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ニュース

2021年9月10日 (金)

NHKEテレ、「視点・論点」、『イスラムと西欧の二十年』

同志社大学、内藤正典氏による。

10分間の短い番組だったが、非常に整理された内容だったと思う。

9.11の、ビン・ラディンらのアルカイダによるアメリカ同時多発テロをきっかけに、欧米諸国のアフガニスタン侵攻がはじまる。

これは「テロリズムとの戦争」と呼ばれ、イスラム住民への攻撃ではないとされた。

しかし、現実には多くのイスラム住民が殺された。

「テロリズムとの戦争」という概念は、弾圧の正当化となっていく。

チェニジア、エジプトなどで民主革命がおきるが、イスラムによる世直しをかかげる政党が圧勝。しかしそれらも軍部による掌握で倒される。

シリア・リビア・イエメンでは反政府勢力との激しい内戦となる。

シリアのアサドは「テロとの戦争」をかかげるが、反政府勢力の激しい反発を買い、ISの台頭となる。

シリア難民はまずはトルコ、それからギリシャ、そしてドイツへと流入する。

もともといたイスラム移民へも、テロリストでは?という懐疑がかけられるようになる。

ヨーロッパでは、反イスラム政党が台頭。

女性の服装など、イスラム教徒への規制が広まる。

これに応じて、ヨーロッパ諸国ではテロが頻発、ますます反イスラムへの機運が高まる。

アメリカのアフガニスタン撤退、タリバンによる新政府が樹立される。これにより、再びアフガニスタンから多くの難民が流出するであろう。

西欧はイスラム世界を見下してきた。

2つの文明世界には根本的な違いがあり、一方が他方を従属できるとはみなさないほうがいい。

「人権」概念そのものが違う。

タリバンは、西欧流の「民主主義」は通用しないと主張する。

内藤氏は、相手の話をきいた上で改善を求めること、「文明間の講和条約」を築くことだけが、唯一の共生の道であると訴えている。

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2021年8月30日 (月)

古内一絵/「風の向こうへ駆け抜けろ」【かなりネタバレ】

主演てち(平手友梨奈)でドラマ化され、12月のNHK地上波土曜ドラマで、前・後編で放送されるとのこと。

このブログの読者の方はご存じのように、「ウマ娘」ゲーマーである私は、この企画に大いに興味を持った。

てちについては、映画「響」について詳しいレビューを書いている。

まずは原作を読むことにした。今回のエントリーは、主として原作についてのレビューである。

ドラマとは若干設定が異なっている。

芦原瑞穂は、騎手養成学校を卒業したばかり。

彼女は北海道出身で、父は生産牧場主だった。

母は幼少期に他界し、記憶にも残っていない。

いろいろ思い出が残る父も、くも膜下出血で急死してしまった。

東京の叔父の家で育てられる。

瑞穂が騎手を目指したいと言い出した時に、叔父は猛反対したが、結局は折れた。

瑞穂は成績優秀だったが、瀬戸内海沿岸の鈴田市にある、緑川厩舎から声がかかる。

地方競馬には、騎手300人のうち10人ほどしか女性騎手はいないが、瑞穂はこの誘いに乗る。

厩舎の経営者、兼、調教師である光司とは、厩舎に来てから出会う。

まるで風采があがらない、だらしない、無気力な男。

実際には、市役所の広報課の職員、大泉が斡旋したというのが真相のようだ。

厩舎はひどい荒れようで、誠という、失声症の美男子の少年が、非常に熱心に馬の世話をしているのを除くと、他の厩務員は、中年男(山田のゲンさん)や、トワちゃんと呼ばれる80歳以上と思われる老人だけ。

馬もろくなのはいない。18歳を超えた馬もいる。

全部で3頭で皆未勝利。

瑞穂は歓迎会で溝木という男性に引き合わされるが、愛人をたくさん抱えている馴れ馴れしい男。

実は、瑞穂が招聘されたのは、大赤字で閉鎖寸前の鈴田競馬場の人気を盛り返すための「客寄せパンダ」としてであることが明らかになってくる。

瑞穂は、戦隊モノのような恥ずかしいピンクの勝負服を身につけることを求められる。

乗ることになった馬の調教も全然思わしくない。

それでも初レースに臨むが、惨敗。

だが、ふとした偶然から、瑞穂は、光司の秘められた過去の栄光を知ることとなる。

ここから、徐々に、厩務員たちはやる気を出し、瑞穂も数試合かけてやっと、まさかの一勝を掴む。

だが、瑞穂が溝木の誘惑を拒んだのをきっかけに、まだしも力のあった一頭が引き上げられてしまう。

ここで光司は完全に前のめり。新しい馬を求めて、瑞穂と誠を連れて上京。

馬探しには難渋するが、併せ馬(闘犬でいう「噛ませ犬」)のみに使われ、満身創痍の痩せ馬だった、異様な形相の2歳馬が目にとまる。

この馬の調教は並大抵のものではなかったが・・・・

******

原作者の古市一絵という人は、1966年生まれですからベテラン。

競馬については「蒼のファンファーレ」という小説もあり、初めてではないようですが、凄い下調べ、取材を重ねて書いていると思います。

レースシーンの描写なんて、完全に乗っている騎手の体験しているであろうライブ感がすばらしいです。

個性あふれる登場人物、個性あふれるウマたち(!)、起承転結が非常にしっかりした、熟練した物語展開ですね。

非常にドラマ化に適した作品というか、実写映像が浮かんでくるかのようでした。

脇を固める役者さんは皆演じがいがありそう。

地方競馬の闇にも随分踏み込んでいるようにも思える原作です。ハルウララは幸せな馬ですね。

こりゃ、単発ドラマでは無理やなと感じたのですが、番組紹介を読む限り、原作全体をドラマ化するようです。

前後編、合計2時間半はちょうどいい尺だと思います。

てち、乗馬の訓練は大変だと思います。

大河ドラマの乗馬とはわけが違う。何度かあるレースシーン抜きにこのドラマは成立しない。

コロナ下で、群衆シーンの撮影も難しいであろう中、どう撮影するのかも興味があります。

いずれにしても、「ウマ娘」のように、慣れれば皐月賞や日本ダービーを軽々クリアしていけるのとは別世界の物語です。

楽しみに待ちましょう。

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櫻坂46はどこへ行くwww

これは、王子のきつねさんの、

●櫻坂46「流れ弾」のアレンジはネクストレベルw

というエントリーへの私のコメントとして書いたものです。

今度発売される、櫻坂46の新曲、「流れ弾」についてなんですが。

これを聴いて、王子のきつねさんは、

>櫻坂46「流れ弾」をぱくゆう氏が絶賛していたので、
>どんな曲かと思って聴いてみたら、衝撃的なアレンジをしていて驚いた。
>何が衝撃的かというと、アレンジのサウンドが歌と重なって、
>歌詞がさっぱり聞き取れないのだ。

