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【注記 13/1/20】:
以下、さして新鮮な観点とは思いませんが、前回の記事の再掲が、個別記事で今更のようにヒットしているので再掲することにしました:
=======(再掲=========
前回の補足。
ある意味で「コロンブスの卵的」な、平凡な理解かもしれませんが。
「なお、まどか☆マギカ」+「フェミニズム」でGoogle検索かけたら、
長野明氏による『まどか☆マギカ』最終話までのフェミ的感想Tweet
というtogetterも発見。
そちらでは、本作品における「魔女」の画像とその象徴的な扱い、そして、「魔女狩り」の観点中心にフェミとの関わりがいろいろ指摘されていて、なるほどと思いました。
【追伸】:
ユリイカ臨時創刊号にはフェミニズム的視点からのものは本格的にはありませんでしたが、斎藤環氏の評論の中に「フェミニズム的にも擁護される」という一節はある。
*****
すでに「魔法少女」と「魔女」の関係、ひとつの願いの代価の大きさ、ソウルジェムの持つ象徴性などについて触れましたが、何より8話の、電車の中での2人のホスト同士の対話。
以下、もう、ネタバレ承知で、全部書き起こしてしまおう。
トップページからおいでの読みたくない人は、以下の「続き」を押さないでください:
私は「家政婦のミタ」も観ていなかったので、年末のレコード大賞で斉藤和義のこの曲にいきなり接したわけだが、その音楽性の高さに一聴して瞠目した。
●斉藤和義 やさしくなりたい
さらに言えば、東日本大震災直後にYouTube上で話題となった、自身の歌の替え歌、「ずっとウソだった」の人だということもidentifyできていなかった。
島根県松江市でフォーカシング・トレーナーをなさっている土江正司さんは、活発にグループワークやワークショップを開催されており、独自のユニークな技法をいくつも実践しておられる注目すべき存在です。
もっとも著名なのは、「こころの天気」と呼ばれる描画法的アプローチです。
この技法は、非常にシンプルであり、小学校低学年を含む学校教育現場でも十分活用できます。
詳しくは、土江さん自身のサイトでわかりやすく解説されているので、以下のサイトを御覧ください。
●こころの天気描画法(by 心身教育研究所)
この質問は、たくさんの方からいただいた訴えです。
ひとりでフォーカシングする場合、自分のなかに、ガイド役とフォーカサー役を意図的に解離して同時に維持せねばならないので、試み始めた頃は、いつの間にか注意が他にそれたり、眠ったりというのは、実にありがちなことです。
そうした自分を責める必要は何もありません。
そもそも、フォーカシングをしているつもりで眠り込むほうが、そうではない場合よりもいい眠りになることも少なくないと思います。
いつの間にか注意がそれたり、その気がかりや身体感覚についてのいろいろな連想や思い煩いに流されていた場合には、
「その事柄(その身体の感じ)をめぐっては、そうやっていろいろな思いがあるわけね」
そうした思いの一つ一つに、
「自分の中のある部分には、そうした思いもあるんだね。なるほど、もっともだね、わかったよー」
と声をかけて、ひとつひとつ挨拶して、認めてあげていくことをまずはしてあげてみること。
そうした上で、
「そうしたこと全体を、からだはどのように受け止めているのかしらね?」
と、身体感覚全体に問いかけてあげて待ってみると、しばらくするうちに、身体のどこかが反応してきます。
その曖昧な感覚そのものと、しばらくそばに居てあげればいいのですね。
その感じは「どんな」感じか、ぴったりの言葉(フェルトセンスのハンドル)を捜そうと、焦る必要もありません。そうした言葉は自然と向こうから浮かんできます。
******
そして、途中で寝てしまう場合ですが。
私が常々繰り返しているとおり、気がかりについての、曖昧な身体の感覚、あるいは、自分の状況や存在のあり方とどこかで何か結びついているかに感 じられる縛とした身体の不全感に、直接注意を向け、しばらくその感じと無理なく共にいられたならば、あなたはその時すでにフォーカシングしていたのです、
そういう感じを自分の中に見つけた途端に(あるいは見つけつつある最中に)睡魔に襲われ、いつの間にか寝入ってしまうということは、実は全く自然な現象だと思います。
そうやって寝てしまうのは、自分がその気がかりや漠とした身体感覚に、それまでどれだけ悩まされてきたかの証とも言うべきでしょう。まずは休息が必要なのです。
そして、新たな機会に、
「あの時つかみかけたあの感じはいまはどうかな?」
というふうに、内側に注意を向けてみると、以前よりは簡単に「その感じ」にアクセスできることも少なくないかと思います。
そうしたことを繰り返していくと、日常のなかで、特にフォーカシングをしようという意識がない場合ですら、その基本的には同じ感触と質感の不全感が、今も自分に訴えかけてきていることを自然に気がつけるようになります。
日常の中であなたが一度関心を持って声をかけたりした相手がいたとします。その時には、相手はやや無粋な反応しかしなかったとしてもに、繰り返し軽く挨拶だけでもしたいたら、いつの間にか、その人のほうから、あなたに何か声をかけたそうな視線は繰り返して帰ってくるようになることがあるでしょう?
自分のフェルトセンスへのアクセス性が高まるということは、そのような、人間関係において少しずつなじみになるのと同じような性質を持っているのですね(^^)
そうこうするうちに、きっと、ある晩、「(内なる)二人」の心は通じ合い、真剣にお互いに向き合え、言葉を交わせる条件が、無理なく整うのです。
******
・・・・以上、この記事も、旧「フォーカシングQ & Aサイトからの「引越し」記事です。
児童福祉施設内での暴力問題というと、施設職員から入所児童に対する暴力がまずは問題として表面化した。
しかし、近年、児童間の暴力、児童から職員への暴力も問題であることが言われ始めている。この問題についてこの10年ほど臨床心理士とし関わってきた九州 大学教授の田嶌誠一先生が提唱する「安全委員会」方式については、著書「現実に介入しつつ心に関わる」「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」に詳 しい。
以下のまとめは、そこで述べられた内容をネット上でどう紹介するのか、とりあえずの大雑把な備忘録に過ぎず、未だ言葉足らずで説明不足ですが、まとめてみました。
こちらからどうぞ。
*****
このtogetterはまだ私の備忘録的なものであるの過ぎません。「安全委員会方式」は、半可通でわかったつもりになると相当な誤解を招く可能性があります。
今後、前掲書と丁寧に付きあわせて間違いのないように更に推敲し、拡充して当ブログでまとめてご紹介する機会を作りたいと思います。
「魔法少女まどか☆マギカ」についての、硬派で専門家的考察を、ささやかながらまとめておきたい。
今から書く内容は、すでにネットやまどマギ本で考察されてきたことの、私なりの焼き直しに過ぎないかもしれない。
ただ、私が眼にしてきた膨大な数のネットでの「まどマギ」論考でははっきりと使われなかった概念まで使って試みることにする。
******
本作品は、「魔法使いサリー」に始まる魔法少女ものアニメの集大成といわれており、そうした物語のダークサイドに深く踏み込んだものであると位置づけられる。
過去の魔法少女モノがどのようにタイプ分けできるかについて、私が16年前((1994)に学会発表した論考、「二つの母性の相克:~「セーラームーン」についての精神分析的対象関係論に基づく考察」から引用して整理しなおしておこう。
=========以下引用==========
『魔法少女』ものにおける家族構成には大きく分けて二つのタイプがある。
A.「魔法の国の王女様地上降臨型」:
「魔法の国」の王と王妃の間に生まれたプリンセスが、何らかの理由(おてんば過ぎて自分から飛び出す・修業に出される・魔法の国の滅亡の危機を救うものを見つけるetc.)で、「地上世界」に普通の人間の女の子になりすまして滞在する。『魔法使いサリー』『魔法のマコちゃん』『魔女っ子メグちゃん』『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』などが代表的であるが、『サリー』を除くと、地上の世界で「親代わり」をみつけ、家庭に入り込むのが定石となった。
実の子供、親戚、居候などの形をとるが、大抵魔法の力によってその家族を洗脳し、彼女が家庭に入り込んだことに疑問を感じないようになっており、彼女が魔法使いであること自体、その家族を含めた地上の人には秘密とされる。
ちなみにそうした「地上での疑似家族」もまた、魔法の国の両親と同じくらいにgood enoughな(=そこそこ良い) 養育者であることを常とする。多くの昔話における「意地悪な継母」にあたる役は、魔法の国の王家の敵対勢力から現実世界に派遣された娘や手下が演じるか、主人公の現実世界でのライバルとしての「お金持ちのお嬢様」の家庭によって代理されることが多いとみなしていいだろう。
もとより、『ミンキーモモ』のように、そのような特定の「悪玉」の設定を排除して、主人公自身を含めた人間一人一人に内在する弱さや諦めやエゴイズムとの内面的戦いへと昇華した作品もある。
B.「地上の少女使命拝受型」:
good enough な養育者の元ですくすく育った地上世界の普通の少女(大抵目に見えない異世界への特別の感受性を持つ)が何かをきっかけにして魔法の国(の人物)と遭遇し、使命を授かり、魔法を使うためのアイテム(コンパクトやステッキ)を授かる。この場合にも魔法を使えることは家族を含めた周囲の人には秘密とされる。
『ひみつのアッコちゃん』に原型があるが、その後、魔法の国から遣わされた 妖精が動物の姿を借りて主人公のお供をするのが普通となった。『花の子ルンルン』『魔法の天使・クリィミーマミ』『魔法のスター・マジカルエミ』など。
(中略)
だが、興味深いことに、主人公のうさぎ以外のセーラー戦士4人全員が、両親共に揃った家庭としてはっきりとは描かれていない。
もとより主人公のうさぎを強調しようとすれば自然と他の脇役の家庭の描写はなされなくなるのでないかと言えば言えてしまうが、今日、アニメやコミックの世界で、一応現在の現実世界を舞台にしている場合ですら、まだ独り暮らししていない子供である主要な登場人物の家族が全く描かれないケースは非常に多く、そのことの中に現代の子供の心の中での家族との距離感が反映しているという見解はかなり一般的なものとなっているので、一応注目しておくに値するだろう。
具体的に言うと、水野亜美(セーラーマーキュリー)は、全国模試連続一位、 IQ300 <笑> の超優等生である。成績がいいことを鼻にかけない優しい少女であるが、人付き合いが苦手で社交に通じていないため、場にそぐわない本音を平気でボソッと言ってしまうところがある。彼女には、女医の母親がいることになっているのだが、亜美本人の自宅での自室でのシーンは時々描かれるにもかかわらず、物語の中で母親の姿が登場したことは一度もない。父親は日本画家でチェスの手ほどきを亜美にしたことはわかっており、亜美が父親に今もある敬愛を抱いていることは描かれているのであるが、少なくとも現在ではすでに亜美は母親との二人暮らしのようであり、父親は回想を含めて画面に登場したこともなく、離別か死別かすらはっきり物語の中で語られたことはない。
占いや呪術などの超能力をもつ霊感少女にして私立中学の生徒会長でもある火野レイ (セーラーマーズ)。積極的だがやや気位が高く、うさぎとはいつも口げんかばかりしているが、いざとなるとうさぎをさりげなくサポートする行動をとっさに取る機転が一番効くのも彼女である。彼女は神社の神主の祖父のもとに同居し、時々巫女の仕事も手伝っている。祖父は脳天気な子供っぽさを持つ脇役としてかなり頻繁に登場するが、レイ自身の父母はどうしたのかは物語の中で一度も問題にされたことはない。
腕っ節が強くて喧嘩ばかりしていたためにうさぎや亜美のいる街の公立中学に転校せざるを得なくなった木野まこと(セーラージュピター)は、アパートでひとりぐらししており、男っぽい外観にもかかわらず、掃除や料理は得意という家庭的な面も見せ、出会う男性にすぐに「昔好きだった先輩」と似ている所を見つけて一目惚れして尽くし始める。しかし、父親母親等家族については物語の中で何ら言及されない。
うさぎを含む他の4人より以前から正義の味方セーラーV(ヴィーナス)として活躍していた愛野美奈子は、『セーラームーン』原作の武内直子が以前から連載し、今も並行して執筆している『コードネームはセーラーV』という姉妹作品では、両親が登場する家庭が描かれているが、『セーラームーン』では、自宅のシーンはかなり頻繁であるにもかかわらず家族は一度も登場したことはない。
=======とりあえす引用終わり========
・・・・ここまで引用してみると、登場人物の名前さえ置き換えれば、まどマギの魔法少女たち五人組の設定とあまりに重なっていることに、まどマギファンの方なら容易に気づけるはずだ。
ちなみに、「セーラームーン」も「まどか☆マギカ」も、上記の分類でいう、「B型」=「普通の少女使命拝受型」である。
「セーラームーン」の月野うさぎがそうであったがごとく、家族との関わりの日常描写が丁寧に描かれるのは、主人公のまどかに限定されている。
(大企業で恐らく上級管理職をしているキャリアウーマンの母、専業主夫の父、弟が一人。住宅は広々と大きいので、経済的には中流の上の家庭だろう。
美樹さやかは両親がそろっていると想像され、自宅に住んでいるが、一戸建ての玄関先のシーンしかない。
巴マミと佐倉杏子は両親と死別しており、そのいきさつはきちんと描かれているが、暁美ほむらに至っては家庭の事情は全く不明である。
このうち、マミとほむらは結構な住居でひとり暮らししているが、杏子に至っては野宿生活で中学校にも通っていないと思われる。
これら3人の経済的支えは?・・・・登場時から魔法少女なので、恐らく「魔法の力」である。
:*****
さて、魔法少女のものの少女たちの変身は、
・・・・などいった特性を持つことが少なくない。
こうした側面も、まどマギに受け継がれている。
(まどマギでは変身後にオトナに近づくわけではないが、設定資料によると、さりげなく、変身後の方が頭身が高く描かれるという隠れ設定があるようだ)。
*****
さて、ここでひとつの問題提起をしておこう。
今度は、私が大学院1年生として入学する直前(1986年)に、アニメ雑誌「OUT」に投稿して、初掲載された時の文章の一節からから引用する:
===================
●魔法という名のモラトリアム …「魔法のスター・マジカルエミ」
魔法とは一種の「モラトリアム」であろう。
それだけの社会的・経済的能力がないのに、まるで親のスネをかじって、欲しいものが手に入るのと同じようにして、やりたいことが実現できる。
=====引用終わり=====
「まどか☆マギカ」の物語では、中学2年生の少女が、いずこからの使者、使い魔のキュぅべえ(白い動物)から、「魔法少女になってくれたら、君の願いを何でも1つだけかなえてあげる。だから僕と契約して魔法少女になってよ!」と、繰り返し、手練手管を駆使して、しつこく勧誘を受ける。
(このことから、「営業の鑑(かがみ)、淫獣キュぅべえ」と、ファンの間では言われている)
ただし、その「契約」の代価として、ひとつだけ条件がある。
現世での苦悩の末に、絶望した一般の人たちを食い物にする、この世の闇にうごめく「魔女」を退治する使命を果たし続けること。
この使命を続行し続け、魔女たちが息絶える時に排出される「グリーフシード」という黒い石を回収する。
「グリーフシード」によって、彼女らが魔法少女になった時に授かり、魔法の力の源となる「ソウルジェム」と呼ばれる宝石(・・・実は彼女のたちの魂を移行し、封印したもので、これを肌身離さず持っていなかったり、破壊されてしまうと、死が訪れる・・・)の濁りを除染し続けないと、その濁りが蓄積して、今度は彼女たち自身が人間を呪う「魔女」として怪物化する運命にある。
こうやって、魔女退治が魔法少女達の過酷な「社会的ノルマ」として設定された点に、この作品の新味があり、ダークな部分である。
「魔女」を狩るか、「魔女」になるか。
実は「魔女」はすべて、かつて「魔法少女」だったもののなれの果て。
魔女になるばかりか、今度は自分が別の「魔法少女」に狩られる側になる。
夢をひとつかなえること代償が大き過ぎるのである。
「魔法少女」になるということは、この作品においては、むしろ少女からモラトリアムを奪い、永遠の過酷な状況に突き落とすことに他ならない。
いろいろ悩み、葛藤した挙句、結局窮地に立たせれて、少女たちは「魔法少女」になるのだが、キュぅべえの意図は「第二次性徴期にある少女の希望が絶望に相転移する時に発生ずる膨大な感情エネルギー」(・・・こんな小難しいセリフが実際に語られるのだ) を回収して、宇宙の安定のために活用するということであった。
******
魔法少女になるべく「契約」した少女たちが身体の中から「生み出す」ことで所持することになる宝石、ソウルジェムは、卵の形をしており、使い魔キュぅべえのほんとうの名前は「インキュベーター(Incubator)」、すなわち「孵卵器」である。
つまり、「排卵」できるようになった思春期の少女たちから、身体的には大人になった証拠としての「卵子」を回収して活用するということへのあからさまな隠喩となっているわけである。
「契約」に基づき、魔法少女としての力を授けるキュゥべえは、少女たちから「性的搾取」をするオトナたちを指すともいえる。
******
だが、広い意味で、男女関係なく、思春期になると、少年少女たちは、自分の夢と現実との葛藤に直面し、絶望の淵に追い込まれる瀬戸際になる。
社会人として巣立つことは、自分の夢を叶えようとすることであると同時に、自分の魂を売り渡すことになるのと紙一重である。
どんな夢や希望も、ダークサイドに憑依される(=「魔女」になる)ことと裏腹の危険な橋を渡り続けることでしかない。
このアニメは、そうしたリアルな葛藤を、非常に切迫した形で描き出した名作であると言えることになる。
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では、こうした葛藤と堂々めぐりの連鎖(=「円環の理(ことわり)」を引受けつつも克服して成熟していく道は在るのか?
この作品の結末は、魔法少女たち5人のうち何名かの命を引き換えにして、ほむらの最終的な生き様としてその問いに答えているといえるだろう。
アメリカのフォーカシングの名教師、アン・ワイザー、コーネル女史による本書の原題は"Radical Acceptance of Everything"である。この"Radical"という言葉の含蓄と、邦題の「すべてあるがままに」という語感には著しいギャップがある。原題をう まく噛み砕いてキャッチーなものにするためのアイデアは他に容易になかったかもしれないが、本を開いてみた方が、内容に面食らうであろうことは相違に想像がつく。
"Radical Acceptance of Everything"とは何か。自分の中に生じてくる様々な思念や情動などをひとつひとつ対象化し、その存在をひとつずつ認めてあげて (acknowleging)、それらすべてのかたわらにに佇(たたず)んでいてあげることで、自分内部にスペースを見出すという、意図的な過程を経て見出された状態のことを指す。それが実現できれば、その人の変化は、自ずから着実に進行し始める。
アンはこれを本書の多くの部分で「プレゼンス状態」と呼ぶが、今度はこの"Presence"という言葉そのものが日本語として馴染みにくい。私は"Presence"を「臨在性」と訳すことを提案したい。(内的に対象化し得るすべての)「傍(かたわ)らに、たたずんでいてあげられること」を指すからである。そこには関係性が含意されている。
訳が分かりづらいというレビューをされている方があるが、私が精読した限り、上記のポイントを除けば、本書は原著を非常に精妙に翻訳したものである。実は、そのように精妙に訳さない限り、言語学者としての経歴を持つアン女史による本書の真意は伝えようがない。ほんとうに「繊細な」内的作業の仕方について書かれている本なのだから。
つまり、本書は読者を選ぶのである。フォーカシング技法について多少なりとも「体験的に」身につけている人であることが条件。
一定の目安を述べれば、少なくとも、アン・ワイザー女史の「フォーカシング入門マニュアル」を十分に読みこなせ、その技法を自分の為に、あるいは聴き手として実践できる人であれば、アンさんの他の著作を読まないまま本書に進まれても、熟読すればその真価ががわかるであろう。
そういう意味では、フォーカシングに対するある一定の熟練度がある人が「がっぷり4つに組んで」熟読するのための本である。
本書に収録された論考やエッセーそのものが、一部の書き下ろしを除き、実は国際フォーカシング機構(The Focusing Institute)の機関誌に寄せられたものである。ゆえに、「フォーカシング・ピープル」のための新たな刺激剤(しかも衝撃力がある起爆剤!)として 位置づけられる運命を背負っていると思う。
だが、本書で示唆されたレヴェル(実は、身につけてしまえばそんなに複雑とは感じないものになるのだが)を実践できる一団が日本に現れるならば、日本の心理臨床界におけるフォーカシングについての認識を、根本的に変革させるだけのパワーを秘めていると確信する。
******
本書については、当ブログでもこれまで多少言及したことがありました(こちら参照)。しかし今回、Amazonレビューとして新たに書き起こしたものを転載しました。
本書は、「入門マニュアル」「ガイド・マニュアル」に続く、「ニュー・マニュアル」
の更に次の、アンの技法書として位置づけられます。
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アンさんの著作、あるいはワークショップへの参加から、私は大きな影響を受けてきました。本書は自分がそうした中で私が身につけてきたものを明確に再確認するのに役立ったと同時し、いくつか新しいアイデアももらえたと感じています。
私のフォーカシング個別指導でも、本書で書かれた内容に準じたことをお伝え出来ていると感じて、ほっとしたところがあります。
かつては10代の登校不適応にはじまり社会参入の遅延と捉えれられていた「引きこもり」現象は、
1.そうした旧来の引きこもり世代がそのまま40代以上まで高年齢化している
ことに加えて、
2.かなりの程度社会人経験を経た人たち(40代すら含む!)が、業務や社内の対人関係に行き詰まり、失職するのを期に新たに参入してくる
・・・という、以前とは異なる次元での複雑な様相を呈している。もはや「社会人経験をある程度積んだ人たちは引きこもりにならない」という通説も通用しなくなった。
本書ではそうした引きこもった当事者と家族の発言が多数採録されていて、一見羅列的であり過ぎるようにも見えるかもしれない。しかし、それこそが現在の「引きこもり」現象が一元的なステレオタイプで容易には説明できない現状を、ありのままに示していることになるだろう。単にネットやゲームが逃げ場になっているとか、本人の社会性・対人関係能力未熟さなどにも容易に還元できないのだ。
引きこもりの少なからず部分が発達障害や不安障害、うつ病、統合失調症等と診断可能な数多くの人たちが含まれているととらえられる一方で、そうした人たちを「病者」という一個人の問題として捉えるだけでいいのかという問題提起もなされている。
バブル期を経て、その後の不況と新自由主義的な経済の元で、「自己責任」で結果を迅速に次々出すことが求められる業績至上主義に、会社組織そのものが変容した。それが、会社内での人間関係の質そのものにも影響し、家族主義的なサポート体制を急速に失ってギスギスしたものとなり、むしろ生真面目でコツコツやる層にこそ、新たな不適応を生み出している。
更に雇用状況の悪化。履歴の空白がある者に「敗者復活戦」を容易に許さない日本の風土もあいまって、一度働くことから「降りて」しまわざるを得なかった層の再度の社会参入をも厳しいものにしている。
そうした社会変容の中で、「引きこもり」概念そのものが、従来とは全く別の次元にシフトすることを迫られているのだ。
引きこもりの人を抱えた家庭そのものの生活困窮化も加速している。引きこもりの人間の大半が親と同居しているため、生活保護の対象にもならず、現在の日本の公的セフティ・ネットの外側にいる。
疎外され、孤立し、自分や環境をネガティブにとらえる悪循環を断ち切るには、人とのネットワークが必要だ。本人が参加できなくても、家族がそうしたネットワークに参加するだけでも確かに一つの契機になる。
ただし、本書で取り上げられている、様々な「引きこもり当事者の会(親の会)」の活動は、恐らくまだ大都市部を中心とした団体であり、そうした会への会費すら払えない層も少なくないという。こうした団体へのアクセス性そのものが非常に難しい地域もまだ多いのではないかという感想も持った。
また、発達障害についての記述(実際、そうした診断をも受ける方が少なくないのは確かだが)は、やや表層的な次元にとどまり、新たな誤解を生む懸念もある気がする。
「ゆとり」教育については、「それまでの詰め込み教育の弊害の解消」ということばかりが強調されるが、更にその「背景」が何であるかに巨視的に立ち入ることができることが見過ごされてきている。
すなわち、ゆとり教育が、実は当時の外交的、そして産業界からの要請で成立したという側面があるという指摘を、本書ではじめて知った。
(以上、第8章「教育の自由化と学力格差」pp.132-3 岩永雅也執筆 より要約)
こうして「ゆとり教育」とすることで、児童生徒が学校外で過ごす時間が50日分増えた。
ところが、家庭にそれを引き受けるだけの能力があったか?「教育は学校が行うもの」と長年信じられていたのに、教育のかなりの部分が家庭に返され、「私(わたくし)事化」されることになったのである。(同p.134)。
この頃バブルが弾けて、多くの家庭でに塾などの教育についてのお金をつぎ込む余力がなくなり、「教育格差」が生まれる引き金となったわけだが、実は事態はそんな単純な話ではないと岩永氏は述べる。
「親たちの社会的主体としての資質に大きな問題があったという話なのである。資質と言っても、単に学力とか知識とかではなく、挨拶や人間関係の構築といった対人能力、協調性。忍耐力などの社会的能力、身の回りで日常的に起こるさまざまな事態を理解し、それに対応する能力など。まさに『生きる力』というにふさわしい能力のことである」(p.135)
つまり、親世代自身が、子供のモデルとなるだけの、個人としての社会性がないということになる。
よく考えてみれば、昭和一桁世代を親として持つ、現在の親世代(=私とほぼ同世代)は、受験戦争真っ盛りの中で成長した。その競争の勝者であるしても、敗者であるにしても、ともかく「生きる力」そのものを育める教育環境・・・というより、「社会」環境に恵まれていなかったことのツケが、今度は子供の教育の際にまわってくることになる。
*****
「潤沢に教育資金は出してもらえても、『真空の中で』勉強しろと要請されているようでどうしたらいいかわからなくなった」私の生い立ちは、こうした状況の一側面として思い出されたのである。
この放送大学教材は、一見経済学的社会学の観点からの著作に見えつつ、通常の教育学よりもはるかに巨視的な視点を提供してくれる。
まだ読み進めている途中である。これからも具体的記事を追加するかもしれない。
作家、柳美里さんの息子さんへの虐待問題は、彼女がそうせずにいられなくなる心情を自身のTwitterで赤裸々に発信していることにネット上ではとっくに毀誉褒貶の嵐が吹き荒れていたことは私は知らなかった。
子供に虐待をする親は、得てして、親自身が子供時代に虐待を受け、更に親の親もまた・・・という不幸の連鎖があることは結構知られていることかと思う。
彼女がそのカウンセリングの過程の「一部」(録音のみの公開となった部分もある)をこうして映像で公開したのは、彼女が私小説的な作風の作家だからこそ許されたことだろう。
ただ、先取り的に書いてしまうと、そういう「有名作家の被虐待児」として育った、ドキュメンタリーにもなったことを「今後」背負って生きていかねばならない、これから思春期に入る息子さんのことを思えば、彼は同じ過ちを繰り返さないとしても、それだけでたいへんだろうなあとは思う。
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彼女は、15歳で家出、31歳でシングルマザーとなる。彼女は完璧な母親を目指した。そうこうするうちに、息子が食べ残しをするだけでも激しい怒りを感じるようになる。
歯磨きに一日5回、計3時間費やさせないと気が済まない。さもないと歯ブラシで喉を突いたという。
息子と適切な距離を取らないとやっていけないのはわかっていた。そういう中で、虐待専門のカウンセラーのカウンセリングを受けるようになる。
(敢えてカウンセラーの先生の名前はここでは伏せる。ただでさえNHKスペシャルが放映されてその名が知れ渡り、翌日からは相談が殺到したことが想像できるからである、カウンセラーでも、精神科医でも、その名が知れ渡り過ぎると、どうしてもキャパを超えはじめる。クチコミで久留米一人気が集まった精神科クリニックが3分診療に追い込まれた現実がある。ほんとうの名医は宣伝されることを避け、精神科クリニックとは思えない佇まいのひっそりとした外観の建物で、精神科ということを表記しないままで営まれている場合もある)
*****
まずテーマとなったのは、父親との関係である。パチンコ屋の釘師であり、しつけと称して彼女に暴力をふるった。彼女の母は教育熱心だったが、彼女はそれに反抗し、家出や自殺未遂を繰り返した。
母に繰り返された暴言は「産まなきゃよかった」であり、「殺して責任を取る」と包丁を持ち出されたこともあったという。
カウンセラーは問いかける:
「お父さんからなされていたのは、『虐待』ではないですかね?」
ここで「虐待」という言葉をもらって、彼女ははじめてそれを受け止めることができた。
「私が悪いことをしている時に殴られるのだと思っていた」
カウンセラーは答える。
「かなり洗脳されてますね」
******
番組はここで一度柳さんのことを描くことから離れ、カウンセラーの所属組織が主催する「親子連鎖を断つ会」よいう、集団カウンセリングの参加者のひとりのことを取り上げる。
「親はやさしかった」
だが、Aさんは、
「『やさしい』って、どんな感じですか?」
・・・と問いかけられる、沈黙し、当惑する。「やさしい」という言葉にフィットする「実感」の方は探しても見つからないのだ。
カウンセラーは更に言葉を吟味する。
「お母さんのこと、『好き』だった?」
こうして彼女は、「親に対しては『気持ちが動かない』ことに気がつく。
カウンセラーは解説する。
「『悲しい』、『寂しい』を抱く場面で何も感じていないということなんです。そして、そういう、『葬られた』感情が今度は子どもに向けられることになる」
Aさんは、継母から躾と称する虐待を受けていた。
父からは、
「家の雰囲気が悪いのはお前のせいだ」と、よく、突然叩かれた。こうなると、もう、何が悪いのかわからない。
どこまで気を使い、どこまで尽くせばいいのかわからない。
Aさんの子供は不登校になったが、そういう息子に、彼女は暴力を振るうようになり、時々寺で気持ちを落ち着かせるしかなくなった(番組では、その寺の住職に再会する場面が描かれている)。
集団カウンセリングの中で、虐待の記憶が蘇るにつれ、彼女は、幸せそうな家族を見ると吐き気を感じるようになる。会に参加しようとすると、死ぬしかないという思いが生じ、自傷行為に走る。足の裏の指の皮を、歩けないくらいにひりひりするまでめくっていったという。自己処罰行為である。
なぜ自分は虐待されたのか? 親戚を回って調べ始めたという。
(こういう展開を知ると、カウンセリングが単に密室の中で進行するものではなく、現実世界の中での他者との無理のないところとからの新たな関係形成が両輪になる必要があることが示唆できる。自分探しは、具体的に過去の現実と、勇気をふるって、白紙で向かい合おうとするなかでしか進行しない)
継母は、実は子を産めずに離婚された経歴を持っていた。
父は、大病を患い生活が苦しかった。そのため子供を望んではいなかった・・・そうしたことがわかってきた。
それを知らされると、「自分が悪い」という感情がなくなっていったという。
「ずっと操られていた。全く『自分』を生きていなかった」
そのことが、Aさん自身が子供の成長を見守れないことにもつながったのだと。
「親からの『卒業』」。
それ以来、子供と適切な距離を取り、感情を抑え、大目に見ることができるようになっていったという。
結局、息子さんは、不登校から抜け出し、大学を卒業、プログタマーとして働いているという。
Aさん曰く、「4年がかりでした。ペット感覚だったんですね」
*****
さて、柳さんのカウンセリングのその後の展開を見よう。
カウンセリングを始めて1年が経過していた。
柳さんは、両親と久しぶりに会って対話してみようと思うように徐々になっていた。
しかし、実際の母との対話には動き出せなかった。
「お母さんとの対話に動き出すことはリスクは伴うかも」
・・・とカウンセラーが示唆すると、柳さんは、
「壁を壊したら母も私も決壊してしまうのではないかと怖い」。
この頃から、柳さんの精神状態は不安定になる。それを思わすTwitterで発信した。
フラリと家を出て、帰ってこないこともあった。
以前は忠実だった息子は反抗的になり、他方、お手伝いさんには退行して甘えるようになった。
「私には、母を『お母さん』とつぶやいたことはありません」
*****
カウンセラーは、まずは父の過去を直接聴いてみることを柳さんに勧める。
「娘であるあなたには知る権利があるんじゃないでしょうか?」
柳さんは、父と久々に面会するのが怖かった。
父はすでに72歳であった。
面会の場に現れたのは、飄々とした学者風の好人物そうですある父の姿。
だが・・・・
父は、
「娘(柳さん)を『虐待』したことはない」
・・・・とばかり。
(画面のその様子は、言い訳をしているというより、ほんとうに記憶がない、乖離しているかのように私にはみえた)
3回目に会った時、柳さんは、迷った挙句に、言葉を紡ぎ出すようにして、次の質問を父に向ける。
「人生に何か悔いはありませんか」
父は答える。
「僕は出世したかった。学問を学んで。知らない人がいないくらいに有名になりたかった」
柳さんは問い返す:
「そうなれなかったのが一番の悔い?」
父は、やっと、多少の感慨を込めて返事をする:
「悔いは、そういう僕のせいで家庭が壊れたのだとすれば・・・・柳もたいへんみたいだね。それも僕の責任じゃないかと思う」
*****
折も折、父の姉の十三回忌が営まれた。柳さんは敢えて法事に参列した。父のことを更に知りたい思いがあったから。
「私は、父の娘というタガにはめられているんです。42歳ではなくて。まるでお地蔵さんになって立ってるみたいに、『怖い』になる」
その法事の中で伝聞したんのは、以下のようなこと。
柳さんの父はギャンブルにのめり込み、それに愛想を尽かして母は家を出た」。ところか今度は母自身が虐待を振るう側に回った。
(ここで柳さんの15歳の頃の写真が画面に映る。私が驚いたのは、現在の柳さんとほとんど変化のない顔立ちだったことだ。実際彼女はまだ子供のままなのである!)
*****
そして、ついに、老いた母が面接室に現れる時が来た。
母が「大丈夫」という言葉を面接室に入って思わず繰り返すことにカウンセラーは気づく。
「本当は大丈夫ではなかったのでは?」と問いかけるカウンセラー。
母の母は継母だった。
「一番肝心なことは口にしたこともありませんよ」
「過酷・・・としかいいようがない」
母は、2回だけでカウンセリングを拒むようになる。
*****
柳さんは、自分の親の生い立ちを知らないことに気がつく。そして、父の生い立ちを知るために、父と一緒に、父の生まれた韓国の故郷に行ってみたいと思うようになる。
カウンセラーもその旅に同行する。
この条件で、その気になれたのだ。
*****
父の故郷、山清(サンチョン)。
父の語る思い出話は、小学校時代のこと。
薪(まき)を打っていた。それで生計を立てていた。
実は、父の父は資産家だった!!
日本でも成功した、
だが、韓国に戻り、一気に転落した。梁の中の竹林に掘っ立て小屋を立てて、薪を売った。家族総出で田畑を耕した。
兄嫁に会いに行く。
兄嫁は、日本で生まれ、父4歳の時に結婚した。以下、彼女の話:
父の父は怖い人で、すぐに叩く人だった。兄嫁の夫も叩かれた。それどころか尻に刃物を刺されたこともある。
「自分より子は優れていないとならないのに、、息子は自分より落ちる。そんな息子は竹槍で殺す」
そういう父(父の父、兄嫁の義父)の言うとおりにしないと怖かった・・・という。
*****
こうした中で、柳さんの中に、次のような感慨が生じる:
「今まで父に対する時は子供のままでいる気がしていた。でも、子供だった父の姿が見えてくると、そういう子供の父がかわいそうだと思えるようになってきた」
カウンセラーは付言する:
「それは、柳さん自身の中の子供の部分への『かわいそう』という感情にはつながらない?」
柳は応える:
「・・・・かなしい」
カウンセラー;「柳さんの中で、初めてお父さんに関することで感情が動いたみたいですね」
柳:「自分と父の土壌は、地続きのようでいて地続きではないんだ」
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この後、柳さんの子供への接し方に徐々に変化が現れる。
息子が塾の入試で不合格になっても、柳さんは落ち着いていられた。
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このあとは、このエントリーの冒頭で「先取り」して書いたように、柳さんと息子さんのかかわりの変化は、まだはじまったばかりであり、これから、ひと山もふた山もあるであろうことを示唆して、番組は終わる。
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・・・すでに放送されて一週間以上立っているが、私は録画したものを見返して書いているんではない。番組を見ながらの速記録を再現しているだけである。多少の言葉の相違があってもお許し頂きたい。
だが、これはそのまま私の面接記録のとり方のスタイルである。彷彿とさせる再現力に一目置いていただければ幸いである。
単に面接を終えてからの記録なんて、肝心なことはほとんどそぎ落としているものだ。
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NHKスペシャルの詳しい紹介は、私のブログの定番であり、きっと多くの読者に読んでいただけるであろうと思う。私は画面込みでの「再現」に専心し、あまり主観的な感想はのべないままでいようと思う。
ただ、それでも付言したいのは、単に「虐待の連鎖」などというふうに図式的にのみ教科書的に習い覚えるだけでは、とてもとてもこういうカウンセリングは進められないだろうということだ。
彼ら、彼女らは、薄皮一枚剥がせば深い人間不信をかかえて生きてきている。表面的な受容や、さりげない仕草だけで容易に安定した関係は崩れるであろう。
それどころか、こうした人達と面接する中で、そうした「負の連鎖」がカウンセラーをはじめとする援助者の日常にまで影響する可能性は大変高いことを肝に銘じるべきと思う。援助者自身の家庭で、思いも寄らない件で少し諍(いさか)いが出るとか、施設内でいつの間にか、利用者に暴君的に振舞ってしまうなど、大いにあり得ることを覚悟すべきである。
短いtogetter(Twitterの記事をまとめて配列し、コメント機能を持たせもの)ですが、フォーカシングの由来と、未解決の今後の課題について論じてみました。
興味のある方はご覧下さい。
入り口はこちらです。
イタリア出身のこの往年の名指揮者は、圧倒的な要求水準でオーケストラを鍛え上げ、今日に至るまで誰も達成しえなかった全く贅肉のない演奏スタイルを誇った。
まるでひとりの人間がすべてを演奏しているかのような、一糸乱れぬ演奏の凄まじさを堪能するためには、ますはヴェルディの歌劇「運命の力」序曲の鬼気迫る磨き上げの数分間がふさわしいだろう。
(↓以下の映像、多少ナレーションがだぶる箇所があるが、曲の勘所をうまくかわしているのが幸いである)
次は、本来ラジオ放送専門のオーケストラだったNBC交響楽団が、カーネギーホールでライブを行うようになった時の貴重な映像記録の中でも最も有名な、ベートーヴェンの第5ハ短調交響曲、すなわち「運命」の第1楽章。
この曲は、主観を排してひたすら客観的に演奏した場合に真の迫力が出るのだが、その典型のような名演である。
●Beethoven Symphony No. 5, 1st mvt--Arturo Toscanini/NBC Symp
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続いて、またもやウェルディだが、「レクイエム」より「怒りの日」の前半。
●Verdi Requiem - Toscanini: Dies irae (part1)
おしまいに、これまた永遠の名盤の誉れ高い、ウラディミール・ホロヴィッツのピアノと共演した、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の第1楽章。
●Horowitz: Tchaikovsky Piano Concerto No. 1 i. (1943)
ベートーヴェン : 交響曲第5番 「運命」・第6番 「田園」・第7番・第8番
ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスといういわゆる「3大テノール」が束にかかってもかなわなかったのが、「黄金のトランペット」と呼ばれたデル・モナコである。
日本では、1960年代初頭の「イタリア歌劇団」来日公演が、当時レコード会社との専属契約で不可能だった、「奇跡のオール・スターキャスト」での伝説的な名唱と呼ばれており、欧米でもこの時の映像が繰り返して放送されているようだ。
まずは、そのイタリア歌劇団来日公演の中から、映像がYouTubeでみつけられたものを4つ(NHKの放送で私も何回か観ています)。
●Leoncavallo.Pagliacci.Vesti la Giubba.Mario del Monaco(YouTube)
デル・モナコの当たり役、レオンカヴァルロのヴェリズモ・オペラの至宝、「道化師」より、カニオの「衣装をつけろ」。
●Mario Del Monaco in Otello 1959 "Esultate"(YouTube)
デル・モナコといえばウィルディの「オテロ」こそ当たり役。永遠の語り草とされる、第一幕のオテロ登場の瞬間!!
