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恋愛

2021年9月 8日 (水)

ジョゼと虎と魚たち(劇場アニメ)【途中までネタバレ】

久しぶりに映像作品のレビュー。

Twitterで流れてきた。

田辺聖子の20年前の短編が原作で、数年前に実写映画化され、劇場アニメは昨年(2020年)だそうだ。

大阪が舞台。

大学で海洋生物学を学ぶ鈴川恒夫。メキシコに留学するのが夢で、ダイバースショップでバイトをしている。

バイトの同僚に二ノ宮舞と松浦隼人がいて、一緒に海に潜っている。

ある日、坂の上から車椅子に乗った女性が暴走してくる。恒夫はそれを受け止める・・・というか、サンドバックになる。

彼女の祖母がすぐあとを追ってきて、夕飯を奢ってもらこととなる。

祖母は、散歩に連れ出す以外は、「外の世界は怖いぞ」と言って、彼女を外に出したがらないようだ。

彼女の名は山村クミコというが、自分のことを「ジョゼと呼んで」と言う。

祖母は、恒夫が金に困っていると知って、新たな「バイト」を提案する。

それは家でジョゼの相手(管理人)をするということ。外には連れ出さないという条件で。

その間、祖母はパチンコに行っている。

ジョゼは偏屈だったが、実は夢見がちな少女(といっても24歳)で、自室にこもって絵を書いている。

ある日、恒夫は、ジョゼの不在に気づく。追いつくと、ジョゼは「海が見たい」と。

二人は電車に乗って、海に向かう。

その後も二人は、祖母に内緒で、外出を続ける。遊園地、動物園(ジョゼは虎を外の世界の怖い存在の代表と思っていたようだ)、映画館、水族館、そして図書館。

図書館で、ジョゼという名前が、サガンの小説の主人公の名前であることがわかる。ジョゼは同じくサガン好きだった、司書の岸本花菜と意気投合する。

ジョゼは繰り返して図書館に通うが、ある日、子供たちのための絵本の読み聞かせ役がやめてしまっていて、子供にジョゼは読み聞かせをせがまれる。

絵本は「人魚姫」。しかし、子供たちは退屈してちりじりになってしまう。

しかし、子供のひとりにせがまれて、ジョゼはホワイトボードに人魚姫のお城の絵を書く。

その絵に感嘆した司書は、ジョゼに絵描きになるように勧める。

幸い、恒夫の留学先としてメキシコの教授は色よい返事をしてきて、卒業後留学して来いという。奨学金の目処も立つ。

しかし、ある日唐突に祖母は死んでしまう。

福祉の担当者から、今後はどうやって生きていくのか、働いたらと勧められるが、ジョゼは絵かきになりたいと。しかし現実を見ろと諭される。

ある日、ジョゼは自分から恒夫のバイト先に行ってみたいと言い出すが、楽しげに話す恒夫の様子に突如気が変わり、帰ってしまう。

「健常者に私の気持ちなどわからない」と。

ジョゼは「嫉妬」したのだ。

ジョゼは姿を消す。

それを探しに行った恒夫は、ジョゼが道の側溝に引っかかって動けないでいるのを発見する。

しかしそれは、恒夫にとって思ってもみない運命の幕開けであった・・・

******

いい話ではある。

原作や実写映画はどう描かれたのか、敢えて情報を集めなかったが、もっと泥臭かったのではなかろうか。

ストーリーが読めすぎてしまう(舞の描き方とか)。

そして、みんな、みんな、いい人なんだよwwww

私は原則としてこういう言い方はしたくないし、ピュアなお話も好きなのだが、これは「美しすぎる」。

困ったなあ。

第44回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞らしいのだが。

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2021年9月 6日 (月)

高校で成績低下に苦しみ、いじめを受ける夢

ちょっと久々の、私が見た夢の報告シリーズ。

******

私は高校2年生。

私立高校に通っている。リアルワールドで私が通った高校だが、男子校だったのが、夢の中では男女共学となっている。

私は(夢の中では)1年生の時に、数学以外は抜群の優等生であったが、2年生になってから、学業への意欲を次第に失っている。

授業中に、繰り返し教室を抜け出し、トイレに籠もっている。

教室に戻ってみると、授業は進行していて、途中の内容がわからなくなっていることを不安に感じている。

しかし、頭の回転が急速に衰えており、とても去年のようにはできないと感じている。

特にもともと苦手だった数学の授業の際に、ただでさえ苦手だった科目がいよいよ授業の進行が意味不明になり、これで次の定期試験に点が取れるだろうかと不安になっている。

小グループに分かれて、テーマについて討論しながら進めるという、ある意味で進歩的な進め方をしている時限にも、最初から教室を抜け出して、しばらくして戻ってくるのだが、自分が今更どのグループかに入れてもらうことは無理だと感じる。

担任教師(リアルワールドでも担任だった数学教師)に、

「私は調子が悪かったので教室を抜けさせてもらっていたのですがどうしたらいいのでしょうか?」

とうち明ける。

教師は別に私を咎めだてすることはない。

その後教師が私にどう対応したかは夢の中では描かれていない。

******

シーンは飛び、私が授業をあまり受けていないことについていじめを受け始めている。

私は2人がかりで押さえ込まれ、そこにこれまた二人がかりで女子生徒が無理やり連れて来られ、スカートの中の女性器(毛が生えていない、肌色の、きれいな女性器である)を、私の顔にを無理やり押し付けて来ようとする。

私は、

「馬鹿野郎! 私は女性経験が豊富だから、女性器なんていくらでも見ているし、クンニ何のことはない」

と答える。

結局女性器は押し付けられることはなく、女子生徒も解放されたようだ。

私は、トイレに自分のリュック(リアルワールドで現在使っているものと同じ)を置いてきたままであることを思い出し、トイレの個室に向かう。

しかし、リュックの中の持ち物の重要なものは、消えている。

どう探すかについて、クラスメートに問いかけるが、その後の展開不明。

教室に戻ってみると、NHKのドキュメンタリーをもとに討論する展開の途中に出食わす。

私は、その中に参入できない。

*****

しばらくシーンが飛び、クラスに学年中から選抜された、20人程度の「リーダーと言える生徒」の集会が、円陣を組んで開かれているのに遭遇する。

その中のひとりが、

「去年のままの君なら、当然このメンバーの中に選ばれていた」

と言って来るが、私も

「確かにそうだろうと思う」

と答える。

*****

再び教室での通常の授業のシーンに飛び、私は、先程登場した教師にと生徒たちに、

「私はうつ病で、思うに任せない」

と打ち明ける.

