hololive知らないのにローソンコラボにつられて買い物をした。
今朝天神の新オフィスに向かう途中で食べ物買いに立ち寄ったら何やら目立つところにいかにも「らしき」商品が並んでいたので、何じゃ、これはゲームか何かのキャラか?と、ウマ娘コラボから浮気して衝動買いしてゲット。
調べたら、Vtuberグループなのか。
Vtuberは、笹木咲やニュイ・ソシエールさんのにじさんじしか知らん。
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今朝天神の新オフィスに向かう途中で食べ物買いに立ち寄ったら何やら目立つところにいかにも「らしき」商品が並んでいたので、何じゃ、これはゲームか何かのキャラか?と、ウマ娘コラボから浮気して衝動買いしてゲット。
調べたら、Vtuberグループなのか。
Vtuberは、笹木咲やニュイ・ソシエールさんのにじさんじしか知らん。
ドイツ製 AKG(アーカーゲー)の Bluetooth 無線接続 ヘッドフォン、K371-BT。
すでに SONY のWH-1000XM5を持っていて、十分に音に満足していたつもりだったが、サウンドハウス から貯まったポイントの有効期限が迫っているとのメールを受け、中古で何か買えないかと思って買ったのだが、コーデックが AACであるにも関わららず、SONYとは異次元の音楽性に仰天した。
定価の3分の1で、出来心で買ってみてほんとうによかったと思う。
ノイズキャンセリングはないが私は使わない主義なので問題なし。
こういう点は日本の製品はヨーロッパの老舗にはかなわないのか。
若い頃はAKGの音は嫌いで、圧倒的にゼンハイザー派だったのだが。
カウンセリングは、一定の時間に、カウンセリングを受けられる機関に通ってはじめて意味があるものとされれています。
しかし、考えてみてください。
対人恐怖(社交不安障害)の人、現在失業中の方、昼夜逆転している方、うつ状態の方、パニック障害と診断されている方が、「平日」「満員電車に乗って」「人混みの中を」、交通の便のいい街中のカウンセリングルームまで「通う」ということ自体、たいへんストレスに耐えながら、やっとのことでおいでになっているのだと想像すると、まずはお労り申し上げるしかありません。
私は、天神駅から徒歩5分という、福岡市の交通機関の中心と言っていい、福岡市のどこからでもおいでになりやすい土地にこのたび開業いたしましたが、それでも天神の街を訪れるとなると、気が滅入るという皆様もおられるものと思います。
幸い、当カウンセリングルームがあるのは、天神の外れの今泉公園に隣接する場所です。
今泉公園周辺は、昔は歓楽街でしたが、今は都市整備がなされ、おしゃれなカフェやレストランも並ぶ、閑静な地になっています。
天神の喧騒からは離れた、心休まる、一息つける地に立地していると思いますので、静かなひと時を過ごしていただければと思います。
まだ一般の方は閲覧できません。
10月20日(木)の公式サイトOpenと共に、その一部門である、「カウンセリングルーム ケー・エフ・シー」の面接予約も受け付け開始いたします。
まだ最初の「マクベス」の章だが、シェイクスピアは主要作ひととおり読んでいるからとっつきがいいけど、この人の教養水準いったどうなっているんだという印象(それがわかるくらいにはついて行けてるというナルシシズム)。
でも、ともかく刺激的な問題提起の書であり、臨床家(内容をある程度理解できるくらいの幅広い教養水準があればの話だが)が読むと頭がブンなくられるくらいの衝撃波があるような予感がする。
ともかく、臨床家は、得てして「意味という病」の最重症患者だ。
あと、「物語を読み解く」とはどういうことか、いわゆる「心理学的理解」の限界と活用をどう見据えるかという点で、私の執筆活動の相対化にも役立ちそう。
