TAMさんというYouTubeやニコニコ動画で活躍するばかりか、世界をまたにかけてライブしている著名なアニメ・ミュージックのバイオリニストがおられる。
私は未知の方だったが、広島での同人誌即売会で、ちょうど向かい側のブースでCD等を売っておられて、いつも人が絶えなかった(その時の写真撮っておけばよかったな)。
即売会閉会後に、ミニコンサートとなったのだが、リクエストを募られたので、私は思い切って「まどか☆マギカ」の「コネクト」をリクエストした。
「コネクト」なら、バイオリンソロでも重音奏法(ダブル・ストップ)で軽快に弾きこなせる可能性があり、ステージ映えするし、若い人まで皆知っているから喜んでリクエストに応じてくれると直感してのリクエストだったが、期待通りに弾いてくださった。
これなら動画にもありそう、と漁ってみたら、ニコニコ動画に、二重録音のものはあったのでご紹介。
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遡って書けば、広島には前泊したが、新幹線で広島駅に着いた後、まずは広島電鉄の路面電車で平和祈念公園に向かった。
原爆ドーム
原爆の子像
原爆の火
平和記念館
平和記念館の窓から全景
広島即売会設営
今朝天神の新オフィスに向かう途中で食べ物買いに立ち寄ったら何やら目立つところにいかにも「らしき」商品が並んでいたので、何じゃ、これはゲームか何かのキャラか?と、ウマ娘コラボから浮気して衝動買いしてゲット。
調べたら、Vtuberグループなのか。
Vtuberは、笹木咲やニュイ・ソシエールさんのにじさんじしか知らん。
まだ最初の「マクベス」の章だが、シェイクスピアは主要作ひととおり読んでいるからとっつきがいいけど、この人の教養水準いったどうなっているんだという印象(それがわかるくらいにはついて行けてるというナルシシズム)。
でも、ともかく刺激的な問題提起の書であり、臨床家(内容をある程度理解できるくらいの幅広い教養水準があればの話だが)が読むと頭がブンなくられるくらいの衝撃波があるような予感がする。
ともかく、臨床家は、得てして「意味という病」の最重症患者だ。
あと、「物語を読み解く」とはどういうことか、いわゆる「心理学的理解」の限界と活用をどう見据えるかという点で、私の執筆活動の相対化にも役立ちそう。
「意味という病」を更に2,3ページめくったら、明かりついたまま寝落ちしていた。これはつまらないからとか難解だからではなく、当然寝てる時間になっていたから。中途半端な寝方になったので、寝なおす。
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気持ちいい目覚め。実は夢の中では「意味という病」読み進めていて、いつの間にか数十年は前の(昭和48年刊行時の)もうぼろぼろになった、ページがちぎれたのを綴り合せた、雑誌刊行時のものを読んでいる形になっていた。
別に「古過ぎる」という無意識の示唆ではなく、まさに「当時の時代に立ち返れ」ということかと。
更に、62歳にもなって、SCの面接を受けに行こうと、心もとない思いをしている展開に。先日の「大学を出て3年たっても社会に居場所がない」夢よりわずかに「進化」しているが(爆)、「お前はまだ入り口に立ったばかり」という「無意識様」からのご宣託かな。
「もうベテランぶりやがってさ」という。
第2章である「夢の世界」を読んでいるが、この章、臨床家としての私から見ても、もう無茶苦茶すげえ。殊に私は #夢解釈 については専門の自負がある(学会誌のの査読論文もあるから探してみ)が、それでもすげえと思う。
この章についてだけでも紹介するレビューを書いてみようかと思う。未だ色褪せない問題提起がある。統合失調症者の妄想や幻聴についての指摘も当を得ていると思う。
柄谷行人氏は「シンタクシス(統語法)」によって「物語」化される以前の、「体験それ自体」という「距離の取れない」現前性のある次元を重視しているのだが、柄谷氏はサリヴァン読んではいないと思うのだが、いつの間にか同じ用語使って、相通じること書いてるやんけ。すげえ。
第2章「夢の世界」は、柄谷行人氏に完全に「噛み合った」形でスラスラ読めてしまった。
マジ、柄谷行人論を「人間性心理学研究」に投稿してみたい気分になった。
まだご存命のようだが、直接お会いして「サリヴァン読んでますよね?」とお伺い立ててみたいくらい。
とんでもない鉱脈堀りあてた。
第3章「私小説の両義性」に進んだら、今度は木村敏先生の「自覚の精神病理」を当たり前のようにさらっとひきあいに出すなよ!! 更には #ハイデッカー (「#存在と時間」は私読んでます)の「不気味さ(unheimlich)でごさいますか。
