私のiTouchの動画集、Twitterで連投中。
実は今、恋人になりそうな人がいる。気が早いが、部屋の大掃除をした。すると、今となっては古い骨董品になるが、iTouchが発掘できた。そこには、今となっては懐かしいYoutube動画がたっぷりと保存されていた。今やその画像には削除されたものが多いが、曲だけでもこれから紹介しようと思う。
実は今、恋人になりそうな人がいる。気が早いが、部屋の大掃除をした。すると、今となっては古い骨董品になるが、iTouchが発掘できた。そこには、今となっては懐かしいYoutube動画がたっぷりと保存されていた。今やその画像には削除されたものが多いが、曲だけでもこれから紹介しようと思う。
今朝の夢は「きまくれ☆オレンジロート」漬け。
私の部屋中が「きまオレ」のポスターだらけ。私は出版社でこの作品についての本を書打ち合わせを深夜の高円寺で何やらしている。
私は八王子(以前私が住んでいた)にある公営マンションの7階・・・なぜか窓ガラスは割れまくっている木造の異様にぼろいマンションでに残した老母のもとに帰り、早く食事を作ってあげないと焦って、中央線の電車に乗ろうとしている。
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アニメシリーズ、放映当時は、原作以上に気取ったリア充的作品のように演出され、鮎川まどかにサクソフォーンは吹かせるシーンは子供が怖がるとかなんとかの理由で、シリーズ後半はお子様向け方向に路線変更され、私は角が取れてしまい、刺激に乏しく感じていた。
望月智充監督による劇場版「あの日にかえりたい」に至っては、恭介とまどか、ひかるの三角関係の解消の物語を、「現実にあり得るように」辛辣に描き過ぎて、原作者のまつもと泉先生ですら、「まどかはひかるをあんな傷つけるような終わらせ方にはしなかった」と批判する始末。
私はひかるちゃんの図太さを、「よくやった!!」と賞賛するスタンスで「アニメージュ」や「OUT」に投稿していましたが。
現在では「きまオレ」の評価自体が相当高くて、今の連中も鑑識眼あるじゃん!と思っています。
現在で言えばひかるはストーカーもどきにまで行き着いています。私は望月監督自身に「危険な情事」からの影響の可能性を書き送ったら、実際にお目にかかる機会がありました。
↓ このDVDはフランス盤ですので、リージョンが異なります。普通のDVDプレイヤーでは再生できませんので念のため(再生できた場合、日本語対応します)。賛否両論のレビューだけでも読んでみてください。これ以外の方法で観てみたい方は・・・、手はありますので、鋭意努力して下さい(^^)
やっと書くという約束を果たせる。
なぜこの作品と巡り合ったのかはもう忘れた。たまたまネットサーフィンしていて出食わしたのは確かだが。
私はが「ちーちゃん」という名前に過剰反応したのは確かだ。
「セーラームーン」の前作品であった「きんぎょ注意報」に出てくるお嬢様キャラ、藤ノ宮千歳のあだ名が「ちーちゃん」である。
私はこのキャラについて「アニメージュ」の読者投稿欄におちょくる投稿を何回かした。
そして私のハンドルネームの"chitose"というのも、一応故郷久留米を流れる筑後川の別称、「千歳川」からとったことにしているが、実は「きんぎょ注意報」の藤ノ宮「千歳」も意識している。
・・・・まあ、この小説と、これを原作とする映画とは全く無関係のことだが。
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この作品は日日日(あきら・・・と読む。「晶」に置き換えて「日」3つに崩して表記したもの。1986年生まれ)という人が、まだ高校生時代に書いた2005年の作品であり、新風舎文庫大賞を受賞している。これを原作とする映画は2008年。以下では映画について述べる。
ちーちゃんとは怪談が好きな「千草」という女の子。幼馴染のもんちゃん(久野)に布団の中で怪談をして怖がらせていた。
その二人は高校一年生になり、クラスメート。
もんちゃんは弓道部に、ちーちゃんはオカルト研究会に所属するようになる。
オカルト研究会には林田という女生徒がおり、一年留年したのを引きこもりだとかうつ病だったと噂されていたが、実は脳梗塞のリハビリだった。
ちーちゃんともんちゃんは毎日屋上でちーちゃん作った弁当を食べるのを習慣としている。
二人は、「学校の七不思議」と呼ばれる場所を探検するが、何も起こらない。
ところが、もんちゃんは、弓道部の先輩の武藤と微妙な関係になる。それに嫉妬するちーちゃん。
ある日、林田は再び脳梗塞を起こして死んでしまう。「人は死んだらどこに行くのだろう・・・」とつぶやくちーちゃん。