*****

シーンは飛ぶ。

図書室に、「○○文庫」という、私の大学学部生時代の心理学の恩師の名を冠した大きな書棚がある。

夢の中の世界では、そういう書棚が登場するシーンはこれまでにもあり、いわば私の夢の中では「常識」となっている。

私は、恩師が実は学界では非常な業績を残した人物だったのだと、今更のように感慨にふける。

・・・・以上。

*****

「高校2年生になってそれまでの優等生から一転して、勉学への意欲を失う」

というのは、私の夢の展開として、非常によくあるパターンである。

これは、中学時代に、実際、1年生の時勉学意欲が旺盛だったのに、2年生になって急速にそれが萎えていったというのと符合する。

ただし、私は教室から抜け出すというようなことはなかった。

「途中でブランクがあるために、今更参入するグループを見いだせず、途方にくれる」

というのは、私が学界で実際に生じていた現象で、その原因が「うつ病」であるのも事実である。

(こう見えても、私は周期的なうつ病持ちであり、それがこのブログの、生産性が高い時期と、休止同然になる時期の繰り返しとも関係している)

実際には、復帰してみても、私はよく覚えてもらっていて、好意的に「久しぶりだね」と挨拶されるのだが、現在、母の介護のこともあり、再びグループに参入して、具体的な活動をしてはない。

・・・今思い出したが、来週には、ZOOMを通して、私が久しぶりに参入したグループのミーティングに参加することになっている。

問題の「いじめ」のシーンだが、持ち物を隠されるといういじめは、結構受けていた。

女生徒の性器を顔に押し付けられそうになるという、ある意味でこの夢のクライマックスは、意味不明だが、私が女性の性器などには平気であること、クリニングスなど何の抵抗もないのは事実である。

女性に関しては「現役」であることは、何度かこのブログでも言及した。

それがなぜ今夢の中に登場したかということになるが、2つ前のエントリーで、フロイト「狼男」症例を久々に読み返したことについて触れたが、狼男症例が、生々しい性描写と関係することの影響が大きいかと思う。

恩師の名を冠した図書館の文庫というのが、夢の中に何回か出てきたことがある展開だとはすでに述べたが、それが高校の図書館にあるというのは時代の転倒ということになる。

私の恩師(学部と大学院、ふたりいる)が、学界でも業績ある人物であったことは事実だが、図書館のひとつの書棚がいっぱいになるほどの著作があるわけではない。

******

まあ、こんなところであろうか。

夢の中だから当然とはいえ、「頭がまわらない」のは結構苦しかった。

現実の私は、むしろ生産性を増し、頭の回転が向上しているのは、このブログの現状が示すとおりである。

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2021年8月28日 (土)

相原瑛人/ニューノーマル【少しネタバレ】

コロナがせいぜい1年ぐらいで終息するというのが大方の人が抱いている予想であろうが、それはひとつの「幻想」なのかもしれない。

そうした前提で、近未来の学園生活を描いたコミックである。

まだ第1巻しか読んでいないが、ほとんど「一点突破」の想像力で描かれた作品。

でもホントにこうなるかもと思わせる。

作画はいかにも今の世代向けの、すっきりとした清潔感のある描線で、非常に受け入れられやすいだろう。

企画の勝利である。

少しネタバレすれば、このままでは「恥ずかしいこと」の基準が変わるかもしれない、というお話。

2巻目以降は読んでいないが、このままラブコメ路線で引っ張るわけにはいかないであろうから、「壁の向こうの世界」についての、「進撃の巨人」的な謎解きに向かうのかも・・・と、勝手に妄想。

2021年8月27日 (金)

「ドライブ・マイ・カー」公開記念、濱口竜介監督へのインタビュー記事から連想すること。

――村上春樹さんの作品は原作の『ドライブ・マイ・カー』が収められた短編集『女のいない男たち』(文春文庫)はもちろん、大ヒット作である『ノルウェイの森』(講談社文庫)にしても、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)にしても、主人公の男性が「女性に去られる」という設定がとても多いです。男性が女性の不在をきっかけに自分と向き合うということが村上春樹作品の本質だと感じます。

濱口:僕もその点は、村上作品の面白さの一つだと思っています。今回の作品でもその設定をいただきつつ、「女性に去られた男性が自分と向き合う」までをきちんと描きたいと思いました。

「女性に去られる」というのは、未だに男性の根源的な恐怖でしょう。男性にとって自分が一番信頼していた他者である女性がいなくなってしまうのは、人生が土台から揺らいでしまうことです。もちろん、女性が男性に去られる場合もありますが、どこかニュアンスが異なる気がします。今回は男性が、そこからどう抜け出して人生を立て直すか。それがこの映画の基本的な運動になります。

――この作品は40代後半の家福が打ちひしがれ、涙する様子が臆面もなく描かれます。自らの弱さを認めてそれを乗り越えることが強さであると受け取りましたが、1978年生まれの濱口監督よりも上の世代の監督作品で、男性が泣くことはほとんどなかったように思います。

濱口:今、僕たちの世代は過渡期ではないでしょうか。映画の撮影現場ひとつにとっても、少し前の世代までは暴力が横行していた。下の世代には、明確にそれはおかしいという感覚がある。僕たちの世代は既にある上の世代の文化に飛び込んである程度順応しつつ、違和感のあるものは下に伝えないよう努めている世代だと思います。

とはいえ、暴力的な態度が資源や時間がない時に人をコントロールするために有効な方法であることも目にしましたし、その文化が内面化された部分も必ずあると思います。それに対しては意識して自分を更新する必要があります。男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。

(中略)

濱口:女性を描く時には社会の圧を跳ね返すようなある種の強さまで辿り着くよう、自分に課しているところがあります。一方で、男性を描いていても社会的な問題にたどり着かない。当人の内面の問題に終始しがちです。それは、男性が社会構造に保護されているからです。現時点で、男性を描く場合にリアリティを持ってできたのが、「弱さを認める」ということでした。

これからの時代、男女平等が進んでいくとすれば、男性は生まれた時から無自覚に得てきた特権をどんどん奪われていくことになります。それは個人の視点からすると単に抑圧され、奪われるようなつらい体験なのかもしれないけれど、自分にその特権が与えられた歴史を学びつつ、それはむしろ起こるべきこととして、その痛みを受容しなくてはいけない。

今回の作品は直接的にそういうことを描こうと思ったわけではないのですが、映画を作るうちに自然と、「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

――監督の過去作『ハッピーアワー』も本作も、「自分ときちんと向き合うことで相手を理解する」ということがテーマになっていると感じました。本作の原作者の村上春樹さんは『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)の中で、「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁をこえてつながる」ことをコミットメント(人との関わり合い)の本質だとしていますが、そのことは濱口監督のテーマなのでしょうか。

濱口:その本は僕も好きで20代前半の頃読んでいました。特段そのことを意識して来たわけではないのですが、原作『ドライブ・マイ・カー』の中の「どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。(中略)本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」という岡田将生さん演じる俳優の高槻の言葉は、彼自身の深いところから発せられた言葉として家福に受け取られるし、村上さんが書かれたその高槻の言葉自体が、きっとそうなんだろうという説得力を持つものでした。

なので、そのシーンは映画の中で実現したいと思いましたし、結果的に映画の核となる部分にもなりました。

――本作では手話を使うろうの人も含めて、異なる言語を持つ人たちのコミュニケーションの豊かさが描かれていましたが、このような「多言語演劇」のスタイルを起用するきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

濱口:ボストンで1年間暮らしていた頃、英語の語学学校に通って勉強していたのですが、自分より言語ができなくてもコミュニケーションできる人っていますよね。その時にコミュニケーションの本質は言語ではないと改めて思い知らされました。

言葉が流暢だからコミュニケーションできるのではなく、言葉を持っていなくても、コミュニケーションしたいという気持ちや相手に対する好意がある人は、多少英語が話せて言語によるコミュニケーションが可能な自分よりも、深いコミュニケーションをしているなと。そして、自分もそうできたらいいなと思っていました。

