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文化・芸術

2022年1月23日 (日)

北山修「幻滅論」からの連想

「無意識」というものを他の人が「言い当てる」ことは不可能だと思う。そうした「言い当て」はすべてそれを言う人の「投影」だろう 。本人が漠然と感じている「感じそれ自体」をその人自身が感受して行き、言葉になったことだけが、その人の無意識「だった」ということになるだけだ。

他人に気持ちを「察して」もらわないと相互作用が成り立たないなのは、ある意味では赤ん坊だけだと思う。幼児になれば、大人との言葉「も」介したコミュニケーションの中にあり、子供からの自発的・言語的訴えを大人が「引き出す」コミュニケーションを主導する形になっていくのだと思う。

成人になってくれば、相手に自分の気持ちを「理解させようとする」言語スキルを磨くことになってくる。そのためには自分で自分の気持ちを「理解」し言語化できる前提がある。 もとより、そのスキルを磨いてもらうための援助をする他の人間は必要であり、自己責任に帰することはできない。

非常に個人主義的で、日本的「察し」の文化ではない理想論かもしれないが、原則的にはそう思う。

ネットのような、表情や身体の態勢、息遣い、声の調子、臭いなどの非言語的なもの(仮に画像があっても3Dではなく、presence=臨在性が低い)が伝達されない媒体を通してのコミュニケーションというのは、よほど用心しないと、行き違いだらけになるのも宿命かと思う。

「臭い」なんて、極端なこといいますけど、コロンを変えたなとかもあるし、フェロモン(性的な意味だけではなく)同士の原始的相互作用というのだって、動物ではない人間にも多大に実はあると思います(臭いについては、中井久夫先生も触れている文献があります)。

私は、カウンセラーとは、クライエントさんが「自分なりの新鮮な」言葉(それはカウンセラーにとっても全く新鮮なものでものであることも多い)で自己理解をしていくのを「援助」する存在でしかなくて、クライエントさんの気持ちを「言い当てる」ことへの欲望を持つべきではないと考える。「偶然」当たることはあっても。

人が「悲しい」と言っている「悲しい」も100人いれば100通りの「悲しい」であり、それを「その人が」心身でどのような「質感」で感じてる事象であるかは本人にしかわからないと思う。そのことの「尊厳」は守った上で「共感しようとしてみる」のだ。

 

ひょっとしたら「理解しあえた」というのは「理解したつもり」と「わかってもらえたつもり」という双方の「幻想(錯覚)」がたまたま一致しているだけかもしれない。「あの時同じ花を見て美しいと言った二人」の心が通い合っているのかどうか?

・・これ、作詞者の北山修先生が問題提起したことですよ。

興味がある人は、北山先生自身の「幻滅論」読んでみてください。

ここでいう「幻滅」とは精神分析家、メラニー・クラインのいう"disillusion"(脱錯覚)のことであり、否定的な意味ではありません。

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2022年1月20日 (木)

占いや開運グッズにこだわることの長所と短所

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占いや開運グッズに凝り出したり、オカルトに関心を持つようになった人は、得てしてそれを家族や他人にも勧誘し、押し付けようとします。中にはマルチ商法に巻き込まれているケースもあるわけです。

こうしたマルチ商法に引っかかった場合には、科学的根拠のない商品を、時として深刻な身体の病気に関わることまで盲信して使ってしまい、人にも勧めてしまう場合もあることは大きな問題です。

縁起をかつぐこと、開運グッズに凝ることを、自分の運ばかりを信じ、努力をしないと批判する向きもあるでしょう。しかし、そもそも努力しさえすれば自分の人生が開けるという信念にとりつかれているのもどうかと思います。それもまた、ひとつの「宗教」に過ぎないという見方もできるかと思います。

自分の人生の現状は、さまざまの運やめぐり合わせなど、自分ではコントロールできないものによって成り立っているという側面も、確かにあると思います。

もとより、様々な社会的・家族的な問題を、運のせいにしてしまうというのは問題もあるかと思いますが、そうしたことを考慮に入れても、人生には、努力や才能や財力だけでは決定づけられない要素があることを否定できないという人は少なくないと思います。

現代では、占いの結果や縁起物の購入などによって、実際の自分の運命が予め決められているとか、変えることができるとは思えない人も多いでしょうが、いい運勢と出たことによって元気を出す人もあるでしょうし、悪い運勢が出れば、そのぶん気をつけてものごとを行なう人もいるでしょう。