すったもんだのあげく、ちーちゃんは見てはならないものをみてしまう。それは・・・
ここからどんでん返しがはじまり、感動のラストへと向かうのだが、それはオフレコね。
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ちなみにちーちゃんは若き日の仲里依紗が演じている。
彼女は前年公開のアニメ版「時をかける少女」(細田守監督)の声のヒロイン役でもあるが、何とエンディングが・・・聴いて一声でわかったが、「時かけ」と同じ奥華子である。
非常にピュアーな青春映画であり、ストーリーメイクも達人である。これが同年代の高校生が書いたものとは信じがたい(アマゾンレビューによれば「原作と違う」という指摘もあるが、おおむね好評である)。中高生世代には必見だろう。
あまりにも面白いから上げてしまおう。
エヴァで思い出すのは、動画で拾ったエヴァブームの頃の庵野監督のテレクラ企画番組。劇場版の冒頭で流してほしい。 pic.twitter.com/7HyqRWJ02Y
— 新司偵 (@Ki_46ozzie) July 6, 2019
またもや私のみた夢の話にお付き合いください。
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私は大学学部か大学院生である。
私は知り合いの大学生、あるいは大学院生(女性。私は彼女に片思いしているようだ)自分の書いた資料を渡そうとして、相手を探している。
相手のいる場所の目算はついた。
しかしそこに辿り着くには、高いビルの外側に張り出した工事中の足場を通るのがいいことに気がつく。
その足場は、鉄パイプを組み上げた上に木製の板を約1.5メートルぐらい「張り出させた」ものである。柵はない。
私は、通れると思いその上に乗って歩こうとするのだが、数歩先は地上までの「奈落」であることに気がつき、しりごみしてしまう。
足場はしっかりしたもので、下さえ見なければ渡れそうなのはわかっている。
何度も試みようとして、板の手元の方にまで出てみるのだが、下の方が見えてしまいそうなところまで出るのに躊躇して、結局伝え歩きでそうなのにそれ以上一歩を踏み出せない。
結局私はビル内に戻り、大食堂とも大会議室ともとれる広い空間へと行く。
そこには正方形の大きな机が整列して置かれ、それぞれの机ごとにまわりに椅子が数個置かれ、学生たちがその周りに座っていろんな討議をしながら「プロジェクト」を進めている。
そうした机は本来予約制になっており、その終了時間はあと1時間のようだ。
私は空いている大テーブル(2つしかない)に座って作業を進めようとするが、そこを「占有」することに躊躇を感じている。
ここで場所は一転する。
大きなダークグレーの壁や床で囲まれた抽象の高い閉じられた広い空間。ただしその空間は多面体のようで、垂直の角がない。
その真ん中に衛星放送の映るデジタルテレビが置かれている。画面が映っているのだが、非常に粒子が荒い、電波の弱いところのアナログテレビ並み。私は「衛星放送ってこんなに粒子が荒かったっけ?」と怪訝な気分になる。
「マクロス7」の第一話の放映が始まる。
最初の方は私が知っている通りにストーリーが進む。
ところが途中から私の知らないシーンの展開が始まる。
私は、「こういう展開なのを覚えていなかたのか?」という気分になる。
・・・ここで目が覚める。
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さて、夢フォーカシングをこれを書きながらライブで進めよう。
書いたレポートを好意を持っている大学院生に読ませたがっている・・・実際の私は当時、片っ端から周囲の女の院生に求愛して、振られてばかりであった。
レポートの内容によって相手に評価してもらおうとしていたようだが、今思い返せば、こんなのは求愛になってない。恋愛と学術的評価なんて別の次元のもの。
夢の中で求愛の相手になっているのは私がこれまで求愛してきたのとは別の、知らない女性のようだ。非常にアニマ臭いが、私が今度の本の魅力によって、院生でなくてもいいから、誰か私に好意を抱いてくれ、懇(ねんご)ろな関係にならないかという「下衆な」期待をしている面があることも確かしれない(^^;)
高い足場の上の綱渡り・・・似た場所は?
一つは私が勤務していた法政大学多摩キャンパスの面接室の窓から見た光景。
外壁を使った「綱渡り的」移動・・・下さえ見なければ実は安全にできるはず・・・これは、私がやろうとしている3冊連続刊行という「博打」のことだろう。
「無意識的には不安と恐怖にかられている」が、実際には「歩き通せる」・・・成果は目に見えているはず・・・ということの暗示か?
