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2019年7月

2019年7月27日 (土)

「きまぐれ☆オレンジロード」についての夢ばかりみた。

今朝の夢は「きまくれ☆オレンジロート」漬け。

私の部屋中が「きまオレ」のポスターだらけ。私は出版社でこの作品についての本を書打ち合わせを深夜の高円寺で何やらしている。

私は八王子(以前私が住んでいた)にある公営マンションの7階・・・なぜか窓ガラスは割れまくっている木造の異様にぼろいマンションでに残した老母のもとに帰り、早く食事を作ってあげないと焦って、中央線の電車に乗ろうとしている。

******

アニメシリーズ、放映当時は、原作以上に気取ったリア充的作品のように演出され、鮎川まどかにサクソフォーンは吹かせるシーンは子供が怖がるとかなんとかの理由で、シリーズ後半はお子様向け方向に路線変更され、私は角が取れてしまい、刺激に乏しく感じていた。

望月智充監督による劇場版「あの日にかえりたい」に至っては、恭介とまどか、ひかるの三角関係の解消の物語を、「現実にあり得るように」辛辣に描き過ぎて、原作者のまつもと泉先生ですら、「まどかはひかるをあんな傷つけるような終わらせ方にはしなかった」と批判する始末。

私はひかるちゃんの図太さを、「よくやった!!」と賞賛するスタンスで「アニメージュ」や「OUT」に投稿していましたが。

現在では「きまオレ」の評価自体が相当高くて、今の連中も鑑識眼あるじゃん!と思っています。

現在で言えばひかるはストーカーもどきにまで行き着いています。私は望月監督自身に「危険な情事」からの影響の可能性を書き送ったら、実際にお目にかかる機会がありました。

●Filmarks:「あの日にかえりたい」レビュー

 ↓ このDVDはフランス盤ですので、リージョンが異なります。普通のDVDプレイヤーでは再生できませんので念のため(再生できた場合、日本語対応します)。賛否両論のレビューだけでも読んでみてください。これ以外の方法で観てみたい方は・・・、手はありますので、鋭意努力して下さい(^^)

 

2019年7月19日 (金)

山本さんの追及の仕方は凄い

去年の西日本豪雨のあとですが。 こういう追い込み方ができるのはすごいですね。

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エリオット S.ヴァレンスタイン著「 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構」(2)

前回の続きである。

たいへん読みやすい本なので、残りの3分の2を2時間あまりで一気読みできてしまった。

前にも書いたが「通史」として読むと頭の整理がつくが、実は私にとって目新しいことは何も書いてないに等しいのである。

内容は、精神疾患におけ神経伝達物質仮説がとこまで信頼でき、どこからが曖昧かという方向に進みます。具体的に言えば、統合失調症のドーパミン・セロトニン仮説と躁うつ病におぇるセロトニン・ノルアドレナリン仮説です。

実はこれらの仮説に基づいて作られた薬は60%ぐらいの人にしか効かないことが提起されます。

そして、原因が脳の「機能的」変化だけではなくて「器質的」特性に期起源をもったり、実際に「器質的変化」が環境因や薬そのものによって引き起こされる可能性について(海馬の萎縮とか)。

DSM(アメリカ精神医学会診断基準)の成立過程で、精神分析などの力動心理学と薬物療法を中心とする精神科医がどう折り合って来たのかとか、その「政治的」側面も。

大規模精神病院への長期入院の経済的コストを軽減する目的での薬物療法の推進。

製薬会社のプロモーションにどれだけ精神科医が依存しているか、一般大衆が感化されているか。

学会のスポンサーとしての製薬会社の影響力の強さ。(私自身てんかんと自閉症についての国際学会でしたが、実際出てみてどれだけ製薬会社のバックアップが大きいかに驚きました)

心理療法と薬物療法、両陣営の間での確執。特にアメリカでの保険適用における薬物療法の優位性の問題について。

心理朗報に関しては、ロジャーズのことも出て来ますし、認知行動療法や行動療法、対人関係療法の効果についても出て来ます。

そうそう、ADHDとリタリンのことも出てきますよ。

いずれにしても、筆者のスタンスは、決して薬物療法批判ではなくて、中立的な見地からその限界について問題提起しようとしているものです。

訳者も進めているけど、臨床心理士さんも読んで得るものがあると思います。

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九州芸工大の学生になる夢

しつこく夢の話。

私は九州芸術工科大学の学部に入学したことになっている。

そしてどういうわけか芸工大に心理学コースがあることになっている。

そこでは私にとってはすくし物足りないほどに平易な講義や課題がなされている。

私は、"It rains"と同じような構文で表現できる可能性のある構文の例探しがなかなかでいないのに苦悶している。私の語学力はしょせんその程度かと。

同級生に男女二人のクラスメートがあり、いろいろ話し合っている。

「九大と統合されて、もともとの九州工科大学の生徒はそ学力のギャップに苦しんでいる」という噂が流れている。

:*****

こんな程度の短い夢である。

 

夢フォーカシング。

九州芸工大は偏差値が高い大学で、私のいた西南学院高校からは、同学年ひとり現役合格しただけだった、当時の九大とどのくらい偏差値に差があったかは寡聞にして知らないが、私の同学年からは結局ひとりも九大への現役合格者は出ず。一狼で合格した人がひとりいたくらいである。

私の当時の学力からすれば、芸工大には1浪してもとても無理だったろうと思う。

講義もレポートも、とても私にとって平易なものではなかったろう。それが夢の中ではちょっと物足りない水準のものになっている。

夢の中に出出てくる二人の男女は、私の少し後輩にあたるが実際には九大の心理学系大学院を出て、現在大学で要職についているが、私に敬意を今も払ってくれているし、私もふたりの研究業績には一目置いていて、学会とかではフロアからいつも好意的なコメントをしてきた。

私は学部を法政文学部哲学科→立教大学院心理学専攻博士前期課程→東京大学大学院研究生(博士後期課後期課程相当)と何とも無茶なステップアップを分不相応にできたものなのだが、これはフォーカシングの領域で故・村瀬孝雄先生に評価され、英語力などからだけではとても及ばないところを、先生の東大への転出に伴い引き上げて行ってもらえたから可能になったこと(これゆえに旧帝大系の九州大学の前述の2人の院生と出会う機会を持てた)に過ぎない。

実際には教育調査統計については法政の夜学で学ぼうとしたものの、相関係数のところですでに行き詰まり、因子分析とかを自分で使うことなど全然足元にも及ばなかったか、幸い他の人の発表でそれらを使われても何とか理解できる下地にはなっている。

ちなみに私が立教大学院に合格するためには行動主義から認知心理学とか社会心理学まで独学で「原文で」読めるところまで何とか2狼して村瀬先生以外の実験系の教授たちをねじ伏せて乗り越えて可能になったものだ。

そのため、その後いくつかの大学で非常勤講師として教養課程の心理学の非常勤講師を務めさせていただいたが、我ながら「凝った」、踏み込んだ内容のものを私なりにかみ砕いて講義することはてきたと思う。立教に当時の大学院に入るためには帰属理論(Attibute Theory)についてまでかなり踏み込んだ理解ができていないと入れなかったから、教養の心理学でも、平然とそのへんまで教えていた。

自分なりに私の中学から高校当たりの成績は、得意不得意の差が異様に激しかったが(若干学習障害の気はあったかと思う)、親が自分の成績が良い科目(国語と世界史はダントツ)について全然褒めてくれない、そもそも私の成績に無関心で私の進路にもあまりに不干渉なゆえに私自身が「勉強すること」の意義についてあそこまで悩み苦しまなければもっと成績は取れたであろうアンダー・アチーパーだったとは思う。