「意味という病」を更に2,3ページめくったら、明かりついたまま寝落ちしていた。これはつまらないからとか難解だからではなく、当然寝てる時間になっていたから。中途半端な寝方になったので、寝なおす。
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気持ちいい目覚め。実は夢の中では「意味という病」読み進めていて、いつの間にか数十年は前の(昭和48年刊行時の)もうぼろぼろになった、ページがちぎれたのを綴り合せた、雑誌刊行時のものを読んでいる形になっていた。
別に「古過ぎる」という無意識の示唆ではなく、まさに「当時の時代に立ち返れ」ということかと。
更に、62歳にもなって、SCの面接を受けに行こうと、心もとない思いをしている展開に。先日の「大学を出て3年たっても社会に居場所がない」夢よりわずかに「進化」しているが(爆)、「お前はまだ入り口に立ったばかり」という「無意識様」からのご宣託かな。
「もうベテランぶりやがってさ」という。
第2章である「夢の世界」を読んでいるが、この章、臨床家としての私から見ても、もう無茶苦茶すげえ。殊に私は #夢解釈 については専門の自負がある(学会誌のの査読論文もあるから探してみ)が、それでもすげえと思う。
この章についてだけでも紹介するレビューを書いてみようかと思う。未だ色褪せない問題提起がある。統合失調症者の妄想や幻聴についての指摘も当を得ていると思う。
柄谷行人氏は「シンタクシス(統語法)」によって「物語」化される以前の、「体験それ自体」という「距離の取れない」現前性のある次元を重視しているのだが、柄谷氏はサリヴァン読んではいないと思うのだが、いつの間にか同じ用語使って、相通じること書いてるやんけ。すげえ。
第2章「夢の世界」は、柄谷行人氏に完全に「噛み合った」形でスラスラ読めてしまった。
マジ、柄谷行人論を「人間性心理学研究」に投稿してみたい気分になった。
まだご存命のようだが、直接お会いして「サリヴァン読んでますよね?」とお伺い立ててみたいくらい。
とんでもない鉱脈堀りあてた。
第3章「私小説の両義性」に進んだら、今度は木村敏先生の「自覚の精神病理」を当たり前のようにさらっとひきあいに出すなよ!! 更には #ハイデッカー (「#存在と時間」は私読んでます)の「不気味さ(unheimlich)でごさいますか。
もうわかったよ。あんたのファンになったよ。
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今目を覚ました。
自分が心配だったけど、最後まで面倒見切れなった過去のクライエントさんたちが、海外に「船出」する、というオチ。
これも柄谷行人効果だ。
柄谷氏は、心理学的解釈のすごく批判的なのに実は特に現象学系の精神医学の著作に通逸している。メタ心理学的理解みたいなところがある。
敢えていうが、柄谷行人氏の「意味という病」は、ジェンドリンは別格として置いといて、私が20歳の時に、中井久夫先生の「分裂病と人類」を読んだ時以来のインパクトのある本と言っていいかもしれない。
今後、この本の影響は、臨床面を含めて、私に大きく残ると思う。
柄谷行人氏は、私の好きな芥川龍之介 には凄く批判的である。「藪の中」(黒澤明 の「羅生門」の原作として有名ですよね)彼の一見「心理学的な」小説には人工的な底の浅さがあるというのだが、言われてみればもっともなことが書いてある。
志賀直哉、森鴎外、夏目漱石 については評価が高い。
実は私は志賀直哉と森鴎外は読んだことがないのだが、ピンポイントで引用してくれてるので、言いたいことは理解できる気がする。
志賀と鴎外は読んでみたくなった。漱石は「こころ」をはじめとして何冊か読んでいるのでいよいよ納得が行く。
これからは、こうした「小説」全盛時代の小説も読んでみたい。