言葉によってコミュニケーションが阻害されているとまでは言いませんが、言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。それは映画の中で多言語演劇をやってみようと思ったきっかけの一つです。

――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。今回のキャストでは、たとえば演劇祭スタッフのユンスを演じたジン・デヨンさんはまさにそういう人だし、そのことが映画にもにじみ出ていると思います。

――脚本を担当した1940年代の日本と中国を舞台に国家機密を前にして揺れ動く夫婦を描いた『スパイの妻』もそうでしたが、今回も「悲しみを失った人同士がつながる」というテーマの下、多言語演劇を取り入れ、時空や空間を大きく跨ぐスケールの大きな物語を描いています。どのようにしてプロットは思い付いているのでしょうか。

濱口:大きいテーマを扱っている意識はないです。それよりは、ボストン在住や国際映画祭での体験など、自分の個人的な身体感覚をベースに作っています。スケールが大きいというより、パーソナルな感覚の映画を作っているという意識の方が強いですね。

確かに本作には、東京にいた主人公が地方へ行ったり、また他のキャストが海外から来たりするという地理的なスケールがあります。しかし、基本的には人と人とのコミュニケーションを描いた小さな話です。実感に基づいた感覚をベースにしないとディテールは描けないとも感じます。

例えば『スパイの妻』で言うと、家庭内のことが戦争にまでつながっているだけで、日本と中国、アメリカという距離は地理的な問題に過ぎません。誰しも自分たちでコントロールできる世界の範囲は小さいです。なので、映画の構想も自分が認識できる範囲から始めています。

一方で、「描かれる世界の大きさ」は認識能力を超えた時に感じるものだと思います。なので、見る人の認識能力を超える部分をキャスト・スタッフの人たちと共に考えながら、どのように見せるのかを考えながら映画を作っています。

――最後に、この映画で伝えたい濱口監督からのメッセージについてお聞かせください。

濱口:メッセージというものはない、とは言いませんが、あくまで映画を通じて感じていただけたら、と思っています。様々な要素が重なり合っている映画ですが、決して難しい話ではなく、むしろ単純に「面白い」映画だと思っています。どこかで必ず自分自身の経験につながるものがあり、受け取れるものがある作品だと思います。前知識も何も必要ありません。構えずにリラックスして見て欲しいですね。

『ドライブ・マイ・カー』は8月20日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
(C)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

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このFRaUのインタビューは、なかなか含蓄のあるもののように思う。

  • 男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。 

これは、対女性にかかわらず言えることなのではなかろうか。自分は弱いところがあると認めている人だけが、相手の目線にも自然と立てる気がする。

・・・と思っていたら、

  •  「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

続いて、

  • 本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです 

同感。自分に自分が見えている分だけしか、他人のことは見えてこない。

  • コミュニケーションの本質は言語ではない。 言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。

これは、ネット空間では殊に忘れるべきではないでしょうね。

ネット上でいい信頼関係を築くためには、相手が「身体で」どう実感しているかに波長を合わせるようなつもりになる必要があると思います。

これは日頃からフォーカシングのリスナーをしている私の肝に銘じていることです。

  • ――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

    濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。

好意は具体的に表現し続けなければならないということは、すでのこのブログでも何回も繰り返して来ました。それは言葉の上だけではなく、身体から自然と湧き出るようなものでなければならないと思います。

・・・これ、スキンシッップが必要という意味ではないですので念のため。

相手が言うことをかなえているだけでは愛情表現ではない、と私は繰り返し書いてきました。これが私の苦い人生経験の帰結ということも。

そして、人の気持ちの「裏を読む」ということを、相手の悪意を仮定してかかるということばかりであってはならない。

相手の悪意を仮定することは、「お人好し」になり過ぎないための術かもしれませんが、それと同時に、相手の言うことを「額面通りに」受け止めてとりあえずは応対するほうが、結局はリーダーシップすらとれます。

*****

・・・・などと、監督の発言に自分の見解を強引に押し付けただけかもしれませんが、このへんで。

私は、村上春樹は、「羊をめぐる冒険」しか読んだことはないですが、映画「ドライブ・マイ・カー」も、チャンスがあれば、観てみたいですね。

この予告編で使用されているピアノ曲は、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番、「テンペスト」の第3楽章です。 楽天トラベル

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スパイの妻 -これこそ正統派のミステリー-

黒沢清監督の作品を観たのははじめてだと思う。

私は映像の文法を主としてアニメから学んだ。実写映画も、名作とされる作品は結構後追いで観てきたつもりだが、公開1年未満の作品、しかも邦画を観たのは実に久しぶりかもしれない。

******

太平洋戦争直前の神戸。

福原優作(高橋一生)は大きな貿易商を営む。妻は聡子(蒼井優)。この物語は聡子の視点から描かれている。

優作聡子の家庭は中流だが、夫婦ふたりの関係は、欧米風に熱烈に抱き合うなど、コスモポリタンの空気が漂う。

優作は聡子を女優役として、犯罪ドラマの短い映画を会社の忘年会のために撮る。

そして、その撮影のために必要なシーンを撮るためというのを口実に、甥で社員の文雄(坂東龍汰)と共に満州に渡る。

聡子の幼馴染(?)に津森泰治(東出昌大)がいる。彼は特高の幹部として、優作の動向に目を光らせている。

優作の帰国してからのふるまいの豹変に、聡子は不信感を抱く。

文雄も突然会社を辞め、有馬温泉の夫妻のなじみの宿でで小説を書くと籠もることとなる。

海に女性の水死体がみつかる。その女性は優作と文雄が満州から連れ帰ったらしいことを聡子は知り、一層優作への不信感を募らせる。

聡子に問い詰められて、優作は、満州で、関東軍の秘密情報と、その証拠を握ったことを告白する。

それをアメリカに持ち出そうとしているとのこと。

聡子は「私はスパイの妻になってもかまいません」。

ここから泰治と福原夫妻のだましあいのサスペンスがはじまる。

しかし、それは、優作と聡子のだましあいでもあった・・・

*******

脚本は、映像の文法というものに熟達しきった、実によくできた、しかも引き締まったものだと思う。

これぞ「正統派」という感じで、何も特撮やアクションシーンはないにも関わらず(セット撮影は船内のシーンぐらいではないか?)、手に汗握る展開を、飽きることなく楽しませてくれる。

オチが3回ぐらいのどんでん返しがある。

成熟した蒼井優の演技も素晴らしい。

BGMが殆どない。

その一方、劇中劇として挿入される映画など、フィルム上映が効果的に使われている。

観ているうちに、伏線の貼り方が読めてくるところと、その上を行く展開の両方があるのがいい。

このあたりが、ミステリー映画を観たい人々を満足させる調合であろう。

誰にでもお勧めできる五つ星映画だが、最低限の歴史認識・・・特高と憲兵の服装の違いとかを含めては持っていて欲しい。

Amazonレビューの上位に、関東軍の陰謀は史実ではない、式の否定的評価が跋扈しているが、それも「フィクション」の一部かもしれないものとして観るくらいの余裕は欲しい。

・・・はい、あなたたちは「騙されない」だけの見識をお持ちなわけね。わかったわかった。

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黒澤との共同脚本は、まもなく、カンヌ国際映画祭で4つの賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」が公開される、監督濱口竜介氏である。

