相川七瀬様のご近影
お元気そうで何よりです。
夢見る少女じゃいられない/相川七瀬&乃木坂みんな#夢見る少女じゃいられない#乃木坂スター誕生#相川七瀬#乃木坂46 pic.twitter.com/pS6GBzyepO
— 飛んで火に入る鰹節 (@sakamichi_kozou) June 14, 2021
相川七瀬 織田哲郎 pic.twitter.com/sxhSizDha8
— まっくん (@akihiko121791) October 9, 2021
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コミックス版 #ぼくたちの離婚 を1話丸々無料試し読み!を記念してコラム書き下ろしました。試し読みリンクは記事内に。文化系おじさんの業(ごう)、堕ちた地獄の顛末。
— 稲田豊史 (@Yutaka_Kasuga) September 29, 2021
「妻が、子供が欲しいなんて言いやがった」DINKsを悩ませる「心変わり」問題 https://t.co/WqyNaKSivF #現代ビジネス
このリンク先の記事は、単に子供を生む産まないについての行き違いについて述べたものではない。
男女関係なく、結婚したらお互いのライフスタイルを大幅に変えて行かねばならないことを覚悟することは、自明の理なのではなかろうか。男の方だけが自分と配偶者のライフスタイルに変化を求めないというのはちょっと違うと思う。
むしろライフスタイルの変化に双方が「意識的に」歩み寄れた時にはじめて、独身時代からのそれぞれのライフスタイルを尊重でき、発展していけるという逆説がある気がしてならない。
******
とりあえず、上記の記事との関連で原作となった活字の本の方を少し読んでみた(コミック版の方はリアリティに欠けるというレビューも多いので)。
まだ全部には目を通していない。
男の方も随分無茶苦茶だと思うエピソードが多そうだが、第3章の、いわゆる「メンヘラ妻」との結婚生活の苦しみについての記事だけ通して読んだ。
しかし、ここで書かれているのは、「メンヘラ」などという次元のものではない。正真正銘の 「精神疾患」の妻をかかえた事例である。
念の為に書くが、(男女関係なく)精神疾患をかかえた配偶者を持つと、ここで書かれているような受難を受けるわけではない。
しかし、社会的には一応適応していたかに見えた結婚相手が、親密な同居関係になると、突如、相手を巻き込む物凄い認知の歪みと感情の不安定さを露呈することはままあると思う。
その兆しが、つきあっていた時代にありながら、結婚を焦ったり、困ったところ(弱いところ)のある相手を救ってあげたいという思い(裏返しの支配欲であったり、実は自分が救われたい気持ちの 「投影的同一視(メラニー・クライン)」 、あるいは 「愛他的譲渡(アンナ・フロイト)」であると解釈できることも多い)から結婚してしまうことも多いであろう。
しかしそれを見抜けなかった側にも落ち度があるというのは一方的で傍観者的な批評でしかない。
本書でも書かれているが、およそ「正しい選択」とは、結果的に正しい選択「だった」という「過去形」でしか語り得ないものだからである。
Twitter上で家庭内の配線について悩んでいる方のためにレスとして書いたのですが、ここでもっとくわしく参考になることを書きましょう。
電気屋さんの方が雑な場合もありますから、ネットとかでいろいろ調べた方がいいですよ。
まずは見てくれが整理されるからといって線を決して束ねないこと。発熱の危険があるし、パソコンやオーディオの音質を下げ、電磁波の影響を悪化させます。
電子レンジや冷蔵庫、洗濯機など、アースの取れるものはきちんとアースを接続すること。
テーブルタップ(延長ケーブル)は適切な長さのものを。継ぎ足し継ぎ足しはよくありません。
プラグが自由に折れ曲がるタイプは避け、定格1500W、太めのものを使うことでしょう。
別にステマではないですが、例えば、以下のような製品が理想です:
★★★★★いかにもJBLらしい上質な音。音楽用としても十分
まだ初回充電したばかりで、「調教(エージング)」していない初期段階であり、ゲームには活用してはいないが、すべての設定デフォルトのままでとりあえずのレポートをしたい。
まず、JBLサイトからのQuantumENGINEソフトのインストールと、ファームウェアのアップデートは必須である。この作業に難渋し、うまくいかない方もあるようだが、私の場合は全く順調であった。デフォルトでも高域が若干伸びるように思う。
なお、このソフトのインストールにより、Windows側のいくつかのドライバのアップデートが必要になるようだ。ドライバアップデートソフトをお持ちの方は試して見て欲しい。
初期段階での音は、私が愛用しているAnker Soundcore Life Q35と比べると、帯域は若干狭いと感じる。しかし、ある意味で上品でノーブルな音の輪郭をしており、透明度は高く、周波数特性的にはフラットだと思う。音のスピード感も良好。
ドンシャリとは縁遠い音質である。
所有しているJBLスピーカーと比較しても、非常にJBLサウンドであるように思う。
低域にちょっとゴリゴリしたパンチがある点では、Ankerより優れているかもしれない。
LGBライティングをOFFにすると、高域のノーブルさは若干失われるが、音の立ち上がりは良くなる気がする。
ノイズキャンセリングの効果は大きい。聴感上の高域は伸びるが、低域はややだぶつくようになる。ちょっと音が安っぽくなる。私としてはノイズキャンセリングなしで使いたい。
Bluetooth LDACコーデック(ハイレゾ)対応のスマホとのペアリングも試したが、残念ながら最低限のSBC止まりであり、aptXですらなく、周波数特性が上に伸びているこのヘッドフォンの本来の性能は発揮できていないように思う。実際、スマホで聴く場合のほうが帯域は狭い(上品ではあるが)。もっぱらPCとのUSB外刺し送信機(オリジナルのものが付属)を介しての環境とすべきであろう。
しかし、スマホとのBluetoothペアリングでも、音は透明で実に聴きやすく、ノイズキャンセリングもあるので、これで外部にかなりの音漏れがあるという現実がなければ、外出時にも使用したいところである。
ただ、困ったことに、有線接続を試みると、ボリウムが一気に下がってしまい、最大にあげてみても、音が小さすぎる(繊細そうではあるが)。恐らくこの環境が、この装置本来のハイレゾ環境が生かされるのではないかと思うが残念である。もう少し試行錯誤してみようかと思うが、ひょっとするとUSB外付けインターフェイスが必要なのかもしれない。
【追伸】:ifi Audio DAC iFi micro iDSDを通して聴いてみたが、音の立ち上がりがよく、硬くて引き締まった音となり、これは病みつきになりそうである。
ゲームによる使用、ブルーレイの視聴、サラウンド効果、マイクの性能については後日追加でレポートしたい。
******
【第2版で追記】:
Xlo Reference Recordings Test & Burn in CDというエージングCDや、相川七瀬でバリバリ放置したまま繰り返し3時間ほど鳴らし続けて、再びいろいろ聴いてみましたが、もう見事な音質になってきました。
この段階でも私が聴いてきたヘッドフォンの頂点でしょう。
ホント、スマホでのBluetooth接続がSBCコーデック止まりで貧相なのが残念。そうでなければ外出時も携帯してます。
【第3版で追記】:
マイクの性能を、「ウマ娘」のYouTube実況で試してみたが、多くのレビューで言われているような低音質のものとは思えなかった。
JBL QUANTUM 800の初レビューのためにとりあえず充電→エージングに時間がかかるので、それまでのつなぎとして、すでに一度詳しく紹介した、Anker Soundcore Life Q35について、e ☆イヤホン サイト向けに簡潔なレビューを書き直したので、転載したい。
● スマホのSoundcoreアプリのインストール必須。それなしだと全くダメな音にしか響かない。だが実は・・・★★★★★
アプリのインストール後は、製品名を選んで登録するだけで十分、イコライザはいじらなくていいと思う。
なお、スマホのアプリ上での設定は、PCの有線接続等でも維持される。
このことをやった上で、少なくとも2週間は激しい音楽ソースで「調教」をかけた上で、はじめてこの製品の音を判断して欲しい。
すると、このヘッドフォンが、実に広帯域であり、音のスピード感があり、ドンシャリとは程遠いことがわかるはずである。
バリバリのエレキとドラムスの音楽にも、クラシックの繊細な音楽にも十分対応する。
ハイレゾ音源でなくても、BluetoothはLDAC規格で接続できる環境がふさわしいが、aptX以下の環境でも、十分持ち味は出ると思う。
音にもう少し「色気」や「輝き」が欲しいという人には、ある意味であっけない響きかと思うが、発想を逆転させ、実はそうした要素は、音の不純物であるとみなして、虚心に聴いてみてほしい。
私はハイレゾの専用機は、ソニーのNW-A106を店頭で聴いたのみだが、その響きと一番近いのがこの製品である。
1万円前後という値段の商品としては、破格の逸品であると思う。
唯一の欠点は、一見密閉型に燃える外見とは異なり、音漏れはかなり大きなものである点であろう。
ノイズキャンセリングの効き目は、そこそこであろう。
ただし、この製品、PCとの有線接続の場合、ヘッドフォンジャックを使うぶんには十分高音質だが、DACを通した有線接続では(私のifiの製品との相性もあるかもしれないが)、音は全然使い物にならない域であった。
https://t.co/p2CLOYqgp1
— chitose (@kasega1960) September 28, 2021
これが問題のブログエントリーですね。#はんつ遠藤
この問題、ネット上ではいろいろ書かれていますが、支離滅裂と言われるはんつ遠藤氏のブログの主旨について、私なりに整理してみましょう。
●梅澤愛優香さんに対する、はんつ遠藤の意見(ブログbyフードジャーナリスト はんつ遠藤)
ぱんつ氏のブログの「グダグダ語り」は、「おじさん構文」と言われているようで、まあ、私も話の脱線の多い「おじさん構文」だと思うので、人のことは言えません。
ただ、私の仕事柄、相手のグダグダ語りの枝葉は切り捨てて(受け流して・・・というか、「濾過」して)、それでも何をいいたいのかはつかもうとする方だとは思うので、何とか主旨をとらえてみます。
論理的に理解しようとすると混乱するだけかと思います。
その結果、私なりに「濾過」したのは、
・・・まあ、この程度の情報量だと思います。
梅澤さんがラーメン評論家締め出しを決めたのは、他のラーメン評論家の度重なる横柄で下衆な態度に対して嫌気がさしてだと思いますが、このような話題がワイドショーの時間を消費するくらいなら、もっと他にテーマとすべきことはいくらでもあるでしょ、とは思います。
ラーメン評論家の反論を「おじさん構文気持ち悪い」で片付けちゃいけない。それは中年男性への差別でしかなく、差別に差別でやり返すことになる。
— トイアンナ//恋愛と就活のプロ (@10anj10) September 28, 2021
問題はあくまでセクハラを酒のせいにして逃げる無責任さや、女子供の言うことと被害を矮小化する態度。許してはならない。https://t.co/A9U3np5w4k
過去40年で30個はヘッドフォンを使い潰してきた私だが、現状では過去最高のヘッドフォンは、AnkerのSoundcore Life Q35であり、外出用としては同じくAnkerのAnker Soundcore Life NCであることは揺るがない。
すでにこれらのエントリーで触れたように、この2つの製品は製品到着時には本来の音を全然出さない製品である。特に前者はスマホアプリを一度起動させることか絶対に必要である。
あとはXlo Reference Recordings Test & Burn in CDのようなエージングCDや、相川七瀬のような過酷な音源を繰り返し鳴らしてで徹底的に調教(エージング)を辛抱強く続けることである。
******
実は予定していた出費が1万5千円ほど浮いたので、新たなヘッドフォンを、ダメ元で、レビューのために購入しようと思った。
当初は、耳飾り型も試してみたいと思い、JBLのCLUB PROという、JBLびいきの私にとっては絶対外れない商品も考えていたが、たまたま、マイク付きゲーム用ヘッドフォンであるQUANTUM 800が目にとまった。
私は「ウマ娘」以外はゲームはやらないし、そもそも私のパソコンにはゲーム用のマザーボードは搭載されていない(搭載されていれば十分なスペックである)。
しかし、ウマ娘のYouTube実況をやるためにだけでもマイク付きヘッドフォンは面白いかなとも思えたし、Bluetooth接続(有線も可)、ハイレゾ対応と知って、JBLのことだから、果たして音楽用としてどこまでイケるかにも関心を持った。
また、7.1サラウンドであることから、ブルーレイの映画鑑賞にも面白いかもしれないとも考えたのである。
本日到着の予定であるが、今現在(18:50)まだ届いてはいない。届いたとしても満タンまで充電するとなると時計の針は明日に回ってしまうだろう。
最近はブログ毎日更新を原則としているので、こうして予告だけでもエントリーしておこうかと思った次第である。
いずれにしても、明日聴ける音は、調教前の段階のものであるから、全然本来の可能性ある音は出ないであろう。
恒例だが、明日のエントリーは、度々版を重ねて、エージングの経過報告をすることになるだろう。恐らく1ヶ月くらい使わないと音の最終評価はできない。
「ウマ娘」以外の、スマホでできるゲームやDMM系のPCネットゲームでも試してみたい。
レビュー本番はこちらです。
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このヘッドフォンをゲームのヘヴィーユーサーが紹介したYouTube動画がみつかったので、とりあえず貼り付けておきます。
******
余談ですが、手元にあるパソコンやオーディオ関係のいらない製品を一気に売るために、今日の昼はビックカメラ天神店に長居したのですが、ゲーミングパソコンのコーナーのパソコンのひとつに、延々と「ウマ娘」のステージのメドレーが映されていた。
外の場所でウマ娘たちに接してしまうと、非常にこっ恥ずかしく感じる自分がいました。
でも、ああいう画面デモが家電店には配布されるんだと思った。もちろんゲームの宣伝のテロップも時々挟まれる。
*****
【追記】:届きました。
ただ今充電中。
4時間は待ちますので、一応のエージングをかけてからレビューしますので、あとしばらくお待ちを。
こういう映像が、入手できるものなら欲しい(^^;)
最初のは短いですが、中学の音楽の時間に先生が最初の2小節だけメロディを指定したものを30分で仕上げたものです。
いきなり先生のモティーフを # させて、リズムはシンコペーションを当たり前のように思いつき、そう簡単には主音の「ド」に戻らないというのが特徴ですかね。
*****
次の「日本一周大旅行」は、小学3年生で確定。
恐らくNHK「みんなのうた」の影響と、「ピンキーとキラーズ 青空に飛び出せ!」のテーマソングの影響があります。
どうして子供の頃ほど「弱起」が好きだったのだろう。リスムの再現に苦労しました。
これには拙い歌詞があるが公開:
誰にでも行けるものじゃないぞ 日本一周は
ルンルルンルンルン・・・・
それはそれは未知の世界への挑戦の旅路 それは
尊きものよ
いつかいつか仲良く元気に みんなそろって日本一周だ
誰にでも行けるものじゃないぞ 日本一周は
ルンルルンルンルン・・・・
*******
おしまいの「最後の希望」は中学3年生。
私としては珍しく、歌詞を先に作って曲をつけたものなので、メロディが詞のイントネーションにあわせて作られ、同音連打が多く、アグレッシブで悲愴で、まるで印象が異なるかと思います。"Alec"と並ぶ自信作ですね。
最後の願い消えた時 しかし希望を捨てるな
まだ何か進みゆくべき道 それがあるはずだから
最後の願い消えた時 しかし希望を捨てるな
まだ何か進みゆくべき道 それがあるはずだから
その希望 遠き夢のはからいに
その希望 遠き胸ののうちに
その希望 その希望のうちにどこかに夢かなう道あるはずなのさ
最後の願い消えた時 しかし希望を捨てるな
まだ何か進みゆくべき道 それがあるはずだから
記者会見が純粋に楽しみです。
髪はさすがに整えるでしょう。
小室圭さんの電撃帰国に慌てふためく関係者たち「まさかロン毛で会見は…」(週刊SPA!)#Yahooニュースhttps://t.co/WLaNnFDFxp 私は、本人は努力しているんだろうし、見守りたいというスタンス。それにしても帰国の髪型は開き直ってますね。#小室圭 #眞子さま
— chitose (@kasega1960) September 27, 2021
【黒歴史】小室圭は過去にいじめをしていたパリピ男?チャラい中学・高校時代のクズ男時代とは? - 365JOURNAL https://t.co/rJdhvJfjyX 皆さんも知ってるでしょうが公正を期すためにこうした情報も流しておきます。少なくともいじめた相手に「友達でいてくれてありがとう」はどう言い訳しても禁句。
— chitose (@kasega1960) September 27, 2021
母親の借金の件より、過去のいじめ問題の方が重要だと私は思います。
障害者いじめ自慢した #小山田圭吾 が謝罪。長年批判されてきたことをスルーし続けた結果の #東京五輪 大炎上(篠原修司)#Yahooニュースhttps://t.co/HrE6OsQbOa
— chitose (@kasega1960) September 27, 2021
今更ですが、この事件と似たところが少しだけある。障害者いじめではなかったにしても。#小室圭
昨日、遠方に向かい、若い音楽関係者と会ったのだが、オーディオ談義も随分できたし、DTMにも詳しかったし、相川七瀬も私のヘッドフォンで聴いてもらえたし、楽しい半日を過ごせた。
随分頑張って、精進してる様子であった。
私は、前回会った時よりは肩の力を抜いていたし、彼もその様子でしたが、それでも私は「燃え尽きて」いたようで、帰りの新幹線の「のぞみ」号は完全に爆睡していた。
「のぞみ」は博多止まりだからいいのでして、これが熊本や鹿児島まで行く「みずほ」「さくら」の自由席だったら乗り過ごす危険が高かったろう。
******
・・・で、今朝方に向けて観た夢ですが。
私は学会発表をひかえているのだが、その内容が全くつまらない、根拠のないものであることに直前に気づき、非常に落ち込んで、うろたえている。
鏡をみると、頭髪はひどく薄くなっている。
私の教え子が、どんどん頭角をあらわしつつも、風体が髭を伸ばし、別人に見えるようになっていたことを思い出す。ZOOMのネット学会の際には、SHRUEの高級マイクなどを用いていたが。
↓ 恐らくコレ。
私は、自分が絶頂期に会った頃の学会発表すら、実は内容が空疎であったことに今は気づいている(ことに夢の中ではなっている。私の夢の定番ネタ)。
******
・・・実際にはかなり長い夢のように思われたが、非常に苦しい悪夢で、起きた時にはほっとした。
夢分析のプロである私は早速夢の理解を試みた。
夢の中と現実が何が違うかを重視するのも大事なことである。
まず、私は61歳になり、白髪こそ少し増えてきたが、髪の量は、母親譲りで極めて多い方に属する状態を維持している。
夢の中では、現実の変化が、より極端に表現されることはよくあることである。
私が、昨日の若い人との接触の中で、自分がずいぶん年長になってきたことをしみじみ感じさせられたことの影響が大きいであろう。
夢の中の私の教え子は、(リアルワールドの本人には迷惑かもしれないが)私の分身であり、後を託す人である。
私が自分の過去の学会発表で、今は内容が空疎だったと思っているものは確かにいくつかあるのだが、現実には、いくつか重要な功績を果たしたとは思っている。
恐らく、実は私はまだこれから成長の余地があり、努力を重ねねばならないことの示唆であろうか。
ジョン・ケージの作です。
現代音楽の歴史に残る名作で、その後多くの作曲家にインスピレーションを与えました。
傑作ですのでぜひ聴くべきですが、なぜかCDはないようです。
作曲の背景と、歴史的意味については、Wikipedia参照。
高校2年生ぐらいでしょうか。
実を言うと、当時「宇宙戦艦ヤマト」ブームの渦中でして、自分の妄想でSFアニメのイメージだけ膨らませていたのですね。
後で思えば、「ふしぎの海のナディア」(プラス、今流行の、パラレルワールド+異世界転生もの)が一番よく似た路線で、あれを観て「やられた!」と生意気にも思ったものです。
ところが、私に「創作」できるのは「絵」ではなくて「音楽」だった。
そこで、ヒロインの歌うエンディングを想定して書いたもの。
でも作詞の才能はないから曲だけ。
完全にフォーク調アニメソング風味。はずかしいまでの乙女チック路線。
リフレインで"Alec"という名前を連呼するイメージだけはある。
ただ、物凄く音域が広いんです。リアルな歌手が唄えるのだろうか?
