フランケンシュタインの誘惑:「ナチスとアスペルガーの子供たち」
ハンス・アスペルガーが、ナチスの障害児安楽死作戦に協力したということは、何をきっかけは忘れたが、すでに知っていた。
Eテレのこの番組は、その問題にどどまらず、アスペルガー症候群とはどのようなものかについての、平易で要を得た解説にもなっていて、非常に良質のものだったと思う。
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環境活動家であるグレタ・トゥーンベリがアスペルガー症候群であることをカミングアウトしていることは、結構知られているかと思う。
アスペルガー症候群とは、発達障害のひとつ、自閉症スペクトラムにおいて、
- 対人関係の障害
- パターン化された行動
はあるものの、
- 言語・知能の障害
はない人たちのことである。
(番組ではこの呼称は用いられなかったが)、特に知能が高く、専門分野で成功する(しそうな)人たちについては「サヴァン症候群」とも呼ばれる。
歴史上の人物としては、モーツァルト、マリー・キュリー、アインシュタインなどがそうだったのではないかと言われ、現代の人物では、ティム・バートン監督、歌手のスーザン・ボイル、俳優のアンソニー・ポプキンスがアスペルガーとの診断を受けている。
生まれながら他人への関心が薄く、相手の気持ちが読めない傾向がある。
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ハンス・アスペルガーは1906年、オーストリアのウイーンの生まれ。
父は高等教育は受けられす、苦労して就職したので、ハンスの勉学への要求水準は極めて高かった。
小6の授業のネズミの解剖で、寄生虫を発見し、「一つの生物の中に別の生物が生きていて、密接な関わりを持ちつつ共存している」ことに魅了され、医者への道を進もうと心に固める。
1925年、ウイーン大学医学部に入学。
ところが大恐慌が起き、就職を危ぶまれた。
そこから彼を救ったのが、ウィーン大学小児病院院長のフランツ・ハンブルガーだった。
アスペルガーはハンブルガーを父のようにあおぎ、指導者と教え子の関係を超えたものであったという。
1932年、アスペルガーは病院内の特別施設の担当となる。そこには、社会適応できない発達障害の子供たちが送られてくる。
アスペルガーは、そこに病院のニオイがしないことに驚く。
当時の児童診療所は、ベッドに縛りつけ、検査漬けにして、「患者」として扱うのが普通であった。
ところがこの診療所は、子供を遊ばせ「生活者」として扱い、教育的扱いをするという点で画期的だった。
病名は当てはめられず、子供の無意識の行動をひたすら観察し、週1回、スタッフたちが、ひとりひとりの処遇について意見を交わす、世界最先端の施設であった。
生まれ持った能力や性格の変えられる側面は変え、異常な行動は抑制するという活路を見出そうとするものだった。ひとりひとりの夢や目標を実現することをめざした。
アスペルガーは、10年間で200人診察し、1944年に、「小児期の自閉的精神病質」という論文をまとめることとなるのだが、それはまだ先のことである。
アスペルガーは、優れた言語感覚を持つ子供に注目し、自閉症に言語障害や知的障害が伴うというそれまでの考え方をくつがえした。
「医師には全身全霊をかけて、これらの子供たちに代わって声を上げる権利と義務がある」
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だが、アスペルガーにもうひとつの顔があった。
能力のある、生産性が高そうな子供には情熱を注ぐが、能力の低い、生産性の見込めない子供はあっさりと切り捨てた。
時はナチスが政権を握った。ハンブルガーはナチスに入党し、彼の指示でアスペルガーはドイツに研修に赴いた。
ナチスは、優生学に基づき、優秀な人間のみを選別し、劣る人間を排除しようとしていた。
力強い民族共同体を作ろうと、障害があるものへの強制断種・不妊手術が行われるようになった。
ナチスが健康な子供たちを体制に忠実な人間に育てようと、幼い頃から徹底的に教育する光景を目の当たりにしたアスペルガーは敬服した。
1934年、ウイーンの施設の所長に28歳にして抜擢され、ナチスと政治的に足並みをそろえることとなる。
1938年、ナチスはオーストリアに侵攻、ウイーン大学は、ヒトラーに忠誠を誓わないものは排除し、残りの半分はナチに入党した。
アスペルガーはナチスと関係が深い団体に次々加盟。その中には「国家社会主義ドイツ医師連盟」もあった。医療部門のナチとも呼ばれ、ユダヤ人の排斥を主導した組織でもある。
アスペルガーは特別講演で、ナチス礼賛、強い民族共同体をめざすとし、
「全体が部分より大きいという考えのもとでは国家が優先されねばならない。遺伝病の予防と優生思想を浸透させねばならない」
と述べた。
「才能ある」精神異常がある子どもに彼は専念し、最良の奉仕をした。「役立つ」「役立たない」という選別にこだわった。
1939年、ポーランド侵攻とともに第二次世界大戦がはじまる。
その日にヒトラーは、「障害者安楽死作戦」を打ち出す。
このことは、このあとのエントリーで私が紹介する予定の、ハフナーの「ヒトラーとは何か」でも、最大の罪のひとつとして取り上げられている。
この安楽死作戦は、大人だけではなく、子供にも適用された。
ウイーンのシュピーゲルグルント児童養護施設がその舞台となった。
この施設には、「教育不可能」と診断された子供たちが次々送られてきて、たいてい「肺炎」と死亡記録が残る形で、実は薬で弱らされて死んでいった。
近年、アスペルガーが診断に多数関わり「シュピーゲルグルントに移送することが解決法」と明記したことを示す書類が、ウイーン公文書館から大量に発見された。
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1945年、ドイツは連合軍に無条件降伏、1年後の裁判で安楽死作戦の責任者は死刑や懲役となったが、多くの医師は、ヒトラーに強制されたと弁じ、無罪となる。アスペルガーもそのひとりである。
彼は1946年、ウイーン大学小児病院の院長となり、更には終身院長となった。
しかし、戦後、自閉症研究は再開しなかった。
1974年、ラジオ番組にはじめて出演、自身のナチス時代を公の場で初めてふりかえることとなるが、
「ナチの非人道的なことは受け入れることはできませんでした。私は子供たちを引き渡すことを拒否しました」
と釈明。1980年急死した。
1981年、イギリスの精神科医、ローナ・ウイングが、自らのリサーチとアスペルガーの論文の症例が極めて類似していることに気づき、「アスペルガー症候群の臨床報告」という論文を公表し、アスペルガーの名は一躍脚光を浴びることとなる。
前述のアスペルガーの診断書が発掘されたのは2010年である。
アスペルガーの元患者で、大学の歴史と美術の教師として成功したヴァルトカルト・ホイフルは、独自に調査に乗り出し、789人の安楽死者を特定した。
「アスペルガーは、時間がある時はいつも子供たちに本を読み聞かせる良い医師でした」
しかし、骨格異常のあった妹は、シュピーゲルグルントに送られ、死亡していた。
2018年、アスペルガー症候群という診断名は、「自閉症スペクトグラム障害」に統合された。
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私が発達障害について学んだ頃は、「アスペルガーは、敗戦国ドイツの研究者であったために、日があたらない存在であった」と解説されるのが普通であったと思う。
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