●Mario Del Monaco Tito Gobbi Otello (vaimusic.com)(YouTube)
↑そして、ゴッビ演じるイヤーゴと、最後には「超鬼気迫る」掛け合いに盛り上がる名シーン。埋め込み無効リクエストですので、YouTubeサイトでご覧下さい(^^)
●Mario del Monaco sings O sole mio in Tokyo(YouTube)
オ・ソレ・ミオ / ビー・マイ・ラヴ ~デル・モナコ・ソング・アルバム
ご参考までに、私の愛蔵している、カルロス・クライバーのビゼー:歌劇《カルメン》全曲 [DVD]
日本における自殺者は、1998年以降、11年連続3万人以上が続いている。
しかし、日本の精神医療は、医者は昼間は数十人の患者さんの診察を抱え、夜間に大病院で待機する看護士も、入院患者の急変等の事態が想定できるため、電話で話をきく以上の対応は難しいところが多いという。
鳩山政権は、先月、自殺対策緊急戦略チームを結成、年の瀬から3月までの短期的な対策として、失業者や多重債務者に向けての相談窓口については対策をとることにしたが、実際に自殺に至る人の3分の1以上は精神疾患をを背景としているのに、それに対する対策はそこには含まれてはいない。
ある統計によると、実際に自殺した人が、それまでに何らかの相談機関を訪れている率は(精神科以外の医療を含めて)72%にも及ぶという。
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イギリスでは、ブレア政権当時、精神疾患や自殺による国益の損失が実に280億ポンド(約4兆5千億円)にのぼるという試算が出され、心臓病・がんとならぶ3大疾患として位置づけ、精神医療に関わる予算を一気に1.5倍にまで引き上げた。
一方、統合失調症等で入院させたものの、症状がむしろ悪化する現実に憤った家族たちが、「精神疾患者も、地域で治療や教育・支援を受ける権利がある」という運動を起こしていく。
そうした中で国家的な取り組みとして確立して行ったのが、全国300もの拠点に、医師、看護士、ケースワーカー、キャリアカウンセラーなどが24時間体制で配置され、ひとりひとりの患者さんに、それら複数の職域のスタッフが関わる「早期介入チーム」を置くセンターを作っていくことであった。そこにはかかりつけの家庭医や、警察すら含む緊密な連携が形成されている。
そこでは、「アウトリーチ(積極的介入)」と呼ばれる手法が重視される。すなわち、チームを組んだ医師や看護士の方から家庭を訪問して対応するのである。住んでいる家や建物(例えば何階に住んでいるか)がわかれば、どういう形で自殺する危険があるかも掌握できる。
自殺企図が強まった患者さんからの電話で、訓練を受けた看護士が、他の住民に本人の疾患を悟られないように、「私服で」訪問し、しばらく話を聴くうちに本人は落ち着いた例などが紹介されていた。
統合失調症者の社会復帰においても、散歩するとか買い物に行くなど、小さな行動ステップを積み上げ、徐々に外出できるように援助するなどをするのであるが、何とその際にソーシャルワーカーが「付き添う」ところからはじめる場合もあるらしいのである。
こうして、イギリスでは自殺率の増加に歯止めがかかったという。
ここからは私の感想だが、こうしたアプローチは、個人のプライバシーの世界に公的機関が非常に細やかに積極介入するスタイルである。担当者と当事者の間の信頼関係の樹立に細やかな配慮が行き届いた場合に、はじめて社会的に受け入れられるものになるのではなかろうか。
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いずれにしても、それぞれの資格を持った専門家が妙なメンツにこだわっている段階は、日本もそろそろ卒業して、連携チームを組んで協働できるステップへと早く進めねばならないだろう。
そのためには、制度が上から変わってくれるのを待っていても仕方がない。
臨床心理士もまた、進んで越境的な「行動する臨床心理士」へと、ゲリラ的に、草の根レヴェルから変容していける底力を見せないと、それこそ何らかの法制化の際にお高くとまった使い物にならない人種と見られるのがオチであろう。
私自身が共著者の一人として名前を連ねて1章だけ書いているので、ご紹介するのは少し恥ずかしいのですけれども、それでもやはり、日本(特に関東地区)におけるフォーカシングの普及において、ひとつのターニング・ポイントになった本だと思いますので。
それはどういうことかといいますと、本書が刊行(1995年)された少し前、フォーカシングの有力なトレーナーであるアン・ワイザー・コーネル女史が初来日され、ワークショップを開催しました。その時の実習と、当時ワークショップ参加者だけが購入できたアンさん独自の技法マニュアル(それが後に刊行されたものが、あの「入門マニュアル」と「ガイド・マニュアル」
です)を元に、東京の日精研などを舞台として、恩師、故・村瀬孝雄先生や日笠摩子さん、近田輝行さんたちと共に、そのアンさんの技法を自己掌中のものにするべく勉強会を重ねました。
そうした中で、村瀬先生の立案で、アン・ワイザー法を詳しく具体的に紹介することに大部を割いた本を4人で1冊書くことになったのです。
つまり、本書は、日本における、公刊された、アン・ワイザー法フォーカシング「事始め」でもあるのですね。
日本フォーカシング協会設立の、少し前の時期のことです。
●神田橋條治先生による本書の書評(「精神療法」誌 第22巻 3号掲載)
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次に、本書の目次をご紹介します。
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その後、私たちは、後続するジェンドリンや奥様のメアリー・ヘンドリックス(The Focusing Institute 現CEO)、アン・ワイザー、エルフィー・ヒンターコフ、ジャネット・クライン、ケビン・マケベニュ、バラ・ジェイソンらの著書や論文、ワークショップ(邦訳はありませんが、メアリー・マクガイア、ドラリー・グリンドラーをはじめとする人たちによる、重篤事例についての重要な論文があります)からさらに多くのことを学び、日本国内でワークショップ・セミナー・研究会を仲間たちと実施したり、それぞれの臨床・教育現場の中での適用を模索する中で、更に研鑽を積んで行きました。
しかし、今回、本書を久しぶりに読み返してみたのですが、(自画自賛じみて申し訳ありませんが)、よくもまあ、この段階で、ここまでフォーカシングの当時最先端の潮流を咀嚼し、広範囲の視点から総合的にご紹介できていたなと、ほっと胸をなでおろした次第です。
私たちの「フォーカシングの青春時代」は無駄ではなかった(^^)・・・・まだ、古くなってないです。
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本書の中の白眉のひとつは、日笠さんが苦心の末に編み出した、当時のアン・ワイザー法に基づく「フォーカシング・フローチャート」(p.pp.124-6)でしょう。このフローチャートを観てみるだけのためですら、本書を借り出したり、購入する価値があるかもしれません。
ジェンドリン自身のオリジナルのフォーカシング技法が、単純に要約された、せいぜい1,2ページのマニュアルとして配布され、「それがフォーカシングというもの」と学習者に思い込まれてしまって伝播したことの最大の弊害は、フォーカシングの手順というものを、「空間づくり」にはじまり、「フェルトセンスをつかむ」→「手がかりとなる言葉やイメージを見つける」→「見出した言葉やイメージが実感にぴったりかどうか共鳴させる」→「フェルトセンスに問いかける」→「受け止める」という段取りを、順序だてて進めたときにはじめてフォーカシングしていたことになる・・・かのような誤解を広め、それでは思うように成果が上がらないと諦められてしまう事態を招いたことでした。
(このことが、ジェンドリンも望まない事態で、もっと柔軟な適用が肝心であることについては、ジェンドリン自身の著作、「フォーカシング」を丁寧に読み解けば、繰り返し説かれていることなのですが)
アンさんは、ジェンドリンの技法をベースにしながらも、それをわかりやすくて「勘所」を明確にした「5つのステップと5つのスキル」に再構成しました。
その結果、気がかりな「事柄」からであろうと、その時の漠然とした「身体の感じ」からであろうと、柔軟にフォーカシングを始められるばかりか、内側から生じてきたものは取りあえずなんでも「認めてあげる(acknowledging)」ことと、フェルトセンスから性急な言語化を引き出さないまま「共にいる」ことを重視する丁寧でかゆいところに手が届くものとなりました。
この「認めてあげる」や「共にいる」は、実はセッションの最中のいたるところで提案される教示なので、実は番号を振って直線的に順序だてて説明することになじみにくいところがあります。
更に、フェルトセンスから「遠すぎる(too distance)」状態になった人と、「近すぎる(too closed)」状態になった人(アンさんのいうフェルトセンスを「脱同一化(disidentification)」して感じられる状態が程よく維持できないという点では、どちらの事態も共通です)への臨機応変な介入も必要です。
これらをすべて表現しようとすれば、もはやフローチャート形式をとって空間的な表現にして、必要あればあっちに行ったりこっちに戻ったりということを一望できる図版にするしかない。
日笠さんを中心とした人たちが取り組んだこの「図版化」は、アンさんの技法書のどこにも出てこないオリジナリティあふれるもので、これがアンさん来日2年目で達成されたことは、再評価されてしかるべきと思っています。
(アンさんの技法体系そのものも、その後進化を続けていますが、この段階でのアン・ワイザー法の、几帳面な丁寧さのプラス面は、フォーカシングを「意図的なスキル」として緻密にトレーニングする場においては、決して過去のものにされてはならないというのが私の信念です。このフローチャートは、私の主催するささやかなグループでの恒例の配布資料で、現在もあり続けています(^^))
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さて、私が執筆した第10章ですが、のっけから「臨床家自身がフォーカシングを身につけ、日常の中で役立てられていないうちは、臨床現場での適用なんていうことは考えない方がいいのでは?」という、不遜なまでに挑発的なメッセージからはじまっています。
さすがに若気の至りではなかったかなと、その後多少自己嫌悪に襲われ、長らく読み返さないでいたのですが(^^;)、本書刊行から14年を経て、一読者の心境で客観的に読み返してみたところ・・・・ほっとしました。私なりに十分にジェントルで丁寧な語り口で書けている。
(つい最近、認知行動療法の大家、伊藤絵美先生が、これからCBTを学ぶ専門家への心構えとして、実にそっくりの表現を、著作でなさっているのに気がつき、安堵したというのあります)
そして、当時はジェンドリンが書きつつある「フォーカシング指向心理療法」のdraftを村瀬先生によって手渡されて、その一部を読み解くぐらいの段階でしたが、私がその時点で言葉にできた「臨床現場でフォーカシングをどのように生かすか」という方向性に、その後ブレはなかった、完全に今日の私のスタイルへと繋がっていると確信できました。
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更に、この私の書いた章、さすがアニメおたくカウンセラーこういちろうですね(^^;)、私自身すっかり忘れていたのですが、次のような部分がありました(pp.241-2):
========引用はじめ=========
このようなクライエントさんたちにとっては、自分が「どんな」感じでいるのかについて語ることは、まだサナギの状態でしかいられない昆虫が、性急に脱皮を急がされたような外傷体験に容易に結びついてしまう危険があるのです。・・・最近(95年7月)、「風の谷のナウシカ」等で有名な宮崎駿氏らスタジオジブリ制作による長編アニメ、「耳をすませば」が封切られ、映画館でご覧になった方も少なくないかと思いますが、この映画の中で、主人公の月島雫(しずく)という中学生の少女が、留学した恋人が日本に戻るまでに、自分もなにかをやり遂げようと一大決心をして、受験勉強を投げ出して、寝食を忘れてファンタジー小説の執筆に打ち込む展開があります。
憔悴して眠り込んだ雫は、ある悪夢にうなされます。鉱脈の中の壁一面が原石でできた洞窟の中で、ほんとうに輝くただひとつの純粋なエメラルドを見つけ出そうと焦って探し回るけれども、なかなか見つからない。これぞと思って壁から抜き取った石は最初は光り輝くかに見えました。しかし次の瞬間にその石は、雫の手のひらの中で、まだ卵からかえっていないヒナの死体へと変容するのです。
悲鳴と共に飛び起きる雫。目の前には一向に進まない、破り捨てた書きかけの原稿用紙の山があります。
映画の中の雫の場合には、物語をともかくも書き上げるだけの自我の強さと、そうした彼女を理解して見守る幾人かの周囲の人たちのまなざしがあったから救われたのですが、私たちが現実の臨床現場の中で出会うクライエントの中には、まさに賽の河原で石を積んでは壊されるかのようにして、自分の中の「卵」や「サナギ」を性急に孵化させようとしては流産させることを繰り返す中で傷つき、内面をすり減らし、蟻地獄のような絶望と無力感に次第次第に沈んで行く人たちも少なくない思えます。
むしろそうしたクライエントさんたちにまず必要なのは、自分なりにさなぎ(繭)をつくって、その内部で成長と分化が暗黙のうちに進展するのを見守ることが許されるような治療的な場の保障と関係性ではないでしょうか。
すなわち、彼ら/彼女らは、まずは、自分たちの中にうごめく形(言葉)にならない混沌が、自分を破壊する可能性がある脅威ではないという安心感を抱けるように徐々になれる治療的な場を保障してもらえる必要があるように思います。
そして、その言葉にならない混沌を、いとおしみながら育み育てるための子宮的な空間を、自分の身体の内部や外部に安定した形で確保できる自分なりの工夫を見出せるようにサポートされるべきです。
(これが、本書でもすでに第5章で示した、アン・ワイザー女史の言う、フェルトセンスと「一緒にいる」ということにあたります)
========引用おわり=========
精神科医の中井久夫氏によると、精神分析医のバリントが、「医者という名の薬」ということを言っているという。
中井氏ご自身、著作集第5巻「病者と社会」収録の、「心に働くくすりは信頼関係あってこそ効く」という短い論考(pp.163-8)で、
「医師への信頼関係があれば少量で効くし、量が増えない。不安を抑えるくすりを不安な状況で飲むのが得策でないのはわかっていただけよう。薬への信頼は、究極には医師への信頼である」
「私は、患者が苦情をいうことが医師に対する最大の協力であると思っている」
「(患者に)苦情を言ってもらうことで次第に正しい処方に到達するものである」
と書いておられる。
これは精神科の薬の処方に限るまい。医師の前では「優等生」にしかなれなくなり、実際にはたいへんだったり不安があってもそれを語れない患者さんは実に多い。
医者の側に、苦情をいわれても嫌な顔ひとつしないだけの応対の力があっても、医師と患者というのは、自分の命や身体症状を公式に預け得る唯一の「絶対的権威」であり、「対等」ではあり得ない構造的な関係性が布置されているのだ。
そしてそれは、精神科の薬物療法ばかりではなく、例えば救急医療やがん医療において、外科的処置が必要な場合ですら共通の問題といえるはずである。
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ここで紹介する、「言葉で治療する」という本の著者、鎌田實氏は、救急医療の現場に始まり、がん病棟、救急医療、小児科をはじめとするさまざまな現場 で、医師と患者の間のコミュニケーション不全がどれだけ大きな問題を引き起こしているかに現実に関与し続けて来られたお医者様である。
がん患者ご本人やそのご家族の実に30-40%近くがうつ状態、ないし、本格的なうつ病に陥っていることを著者は指摘する(統計によってはもっと高い数値を指摘するリサーチもあるという)。
がん医療に力を入れているといわれる病院、ホスピスなど終末期医療に力を入れていると喧伝している病院ですら、医者の不用意な言葉が単に患者さんを傷つけるのみならず、両者のディスコミュニケーションが、症状の変化に気づくタイミングを逸してしまうことになり、早過ぎる死に至らしめていることが疑念されるケースすら稀れではないらしい。
その一方、万策を尽くしても患者を救い得なかった医者に対して、患者が感謝の言葉を捧げるような関係性が成立している場合も確かにあるのである。
まだ、医療チーム内部でのコミュニケーション不足が、患者さんとの信頼関係をいかに損なうのかについてもとりあげられている。
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こうした状況が生じたひとつの背景には、医師不足の問題に加え、小泉政権が推し進めた社会保障費の抑制の中で、医師に限らずコメディカルなスタッフ全体が疲弊し、患者さんに丁寧な応対をする余裕を喪失させたことも大きいと著者は論じる。
「インフォームド・コンセント」の重要性は、歯科医すら含む形で医療全体に浸透してきたはずではないかといわれるかもしれない。だが、インフォームド・ コンセントの広まりを支えて来たのは、リアリスティックにいえば、医療訴訟に対する医療側の自己防衛という側面があり、(これは私の考えだが)開業医が多い地域では、経営的「生き残り」のために悪評を立てられたくないという側面も後押ししたのではなかろうか。
いわゆるクレイマーやモンスターペイシェント(ペアレント、ファミリー)の問題については、鎌田氏は、
「医療現場を萎縮させ、今日の医療危機を招く一因になっていることもたしかだ。いまだにモンスターペイシェントはいることはいるが、潮の目が変わったように思う」(p.36)
と書いておられる。
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実はまで読み始めて3分の1だが、すでに日本人の死亡率第1位になったがん医療、そして高齢化社会で更に必要性が高まるであろう終末期医療の現場が、現実にはこれほどまでにコミュニケーション上の課題山積であることについては、次々と登場する実例を読んでいると呆然とした思いに駆られる。
1998年に自殺者が3万人を越えた段階で、がんの次は自殺予防対策だという声があがりはじめて久しい。
しかし、うつ状態(ないし気分障害)になって入院したり通院歴があるクライエントさんがほとんどを占める私の開業カウンセリングの現場で痛感するのは、 単純にお医者様を悪者にしてしまうつもりは毛頭ない(一日に50人もの患者さんの診察をするなど、欧米では考えられない状況らしい)が、患者さんとお医者様の間でのコミュニケーションの行き違いが、症状の遷延化と、そして、「こころの支えとしての医者への信頼」を持てないまま、あちこちの病院を何年も転々としてきた軌跡である。
この本は、「精神科医療」についての本でも「カウンセリング」についての本でもない。しかし、底に流れるマインドは、お医者様やカウンセラーに限らず、すべての援助的専門家が自分の「現場」を振り返る上で、直面するしかない課題に気づかせてくれそうだ。
押井守さんの映像作家としての可能性を映画界に最初に知らしめた、私自身映画館で見た回数が18回という不滅の大記録(?)を持つ、あまりにも思い入れの深い、日本のアニメ映画史上に残る不滅の金字塔というべき作品について、今回はそこで使われた音楽という観点を中心に論じてみたびゅー
私にとっての、もはや無自覚なまでの「お宝CD」になってしまった。LP時代から、この四半世紀(1984年作品だから、まさに25年経た)の間に、どれだけ、どれだけ聴き返したことだろう。
↑今やプラチナ級中古CDになってしまったみたいですね(^^)
実は、ある時期、このBGM集は、アニメと無関係な番組で、さりげなくBGMとして、実に頻繁に使いまわされました。ですから、映画を知らない人でも、少なくともある世代以上の人は、アニメに無関心でも、個々の曲のいくつもを実は無自覚に何回となく耳にしたことがあるはずである。
そのくらい、「BGM」として圧倒的なまでの独立した普遍性を持つ(!)ということである。
本編から離れた形での「BGMとしての普遍性」という表現そのものが、矛盾した逆説的表現であることは百も承知だ。
だが、例えば、エリック・サティの「ジムノぺディ」第1番を「聴いたことがない人はどこにもいない」ことを思い出してほしい。まさに「家具の音楽」。
そして、この「ビューティフル・ドリーマー」の音楽は、実際にサティの作風の影響の下に(というか、押井さんの指示で意図的に?)作曲されていることも、ほぼ間違いがないだろう。
星勝さんと、1曲だけ奥慶一さん(後者は、「魔法のスター・マジカルエミ」における、これまたフォーレそっくりの印象派的BGMが私には忘れられないが)作曲によるBGMは、ピアノを主軸としつつも、ここぞというところでフル・オーケストラまで動員する中心とするアコースティックと、当時のシンセサイザーの融合と使い分けという点で、時代の先端を行く画期的なものだったはずだ。
メインテーマ・モチーフ(やすらぎ)の、曲としての完成度の素晴らしさ。同じくメインテーマ・モチーフ(不安)の、たゆとうような、印象派的室内楽的なさりげない気品。
更には、さりげないが、保健室での温泉マーク先生とサクラ先生の窮迫した対話・・・・このシーンの360度回転の繰り返しのカメラワークは、制作当時においては、アニメ史上に残る独創的かつ画期的な映像演出だったと思う・・・・の背景で流れていた、単調な繰り返しのようでいて耳から離れない、ピアノソロの秘曲、"Star's Rondo"。
そして、この2つのモチーフが融合され、映画のクライマックスシーンで圧倒的な効果を発揮した、フル・オーケストラによる、ドラマチックな、"ビューティフル・ドリーマー"メインテーマ。
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そして、映画では断片としてしか使われなかったが、全曲通して聴くと、何と心に染み入る透明で暖かい名曲だろうかという感激を禁じえない、「ラム...In My Love」。
著作権の問題もあり、いろいろ困難が伴うのは確かだろうが、どうか、高橋留美子先生、この映画とBGM集を再び世に出すことへのご寛容を。
【追伸】:やっとブルーレイが発売されたみたいですね。
↑ある世代のアニメファンには懐かしいでしょうから、CD内解説書の、この映画のポスター用に作られた、恐らく高田明実さん(あるいはやまざきかずおさん?)によるイラストも。
・・・・・今、振り返って思い返してみると、この映画、実はシュールな装いをまといつつも、押井さんが、高橋留美子ワールドに触発されて生み出した、究極の「男女の愛の物語」だった気がする。
それが、原作の高橋留美子先生の感性とはいかに異質だったとしてもね(^^)
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おまけ:
「ラムのラブソング」・・・・TVシリーズのOPとして、革命的な名曲(途中の転調が凄いし、「すべてシンセで作られた初のアニメ音楽」です。カバーですが、原曲のテイストの忠実な再現に実に徹してくれているのが嬉しい。これはお勧めですね(^^)
「愛はブーメラン」・・・・「ビューティフル・ドリーマー」のエンディング。・・・・ま、まさか男性によるカバー(???)があるとはねえ・・・・はっきりいって、らき☆すたの白石みのる氏が、番組の中でエンディングとして無伴奏で歌ったに過ぎないものがiTunesにまで入っているだけみたいですので、古くからの「うる星」ファンの人は拍子抜けすると思います(^^;)
私が偏愛するジャズ・トリオの歴史的名盤、ビル・エヴァンズ・トリオの"Waltz For Debby"を、YouTubeで全部ご紹介してしまうという企画、前回に続いて第2回です。
↑これだけはYouTubeでいくら検索しても、アマチュアのギタリストさんによると思える動画しかなくて。ビル自身の作曲ではなくて、もっと以前からのスタンダード・ナンバーのようです。
●Bill Evans Trio - My Romance (tune3)
↑これは1979年のライブなので、ビルの急死の前の年のものです。
↑指揮者としても著名だった、レナード・バーンスタインが、ミュージカル"On The Town"のために書いたナンバー。歌詞の日本語訳はこちら。YouTubeは、静止画のまま、アルバムオリジナル音源だと思います。 ・・・・ああ、どうしてもアルバムオリジナルがいいなあ。
↑これもエヴァンズ・トリオ版の動画発見不能。やむを得ず、マイルスのオリジナルアルバムのタイトル同名曲を音源としたものから引っ張ってきました。セクステットという大規模な編成、コルトレーンも参加している豪華なセッションですが、そろぞれのソロ・プレイのかけあいが実にかっこよく、ハードで豪快なので、ビルのアルバムとは異質な空気ですね。
なお、ビルとマイルスは親交が深く、このアルバムの次に来る、デイヴィスの歴史的名盤、"Kind of Blue"では、ほとんどの曲をビルがピアノを弾いて、このアルバムそのものがビルのクリエイティビティ抜きには考えられないくらいですが、このYoutubeの中で「地味ーに」ピアノを弾いているのは、もちろんビルではありません。
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ここまでが、アルバムオリジナルの曲目ですが、現行CDのボーナス・トラックに入っている、別テイク以外のものまで追加しましょう。
●Bill Evans - "I Loves You Porgy" Solo - NYC 1969
↑ここではビルのソロ・プレイ。原曲はガーシュインの「ポーギーとべス」のナンバーです。
「ポーギーとべス」といえば、何を置いても"Summertime"でしょうから、このアルバムからは離れますが、ビルによる演奏も。
●The Bill Evans Trio - Summertime (1965)
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おしまいに、ビルとしてはやや軽いノリの演奏かと思いますが(それでもインタープレイが始まれば凝ってるよな、やっぱり)、いわば「アンコール」の意味を込めて「いつか王子様が」。
●Bill Evans Trio - Someday My Prince will Come
なお、ビルの演奏記録としては、DVDでも幾つも出ているようですが、私も1本め以外は観ないままですけど、ここでは、次の3つを紹介しておきます。
ザ・ユニヴァーサル・マインド・オブ・ビル・エヴァンス [DVD] ※こちらは本格的ドキュメンタリーです。演奏というより、じっくりとしたインタビュー中心。
ワルツ・フォー・デビー/ジャズ・セット’72 [DVD]
※こちらは、amazon評では「調子が悪そうで痛々しい」とあります。
Oslo Concerts [DVD] [Import]
※これはamazon評が絶賛。
(この項おわり)
私は基本的にはクラシックを中心に聴いてきて、時々ビートルズと、マドンナやオリヴィア・ニュートン・ジョンやカーペンターズと一部のプログレを聴くのを別にすると、J-POP、しかも中島みゆきと奥華子を除くとavex系に偏向し、浜崎あゆみ命な人間なんですが、1,000枚を超える所蔵CD、とても全部はiTuneに入れられるわけもない。それでも私のiTunesは、楽章や変奏や歌劇の番号アリアごとに別れると、現状でも1万曲を越えている状態です(^^;)
ところが、以外にも、独身時代、ジャズを聴くことににチャレンジした時期があります。いわゆる「名盤」はコルトレーンでもコールマンでもマイルスでもそこそこ持っていて、全部で数十枚にはのぼる筈ですが、結局繰り返し聞いて偏愛している唯一に近いアルバムが、ビル・エヴァンズ・トリオの"Waltz For Debby"なんですね。
ところが、一度その膨大な音楽データベースごとメインのHDをやられてしまって(iTunes Storeで購入したものだけは別にしていて生存)全部CDからセレクトし直してコピーしなおすというとんでもない労力がかかることを、久留米に戻って、まだ開業が閑古鳥の極限だった頃やっていくために、段ボール8箱にも及んだCDを確認して行ったのですが・・・・・ううう、未だにこの愛聴盤が出てこない(^^;)
【追記】:結局買い直しました(^^)
知り合いとの会話で、「クラシックの延長で、このアルバムなら凄く自然となじめるかと思う。・・・・けど、でもすんごく本格的なジャズの名盤でもあるらしいよ」と勧めたくなったのをきっかけに、YouTubeをあさりまくりました。
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まずは明らかにアルバムそのものの音源=ベーシストが、このアルバム発売8日後若くして亡くなった、スコット・ラファロによる、ヴィレッジ・ヴァンガードでライブ収録された、1961年6月25日(私すらまだ0歳!)の、アルバムタイトルと同名曲を。
CDには同時収録された、テイク1の方かテイク2の方かはもう忘れました。(注:画像がこのサイトに取り込めません)。
●Bill Evans Waltz for Debby(YouTube クリックすれば該当ページに飛びます)
ほんとうは、このオリジナルアルバムを、是非CDで聴いていただきたいのです。もちろんステレオ音源で、音質はかなりいいほうではないでしょうか。ワイングラスがかすかに触れ合う響きがむしろ心地いいというか、場の雰囲気も繊細に伝わりますし。
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以下はYouTubeの映像検索を駆使して、アルバムのオリジナルの順序で、アルバム収録からは数年後以降の映像記録をすべて並べます!!
もっとも、曲によっては、メンバーが入れ替わりつつも継続された、ビル・エヴァンズ・トリオでのものが見つからなかったので、突如、ビルと関わりが深かった、マイルス・デイビス(でもこれもピアノはビルかもしれない???)や、ジムジム・ホールに登場いただきます。更に意外な演奏も・・・・
↑ほんとうは、アルバムでは冒頭曲なので、はるかにしっとりと静かにはじまるんだけど、この演奏だと、前の曲からメドレーで続けてるっぽくて、アルバムの雰囲気とかなりテイストが違うかも。音だけですが、こちらにアルバム音源のものがあります。
↑これはかなり収録条件がいい演奏みたいですね。
●Waltz For Debby/Kronos Quartet
↑現代音楽が得意なクラシックの弦楽四重奏団、クロノス・カルテットによる知る人ぞ知る名演・名編曲。楽器が変わっても、ビルのオリジナル・アルバムへの愛が感じられて仕方がない。
なお、このクロノスのアルバムには、ビルと縁が深いベースのエディ・ゴメスとギターのジム・ホールがそれぞれ3曲ずつ参加しています。
前回の補足として、クリストファー・レーン著、「乱造される心の病」の中で、フロイト自身の「精神分析入門」の引用を基にして、レーン氏がどういう論の展開をしたかの部分を具体的にご紹介したい。
以下で出てくる、フロイトからの引用箇所は、新潮文庫版の日本語訳から引き写したものであることが注で明記されている。
レーン氏が実際にフロイトの直接引用をはじめる少し前の箇所から引用をはじめたい(pp.213-4 傍線は原文の傍点)。
========以下引用===========
これまで述べてきた、社会恐怖に対する神経精神医学的、認知行動的、精神力動論的アプローチの違いを考えると、晩年のフロイトが、自ら進んで生物医学を強く信頼するようになったのは驚きかもしれない。彼は「将来は、特定の化学物質を使って、精神に関与するすべての器官にエネルギー量やその備給に直接働きかけられるようになるだろう」と認めている。
この言葉は、不安を引き起こす心理学的要素を優先させても、不安の生物学的、更には社会的な実証の重要性が低くなるわけではないことを明快にするのに役立つ。単に不安の要素の順序が入れ替わっただけなのである。人前で話をするときに感じるような心臓が激しく鼓動する不安と、人に生来備わっている「闘争-逃走反応」は、いずれの場合にもアドレナリンが体内を駆け巡るのには違いはないが、心理学的には異なる。したがって、両者を混同してはならない。混同してしまうと、演説的不安をあまりにも大袈裟に表現し、不安は外的な脅威や危険からも生じることがあるという事実を見落としてしまう。精神分析の見地からは、このような脅威(及び、内なる内的な要因)の認識は異常ではなく、精神分析学の真の目的となる。
========引用終わり===========
・・・・・あの、レーンさん、なぜ「この部分」でフロイトを「こういう形で」引用したのですか?????
私には、「フロイトが未来の薬物療法の可能性にある意味で期待をかけていた」こと、安全な新薬が開発されればフロイトだって喜んで活用したろうことをむしろ示唆することで知る人ぞ知る箇所(フロイトの一時期の「コカイン」礼賛のことをレーン氏はどう考えているのだろう??? 知らないのか????)を引き合いに出しながら、同時にそれを無視するという、わけのわかんない、ほとんど苦し紛れと言われても仕方がないことをレーン氏が書いている気がしてならない。
・・・・・・実は、こうした「論理的でない」部分が山のようにある本なのです。
以前に書いたことを改めて申し上げますが、私も、個々の製薬会社のプロモーション活動への膨大な投資に疑問があるという点については、何ら異論は差し挟むつもりはない。
問題は、このレーンという著者に、「ほんとうの学問的誠意」がないことだ。
膨大な情報やインタビューを駆使しているかに見えつつ(個々の事実は事実として正しかったとしても)、実は、「ある一定の論調」にひたすら誘導する、週刊誌やテレビの質のよくないルポルタージュやドキュメンタリーのようなのを延々と読まされる羽目になる本です。
この本にいろんな栄誉を与えたアメリカのマスコミのレヴェルって、結局その程度なのねといいたくなる(^^;)
2009年10月4日付読売新聞における春日武彦氏による本書の書評は、まるで本書がうつ病と診断されている人について書かれた本であるかのような誤解を与えかねない記述になっているが、本書の実態はそうではない。
この本はあくまでも、単に内気(原題:"Shyness")な人が、特に「社会不安障害」という診断に祭り上げられる過程について告発する意図で書かれたものである。
しかも原著者は精神医学の専門家ではなく、気鋭のジャーナリストですらない。英文学者である。amasonの英語版サイトで星をほとんどつけていない人の酷評ぶりはすさまじい。
「この本は教養課程キャンパスの象牙の塔の中で広まっているように思える、奇妙で、反科学的なパラノイアの典型です」(Gina Pera氏)
製薬会社が「病気を作り出す」プロモーション活動をしてきた問題についての本なら、冨高辰一郎氏の「なぜうつ病の人が増えたのか」の誠実で慎重な筆の運びの方を遥かに推薦したい。
また「日本の」精神医療の薬物療法への過剰な依存、多剤処方、誤診の多さと、その背景にある医師業界や医療制度上の問題点、心理療法サイドと医療サイドとの微妙な関係についてのルポルタージュとしては、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」の書籍化されたもの(放送された番組より密度は3倍濃いくらいの徹底性である)の迫真性こそ大いに推薦したい。
結局、本書は、純情なまでの「フロイトおたく」の英文学者が、「正義の」力動精神心理学(=「フロイトの」精神分析。しかもかなり単純化されている)の旗の下、クレペリンに始まる「伝統的精神医学=脳科学主義者=薬物療法推進論者」の系譜という「悪の枢軸」を「仮想敵」として仕立て上げて、熱心にいろいろ調べたりインタビューして書いたにしては、「まずは結論ありき」の本であり過ぎる。
フロイトを引用する時の意図も、時々あまりに強引に自説に好都合な形になっている(それは、素直に読めば、「フロイトは将来の薬物療法の可能性に期待をかけていた」ことを示唆する筈の、「精神分析学入門 (中公文庫)」で書かれたフロイト自身の叙述を引用した、p.213以下で顕著に明らかとなる)。
正直に言って、精神分析にある程度詳しい専門家の目から見たら、「ひいきの効き倒し」が過ぎて苦笑するかもしれない。
フロイトは、ある時期コカインによる治療に入れあげたように、薬物療法であろうと、精神療法であろうと、治療に役立ちそうなものなら何でも活用しようとした、あくまでも「現場実践」の人である。
薬物療法と精神療法を、どちらかが好ましく、どちらかがまやかしであるという、二者択一的で対立的なものとしてとらえるあり方そのものが、現場臨床からあまりにもかけ離れている。むしろ「相互に補い合う」「必要に応じて取捨選択される」ものであるべきなのだ。その点で、本書は世間にありがちな偏見を助長するものでしかない。
DSMを「脳科学=薬物療法的」観点からのみとらえるのは強引。むしろそこから一定の距離を取ることに腐心している
面もある。むしろ、DSMが良きにつけ悪しきしつけ、行動主義的な「操作的定義」であり、特定の見地からの「原因論」に立ち入らないことを目指したとみるのが正道のはずである。
薬物療法を使う医者が、まるですべて生得的な脳の問題としてしかとらえていないかのような「極論化」が行き過ぎている。心理的・社会的要因を無視する精神科医はそう滅多にいないと思う。
(もっとも、どういうわけか、本書では、統合失調症と「重たいうつ病」についてだけは、同じ論理では斬り掛らない。もうこの段階で「内因性精神病」概念の確立者としてのクレペリンを肯定していることになる「自己矛盾」があるのだが)
パキシルの製造元の会社の、不利な情報隠蔽体質、あるいは幼児期の双極性障害やADHD(注意欠陥・多動性障害)に関してアメリカで子供に対して安易に薬物療法が施行される傾向の問題点、そしてアメリカでそのことを啓発する運動の先頭に立っていた精神医学者と製薬会社の癒着の問題については、例えば加藤忠史氏の「双極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書)」
でも詳しく紹介されている。加藤氏の著書では、なぜ薬物の治験において統計的に有意な差が出ないことが多いのかについて、意外な現実も紹介している(要するに、アメリカでは治験に応じると報酬が払われる。そのお金ほしさに病気のフリをして治験をハシゴしてまわり、薬は実際に飲まないまま偽薬であろうとほんとの薬であろうと薬が効いたフリをして報告するいる輩が随分いるらしい。これでは統計上有意な差が出にくくなって当たり前である)。
もとより、DSMにおける、特に「2軸」の「人格障害」カテゴリーというのは、読みようによっては非常に多くの人がそれに当てはまりかねない表面的な記述があまりにも多く、活用する際には大いに用心する必要がある。この点では著書の指摘はかなりの程度妥当であるし、DSM策定のプロセスにおける委員会内部での凄まじい駆け引きのルポルタージュとしては興味深いが、その記述の中でも、精神分析の側を「善玉」的に描き過ぎてはいまいか?
