りになる可能性があると思う。

そして、日本における国家主義の台頭に対しても、実は簡単な問題ではなく、自分のリベラル的な立場の対象化自己点検を経ての、用意周到な方略がないと、SNS上での叫びにはなっても、一般の人々の投票行動に結びつくアピールにはなり得ないのではなかろうか。

眞子さん複雑性PTSD診断「公表」問題をめぐっての議論も、この診断を受けた当事者に対して偏見が生じることについての当事者への連帯という意見が全くに近く見られず、ただ素朴な皇室への同情か、ゴシップ的な上げ足を取る中傷かにリベラル勢力すら大勢を占めた現実なども省みるにつけ、暗澹たる思いである。

差別の問題についても、単に優生思想を批判するだけでは、ホンネの次元に踏み込む形での、内なる「排除」意識との対峙に結びつかないと思う。

2021年11月13日 (土)

今野 元 (著) ドイツ・ナショナリズム-「普遍」対「固有」の二千年史 書評

トイトブルクの戦いからメルケル引退まで網羅しているにもかかわらず、もう、学習指導要領的ドイツ史観を見事に洗い直してしまって、最新の筆者の知見を紹介しているという、密度が高い本です。

そもそも従来の歴史用語(地名から党名まで)、全部みなおしてる。

エステルライヒ、シュヴァルツ、ベートホーフェンなんて序の口。

フランス革命なんて完全に相対化。

ローマ帝国(断じて「神聖」を頭につけない)は、ドイツナショナリズムの萌芽ではあるが実はヨーロッパの「普遍国家」志向、時代は下ってアメリカもソ連も「普遍国家」をめざした点では同列と。

メッテルニヒは反動主義者ではない、3B政策など存在しなかったとか。ゲーテがいかに後世、政治的に持ち上げられ、利用されていったかとか。

私はドイツナショナリズムがナポレオン戦争ではじめて顕在化したと思っていたのですが、はるかに遡れることについての文献的解説もあります。

マックス・ウェーバーの立ち位置についても、ちょうどウェーバー読んだばかりだからおもしろかったです。リベラリストとしての面よりナショナリストとしての面が強調されている。

ナチス(これまた意地になってNSDAPとしか呼ばない)時代については意外とあっさりしてます。

世界史ではほとんど全く教えない、戦後1960年代までの東西ドイツがそれぞれいかに屈折したサバイバルし、路線転換して復活していくかについてむやみとくわしいです(本書の後ろ半分を割いてる)。

ハーバーマスやマイネッケ、ドイツ歴代首相政権の位置づけもおもしろい(これまた見事に醒めた見方でもあるんですが)。

今wikipediaで調べたら、著者は、ウェーバーが特に専門みたいですが、とてもそんな枠ではでは捉えきれない学者みたいに思います。ドイツ史全体の新鮮な俯瞰能力が半端ではない気がします。

1972年生まれ。2021年フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞。

ほんとに油に乗っている人なのだと思いますが。


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2021年11月 4日 (木)

枝野氏が代表を降りたら立憲民主党は空中分解するか?

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王子のきつねさんから次のような情報をいただきました。

  • えだのんが辞めたら立民がバラバラになりそうになってきた。代表立候補者が右派(前原グループ)ばかりという惨状。結局、えだのんがのらりくらりしてたのは、諸勢力のバランスに配慮してたかららしい。これで政権交代目指してたの? ホントにトホホな政党だな orz

創立者の枝野さんが辞めたらそこまで凝集性がなくなる政党だったわけでしょうかね。

そういう政党にカルトしていた人たちって、いったいなんなんでしょうか?

そこまで空虚な「砂上の楼閣」だったのか?

それこそカルトの人たち自身が議員になったもよかったくらいか?

個々の議員さんには実績も人望もある人は少なくないでしょうから、そういう人たちが再結集するくらいしないと根本治癒にはならないのかもしれませんね。
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2021年11月 2日 (火)

私なりのTwitterサバイバル術

これは以前書いた以下の記事の続編なのですが。

●私なりの、SNS上で傷つかない、サバイバル術

人の言葉の「裏を読む」シミュレーション能力は、それが一面的なものでなく多角的な視点をもつものなら、磨いていいスキルだと思うのだけれども、実際に人と接する際は、敢えて相手の言うことを「額面通りに」受けとめて、紳士的に対応する、一見「お人好し」の戦術のほうが実は強いと信じている。

●「思い込みが過ぎる」ことを、実社会を生きるしたたかなシミュレーション能力に「変換」させよう!!