酔狂な人がいたら詞と伴奏書いてくれませんか?
他にも、クラシックふうではなくて、ポップス路線のメロディーのストックはいくつかあるので、ぼちぼち公開しましょうか。
中学2-3年ごろの作曲 。とりあえず素朴にメロディだけ打ち込んでみました。
今の所主旋律だけですが、いずれ和声もつけられればと思います。
楽譜制作ソフト、Crescendo 使用。
楽譜は書けるもので、結局せっかく買ったKORGのキーボード使ってないです。
著作権は私、chitoseにあります。
きょうのうちに3曲はupできるでしょう。
バルトークのエントリーで、ピアノ協奏曲第1番を紹介したので、もう高齢になりましたが、イタリアの稀代の名ピアニスト、ポリーニをいくつか紹介しましょう。
この人は、単なる技巧派という枠では捉えきれないところがある気がする。
あたかもギリシャ彫刻を思わせる、乾いた、鋼のような精神力の持ち主では?
ある意味では人間味がないとも言えると思え、叙情性を求める人は気持ちが削がれるかもしれない。
名盤として知られる、ショパンの練習曲集の「別れの歌」なんて随分あっさりしていて、拍子抜けする人もあるかも。
でも、聴き慣れてくると、この人なりの鋼鉄の叙情というものがある気がする。
*******
まずは、1960年、18歳(!)でショパン・コンクール優勝直後に録音された、ピアノ協奏曲第1番。
まだポリーニらしい個性が不十分で、優勝時の録音としてはアルゲリッチのほうが鬼気迫るとは思いますが、私は好きですね。LP時代から持ってます。この曲を普段聴く時はまずはこの演奏を選びます。
・・・というわけで、やはりこの人がショパンコンクール優勝から沈黙の10年を経てグラモフォンからメジャーデビューした時の衝撃の名盤と言われる、ショパンの練習曲集。
次は、これまたポリーニの究極の快演といわれ、曲自体のメジャー化に貢献し、「のだめ」での曲の使用も有名な、ストラヴィンスキーの、「ペトルーシュカからの3章」。
ショパンのポロネーズ集も好きです。第3番「軍隊」なんて、ポリーニの力む息遣いまで録音されていて、凄い緊張感。でも一番凄いのは第5番だと思います。幻想ポロネーズは硬質の叙情。
ポリーニのベートーヴェンについては、私は微妙な評価なんですが、私がベートーヴェン中期の至宝と考えている「ワルトシュタイン」ソナタをあげておきましょう。
我が溺愛のシューマンは、リヒテルの、内省性と鋼鉄の技巧が両立した演奏のほうが好きですが、ポリーニにも独自の美学があると思います。
どれにするか迷ったけど、私がのっけからライブ演奏、特に終曲にぶったまげてた、この曲に出会うきっかけとなった、「交響的練習曲」にしておきます。
ポリーニは現代音楽とかもあるけど、入門的には、まあ、こんなところかな。
ハンガリーの作曲家、バルトーク・ベーラの曲をいくつか集めてみました。
(ハンガリーは、日本と同じように、姓→名の順序です)
結構アグレッシブな曲が多くて、いきなりバルトークからクラシック入門というのもアリかなと思って。
●ルーマニア民族舞曲
もとがピアノ曲だったと思います。バイオリンのショウ・ピースとして多くの演奏家が演奏しています。短い曲を連ねる中に、様々な技巧が盛り込まれています。
●管弦楽のための協奏曲
バルトークは世渡り下手な人で、アメリカに亡命してから困窮していたのですが、それを見かねたボストン交響楽団の指揮者、クーセヴィツキーが委嘱した作品。
●弦楽四重奏曲第3番
バルトークの中で一番ハードでタイトな作品のひとつでしょう。
弦楽四重奏というジャンルに「打楽器的」ともいえる激しさと緊張感をもたらした逸品。
Youtubeの方は、古典的名盤といえるジュリアード弦楽四重奏団のものを。
CDはアルバン・ベルグ四重奏団の演奏が、デジタルですし、緊張感があって、いいと思います。全集盤のCDですが。
●ピアノ協奏曲第1番
これまた極めて激しい曲です。
何といってもポリーニの演奏でしょうね。
YouTubeはブーレーズとライヴ。
CDはアバドとのものが名盤の誉れ高いです。
●中国の不思議な役人/弦楽、打楽器とチェレスタのための音楽
前者バルトークの舞台作品。要するに中国の役人が殺されてしまうというお話ですが、30分ほどの短い作品。随分おどろおどろしい音楽です。
後者は「管弦楽のための協奏曲」とならぶ管弦楽曲の代表作。
弦楽部が2部に大別され左右に振り分けられています。全4部からなり、静かな第1部、第3部と、激しい第2部、第4部のコントラストが素晴らしい、管弦楽の歴史の残る名作でしょう。
ライナー、ショルティといったハンガリー出身の指揮者の名盤が有名ですが、ここは現代音楽の巨匠、ブーレースの演奏で。2曲続けて。
●リベラルは何故こんなにも絶望しているのか~「保守」にあって「リベラル」に無いもの(古谷経衡)
おっしゃる通り。リベラルの悪い癖は、すぐに「私達が間違っていたのではないか」と自虐に走る所です。現在の議席は政治状況によって作られているもので、リベラルな考え方自体は世に広がっていると思います。自らの志を堂々と掲げ、挫けず政治的努力を続けるべきだと思いますhttps://t.co/pMN81YFy3L
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) September 20, 2021
このツイートをきっかけに、実は積ん読にしていたし、薄い本なので、速攻で読んでみる気になりました。
何というklar und deutlich(カントの用語)で論理的な文を書く人かと思いました(カントの方が難しい。もっとも「純粋理性批判」は、一度わかってしまえばシンプルな要旨で、哲学書としては例外的)。
ホント、ドイツ語の原典購読とかにはたいへん向いているのではなかろうか。
あの有名な「伝統的支配」「カリスマ的支配」「合法性による支配」がたった半ページ強で説明されているのも驚き。
「合法的支配」について、
「これは『制定』法規に対する信念と、合理的につくられた規則に依拠した客観的(sachlich)な権限とに基づく支配で、逆にそれに基づく服従は法令の義務の履行という形で行われる」
とありますが、このsachlichという言葉は「即物的」と訳すことも可能で、ある意味では「実際的」「実用的」というのに近い含蓄があります。「客観的」という言葉を振り回す時ほど人間は主観的なわけですから(^^;)、ウエーバーは随分醒めた人だと思いました。実はこの著作には何回もこのsachlichという言葉が出てきますが、ただ「客観的」ととらえずに、ニュアンスに注意すべきでしょう。
この論文(というより、講演でしょうが)が、1918年という第1次大戦の敗北、当然ロシア革命の後、ドイツ革命の直後であることは、読む上で非常に重要でしょうね。ウェーバー自身はそれより古い時代に育ち、基盤を持ちつつも、新しい時代に希望と危機感を抱いていたようにも思います。
しかしその後のドイツがまさに「カリスマ的支配」の極限になってしまったのは歴史上の皮肉でしょう。
「近代国家は、領域の内部で(コレが大事)正当な暴力の物理的な行使を独占的に認められる唯一の装置」
などという言い方も、おそらく著名なのでしょうが、実はハフナーも、「ヒトラーとは何か」の中で、特に典拠はウエーバーだとことわりもいれずに近いことを言っています。ただハフナーの場合は「領域外に対して」という意味でも使っているわけで、このへんは抵抗がある人もあるでしょう。
「職業政治家」の登場とその歴史的必然性についての解説もわかりやすかったです。職業的政治家が一定の俸給を受けるようになる成り行きも。
官吏に高度な教育と訓練を受けたことへのプライドがなければ俗物根性に導く、というのもなるほどと思った。
ドイツが「官僚大臣」を必要とし、イギリスは議員の指導者としてのリーダーを頂点とする内閣を持つ、多数派政党の委員会のようなもの、アメリカは大統領という直接選挙に基づく、議会からは自立した権力者、というのも、あたりまえといえばあたりまえですが、実に明快に整理されている。
続いて政治が「経営」にまで発展すると「政治的」官僚と専門的官僚に分化すること。
続いて古今東西における官僚システムの比較論になるが、これも視野が広い。
続いて弁護士の持つ国家システムにおける固有の役割について。
「生粋の官吏は、非政治的に任務を遂行しなければならない」
「ジャーナリストの職分は、アウトサイダーでなければならず、学者に劣らない能力と責任感を必要とする」・・・という叙述なと、耳が痛いものだろう。
続いて「政党職員」というものが生じてきた背景について。それと「名望家」がパトロン(ウエーバーはそういう言葉をつかってはいないが)となる場合の比較について。
「選挙事務長」という、政治家とはちと違う存在の役割について。
アメリカにおける「ボス」の役割。「彼は社会的名誉を求めない。上流階級からは軽蔑される。彼は権力だけを求める。彼は闇の中でのみ仕事をする」・・・何か昔、日本にも児玉とかいうそういうのがいましたね。
続いて、ドイツにおける議会の無力さについて。社会民主党の不幸について。
ドイツの今後は、指導者(Fühler=総統!)民主政を選ぶか、カリスマ性を持たない「職業的政治家」による政治となるか。後者だろうとウェーバーは言う。比例選挙制でもあり、それは党派争いの道具となり、唯一直接選挙制による大統領だけが安全弁となる。
そういう中で、資産の背景がない、政治「によって」生きる「職業政治家」へのルートはどうなるか。ジャーナリスト上がりか、政党職員上がりか、利益代表かになる。しかしこれらは世間では「ならず者」との汚名が着せられている。これに対して精神的に無防備な人間は政治家にならない方がいい。
政治家という職業が与えるのは「権力感情(Macht Geflül)」である。歴史的事件の一本一本を握っているということによって昂揚感を得られる。ここからどのような人間がその権力に値するかの倫理的な問題が生じる。
職業政治家にとって必要なのは「情熱(Leibenshaft)」、「責任感(Verantfortungsgefül)」、「判断力(Augenmaß)」(Augenは目のことでありmaßとは測定の意)である。
・・・これらが並び立たねばならないことを強調している点に注意。
「判断力」・・・精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受けとめる能力、つまり事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要。
政治における大罪は虚栄心である。
「戦後になって愚痴っぽいことはせず、敵に向かってこう言うであろう。『我々は戦いに敗れ、君たちは勝った。さあ決着はついた。一方では戦争の原因といなった《実質的な》利害のことを考え、とりわけ戦勝者に負わされた将来に対する責任---これが肝心な点---にもかんがみ、ここでどういう結論を出すべきか一緒に考えようではないか』と。」
・・・・これは政治に関してに比喩として語られているのだが、ドイツの被ったヴェルサイユ体制への批判でもあろう。
「戦争責任はSachlichkait(「事実に即した態度」と訳されているが、絶妙)、騎士道精神、とりわけ『品位』によってのみ可能となる」
ハフナーも「ヒトラーとは何か」の中で、第1次世界大戦が、「戦争に対する罪」という概念のもとに、多額の賠償金という形になったことを批判している。
「政治家にとってたいせつなのは、将来と将来に対する責任である。ところが『倫理』は、過去の責任問題の追求のみに明け暮れる」
このあとの「心情倫理」と「責任倫理」の違いとその止揚についてのウェーバーの論調は、ひどく白熱したものだが、実際に読んでいただくこととしよう。
「『善い』目的を達しようとすれば、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手段、少なくとも危険な手段を用いねばならず、悪い副作用の可能性や蓋然性まで覚悟せねばならないという事実を回避するわけにはいかない。」
「善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為においては真実ではなく、しばしばその逆が真実であること」
「職業的政治家になろうとするものは、(中略)すべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と戦うのである」
・・・すでに触れたように、ウェーバーが、国家を「法に基づく唯一認められた暴力装置」と述べている点に注意。
「10年後には反動の時代が来て、ここで述べとようなことは、恐らく実現されてはいない」
******
ここで、古谷氏が引用した箇所が来る:
”政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なこの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。(中略)自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が―自分の立場からみて―どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても、「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。”
・・・・これが実質的な結語である。
******
短いながらも、やはり稀代の名著ですね。
訳者あとがきによれば、敗戦でドイツ人が自虐モードでロマン主義に走っているのが我慢ならなかったとか。
私はこの「講演」がなされた背景については敢えて事前に読まないまま以上のまとめを書いたが、冷静さを失うまいとしつつも、ウエーバーの筆致は、結末に向けて物凄い情熱に満ちたものとなる。
まだ読んではいないが、これはウエーバーの著作においても異例なものではなかったろうか。
この短い本は、政治や社会学を学ぶ者にとっては、恐らく大学1年生で学ぶ必読文献だと想像するが、こんな時代だからこそ、与党野党問わず、すべての政治家に読み返して欲しいし、jジャーナリストにも教訓にして欲しいし、それどころか、政治を論じるネット民も、冷静さと、いい意味でのSachlichkaitを狡猾なまでに持つ上で、必読ではなかろうか。
●【3分間動画】交通安全PR「松戸警察、松戸東警察からのお願いです!」
以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「全国フェミニスト議員連盟宛抗議と公開質問状」 https://t.co/z2vnO6G24c @change_jpより
— 大田区議会議員おぎの稔(無所属)💉議員系Vtuber🛫🏭 (@ogino_otaku) September 19, 2021
署名、4万筆突破!是非、皆様のお力をお貸しください!