東大大学院の講義や実習などでも、理解できなくて苦しむとかなくて、生粋の東大出身者を「頭の回転だけは優秀だな」というくらいにみていたから。

******

・・・何か自慢話的なものが長くなったが、夢の中で"It rains"的な構文の応用を探していて苦悶するというのは、恐らく、フォーカシングの領域で「雨ーが降る」という構文で言う「それ」が主語になる構文が「私は・・・と感じる」という構文における、日本語での「腹ーがー痛い」などという構文の「腹」の主語化の問題と関連している。

これはフロイトがいう"Es""(それ)いうものの"Ich"(私)とのの問題とも関連しているのだが、結局はフォーカシングにおけるフェルトセンスの、「私」についての主語と目的語についての問題に結びついている。

すなわち、フォーカシングにおいては、「私」がどう感じるかではなく「フェルトセンス(「その」感じ)が」どう感じているかについて「私は」どう感じるか、ということが肝心なのである。

・・・・何か、書いていて、これだけでは読者に独り言を書いている気がしてきたが、これらの問題については「入門・フォーカシング」と「カウンセラーこういちろうの雑記帳」では実に平易に解説していることなのでご心配なく、読んでみてください。

京都アニメーション放火事件

亡くなられた方々に謹んでお悔やみ申し上げます。

京都アニメーションは質の高い作品をたくさん出し、不安定て低給料と言われるアニメ業界の中で福利厚生もしっかりした会社です。

犯人は過去コンビニ強盗などの前科があり、今回は「作品に自分のアイデアをパクれらた」などと主張していたようです。通院していたという話もあります。

まだ情報が少ないので軽率な判断は慎むべきでしょうが、「思い込みが激しく」、「被害妄想」の傾向はあるでしょうが、「責任能力」はありそうだと思います。

●京都アニメーション公式サイト

なお、現段階でのこの会社への直接の援助の支援の申し込みは避け、作品を買おうという声がTwitter界では広まっています。海外ではクラウドファンディングの動きがすでに広がっています。

れいわ新選組山本太郎福島演説ノーカット

反論者にじっくり発言権を与えるデモクラシー。

 

2019年7月18日 (木)

北海道での安倍首相演説時にヤジで警察官によって排除された件についての政府答弁

「詳細は警察に問い合わせろ」で逃げて、原則論だけで逃げるなよ。

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れいわ新選組山本太郎、ネコのような生き方を説く

ネコのように周囲に余計な気遣いなどせず、気ままに生きる権利が欲しいものです。生きる「価値」とか「生産性」で人をはからないでいられる社会。

こちらからどうぞ。

 

安倍総理「お父さんは恋人を誘って、お母さんは昔の恋人を探し出して、選挙に行きましょう」・・・どこが「家族の絆が大事」やねん。

「夫婦そろって」「恋人一緒に」「近誘い合わせの上」「友達と一緒に」「おひとりさまでも」ならわかる。

こちらからどうぞ。

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れいわ新選組の提起する政策は決してポピュリズムではない。各党の中でMMTのいいところを取り入れた一番妥当な政策と思えてきた。

2019年7月17日 (水)

おしゃれな補聴器に子供が「かわいい!」と反応した話。

他の方のTLですが思わすほっこりしたのでまとめさせていただきました。

こちらからどうぞ。

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2019年7月16日 (火)

oppoというスマホメーカーは凄い

私は個人用と仕事用でスマホ自体を使い分けてきた(個人用の電話番号はみだりに教えたくないので)。

そのうち個人用はnifmoの富士通のにしてきたのだが、充電の消耗が至って早かった。そのくせ市販の充電器を受け付けないのであった。

そして、今度はついにガラス板が外れてしまった。そこでsimそのままで機種交換。

oppoという聞いたことのないメーカーのものだったが、値段の割にデザインがよさそうだったのと、電池が長持ちをうたい文句にしていたので、AX7という機種にした。

これは完全に期待以上だった。

これまで私用にiPhone 6 Plusを使っていたのだが、これと優らずに劣らないのた。

CPUはiPhoneに負ける筈だが使い勝手の上では結構サクサク動く。そして電池の方は宣伝どうり凄い長持ち、3日はイケる。

「欅のキセキ」という軽めのゲームを入れたが、若干反応は鈍いかもしれない程度だ。

iSyincというソフトを入れたらiTunesとも同期できる。

ただし、ツインレンズにも関わらず、カメラは「芸術的な」iPhoneに負けるかもしれないし、手ブレにも弱いかもしれない。

いずれにしても、下手な高価格Andoroid機種を超える高性能で、コストパフォーマズは実にいいといえるのではないか。

実売で何と2万円以下の場合もあるのである。

oppoというメーカーは日本では上陸したばかりのようだが中国のメーカー。中国ではシェア第1位、世界士シェアすでに第4位だそうだ。

Twitter上でフォロアーしてくれている人からの情報によると、ウインブルドンでは客席はoppoだらけだそうだ。

おススメである。

2019年7月15日 (月)

対人援助職の人は、「使命感」から仕事に励んでいるのはよくない・・・という大逆説

これも「カウンセラーこういちろうの雑記帳」で少し触れたことなのですが、今の私なりの言葉で拡大敷衍しましょう。

 

・・・これは心理カウンセラーも同じことですね。

「使命感」で薄給に耐えて仕事してませんか?

親や配偶者の給料をあてにしないと生活できていないのではないですか?

自分の仕事に「専門職」としてもっと「プライド」を持ってもいいのではないですか?

中井久夫先生が、確か「軽症境界例について」という論考で述べています:

「なぜ精神科医をしているのかと患者に尋ねられたら、『ただ日々の糧を得るため』と答えられるべきである」

究極の大逆説です。

「使命感」から仕事をすると、クライエントさんを必要以上に「退行」させ、自分で自分なりに問題に取り組もうという意志をむしろ阻害してしまいます。

そうやって「期待」させておいて、救世主のように称えられ、依存させていると思っていたら、何かのはずみで「期待」に応えれなくて、今度は憎しみを生む。「陽性転移」から「陰性転移」への逆転なんてそんなものじゃないですか?

いわゆる「境界例人格障害」は、もちろん成育歴(親の隠れた虐待なども含みます)や、生まれ持った生理的・神経学的要因もあるでしょうが、歴代精神科医や歴代カウンセラーによって、いっそう「こじらせられた」状態かもしれないと思います。

*****

やりがいに「見合う」だけの報酬が得られるのなら、真のプライドが持てるはずです。

クライエントさんにしても、特にうつ病圏の人は、「使命感で」仕事をしようという呪縛にとらわれている気がします。

人に認められようするために仕事しようとするのは「不健全」です。

「自分のための」人生です。

仕事以外のパーソナルな世界のために「投資」できるくらいの余裕が持ててこその人生です。

・・・それができないのなら、それこそ選挙で、対人援助職の雇用の安定と賃金の増加に少しでも貢献してくれそうな候補に投票して、主権者としての権利を行使するとか、国会議員に請願するとかしたほうがいいかと思います。

これ、批判を覚悟で書いておきますね。

2019年7月14日 (日)

エリオット S.ヴァレンスタイン著「 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構」(1)

やっとこちらで書いた予告の約束を果たせる時が来た。

この著作は、少なくとも精神科で使われる薬の処方について最低限の入門的知識とそれに関わるとされる神経伝達物質仮説についてのこれまた入門的知識(統合失調症、躁うつ病、うつ病、不安神経症だけでいい)を持っている人にとっては、非常に興味深く、かつ実に読みやすい本だと思う。