多くの人は、そのような心持ちでおみくじなどを理解しているでしょうし、良心的な、害のない占い師は、そうした勘所をわきまえているものだと思います。

年中行事で厄を払うために特別な品を買ったり、捧げたり、行事に参加することは、たまったストレスを浄化し、心機一転する効果もあるでしょう。

******

ただ、敢えて言いたいのは、運勢や縁起ものにこだわる人の中には、人とのつながりを感じられない、孤独な人も結構含まれているのではないかということです。

こういう人は「運命の人」と出会ったと感じると、その人のことを盲信しようとし、仮に様々な疑念を感じたり、ひどいことを言われたり、強制されたりしても、押し殺して屈従してしまう場合もあるのではないかと思います。

DVや、金の無心を繰り返しされる場合が典型でしょう。完全に洗脳状態にはまりこんでしまうのですね。何をされても、自分が悪いのだと思いこんでしまうようになります。相手が謝ってきたら、それですぐ許してしまう。でもしばらく経てば、同じことの繰り返しになるわけです。

相手に対して感じた違和感は、それが言葉でうまく説明できないものであったとしても大事にし、その相手に直接問いただすことはできなくても、だれか信頼できそうな人にまずはうち明けてみるだけでも大事かもしれません。

時には、そうした問題に詳しい弁護士などを含む専門家に相談するほうがいいケースもあるでしょう。

もちろん、いい出会いに恵まれるケースもあるでしょう。

ところが、不幸な生い立ちをしていると、相手を信頼できなくて邪推して、すぐに疑ってしまい、それが妄想の域に到達してしまう場合もあります。

全然浮気なとしていないし、しそうもない配偶者が浮気しているものだと思いこむ場合もあります。これを「嫉妬妄想」といいます。

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2022年1月14日 (金)

フォーカシングと創造性

私の目からみたら、精神分析系の人は、文学的というのに近い「華麗な」概念を「ユニークに」使えることにほとんど自己愛的に酔っていて、そういう次元での論争に明け暮れているように思えることがあるというのは偏見だろうか。

そもそも、いわゆる力動心理学と、認知行動療法や行動療法と対立的にとらえるより、むしろ実践的にみてそこに生起する現象が「共通の」ものであり、そこに別の「説明」を与えているのではないかという視点も重要だと思う。

心理療法の学派の違いなんて実は現実のカウンセリングにはほとんど影響せず、「概念」をどれだけ「血肉化」しているかという違いだけで、頭でっかちの、あるいは逆に、技法を小手先で学ぼうとする人と、臨床の「普遍」なものに気づいているかいないかのほうが大きい気もする(すごく偉そうですが)。

極論すれば、心理療法各学派間の、優劣をめぐっての「論争」は、ほとんどの場合「内ゲバ」なのではないか? 単に「折衷」するのではない意味での、効果的に活用できる臨床家に共通のエッセンスの掌握こそ、生産的な探求のように思える(私なりの理解では、#村瀬嘉代子 先生はこうした立場に近い)。

念の為にいうが、私はすでに後者の境地に十分に達していると言いたいのではない。私より優れて現場臨床的なフォーカシングに拠って立つ臨床家の数は決して少なくない。そういう人は容易に識別でき、そういう人と出会うたびに自己愛の鼻をへし折られ「負けた!!」と思う程度というのが私の現実である。

ある意味では心理療法理論をニュートンからアインシュタインに昇華してしまった #体験過程理論 を背景とする #フォーカシング を学んだ臨床家も、この例外ではないのであって、いつまでも「技法」のまわりをぐるぐるまわっていて現場臨床と隔絶している人と、それを克服した人の落差は大きい。

自慢になるのは承知だが、#体験過程理論 の基本文献である、ジェンドリンの「人格変化の一理論」を、心理学科に転籍する以前にあっさり理解でき、訳者の村瀬孝雄先生に認められたことが、私がこの業界に入れたきっかけである。

それでも、#体験過程理論 が、心理療法理論の「ポストモダン」で(すでに50年前から!!)あることまで知らない(というか、わかりやすく教えられない)フォーカシング・プロパーの人が多いと感じる。この点で自分がそういう存在になるべく一層研鑽を積む「責任」はあると感じている。

非常に単純化していえば、私たちは、言葉になる以前の「こういう」感じとしかいいようのない、一定の質感とトーンを持った「感じ」それ自体に支配されてしか生きていないという、ある意味で非常にあたりまえの前提に引き戻した点こそ、#ジェンドリン の #体験過程理論 の最大の貢献。