もうわかったよ。あんたのファンになったよ。
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今目を覚ました。
自分が心配だったけど、最後まで面倒見切れなった過去のクライエントさんたちが、海外に「船出」する、というオチ。
これも柄谷行人効果だ。
柄谷氏は、心理学的解釈のすごく批判的なのに実は特に現象学系の精神医学の著作に通逸している。メタ心理学的理解みたいなところがある。
敢えていうが、柄谷行人氏の「意味という病」は、ジェンドリンは別格として置いといて、私が20歳の時に、中井久夫先生の「分裂病と人類」を読んだ時以来のインパクトのある本と言っていいかもしれない。
今後、この本の影響は、臨床面を含めて、私に大きく残ると思う。
柄谷行人氏は、私の好きな芥川龍之介 には凄く批判的である。「藪の中」(黒澤明 の「羅生門」の原作として有名ですよね)彼の一見「心理学的な」小説には人工的な底の浅さがあるというのだが、言われてみればもっともなことが書いてある。
志賀直哉、森鴎外、夏目漱石 については評価が高い。
実は私は志賀直哉と森鴎外は読んだことがないのだが、ピンポイントで引用してくれてるので、言いたいことは理解できる気がする。
志賀と鴎外は読んでみたくなった。漱石は「こころ」をはじめとして何冊か読んでいるのでいよいよ納得が行く。
これからは、こうした「小説」全盛時代の小説も読んでみたい。
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果たして 柄谷行人氏が映画評論もしているかどうかはこれから他の本も読んでみないとわからないが、恐らく黒澤明 についてはかなり辛辣だろう。
私が実は基本的には嫌いな宮崎駿については、「千と千尋」、「ハウルの動く城」(これは私は宮崎作品で一番好き)は評価するだろう。
細田守はお気に召さないと思う。
それに対して新海誠は絶賛するし、「ペンギン・ハイウエイ」 や 「打ち上げ花火横から見るか下から見るか」は評価しそう。
とは書いたが、細田守 の「竜とそばかすの姫」で、クジラが飛んでいることは好きそう(ご覧になっていないであろうことは当然として)。
「未来のミライ」なんて、心理学で「完璧に」絵解きできてしまう(だから柄谷行人氏なら好きになれそうもない)。
「未来のミライ」は同人誌にしますが。
これも「勘」だが、柄谷行人 氏は、タルコフスキー は絶賛だろうし、押井守 なら「天使のたまご」と「イノセンス」 はお気に召すだろう。
新海誠って、「心理学的解釈」をしようと思えば、「仮説」はいくらでも立つ。
でもそれをすり抜けてしまい、「仮説」はあんたの「仮説」だよ、になってしまう。
柄谷行人氏の言葉を借りれば、「距離の取れない受け身の現前性」があるわけ。
新海さんは宮崎駿 の後継者というより、押井守の後継者。
何か知らんが、柄谷行人さんの「意味という病」を読んだら、私の映像作品のキャリアが、一気に総括できてしまいそう。
ちなみに「2001年」は柄谷さん好みでしょうね。
とにかく、柄谷行人 氏の脳細胞が、何を考えているかは、もうすでに「読めた」気がする。
「マルクスの可能性の中心」では「意味という病」と逆転した面があるそうだが、これは読んでみないとわからんな。
私は経済学だけではいくら学ぼうとしても音痴なので、ついて行けるかどうかはわからないが。
われわれはメタファーの”外”に立つことができない。だが、そのことがメタファーという問題の核心なのである。
(隠喩としての建築)
すべて自己が原因である「かのように」考える所に存ずる。”
(トランスクリティーク)
『こゝろ』の隠された主題は自殺であり、友人への裏切り、乃木将軍の殉死などの理由立ては、ともかく自殺が前提となった上で導入されたのである。(『畏怖する人間』意識と自然)哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じている。それらは万人にあてはまるものにすぎない。「この私」はそこから抜けおちている。私が哲学になじめなかった、またはいつも異和を感じてきた理由はそこにあった。
(『探求Ⅱ』単独性と特殊性)
分裂症の体験においてはこの非対称性がしばしば逆転し、自己と他者との主客の関係が転倒している。自己は主体であることをやめて、たんなる他者の客体になってしまう。
(隠喩としての建築)
この最後の引用、あまりにもその通りです。
テクストが表面上意図するものと異なる意味を持ってしまうのは、"深層"に真の意味が隠されているからではない。それは「形式主義」的に接近するかぎり、必ず決定不可能性に直面するほかないからである。
(隠喩としての建築)