相手に悪意があるという前提で実際に反応していると、むしろ悪意あるレスとかもTwitter上で引き寄せるのではなかろうか。相手の中にみるものは、実は自分自身の「影」の心の部分だったりするのかもしれない。

TLの幾人かの人が使っていて知った言葉なんですが、「#エコーチェンバー」。Twitterって、いつの間にか自分と似た意見の人しかTLに流れてこない状況を容易に作れる。でも個々をとってみると見解の違いがある場合がある。そういう意見はむしろ傾聴すべきかと思う。

自意識過剰、被害妄想になるのはよくないが、自分のTLに、自分に直接「絡んで」こなくても、さりげなくこちらを牽制したりなだめたり皮肉を言っているかに見えるツイートが流れて来る場合もある。そういうツイートは虚心に我が身を振り返るために受けとめる方がいいと思う。

繰り返しますが、これはサバイバルのための「戦術」です。相手の嘘は嘘と見抜こうとすることは大事です。そうした上で、単に感情的に反論するのではなく、紳士的にこちらの言いたいことに巻き込むやり方のほうが賢いのではないかといいたいだけです。相手に賛成するフリをしてこちらの異論を納得させるという。

今思い出したけど、「まずは賛成意見のフリをしろ」というのは、私が中学時代から愛読した、民衆派弁護士だったスイスのカール・ヒルティが「幸福論」の中で勧めているアプローチです。

彼のこの発言は、手練れの「法廷闘争」術から出たものなんですね。

スイスの宗教的エッセイスト、「幸福論」のヒルティとフォーカシング

「幸福論」のヒルティいわく、「仕事は一つの仕事を集中的に片付けようとするのではなく、いくつもの課題を交互に少しずつすすめていくのがいい」・・・何かADHD向けのアドバイスみたい。

Twitterとかではおもてに出ない形で、別の場所に、ひとりでいいからダラダラとしたホンネのグチや策略を書いて、ウラの顔をみせて行っても、適当にスルーしならそれを許してくれるネット友達をひとり作っておくと、非常にいいガス抜きになったりします。そういう人には感謝しかないですが。

Twitterという、実は風さらしの場でホンネをグチっていると、誰がそれを読んでいるかわからないので、余計な「絡み」を誘発したり、リツイートされたくないツイートをリツイートされる危険があると思う。「いいね」にとどめてくれる自制心と良識ある判断をしてくれる人ばかりではない。

でも私のTLを見渡す範囲では、苦しい状況にある人のボロっとホンネのつぶやきに、リツイート皆無、「いいね」だけは数十以上というケースもみられるから、デリカシーのある人は結構いるものだなとは思います。

とりあえずの限界の5000人フォローしていると、フォロー返しができないのは申し訳ないですが、物凄い勢いでTLは流れます。それを集中的に追っていくのは一日の限られた時間しかできないわけですが、実にいろいろな意見と情報に接することができ、テレビや新聞に目を通すことなんて興味なくなりますね。

私のTLに流れてくるツイートで、普段は全然リツイートをかけないでいる人たちや、ジャンルもあります。おたく・ウマ娘系のイラストとか、競馬や鉄道の話題とか、平手友梨奈関連とか。猫写真も、時には癒やしにもなるかなと思ってリツイートしますが、いずれにしても氷山の一角ということになります。

ウマ娘関連なんて、カテゴリーごとフォローしているから、実に膨大な二次創作が流れてくる(みんなうまいねえ。私のところに流れつく時点では1万「いいね」あたりまえ)んですけど、特別な場合を除いてリツイートはしません。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」はちょうどTV放映の時期なので例外。

ともかくフォローしている人とフォロアーに、まじめな政治系の人や障害当事者の人も多いから、これでも普段から気をつかっているつもりでもあります。特に最近はそうしてきているかな。

Twitterでは別に仕事用のアカウントも持っていて、そっちは専門の心理系のツイートしか流しません。こっちのコピーも多いですが。基本的にこっちは、これでも「プライベート」用のつもりだったりします。こっちのアカウントが、クライエントさん誘致に役立ったことなど、全然といっていいほどない。

個人的には、SNSと比較してマスコミをおとしめるような論調は好きではないです。地震や災害・事故などの時に大活躍するのは評価するしかない(大震災の時は目を見張りました)。マスコミの個々の報道について批判の目を向け、正しい情報をSNSで粘り強く広め、拡散しようとするのは大事だと思いますが。
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トロントだより

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     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。