フーカシング「技法」を学ぶ人は、得てして、実はこれさえできればいいというベースライン以上のことをしようとしていて、かえってフォーカシングを「できない」だとか、日常や現場臨床で使いこなせないという自家撞着にはまっている。・・・ホント、これだけなんだってばさ。

この、いろいろ「説明」できる前の、曖昧な「感じ」それ自体を大事にし、それをいじくりまわさず、静かに注意をむけ、「そばにたたずんで」いられるようにさえなれば、人の中に、それまでになかった変化が始まるということを「実感」したことこと自体が私の運命的転機である。

私は、最高学府大学院という学歴の割には、高度な抽象概念を自分では使いこなせない人間で、それを完全に「血肉化」して(これは頭でっかちに信条化することとはまるで逆のこと)、使いこなせる人には敬意しか感じないが、少なくともそれを使いこなせる人の「言語の使用」についての、柔軟な「理解力」はあるつもりである。

(これはどの専門・学問領域であるかに関係なく)どんなに高度に専門化された学問的専門概念にみえるものであっても、少なくともそれを案出した創始者の中では、非常に新鮮で生き生きとした、自分の体験に密着したものなのだと思う。そういう次元に還元して理解しようと努めるべきだと思う。

それが経済の理論であろうと新しい政策であろうと商品開発であろうと芸術作品であろうと、関係なく言えることだと思う。

もっとも、その新しい概念やパラダイムの創始者自身が、それを「頭でっかちに」「ドクマとして」教条化しようとし始めたり、少なくとも弟子が「頭でっかち」をはじめることの弊害が大きい場合も多いと思う。

ただし、クリエイティビティの高い新パラダイムの創始者は、決して己れの一旦打ち立てた概念や理論や方法論に飽き足らず、絶えず変化と進化を止めないのである。その変遷を「頭で」追いかけ、理解しようとする「信者」は混迷することが少なくないのだが。

いずれにしても、分野に関係なく、「クリエーター」であり続けることができている人って、別に技法として学ばなくとも、すでに #フォーカシング にあたるスキルは、天性のものとして身につけているので、今更学ぶ必要はない。

しかし、それ程の天賦の才能に恵まれていなかった人も、フォーカシングを学べば、「それぞれの分野における(それが経済や株投資(!)であろうと・・・れはジェンドリン自身が"economical instinct"として言及している)」業績を一層上げられるようになる可能性は高いと言える(大風呂敷ではない)。

そんなの下々の平凡な自分の日常には関係ないやいという人においても、いろいろな逆境におかれ対人関係や症状に苦しんでいる人についても、QOLを上げることには #フォーカシング は必ず役に立ちます(きっぱり)。それは自分と関わる「他人」すらいつの間にか変化させるくらいのパワーがあると思う。

以上書いてきたことは相当な大風呂敷に響くかと思いますが、少なくとも小手先の技法ではない次元でフォーカシングの技法を「身につけて」自分の生活に反映できているフォーカシングの指導者に学ぶ限りでは、学んで損ということは決してないでしょうね。

筋のいい人ならフォーカシングの本を読んで独習するだけで身につくのですが。 ただし、周囲の人に迎合する付和雷同なライフスタイルは超えてくことになるでしょうから、そのぶんの波風は覚悟しないとならないかとは思います。

フォーカシングを十分身につけた人間の人生は、ある意味では新たな出会いを引きよせることが多いかとは思いますが、同時にこれまでとのなれ合い的人間関係とは一歩距離を取り、孤独になることも覚悟せねばならないかとは思います(フォーカシング業界の内部でも孤独になる危険を犯すことに)。

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2021年12月26日 (日)

NHK土曜ドラマ「風の向こうへ駆け抜けろ」後編 短評

前編が原作を丁寧に活かしたいたのに対して、後編にはひらすら熱血ドラマになりましたが、これはこれでいいのではないかと。

原作以上に児童虐待やジェンダーの問題に踏み込んでいたと思います。

私は原作読んでたから、ドラマだけ観た人の感動は想像するしかないですが、てちたちがおウマさんと関係を築くまでの労力や、貧乏牧場でのロケ含め、非常に力入れたドラマだったっと思います。

2021年12月23日 (木)

SANSUI 真空管ハイブリッドアンプ搭載CDステレオシステム SMC-300BT

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ORION(オリオン) Bluetooth対応 サウンドバー SBS-900BT のハイ・クオリティに感心したので、実質同じメーカー(SANSUIのブランド名を現在取り下げただけ)のシスコンも買うことにしました。