全くこれのどこが悪いというのだ。
クンゼの件はまだ理解できなくもなかったが。
この公開質問状への返事がコレ。
ブログ更新。
— 大田区議会議員おぎの稔(無所属)💉議員系Vtuber🛫🏭 (@ogino_otaku) September 19, 2021
全国フェミニスト議員連盟のHPが更新。驚くべき内容でした。
署名一週間で4万筆。全国フェミニスト議員連盟からの回答は? https://t.co/pe73Vb75hJ
●千葉県警本部、松戸警察署、松戸東警察署、千葉県、松戸市、松戸市教育委員会宛の公開質問状を提出。およびその回答について。
以下はライブ中継の告知ですが、どうなることやら。
なお、誰かを支持する時には、その身辺も一応洗っといた方がいいと思うので、おぎの稔氏について調べましたが、寸借詐欺事件で維新を除名された、というのはあったみたいですね。
こういうのは藤田孝典氏の件で懲りたので一応おさえておきます。
別に今回の件についての冷笑ではないですよ。
簡単にはwikipediaにも出てますし。
詳しくは柳ヶ瀬裕文氏のFacebook参照。
更に、次のようなtogetter発見。
●表現の自由戦士、統一教会関係者だった 山田太郎、おぎの稔、音喜多駿ら界隈の著名人が教会関係者主催のイベントに登壇
まあ、私としては何だっていいんだって。おぎの氏信者にならなければいいだけのこと。むしろおぎの氏を「利用」するくらいの図々しさでいきましょう。
そもそも政治家を「崇拝」して「どうにかしてくれる」存在としてあがめた時点で腐敗ははじまる。ヒトラーへの期待すらそうしてはじまった。ユングの言う「自我肥大」というヤツ。
れいわ旋風だってそうならない保障はない。枝野に昔勝手に期待しといて失望するなんてもそうだと思う。
政治家は主権者国民の代理人に過ぎないのだから、いいようにこき使うぐらいのつもりでないとね。全国フェミニスト政治連盟というのが無茶苦茶なのには変わりないし。
「自我肥大」というのは、かつがれているうちに、何か勘違いして、ナルシシズムに酔ってしまうということ。
この誘惑に勝てる人は政治家でなくても少ない。掃いて捨てる程もいる。会社や教育界や福祉の世界にも。私からすればDaiGoに対する藤田孝典氏も近親憎悪。
菅を「パンケーキ」と持ち上げて谷底に突き落とすのも、昔枝野を持ち上げて今けちょんけちょんに言うのも似たようなもので。
政治家を堕落させるのも、何か勘違いした方向に向かわせるのも私達国民ひとりひとりの責任。
もちっと別の概念を使えば、クラインという精神分析家が「分裂的=妄想的ポジション」ということを言ってる。自分に「快」を与える「良き親」と、不快を与える「悪い親」が同一人物だと気づいていない。それに気づくと落ち込んで、「抑うつポジション」というのにハマる。政治家に対してこうならないこと。
山添拓さん勝手踏切横断書類送検問題。
行政側が、地域住民の意向を汲み上げ、鉄道会社に働きかけていないのが真の問題だと思う。
2020年11月3日、休日を利用して趣味の鉄道写真を撮りに行った際に、長瀞町の秩父鉄道の線路を横断したことが、埼玉県警秩父警察署から軽犯罪法違反であるとの指摘を受け、本年9月16日付で送検した旨の連絡を受けました。軽率な行為だったと反省しています。
— 山添 拓 (@pioneertaku84) September 18, 2021
厳しいご指摘、ご批判、叱咤激励をたくさんいただき、ありがとうございます。
— 山添 拓 (@pioneertaku84) September 19, 2021
ちょうだいしたご意見を受け止め、率直に反省し、今後同じようなことがないよう、気を引き締めます。
また、ご心配の声も複数いただきました。感謝申し上げます。
これまで以上にがんばります。
結局、#山添拓 さんが悪いのでない。行政側が、地域住民の意向を汲み上げ、鉄道会社に働きかけていないのが問題だと思う。#勝手踏切 https://t.co/eXBhupWEnF
— chitose (@kasega1960) September 19, 2021
ホントはいけないことだろうが、毎日新聞の有料会員だから転載を許してもらおう。
===============以下引用========================
踏切が設けられていない線路を住民が通り道として使う。こうした「勝手踏切」と呼ばれる場所が、全国の約1万7000カ所に存在する。踏切がない場所を渡るのは違法だが、なかなかなくならないのが現状だ。専門家は「鉄道会社は黙認している」とみる。どういうことなのか。背景を探った。
JR岡山駅(岡山市北区)の2駅隣にある大安寺(だいあんじ)駅(同)から西へ約120メートル。JR吉備(きび)線の線路脇に「きけん」と赤字で書かれた看板がある。JR西日本が設置したもので、続けて「線路に立ちいらないで下さい」と記されている。看板の先には線路へ続く小道がある。緩い上り坂になっているが途中までアスファルトで舗装されており、お年寄りでも線路を渡れてしまいそうだ。
「散歩や買い物の際に渡ることがある。近くの踏切までは少し距離があるから」。近所に住むアルバイトの男性(74)はそう語った。辺りは田畑や住宅が点在する郊外。看板を過ぎて線路を渡れば、コンビニエンスストアやスーパーといった店もある。ここから東西に直線距離で各100メートルほどの場所には正式な踏切があるものの、男性によると、物心ついた頃には近所の住民がこの場所を踏切として使っていたという。「近くの踏切の音が聞こえるので、列車が近づいていれば分かる。高齢の人には危険かもしれないが……」
●愛媛が最多、東京と大阪にも存在
踏切がない場所で線路を渡ることは、鉄道営業法で禁止されている。運行に支障が生じた場合は、刑法の往来危険罪に問われる場合もある。それでも、住民たちが日常的に横断する勝手踏切が各地に存在する。正確な数は不明だが、国の調査がある。国土交通省が2021年1月、全国の鉄道事業者に「明らかに線路内を横断した形跡があるもの、または横断を認識しているもの」について報告を求めた。すると、モノレールのみが走る沖縄を除く46都道府県の約1万7000カ所に存在することが明らかになった。都道府県別では愛媛県の1031カ所が最多で、次いで長野県の872カ所、新潟県の825カ所と続く。岡山県は10番目に多い580カ所。都市部でも東京都に34カ所、大阪府に103カ所ある。
●「勝手踏切」が多い都道府県拡大
「勝手踏切」が多い都道府県
国交省は16年にも同様に調査した。その際は約1万9000カ所にあり、5年間で1割ほどしか減っていない。その理由について、関西大の安部誠治教授(交通政策論)は「勝手踏切は元々、村道や里道で、後から鉄道が道を寸断したケースも多い。鉄道事業者は表だって封鎖しにくく、黙認しているのが現実だ」と解説する。柵などを設けることはできるが、簡単に迂回(うかい)できてしまうため現実的ではない。一方、鉄道事故の多くが踏切で発生していることもあり、国は現在、踏切の新設を原則禁止しているため、正式な踏切にするのも難しい。安部教授は「列車本数が少ない地方では、勝手踏切での事故のリスクも低い。言わば『自己責任』で渡る住民に対し、鉄道会社は『大人の対応』を取っている」と語る。国交省幹部も「地域住民が反発する」と全面的な封鎖は難しいとの見方を示す。
●封鎖に住民不満「不便を強いている」
実際、住民の反対の声は根強い。京都府宇治市では16年7月、JR奈良線の六地蔵―黄檗(おうばく)駅間にあった勝手踏切5カ所が封鎖された。奈良線の高速化・複線化事業に向けてJR西と沿線自治体が13年に結んだ基本協定に、安全対策の一つとして勝手踏切の封鎖が明記されたからだ。
5カ所には古くからの里道が元になったり、墓参りに使われたりする道があったが、高齢男性がはねられて死亡する事故も起きていた。市は15年度に住民説明会を開いたところ、線路の反対側にある病院や商業施設への往復などに必要だとして、住民が封鎖に反発。正規の踏切に移行するよう求める要望書を市に提出した。だがJR西は住民の要望に応じず、市は線路へつながる道をフェンスで塞ぐなどした。住民は迂回路を通らざるを得なくなった。
地元住民らでつくる団体は封鎖後も、踏切を設置するよう市に働き掛け続けている。市が地下道の新設という代替策を提案したこともあったが、用地の問題などで計画は暗礁に乗り上げている。住民団体代表の辻貞夫さん(84)は「高齢者の多い地区なのに、迂回路は通院や買い物に不便。市は複線化を要望した相手であるJRの都合に合わせ、住民に不便を強いている。住民の立場に立ち、安全で便利な通行手段を確保してほしい」と訴える。
●過去に人身事故も、専門家「リスク警告を」
勝手踏切では全く事故が起きていないわけではなく、宇治市のように列車にはねられて命を落とすケースもある。JR西は勝手踏切について「無謀な横断の可能性がある場所では、声掛けや注意喚起の看板を設けている」としている。安部教授はこう提言する。「カーブとなっていたり、草木で見通しが悪かったりする勝手踏切では事故のリスクが高まる。たとえば過去に死傷事故があった勝手踏切では、道路管理者である自治体や鉄道事業者は『横断は危険』との強いメッセージの看板を設置するなど、リスクがあることを警告する必要がある」【岩本一希、鈴木健太郎、高橋昌紀】
==============引用終わり=============
ブログの「レインマン」エントリーでも書いたけど、ある意味では誰にでも健全な「自閉」能力は必要。#神田橋條治
発達障害ではないとしても、ひきこもりの人って、むしろ外の刺激や、他人からの評価に敏感すぎる人たちなのだと思う。
ある意味では「積極的・肯定的」にひきこもれるようになれば、活路はひらける。私の考えでは、「就労支援」とかいい出す前に、まずは一定のお小遣いを与えて、節度ある形での「消費活動」を促進すべきだともいえる。
これ、中井久夫先生の、「病者と社会」に掲載されている「世に棲む患者」という小論の受け売りです。
何か繰り返し書いてるけど、植民地時代でも社会主義でもないんだから、何より消費活動を保証することが資本主義経済を回すと、経済オンチながら、思う。
ひきこもりの人や、年金ぐらしの人ほど、重要なお客さんはないんではないかい?
「レインマン」の次にこれを取り上げるというのは、もう、無茶苦茶だが、私の中に、これほど大風呂敷を広げ、息をもつかせぬ怒涛の感動の映画はないものとして記憶に残っている作品はないので、思い切ってカタルシスを感じるためにセレクトした。
この映画も1998年だから、今の若い人、観てない人多いよね。
観て絶対損しない映画です。
*****
ともかくこのままでは地球に衝突して、セカンドインパクトどころではない完全滅亡が待っている大隕石が来てるわけだ。
核ミサイル全部打ち込んでも表面で爆発するだけでアウト。
地下深く穴を掘って核爆弾を爆発させるしか方法がない。
そこで呼び出されたのが、石油採掘のリーダーをしているハリー(演:ブルース・ウィルス)。
ハリーは、仲間たちの荒くれ者や変人たちを連れていくことを条件にする。
そうやってハリーのもとに集まるのが、個性豊かな「七人の侍」ということになる。
地球滅亡まであと18日。彼らは速成の訓練を受ける。
心理テストでロールシャハがギャグのめされている。
そして、NASAの乗務員たちと共に、2機のスペースシャトルに乗って出発する。
あとは・・・ストーリーを細かく紹介しても無意味。
スリリングな展開が、これでもか、これでもかと畳みかけるのみ。
ともかく、弛緩する瞬間がない。
ドカーン、ドカーン、ドカーン!!!!
そこに、ハリーの娘を始めとする地上に遺された人々とのウエットなドラマがからむ。
Windows95発売から3年だろ?
今よりも3Dが発達していない時代に、よくもここまでやったよ。
現在も全然古びていない。
荒唐無稽そのものだが、これを観て映画の道に進みたいと心を決めた若者が少なくなかったのもよくわかる。
ビートルズだけはわかったが、他にも既成のロックの名曲が散らばめられているようだ。
ロシアの宇宙飛行士が実にいい味出してる。こいつは宇宙ステーションでもウォッカたらふく飲んでいそう(そういう描写はないが)。ある意味でロシア人の超ステレオタイプなんだが。
9.11以前だから可能だったろう描写も多い。
テーマ曲は、エアロスミスだそうですね。
批評家の評価なんてクソ食らえだ。
"Harry, You are the MAN!”
このブログのエントリーで無線通信、Bluetoohのコーデックのことについて説明不足のままどんどん書いてしまっているので、できるだけ簡潔にわかりやすく説明します。
実は細かくみていくといろいろな規格のランクがあるのですが、一般的なもののみに大幅にはしょってしまうことをお許しください。
コーデックというのは、わかりやすくいえば、無線に乗せるための音声圧縮フォーマットのことです。
大前提として、Bluetooh5.0に対応した機器ということにします。
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まず、どんなBluetooth機器にも対応しているコーデックは"SBC"です。音声の遅延が長く、音質はCD規格よりもかなり低いです。最近はこのコーデックしか採用していない製品はほとんどありません。
"AAC"・・・iPhone向けのコーデックです。"SBC”より音質がよく、遅延も短いとされています。ところが、かの有名な、人気があるAirPods Proは実は現行では"AAC"止まりでして、ハイレゾところかロスレス(CD規格)にも対応していないという致命的な弱点をかかえています。しかしいずれ対応するだろうという噂もあるようです。
ちなみに、現行のヘッドフォンやイヤフォンで、"AAC"に対応していないものはないと思います。
なお、MacOSはハイレゾに対応しているのですが、どういうわけかソニーやオンキョーが提供しているレートの半分なんです。USBで外部機器を取り付ければ別ですが。
"aptX"・・・旧来のandroidスマホ用のコーデックです。CD規格とほぼ一致。Windows10PCの標準コーデックでもあります。今やかなりの部分のワイヤレスイヤフォンやヘッドフォンが対応してしています。
"LDAC"・・・いわゆるハイレゾ対応のコーデックです。もともとはソニー独自の規格でしたが、現在では他社にも公開されています。
androidOS 8.0以上であること、そして、ハイレゾを聴こうと思えば、オンキヨーやソニーのアプリ(ソフト)をインストールしていることが条件です。Amazon music HDも一部ハイレゾ規格の音源を配信しています。
しかし、別にハイレゾの音声ファイルでなくても、ロスレス音源の場合ですら”LDAC”コーデックの方が再生上の音質はいいように、私は感じています。
なお、Apple MUSICは、最近ハイレゾの音源ファイルも一部配信し始めましたが、これは現状ではiPhoneでは音質をダウングレードして聴くことなるという凄い矛盾に陥っています。
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私の所有するヘッドフォン、Anker Soundcore Life Q35と、androidスマホ、OPPO Reno 5Aはともに"LDAC"対応ですので、現状における最高の環境にあるということになります。
"AAC"どまりのiPhoneとのペアリングの方が、ある意味では音質が柔らかく、聴きやすい気もしますが、それこそ相川七瀬のバリバリの音楽とかなると、見事に差が出ますね。
おもしろいのは、"aptX"止まりのはずのPCと私のヘッドフォンの相性でして、どういうわけか、OPPOよりもハードで引き締まった音にも聴こえます。
コーデックだけでは、少なくとも聴感上の音質よしあしとは関係ないということでしょうかね。
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なお、何度も書きますが、Bluetooth接続は音質を犠牲にしているというのはもはや現在では通用しないと思います。
ことヘッドフォンやイヤフォンとの接続に関しては、有線接続の時代は終わったとすら思いますね。余計なアナログ回路が残存しているだけです。
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ちなみに、質の悪いハイレゾ音源より、高品質のロスレス音源のほうが遥かにマシだとは強調したいです。一曲500円以上が多い、ハイレゾ音源に安易に手を出すより、月定額のストリーミング配信の方が、コストパフォーマンスよく、しかも非常に多くの曲から選べることには代わりはありません。
自閉症(アスペルガー症候群)の実態とはどのようなものかを一般の人に幅広く知らしめたのは、1988年公開、バリー・レビンソン監督による、アカデミー賞受賞映画、「レインマン」であろう。
私は、この映画を公開時に観ているが、Eテレの精神科医、アスペルガーの生涯についての番組の紹介をしたことで、久しぶりに観なおして、詳しいレビューをする気になった。
なおこの映画のすみずみまでネタバレして解説するつもりなので、そのことをご理解の上で以下を読み進めていただきたい。
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ロスに住む新車のディーラーであるチャーリー・バビット(演:トム・クルーズ)は、回転資金に苦労して苛立ちながら、忙しい日々を過ごしていた。
ある日、突然「父親が死んだ」という電話を受ける。
チャーリーは、同僚で恋人のスザンナ(演:ヴァレリア・ゴリノ)と週末旅行に向かう予定でいたのを取り下げて、スザンナと共に、遺言執行人のもとに向かう。
チャーリーは、母は2歳の時に死別、父とは、成績が良かった褒美として、49年式ヒュイックのロードマスターに乗らせてくれなかったのをきっかけに家を飛び出して以来、音信不通だった。
300万ドルの遺産があったが、チャーリーに遺されたのは、車とバラのみ。
それ以外の財産は、管財人のもとに預けられるという。
不満を持ったチャーリーは、そのお金が誰のためのものか探し当てようとする。
行き着いたのは、(恐らく)シンシナティの近郊にある、大規模知的障害者施設。
チャーリーがいない隙に、ひとりの男が運転席に乗り込んでいた。
「床敷の色が違う。僕は嫌いだ」
彼は兄だと聞かされる。名前はレイモンド(演:ダスティン・ホフマン)。遺産はすべて彼の今後のために管理されると。
チャーリーはレイモンドの挙動を理解できない。
視線を合わせない。言葉を一方的につぶやく。
決まった時間に「テレビ裁判」を観ないと気がすまないらしく、「一塁手はWho(誰)だ」という言葉を繰り返す。アボットとコステロのギャグだと聞かされる。「フー」という名の野球選手にかこつけたものだ。
チャーリーの病室への侵入は、彼に、いつも同じ日常をやぶられる不安を呼び起こしたようで、そういう時に前述のギャグ(本人にはその面白みそのものがわかっていないのだが)をつぶやくようだ。
野球選手の情報などに即答できる。
それでも不安がおさまらないと「オ、オウ」あるいは"VERN"という奇声を発する。
他の患者のひとりには不安を感じないらしく、その患者は「私は彼の"main man"(親友)だから」と答える。
チャーリーは、担当のブルナー医師から説明を受ける。
彼は「サヴァン」だ、と(英語ではっきりそう言っている)。
「情報のインプットと処理の過程に障害があり、意思の疎通と学習能力に障害がある。自分の感情をうまく表現できない。しかし知能は高い。外界を恐れる。日常はパターン化され、パターンが破られることを嫌う」と。
チャーリーが3歳の時に、20歳のレイモンドが施設に入所した計算になる。
******
チャーリーは無断でレイモンドを施設から連れ出す。
ロスに連れていって、それから裁判をして、遺産の半額をせしめようというのだ。
チャーリーが「カリフォルニアは遠い」というと、チャーリーは、「本物の野球を観たくないか」と誘う。
泊まったホテルでは、病室と同じ位置にベッドと机と椅子を置かねばならない。曜日ごとの食事も決まっている。当然テレビは決まった時間に観ることを要求する。
チャーリーはいらいらしながらもそれにあわせる。
恋人のスザンナは、彼の命令口調に嫌気がさし、「あなたはみんな利用しているだけよ」と、ホテルを後にしてしまう。
「本がない」というレイモンドに、チャーリーは分厚い電話帳を投げ与えていたが、翌朝、メイドの名札を見た途端に、電話番号を当ててしまう。
「Gの途中までは覚えた」と。
メイドはうっかり楊枝のケースを落とし、床にぶちまけるが、レイモンドはその数を即答する。
2人は空港に向かい、チャーリーはレイモンドを飛行機に乗せようとするが、レイモンドは各航空会社の事故がいつ起こり、何人の死者が出たかを、即答し、拒否する。
「カンタス航空だけは死者がない」
「オーストラリア経由でロスに帰れというのか?そんな便はない」
それでも無理に引っ張って行こうとするとパニック。
チャーリーはしかたなく3日かけてロスまで車で向かう決心をするが、高速の事故現場に遭遇すると、またもや事故についてのデータを語り始める。
結局一般道を走るしかなくなる。
レイモンドは、自分も車の運転ができるという。
"I'm excellent driver."
チャーリーも少し折れてきて、すれ違う車種をレイモンドに延々解説したりしはじめる。
彼はチャーリーの貸したパンツを履いていない。
「シンシナティのKマートのボクサーパンツでなければだめ」と言う。
「どこのKマートでも同じだ。Son of a bitch !」
******
チャーリーは途中の地方都市で公衆電話で精神科医を探そうとするが、その隙にレイモンドは車を降り、”Don't Walk"と信号で表示された道の真ん中で立ち止まっている。
見つけた病院は精神科ではなかったが、レイモンドが難しい掛け算や平方根に瞬時で答えを出し、電卓と一致することに医師は興味をおぼえる。「天才だ!」
しかしレイモンドは「100ドル持ってて50セント使ったらあとはいくら残る?」には答えられない。
"I don't know."・・・これもレイモンドが繰り返しつぶやく言葉だ。
「僕は絶対に自閉症ではない」
2人は、「テレビ裁判」の時間になったので、一軒家に頼み込んで見せてもらう。子供たちはアニメを観たかったのに。
ホテルで、レイモンドは「おかしなレインマン(雨男)」とつぶやく。
チャーリーは、幼少の頃、レインマンという名の、空想上の友達(イマジナリー・フレンド)に歌を歌ってもらっていた。
レイモンドがレインマン。
チャーリーの「レインマン」は、空想の産物ではなかったのだ。
二人はその歌を一緒に唄う。
やっと意思疎通ができたのだ。
チャーリーがお湯をわかそうとすると、レイモンドは「ベビーがやけどする」とパニックになる。
実はそれがきっかけで、レイモンドは自分から施設に入ったようだ。
チャーリーは、レイモンドに携帯テレビを買い与える。
******
チャーリーは借金のかたに車をみな差し押さえられてしまう。8万ドル。
食事をする時、レイモンドがジュークボックスの曲の番号を即答することにチャーリーは気づく。
レイモンドには答えが「見える」のだ。
チャーリーは、ラスベガスに立ち寄り、金時計を質屋に入れてお金を作ると、レイモンドを服屋に連れて行き、おそろいのスーツをあつらえる。
カジノのトランプ賭博で一気に稼ごうというのだ。レイモンドはすべてのトランプを一瞬で覚えているから。
それは大成功。
レイモンドはカウンターで高級売春婦に誘惑される。すでに金を持っているとみなされたのだろう。「一緒にダンスしない?」
しかし、挙動不審に、離れて行ってしまう。
チャーリーはレイモンドを抱きしめるが、パニック。
"Please forgive me."
チャーリーはレイモンドにダンスのしかたを教えて、一緒に踊る。
「俺たち、バカ(fool)みたいだ」。
チャーリーからの「君を失いたくない」との連絡に、スザンナはホテルに現れる。
スザンナは、エレベーターを途中で止めて、レイモンドに軽くキスするしかたを教える。"wet"。
*****
ロスの自宅に二人は帰りつく。
チャーリーは「フレッドとアステア」のビデオを買ってきて、一緒に観る。
ブルーナー医師は、「20万ドルで手を打とう」と提案してくる。
チャーリーは「たった6日間の兄貴なんて」と拒否する。
レイモンドは台所でピザを温めようとして、レンジから失火してパニック。
チャーリーは一緒に生活する困難さを感じ始める。
裁判所に所見を提出する医師との面談。
チャーリーはあったことを正直に話し、「お金はどうでもいいから兄貴と一緒に暮らしたい」と。
「随分冒険をしたものだね」
そして、レイモンドに、病院に戻りたいか、それともチャーリーと一緒に生活したいかと尋ねる。
レイモンドの答えは両方イエス。
「チャーリーと一緒に、病院で暮らしたい」。
チャーリーも、レイモンドが病院へ帰ることを認めるしかなかった。
"You are main man."