それこそ、最初の統合失調症薬がクロルプロマジンやハロペリドールであり、躁うつ病の最初の薬がリーマス(炭酸リチウム)であることを知っていればいいというレヴェルである。

訳もいいのだと思うが、恐らく原文そのものがいたって読みやすいものなのではなかろうか。

 本書の前半は、そうした薬が、ほとんど偶然に発見され、素朴なまでの臨床適用が実験的に進められ、普及するまでの歴史についての、実にわかりやすい通史となっている。

そして、精神医学的症状が、脳内の神経伝達物質のバランスである、という今日主流となっている仮説となる経緯についも、実に見通しがいい解説がなされている。

そして、黎明期の製薬会社の宣伝の在り方についても。

これらの内容は、私にとっては何ら新奇なものではなく、少なくとも断片のつなぎあわせとしてはたいてい知っていた事柄だが、こうやって「通史」として読めるとなると、実にいい頭の整理となる。

筆者は長年精神科薬物の脳化学的機序についての研究に取り組んできた人であり、単純に薬物療法を否定するために書いているわけではないことは言い添えておきたい。

中盤以降を読むのが楽しみである。

続きはこちら

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カウンセラーは、自分の中に生じる「違和感」とうまくつきあえねばならない

またもや10月末刊行の「カウンセラーこういちろうの雑記帳」のネタばらしですが、今回はその本・・・15年ぐらい前に当ブログで書いたことをまとめたもの・・・・を、今の私なりの表現で、書き改めてみましょう。

カウンセラーは、クライエントさんの話を、気持ちに寄り添うように「受容的・共感的」に聴いていくわけですが、これって、クライエントさんの身になるほどにカウンセラーの中に共感が増していくプロセスになるとは限らないんですよね。

もとより、話を更にじっくりと聴いていく中で、受容できる「接点」が見つかることも少なくないし、時には「それってどういうことなの?」などという誘い水がいいきっかけになることはあります。

しかし、特にフォーカシングを学んだカウンセラーというのは、ひとつ「厄介な(?)」問題を背おいこむことになります。

その場にいて生じる、「言葉にならない漠然とした『違和感』」にも敏感になるのですね。

これが、クライエントさんを「受容・共感」しようという姿勢と葛藤を起こしやすくもさせるのです。

この「違和感」にカウンセラーがいかに自分の中で対峙できるかが重要となってきます。ある意味では、その「違和感」をあっさり「自己受容」できる方が望ましい。そうでないと、カウンセラーは、ロジャーズの言う「自己と経験の不一致」を抱え込むことになり、これはまわりまわって言葉の調子や非言語的にクライエントにも伝染して、今度はクライエントさんの方が自分がほんとうに感じていることはなく、カウンセラーの歓心を買うことばかりを話す傾向を生み出す可能性があります。

このことを回避するためには、カウンセラーは自分の中の違和感をむしろ大事にして、認めてあげる(アン・ワイザーのいう"acknowledging")のがいいと思います。

そうすると、クライエントさんにもっと話してほしいと誘い水をかけるポイントとかがつかめるようになります。

この際、「あなたの言うことがわからない」などということでは言うまでもありません。「自分が違和感を感じるのは、もっと大事なことを聴けていないか、共有できていないからだ」という姿勢で臨むことが大事です。

さらに言えば、この違和感を、「関係の中で」更に積極的に活用することも可能です。

例えば、

「このクライエントさんに、私は今『いらいら』させられている。でも、今クライエントさんは、日常の中で、相手を『こういうふうに』いらいらさせる形でしかコミュニケーションとれないでいるのかもしれない」

・・・とか。

これだけで、カウンセラー自身の中に、クライエントさんに対する同情心と「いたわり」の気持ちを持つ心の余裕が生じます。

私の場合、こうした時に「それは、家族とか上司とか恋人と繰り返し感じてきたものではないですか?」などと「解釈」めいたことは決してしません。

実は上記のような仮定を立てて接するだけでも、どいうわけか、クライエントさんはいつの間にか、それまで話してこなった、カウンセラーにとっても共感しやすいエピソードとかに、本人にも自覚すらないうちに、語りだしたりするものなんです。

これを私は「空気伝染」と呼んでいます。

*****

まあ、この先の更に進んだ取り組み方のレヴェルもあるのですが、そのへんは本を買って読んで下さい(^^)

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人は生きているだけで価値がある存在である

れいわ新選組の山本太郎代表の政権放送。

埋め込みでは表示できないので、もう一つ先までクリックしてください。

「人は生きているだけで価値がある存在である」

この言葉だけで重いと思います。

比例区は「山本太郎」で行こうかなー

この政見放送でも説明されていますが、比例区は「れいわ」と書かなくても、「山本太郎」でいいんですよ。

2019年7月13日 (土)

中島みゆきの「エレーン」「異国」

やっぱり「カウンセラーこういちろうの雑記帳」のネタばらし少ししておきましょうか。

みゆきのアルバム、「生きていてもいいですか」に入っている「エレーン」と「異国」という対になった2曲について。

私の今度出版する本では、著作権許諾の上でこの2曲の歌詞を引用しつつ論じた章があります。

これら2曲の背景に、みゆき自身が体験した、ヘレンという名の外国人娼婦との逸話があることは、知ってい折る人は知っているけど、知らない人は知らないのではなかろうか?

このエピソードについては以下のみゆきの本に述べられている:

みゆきの曲の中でももっとも暗い曲に部類するかもしれませんが、これほど深い「共感」と「悼み」の曲は珍しいかもしれません。

いや、私がこの歌を題材にしたのは、この曲が「カウンセラーにありがちな浅薄な『共感』」など吹き飛ばす曲だという観点からのものでした。

 ●中島みゆきさんの「エレーン」という曲( 鮎沢郁弥の夏のカケラ)

 

 

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"responsibility"とは"response-ability"

"responsibility"とは"response-ability"すわち「応答能力」のことだと思う。

”accountability”と近いだろう。

「それは違うと思う」「それは私にはできない」でもいいと思うし、最低限「読んだよ」でもいいと思う。

TwitterやFacebookのレスには「いいね!」ボタンという便利なものがある。

私はresponse-ability"を果たしてくれない「沈黙」が大の苦手であり、耐え難い苦痛であり。孤独である。

批判されでこき下ろされる方がナンボカマシで、耐えられるし、感謝も信頼もできる。

これは少なくとも欧米社会ではまず見られない事柄ではなかろうか。

 「沈黙」されると、いちいち相手の気持ちを察して、「何かマズイことでも言ったかな」「場の空気を読めないでいるのかな」とか自責的におろおろしなけらばならなくなる。

大学院時代、そうやって私の発言に沈黙をもって応えられてばかりの時に、先輩に「つらい」と相談したら、「あなたの発言にみな圧倒されているのだよ」と言ってもらえて、随分救われたことがある。

「カウンセラこういちろうの雑記帳」より引用:

 人は、相手が自分のことを「理解していない」とか、「冷たい、拒否的な態度を取られる」ことには、実は結構耐えられるのではないかと思う。

一見「受容的」態度の結果、「自分が自分でいられなくなること」にこそ、人は絶望するのではないか。

ある意味で、その人を、より深く自己理解しようという方向へ導けるのは、その人自身だけであるし、それは、その人の「権利」ではあっても「義務」ではない。
その、『権利』を行使するための単なるお手伝い、それがカウンセリングではないか。

 

2019年7月12日 (金)

3冊順次刊行は、私の心身に相当な負担になっているようだ。

「入門・フォーカシング」、「セーラームーンの精神分析」に引き続て、「カウンこういちろうの雑記帳」についても初校を終え、出版社に送り出してしまったのが一昨日である。もう後には引き返させない。