全く期待を裏切らなかった。完全に想像通りの音でした。


真空管アンプというのは、デジタル再生において、「奇数次高調波歪み」を打ち消し「偶数次高調波歪み」を強調するように働きます。 「偶数次高調波歪み」はもともと楽器の音にも豊富に含まれる「倍音」の成分なので豊かな音に感じられるのです。 反面「奇数次高調波歪み」が少ないことにより、不快で聴き疲れする音が少ないことになります。
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この製品も、スピーカーのコーン(振動板)にミツマタの植物繊維を用いています。

相当に立ち上がりがいい音がして、相川七瀬のようなガンガンくるサウンドも十分対応します。非常に艶っぽい響きですね。

これで実売24,000円というのは、驚くべきクオリティでしょう。

ぜひ皆様にもおすすめしたい製品ですが、SANSUIブランドはやめてしまいましたので、現在市場に出ている製品のみしか残っていないと思います。

現状はまだAmazonでも在庫は十分あるみたいです。

 

2021年12月18日 (土)

NHK土曜ドラマ「風の向こうへ駆け抜けろ」前編 短評

NHK土曜ドラマ「風の向こうへ駆け抜けろ」前編は原作読んでいたイメージ通り。

配役も適材適所。てち の主人公が原作のイメージより生意気なくらいかな。

てちの目がやたらとギョロギョロしていたがそれも役作りだろう。

前編の終わり方もほぼ予想通りの箇所。

後編の感想はこちら

2021年12月 9日 (木)

miwaの「青空」

原稿書きの筆休めにAppleMusic で上白石萌音 のカバーと巡りあって、劇場アニメ 「カラフル」 のエンディングで使われていい曲やったなと思い出した。

特に詞が桁外れに素晴らしいと思っていたのだが、元はブルーハーツの曲だと知って、納得。

2021年11月29日 (月)

「鬼滅の刃」の主人公になって、仲直りの宴会で致命的な失敗を犯す夢

私は「鬼滅の刃」は、劇場版アニメ予告編と原作の第1話しか観ていないのですが、アニメで「遊郭編」が開始されることに関連したツイートが幾つもみられることが直接の引き金と思われる、次のような夢を観ました。

私は主人公、竈門炭治郎になっています。そして夢の中での設定としては、2つの高校の間での暴力を伴う抗争劇ということになっています。

この抗争に手打ちがなされ、両グループ和気あいあいの宴会が催されているという場面。

数々の歌や踊りが披露されているのですが、敵だった側のひとりが、自作の楽器で弾き語りを始めます。それは素晴らしいものでした。

私はその楽器を触ってしまいます。するとその楽器が壊れてしまい、「しまった!」と思います。

・・・これで夢は終わり。

*******

「鬼滅の刃」がいろいろな次元で差別と関連する話題になっていることも関係するとまずは思います。

この夢を要約すれば「以前は対立しあっていた人たちと関係が持てるようになる。しかし、私の小さな不注意で、その関係が台無しになる」

となるかと思います。

私は最近、眞子さん複雑性PTSD問題や「温泉むすめ」問題で、非常にデリケートな立場をネット上で維持しています。

フォロアーの方には、被害者や障害当事者のフォロアーが急速に増えました。

私はそれもあり、自分のツイートのみならず、どれをリツイートするかにまで気を配っています。

しかし、正直に言って、薄氷を踏む思いです。

現実には私の失言等で、せっかく築き上げた関係にひびを入れることはまだ生じてはいませんが、そうなりはしまいかという危惧を常に抱いています。

そういう「予知夢」「警告夢」の意味あいを持つとまずは解釈しました。

******

次に、夢の中に登場するのはすべて自分の分身という捉え方も試みてみました。

楽器で歌を披露する元敵側の人物は、なるほど私自身でもあるかと思います。そして、「壊れやすい手作りの楽器」とは、おそらく今私が書いている本の原稿のことを指します。

原稿の内容自体、デリケートなもので、細心の注意を払って、推敲を重ねた上で幻冬舎編集部に逐次送っていますが、これは編集会議での資料にという思いがあるからです。

ここにも、私は、注意しないとせっかく築き上げてきた信用が壊れてしまうという不安を感じながら慎重に進めています。今の所編集部には好評ですが、実はこの本を出すにあたっては、他の方の表現創造物を題材としていまして、そちらの編集元の大会社との著作権や名称権の交渉という、誠にデリケートな今後の課題をかかえています。