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果たして 柄谷行人氏が映画評論もしているかどうかはこれから他の本も読んでみないとわからないが、恐らく黒澤明 についてはかなり辛辣だろう。
私が実は基本的には嫌いな宮崎駿については、「千と千尋」、「ハウルの動く城」(これは私は宮崎作品で一番好き)は評価するだろう。
細田守はお気に召さないと思う。
それに対して新海誠は絶賛するし、「ペンギン・ハイウエイ」 や 「打ち上げ花火横から見るか下から見るか」は評価しそう。
とは書いたが、細田守 の「竜とそばかすの姫」で、クジラが飛んでいることは好きそう(ご覧になっていないであろうことは当然として)。
「未来のミライ」なんて、心理学で「完璧に」絵解きできてしまう(だから柄谷行人氏なら好きになれそうもない)。
「未来のミライ」は同人誌にしますが。
これも「勘」だが、柄谷行人 氏は、タルコフスキー は絶賛だろうし、押井守 なら「天使のたまご」と「イノセンス」 はお気に召すだろう。
新海誠って、「心理学的解釈」をしようと思えば、「仮説」はいくらでも立つ。
でもそれをすり抜けてしまい、「仮説」はあんたの「仮説」だよ、になってしまう。
柄谷行人氏の言葉を借りれば、「距離の取れない受け身の現前性」があるわけ。
新海さんは宮崎駿 の後継者というより、押井守の後継者。
何か知らんが、柄谷行人さんの「意味という病」を読んだら、私の映像作品のキャリアが、一気に総括できてしまいそう。
ちなみに「2001年」は柄谷さん好みでしょうね。
とにかく、柄谷行人 氏の脳細胞が、何を考えているかは、もうすでに「読めた」気がする。
「マルクスの可能性の中心」では「意味という病」と逆転した面があるそうだが、これは読んでみないとわからんな。
私は経済学だけではいくら学ぼうとしても音痴なので、ついて行けるかどうかはわからないが。
われわれはメタファーの”外”に立つことができない。だが、そのことがメタファーという問題の核心なのである。
(隠喩としての建築)
すべて自己が原因である「かのように」考える所に存ずる。”
(トランスクリティーク)
『こゝろ』の隠された主題は自殺であり、友人への裏切り、乃木将軍の殉死などの理由立ては、ともかく自殺が前提となった上で導入されたのである。(『畏怖する人間』意識と自然)哲学的言説においては、きまって「私」一般を論じている。それらは万人にあてはまるものにすぎない。「この私」はそこから抜けおちている。私が哲学になじめなかった、またはいつも異和を感じてきた理由はそこにあった。
(『探求Ⅱ』単独性と特殊性)
分裂症の体験においてはこの非対称性がしばしば逆転し、自己と他者との主客の関係が転倒している。自己は主体であることをやめて、たんなる他者の客体になってしまう。
(隠喩としての建築)
この最後の引用、あまりにもその通りです。
テクストが表面上意図するものと異なる意味を持ってしまうのは、"深層"に真の意味が隠されているからではない。それは「形式主義」的に接近するかぎり、必ず決定不可能性に直面するほかないからである。
(隠喩としての建築)
ここらへんが、いわゆる「作品評論」、特に「心理学的解釈」というものの限界に直結するわけですね。
いずれにしても、ある意味で「心理専門家」の枠をはみ出した私の教養と関心(自分で言うなよな)に応えてくれるものとして、#柄谷行人 氏の著作は、あまりにも格好の「出会い」だと感じる。
私は 「逃走論」の 浅田彰は、パクリばっかで好きになれないのだが、#柄谷行人 との映像記録(いかにもあっておかしくないと思うが)があるなら観てみますか。
●柄谷行人 / 浅田彰 1 (1986)
https://www.youtube.com/watch?v=vDwc-x5MW10
非常に貴重な映像だと思う。
