「わかった」とも「わからない」とも安易に言わないことに耐えられること(再掲)
「わかった」ふりをするみかけだけの受容は得てして有害です。
しかし「わからない」としかいえないのも有害ですし、「これはこのような意味なのか?」と問い質す際にも、あまりにとんちんかんなことだけ返ってきたら、相手はそれを修正する意欲そのものを次第に失うのが普通です。
その責任を修正を返さない人間にのみ帰すことはできません。 必要なのは、安易に「わかった」とも言わず、「わからない」とも言わないことの宙ぶらりんに耐えて、「生き残る」ことと思います。
これは、議論にも臨床にもネットにもとどまらない、「普遍」でしょう。
人は、「わかった」といってもらえなくても「わかってもらえた」と感じるときには感じるものですし。
« 我が内なる「二宮尊徳」を賦活すること(再掲) | トップページ | NHKスペシャル「魔性の難問 -リーマン予想 天才たちの戦い-」(再掲) »
「心理」カテゴリの記事
- コミックマーケット100 写真特集(2022.08.15)
- 「ウマ娘の精神分析」、壷イメージ療法で著名な、田嶌誠一 先生、大絶賛!!!!(2022.08.15)
- 冬コミにエントリーした。(2022.08.08)
- 「ウマ娘の精神分析」、印刷所より届く。(2022.08.07)
- メイショウ怒涛のごとき同人誌即売会強行軍をエントリーしてしまった。(2022.08.05)
« 我が内なる「二宮尊徳」を賦活すること(再掲) | トップページ | NHKスペシャル「魔性の難問 -リーマン予想 天才たちの戦い-」(再掲) »
コメント