ある意味で、アメリカの精神分析は、一方で腐敗を抱えながらも絶大な影響力を持ち過ぎていた側面があるのであり、そうした「精神分析偏向」から距離を取るための「学界政治的」駆け引きの末にDSMが作成された側面があることは、リアリスティックにみて、止むを得ない側面があるはずである。
しかしこの著作は、あくまでも精神分析側の立場を擁護する方向からでのみ、関係者からのインタビューや関係者の文書のやり取りを紹介している懸念が拭えない。
(更にいえば、本書におけるユング派の「内向」についての取り扱いも底が浅い。「影」の領域に「外向性」を抱え込んでいることと相補的なものとしての「内向」という観点が不在である。また、スキゾイドが統合失調症の「病前性格」というのは、あまりに古い、それこそ1921年のクレッチマーの「体格と性格 (1944年)」の次元と思われる理解で述べているに過ぎず、今日の理解、すなわち、スキゾイドに「はまれた」人は統合失調症にむしろ発展しにくく、それだけで精神科治療の対象とされることは珍しいという状況、あるいはむしろ発達障害との近縁を示唆する動向からすれば、異様なまでに古風である。また、フロイトの先駆者、それこそ「力動心理学」の歴史に欠かせない重大人物ピエール・ジャネ(本邦訳では「ジャネット」と誤訳。「心理学的医学」などの著作あり)についての認識も、確かに心理的要因を重視するフロイトとは異なり、精神障害の内因的・体質的要因を重視した側面があるとはいえ、もっぱら「敵役」としてのみ登場するのは、どうにも腑に落ちない。他方、pp.210-3にみられる認知行動療法についての、精神分析と比較しての批判的叙述は、ありがちな極度のステレオタイプであり、例えば、伊藤絵美氏の「認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング」を読んでしまうと、この療法の全くの門外漢の理解の水準に留まることが明白となる・・・・結局、彼がとらえる意味での「精神分析」以外の精神療法については偏見の塊であることが露呈している)
いずれにしても、DSMが様々な不完全な妥協の産物という側面を有し、DSMにそうしたマニュアル的表面性が付きまとうことについてはすでに多くの精神医学者の著書でも語り尽くされていることである。
つまり、医者が、DSMに「基づいて」診断や治療を「決めて」いるというのは、もはや「都市伝説」の領域に近い。
心ある医師は、DSMが「診断基準」としては全く表層的なのを承知で、「共通語としての診断名」をDSMから慎重に「あてはめている」だけのことである。
(例えば、中井久夫氏の「治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)」(中井先生は意外と反精神医学にすら同情的である)、内海健氏の「うつ病新時代―双極2型障害という病 (精神科医からのメッセージ)」参照)
更にいえば、本書の構成の一番摩訶不思議なところは、クライマックスであるはずの第6章「プロザック帝国への反乱」において、例えば、「実社会における」薬物過剰利用への反対運動の当事者や患者へのインタビューが満載されているのであれば、それはそれで説得力がありそうなのに、実際にその大半を割いて繰り広げられているのは、あくまでも最近の映画や小説という「フィクション」の世界でのその問題の取り上げられ方についての文芸批評家的な叙述の連続なのである。著者が本業が英文学者であるという観点からすれば「本領発揮」のつもりかもしれないが、「プロモーション」を批判するのに「フィクション」を持って対抗するというのは、戦術的にみてもあまりに悲しいやり方ではないか? 「虚構」対「虚構」になってしまうからである。
この著作がアメリカでヒットした背景には、それだけ精神医療が役立たなかったと感じる人たちが多いことの証しであることは十分に想像できるが。
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【追記】:レビューで追及しなかったことまで詳しく補足し、レーン氏の論の進め方の矛盾点をあぶりだしたエントリーが、
ですので、興味のある方はお読みください。
この映画、感動のラストシーンで、知る人ぞ知る、歴史スペクタクルの傑作です。
なのに、「十戒」や「ベン・ハー」
ほどに人気がない最大の理由は、この映画で描かれている11世紀の頃の段階での、スペインにおけるイスラームからのレコンキスタ(いわゆる「国土回復運動」「再征服運動」)について、日本人の関心がそもそも低いこと
(少なくとも、アルハンブラ宮殿が絡む、イザベラ女王時代の、グラダナ陥落(1492)による、レコンキスタ完全達成の頃に比べれば)が大きいのでしょう。
かつてのスペインの独裁者、フランコですら、「エル・シドの再来」と呼ばれながら歴史の表舞台に躍り出た。そのくらい「エル・シド」という名前のネームバリューが日本と欧米では違うのだと思います。
クレジットには明記されていなかったと思いますけど、この映画の歴史考証をしているのはスペインを代表する歴史学者で、「エル・シッド・カンペアドル」で知られる、ラモン・メネンデス・ピダルという人。この人のエル・シド観はすでに古いと学術的には言われているけど、少なくともこの映画が製作された時点ではまだまだ最高権威でした。
一見わかりにくい錯綜した人物関係も、恐らくエル・シッド伝説を基本教養としているヨーロッパ人なら、このくらいで十分に理解できるという水準なのだろうと思います。
むしろ、映画制作当時としては歴史考証の細部にリアリズムのこだわりがあるとすら言えます。
例えば、
海の向こうから押し寄せるイスラム勢力が、なぜ、アフリカ的な装束しかしていないのか?
後代のオスマン・トルコの軍楽隊と全く異質であることに我々は衝撃を受けるのか?
全部、この映画が作られた「当時最新の」歴史考証の結果なんですよね。あの衝撃のラストシーンにも、ちゃんとそれなりの歴史文献的根拠がある。
以上、イギリスの歴史学者フレッチャーによる「エル・シッド―中世スペインの英雄 (叢書・ウニベルシタス)」
という本で、ピダルの学説への丁寧な批判と、何と、チャールトン・へストン自身にすら取材して、映画のワン・シーンも写真で掲載して書かれていることなんです。映画「エル・シド」を実際に観た人が、その虚構性がどのあたりかまで歴史背景をお知りになりたくなったら、この本に止めを刺します。
理想化された騎士道の物語として観ても、これほどすばらしい映画は滅多にない。この「泥臭さ」があってこその騎士道。
馬上槍試合の描写、エル・シド在世当時と厳密には一致しないとしても、少なくともある時代の中世騎士道で理想化された作法の、実に忠実な再現です。アメリカで幅広く読まれていたという、ブルフィンチの「中世騎士物語 (岩波文庫)」を直接参考にしているのではないかと憶測します。
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kyupin先生の「kyupinの日記 気が向けば更新 (精神科医のブログ)」における、
というエントリー。
その詳細はリンク先をお読みいただくとして、私がこのエントリーに対して書いたコメントをそのままコピペしておきます:
「あたかも双極II型障害であるかに見えるもの」の多くが、実は抗うつ剤の安易な処方によって軽躁状態が誘発されることによってはじまった「物質誘発性気分障害」に他ならない、つまり「医原性」である(!)という観点は非常に重視すべきなのだろうと思います。
kyupin先生の、双極2型に発達障害的な因子が関与している可能性を強調する論調も興味深く拝見しています。I型にしてもII型にしても、まるで気分安定剤さえ処方していればいいと受けとられかねない単純化した論調も、個々の臨床ケースに即していうと全く大雑把な話で、特にうつ状態にどう対応するかとなると、いわゆる抗てんかん薬系の気分安定剤(デパケン等)だけでは確かに不十分なことが多く、場合によっては、少なくともご本人にとっては、SSRIで躁転してバリバリ意欲的に活動できていた時(それでも年単位で見ると、次第に鬱的な方向が強まり、体調面全般が不安定化することが多いかと思いますが)の方が、まだしもよかったと感じる人すら稀ではないでしょう。
気分スタビライザーによって「一気に馬力を上げてエンジンをかける」ことがやりにくくなったことを、不快で苦しい、上から抑圧されるような、人生の醍醐味を失ったと体験する人も稀ではないように思います。
この、「客観的に観れば軽躁」「患者さんの主観からすれば本来の自分」でいられなくなることか生じる、2次的な「落ち込み」現象というのも、十分に留意しないと、余計に混乱した事態が生じることが少なくないようですね。
本人がそれを受容できて、もはや変速ギアをトップには入れられない人生を、少なくとも当面受容するスタンスに切り替えられればいいのですが。
薬物療法の名医の先生方が、こうした点でいかに個々の患者さんごとに繊細な配慮をして、いくつもの多様な薬の絶妙のカクテルを作り、折り合い点を見つけようとしているのかというあたりになると、とてもとても一般の人が目にする著作では明快に解説し切れない領域のように思え、敬意を表しています。
ただその一方、自分の飲んでいる薬の自分にとっての効能を自分の身体感覚を通してモニタリングし、薬と自分との間の折り合い点を見つけることの援助という、単なる薬それ自体の物質的効能を超えた、治療者と患者さんの「薬を媒介としたコミュニケーション」の領域・・・・・いわば「医者という名の薬」の領域、これは、現在の5分間診療の現実ではだんだん形骸化しつつある気もしてなりません。
自分のフェルトセンスと「ふたりぼっち」で主体的に生き抜いた日々の思い出は、仮に
欝状態に陥っても簡単には死にたくなったり、虚妄と感じるようにはならないものである。
「自分が欝になったことから生じる憂鬱」
(私はこれをも「二次症状」と呼ぶ)
の部分は、すでに経験を積んだフォーカサーなら、
フォーカシングでかなり緩め得ると思う。
フォーカシングが「無理のし過ぎ」を助長するか、
薬物療法の援助として機能するかは、 その人なりに経験値を上げていける事柄だと思う。
そうやって経験値を上げるためには、
* 同じ薬について、薬を飲むたびごとに毎回比較する。
* 薬を変えたり、追加した際に、前の薬の飲み心地とある程度経過を追って比較する。
* 毎朝起き心地の質、毎晩眠りの質を比較する。
など、さまざまな基準を作り、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを連続的に具体的に比較するための「枠組み(table)」を自分なりにはっきりさせてみると効果的だろう。 まずは、
1.「パーソナルな」指標の選択
2.その選択した指標への、本人の実感に即した「命名」
ということをする。
「パーソナルな指標」とは、鬱になって以来繰り返して体験してきた特徴的な現象のことで、それをともかく思い出すままに列挙するという手続きである (フォーカシング関係者向け:クリアリングスペースのことですね)
ただし、そうした際に、ありきたりの医学用語などはできるだけ避ける。仮に使ったとしても一ひねりするとよい。
むしろ、自分の実感に即し、「こんなこと医学的に見て『症状』として認められているのかいな???」と思うようなものすら、自分的に印象的なものは採用してみて、更に、ユーモラスですらある(!)「自分だけの命名」を試みるといいだろう。
(フォーカシング関係者向け:フェルトセンスのハンドルをみつけるにあたることですね)
例えば、
「はじめてジェイゾロフトを飲んだ時に、飲んでからわずか二時間で体験でき、その後も朝起き抜けに時々は体験できてきた、頭の中にミネラルウォーターが湧き出したような感じ」
「パキシルを飲んで、その後ちょっと無理をすると生じ始める、まるで昔のFMチューナーで、放送局を別の放送局に切り替えようとする時に聞こえた、頭の中で「ジャッ、ジャッ」と音がするみたいな感覚」
(↑【注】これを患者から聴いて、「幻聴では?」という仮説しか浮かばない医者がもし居たら、即刻見捨てるべきです。パキシルを減薬するときの副作用のひとつとして「頭の中のシャカシャカ感」と明記しているお医者さんも居ますので!!)
「この日、物を置き忘れる」
(↑【注】一般の人もでしょうが、欝になるとこれがひどくなる傾向があるのは実におなじみのことかと。
どこまでが鬱のせいでどこまでが薬のせいかはともかく、
「孫悟空ーーー!」
(↑【注】うつの人には申し上げるまでもなく、医学的には「被帽感」「緊張性頭痛」と呼ばれるもの。ズキズキ脈を打ちません。この感じが弱い人は、ほんとに頭にティアラか何かを載せてるくらいに感じるんですが、
一方、生まれてこの方この感じを体験したことがない人もいます。そういう人や家族が下手に精神医学の本とかを斜め読みすると、「た、体感幻覚では?」という方向に心配するというのは結構よく聞く話だと思います。しかし、うつの人にとっては、年中帽子をかぶってるようなもので、他の症状に比べるともはや症状のうちには入らないと思っている人も少なくないでしょう。もちろん例外もあるかもしれませんが。
しかし、この「孫悟空の輪っか」が頭に出ている時には、「まだエンジンがかかっていない」とか「疲れてきたかな」という警告サインとしていつの間にか大事にしている欝の人は凄く多いはずです。
そして、薬をかなり異質のものに切り替えなどがあると、「これまでの『輪っか』だけじゃなくて、鋼鉄のフレームがつき、蜂の巣状に脳に刺さってきそうな『帽子』になった」などと、程度だけではなくて質の変化を明瞭に感じる人もあるかもしれません)
「この状態で外出したらトイレに間に合わないという大惨事に至る危惧すら思える下痢の予感」
「ゆったりとした潤いが頭蓋骨の脳室の底に広がってたまっていく落ち込みもどき。
これは疲労というよりデジレルを飲んでしばらくすると生じてくることが多い。要するにデジレルの睡眠薬的効果なのに、私は時々誤解して、その落ち込みもどきに落ち込みそうになる。
眠気と落ち込みの区別がつきにくいって、あなたにピンときてもらえるかな?」
「不眠タイプA 前門のトラ後門の狼タイプ。眠ろうとすると寝られず、起きてしまうと今度は横になりたくなるという果てしない葛藤に陥る。」
「私のうつの純度100%系。自分の内側の感じに触れようとして、触れることはできるけど、感じそれ自体から私が注意を向けたことにまるで『応答』するかのような反応が返ることが決してない。最初にこの体験をしたときにイメージとして浮かんでいたのは、灰色の干からびた雑巾が土の中の断層に引っかかっている」というものであり、そのイメージさえ浮かべればそのときの、感触を擬似的にうっすらとだがいつでも呼び戻せる」
「私のうつ、これならぐっすり眠れ、翌日は結構大丈夫系。ともかく仰向けに横になって内側に注意を内側に向けると、内側からあたたかくてほっと緩むような応答あり。ああ、昔はこれで何とかなったのになあ」 「私にとっての『典型的軽そう状態』に固有な脳内の『殺伐とした』感じ。これと似ているけど区別できる気がするのは、うつになる前からあった、まるで脳の中に乳酸がバリバリで出ているときの感じ。これそのものはただの『無理して寝不足』のようだが、いつの間にか後者が前者に化けることがあることに要注意なのだ」
「単なる『無気力な』感じというのは、考えてみたら、欝になってからは一度も経験していないなあ.....。『おっくう』というのは、『無気力』とはまた違う感じなんだよ。それ以外に『純粋の鬱感覚』ってのは確かにあるの。私の場合は、『焦り』すら感じようがなくなった『純粋の鬱感覚』ってのは、意外としのぎやすい。『死にたい』じゃないんだ。すでに自分がこの世の人たちが喜んだり悲しんだりしているのをよーわからんときょとんとして眺めているようなものだし」 ・・・・などなど。
*****
さて、薬についてフェルトセンス的に体感するとはどういうことかという話に進みます:
同じSSRIでも、薬ごとに飲み心地が異なることは、うつの患者さんにとっては、フォーカシングを体験的に知らずとも、全く常識次元の事柄のようだ。
その薬を飲んだ後の感覚の違いは、ある程度は他のうつ患者と間主観的に共有可能な側面もあるが、フォーカシングを学ぶことで生じる何より重要な変化は、本人自身の中で、内部感覚を実に細やかに識別して感じ分け、本人にとってぴったりのフェルトセンスのハンドルといえる言葉やイメージを見出す力が高まることだ。
例えば(あくまで例です)、
「パキシルの抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、何が地面の下から自分の身体を支える台が張り出してきたという感じで、やや暑苦しくて『肉食系』」
「ジェイゾロフト抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、すっきりと透明に、まるでハーブキャンディのように冴えるというのに近い。パキシルが『暑苦しい熱血漢』なのに比べると『クールで草食系』。
「以前はパキシルのある種の『力強さ』『泥臭さ』が懐かしかったんだけど、今は変えた後のジェイゾロフトの『洗練味』に『落ち着き』を覚える」
「パキシルからデパケン(気分調整薬)に変わったんだけど、ある意味ではパキシルでうまくやれていた時代が懐かしくもある。そりゃ、躁鬱の揺れに振り回される度合いがどんどん大きくなって苦しかったけど、それを自分なりにしのげていた頃は、明るいにしても落ち込むにしても、情動の持つ「泥臭さ」とか「ねっとりとした」味わいがあったようにも今では思う。その誘惑がヤバイとも今では思っているけどね。
デパケンになじむ、確かにジェットコースターのような振幅はなくなって、いつもコンスタントに8割の状態を維持できるし、以前よりも無理した後のリバウンドはなくて、まるで以前は盲腸のような袋小路で悪循環していたエネルギーがちゃんと進行方向とは反対に噴射して私の身体を前に押してくれるようにして、気力も持続するけどね。
何か、上からも下からも押し込まれた間の狭苦しい空間に、ゴシック体の自分が居るみたいな感じなのよ」
・・・・ などといったものです。
「薬を飲む前と飲んだ後の自分の内側の全体的な感覚をフェルトセンスとして感じてみる」......それは、単なる身体感覚だとか重苦しい気分にどっぷりと浸ることとは異なる。いわゆる薬の「官能検査」とも異なる(薬の味の報告ではないし)。
その具体的な違いについてはジェンドリンやアンの技法書に譲るとして、「フェルトセンスとして少しだけ触れる」というだけなら、実は一見否定的な感じであっても実は心地よいという矛盾が両立する(ジェンドリンが『フォーカシング』で書いていることです!!)。
基本的に重い情動にただ浸るよりは「軽い」感じられた質を持ち、繊細な微妙な言語化・イメージ化が可能で、実は同じ処方であり続ける限り、自分の背景にある基本的な感覚(background feeling=背景感覚)として変化しにくい感覚を、薬ごとに(!)捕まえることができる(はずである)。
「ああ、昨晩と同じまた『この』感じだ」とか、「以前のと似ているけど、何か違う質の感触が混じった。何か少し濁ったかな?」
などと識別しやすいのである。
そして、この後に述べるように、日ごろの悩みなどという次元を脇において、主に薬を飲む前と飲んだ後の内部感覚というテーマに集約・限定して、一定時間(2時間、6時間、就寝前)を開けて再度「ちょっとだけ」感じてみるという課題を明確に規定することにより、深い抑うつやひどい焦燥感にただ巻き込まれる状態になりにくくする予防効果もある。
*****
3. さて、ここからが、フォーカシングでいうとフェルトセンスをt『共鳴させる』の部分なのだが、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを比較するということを意識的に導入します。
しかもそこに、3つの次元での躁鬱のサイクルが同時に進行していて、患者自身はその複合・錯綜したものを体験しているというとりあえずの仮定の下に、患者さんと一緒に多次元で解析していくわけです:
A.短期的な変動(1,2時間から一日程度)・・・・広義の「日内変動」を質的差異としてパーソナルにとらえる(メランコリー型固有のものを「狭義」として)
B.1週間程度の変動(現実の日常生活の疲労サイクルを仮定)
C.その人が双極性障害だと仮定した場合の躁鬱のサイクル
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まずはA.の次元(短時間)から話を始めますが。
すでに薬物療法とフォーカシングにに慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか1時間-2時間の時点で感じられる新たな感覚が、新たな薬の効き目が安定した2週間後の感覚と同じ質でであったと正確に感じ得るほどの精度を持つ場合がある
(これは全然大げさではない!! 何と飲んで10分後に体験された感覚が、2週間たっても時々現れると報告する人もいる)
それところが、数時間の間にも進行する気分や調の変動(日内変動)のただ中でも、あるベースラインの質感が『背景感覚』としてずっと維持されていることにまで気がつけることも少なくないのだ。
いわば旋律やメロディがどう変わっても、一番下のパイプオルガンの基低音は実はずっと持続的に同じ音色で鳴り続けていたことに気がつけるみたいなことことも少なくないのである。
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私はこうしたいくつものタイムスパンで、しかもいくつかの具体的観点からフェストセンスの質感的な変化を読み解くことを、仮に「フェルトセンスへの積分的照合の構え(orientation)」と名づけることとする。
なぜここで敢えて「積分的」という言い方をしてみるかというと、もし、その人がそれまでもっぱら「今これからどうするか」という点での迷いを解決するためにフォーカシングする習慣が強かった場合には、「今のこの行き詰まりの感じが、いつ、どのように変化(シフト)を起こしはじめるか」に敏感であったことになる。
こうした人は、それまでは、いわばフェルトセンスの照合の際に「微分的」あるいは「差分的」な構え(orientation)が強かったことになる。
(この発想が、中井久夫先生の「分裂病と人類」に基づくことは、こっちのブログではもはや繰り返す必要、ありませんよね!)
私の経験では、前述の「積分的構え」で具体的にいくつかの観点と、短期から長期に至るタイムスパンでフェルトセンスの感じられた質の変化を同時並行的に検証することに意図的に「なじむ」つもりにならないと、うつ状態の下で、自分の内部感覚全体を立体的に適切な遠近法で「俯瞰しつつ味わう」ことに熟達しないようにも思われている。
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さて、先ほど、薬を途中で変更したり追加した場合について、
> すでに薬物療法に慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか2時間の時点で感じられる新たな感覚が、薬が安定した2週間後の感覚と同じであったと感じ得るほどの精度を持つ場合がある。
> ところが、数時間の間にも進行する気分や体調の変動(日内変動)に比べると、あるベースラインとなる背景感覚が、具体的な薬ごとに、基本的には維持されていると体験されることも少なくないはずである。
と書いたが、
これに対して、
(Aサイクルの日内変動ではなく)Cサイクル=双極型の人特有の躁と鬱の中期的なうねりが前に進んで(carry foward)生じた変化は、そうした背景にある基本感覚そのものががらりと変質することが多いように思う。
例えば、実は3カ月おきの躁鬱の中期的な波がある人が、それまで生じていた、基本的には軽躁的な中で生じている「頑張っている時」と「疲労がたまった時」という、毎週末ごと(Bサイクル)の、似たような感じられた質の推移を伴う小変動(もしこれだけなら、薬に支えられているとはいえ、薬が「維持療法段階」に達した後の安定状態ともみなせる)を3回繰り返せた時点で、さてまた4回目に入るかなと思っていたら、突如、全然別次元での不調(例えば、それまで未体験なくらいの下痢と起き上がり不能な深刻な状態)になり、それまでの3週間のそこそこの安定期は、その後数年にわたる経過の中で、二度と同じような体験の質としては戻ってこない、というようなことである。
(もとより厳密には、躁鬱の急速交代型(ラビッドサイクラー)のケースだと、日内変動と周期的な波の区別がつきにくいことは承知している。
しかし、私が患者さんから聞いた範囲では、ラビットサイクラーの診断は安易に使われがちで、双極性障害II型の診断が適切なのに、気分調整剤ではなく抗うつ薬!! が多めに処方され(リーマスは出ていてもあまりにも量が少なすぎて有効血中濃度に届いているはずもない)、その「抗鬱薬」副作用としての不規則な軽躁状態との慎重な鑑別が医師によって必要なことが少なくないようにも思う)
つまり、双極型でいう躁鬱の波の変動そのものが、ひとサイクル進行すると、そのたびごとに、躁状態でもうつ状態でも、それまでと同じ薬の効き目や副作用についてのフェルトセンスが、本人に予想もできない、あさっての方向へと感じられた質felt quality)そのものが別の状態に激変していることすら少なくないのである!!
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え? 薬の変更よりも、躁鬱の周期的な波の変化の繰り返しの方が毎回同じように質的にも体験されるのではないか?.....ですか?
当然生じる疑問である。
しかし、考えてみて欲しい。もし躁鬱の周期的な波(日内変動ではなくて)を本人が同じような繰り返しとして、容易に「すでにお馴染みの感じられた質の感覚」の再来として体験でき、薬の変化の方を新鮮な質的体験として感じられるのなら、患者自身、薬を変えたことによる変化と、自身の躁鬱の繰り返しの感覚の質的違いによほど容易に気がつけるはず.....ということになりはしまいか?
つまり、双極性の患者本人の体験世界の中で、そううつの波の体験は、単なる堂々巡りの繰り返しではない「質感的差異」を伴う「質的に新しい」体験として認知し続ける、一群の人たちがいる可能性、むしろそのことが鍵なのではないか。
そしてこうした現象は、実は双極性障害なのに単極性うつ病と診断され、抗うつ薬しか処方されず、その結果、波が進み、一度躁転してから鬱にはまるたびに副作用が悪化し続けてきた、双極II型の人に独特のフェルトセンス体験様式の推移ではないか、とも思えるのである。
(c)NHK
気分障害の診断と薬物のAPA標準処方について、基本的なことをすでにご存知というハードルはありますが、この水準が、おそらく、フォーカシングの専門家向けの学会発表や学会論文として幅広い人に読んでいただける妥当なまとめ方かと思います(^^)
更にいえば、こうしたやり方が、ある意味でフォーカシング指向心理療法的な認知行動療法的アプローチのバリーエーションのひとつであることは、認知行動療法の体験者の皆様にもご想像できるのではないでしょうか。(別の認知的バリエーションとしてすでに書いたものは、ひとつはここにあります。)
しかし、何より、この発想のアイデアの源泉になったのは、中井久夫先生のもうひとつの不朽の業績、統合失調症の患者に生じる身体的なさまざまな兆候と精神症状の兼ね合いについての継時的臨床研究であるということについても、言及させていただきます。
私は、このサイトで、これまで何回か、「人は鬱になることで『鬱』になる」という表現を繰り返してきた。
現在のDSMなどの診断基準では、鬱病は「気分障害(=mood disorder)」の下位分類になっているが、この「気分障害」という言葉は非常に誤解を招きやすい側面があると思う。
「気分」という言葉にしても、moodという言葉にせよ、日本語では何か曖昧な「気持ちの」状態であるに過ぎないかのように受け止められかねないからである。
単に「落ち込みが持続する」のが鬱状態ではないのだ。私の考えでは、「落ち込み」とは、気分障害の「本態」としてその人の心身に生じている慢性的な脳生理的消耗状態(正確には、脳生理上の消耗に至らせる悪循環的なループ)の、二次的な「随伴物」のひとつであるに過ぎないようにすら感じられる。
これも何回もこのサイトで書いてきたことだが、鬱(双極性障害も含む)の「本態」は、心身が極度に消耗したのに、それを「疲労」と実感できなくなってしまう形に脳内のメカニズムが慢性的に変化して、とりあえず不可逆的になってしまうという脳生理学的変容そのものではないか。
(このことを書いた最初が、当ブログの永遠の代表記事のようにして、アクセスランキングNo.1・・・・時には1位ではなくなるが・・・・を維持してきた、この記事である)
そのごくごく軽微で、慢性化しないまますぐに回復するミニマムな形態は、一般の人でも実は何回も体験している。
徹夜覚悟で仕事や勉強をしている時に、眠い眠いと思っていたのに、ある時から突如スイッチが切り替わる。
頭が冴え、意欲が亢進し、いくらでも起きていられるかのようにすら感じ、実際に仕事が終わって横になった後も、頭が冴えて眠れなくなって困ってしまった経験が、これまでの人生で1回もないという人は滅多にいないと思う。
そういう時には、独特の「脳が暖まっている」ともいえる感覚と、身体全体の「ふわふわした」感覚も伴うはずである。一種の「ランナーズ・ハイ」状態である。
もちろん、そうやって眠れない夜を過ごしても、朝になる頃にはいつの間にか寝入っていて、目覚めた時には、今度は前の晩の無理のリバウンドであるかのように、心身に泥のような疲労感が襲い掛かるものであり、昼間は眠い目をこすりながらも何とか切り抜け、その日の晩に、文字通り爆睡する形になって、やっと普段の状態が回復するというケースがほとんどだろう。
精神科医の中井久夫先生の言葉を借りれば、「48時間で帳尻が合う」というサイクルである。これが健康な人の「無理」→「疲労回復」過程なのだ。
欝になる人の多くは、はっきり鬱になる前の時期のおいて、必ずしも徹夜仕事を重ねるわけではないにしても、長期に渡って非常に「気を張り詰めて」仕事や勉強を続けねばならない状況に身をさらすうちに、いわば慢性的な「ランナーズ・ハイ」状態に陥っていき、むしろ人間の心身の本来自然なバランス機能として生じるはずの、「リバウンド」としての怒涛のような疲労→爆睡ということそのものが、徐々に生じなくなって行く体験をしている(後から振り返ってみて、はじめて気がつけることなのだが)。
こうしたことを繰り返す中で、疲労物質が生じると心身の活動水準を落とすという、動物である限りは当然備わった、休息に向けてに脳内の自然なフィードバック回路が徐々に機能不全になるともいえるだろう。
素朴な比喩を承知で言うと、「レースコース」から一時的に「ピット・イン」させる方向にポイントを切り替える、本来自律的な脳内安全制御システム(フィードバック回路)に、いつの間にか、常に「ピット・インさせないまま走り切れ」という指令を出す、非常に危険なバイパス指令回路が形成されてしまうのだと思う。
私の考えでは、これは行動主義心理学的な意味での、環境適応のための「条件付け」形成過程であると同時に、困ったことに、脳のある部分にある脳神経系の回路内で、神経繊維同士が、そういうバイパス回路を形成することそのものを「学習」してしまうという、生粋の脳生理学的次元での変化すら伴っているようにも思えるのである(お医者様向け追記:「シナプス可塑性」のことを言いたかったのです)。
このような、他の動物の動物の常識ではあり得ない異常な心身の使い方で「脳神経を痛める」ことまでやらかしてしまえるのは、人間が文明の発展の中で、一日の半分は働くということを当然のこととするようになったことと大きく関係している。
そして、むしろ、周囲が自分に何を求めているかに敏感で、働くということに過剰適応できる強靭な精神の持ち主こそが、結果的に脳の生理学作用を破綻にまで追い込んでしまうわけである。
(最近、「新型うつ病」に関連して、病気になる前は勤勉ではないタイプも増えているのではないかということも取りざたされ、何かというと「性格的な問題」という言い方が安易に使われる。しかし、そうした人の成育暦を探ってみると、学校時代の少なくともある段階までは、親の期待に応える非常な優等生だったり、親には決して迷惑をかけない「いい子」として育ったり、精神的にはもろさを持った親のいる不安定な家庭の中で、親の気配を察して必死に「トラブルシューター」として子供の頃から頑張り、親の不安をケアしてきた人まで含めると、やっぱり「過剰なまでの無理をする頑張り屋さん」だった歴史をどこかで長期にわたって持つという点では、共通項を持つことが多いことに気がつく。つまり、子供時代からずーっと一貫して無気力でアパシー的だった「新型うつ病」の人となると、なかなかいないのではなかろうか???)
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いずれにしても。本格的に鬱が出現する「直前の」、まだ仕事等の活動水準を維持できており、「落ち込み」は自覚しなかった時期に、持続的な睡眠障害を経験しなかったという人は滅多にいないだろう。
本人はそれを「苦しい状況を切り抜ける強い自分になった」などとすら思い込んでしまうことも多いものである。実際には、そうやって無理を重ねた「負債」は心身のどこかに慢性的に蓄積されている筈だからである。
それが実際に身体の調子を崩して(風邪ぐらいのこともあるが、実際にはっきりとした身体病になることがある。私にとってのそれは「尿管結石」になることだった)休みを取らざるを得なくなる機会を提供してくれればまだ幸いですらあるかもしれない。
もとより、その身体疾患から取り合えず回復すると、また働いていた時のモードに戻って行くことが少なくない。でもそれは、身体病という形での「坑道のカナリア」からのせっかくのイエローカードを無視して更に突っ走る形になりやすいのである。
こうして、その人の中の「疲労を感知して休息させる」脳内システムが、一度完全に機能不全に陥り、脳神経の伝達回路内での物質のやり取りの中で悪循環のループを確立してしまい、「疲れを疲れとして体験できない」状態で固定化してしまう。この段階で、脳そのものがかなりややこしい心身症状態に突っ込んでいるとも言えるだろう。
本格的に鬱を発症する直前の数ヶ月の間に、こうした「以前よりも疲れを疲れとして感じずに、状況を切り抜けられてしまう」時期を持っていた人は非常に多いはずなのだが、なぜかこのことは意外なまでに鬱に関する本で語られていない気がする。
漫画「ツレがうつになりまして。」では、ご主人のツレさんがソフトウェア会社で働けていた時代の末期の状態として、このことがはっきりと描かれている(NHKドラマ版ではこの点はやり過ごしている)。
そして、こうして疲れを疲れとして体験できなくなって最低数ヶ月が経過した時点で、突如、「ブレーカーが下りる」。仕事を滞りなく進める気力が枯渇し、そういう自分にやっと「落ち込み始める」のである。
私が「人は鬱になることで『鬱』になる」という時の、1つめの鬱という文字は、実は、この、脳内で形成されてしまった「疲労を疲労と感じなくなる悪循環のループ」(慢性ランナーズ・ハイ状態)の確立それ自体のことである。むしろ、健康な人にでも生じておかしくない次元での「普通の」落ち込みや疲労を感じられなくなるということなのだ。
2つめの『鬱』という文字は、そういう慢性ランナーズ・ハイがついに限界に来て、心身が一気に消耗してしまって何もできなくなった後の自分に対する、深刻な絶望感のことである。
長期的な無理を切り抜けるために自分の身体が産出した「脳内麻薬」の慢性的な中毒状態に一度陥り、身体自身の脳内麻薬生成プラントをことごとく食い尽くし、「操業停止」に陥らせるところまで心身の消耗が進んだ時に生じた、深刻な「脳内麻薬切れ」=神経伝達物質の「自己破産」状態が、おもてに表れた「うつ状態」の発症の時だとも言えるかもしれない。
自分の身体の資源を切り刻むようにして、身体の内部から麻薬物質の捻出して、過酷な状況を自力で切り抜けようとしたのだ。大量の飲酒癖にすらならず、ましてや不法な薬物に手を出すこともなく、自分をひたすらランナーズ・ハイに誘導するという、文字通り「身を削る」形でである。
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実は、こうして脳内麻薬の「異常な産出回路」が脳神経内に確立されてしまうと、その悪循環ループというものは容易にその人から消え去らなくなる。
薬を飲んで休養して、少しやる気が出てきたかなと思って活動し始めると、またもや悪循環ループのスイッチが入り、無理を無理と感じないまま活動し始めてしまう。
その人の中の「脳内麻薬精製プラント」は壊滅的な打撃からとりあえず「復旧した」に過ぎないので、活動の再活性化は長持ちせず、再びブレーカーが落ちる。
そして、「もう治りはじめたかと思ったのに、実はそうではなかった」という事実にその人は落胆し、落ち込む(これが私が「二次的な鬱」と呼ぶものである)。この時の落ち込みこそが、むしろ死にたくなるほどの絶望を招き寄せやすいものなのである。
こうして「少し元気が出る→動いてみる→簡単に消耗する→挫折感」というサイクルが単に積み上げられるだけだと、その人の自信喪失と絶望感はどんどん深刻化する危険がある。
実は、休養して鬱から相当程度回復したかに見える人にも、この、トリガーを引いたら暴走する悪循環ループは脳内にしっかりと残っていることが少なくないのである。
SSRIなどの抗鬱剤そのものがこの悪循環ループ自体を消してくれるわけではないのではないか。薬物療法に真に見識のある医師の処方する薬物・・・・狭い意味での抗鬱剤に限らず、気分調整薬、抗不安薬、睡眠誘導剤などを含む・・・・が適切な効果を上げる際に生じているのは、実は一方で脳内麻薬の枯渇による、生へのエネルギー自体の「破産」に対する最低限の「公的救済処置」(自殺に至らないために)という側面を持ち、他方では、その人の中で再び自己破壊的な脳内麻薬産出プラントが安易に操業再開をする「引き金(トリガー)」になるような神経伝達物質の発動そのものやセンサーでの受容をむしろ妨げ、じっくり穏やかに休養してもらい、生体が本来持っている自然回復能力が徐々に賦活する中で、脳内でいつの間にか異常な回路形成に到達していた物質代謝メカニズムが、自然なバランスと働きにを取り戻すことをサポートするという、絶妙のカクテルを、その時のうつ患者のにふさわしい「一品料理」として調合するという形になっているはずである。
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前にも書いたが、いったん鬱になった人の中では、回復期になっても「その時の自分の心身がどのくらい疲労・消耗していて、どのくらいまでの無理なら、どのくらいの休息で回復できるか」というセルフ・モニタリング能力が決定的に損なわれたままになっているともいえる。
これは、そうした「自分の無理と疲労度のシミュレーション」が当たり前のようにできた、以前の自分のことを思うと、ほんとうに悲しくなるまでに「自分の実感があてにならなくなる」ことなのである。
穏やかな休息だけでは、社会で再びサバイバルするだけの脳の自然な働きまではなかなか回復しないのである。
このセルフ・モニタリング能力の「再建」が必要なのである。いや、はっきりいって、それは「再建」ではないのだ。それまでは言わば「勘」に頼っていたセルフ・コントロール(それはすでに脳内で一度壊滅的に崩壊した)を自覚的に運用できるようになるために、それまで人の中に存在しなかった新たなスキルとして、自分の生体の無理と疲労のメカニズム監視と統御・・・・・休息にせよ、活動にせよ、その時に適切な行動選択を自律的にできる技能を「人工的に学習する」必要が生じてくるともいえるだろう。
それは一度学習して身についてしまえば、言わば特定のスポーツのための運動能力や楽器の演奏、自動車の運転のように、普段はほとんど無意識に、まるで本来の天性のようにして活用できるものになるだろう。
私が思うに、それこそが、鬱の人「のための」心理療法として展開されていくべき領域なのである。
もちろん認知行動療法もそのひとつの重要な展開であろうし、応用行動分析(ABA)も非常に参考になる業績を含んでいるように私は感じている。
私は、それらも視野に入れながら、フォーカシング技法を、鬱の人の心身状態のセルフモニタリングスキルと、そのモニタリングに基づいて生活の中でどのように小刻みなアクション・ステップを組み上げ、またもや燃え尽き→挫折の堂々巡りに陥らせることなく、休養時から新たに「持続的な成長可能な形で(経済用語!)」社会的活動範囲を広げていくために活用可能な、「学習可能なプログラム」として特化させて発展させることはたいへんな可能性を秘めていると考えて、模索しているところである。
*****
なお、精神科医kyupinさんのブログ記事、
●かつて双極2型の人はいたのか?
も興味深い記事なので参照ください。
ついに、中井久夫先生と神田橋條治先生の「後継者」とまで言われる、熊木俊夫氏の著作に実際に目を通し始めることとなった。
● (中公新書)
実はまだ40ページばかり読み進めたに過ぎないのだが、もう、この段階できっぱり書いてしまおう!!