"I'm excellent driver."
二人は頭を重ねる。
駅での別れ。
レイモンドは、「Kマートの服は最低」。
「ジョークだ」
自閉症者はジョークを理解できないはずなのに。
エンディングでは、レイモンドが助手席で途中に撮った写真が次々表示される。いかにも自閉症者が好みそうなショットばかり。
******
発達障害の人を相手にする場合、まずはその生活様式にチューニングすることが大事なのだろうと思う。
もとより、それはこの映画では、わずか一週間で達成されたのだが、現実はそうはいかない。援助者の苦労は並大抵のものではないだろう。
自閉症の人は、柔軟に周囲からの刺激を処理できないだけで、実は一般の人より「自開症」なのだと、私は産業医科大学の増井武士先生に教わった。
この「自開性」が、かえって常同的、儀式的行為を必要とする。
人は誰でも、むしろ健全な「自閉」能力を必要とすることは、神田橋條治先生も強調するところである。
発達障害ではないが、ひきこもりの人も、むしろ周囲や社会の目を気にしすぎていることも多いがする。
******
実は、トム・クルーズ自身が、学習障害で、小さい頃、文字が認識できず、更にはADHD(注意欠陥多動性障害)」であったという。この映画の中でのチャーリーのふるまいにも、多分にADHD的なところがある気がする。
ダスティン・ホフマンは、役を演じるにあたって、障害者施設に長期間入り込み、自閉症者になり切るための修練を積んだという。
彼は、典型的な、スタニスラフスキー・システムの演技メソッドの申し子である。
スタニスラフスキー・システムにおいては、とことん役になり切り、身体的にも同調し、内側から演技する訓練をすることを求められる。
マーロン・ブランドなども、代表者である。
******
さて、やっとこのエントリーの表題に入ることとなる。
この映画は、すでに前のエントリーで詳しく紹介した、ジム・ヴェンダース監督が、4年前に制作した、「パリ、テキサス」に多大なヒントを得ていると思う。
どちらの作品とも、ロードムービーの代表作と言われるだけではない。
弟(「パリ、テキサス」のウォルト、「レインマン」のチャーリー)は、共にロスで働いているし、前者は高級看板屋、後者は車のディーラーと、なんとなく似ている。
どちらも遠隔地の兄(「パリ、テキサス」のトラヴィス、「レインマン」のレイモンド)のもとに向かい、ロスまで連れ帰ろうとする。
加えて、兄はどちらも飛行機に乗ることを拒否するし、高速道路を走ることも拒否する。
トラヴィスは、同じレンタカーに乗り続けることにこだわる。
前のエントリーでは書かなかったが、「パリ、テキサス」のトラヴィスに、発達障害的な一面があることを、はからずも描いていたことは確かだろう。
もちろん、「パリ、テキサス」はカンヌ、「レインマンはアカデミー賞であり、様式に違いがあるが、デジャブーをみるかのようなシーンも多いのは確かであろう。
私など、「パリ、テキサス」を、いつの間にか、「トム・クルーズ、ナスターシャ・キンスキー主演」と記憶していたくらいである。
******
エンドロールを観る限り、「レインマン」は非常に多くの医師の監修によって制作されたようだ。
大学院生だった私の周囲には、この映画を観た人は、ひとりもいなかった。
まだ、そういう時代だったのだと思う。
今の若い世代の人は観ていない場合も多いと思うので、お勧めしたい。
ハンス・アスペルガーが、ナチスの障害児安楽死作戦に協力したということは、何をきっかけは忘れたが、すでに知っていた。
Eテレのこの番組は、その問題にどどまらず、アスペルガー症候群とはどのようなものかについての、平易で要を得た解説にもなっていて、非常に良質のものだったと思う。
******
環境活動家であるグレタ・トゥーンベリがアスペルガー症候群であることをカミングアウトしていることは、結構知られているかと思う。
アスペルガー症候群とは、発達障害のひとつ、自閉症スペクトラムにおいて、
はあるものの、
はない人たちのことである。
(番組ではこの呼称は用いられなかったが)、特に知能が高く、専門分野で成功する(しそうな)人たちについては「サヴァン症候群」とも呼ばれる。
歴史上の人物としては、モーツァルト、マリー・キュリー、アインシュタインなどがそうだったのではないかと言われ、現代の人物では、ティム・バートン監督、歌手のスーザン・ボイル、俳優のアンソニー・ポプキンスがアスペルガーとの診断を受けている。
生まれながら他人への関心が薄く、相手の気持ちが読めない傾向がある。
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ハンス・アスペルガーは1906年、オーストリアのウイーンの生まれ。
父は高等教育は受けられす、苦労して就職したので、ハンスの勉学への要求水準は極めて高かった。
小6の授業のネズミの解剖で、寄生虫を発見し、「一つの生物の中に別の生物が生きていて、密接な関わりを持ちつつ共存している」ことに魅了され、医者への道を進もうと心に固める。
1925年、ウイーン大学医学部に入学。
ところが大恐慌が起き、就職を危ぶまれた。
そこから彼を救ったのが、ウィーン大学小児病院院長のフランツ・ハンブルガーだった。
アスペルガーはハンブルガーを父のようにあおぎ、指導者と教え子の関係を超えたものであったという。
1932年、アスペルガーは病院内の特別施設の担当となる。そこには、社会適応できない発達障害の子供たちが送られてくる。
アスペルガーは、そこに病院のニオイがしないことに驚く。
当時の児童診療所は、ベッドに縛りつけ、検査漬けにして、「患者」として扱うのが普通であった。
ところがこの診療所は、子供を遊ばせ「生活者」として扱い、教育的扱いをするという点で画期的だった。
病名は当てはめられず、子供の無意識の行動をひたすら観察し、週1回、スタッフたちが、ひとりひとりの処遇について意見を交わす、世界最先端の施設であった。
生まれ持った能力や性格の変えられる側面は変え、異常な行動は抑制するという活路を見出そうとするものだった。ひとりひとりの夢や目標を実現することをめざした。
アスペルガーは、10年間で200人診察し、1944年に、「小児期の自閉的精神病質」という論文をまとめることとなるのだが、それはまだ先のことである。
アスペルガーは、優れた言語感覚を持つ子供に注目し、自閉症に言語障害や知的障害が伴うというそれまでの考え方をくつがえした。
「医師には全身全霊をかけて、これらの子供たちに代わって声を上げる権利と義務がある」
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だが、アスペルガーにもうひとつの顔があった。
能力のある、生産性が高そうな子供には情熱を注ぐが、能力の低い、生産性の見込めない子供はあっさりと切り捨てた。
時はナチスが政権を握った。ハンブルガーはナチスに入党し、彼の指示でアスペルガーはドイツに研修に赴いた。
ナチスは、優生学に基づき、優秀な人間のみを選別し、劣る人間を排除しようとしていた。
力強い民族共同体を作ろうと、障害があるものへの強制断種・不妊手術が行われるようになった。
ナチスが健康な子供たちを体制に忠実な人間に育てようと、幼い頃から徹底的に教育する光景を目の当たりにしたアスペルガーは敬服した。
1934年、ウイーンの施設の所長に28歳にして抜擢され、ナチスと政治的に足並みをそろえることとなる。
1938年、ナチスはオーストリアに侵攻、ウイーン大学は、ヒトラーに忠誠を誓わないものは排除し、残りの半分はナチに入党した。
アスペルガーはナチスと関係が深い団体に次々加盟。その中には「国家社会主義ドイツ医師連盟」もあった。医療部門のナチとも呼ばれ、ユダヤ人の排斥を主導した組織でもある。
アスペルガーは特別講演で、ナチス礼賛、強い民族共同体をめざすとし、
「全体が部分より大きいという考えのもとでは国家が優先されねばならない。遺伝病の予防と優生思想を浸透させねばならない」
と述べた。
「才能ある」精神異常がある子どもに彼は専念し、最良の奉仕をした。「役立つ」「役立たない」という選別にこだわった。
1939年、ポーランド侵攻とともに第二次世界大戦がはじまる。
その日にヒトラーは、「障害者安楽死作戦」を打ち出す。
このことは、このあとのエントリーで私が紹介する予定の、ハフナーの「ヒトラーとは何か」でも、最大の罪のひとつとして取り上げられている。
この安楽死作戦は、大人だけではなく、子供にも適用された。
ウイーンのシュピーゲルグルント児童養護施設がその舞台となった。
この施設には、「教育不可能」と診断された子供たちが次々送られてきて、たいてい「肺炎」と死亡記録が残る形で、実は薬で弱らされて死んでいった。
近年、アスペルガーが診断に多数関わり「シュピーゲルグルントに移送することが解決法」と明記したことを示す書類が、ウイーン公文書館から大量に発見された。
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1945年、ドイツは連合軍に無条件降伏、1年後の裁判で安楽死作戦の責任者は死刑や懲役となったが、多くの医師は、ヒトラーに強制されたと弁じ、無罪となる。アスペルガーもそのひとりである。
彼は1946年、ウイーン大学小児病院の院長となり、更には終身院長となった。
しかし、戦後、自閉症研究は再開しなかった。
1974年、ラジオ番組にはじめて出演、自身のナチス時代を公の場で初めてふりかえることとなるが、
「ナチの非人道的なことは受け入れることはできませんでした。私は子供たちを引き渡すことを拒否しました」
と釈明。1980年急死した。
1981年、イギリスの精神科医、ローナ・ウイングが、自らのリサーチとアスペルガーの論文の症例が極めて類似していることに気づき、「アスペルガー症候群の臨床報告」という論文を公表し、アスペルガーの名は一躍脚光を浴びることとなる。
前述のアスペルガーの診断書が発掘されたのは2010年である。
アスペルガーの元患者で、大学の歴史と美術の教師として成功したヴァルトカルト・ホイフルは、独自に調査に乗り出し、789人の安楽死者を特定した。
「アスペルガーは、時間がある時はいつも子供たちに本を読み聞かせる良い医師でした」
しかし、骨格異常のあった妹は、シュピーゲルグルントに送られ、死亡していた。
2018年、アスペルガー症候群という診断名は、「自閉症スペクトグラム障害」に統合された。
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私が発達障害について学んだ頃は、「アスペルガーは、敗戦国ドイツの研究者であったために、日があたらない存在であった」と解説されるのが普通であったと思う。
ブラームスの室内楽入門として最適の曲です。
殊に第2楽章の悲愴な変奏曲は、ルイ・マル監督の映画『恋人たち』で使用されて有名です。この楽章は誰が聴いてもハマります。
私の愛聴しているメニューインとその仲間たちの演奏で。
【追記】:より新しい、ラルキブデッリ(L'Archibudelli)の、古楽器による演奏も見つけたので、そちらも貼っておきます。メニューインたちの往年の名盤と比べて、どちらがお好みでしょうか。
【更に追記】:ベルリン・フィルハーモニー八重奏団の演奏も見つけました。端正ですね。
【更に更に追記】:YouTubeのAIがウイーン・コンツェルトハウス四重奏団のまで推薦してきたので更に追加。
【更に更に更に追記】:好きな曲だからもっと増やしてしまう。
ご存じの方も多いでしょうが、ドイツでは、ごく最近まで「わが闘争」は禁書扱いされていた。
私はこのことに常々違和を感じていた。
むしろ、ドイツとその大衆自身の判断力を愚鈍なものとして貶めていないか。ヒトラーの本質とは何かを徹底的に研究・検証してこそ、ドイツが同じ過ちを繰り返さないために必要ではないかと思えて仕方がなかった。
むしろ、学校でも、早い段階から、「わが闘争」そのもののテキストを抜粋しながら、そのどこが問題かをディスカッションさせるくらいの教育こそ不可欠なのではないか。
ドイツでは、こうしたわけで、ヒトラー自身の伝記的研究は、学問的にも立ち遅れていたらしい。
そうした中、戦後、早い段階で、ヒトラー自身の世界観と行動原理について徹底的に独自の分析をし、一貫した見解を示し、歴史学界でも賛否の議論の的となりながらも、ベストセラーとなったのが、ヒトラーと世代を共にした西ドイツジャーナリズムの重鎮、セバスチャン・ハフナーによる本書、「ヒトラーとは何か」である。
著者は、ヒトラー自身の「わが闘争」を始めとする、演説記録や命令書、部下の証言などを含む一次資料を縦横無尽に活用し、ヒトラーの「内面」に迫る。そしてそこから、なぜドイツ国民が、上から下までこぞってヒトラーに熱狂し、進んで服従したのかについての謎を解き明かそうとする。
それはまるでヒトラー自身になりかわって、心情を告白する域のものである。
カウンセラーをしていると、まずはクライエントさん自身の、パーソナルな「内的照合枠(inner frame of reference)」に感情移入し、理解すること(これは単にクライエントさんにの味方をし、「迎合」することではない)が不可欠であることは、どの学派であるかに関係なく重要視されている。
分析や解釈、認知の再構成化は、あくまでもその後の段取りなのである。
ハフナーは、「自由からの逃走」のエーリヒ・フロムのような心理学者ではないし、本書の中でも、あからさまな心理学的解釈はほとんどしていない。
しかし、心理臨床家である私の目からすれば、本書は、瞠目に値する「ヒトラーの心理学」である。
これからその概要を紹介し、本書への疑問点を含み、レビューしたい。
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続きはこの後のエントリーで書きます。
お楽しみに。
ZARDのエントリーで、相川七瀬つながりで、プロデューサーであり作曲家の織田哲郎人脈を体系的に聴いてみたいと書いたばかりだが、相川による織田哲郎作曲ばかりを集めたカバーアルバムがあると知り、しかもそれがApple MUSICにあったので早速ダウンロードしてみた。
※( )内は源歌唱者。
M1.世界中の誰よりきっと (中山 美穂, WANDS)
M2.いつまでも変わらぬ愛を (織田哲郎)
M3.チョット (大黒摩季)
M4.Precious Summer (浜田麻里)
M5.碧いうさぎ (酒井法子)
M6.世界が終るまでは・・・ (WANDS)
M7.君がいたから (FIELD OF VIEW 坂井泉水 作詞)
M8.咲き誇れ愛しさよ (Wink)
M9.BOMBER GIRL (近藤房之助&織田哲郎)
M10.翼を広げて (DEEN)
■ゲストミュージシャン
・つるの剛士 【M1】
・寺田恵子(SHOW-YA)【M9】
・杏子【M9】
・中村あゆみ【M9】
Chorus
・大黒摩季【M3】
・宇徳敬子【M4,5,6,7,8】
・柴崎浩(ex.WANDS)【M2,6,10】
・浅岡雄也(ex.FIELD OF VIEW)【M7】
まず、音質には・・・はっきり言って失望した。
相川のオリジナルアルバムとの落差はひどい。ひどく底の浅いお風呂場録音。ロスレス音源であることは表示されているのだが、これだけひどい録音は滅多にない。
編曲もチープでペラペラなのが少なくない気がする。
これだけ気の入れ方が違うとはね・・・
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M1.これくらい当然知ってるし、持ってるわい。これ、全然おもしろくないです。ロック調に無理やりやっつけ仕事していて、しかもスベっている感じ。
M2.これは聴きやすい方だろう。それなりにだが。編曲もあっていそう。
M3.恥ずかしながら大黒摩季は聴いたことがない。代表曲らしいですね。そういえば聴き覚えがある気がする。この編曲はそれなりに気を入れているかな。ラップ入り。本人とのデュエットか。
M4.浜田麻里って、一枚ぐらい持ちたいと思っていたが買わないままだった人の一人。アレンジは相当力をいれてるかな。この曲に関しては十分満足。Amazon評には歌唱が本家に全然かなわないという意見もある。
M5.おいおい、これをやるかよ。CD持ってますけど。ロック・バラードという感じの仕上がりになってますけど、何かリミックスに相川がカラオケしてるみたいな感じ。似合わないなあ。
M6.WANSって、世代のはずなんですけど、如何せん私が一番負け組のクラいおたくだった頃だから、触れていないのだ。これはそこそこ音質がマトモ。編曲も凝ってる方かな。
M7.これは、ロック的に分厚くすることにこだわらず、それこそ早いテンポのZARDみたいにしてガール・ポップに開き直っているから、非常に聴きやすい気がする。
M8.Winkって、世代ですけど、持ってない。これは16ビートにして、ユーロビート風、あまりロック的に分厚くしてないままなので、意外と聴きやすい。でも、やはりどうしてこれを相川がやる必要があるの? カラオケじゃーという思いは残る。
M9.これもまたユーロビート的か。何か男二人の浪花節みたいな感じの曲ですねえ。
M10.DEENってのも、ビーイング系でしょ? 当時の私が住んでいる世界とは対極すぎて。これも、なんでこんな海辺でよろしくやってますみたいな曲を相川がやるのかようわからんなあという感じ。
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全体として、メロディアスな曲を無理やりロックに乗せようとしている印象がある。しかもその編曲がやっつけ仕事っぽい。
ベスト“ROCK or DIE”の「六本木心中」のカバーの場合は、原曲を倍のテンポに引き伸ばして、ユーロビートをロックバンドでやってるみたいなグルーヴに乗せて、原曲解体に近いみたいにして、まるで相川のオリジナルみたいに聴こえる域まで凝っていた。編曲も細密だったし。
裏を返せば、織田がどれだけ若い頃の相川に気を入れていて、オリジナル曲を懲りに凝り性にして、緻密で凝集的で独自の世界を築くことに汗水たらしていたかがよくわかった。
やはり、根暗で生真面目に思いつめてツッパってるイメージがありだからこその相川七瀬なのではなかろうか?