ここらへんが、いわゆる「作品評論」、特に「心理学的解釈」というものの限界に直結するわけですね。
いずれにしても、ある意味で「心理専門家」の枠をはみ出した私の教養と関心(自分で言うなよな)に応えてくれるものとして、#柄谷行人 氏の著作は、あまりにも格好の「出会い」だと感じる。
私は 「逃走論」の 浅田彰は、パクリばっかで好きになれないのだが、#柄谷行人 との映像記録(いかにもあっておかしくないと思うが)があるなら観てみますか。
●柄谷行人 / 浅田彰 1 (1986)
https://www.youtube.com/watch?v=vDwc-x5MW10
非常に貴重な映像だと思う。
●柄谷行人 / 浅田彰 2 (1986)
写真(セルフポートレート)や(自分の声の)録音の登場によって、それまで慣れ親しんでいた「自己」が「不気味なもの」として異化されるようになった。それがフロイトの登場と期を一にする。
デカルトの言う方法的懐疑が、機械とは異なる人間の「精神」が、絶えず共同体システムから離脱し、差異化し続けることであり、さもなくば思考とは、単なる「機械」、コンピューターによって代替可能ということに確かになりますね。
へえ、私の「勘」通りではないか! https://t.co/RHHyhxcuG6
— 阿世賀浩一郎(chitose 「ウマ娘の精神分析」メロンブックスととらのあなより発売中) (@kasega1960) October 15, 2022
新海誠と柄谷行人がリンクしているという私の直観が、ものの見事にあたっていたようだから、「#日本近代文学の起源」、速攻で注文です。
ニーチェ的に言えば「永劫回帰」を超える「超人」ということになり、フロイト的に言えば「反復強迫」を乗り越えていく「徹底操作」ということに他ならず、ジェンドリン 的に言えば、「構造拘束的(structure-bound)」体験様式を direct reference で「過程進行中(in prosess)」にすること。
何か連投が一人言めいた、難解な内容になっているのは承知だが、きちんと哲学書を読んできて、更にジェンドリン の「人格変化の一理論」をきちんと読めている人には、まさにその通りでしょ、と認めてもらえる自負はある(哲学科出で恐らくジェンドリン理論日本最高の理解者なめんじゃねえ)。
私は、漫画家、永野のりこ さんとは大学時代同期で、臨床心理自主ゼミという小さなサークルでご一緒していました。
彼女の娘さんが永野希さん。
little non というユニットで歌手デビューしましたが、彼女がデビュー前、秋葉原で誰も聴衆がいないのに元気にひとりで歌っていた姿に遭遇し、「のりこさんに似てない?」と思ったけど声をかけられず、数か月後にデビューしてびっくり!というエピソードがああります。
彼女はその後、声優、アニソン歌手、いや、それだけではないマルチアーティストとして活躍していますが、偶然、朝倉薫演劇団主催のミュージカル「シーラカンス・アピアランス」に出演すると知りました。
私は速攻で東京、新宿シアタープラッツまで観に行くツアーを敢行しましたが、そこまでしてほんとうに良かったと思う。
私はミュージカルは大好きだが小劇場というのははじめてだった。
テンボよい洗練された内容で、どの役者も、歌もセリフもひとり残らず非常にうまかった。
ソーシャルディスタンスで終劇後のサイン会では握手もできず、3メートルの距離を持ち、係員が手渡し仲介するまどろっこしい形ではありましたが、2,3分丁寧に時間をかけて書いていただいたサイン はいただきました。
「お母様によろしく!」と声をあげるのが精一杯でしたが。
主催:朝倉薫
脚本・演出:麻草郁
作曲:中村康隆
ケイト(主役):栗生みな
シーラ:あさみゆうき
ビジィ(取材記者):湖山ひかる
アレア(麻薬捜査官):ナギノエナ
ザナ:谷向美紅
ティフィ:懸佑芽
エディス(セラピスト):今西由夏(ゆかんぬ)
アレックス:星友里恵
カーラ:更科零
ベティ:松原瞳
デルマ:端穂
ミッチ:伊藤茜
マーサ:内田美幸
リバー:風間涼香
シャーリー:永野希
リリィ:椎名桂子
#ウマ娘 の精神分析(1)( ケー・エフ・シー 阿世賀浩一郎 )のご注文は #とらのあな 通信販売で! https://t.co/IBek2WXEHg #メロンブックス に続き販売となりました。#同人誌
— ウマ娘の精神分析 (阿世賀浩一郎 メロンブックスととらのあなで委託販売中) (@umamusumeshinri) September 27, 2022
やりとりの転載を許して下さった、@rUzXiU1EAoeYjhQ さんには感謝申し上げます。
