「いいね!」はいいね ・・・または"responsibility"について
すでに言われ尽くしたことでしょうが、Facebookやtwitterでの「いいね!」ボタンというのは、具体的な賛意を書かなくてもいいという意味で、コミュニケーション・ツールとして実に味わい深いスタンスを作れるものだと思います。
私のTwitterの使い方は、自分の書き込みを自分からすることは滅多になく、フォロアーや、フォロアーがリツイートしてくれるものに「いいね」かリツイートを延々連ねるというスタイルです。
そして、リツイートされた人のプロフィールや最近の書き込みの流れを少し読んで、新規フォローするという、実に単純なスタイル。
おかげで、フォロー4587名、フォロアー1123名といういびつな構造を持っています。それでもよく1000名越えしたと思いますが・・・
不思議なのは、この単純作業だけで、自分の意に沿わないツイートラインは全くに近く流れて来ないばかりか、こちらに食って掛かってくるレスも全くに近く出てこないことです。
私の政治的立場からすれば、ネトウヨ不在、リベラルな社会民主主義者ばかりということになります。
限られた文字数の中でこちらが感心するような意見や情報を発信できる人たちに感心こそすれ、自分はそこまでできないと感じるので、そうなるしかないのですが。
Facebookookの「いいね!」は、「読んだよ」という、自分に好意的な人のとりあえずの反応であると理解しています。Twitterの「いいね!」よりは淡いけど、パーソナルな交流の感じ。
それに比べると、(私はやってないけど、)LINEの「既読」ボタンは、いろいろと対人関係のややこしさを生むようですね(回避策はいろいろネット上にありますが)。
こうしたことからの連想として浮かぶのは、"responesibiity"どいう言葉です。
一般には「責任」と訳されますが、"response-ability"なんですよね。「応答能力」。
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