●柄谷行人 / 浅田彰 2 (1986)
写真(セルフポートレート)や(自分の声の)録音の登場によって、それまで慣れ親しんでいた「自己」が「不気味なもの」として異化されるようになった。それがフロイトの登場と期を一にする。
デカルトの言う方法的懐疑が、機械とは異なる人間の「精神」が、絶えず共同体システムから離脱し、差異化し続けることであり、さもなくば思考とは、単なる「機械」、コンピューターによって代替可能ということに確かになりますね。
へえ、私の「勘」通りではないか! https://t.co/RHHyhxcuG6
— 阿世賀浩一郎(chitose 「ウマ娘の精神分析」メロンブックスととらのあなより発売中) (@kasega1960) October 15, 2022
新海誠と柄谷行人がリンクしているという私の直観が、ものの見事にあたっていたようだから、「#日本近代文学の起源」、速攻で注文です。
ニーチェ的に言えば「永劫回帰」を超える「超人」ということになり、フロイト的に言えば「反復強迫」を乗り越えていく「徹底操作」ということに他ならず、ジェンドリン 的に言えば、「構造拘束的(structure-bound)」体験様式を direct reference で「過程進行中(in prosess)」にすること。
何か連投が一人言めいた、難解な内容になっているのは承知だが、きちんと哲学書を読んできて、更にジェンドリン の「人格変化の一理論」をきちんと読めている人には、まさにその通りでしょ、と認めてもらえる自負はある(哲学科出で恐らくジェンドリン理論日本最高の理解者なめんじゃねえ)。
肩書や経歴や著書や学術論文等の業績をWeb上で公開することは、その内容が事実である限り、「自己愛」と言われる言われはないと思います。
自己愛と言う人の「自己愛」が傷ついているだけ!!!
むしろ、そうした表示がhalo effectになったり、その逆転による失望や攻撃になる可能性があること、カウンセリングを受けたい人の「しりごみ」になる可能性があること、つまりクライエントさんの幅を狭める可能性があることをとこまで引き受けるかということをどうとらえるかということと思います。
私の考えでは、カウンセラーが何の先入観も与えない「透明な鏡」になることは、逆に自分が引き受けきれないようなモンスターのようなクライエントさんが登場する可能性を促進するものであり、そうした人を転移-逆転移の「徹底操作」とやらで治療できるといとらえること自体が専門家の「自己愛肥大」。わかりやすく言えば「思い上がり」。
自分以外のカウンセラーをクライエントさんはいくらでも「選ん」だり、「交代」させたりする権利はあるわけだから、去る者は追わず、悪い評判が立つならそれもやむを得ないと達観し、「自分にあった」クライエントさんを相手にするつもりぐらいの方が、等身大で無理のない形ではないかと思う次第です。
ですから、カウンセラーがネット上で公開する情報は、事実であるかぎり(そして簡を得ている限り)、むしろ具体的に公開するくらいの方が、カウンセラー、クライエントさん双方にとって有効で効果的なセラピーとなると信じる次第です。
そもそも、著書を商業出版するような先生方は、そのことにより偏見やバイアスがかかり、実際のカウンセリングにおいて負担や障害となる事態を招くことを十分「覚悟」しておられると思います。
私は、(もちろん相手によりますが)クライエントさんに自分の学歴とかを早い段階で伝えることをやぶさかとしないでやっているのですが、それがhalo effectになると感じたことはあまりないです。
それがいい意味での「礼節ある」関係を喚起し、「こんな先生でも自分に対等に接してくれる」と感じてもらい、不要な「退行」を呼びおこさず、ちょうどいい距離感を生み出し、言いたいことを何でも言ってくれる状況を生み出すとすら。