と驚愕されていました。

私も同感ですが、この原因について、私なりの拙い知識と経験から考察したいと思います。

******

もともと欅坂系の録音は、AKB/坂道グループ系の中でも音質面に問題を特に感じていました。音が汚いといいますか。

私の装置は、この前のエントリーで書きましたように、アップサンプリングという処理ができるので、大抵の人が聴いている環境より、音がまろやかになり、音の「空気感」とでもいうべき広がりが凄く出てきます。

これは音源ソースに人工的に音響を付加するのではなく、原録音にそうした広がり要素がないと生じません。いわゆる「サラウンド」というのとも全く異質なのですが、その説明は省きます。

欅坂の中では、「二人セゾン」はそこそこいい方の音ですし、アルバム「真っ白なものは汚したくなる」のDisk 2の方(「月曜の朝、スカートを切られた」とか「渋谷からPARCOが消えた日」収録の方)は、音の質と、広がりが一番いい方に入ります(私は欅坂のCDは全部自前で持っています)。

音の「空気感」の広がりは、リバーブと呼ばれる、音の遅延と、逆相成分を含むアンビエンス・コントロールで生じます。

アコースティックな録音ではないJ-Popの場合、この逆相成分と残響は、すべて人工的に付加したものです。

ロックの場合には、部屋の響き、特にドラムスの広がりを拾うために補助マイクを立てていることも少なくないのですが、日本の最近の「ロック」では全然ない場合もあります。

手元にある音源で言えば、おなじみのRADWIMPSの「前前前世」は、Youtubeにもアップされている「君の名は。」movieバージョンは、アルバムバージョンより音質が悪い(これはApple Musicに2つともありますので容易に比較できます)。

それでもYouTubeでは公式movieバージョンの音が一番聴きやすいのでリンク。

音の広がりをスピーカーの外に広がるように、楽器にヴォーカルが埋もれないようにして、ヴォーカル自体にも控えめにリバーブが、恐らくエフェクターで人工的に少しだけかけてあります。終盤のコーラスだけは盛大に広がりますが。

ただし、バックバンドは、スピーカーの外に音は広がる以上、逆相成分は含まれていて、アンビエンスコントロールはある程度なされてはいるかと思いますが、それでもかなり平面的というか、音を「並べた」感じです。

「前前前世」は、それでもYoutubeで聴くよりは、ストリーミング再生(アップコンバートで聴く)だと結構「艶のある」「透明な」録音の部類でしょうね。「良い」とまでは行きませんが、中+クラスでしょうか。

乃木坂は、「シンクロニシティ」とか、代表曲を幾つかダウンロードした程度ですが、「艶」こそ乏しいと思いますが、歌詞も、近接マイク気味で、口が大きく感じますが、聴きやすく、まずまずの平均的な音ではないでしょうか。

最近のメジャーなバンドやグループの場合、結構ひどい音が多いように思います。

Apple Musicではいくらでも定額の範囲で曲を聴けますし、「ダウンロード」までし放題ですので、マイナーなバンド(私が知らないだけ?)の新曲も気軽にパソコンに取り込んでいるのですが、予算が少ないバンドの方が、シンプルで素朴な録音をしているのが幸いしてか、響きも自然で、聴きやすいということはままある気がします。

困ったことに、それこそYouTubeのCMとかで流れるBGMの方が、アンビエンス処理がなされていて、高音質と感じられることはザラです。

櫻坂の「流れ弾」は、まだどこのストリーミング再生にも載っていませんので、Youtubeで(アップコンバートを通さずに)聴く限りですが、グループの歌唱ですから、音の広がりが左右にありますが、あくまでも「並べた」だけですね。

ひどいのは、確かに、ヴォーカルとバンドの音が全く分離しないことです。通常なら、ヴォーカルとバンドはある程度アンビエンスのかけ方を変えるのですが、それが皆無ですね。これでは歌詞が聴き取れなくて当然です。

私の感じているところでは、最近のメジャーどころの録音って、得てして、この水準で平気でいます。

殊にこの「流れ弾」は、音の帯域も狭くて、最悪に近い音質でしょうね。

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2021年8月27日 (金)

「ドライブ・マイ・カー」公開記念、濱口竜介監督へのインタビュー記事から連想すること。

――村上春樹さんの作品は原作の『ドライブ・マイ・カー』が収められた短編集『女のいない男たち』(文春文庫)はもちろん、大ヒット作である『ノルウェイの森』(講談社文庫)にしても、『ねじまき鳥クロニクル』(新潮文庫)にしても、主人公の男性が「女性に去られる」という設定がとても多いです。男性が女性の不在をきっかけに自分と向き合うということが村上春樹作品の本質だと感じます。

濱口:僕もその点は、村上作品の面白さの一つだと思っています。今回の作品でもその設定をいただきつつ、「女性に去られた男性が自分と向き合う」までをきちんと描きたいと思いました。

「女性に去られる」というのは、未だに男性の根源的な恐怖でしょう。男性にとって自分が一番信頼していた他者である女性がいなくなってしまうのは、人生が土台から揺らいでしまうことです。もちろん、女性が男性に去られる場合もありますが、どこかニュアンスが異なる気がします。今回は男性が、そこからどう抜け出して人生を立て直すか。それがこの映画の基本的な運動になります。

――この作品は40代後半の家福が打ちひしがれ、涙する様子が臆面もなく描かれます。自らの弱さを認めてそれを乗り越えることが強さであると受け取りましたが、1978年生まれの濱口監督よりも上の世代の監督作品で、男性が泣くことはほとんどなかったように思います。

