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恋愛

2022年1月26日 (水)

何のかのといって、なぜ私は結構健全に育ってきたのだろう?

私自身が若い頃、女性への劣等感のかたまりの「弱者男性」そのものだったから思うのだが、男って、結構、一回風俗ではない女性と関係を持てたら、相手がそこそこいい人である限り、非常にあっさりと性的劣等感の壁は超え、それ相応のスキルも急速に身につくことも多いのでは?

私の経験では、いっぱい実際告白していっぱい振られてみると、女性がどういう心境で生きているのかについての経験値が増えて、どういうふうに交際していかないとその先に行けないのかにも気づいていった。どれだけふられようが自己肯定感が揺るがなかったのは、自分の仕事への自負があったからだと思う。

おたく趣味持ってる人が性的に奥手であると決めつけるのも全くの偏見で、深い交際できて幸せな人はいくらでもいると思っている。

今でもいろいろと未熟で、不勉強で、決して幅広い人たちに満足していただけてきたカウンセラーとは思わないし、実際反省するようなことばかり重ねてきたし、過去の事例記録を読み返したりしたら目も当てられないとは思っているが、それでも自己肯定感は揺るがないできたのはなぜだろう?

私にとっては「うらやましい」は若い頃から「魔法の言葉」だった。

これは誰に教わったわけではない。

「自己嫌悪」とは「ねたましい」の「抑圧」された形であり、「ねたましい」は「うらやましい」のこれまた「抑圧」された形であると、ある時突如洞察したのである。

自分より現場臨床の力があるなと言う人に接したら、自己嫌悪するというより、「うらやましい」と思い、どう技量を「盗んで」やろうかと思うタイプだった。

20代までは、対人恐怖症そのもので劣等感の塊だったと思うが、自分の(専門を含む)おたく性には妙に自負があった。そこに、非常に寛容で受容的なカウンセラー仲間や先輩方に受け入れてくださってきたのも支えとなった。今振り返れば私の生意気なところによくあれだけつきあってくださったと感謝している。

変に権威主義的で、自分のプライドを守るために人をおとしめるようなことがなく、攻撃的でもない、腰の低い、謙虚な先輩方に恵まれてきたのも幸いだったと思う。

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2022年1月24日 (月)

キリストの受難(passion)を我が身で感じることとカウンセリングの「共感」的理解 -インタラクティヴ・フォーカシング-

たまたまTwitterで、

 

ロジャーズの論においてなぜ受容が難しいか?というのは痛みを拒否しているからだと思う。痛みを感じずに受容しようとするからこねくり回す。受容とは痛みを感じ、その痛みを通して相手を理解すること、そのものだと思う

 

受容が難しい理由をアレコレ考えていたけど、キリスト教的視点に戻ったとき、そう思った。

 

というご意見を目にしたので、

 

"suffering"を"com-passion"する、という言葉が思い浮かびました。私なりの聖書的理解ですが。

 

とお返しした。

 

私はクリスチャンではないか、すでに別の記事でも書いたように、中学時代から、スイスの宗教的著述家、カール・ヒルティの「幸福論」「眠られぬ夜のために」をはじめとする著作に傾倒してた時期があるし、高校もプロテスタントのミッション系である。聖書には英訳を含めて親しんできた。

"suffer"とは「被る」という意味であるが、キリスト教的には、イエス・キリストの十字架に至る苦しみの「受難」を指すことになる。

キリストの「受難」とは英語で"passion"である。バッハの「マタイ受難曲」が"Matthäus-Passion"であることをご存知の方もあるだろう。

更に哲学の分野では、デカルトが「情念論(仏: Les Passions de l'âme、英: The Passions of the Soul)」という本を書いているが、精神の働きに能動(意志)と受動というものがあり、「情念(Passions)」というものが、(わかりやすく言えば)環境から末梢神経を通しての脳への刺激として「受身的(passive)」に生じるという考えを述べている。

話をキリスト教に戻すと、14世紀のイタリアではペストの流行によって社会不安が蔓延し、ドミニコ会修道士の指導のもと鞭で体を打つことで功徳を得ようとする「鞭打ち苦行団」が組織された。

これは、キリストが身体に受けた傷を、自分も受けることで追体験し、贖罪を得ようとするものである。

この苦行は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」でも描かれたので、ご存知の方もあるだろう。

このような苦行は極端なものであるとしても、キリスト教において、イエスが心身に受けた苦悩を偲ぶことが、自らの苦悩の癒やしとする考えがひろくみられることは確かだろう。