このことは、私の心身に相当な反動を生じさせているようで、本日も寝られる時間は寝てばかりいた。

いろいろ夢を観たが、細部は忘れてしまったし、覚えている部分も、ネット上の私の知り合いとの関係に踏み込んだ内容なので、今回は紹介を遠慮させていただくことにしたい。

いずれにしても、本を出すって、多かれ少なかれ、自分の内面をさらけ出すものだかrら、そのことへのプレッシャーって、そうとう覚悟せねばならないことだよ・・・とは皆さんに伝えたい。

 

2019年7月10日 (水)

普通の人々

正直言って一回見ただけでは機微がわからかった。

精神科医のカウンセラーが出てくるのに、私は失格かなア。

中古で安く買ったものなので、またの機会に見直してみようかと思う。

 

ちーちゃんは悠久の向こう

やっと書くという約束を果たせる。

なぜこの作品と巡り合ったのかはもう忘れた。たまたまネットサーフィンしていて出食わしたのは確かだが。

私はが「ちーちゃん」という名前に過剰反応したのは確かだ。

「セーラームーン」の前作品であった「きんぎょ注意報」に出てくるお嬢様キャラ、藤ノ宮千歳のあだ名が「ちーちゃん」である。

私はこのキャラについて「アニメージュ」の読者投稿欄におちょくる投稿を何回かした。

そして私のハンドルネームの"chitose"というのも、一応故郷久留米を流れる筑後川の別称、「千歳川」からとったことにしているが、実は「きんぎょ注意報」の藤ノ宮「千歳」も意識している。

・・・・まあ、この小説と、これを原作とする映画とは全く無関係のことだが。

*****

この作品は日日日(あきら・・・と読む。「晶」に置き換えて「日」3つに崩して表記したもの。1986年生まれ)という人が、まだ高校生時代に書いた2005年の作品であり、新風舎文庫大賞を受賞している。これを原作とする映画は2008年。以下では映画について述べる。

ちーちゃんとは怪談が好きな「千草」という女の子。幼馴染のもんちゃん(久野)に布団の中で怪談をして怖がらせていた。

その二人は高校一年生になり、クラスメート。

もんちゃんは弓道部に、ちーちゃんはオカルト研究会に所属するようになる。

オカルト研究会には林田という女生徒がおり、一年留年したのを引きこもりだとかうつ病だったと噂されていたが、実は脳梗塞のリハビリだった。

ちーちゃんともんちゃんは毎日屋上でちーちゃん作った弁当を食べるのを習慣としている。

二人は、「学校の七不思議」と呼ばれる場所を探検するが、何も起こらない。

ところが、もんちゃんは、弓道部の先輩の武藤と微妙な関係になる。それに嫉妬するちーちゃん。

ある日、林田は再び脳梗塞を起こして死んでしまう。「人は死んだらどこに行くのだろう・・・」とつぶやくちーちゃん。

すったもんだのあげく、ちーちゃんは見てはならないものをみてしまう。それは・・・

ここからどんでん返しがはじまり、感動のラストへと向かうのだが、それはオフレコね。

****

ちなみにちーちゃんは若き日の仲里依紗が演じている。

彼女は前年公開のアニメ版「時をかける少女」(細田守監督)の声のヒロイン役でもあるが、何とエンディングが・・・聴いて一声でわかったが、「時かけ」と同じ奥華子である。

非常にピュアーな青春映画であり、ストーリーメイクも達人である。これが同年代の高校生が書いたものとは信じがたい(アマゾンレビューによれば「原作と違う」という指摘もあるが、おおむね好評である)。中高生世代には必見だろう。

2019年7月 9日 (火)

私って見栄っ張りなんだね。

それこそ私自身がネガティブ・シフトに昨日から苦しんでおり、その果てにやっとホントにシフトして、見えてきたこと。

このことに気づくために、いったい、何年、いや、20年ぐらいはかかったことだろう。

これですべてが説明がつく。

ただ、ひとつだけ言えることは、私はこのことに気づくだけの健全な自我を持ち、ひとりフォーカシング能力がむやみに高いことだ。

この観点からすれば、私が、全然見栄を張っていない、全く等身大で書いたのは、3冊のうち「入門・フォーカシング」だろう。

ただし、私には共感能力はあるし、自分より優れているものへの識別眼はあるし、そいう秀でた人に敬意を払う力はある。

*****

ここからは公然たるひとりごと:

でも、ひとを騙せる見栄なら、ま、それも意味があるし、能力の一部かな。

こうなったら立派に見栄を張り通そう。

フォーカシングにおける「ネガティブ・シフト」と「セッション後の『反動』」の問題

これはフォーカシング関係者は誰も言わないみたいなので書いておこう。

果たして、フェルトシフト(気づき)は、ポジティブな体験として統合さればかりなのだろうか?

自分の様々な行き詰まりの原因、うまく行かなさの見取り図が「見通せる」ようになってしまい、むしろ一気に落ち込んでしまうような経験になる場合もあるのではなかろうか?

我々の日常の中での洞察は、得てしてそのようなものではなかろうか?

特に、日常の中で、こうした「ネガティブ」シフトを、「自分だけで」耐え、支えることはかなり難しい場合がありそうな気がする。

これは、トレーナー(リスナー)との良い関係性の中では生じにくいものではあるが、注意を要する問題だと思う。

特にうつ状態なる人、あるいは鬱の補償作用によって軽躁状態にある人においてはそうなのではなかろうか。

*****

あるいは、セッションの場の中では素晴らしいシフト体験が持てても、「日常」に戻ると、その「反動」であるようにして、一気に非現実感や、落ち込みに見舞われるこのもある気がする。

これは、安定した指導者のもとで体験を重ねる中で、ジグザク運動を経ながら、バランスよく統合されていくことが多いとは思うが。

こうした問題は、生粋の「壺イメージ療法」では生じにくい気がする。

2019年7月 7日 (日)

参議院選挙福岡選挙区野田くによし候補演説会ノーカット

久留米市宮ノ陣町にある久留米ビジネスプラザアルカディアホール。

「頑張ろー!」のコールもやりましたし、ひとりひとり握手していくのにも加わりました。 

動員は成功していて、中規模ホール一杯、200人は聴衆がいたと思います。

久留米の中心から少し離れた、しかしマンションやいろいろな病院や地域施設、工場や研究所が最近増えている宮ノ陣町、宮の陣駅から歩いてに15分ぐらい。(と言っても私の住む櫛原駅らから筑後川を渡って一駅)

宮の陣というのは、南北朝動乱で懐良親王が陣を置いたことが由来。

親王が血染め太刀を洗ったという大刀洗町も近くです。

大抵の人が自家用車で来ていました。

これでの私後援会活動は一応終わりかな?