まさに「こんな」精神科医療の本をこそ、
私は読みたかったのだ!!
敢えて不遜なことを言わせて頂ければ、私が現段階で精神医療に期待している理想のあり方とは、まさにこの著作で展開されている内容「それ自体」である。
更にいよいよ不遜なことをもうひとつ書くと(^^;)、私がこのブログで精神医療との連携の可能性について書いて来た内容とのシンクロ度が半端ではない高さではないか!!
きっと、私のことを、とっくに熊木シンパであると思っておられた読者の方もあるかもしれないが、とんでもない。
だって、今日はじめて、めくってるんだもん!!
*****
「<臨床感覚>は、個々の治療者が自らの身体を用いて、よりなまなましく対象に関わろうとすることでしか得ることはできない」(p.vii)
「やはり精神療法はこころに効くのだ。さらにそういった精神療法は、薬物療法と並行して行なわれているのが常であり、このことにいたく衝撃を受けた」(p.6)
「治療者にとって薬物療法とは、単に一治療技法であるにとどまらず、薬を介した<生体との会話>なのである。(中略)そして<生体との対話>とは、言語表現としては到底すくいとれず、治療者・患者双方の身体感覚を通してしかわかりあえないような、より未分化で普遍的な生体とのコミュニケーション方法を指す」(pp.11-2)
「私は今後、臨床家および患者の「薬物の官能評価[実際に飲んでみた結果として心身に徐々にどのような変化が生じるのかについての身体感覚次元での主観的効き心地。もちろん、不快感や、「効かない感じ」も含む]」の情報収集が成されることを強く期待する。
患者という揺れ動く<構造>に対処するには、唯一の正解はない。
治療上多くのパラメーター[変数]を同時に取り扱うためには、集積され各々の臨床家や患者に還元された種々雑多な「薬物の官能評価」の中から、臨床家各人が自分の感覚になじむものを鋭敏に選び取らなくてはならない。この営為もまた、治療的<構造>把握に向けての感度を上げていく過程で必要不可欠なプロセスであろう。
そしてひいては、患者も、より自らの身体感覚に即した治療を受けることができるようになるのではなかろうか」(p.29)
「<生体との会話>とは、言語表現というかたちをとる以前の、より未分化で普遍的な<わかりかた>のプロセスである」(p,32)
「この人の話している<モゾモゾした気持ちの悪さ>とはどんな感じなんだろうか。実際のところ、この人のつらさをわかってあげられるのであろうか。いや、完全にわかることは不可能だろう。どれほど想像力を膨らまそうとも、この人に成り代わるわけではないのだから」(p.33)
・・・・この箇所など、私がこのブログで、すでに何回となく、北山修先生の作詞家としての代表作、「あな素晴らしい愛をもう一度」の
あの時同じ花を見て
美しいと言った二人の
心と心は
今はもう通わない
を引き合いに出して伝えたかった「間主観性」の限界に関わる事柄を、嫌が上でも髣髴とさせる。
そして、熊木氏は更に続ける:
「そもそも、同じ感覚をわかってあげなくても、治療的関わりは可能なはずである。だとしたら、どのように関わっていけばよいのだろうか。
やはり私なりの<患者の生体に対するわかり方>の方法論が必要となるだろう。この患者は治療という場において、特定な他者に開かれていなければならない・・・・・・。そんなことを考えながら患者のの身体を触診している時、私の身体はいくぶんなりとも患者の身体に同調してゆく。
その感じに浸っているうちに、この身体は患者自身のものなのか、それとも、もしかすると私自身のものなのかもしれないという不分明さが生じてくる・・・・・」(pp.33-4)
「「主観的身体像(P)[=患者さん(Patient)自身の感じている身体の感じ]」とは、<患者の有する自己の身体イメージ>と表現したものであり、対自的、ゆえに自閉的[阿世賀注:サリヴァン(中井訳)の言う「プロトタクシス的」]であるのが大きな特色である。たとえば、患者自身の頭痛の自覚などがこれにあたる。
「主観的身体像(T)[=治療者(Therapist)側の、患者の身体感覚についての、患者の身になっての「主観的」感覚]」は、これまでその重要性があまり顧みられなかったものである。
<治療者が患者の身体について感じたこと>というのが、その意味するところのものなのだが、これではわかりにくいので、<治療者が自らの身体を映し鏡にして、患者の身体をモニタリングしたもの>とすればイメージが浮かびやすいだろう。
治療者が自らの頭に頭痛があることを想定して、それをもとに想像してみた患者の訴える頭痛のつらさなどが、この一例である」(p.38)
「私は、治療者が[患者自身の]「主観的身体像(P)」を共有しようとするすることが、まず必要なのではないかと考える」(p.39)
「ただ誤解なきように付言すると、「主観的身体像(P)」と「主観的身体像(T)」は最終的には同じになることをめざすものではないし、また同じになっていくはずもない。
治療において必要なのは、治療者が[患者の]「主観的身体像(P)」がどのようなものかを認識し、自らの[患者の身になって感じているつもりの]「主観的身体像(T)」についても自覚的になることである。
その結果、ともすれば硬直化しやすい患者の「主観的身体像(P)」がマイルドにほぐされていく[!!!!]
(中略)
治療者が患者の<からだをわかる>ということは,患者にとってみれば、「主観的身体像(P)」が治療者によって容認されたと感じられること。
治療者にとってみれば、「主観的身体像(P)」の共有過程で「主観的身体像(P)」と「客観的身体像[測定可能な身体状態]」とを引き比べ,『腑に落ちた』と感じられることである。それは同時に、主観的身体像(T)がひとまず完成を見ることである」(pp.40-1)
「一般に世間で、患者に対する「受容と共感」の重要性が説かれているにもかかわらず、その方法化、いや、方法の意識化が不足しているのではなかろうか」(p.41)
こういちろう、激しく同意!!
医者と違って、カウンセラーは「触診」ができないというだけのことで。
*****
更に、今日読んだ部分のダメ押し。
「しかしどうしても、治療者が[患者の]「主観的身体像(P)」の理解に及ばない時もある。その場合、治療者の心のうちで一種のジレンマが生じてくる。それは、了解し得ないものに対する無力感と苛立ち、同時にその感情を受け入れまいとする否認の規制である。だが、この内なるジレンマにどのように向き合うかどうかが、治療のカギとなるであろう。
もし、患者の訴える主観的身体像の<わからなさ>を容認することができるなら(治療者の「主観的身体像(T)」の歩み寄り)、患者の持つ苦痛と絶望をいくぶんか和らげ、訴えも少なくしてゆけるだろう」(p.44)
・・・・これって、結局、私が常々このブログでも書いてきたし、
現代のエスプリ (No.410) 「治療者にとってのフォーカシング」(伊藤研一・阿世賀浩一郎 編)
でお書きした、
クライエントさんに対する「感https://kasega.way-nifty.com/nikki/2013/01/post-a877.html 情移入的フォーカシングモード」と、治療者自身の体験している「自己指向フォーカシングモード」の間に矛盾が生じて、クライエントさんに「感情移入したい自分」と「しきれない自分」(feeling about feeling)の両方をsplitさせて「認めてあげる(acknowledging)」ことができたら、なぜかそれだけで、治療者としての私の中に生じた余裕が「空気伝染」して、クライエントさんにも「何となく」余裕を回復させ、そこから面接の膠着が再び開け出すことが多い・・・・という、私の面接術の奥義と同じこと言って下さってるようものではないか!!
●フォーカシングのグループ活動において、身体の感じを通して傾聴し、言葉にしていく関係性の場を、さりげなく生み出すということ (1)-(7)
*****
更に言えば(今回はっきり言ってしまおう)、私の今後の最大のテーマのひとつは、精神医療における薬物療法が更に効果を上げる上で、薬を飲む前と飲んだ後とでの未分化で曖昧な身体感覚の変化への感受性を、まずは治療者側が、ひょっとすると患者さん側も上げるためのトレーニングとしてフォーカシングを「限定的」かつ「特殊な」技法形態で発展できる可能性である。
すでにそのための試論は書いています:
●フォーカシング技法を活用した、鬱状態のクライエントさんのための「主導型積分的フェルトセンス照合」スキルアップトレーニング(案)
更に、これを機会に、この1ヶ月間、とりあえず掲載見合わせにしていた次の記事を正式にUPしました。
*****
熊木氏に影響を与えている神田橋條治先生が、実はフォーカシングの熱血応援団長みたいな役割を務めてくださっているということ、そして、中井久夫先生に至っては、どうみても天才型ナチュラル・フォーカサーですから、こういう結果になることは、予想できなくもなかったんですけど、まさかこれほどとは・・・・・。
40ページ読む中でも、私にとって幾つも新たな発見や刺激になった部分が他にもたくさんあります。
ほんとうに、すごい才能がある新世代精神科医が生まれたものである。
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それでも敢えて書いてしまいます。
精神科医の皆様、熊木氏の本を読んでいて理解不能になったり、
「では具体的にどうすればそうしたセンスが磨けるのだ?
これではアートだ!!」
・・・・などとお感じでしたら、どうか試しに、フォーカシングを、まずはご自身のセンス向上のためにお学びになって見てください(^^)。
きっと、スラスラ読めて、納得してしまいますよ!!
■今回は「多少」ネタバレありなので、まだ観ていない人は読まない方がいいかも・・・・■
この作品は、「オズ」というネット上の仮想世界と、長野の上田という地方都市の、古くからの親戚集団(実際には上田にこの時集まっていない人も含む。・・・そうそう、主人公、健二の学友の敬君忘れてた)というリアルワールドという、2つの舞台を果てしなく往復し続ける仕掛けになっている。
ところが、それにもかかわらず、そこに登場する、固有名を与えられた人物は、ほぼ全員、仮想世界「オズ」上でのIDとアバターを持ちつつも、同時に、生活の中で顔を付き合わせる「既知の人物」であるという構造を持っている。
(「ラブ・マシーン」の開発者ですら「あの人」ですから、彼の人格からもはや解離して一人歩きしている、彼の「影」のようなものである)
つまり、リアルワールドでの生身の人間としての直接コミュニケーションと、仮想空間上でのコミュニケーションが全く等価で並列的に同時進行してしまう。
そして、リアルワールドでの古き良き日本の家族共同体の団結が、結局世界中のネット・ピープルをも動かし、全世界的な絆が達成される・・・・という、とんでもない筋書きになってしまっているのだ。
ハッキングをモチーフにしているにもかかわらず、この映画で描かれているのは、ネット上の人間関係と、現実のフェイス・トゥー・フェイスの人間関係の、実にしなやかな連続性である。
ある意味では、ネット上のコミュニケーションの方がリアルのコミュニケーションよりも浅くて表面的で演技的な別の自分であるという既成概念をぶち壊そうとしているともいえる。
しかしそれは同時に、結局はリアルワールドでも「深い絆」で結ばれた人間同士であってこそ、はじめてネット上でも「深い絆」を持ち、リアルワールドをも揺り動かす力を発揮する、ネットの使い方すらできるのではないか?という、ネット人間の肥大したナルシシズムや全能感を粉々にしかねない「大逆説」すら読み取れてしまう作品になっている気がする。
ネットとは、どこまで行っても、昔ながらの郵便や黒電話(^^)が単に進化したメディアであるに過ぎず、その向こうには「生身の人間」がいるのだ。生身の人間の心が動かなければ、信頼の絆がなければ、全くもって無力な、ただの道具である。
そのことを、模範として示してくれたのが、栄おばあちゃんの、あのうず高く詰まれた手紙のやり取りの束であり、黒電話での全国指令なのだと思う。
安易な「世代論」は慎みたいのだが、現在40代までの世代のうつ病のあり方が、以前とは異なってきていること(いわゆる「非定型」うつ病や「双極性障害II型」と診断を受ける人が増加していること)を検討する上で、やはり必要な観点として、ちょっと大胆すぎるかもしれないことを、敢えて書いてみたくなった。
日本の「高度成長期」とは、狭い意味では、オイルショック(1973)に至るまでの1955年から1973年までの18年間であるという前提で以下の話を進めたい。
そして、「高度成長期に育っている」世代というのを、私なりの、やや強引かもしれない境界線として、少なくとも小学校時代全体を1973年度までに終えていると設定することに同意していただければ幸いである。
そうなると、単純計算で、そうした世代の一番若い人間は、1961年(昭和36年)生まれであり、今年度(2009年)のうちに満48歳を迎える人間であるということになる。
更に、上限も規定しよう。高度成長期に突入した時点(1955年)で、いろいろな幼年期の記憶が残りはじめていることが確実な年齢層。それを3歳から5歳ごろと仮定すると、2009年現在は58歳から60歳の人たちということになる。
この範囲におさまる人たちは、まさに12年=1世代である。いわゆる「新人類」世代といわれるものと、実にぴったり重なることになる。
現在では、この世代の人たちが、社会を実質上動かす「壮年期後期世代」として活躍していることになる。一世代ばかり上には「団塊の世代」が今も「ボス」として君臨していることになるわけだが。
この世代の人間は、子供時代の重要な時期を、未来に向けての「人類の進歩と調和」を疑わず、日本もどんどん経済成長する中で、「親がすでに獲得した立ち位置で、更に努力を重ね、精進していけば、会社での昇進や事業拡張に伴う収入増加と、家庭の生活水準が向上していく」ことを非常に楽観的に信じていられる中で育っている。
「会社のために尽くせば尽くすほど、その忠誠心に応えて、会社は必ず自分に報いて生活水準の向上をさせてくれる」
ということを素朴かつお人よしなまでに信じていられたという点では、高度成長期のサラリーマンは、バブル崩壊以降、リストラ等の現実に直面し辛酸を舐めて来た世代に比べると、信じがたいくらいに純情ですらあり、(敢えてこの言葉を使わせていただく)日本的な『甘え』の構造に、骨の髄まで浸かっていたと思う。
このわずか十数年の間に、年功序列も有名無実化し、終身雇用制度も風前の灯の「実力主義」の生き馬目を抜く競争社会に日本も急速に変貌してきた。
天下泰平の江戸時代の武家社会以来命脈を保って来た、「忠義には恩賞で応える」という職業倫理観そのものがもはや崩壊してしまった。
日本における古典的な「うつ病」のあり方が、実は欧米社会のそれとは、メンタリティが一見似ていて内実は異なる点が得てして見落とされている。中井久夫先生が「分裂病と人類」の中で指摘しているがごとく、うつ病の病前性格とされた「メランコリー親和型性格」とは、欧米(この概念をテレンバッハが生み出したドイツにおいてですら!!)では、当初から、むしろあまり高い価値づけを与えられるパーソナリティ・タイプではなかったのである。
(私が目にできた範囲では、このことに真正面から言及しようとしている文献に最近の著作でなかなかお目にかかれない気がするのだが)日本における狭い意味での「古典的な鬱病者」とは、実はこうした、すでに過去のものとなった「会社への『忠義』が報われる」という社会システムへの過剰適応者に生じる失調形態であり、今や、古き良き日本の職業観に基づき生きてきた、すでに60歳より年長の世代に固有の「社会的性格」を担う人たち(および、その世代の「超自我」を、不幸にしてもろに転写する形で受け継いでしまった、「すでに時代とズレた」メンタリティを持つ、後継世代の中の一部分 を占めるに過ぎない人たち)に、かろうじて残存しているに過ぎないと考えるべきなのである。
はっきり言う。このことに、うつ病についての著作を書く現在の日本の精神科医の先生方の多くがなかなか(少なくとも一般の人向けの)著作の中で言及しないのは、ひとつにはDSMというアメリカの診断基準を「治療的輸入文化」として「丸呑みに」受け止めるという、未だにアメリカという「親」への媚びへつらいから脱却できない、主体性に欠ける精神医学観しか持ち得ていないまま、「未だに『戦後』をやっている」状況から抜け出せていないためであり、フロムやリースマンの水準での超古典的「社会的性格」論ですら実は掌中にしないまま、せいぜいありふれた社会評論家の水準でしか現代社会を論じる力がないままに、目の前の患者さんと漫然と会い続けているに過ぎないということであり、医者自身が無意識的に身を浸している、「ある世代(特に「新人類世代」)より上の指導的職業人一般に共通する」職業倫理観を「相対化」して「突き放して」見つめなおすというパースペクティブを確保しえていないということかとも思う。
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もっとも、「新人類世代」は、高度成長期においては、まだ十代ないしそれ以下の「扶養家族」であり、本人自身はまだ実社会に出た「就労者」ではなく、家族の生計の当事者ではなかった。実はこの点こそが肝心である。
現実社会の中で「努力と根性」で生きて、一家を支えているのは、戦前(昭和10年代=1935年前後以降)・戦中に生を享けて、戦後初期の貧しさの中で子供時代から十代を過ごす中から、死に物狂いで家の生活水準を上げてきた「親世代」なのだ。
新人類世代の人の子供時代においては、「努力と根性」の果てに立身出世するという倫理は、自分がそれをやるかどうかは別として、ひとつの「理想像」としては、結構素直に受け入れられていたと思う。まさに「巨人の星」や「エースをねらえ!」を子供時代から十代前半に堪能していた世代そのものなのであるから。
ところが、それはあくまでもひとつの「ファンタジー」ないし「自我理想」として存在しても、自分の身にひしひしと差し迫るリアリティとしては体験していない。
そうした中、当時の子供にとって、唯一の例外の「努力と根性」へのプレッシャーを社会から否応なしに受けるリアルな場が、現在よりも「遥かに」過激な受験戦争だったろうとは思う。
しかし、(敢えて言わせて頂ければ)受験勉強というのは、一度乗っかってしまえば、ゲームの上達と同じような、シンプルな仕掛けの「バーチャルな」次元での競争であるに過ぎない(ネットゲームやセカンドライフ的仮想世界では、ある種の「対人関係スキル」がある程度問われることは否定しない。ここでいう「ゲーム」とは、あくまでも、「スタンドアロンな」ゲームの場合である)。
受験とは、複雑な人間関係や駆け引きなどへの対処を含めた、実社会でのサバイバルや栄達までの修羅場で必要な、複雑で多次元の「全人的能力」の総合性が試されるフィールドではないのだ。
いくら「学歴信仰」が今よりも強い時代だったとはいえ、大人になった自分が「実際に」世間の荒波に飲まれてどこまで「通用するか」とは別次元の問題であることなど、子供心にもうすうす懸念していたことが多かったはずである。
つまり「勉強ばかりさせられる」ことだけで、大人として通用する未来が開けるわけではない筈だと、心のどこかで気づいていたのではないかということだ。
大人になって、世の中を生きるとは、そんな単純には行かないものでないか?
だからこそ、多くの子供は、受験勉強にばかり縛り付けられることに、自分の未来への、漠然としてはいるが深刻な危機意識の中で「抵抗し」、ほんとうは、何か別のものをこそ、大人から吸収したかったのではないかと思う。
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そういう中で、自分が成長していく上で見習っていく先達=「大人」としての手本を、その世代はリアルワールドの中では見失っていたのではないかとも思う。
いわゆる「ポスト全共闘」しらけ世代にあたる、自分より少し年長の、大学生から社会人になりたての世代は、自分の目から見ても、「身体を張って生きてきた」親世代そのものに比べると、心優しいけど、どうにもこうにも軟弱で、「お兄さん」「お姉さん」ではあっても、「大人としてのあり方」として憧れるというのにはイマイチだ。
そういう、自分よりも少し年長の世代にあたる「物語上の」主人公たちが「努力と根性」で社会に巣立っていくまで支え、見守り、鍛え上げる、更に上の大人世代・・・・まさに星一徹や宗方コーチの「大人としての厳然たる存在感」がなかったならば、その種の成長ドラマは、子供にとっても、全然魅力的なものとはならなかったはずである。
しかし、自分の親そのものは?・・・・厳しい小言はいうけれども、少なくとも家庭で見るその姿は、経済的豊かさを「消費」しながら、休日はぐったりと横になっているばかりで、全然かっこよくない(ほんとうは、多くの場合、職場では地道にその人なりに奮闘していたであろう、親の大変さまでは子供にはリアルに実感できないのだから)。
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私は、この「新人類」世代の人が鬱になる場合は、それ以前の世代の人が鬱になる場合と比べても、すでにかなりの傾向差があるし、更に「新人類」世代以降になると、更に別の傾向を示すのではないかとも感じている。
大雑把過ぎるのを承知で、敢えて大胆に言うならば、「新人類世代」=特に「双極性2型親和的」な世代ではないか?・・・という思いが私の中に生じてきているのである。
古典的なメランコリー鬱病親和的な人たちは、「新人類世代」になると、ぐっと割合が減り始め、それと交代するかのように、「双極性II型」と診断される人の率が増える・・・・という仮説である。
現状では双極II型の診断を日本の精神科医の多くが十分に的確にできるまでの「途上段階」に過ぎないので、日本における「双極II型」と診断される患者さんの年齢別・世代ごとの分布の統計が、もし仮にあったとしても、十分に信頼できる水準のものが日本にあると言える段階ではないかもしれない。
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しかし・・・・・ふと思ってしまうのである。
星飛雄馬は、大リーグボール3号を編み出しこそしたものの、それはまさに「身を削る」投法に他ならず、最後には腕の筋肉が断裂するという形になったではないか。
矢吹丈にしても、そうだ。ホセ・メンドーサとの死闘の後で、皆さんご存知の通り「真っ白な灰」になった。
岡ひろみも、宗方コーチの死のショックから立ち直って、再びウインブルドンに旅立つまでに、どれだけぼろぼろな日々を送ることになったか。.
この3人の生き方って、もう、びっくりするくらいに、双極性II型気分障害に陥った人の「現実の人生」と類似しているのではないか?
双極性障害II型の人に内在する超自我は、まさに「星一徹」や「宗方コーチ」のような超然たる厳しさを持ったものではないか?
そうした「内的コーチ」の期待と信任に応えるべく、極限までの努力を孤独の中で重ねて、遂には燃え尽きる・・・・
(宗方の死で幕を閉じた、アニメのTV版「新・エースをねらえ!」あるいは劇場版「エースをねらえ!」
しかご覧になったことがない皆さんは、原作
の物語がその後延々と岡ひろみの「リハビリ」の過程(!)を描き続けたことまでご存じないかもしれません。実は、原作における宗方の死以降のストーリーも、原作とはかなり異なる展開ですが、かなりたってから、実に丁寧にアニメ化され、2クールかけたオリジナルビデオアニメシリーズという形で発売されています(「エースをねらえ! 2」
→「エースをねらえ! ファイナルステージ」
)。もっとも、その後衛星放送やCSや深夜時間帯で何回も放送された筈なので、そういうきっかけでご覧になった皆さんもあるかとも思いますが)
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こうした、「新人類」世代の子供時代のヒーロー、ヒロインが「努力と根性」の果てに燃え尽きていくドラマを、あたかも自分自身が現実の中で再演する「かのようにして」、結果的に生きてしまったのが、双極性障害II型の人の生き様である・・・・という、大胆な仮説はどうだろう?
「現状がいかにしょぼくて、疎外されたものであろうとも「努力と根性」さえあれば、いつか報われるに違いない」
「 ・・・・・その前に、自分程度の者は、燃え尽きてしまい、安住の地にたどりつけないのではないか?」
「でも、このやり方しか自分にはできないんだ! きっとそのうちに誰かが認めてくれる・・・」
「それにしても、この、一見のどかで平和な時代って、何か、ふわふわしていてさ、生きている実感に乏しくて、どこか「嘘くさく」ないか?」
「きっと、「ほんとうの現実」っていう奴が、どこか別のところにあるんだよ」
「もし、そこに待ち受けているのが悲劇の幕切れであろうとも、自分が「ほんとうの現実」に触れた充実感に出会えるのならば、それが一瞬の花火でもいいではないか!」
・・・・まるで、徐々にパンチ・ドランカー症状に苦しみ始めた矢吹丈が、試合の前に、川辺で(ジョーを慕っていた)紀子に語った、かの有名な「真っ白な灰になる」という結語に至る一連のセリフみたいであるが、双極性II型の皆さんの中に、ある共感を抱いてくださる方が少なからずあるのではないかと思う。
そして、そういう生き方が、自分を苦しめ、燃え尽きることを繰り返す双極性の病に陥らせたことへの、砂を噛むような不毛感も。
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もちろん、こうしたことを「テレビやマンガの悪影響」などという次元で私は語っているつもりは全くない。
(恐らく、ここで書いてきたことは、「メディアの子供への悪影響」という論を張るのがお好きな人たちにはむしろ絶対に思いつけないし、お知りになったら「呆然とする」見解(?)であろう。星飛雄馬や岡ひろみの生き方を「不良」で「不健全」呼ばわりする人など、そういう人たちの中にこそ、一番いそうではない気がするので)。
私が伝えたいのは、そうした人たちが子供時代を過ごした社会全体の「時代の空気」(豊かさと、「成長」幻想の影に隠された不安と焦燥)との「隠された」親和性の問題である。
この世代の、少なくともある一定範囲以上の人たちが、社会に出るまでの間の成長過程で育んだ、「成長」や「自己実現」の理想化されたイメージと、大きな共振作用を起こす形で、こうしたヒーロー・ヒロインの物語上での生き方として社会的=象徴的に「表象された」のではないか?
(このようなメジャーな雑誌に連載される、すでに人気が出た物語の原作者というものは、その時代の読者層をいかに感動させる物語展開にするかにこそ、神経をすり減らしているものであることはいうまでもないでしょうから)
タイトルは、「フォーカシング指向心理療法(下)」でジェンドリンが書いている言葉(訳書p.497)として、フォーカシングを学んだ人たちの間では、つとに有名な言葉のひとつであろう。
この言葉は具体的にはどういう意味か?
そのことを考えるためのヒント。
「リスナーがいる方がフォーカシングはやりやすい」
という言い方が良くなされるけれども、これは半分真実であり、半分は事実に反するというのが私の考えである。少なくとも、このことを絶対的にそうだと思い込むと大きな間違いだと思う。
このことを、ある程度セルフ・フォーカシングに熟達したフォーカサーは良く知っているはずだ。つまり、自分にとって心地のいい空間で、ひとりきりで自分のリスナーをしながらフォーカシングをするのがうまくいく時の、我が内なるリスナーと、内なるクライエント(フェルトセンス)との内的関係性の深さと純粋性とインティメートなやさしさに満ちた交感状態は、正直にいって、ありふれた対人関係の中で感じられる気持ちの通じ合いなどの比ではないくらいに心を癒してくれるものである。
自分の内奥から訴えてくる「何か」(フェルトセンス)という「もうひとりの自分」と「私」との間の、静かではあるが、圧倒的なまでの信頼関係の<絆>の感覚を味わえるものなのであり、極論すれば、自分の気持ちを他者に深く受け止めてもらうこと、他者に癒してもらうことに期待することが、何と空々しくて徒労な企てではなかったかと感じるくらいのものである。
そうしたセルフ・フォーカシング体験を一度して。自分の中に理想的なリスナーやガイドを形成することに一定水準まで熟達してしまうと、生身のリスナーというのは、どうにも物足りない存在になる場合も出て来る。
こう言っては失礼だが、生身のリスナーというのは、自分の中に飼っている(?)「理想的なリスナー」に比べると、どうにもこうにも鈍感で察しが悪くて不器用かつ人工的な存在に思えてくるのである。
そして、まるでそのリスナーに、こちらのプロセスについてきてもらうためにいろいろキュー出ししないとならないみたいな、妙な気分になってくることがある(少なくとも私には)。
つまり、すべてのセッションがリスナーを「教育」するためのフォーカサー・アズ・ティーチャー化してしまうというのに近い。これじゃ「私のために」フォーカシングしているのではないよとすら感じ出してしまうのである。
なるほど、リスナーがいる方が、私のフォーカサーとしてのフォーカシング・セッションのプロセスは「よく回る」気はする。でも、何かひとりでフォーカシングする時のような深みに基本的に欠けている。
それなら、「リスナーに何の伝え返しも教示もしないように頼んでみたら?」というのが教科書的な解答のはずだが(^^;)、そうやって仮にリスナーに全くの沈黙を最初から求めた場合ですら(!)、リスナーのプレゼンスを気にするあまり(!)、私の内面の自由はそれだけで損なわれる感じしかしない。
仮にそのセッションの時には大きな気づきに思えたとしても、そのセッションの場を離れると一気にリアリティが喪失し、空虚な虚妄だと思えてきてしまうのである。
それは、私の「生活の中での」気づきではないということかと思う。
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ところが!!
そういう私が、聴き手がいる方が、明らかにフォーカシングが進行するという例外的な経験を、ある特定の人物とだけは頻繁に持てる現実に遭遇することとなる!!
私はその人物の前で、意識的にフォーカシングの技法を自分に試みることは滅多にない。普通に身の上話をしているだけなのである。ところが、その人に話していく時には、自分ひとりで意図的にフォーカシングしている時には決して克服できなかったような、自分にとっての大問題についての洞察的な気づき(シフト)が、いつの間にか自然発生的に生じる確率があまりにも高いことに気がついた。
普段飛べないハードルが、その人と話しをしていると、やすやすと飛べていくのだ。
しかもそうした際の気づきは、私の現実的重大問題についての行方に少しずつ確かに影響を与えるくらいの、具体的な決断に結びついてすら行く、一時の主観的な「癒し」などでは済まない、大地を一歩一歩蹴っていく推進力の礎、具体的な布石、橋頭堡を生み出すのだ。
その人は、別にリスナーとしての訓練を受けているわけでもなく、カウンセラーですらない。いわゆる専門家的「傾聴」の姿勢を保つことなく、結構自分の意見を言ってくるし、時には私の話を遮りすらして自分の話題へと持って行く(!)という、ほんとうに日常的な「普通のおしゃべり」ポジションのはずなのである。
間違いないのは、お互いのことに関心を持ち、信頼しあい、相手への違和感でも何でもぶっちゃけて真剣に話し合える関係だけはできている間柄ということだった。
そうであれば、たとえフォーカシングしようとしなくても、その人との普通の会話の中でフォーカシングは自然発生的かつ無意識的・条件反射的に(?)私の中で進行してしまうのである。
私は、この事実に気がついた時、はじめて、ジェンドリンが、「フォーカシングにおいて一番大切なのは関係である」ということを口をすっぱくして言い続けている真意がわかった気がした。
すごく相手に打ち解けていて、その人になら何を話しても大丈夫で、こちらが投げた球なら何でもがっしりと受け止めてくれるみたいな絶対的な信頼感で相手に自己投企できるか?
・・・・・そこまで行って、はじめて私は、自分自身を超えたリスナーの存在を認めることができたのである。
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ちなみに、その人物は、あくまでも、プライベートな「ネット友だち」だったりする(このサイトにその人は決して現れませんので念のため ^^;)。
・・・・・この話、フォーカシングを学んでいる皆さんに、何かヒントになれば。
フォーカシングを学んだ人なら、「内なる批評家(inner critic)」という概念があるのをご存知だろう。
この「内なる声」については、自分自身を厳しく叱責する「批判的な」声といういうふうに一般には受け止められ勝ちかと思う。
しかし、実は、もっと広い意味で、自分のフェルトセンスからではない形で出てくるさまざまな内側の声全般に当てはまるとみなす方が的確なのではないかと思う。
例えば、
「人生、そんなにうまくいくことばかりじゃないよ」
「無理のし過ぎはよくないよ」
「病気だから仕方がないではないか」
「おまえはもう十分に頑張っているよ」
などといった内側からの声ですら、実はフォーカシングを進める上では障害になる場合が少なくないということである。
私は、こうした一見もっともそうなことを言い始める内側からの声のことを、
我が内なる『知ったかぶり』
『人生の達観者』からの声
内なる『表面的ななだめ役』
内なる『ええかっこしいでいいとこ取りな同情者』
などと名づけている(^^;)
こうした声についても、
「ご説ごもっともで、感謝申し上げます」
と、一応"say hello"して「認めてあげた(acknowledging)」上で、脇に控えていただくことをしないと、ほんとうの内面との対話が始められず、フェルトセンスからの、更に細やかで切実なメッセージを受け止めていくことはできない場合もあることを、日々心しているのが、一フォーカサーとしての私である。
ちなみに、この種のことは、アン・ワイザーさんもくわしく書いています。例えば、「フォーカシング入門マニュアル」の第3章「フォーカシングを妨げるもの」にも、しっかりと例が書いてある(特に、3.7「それを直すこと」の項で触れられた、「それをつくろいたい、直してあげたいという気持ち」というあたりのことが、今回私が書いてみたことと一番近いだろうか。
=======引用はじめ========
「痛みや苦しみに出会ったとき、何としてでもそれを繕いたい、直して(fix)あげたいという気持ちを覚えるのは当然のことです。唯一の問題は、これがいかに[自分への]善意のつもりでも、フォーカシングのプロセスの妨げになるということです!
(中略)
フォーカシングでは、あなたが或るフェルトセンスと一緒に座っている時の[必要な]態度というのは、そのセンス(感覚)がどんな感じか、何を必要としているのか、[フェルトセンスに傾聴する「あなた」の方は]まだ知らないといったものです。大急ぎで繕ったり直そうとしたりすることは、「私が何を必要としているのか、もう知っていますよ」と言わんばかりの態度です。それよりも、耳を傾けて、あなたに向かってそれ[=フェルトセンス]に話してもらいましょう。こうすることで、あなたの内的な自己との信頼おけるポジティヴな関係が広がり強まるのです」(pp.81-2 太字による強調と [ ]内はこういちろうによる補足)
=======引用おわり========
「贔屓(ひいき)の引き倒し」になりかねないのに、同情的で「理解ありげな」見地ばかりを振り回す、「評論家」というものはこの世にいくらでも存在するではないかと(^^;)
おいでになるクライエントさんの話を聴いていると、欝になって休養を取って休んでいた時期に、それまでやったことがないくらいの衝動買いに走ったという話を聴くことは決して稀ではない。はっきりいって、かなり一般的ですらあると感じている。
衝動買いを、双極性障害の人の躁状態における典型的行動である・・・・などという教科書的理解をするたけで説明が済むとはとても思えない。
SSRIなどの抗うつ薬の副作用で「躁転」した時期に生じやすいという場合は確かに含まれているかもしれないが。
かといって、このような行為に走る人は、いわゆる「新型うつ病」(非定型うつ病)の人に多い・・・・などということを軽々しく言うのも、避けたほうがいいように思う。 私の印象では、この、「衝動買い亢進状態」は、古典的な「メランコリー型」の鬱に類型してもよさそうな人にも、休養のある段階で実は結構見られる気がしてならない。
そして、どうも、この「衝動買い」現象は、ある程度以上重度の鬱の人の休養治療初期に見られる、「身体を1メートル動かすのもたいへん」という寝たきりに等しい状態(これは、例えば、気を張り詰めて働いていたのやめ、実際に休むことに決めた翌朝に心身に襲い掛かり、本人もあっけにとられる水準のものとなり、かなり順調に行っても数週間続く場合がある)を脱して小康を得て外出できるようになった、最初の段階ですでに生じることも多いようである。
鬱の人・・・・むしろ古典的な鬱傾向の人場合にむしろ余計に当てはなることかもしれないが、充実感を感じられる"task”が着実に目の前にないまま、「まったりと過ごす」ということは、病気になる前からそもそも苦手なのである。
鬱の人は「暇をもてあます」状況にはそもそももろい。「ともかくしばらくはゆっくり休んでください」「無理はしないで」といわれて「そっとされている」鬱の人は、周囲の人からは想像できない次元で、実は窮地に陥っているのだ。
鬱の人とは、基本的に、自分の中の「何か」が突き動かす「焦り」に巻き込まれ、安らかに穏やかに休息を味わう境地からは「程遠い」中で休養生活しているものである。
中には、家事や庭いじり、日曜大工(仕事を辞めた人の場合には)ネットでの求職情報収集などを「熱心にこなす」ことに没頭し始める人もあるだろう。
こうしたことを性急に「熱心にやり過ぎる」と、それだけで再び鬱が悪化する引き金となり、「ああ、まだ私は治りかかったいたわけではないんだ」と落ち込むという、「二次的な鬱」の悪循環になる場合少なくないのだが・・・・
しかし、そういう性急な活動開始の結果生じたてん末を、単に一緒になって失望したり、「言ったことじゃない!!無理しちゃ駄目じゃない! 休んでいないとならなかったのよ!!」と責めるみたいな反応しかしなかったら、急用中の鬱の人は更に自己嫌悪の泥沼にはまるだけであろう。
せめて、「残念だったね」とやさしくその悔しさを共にする心の余裕が、見守る人には欲しいものである。
休養中とはいえ、鬱の人が、自分が「意味のある活動をしていない」ことにいかに耐え難い思いで悶々と心安らがずに過ごしていることが多いかは、家族すらほんとうには察し切れていないことが多いように思う。
そうした"task"で時間を埋められないとなると、今度は購入した「もの」で空間を埋めたくなるという方向に転化してもおかしくはない。
*****
もっとも、こうした発想だけでは不十分だったようだ。
全く別のアングルから、欝で休養経験のある若い女性クライエントさんが、次のように語ってくれた:
「買い物をしている時だけ、自分は病人ではないという気分を味わうことができるんですよ。社会で普通に働けている人と同じフリができるっていうのかな?