濱口:今、僕たちの世代は過渡期ではないでしょうか。映画の撮影現場ひとつにとっても、少し前の世代までは暴力が横行していた。下の世代には、明確にそれはおかしいという感覚がある。僕たちの世代は既にある上の世代の文化に飛び込んである程度順応しつつ、違和感のあるものは下に伝えないよう努めている世代だと思います。

とはいえ、暴力的な態度が資源や時間がない時に人をコントロールするために有効な方法であることも目にしましたし、その文化が内面化された部分も必ずあると思います。それに対しては意識して自分を更新する必要があります。男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。

(中略)

濱口:女性を描く時には社会の圧を跳ね返すようなある種の強さまで辿り着くよう、自分に課しているところがあります。一方で、男性を描いていても社会的な問題にたどり着かない。当人の内面の問題に終始しがちです。それは、男性が社会構造に保護されているからです。現時点で、男性を描く場合にリアリティを持ってできたのが、「弱さを認める」ということでした。

これからの時代、男女平等が進んでいくとすれば、男性は生まれた時から無自覚に得てきた特権をどんどん奪われていくことになります。それは個人の視点からすると単に抑圧され、奪われるようなつらい体験なのかもしれないけれど、自分にその特権が与えられた歴史を学びつつ、それはむしろ起こるべきこととして、その痛みを受容しなくてはいけない。

今回の作品は直接的にそういうことを描こうと思ったわけではないのですが、映画を作るうちに自然と、「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

――監督の過去作『ハッピーアワー』も本作も、「自分ときちんと向き合うことで相手を理解する」ということがテーマになっていると感じました。本作の原作者の村上春樹さんは『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫)の中で、「井戸を掘って掘って掘っていくと、そこでまったくつながるはずのない壁をこえてつながる」ことをコミットメント(人との関わり合い)の本質だとしていますが、そのことは濱口監督のテーマなのでしょうか。

濱口:その本は僕も好きで20代前半の頃読んでいました。特段そのことを意識して来たわけではないのですが、原作『ドライブ・マイ・カー』の中の「どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。(中略)本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです」という岡田将生さん演じる俳優の高槻の言葉は、彼自身の深いところから発せられた言葉として家福に受け取られるし、村上さんが書かれたその高槻の言葉自体が、きっとそうなんだろうという説得力を持つものでした。

なので、そのシーンは映画の中で実現したいと思いましたし、結果的に映画の核となる部分にもなりました。

――本作では手話を使うろうの人も含めて、異なる言語を持つ人たちのコミュニケーションの豊かさが描かれていましたが、このような「多言語演劇」のスタイルを起用するきっかけはどのようなことだったのでしょうか。

濱口:ボストンで1年間暮らしていた頃、英語の語学学校に通って勉強していたのですが、自分より言語ができなくてもコミュニケーションできる人っていますよね。その時にコミュニケーションの本質は言語ではないと改めて思い知らされました。

言葉が流暢だからコミュニケーションできるのではなく、言葉を持っていなくても、コミュニケーションしたいという気持ちや相手に対する好意がある人は、多少英語が話せて言語によるコミュニケーションが可能な自分よりも、深いコミュニケーションをしているなと。そして、自分もそうできたらいいなと思っていました。

言葉によってコミュニケーションが阻害されているとまでは言いませんが、言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。それは映画の中で多言語演劇をやってみようと思ったきっかけの一つです。

――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。今回のキャストでは、たとえば演劇祭スタッフのユンスを演じたジン・デヨンさんはまさにそういう人だし、そのことが映画にもにじみ出ていると思います。

――脚本を担当した1940年代の日本と中国を舞台に国家機密を前にして揺れ動く夫婦を描いた『スパイの妻』もそうでしたが、今回も「悲しみを失った人同士がつながる」というテーマの下、多言語演劇を取り入れ、時空や空間を大きく跨ぐスケールの大きな物語を描いています。どのようにしてプロットは思い付いているのでしょうか。

濱口:大きいテーマを扱っている意識はないです。それよりは、ボストン在住や国際映画祭での体験など、自分の個人的な身体感覚をベースに作っています。スケールが大きいというより、パーソナルな感覚の映画を作っているという意識の方が強いですね。

確かに本作には、東京にいた主人公が地方へ行ったり、また他のキャストが海外から来たりするという地理的なスケールがあります。しかし、基本的には人と人とのコミュニケーションを描いた小さな話です。実感に基づいた感覚をベースにしないとディテールは描けないとも感じます。

例えば『スパイの妻』で言うと、家庭内のことが戦争にまでつながっているだけで、日本と中国、アメリカという距離は地理的な問題に過ぎません。誰しも自分たちでコントロールできる世界の範囲は小さいです。なので、映画の構想も自分が認識できる範囲から始めています。

一方で、「描かれる世界の大きさ」は認識能力を超えた時に感じるものだと思います。なので、見る人の認識能力を超える部分をキャスト・スタッフの人たちと共に考えながら、どのように見せるのかを考えながら映画を作っています。

――最後に、この映画で伝えたい濱口監督からのメッセージについてお聞かせください。

濱口:メッセージというものはない、とは言いませんが、あくまで映画を通じて感じていただけたら、と思っています。様々な要素が重なり合っている映画ですが、決して難しい話ではなく、むしろ単純に「面白い」映画だと思っています。どこかで必ず自分自身の経験につながるものがあり、受け取れるものがある作品だと思います。前知識も何も必要ありません。構えずにリラックスして見て欲しいですね。

『ドライブ・マイ・カー』は8月20日(金)より、TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
(C)2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

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このFRaUのインタビューは、なかなか含蓄のあるもののように思う。

  • 男性で、しかも年長者になりつつあるということは、気がつかないうちに強者の態度を取る罠にはまる可能性があって、その危険は常に感じています。 

これは、対女性にかかわらず言えることなのではなかろうか。自分は弱いところがあると認めている人だけが、相手の目線にも自然と立てる気がする。

・・・と思っていたら、

  •  「男性の弱さ」とそれを認めるという意味での「強さ」を描く必要を感じました。

続いて、

  • 本当に他人を見たいと望むなら、自分自身を深くまっすぐ見つめるしかないんです 

同感。自分に自分が見えている分だけしか、他人のことは見えてこない。

  • コミュニケーションの本質は言語ではない。 言葉によるコミュニケーションに頼り過ぎてしまうと、本当に望んでいるような関係には辿り着けない。

これは、ネット空間では殊に忘れるべきではないでしょうね。

ネット上でいい信頼関係を築くためには、相手が「身体で」どう実感しているかに波長を合わせるようなつもりになる必要があると思います。

これは日頃からフォーカシングのリスナーをしている私の肝に銘じていることです。

  • ――過去の経験を振り返って、言語を使わずに豊かなコミュニケーションをできる人は、実際にはどのようなタイプの人なのでしょうか。

    濱口:人に率先して好意を伝えることのできる人だと思います。その人自身が「人を疑わない」から、「自分も疑われないであろう」という感覚を持っているのではないかと思います。