このことをわきまえていたら、一部の「#フェミニスト」と一部の「#弱者男性」との間の不毛な争いなんて、一気に解決と思いますが。
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阿:マジでいうが、転移や逆転移をこじらせるくらいなら、#出会い系 とかで相手確保しとくべきではないか(断じて私はやっていないが)。
E:逆転移(患者に惚れる)で困ったことはあり、だけど、それって出会い系とかで相手確保して済むものではないでしょうに。別に好きになるなら単数でなく複数いてもやむを得ん。一応、貴殿は、逆説で言っているとは思うがね。
阿:だから、#ウマ娘 プレイしてれば十分なのだよ。育成シミュレーションはいいぞ。
E:肉(リアル)の女を好きになるのを予防するに、#バーチャル な女を確保するは、それなりに効果があるとは実感する。薬物療法も精神療法も行き詰まった患者に(頼るべき相手がリアルでは少なすぎの患者に)レパートリーが少なすぎだからバーチャルな対象を見つけたらと助言したが、結末はここでは書けない。
但し、明確なる区分があります。揚げ足取りする意思はゼロですが、リアルは、ひょっとしたら、現実社会で間違い(不利益)の可能性あり。バーチャルは、その恐れはほぼ無しです。
阿:バーチャルか生身かに関係なく、パーソナルに関係が持てる #異性 を分散して確保しておく(指名の美容師さんとかを含めて)ことは精神衛生上好ましいことが多い気がします。下心から「行動化」しないで、更に「害のない(出さない)代替を見つけるように指導する必要がある場合があるかと思いますが。
この世のかなりの部分の異性は害のない振り方をこころえていて、そういう経験から適切な距離の取り方次第に学ぶのが理想でしょうが。
別にツイートしましたが、「振られるということは嫌われたということではない」とわかるだけですごい悟りになります。
E:「振られる」の理由として場合分けします。
①異性として全く興味がない
②私には彼氏や配偶者がいます
①は言葉通りで、人格否定でなく、#性欲 対象否定であります。
②は、当然人格否定でない、さらに性欲対象否定でもない。ただSEXの相手として、タイミングが合わなかったということに過ぎず。
阿:全く同意です。
①を「人格否定」ではないと理解できるかどうかがなかなか困難で、告白を拒んだあとの日常で全く普通に接してくるので、まだ脈ありと誤解して再アプローチをかける悪循環になり、#ストーカー 化することがあるわけですね。「好かれる」か「嫌われる」かの二択しか認知枠がない。
結局、自分の自尊感情を確認するのに異性を媒介とするのを卒業しろ、という課題が横たわることになります。
#恋愛 で自己実現しようとしないということにたどり着けるかどうか。
結局、異性と関係を持たなくても生きるのに何も困らない人間だけが、恋愛する資格がある、という結論に行きついてしまうわけですが。
E:生きるのに困らない人間だけが恋愛する資格がある。恋愛をあまり必要としなくなった人間だけに許されるのが、恋愛だ。
自己矛盾の塊のようだ。
恋愛を必要としている人たちは、恋愛することによって傷つくのに、敢えて恋愛を強迫的に性欲にドライブされている。
これは、若人の繰り返される歴史だ。
日本フォーカシング協会主催 「フォーカサーの集い」に参加、引き続いて 同人誌即売会 (於:沖縄コンベンションセンター)サークル参加のために、当初3泊4日の予定で沖縄旅行。
台風14号、4日めまでは全く影響なかったが、帰りの便が欠航、翌日がそのしわ寄せで全便満席、更に1泊となり、5泊6日の長期沖縄滞在となった。
おかげでタクシーをチャーターしての、南部戦跡を中心とする慰安旅行もでき、沖縄を堪能。
AKB/坂道グループ note PTSD YouTube おすすめサイト アニメ・コミック ウェブログ・ココログ関連 オーディオ カウンセリングルーム ケー・エフ・シー グルメ・クッキング ケー・エフ・シー ゲーム スポーツ デスクトップミュージック ニュース パソコン・インターネット ファッション・アクセサリ フェミニズム フォーカシング ヘッドフォン・イヤホン ペット ヴァイオレット・エヴァーガーデン 住まい・インテリア 健康 同人誌 夢 季節 学問・資格 宗教 心と体 心理 恋愛 携帯・デジカメ 文化・芸術 旅行 旅行・地域 日記・コラム・つぶやき 映画・テレビ 書籍・雑誌 歴史 求人 法律 父母 猫 皇室 相川七瀬 眞子さま 福祉 競馬・ウマ娘 精神医学 経済・政治・国際 美容・コスメ 育児 自分史 芸能・アイドル 若きカウンセラーに向けて 趣味 音楽
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