鬱になってから、お店で店員さんと話し込んで、じっくりと品物を選びながら買うことが増えていた気がする。働いていた頃は、そうやって話し込むタイプでは全然なくて、ひとりで決めるタイプだった筈なんですけどね(^^;)
街を、流行の服を着て、お店の紙袋ぶら下げて歩いているだけで、病人でない気分を味わえた。実社会から降りていて、普通に働いている人たちとの間に超えられない隔てができてしまっているという、心の空洞を、そうやって埋めてしまいたかったのだとも思います」
このようにしてまでも自分で自分を慰めるしかない心の機微を汲むことをまずはしないままに、衝動買いのやりすぎ自体はよくないとばかり言い出すようなカウンセラーではありたくない気もする(^^)
衝動買いが現実的な問題を生み出すことをどうしたらいいのか?ということを一緒に考えていくのは、次のステップである。
「ものを買うばかりではない形で、そうした心の隙間を埋めるにはどうすればいいのか?」
(例えば、人との出会いもありそうな習い事に投資する形も考えられないかとか)
あるいは、
「買い過ぎを押さえるには家計簿をつけてみて、検討してみないか?」
など。
前回の続きです。
Stage4.語り手がそこまで語った全体についての聴き手の側の印象を言葉にしてみる
Stage3までのやりとりは、もう一度Stage1にまで戻って、話し手の話の様々な局面について自然と展開が広がる形で繰り返されることが少なくないのですが、そうしたやりとりが自然とひとまとまりがついてところではじめて、話し手の話を聴いていた私の側が、そうした話にどういう印象を持っていたかを語ります。
すでに述べたように、私はここまでの展開の中で、話し手の「身になって」自分の中に感情移入的フェルトセンスを刻々と醸成していくモードと、話し手の話を聴いた私の側にどんな思いや違和感や身体感覚が生じていくかに刻々と気づいて受け止めていくモードという、2重の仮想身体を抱えているつもりで、その2つをはっきりと内側で区別しながら傾聴し続けています。
しかし、こうした2重のモニタリングを維持しながらstage3までを丁寧に進めて来ていた場合、私が当初は感じていた、語り手への違和感の多くは氷解する方向へと、語り手はいろんなことを話してくれていることが多い気がします。
この私の中での「氷解」を決定的に進めるのは、私がその違和感を「早まって」(?)口にすることではないのですね。stage3で、そこまでの相手の話の全体について、相手の身になった言葉やイメージを返してみた後で、話し手がそれを自分の実感と照合しながら、更に語り勧めてくれる中ではじめて聴けた話に、しっくりと感情移入できるという形で生じることが少なくないようです。
ですから、私は、stage4において、「最初に」感じていた違和感にまで遡って言葉にすることはほとんどありません。そこまで話を聴いて来て「どうしても残る」違和感については触れることも多いのですが、そうした際にも、「あなたから何かまだ肝心なところまで話を聴けていないから(あるいは、あなたの側では「伝えたはず」だけど、聴き手である私の方が 肝心な点を受け止め損なっているので)、私の側がそうした違和感を感じているだけではないか」といったことを、言外に示唆するか、直接伝えることが少なくないですね。
こうしたスタンスを維持する限り、こうした私のstage4水準での表明を受けて、更に語り手が反してくれることは、更に理解を深め合う方向へと進むことこそあれ、語り手の側に、私に何かが「通じなかった」「受け止めてもらえなかった」という方向に留まることは少ないと感じています。
要は、私が語り手に返した事柄について、語り手の側がピンとこなかったら、いくらでも修正を入れてくれていいというスタンスが伝わるかどうかだとも思えます。
*****
こうしたstage4水準での応答において、「語り手の体験していること(とその際に生じているもろもろの感情)が、聴き手である私の過去の体験(とその時の感情)とどこかで「通じ合う」かのように自然と感じられた」ということを伝えることも少なくありません。
しかし、私はそうした時に、「あなたがそういう体験の中で感じたことと安易に重ね合わせ過ぎる形になることは私も望まない。これはあくまでも私の側が勝手に重ね合わせたことであるに過ぎない」というメッセージも必ず同時に付け加えます。
ちまたにありがちな、「そういうことって、あるよねー」式の、安易に自分の体験に引き付けた「理解し、共感したフリ」のエールの送り方が、相手自身が体験している状況と個人的な感情に更に付き合うことを妨げる浅薄なものであるかを重視したいためです。
*****
さて、ここでやっと、先日の「久留米でフォーカシングを学ぶ会」というグループの中で、主催者の私が、会の最初に実際に試みたこととの関連に話題を戻せます(^^;)
「まずは、この場にこうして座ってみて、皆さんひとりひとりが、今、どんな感じで座っているのかな・・・というのを、ちょっとだけ味わってみる時間を取りたいと思いますが、いかがでしょうか?」
(この問いかけの際に私が付加した、さまざまなアングルからこのことを試してむることができることについての具体的な提案の細目は、こちらの記事をもう一度参照してみてください)。
数分が経過し、ひとりひとりの参加者から、「あくまでこの場で参加者の皆さんとシェアしたい事柄だけでいいので」と伝えた上で、その数分間の沈黙の間に体験していたことを語ってもたったのですが、ひとりあたり2,3分からせいぜい5分でした。
私は、ひとりの参加者の話を聴くごとに、こうして述べてきたstage1からstage4までの応答次元をすべて含めた形で傾聴し、応答することを意識的に進めていったのです。
つまり、ひとりの参加者の話を聴いていて、私がその参加者の話を「身になって」聴いていて生じてきた、参加者の実感にしっくり来そうな言葉やイメージを手短に呈示し、それについてやり取りし(stage3)、それに続いて、私の側の感想や、私の体験との接点(と、私に感じられたもの)についての控えめな呈示と、それに基づくやり取り(stagae4)まで、その参加者と進めるということを、コンパクトに進めたわけです(その参加者とのやり取りをしている間、他の参加者はあくまでも静かにそれを聴いています)。
その結果得られた参加者からの振り返りの感想が、以前お書きしたように、
「シェアリングの中で他の参加者の方が自分の体験の中で感じていたことを聴いていく中で、それを自分の実感と自然と照合するプロセスが進んで行き、そうしたグループの場の空気に助けられて、自分の身体の内側からの反応をしっかりと確かめられた」
となったことを、私はたいへん興味深く思えました。
これは、個々の参加者と主催者である私との間で繰り広げていた、お互いの実感を照合する相互作用のプロセスが、他の参加者が自分の実感に触れ、再吟味していくプロセスに、ほとんど非言語的な次元で、ひとつのモデルとして影響を与えていたということかとも理解できるとも思えます。
****
もう一度繰り返しておきますと、ここで述べてきたことは、私のカウンセリングおよび、プライベートな人間関係で真剣に相手の話を聴く時の傾聴と応答の様式として当たり前になってきていたことを、これを機会にまとめなおしてみたものです。
もちろん、このことを常に完璧に実現できているわけではなくて、こうしたススタンスが崩れることもあります。
そして、ネット上で文字だけでコミュニケーションをする場合には、こうしたやり方まではほとんど使っていません。電話など、音声だけのやりとりでも、不十分にしか発揮できないように思います。
ここでは、実例を呈示しないままに説明を進めてきたので、読者の中には、どういうあたりのことを指すのかつかみづらいと感じた皆様もあるかもしせんが、一度ここでこうしてまとめておくことが、今後私にとって、今後何かの際に役立ちそうだという予感に導かれるまま、とりあえずの見取り図として書いてみた次第です。
(とりあえずこの項終わり)
前回の続きです。
Stage3.語り手がそこまで語った全体について、聴き手の感情移入的なフェルトセンスからの応答を提示してみる
話し手の話が自然と一区切りついた間合いを見計らって行ないます。そこまでに、語り手の話は短くても5,6分、長い場合には10分前後は続き、聴いている私はstage1ないし2の形で、話し手の話の流れをできるだけ妨げない形で、専ら聴き役に徹してきていたことになります。
私は、そこまで話し手の話を聴いてきて私の側に生じた印象や感想や意見を述べる前に、たいてい次のことをします。
「あなたの話を聴いてきて、あなたはこんな感じでいる(いた)んじゃないかと私には感じられてきているんだけど、聴いてくれる?」
・・・・という前フリをして、暗に「これから語るのは、あなたの実感について、あくまで私があなたの身になって感じてみたものを提示するに過ぎないので、あなたにとってピンと来ないなら、払いのけたり、修正してくれてかまわない」ことを示唆した上で、
1.ひとつの単語、せいい2,3の語句
2.ひとつの比喩的なイメージ(についての要を得た解説)
の形で提示します。
この際に、決してくどくどしい説明にしないことが大事です。
なぜなら、長い表現になったら、焦点が曖昧になってしまって話し手がそれを、そこまで話してきた自分の実感全体と響き合わせて照合するということを端的かつ直感的にやりにくくしかならないからです。
ここでもまた、stage2と同様に、聴き手は、話し手の身になりつつも、話し手自身は使ってもいない言葉や表現を見つけ出して使うことになります。
やっていることはstage2と似ているのですが、stage2がミニマムで小刻みに、流れの中でさりげなく使うのに比べると、そこまでの話全体について、二人で一緒に振り返って味わいなおすように促すという点で、よりメリハリがついた提示の仕方といえます。
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このように説明すると、インタラクティブ・フォーカシングにおいて、「二重の共感の時(double empathic moment)」の後で、まずは聴き手の方から、語り手の身になって感じてみた言葉やフレーズやイメージを返してみる時のやり方と非常に類似していることにお気づきのフォーカシング学習者もおられるかと思います。
敢えて違いを述べれば、語り手にはそこまで離したこと全体を身体で味わっていてもらい、その間に聴き手である私は話して身になって、ぴったりに言葉やイメージを捜すための沈黙の時をとりましょう、というはっきりした提案とセッティングまではしないまま使うことが多いということでしょう。
私がここでこれまで述べてきたのは、通常のカウンセリング場面や、親密な知り合いの相談事を日常の中で聴いていくという「普段使いの」際に、さりげないエンジンオイルとして役立てるやり方です。特定のフォーカシング技法を「双方が身につける」ことを目指してはいません。しかし、この程度の「緩めた」使い方でも効果が十分発揮されるのです。
私の場合、いったん傾聴モードで相手の話を聴きはじめたら、その後の数分ないし十分ぐらいの無理のない一区切りの時に、このstage3次元での、相手の身になった端的な言葉やイメージを投げ返す時がやってくるであろうという前提でずっと話を聴いています。ですから、私の中で、stage3のタイミングで投げ返す言葉やイメージは徐々に暖めらて来ていることになります。stage3を試みようという時にはじめて相手の身になってみて言葉を捜すのではないのですね。だから私には沈黙の時は今更不要なのですね。
私はそうやって話し手の身になった言葉やイメージを実際に提示した後でも、私は更に、
「・・・・・これはあくまでも、私の側が、あなたはそんなそんな感じでいるのかなと想像したに過ぎないことなので、あなたの側でどう感じているかは別かもしれないけど・・・・」
・・・・などともう一度付け加えて、その人が、私が提示したものを自由に修正する権利を保障すすことを暗に示唆することが少なくありません。
もっともそこまでやらないうちに、私からの当の言葉を聞いた時点で、
「うん、そう、そうなんだ!!その〇〇だよ!!」
と、打てば響きように言ってくれる人も少なくないですし、
「〇〇というより、◇◇かな。・・・・・という点では〇〇だともいえるけど、・・・・・という面が私にとっては強いから」
などと、自分の心境に更にぴったりな言葉を更に新たに見つけ出したり、それまではっきり語ってはいなかった、自分の気持ちの別の側面や、関連する話題を語り始めるケースはたいへ多いといえます。
後になってみると、そこまで聞き届けないうちに、相手に、自分の側だけの感想や意見を言わなくてよかった!!と感じることがたいへん多い気がします。
語り手がこうして、それまでよりは更に進んだ方向や別の局面へとへ話の展開を始めたら、私はstage1ないし2に立ちかえり、もっぱら相手の話を傾聴しているモードに戻ることになります。すると、しばらくして、再びstage3を試みたくなる時がめぐってきます。
前回述べたことを繰り返しますが、相手の身になった言葉やイメージを提示するのは、あくまでも相手が自分の実感を更に深く多面的に吟味するための触媒として機能するためです。相手の気持ちを「言い当てる」ことを目指すものではありません!!
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語り手が、話を続けてきたあげく、
「これを聴いていて、あなたはどう思いますか?」
・・・・と、私に意見を求めてきた場合にも、私はいきなり私の側の印象や感想や意見を返すことはしません。
まずは、このstage3の次元での応答、つまり、
「あなたの話を聴いていると、あなたはこんな感じでいるのではないかと思えてきたんですけど・・・・」
という形で、あくまでも話し手の身になった、感情移入的フェルトセンスから浮かび上がる言葉やイメージを、手短に差し出してみることを優先します。
それに対する語り手の更なる反応・・・・・そこでどれだけ意外なことを語り手は更に語り出してくれることが多いか!!・・・・まで受け止めてでないと、私個人の感想や意見は言わないことにしています。
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こうして、まずは相手の身になっての言葉やイメージの提示をした上でないと、相手の話への私の感想や意見は言わないということが、私には随分身についたものになってきています。それについては次のstage4で解説します。
前回の続きです。
Stage2.感情移入的なフェルトセンスからの応答を、挿入的に最小限織り交ぜる場合
話し手が話すことが、かなり込み入った感情について、断片的に次々と繰り出される形になり、しかもその込み入ったひとつひとつの表現をたどって応答していくと、何かしら几帳面過ぎて、語り手の語る話の流れをむしろ妨害して、むしろ、語り手がとりあえず口にしたに過ぎない表現の枝葉末節に語り手を拘泥させるきっかけになりそうな時、私は、語り手の、せいぜい30秒から1分程度までの語りの中に語り手が込めていた気持ち全体(表情や語調を含めた全体)をとらえることになりそうだけれども、語り手自身は使わなかった言葉を、語り手の身になってちょっとだけ感じてみて、そっと差し出すことがあります。
これは、私の応答の中で、せいぜい10%から20%しか占めません。前述の、語り手の用いた個人的含蓄の深そうな言葉をそのまま大事にした応答、すなわち、「ベースラインモード」の合い間合い間に、ごく挿入的にしか用いられない形になるのが自然だと思います。
むやみに使いすぎると、語り手は、自分自身の言葉で内面に注意を向けながら物語ろうという自然な内的道筋を見失ってしまいやすいからです。
これは、一見、ロジャーズ版の技法でいう「明確化」だとか、「要約」といわれる返し方に外見上は類似しているのですが、私はそうした際に、私なりに言い返して投げ返す応答が、語り手本人が込めてそうな含蓄を、単に一般化、平板化しかねない言葉に置き換われないように、細心の注意を払います。
私は、これを、聴き手である私の側の「感情移入的なフェルトセンス」を活用した、最小単位の「代理フォーカシング」のようなものとして位置づけています。
多くの話し手は、こうした言葉を伝え返した時、
A: 少しはっとするような調子で、
「そう!〇〇です」
などとその言葉を繰り返し、その後の話の流れでは、私の差し出したその言葉を、自分の言葉の一部として取り入れて全く自然に使い始めるか、
B:「〇〇というより・・・・そうですね、◇◇というほうがいいかな」
などと、自分なりの言葉に置き換えて、更に自分の話の続きを、さっきまでよりは少しだけ生き生きと展開していくことが多いです。
そして、現実には、どちらかというと、この中のBパターン、つまり、私の差し出した言葉は話し手本人の実感に響く、新たな言葉に言い換えられて、はじめて、その後の話を展開する上でのキーワードとして動き出すことの方が多いように思います。
私が「代理フォーカシング」して差し出した表現は、話し手本人の実感と自然と照合されて、反して本人が、ひとりだけではなかなかたどり着けなかったぴったりの表現を見つけ出すための照合体、あるいは触媒としてそこそこ機能していれば、それで十分なのですね。
こうしたことが円滑に機能する言葉は、そこまでの部分で、聴き手としての私が、「ベースラインモード」、すなわち、語り手が使った表現や言い回しだけを慎重に使い続け、なおかつその言葉を私自身の身体に響かせる中で、語り手の身になった「感情移入的フェルトセンス」を刻々と形成する中て語り手の実感世界に徹底的に寄り添うことを続けた中から、最小限必要と感じられた場合にのみ「差し出された」言葉だからこそ、語り手にとって「当たらずとも遠からず」の表現となり、語り手も、それが実感上しっくりと来なかったら、自分の言葉に置き換えてしまうことを、全く自然にできてしまうのだと思います。
こうした際に、聴き手が、話し手の身になって、身体を通して出てきた言葉を提示しないと、話し手の側もそれを再び自然と身体ごとで感じている実感をくぐらせて照合するということが生じにくく、単に「頭で」もっともそうかどうかだけを「判断」するに過ぎない次元へと引き戻しがちなようです。
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(この水準での活用の場合、滅多に生じないことですが)、もし万が一、私から差し出したその表現に、話し手側がひどく戸惑ってしまったら?
その時には、話し手がその直前に話していたことを、話し手自身が使った言葉を大事にしながら、ある程度もう一度投げ返してあげるところに立ち戻る方がよく、聴き手の方から、次から次へと、更に別の言い方を新たを繰り出すことなく、再び「ベースラインモード」の傾聴に戻る方がいいように思います。
少なくとも、聴き手の側から使った表現に、聴き手の側だけがこだわり続けるパターンにはまることは、できるだけ避けた方がいいと思います。
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なお、このstage2で行なった水準での、聴き手としての私の感情移入的フェストセンスを活用した言葉の返し方をする場合には、語り手の話の流れを妨げない自然さを最大限尊重するため、後述のstage 3以降の場合のように、「今、あなたがどんな心境なのかなと私なりに感じてみて出て来た、私なりの言葉(イメージ)なんだけど・・・・」ということまで、語り手に予め断った上ではじめて語り出すだすことまでは、通常だと、あまりしません。
慎重を期したい時には、「こういうこととして受け止めていいのかな? つまり・・・・」ぐらいの前フリをさりげなく入れますが。
・・・・・こうして理屈だけで説明すると、どのあたりのことをすることなのか見当がつきにくい方もあるかもしれません(^^;) しかも、話の場の場のライブでさりげなく使っていくことが多いので、その場で面接記録を取っていても残らないくらいの次元のものなのですね。
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ちなみに、私は面接記録を、面接のただ中で取るタイプです。
そういう際に、できるだけ、語り手自身が自発的に用いた表現と、私が、今述べてきたstage2水準で提示した言葉を区別できる表記になるように工夫しています(具体的に言うと、前者は「 」入り、後者は< >入りで記入します)
面接が終わってから記録を取ると、得てして、話し手が使った、個人的に含蓄を込めた言葉(フェルトセンスのハンドルに当たる言葉)を、聴き手である私の側が、平板で一般的な表現に置き換えてしまいがちです。
前回述べたことを繰り返しますが、同じような意味だからと言って、話し手の実感に響かない別の言葉に置き換えてしまうと、話し手がその言葉を媒介として伝えようとしていた含蓄の大半は見失われます。
ところが、聴き手にとっても、語り手自身の表現というのは、やり取りをしているその瞬間を遠ざかるにつれて、記憶に残りにくくなるものなのです。
ところが、面接場面での相互作用の核心部分は、そうした、話し手自身が使った言葉や表現をどのように聴き手としての私が受け止め、ここまで述べてきた「ベーシックモード」と「聴き手の身になった言葉での伝え返しを最小限していく」水準での応答を、話し手がどのように自分の中で自然と再吟味して、新たな言葉を紡いでいくかという、たいへんミニマムな水準での相互作用のステップの進展の繰り返しの中で築、実にさりげなく築き上げられていくことのように思えてなりません。
面接の流れがちょっと袋小路になった時に、語り手がさっきまで話していたパーソナルな脈絡にもう一度立ち返ってみるように促すことが役に立つことがあります。そういう時に、「さっきまで、そういう時には〇〇だと感じる・・・とお話しでしたが」と、話し手自身が使ったvocal(音声的)な言葉を具体的に再提示して差し上げると、語り手は、先ほどまではつかんでいて、いつの間にか見失っていた、自分の体験過程に触れながら言葉を紡ぐ軌道を、再び取り戻せる場合があります。
そういう際に、話を聴きながら刻々とメモし続けてきた話し手の言葉を活用できることの意味は大きい気がしています。
この連載、前回に続いて、ついに4回目に突入しましたが、私自身にとっても、私が日々のカウンセリングにおいて(・・・・いや、それだけではなく、個人的に本当に大事にしたい人たちとの対人関係で、相手の気持ちときちっと向き合いたい時に)、いったいどういう関わり方をしているのかを自分で再確認してみることにもなっていて、興味深い場になっています(^^)
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私のそうした場面での傾聴と応答の際には、どうやら、実にシンプルに習慣化された、4つのステージが構造化されているようです:
Stage1.ベースラインモード
話し手が個人的な含蓄を込めて、実感に触れながら語っている「かのように」私に感受できた言葉や言い回し(実感を伴うキーワード)を、私自身の身体に響かせ、話し手が体験している言語以前の漠然とした「感覚」そのものを私の身体の中に徐々に醸成するかのようなつもりで、決して言い換えることなく、「点(話し手の用いた、実感を伴うキーワード)」と「線(語り手の語った状況説明の大枠や、接続詞)」を大切につなぎながら、言葉として投げ返していく。
私が、そうやって、話し手にとっての実感上のキーワードや言い回しを、私自身の身体に響かせること自体が、私の中に、話し手の身になった「感情移入的フェルトセンス」を一層醸成させることに貢献するのであり、話し手がどういう実感を体験していたのかに、更に身体ごとチューニングしていく上で役に立つのです。
これが、傾聴と応答全体の6-7割で堅持されている基本スタンス、ベースラインモードなんですね。
たいていの人は、何かを人に語り出す時に、
・・・・この2つの前提に立った方がいいと思います。
話し手の話が一息つくたびに、私の方から、こういう、身体を通して身になる聴き方を経た伝え返しの応答を差し挟んでいくとしていくと、それだけで、話し手は、自分が今言葉にしてきた言い方が、自分の実感としっくり来るものなのかどうかを、自然派生的に内側で照合し、自分にとって更にしっくりする言い方に置き換えていったり、あるいは、自分の抱えた問題の中の、本当に伝えたい局面を物語ろうとして行ってくれることが多いようです。
こうした聴き方をしていると、話し手も、いつの間にか、私に向けて自分の気持ちを語ることに没頭し始めるのですね。そして、その時のその人なりに無理のない範囲で、自分の中の実感に触れながら言葉を紡いでいく傾向が、しなやかに「少しだけ」喚起されることになることが少なくないと思います。
つまり、まずは聴き手の側が、率先して、語り手の語りをじっくりと「身体を通して」傾聴して、語り手の語った、語り手の実感がこもっていそうな言葉や言い回しを「拾い上げ」、伝え返していくを姿勢を繰り返しとることで、どういうわけか、そうした聴き手の「身体を通す」スタンスそのものが話し手自身の、「自分の」実感へのかかわり方へと「伝染する」(あるいは「非言語的な次元での模倣」を喚起する)ことに、かなりの程度信を置いていいと思っています。
そうした一方、(連載2回目でも書きましたが)、私はそうやって、私自身の身体の中に、話し手の「身になって」体感しつつある「感情移入的」フェルトセンスを感じる部分とは別に、話し手を前にして、話を聴く中で、「私個人の中に」生じてくる実感や連想や思いを受け止めるためのスペースを、いわば2重抱えでしつらえています(聴き手自身の中での、いわばマルチタスクのフォーカシングモードです)。
敢えて言うと、あくまでも相手の身になって実感を感じようとしているのはは、相手と対面している、私の身体の正面寄りの部分に、仮想的に設定されたし身体領域です(半分は私の身体に埋没し、半分は正面寄りの空間に張り出しているイメージでしょうか)。
その後ろの方の身体領域に、「相手の話を聴いて私個人がどう身体で感じているか」を味わうための、もうひとつの身体領域があるつもりになっています。
そこでは、語り手の話を聴いて行く中で私自身に生じた不安や緊張、違和感や時には嫌悪、そして、私個人の中に勝手に沸き起こってきた感想や連想や、私自身の体験と勝手に引き付けてとらえようとする心の動きや、「批評家的」な感想や分析の類が次々と沸き起こることを私は許しています。
しかし、私は(アンさんの技法風に言えば)それらひとつひとつに「なるほど、そういう感覚や連想も生じてきているわけね、わかったわかった。必要あれば後で相手してあげるから」と一声ずつかけて("Acknowledging")、脇にひかえていてもらうことを果てしなくやっていき、そうした「私個人の」内側からの訴えがとりあえず静まったら、「相手の身になっている部分」の方に注意を戻してしまうわけですね。
この「相手の身になっている」仮想身体と、「私個人が相手との関係で感じている」ことを受け止めるための仮想身体は、あたかも2つの地層のように、私の身体の中で隣接しているわけです。しかし、この2つの層の間のバウンダリー(障壁)は、人の話を真剣に聴こうとする際には、非常に強固に維持しようとしています。
敢えて言うと、一方の層の血管に流れている血液は、めぐりめぐってもう一方の層にも流入するので、間接的な相互作用は生じているという相互影響過程は当然ありますが。
そして、少なくとも、今言及しつつある、1番目の「ベースモード」の聴き方をしている時には、「私個人がどう感じているかを体感する仮想身体」の方の直接的発言権は、厳重に管理され、その会話の日常的な自然さを保つのに必要な、比較的些細な内容を除くと、「ほぼ」封印することになります。
こうして、私は「相手の身になりつつも、同時に私自身であり続ける」という形で、相手の前に身をさらして話を聴いているわけですが、このようにするのは、単に「相手に巻き込まれてしまわないため」などという理由に留まりません。
むしろ私として申し上げたいのは、私が、相手の話を傾聴しながらも、私の体の中の一方の層の中で、ある意味で情け容赦がないくらいに、話を聴きながら私個人がどういう実感でいて、どんな連想をしているのかを、ことごとく自覚して、認めておこうとしている(アンさんの著書の原題タイトル、"Radical Acceptance of Everything"を想起します)から「こそ」、それと安易に混同しない、より純粋な形で、「相手自身は」どんな実感でいるのかに丁寧に関心を向け、感じてみようという余裕(自分の中のスペース)が一層生まれるのだと思っています。
単に自分個人の実感を自分の中で押し殺そうとしているだけだと、「相手の身になる」心の余裕はどんどんそがれていく・・・・なのに、ひたすらその「フリをする」ことに没頭する自己不一致状態になるのではないかと思います。治療者側の自己不一致は、クライエント側の自己不一致を誘導することは、ロジャーズ派カウンセリングの基本原理でしょう。
更に言えば、話し手側には、聴き手の私が、私個人として、どのようなことを感じているかの内容的な実態は、その段階では具体的にはほとんど全く感受できていないかもしれませんが、私が、聴き手の身になろうと務めながらも、どういうわけか、私としての自然な存在感(presence)を維持しつつ、しっかりと安定して「そこに-いる」ということは伝わると思います。このことそのものが、話し手に、話をしても大丈夫だという安心感と信頼感を醸成するのではないかと思います。
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さて、前回に引き続き、今回は、「聴き手が、話し手のいうことを、ボディ・センスを通して傾聴し、ボディ・センスを通して伝え返しをする」ということが、具体的にどういうことなのか、示して行ってみたいと思います。
これから述べることは、基本的には、この前ご紹介した、
ジャネット・クライン/インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー―カウンセラーの力量アップのために
で解説されている傾聴技法に準拠していますが、
で解説されている傾聴のあり方も融合させて解説することになるでしょう。
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聴き手が、話し手の話を、自分のボディ・センスを通して傾聴するということ・・・・これを「体験的傾聴」などと呼ぶ場合もあるのですが、こういう言い方だけでは、初めての人には、いったい何のことだかまるでわかりませんよね(^^;)
まず、ちょっと狼のことを連想ししてみてください。
一匹の狼が、闇の中で「ワオーーーーン!!」と吼えます。
すると、しばらくすると、闇の彼方のどこかから、「ワオーーーーン!!」という泣き声が、まるで木魂のように返っています。
最初の狼は、再び「ワオーーーーン!!」と叫び消すかもしれません。
闇の彼方の狼は、さっきより早く「ワオーーーーン!!」と鳴き返し、次第に2匹の「ワオーーーーン!!」は、まるで輪唱かデュエットのように折り重なり、そのうちに3匹目、4匹目の狼の「ワオーーーーン!!」すら加わってくるかもしれませんね。
同じような調子の声で、同じように鳴き交わす。
まるで、相手の声の調子を模倣して返していくこと自体に、大きな意味があるかのようです。
これが、動物同士のコミュニケーションの原点なのだと思います。
そこには、敢えて言えば「同類がここにいるぞ!!」ということを相互確認すること自体に大きな意味があるのかもしれません。
・・・・でも、どうでしょうか?
もし人間が、
「あなたは私の同類ですか?」
「ええ、同類です」
という、言語的(verbal)なやり取りをしていたとしても、それだけでは、狼同士の鳴き交わしのような、恐らく実存そのものを背負った連帯の絆は確立できていないであろうということ。
身体に響かせ、vocal(音声的)に「鳴き交わすこと」にこそ、相互承認、相互連帯、世界の中で自分は一人ではない、お互いが繋がっているという感覚、そして、相互理解の実存的な基盤があるのだということ。
ちょっと神田橋先生風の比喩にもなりましたが、確か、ジェンドリン自身も、「プロセス・モデル」という論文の中で、これと似たことを書いていると伝え聞いたことがあります。
話し手の語りを身体を通して傾聴し、身体を通した言葉で応答していくということのベースラインには、こうした視点を持っている必要がある気がします。
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さて、この「ボディ・センスを通しての傾聴と応答のうち、今回はもっぱら傾聴のことを話題にします。これが、通り一遍の、共感的な「伝え返し」に留まる状態と、どのように異なるのか?