「セラピー」「セラピー」という前に、クライエントさんがすでに潜在力として持っている、社会性のある対人関係能力を顕在化させることも援助ではないかと。
以上、連投してみたことは、「人間味のあるカウンセラーであれ」などという曖昧模糊なことを言っているのではなく、むしろ非常に「ストイックな」、統制された「専門的」スタンスがないと不可能かと思います。
ロジャーズの言う「自己一致・純粋性」もそうした意味でも理解できるかと。
・・・以上、何かいつになく明晰かつ論理的かつ真剣かつ簡潔に、私の考える、臨床家の自分の情報の開示のあり方についての考えを書けたと思いますが、皆様のご意見があれば伺いたいと思います。
20年ぶりにアナログを復活させようと思い、まずは低コストで無理のないことをしてきました。
ターンテーブルはテクニカ AT-LP60X DGMのカートリッジをオルトフォンVNに取り換え、下はパール金属 大理石 めん台で支えています。
SoundArtist SA34A 真空管アンプ、スピーカーはSANSUI 真空管ハイブリッドアンプ搭載CDステレオシステム SMC-300BTのスピーカーを流用。
これだけでは音像がぼやけ過ぎと思ったので、スピーカー台としてBQKOZFINの木製のものに、柱の中に砂を充填して載せました.。
すると、帯域感が大幅にひろがり、音もくっきり、間接音成分の空間感もかなり表現されるようになりました。
テーブルタップはオヤイデのOCB-1 ST II、スピーカーケーブルはZONOTONE 6NSP-1500Meisterです。
実質10万ちょっとの出費ですが、とりあえず最低限は満足しました。
あとは、天神の新オフィスが黒字経営に転じたら、カートリッジ→スピーカー→ターンテーブルの順で徐々にグレードアップしていくつもりです。
アントニオ猪木の死の件で、諸富祥彦さん(フォーカシングと人間性心理学会で多少のおつきあいがあった)の「人生に意味はあるか」を読んで、さんざんけなしてやろうかと思ったが、それをやる気は失せた(いい意味でも)。
ただ、私をTwitterでフォローしている方々は、読む必要はないです。
その必要がないくらいに(日常や専門の)「現場」で具体的に日々サバイバルして来られているから、この本を読むと、ある意味でいよいよ「窒息」しそうな、あるいはブラックホールに吸い込まれるような目に遭いそうに思います。
何か、「身体」と「アタマ」が離れてしまっている世界の住人だな、と。
ご本人は、会ってみると、ほんとうにエネルギッシュな方です(少なくとも20年-15年ぐらい前はそうでした)。
ただ、私のように、映像と音楽にどっぷりつかり、フィクションと現実を自由に行き来できるタイプではない。
私も読んでる「ファウスト」だけは出て来るけど。
私は「夜と霧」以外の フランクルは読んだことはないですが、
「人間が人生の意味と闘う前に、人生の方が問いを発して来ている。だから人間は、ほんとうは、生きる意味を問い求める必要はない」
というのはまさにそうだと思う。私はフランクルとは相性がよさそう。
「すべての人は、その人だけの『隠れた使命(ミッション)』が与えれられている。人は、自分だけに与えられた『ほんとうの人生=見えない(未完の)シナリオ』を生き、現実化するためにこの世に生まれた来た」
これは諸富さん自身の言葉かと思う。
これについては、まさに「見えない未完のシナリオ」に操られている中、それをうまく「演じ抜こう」としているという、私の今のありありとした実感に符合する。
まもなく刊行する「若き臨床家のために」の目次です:
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はじめに
第1章 なぜカウンセラーになったのか
第2章 カウンセラーとしてしか生きられないからカウンセラーをしているだけ?