変なことは何一つ言い出さない、平凡といえば平凡ですが、地域に根を張ってきた、実務型政治家という印象です。

 

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父親が家に帰還する夢

しつこく夢の話。

著作を3冊出す今の私にとっては、自分を律していくのには、夢という「無意識の世界」という「他者」からのメッセージを大事にすることは、何より精神衛生上大事なことのようだ、

*****

母親と父親が外出している。

私も家に帰ろうとしている。

お宮の鳥(家から400メートルぐらい、子猫の夢に出て来たのと同じ天満宮のお宮さん)の鳥居のあたりで、通りかかる人全員に丸い綿菓子のようなもの(柄はない。薄いビニール袋に入っている)が2個ずつ配っている。

私は、自分は貰わなくてもいいと思い、よけて通ろうとする。

すると、町内会のおばさんと思しき人から、

「あれは全員がもらうしきたりなの。それをもらわないなんて、あなたのお父さんとお母さんの教育はどうなっているの?」

という叱責の言葉がかかる。

私がそのあとその綿菓子を家に帰ったかどうかは夢の中では定かではない。夢の展開からすれば、家に自分の分は持って帰ったように思う。

家に戻ってしばらくすると、父と母がいっしょに帰ってくる。ふたりの手にも綿菓子状のものは持って帰られていた。

父は何か私に向かって始めた(指示を出してきた)ようであったが、その具体的内容は夢から覚めたら覚えていない。

父は3週間ぐらい入院していたようにも思えた。

私は父が帰ってくると知ってはいたが、いよいよとなるとそれを面倒な、重石のように感じている。

ここまで。

短い夢である。

===============

夢フォーカシングを始めるぞ。

起きた瞬間に感じたのは、

「ああ、父はもうとっくに死んでいるじゃないか、父が死ぬ前は確かに『こんなふうな』重圧を自分は感じていたな」

と、父が生きていた頃の「居心地」のようなものを今更のように思い出す。

ぼっとすると同時に、父がいないせいで不自由感からは解放されて、自分が思うがままに決断して動けているのだが、「監視の目が行き届かなくなって、私が危険な暴走を始めても歯止めというものが効かないのだな」という思いである。

確かに、父のような、ある意味で干渉的な「まなざし」を一方で自分で自分に向け続けるのも大事なことのように思われた。

ある意味で世間体を気にしながらも、リアリストで、自分からの冒険をしなかった父。

でも、父親も結構無計画な散財家だったことが父の死後、随分明らかになったっけ。

それはその後の私に似ている。私にとって最後の散財は、本が売れて、印税を得る以前の問題として、読者が私のカウンセリングを受けに来る数が増えて、生活が安定することだ。それまでは辛抱が必要だ。

こうした「辛抱」に関しては、父親だけでは済まされない、自力で獲得できなばならないことだ。

「夢の続き」はどうなっただろう。

以前の私なら父親に隠れて好きなようにやりその後でしくじった後で父親が介入していた。

今の私なら、当初から自分のやりたいことを打ち明けいろいろ批判されながらも、きちんと話し合って、両者納得ずくでことを進めたのではなかろうか。

それは「今からでも遅くはない」のである。父のような慎重さと世間体への配慮、仕事熱心さも自分なりに手本にして、「ここで父ならどうするか」を確認しながらでもいいのではないか。

父に「なってみる」と?

・・・結構「私」のことを善意で心配している。・・・そして、父親は父親なりの生活パターンを、私のことは気にし過ぎずに、守り通すであろう。そういう、いい意味での個人主義性は確かにあっていいことである。

母親は? ・・・結局父と私に思いのままについて行くだけかな。全状況を把握できないまま、亡き父=今の私にすべてを委ねっぱなしだろう。

*****

さて、順序が逆になるが、お宮さんでの「通過儀礼」としての丸くて白いふわふわした綿あめ状のものを最初私はもらわずに通り過ぎてしまおうとしていた私について。

私はいつも「このような」面がある、当然の「通過儀礼」だと周囲がしきたりとしているものを「通り抜けないで」先にすすむところ。

これが周囲に人に疎んじられ、ムラ社会からよく思われてはいまいこと。

「もらわないなんて、あなたのお父様とお母さまの教育はどうなっているのかしら」

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ。

でも、そうやって素通りできるからこその今の私なんだけどね。

私は「関門」を「正面突破」しようとしたのではない。脇に広い「抜け道」があったから活用しようとしたまでだ。

もちろん、お宮さんでの「神聖なもの」を受け取ることを「回避」していることそのものは、いずれ私にその分の「対価」となる災いをもたらす可能性があるので、注意すべきことだろうとは思う。

夢の中ではお宮さんの綿菓子だが、それはカトリックのミサでの聖体拝領のパン(ビスケット)のようにも思われてきた。

なんという不信仰なものだとうか!!

最後に、綿菓子に「なってみる」。

「・・・おれ、おいしんだぜ。食ってくれよ」

・・・・わかったわかった。

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エヴァブームの頃の庵野さんのテレクラ

あまりにも面白いから上げてしまおう。

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高いビルの工事現場の足場の上に出て恐怖を感じる夢

またもや私のみた夢の話にお付き合いください。

******

私は大学学部か大学院生である。

私は知り合いの大学生、あるいは大学院生(女性。私は彼女に片思いしているようだ)自分の書いた資料を渡そうとして、相手を探している。

相手のいる場所の目算はついた。

しかしそこに辿り着くには、高いビルの外側に張り出した工事中の足場を通るのがいいことに気がつく。

その足場は、鉄パイプを組み上げた上に木製の板を約1.5メートルぐらい「張り出させた」ものである。柵はない。

私は、通れると思いその上に乗って歩こうとするのだが、数歩先は地上までの「奈落」であることに気がつき、しりごみしてしまう。

足場はしっかりしたもので、下さえ見なければ渡れそうなのはわかっている。

何度も試みようとして、板の手元の方にまで出てみるのだが、下の方が見えてしまいそうなところまで出るのに躊躇して、結局伝え歩きでそうなのにそれ以上一歩を踏み出せない。

結局私はビル内に戻り、大食堂とも大会議室ともとれる広い空間へと行く。

そこには正方形の大きな机が整列して置かれ、それぞれの机ごとにまわりに椅子が数個置かれ、学生たちがその周りに座っていろんな討議をしながら「プロジェクト」を進めている。

そうした机は本来予約制になっており、その終了時間はあと1時間のようだ。

私は空いている大テーブル(2つしかない)に座って作業を進めようとするが、そこを「占有」することに躊躇を感じている。

ここで場所は一転する。

大きなダークグレーの壁や床で囲まれた抽象の高い閉じられた広い空間。ただしその空間は多面体のようで、垂直の角がない。

その真ん中に衛星放送の映るデジタルテレビが置かれている。画面が映っているのだが、非常に粒子が荒い、電波の弱いところのアナログテレビ並み。私は「衛星放送ってこんなに粒子が荒かったっけ?」と怪訝な気分になる。

「マクロス7」の第一話の放映が始まる。

最初の方は私が知っている通りにストーリーが進む。

ところが途中から私の知らないシーンの展開が始まる。

私は、「こういう展開なのを覚えていなかたのか?」という気分になる。

・・・ここで目が覚める。

*****

さて、夢フォーカシングをこれを書きながらライブで進めよう。

書いたレポートを好意を持っている大学院生に読ませたがっている・・・実際の私は当時、片っ端から周囲の女の院生に求愛して、振られてばかりであった。

レポートの内容によって相手に評価してもらおうとしていたようだが、今思い返せば、こんなのは求愛になってない。恋愛と学術的評価なんて別の次元のもの。

夢の中で求愛の相手になっているのは私がこれまで求愛してきたのとは別の、知らない女性のようだ。非常にアニマ臭いが、私が今度の本の魅力によって、院生でなくてもいいから、誰か私に好意を抱いてくれ、懇(ねんご)ろな関係にならないかという「下衆な」期待をしている面があることも確かしれない(^^;)

高い足場の上の綱渡り・・・似た場所は? 

一つは私が勤務していた法政大学多摩キャンパスの面接室の窓から見た光景。

外壁を使った「綱渡り的」移動・・・下さえ見なければ実は安全にできるはず・・・これは、私がやろうとしている3冊連続刊行という「博打」のことだろう。

「無意識的には不安と恐怖にかられている」が、実際には「歩き通せる」・・・成果は目に見えているはず・・・ということの暗示か?