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・・・なんか、さんざんなことを書いてしまった。
・・・あ、聴きながら同時進行で書いているうちに、そのまま相川のオリジナルアルバムにメドレーでつながった。
ファンになりたてなのに言うのもなんだが、故郷に返った気分だ。
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最後にオリジナルのアーティストの動画をまとめて貼り付けておきます。
私にとって神になってしまった。
いろいろ御託を並べていましたが、ヘッドフォンの方が調教(エイジング)されてしまいました。
当然、他のCD音源を聴いても、音質が向上しています。もう、どんな曲を聴いても、キモチワルイ域まで音質が良くなった。1950年代の初期ステレオ録音のクラシックですら、まるで目の前のライブのように生々しく響くようになった。これだけの情報量がCDには詰まっていたのだと。
おそらく、この凄みは、有線ヘッドフォンではなくて、それなり以上のクオリティの、LDAC対応のBluetooth接続の本格的ヘッドフォンでないと真価は体験できないと思います。
以前のエントリーは、終わりの方だけ読んでください。
私がレビューしたベストアルバムはもはや廃盤のようですが、Amaozonには中古は安価でいっぱい出ているようだし、何よりApple MUSICに入っていれば、ロスレス音源ダウンロードできますので。
↓ こんな歌もあるんだね。
2つ前の相川七瀬のエントリーで、「六本木心中」のYouTube動画で、坂井泉水、相川七瀬、アン・ルイスがワン・コーラスずつ歌ったものがあることを紹介した。
これは、坂井泉水がオーディションの時に歌った録音を、動画製作者が編集したものとの解説がある。
そのことがきっかけで、今日は、2週間に一度の福岡市への出張時の帰路から、実は15年も前に購入していた"Golden Best 〜15th Anniversary〜"をiTuneロスレスとしてとっくに取り込んでいたものを、スマホのApple MUSICを通して聴いていた(未だに、パソコン側でiTunesに取り込んでさえいれば、スマホ側でも自動的に再生できてしまうメカニズムはよくわからない)。
その後も25周年のベストなども出たにもかかわらず、現役盤のようである。
実は、正直に言って、ZARDについては、ご多分にもれず、アニメ「スラムダンク」の「マイ フレンド」で知った組であり、このベストを買った直後に、タイトルだけは知っていた「負けないで」を聴いてみて、あとは放り出していた。
ともかく、15年前の私は、CDを思いつくままに買い漁って身を持ち崩して(?)いたのであり、これはジャンル関係なく生じていたことで、クラシックでも、全く聴いていなかったもの、あるいは少し聴いて放り出していたものは山程ある。
そうしたCDを、久留米に帰って、決して高価ではないが、CD再生にとっては至極合理的な、フルデジタル環境を整備するに連れて聴き直して、「あれ、こんないいの聴いてなかったとはもったいなかったな」という思いにとらわれたケースは実に多い。
今晩はほんとうは、昨晩読んで非常に面白かった、セバスチャン・ハフナーの「ヒトラーとは何か」について書こうと思っていたのだが、この本のレビューを書こうと思えば、丁寧に再読しながらメモを取り、要点を抽出しないとその面白みをレビューできず、それをするには、外出の疲れもあり無理だと感じたことと、実際にベスト・アルバムを聴き通す中でかなり癒やされてしまったので、順序を入れ替えることにした。
ZARDの熱心なファンの方にはたいへん申し訳ないが、その程度の動機づけで書いていて、相川七瀬のエントリーのように、細かい訂正と増補改訂を重ねて突き詰めたエントリーではないことをお許しいただきたい。
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坂井泉水の悲劇的な死については当時の報道で知っていたし、実は彼女の出身が私の故郷、かつ現住所である福岡県久留米であるという説とか、「蒲池氏」つながりで、松田聖子のいとこであるとかいう説があり、私はそれを信じていて、てっきり「久留米市出身の有名人」と思っていた。
だが、念のためWikipediaを見たら、神奈川県平塚市と書かれていて、あれーと思い、少し検索したが、昔のWikipediaでは久留米市出身と書かれていたこと、本人もそう発言していた時があるらしいこと、このことを吹聴したのが、実際に久留米市出身である宮崎哲弥であることがとりあえずわかった程度である。
なぜこのグループ(というか、早い段階で固定メンバーは坂井泉水のみになっていたらしいが)に非常に熱心なファンがついたのかとなると、同時代体験の外にいた私にはまだつかみかねるところがある。
今回聴き通してまずは感じたのは、実に平凡な言い方だが、「永遠の青春の歌」だなということ。
ファンの方には彼女の変化が実感できるのかもしれないが、とりあえず聴いてみた私のような人間からすれば、ある意味で坂井自身による歌詞のメッセージには一貫したものがある気がする。
曲想も、ペスト盤に収録されている曲だけを聴いていく限り、ある意味では驚くほど変化していない。
私はポップスの音楽用語となるとまるで素人なので、一応YouTube動画の音楽の基礎みたいなのを調べてみたが「8ビート」にあたるのかな?ともかく「タタタタ、タタタタ」というゆっくりとした控えめなギターの刻みの上に旋律が載せられていることが多いと感じた。ある意味では「安心のZARD様式」ということにもなるのだろうか。
それはデビュー曲、"Good-bye My Loneliness"から綿々と受け継がれていた様式のようですね。
むしろ「マイ フレンド」はやや例外的なやや速めなテンポということになるであろうか?
・・・と思っていたら、「スラムダンク」で聴いていた時は、もっと速いテンポと感じていて、こうして比較してみると、それほど差がないのに驚いているのだが。
試しに「スラムダンク」のエンディングの実際の動画を見てみたが・・・
やはりこのテンポであったか。当時は多くの人がこういう体内時計であり、今の曲がむやみに速くなっているということか?
オーディオ的にみて、相川七瀬のように特異的な面はないが、基本的には、安定の、抵抗ない、多くの人には柔らかいと感じられる音色であろう。
でも、そういうことを気にして彼女のアルバムを聴く人はいないであろう。
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何か、こういう書き方をしていると、ファンの方には冒涜と受け取られなけれまいかという懸念もあるが、「入門者」としてご容赦いただきたい。
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相川七瀬、ZARDと聴いてきて、結びめとして、プロデューサー、作曲家の織田哲郎という人の、驚くべき数のアーティストとのネットワークがあることを知った。
そうした関係性のあるアーティストのCDは、いくらでも手元にある。
そのあたりを少し体系的に聴いていって、新たなエントリーを書いてみたいとも思う。
ZARD全389曲が15日にサブスク解禁、名曲「負けないで」「揺れる想い」がよみがえる - サンスポ https://t.co/btcYkMTJ8C @SANSPOCOMより
— サンスポ (@SANSPOCOM) September 14, 2021
私は相川七瀬の熱心なファンというわけではない(【注】:後述するようにこれはもはや完全に「過去完了形」)が、特に初期の曲がオーディオソースとしてあまりにも興味深いので紹介しよう。
浜崎あゆみ好きになったものだから、一時期エイベックス漁りをしていたので、かなり以前にiTunesで釣り上げていた。
改めて2010年のベストアルバム、"Rock or Die"をダウンロードしなおした。ロスレス音源であるからCDと同じ音質である。リマスタリングされているかもしれない。
まずは、アルバム全体として総合的にみて、音源が必ずしも新しくないにもかかわらす、私が聴いてきた音楽ソースの中でもっとも凄い部類に入るということは申し上げておきたい。
値段は高くなくていいから、適切なオーディオ環境(このエントリーの最後に私が使用した機種と使い方を明示します)を与えると、物凄い完成度の録音であることは誰が聴いてもわかるはず。
※なお、このベスト盤は、すでに廃盤CDのようです。困ったもんですね。中古はいらでも安価に手に入ります。
むしろApple MUSIC入会者は、ロスレス規格定額ダウンロードし放題の対象となっていることを喜ぶべきでしょうね。
※なお、以下のレビューは、あくまでもロスレス音源についてのものでして、YouTubeの音の善し悪しとは関係ありませんのであしからず。
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20歳デビューの「夢見る少女じゃいられない」が1995年だからayuより4年ほど早いことになるが、ある意味ではエイベックスらしくないハードなサウンドが持ち味だろう。
「ガール・ポップ」ということになるのだろうが、限りなくロックに近いと思う。
不良っぽい、ツッパった曲が多く、「夢見る少女じゃいなられない」の登場時は、かなり衝撃的だったのではないか。美人、というより登場時はカワイクもあったし。
今25歳以下の人は、生まれてもいないわけだから、是非この曲だけでもまずは聴いてみて欲しい。
この曲、オーディオ的に「物凄く」いいんですよ。
私はよくこの曲でオーディオ比較をします。
特にドラムスの打ち込みの音が「異様に」冴えている。帯域も広いし、アンビエンス成分もたっぷりなのだが、とにかくハイスピードで音圧のある打ち込まれ方に録音されている。
これはYouTubeの音では恐らく持ち味がわからないと思う。ドラムスの音が完全にリミッターがかかった鈍い音に過ぎなくなっている。
だから、さっき書いたようにロスレスですから、Apple Musicで是非聴いてみて欲しい。
これで25年前だからたいしたもの・・・というより、正直言って、多くの歌手やバンドの録音って、この頃のが一番イイと思う。これ以降はどんどん退化している。
ベストアルバムでいうと、この曲に続く、2.バイバイ。-4.BREAK OUT!までは、このオーディオ的な冴えが持続している。これらは私にとって超Aクラスの録音ですね。
ドラムスの冴えは相変わらずだし、同じ一曲の中でもまるで違う音質を使い分けている。そして、ギター群が、非常に分厚くてなおかつ広がりがあり、一つ一つの楽器が聴き分けられる細やかさも持つ。人工的なエコー成分の付加によるごまかしもなく、空間に忽然と楽器とヴォーカルがシャープな存在感を持って並んでいるという、滅多に聴けない音響世界です。
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次の「恋心」はおそらく一番の人気曲で、メロディーも印象に残りやすいし、今の若いコもカラオケでこの歌だけは唄うのではなかろうか。
PVもたいへんな意欲作ですね。
ところが、ベストアルバムの「恋心」だけは非常にぬるい、録音としてはベストアルバムで最悪なのでありまする。音割れも少ししているし。情報量は非常に多いと思いますが、飽和している(ラウドネス・ウォーになっている?)。リマスタリングされてこの音質というのは、ホント困ったものです。
(でも、この水準にとどかないアーティストは山ほどいます)
困ったことに、YouTubeの古いはずのPVの音は結構バランス良く聴ける。音割れはしていますが。
え? ベストアルバムでこの曲の音質が一番良く聴こえるって? それは相当モンダイですよ。
「恋心」は、ある意味では、大衆向けに媚びた例外的な曲であるとも言えると思う。
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この曲以降は、なぜか突然録音が一気に平凡化してしまう。
帯域の狭い、分離も良くない音で、私が「針金細工の音」と呼ぶ音に過ぎなってしまいます。
これは二度と改善されない・・・・かな?と思ったら、10. 「Nostalgia」よくなってます。
ポップで、わかりやすい曲ですけど、またドラムスの生々しくてj非常に切れ味がいいところ、1.- 4.並に復活です。
続く11.「Lovin' you」は、伴奏部はそこそこですが、ヴォーカルにいい潤いがありますね。ドラムスが音色的に目立たないのは、曲想を考えての意図的なものでしょうが。10.より更に帯域広め。いい曲だと思う。
低域が少し膨らんでます。
次の12.「midnight blue」は、帯域的には少し狭めかもしれないかど、非常に「立っている」タイトな音です。トラムスとギターの音が分離しないのは意識な音作りだと思います。
13.「SEVEN SEAS」は12.より音の広がりがあります。ドラムスは硬い。ちょっと音が飽和しているかな?
これでも、他のアーティストの大抵の曲よりは音質よほどいいです。
非常に音が悪いPVしかYouTubeにはなかったことをお許しください。
14.「六本木心中」は、もともとはアン・ルイスさんの曲。帯域はそこそこですが、音の広がりはかなりありますね。
ロックの楽器編成であるにもかかわらず、グルーヴ感のある、まるでユーロビートみたいな編曲ですね。少し音が暴れているかな?
オリジナルのPVは見つかりませんでしたが、ZARD(坂井泉水)、アン・ルイスとワンコーラスずつ歌ったおもしろい音源、発掘しました。
15.「Shock of Love」は、音に暴れはありますが、分解能が高く、いいサウンドの部類。周波数特性的な平坦さがあります。ドラムスは相変わらずギターに溶けちゃってますが。
でもオフィシャルサイトのPVなしの音源は、あまりにも音が小さすぎる。
そこで、画質は荒いですが、第3者のアップしたものを這っておきます。音はちょっと低域が薄過ぎになってますが。
ベストの最後を飾る16.「tAtto」は、久々にドラムスが生々しい立体感を回復している。初期ほどではないけど、「恋心」以降では最良サウンドでしょうか。
・・・ここで唐突に初期、2.の「バイバイ。」を聴いたら、全然音がいいんですよ、やはり。
困ったものだ。
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彼女はその後、クラブミュージック的になり、前世セラピーとかに頼るようになり、更に現在は大学に入り直して神道の勉強をしているそうですが。本人も音楽的な行き詰まりにも苦悩していたんでしょうかね。
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ともかく、オーディオ的に、私が言いたいことが、一人のアーティストで非常によく識別できるケースですので、試しにオーディオソースにしてみてください。
私が言うような音の違いが聴き分けられれば、安い装置でも、いいバランスと音質と言えると思います。
ちなみに、公平を期すために、私が今回の判断をした環境を示します。
Bluetooth(LDACコーデック対応)接続の 、 Anker Soundcore Life Q35での聴取。
・・・この2つのケースを共に聴取しています。
電源の影響フリー、一切アナログ回路が介入していません。
以前も書きましたが、Bluetooh接続のほうがもはや有線接続の比ではない音質が可能というのが私の信念です。
音は1.の方がハードに聴こえますが、2.の方が音の解像度が高く、ギターが何台ありそうかまで詳細に聴こえます。これはコーデックの違いが大きいでしょうね。
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【追記】:・・・・などどいろいろ御託を書いてきたが、何回かこのアルバムを聴くうちに、私のヘッドフォンのほうが見事に「調教」されてしまい、ホントにとんでもないことになってしまった。
ここまでの部分で「欠点」として書いたことは全部帳消しです。
全部美しい、そしであまりに激しくもある音の「個性の違い」に過ぎなくなった。
これは日本のロック史に残る奇跡の作品群ではないか。
そして、録音史に残る到達点である。
もう、中毒になっちゃうよ。
こんな音の世界があり得るとは思わなかった。
嘘だと思うなら、PC(Windowsである必要あるかも)にダウンロードして、このヘッドフォンで、しかも私がこちらのエントリーで強調した注意点(アプリによるファームウエアの設定)を決して忘れすに、10回ぐらい慣らし運転してみて欲しい。
音楽というもの、オーディオというものについての考え方が変わるから。
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おまけで、2012年のライヴの「恋心」をupしておきます。この人、声はむしろ味があるようになったとも言えます。王子のきつねさんによれば、ブレスが悪くなっているそうですが。
Part 2でいよいよ赤壁の戦いとなるわけだが、そこに至るまでがまだ少しかかる。
Part 2はPart 1以上に「演義」という原作から離れている展開が多い。
孫尚香(そもそも演義では赤壁の戦いではまだ出てきてはいないとすでに述べた)は独断で単身対岸の曹操の陣に一兵士に変装して潜入する。
そして伝書鳩を使って周瑜に敵陣の情報を伝え始める。
そうした中で、蹴鞠大会(ほとんどサッカーやん)で優勝して千人隊長に抜擢されたばかりの男と知り合い、互いに意識しあう関係となる。
南方の気候に不慣れな曹操軍では疫病が流行し、患者や死者が増えるが、曹操はそれらをみな無人の船に乗せて対岸の連合軍の陣に流してしまう。
それを回収した連合軍の陣にも患者が蔓延する。
劉備軍はそれを理由に夏口まで撤退するが、孔明のみが残る。
曹操の軍は蔡瑁、張允の進言で、船同士を鎖でつないでしまう。
孫尚香は千人隊長の肩車を借りて、船団の陣形を書き取る。
劉備軍は撤退の際に4000本の矢を持ち帰ってしまったので(これは演義にはなかったと思う)、呉軍の陣には6000本の矢しかない。
周瑜は孔明にその責任を取って3日後までに10万本の矢を調達するように求める。
この解決方法は、「演義」通りのおなじみの作戦である。
蔡瑁、張允は連合軍に内通していたが、周瑜側はそのことを曹操に意図的にバラしてしまい、2人は処刑される(「演義」では確か二人は実際には内通していなかったと記憶する)。
孫尚香は帰還、胴巻きに曹操軍の詳細な地図を書いてきていた。
曹操も呉軍側は火攻めで来ると予想していたが、風向きが逆風なので大丈夫とたかをくくっている。
曹操は夜の酒宴で高らかに自作の詩を吟じる(これは史実で、曹操は文人の才もあり、漢詩で非常に有名なものの一つである)。
だが、孔明は、雲の動きから、風向きが変わることを予見し、周瑜に伝える。
今度は小喬が曹操のもとに密航する。
曹操を茶でもてなす。
だが、その最中に風向きは変わる。
呉軍の艦隊は曹操軍に迫る。
ここからの水上戦は、双方が莫大な死者を出しながらの火攻めの応酬となる。
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・・・このへんで詳しいネタバレは止めるが、Part 1と異なり、戦いでの双方の犠牲が悲劇的なものとして描かれている。
最後に、孫権、周瑜、劉備、関羽、張飛らが戦いに直接参加、曹操と対決してしまうが、こういうのは大河ドラマ的で、現実にはあり得ないよなあ。
「最後の役割」は、「演義」的には関羽の独断なんだが、この映画では周瑜がやっている。
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船と船とのぶつかり合い、夜に燃える火の凄まじさは、CGではなく、莫大なものを灰にして撮影している筈である。
しかし、すでに述べたように、Part 1の最後の激闘シーンのようなカタルシス感より、戦いの悲惨さを訴えるものとなっている。
派手さという点では、Part 1の方があると思うし、最後の水上戦までの「溜め」が長いから、ひょっとしたら途中で一度寝てしまう人もあるかもしれないが、全2部通して5時間、豪華絢爛たる超大作であることには変わりがない。
基本的に、非常にハリウッド的な、国際的に通用する内容と映像であり、万人に楽しめると思う。
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Google日本語入力はすごい。蔡瑁、張允まで変換してくれる。唯一変換してくれないのが曹操という不思議。
この映画の存在は、記憶に間違いがなければ、エヴァ「序」の時にポスターが張り出されていた気がする。その頃は三國志についての知識も映像経験も皆無だったので「タイトルが洋風だが、中国の話みたいだな」ぐらいの認識しかなかった。
現在の私は、自分でゲームはしないものの、三國志についてはそこそこ詳しい方に入るようになったと思うので、知識の未熟さを恐れずに、裏付けをとらないまま、ネタバレ全開モードで書きます。
物語は、傀儡の献帝が、丞相曹操からの繰り返しの蜀呉征伐の勅命を発することを受諾するプロローグ。
そしていきなり新野を追われる劉備軍へとストーリーは進み、長坂の戦い、趙雲が劉備の子供の阿斗を救出するまでの大活躍の戦闘アクションへと進む。
井戸シーンは当然のように出てくるが、張飛の橋での仁王立ちはありません。
ここから呉の孫権との同盟づくりへとストーリーは進みます。孔明は使者として呉に向かい弁舌をふるうわけですが、いきなり論戦になるというより、まずは呉の軍の訓練を謁見し「古い戦術だ」とつぶやくところからはじまります。
この訓練をしているのが甘将軍といい、中村獅童が演じていますが、オリジナルキャラではないかな?