第3章 相談に来た方の話を「受容しよう」と「がんばる」ばかりのカウンセラーの弊害
第4章 共感的に話を聴くとは? (入門編)
第5章 カウンセラーは、クライエントさんの話を「受容・共感」できない方向に、徐々に追い詰められていくことも多い
第6章 自分が相手に共感できて「いない」ことを「自己『共感』」すること
第7章 クライエントさんに「共感できない」気持ちを糸口に、クライエントさんへの深い「共感」への道を開くこと
第8章 安易に共感されると人は自分自身でいられなくなる
第9章 「異邦人」としてのカウンセラー
第10章 カウンセリングの開始とは、実は、クライエントさんの最初の「行動化」である
第11章 ユーミンのデニーズ伝説 Ⅰ
第12章 ユーミンのデニーズ伝説 II
第13章 ユーミンのデニーズ伝説 III
第14章 「ケーススーパーバイズ」とは何だろう ~入門編~
第15章 私のスーパーバイズ ~実践編~
第16章 「オモテ」技法と「ウラ」技法 または収穫逓減の法則
第17章 カウンセラーに何ができるか
第18章 体験過程尺度入門
第19章 体験過程インタビュー
第20章 クライエントさんの真の洞察の瞬間、カウンセラーはクライエントさんに「追い越される」
第21章 単なる「ロールプレイ」より効果的なカウンセラー訓練
第22章 気持ちを表わしたり聴いたりする際に、五感を「主語」とする言葉を使うこと。「やまとことば」に敏感であること
第23章 村瀬嘉代子先生語録
第24章 カウンセリングがうまく進んでいる時とは? ~黄金のトライアングル~
第25章 「甘え」と「KY」 -土居健郎先生ご逝去に寄せて-
第26章 格差社会の中での開業カウンセリング
第27章 カウンセラー同士の人間関係
第28章 日常とカウンセリング場面の往復
第29章 巣立たれること。
10月27日より、福岡市天神に、「カウンセリングルーム ケー・エフ・シー」を開設いたします。
一般カウンセリングおよびフォーカシング個別指導を主なる業務内容といたしますが、福岡市でのワークショップ活動も開始したいと思います。
とりあえず、カウンセリングルーム内で、フォーカシングの勉強会もはじめます。
福岡市中央区今泉1丁目6-16 サンハイツ今泉103号室
西鉄天神大牟田線西鉄福岡(天神)駅南口(三越口)、および福岡市営地下鉄七隈線天神南駅より徒歩6分 今泉公園隣接
毎月第1土曜日、13:00ー17:00(初回11/5)
定員5名
連絡先:
TEL:080-9532-1148
Mail:kfc20220801@gmail.com
まとめ人:阿世賀浩一郎(TL)
どうかお声かけ下さい。
ハンマープライス後半
— 諸富祥彦 (@morotomiyoshi) October 5, 2022
猪木さん
ほんとうにありがとうございました
あなたがいたから、僕はまだ生きていられます
あなたがいなかったら、十代で死んでいたと思います
ありがとうございました! https://t.co/O7ghLS04qB
「猪木さんがお亡くなりになって残念ですね。さぞお悲しみのことと思います」
とメールで書いておいたのですが、やはり相当落ち込んでおられると推察していました。
結局、諸富先生からは、わずか3行、
>紹介できる出版社一社だけあったのですが
>病で倒れてしまわれました
>申し訳ありません
とのお返事。
でも、一人のヒーローに、ここまで寄りかかっていたって、それでいいの?
学会で対話した時、この人、ほんとにケン・ウィルバー読んでいるのか疑問に感じたことがあります。
個人主義を澱まで飲み干した先にしか、トランスパーソナルな世界はないはず。
浜崎あゆみがどれだけ孤独に耐えたか、それでも「自分」を貫いたかなんて、理解できそうもない。
「一人でいても感じる孤独より二人でいて感じる孤独の方がつらいことのように」
(SURREAL)
これがプロデューサー、MAX松浦との関係だったわけでしょ?
「どこにもない場所」に敢えて自分から立つとはどういうことか?
私の考えでは、
「どこにもない場所」
に立ち、
「私は私のままで立ってるよ」
「ねえ君は君のままでいてね そのままの君でいて欲しい」
と思えた時に、クライエントさんは自ら変化して行くんですよ。
ねえ 諸富祥彦 さん!!