*****

「大会議室の大きな机の並んだ、みんなが討議している空間」・・・私が羨望を感じている、周囲の同業者の在り方だ。私は「予約なしで」、残された2つのテーブルのどちらかをひとりで占有しようとしているがそのことに躊躇している・・・これは現実とは異なる。今度の松江の日本フォーカシング協会の「集い」では、私は、今度出す「入門・フォーカシング」を教科書にする「出店」を早々に申し込み、受理されている(「予約」している)。ひとりぼっちで「テーブルを占有しようとしてる」のは確かだが。

******

さて、厄介なのは「マクロス7」である。

ダークグレイの抽象度の高い多面体の角のない部屋というのは、「電脳子宮空間」の暗示だと思う。

「粒子が荒いハイビジョンデジタルテレビ」という矛盾。これは古い私のネット上の論考を「今の舞台」に載せようとしている私のありようと一致する。

たとえ敵味方が退却しても、無伴奏でも、「俺の歌を聴け~!!!」という熱気バサラのありようはあり方は私そのもの。

「途中から私の知らない展開になる」というのは、著作を刊行した後に生じる展開が、まさに「予想外の」、しかも結構しょぼい展開になる(少なくともそうなりはしないかと恐れている)・・・ということの暗示かもしれない。

更に言えば、6月30日に地上波で全国放映されたらしい、「君の名は。」を観そこなったことへの後悔とも関連するだろう。

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2019年7月 6日 (土)

「素直」と"Let it Go"の違い

「素直」というと、「人の言うことに従う」というニュアンスがあり、「自分を見失う」不安を引き起こしかねないと思う。

かといって「あるがままに(as it is)」というと、何か仏教の境地みたいで、何か違う。

「アナと雪の女王」に出てくる"Let it Go"なのだ。「なるようになるさ」

これはビートルズの"Let it be"とも近いが、"Let it be"は状況をさすのに対して、"Let it Go"は感情をさすようだ。

「アナと雪の女王」はミュージカルでもあるし、心理分析のネタとしても興味深いのだが、いつになったらこのネタ、書けるだろう?

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2019年7月 5日 (金)

現状での私のブログの人気記事(第2版)

11月に刊行される「カウンセラーこういちろうの雑記帳」のコンテンツの元になったエントリーは「紙の本」が売れなくなるので改めて紹介したりリンクを貼ったりしない」とこちらの方で書きました。

しかし、これを機会に、それ以外のエントリーの中から、その時その時に流されず、常時結構読まれているエントリーを幾つか紹介してみましょう。

●故郷を求めて -NHKスペシャル:「虐待カウンセリング 柳美里 500日の記録」-

このエントリーはトップページより読まれ続けていてダントツのランキング1位保持、当面その牙城は崩れないと思っています。恐らく検索サイトで上位が固定しているのだと思います。

このエントリーは、NHKで放送された、作家の柳美里さんの、家庭での息子への凄まじい暴力について、彼女への臨床心理士のカウンセリングの中で生じていくプロセスを克明に追ったドキュメントリーについてのものです。

ここでは具体的には書きませんが、彼女の内面での気づきの過程が生々しく追われています。そして、彼女は意を決して、父母の祖国である韓国を、臨床心理士を同伴して(!)訪問し、父親にこれまで聞けなかった問いを次々と問いかけるのですが、この返答がシビアです。しかし父親の心情の一角を理解する糸口ぐらいはなくもなく、まだ問題未解決ですが、将来に希望を残す終り方になっています。

虐待の世代間連鎖の問題についての秀逸なドキュメンタリーと言えますが、私はこのエントリーを書くにあたって、ビデオの録画から書き起こしたのではなく、メモを頼りに「再現」したのです。

数なくとも数年前の私の記憶力は半端ではなかったようですね。

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壺イメージ療法とフォーカシング

このエントリーは、田嶌誠一先生創案の「壺イメージ療法」について、その「原法」、つまり田嶌先生のオリジナルそのものを「正確に」、順を追って解説している、ネット唯一のリソースのようです。

このオリジナルは、田嶌先生のワークショップで、いろいろ質問しながら確認したものです。

私にとって、この技法はカウンセリングの現場での完全な「普段使い」です。

この技法と、フォーカシングのclearing a spaceが似ているようで実は違う・・・という詳細な比較論にもなっています。

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●周囲の人は双極性障害2型の人の「気遣い」にどれだけ助けられているかに気がつかない・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第2回)

このエントリーは、精神科医の内海健先生の著書、「うつ病新時代 -双極性II,型という病-」(ただし初版。現在は改訂版が出ています)についての詳細な紹介に、更に私がブランデンブルクの「自明性の喪失」、ミンコフスキーの「精神分裂病―分裂性性格者及び精神分裂病者の精神病理学」まで引っ張り出して解説したエントリーです。

 初版では薬物療法については記載がありませんが、双極性II障害型障害においては、三環系、四環系、SSRIなどの「抗うつ薬」はむしろ症状を悪化させる可能性が高く、抗てんかん剤系の気分スタピライザー(例えばデパケンとラミクタールの飲み合わせ)が適切であることは付記しておいていいでしょう。

他の人気エントリーについては、このエントリー内で随時追加していくつもりです。

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それにしても、私の昔のエントリーは、長大で詳細なのが多いとつくづく思う。

今はこんなに長大なのはブログ上では書けなくなっている。

昔の私はここまでエネルギーがあって、執着的でたったのだと思います。

例えば、今回の3冊連投が成功して、「もっと別の、新しい本を書きませんか?」

という誘いが来て「カウンセラーこういちろうの雑記帳2」だとか、他の新しめのアニメについての論考を委嘱されても、現状では書く自信はない。

まあ、最近のアニメについて、経費で落としてくれるのなら、ブルーレイとかを丁寧に観てから、アンソロジー的にまとめるなどは、時間さえもらえればできるかもしれないが、例えば「新海誠論」なんて書く自信がない。「転るピングドラム」などの幾原邦彦作品なら、丁寧に観る時間さえもらえれは、書けそうな気もするが。あと、今更であるが、「まどマギ」論とかも、丁寧に見直せば、「セーラームーンの精神分析」の応用として、書けるかな。

実は一番書けそうなのは、僭越ながら、私の半生をつづった「自伝」です。

父親も結構ドラマチックな人生を歩んでいるし、私自身相当な登り下りのある、それなりに「スキャンダラス」な人生を歩んできたので、どこかからか「スキャンダル」を公表される前に、自分から明かしてしまおうかとか思っています。

この本は、「殉愛」とか出してる幻冬舎向きかな?