本作自体も、ベニス国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞受賞。

NHKエンタープライズ制作のBS向け長編ドラマを最低限修正したものとのこと。

Amazon Prime Video、Netflixでストリーミング配信。

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2021年8月24日 (火)

「パリ、テキサス」-ハーフミラーと投影的同一視-

ヴィム・ヴェンタース監督による1984年、独仏合作作品。

私が大学院時代にVHSで観て以来だから、30年ぶりぐらいに観た。

一回だけしか観なかったが、私にとって、実は一番敬愛する映画という認識でいた。

*****

テキサスの荒野をさまよう髭面のひとりの男(演:ディーン・スタントン)がいる。

彼は水を求めて一軒家に勝手に入り、冷蔵庫を開け、水を飲み、氷を頬張ると、眠り込んでしまう。

医者のもとで目を覚ますが、医者の質問には何も応えない。4年間の過去の記憶がないらしい。

手持ちの紙に、ただ、「ウォルター・ヘンダーソン」とだけ書いてあった。

ロスで看板工をしているウォルター(ウォルト 演:ディーン・ストックウォル)のもとに連絡が入る。男はウォルトの兄のトラヴィスという人物で、4年間失踪していた。

ウォルトは早速テキサスまで飛行機とレンタカーで向かう。

トラヴィスはジェーン(演:ナスターシャ・キンスキー)という妻と、妻との間にいた子、ハンター(演:ハンター・カーソン)と3人で暮らしていたが、トラヴィスも思い出せない「ある事件」をきっかけにトラヴィスは失踪、同時にジェーンも、ハンターを、弟ウォルトと、同居する恋人アンの住む家の前に放置し、失踪する。

ハンターはウォルトとアンのもとで、父と母と思い込まされて育つ。

******

さて、ウォルトはテキサスの荒野の中の医者のもとにたどり着くのだが、トラヴィスはすでに失踪していた。

ウォルトは、荒野の中で再び歩き続けていた兄トラヴィスを、やっとのことでつかまえる。トラヴィスはウォルトを弟だとはすぐに認識し、ウォルトの車に大人しく乗る。

しかし相変わらずトラヴィスは何を問いかけても口を開かない。

二人は一軒家のモーテルにたどり着き、ウォルトはトラヴィスの新たな服と靴を買うためにトラヴィスを残して車で出るが、その間にトラヴィスは再び失踪、ウォルトは再びトラヴィスを探し出さねばならなくなる。

2つ目の、前よりは清潔で大きいモーテル、ここでウォルトはロスのハンターに、「今お前の父と会っている」と電話で真相を伝える。

トラヴィスは今度はウォルトの言うことをきき、服も新しくして髭も剃る。

ウォルトが「ロスへ連れて帰る」というと、トラヴィスははじめて言葉を発する。

「パリ」

と。

ウォルトは「パリなんてヨーロッパだから簡単に行けない」という(実は、テキサスにパリという場所があるのだが)。

ウォルトは空港に行き、トラヴィスを飛行機に乗せようとするが、トラヴィスはそれに抵抗して、離陸しようと滑走路に向かい始める飛行機から降ろされてしまう。

2人はしかたなくロスへと2日かけて再びレンタカーで向かおうとするが、トラヴィスは前乗っていた車を再び選ぶことにこだわる。

その行程で、トラヴィスは随分ウォルトと気軽に対話するようになる。

トラヴィスは古い写真をウォルトに示し、「テキサスのパリのこの土地を買った」と言う。それは荒野の中の一軒家だったが、「なぜ買ったかは忘れた」と。

トラヴィスは運転を代わろう、眠れよと言い出すが、いつの間にか高速道路を降りて、砂利道を走っていた。

「土地を買った理由を思い出した。母と父がはじめて愛し合ったのがそこ。僕の人生はそこで始まった」

******

ロスに2人はたどり着く。アンはトラヴィスを歓待したが、別れた時3歳だったハンターは現在8歳、ドラヴィスを父親だとは認識したが、そっけない態度をとる。

トラヴィスはベッドで眠れない。深夜にハナ歌を歌いながら台所で食器を洗い上げると、今度は皆の靴全部を磨き上げる。

翌朝、ベランダには全ての靴が並んでいた。

トラヴィスはハンターの小学校からの帰りの出迎えに自分が行きたい、2人は歩いて帰ろうと言い出すが、実際に放課後になると、ハンターはトラヴィスが待っているにもかかわらす、友達の車に同乗させてもらう。

ウォルトはみかねて、4年前に、ジェーンを含む4人でビーチにバカンスに行った時の8ミリの映写をすることを提案する。

この映写会の映像の中で、この映画の中ではじめて、トラヴィスの妻、ハンターの母親である、若いジェーンが映し出される。

それにトラヴィスの心が癒やされるのみならず、ハンターも、ウォルト、トラヴィス両方に、それぞれ「お休み、パパ」と言う。

******

トラヴィスは、衣料品店で立派な服と帽子を買い込み、再びハンターの小学校の前で待ち受ける。ハンターは今度は、最初は道を隔てた両側の歩道をトラヴィスと歩調をあわせておどけながら歩き、最後にはトラヴィスに寄り添って帰宅する。

トラヴィスは夜になると、ハンターに、古いアルバムを見せながら語りはじめる。

「これが私の父。つまりお前のおじいさん。交通事故で死んだ」などと。

アンは二人が親しくなるにつれて、これまでのハンター、ウォルトとの3人の生活が変わってしまうのを恐れる。

翌日、アンはトラヴィスに、

「実はジェーンはうちに何度も電話で連絡をとってきていた。次第に頻度は減ったが、1年前の最後の電話で、ハンターのための預金口座を作るように求め、実際その後月一度幾ばくかの振り込みが続いている。それはヒューストンからの振り込みだ」

と。

トラヴィスが通る高架橋の上で、男が、「安全地帯などどこにもない」という演説を、ひとりきりでまくし立てている。トラヴィスはその前の通過する。

******

トラヴィスは、ウォルトにクレジットカードをしばらく自分に貸してくれという。

彼は、それを使って、中古の59年型フォード、荷台つきを買い、ハンターの通う小学校で待ち伏せ、「これからおかあさんを探しに行こう」とハンターに提案する。

ハンターはそれに応じると即答する。

トラヴィスは、ヒューストンへの途中のガソリンスタンドから、ハンター自身に、ロスのアンたちが待つ家に電話をかけるように求める。

*****

2人はヒューストンの銀行にたどり着く。今日はちょうどハンターへの毎月の振り込みがなされる日。二手に分かれて待ち伏せることにしたが、ハンターがそれらしい赤い車に乗った女性をみつけた時にはトラヴィスは居眠りしていた。

ハンターはトラヴィスを起こすと、2人は高速道路の赤い車を追走する。

赤い車は、ある怪しげな館の前に駐車していた。

トラヴィスはハンターを残して、館の中に入る。

そこは、個室で、ハーフミラー越しに客の男性が女性と対話し、はしたないことをする館であった。

トラヴィスは、女性をチェンジしていき、ついにジェーンとハーフミラー越しに対面することになる。

トラヴィスは一度は会話を中断してホテルに引き上げる。彼は悩み続ける。

彼は、ハンターに語りだす。

「母は普通の女性だった。でも、父は空想にとりつかれていて、母さんをみても母さんが目に入らず、空想を見つめていた」

「そのうち、自分は『パリ』の女性を妻にしていると言いふらし始めたが、そのうち父は本気でそれを信じ込んでいった。母ひどく困っていた」

「ハンター、君はおかあさん(ジェーン)と一緒に生きるんだ」。

夜になったら再び館へ向かう。

 