おまけ。
東京からの帰りは、敢えて長崎新大村空港に降り立ち、開通したばかりの西九州新幹線で、新大村駅からかもめ号、武雄温泉同一ホーム乗り換えで鳥栖に出て、久留米に戻る選択をした。
新大村空港はもともとあった小さな島を中心に埋め立てた人工島。関西空港に先立つ最初の海上空港である。飛行機から降り立つと潮の匂いがする。
そこからタクシーで海上のかなり長い橋を渡る途中。
新大村駅は在来線から独立した新しい駅で、かなり山の中にある。空港からタクシーで10分。
駅前では、長崎観光大使長澤ねるの声で自動アナウンスが流れるが、センサーがどこにあり、何に反応するかはわからなかった。
新大村駅は夜間無人駅でみどりの窓口も閉まっている。
一台だけある自動券売機は自由席特急券しか扱っておらす、しかも博多方面の選択肢しかなく、鳥栖から南の久留米方向に向かう乗客のことなどガン無視。
リレーつばめに乗り換えることも表示しない、通しの切符。
新大村駅上り時刻表。半分の列車は次の嬉野温泉を通過して、乗換駅の武雄温泉まで10分で到着する。
単に「博多行き」とのみ表示。武雄温泉で乗り換えることは無視。
文字通り誰もいない。新大村空港から新大村駅に来て、佐賀方面に向かう客は夜になると皆無ということである。
かもめ号。
かもめ号車内。これまた武雄温泉でリレーかもめ号に乗り換えることは無視。
リレーかもめ号車内。
武雄温泉からしばらくは速度が遅いが、肥前山口(新幹線駅なし)のあたりからは在来線の最高スピードで飛ばし、鳥栖までわずか37分。これではこの区間の新幹線全通は簡単に進まないことは想像がつく。
動画はスマホ版PowerDirectorで編集。
私は15年ほど前までタンノイのスターリングを使っていましたが、売却していました。
本製品はタンノイのトレードマークである同軸2ウエイを採用しています。
アンプ内蔵ですが、バランス入力も可能。
後は、広域から中域にかけては、タンノイならではの媚薬的な艶めかしさ。
低域はドスンとくるパワーはありませんが、ぼってりしないすっきりしたものです。
ステレオミニプラグ入力。だだこのミニプラグコードがやたらと長くて高品質と思えないので別に買ったほうがいいかと思います。
また、1本売りでして、ステレオ2chにするには2つ買いが必要。電源プラグは三相式であり、相応のテーブルタップが必要です。
スマホのサブスクを聴くとすれば、コストを考慮すると最高の組み合わせに一つかもしれません。
私は、漫画家、永野のりこ さんとは大学時代同期で、臨床心理自主ゼミという小さなサークルでご一緒していました。
彼女の娘さんが永野希さん。
little non というユニットで歌手デビューしましたが、彼女がデビュー前、秋葉原で誰も聴衆がいないのに元気にひとりで歌っていた姿に遭遇し、「のりこさんに似てない?」と思ったけど声をかけられず、数か月後にデビューしてびっくり!というエピソードがああります。
彼女はその後、声優、アニソン歌手、いや、それだけではないマルチアーティストとして活躍していますが、偶然、朝倉薫演劇団主催のミュージカル「シーラカンス・アピアランス」に出演すると知りました。
私は速攻で東京、新宿シアタープラッツまで観に行くツアーを敢行しましたが、そこまでしてほんとうに良かったと思う。
私はミュージカルは大好きだが小劇場というのははじめてだった。
テンボよい洗練された内容で、どの役者も、歌もセリフもひとり残らず非常にうまかった。
ソーシャルディスタンスで終劇後のサイン会では握手もできず、3メートルの距離を持ち、係員が手渡し仲介するまどろっこしい形ではありましたが、2,3分丁寧に時間をかけて書いていただいたサイン はいただきました。
「お母様によろしく!」と声をあげるのが精一杯でしたが。
主催:朝倉薫
脚本・演出:麻草郁
作曲:中村康隆
ケイト(主役):栗生みな
シーラ:あさみゆうき
ビジィ(取材記者):湖山ひかる
アレア(麻薬捜査官):ナギノエナ
ザナ:谷向美紅
ティフィ:懸佑芽
エディス(セラピスト):今西由夏(ゆかんぬ)
アレックス:星友里恵
カーラ:更科零
ベティ:松原瞳
デルマ:端穂
ミッチ:伊藤茜
マーサ:内田美幸
リバー:風間涼香
シャーリー:永野希
リリィ:椎名桂子
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
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