さて、来談者中心療法の祖であるカール・ロジャーズのいう「共感的(正確には、感情移入的="empathic")理解というのは、あくまでも、「あたかも(as if)その人の感じている「かのように」感じてみるということです。

この"empathy"に対して、私も指導を受けたフォーカシング教師、ジャネット・クラインは、"compassion"という態度があると主張し、区別しました。

フォーカシングにおいては、自分の感情や悩みを「身体の内側の非言語的な感じ」それ自体(フェルトセンス)として直接注意を向け、感じてみるという態度を取るわけです。

これをフォーカシングを学んだカウンセラーの場合で言えば、クライエントさんの言語的・非言語的メッセージを、カウンセラー自身が、自分の身体の内側の感じとして、言わば「疑似体験」しようとすることになります。

まさに、身体の感じを通しての「痛み-の-共有(com-passion)」をしようとする姿勢ということになります。

もとより、あくまでも「疑似体験」ですが、自分がかつて感じたこころの「痛み」を、身体を通して追体験しようとする姿勢です。

もちろん、身体症状化した人の痛み「それ自体」とか、肉体的虐待を受けた人の痛み「それ自体」は感受できないでしょうが、そこで感じた苦しみの感情に対する、身体次元で波長を合わせての想像力というものは、限界があっても持つことはできるかと思います。

クラインは"empathy"で接する時と"compassion"で接する時を、はっきり別の段取りとして区別します。

前者では、あくまでもクライエントさんの感じている「であろう」認知枠に忠実であろうとし、後者ではカウンセラー自身の体験と身体感覚次元で共鳴させてしまうことを求めるわけです。

このふたつは混同されてはならず、今からするのはempathicな応答である、それに対して今度はcompassionとしての応答であるとはっきり示してしまいます。

compassionとしての応答は、カウンセラー自身が自分の体験と重ね合わせていますので、当然「思い込み」の要素があります。
ですから、あくまでも「私は」こう感じた、と、そっと差し出す姿勢が重要で、クライントさんにそれを「修正」してもらい、それを再び受容的に傾聴することになります。

ところが、このような相互作用を丁寧に進めると、クライエントさんは、自分が感じていた以上の新鮮なことを感じられるようになるという、促進的な作用をすることが少なくないです。

それどころか、クラインは、この後の手続きとして、ここまで進めた結果、「カウンセラーが」とのような「感じ」でいるのかについて、クライエントさんに「感情移入」して感じてもらい、言葉にしてもらう、という、相互的(インタラクティヴ)なやりとりの往復として行うことを定式化しました。

このことを繰り返すと、カウンセラーとクライエントさんの間に、非常に深い信頼関係と「絆」が形成されます。

これを、カウンセリング場面に限定せず、パートナーや親子などに、役割を交代しながら日常の中でもやってもらえるように「コーチ」する、というのが、クラインのめざしたスタイルです。

興味をお持ちの方は、ジャネット・クラインの「インタラクティブ・フォーカシング・セラピー」をお読みください。

なお、以下にリンクしたAmazonのレビューに、私自身の更に詳しい解説っがあります(3つしかないのでどれが私のレビューか、すぐわかるでしょう。やたらと長大なの)。

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2021年11月28日 (日)

自己愛パーソナリティ障害の人への対処法

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 #自己愛 的な人間は、自分が優れているといううぬぼれの背後に、もし自分が人より劣っていることが露見したら、もう自分はだめだという危機感をかかえています。つまり、弱点も欠点も持ったありのままの自分を愛するということが実は全然できていません。

だから自分が常に成功し、称賛され続けるために膨大なエネルギーを使っているのですが、実際に自分のライバルになりそうな人間が出てくると、平常心ではいられず、妬(ねた)み、できるだけ早い段階で潰そう、蹴落とそうと策略をめぐらします。

#自己愛パーソナリティ 障害的な人には、その人におべっかを使い、その人の権威に預かろうとする、追従者の群れがいます。そういうシンパの連中が、普段はご本人が直接顔を出さなくても、批判する人への嫌がらせとかを代行してくれています。