・・・ここからの、トラヴィスのハーフミラー越しの再びのジェーンとの対話以降は、さすがにネタバレなし。

このハーフミラー越しの対面と対話は、映画史に残る名シーンであろう。

映像演出に、独特のこだわりがあり、「2人の顔が二重映しになる」シーンが印象的、とだけ言っておく。

******

これはトラヴィスのアイデンティティ回復のドラマであるが、普通にそれというだけではなく、次のような含蓄もある。

精神分析の、殊にメラニー・クライン派の用語に、「投影的同一視(projective identification)」というのがある。

これは、自分の中に快が生じると、良い対象から愛されていると空想し、自分の中に不快が生じると、悪い対象から迫害されているものと空想することである。

これを恋愛に置き換えるならば、自分の中に愛しているという思いが生じれば、相手に愛されていると思いこむということである。

二人の間に、相互的にこの思い込み(空想)が生じる時に、幸せな恋愛関係は維持されるということになる。

更に付け加えれば、この心理規制が、「嫉○妄想」とも関連付けられているところには、今回観なおしてはじめて気付かされた。

・・・身につまされる話である。

******

そうはいっても、非常にわかりやすい作品であり、深読みはそんなに必要ないと思う。

英語としても、わかりやすい部類で、発音もよく、速すぎもせず、語学学習にも向いているのではなかろうか。

クライマックスの、ハーフミラー越しの対話は、男女の機微の理解が必要と思います。

Ry Cooderのスチール・ギターによる音楽は、もはや伝説的であろう。

ストリーミング配信は、U-NEX。

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2021年8月13日 (金)

「シン・エヴァンゲリオン」-理想化された女性像との訣別- 【ネタバレ・解釈全開注意】(第2版)

Amazon Prime Videoの8月13日零時公開と同じ時間に観始めた。

トラフィックが混雑してつながらないのではないかとか、画質が落ちるのではないという杞憂は必要なかった。

それにしても、ごく最近まで一部の映画館では上映していて、ブルーレイ発売前、追加料金不要というのは太っ腹である。

******

私はTVシリーズから、いわゆる「旧劇場版」封切り後一ヶ月ぐらい発売に間に合わせる形で、「エヴァンゲリオンの深層心理 -自己という迷宮-」を書かせていただいた。

私がエヴァをきっかけに完全な一般女性とネット婚した直後の1997年(36歳)のことである。当然子供はまだいなかった。

当時流行った謎解き本とは一線を画し、実際に映像を観なくても、旧劇を含めた作品の全体像がつかめるという本だったが、旧劇がすでに終わっていたせいか、そんなに印税は稼げていなかった。

むしろ、今回とりあげる「シン・エヴァンゲリオン」効果か、勘違いして(?)買ってくださる方もいるようで、つい一週間前に入金された最新の印税は、ささやかなものだが、前年を大幅に上回っていた。感謝。

劇場版「序」は、封切り時に、まだ故郷に引っ越す前の横浜で観ている。2007年だから、今60歳の私が46歳頃だったことになる。はやいものだ。

「序」は、TVシリーズ第6話までの内容を背景美術を精細化したものに置き換えることを中心にクオリティ・アップして総集編とし、オリジナルの伏線は最小限控えめに添えられた程度だったから、「TVシリーズの大詰めにあたる部分まではこんな調子でクオリティ・アップで進めるのか」とも想像し、「ま、こんなものかな」という印象。

エンディングの宇多田ヒカルの"Beautiful World"はホントよかったが。

「破」(2009年)は確かレンタルで観たと思う。

これは、TVシリーズを大胆に脚色し、作画も全面新作、新キャラ、マリも登場。マリはそんなに活躍しなかったが、新作だからという以外に意図はつかめなかった。

しかし、クライマックスをトウジとの対決からアスカとの対決に置き換え、更に使命感あふれるシンジくんへの劇的覚醒まで、新鮮な形で描いてくれて、私は随分感動した。

ところが、「Q」(2012年)になって、困り果ててしまった。これは地上波テレビ放映まで待った。

物語は14年経過し、ミサトとリツコはネルフとは別組織を立ち上げて変ちくりんな戦艦に乗っているわ、シンジとアスカとマリは齢をとらないままだったりして、シンジは全く受け身で引きこもりに近く、結局無理やりエヴァに乗せられるだけ。

いったいこの劇場版は、次の完結編で、どうやっていったん広げた風呂敷をたたむのだろうかと見当がつかない状態。

これで観客動員数だけは最高とれたみたいだからいよいよわけがわからん。

******

それから実に9年後に、今回の、完結編としての「シン・エヴァンゲリオン」が公開されたわけだが、評判がいいのは知っていた。

でも、あまり先入観は持ちたくないので、「レイがなぜか農作業している」画像を観たくらいで、Youtubeに公式に上がっているであろうPVについてすら禁欲していた。

さて、本日、思っていたよりずっと早く観ることができたわけだが、これからこってりと作品の解説をし、考察を、主に心理学的観点から書きたいと思う。

一回観て、時々は巻き戻しながらだが、大まかに、どんどんセリフを引用し、展開も書いてしまい、私なりの解釈も差し挟むので、そのつもりで、読みたい人だけ以下を読んで欲しい。

あまりSF的考証には興味がないので省略している。

*****

冒頭の10分以上の激しい戦闘シーンの後、舞台は一変。

新所原の、まるで1960年前後を思わせる、開拓農村に舞台を移す。

ここに"Q"ラストでアスカに引きずられていたシンジくんと「かつて綾波レイと呼ばれていたもの」はたどり着く。

トウジが生きていて医者とは思わなかった。妻は「委員長」なわけで。

二人には生まれてまもない赤子がいる。

ケンスケもいるが、ミサトやリツコの組織に所属しているようである。

そして二人は、シンジやアスカと異なり、年齢を重ねて大人になっている。

レイは、もはや以前のレイとは別の個体で、名前もなく、「そっくりさん」と呼ばれている。

あいさつや授乳やネコなどについてすら知識や経験がなく「・・・て何?」と質問してばかりの、無垢そのものレイは、ともかくカワイイ。

シンジは、冒頭から40分間、全く何もセリフがない。

食べ物も食べない。

アスカは、

「どうせ生きたくもないし、死にたくもないだけなんだから」

と突き放すだけ。

アスカの首に、カヲルと同じ、DSSチョーカーという「首切り」ベルトがあるのを見ると、シンジは嘔吐するばかりである。

それでもアスカに人工食料を口にねじ込まれる。

この後、シンジは、廃墟の湖畔まで家出を繰り返すようになるが、アスカは影で見守っている。

レイは、住民の農業にいそしむようになり、地域に完全に溶け込む。

・・・この、田舎でのくだけた日常生活のじっくりとした描写は、従来の人工都市中心の舞台とは全く異なるものであり、この8年間での庵野さんの心境の変化はあまりあると思う。

