「訊く」ということ(再掲)
人は、自分の感じていることを、「具体的に」他者と共有して、受け止められたと感じる体験を経てはじめて一息つけることは多いように思える。
問題そのものがその段階で解決されているかどうか、見通しが立つかどうかとは関係なく。
そしてそれは、単に「カタルシス」だとかいう場合、聴き手ががそれをどう共有したかということがないがしろにされる危険もある。
「受容的・共感的に」というはやさしいが、聴き方次第では、それが表面的な受容になったり、余計ななぐさめの元気づけの一言が、語った人の思いを台無しにしかねないほどに、デリケートな問題を含むように思う。
「何か」語り尽くせていないという不全感が話者にないかどうか、十分に受け止めてもらえた気がしているかどうかを丁寧に確認し、当初語った時点では言葉にならなかった「何か」を話者が的確に言語化できるようにサポートするのも聞き手の務めであるし、話を聴いた結果どのように感じているのかを的確にかつ自己一致した誠実な、しかも話者への共感性とも両立する形で言語化できるかどうかも重要であろう。
場合によっては、 「あなたの話を聴いて、どう言葉を返したらいいか思い浮かばない。下手に『たいへんですねえ』と言葉にしてしまうことすら失礼な気もして」
などという言い方ですら意味があるだろう。
ただ何も言葉を返せないまま黙っているくらいならば。
相手をひとりきりで取り残してはならない。 受け止め、共有する勘所を外さなければ、そうやって、事態や気持ちを吐き出した後、別れた後も、相手をひとりぼっちに取り残すことにはならないだろうと思う。
そうした際に、ただ、受け身に「聴いて」いるだけではなくて、「訊く」能力が重要な意味を持つ。
相手が語るのも辛いことや、語るのに勇気がいったり、そういう言い方をするのは手前勝手だとか、恥ずかしいことだと思うあまり、口に出さないまま呑み込んでしまいかねない部分を、敢えて言葉にしてもらうきっかけになるためにも。
常にではないかもしれないけど、人に相当程度悩みを打ち明けつつも、死に至ることを避けられなかった人の中には、そうした、思わず「口にするのを躊躇した」部分、あるいは、後になってみて、「あの場ではこのことまでは言えずじまい『だった』」と気がつき、それで十分言い尽くせたと相手に伝えてしまっていたことの後悔を処理できなかった人もあるのではないかと思う。
....人は、いったん言葉にしてみてはじめて、それまで脳裏にものぼらなかった自分の気持ちに、順送りに気がついていくこともあるからである。
少なくとも、「言いたくとも言えなかった」ことをクライエントさんの中に蓄積させないカウンセラーではありたいと、心から思っている。
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