・・・・・ちょっと大胆な試みかもしれず、逆に困惑してしまう読者の皆さんが出てくるのを承知で、試しに、私がそうした「身体を通した」傾聴をしているときの実感そのものを描写してみますね(^^)
相手の人が私に対して話をはじめました。私にはその「響き」が到達しています。私の「耳の鼓膜」は振動しているでしょうし、私の「頭の中」では、相手が話す言葉や、その脈絡に込めた「意味」を「理解しよう」とする働きが始まります。
しかし、同時に、相手の言葉の響きは、相手の人と対峙している、私の身体の正面寄りの部分全体にも同時に響いて来ているわけです。私は、あたかも耳の鼓膜以上に、腹膜で、相手の話を聴いているようなつもりになってみることが少なくないです。
腹膜を通して私の胴体という空洞に伝達された相手からの「響き」は、胴体全体を振動させ、共鳴させます。
私はそうやって、自分の胴体が相手からの響きに共振ないし共鳴するのを自分に許した上で、そうした身体の振動にセンサーをめぐらせて、話し手の心境を「感受」し、読み取ろうとしていく「主体としての私」も堅持しています。
今、「共鳴」という言葉を使いましたが、これはカウンセリングで使い古された「共鳴」という述語よりも、本来の意味、つまり、音響学的な現象としての「共鳴」というのに近い意味で使っています。
つまり、話し手という「音響発生体」(?)の中で、一定の周波数で音叉が鳴ったとします。その音波は「空気伝染」して、私の身体の中の、同じ周波数の音叉を鳴らすことになります。
相手と同じ周波数の音叉が共鳴するがままに任せるためには、私の方で勝手に自分の中の音叉を鳴らしてしまってはなりません。
これが、私なりの実感としての、「相手の身になって」傾聴するということです。
受容と共感、話し手の言葉を正確に伝え返すことは、ロジャーズ派に限らず、多くのカウンセラーの基本的な傾聴のあり方として実践されていますが、正直なところ、多くのクライエントさんはそうした傾聴をしてもらうでけではうんざりしています(^^;)
その理由は、単に、カウンセラーが「どうすればいいのか」の答えをくれないなどということだけではなく、クライエントさんの実感では、そもそも、カウンセラーに「話を本当に聴いてもらっている気がしない」という状態にすでになっているのですね。
なぜか?・・・・私は、カウンセラーが、単に「耳の鼓膜で」聴いていて、耳のすぐそばの「脳で」理解しようとしているだけだからだと思います。
つまり、多くのカウンセラーは、首から上だけでクライエントさんと関わって、首から上だけで共感したつもりになっているのです。
しかし、クライエントさんの側は、自分の悩みや言葉にならないモヤモヤをを、身体で一身に背負って面接室を訪れているはずです(別に身体症状がない人ですら、そうです)。
(フォーカシング関係者で、それぞれ「私の実感の上では、もう少し違う比喩がぴったりだ」という方がおられてもおかしくありませんが^^;)
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こうして、身体を通して(くぐらせて)傾聴した上で、語り手に伝え返しをしようとすると、一見ロジャーズ派的な「反射的」な伝え返しに似ているかに見えて、単に「耳で」聴き、「頭で」理解したものを伝え返す場合とは、自ずから、若干スタンスが異なってくる気がしています。
語り手が次々と繰り広げる、出来事についての語りや言葉の「意味内容」を、単に几帳面に追いながら克明に伝え返すことが、むしろ何か不自然なことであるかのように感じられ始めます。
(もちろん、場面によっては、むしろそうした丁寧な受け止めと逐語的に近い伝え返しが必要なひと時もあります。でも、そこそこ経験を積むと、そう いう伝え返しをこそ語り手が必要としている時はまさに今だ!!ということを、かなりの程度感受できるようになるものです。例えば、語り手自身、慎重に、自分の中の言葉にならない実感と照合しながら、言葉を少しずつ紡ぎだしているような場面です)
語り手が、個人的な心境や気持ちの綾を込めて語っている部分については、語調や言い回し、話すスピードや間合いすら同調させながら、丁寧に、大事に投げ返す。
しかし、それ以外の部分については、その語り手が物語る状況について基本的に誤解していないことの確認という意味で、ストーリーをなぞる最小限の 必要性が出て来る点を別にすると、かなり簡素に要約された伝え返しでも、語り手の側は特に不満を感じないことが少なくないようです。
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フォーカシング的な傾聴を学んで来た皆さんは、フォーカサーが用いた言葉を、同じ意味に思えるからといって別の言葉にリスナーが勝手に置き換えて伝え返すべきではないことをご存知でしょう。
人が語る言葉には、その言葉を媒介としてはじめて注意を向けることができている、非常にパーソナルな、「実感それ自体」の領域があります。言葉とは単なる「記号」ではなく、その時のその人にとって、非言語的に感受された経験の暗黙の全体性を意識につなぎとめ、保持するための、その人だけの「とりあえずの荷札」(フェルトセンスをつなぎとめておくための「取っ手」)という側面があります。
その人は「悲しい」と言っている時に、単に「悲しみ」という、ユニット化された感情を感じているのではありません。「とりあえず『悲しみ』と名づけてみたけれども、悲しみと言う言い方だけでは汲み尽くせない、もろもろの思いを含んでいそうな『何か』(something)」を感じている。その『何か』それ自体を大事にするようにさりげなく促すのが、フォーカシング的な態度です。
だから、そうした際に、
「そのことについて、あなたは、悲しんでいる」
などと言葉を返す代わりに、
「そのことをめぐって、あなたは、何か『悲しみ』のようなものを感じているんですね」
などと、感情についての意味づけを固定することなく、感じている実感そのものにさりげなく注意を向けてもらう返し方をすることに、フォーカシングを学んだ人は慣れているし、普通のカウンセリング場面ですら普段使いしている方も少なくないかと思います。
しかし、こうした言葉の返し方が、聞き手の中での単なる「応答テクニック」に留まるべきではないはずです。
聴き手は、そこまで語り手が話してきた事件のてん末について想像し、そうした場面に自分が「身を置いた」ら、どんな居心地になり、どんな場の空気を肌に感じ、どんな心境になるのかを、「あたかも」自分が体験しているフェルトセンスである「かのようにして」身体を通して感受しようとしていく必要があります。
もとより、そうした際に、聴き手は勝手に妄想を膨らませていいというわけではありません。
あくまでも、語り手が新たに紡ぎ出していく言葉のニュアンスや語調、表情の変化などを身体をくぐらせて感受し、それと照合し、修正していく中で、聴き手の中の、語り手の身になった「感情移入的フェルトセンス」が、その時の語り手に更に寄り添う方向に、刻々と変化していくことを許していく中で紡ぎだされた応答へと刻々と繋がっていく必要があります。
つまり、語り手の実感そのものに更に寄り添う応答になっていく必要がある。
そうなった時にはじめて、語り手にとって、聴き手の応答が、ある安全感を感じさせ、まるで語り手自身の身体の延長であるかのように自由に活用できる「鏡」=自分の「実感」そのものと、実際に自分ができている「言語表現」を、自然発生的に、無理のない範囲で「照合」し、語り手自身が味わい直し、より的確な言語表現を、自分なりに、深い実感の中から紡ぎだしていく手がかりになるのだと思います。
聴き手は絶えず旅の過程で、身体性を伴う存在感(presence)を持って「そこに-いて」くれているのです。
*****
ところが、こうやって「身体を通して傾聴し、身体を通して言葉を返す」というあり方が身についてくると、伝え返しの際に定石とされてきた一般原則のひとつを、ある程度緩めてもいいという心境に私はなりました。
それは、「伝え返しの際、語り手が実際には使ってもいない表現で提示してもいいのか」という点について、私の中の禁則が緩んだということです。
これをどう説明するかということは、私にとってかなりチャレンジングな未踏の領域(?)ですが、次回、何とか挑んで見ましょう。
前回の続きです。
語り手の話を傾聴する時に、
このことは、ロジャーズにはじまる、来談者中心療法カウンセリングにおけるベースラインとして強調されてきたことなのですが、ひとつ間違うと、語り手が語った内容を表面的に「鸚鵡返し」するだけになりかねません。
そうした表面的・機械的にルーティン化した傾聴に留まる場には、話し手の側にも、聴き手の側にも、独特の「のっぺりとした」場の空気と居心地が徐々に生じてきて、話し手も聴き手も、苦しさと物足りなさを感じなからも、頑張って、話をしていき、傾聴していくという状態に徐々に陥いがちなものです。
話し手の側は「ほんとうに聴いてもらっているという気がしない」と感じ始めるし、聴き手の側は「話を受容的・共感的に聞き続けて、伝え返していくのが苦しい」と感じ始めることが少なくないわけです。
ロジャーズふうにいえば、語り手も、聴き手も、自分自身がありのままにそこにいるという「自己一致」した感覚が、やり取りの中で徐々に失われていくことを、実感の上で漠然と察知しているものです。
話し手も聴き手も、辛抱しながらそういうやりとりを重ねているのですから、両者の中にある、「カウンセリングを受ける(する)こと」への義務感や、そこからいい結果が生じることへの「一抹の期待感」「盲目的な信頼感」だけが場の支えになっているような状態に近くなっていることも、決して少なくないかと思います。
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オーソドックスなロジャーズ派のカウンセラーの中にも、これだけではほんとうに生産的なカウンセリングが進んでいるとはいえないことを十分承知し、それを超えた次元のやりとりを実際にできる人たちも少なくないのですがフォーカシング(におけるリスナーやガイドの傾聴においては、こうした平板なやりとりをいかに克服するのかについての、積極的な「勘所」を身につけて行くことが大事にされています(・・・・・の、筈です(^^;)
これについては以前も書いたことがあるのですが、今回改めて、今の私なりの新鮮な言葉で表現しなおしてみましょうしょう。
1.聴き手は、今、自分が、話し手を前にして(あるいは、話し手と実際に面会する前の段階すら)、どんな居心地や気分や身体の漠然とした感じを感じながらたたずんでいるのかについて、十分に内側にセンサーを張って、モニタリングし続けている必要がある。
例えば、カウンセラーがそうやって面接を始めようとしているのに、いまひとつ乗り気でない自分に気付き、自分の中にある「乗り気ではない部分」を認めてあげて、「乗り気でない」気持ちのそばに、ちょっとだけたたずんであげてみる、セルフ・フォーカシングを、ちょっとだけしてみることは大きな意味があります。
その際に、別に「なぜ乗り気ではないのか」について分析したり、セルフ・フォーカシングで内側にシフトを起こして、面接に生き生きと臨める体制を作り上げねばならないとまでみなして、必死にセルフ・フォーカシングしてしまう必要まではないのですね。
フォーカシングを、自分がある程度体験的に学び、身につけてきているという手応えがある人なら、経験的に、次のことを知っているはずです。すなわち、「十分OKな感じでいららない」自分に気がつき、それを、対象化して、それを自分の中でちょっとだけ認識しておく(気づいておく)だけで、心の中にわずかなスペースが生まれ、ちょっとだけ自分を取り戻せることが多いことはご存知のはずです。
(自分の中の、面接に乗り気でない気持ちを受容しようとする、などという大それたことはできなくていいのですね。フォーカシングの名トレーナー、アン・ワイザーのいう"Acknowledging"=「(自分の中で)気づいておいてあげる」とは、この水準のことです。・・・・・こうした過程を「体験的に距離を取る(make a space,make a distance)」という言い方でとらえるのを好む人たちもありますが、少なくとも私自身は「距離をとる」という言い方をあまり好みません。それは「距離を取れねばならない」という強迫性のようなものを喚起するという意味で本末転倒になりやすいと感じています。「距離が取れない」自分に気がつけているだけで、実はその時可能な範囲で、そこそこ「距離が取れている」ことになるのですね。自分をセルフモニタリングする「立ち位置」を自分中で確保できているわけですから、すでにその段階で、単に「巻き込まれて、自分を見失ってしまっている」わけではないのです。最低限、それで十分かと思います)
2.語り手とのやり取りを進める中で、
(・・・・・以上、2.で述べてきたことは、すでに、
伊藤研一・阿世賀浩一郎 編/現代のエスプリ 410 特集「治療者にとってのフォーカシング」 至文堂 2001
の中の、
●阿世賀浩一郎/面接場面でクライエントの「容れもの(container)」として機能するための技法の試み ~カウンセリング場面で治療者自身の体験過程を生かし続けるためのベースライン~(pp.65-73)
で詳しく述べさせていただいている事柄のエッセンスの要約です)
このように書いてくると、何か複雑なことのようですが、過去の経験の中で「自分自身を保ちながらも、相手に積極的に関心を向け、相手の身になって話を聴いていられる」余裕ある状態でいられた時の体験をふりかえってみれば、実はこうしたことを無理なくできていたようだということは、フォーカシングを学んだ皆様に留まらず、およそどんな現場臨床家の皆様にも共通する体験ではないかと想像します。
例えば、精神分析的にいえば、「平等に漂う注意」を維持できる状態というのに類似しているかと思います。
ここで重要なのは、「相手の身になって」感じてみるモードと、相手との関わりの中で「自分個人の中に」生じてきたものを「感じ分ける」姿勢を維持し続けることです。
そして、聴き手は、この2つのことを、話し手にとってはっきりと区別できる形で別々に提示できることが必要ではないかと思います。
例えば、話し手が、家族に気持ちがうまく通じない時、何があったかとか、どんな思いが生じたかについて話し続けている際に、聴き手であるあなたの中に、自分が、大事な人との関係の中で生じた、気持ちが行き違った時の体験もまざまざと思い出され、そうした時の心境も生き生きと実感され始めるかもしれません。
しかし、話し手と聴き手の体験している「気持ちが通じない時の」辛さや気傷つきが、すっかり同じ体験であるということを保障するものは何もないのです。
このブログで引用するのは何回目かもうわからなくなりましたが(^^)、
>あの時 同じは花を見て、美しいといった二人の
(「あの素晴らしい愛をもう一度」 作詞:北山修)
感じていた、「美しい」という実感そのものが、共通のテイストのものであることを証明するものは何もないわけですね。
このことの厳しい自覚こそが、聴き手(カウンセラー)が、話し手(クライエントさん)を独立した個人として尊重するということのベースラインに一番必要なものだと思います。
そして、その峻別は、話し手の体験世界を、より深い次元で理解し、共有しようとする上での基盤となるのです。
*****
続きの部分では、話し手の身になって傾聴し、伝え返すこと、更には、話し手の実感にそれを照合してもらい、しっくりと来なかったら修正してもらうという相互作用を進める中で、話し手の体験世界に次第に寄り添っていくプロセスについて、もう少し具体的に書いてみたいと思います。
久留米でのグループでフォーカシングを学ぶ催しで、6名の参加者においでいただいた際に、私は、会の最初から、これまでになくひとつのことに心配りをするように決めていました。
それは、主催者である私自身、そして参加者の皆さんのひとりひとりが、集いの場の中で、自分のボディ・センス(フェルトセンス。内側に感じられる曖昧な実感)を大事にし、ボディ・センスと絶えず照合しながら、お互いに言葉を交し合うような関係性を最初から自然に持てるような空気を醸成するということでした。
それまでは、普通に、ひとりひとり自己紹介するように私が促すことからはじめてしまっていることが多かったのですね。しかし、これだと、誰かが話した話題をきっかけにちょっと雑談めいた方向に話が流れてしまうことも少なくなかったわけです。
*****
もちろん、フォーカシングの集いの場であるからといって、フォーカシングについての話題以外を語りにくい空気にしてしまうことは、何かがおかしいと私は考えています。
フォーカシングとは、意識的に技法として用いなくても、私たちが日常の中で接する様々な思いに対する付き合い方に、少しずつでも以前とは異なったスタンスを生じさせていくためにこそあります。単にワークショップの場でトレーナーやガイドとして有能になるために学んでいるのではありません(^^;)
例えば、家族や同僚や友人と接した際に、心がかき乱された時や、朝の交通渋滞に巻き込まれた時にイライラしながらいろんなことの連想の渦に書き込まれた時、気持ちにちょっとスペースを作り、自分がどんな実感でいるのかに「気づいてあげて」、そうしたさまざま思いや気分をそっと「認めておいてあげる」、そうしたことが、半ば条件反射のように自然にできるようになることが増えてくれば、フォーカシングが「そこそこ身についている」ということです。
あるいは、読んだ本でも、雑誌記事でも、テレビドラマでも、ドキュメンタリーでも、映画でも。音楽でも、心の中に、ある小さな感銘や痛みや新鮮な魅力を感じた時、たまたま入ったレストランの雰囲気やもてなしや料理の味わいが気にいった時・・・・・いや、もっとささやかなものでもよくて、たとえば、春になって、毎朝歩く通勤の道すがら、少し前の寒い日々には感じられなかった、緑が燃え立ち始める匂いを感じとって、季節のめぐりを実感した時のささやかな感慨でもいいでしょう、そうしたもろもろの実感とそこで生じる思いを、ちょっとだけ自分の中で自覚しなおし、味わったテイストを受け止めていく・・・・・そうしたことがに、もはやフォーカシングという技法を自覚しない次元で、さりげなく増えていくこと自体が、ありがたみなのですから。
フォーカシング「について」話をしていなくても、およそ人が体験し、実感し、受け止めていく、すべての事象との関わり方の中で自然発生的に生起しているものが、「フォーカシング」というこころの営みなのですから、「話題が」フォーカシングについてのものかどうかに拘泥している「フォーカシングの集いの場」がなるとすれば、それは何か大事なことを勘違いしているのではないかと思います(^^;)
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でも、フォーカシングの集いの場でのやりとりが、ボディ・センスを実感しながらその場の空気を味わい、ボディ・センスと照合しながら言葉を紡ぎだし、ボディ・センスを通して他の参加者の話や話しぶりやたたずまい(プレゼンス)を受け止めていく形でやりとりがなされていく、自然な空気を生み出すことは、集いの場の責任者に必要な心がけなのだと思います。
言うまでもありませんが、これは「ボディ・センスを通して傾聴し、ボディ・センスと照合しながら言葉にしていきましょう」などということを、主催者が参加者に単にレクチャーしたり、参加者同士が「ボディ・センスを通して傾聴するとはどのようなことですか?」「あなたはほんとうにボディ・センスと照合しながら言葉を発しているのかしら?」などという話題で話をしていることとは無関係なのですね(^^;)
繰り返しますが、話の内容は、何でもいいはずなのです。昨日見た映画のことを参加者の一人が語っていても、それは全く自然なこと。
大事なのは、ボディ・センスを通して出て来た言葉を発し、ボディ・センスを通して傾聴していくということが、自然発生的に場の中で生起するような場作りがなされることです。そうした場の中で、参加者ひとりひとりが、体験的にそうしたあり方に習熟して行き、その勘所に気づいていってもらえることだと思います。
「ああ、これが、ボディ・センスを大事にして傾聴し、言葉を返していくということなんだ」ということは、参加者がそうした体験をしていく中で、後付けで徐々に理解してもらえていくのが自然なのでして、体験実習を始める時点で、「ボディ・センスを大事にするとはどういうことか? 私にはそれができているのかしら?」ということについて思い煩わせ、それができていないと、まるでクループの中での落伍者であるかのように感じさせかねないような事前のレクチャーをして、参加者にプレッシャーを感じさせてしまうようでは、本末転倒だと思えます。
そして、そのことは、恐らく、集いの主催者である私自身が、ボディ・センスを通して傾聴し、ボディ・センスから出て来た言葉で応答する姿勢を、集いの場に参加者を迎え入れるその時から、場の中で隅々にまで行き渡らせることがひとつの出発点であるように思えてきたのです。
そのことを改めて再確認させれたという意味で、先日の集いは、私にとっても学びのある集いでした。これも参加者の皆様の生み出した場の力があってのことであることに、感謝を感じています。
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さて、先日、「学ぶ会」で、集まって来た参加者の皆さんを出迎え、「道に迷いませんでしたか?」などのやりとしをして、参加名簿に記帳していただき、料金徴収と領収書の発行を終えた段階で、私がまず参加者の皆さんに提案したのは、
「どの部屋で全体会を開きましょうか?」
という提案でした。
参加者の皆さんに最初に入っていただいたのは、私が普段使っている面接室です。作り付けの本棚があり、事務机とパソコンと私用の椅子、3人がゆったり座れる横長のソファ、小さな丸テーブル、そして、背もたれはあるけれどもパイプでできた椅子3脚を臨時に持ち込んだスペースでした。すし詰めとまでは行きませんが、やや閉塞感があります。
隣に、ダイニングキッチンの広めの部屋があります。ただし、壁には食器棚が並んでいますし、テレビも置いてあります。玄関から通じる部屋の入り口との間には、簡単な暖簾以外の仕切りはありません。全く、木造の普通の民家のダイニングキッチンそのものなのですね。
そして、そちらの部屋でやりとすれば、椅子が不足し、全員が、フローリングの固い床に車座になって座るしかありません。
私は、参加者の皆さんにを隣の部屋に通して、「居心地の実感でどちらかを選んで欲しい。後で2つの小グループに分かれた時に、もうひとつの部屋を使いことができる」と求めました。
参加者の皆さんは、全員、ダイニングキッチンのフローリングの床で車座になることを選びました。
私なりの実感としては、ダイニングキッチンの方がややふさわしそうだという思いは当初からあったのですが、このように、参加者に部屋を「選んでもらう」プロセスを経たこと自体意味があったと思います。・・・・そう、参加者ひとりひとりのボディ・センスの実感として体感された「居心地」を大事にしながらふるまってもらうことへのさりげない促しは、すでに始まっていたことになるからです。
*****
次に、参加者の皆さんが実際に車座になって座ったところで、私はいきなりひとりひとりの自己紹介に入るのを避けました。
「まずは、この場にこうして座ってみて、皆さんひとりひとりが、今、どんな感じで座っているのかな・・・というのを、ちょっとだけ味わってみる時間を取りたいと思いますが、いかがでしょうか?」
私は、
「今の段階では、今の自分の居心地や、どんな思いでここにいるのか、これからどんなことをこの集いの場で期待しているのか、何をやりたいのか・・・などを、ちょっとだけ点検してみる・・・・ぐらいのつもりでいいです。フォーカシングになっているかどうかも気にしなくていいので」
などとも付言しました。
このあと、皆さんに、「はじめていいでしょうか?」と確認した上で、
「脚やお尻が床に接している感じを内側からちょっとだけ味わってみるのはいかがでしょう? それが「どんな」感じかを自分の中で言葉として見つけようとなさらなくてもよくて、『このあたり』と『このあたり』が床に接する形で座っているんだなあ・・・・ぐらいが確認できれば十分かと思います」
この部分は、皆さんの様子を見ながら、30秒ぐらいの時点で、皆さんに、とりあえずOKかどうかの確認をしました。
「それでは、身体の内側への周囲を、もう少し胴体の内側に上げていって・・・・『今、自分はどんな心地でこの場に座っているのかな』、というあたりをちょっとだけ味わってみるのはいかがでしょう」
「具体的に『どんな』感じなのか、言葉を見つけようと、今の段階ではお焦りにならなくてもいいかと思います。『こーーーんな』あたりの心地で、この場所に座っているというのが、何となく味わえるくらいでいいのではないいかと」
(ちょっと間をおく)
「そして、例えば、次のようなことをなさってみるのもいいかもしれませんね。・・・・これはあくまでも私からのアイデアの提案ですから、すでに皆さんひとりひとりがなさっていることそのまま続けていただいて結構ですが、参考になる人は試してみてください。
ここまで進めて来て、私は、全くのアドリブで、次のことを付け加えてみました。
この試みには、フォーカシングのセッションや集いの場に対して私が常々感じている問題意識が反映していたように思います。
私たちは、セッションや集いの中で、場のフェルトセンスを感じているという中でしか、自分のフェルトセンスを感じていられないのです。フォーカサーが自分の内面に注意を向けている時、実はこの当たり前の事柄には意識が向きにくいのですが。
それは、純粋に、セッションを行なう場の物理的な環境要因にも影響を受けているものですし、そのセッションの場にたどり着くまでの空間で体験した、一見些細な出来事の影響も受けています。当然ながら、会場にたどり着いてから、主催者である私や、他の参加者とのさりげないやり取りの中で積み重なったものも、フォーカサーがその場で感じていることに大きく影響を与え、その影響を大きく受けながらしか、その人のボディ・センスが生起していないのです。
セッションや集いの場を離れたら、その会場を後にしたその瞬間から、その人は、ひとりぼっちで自分のボディ・センスと向き合うことになります。もし、その人が、場の中で、場のフェルトセンスが自分にどれだけ影響を与えているのかを消化しきれないままだと、場の中で「自分の実感と向き合って」体験したつもりのはずのものが、日常との連続性を失い、自分自身に統合できなくなる場合があります。これは人によってはかなり危機的な状態になると私は判断しています。
これを回避するにはどうしたらいいのだろう? ということに私は心配りをしてきたのですが、先日の集いを実際に始めた最中に思いついたこのアイデアは、「ほんとうは、この場の中で、自分はどんな心地でいたいか」と、「実際に味わえている居心地」と照合しながらも、敢えて意識に上らせることにより、実際に体験している場の空気を受け身に感受することを超越した形で、自分のボディ・センスが求めている「どのようにそこにいたいのか」を自覚するプロセスを、集いの開始段階という、非常に早い段階で体験してもらい、その後の相互作用の中で一貫して、場の空気からの相対的な独立性があるものとしてボディ・センスを体験する状態を継続するさりげないきっかけを参加者に提供することになるのではないかと思えました。
これは、一見些細なことに思えますが、集いの場でのその後のその人の相互作用のあり方に微妙に影響すると思います。しかも、そういう態勢をすべての参加者がそれぞれ少しずつでも持ちながら、その後の集いの場に参与し続けたら? 参加者一人ひとりにとっても、集い全体にとっても、好ましい場の空気が、参加者全員の協力の中で、積極的に醸成されることになると思えたのです。
****
さて、このようにして、集いの場で最初に車座を組んだ時点で、自分の居心地をしばらく味わってもらった後で、私は、
「今、体験していたことの中で、この場で他の参加者に伝えたいことだけで結構ですから、それぞれの皆さんの自己紹介も兼ねて、シェアしていく時間を取りたいと思います」
と提案しました。
ここで、私は参加者の皆さんがひとりずつ語ることに対して、インタラクティブ・フォーカシングのリスニングで特に強調されてきた、「相手の身になって、ボディ・センスを通して傾聴し、ボディ・センスを通して出て来た言葉で応答する」というスタイルを一貫してみました。
ジャネット・クライン/インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー―カウンセラーの力量アップのために
これは、ロジャーズの来談者中心療法における単なる傾聴と伝え返しよりも一歩踏み込んだスタンスになりますが、私がカウンセリングでクライエントさんとやり取りするする際にも、特にこの1,2年、全く普段使いの傾聴と応答のスタイルになっています。
誤解されかねないのですが、これは別に、「あなたは、身体の中の胸の辺りで〇〇な感じがしているんじゃないかと」などどいうふうに応答することではありません。
続編では、このあたりのことを、少し詳しく解説したいと思います。
(集い参加者の皆さん、集いでお話になったことを具体例としては使いませんので、ご安心を!!)
久留米青年会議所主催の、久留米出身の評論家、宮崎哲弥氏の講演会(正確にはパネルディスカッションと対談)、
「『日本』、そして『久留米』に元気を! ~私たちが変える~」
面白かったので、早速速報を書きましょう。
会場となった久留米のホテルの大広間は、開始30分前の段階でほとんど満席、主催者発表で660名。
おおおおーっ、日本心理臨床学会大会でもここまで早々に人が集まってる催しはそんなにはないぞ!!
いくら青年会議所とそのバックボーンにある商工会議所の動員力、そして宮崎氏に知名度があるとはいえ、福岡県南部最大の30万都市、久留米のパワーをこれだけ実感できたことは、帰郷してほぼ1年の間にはじめてのこと。早めに整理券予約をしておいてほんとうによかった!!
宮崎さんは、久留米で生まれ、予備校時代までを久留米で育っている。私と2つ違いの方である。これまでも久留米での講演依頼もあったとのことだが、実際に引き受けたのは今回がはじめてとのこと。
宮崎さんがマスコミの表舞台に登場したのは、オウム事件における若者心理について意見を求められることがきっかけだが、あの上祐氏も宮崎氏と同い年、今では久留米市に編入された地域の生まれである。
「最近は政治や経済の評論家とみられてしまうことが多くなったけれども、もともとは若者文化問題や宗教問題から出発した存在に過ぎないので」
ということをまず最初に前置きされた上で、司会者に促されて、話は「地方分権」問題へとまずは向かいました。
「東国原知事や橋下知事、全国知事会の発言や提言で、地方分権問題に関心が集まるきっかけとなることはいいことだが、今度の総選挙の争点として見た場合、果たして『地方分権』問題が一大論点とすべき事柄なのであろうか?
まず優先すべきなのは、日本全体の景気底上げ対策であり、それが一定の効果を示さないうちに、単に地方に『権限』と『財源』の委譲を、今、行うだけでは、地域間の格差がひたすら広がるだけになる。地方分権そのものはこれから推進されていくのがふさわしいし、実際勧めていく潮流は動かないであろうにしても」
(司会者:国のそうした政策を単に待っているのではなく、地方の側からできることは何かないでしょうか?)
「いったん景気の底上げがなされた後、それをどのように維持し、展開させるかは各地方の自己責任ということになるだろう。
『内需拡大』という言葉がよく使われるけれども、地域内部における『内需拡大』のサイクル、つまり、その地域内での需要に応える形で、その地域で生産し、その地域で消費活動をするという良循環のサイクルが拡大・成長する必要がある。
そのことが成立するためには、「ここ」にしかない魅力、言い換えれば、「ここ」に住まないと得られない「唯一性」のようなものが、住民に魅力として感じられる必要がある。
久留米もそうした地域自立性の高い経済圏として長年発展してきた歴史を背負っているはず。父祖から受け継いだそうした地域固有のアイデンディディをどのように展開していくかが肝心だろう」
*****
話題はここで一度地域経済の問題を離れ、教育問題に転じることとなる。
「今の時代ほど、世代ごとの情報環境が劇的な格差と隔絶を持つ時代は、かつてなかったと思う。
私の久留米での中高生時代は、ちょうど、テレビゲームが、ゲーセンから家庭内ゲーム機へと一気に転換する時期と重なった。
次の世代は、インターネットに接続されたパソコンによるコミュニケーションを身につけているという意味で、上の世代とは大きくコミュニケーション様式が異なっている。
更に次の世代は、今度はケータイ文化という、大人から見るといよいよわからないコミュニケーション様式を備えている。
これほどのコミュニケーション様式の世代感の隔絶は、人類史上かつてない次元のものなのではないか。
この結果、家庭内の価値観伝達機能はほとんど機能しなくなってしまう危機に瀕している。
以前ならば親の背中から学ぶ、ということがまだしも通用した。親と子の「個体間接触」から子供は学んだ。そして本やテレビを通して、親からの価値観とは異なるものを学んでいた。
しかし現在の若者は、遠隔地のネット上の匿名の他者という、個としての存在がたいへんあやふやな存在に、あたかも身近な他者であるかのように依存しながら価値観を形成していく。
単に背中を見せるだけの親など、価値伝達機能を果たす上では、存在しないのも同然なのである。
これは子供との関係に限らない。自分から言葉でコミュニケーションをとろうとしなければ、相手にとって自分は存在しないも同然で、自分からどんどん離れていくことになりかねない、そんな時代なのではなかろうか」
司会者から、倫理や道徳の問題について振られて、
「『天知る、人知る、我知る』という言葉かある、『天』とは、お天道さまが見ているそ、ということで、『人』とは地域社会の目のこと。
しかし私は、 『人が止めるから駄目だ』だけでは今の時代不十分なのだと思う。
『そういうことをやっていて、おまえ自身が恥ずかしくないか』という個人倫理の形成が大事ではないか。個人倫理の形成は、個人としての自我形成と表裏一体のもののはずである。
司会者から、現在の私たちの知識が情報の渦に巻き込まれている点について問われて、
「マスメディアであろうと、ネットでの口コミであろうと、それを鵜呑みにしないことがまずは大事なのではないか。まずは疑ってかかること。この、疑ってかかる力が、今、弱まっている気がする。
まずは自分の常識と照合すること。実体験と照合すること。今の時代、情報の渦の中で、何が実体験なのかわからなくなっているは確かだが、たとえ自分の判断がいろんな常識に毒されているとしても、人はそれを基に『健全な懐疑』をしていくしかないのだと思う。
新聞に書かれていることであろうと、たとえ信頼できる親友が語ることであろうと、『何かこの話はおかしくはないか?』と違和感を感じたら、心の中でいじくりまわしてみることだ。
多くの詐欺や悪徳商法の勧誘とは、そうした身近な人間への信頼感につけ込むものであることを思い出してみてもいいかもしれない。そのような、親しい間柄での対面的な人間関係ですら、自分で吟味していく必要があるのだ。
そうした積み重ねが、個人として強くなる自我形成なのだと思う」
・・・・・この部分なんて、私も、激しく同意!! の域ですね(^^)
*****
ここから休憩を挟んで第2部、「久留米の地域、そして可能性」に入ります。
司会者から、まずは、久留米の明治通りを中心とする旧市街地のさびれようについての言及がありました。
久留米市の商業的中心は、かつては一面の水田とレンコン堀だった、合川地区の「ゆめタウン久留米」を中心とする、高速道路のインターチェンジ近くの、ショッピングモールの一群に、この30年の間に、見事に奪われているわけですね。
こうした前提を聴衆がみんなわかっているという前提で、以下の部分をお読みください。
「私は高校時代まで、たがみ書店やリズムレコード(共に明治通りに並行して今も存在する久留米最大のアーケード街、「久留米一番街」を代表する、久留米最大の書店とレコード店だった)に足繁く通っていましたが、もう今はないんですね。
リズムレコードって、奥に扉で仕切られた、色々試聴できるクラシックコーナーがありましてね。私はそこに足繁く通って、店長にクラシック音楽の手ほどきを受けたんです」
・・・・・わ、私も同じです・・・・・
きっと、2歳違いの私も、宮崎さんを宮崎さんと気がつかないまま、同じ店内で何回も遭遇しているはず・・・・
「先ほども言いましたけど、まさにたがみ書店やリズムレコードには、この久留米にしかない固有の文化というものがあったと思う。そういう、他にはない、「ここ」にしかない、豊穣な経験の場となることが必要なのだと思います。
ところが、今、地方で進んでいるのは、全国どこにでもあるような、メガ・ショッピングセンターができることなんですね。
もちろん、コンビニ文化にもインフラとしての意味があります。どこに行ってもほぼ同じ品揃えの商品が手に入るということの。
でもそれだけだったとしたら、なぜ『この』地域に住まうのか? という『唯一的なもの』がないままなんです。
久留米に生まれ、成長し、死ぬことの意味と魅力が大事。そのためには、久留米の中で生産したものを久留米にいて消費することに意味を感じられないと。
地方都市を単に「ミニ東京」化することばかりが進んで行っては、この町で生きていくことの意味がわからなくなる。そして、例えば福岡(市)に需要を奪われるばかりということになるわけですね。
結局、『制度的な』地方分権ばかりではなく、『マインドの』地方分権こそが本質なのだと思います。
最近、プロ野球の球団も地域が応援するという方向が強まっています。若者音楽の分野でも、ミュージシャンが、有名になって、ヒットチャートに乗る様になっても、自分の拠点となる出身地域から離れないまま活動を続けるというケースが増えています。ヒップホップグループにも、「この町」を大事にするメッセージを発信し続けながら全国区になることが生じている。
そうやって、自分の生まれ育った街から離れたがらない若い人たちが増えてきた。そういう若い子たちの後押しを地域がしていくことが大事で、そうした意味で地域の青年会議所の果たす『黒子』としての役割は大切だと思います。
こうしたことをしていくためには、単なる利潤追求の市場経済原理のどこかで対抗していく必要も出てくるはず。でも、それこそが『地方主権』ということだと思う。
そうでなければ楽しくない。この町にいて『楽しい』と思えるかどうか。主人公は一般の久留米市民なんだと思う。
久留米で生まれたのが必然で、久留米で死ぬのが必然であると市民が自然に感じられるような地域づくりになることでしょう。
私も、引退したら久留米で死にたいと思うかもしれませんので、その時は不肖の息子をどうか迎えてくだされば」
・・・・・・久留米に30年ぶりに舞い戻った私の心に響く締めくくりでした。
何となく、「第3の男」を久々に見たくなって、500円で買えますから買って、観た。
すると、最近、ナイチンゲールからの関連で、細菌学や衛生学の歴史をあさっていたので、この映画の歴史的背景について思いもらず含蓄ある形で鑑賞することができた。
●以下の内容には映画のストーリーの核心が含まれています●
この映画は、1949年に公開されているけれども、描かれているのは、第2次世界大戦直後、米英仏ソ4カ国共同統治下のウィーンである(共同統治は1955年まで継続されている)。
まだ町中に瓦礫があふれている一方、戦災を免れた古い町並みの地下には、驚くほど立派な、地下の迷宮ともいいたくなる下水道網が張り巡らされてもいるのですね。クライマックスがこの下水道網を舞台としていることは、大観覧車ほどには、一般には紹介されていませんけど(^^;)、映画をご覧になった方はおぼろげにはご記憶があるのではないかと思います。
上下水道の整備をはじめとする公衆衛生という点では、中央集権的なドイツやフランスの都市計画の方が、一度動き出すと「上からの強制」で、地方分権的で、上流階級の既得権の壁が厚かったイギリスより普及は早かったと、最近読んだばかりです。
ビスマルクの、今日でも間違いなく評価される業績のひとつが、この公衆衛生と社会福祉の領域なのだと。社会主義運動鎮圧と同時進行の「飴と鞭」政策ではあったのですが。
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そして、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)のやっていたのは、実は闇商売で、しかも、ペニシリンを病院から横流ししてもらって水で薄めて売るというものでした。恐らくペニシリンそのものは占領軍から医療に優先的に供給されていたのだと思いますが。
占領時代の日本と同じで、当時は闇市の経済がなければ庶民の生活は実質的には何も機能しなかった。映画の中でも、初対面の人間から事情を聞き出す際の小道具として、煙草を差し出す描写が頻繁に出てきます。
すると、一本ではなくて、遠慮なく数本引き抜いていったりするわけですね。あまり吸っていそうもない庶民のオバサンでもそれをどんどんやっていたので、自分で吸うのではなくて、それを集めて闇で転売して利益を得る目的も大きかったのではないかと思います。つまり、チップ代わりの効果が大きかったのでしょう。
しかし、ペニシリンを水で薄めて詰め替えるというのは、その際に完全に衛生的な環境でなされていたわけでもなく、薬の変質ももたらしたでしょうから、細菌を殺すはずのこの薬が、逆に病気を蔓延させることになり、抵抗力がただでさえ弱っている多くの人の命すら奪っているのですね。
ちなみに、細菌を「殺す」、史上初の抗生物質であるペニシリンの発明は、イギリスのフレミングにより、1928年になされていますが、実用化可能な精製方法は1940年に別の人によって可能になったのです、つまり、第2次世界大戦にギリギリで間に合ったわけですね、
そのせいか、フレミングと大量生産可能な製品化に貢献した二人の学者のノーベル賞医学・生理学賞受賞は戦争が終わった1945年です。
ですから、この映画でペニシリンが取り上げられているのは、実はかなりのup to dateな話題ということになります。
ペニシリンはけがや手術後の細菌感染から食中毒、肺炎、梅毒に至る、幅広い範囲の細菌感染症に使用されてきましたが、耐性菌の出現、ペニシリン・ショックなどの副作用への懸念から、一時期のようにむやみやたらに使われることはなくなったのではないかと思います。
.....このことを確信をもって言えるのは、私が子供の頃(1960年代)、風邪にかかる度に、かかりつけのお医者さんは「ペニシリン打っとくね」と、毎回のように注射していたからです。
長じて(高校生ぐらいからかな?)、重たい風邪を引いても、お医者さんが「注射を打ってくれない」で飲み薬だけになったことに、私は何とも不満でした。注射をしてもらえないと本格的に治療してもらった気がしなかったのですね。
今や、予防接種の副作用について、厳しく論じられる時代になりました。
*****
.....などと、思いもよらない形で、今の私の関心と、この映画が結びついたのでした。
前回からの続き。
さて、ナイチンゲールがクリミアで活躍した、19世紀中葉当時の外科医は不衛生で不潔そのものだった......と申し上げると驚かれるかもしれない。
当時の外科医はたいてい黒い服を着ていた。なぜなら、浴びた返り血の色が目立たないようにするためである。手術用のエプロンも着けることがあったが、それもまた黒い色をしていた。しかも、そのエプロンはずっと洗濯されておらず、血糊が無数にこびりついたままだった。
手術前に外科医は手すら洗わなかった。手術用具、例えばメスは、ポケットに入れて持ち歩かれていた。新たな患者に手術する前に洗われることもなかった。手術中、外科医は自分の服の袖口やすそで、メスをぬぐいながら手術を続けた。たいてい木製の手術台には、血糊がこびりついたままだった。
連続して手術がなされる場合でも、外科医は手をぬぐうことはあっても手を洗うことはないまま、そのままの手術台と、同じ手術用具で手術をした。
当時は、傷口は化膿するのは、傷口が治癒するために必要な、当然の過程であるとみなされていた。化膿しなければ治癒しないと考えられていたのである。
*****
1846年、ハンガリー出身のイグナーツ・フィリップ・ゼンメルワイスという医師が、ウィーン総合病院の第一産科の助手になった。当時、出産は基本的に自宅で行うものであり、病院で出産するのは「不義の子」など特殊な場合だった。
当時、出産は死を賭したものだった、今でも産褥熱という病気は存在する。しかし産褥熱そのもののために死に至ることはもはやほとんどないと言っていい。しかしかつては数パーセントの死亡率すら持っていたのである。
産褥熱に限らず、当時手術後に発熱して死に至る患者の遺体を解剖すると、共通の所見が見られた。手術した患部や傷口のみならず、肝臓も、腹膜も、リンパ腺も、腎臓も、肺も、脳膜も、みんな化膿や炎症を起こしているということである。
敗血症による多臓器不全であるが、原因がわからず、出産や手術につきものの、不可避なものとしか思われていなかったのである。
しかし、ゼンメルワイスは、勤務開始後この産褥熱による死亡率の統計に頭を抱えることになる。
ウィーン総合病院の産科は、2つの病棟を持っていた。そのうちの、センメルワイスが勤める第1病棟の方は、10%の死亡率を持つのに、第2病棟は、1%しか死亡率がない。実は以前からずっとそうなのに、上司の指導教授はそのことに慢性の不感症になっていて、全く気を止めていないのである。
ゼンメルワイスは、上司の目を振り切り、同僚のマルクソフスキー、そして法医学教授のコレトスカと共にその原因についての探求を始める。
死体安置所にある死体の病理解剖をして、産褥熱の死の場合とそれ以外の死の場合に病理所見に違いがないかどうかも検討を重ねた。ひとつはっきりしていたのは、出産に時間がかかる女性の方が産褥熱になりやすく、死亡率が高いということだった。
ところがこうした熱心な調査研究をはじめるにつれて、むしろ第1病棟と第2病棟の死亡率は、12.1%対0.9%と、むしろ格差が開いていったのである。
ゼンメルワイスが、ほとんど神経衰弱になりかかっているのでないかと心配した、先述の協力者、コレトスカは彼に静養を薦め、やっとのことで説得してベニスに送り出した。
しかし、気が休まらないゼンメルワイスは、静養を3週間で切り上げて戻ってきてしまう。
そこで知らされたのは、最大の協力者、コレトスカが、急死したという事実だった。解剖実習の際に、未熟な研修生が、そばにいたコレトスカの腕にメスで擦過傷をつけてしまった。たいした傷でもないのでコレトスカが気にも留めなかったのだが、その晩から彼は高熱を発し、数日間苦しんだ挙げ句、死んでしまったと。
ゼンメルワイスはコレトスカの解剖報告書を見せてもらった。
「肝臓・腹膜・リンパ腺・腎臓・肺・脳膜.....化膿と炎症」
この瞬間、ゼンメルワイスに打ちのめされたような衝撃が走る。
それは、自分が山のように解剖してきた、産褥熱で死亡した女性たちの解剖所見と全くよく似ていたからである。
コレトスカと、産褥熱の女性たちの死亡の原因そのものが同じである...という直感。
ウィーン総合病院の産科は、2つの病棟を持っていた。基本的には同じような構造を持った同規模の病棟が2つ回廊で結ばれて建っていたのであるが、ひとつだけシステム的な違いがあった。
センメルワイスが勤務する第一病棟は、研究・研修目的も兼ね、病理解剖を行う死体安置所も持っていて、男性の医師・研修医の立ち会いによってしか分娩はなされなかった。
これに対して、第2病棟は、女性の助産婦によってしか分娩はなされておらず、この点、相互に例外は全くなかったのである。
第一病棟の医師は、さっきまで病理解剖をしていた、その同じ服装と手のままで、妊婦の分娩に立ち会っていたのである!!
ゼンメルワイスが原因究明のために産褥熱の女性の病理解剖に力を入れば入れるほど、むしろ第1病棟の産褥熱の死亡率が増えていきすらしたのは.......
少なくとも、産褥熱の女性の遺体の身体の内部が出していた何らかの毒を出す物質に接触した手で、出産する女性の身体に触れるということをしていたためではないか?
****
翌日、彼は指導教授には無断で、張り紙を出す。
「今日以降、死体安置所から出た者はすべて、医師、学生問わず、産科の病室に入る前に、入り口に置かれている塩素水で十分に手を洗うこと。この指令は何人にも適用される。例外は許されない」
だが、指導教授も医学生たちも、「めんどうくさい」と冷笑していた。しかし彼はもはや冷酷な暴君となって監視した。
石鹸、爪ブラシ、さらし粉などが次々登場する。
罪意識の虜となった彼は、「人のいい、同僚にも患者にやさしい男」から一転して、ヒステリックな孤高の独裁者となるのである。
数ヶ月後、第1病棟の死亡率は、12.34%から3.04%へと激減する。
しかし、「院内感染」問題と、病院の衛生管理の先駆者、ゼンメルワイスは、それからも茨の道を歩むのである。
(未完)
前回の続編。
ナイチンゲールの派遣されたスクタリの病院で、最初の数ヶ月、なぜ42%という驚くような死亡率が生じたのか。
下手に医学用語を使うと間違う心配があるので、敢えてまどろっこしく、できるだけ私なりに普通の言葉で書いてみよう。
当時、ある程度以上重度の傷や骨折が生じた場合の治療法は何だったか? .....手足であれば、「切断」がいともあっさり行われていました。しかも、傷口よりもかなり手前の部分で切り落としていたのですね。
なぜか? 敗血症が怖かったからです。
傷口が膿で覆われ、壊死が生じると、その傷口だけではなくて、傷のある部分からはもの凄く離れた身体のいろいろな臓器に傷害や炎症が次々生じて、いわゆる「多臓器不全」の状態になって死んでしまう。
当然、輸血もありません。麻酔すらまだ、クリミア戦争当時は実用化されたばかりでした。
麻酔なしでの四肢切断。メスでサクサクっと肉の部分を切って、今度はノコギリでギコギコやるわけですね。恐怖に震え、激痛に耐える患者は数人がかりで押さえつけられる。
この激痛のショックで心臓麻痺で死んでしまう患者も多かったし、消毒や殺菌の概念はありませんから、四肢切断の後、結局敗血症になって死ぬ人も非常に多かった。壊死した部分を放置するよりは死なないというだけのことだったわけです。
外科医は、まるで屠殺業者か大工職人、あるいは刺身職人のようなものです。ばっさり、一気に手早く進める方が苦痛も少ないし、「なぜか」その後の生存率もいいことだけはわかっていたので、体力勝負、冷酷無慈悲に手早く一丁上がりと仕上げられる外科医が優秀とされ、人より何秒早く切り落とせるかが名医のプライドだったそうです。
外科医の腕はみんな筋骨隆々としていた!!