あたりまえの「生活」をすること、「労働」をすることを描かずにおれない・・・などということをいうだけでは、陳腐になるが。

確か元「委員長」のセリフだったと思うが、

「毎日が今日と同じでいい」

というのが印象的である。

アスカの方は、「私はここを守ることが仕事なの」と言って、それ以外の労働はしない。

「そっくりさん」は、「名前ぐらい自分でつけたら」と住民に言われるが、シンジに名付けを頼む。

シンジは、当初「考えておく」と応えるのみだったが、その後、「やはり綾波と呼ぶしかない」と告げる。

再び綾波がシンジの前に姿を現した時は、ある決断を胸に秘めていた・・・・

いずれにしても、シンジの心境と行動の変化が、全く自然に描かれていると思う。

*****

途中で忽然と書いておくが、今回の作品において、庵野さんは、この「エヴァ」という物語を非常に「客観視」する境地に達していると思う。

TVシリーズの時点では、庵野さんはシンジに同一化し、ゲンドウを実は「理解を超えた父親像」あるいは「大人像」として作品を作っていたのではないか。

庵野さんは私と同じ1960年生まれ、今年すでに61歳を迎えている。

奥さんもとっくにいる。私が調べた限りでは、子供はいない様子だが、結婚が早ければすでに孫がいてもおかしくない年齢である。

私自身、そこそこ晩婚な方だったと思うが、離婚し、それ以来住所不明の長男は確か22歳、次男は20歳である。

恐らく、庵野さんは、シンジの父親、ゲンドウの、少なくともTVシリーズ当時の設定よりは、かなり年長に実際になってしまっているはずである。

後で具体的に述べるが、実はこの点が、登場人物心理の描き方に大きく影響を与えていると思う。

この映画は、詳しくは後述するように、あくまでもエヴァという作品を(少なくとも新劇場版「序」から)追いかけてきた人間を対象として制作されていると思うし、いわゆる「厨二病」から脱しているように思われるのが興味深い。

「Q」なんて、恐ろしく「閉じた」世界の「厨二病」そのものではなかったか。

*****

さて、舞台は大気圏外のミサトたちの組織の戦艦の方に移るが、アスカはマリから「姫」と呼ばれている。

思い切って途中を省略するが、アスカは、第13使徒の発現を抑えるために出撃する。

マリからの

「姫、人を捨てる気?」

というセリフが印象的である。

しかし、第13使徒は、アスカの張ったATフィールドをATフィールドで中和してしまう。

それどころか、アスカを「使徒化」して取り込んでしまう。

(ネタバレごめんね、だが)アスカ自身が、レイと似たところがある人工量産タイプ、しかも使徒の遺伝子も受け継いでいることが示唆される。

この第13使徒の覚醒によって、人工的なリリスの再現がはじまる。

*****

新組織の乗員たちは、戦艦の艦上にやってきたゲンドウと対峙する。

リツコは迷いなく銃で撃つが、簡単に再生してしまう。

「ネブカドネザルの鍵」を取り込み、「望んで『人』を捨てた」と語られる。

「私が神を殺した」とも。

「セカンド・インパクトが海の浄化、
 サード・インパクトが大地の浄化、
 フォース・インパクトは魂の浄化を目指す」

「人類がその器を捨て、汚れなき楽園へと誘う」

******

唐突に書くが、25年近くにおよぶこの作品の展開の中で、ひとりの声優も交代せず、ましてやお亡くなりになった方もいないことはほんとうに幸いだと思う。

本作品とは無関係だが、鶴ひろみさんの早すぎる事故死などを知っていると、つくづくそう思う。

******

ゲンドウを取り込んだ13号機(姿は初号機と同じ)は、初号機への合体を試みる。

シンジは、

「僕は僕の落とし前をつけたい」

と、DSSチョーカーを自ら装着する。

シンジの乗った初号機と、ゲンドウの13号機の一騎打ちの戦いになるが、舞台は異世界空間、ちゃぶ台のある和室(笑)、教室、レイの病室と次々変容する。

そして、古い電車の中のシーン。

ゲンドウの、

「まさかシンジを恐れているのか、この私が」。

シンジは答える:

「これは捨てるんじゃなくて、渡すものだったんだね。僕と同じだったんだ」

シンジが一旦捨てて、レイが拾い、シンジに渡したDATが、今度はゲンドウのもとに。

ゲンドウも、DATとヘッドフォンが必要だった。

実はここからがゲンドウの、実に長い独白となる。

「私はひとりでいたかった、なのに周囲はそれを放っておいてはくれなかった。」

「私はピアノを弾くことだけが心の慰めだった」←これ重要。

「唯と出会うことで、私は生きることが楽しいと感じるようになった。
 唯だけがありのままの自分を受け止めてくれた。
 ・・・・唯を失った後、私は自分ひとりで生きる自信を失っていた。
 私ははじめて孤独の苦しさを知った。
 ただ、唯の側にいることで、自分を変えたかった」

******

ミサトは、ゲンドウの第13号機のロンギヌスの槍と、アスカの戦闘で失われた正義の槍の代わりとして、戦艦(これ自体人工生命体としての性質を持つ)を第3の槍として変化させ、巨大化した唯(?)めがけて特攻をかける。

ともかくこの物語のミサトはかっこいいです。

ゲンドウは、

「他人の死と思いを受け取れるとは。大人になったな、シンジ」

非常に興味深いのが次のセリフ:

「子供が私への罰だと思っていた。
 私と会わないことが、私の贖罪だと思っていた。
 その方が子供のためになるとも信じていた」

・・・・これ、人によっては感情移入できないゲンドウの言い草かもしれないが、私はよくわかる気がする。

私自身が、自分の子供にまさにそうしてきた当事者だから。

子供のいない庵野さんの、この想像力は、どこから来たのであろう?

ここからが、私の今回最大のネタバレですが(読むのをやめるならここまでしてね)。

*******

ゲンドウは、ある画面上のさりげない演出の後、突然叫ぶ。

「そうか、そこにいたのか、唯」

これは、ホントに暗示的な演出なので、気づかない人は気づかないと思うが、書いちゃう。

「シンジ」=「唯」。

ここでゲンドウは駅の出改札口から退出する。

代わってカヲルが車内に。

シンジにこれからやっていけるかと尋ねる。

シンジは、

「僕はいいんだ、辛くても大丈夫だと思う」。

これに対して、カヲルは、

「君はイマジナリーではなく、リアリティの中で立ち直っていたんだね」

と答える。

このセリフは意味深だと思う。

虚構の世界ではなくて、現実の出会いによって立ち直っていたのは庵野さん自身だろ。

******

ゲンドウがどうなったかは省略。

シンジ、

「父さんがやったことは僕が落とし前つけるから」。

詳しくは避けるが、シンジは、アスカを救出し、別れの言葉を残す。

私の勝手な思い込みで言うと、アスカはかつての庵野さんの想い人のことを指す。

続いてはカヲルの番。

カヲルの正体に、物凄い意外性があるがここでは伏せる。

次はレイの番。

レイの姿があまりにも印象的だがこれまた伏せる。

「ここじゃない、君の生き方もある」。

レイをシンジが送り出す世界も、かなり意外性がある。

「僕も、エヴァに乗らない生き方を選ぶよ。
 ただ、エヴァのいない世界に書き換えるだけだ。」

これも、庵野さん個人の意思表明であると同時に、他ならぬ、「観衆のために」そうするという宣言であろう。

このシーンで、さりげなく背景に、劇場版シリーズのタイトルが次々映し出される点に注意。

これらの作品を、過去のものとしてしてしまうための、「書き換え」がはじまったのだ。

「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」

観衆にとって。

このあとマリの救出のシーンが来るが、

突如画面が作画設定の鉛筆書きのようになり、前半は線画だけで動画が進む点に注意すべきだろう。

いよいよエヴァという作品が、ただのアニメであることの相対化が進む。

******

ラストシーン。

登場人物たちの数年後(書き換えられた世界)がいきなり描かれ、シンジの声まで別の人がやっているかのように聴こえるが、ここで、どの登場人物が、どういう関係で描かれているかはお楽しみということで。

これも相当な意外性があります。

少し観衆を突き放している気もします。

更に付け加えるなら、この駅は、どこの、何という駅ですか?