実はそういう取り巻きの多くも、もしその人物が権勢を失ったら、すぐに離れていくような打算的な人たちなのですが。

世間で業績を上げた人格者だと思われている人の中にも、#自己愛パーソナリティ障害 の人はたくさんいますから、用心してください。
SNSで関わる際には、丁寧な問いかけに、それなりに敬意を持って反応してくれるかどうか、それとも横柄に傷けるような罵声を返してくるかが判断の基準になると思います。

自己愛的な人は、実は非常に傷つきやすくもあるので、むしろ被害者意識すら持ちやすく、容易に感情的に見下す反応を返してきたりします。決して謝るとか、自分の否を認めることはしません。

こちらの問いかけに、何もこたえずスルーしてくるだけなら許すべきでしょうが(そもそもネット上では、相手がスルーしてくるのを悪意とは理解しないのが、うまくやっていくためのコツです)、やたらとブロックをかましてくる人も警戒すべきでしょうね。スルーするなりミュートすればいいはずですから。

#自己愛 的な人は、自分の能力や実績以上の、ユニークな存在であるかのように自分をみせかけようとしています。そういう人たちの表面的な魅力に惑わされ、信者になってしまうと、無理に依存させられ、操縦されるばかりで、ついには捨てられてしまう危険があります。「代わりはいくらでもいる」わけで。

******

・・・と、#自己愛パーソナリティ について連投してみたのは、たまたま今度出す本の原稿で書いていた部分をそのままコピペしたものです。
実は非常にふざけたタイトルの本と思われる危険もあるのですが、このくらいのことは各章で書いています。
さまざまな心の病についての見本市になりそうです。

もちろんそうした人たちを揶揄することが目的ではなく、そうした人達自身への処方箋と、そうした人たちに被害を受けないための具体的対策についての本でもあります。


#SNS の世界をサバイバルし、被害を最小限にするためにも役立つ本になるかも。

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2021年11月 5日 (金)

劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」完結編に捧ぐ

結局ストリーミング配信待てなくて、ブルーレイ買ってしまった。

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ありがとう。

仮にTVシリーズ「永遠と自動手記人形」を観ていなくても十分堪能できる内容に仕上がっていると思います。

ましてや、金曜ロードショーでのTVシリーズ特別編集版と「永遠と自動手記人形」に感動した皆様は、ストリーミング配信や地上波放映を待たなくても絶対「買い!」ですよ。

ともかくじっくりとしたテンポで進みます。クライマックスの「あの」シーン以外は、まったく自然な流れのストーリーなんですが。

クライマックスになってからのセリフに余計なことを全然言わせていないのもいいです。下手に後日談を描かない、潔い終わらせ方だと思います。

音楽も身を包む素晴らしさ。できればAVシアターを奢ってください。

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通常版でもこのくらい特典ふろくは付く。原画は15枚。


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ヴァイオレットの手紙つき。本編を観終わるまで中身は読まなかった。日本語訳の方は載せません。

2021年10月29日 (金)

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」についての、カウンセラーの立場からの小考察(再掲)

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この作品は、すでに観ている人が多いであろうし、その評価も定まっている。

ここであらすじについて今更紹介する必要もないであろう。

現在も、Neiflixに加入しさえすれば、いつでも観ることができる。


まず思ったのは、今、介護施設にいて、コロナ対策のため、完全面解禁止で、玄関で洗濯物の交換だけを棚でしている99歳の母親に宛てて、母親がこの世を去る前に、手紙を書きたいということだ。

でも、下手に書いてしまうと、母親が早死しそうで、ちょっと怖いのだが。

そんなに私の日常って変化はないし、繰り返して手紙を書こうとしても、書くネタはない。


******


「愛している」という言葉は、特に日本人は軽々しく使う言葉ではないだろう。

この言葉の安売りは、逆にウソっぽく、安易に口にすべきではないし、他人からきかされても、警戒すべきことのように思う。

ましてや、母親にこの言葉で現段階で表現するのは非常にウソっぽい。

「感謝している」とかいう言い方でもまだウソくさいかな。

内観療法で、年代ごとに、「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という3つのお題がある。

先日、「フォーカサーの集い」で、フォーカシングに内観療法を取り入れた分科会に参加した。

短時間であったが、「小学校3年生までに、自分にとって重要な人物について内観する」ことを課題として出されたが、不思議なもので、私の場合、父母など、身内ではなく、私をいじめからかばってくれ、「親友」と呼んでくれたクラスメートのことが想起された。それは意外だった。