好意は具体的に表現し続けなければならないということは、すでのこのブログでも何回も繰り返して来ました。それは言葉の上だけではなく、身体から自然と湧き出るようなものでなければならないと思います。

・・・これ、スキンシッップが必要という意味ではないですので念のため。

相手が言うことをかなえているだけでは愛情表現ではない、と私は繰り返し書いてきました。これが私の苦い人生経験の帰結ということも。

そして、人の気持ちの「裏を読む」ということを、相手の悪意を仮定してかかるということばかりであってはならない。

相手の悪意を仮定することは、「お人好し」になり過ぎないための術かもしれませんが、それと同時に、相手の言うことを「額面通りに」受け止めてとりあえずは応対するほうが、結局はリーダーシップすらとれます。

*****

・・・・などと、監督の発言に自分の見解を強引に押し付けただけかもしれませんが、このへんで。

私は、村上春樹は、「羊をめぐる冒険」しか読んだことはないですが、映画「ドライブ・マイ・カー」も、チャンスがあれば、観てみたいですね。

この予告編で使用されているピアノ曲は、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番、「テンペスト」の第3楽章です。 楽天トラベル

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2021年8月19日 (木)

社会福祉士、藤田孝典氏はいずれ全体主義者に「かつがれる」存在になる?

私は一昨日、DaiGo氏の「差別」問題について社会福祉士、藤田孝典氏にTwitter上で論戦を挑んだが、20回ぐらいコメントしたにもかかわらず、ことごとく無視された(^^;)

その内容がどのようなものであったかは、私のコメントはすべて藤田氏のツイートへの引用つきリツイートでしたから、私のTL(chitose@kasega1960)を追っていただきたいが、私以外を含めて、彼の発言で違和感があるものを幾つか並べてみたい。

 

これと、彼のよくする、「自己責任」批判の論調は矛盾しないだろうか?

続いては、すでに幾つか前のエントリーでも言及した、恐らく彼最大の問題発言。

 

 

引き続いて、彼の「恐怖政治」的制裁論について。

 

 

彼の、自分を批判するものに、十把一絡げに「差別擁護者」という独特のレッテルを貼ることについて。

私には、彼を「マッチョメンタル」と呼びたいところがある。このお方が、若い頃、底辺の福祉の世界で、利用者さんに細やかにやさしく接している姿がどうしても思い浮かばない。

どうも、彼は、生活保護受給者をできるだけ無償で援助することとはまるで正反対のことを10年前にはしていたようである。

いわゆる「貧困ビジネス」をしていたようなのだ。

以下はWikipediaからの転載なので、本来は慎むべきことなのだろうが、ここで述べられていることは事実であろうから:

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月刊誌『選択』は、藤田が過去に貧困ビジネスを行っていたと報じている[4]。

さいたま市議会議員の吉田一郎は、以下の行為が貧困ビジネスではないかと主張している[12][13]。

生活保護の申請支援、申請同行及び審査請求、不服申し立て手続の支援を『生活まるごとコーディネートサービス』と称して4万2000円で行っていた[12]。

吉田は、非弁行為として法律に抵触するとしている[12]。

8万円程度で一軒家を借りてグループホームという形式で運営し、1軒に5人程度ホームレスを住まわせて市からの住宅補助4万7000円と入居者から共益費として1万円を受け取っていた。吉田は、毎月20万円程度の粗利が上がっていたと見ている[13]。

そうした住居を15軒所有し3年間で2000万円以上利益を上げていた[13]。

代表も役員報酬として413万円を受け取っていた[12]。

この他にも吉田は、ほっとポットが不当に補助金を受けていたとして、監査請求を提出している[14]。

参議院議員の片山さつきは参議院の総務委員会で、以下のように発言している[15]

・・・お手元に配らせていただいているこの「ほっとポットとは」、「生活まるまるコーディネートサービス利用契約書」。

実は、このほっとポットの代表理事の方は、今、生活保護の審議会、政府の審議会、厚生労働省の審議会の委員なんですよ。

ところが、この方は、生活保護者に帯同し、場合によってはその審査請求や不服申立ての手続支援をするという、これ普通書かないですよね、

弁護士法七十二条、七十三条、行政書士法十九条、普通書かないですよ。でも、書いちゃって、お金を四万二千円取っておられるんですね。

・・・地方自治体や、本当にプロとして、士業として認められた人たちの意見をきちっと聞いてならいいですが、位置付けがはっきりしないNPOが、本当にボランティアで親切心だけならいいんですよ。だけれども、じゃ、何で一件四万二千円が必要なのかということを誰でも思うので、

この件は、実はこの起こった政令市において議会で問題になっているんですよ。それに対して政令市の担当局長が何と答えているか、こういう方々が一緒に付いてきても何のメリットもありませんと答えているんですよ。つまり、こういう方々が付いてこようが付いてこまいが、生活保護は自分で申請するものですから、変わらないと。・・

================================

・・・まあ、あの生活保護不正受給者批判の片山氏がいうことですが、事実は事実でしょう。

私が感じるのは、彼が非常に極端な二分法を好み、差別者とされる人物への「上からの」制裁を志向し、実は「権力主義」の側面を持つということである。

彼は、異分子を排除するという、裏返しの「差別」意識を持っている気がする。

実は全体主義との親和性があるのではないか。まるでロベスピエールですね。

いずれ、むしろ右翼サイドにすら利用され、祭り上げられる存在になるように思う。

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2021年8月18日 (水)