孫権と孔明を引き合わせる魯粛も登場。
呉の大都督、周瑜も登場、彼は孔明には疑い深いキャラというのが定石ですが、そういう面は、少なくともPart 1 ではほとんど描かれていません。
周瑜の妻、小喬も登場、仲睦まじさをみせます。
周瑜が音楽に秀でていることはどのドラマでも描かれて来たと思いますが、この映画では笛と琴をたしなみ、孔明と琴のセッションをはじめます。
このセッションが、琴の音色というより、スチールギターふうで、ひどく現代的なジャムセッションになっています。
これで二人の心は通い合ってしまう。
孫権もいろいろ迷いはしましたが、例によって、机の角を切り落として、蜀との同盟から後を引かないことを示します。
孫尚香も登場。
孫権の妹ですが、戦好きのお姫様という設定は「演義」以降定番で、KOEIをはじめとしてゲームの世界でも重要キャラクターですが、演義の流れではもっとあとで登場し、赤壁の戦いには関わらなかったと思います。
思いっきりファンサービスというか、やはり女戦士のキャラは欲しいよね。侍女たちと戦士軍団を作ったというのは史書にも伝えられています。
彼女が一番美人で現代的な女優さんで演じられていますね。
そして、実は彼女は後に劉備の妻となるのですが、これも前倒しの伏線気味です。
Part 1 のクライマックスは、赤壁の戦いの水上戦の前いくさとなった陸戦(名前は忘れた)。
ここで孔明は「八卦の陣」を使うわけですが、この陣立てでの延々30分近く続く戦闘シーンがすばらしい。
陣の構成と動きの変化が手に取るようにわかり、陣形が変わる度に、もう戦闘手段のデパート状態で技が繰り出されていく。私は映画でこれだけ飽きさせない豪華絢爛な戦闘シーンを観たことがない。
こうして、赤壁の戦いが今まさに始まろうというところでPart 1は打ち止め。
三國志ファンも、ここはこうであって欲しい、関羽や張飛や趙雲はこう戦って欲しいというイメージのままに、物凄いスピード感とキレの良さで、人民解放軍を10万ぐらい動員してないかい?というくらいの絢爛さで描くので、満足する人が多いだろう。2時間以上の尺があっという間である。
恐らく、三國志の世界を知らない人にとっては、冒頭の図解入りナレーションを除くと、情け容赦なく登場人物が現れるので戸惑うかもしれないが、ともかく展開にメリハリがあるから、「ベン・ハー」初見の日本人ほどにすら難解ではないのではないか。
さすがに「ベン・ハー」は今の時間感覚からすればのろいでしょうし。
とにかくスカッとしたい戦闘娯楽アクション大作を観たければ、異世界ファンタジーや超能力は出てこないし、CGには依存し過ぎないし、まずはオススメの映画ではなかろうか。
Part 2レビューに続く。
こういうエントリー混ぜるからこのブログに常連さんが定着しないのは承知なのですが、ここはあくまでも「プライベート」ブログなのだからどのような自己満足でも許してもらうしかない。
メロディ部分はさすがにURAファイナルズ優勝は当たり前になったからついて行けるが、ラップ部分はこれからの修練ですね。
今日思いつきでアプリをインストールしたばかりで、3回目ぐらいを録画したものですが、これから修練いたします。
*****
【追記】:「うっせぇわ」も追加。
「三國志」ネタはいつか書きたいとは思っていたが・・・
YouTubeゲーム配信で著名なうどんさんのKOEI「三國志」配信を相当以前から追いかけていた時期もあり、三國志演義の雑学は増える一方、横山三国志も読んだし、中国のTVシリーズ"Secret of Three Kingdoms"も通して観たし、Wikipediaも暇つぶしに漁りまくった。「レッドクリフ」はまだ観ていない。
今日たまたまYouTubeのレンタルアニメを見つけたのの関連リンクで表示されたので、どうせ軽い作品だろう、ポテチ1袋分ぐらい楽しめればいいや、Google Play残高もたっぷりあるし、私の映画レビュー、いつでもマジなのが多いから時にはこんなのもいいだろ、と、早速観はじめた。
はっきり言って大泉洋(劉備)がコメディをやる時のキャラ作りそのまんまが全編浸透しているといっていい映画である。諸葛孔明がムロツヨシなのでなおのことノリがアレである。
それでも一応赤壁の戦いまでの「演義」の主要なエピソードはおさえているし、美女連環の計を発案したのは劉備ではないだろというくらいで、オリジナル要素はほとんどない。
語り部の教授の西田敏行以外、演義にも登場しないこの映画オリジナルの架空の登場人物はいない。
この流れで「長坂の戦い」エピソードは含めるかなと思っていたが、2分で描いた。
一応西田教授のわかりやすい解説は入るので、三國志に何の予備知識もない人が観るのも困らないだろう。
まあ、そういうわけだから、この映画を切り口として三国志の世界に入門することも可能だとは思うが・・・・
ともかくギャグが寒い。
橋本環奈と広瀬すずの無駄遣い・・・これは客を呼ぶために仕方ないか。
これでセットと衣装には一応お金はかけているようですが。
ホント、劇場に1800円かけて観に行った皆様、ご愁傷さまです。
まさにポテチ「小袋」一袋ですね。
同志社大学、内藤正典氏による。
10分間の短い番組だったが、非常に整理された内容だったと思う。
明日のNHK、「視点・論点」で『イスラムと西欧の二十年』について話します。Eテレが午後1時50分から2時、総合が(すごい時間…)明けて翌朝4時40分から50分です。9.11から二十年を二つの文明の関係から振り返ります。
— masanorinaito (@masanorinaito) September 6, 2021
9.11の、ビン・ラディンらのアルカイダによるアメリカ同時多発テロをきっかけに、欧米諸国のアフガニスタン侵攻がはじまる。
これは「テロリズムとの戦争」と呼ばれ、イスラム住民への攻撃ではないとされた。
しかし、現実には多くのイスラム住民が殺された。
「テロリズムとの戦争」という概念は、弾圧の正当化となっていく。
チェニジア、エジプトなどで民主革命がおきるが、イスラムによる世直しをかかげる政党が圧勝。しかしそれらも軍部による掌握で倒される。
シリア・リビア・イエメンでは反政府勢力との激しい内戦となる。
シリアのアサドは「テロとの戦争」をかかげるが、反政府勢力の激しい反発を買い、ISの台頭となる。
シリア難民はまずはトルコ、それからギリシャ、そしてドイツへと流入する。
もともといたイスラム移民へも、テロリストでは?という懐疑がかけられるようになる。
ヨーロッパでは、反イスラム政党が台頭。
女性の服装など、イスラム教徒への規制が広まる。
これに応じて、ヨーロッパ諸国ではテロが頻発、ますます反イスラムへの機運が高まる。
アメリカのアフガニスタン撤退、タリバンによる新政府が樹立される。これにより、再びアフガニスタンから多くの難民が流出するであろう。
西欧はイスラム世界を見下してきた。
2つの文明世界には根本的な違いがあり、一方が他方を従属できるとはみなさないほうがいい。
「人権」概念そのものが違う。
タリバンは、西欧流の「民主主義」は通用しないと主張する。
内藤氏は、相手の話をきいた上で改善を求めること、「文明間の講和条約」を築くことだけが、唯一の共生の道であると訴えている。
髪型(明るい色やくせ毛の生徒は証明書が必要)、他の教室に行ってはならない、下着の色、郊外の生活についての規定(学区外に出る時は制服着用、宿泊旅行は届け出必要、カラオケは家族同伴でも禁止、など)、眉毛を剃ったら職員室で書く、スマホは職員室で預かる、など、校則の過剰さについての批判は、Twitter上でも繰り返し流れてくる。
しかし、それらの多くは、学校側を悪者にして、何とかしろと訴えているに過ぎないものが多いのではなかろうか?
今回の番組は、単に現在の校則の酷さを告発するという域を超えているからこそ、素晴らしかったと思う。
「下着の色は白」
— NHK「クローズアップ現代+」公式 (@nhk_kurogen) September 9, 2021
「髪型のツーブロック禁止」など、
人権侵害まで指摘される校則。
全国各地で広がる「校則改革」の現場に密着した今夜の #クロ現プラス
見逃し配信でもご覧になれます。#その校則必要ですか https://t.co/A2uXENvL84
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校則が厳しくなったのは、校内暴力などで、学校が荒れた1980年代の産物であった。
それに加えて、最近では、保護者たちの側に、子供の生活全般を制御することを学校に求める、教育の学校依存体質があったことをこの番組は指摘する。
NHKのアンケートでは、すでに各地の教育委員会の40%以上では、校則の見直しを進めている。
多くの学校で、単に学校が校則を改めるのではなく、生徒たちとの合同委員会を立ちあげ、長い議論をした上で校則を変えて行こうとしている。これ自体、民主主義的な、主体性と自律性、議論のあり方を実地に学ぶ、貴重な機会となっている。
そういう際、生徒たちは、単に多数決で決めてしまうだけでは、少数の生徒たちにとって、逆に不利益になる場合もあることに気づいていく学校もある。
例えば、経済的に貧しくて私服を買えない家庭もあれば、制服の生徒が逆に居心地悪くなるなど。
校則を見直して学校が荒れたという報告は一例もなかったという。
いずれにしても、校則について単に愚痴をいうだけなら、この番組を観て欲しい。
これは校則に限らないことであろうが、「上」を批判し、変わることを求めるだけでは、民主主義の実践者とは言えないのである。
さっきまで、かなり変わってもいるし、凝ってもいる夢をみていた。
私は大学学部生なのだが、その大学で、一風変わった映画鑑賞実習が開かれることとなっていた。
非常に大きなホールのような部屋。横長で、敢えていえばボーリング場のような作りを想像してもらえばいいかもしれない。
スクリーンが8つほど並び、その前に幅7列、縦には20列ほどの席がある。パーティーションはない。
そこでは別々の映画が上映されることになっていて、その映画を観てのレポートを提出することになっている。
どの映画を観るかは先着順。スクリーンにはサムネイルが表示されている。
学生各自が切符のようなID証明を持っている。
映画は、右から古いモノクロの映画が2つ、中あたりの5つは、どういうわけかリカちゃん人形の登場人物が出てくる、カラーだが劇場用アニメシリーズ。
その右側が現代のカラーのミステリーもの、一番左端が、「その他」となっている。
学生の多くはリカちゃん映画など観たくない。白黒の日本映画とミステリー、「その他」が狙い目である。でも、スクリーンの比率上、リカちゃんでもしかたないと多くの学生は妥協するつもりである。
学生たちはぞろぞろと席の確保をはじめる。
私は席の確保がかなり進んだ段階で会場に現れたため、残席は少なくなっている。
途中の経過は忘れたが、私は左から2番めのミステリーの席を確保する。
しかし、トイレの個室に自分の持ち物が入ったリュックを置き忘れたままにしているのを思い出す(この前のエントリーでもこのパターンありましたが)。
私はせっかく確保した席を失う不安を持つが、
「IDカード(すでに述べたように、切符のような大きさ)を席に置いておけば、確保していることを示し、その席は他の学生に取られない」
と、となりの女子学生がアドバイスしてくる。
私はホールを出て、廊下を歩き、エレベーターに乗るが、西(スクリーンの列からすれば、左側)の方向に歩き過ぎてしまい、トイレにはいきつかない、高層エレベーターに乗って上昇してしまう。
降り立ったところは、JRの中央線豊田駅(中央線でもかなり西寄り)と思われる駅で、そこから更に西、八王子駅に向かう電車に乗る。
豊田から八王子は一駅なのだが、途中に、廃止された駅がある場所を通過する(この豊田-八王子間の展開は、私の夢で頻繁に出てくるパターンである)。
私は大学の会場からとんでもな遠いところまで離れていくのに焦りを感じている。
*****
途中経過は一気に飛んで、私はリュックを確保した上で映画鑑賞実習の会場に戻る。
この時点で、
(ID切符を席に置いてきていても、それを他の学生がガメてしまえばその席は取られているではないか。アドバイスをくれた隣の学生が、そこはすでに私が確保済みと伝えてくれていることには期待薄だろう)
と気づく。
案の定、その、左から2列めの実写映画のセクションに確保していた私の席は、すでに誰かに奪われていた。
そこで一番左端の「その他」のセクションに移動してはみるが、私は「その他」については、自分がこの実習とは別に、勝手に観た映画についてレポートすればいいことになっているのを潔しとはせず、結局左から3列目のリカちゃん人形のアニメの残余席に移動する。
映画は各セクション一斉に上映開始となる。
目の前に、古めかしいカラーの、リカちゃんとその家族が駅から列車に乗ろうとしているシーンがはじまる。
私は、暗い中、その映画の内容を刻々とメモっている。
ところが、数分後に、それぞれの映画は一斉に中断される。
学生たちは、
「この数分間だけでレポートを書けというのか? 詐欺だ!」
と騒ぎ始める。
私は、
(手元に詳しいメモがあるから、レポートは書ける。でも他の学生は、記憶に頼らないとならないから、私ほど詳しくは書けないだろう)
と思う。
*****
ここで、リアルワールドで宅急便のチャイムが鳴り、夢は途切れる。
****
ユング心理学の影響が濃い、箱庭療法では、左側の方が無意識の世界とみなされることは、多くの臨床家にとっては周知だろう。
私にとっては、左側というのは「西」という方向性と密着しており、「豊田の隣の八王子」という時、私が15年以上数住んでいたのは八王子であることと、私の故郷、そして現在住んでいるのが、はるか西の、福岡県久留米市であることとも関連するかもしれない。
ちなみに、豊田の次の八王子の途中にある廃駅というのは、中央線の、神田と御茶ノ水の間にある、旧万世橋駅の風情にも少し似ているが、万世橋駅は、神田駅から曲線でぐーっと西側に曲がる途中で、中央線快速もゆっくり通過するのに対して、夢の中の旧西豊田駅は、高速で通過されてしまう。
しかし、この廃駅に、私の無意識の、打ち捨てられた何かが象徴されているのではないかという思いは常々ある。
映画鑑賞実習の真ん中のセクションの大半が、古いカラーのリカちゃん人形アニメであることは興味深く、何かインパクトがあるが、この映画は、昭和35年頃から40年頃の作風のようで、学生たちが生まれてもいない、無意識の古層への誘いを意味している気がする。これらの映画は、カラーだけどピンぼけである。
時代を変えれば、セーラームーンやプリキュアのような映画のようにも思う。これらの映画を、小さな子供向けのものとバカにしてはならないことは、私は繰り返し書いてきた。「セーラームーン」劇場版については、詳しい考察もし、学会発表までしている。
「座れる自分の席があるかどうか」というのは、まさに、自分の「社会的」居場所としての「椅子」が確保できているかどうかと結びつくだろう。
私が左端の、勝手に好きな映画の感想を書いていい「その他」を「ズルだ」と感じ、潔しとはしないというのも興味深い。恐らく私がひよりよがりな自分の居場所に安住することを望まず、現実のどこかの居場所を確保して、公平に人生の勝負をしたいと考えていること(現状はネット相談と年金ぐらしの「自宅警備員」同然なので「左端」なのだが)と関係すると思う。
私が速攻で同時進行的に詳しいメモをとるのは、私の習い性で、昔からカウンセリングや本を読む時や映像作品・TV番組を観る時、講演を聴く時、たいていやっている。
これは、速記録に近い文字でなされるため、ほとんどそれだけで逐語録が作成できるくらいのものである。
私が、これらについての記事をブログにエントリーする時、具体的で要を得ていることが多いのはそのおかげである。
いちいち詳しく読み返さなくても、頭の中に非常に整理された形でインプットされるのである。
久しぶりに映像作品のレビュー。
Twitterで流れてきた。
田辺聖子の20年前の短編が原作で、数年前に実写映画化され、劇場アニメは昨年(2020年)だそうだ。
大阪が舞台。
大学で海洋生物学を学ぶ鈴川恒夫。メキシコに留学するのが夢で、ダイバースショップでバイトをしている。
バイトの同僚に二ノ宮舞と松浦隼人がいて、一緒に海に潜っている。
ある日、坂の上から車椅子に乗った女性が暴走してくる。恒夫はそれを受け止める・・・というか、サンドバックになる。
彼女の祖母がすぐあとを追ってきて、夕飯を奢ってもらこととなる。
祖母は、散歩に連れ出す以外は、「外の世界は怖いぞ」と言って、彼女を外に出したがらないようだ。
彼女の名は山村クミコというが、自分のことを「ジョゼと呼んで」と言う。
祖母は、恒夫が金に困っていると知って、新たな「バイト」を提案する。
それは家でジョゼの相手(管理人)をするということ。外には連れ出さないという条件で。
その間、祖母はパチンコに行っている。
ジョゼは偏屈だったが、実は夢見がちな少女(といっても24歳)で、自室にこもって絵を書いている。
ある日、恒夫は、ジョゼの不在に気づく。追いつくと、ジョゼは「海が見たい」と。
二人は電車に乗って、海に向かう。
その後も二人は、祖母に内緒で、外出を続ける。遊園地、動物園(ジョゼは虎を外の世界の怖い存在の代表と思っていたようだ)、映画館、水族館、そして図書館。
図書館で、ジョゼという名前が、サガンの小説の主人公の名前であることがわかる。ジョゼは同じくサガン好きだった、司書の岸本花菜と意気投合する。
ジョゼは繰り返して図書館に通うが、ある日、子供たちのための絵本の読み聞かせ役がやめてしまっていて、子供にジョゼは読み聞かせをせがまれる。
絵本は「人魚姫」。しかし、子供たちは退屈してちりじりになってしまう。
しかし、子供のひとりにせがまれて、ジョゼはホワイトボードに人魚姫のお城の絵を書く。
その絵に感嘆した司書は、ジョゼに絵描きになるように勧める。
幸い、恒夫の留学先としてメキシコの教授は色よい返事をしてきて、卒業後留学して来いという。奨学金の目処も立つ。
しかし、ある日唐突に祖母は死んでしまう。
福祉の担当者から、今後はどうやって生きていくのか、働いたらと勧められるが、ジョゼは絵かきになりたいと。しかし現実を見ろと諭される。
ある日、ジョゼは自分から恒夫のバイト先に行ってみたいと言い出すが、楽しげに話す恒夫の様子に突如気が変わり、帰ってしまう。
「健常者に私の気持ちなどわからない」と。
ジョゼは「嫉妬」したのだ。
ジョゼは姿を消す。
それを探しに行った恒夫は、ジョゼが道の側溝に引っかかって動けないでいるのを発見する。
しかしそれは、恒夫にとって思ってもみない運命の幕開けであった・・・
******
いい話ではある。
原作や実写映画はどう描かれたのか、敢えて情報を集めなかったが、もっと泥臭かったのではなかろうか。
ストーリーが読めすぎてしまう(舞の描き方とか)。
そして、みんな、みんな、いい人なんだよwwww
私は原則としてこういう言い方はしたくないし、ピュアなお話も好きなのだが、これは「美しすぎる」。
困ったなあ。
第44回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞らしいのだが。
また、調和性が高いので、人のために尽くそうとしたり、他人を気遣ったりできる優しい心の持ち主です。調和性が高い人は、良い人間関係を築き、周囲からのサポートを得やすいというメリットもあります。
— chitose (@kasega1960) September 7, 2021
・・・・サポートは返って来ず、損している気もするが。#ウマ娘で性格診断
また、部屋を整理整頓したり、計画を練ったりするのは苦手で、軽率に行動してしまう傾向もあります。時には立ち止まって考えて、慎重に行動するとよいでしょう。
— chitose (@kasega1960) September 7, 2021
・・・部屋整理整頓は苦手。何事も思いつきで始めることが多いですね。#ウマ娘で性格診断
スペちゃんは大好きです。
セイウンスカイも好きですが、あのとことんマイペースでモチベーションが低いところには手を焼くという感じで、むしろ「放ってはおけない」ウマ娘でしょうかね。
今、先日お約束した、「ヴォータン」所収の、ユングの「現在と未来」読んでますけど、「ヴォータン」をナチへの警鐘として読解しないのはやはり困難でしょう。ヒトラー名指しでの、ドイツの集合的無意識暴走への警鐘そのものだと思います。
むしろ1936年の時点で、隣国スイスでとは言え、このような評論を書くのは危険といっていいくらいかもしれません。小俣氏はどう曲解したのでしょうかね。
*****
ユングは、この論考を、
「水はいずれ堰を破るに違いない。その時はヴォータンが『ミーミルの頭と何を語る』かが明らかとなるであろう」
と結ぶのですが、
ユングが言わんとすることを理解するためには、「ミーミルの泉」「ミーミルの首」についての知識が必要です。
●【北欧神話ってどんなもの?】初心者でもよくわかる、北欧神話のあらすじと神々。