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2019/7/4 参議院選挙初日、野田くによし候補(立憲民主党)久留米での出発式

福岡地方区の野田くによし候補は八女市長を4期務め、衆議院議員一期、参議院一期。久留米は八女の隣りである。

演説は今度は最初ビデオがOFFになっていたことに気が付かず、前半が撮れなかった。途中で動画撮影を止めて写真を撮ったが、今度はどういうわけかファイルが壊れていたのが多かった。

この候補は、「消費税増税反対」とはっきり2回口にした。

Img_0361

ここで触れられている問題については、

●「アベノミクス以降の実質賃金は、リーマン・ショック期並みに落ちていたという事実(中原圭介)

が役に立ちました。

安倍首相がこだわるのは「名目賃金」がプラスに転じたという点へのこだわりです。昨晩のNHKニュース7での首相の主張もあくまでも『名目賃金』についてのものです。

『実質賃金』のことではないのですね。

「福岡市での」応援演説での蓮舫さんの勘違いとは正反対に、野田候補の第一次産業のことを重視する演説は地元柄だが、今度は久留米が県内3位の30万都市であることに少し似合わないかな・・・

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2019年7月 4日 (木)

制服姿の森昌子に歌を披露してもらう夢

今日も若干うつ気味だった。

うつと疲労感の違いが私にはわかる。

どうもここしばらく、ある種の神経伝達物質を偏った消耗の仕方をしていたように思う。

*******

また夢を見た。

今日もそのことについて書こうかと思う。

*******

夢の中でも、私は母校の西南学院高校の生徒である。

この高校は、私が通っていた当時は男子校で、地元の名門校、公立修猷館高校に不合格になった、スぺり止め組の、比較的頭のいい生徒がいる一方、ガラの悪い留年する生徒も一部いる男子高校だった。私も久留米の名門校、明善高校を不合格になってのすべり止めだった。(現在は男女共学で、結構進学校のようだ)。

私は教室で、教師から現代国語のレポートを褒められている(実際には世界史の先生だった人から。実際の私は世界史と古典が得意だった)。

しかし私は内心褒められすぎと感じていた。

夢の中でも、私はまもなく3冊の本を出すことになっているが、そのうちの一冊に途中で行き詰り、未完成のまま編集部に回したことになっていた。

先生の前ではそのことは語らないが、先生は結局そのレポートを私から回収して持って行ってしまう。

そのあと、私はクラスメートの男女数名(ヤンキーが多かった気がする)にその事実を明かし、いろいろな話をする(内容は忘れた)。

そのうちに放課後は遅い時間となり、窓から夕陽が差し込むようになる。

私は学校を後にしようとするが、カバン、体操服入れ、そしてどういうわけか鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋、都合3つを持って帰らねばならないことに気が付き、それじゃ難渋なので一袋だけ教室の個人ごとの棚(扉はついていない)に置いて帰ろうかと思う。

そうすると、さっきの男子生徒の一人から、

「持って帰らないと明日までに他の生徒に持ち逃げされるから」

とアドバイスを受ける(その人の面影はよく知っている。結構仲のいい生徒会仲間だった。「ヤマト」を私に教えてくれたのも彼)。

学校の校舎を出る頃は、すでに日が暮れている。

階段を下りていると、女子生徒たちが、

「今度ここも共学やめるってさ、それじゃおつきあいもできなくなるよね」

という話をしている。

階段を降りきる前に、階段下に、制服姿の森昌子はいる。

私に向かって、

「先日はお父様に琴の会場のことで随分お世話になりました」

と挨拶してきて、それから一曲歌い出す。

その歌は知らない歌で、平易で魅力的なメロディであった。

・・・・ここで目が覚める。

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さて、夢フォーカシング

私の夢の中で、あまり柄の良さそうではない連中の吹き溜まりのような私立共学校の生徒となっているのは「定番」である。

現実の私は、すでに述べたように、西南大学への推薦入学も多いが、上の大学に進学できる奴らもいて、その一方で結構不良も多い高校の出身者である。

生徒会副会長でもあった私は、結構そういう生徒たちに、時にはいじられながらも結構話が通じる相手として一目置かれてもいたように思う。

ただ,私のように、早慶でもない、東京の他の六大学クラスに進学するものは稀であった。

私は学部→博士前期→大学院研究生と進むうちに、さらに一気にレベルアップできたのだが、実際の私よりも分不相応な道を歩めたのではないかという「正体を見破られはしまいか」という不安にさいなまれていた。

そういう私の「影」となり、無意識的に「補償」する方向で、ガラの悪そうな共学校が出てくるのだろうとは常々感じていた。

ところが、今回ははっきりと「西南学院高校」である。夢の中では、私が通っていた当時よりはグレたのが多いみたいだけど。共学校なのは違うが、これまでの夢のパターンよりは現実に近い「等身大」である。

このことは今の私はそんなに無理をしないでいることの証しかもしれない。

******

夢の中で「今度3冊の本を出すことになっている」のは現実と同じである。実は「途中で行き詰った未完成の部分を残したまま原稿を編集部に回していて、焦っている」というのは、思い返してみれば、私の夢の定番である。

しかし、今回の三冊については、完成度が高いと思っている。

ただし、前著のエヴァ本を再刊してくれた幻冬舎(心理学に疎い編集担当者だった)は、その本が前の出版社から発売されていたのと「まったく同じ」仕様になるように印刷屋と掛け合うなど尽力してくれたが、欲を言えば若干「機械的な」編集・出版作業だったと思う。

これに対して、鳥影社編集部は、私の著作を「理解」「共感」して、評価をしてくれるのはいいが、ちょっと「褒められすぎ」と感じているところもある。(これが夢の中の現代国語のレポートについて、「褒められすぎ」と感じたことにもつながるかも)

三冊目、すなわち「カウンセラーこういちろうの雑器帳」は、ちょうどこれから初校に入るが、少し省略したい個所はある。でも、夢の中とは異なり、完成には特に困ってはいない。

ただ、3冊の中で編集部から一番評価してもらっているにも関わらず、ちょっと「背伸び」した、私にとっての「理想像」を、さも私が日ごろ実現できているかのように書いた部分もある、ええかっこしいだという点に若干の罪意識はある。むしろ必要以上に「完成度が高すぎる」ように見せかけている気もするのだ。

そういう思いは、特に一冊目、「入門・フォーカシング」にはない。完全に私が現実にやっていること身の丈「そのまんま」だという自負があるから。

「セーラームーンの精神分析」も、オタク論としては若干古いかもしれないが、20数年前の私が目一杯の全力投球で書いた密度の高い論考であり(「エヴァンゲリオンの深層心理」なんてこの論考に比べれば愚作である)、悔いはない。

*******

さて、夢の中のクラスメートとの本をめぐってのおしゃべり(その中には批判もあったと思う)は、実際にこれらの本を「一人だけ」の孤独の中で書き上げ、誰かからのアドバイスなしであったことへの願望の表れだろう。批判でもいいから聞きたかったのだが。

*******

「どういうわけか、鍋、フライパンその他、金属製の食器類が入った大きな袋」というのは、老いた母のために最近冷凍食品にばかり頼らずに若干料理もしているのだが、「もっと自分で作れ」という無意識からの声かも知れない。

*******

さて、問題の森昌子である。

私は彼女より一歳年下だから、デビュー最初から、そして桜田淳子、山口百恵と共に「花の中三トリオ」と呼ばれた当時から注目していたし、中学時代の、まだ演歌っぽくない彼女の歌にも馴染でいるし、彼女が制服姿(実際にはそういう姿で歌ったことはないと記憶するが)というのも得心がいく。

歌の歌詞は、目が覚める瞬間までは覚えていたが、忘れてしまったのは残念だが、ともかく平易な歌だったと思う。

一つ思い出すのは、私が最近「オペラ座の怪人」にはまったこととの関連である。あえて言えばクリスティーヌの歌う"Think of Me"に似ている素朴な曲かもしれない。

「制服」という面にこじつければ、ここしばらく欅坂46に結構ハマっていることとも関係するか?

彼女が私のアニマだとすると理解しやすいし(実はカラオケ好きだ)、もっと「檜舞台」で「表現」したい自分がいることも確かだろう。

*****

さて、最後に、なぜ森昌子は私の亡き父に感謝するのだろうか? 父は、琴の世話をしたことはないが、母親や関係者の日本舞踊には過剰なまでの世話焼きであったし、知り合いの保育園へのいろいろな、お節介に近い援助とか、いろいろな人たちに感謝されていた。

私ももっと他人のために「おせっかい」スレスレのお手伝いをしたり、地域のために貢献するようにということなのだろうか?