これが通らないと、せっかく情熱を持って書いてきた原稿そのものが無意味となり、わたし自身が精神的に参ってしまいます。

「壊れやすい楽器」とは、実は自信満々の私自身でもある。

このことへの不安と緊張が夢に反映されているのも間違いがないでしょう。

「楽器で自作の歌を歌う登場人物」となると、実は私の知り合いにそういう人が実際にいまして、デリケートなその人といい関係を保つのに腐心しています。今度私に会いに来てくれる約束をしているのでなおさらです。

さて、「夢フォーカシング」の自己分析の方略に「夢の続きはどうなるか」というのもあります。

これに従い、楽器を壊して「しまった!」と思ったところで「これは夢だな」と目をさました夢の続きを連想してみましょう。

・・・そうですね。まずは土下座して謝るんじゃないか。

そして、今度は私が歌い出すんじゃないかと思います(^^)

 

2021年11月25日 (木)

虚構の性表現が、実際に性暴力「行動」を促進するという、行動主義的・実験的リサーチって、ありますか?

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●表現悪影響論・表現規制論に対抗するための『理論武装』~その科学的根拠~(手嶋海嶺 note) 

いずれにしても、ここで紹介されているのは、「アンケート」水準でのリサーチであり、行動主義的な実験心理学の手法を用いて、一般の被験者(投影法心理テストなど併用すれば、性衝動や攻撃性や行動化傾向についても被験者ごとに客観的に測定可能と思います)にポルノ媒体に触れさせ、現実の性衝動が性暴力的「行動」として亢進するかどうかの研究ではないようですね。

かの有名なシャクターの吊橋の実験などを参考にすれば、実験群・統制群を設定して、いくらでもリサーチできるはずです。

●吊り橋理論 - Wikipedia

ボルノ媒体に触れた群・触れない群それぞれに、サクラとなる人物を「実際に」誘惑するかどうかとか、あるいはバーチャル空間を設定して、性暴力「行動」に走るかどうかのデータをとればいいだけのことと思うのですが・・・どうしてそういうリサーチを誰かしないのでしょうか。

もしご存知でしたらそういう実験的リサーチも紹介していただければ幸いです。

いずれにしても、そういう「実験的」リサーチを経ないまま、性暴力の実際の増加についての論を張るのは、だだのイデオロギーだと思えます。

決して皮肉ではなくいいたいのですが、表現規制派は、そういう実証的実験を促進するように研究者を募り、資金提供すれば、いくらでも、自説に都合のいい結果が出る実験的研究は出て来ると思うのですが(それを支持する実験的リサーチが出れば、それを検証したり追試すればいいだけのことです)。

そこまで戦略的に踏み出すフェミニストはいないのでしょうか?😆

 もしそういう、実験群と統制群のある、「行動主義的」・実験的リサーチで、性表現に触れることが性暴力「行動」を促進することに有意性があるというリサーチが「あまた」あらわれ、それを反証できないとすれば、私も、一定の範囲での性表現規制には賛成にまわりたいと思います(約束します)。

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2021年11月24日 (水)

新著刊行についての今後の進捗(1)

明日、幻冬舎からの新著の刊行の正式契約をネットクラウドを通して取り交わします。

まさに今の社会情勢を反映した内容で、状況はあまりにも流動的、「旬」を逃すと明らかに売り上げにも影響するので、このブログへの新規記事を抑制してでも空き時間を執筆に傾倒、1月初めまでには完成原稿を送付できることはほぼ確実です。

内容は、精神分析をはじめとする、これまでの私のカウンセラーとしての知見の集大成と行っていいものになりそうで、現代の家族関係の問題を色濃く反映させたものとなるはずです。

すでに送った原稿は、担当編集者も予想以上の内容だと身を乗り出す感想をしてくれ、自分もそのテーマについていろいろ勉強してみたいと言い出しています。

自分で言うのも何ですが、非常に魅力的な文章と構成だろうと思います。

ただ、大出版社というのは、こういう時にできるだけ緊急出版する決断をするまでにはいろいろあるようで、当初私が想定していたより実際の刊行は遅れ、2022年夏になりそうです。

中学生ぐらいならスラスラと読める、一般の人目線の、誰もが我がことのように感じる、関心をもたれやすい題材と思いますので、是非期待しておいてくださいね。

私のこれまでの著書は以下のとおりです:


より以前の記事一覧

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トロントだより

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     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。