父親が家に帰還する夢
しつこく夢の話。
著作を3冊出す今の私にとっては、自分を律していくのには、夢という「無意識の世界」という「他者」からのメッセージを大事にすることは、何より精神衛生上大事なことのようだ、
*****
母親と父親が外出している。
私も家に帰ろうとしている。
お宮の鳥(家から400メートルぐらい、子猫の夢に出て来たのと同じ天満宮のお宮さん)の鳥居のあたりで、通りかかる人全員に丸い綿菓子のようなもの(柄はない。薄いビニール袋に入っている)が2個ずつ配っている。
私は、自分は貰わなくてもいいと思い、よけて通ろうとする。
すると、町内会のおばさんと思しき人から、
「あれは全員がもらうしきたりなの。それをもらわないなんて、あなたのお父さんとお母さんの教育はどうなっているの?」
という叱責の言葉がかかる。
私がそのあとその綿菓子を家に帰ったかどうかは夢の中では定かではない。夢の展開からすれば、家に自分の分は持って帰ったように思う。
家に戻ってしばらくすると、父と母がいっしょに帰ってくる。ふたりの手にも綿菓子状のものは持って帰られていた。
父は何か私に向かって始めた(指示を出してきた)ようであったが、その具体的内容は夢から覚めたら覚えていない。
父は3週間ぐらい入院していたようにも思えた。
私は父が帰ってくると知ってはいたが、いよいよとなるとそれを面倒な、重石のように感じている。
ここまで。
短い夢である。
===============
夢フォーカシングを始めるぞ。
起きた瞬間に感じたのは、
「ああ、父はもうとっくに死んでいるじゃないか、父が死ぬ前は確かに『こんなふうな』重圧を自分は感じていたな」
と、父が生きていた頃の「居心地」のようなものを今更のように思い出す。
ぼっとすると同時に、父がいないせいで不自由感からは解放されて、自分が思うがままに決断して動けているのだが、「監視の目が行き届かなくなって、私が危険な暴走を始めても歯止めというものが効かないのだな」という思いである。
確かに、父のような、ある意味で干渉的な「まなざし」を一方で自分で自分に向け続けるのも大事なことのように思われた。
ある意味で世間体を気にしながらも、リアリストで、自分からの冒険をしなかった父。
でも、父親も結構無計画な散財家だったことが父の死後、随分明らかになったっけ。
それはその後の私に似ている。私にとって最後の散財は、本が売れて、印税を得る以前の問題として、読者が私のカウンセリングを受けに来る数が増えて、生活が安定することだ。それまでは辛抱が必要だ。
こうした「辛抱」に関しては、父親だけでは済まされない、自力で獲得できなばならないことだ。
「夢の続き」はどうなっただろう。
以前の私なら父親に隠れて好きなようにやりその後でしくじった後で父親が介入していた。
今の私なら、当初から自分のやりたいことを打ち明けいろいろ批判されながらも、きちんと話し合って、両者納得ずくでことを進めたのではなかろうか。
それは「今からでも遅くはない」のである。父のような慎重さと世間体への配慮、仕事熱心さも自分なりに手本にして、「ここで父ならどうするか」を確認しながらでもいいのではないか。
父に「なってみる」と?
・・・結構「私」のことを善意で心配している。・・・そして、父親は父親なりの生活パターンを、私のことは気にし過ぎずに、守り通すであろう。そういう、いい意味での個人主義性は確かにあっていいことである。
母親は? ・・・結局父と私に思いのままについて行くだけかな。全状況を把握できないまま、亡き父=今の私にすべてを委ねっぱなしだろう。
*****
さて、順序が逆になるが、お宮さんでの「通過儀礼」としての丸くて白いふわふわした綿あめ状のものを最初私はもらわずに通り過ぎてしまおうとしていた私について。
私はいつも「このような」面がある、当然の「通過儀礼」だと周囲がしきたりとしているものを「通り抜けないで」先にすすむところ。
これが周囲に人に疎んじられ、ムラ社会からよく思われてはいまいこと。
「もらわないなんて、あなたのお父様とお母さまの教育はどうなっているのかしら」
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。
でも、そうやって素通りできるからこその今の私なんだけどね。
私は「関門」を「正面突破」しようとしたのではない。脇に広い「抜け道」があったから活用しようとしたまでだ。
もちろん、お宮さんでの「神聖なもの」を受け取ることを「回避」していることそのものは、いずれ私にその分の「対価」となる災いをもたらす可能性があるので、注意すべきことだろうとは思う。
夢の中ではお宮さんの綿菓子だが、それはカトリックのミサでの聖体拝領のパン(ビスケット)のようにも思われてきた。
なんという不信仰なものだとうか!!
最後に、綿菓子に「なってみる」。
「・・・おれ、おいしんだぜ。食ってくれよ」
・・・・わかったわかった。
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