アヘンなどの麻薬に鎮痛作用があるのは洋の東西を問わず古代から知られており、ヨーロッパでは15世紀頃から麻酔薬としての使用が始まりましたが。
ちなみに、記録に確証できる形で麻酔(全身麻酔)をはじめて「臨床現場で」使ったのは、日本の華岡青洲が1808年にチョウセンアサガオをはじめとする薬草を調合して行った乳ガンの手術とされています。
欧米では、これより遙かに遅れて、1842年、アメリカのジョージア(独立13州ではありますが、南北戦争(1861-5)前だし、まだ南部のかなり田舎の筈)のクロフォード・ロングという医師が首の嚢胞を切除する際に、硫酸エーテルを吸入麻酔として使ったのが最初だが、この人、これを公表しなかった。
1844年に、今度はヴェルズという開業歯科医が、当時ドサまわりの興業で使われていた笑気ガス(亜酸化窒素)を、舞台に上がって吸引したある観客が、笑いが止まらないだけではなくて、笑気ガスでラリって、暴れ出した挙げ句、身体をひどくぶつけて、絶対骨折している筈なのに平然としていることを客席で見ていて怪訝に思い、本人の身体を確認したら実際に骨折していた。
彼はこれを抜歯の際に痛みを感じさせないことに使えるのではないかと直感して、興行師を家に招き、翌日から、自分と家族を対象に人体実験を始める。自分が失神した後に、家族に頼んで針でつついたりつねったり、ぶつけても痛くないことを我が身で確認するわけである。
彼の医院は無痛で歯を抜いてくれるということで大繁盛。意を決した彼は、当時の外科の大家ジョンコリンズ・ワレンがいたボストンのマサチューセッツ医学病院で、公開実演することに挑むのですが(当時は、大きな手術ですら、患者をモルモットにして、大きな医学教室で「公開実験」して成果を示すやり方がよく取られた。
少し時代を下っての、ヒステリー患者に対するシャルコーの催眠療法の公開実験もその流れ)。
この時名のりをあげた医学生は、いったんは麻酔にかかって失神したものの、十数秒後のいざ抜歯した瞬間に暴れ出して大失敗。実は、笑気ガスは、肥満していて酒飲みの人間には一般の人より効きにくかった。不幸にしてその医学生はその典型だったのである。
こうして、外科の大家,ワレンと医学生の前で物笑いになり、彼はすごすごと引き上げることになる。
2年後、別のウィリアム・モートンという歯医者(2年前のウェルズの公開実験を盗み見していた可能性が大きいらしい)が今度は硫酸エーテルを使って同じ大学の同じワレンと医学生の前でデモンストレーションをして無痛抜糸は大成功。
すぐさま目の前に舌ガンの患者や大腿部切断の必要な患者呼び寄せられてガスを吸入してワレンが切除手術。患者は痛みを感じず大成功し、新聞でも報道、このモートンという歯医者はその後この治療法で特許を取り大儲けすることになる。
もっとも、このあと、クロロフォルムの方が効果的であることを1847年にジェームス・シンプソンというスコットランドの医師が史上初の無痛分娩で証明。
しかし、大家と呼ばれていた外科医はその導入に否定的だった。「手術の苦痛が無くなると,患者の悲鳴にもひるまずにメスを振るう『青銅のように強靭な精神』が外科医から失われてしまう」という....(^^;)
......手早く一気に施術する方向へと外科医の技量が向上しなくなるとも懸念されたらしい。
苦痛によるショック死の問題は別にしても、「手術は手早いほど術後の経過がいい」と経験的にいわれていた。これは輸血などなしの手術だったということもあるし、傷口を空気にさらす時間が長いとその後の経過が良くないというのも理にかなっていた。
また、(当時はその原理はわからなかったが)傷口を医者の汚れた手が不用意にいじくり回すほど、細菌感染がひどくなる危険があったのも事実だったのである。
ところが1853年、イギリスのヴィクトリア女王の出産の際に用いられて成功して、一気に「大ブーム」になるのである。クロロフォルム全身麻酔は、揮発性の液体を入れた小瓶とハンカチ一枚で可能でしたから、一気に普及しはじめることになります。
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さて、問題のクリミア戦争が1954年から1956年です。クリミア戦争は、野戦病院でクロロフォルム麻酔が使われた最初の戦争です。もっとも、軍医長は切断手術における全身麻酔の使用禁止の通達を出しており、このことは現地からのタイムス特派員の報道でイギリス本国でも避難を浴びていた。
でも、実際にはスクタリの病院でも外科手術にはクロロフォルムが麻酔として使われていたようです。
しかし......手術器具や医師の手、包帯、患部の「洗浄」や「消毒」が死亡率の激減に貢献することについて解明され、医学会に認知され普及するのには、まだこれから2,30年要するのである!!
さて、スクタリの病院に集団で収容されることで死亡者が増えたという現実にその後向かいあうことにその後の彼女の人生は捧げられたわけだが、この問題について更に論じていくためには、当時、パスツールなどの先駆的業績の中で認識されはじめていた、伝染病や傷の化膿・炎症における「病原菌」の果たす役割についての学術的な研究への関心の高まりが、実際には、公衆衛生活動を重視する政策の実現と「対立」関係にあったという、現在の目から見ると摩訶不思議な事態を問題にせねばならなくなる。
..... 私はこれを機会に、結果的に、主として19世紀という100年間において、細菌学・微生物学・公衆衛生学の分野で、ある意味で革命的と言っていい進展が生じたかについてひと渡り勉強し直す必要が生じてしまった。
そして、19世紀の100年間が、今日では伝染病や衛生問題について、あまりにも常識的になっている事柄が「全く存在しなかった」時代から、それらの一般通念が一気に常識化するまでという、驚くべき科学的発展の時代であることに気がつく。
そしてそれらの歴史的事実を「点」としてとらえるのではなくて、お互いに関連づける中で、それがある意味であまりに革命的な急激な展開であったがゆえに、その「過渡期で」生じた、不毛な迄の論争と、個々の研究者や実践家の栄枯盛衰や悲劇のドラマにも気がつかされた。
そこには、「基礎研究」と「現場の実践」の間の軋轢という、今日的なテーマの縮図を見る思いもする。
それは、産業革命期という、都市への急激な人口集中の中で、劣悪な労働条件と衣食住の環境の中で生きざるをえなかった一般庶民の生活という背景と一体になっていることにも気がつくのである。
それは現在人口急増と伝染病の蔓延の問題を抱えた発展途上国の公衆衛生の「現在」の「先取り」に他ならない。
ナイチンゲールは、まさにこの細菌学と公衆衛生運動の急激な進展の時代とほぼ重なる時期に生涯を送っている(1820-1910)。クリミア戦争への従軍は1854年から1856年である。
そのため、彼女の考え方や行動には、古い考え方の限界と、その時代の「現場臨床」の観点からすれば実践的には賢明であるばかりか結果的には適切な判断だった側面、そして、新たな科学的知見の導入に先進的だった側面と、保守的なまでに懐疑的だった側面が矛盾をはらみつつも同居しているのであり、それが彼女の業績への歴史的評価を的確にしていく上での複雑さにも結びついている。
スモールの書いた「ナイチンゲール 神話と真実」は、そういう意味では基本常識として知っておかねばならない、細菌学や公衆衛生についての知識の水準がかなり高いと言っていいだろう。
恐らく、看護や医学の専門課程を経た人には「教養課程」水準で求められるものではあるだろうが、少なくとも心理臨床系の大学院でもここまでは必須教養とはされていない水準ではあると感じた。
そしてそれは、単に伝染病や感染症、衛生学の領域を超えて、広い意味で「病気とその治療とは何か」という問題について深く考え、認識を深めていく上で、普遍的な問題意識に触れるものであり、我々心理援助職の専門家においても、「病気とその治療とは何か」ということについての基本的認識に関わる素材だとまで感じるに至ったのである。
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今回は、今後の連載のためのチャートとして、取りあえず、心理臨床との接点について最低限のことを示唆しましょう。
今日、統合失調症や鬱病において、脳内の神経伝達物質の働き方が大きく関連していることはかなり解明されている。今日の向精神薬は、まさにこれらの神経伝達物質のあり方に直接介入することをピンポイントで狙う製品が相次いでいる。鬱病におけるSSRIがその典型である。
しかし、では、何がそうした神経伝達物質の代謝異常が生じる「原因」なのか?というのは、まだ模索の段階である。
抗うつ薬というのは、鬱の症状を「抑える」薬ではあっても、鬱の原因を「治療する」薬ではないともいえる。そうした脈絡から、「結局は対症療法に過ぎない」という言い方がよくなされる。
しかし、これが「対症療法に過ぎない」がゆえに意味がないだとか、焼け石に水を注ぐようなものだと軽視されたらとんでもないだろう。
「対症療法」ですら、休息などと共に、人間の身体の自然治癒能力を賦活する上では貢献するのであり、「治癒そのもの」における重大な因子なのである(思わず,神田橋先生の「現場からの治療論という名の物語」も連想するが)。
実のところ、医療という行為のかなりの部分は「原因」そのものを治癒する形ではなく、心身に現れた個々の症状を「対症療法的に」治療することで成り立っている。現在の医学水準では実は原因治療が存在しない場合もある。
眠れないということは、それが続くと、人の心身を急激に消耗させる。だから、鎮静剤や睡眠薬は意味を持つ。高熱になることもまた、心身を激しく消耗させる。だから、「解熱剤」が意味を持つ。
「脱水症状」を引き起こす病気であれば、点滴や、最悪の場合にはポカリスエットですら応急には役に立つ場合もあるらしい。
仮に、その病気が「細菌感染」が原因であるにしても、いったんそれにかかってしまったら、抗生物質のように、体内のその病原菌そのものを死滅させる薬剤「だけで」治療が成立するなどという考えは採られないはずである。身体がそれより先に衰弱したらどうにもならないのである。
そして、抗生物質の第一号というべき「ペニシリン」が実用化されたのは、何と1940年であり、それ以前に「ワクチン」・・・・病原菌に対する免疫抗体を体内に形成する薬として、実用段階にあったのは、まだ1796年のジェンナーの種痘の発明以降、パスツール家禽コレラのワクチンが開発された1879年まで間があいていたくらいである(当然,この段階では,今日のような「免疫理論」は存在しない)。
つまり、特定の細菌感染が「原因」と解明されても、その特定の細菌を標的にした「原因治療薬」の開発までには数十年以上の間隙がある。
その間、どうやって「治療」していたのか?.....感染予防や消毒・殺菌を除けば、結局「対症療法」だった。
しかし、この間にも、伝染病の大流行は以前よりは大幅に阻止され、治療法も進んでいったのである。
一方、(いずれ述べるが)、19世紀後半におけるコッホや北里柴三郎たちの華々しい活躍で、重篤な伝染病の病原菌が次々発見された時代には、およそすべての深刻な病気が「病原菌」の発見によって原因がわかるのではないかという期待すら抱かれ、様々な病気についての「病原菌探し」が果てしなくなされていった。
軍医森鴎外は、軍隊で深刻な問題だった脚気が細菌によるものではないかという仮説に執着したが、結果を出せなかった(皆様ご存知の通り、ビタミンB1不足こそが真の原因である。もっとも、そこから数十年の昔は伝染病の多くが遺伝と栄養不良であるという説も存在した!!)。
中井久夫先生の著作(「分裂病と人類」)に拠れば、統合失調症も、病原菌があるのではないかと必死で研究した医学者たちがいたのである。
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こうした中、「究極の原因が何であろうと、それを予防したり治療したりするのに役立つ実践を普及させるべきだ」という立場と、「原因をはっきりさせないうちに対策だけを講じても効果が保証できない」という立場の対立。これは今の医療(もちろん精神医学を含む)にも続く軋轢が存在した。
これが軋轢になるのはなぜか?
研究にせよ、治療実践や、環境の公衆衛生的な改革事業(上下水道の整備や,建物の構造の改革)にせよ、当然資金が必要である。そして、その資金を引き出すために、時の政治権力や投資者へのアピールが必要である。
いったんそれが公的な政策や事業となったら、その対策のためにお金が費やされるひとつの経済・社会構造ができあがる以上、もう後には引けなくなる。それまでの仮説が間違っているとわかっても、もはや純粋に学問上の論争を超えて、政治論争・権力闘争化してしまう危険があるのである。
こうした軋轢は、精神医療の領域では、生物学主義と、診断学、精神科領域における公衆衛生問題、さまざまな治療法(その中の一部としての「精神療法」)との間で存在した。
こうした、過去の、医療現場と研究と政治と社会構造の間で生じてきた軋轢と不幸な歴史について、過去の教訓として知っておくことはまさに「現在のために」大事であろう。
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だから、医学生や看護学生の読者の皆様には、まるで教養課程のおさらいになってしまう素朴な議論になるかもしれないのは承知の上で、私なりの独学の成果のおおよそを、これからここで公開してしまおうかと思う。
まるで中井久夫先生がすでに十分著作の中でおやりのことを、「自分なりに」ままごとのように「歩みなおす」ような作業にも思えるが。
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以上、序文だけで取りあえず切り離してしまおう。恐らく数回のシリーズになる。
続きはこちら。
ナイチンゲールについて、書く、書くといいながら、ずっと先送りになってきた。
その理由のひとつは、これを機会にいろいろ調べる必要があることが連鎖反応的に出てきたからである。
結局、公衆衛生学の歴史から細菌学黎明期の歴史までいろいろ調べる必要が出てきた。
しかしの記事は、その「前編」として、スモール著「ナイチンゲールの神話と真実」(田中京子訳 みすず書房)のおおよその紹介としたい。
「後編」は、ナイチンゲール自身の「看護覚え書き」の時代的限界と、それにもかかわらず今日にも通じる、公衆衛生学、細菌学、薬との兼ね合いの問題について述べる予定である。
ナイチンゲールがクリミア戦争(1854-6)に従軍して、コンスタンチノープル近郊のスカタリ(スクタリ)の病院で、史上初の「修道女ではない看護婦の一団」を統率し、クリミア半島の最前線から次々送られてくる数多くの傷病兵を看護したことは、戦争中からイギリス本国に大々的に報道され、「ランプを持った貴婦人」の活躍はロングフェローの詩にも歌われ、一躍時の人になる。
この時集まった基金が、戦争後、世界初の、ナイチンゲールの名を冠する看護学校のロンドンにおける創立に貢献したことはよく知られている。
ところが、各地から送られてくる傷病兵を収容した一大医療センターだったスカタリの大病院は、実際には、ナイチンゲールの看護婦団が着任した後、急激に病院内での死亡率は4ヶ月の間に、8%から42%へと、急増していたのである。
病院に搬入さえるや否や、急激に衰え、死んでいくすし詰めの傷病兵たちを、看護婦たちは看取っていくたけの無力に苛まれていたのである。
ナイチンゲールは、それがもっぱら食料をはじめとする援助物資が前線の兵士に迅速かつ確実に到着しないことによる栄養不良や、前線からスカタリの病院に傷病兵が移送されるまでの段取りが遅過ぎ、手遅れになってから移送されていることにあると考え、軍の補給や移送の体制を痛烈に批判し続けた。「もっと早くスクタリに傷病兵を回せ」と。
更に数ヶ月後、民間人を委員とする調査団がスクタリの病院を訪問する。時の大臣から強力な権限を与えられたこの調査団は、スカタリ病院の衛生状況の劣悪さに気がつき、通気の悪さ、排水や屎尿処理の問題、患者のすし詰め状態についての改善を突貫工事で一気に進める。
その後にはじめて、スカタリでの死亡率は42%から2%へと劇的に低下したのである。
ところが、この死亡率の劇的な変化を、衛生状態の改善の成果であると、当のナイチンゲールはこの段階では思っていなかったのである。
「この冬にスクタリに送られてきた兵士たちが亡くなったのは,瀕死の状態になってからようやく送られてきたためです------今では手遅れにならないうちに送られてくるので,彼らは死ぬことなく快復しています」(現地から大臣への手紙)
ナイチンゲールが「運ばれてくるのが手遅れだったから」ではなくて「スカタリの病院の衛生状態が劣悪だったから」死者が多かったのだという現実にほんとうに直面したのは、イギリスに帰って、調査団の統計担当者と共に、時期別・部隊別・送られた病院別の死傷者の推移についての膨大な統計を詳細に分析する中でだった。
最前線の野戦病院にいたままだったり、スクタリ以外の病院に収容された傷病兵に比して、スクタリに搬送された「衛生改革以前の時期の」兵士たちの死者数だけが際だって高率であるという、覆うべくもない事実。
クリミア戦争で戦死したイギリス軍兵士(この段階のイギリスの兵制では全員志願兵で、しかもエリートの子弟が多い)のうち、16500人は、前線での傷そのものの深さではなく、送られた先の病院の衛生状態の悪さ故に死んだだけであるという、スキャンダラスな現実である。
「早くスクタリに搬送しろ」というナイチンゲールの要求は、「早く死にに来い」と要求していたも同然という、予想外の現実に、ナイチンゲールは直面し、耐えねばならなくなる。
極端なケースでは、傷病兵でもなく、たまたまスクタリに短期間「宿泊地」として立ち寄っただけの兵士が突如死に至るケースすら、まま見られたのである。
ナイチンゲールは、世間から引きこもり、体調を崩しつつも、その後の人生の中で、この「医療過誤」への自分の責任への罪悪感と戦い続ける。
州の長官の娘という名家に生まれ、父親からの個人教授の中で学問に目覚め、専門知識を習得し「女性もこれからは職業をもって社会に出て行くべきだ」という思いに取り憑かれていた若い日々。
家族が大臣や政府高官とも交際がある中で、自分を社会に生かす仕事がないかを繰り返しアピールしていった中で誘いの声がかかったのが、クリミア戦争への看護婦長としての従軍だった。
ナイチンゲールの活躍がマスコミを賑わせたのは、実はイギリスが軍隊を大量にヨーロッパ大陸に派遣したという点ではその後第1次世界大戦までなかった動員数となったクリミア戦争が泥沼化する現実と戦争の犠牲者への政府の責任の問題から目をそらさせるという面もあったし、2万単位の「戦死者」が、前線での死ではなく、それの各地の兵士が収容された後方の「センター」的野戦病院の衛生環境の悪さ故の死であったなどということは、政府や軍にとっても一大スキャンダルであり、この戦争で、「軍隊の統帥権」を再び王のものとしようとしたヴィクトリア女王の名声にも関わりかねない問題だった。
だから、このスクタリ病院の衛生環境が死者を激増されたという冷厳な「統計的事実」を政府は闇の中に葬り、ナイチンゲールには光栄ある処遇をしてことをおさめたがったのである。
ところがナイチンゲール自身は、自分のそれまでの名声をもろに傷つけるのを覚悟で、軍の衛生問題、ひいては公衆衛生問題についてのイギリスの政策を転換させるための貴重な教訓として、議会や政府、そして王室が耳を貸すように、詳細でわかりやすい統計つきの「秘密報告書」を起草、病身をおして、果てしないロビー活動をしていくことに、残りの生涯を費やしていくのである。
しかし、政府は、ナイチンゲール自身がナイチンゲールの名声を傷つけることを許さなかった!! どうも、首相との密約で、ナイチンゲールがどこかで今日でいう「暴露本」を出版しないことを条件に、その後のイギリスの公衆衛生政策にナイチンゲールが期待する人材を登用していくことに便宜をはかるという形になったようである(政見が交代する中で、それも順調に運んだわけではないようであるが)。
それでも、政府がその報告書を闇に葬ることにしたした時、彼女はそのコピー100部を、イギリスの有力者100人に「秘密厳守」としながらも送りつけることまでしている。
後世のナイチンゲールの伝記作者の中には、スクタリ野戦病院での衛生改革を主導したのがナイチンゲール自身の業績である、という記述をしているものもあるようだが、実態は、戦地から帰還して、最初は軍の傷病兵移送の遅さの証拠を得るつもりで、膨大な統計資料を冷静に検討する中で、「図らずも」認めざるを得なかった「予想外の現実」であり、いわばその「罪滅ぼし」として、その後のイギリスの公衆衛生改革運動への協力に尽力したという方が正しいらしい。
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さて、この問題について更に論じていくためには、当時、パスツールなどの先駆的業績の中で認識されはじめていた、伝染病や傷の化膿・炎症における「病原菌」の果たす役割についての学術的な研究への関心の高まりが、実際には、公衆衛生活動を重視する政策の実現と「対立」関係にあったという、現在の目から見ると摩訶不思議な事態を問題にせねばならなくなる。
これについては次回。
カウンセラー側が、面接の場の流れ全体をフェルトセンスとして感じながら(そこには、当然、「クライエントさんが」面接の場の流れ全体をどのように感じているかについて、カウンセラーが、クライエントさんの「身になって」感じていく過程も含まれる)、個々の応答や、面接をどう進めるかについての提案を吟味した上で振る舞い続け、更にその結果、そうしたカウンセラー側からの応答や提案を、クライエントさん自身が実感としてどう受け止めているのかについて照合してもらうように促し、その結果を尊重する方向に面接を進めているならば、その面接過程は、すべて、フォーカシング指向心理療法的面接であるといえるだろう。
そこで「フォーカシング」だとか、「フェルトセンス」という言葉が使われているかどうか、あるいは「それを身体に戻してじっくり感じてみて下さい」などという教示が用いられるかどうかと言うことすら本質的ではない。
優秀な行動療法家や、認知療法家、プレイセラピストやダンス療法家、ユング派の臨床家が、こうした点で、実質的には、フォーカシング指向心理療法の原則と結果的に完全に一致したセラピーをしていることなど、いくらでもあり得ることになる。
ある観点からすれば、フォーカシング心理療法的アプローチは、もはや特定の技法体系ではない。道具立てとしては、「なんでもあり」なのであり、「ただの、必要に応じたカウンセリング」なのである。
人は、自分の感じていることを、「具体的に」他者と共有して、受け止められたと感じる体験を経てはじめて一息つけることは多いように思える。
問題そのものがその段階で解決されているかどうか、見通しが立つかどうかとは関係なく。
そしてそれは、単に「カタルシス」だとかいう場合、聴き手ががそれをどう共有したかということがないがしろにされる危険もある。
「受容的・共感的に」というはやさしいが、聴き方次第では、それが表面的な受容になったり、余計ななぐさめの元気づけの一言が、語った人の思いを台無しにしかねないほどに、デリケートな問題を含むように思う。
「何か」語り尽くせていないという不全感が話者にないかどうか、十分に受け止めてもらえた気がしているかどうかを丁寧に確認し、当初語った時点では言葉にならなかった「何か」を話者が的確に言語化できるようにサポートするのも聞き手の務めであるし、話を聴いた結果どのように感じているのかを的確にかつ自己一致した誠実な、しかも話者への共感性とも両立する形で言語化できるかどうかも重要であろう。
場合によっては、 「あなたの話を聴いて、どう言葉を返したらいいか思い浮かばない。下手に『たいへんですねえ』と言葉にしてしまうことすら失礼な気もして」
などという言い方ですら意味があるだろう。
ただ何も言葉を返せないまま黙っているくらいならば。
相手をひとりきりで取り残してはならない。 受け止め、共有する勘所を外さなければ、そうやって、事態や気持ちを吐き出した後、別れた後も、相手をひとりぼっちに取り残すことにはならないだろうと思う。
そうした際に、ただ、受け身に「聴いて」いるだけではなくて、「訊く」能力が重要な意味を持つ。
相手が語るのも辛いことや、語るのに勇気がいったり、そういう言い方をするのは手前勝手だとか、恥ずかしいことだと思うあまり、口に出さないまま呑み込んでしまいかねない部分を、敢えて言葉にしてもらうきっかけになるためにも。
常にではないかもしれないけど、人に相当程度悩みを打ち明けつつも、死に至ることを避けられなかった人の中には、そうした、思わず「口にするのを躊躇した」部分、あるいは、後になってみて、「あの場ではこのことまでは言えずじまい『だった』」と気がつき、それで十分言い尽くせたと相手に伝えてしまっていたことの後悔を処理できなかった人もあるのではないかと思う。
....人は、いったん言葉にしてみてはじめて、それまで脳裏にものぼらなかった自分の気持ちに、順送りに気がついていくこともあるからである。
少なくとも、「言いたくとも言えなかった」ことをクライエントさんの中に蓄積させないカウンセラーではありたいと、心から思っている。
以前、体験過程尺度(Experiencing Scale) という、クライエントさんの話の深まりについて、面接の逐語記録と録音記録に基づき、第3者が7段階に評定する尺度があることについて、架空の実例に基づいて示した。
その中のStage1からStage4までをとりあえず手短にもう一度紹介すると、
●Stage1:新聞の報道のような第3者的叙述。話者自身(「私」)は登場しない。
●Stage2:話題の主人公は「私」であるが、「私」の気持ちについての明白な叙述はない。
●Stage3:「私」の気持ちについても「挿入的に」語られる。
●Stage4:話題はもっぱら「私」の気持ちそのものである。
「体験過程インタビュー」という手法がある。
これは、体験過程を次のStageに高めるための喚起的な問いかけをカウンセラー側がしていく技法である。
これに従えば、例えば、
●Stage1→Stage2 : 「その時、あなたはどうしていたのか、もう少し話していただけますか?」
●Stage2→Stage3 : 「あなたはその時どんな気持ちでいたのか、もう少し話していただけますか?」
●Stage3→Stage4 : 「あなたはその時感じていたその『悲しい』気持ちについて、もっと話していただけますか?」
などといったものが典型だろう。
例えば、「お母さんって、どんな人なの?」と問いかけた結果として、お母さんの過去の生い立ちについて詳しく語ってくれても、それが話者自身や話者自身の気持ちについての言及を全く含まないことがあり得る。
しかし、私は、そういうstage1を更に話してもらうだけで、大きな意味がある場合がある。
しかし、実際問題として、多くの人の場合には、普通に「身の上話」を対話している場合、少なくともこの中のstage 3までならごくあたりまえに到達できる人が多いため、こうした「体験過程尺度の低いステージが持つ意味」について積極的に検討されることが少なかったようにも思える。
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次のような仮定に立ってもいいのではないか?
「より低い体験過程水準が、カウンセラーとの対話の中ですでに十分に実現されていることが、より高い体験過程水準が面接の中で十分に機能する上で必要である」
もし、その人が、Stage1からStage3までの「低い水準の」体験過程レヴェルで、その時点で、語り得る話を、カウンセラーとの対話の中でそこそこには共有しないうちに、stage4以上、つまり、具体的感情ついての話を繰り広げることには、実は無理があるのではないか???
ちなみに、フォーカシング、つまり、自分の中の漠然とした言葉にならない感じに注意を向けながら語る言葉を吟味していこうという姿勢が喚起されている状態は、Stage5である。
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実は、このことが、特に、フォーカシングを基本として学んで、現場臨床の技量を高めていくカウンセラーに(そのすべてではないにしろ)、カウンセリングスキルの上で、ある基本的な偏りを生み出す可能性があるのではないか????
フォーカシングを学んでいると、Stage5に到達しているかどうかばかりに関心が向きやすくなるのである。
ところが、生産性の高い面接過程ですら、1回の面接の中でStage5に乗る瞬間は、ほとんど全くないか、出てきてもホンの限られた箇所というのは、ごく普通である!!
それどころか、「フォーカシングは、自分の悩みの細かい内容について相手に話をしなくてもすることができます」とすら吹聴されている(^^;)
このことが、フォーカシング関係者に、低い体験過程水準で相手に話をすること、あるいは、そういう話し方をする人間に延々とつきあって聴き手になることを回避する傾向を生み出している場合もあるのではなかろうか???
しかしそれは、ひょっとしたら、stage4までの対話を十分にうち解けて繰り広げられた上で成立したクライエントさんとカウンセラーの関係性における、十分に安定した「基礎」のないところで更に高い水準を目指してしまうという「無理」を生み出している場合もあるのではないかとも思える。
体験過程水準は「上げれば」いいものではなくて、「上がる」ことを可能にする、低体験過程水準でのコミュニケーションによる「なじみ」も、ことフォーカシングの「技法としての」習得それ自体を目指すわけではない場合関係性の上で必要であるという仮定である。
恐らく、これが、通常のカウンセリング的な面接と、最初から「フォーカシング」のフォーマットのもとになされる相互作用の大きなギャップとなっている場合もあるように思う。
もとより、フォーカシングにおいても、気がかりな事柄そのものについての十分な傾聴は、リスナーにとって本来基本である。
しかし、何らかの意味で、カウンセリングや心理療法的側面がある形でフォーカシングのセッションを行い場合には、「フォーカシングしてもらうこと」よりも、まずは、フォーカサーの話を傾聴することそのものに時間を費やすばかりになっても、状況によってはやむなしという判断をリスナー/ガイドはできる必要がある。
場合によっては、体験過程水準でせいぜいStage2の水準の話を、フォーカサー(クライエントさん)にもっとしてもらうように促すことがむしろ生産的という場合もあることについて、再認識してみるのも意味があるのではないかと思える。
相手に「正確に」気持ちを伝えたい。
他人に「ほんとうに」わかってもらいたい。
他人の気持ちや意図を「誤解」したり、勝手な「思い込み」で攻撃したり非難して、相手を傷つけたりしたくない。
これらの感情は、全く自然なものだと思います。
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しかし、私はこれを機会に、敢えてひとつの「逆説的な」宣言をしたいと思います。
他人を「誤解」したり、勝手な「思い込み」でものごとを判断して「自己完結」してしまう自由と権利は万人に保障されねばならない.......と。
「お互いに相手の真意を理解しあえなければならない」 これは確かにひとつの崇高な理想かもしれない。
でも、この「ドグマ」に縛られた時、むしろ人と人との間に果てしのない悪循環が始まる危険もあるのではないか?
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そもそもあなたは自分の「気持ち」や「行動の意図」をすべて正確に理解している自信はありますか?
ないでしょう?
それなら、他者の「ほんとの気持ち」や「動機」「意図」とかについて「正確に」「偏見なく」捜し求めようとすることは、はじめから果てしない泥沼に陥って当然ではないでしょうか。
人とは、自分や身近な人や他人や世界の森羅万象について、適当なところで「思い込んで」いることで、はじめて「安定した自我」を抱いて日々を過ごせる程度の、不完全な生き物でしかないのではないか?
もちろん、「思い込み」を乗り越えて、「現実」と出会おうとすることにより、確かにその人の他者認識や世界観や相互理解を深まることもあります。
しかし、それですら、『その人の』「体験過程」のステップが一歩前に進んだということに過ぎない。
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もとより、いわれのない差別や偏見や、ありもしないデマで苦しまされ、場合によっては殺されるにいたった数多くの人々の歴史、そして今も続く抗争は悲しいものであり、そうしたことが生じないようにするための相互理解への努力は大変貴重なものです。
しかし、実は、 「自分の理解には結局限界があり、どこまで言っても一面的なものでしかありえないのかもしれない」 ということを認められる人が増えた時、はじめて人は、何とか「共存」できるものなのかもしれません。
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特に、相手の心を、自分の気持ちへの「的確な理解」に向かわせようと「強制」し始めた時、人は結局その人の心を乗っ取り、その人の心を自分の心の「延長」として扱おうという「悪魔の誘惑」の領域に踏み込んだのかもしれない。
「誤解を解く」ことを諦めること、 「相手の意図を誤解したままかもしれない形で相手との関係を終わりにする」ことで、自分が「加害者」になったままになることを引き受けること。 これしか、無駄な傷つけあいのない、平和的な「別れ」と、事態が自然と収まるところに収まる形での「再出発」をはじめられないことは、あるという気がするのです。
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この「逆説」を敢えて私が語ることの意味が、皆様に「ある程度」「多少は」理解してもらえると信じつつ。
> 憎むことでいつまでも あいつに縛られないで
> ここにいるよ いつまでも
> ここにいるよ うつむかないで
> 空と君とのあいだには 今日も冷たい雨が降る
> 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる
このみゆきのアルバムの「愛情物語」という曲の歌詞を、私の書いたこととひきつけて読み込むと面白いかもしれません。
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人を「誤解する」自由のないところに、「相互理解」や「相互への信頼」は育たないと思います。
ケビンさんの「ホールボディ・フォーカシング」に、次のように書いてあります。
「私は、私たち自身の内側にあるものこそが、どんな権威よりも、私たちの人生を癒すために必要な多くのことを知っているということを繰り返し確かめることができました」(訳書pp.2-3)
私は、通常、フォーカシングの「指導」と、「通常のカウンセリング」を、完全に別のものとみなしています。
1.私のカウンセリングルームにおいでになったら、フォーカシングを学ばねばならないと、皆さんに誤解していただきたくないこと。
2.一般の方への現場カウンセリングは、特定の技法を適用すればいいというものではなく、その方のお話をうかがう中で、共同作業していく「コラボレーション・ライヴ」であると私は考えていること のためです。
もちろん、通常のカウンセリングの際にも、クライエントさんを前にして、カウンセラーとしての私自身の中では、絶えず「場の」感じに触れつつ、フォーカシングしながら、クライエントさんの感じているであろう「言葉にならない思い」まで、クライエントさんの「身になって」味わい、共有しようとし続けています。
そして、次に何を言葉にするか(しないか)を、私自身のフォーカシングの中で吟味し、 クライエントさんに、その時、あるいは長期的に見て、どんなお手伝いができるか、フォーカシングしながら思いをめぐらし続けているのですが。
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フォーカシングの草案者、ジェンドリン自身の、その人がフォーカシングができているかどうかについての 「最も端的な定義」 と私が長年考えているものををご紹介。
IF DURERING THIESE INSTRUCTIONS SOMEWHERE YOU HAVE SPENT A LITTLE WHILE SENSING AND TOUCHING AN UNCLEAR HOLISITIC BODY SENSE OF THIS PROBLEM, THEN YOU HAVE FOCUSED. It dosen't matter whether the body-shift come or not. It comes on its own. We don't control that.
ここまでの教示を(自分に)にしていく間のどこかで、 (気がかりな)問題をめぐって、 はっきりしない身体全体の感覚が感じられ、 しばらくその感じに(内側から)さわり、感じてみることが、 ほんのちょっとの間でもできたならば、 あなたはその時フォーカシングをしていたのです。
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身体の感じに変化(シフト)が生じてきたかどうかは気にしなくていいんですよ。
そういう変化は「向こうから」自然と生じてくるもの。
ガイド(トレーナー、リスナー)である私や、フォーカサーであるあなたが「操縦して」、そういう変化の感覚を生み出すわけではないんです。
「フォーカシング」 ユージン・ジェンドリン著、p,74に該当しますが、敢えて私自身で訳し直してみました。
フェルトセンスに変化をもたらす「内的な導き手」は、フェルトセンスそれ自体であり、あなたはそれに気づき、それを感じることを自分に「許す」主体でしかありません。
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「この部分の訳、変です。抜け落ちている単語もあるし。これじゃ誤解されますよ」
と、共訳者の故・村瀬孝雄先生にご注進した、大学院入りたての、もう21年前になる、若き日の思い出がよみがえります。
「ストックホルム症候群」という概念がある。誘拐や監禁の被害者が、極限状態の中で犯人に同情や連帯感を抱くようになることであり、1973年にスウェーデンのストックホルム市で起きた銀行強盗において、1週間に及ぶ立てこもりの末に人質が解放されたが、その後、元人質たちが犯人をかばう証言をしたり、警察を非難したりしたほか、元人質の一人が犯人と結婚するに至ったことで注目され、この名が付けられた。
「まるでストックホルム症候群みたいだね」・・・水樹奈々が自分と「先生」との関わりを知り合いに告白した時に言われた言葉だそうだ。
堀越高校芸能科は、所属事務所があることが入学の条件である。彼女の才能を認め、上京して面倒をみることを引き受けた「先生」との二人暮らしでの生活は、厳しいレッスンと同時に、彼女のためなら、会社が倒産しても「自分名義の事務所」を立ち上げてまで面倒を見る熱心さがあった。
その「絆」が同時に「しがらみ」であり、「束縛」でもあることの辛さを心から受け入れるまでに、彼女は数年の歳月を必要とした。そこには「第3者」との関わりが必要だった。
どういう領域でも、密接な「愛に満ちた」師弟関係と言うのは、常識人が一歩踏み込んで聞いたらびっくりするような歪んだ側面を抱え込んでいるものである。
そして、そもそも、そうした「先生」との関わりの様式は、彼女の実の父との関わりが「反復強迫」されたものに他ならないとも言える。
演歌三昧の父から、生まれながらにして「紅白に出場する演歌歌手になること」を期待され、日常生活を拘束されて練習漬けの日々の中で育った彼女の生育歴は、まるで「巨人の星」の一徹と飛雄馬との関係性をなぞるかのようである。
それに加えて、子供時代から歌がうまいと遥かに年上の地元の演歌好きたちに言われて育った「オトナ子供」の彼女は、小学生の頃、周囲から浮いた「変な子」であり、普通の子達から見れば、嫉妬も入り混じった形でいじめの対象ともなることはごく自然な成り行きだろう。思春期に入る前の普通の子供というのは、ある意味では残酷なリアリストである。決して彼女の被害妄想ではない。
ただ、そうした父や「先生」の溺愛と厳しさが、彼女に芯の強さを植えつけたことも、また事実だろう。
本書は、奈々さんが、語り得る範囲で、本音の自分をありのままに描き出した本だと思う。
声優を目指す人達への、先輩としての十分なメッセージにもなっている。
=======以上、私のAmazonレビューの転載========
さて、ここから延々続いてきている、「受容・共感と自己一致の相克」シリーズ、前回からの続きです。
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前回、クライエントさんに「共感しようとがんばる『自分』」と「共感しようとしても感じられる、違和感や苛立ちなど、クライエントさんに対して生じてくるnegativeともいえる感情を抱く『もう一人の自分』の両方を、カウンセラーが、自分の中でどちらも「俯瞰して」眺めて、「対象化」し、 「どちらの気持ちも自然だよなあ、『共感』できる」 と静かに自己受容、自己『共感』して見つめる第3の視点を確保できるだけでも、カウンセラーの中の葛藤は静まり、それこそまさにロジャーズの言う「自己一致」そのものなのではないかと述べました。
そして そういうカウンセラーの自己一致の達成は、カウンセラーが何も言語化しなくても、カウンセラーの非言語的なメッセージや態度が、2人の「場の雰囲気」を通して「空気伝染」し、数十秒から2,3分の沈黙の後に、クライエントさんもそれまで自分を縛っていた「何か」がほどけ出して、ほとんど無意識のうちに、本人自身それまであまり重大と考えていなかった、一見話が脇道にそれるような形で、むしろカウンセラーがクライエントさんに共感を深める上で結果的に決定的ともいえることを語り始める中で、二人の絆が深まる糸口が見つかることが実は多いということを書きました。
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さて、このことの応用形として、カウンセラーとしては「中級篇」かもしれないことを次に書くと約束していました。
「中級篇」というのは、ここまで私が書いてきたことを全く自然なものとして面接現場でできるようになる前に、以下のことにチャレンジすると、一見似たようなことができたかに見えて。実はクライエントさんにはまだ早すぎる「勇み足」となり、弊害がでることもあるからです。
「『害がない』ことこそが一番の治療である」
確か中井久夫先生や神田橋條治先生が繰り返されてきた「逆説的」名言です。
あまり新しい技法の活用への「色気」に乗らないことです 私の中には、実は、この「色気」に屈しようとしている時の自分への厳しい「嗅覚」があります。 .......ということはその「色気」に屈して、痛い思いをしたことが私自身何度となく重ねてきたからこそ成立した「嫌悪条件づけ」のようなものが出来上がっているに過ぎないということなんですが(^^;)。
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などと余計な薀蓄はこれくらいにして、その「中級篇」の具体とは?