それは、誰にとって、どういう駅でしょうか?

・・・これはファンにとっては常識に近い知識でしょうが、わかんない人は少し調べればわかります。

*****

SF的側面と展開をほとんど削ってしまい、解釈もしませんでしたが、これが「エヴァンゲリオンの深層心理」の著者のやり口だから、許してくださいませ。

あまり「深層心理」的な解釈の切り口は不要だと思います。大人になれば(中年になれば)自然と見えてくることかと思います。

このエントリーの副題の「理想化された女性像への訣別」という点については、具体的に解説していないではないか、とも言われそうですが、それは敢えてこのシーンはこうと解説を控えたところがあります。

ただ、繰り返してネタバレむき出しで強調しておきたいのは、ゲンドウは、「シンジ」=「唯」である、ということに気づいていなかったということ。

これを「シンジの中に、唯は生きている」という言い方に改めてしまうと、途端につまらなくなると思うわけ。

この点は、実際の絶妙な画面上の演出を探してください。

この映画は、エヴァ的世界に馴染んだ人にとっては、すべての絵解きで、最初に述べたような「いったんひろげた風呂敷は、たたまねばならない(これは、押井守さんの言葉です。エヴァについてではありませんが)」を実現していると私は思います。

意外と、劇場でなければ楽しめない画面の作りにもなっていない気もしますので、(決してステマではないですが)Amazon Prime Videoで2,3回繰り返してご堪能のほどを。

・・・といいつつ、私は一回しか観ないで速攻でこのブログにアップしたんですけどね。

もし明らかな間違いや補足があれば、いつものように改訂して、その旨「版」を表示し、Twitterでも告知いたします。

******

【追記】:岡田斗司夫さんのネタバレ解説動画では、私が敢えて伏せたことまで解説しています。観たい人は観てください。

 

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2021年8月 8日 (日)

詩季織々

新海誠の「秒速5センチメートル」に惚れ込んだ李豪凌監督による、日中合作の3話からなるオムニバス作品。

「秒速」のようには、3話の間に物語のつながりはない。

******

第1話「陽だまりの朝食」

北京で働くシャオミン。北京から飛行機で2時間かかる故郷の湖南省の田舎に思いを馳せる。

子供時代の祖母の手づくりのビーフン。

高等中学時代に、北京から来た夫婦が経営するビーフン屋に足繁く通うが、その目的の半分は、毎朝自転車で通りかかる先輩の姿を見ることであった。麺は手作りではなくなっていたが。

大人になって、北京で食べるようになったビーフンは、すべて機械で作られたもので、味気ない。

そこに、祖母が倒れたとの急報が入るのだが・・・・

ビーフンの食材の描き方が丁寧な一編。

*******

第2話「小さなファッションショー」

イリンは背が高く、人気1位を誇るファッションモデル。一緒に住む妹のルルは裁縫に堪能で、恐らく服飾の専門学校に通っている。

イリンはかつてのあこがれの職業が平凡な日常化したことを味気なくも感じ始めている。
利発な姉イリンに比べると、おとなしい妹ルル。

イリンの誕生日。大勢の業界人との華やかなパーティを優先し、手づくりのケーキで待っていた妹のもとに帰り着いたときには、イリンは泥酔していた。

酔っ払って寝過ごしたイリンはオーディションに落ちてしまう。同じ事務所の後輩は合格。

気がつくと彼氏をその後輩に取られていた。

イリンは自分が旬を過ぎつつあることへの焦りの中で身体のトレーニングを続けるが、会場で倒れてしまう。

怪我もしてしまい、完全に仕事から干されてしまう。

「代わりはいくらでもいる」と感じ、辞め時かな、そうしたら妹の仕事でも覚えようかと言うと、ルルは怒り出し、諍いになる。

そういうある日、マネージャーは新たな仕事のために、イリンにある場所に来るように連絡を取るが・・・・

イリンの焦り、それをつかず離れずに見守るおかまのマネージャーの関係が面白い。

*****

第3話「上海恋」

上海に住むリモは、大手建築事務所の設計士をしているが、上司に案を叱られるばかり。

そうした中でも背伸びして、旧市街の親元から離れ、マンションに引っ越す。

その引越荷物の中に古いカセットテープがあるのに気がつく。それは幼馴染のシャオユと交換していたものであった。

今やカセットデッキなど持たないリモは親元に急行する。

そのそもカセットテープの交換がはじまったのは、シャオユが旧市街のでこぼこした地面で足をくじいて学校に通えなくなり、授業の録音をとってきてやるようになったのがきっかけだった。

シャオユは親の強引な勧めで、名門大学の付属高校を受験することにするが、その学校に入るとなると、家族もろとも引っ越しするしかない。

リモは背伸びしてその付属高校に合格するするための猛烈な受験勉強をする。

2人の合否の結果は?・・・

時間が断りなく行ったり来たりするスタイル、二人のボタンの掛け違いという点は、一番新海的。

*******

丁寧な背景作画など、新海調の画面描写だが、物語には新海作品のような「痛さ」はない。そういういう意味では、淡白な物足りなさを覚える。

私は中国製作者のアニメを観たことがないが、舞台が中国でも日本でも通用しそうなストーリーである。

さらりとNetflixで観れば十分な作品でしょうか。

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2021年8月 6日 (金)

3つのif、4つの世界。-「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」-【ネタばれあり】

この劇場アニメは、Netflixサイトを訪問すると表示される、私が過去に視聴した作品から、その傾向をAIが予測し、推薦してくるというシステムに乗っかって、観ることにした。

