ウェブページ

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

Twitter

« 「皆さん、手術の前には手を洗いましょう」の創始者、ゼンメルワイスの苦悩 -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論2(再掲) | トップページ | 宮崎哲弥氏、久留米に「たがみ書店」や「リズムレコード」がなくなったことを嘆く (再掲) »

2013年1月13日 (日)

「第三の男」と衛生学(再掲)

何となく、「第3の男」を久々に見たくなって、500円で買えますから買って、観た。

すると、最近、ナイチンゲールからの関連で、細菌学や衛生学の歴史をあさっていたので、この映画の歴史的背景について思いもらず含蓄ある形で鑑賞することができた。

●以下の内容には映画のストーリーの核心が含まれています●

この映画は、1949年に公開されているけれども、描かれているのは、第2次世界大戦直後、米英仏ソ4カ国共同統治下のウィーンである(共同統治は1955年まで継続されている)。

まだ町中に瓦礫があふれている一方、戦災を免れた古い町並みの地下には、驚くほど立派な、地下の迷宮ともいいたくなる下水道網が張り巡らされてもいるのですね。クライマックスがこの下水道網を舞台としていることは、大観覧車ほどには、一般には紹介されていませんけど(^^;)、映画をご覧になった方はおぼろげにはご記憶があるのではないかと思います。

上下水道の整備をはじめとする公衆衛生という点では、中央集権的なドイツやフランスの都市計画の方が、一度動き出すと「上からの強制」で、地方分権的で、上流階級の既得権の壁が厚かったイギリスより普及は早かったと、最近読んだばかりです。

ビスマルクの、今日でも間違いなく評価される業績のひとつが、この公衆衛生と社会福祉の領域なのだと。社会主義運動鎮圧と同時進行の「飴と鞭」政策ではあったのですが。

*****

そして、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)のやっていたのは、実は闇商売で、しかも、ペニシリンを病院から横流ししてもらって水で薄めて売るというものでした。恐らくペニシリンそのものは占領軍から医療に優先的に供給されていたのだと思いますが。

占領時代の日本と同じで、当時は闇市の経済がなければ庶民の生活は実質的には何も機能しなかった。映画の中でも、初対面の人間から事情を聞き出す際の小道具として、煙草を差し出す描写が頻繁に出てきます。

すると、一本ではなくて、遠慮なく数本引き抜いていったりするわけですね。あまり吸っていそうもない庶民のオバサンでもそれをどんどんやっていたので、自分で吸うのではなくて、それを集めて闇で転売して利益を得る目的も大きかったのではないかと思います。つまり、チップ代わりの効果が大きかったのでしょう。

しかし、ペニシリンを水で薄めて詰め替えるというのは、その際に完全に衛生的な環境でなされていたわけでもなく、薬の変質ももたらしたでしょうから、細菌を殺すはずのこの薬が、逆に病気を蔓延させることになり、抵抗力がただでさえ弱っている多くの人の命すら奪っているのですね。

ちなみに、細菌を「殺す」、史上初の抗生物質であるペニシリンの発明は、イギリスのフレミングにより、1928年になされていますが、実用化可能な精製方法は1940年に別の人によって可能になったのです、つまり、第2次世界大戦にギリギリで間に合ったわけですね、

そのせいか、フレミングと大量生産可能な製品化に貢献した二人の学者のノーベル賞医学・生理学賞受賞は戦争が終わった1945年です。

ですから、この映画でペニシリンが取り上げられているのは、実はかなりのup to dateな話題ということになります。

ペニシリンはけがや手術後の細菌感染から食中毒、肺炎、梅毒に至る、幅広い範囲の細菌感染症に使用されてきましたが、耐性菌の出現、ペニシリン・ショックなどの副作用への懸念から、一時期のようにむやみやたらに使われることはなくなったのではないかと思います。

.....このことを確信をもって言えるのは、私が子供の頃(1960年代)、風邪にかかる度に、かかりつけのお医者さんは「ペニシリン打っとくね」と、毎回のように注射していたからです。

長じて(高校生ぐらいからかな?)、重たい風邪を引いても、お医者さんが「注射を打ってくれない」で飲み薬だけになったことに、私は何とも不満でした。注射をしてもらえないと本格的に治療してもらった気がしなかったのですね。

今や、予防接種の副作用について、厳しく論じられる時代になりました。

*****

.....などと、思いもよらない形で、今の私の関心と、この映画が結びついたのでした。 

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 <br>
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

 

« 「皆さん、手術の前には手を洗いましょう」の創始者、ゼンメルワイスの苦悩 -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論2(再掲) | トップページ | 宮崎哲弥氏、久留米に「たがみ書店」や「リズムレコード」がなくなったことを嘆く (再掲) »

心と体」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「第三の男」と衛生学(再掲):

« 「皆さん、手術の前には手を洗いましょう」の創始者、ゼンメルワイスの苦悩 -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:本論2(再掲) | トップページ | 宮崎哲弥氏、久留米に「たがみ書店」や「リズムレコード」がなくなったことを嘆く (再掲) »

フォト
2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

最近のトラックバック

トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。