================引用はじめ==================
オーディン(北欧神話における、ゲルマン神話のヴォータンにあたる)が目をつけたのは、巨人の国へ伸びた大樹・ユグドラシルの根元にあるミーミルの泉でした。この泉の水を、口にするだけで優れた知恵や知識が授けられるという噂があったのです。
しかし泉を守る賢い巨人ミーミルは、オーディンに、泉の水を飲む対価として片方の目を差し出すように言います。オーディンは一瞬ひるむも、知識を得るためには安いものだと覚悟を決め、片目を差し出して泉の水を飲みます。その瞬間、オーディンの頭は膨大な知識で満たされるのでした。
片目と引き換えに知識を得たオーディンは、やがて「いつの日かアース神族は巨人族と戦い、世界とともに滅ぼされる運命にある」ことを予言します。滅びの日を回避できないと知った神々は、自らの運命を受け入れて戦への備えを始めます。オーディンもばらばらだった神々を組織化して協力体制を築いたり、戦力の増強を目的に勇敢な人間を集めたりと、戦の準備に余念がありませんでした。
また、ファンタジー作品がお好きな方ならば、ルーン文字は一度でも耳にしたことがあるはず。実はこれも、オーディンが会得した知識です。ルーン文字のために、オーディンはユグドラシルの枝に縄を結んで自らの首を括り、9日もの間自分の身を生贄にしたのだとか。それも、自分が最高神であるため、生贄を捧げる相手が自分だったというのだから、驚きです。
==============引用終わり====================
ミーミル(ゲルマン神話におけるミーム)はオーディン(ヴォータン)の相談役なのですが、敵に首を切り落とされてしまいます。オーディンはその首だけを復活させ対話を続けます。
オーディンは、ミーミルのおかげで、知恵を獲得し、世界の未来を見通せるようになるのですが、そこで見いだされたのは、ラグナロック(世界の終末)でした。
ワーグナーの楽劇における、「神々の黄昏」ですね。
結局、ヴォータンは、世界を巻き添えに、自己破壊に至るのです。
ヒトラーは、意識的にはアーリア民族の世界制覇をめざしていたつもりでしょうが、実はアーリア民族、そして、他の民族も巻き添えにして、(自らの救済のために?)「自殺」をはかったようなものですね。
ユングは、「数十年後のことは予想できない」とことわってさっきのことを書いているわけですが、むしろヒトラー支配が「自滅」したあとの、世界の再生のことを見据えていた気がします。
それを、「ヒトラーは世界を制覇する希望の星」と近視眼的に読んでしまった人達がいるということですね。ゲルマン神話についての教養がないままに。
すでに前のエントリーで書いた、映画「スパイの妻」で主人公、福原優作が満州から持ち帰った「関東軍の機密」とは、実は石井四郎のもとでの731部隊の細菌兵器開発と、その際の人体事件に関わる文書や証拠映像である。
これについての要を得た新書を王子のきつねさんにご紹介いただいたので読んでみた。
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「伝染病の研究は、見方を変えれば対人用の生物化学兵器開発の研究ともなる」
102ページに書かれた文言こそ、本書の命題であろう。
伝染病の原因が細菌であることは、1876年、コッホによる炭疽病の原因となる脾脱菌の発見に始まる。これは細菌の培養の技術の開発、病原体の特定を前提とする。
病原体の特定は、不衛生な環境の除去、媒介となる昆虫等の駆除、ワクチンや薬品の開発へと展開されることとなる。
これを逆用し、生物兵器として活用できないかという試みは早くからあったが、これを禁止するジュネーブ議定書が調印されたのは早くも1925年である(各国の批准はそれより遥かに遅れるが)。ところが各国の生物兵器研究は、ドイツの1920年前後を別とすると1930年代に始まっている。
石井は1920年の時点で京帝大医学部を卒業して軍医となっている。それから細菌学研究の道に進むが、研究者としての自分の技量に限界を感じ、むしろ研究者の統率者としての道を歩いていく。
1932年、満州国建国と前後して、731部隊の前身となる東郷部隊は発足する。
人体実験は、
という展開をしていく(生物兵器をばらまく側が感染した場合の対策が不可欠だから)。
しかし、731部隊でなされていた人体実験は、狭い意味での細菌兵器の開発とそのための訓練という脈絡では説明しきれない、医者集団の人体に対する興味本位の実験も含まれていたようである。
こうした実験の実情は、
といったルートで公にされた。
アメリカに接収されたデータは、朝鮮戦争で実戦に活用された可能性はあるが、その決定的な証拠はないという。
どのような残虐な実験が行われたかについての具体的な描写は本書を実際に読んでいただこう。
*****
本書の筆致は非常に明晰で冷静で簡潔なものであり、猟奇性や煽情性、政治性はほとんど全くない。
筆者は日本の大学研究と科学技術発展の歴史が、政府による官営主導に端を発しており、国家政策のための研究というお題目がたてばなんでも平気でやりかねない体質をもつことを指摘している。
いずれにしても、ほんの2時間でもあれば読み通せる新書であると思う。
特に歴史や医学に関する予備知識は不要なので、手に取られることをお勧めしたい。
私はジャズは、そこそこ持っているものの、普段はあまり聴かず、ビル・エヴァンスの"Waltz for Debby"を別格に愛聴しているくらいですが、このビルのアルバムはクラシック愛好者に非常になじみよいことは周知の事実でしょう。
コルトレーンに至っては、"Ballads"と"expresson","A Love Supreme"の3枚だけですが、たまたまスマホでApple Musicをダンダム再生している時に、浜崎あゆみの"To be"つながりでAIが選んだのでしょうが、このアルバムの同名曲が流れてきました。
最初、現代音楽かな?と思い込んだくらいで、タイトル表示をみてびっくり。アルバム全体を聴いてみることとなります。
ある意味では、同工異曲です。でも、複雑だけど、非常に静かなアルバムであることに感銘を受けました。
コルトレーンは、"To be"ではフルートを吹いているそうです。遺作アルバムとのこと。
ちょっと久々の、私が見た夢の報告シリーズ。
******
私は高校2年生。
私立高校に通っている。リアルワールドで私が通った高校だが、男子校だったのが、夢の中では男女共学となっている。
私は(夢の中では)1年生の時に、数学以外は抜群の優等生であったが、2年生になってから、学業への意欲を次第に失っている。
授業中に、繰り返し教室を抜け出し、トイレに籠もっている。
教室に戻ってみると、授業は進行していて、途中の内容がわからなくなっていることを不安に感じている。
しかし、頭の回転が急速に衰えており、とても去年のようにはできないと感じている。
特にもともと苦手だった数学の授業の際に、ただでさえ苦手だった科目がいよいよ授業の進行が意味不明になり、これで次の定期試験に点が取れるだろうかと不安になっている。
小グループに分かれて、テーマについて討論しながら進めるという、ある意味で進歩的な進め方をしている時限にも、最初から教室を抜け出して、しばらくして戻ってくるのだが、自分が今更どのグループかに入れてもらうことは無理だと感じる。
担任教師(リアルワールドでも担任だった数学教師)に、
「私は調子が悪かったので教室を抜けさせてもらっていたのですがどうしたらいいのでしょうか?」
とうち明ける。
教師は別に私を咎めだてすることはない。
その後教師が私にどう対応したかは夢の中では描かれていない。
******
シーンは飛び、私が授業をあまり受けていないことについていじめを受け始めている。
私は2人がかりで押さえ込まれ、そこにこれまた二人がかりで女子生徒が無理やり連れて来られ、スカートの中の女性器(毛が生えていない、肌色の、きれいな女性器である)を、私の顔にを無理やり押し付けて来ようとする。
私は、
「馬鹿野郎! 私は女性経験が豊富だから、女性器なんていくらでも見ているし、クンニ何のことはない」
と答える。
結局女性器は押し付けられることはなく、女子生徒も解放されたようだ。
私は、トイレに自分のリュック(リアルワールドで現在使っているものと同じ)を置いてきたままであることを思い出し、トイレの個室に向かう。
しかし、リュックの中の持ち物の重要なものは、消えている。
どう探すかについて、クラスメートに問いかけるが、その後の展開不明。
教室に戻ってみると、NHKのドキュメンタリーをもとに討論する展開の途中に出食わす。
私は、その中に参入できない。
*****
しばらくシーンが飛び、クラスに学年中から選抜された、20人程度の「リーダーと言える生徒」の集会が、円陣を組んで開かれているのに遭遇する。
その中のひとりが、
「去年のままの君なら、当然このメンバーの中に選ばれていた」
と言って来るが、私も
「確かにそうだろうと思う」
と答える。
*****
再び教室での通常の授業のシーンに飛び、私は、先程登場した教師にと生徒たちに、
「私はうつ病で、思うに任せない」
と打ち明ける.
*****
シーンは飛ぶ。
図書室に、「○○文庫」という、私の大学学部生時代の心理学の恩師の名を冠した大きな書棚がある。
夢の中の世界では、そういう書棚が登場するシーンはこれまでにもあり、いわば私の夢の中では「常識」となっている。
私は、恩師が実は学界では非常な業績を残した人物だったのだと、今更のように感慨にふける。
・・・・以上。
*****
「高校2年生になってそれまでの優等生から一転して、勉学への意欲を失う」
というのは、私の夢の展開として、非常によくあるパターンである。
これは、中学時代に、実際、1年生の時勉学意欲が旺盛だったのに、2年生になって急速にそれが萎えていったというのと符合する。
ただし、私は教室から抜け出すというようなことはなかった。
「途中でブランクがあるために、今更参入するグループを見いだせず、途方にくれる」
というのは、私が学界で実際に生じていた現象で、その原因が「うつ病」であるのも事実である。
(こう見えても、私は周期的なうつ病持ちであり、それがこのブログの、生産性が高い時期と、休止同然になる時期の繰り返しとも関係している)
実際には、復帰してみても、私はよく覚えてもらっていて、好意的に「久しぶりだね」と挨拶されるのだが、現在、母の介護のこともあり、再びグループに参入して、具体的な活動をしてはない。
・・・今思い出したが、来週には、ZOOMを通して、私が久しぶりに参入したグループのミーティングに参加することになっている。
問題の「いじめ」のシーンだが、持ち物を隠されるといういじめは、結構受けていた。
女生徒の性器を顔に押し付けられそうになるという、ある意味でこの夢のクライマックスは、意味不明だが、私が女性の性器などには平気であること、クリニングスなど何の抵抗もないのは事実である。
女性に関しては「現役」であることは、何度かこのブログでも言及した。
それがなぜ今夢の中に登場したかということになるが、2つ前のエントリーで、フロイト「狼男」症例を久々に読み返したことについて触れたが、狼男症例が、生々しい性描写と関係することの影響が大きいかと思う。
恩師の名を冠した図書館の文庫というのが、夢の中に何回か出てきたことがある展開だとはすでに述べたが、それが高校の図書館にあるというのは時代の転倒ということになる。
私の恩師(学部と大学院、ふたりいる)が、学界でも業績ある人物であったことは事実だが、図書館のひとつの書棚がいっぱいになるほどの著作があるわけではない。
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まあ、こんなところであろうか。
夢の中だから当然とはいえ、「頭がまわらない」のは結構苦しかった。
現実の私は、むしろ生産性を増し、頭の回転が向上しているのは、このブログの現状が示すとおりである。
このアルバムは、Apple Musicを漁っていて偶然めぐりあったものだ。
●Vikingur Olafsson/Debussy – Rameau
このアルバムには一聴して驚かさせた。
絶妙な曲順のもとに、ドビュッシーとラモーの音楽が見事に調和している。
ジャン・フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 - 1764年9月12日)は、バロック時代のフランスの作曲家で、主としてクラヴサン(パープシコード、チェンバロ)曲とオペラで知られる。
私は、ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(Robert Veyron-Lacroix)の演奏で親しんできた。私が非常に頻繁にかけるCDのひとつである。
ラモーのクラヴサン曲で恐らく一番有名なのは、「タンバリン(Tambourin)」ではなかろうか。
Les Sauvagesも著名かな。クラヴサンで聴くと華麗な曲である。
チェンバロというのは、結構ジャラジャラした響きがすると思う。更に2段鍵盤を途中で使い分ければ、音色の変化は一層際立つ。
ところが、オラフソンの手にかかると、Tambourinの方はこうなってしまう:
Les Sauvagesの方は、こう:
ピアノというのは、本来は倍音成分の多い楽器であるが、オラフソンの演奏では、そういう「響き」成分をある意味では押し殺し、電子キーボードに近い、ビュアーで抽象的な音世界にしてしまっている。ある意味では、あっけらかんとした演奏である。
これは、往年のグレン・グールドがバッハに対してとったアプローチとある意味では似ている。
グールドの代表的アルバムである、「インヴェンションとシンフォニア」から紹介する:
しかし、そうした透明感のあるアプローチをした時、ラモーの音楽は、ドビュッシーと、まるで最初からいひとつの組曲であるかのように融合してしまう。
調べてみると、実際、オラフソンは、「グールドの再来」と言われているそうである。
アイスランドの演奏家で、若くして、アイスランドの音楽界で、ピアノに限定されない、指導的な地位にあるという。
ラモーの他に、バッハや、現代音楽のフィリップ・グラスのアルバムとかがあるらしい。これらのアルバムの方は、Apple Musicにはないようだ。
バッハのほう:
グラスのほう:
バロック時代のクラヴサン曲をピアノで弾くということは、スカルラッティとかの場合には、ホロヴィッツのアルバムなと、よく知られたものも少なくないが、ラモーというのはそれよりは珍しいという。
ホロヴィッツのスカルラッティ演奏。
最近の私は、若干買い物をし過ぎの傾向があるし、Apple Misicのメリットは重視したいのでCDまでは買わないが、この、オラフソンというピアニストの動向は、注視して行こうと思う。
まずは、小俣 和一郎著:「精神医学とナチズム ―裁かれるユング、ハイデガー」に関する小レビューからはじめます。
本書におけるユングについての記述は認識が浅いと感じます。
いくらフロイトたちユダヤ人を亡命に追い込んだ後のドイツの「精神療法」の業界が、ナチ公認の「ユング派」に独占せれていたという事実があるにしても、ユング自身はそれと慎重に距離をとっていた可能性は、本書の記述を素直に読み解けば、むしろ見えて来る気がします。
「ユングはナチズムを支持している」というのはすべて外部の人間の発言で、本人の著作にはそうした言及はない。
唯一述べているのは、「アーリア的無意識はユダヤ的無意識よりポテンシャルが高い」ということを述べた論考ですが、これが性欲を強調するフロイト派に対する敵愾心から出た、「不用意な」発言というふうにむしろ読み取れます。
また、この著作の中で紹介された、「ヴォータン」という論考は、恐らく私がどの本かに収録されているのを実際読んだことがあります。
私は、「ドイツ民族の中で長い間眠っていた古代ゲルマン神話の神、ヴォータンが、死火山のように蘇って活動をはじめた」という記述を含むこの論考を、むしろナチズムへの警鐘の意味を込めたものという気がしながら読んだはずです。
更に言えば、ユングの言う「全体性」を「全体主義」と結びつけた小俣氏の論理展開は、そもそも小俣氏がユングのいう「全体性」概念を全然理解していないことを露呈している箇所でもあります。
人間の「自我(Ich)」(意識的自我)というのは「自己(Selbst)」のほんの一側面だけが認識されたものであり、いわば「自己」という太陽のまわりをまわる衛星のようなものに過ぎず、その他の側面は実は心のバランスを取る形で無意識下に「布置(constellation=星座)」されて、全体としては統合的に機能しているというのが、ユングの言う「全体性」の心理学ですから。
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私が思うには、ユングという人は、いったん理解してしまえは、非常に実用的な人間理解になる側面と、衒学的な側面の両方を持っています。
ユング個人がどれだけすぐれた臨床家であったかどうかはわかりませんが、現場臨床家にとって刺激的なパラダイムを提供したことは確かですし。個人的にはフロイト自身の著作より影響を受けたと思っています。
それに、フロイト自身も、この点では似たようなところがあり、自分が提唱した治療原則・・・これは今日に至るまで決定的な影響力を持っている・・・を現場ではいろいろと逸脱した人物であり、有名な症例にも脚色が多いことは、元患者の手記やインタービュー(狼男へのもの。オプフォルツアー「W氏との対話」は私も手短にですがレビューを書いています)などから今日では知られていますし。
非常に専門的になりますが、ネット上には以下のような資料もあります。
●フロイトと狼男(村井翔)
この「その2」の方に、
「神経症患者が、私はこれこれこういう経緯で目下の症状に苦しむようになったのだという病歴=患者の歴史・物語を語れるようになることは、直ちに症状を消滅させることはできないかもしれないが、症状を消し去れるようになるための、決定的なステップなのである。そして病歴=患者の歴史・物語とは、しょせん物語なのだから、真実であるにこしたことはないが、必ずしも真実でなくともよいことになる。」
と村井氏によって書かれていることは興味深い問題だと思います。
「物語化」という意味づけがその人を救済する。
これは多くの対話的心理療法に、流派を問わず(認知行動療法を含む)共通するテーマかと思います。
ここにはもちろん光と影の部分がありまして、新興宗教や占いでも、そうした「意味づけ」と「歴史」を与えられることが、少なくともとりあえずの救済になってしまう面があるわけで。
現在の最先端の現場では、一定の条件下での「ダイアローグ」という対話の過程における回復の可能性(精神病者を含む)というのが一番ホットなテーマです。
社会構成主義的な「ナラティブ」心理療法や「オープン・ダイアローグ」がこれにあたります。
・・・このことをいい出したら、これだけで一つの長大なエントリーが書けてしまいますが。
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なお、調べたところ、ユングの「ヴォータン」という論文は、現在では,
●ユング/現在と未来 (松代 洋一他訳 平凡社ライブラリー)
という本に納められているようです。
私はこの編書で読んだわけではありませんが、書評からみれば私が想定した内容のようですね。
これは安価で中古が出ているようですから、読んで(読み返して)みようと思います。
実は私は小学校低学年から私は小学校低学年から中学頃まで「作曲」を結構していました。
幼稚園時代にヤマハの音楽教室に通っていたので、基礎の基礎というか、素地はあります。
小学校1年生の時点で楽譜は書けました。
当時飼っていたネコを題材とした、「○○○の子守唄」が第1作(早くも伴奏付き)。
音楽は「楽器の演奏」だけ☓でしたが、単にクラシックに詳しいだけではなくて、楽典も十分理解していて、音楽の成績は常にAでした。
歌う方は◎。今は全然声が出なくなりましたが、中学3年までボーイソプラノで、ひとりだけ女子の中に並んでいました。
高校では完全にバリトンになり、実技試験で出たイタリア語の古典歌曲も歌いこなし、九州交響楽団の指揮もした先生に「もういい、君は合格!先は歌わなくていいから」と言われてしまうくらい。
作曲のクオリティは、学年一のピアノの名手よりよほど高く、中学校3年間の学級歌は全部私の作曲。
3年生の時は「混声合唱」に挑み、一部の和音だけ、ピアノを弾く生徒に、コード進行の決まりを守っていないと指摘され、修正を受けた程度です。
毎年生徒が新作を作詞作曲することになっている「卒業の歌」まで、メロディーが悪いと「添削」しました。
徐々にクラシック風のが増えていき、自分でもつまらなくなっていつの間にかやめてしまいましたが、結構ポップス風のものも作り、半音階進行も使い、コード進行に工夫したりましました。
(幾つかの楽器を想定した、伴奏付きのものもあります! 学級歌を入れても全15曲ぐらいですが、自作の「歌詞」は2曲しかありませんwww)。