事前情報として少しだけ調べたら、岩井俊二監督・脚本のTVシリーズドラマを、総監督新房昭之、シャフト制作でアニメ化したものと知り、期待を持った。

新房昭之/シャフト制作といえば、私にとっては「まどか☆マギカ」であり、次いで「化物語」シリーズである。その独特の映像演出だけでも惚れ込んでいた。

原作の小学生を、中学生に設定替えしたとのことだが、結果的に、私の期待をかなり上回る作品だったと思う。

******

海に面した地方都市を舞台とした、夏の一日の物語である。

及川なずなは、朝、海辺で、謎の輝きを持つ小さな玉を拾う。

なづなは、母親が再婚し、街を離れなばならない日が近づいている。

そのなずなのことを気にする、数名の男のクラスメートがいる。

その中のひとり、釣具屋の息子、島田典道が物語の主人公である。

その典道と特に親しい悪友が、安曇祐介だが、なずなにコクりたい、でも嫌われたらおしまいだと典道に告白する。

典道と祐介は、その日のプール掃除当番だったが、どういうわけかプールサイドになずなが水着姿で横たわっていた。

そして、ふたりに「一緒に泳ごう。勝った方の言うことを、私はなんでもきいてあげる」という賭けをもちかける。

典道は、ターンの際に足を引っ掛けてくじいてしまい、祐介に負ける。

祐介は、なずなとふたりきりになって「今日の夏祭りに一緒に行こう」と誘われる。

そのあと、典道と祐介を含む数名のグループは、花火の話で盛り上がっている。

打ち上げ花火を横から見たら、丸く見えるか平らに見えるかという論争である。

その論争を解決するため、花火をちょうど横から観れる、岬の灯台まで皆で一緒に行って確かめようということになる。祐介もその話に乗ってしまう。

結果的に、祐介は男友達との関係を選び、好きな筈のなずなとの約束を反故にすることをなんとなく選ぶこととなる。

その日の夕方、典道は、浴衣姿でボストンバックを抱えて家から逃走しつつあるなずなと鉢合わせる。

しかし、なずなのボストンバックの中身はぶちまけられ、中からなずなの拾った玉も転び出る。

すぐになずなの母と新しい父になる人が追ってきて、なずなを取り押さえ、引きずって帰ろうとする。

なずなは、「典道くん、助けて」という叫び声を上げるが、見送ることしかできない。

ちょうどそこに現れた男友達グループの中の祐介に、典道は殴りかかり、それを止められると、典道はむしゃくしゃして、掲示板の花火大会のポスターめがけて玉を投げつける。

するとその玉がポスターにぶつかる直前に、怪しい光を放ち、典道は突如「過去」らしき世界へ連れ戻される。

ここからの話の展開は、ネタバレになりすぎるので、詳しい解説は控えたいが、一言で言えば"if"の世界が開かれるのだ。典道はもう一度過去からやり直すこととなる。

ここから、物語は"if"のそのまた"if"へと展開していく。花火を横から観た姿も変化する。典道はそれを観る度に「この世界は何か違う」と思う。

興味深いのは、典道が世界を巻き戻すたびごとに、なずなの家庭の真の状況や、なずなの気もちがあぶり出されることである。

それは、典道の願望充足的妄想というにはあまりに具体的過ぎて、より真実に迫っていく過程であるように思われる。

典道は、世界を巻き戻す度に、自分に正直な決断をするようになる。それによってある意味で世界はどんどん荒唐無稽になって行くのだが、なづなと典道の相互理解は深まっていく。

しかし、それは、結局、なずなは街を去っていくという現実の中での、一夜限りの出来事である。

恐らく、すべてを知るものは典道だけなのだが、その心境は描かれないまま、物語は潔く幕を閉じる。

*******

新房/シャフトらしい、実に印象的な映像表現だと思う。

不思議な立体感。光と影のコントラスト。

おなじみの、どアップで斜めに振り返る登場人物の仕草。

前半の日常描写は、実写映画としてもそのまま通用しそうな丁寧な積み上げ。それと幻想的な展開との対比。

なずなのキャラクターは、「化物語」の戦場ヶ原ひたぎを思い起こさせる、ミステリアスでツンデレ傾向がある。中学生としては大人びているが、その旨物語中でも説明がある。

重層的な物語が、何のことわりもなく展開するので、そういう作風に馴染めない人には難解だったりするかもしれないが、パラレルワールドものに、かなり多くの人は触れたことがあるはずである。

私は、面白い作風の、秀作だと思います。

音楽も、なかなかいいですよ。

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2021年8月 2日 (月)

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。

「心が叫びたがってるんだ。」「空の青さを知る人よ」の方を先に観てしまったが、監督:長井龍雪、脚本:岡田麿里、作画監督:田中将賀による、今から10年前、2011年のTVシリーズアニメ。

「エヴァンゲリオン」以降のアニメは、「まどか☆マギカ」「化物語」「輪るピングドラム」そして新海誠作品、細田守作品を除き、特に深夜TVシリーズアニメに関しては無知に近い私にも、早くからその名前だけは届き、傑作と誉れ高いことは知っていたが、やっと実際に観ることができた。

ストリーミング配信の時代に入り、実質タダで全編観ることができる時代になっていたのは、嬉しいことである。

TVシリーズアニメの長丁場でもあり、観るのに少しパワーがいるかと身構えたが、一話一話があっという間に過ぎさり、さわやかな気持ちで観ることができた。

********

高校生になったじんたんのもとに、子供時代に一緒だっためんまが居候しているところから、何の説明もなしに物語ははじまる。

めんまはのしかかってくれば重く感じ、食べ物も食べ、作るくらいの存在である。

しかし、普通の存在でないことが、徐々に暗示される。

めんまの姿は、じんたんにしか見えないのだ。

めんまは、子供時代、じんたん、あなる、ゆきあつ、つるこ、ぽっぽと共に、森の中の廃屋を「秘密基地」にして、「超平和パスターズ」を結成している一員だった。

しかし、めんまに対するじんたんの気持ちを確かめようとして、じんたんが「嫌いだ」といい、めんまが後を追ったのが、めんまの生前の最後の姿となった。

(めんまの死因は、さり気なく暗示されているに過ぎない)

じんたんは、ずっと不登校を続けている。宿題なとを届けるのは同じ高校に進んだあなる。

しかし、他の皆は違う道を歩んでいた。

ゆきあつとつるこは同じ進学校に進み、周囲から見れば、一見つきあっているかのような関係にある。

ぽっぽは高校を辞め海外放浪の旅を繰り返していた。

しかし、めんまがじんたんのもとに居ついたことをきっかけにして、5人の間に、徐々に人間関係が回復されてくる。

5人の間には、複雑な人間関係の綾があることが徐々に発覚してくる。

最初めんまが、見えないだけで、そこに確かに実在することを信じたのはぽっぽだけだったが・・・・

結局、物語は、めんまの「願い」をいかにかなえるかという方向に収束するのだが、それにつれてじんたんたち5人の間には、関係のもつれ、傷つけ合いも増幅する。

それがいかに収束されていくか、その過程で5人の中に子供時代にどのような感情が渦巻いていたかも暴露されていくのも本作品のみどころであるが、物語大詰めに至り、更に一捻りがあり、物凄く盛り上がるのが見どころでもあろう。

このへんでネタバレは終わり。

*******

非常に緻密に構成された脚本だと思う。5人の間にある関係の綾とそのぶつかり合い、変化の様子が、丁寧に描かれていく。

ある意味では実写作品としても十分通用する物語である(実際、実写映画版も作られたらしい)。

しかし、特にめんまの存在が、他のキャラクターより少し、よりアニメチックなキャラデザになっているからこそ、生臭くならないのだと思う。

近年の若者向けアニメ作品では、家族、特に親の存在がほとんど描かれないことがままあるが、めんまとじんたんの家族も、しっかり物語に絡めせられている点も評価すべきだろう。

いずれにしても、アニメ的にみれば地味ともいえる物語展開で、ここまで観る人間をひきつけてやまないのは、たいしたことであり、この作品が、未だに秀作として愛され続けているのもむべなるかなと思う。

ちなみに、脚本の岡田麿里氏自身が、不登校経験者であることは、後でWikipediaで調べて知った。

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トロントだより

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神有月の出雲路2006

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     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。