私は現在でも亡き父と生きている母に「甘えて」いて、ひとりの他者として対象化できていないのかもしれない。


******


この物語で登場する、自動手記人形=ドールという仕事は、ある意味で、カウンセラーとも少し似たところがあると感じた。

クライエントさんの気持ちを聴くにあたって、ただ額面どおりに鸚鵡返しにしているのでは駄目で、ある意味では、この物語でいう、「言葉の表と裏」を汲み取れねばならない。

かといって、「察した」気持ちを、そのままクライエントさんに返してしまうのも「侵入的」過ぎる。

このあたりの塩梅が難しいと思う。

自分の「気持ち」に気づくのは、クライエントさん自身が物語るなかで自然発生的になされるように寄り添う必要がある。

しかもそれが、クライエントさん自身のための「自閉的な」コトバではなく、他者(この物語で言えば、手紙の宛先の、『大事な』特定の誰か)に通じるコトバになる必要がある。

ある意味では非常に禁欲的な仕事である。自分の経験・物語を勝手にダブらせてはならないし。

でも、恐らく、カウンセラーが自分の気持ちに気づいてる程度に応じてしか、相手の気持ちを汲み取れるようにはならないと思う。

この物語で、ヴァイオレットは、自分を育ててくれた少佐の最後の言葉、「愛している」とは何なのかを知りたくて、自動手記人形の職を選ぶ。

それは、彼女自身の気持ちに気づいていくための旅路でもあるが、このTVシリーズでのエンディングの時点では、非常に控えめなものである。

しかし、それが自然な気がする。

********

・・・などと、上から目線でスミマセン。

********

最後に、不幸な事件によって、亡くなった皆様に、哀悼の意を捧げます。

そして、傷を負われた皆様と、その皆様を支えている方々の、こころ(と、ひょっとしたら身体にも?)に永遠に残る傷についても、その痛みを少しでも汲みとれればと思います。

********

【第2版で追記】: この作品を見終わったのは昨晩の10時頃。すぐにこのエントリーを書いた。

今(翌日5時)、悪夢にうなされて「これはいかん、目を覚ますしかない」と感じて目覚めた。

それはどうも、この作品を観たことがひとつの刺激になっているからだろう、と、ベッドから離れて立ち上がった瞬間に思った。

私は生涯に渡り背負わねばならない「十字架」がひとつある。

それが暴露されたら、スキャンダルになりかねないものである。

この点については、私はこのブロク上でも、一貫して、現実を隠し、私が被害者であるかのような書き方をしている。

それを私が知らせた時、亡き父は、電話の向こうで、私が生涯一度しか経験してことがないのだが、号泣した。

そのことでは、父に「迷惑をかけた」こと以外での何者ではもない。

このことについては、父に受け止めてもらえたことに「感謝」する次第である。

私はやはり、この物語でいう「火傷」を追っており、むしろそのことによって「燃えている」のだと思う。

それが私のこころを「燃えさせて」おり、永遠の「贖罪」への旅を、うながしているようにも思える。

引き続き、

●「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」Extra episodeと、劇場版第1作、「永遠と自動手記人形」観た
のエントリーもあります。

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「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」特別編集版放送(日テレ21:00)まであと45分!!

日テレ21:00より。

ホント、これを機会に観て下さい。

日本の生んだTVアニメシリーズの金字塔。

絶対に観て後悔させません。

今日は「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」特別編集版放送の記念すべき日

アニメを56年観てきた私が過去最高のTVシリーズアニメとして絶賛する作品です。

戦争で失感情症になった女性が主人公の物語。

作画、演出、音楽、声優さんの演義、空前のクオリティ。

本日日テレ21:00 金曜ロードショー枠。

●「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」についての、カウンセラーの立場からの小考察

2021年10月28日 (木)

小室圭さんと、眞子さんの結婚に関する一連の騒動に、現代日本における真の「父性」の欠落を嘆く

2021年10月26日 (火)

私は「準引きこもり」予備軍だったのか?

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2021年10月19日 (火)

「嫉妬」を前向きなものに変える

「嫉妬」という感情は複雑で、ややこしく、自分でもなかなか自覚しづらいものです。 しかしこれを「ねたましい」→「うらやましい」と翻訳してみるのはいかがでしょうか?  前向きになれると思いますが。

より以前の記事一覧

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。