それをカシオの簡単なキーボードに記憶させて人前で再生したりもしたのですが、これから、いわゆる"DTM(デスクトップミュージック)"で新たに再現して、Youtubeにアップしてしまうことを考えてもいます。
もちろん、当初は、恐らくモノラルのMIDI音源となり、アンビエンスとかはできませんがwww
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購入したのはKORGの小さなキーボード、microKEY-25。2オクターブしかありませんが、どうせ私は両手弾きはできないのでこれで十分。
なお、DTMに使うキーボードは、PCに特にドライバはインストール不要もことが多いようですが、原則として単体では音が出ません。
あとは、PCにフリーソフト、例えば、Music Studio Producerを入れれば、演奏と楽器の音色の選択、五線譜上への作曲と自動再生はできるようです。
●作曲フリーソフトMSPの使い方:前編(Music Studio Producer)
まだキーボードをリアルタイムでたたいてみただけの段階ですが、少なくともKORGの前述の製品の場合は、キータッチも相当良く、ピアノからフォルテの音の強弱や、鋭さから柔らかさまで表現はデフォルト(piano 1)\でも十分可能なのには感動を覚えました。
果たして、何日後に、一曲めをYouTubeのアップできるかは、お楽しみということで。
私は首掛け型イヤフォンであるAnker Soundcore Life NCをすでに愛機としていたが、ノイズキャンセリング機能搭載のBluetooth無線接続密閉型ヘッドフォンであるAnker Soundcore Life Q35も購入し、とりあえずガンガンエージングもかけたので、レボートしよう。
この機種はBluetoothコーデックでハイレゾ規格であるLDACに対応している。ソニー製品以外でLDAC対応はまだ数少ない機種である。
私ははっきりとハイレゾ対応をうたった機器を所有していない(修正:私のandroid、oppoのReno 5AはLDAC対応!! ハイレゾ聴ける!!)。PCへの4USB外付けBluetooth送信機がLDACコーデックに対応しているかどうかはわからなかった。
でも、ソニーのMusic Centerなど、ハイレゾ対応のアプリソフトは容易にインストールできるので、Bluetooth対応のPCでも試してみることはできる。
まず、ハイレゾ音声ファイルではない再生について。
最高でAppleのロスレス規格ということになるが、アコースティックなソースである場合にはSoundcore Life NCと似た音色とも感じるが、デジタル系の、録音がいい音源になると、1万円強という価格が全く信じられないほとの広帯域、高分解能、ハイスピートの、シャキッとした目も醒めるほどの音を出す。
一方、YouTubeのような音源でも、このヘッドフォンの素晴らしさは満喫できると思う。
ただし、その本来の性能の音を聴くためには、長時間の充電と長時間の使用(40時間持つとされる)をかなり繰り返す必要があることは注意しておきたい。
【第3版で追記】:Gogle Play ストアあるいはAppleストアで"soundcore"と打ち込むとアプリがインストール可能となり、ID登録を終えれば、製品別アプリがダウンロードできる。それを使えば、ファームウエアのアップデート、ノイズキャンセリングの切り替え、そして、周波数特性をいじれるイコライザーの操作が可能となる。実はこのアプリのインストールが前提での音作りのようだ。このアプリをインストールしないままだと、ひどく眠くて鈍い音にしか聴こえないので要注意。イコライザーは全くいじらず、標準のままでいいと思う。
なお、このアプリによる設定は、ヘッドフォン内部のファームウェアの方に記憶されていて、Bluetoothでペアリングする機器を、例えばパソコンに代えてもそのまま維持されます。
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私は生粋のハイレゾ機器は、店頭でしか視聴したことはないし、高いお金を払って専用機を買うつもりもない。ハイレゾ音源のダウンロードも単価が高いし。
そうした限られた経験からしか言えないのだが、ハイレゾは確かに高域の周波数特性が上に伸びているし、分解能もいいので、聴感上の上限が天井知らずになるように聴こえ、例えばハイパットのシンバルのような金属的な音の再現は実に素晴らしいと思う。
だが、このヘッドフォンは、ロスレス規格であっても、そうしたハイレゾに劣らない再生と私には感じられる。相川七瀬の音源など、ふさわしい例かもしれない。
このヘッドフォン、ステレオミニプラグ端子の有線接続にも対応している。Bluetooth無線接続よりこの有線接続のほうが音がいいと感じる人もあるかもしれない。これは好みでもあると思うので比較してみて欲しい。
パソコンからのBluetooth接続の場合は、パソコン側はコーデックがaptXであるから規格上上限は20kHzまでである。ところがこのヘッドフォンの周波数特性は、40kHzまで伸びているのであり、これはスマホとのペアリング接続、および、PCのRealtek High Definition Audioの設定をスタジオ音質にまでアップサンプリングして有線接続した場合に、ロスレスファイル止まりでも、ハイレゾ「的」な音質を擬似的に体験できることとなる。実際、これらの接続の場合の方が、音は天井知らずの空気感を持つ。
ただ、あまりに透明すぎると感じる人もあるかもしれない。透明さと繊細さが両立するのは、PCからのアップサンプリングで有線接続した場合に分がある気がする。ほんの少しだけアナログ風味があるからかもしれない。
【追記】:この製品については、新たのもうひとつレビューを書いているので、そちらも参照して欲しい。
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さて、今の所私のダウンロードしている.flac規格のハイレゾ音源は、シューマンの「楽園とペリ」と、ウマ娘の「うまぴょい伝説」のみである(^^;)
「うまぴょい伝説」をバカにしてはならない。何十人もの声優が横にガーッと並び、しかも非常にハイスピードなサウンドである。そもそもあのラップをあの高速で口づさめるのは声優さんの専売特許の技巧であろう。これをクリアーな分解能で聴き分けられるかは相当過酷な再生環境だと思う。
この「うまひょい伝説」で比較しただけだが、ハイレゾ音源ファイルのPCからのスタジオ録音設定での有線接続は、ほんとうのハイレゾ再生であり、透明なたけではなく、同時に細やかなようにも思う。
私もメロディーの部分だけなら、思わず本来のスピードより速く唄えるとことまで体内時計が馴致されたが・・・(年甲斐もないが、現在のハイスピード音楽の代表というべき「前前前世」や「うっせぇわ」ももうカラオケで唄えると思う。ひとりで延々と練習した)
この装置で聴いても、たっぷりとした音の広がリの中に、確かに20名以上は声優たちが並んでいるのが細やかに実に美しくかつシャープに聴こえて、これはなかなか壮観、じゃない、「壮聴」である。これはAKB/坂道系には全くない、正真正銘ごまかしなしの「大人数」グループ歌唱の録音である。ちなみにこの音源は4625bpsです。
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さて、ここからはオマケの話。
果たして、ハイレゾではないロスレスどまりの音楽ファイルで、一番過激なのは何か?
意外に思われるかもしれないが、HKT48のアルバムというのが、実は音の情報量がむやみと高い、ハードなソースであり、私の2万曲のコレクションの中で第1位は「メロンジュース」(1184bps)である。
あの、一見(一聴)単純に感じられる音楽が、実は物凄い音ソース。
下のYouTube動画の音では全然伝わりませんが。
2番目は何かというと、クリアーに鳴らすのが極めて困難ですが、欅坂46の「不協和音」(1164bps)です。これはもっともだと思う人が多いかな?
個人的には、このCDが、私の所有している、1000枚のCDの中で、聴感上最も高度な音源である。でも大抵の人は適切な装置で「本来の音」として体験したことがないと思う。
下のYouTube音源はそこそこ健闘していると思います。
椎名林檎も過酷なソースで、鳴らすのたいへんです。"Σ"が「不協和音」と同率2位の1164bps。
実際に私のiTunesの曲別bpsの上位の一覧を画像キャプチャしたお示しする。オーディオテスト用の音源以外の上位をご覧いただきたい。
【追記】:oppoでmoraから「うっせぇわ」.flacファイルを500円以上払ってダウンロードしてみましたが、通常のCD規格の場合よりはよいが、それほど劇的な差異はない。録音自体そんなに高品質ではないのだと思う。
「うまぴょい」.flacをPCで聴いた時の感動はないなあ。わざわざお金払って払うほどじゃない。
もうわざわざハイレゾ音源買わない。Apple Musicの聴き放題のロスレスを聴いている方がよほど面白い。
今度はビートルズより少しマニアックにいきます。
リック・ウェイクマン(Rick Wakeman)はキーボード奏者。プログレッシブ・ロックバンド「Yes」に所属し、名声を博しますが、脱退、ソロ活動に入ります。
アナログ・シンセサイザー究極の使い手と言われ、5台ほどのキーボードを自分の周りに配置してそれぞれを片手で同時に演奏するという離れ業で知られました。
何か、この人の音楽世界って、ロックではなくなって、完全に独自ワールドになってしまっていて、時としてほとんど誇大妄想的な世界観すら感じるのですが、面白いアーティストだと思います。
「アーサー王と円卓の騎士の伝説(The Myths and Legends of King Arthur and the Knights of the Round Table)」というアルバムに至っては、大オーケストラ音楽と化し、実際に南米のオケが独自のアルバムを出していたりして、私はそちらも所有しています。
その前のアルバム、「ヘンリー8世と6人の妻(The Six Wives of Henry VIII)」の方が、むしろ緻密でバロック風とも言えるキーボードの織りなす綾が美しい一枚。一般向きはこちらでしょうか。
・・・これ、上の動画をたどっていくと、全曲聴けます。
「リストマニア」という作品(もともとは映画)、これは、ロマン派の作曲家、フランツ・リストをロックスターに見立てた、それこそ大言壮語な作品(ケン・ラッセル監督)なんですが、意外や意外、サントラ聴くと、すごく清澄な音楽と思えてきます。
これ、今、映画の方はDVDが北米盤しか出てなくて、リージョンの問題があって再生できないのが残念。
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今、ケン・ラッセル監督のことにも触れましたが、音楽映画の鬼才と言われるこの人のデジタル媒体化は遅れていますが、幸い、「マーラー」はブルーレイで安価に手に手に入ります。
エキセントリックなところもありますが、本格的なマーラー映画として十分楽しめますので、オススメです。
私の好きな、交響曲第6番がテーマソングのような映画だもんね。
この映画で使われている、交響曲第6番は、ハイティンク指揮/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ものですが、今は、シカゴ交響楽団との3回目の新しい録音のみしか入手できないみたいなので、そちらをリンク:
YouTube動画はというと、ハイティンク指揮は今度は2回目のベルリン・フィルとのものになってしまうけど、まあいいや。
オーソドックスな秀演ですね。私は満足しました。
・・・・と思っていたら、何とYouTubeで、ケン・ラッセルの「マーラー」、全編タダで観れてしまう。
いいのかいな。
誕生日記念で何をやろうかと思ったのですが、一番安直に豪華にできるものにしました。
おいでの方は、読み込みにたいへんでしょうが、お許しください。
私は、小学校6年生の時に"Let It Be"ですから、「わずかに遅れた世代」です。
以下、すべてのアルバムを網羅したわけでもないし、ホントに全制作1時間前後ですから、いい加減なコンテンツかも知れません。
全部記憶だけで書いてますから、間違いがあればどうかご指摘ください。
なお、YouTube動画は、原則として、The Beatlesさんのチャンネルのものを使っています。
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■Please Please Me
ビートルズの最初のアルバム。
●Please Please Me
●Love Me Do
ビートルズのデビュー曲ですが、シングル版とアルバム版ではドラマーが違います。
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■I Want To Hold Your Hand(抱きしめたい)
確か"Past Masters 1"にのみ収録で、アルバム曲ではなかったのではないかな?
アイドル時代の代表曲でしょうね。ドイツ語バージョンもあります。、
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■A Hard Day's Night
同名の映画でも著名。映画としても傑作の誉れ高い。
まだアイドル性が強かった頃ですが、曲としては大胆なものが増えてきていると思います。
●A Hard Day's Night
●Can't Buy Me Love
この曲も発表当時はラディカルでしたでしょうね。
*****
■Help!
●Help!
急迫した和声的にも大胆な開始部。
●Ticket to Ride
カーペンターズがスローにしたカバー(「涙の乗車券」)でも著名。
●Yesterday
恐らく世界で一番有名な歌。
なのに、楽節構造の不規則さと、コード進行のめくるめく展開でも著名です。
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■Rubber Soul
私が2枚めに買ったアルバムで、妙に思い入れがあります。このアルバムの頃はヴォーカルが片方のチャンネルからしか出てなくて、試行錯誤の段階ですね。
●Norwegian Wood (This Bird Has Flown)
●Michelle
●In My Life
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■Revolver
私が3枚めに買ったアルバム。このアルバムにはサイケな香りがするとよく言われます。すでにアルバム全体に、後の「サージェント・ペパーズ・・・」を予感させるコンセプト性が出ているように思えます。
●Eleanor Rigby
急迫した曲想と、凝ったアレンジの名曲ですね。
●Yellow Submarine
同名のアニメ映画の動画を引っ張ってきました。日本では「イエロー・サブマリン音頭」でも有名になりましたね。
●Here, There And Everywhere
癒やし感があって、私の非常に好きな曲のひとつです。
*****
■Hey Jude
アルバムに入っておらず、シングルのみで、今では"Past Masters 2"で聴くことになりますが、時系列は確認していませんが、このへんに放り込んでおきます。
EPレコード限界の8分にも及ぶ大曲ですが、ロンドン・オリンピックでもボールが弾き語りしましたね。
*****
■Magical Mystery Tour
映画としてはひとりよがりな作品とも言われていますが、佳曲があります。
●The Fool On the Hill
●Hello,GoodBye
実は私の一番好きなビートルズの曲だったりします。チューリップの名曲、「心の旅」にモロに影響を与えていると思いますが。
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■以下の2曲は、確か表裏のEPとして発売されたもので、ビートルズの曲の中でも一番凝った作りのものと言われます。特に前者の和声進行の大胆さ。テープの切り貼りをしまくって作ったこともよく知られています。
●Strawberry Fields Forever
●Penny Lane
*****
■Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
「コンセプト・アルバム」というジャンルを確立した歴史的一枚。だから一曲ずつ切り離しては持ち味が出ません。全部通して聴いてくださいというしかありません。
物凄い多重録音で作られていますが、結果的には、非常に艶がある響きがしている気がします。
●Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
●Lucy In the Sky With Diamonds
●When I'm Sixty-Four
楽しい歌詞の曲ですね。
●Good Morning Good Morning
かなり過激だな。
●A Day In The Life
前衛音楽だぜい。
*****
■The Beatles(ホワイト・アルバム)
この2枚組のアルバムの時点でポールとジョンの対立がひどくなり、全体としては散漫な印象もあり、私も滅多なことでは聴かないのですが、次の3曲はあげておきますね。
●Back In The U.S.S.R.
●Ob-La-Di, Ob-La-Da
●Blackbird
*****
■Abbey Road
ビートルズの最高傑作と言われるアルバムで、確かに、凝集力が凄いと思います。B面が完全にメドレーとなっているのも革命でした。ここではB面の方の曲は紹介しませんが。
●Come Together
●Something
●Here Comes the Sun
*****
■Let It Be
私は同タイトルの映画のTV放映からビートルズに入門しています。
私がビートルズのアルバムで最初に買ったアルバム。
すでにビートルズがぶっ壊れてからのアルバムで、密度は低いと言われていますし、実際そうだと思いますが、忘れがたい曲があるのも当然で。
●Across the Universe
●Let It Be
●The Long and Winding Road
●Don't Let Me Down
アルバムには入っていないんだけど、"Get Back Session"で録ったものではなかったか?
映画"Let It Be"の「ルーフトップ・コンサート」のシーンに入っています。おかげで、"Past Masters 2"が出てなかった頃、「この曲はどうしたの?」と怪訝に思ったものです。
●Get Back
ブログを再開したのが今年(2021年)の3月26日だから、まだ5ヶ月ぐらいであるが、ほぼ毎日更新できてきた。
カウンセラーのブログにしては心理関係が最近は少ない。
私のカウンセリング論は、「若きカウンセラーに向けて」カテゴリーですでにかなり言い尽くしていて、繰り返しても意味がないと思っている。
新たに専門書を読んでレビューすればいいのだろうが、私の収入からすれば、心理や精神医学の専門書はともかく高いのが多いのでなかなか手が出せない。
そこで、ともかくできるだけ毎日映像作品を観るという課題を自分に課してきて、そのエントリーを書いた直後にはアクセスがそこそこ増える。でもそのことによって常連さんが増えるというわけでもない。
そもそも、エントリーの再開のきっかけは、ゲーム「ウマ娘」のおかげなのだが、ウマ娘関係のエントリーを載せるとアクセス数が落ちるという悪循環をかかえている。
先日書いた「攻略法」のエントリーなんて、シンプルで、役に立つという自負はありますが・・・
もうひとつの柱は、オーディオサイトであるということ。昔はともかく、現在は決して高いものには手を出さないが、高級品を使っている人も忘れがちな基礎の基礎についていろいろコツを書いているという自負はあります。
お金をほとんどかけないで、あなたのパソコンシステムの音を劇的に変える方法満載のつもりですから、お気軽に読んでください。
今日のエントリーは何の動画で締めようかと思いましたが、夏も終わりましたことですし(まだ暑いですが)、追憶として、すでにエントリーでレビューを書き、高評価しましたが、シャフト制作の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のテーマソング、DAOKO × 米津玄師の『打上花火』がなかなかの名曲だと思いますので、再度、アニメの名場面を連ねた動画を埋め込みたいと思います。
これからも、「カウンセラーchitoseの雑記帳」、どうかいっそうご贔屓のほどを。
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