DaiGo氏の「LGBTQで集まるのはバカ(弱い)」発言にみる、超個人主義

この記事、用心して読まなばなるまい。かれはLGBTQの人達を「差別」しているのではない。

彼はLGBTQの人達が「差別」でいかに苦しんでいるかということへの認識がないのである。

DaiGo氏:

「僕そもそもね、性別に偏見ないんですよ。なんでかっていうと、性別で相手を見たことがないから」

人間なんてさ、全部違うんですよ」

「『俺たちセクシャルマイノリティだから』みたいな風に集まる人いるんですけど、バカじゃないのかなって思うんですよ」

「多様性を認めろっていうんだったら全員が違うことを理解すべきで、人は決して素でわかり合うことはできない」

「だからこそ、お互いに許し合うことが大事で、お互い違うってことを理解しなくちゃいけないんですよ」

「皆違うのになんかレッテル貼って、なんか俺たち一緒だねみたいにやるんですよ。弱ぇなぁって思うんですよ

*******

・・・DaiGo氏は、過剰なまでの個人主義思想の持ち主で、ある意味では急進的なことを述べていることになる。これをどうとらえるかは慎重であらねばなるまい。

DaiGo氏は、人の持つidentityが、何かを「拠り所」にすることで成立することに無頓着である。

何らかの集団への帰属意識の持つ意味をここまで軽視できることの背景には、彼自身の孤独な生育歴等があるのではあるまいか。

あるいは、彼は自分がすでに「マジョリティ」であることを「自覚して」いない。

マジョリティであることを自覚していないということの裏返しとして、生活保護者やホームレスの人達が困窮し、差別されながらも生きていることの重さを理解できないのであろう。

それが逆に「差別」生み出す。

これは我々の場合にも言えることで、安穏と「普通」の存在として生きているという意識でいることは、いろいろな意味で「差別」に無自覚であることの温床となると思う。

******

彼は超進歩的なリベラルのフリをしているのかもしれないし、自分の理解できない対象を簡単にバカ呼ばわりしたり、ネコ以下にしてしまう傾向はあるかと思います。

ただ、このniftyの記事に対して、例えば東国原さんは、「これで彼の差別思想はいよいよ明らかになった」とか評している。

それがこの記事の正しい「読解」ではないということは指摘しておいていいかと思います。

彼はLGBTQをバカといっているのではなく、LGBTQが「集まる(群れる)」のをバカ、弱っちいと言っている。この点は一応区別しておいたいいと思いますね。

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2021年8月16日 (月)

DaiGo氏に関すること、幾つか追補。

どうもまだDaiGo氏関係のことについて、私の中にすっきりしないことがあるようで、「わが闘争」レビューの方に労力が向かわず、妙に眠気に誘われていた理由が少しわかった気がしたので書きます。

まずは、私がこの問題に関しての最初のエントリーで、次のような書き方をしたことについて:

  • 一回目の謝罪では、「生活保護者でも頑張っている人がいる」などという余計なことを言い、「がんばって生きない権利」を否定している面があることなどを含めて更に批判されていたようです。

・・・これは言い過ぎた気もします。

「頑張って『生きよう』ともがいている」方々への配慮が欠けていたと思います。その点は謝罪いたします。

(ただ、一度書いてしまったものをこっそり消去してしまうのは卑怯だと思いますので、そのまま残します)

正確に言えば、「頑張って生きようとしても、生きられない人達」というべきだったでしょう。

例えばうつ病の方々、職を得ようとしてもみつからない方々、住む家もない方々など。

もとより、過剰に努力することなく、「マイ・ペースで」生きる権利は誰にでもあると思いますが、それは一定の経済的基盤(家族等の支え・年金等も含む)があったればこそですから。

実は、昨晩の私の夢の中で、私が大学を出ても働き口を見つけないまま何もしないでいるのに、父はそのことについて何も言わないまま玄関を出ていく・・・というのをみてしまいました。

私は大学学部生としては、勉強に熱心で、成績はオールAに近く、多読で、院試に向けての勉強もしていましたが、卒業後、大学院浪人になって、そんなにバイトとかしないままなのに、趣味も充実させて、親のスネをかじって、そこそこしか勉強しなかった時期があります。ある意味では無気力とも戦っていたのですが。

******

さて、それとは別の次元のことを書きます。

私は、DaiGo氏の過去の動画は全然観ていませんし、観ることに労力を費やす気もありません。

さすがにそういうことまでするのは時間の無駄だと思いますし、すでに書きましたように、彼の過去は問わない、現在、そして彼の今後についてだけを判断の基準にしたいと思っていますから。

また、「彼は心理的テクニックを駆使して謝罪をしている演技をしているだけだ」という言い方はしたくないと思っています。

私は、彼のYouTubeチャンネルはすでに登録していますから、私のデスクトップパソコンとスマホには、彼がライブ配信をはじめた時点で、自動的にポップアップが出ます。

余裕がある時には、余力の一部を割いて、後追いでも、彼の実況を実際に観て、コメントしたり、ライブチャットに直接意見を入れようと思っています。

すでに前の別のエントリーで書きましたように、まずはそうやって、彼の動画の視聴者に、ささやかながら相対化の機会を提供することが、彼のためにもなりますし、今後彼の悪影響を抑止するための、非常に「実際的・具体的な」試みと思うからです。

そういう形で、資格を持つ、ネット上で活動する心の専門家として、多少なりとも貢献したいと思います。

臨床心理だけではなく、基礎心理から実験心理、社会心理まで学んだプロですから、彼の言うことに変なところがあれば、即興で指摘することはできると思いますし。

******

すでに前のエントリーで書きましたように、私は彼の「2回めの」謝罪に対して、

「この件をきっかけとしして、彼の過去の差別的発言を知らない人も、このチャンネルを登録して、リアルタイムで彼の発言を監視する人も大勢出てくるだろう。彼がそのストレスにどう耐えて、どういう配信をしていくかだろうね」

というコメントを残しました。

●DaiGo氏の2回めの謝罪動画

Gaogo0817c

彼をTwitter上とか、別のネット媒体で間接的に批判するより、こうしたところから手を付けることが大事だと思うことにはかわりがありません。

*******

更に、次のようなツイートもTwitter上で読んでしまいました:

 

 