2019年7月 2日 (火)

子猫を鳥かごに入れて放置する夢

最近少し「飛ばし過ぎた」反動なのか、この2日間は疲労を感じ、若干うつ状態に陥って、過眠状態に陥っていたように思う。

そうした中で、さっきまで見ていた夢。

私は家で飼っていたと思しき子猫を鳥籠に入れて近所のお宮さんのあたりに放置してきてしまう。

しかしどうしてもそのことが気になってしまう。

私は籠の中にキャベツを入れておいたのだが、ネコにとってキャベツが餌として禁忌(ということになっている)であり、死なせてしまうのではないかと気になって様子を見に行く。

幸い、子猫は生きていたが、やはり子猫のえさは別のものがないかとか、そもそも子猫を鳥籠から出してあげないとならいのではないかと、気が気ではない。

シーンは突然飛ぶ。

(すでに亡くなった)父の税理士事務所のパソコン(結構高性能)が旧型になったので最新型に変えるべきだと思い、ちょっとお金がかるのを覚悟で注文してしまう。その場所には見知らぬ大人の40代ぐらいの男性が立ち会っている。

・・・そんな夢である。

******

私は夢フォーカシングすることにした。

私自身は、どうみてもネコ型だと思う、先日みた「キャッツ」にも容易に感情移入できたしね。

「鳥籠に入った子猫」・・・明らかに私自身であろう。私は新たに改修した自分の部屋を持っている。新たな私はまだ「産声を上げた」ばかり。

子供の頃、自分の家で、生まれたばかりの子猫をもて遊んでいるうちに、ほとんど虐待となり、それが原因で死なせてしまったのではないかと時々思い出しては後悔している自分がいることも思い出す。

私は最近「自分自身を虐待」しているのか?・・・まあ、少し背伸びして、「自分をいじめて」いることは確かかな。

本当の私はまだ「鳥籠の中に」いる? 。。。そうかもしれない。実際にはまだ世間知らずなのかもしれない。

でも、「鳥鍵」であって「壺」とかの密閉容器ではない。窒息する危険はないし、「世間」に開かれてはいるようだ。

子猫に対して「致死性の」食べ物を与えて放置している不安・・・ちょっといろいろなものに手を付けすぎて、「消化不良」になっているかな。商売っ気丸出しになっているし。

でも子猫は生き続けている。

「子猫」ときいて、遠くにいる息子たちのことも思いだす、実は夢の中で鳥籠にいれて放置していた子猫は二組の籠で、一匹ずつ入れていたような気がする。でも二人は実際には16歳と18歳になっている。もう子ネコではない。

そういえば、昨日部屋をあさっている中で、小さい頃の2人の写真が発掘され、母とともに懐かしく見ていったっけ。

子猫を放置したのが「お宮さん」だっというのも大事だろう。本当に歩いてしばらくのところに「櫛原天満宮」があり、私はそこに子猫・・・自分自身を置いたままにしているのだがそこは「神聖な」場所でもあるのだ。しかも「天満宮」であるから「学問の神様」でもある。

子猫に「なってみる」と、確かに「閉塞感」はあるし、自分ではそこから抜け出せない。でも「もうひとりの私」という「心配している存在」をあてにすることはできる。

*****

父親の事務所・・・実際に昔父親が私が子供のころ開業していた部屋そのものを私は今度自分の居場所にすることにした。

ただし、私のパソコンは2台とも、Pentium5iと7iのもので、メモリも32G積んでいる、せいぜい1年未満のものだ。ゲームもバリバリできそうな、オーバースペックの最新のものに近い。

エアコンだけは最新式のものに付け替えたが。

「見知らぬ男」の立ち合いとは何だろう?・・・ネット上での知り合い(顔にはモザイクがかかっている写真でしか知らないが)の背丈に似ている気がする(実は私とは同年代だが)。

本当は結構新しいのに、旧式になったと私が買い替えようとしているパソコンは、私自身か?。結構現状でもクレパーだと思う。これ以上焦って「新規更新」する必要は、実はない。私が独り相撲でしきりにアップデートを焦っているだけだ。もっとマイペースで本とかビデオとか楽しめばいいじゃないか。

******

ここまで夢フォーカシングしたら、若干頭に潤いが戻り、何も焦る必要がないことに少し気づけたような気がした。

更にこの夢についてのフォーカシングがアップデートできたら、このエントリーで補足します。

2019年7月 1日 (月)

SNSと「現実」への認識(改題)

もちろん、ここで書かれているように「使い方」をわきまえていることは大事。

単なるおしゃべりの場になったり、不要な論争に明け暮れるのは好ましいことではない。

Twitterなんて、うまく使えば自分にとって有益な情報しか流れてこないようにフォローする人を選べるようになれる。

そのための方法は至って簡単。自分のフォローしている人からのリツイートで気にいった人のプロフィールを調べて問題ないかどうかを確認できたら、どんどんフォローすればいい。

こうして、私の場合で言えば、ありふれたネロウヨのツイートも流れ来なければ、変な論争を挑まれて神経を消耗させることもなくなる。

こうやって私は限界の5000人をフォロー、1300人のフォロアーに恵まれて、楽しくて刺激的な活用ができている。

ネトウヨの意見を聴きたければ、刺激的なテーマでtogetterのまとめ記事を作ればいくらでもコメント欄にネトウヨは湧いて出る。でも私個人のtwitter環境は安全な場として守ることができる。

普段は余計な情報発信はせず、適度に受け身の情報収集にとどめ、ここぞという時だけに自分からツイート方がいいとは思う。

*****

でも、思うに、少なくとも私の知り合いの範囲の業界人はネットの使い方を知らない人が多い気がする。

「だから」

社会から閉じて狭い世界に閉じていることに気づいていない。

スクールカウンセラーの人たちとかは、本来は児相の仕事であることのコーディネーターとかして、難しい問題に日々苦闘していて、それどころではないのだろうけど。

Facebookで知ってる何人かは実にいい使い方をしている人もあるが・・・

私が今度「紙の本」にする「入門・フォーカシング」、「セーラームーンの精神分析」、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」、全部私のサイトに載せていた記事由来なんだけどね。

(このうちの「入門・フォーカシング」は電子書籍版も出ます。)

実は特に特に「カウンセラーこういちろうの雑記帳」はこのブログ発のエントリーまとめただけだし、コントロールパネル側から見ると毎日少しずつはこの本に納めたエントリーに来訪者あるんだけど・・・どの記事かはいちいち例示しない。

「紙の本」が売れなくなから。

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参議院議員、私の選挙区の野田くによし候補について

本日後援会日程が連絡受けました。選挙公示日の7月4日18時西鉄久留米駅前で出発式、7日に久留米市宮の陣町久留米ビジネスプラザで集会でした。

もともとは久留米の南隣の八女市長だったお方。

むしろ久留米は地盤に近い方でした。

だから「地方創生」が主策で八女市の復興に実績ある人っだということは事実。蓮舫さんがそれをよりによって「福岡市」にあてはめたことが大チョンボだったということになる。

参議院では国土交通委員会所属。

中小企業の省エネ問題担当で国会本会議質疑もこの観点から担当。

民主党の集団的自衛権反対の決議に蓮舫さんらと共に賛成した16人の中の一人。

八女市長最年少当選から4期務め、衆議院議員一期、6年前の参議院選挙で民主党時代唯一九州内で選挙区当選した人。

ただし国会内で野次が多く在日朝鮮人シンパと見られたことがる様子。

(もとよりこれはネトウヨと思われるサイトでの情報です。自民党には揚げ足取りされやすい人っぽい)

先日拝見した限りでは、温厚で攻撃的ではなく人当たりよさそうな人物に見えた。

●野田くによし公式サイト

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

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     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。