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「大会議室の大きな机の並んだ、みんなが討議している空間」・・・私が羨望を感じている、周囲の同業者の在り方だ。私は「予約なしで」、残された2つのテーブルのどちらかをひとりで占有しようとしているがそのことに躊躇している・・・これは現実とは異なる。今度の松江の日本フォーカシング協会の「集い」では、私は、今度出す「入門・フォーカシング」を教科書にする「出店」を早々に申し込み、受理されている(「予約」している)。ひとりぼっちで「テーブルを占有しようとしてる」のは確かだが。
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さて、厄介なのは「マクロス7」である。
ダークグレイの抽象度の高い多面体の角のない部屋というのは、「電脳子宮空間」の暗示だと思う。
「粒子が荒いハイビジョンデジタルテレビ」という矛盾。これは古い私のネット上の論考を「今の舞台」に載せようとしている私のありようと一致する。
たとえ敵味方が退却しても、無伴奏でも、「俺の歌を聴け~!!!」という熱気バサラのありようはあり方は私そのもの。
「途中から私の知らない展開になる」というのは、著作を刊行した後に生じる展開が、まさに「予想外の」、しかも結構しょぼい展開になる(少なくともそうなりはしないかと恐れている)・・・ということの暗示かもしれない。
更に言えば、6月30日に地上波で全国放映されたらしい、「君の名は。」を観そこなったことへの後悔とも関連するだろう。
〇〇〇〇〇〇 TR(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)
このたび、鳥影社より、2冊の本を連続して刊行させていただくことになりました。
このニュースレターが刊行される頃には、前者がすでに発売中、後者が遅くとも11月中旬発売の状況だと思います。
2冊をこれだけ短期間に連続して刊行できることが異例ともいえますが、どちらも10年から20年以上前にインターネット上で書いたものが原型ですから、原稿をちょっとだけ手直しすればよかったのです。
編集部に最初に持ち込んだのは「入門・フォーカシング」の方でした。文芸・学術論文専門の出版社でしたが、「文章に強い説得力がある」と評価され、あっさり刊行に向かいました。
この本はWord原稿で30ページほどのささやかなものですが、私がフォーカシング個別指導やワークショップでやっていることを「そのまんま」書いています。つまり1時間で実際にしている内容なんですね。
基本的には、フォーカシングの名教師、アン・ワイザー・コーネルさんの影響が濃いのですが、冒頭の身体の感じを順次確かめる実習や、「フェルトセンスに問いかける」の部分に私なりの工夫が盛り込まれています。
さて、この本の刊行が決まった時点で、編集部に、「あのー、個人ブログにこんな記事を書き連ねて来たんですけど・・・」と打診したのが「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の方です。
「カウンセラーこういちろうの雑記帳」は、私の個人ブログのタイトルそのものでした(現在は「カウンセラーchitoseの雑記帳」と名前を変えています)。
このブログは何でもやりたい放題でして、カウンセリング・心理療法のみならす、音楽(クラシック、J-pop、ミュージカル、ロック)から実写映画、テレビドラマ、アニメやコミック、テレビドラマどころか歴史経済経済にいたるまで思いつくままに書いてきたものなのですが、どうも若いカウンセラーへのメッセージとも受け取れるエントリーが少なくないことに気づきました。
私自身まだいろいろな欠点のある、発展途上のカウンセラーだと思うので、何ともエラソーなのですが、カウンセリング業界への苦情(フォーカシングは一切批判していませんよ)から、フォーカシング技法・体験過程理論の様々な応用編、私なりのフォーカシング指向心理療法の紹介もしています。
ところが、元のやんちゃなブログの性格も残していて、なぜか中島みゆきがやたらと出てきます。そして「ユーミンのデニーズ伝説」三部作という、私が日常の中で遭遇したちょっとした光景を描いたエッセイも収録されています。
この本で一貫しているテーマは、「共感」とは何だろう?ということでしょうか。「共感」とはお互いの「錯覚」を乗り越えていくことではないか・・・と繰り返しています。
まあ、わかりやすい文章のつもりですから、気軽に読んでいただければ幸いです。
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・・・実はこの2冊の間に「セーラームーンの精神分析」を8月20日ごろ出す予定なので、一層「異例な」刊行ペースなのだがそのことについては一切言及していない。
編集部からのメール:
『カウンセラーこういちろうの雑記帳』は、『入門フォーカシング』『セーラームーンの精神分折─2つの母性の相克─』
とともに三部作として読んでいただけると、読者の理解が大きく進むと思います。
とくに『カウンセラーこういちろうの雑記帳』は、今までのカウンセラーとしてのご経験とご自身の体験がふんだんに生かされた特質すべき出版になると存じます。
・・・と言ってしまえば単純なんだけどね。
ただ、このことをあっさり言葉にできたのは、映画の次に25周年劇場ライヴを観たからこそなんだよね。
結局、ウエッバー自身監修の映画版も優れた「解釈」なんだけど、ちょっとだけ「007」の新シリーズの一作目とか「タイタニック」入っているんじゃない?とも言えてしまう。
この25周年記念公演は最後にロイド・ウエッバー自身が舞台に立って、さながら歴代演者の同窓会みたいになって盛り上がるのもいい。
初代クリスティーヌ役がサラ・ブライトマンとは知らなんだ。
実は私は「ジーザス・クライスト・スーパースター」は映画版を同時代的に観ているが、「キャッツ」はまだだ。今度観るつもり。
「入門・フォーカシング」「セーラームーンの精神分析」に引き続いて一気に三冊目となります。
実はこのブログに収録されたカウンセラー向けのエントリ―を並べなおして推敲しただけです。
流派を問わず若いカウンセラー向けの本です。「入門・フォーカシング」を読んだ人への応用編にもなっていて、Fucuser as Teachaer、インタラクテブ・フォーカシング、体験過程尺度、体験過程インタビュー、更に私なりのフォーカシング指向心理療法のご紹介にもなってい ます。
お楽しみに。
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