私は、乙武氏の主張には全く賛同しませんが、藤田氏のツイートにも大いに疑問を持ちます。

藤田氏は、DaiGo氏の過去の動画を「仕方なく」相当観た上でそういう結論に達したようですが。

藤田氏は社会福祉士とのことですから、専門家の一員ではありますが、DaiGo氏を「拘束」して、心理的「治療」を施すべきと述べているも同然です。

そういう発想を援助的専門家がするものだと認識される危険を犯すことは、はなはだ問題だと思います。

DaiGo氏は「犯罪者」ではないのです。倫理的問題だけで人を「更生」できるかのような発言は、厳に慎むべきと思います。

いわゆる「専門的訓練」を受けていない、非専門家がネット上で活動する権利はあると思いますし。

少なくとも、安全な場所からこういうことを批評的に言うくらいなら、いかなる「法的根拠」もあるわけないですが、ご自身が、彼に実際に働きかけてくださいとも言いたくなります。

藤田氏が、すでに今回の事件に関して、不安にかられた生活保護者やホームレスの方々の相談に乗っていることの意義は認めますが、

・・・こりゃひどいと言うか、何と素人くさいことを言い出しておられることやら。

そして、「DaiGo氏の発言に悪影響を受ける人達もいる」という理由づけで、彼をネット上から排除すべきというようなとらえ方全般は、一般の人の持つ健全な批判と吟味の能力を最初から疑問視するような、パターナリズムのように思えます。

この件については、「わが闘争」のレビューを終えた後で(結局更に明日にずれ込みそうですが)、藤田氏自身に、Twitter上で、論戦を挑もうと思っています。

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2021年8月14日 (土)

【メンタリストDaiGo】:「再度の」謝罪は一応評価します。しかしそれでもこういう現象に対しての一部の方の反応については問題提起し続けます。

一回目の謝罪では、「生活保護者でも頑張っている人がいる」などという余計なことを言い、「がんばって生きない権利」を否定している面があることなどを含めて更に批判されていたようです(この1回目の謝罪の動画自体は私は観ていないので二次情報です)。

(追記:上記に関しては、少し問題もあったと思いましたので、後のエントリーで補足します)

この「1回目の」謝罪に関して、詳しい逐語的情報を伝えたサイトがありました:

●メンタリストDaiGo氏のYouTubeにおけるヘイト発言を受けた緊急声明

一部引用します

  •  なお、批判を受けて、DaiGo氏は8月13日夜、今回の発言を「謝罪」する動画を配信しました。長年ホームレス支援をしているNPO抱樸の奥田知志氏と連絡をとり、近々、現地に赴いて支援者や当事者から話を聞いて学びたいとしつつも、しばしば笑顔を見せながら、「ホームレスの人とか生活保護を受けている人は働きたくても働けない人がいて、今は働けないけど、これから頑張って働くために、一生懸命、社会復帰を目指して生活保護受けながら頑張っている人、支援する人がいる。僕が猫を保護しているのとまったく同じ感覚で、助けたいと思っている人、そこから抜け出したいと思っている人に対して、さすがにあの言い方はちょっとよくなかった。差別的であるし、ちょっとこれは反省だなということで、今日はそれを謝罪させていただきます。大変申し訳ございませんでした」と謝罪の言葉を述べたのです。

    しかし、ここで示された考え方は、他者を評価する基準を「頑張っている」(と自分から見える)かどうかに変えただけであり、他者の生きる権利について自分が判定できると考える傲岸さは変わりません。しかも、貧困や生活困難を社会全体で支え、生存権を保障するために、権利としての生活保護制度があることについて、根本的な理解を欠いていることに変わりがありません。少なくとも現時点においては、DaiGo氏が、自らの発言の問題点を真に自覚していると評価することはできず、その反省と謝罪は単なるポーズの域を出ていないと言わざるを得ません。

・・・おいおい、ネコと同格にしていたのか。

1時間前にアップされた「再度の」謝罪は、限界はありますが改善されたと思います(「自分が」生活保護を受ける立場になったら・・・という言及がないのは気になりますが)。

この最新の動画を知らないまま議論するのは良くないので、まずは貼り付けます。

まずは、新たな謝罪を受けても、問題にしていいと思う点について。

(彼には過去にも差別発言が山のようにあるとのことですが、それを実際にYoutube上で観ていないので言及は避けます)

彼の発言に、「当事者や家族や支援団体の方の苦境と努力」という意味の文言がありますが、例えば、現行の生活保護制度は、申請しさえすれば受理されるという前提で法律は制定されていると思います。

極論すれば、生活保護のお金をギャンブルで使う「権利」もあると考えられます。

このこと自体を、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」という条項との兼ね合いで、どう捉えるかは同然議論があるところでしょう。しかし現行の法規定では役所側は拒否できないという事実は尊重すべきだと思います。

ベーシックインカムや、現物給付などという意見は今後の問題として別に議論すべきです(私は色々疑問はありますが)。

私は、やまゆり園事件等における「生産性」議論の問題ともつながりますが、生活保護受給者や障害者、老齢者などは、何も「生産」しなくても、生活は保証されるべきという立場です。

さらに言えば、私は、資本主義社会においては、人は、「生産する義務」ではなく、「消費能力の一定水準の額の保証」の方が、本人のみならず、「経済効果」の上でも優先すべきことと確信しています。

これについては、中井久夫先生が、精神障害者の社会「復帰」において、「生産活動より消費活動をまずは優先すべき」と述べられていることに私の発想の原点はあります。

しかし、(コロナで加速しましたが、)日本の現在の社会・経済情勢において、「消費の冷え込み」が悪循環を生み出していることは、すでに論じ尽くされていると思います。

*******

次に、ここから述べることはTwitter上で余計なフレームに対応せなばならなくなるので、自分のブログでしか書きません:

Twitter上には、彼のTwitterとYoutubeのアカウント停止を求める声もうずまいていましたが、それは違うと思います。

二次情報のみが残ることになればむしろ不健全でしょう。

「表現の自由」などというお題目を唱える気もありませんが、オリジナルがどのようなものであったかを観て、主体的に判断できるような、あるいは色んな人の意見に耳を貸しながら討論して己れを貫けるような子供や若い人たちを育てる気概がないまま、「禁書目録」を作るのはやはり何かが違う気がします。

私自身は、ドイツが「わが闘争」をごく最近まで禁書にしていたらしいことも常々違和感があります。

このへんについては一応以下のサイトが情報源:

●ヒトラー『わが闘争』ドイツで70年ぶり再発売、注文殺到で増刷も

少なくとも、「わが闘争」について、中学生ぐらいの時点から原典を引用しながら、どこが問題かを教育する環境は、整備されるべきかと思います。

ちなみに、「わが闘争」は、上巻は若い頃に読んだことあります。

この次のエントリーは、「わが闘争」上巻の詳しい紹介とレビューにしますので、1日ぐらいはお待ち下さい。

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2021年8月12日 (木)

人生の黄昏を感じる時の名曲選

どうもこれから数日、秋雨前線による豪雨が続きそうですが、こうした中でも、通勤等せざるを得ない方、また、災害危険地域にお住まいの皆様、どうかお気をつけください。

私はネット中心の自宅警備員的仕事をしておりますので、外出をほとんど控えることができるのですが、まだ60歳の私も、お盆休みに入ろうとしているのに、何か気持ちが沈んで、黄昏れてしまっております。

実は久々に再会できそうな人との約束も延期せざるを得なくなったので。

こういう時にふさわしいと思える名曲のひとつが、直前のエントリーで紹介した、マーラーの交響曲第9番なのですが、更にいくつか、思いつくままに並べようと思います。

いわゆる「癒やし」の曲を選ぶのとは違う、ひとひねりを加えたつもりです。

******

●まずはマーラーつながりで、すでに私が溺愛していると書いた、交響曲第6番「悲劇的」の第3楽章。

私が自分の葬儀の時に流して欲しい曲でもあります。

バーンスタイン指揮、ウイーン・フィル。

******

●グリーグ、「ペール・ギュント」より、「ソルヴェイグの子守唄」。

組曲にも入っている「ソルヴェイクの歌」と混同される方もあるようですが、それとは別の曲。イプセンの戯曲では、ラストの、主人公ペールギュントが、かつては一目惚れして見捨てた、ソルヴェイグに抱かれて死ぬシーンで使われます。

歌唱:セシルシェルボ ヘルベルト・プロムシュテット指揮 サンフランシスコ交響楽団

******

●ベートーヴェン、ピアノソナタ第32番 第2楽章。

ベートーヴェンの最後のソナタは、全2楽章ですから、このまま幕を閉じます。変奏曲形式です。

演奏:ソロモン・カットナー

******

●ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第13番 第5楽章 カヴァティーナ

上記のピアノソナタより更に晩年の作品です。

演奏:コダーイ弦楽四重奏団

*******

●シューベルト 即興曲集 作品90 より 第3曲 アンダンテ

この曲はちょっと「癒やし系」に近いかもしれないけど。

寂しげな曲だと思います。

演奏:ウラディミール・ホロヴィッツ

 ↓ ではサムネイル表示されていませんが、クリックすれば再生できます。

******

●シューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」より、「小川の子守唄」

歌唱:明珍宏和

これは主人公が河に身を投げた後の曲ですね。

*****

●ワーグナー 楽劇「ニーベルンゲンの指輪」 第3夜「神々の黄昏」より、ジークフリートの葬送行進曲

文字通り、「黄昏」の曲ですが、私は派手派手しい演奏は苦手ですね。

クナッパーツブッシュ/ウイーン・フィル

*****

●ブラームス 6つのピアノ曲 より 間奏曲

ブラームスの晩年のゆっくりとしたピアノ曲は、文字通り皆、黄昏きっていますが、この曲を選んでおきます。

私の好きな、ラドゥ・ルプーの演奏で。

******

●フォーレ 組曲「ペレアスとメリザンド」

これは4曲全曲で行きましょう。

シャルル・ミュンシュ/フィルハーモニア管弦楽団

*******

●マスカーニ 歌劇 「カヴァレア・ルスティカーナ」間奏曲

この曲はロマンティックな曲ととらえられがちですが、歌劇の結末を知っていれば、悲しげな曲に思えます。

カラヤン/ベルリン・フィル

******

●バーバー 弦楽のためのアダージョ

おなじみの曲でしょうが、本来の小編成の演奏が好きです。

イ・ムジチの演奏ですが、私も持っています。

*****

●ロシア民謡 道

これは本ブログでは2度めの紹介になりますが、ロシア民謡(というより「近代歌曲」というべきか?)の中では、一番好きな曲です。

ホントは、ピアノ・ソロの伴奏がいいんだけど。

歌唱:ディミトリー・ホロストフスキー

******
思いついたら、追加したいと思います。


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2021年8月 7日 (土)

ETV特集「ドキュメント 精神科病院×新型コロナ」【追伸つき】

すでに7月31日に放送され、Twitterでもいろいろ話題となったが、普段テレビを全く観ない私は本放送に気づかす、あわてて8月5日深夜の再放送を録画しておいたが、それを忘れていたので、遅ればせながら視聴記を書きたい。

日本の精神科医医療の頂点に立つと言っていい、全国最大の都立松沢病院では、新型コロナ蔓延による都内の精神科病院の入院患者治療のひっ迫をうけて、20床の専門病床を昨年5月に開設し、他院のコロナ重症患者の入院受け入れをはじめた。それから1年間の密着ドキュメントである。

松沢では、精神科医とコロナ専門スタッフの合同チームを立ち上げ、一般病院では受け入れてもらえなかった、精神科入院コロナ重症患者を移送してもらって、コロナ治療と精神疾患治療を並行して行ってきている。

精神科病院において、重い精神疾患患者は、多くの場合狭い共同部屋に入院しており、治療・看護スタッフも密接なケアをせなばならない。これがコロナ感染の温床となり、患者ばかりか、治療・看護スタッフを含めたパンデミックを生じることが多いが、そのことについてはほとんど報道されていない。

精神科入院患者は、高齢で持病も重症化していることが多いが、一般病院に比較すると治療が劣ることがただでさえ少なくない。ましてやコロナに対しては十分な治療体制を持たないところが多い。

ところが、そういう精神科入院患者を一般病院は受け入れてくれないことが多いのである。

都内X病院では249人のクラスターが生じた。

松沢病院に移送されてきたコロナ重症患者は、そもそも基本的な身体のケアがなされておらず、壊死とが腎盂炎の治療がなされないままになっていることが映像でも示される。

古い病棟においては畳敷きの布団就寝のことも多く、個室は保護室のみであり、密な状況に置かれざるを得ず、通常であれば非常にストレスの多い環境であるが、入院歴が長い患者が多く、そういう過酷な環境にも慣らされている。

保健所の指導を仰ぐと、なるべく陽性患者と陰性患者を隔離するように指導されるが、一つの病棟全体をレッドゾーンとして隔離し、陰性患者も皆陽性患者となり、職員も3割感染していよいよ職員ひとりあたりが担当する患者数は増えるという悪循環が生じた。

精神科においては通常科の3分の1の医師、3分の2の看護師が担当するのでいいと法令では定められており、スタッフひとりあたりの担当患者は20を超えることもある。

こうした背景には日本の精神科医療の歴史があり、隔離医療政策のもとで、精神科特例として、少ない医療担当者で多くの患者を診るのが当たり前となっていたことがある。

世界の2割の精神科病床数が日本によって占められており、現在27万人が入院している。

退院促進が行われない状況には、日本社会の精神疾患患者への偏見の強さがある。

ある精神科団体の会長は、

「医療を提供しているだけで社会秩序の担保となっている。暴力を働く患者が社会に解き放たれ、警察や保健所が困るだけ」

とうそぶく。

患者と家族との関係はいろいろである。

家族のひとりたけに精神疾患者のケアが押し付けられていることも多く、外泊ですら徘徊などが生じて対応できないことも少なくない。

30年以上入院している患者も少なくなく、家庭にも地域にも受け入れらないまま、いわば「必要悪」として長期入院が機能している現状がある。

番組には、精神症状が落ち着いても30年以上入院を続けている患者が登場。退院して受け入れる環境もない。

ある精神科医は、

「社会には精神疾患患者のことを、自分の問題として引き受けたくない、患者を怖いものと見ている風潮が根強い」

と語る。

都内のY病院から移送されて来たコロナ患者は排泄物の処理すら長い間なされないまま放置されていた。

この病院では、大部屋に陽性患者のみを集め、突如南京錠を設置して閉じ込めた。

畳じきの30畳のへやに詰め詰めで、真ん中にトイレがひとつ設置されているのみ、ナースコールもなく、大声で「水をくれ」と叫んでもなかなか供給されない状況に諦めの状態にある。

保健所が訪問しても病室の中を見ることはしないまま廊下を歩き去ってしまう。そうした状況に対して保健所は取材拒否。

Y病院は、患者の証言によれば、保健所から視察に来た時だけは鍵を外し、視察が終われば再び鍵を閉めてしまう。

日本では、精神科のコロナ陽性入院患者の6割が一般病院に転院できず、拒否されている。

松沢病院院長は、

「世の中で何かが起こると歪みはまず弱い人に行く」

と語る。

現在、精神科145病院に4600人のコロナ重症患者がいるという。

******

コロナの蔓延は、日本の精神科医療の抱えた長年の問題をあぶり出したと言ってよいことがこのドキュメンタリーの結論であり、単なるコロナクラスターの病院入院患者における蔓延についてのレポートではない。

すでに述べたように、精神科入院患者の大病院における、場合によっては何十年にも及ぶ、しかも劣悪な環境での収容がままあるという現状は日本固有である。

番組でも語られていたが、現状では、精神科病院において患者の待遇改善のための施設や人員に投資をすると、病院自体の経営が行き詰まり、不十分なケアしか受けらない患者が社会に放り出されるという危ういバランスにある。

抗精神病薬が開発されて以降、他諸国では開放政策が進み、地域におけるケア・システムが高度に整備された国も少なくないが(例えばイギリスの状況をこのエントリーで紹介した)、日本ではこの社会的包摂の力がまだ弱いままである。

精神障害者への偏見と差別も根深く、早期に薬物療法を開始すれば、入院を継続しなくでも(あるいは入院をそもそもしないまま)、通院医療だけで、さして問題を起こさずに社会適応できることも多いことすら一般の人は知らないことが多い。

働けなくても、障害年金を受け、社会の目立たないところで、作業所やグループに通いながらも、静かに生きられることも多いのである。

それすら不可能な人が、症状の急性期に、一定期間入院しては退院できるというのが、今日において可能なはずの社会のあり方である。

しかし、日本においては、例えば保育園を新規に開設しようとするだけでも「騒々しくなる」と地域住民が反対運動を起こすぐらいに、「平穏な」生活を守ろうとする圧力が、むしろ以前より高まっている風潮があり、ましてや精神障害者の施設となればいわずもがなという現状がある。

こうした現状を打破するためには、国や地方自治体の、法律、条例改正を伴う精神障害者支援制度の改革が必要だが、現状では、民間の手に委ねられている傾向が強い。

ネットにおいても、何かというと精神障害者への差別と偏見は根を立たず、事件やトラブルがある度に不当な診断名でレッテル貼りがなされる傾向が強いままである。

我々専門家も、そうした傾向の是正のために、こまめに、地道に、発信し続けねばならないと思う。

*****

【追伸】:番組の本来の趣旨から若干外れ、私は医者ではないので遠慮してしていたことを追伸します:

 統合失調症そのものが軽症化し、しかも非定型精神病薬(リスパダール、ジフレキサ、セロクエル等)の投与が主流となる中、予後が良好な患者が増えている傾向があります。

統合失調症は生涯治らない(だから「寛解」という言葉を用いる)と言われていたのが、「治る」患者さんも増えてきた。

ですから、長期入院が必要な患者自体が減少し、長期入院してきたいる患者の多くは、旧式の抗精神病薬を投与されていた時代の人の掃き溜めという傾向が強いわけです。

こうなった背景についてはいろいろ言われているようですが、発達障害の患者が増えることと反比例するかのようにして統合失調症の患者自体が減っているのではないかとも言われています。

発達障害の「増加」の背景には、見かけ上の増加、つまり昔は発達障害についての診断基準自体が未整備だっため発掘されていなかったということと、晩婚化、人工環境化学物質の影響等が言われています。

ある意味では統合失調症の素因が発達障害の増加によって覆い隠されてしまったという可能性があることになります。

いずれにしても、旧態依然とした長期間の大病院収容から、適切な薬物投与での通院治療で済む層が増えているということにもなります。

 

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トロントだより

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     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。