クライエントさんに共感できない自分を「もう一人の自分」として「内なる<第3の視点>から」、静かに「自己共感」するところまでは同じです。 次に、そこで感じている自分のクライエントさんへの「共感できなさ」のモヤモヤした感じに、感覚的にぴったりの手短なことばをじっくり捜します。
「え? それって、面接の最中に、カウンセラー自身が自分の内面にフォーカシングはじめちゃうわけ?」 そういうことになりますが、フォーカシングを一人フォーカシングが自分の現実生活に役立つぐらいにまで身につければ、あなたも必ずできるようになります!!
(クライエントさんとの話が沈黙に入った瞬間でもいいですが、慣れてくると、クライエントさんの話を聴き、伝え返しをすることをしながら「マルチタスクで」このことをできるようにもなります)
例えば、その結果カウンセラーの内面に浮かび上がってきたぴったりの言葉が 「いらいらする」 だったとしましょうかね。
(カウンセラーも、クライエントさんの発言に「いらいらする」ことがあるのだ、とここではっきり書いてしまうことそのものに反感に近いものすら感じる方が、同業者の中にもあるかもしれませんが、」まずは聴いてください)。
しかし、私は、いわゆる「カウンセラー的な」、やさしく、美しい、達観して、人の心のことなら何でもわかっているような言葉を書き連ねるあり方そのものが大きらいなもので。むしろ「自分を含めて、人の<心>とはそんなに容易にわかりえない"something"だからこそ、生きた生身のひとりひとりの人間に宿る、尊重に値するものと思っています。
つまり「わからない」「共感できない」「理解できない」ことを自分の中で認めるところから、はじめて、自分や他者の<心>に寄り添い、交流する糸口が生まれるのです。)
さて、 「いらいら」しながら話を聴いているカウンセラーとしての私がそこにいる。 ある意味では、クライエントさんに「いらいら『させられて』いる」と感じている私がいる。 その「いらいら」をクライエントさんのせいにする(attribute)形で決め付けるのはよくないのはいうまでもあるまい。
「この人、やっぱり『ボーダー』ね。こうやって治療者を巻き込もうとする」 ・・・・・なーんて内側で連想する「気休め」はじめるカウンセラーなんて最悪ですね。
その瞬間に、上っ面はどんなに受容的でも、カウンセラーである「あなた」の体が発散する「気」が、クライエントさんに「見捨てられ体験」をまさに引き起こはじめていたりして。
原因と結果が逆、「自己成就的予言」の場合もあるということです。
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1.しかし、「この」クライエントさんが、「私」をいらいら『させる』形でしか、今は私に伝える術(すべ)をもたないのだとしたら? そういう発想をするだけで、また少し、カウンセラーである私の中に、少しの「心の余裕」が増加します。
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2.次に、 ひょっとしたら、「この」クライエントさんは、 家族や親しい友人やそれまでのカウンセラーとも、 私が今、「こんなふうに」感じているような形で、 相手を『いらいら』させる結果、関係が悪化するという 「堂々巡り」 をしてきたのではないか、 と仮定して、感じてみる。 これでまた、カウンセラーの中に、クライエントさんへのむしろ「同情心」すら感じる余裕が、さらにできます。
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3.更に、
「クライエントさんが、こんな不器用なやり方で、まわりに伝えたいのに、結局果たせないで来た<思い>って、何だろう?」
と、クライエントさんの「身になった」感情移入的フォーカシングを虚心にしてみる。
例えば、
『わがまま』?
........うーん、何か違う。
『頑(かたく)な』?
........お! かなりいい線行ってるけど、あと一息欲しいナア...
...... 『頑固』 ........うん、こっちの方がいい!!
たいてい、カウンセラーの中でほんとうにしっくりくる言葉は、こうした、2,3回の試行錯誤の過程で出て来るんですよね(フォーカシング一般がそうですけど)。
次に、そういう試行錯誤のプロセスで「棄却された」言葉すら活用する!!
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4.「なぜ『わがまま』ではだめで、『頑固』だとOKなんだろう?」
と、カウンセラーは再び自らのフェルトセンスに問いかける。
「..........『頑固』っていうと、何か、本人が自分の意志で、石のように動かない、っていうエネルギー溢れる「何か」が含まれている気がする。そういう含蓄は『わがまま』だけでは感じにくいような........」
実はこの「ぴったりの言葉を捜す過程で棄却した言葉(ここでは『わがまま』)を、最終的に選択した言葉(ここでは『頑固』)と比較する形で味わい、最終選択した言葉の固有の含蓄を更に深く見出す技法は、私もまだ既成のフォーカシングの技法書では読んだことがありません。 これを機会に『差分的照合』と命名します。
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5.こうした比較の中でさらに鮮明に浮かび上がった、この『頑固』という言葉ではじめてしっくりくる固有の感覚の質を、カウンセラー自身の身体に、そして面接現場の場の雰囲気に響かせるつもりで味わう。
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......面接のやり取りを進めるただ中で(!)、カウンセラーが、こうしたことをマルチタスクで、あるいは沈黙の中でのショートフォーカシングとしてやっていたら、それは「場の雰囲気」として「空気伝染」して、そのころにはクライエントさんとのやりとりは、「どういうわけか」生産的なものに変化しているでしょう!!
『頑固』という言葉そのものは結局クライエントさんに語られないままなのです。
仮に言葉にするとしても、それは、ちょうどいいタイミングがくるまで、「クライエントさんに無理なく伝わる言い方」を更にフォーカシングして探して、暖めておきます。
それは例えば、
「あなたの話を聴いていたら、あなたの中に、どうしても守り抜きたい『何か』があって、それを、デン!と座って、必死にかかえて『守って』いるような気がしてきたんだけど」 という言い方になるかもしれません。
こうした表現ができた時、二人の面接に新たな展開が「どういうわけか」はじまるという経験のみが私の中で積み重なっています。
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以上、実はすべて、過去の経験からシミュレーションした、「架空の例」です。
でも、自分とのカウンセリングも、「これに似た」形で進められていたのかな、と、思い返すクライエントさんは少なくないかもしれませんね。 私のカウンセリングの現状での「到達点」を、これでまるごと、ありのままに公開したことになります。
さて、「受容と共感」と「自己一致」の相克シリーズ、前回からの久々の続きです。
実は、前回書いたようなところまで、カウンセラーははっきり「自覚しないまま」、ただ、やみむもに、我を忘れてクライエントさんを受容しよう、しようとがんばっていることが多いんですね。 だから、このブログをお読みのカウンセラーの皆様も、私のコメディタッチのカウンセラーの内面描写を、むしろ爆笑しながら、 「そうそう! そうなんだよな~」 と、それこそ「共感しながら」読んでくださったものと信じます(^^)。
*******
では、どうすればこのジレンマから抜け出せるか?
答えはある意味でシンブルなんですよ。
「カウンセラーとクライエントさんは、自分と別の人格を持った個人なんだから、相手の言うことにすべて共感できないのは当たり前だ」
という前提に立つことです!!
ただ、普通の人と違うのは、そうやって「相手に共感できない自分」を「対象化」して、「自分の中にもそういう『共感できない』部分が『いる』」ことを、共感を持って(爆)、静かに「自己受容」するスキルを磨ける、という点にあります。
「今私は、一方で、クライエントさんの気持ちに寄り添って理解しようとしている、そういう『私』の気持ちって、当然だよな、『共感』できる」
「でも、もう一方で、クライエントさんの言ってることに、むかつき始めている。そりゃ、前回に続いて、今度はどのように死にたいかまで詳しく話し始めるんだものな。『こっちが必死に心配しているのに、何だこいつは』といらだち始める、『もうひとりの私』がいて、これも当然だし、『共感』できる」
・・・・ この時点で、カウンセラーは、自分の気持ちに正直になれています。 つまり、「自己一致」できているんです!!
*****
不思議なもので、カウンセラーが、そうやって、自分の中の『二人の自分』の両方に共感できた時点で、カウンセラーの気持ちも楽になり、心にある種の余裕すら生まれます。
「ま、あとしばらく、クライエントさんの言い分を聴いていると、共感の糸口となること、話してくれるかもな・・・・」
・・・・・・驚くべきことに、これはそれから「数十秒から数分のうちに」、現実になることが多いです!!
クライエントさんが、それまで話していなかった、予想外の話題を突然話し始め、それを聴いたら、以前より、クライエントさんの心境に、実際、「共感」しやすくなるのです。
面白いのは、クライエントさんの側には、そんな重要なことを話したという自覚はなく、「何となく」話題をそちらに向けたという自覚しか、少なくとも当初はないことです。
しかし、その「何となく」の「余裕」を、クライエントさんに生み出したのは、実は、さっきまで「受容できないものを受容しようと必死にがんばっていた」カウンセラー自身が、さっきのような「自己共感」の段取りを内面で進行させて、「余裕」を取り戻したことが、カウンセリングの「場の雰囲気」を通して、クライエントさんに「空気伝染」したからではないかと、私は考えています。
「空気伝染」というのは、半分ジョークですが(^^;)、人と人とは、非言語的な「気配」でコミュニケーションしている部分が、実は一般に思われているより大きいのではないかと思います。
早い話、カウンセラーが「強情なまでにがんばって」話を無理して聴いていたら、クライエントさんも「強情に言い募る」と思いませんか?
***
さて、次回は、このカウンセラーの「共感できない自分」の自己受容を、さらに積極的に「活用」して、面接を生産的にするコツのことを書きましょう。そこまでくると、カウンセラーとしては「中級編」の技能に属することですが。
【注】:以下の記事は2005年に掲載したものの再掲です。
ジャネット・クライン著
Interactive Focusing Therapy
「インタラクティヴ・フォーカシング・セラピー
カウンセラーの力量アップのために」
が、やっと出版されたとのことです。
このホームページではこれまで言及しませんでしたが、従来のフォーカシングの応用形として開発された、Interactive Focusingには、大変興味深い点があります。
*****
まずは、インタラクティヴ・フォーカシングそのものについてご紹介させていただく前に、「通常の」フォーカシングの場の構造について説明させていただきます。
普通のフォーカシング・セッションだと、自分の中の曖昧な感じ(フェルトセンス)にぴったりの言葉やイメージを見つけるのはフォーカサー(自分の内面に触れ、フォーカシングをするその人)自身なんですが。リスナーないしガイドは、そのフォーカサーの話を傾聴し、共感的な伝え返しをすることと、教示をフォーカサーに提案することが役割として固定されたまま、1セッション」を通して行います。
セッション時間は、(15分、30分、45分、成り行き任せ(^^;)など、その場の状況にあわせて自由に設定可能。少し慣れてくると、短いなら短いなりに、まとまったセッションとして体験できるスキルが身につきます。
その人の内面が深い問題を抱えている場合には、45分などという長い設定時間の方がいいかもしれませんね。しかし、時間の設定を「ある程度」事前に明確にしておく方が、面白いことが起こる場合もあることは、この記事でのセッションの実例で、お分かりですよね(^^;))
フォーカサーがA、リスナーがBだったとすると、この後で、「役割交換」して、フォーカサーがB、リスナーがAという形でセッションを進めることができます。まるで野球の「表」と「裏」、昔のアナログレコードやカセットテープのA綿とB面をひっくり返すようなものですね。このような役割交換を自在にできる関係を「フォーカシング・パートナーシップ」あるいは「フォーカシング・コンパニオン」といいます。
そして、まさにこのような、リスナーとフォーカサーのどちらの役割も取れるスキルを同時に磨いていくことが、フォーカシングの学習の基本形なのです!!
つまり、フォーカシングのスキルを身につけたものが仮に集団として10人いるとすれば、その10人同士が、双方の合意が成立したら、全く自由な組み合わせで臨機応変にセッションを持てる状態が理想とされているのです。
中には、他の2名のセッションをただその場にいて共有する「オブザーバー」もいる3人組、4人組がいて、順送りに役割交代したりしてもいいし、ずっとオブザーバーで通したい人はそれでもいいでしょう。中には、その場の中でひとりフォーカシングを始める人がいてもいい。極論すれば、これらのいずれもしないまま、他の人たちのセッションは邪魔しないで、「何となく」そこにいる「だけ」の人だっていてもいいと思います。
そうやって、フォーカシングの「専門トレーナー」が全くグループにいなくても、その時集まったフォーカシング・ピープルが、自由に相手を選んでフォーカシング/リスニングをお互いにできる、とか、プライベートに会ったり、電話やデジカムなどを通して、双方の折り合いがついた時に、日常の中で、臨機応変にパートナーを見つけるといった、自主的コミュニティを形成することすら目指しています!!
これが、ジェンドリンが当初考えた、「チェンジズ」という共同体のあり方なのです。そして、フォーカシングの学習を公教育にすら取り入れ(!!!)それにより、本格的な専門家にカウンセリングを受けなくても通常はこと足りる、地域社会を作れないか、という、壮大な社会革命構想がジェンドリンの中にはありました。
要するに、フォーカシングの「トレーナー」というのは、そういうコミュニティを広め、初心者に、個別で、あるいは小グループでコーチする専門家であり、フォーカシング・ピープルの、いざという際の「顧問」みたいな立場に過ぎないわけですね。もちろん、トレーナーが自分個人の問題解決のために、トレーナーではない人をガイドとしてセッションを持つことも気兼ねなくできるのが望ましい(^^)
「フォーカシング指向心理療法」セラピスト(FOT)は、カウンセリングや心理療法の中でも、クライエントさんにフォーカシングを生かしたセラピーができる上に、より広範な「現場臨床家」としてのスキルも臨機応変に使える「専門家資格」と思っていただければいいかと思います。
(少なくとも、トレーナー、FOTであり、なおかつ、TFIコーディネータ(「資格認定」資格者)としての私個人の要求水準はその水準です)。
******
実は、フォーカシングのオーソドックスな練習では、早い段階から、フォーカサーとリスナーの役割をどちらも体験し、どちらのも熟達することが望ましいとされていることについては、他流派の方々には現状ではほとんど知られていないかもしれませんね。
つまり、まずはフォーカサーとして経験を積み、その後でリスナー・ガイドとしての訓練を積む段階に進む、とは限らないのです。
....まあ、フォーカサーの体験全くなしに、いきなりリスナーやガイドのだけを訓練だけをを積むことは不可能、とは申し添えます。
(この点も意外と現状では誤解があるかなと思います。フォーカシングの教示は、フォーカサー体験がない人が、マニュアル的に使いこなすことはできない、とは、敢えて「断言」しておきましょう。それは、車の運転を実際「熟練」していない人が、本の勉強だけで自動車学校の教員になれない、というのと同じことです)
更に付け加えると、フォーカサーの側が、すでにある程度自律したフォーカサー/リスナーとしてのスキルを持っていれば、リスナー体験がほとんどない人ですら、そのフォーカサーの注文に応じてリスナーの役割を果たしていくことが十分可能です。これについては、詳しくは、"Focuser as Teacher"についての記事をご参照下さい。
*****
さて。インタラクティヴ・フォーカシングの話題に戻りましょう。
インターラクティヴ・フォーカシングでは、まず、フォーカサーのことを、ストーリーテラー(語り手)と呼びます。
そして、仮にAとBという、二人でやるとするならば、まずは最初にどちらがストーリーテラーをやり、どちらがリスナー(聴き手)をするかを決めます。
場の空気で自然と決めてもいいですが、それこそ二人がそれぞれ自分の内面にフォーカスし「自分が何をテーマに話をしたいか」「自分が先にやりたいか」「後でもいいか」を、共に同じ場でショートフォーカシングした上で決めるのが、フォーカシング・ピープルなら理想的だし、その方がその後のプロセスも深まるかと思いますが。
そして、ストーリーテラーの語りに対してリスナーが丁寧な伝え返しをし、その伝え返しで修正して欲しい部分があればストーリーテラーはリスナーにその旨「注文をつけ」、リスナーは更にその注文に応じて伝え返しを修正するというプロセスをじっくり進めます。
******
その後で、「二重の共感のひととき(double empathic moment)」と呼ばれる、インタラクティヴ・フォーカシング独特の内面に注意を向ける時間を取ります。
すなわち、ストーリーテラーは、今自分が語ったことについての自分のフェルトセンスを内側で味わう。
同時にリスナーの方は、いわばストーリーテラーの「身になって」、ストーリーテラーが感じている「であろう」フェルトセンスを、あたかも自分の中に生起するフェルトセンスであるかのように「擬似的に(as if)」」感じてみるつもりになり、それの全体に感覚的にぴったりな手短な(!!!)言葉や句やイメージ(できれば「たったの一言のみ」、イメージ説明になっても長く所要30秒ぐらい以内で言語化できるくらいかな)を見つける時間にするのです。
この「二重の共感のひととき」は、少し時間を取ってじっくり進めるつもりの方がいいです。二人のうちの一人の方が、早くその時のフォーカスを終えても、もう一人が終わるまで、じっくり待つ「余裕の態勢」が必要です。2,3分、時には5分、この部分だけでかかってもおかしくないでしょうね。
******
そして、次のステップでは、リスナーの方から先に、そうやって見つかった「ストーリーテラーの身になって」感じてみた結果出て来た言葉やイメージを、手短にストーリーテラーに投げ返すわけですね。
その後で、ストーリーテラーは、自分が感じていたフェルトセンスと、そのリスナーからの言葉を照合し、自分としてはどんな感じであったか、リスナーからの言葉やイメージのどこか自分にはぴったりで、どこがぴったりでないか、さらには、リスナーの応答は自分にとっては意外なものなんだけど、ストーリーテラーとしての自分の中に、予想もしない新鮮な気づきを生じさせたかなどを、リスナーに投げ返すわけです。
リスナーは当然、そのストーリーテラーの発言についても、丁寧な伝え返しをし、ストーリーテラーにと修正をしてもらいながら、受け止めていきます。
******
もちろん、ストーリーテラーにとっては、「二重の共感のひととき」の後のリスナーからの、スト-リーテラーの「身になった」つもりの応答が、完全にぴったりということばかりではありませんし、ぴったりな応答ができないリスナーが、即、「悪い」わけではありません!! この点誤解しないでください。
むしろ、その「ズレ」をお互いに共有し、補正・拡充しあうことで、お互いの、まさに「間主観的に」共有できる理解と共感の世界が広がることになります。
先ほど書いたように、時には、ストーリーテラーの方が、リスナーからの意外な応答に「そうか、そんな捉え方もあったか」と、シフトが喚起されむしろ触発されて自己理解が進むこともある。
******
そしてここで、「役割の交換」です。
つまり、Bがストーリーテラーになり、Aがリスナーとなる。Bは、先ほどまでは「禁欲」(?)していた、ここまでの流れの中で、「B個人が」感じていたフェルトセンスに,改めてフォーカスして、Aに傾聴してもらうことができるわけですね。
以下は、AとBの役割交代で、上記のプロセスを繰り返します。
******
必要なら、そして時間が許し、A,B,双方が望むのであれば、こういう「A面」と「B面」のやりとりを、それこそ野球の攻守交代のように、何往復か、繰り返して進めていけます。
そうなると、お互いの相互理解が、どれだけ深まるか。
それは独特の深みのある、かけがえのない経験として体験されます。
*******
さて、カウンセリング場面でも、日常の中でも、共感とか、同情とか相互理解とは、相手のことを勝手に「わかったつもり」になって、その「思い込み」を相手に押し付けることに留まっていたり、実は相手の自分への理解に微妙なズレがあっても、「わかってもらった」つもりになって、あとで孤独と疎外感に悩んだり、相手の「ピンとこなさ加減」に感情的に抗議したりして、泥沼になったりしいてることが多いのではないでしょうか。
そして、心理臨床現場カウンセリングにおける、クライエントさんへの「理解」や「共感」は、まさに、カウンセラー側の勝手な「思い込み」を権威でもって押し付けられることにクライエントさんが「甘んじている」だけのことが、現実にはいかに多いことか!!
この点で、カウンセラーにとって、相手への「理解」とか「共感」とは何かを根源から問い直し、そのセンスを磨く訓練としても、このInteractive Focusingは実に強力なトレーニングとなります。
また、人間関係の悪化した、親子、夫婦、カップルなどの調停にも使える可能性があるということにもなります。非常に創造的な「家族療法」的アプローチにもなるわけですね。
私は、左の”My Favorite Books"に出てくる、「現代のエスプリ 410 治療者にとってのフォーカシング」のひとつの章の中で、日本におけるこのアプローチの導入者、宮川照子氏の協力の下に、日本で始めて公刊されたマニュアルを出版させていただいたのですが、今回は開発者自身の原著の翻訳です!!そして、宮川さんがその後深められたご自身なりの工夫も紹介されています。
なお、インタラクティブ・フォーカシングは、個人ケースーパービジョンの場面でも柔軟に活用できます。この件についてはこちらの記事をご参照下さい。
そして、このクラインの著作についての、更に本格的な書評記事はこちらですでにご紹介しました。
今日は、少し文化人類学的話を前ふりにしましょう。
実は、このブログ左の欄のブックレビューの、「岩波講座 宗教」第5巻の、我が敬愛する田嶌誠一先生の論考にものっけから出てくる話なんですが。
自分を自身を悩ましていた「悪霊」を鎮魂し(?)、癒す能力が高まると、その「悪霊」は、必ず「守護霊」へと変容して、自分を守ってくれる最大の味方になります。そういう人は、シャーマンとして、地域社会で尊敬される存在になることも稀ではない、ということは、どの文化圏にも見られます。
ただし、一度「守護霊」とのそういう関係を築いたら、得てして人は慢心に流されやすくなり、ちょっとでも油断すると、「守護霊」は再び「悪霊」のふりをしてその人を「試練」でもって悩まし、「守護霊」との関係をもう一度丁寧に大事にするように「教育的制裁」をかけてきますので、その「守護霊」からの「教育的制裁」を甘んじて受けて、「守護霊」からの信頼を取り戻さねばなりません。
さもないと、その人自身が、他の人に対して「にせ守護霊」という名の「悪霊」をばら撒きまくる、一番厄介な「にせシャーマン」になってしまいます。 つまり、一度「守護霊」との関係を築いたら最後、「本物のシャーマン」として絶えず耐えず「守護霊」からの「試練」に耐えて精進に励むか、「偽シャーマン」として、世間からも救いの道を求めるものを悪の道に引きずり込み、たぶらかす怪しげな存在とみなされ、「本物のシャーマン」すらそういう「偽シャーマン」と同じ程度の存在でないかという世評を生み出して迷惑を賭ける存在になるかの、「2つにひとつ」の人生しか歩めないのではないかと思います。
....で、「偽シャーマン」によって植え付けられた「悪霊」から人を再び救い出すだけで「本物のシャーマン」は日々手一杯となるのでありまする。
以上、何より自戒を込めて。
*****
今述べたことについて、ユングは、「自我と無意識」(レグルス文庫)で、
「自我肥大」の危険
という言い方で書いています。
(訳者のひとり、渡辺学氏による「前書き」がご自身のHPにアップされていて、これだけでも読み応えがあります)
これは、一言で言うと、その人の意識と無意識の対話が進み、影やアニマからのメッセージと円滑な相互作用がはじまると、その人は、以前より内界、外界からのメッセージに敏感になり、以前なら気がつけなかったことまでどんどん気付けるようになるという体験をするようになります。 「共時性」的な体験(一見偶然のようでいて、何か必然的な摂理が働いたかに思える出会いや事件との遭遇)」もやたらと増えると感じられる。
そうなると、その人は、世界の摂理がみんな見通せるかのような錯覚と傲慢に陥る。これをユングは『自我肥大』といいます。
しかし、ユングの考え方によれば、「意識(自我 ego)」というのは、どこまでいっても、「自己(self)」という、巨大な恒星、とても全体を汲みつくすことなど一個人に不可能な心の領域の周りをまわる小さな惑星に過ぎないので、こうした「自我が自己を覆い尽くせたかのような」錯覚や傲慢には、必ずバランスを回復させるための、無意識のうちでの「補償」作用が始まる。
例えば、現実の他者の上に投影された形での、以前より深い次元での「影」や「アニマ」からの誘惑や、トラブルに巻き込まれるなど。
これはその人が更に成長するための試練にもなる代わりに、一歩間ま違えると、その人自身の破滅や、その人自身がいつの間にか「善の仮面をかぶった悪」として、たとえば悪しきカルト宗教の教祖になったり、有名だけど、実はクライエントさんの人生に悪影響の方を強く残すことが多い、厄介な「著名セラビスト」になったりする引き金となるわけです。
****
それこそ、ゲーテの「ファウスト」
のはじめの方、「世界のすべてを極めつくした」ものの、空しさに駆られて自死を選ぼうとするファウスト博士の前に現れた、悪魔メフィストフェレスの誘惑に当たるもの(この悪魔、神様と、ファウストについて「賭け」をする、というあたりが序幕で描かれるわけですが)。
ユングは実は「ゲーテのご落胤の孫である」という噂が絶えず、ユングもそれを敢えて否定はしなかったというのは結構知られた話ですが、 どうか、「ファウスト」だけは、みなさん、手塚治虫の漫画版だけでもいいから(私も最初はそこから入りました)、目を通すことをお勧めします。
手塚治虫は、若いころに「ファウスト」、晩年に、確か未完に終わった「ネオ・ファウスト」
と、何回もファウストのテーマに挑んでますが、私が読んだのは若い頃の
「ファウスト」だけです。
*****
さて、やっと本題です(^^;)
実は、今朝、こんな夢を見ました。
「NHKのど自慢」だと思うんだけど、中年のおばさんが、それはそれはきれいな声で、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を歌うんです。
同然、鐘は
「キンコンカンコンキンコンカンコン、キン、コン、カーン」
アナウンサーは、「おめでとうがさいます、合格です」 といつものように駆け寄るのですが、その日のゲスト審査員のディック・ミネさん(平成3年にお亡くなりです)
![]() ゴールデン☆ベスト ディック・ミネ / ディック・ミネ |
が、予想もしない、凄く険しい表情で
「あなたは表面上きれいに歌っているだけで、全然魂がこもっていない!!」
と猛烈な歯に衣着せぬお説教をはじめる。
それが延々続くものだから、司会者も番組進行が滞り、大変な事態になっていく…… というのをテレビで私が見ている夢でした。
****
この夢は、まず素直に受け止めると、内なるディック・ミネさんという「守護霊」からの
「思い上がるなよ、『自我肥大』するなよ、おまえはまだまだだからな」
という警告のメセージとして、まずは謹んで受け止めました。
ディック・ミネさんというと、まさに酒と女と歌にまみれた人生を送った人で、世間の汚濁にまみれつつ生きていた人という印象があります。 でも、きっと、その歌手が「本物」かどうかを見抜く目は、すごく厳しい人だったんじゃないかと。
****
しかし、夢解釈は、ここまででは実はまだ道半ばまで来ていないんですね。 ここからが 「バイアス・コントール」 と呼ばれる部分です。
誰もが、自分の夢を解釈しようとする時、自分自身の日常について、自分が理解するのと同じようなスタイルで理解しようとします。
この例でいえば、自分に自信がない人だと、すぐに、ディック・ミネに吊るし上げを食らう「中年おばさん」の側にあっさり自分を「同一化(identify)」させて、
「自分はやはり見かけだけで中身がないということなのだ。本当はみんな私の中身のなさを見透かしているに違いない」
などと自己嫌悪し、「悪夢」を見たとしか受け止めないでしょう。
そこで、そういう自分自身への通常のものの見方の固着した「偏り(bias)」とは違ったアングルから夢を味わうための刺激剤としての示唆的教示のことを、「バイアス・コントロール」というのです。
ユングには、夢の中の登場人物、それどころか動植物から、家具や岩や壁などの「無生物」に至まで、すべてが自分の「影」、すなわち、すべて自分の分身、今の自分にはまだ実現されていない、自分でも自覚していない成長可能性すらもが現れていると考えます。
「影」というのは決してそれ自体としては邪悪な部分ではなく、その「影」と、その人の関わり方しだいで、その人の「内なる悪霊」にもなれば、その人を更に成長させる方向への「導き手」にもなります。
その意味で、「影」とどう付き合うかは、その人を善にも悪にも導く、大変に慎重かつ厳粛な別れめなんですが。
「自分の中に、夢の中の『ディック・ミネ』的な部分はあるか?」
……ある、ある、おおあり!!
周りの流れなんて考えないで、延々「辛口コメントはさむ」ところとか。 酒と女はともかく、煙草とコーヒーとチョコレートに目がなく、カラオケ好きなのは、私の知り合いはよく知っている。
「実は、ディック・ミネ的な部分が、『まだ足りない』とすれば?」
(爆)「そうかもしれないし、それだけではないかもしれない」(^^;;;;)
****
そして、次に、敢えて、 「なぜ、『瀬戸の花嫁』か」 にも探りを入れました。
自分の中に「小柳ルミ子」的なところがないか、もできそうだけど、これは略。
個人的には、
> 若いと誰もが 心配するけれど
の部分と、
> 男だったら 泣いたりせずに
> 父さん母さん 大事にしてね
の部分に、私の中の何かか「共振」しました。
今は、それを味わえば、十分です。
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「夢フォーカシング」についてはこちらを参照ください。
さて、スーパーバイズ論、後編。
私がやっていた、実際のケーススーパーバイズ(ケーススーパービジョン)の手法を公開してしまう、ということをこれからやってみます。
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幸いにして、というか、私にスーパーバイズを求めにこられた方は、若い方が多く、現場でのカウンセリングのケース量もまだそんなに多くない方が、多いです。そして、特定のケーズについて、せいぜい数回の面接の展開について助言を求められることが多い。
そこで、ここでは、そういう若いなりたてカウンセラーへの、クライエントさんとの面接回数がまだ少ない場合を前提に書いてみましょう。
ケースたくさんになると、ケーススーパーバイズや事例検討会のための、面接記録のまとめなおしそのものが、忙しい中、膨大な手間と労力がかかる作業になってしまうんですよね。
私はできればその種の「ケース提出者」になることはもうあまりやりたくないです(^^;)。
でも、まだ持ちケースが少ないうちに、特定の事例について細かくまとめなおし、検討する機会を持つことはたいへんな勉強になります。
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私は、基本的にはスーパーバイジー(助言を求めに来たカウンセラーさん)のニーズを伺い、それに沿った進め方を柔軟にとるつもりです、何なら、ケース記録のまとめなしで、口頭で、気になるケースについて思いつくままにお話になってもかまいません。
しかし、「スタイルは先生に任せます」と一任されたら、ケース記録を作って来れる方には、次のような要請をします。
1.クライエントさんの語ったことについてだけではなく、その時クライエントさんに、カウンセラーとしてのあなたがどう応答していたかも、要所要所でいいから、書いてきて欲しい。
.......よく、事例検討会や、学会の事例発表とかで、クライエントさんが言ったことばかりを延々と書き連ねて来る方が居ます。
あの~、カウンセラーとしての「あなた」は、「そこに-いた」わけでしょ? そして何らかの反応をしたわけでしょ? その結果としてクライエントさんの反応の展開がこうなった、という相互作用の過程全体を振り返る必要があると思うんですけど、といいたくなります。
中には、
「私はここでこのクライエントの治療者への負の『転移』感情について『解釈』した」
とだけ書いてあったりする。
あの~、その「転移感情の解釈」とやらを、どういうタイミングで、どういう言い方でしたんですか?
私は、面接場面全体が彷彿としてリアルに伝わってくるような事例提示が、「どんな流派でも」必要だと思っています。
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2.できれば、クライエントさんのやり取りのさなかにカウンセラー自身が感じていた漠然とした居心地や、色々な連想も、思い出せる範囲で書いてきてもらうと助かる。
(例えば、
「ここで私は、『しまった、動揺して、苦し紛れにこんなこと言ってる!』と感じていた」
とか、素朴な書き方で十分)
つまり、面接をしながらのカウンセラーの内面の「実況中継」も書いてきてもらうと助かるのです。
もちろん、それを訊いてみたくなったら、書いてきてもらってなくても、私は、スーパーバイズのその場で尋ねますが。
****
次に実際のスーパーバイズの場で、スーパーバイジーのカウンセラーさんと、私がどんなやり取りを進めているか、です。
1.適当な、あまり長くはならない区切りで止めて、
「ここまでの部分で、あなた自身、この面接の展開を、今、どう思う?」
これに対して、例えば、
「この部分で自分がこんな言い方をしなくてもよかったかなと思います」とスーパーバイジーさんが言うのなら、
「じゃあ、どういう言い方をすれば、もっとよかったと思う?」
「うーん......」
とスーパーバイジーさんが考え込み、ためらいがちに自分なりのアイディアを見つけ、語りだすのを私はじっと待っています。
私も、自分の中で、「どんなふうに対処するのがもっとよかったか」を探して、見つけようとしていくのですが、スーパーバイジーさんより先にそれを告げることはしません。
不思議ですが、こういう、沈黙しながら共に考え、感じてみる時間を、スーパーバイジーさんと共にすると、スーパーバイジーさんは、決して、というのに近い確率で、「どうにも頓珍漢な」改良案とかは言い出しません。
それどころか、私が自分で考えていたのとはまったく別のアングルから、私も感心するくらいの新鮮な改定案を提示してくることもすくなくありません。最悪でも、”2nd choice"というか、「次善」の策、あるいは「害のない」案を出してきます。
*****
3.次に、そのスーパーバイジーさんなりのアイデアとその長所を具体的に感想として述べ、それについて多少やり取りをした後で、まるでおまけのように、
「あなたのもいいけど、私なら、例えば、こう言葉を返したかも」
と、私の考えていた答えを伝えます。
そして、
「でも、私のの方がいい、という意味ではない。面接にはカウンセラーその人のあり方に応じたいろんな対処があるし、どんなカウンセラーでも、一回の面接で、すべて最良の応答なんてできてないから」
とか、言い添えます。
*****
4.こんなことを、例えば、
「この部分で、クライエントさんはどんな気持ちでいたんだろうね?」
「この部分で、もっとよく対応できたと感じるのはどの部分?」
「この部分で、あなたが結構うまく対応できたと感じるとすれば、どの部分?」
「この部分では、何が面接の展開の鍵だったと思う?」
みたいなバリエーションで繰り返します。
****
つまり、スーパーバイザーの私が「どうすればいいか」を教えるのではなく、可能な限り、スーパーバイジーのカウンセラーさん自身に、自分の面接を、丁寧に感じなおし、しかも自由な発想で振り返り、答えを見つけるように促すのです。
私はこれを
「スーパーバイジー・センタードのスーパーバイズ」
と呼んでいます。
このやり方は、そのカウンセラーの中に、早い段階から、
自分なりの「内なるスーパーバイザー」、
つまり、「カウンセラーとしての自分」と「クライエントさん」の面接の相互作用全体を「俯瞰」し、冷静に、しかし「両者」に思いやりをもちながら(!)見守る、「第3の目」を育成するための訓練のつもりです。
******
最後に一言。若い臨床家に。
どれだけ経験を積んでも、謙虚に学び続け、自ら率先して、新たな刺激を受け続ける謙虚さを持ち続けることははもちろん大事なことです。さもなけければ「一人よがりの」カウンセラーになってしまいます。
しかし、何がクライエントさんのためになるのかを、試行錯誤しながらでいいから、クライエントさんと共に感じ、考えられるカウンセラーを目指してください。
指導教授や、スーパーバイザーに「気に入られる」かどうかを、クライエントさんを大事にすることより優先する段階からは、脱していくことも重要です。
そうでないと、あなたのクライエントさんは、カウンセラーである「あなた」に「気にいられ」たい、という「呪縛」を超えられず、ほんとうの、その人なりの成長を、あなたは援助できないでしょうから。
さもないと、あなたはそのクライエントさんがカウンセラーになるためのモデルしか提供できないことになるでしょう。そんな「ネズミ講的構造」にはめさせることばかり多いカウンセラーにはならないでくださいね!!
「先生のように、カウンセラーを目指すことにしました」
とあまりに多くのクライエントさんに言わせ始めたら、あなたはプロじゃない。
「カウンセラーになりたい」なんて言い出すのは、100人に一人の変わり者でいいんですよ(^^)
更に続きの記事がこちらにあります。
地域のたいていの開業医は、待合室に十数人の患者さんが寿司詰め、お医者さんと話ができるのは数分間という状況で運営されています。
これは、精神神経科や心療内科でも同じことでして、
カウンセリングに来る方から「通っている病院では十分話を聞いてもらえないから、ここに着た」という話をよく聞きます。
実は、病院でのカウンセリングの「保険点数」はきわめて低く、それで2,30分も保険診療の枠内で一人の患者さんにかけていたら、病院の経営が成り立たないわけです。
仮に、そのクリニックが別にカウンセラーを雇っていても、実はカウンセラーを雇う経費という点だけからすれば赤字になるのを覚悟で雇っているところが多い。
******
そこで、日本では、現実的には、医療とカウンセリングが「別の場所」となる役割分担と相互の連携が必要なクライエントさんがたいへん多いはずということになります。
しかし、こうした「通院中のクライエントさんに、カウンセラーがどういうサポートができるか」という問題について、本当に徹底した議論がなされてきたとは私には思えません。
薬はお医者さんに任せ、カウンセリングするだけ、
大変になりすぎた時だけ、「お医者さんに『ゆだねて』しまう、
といったことが、まだかなり多い気がします
(ちょっと皮肉を込めたつもりですが....)
カウンセラーは、単に5分診療のお医者さんに話せないクライエントさんの、もっと話したい欲求を「埋め合わせる」ためにのみ機能すべきではないし、
かといって、反対に、単なる「カウンセリング」や「心理療法」をする存在にとどまってはならないと思います。
*****
敢えて結論から言います。
そのお医者さんとの「5分間」でクライエントさんが何をお医者さんに伝えると「効果的」かについての「コーチ」役、
ということがまだ忘れられてはいないでしょうか。
何しろ50分から1時間の話をクライエントさんから聞けるのです。一見主訴とは関係なさそうな話題をクライエントさんは山のように話しているはずです。
(いつも主訴に関わる話題だけになるクライエントさんとしか会っていないカウンセラーは、クライエントさんにひどく窮屈な思いをさせて、「カウンセラー中心療法」をしているのでは? と疑いたくなります。
そうした中で、クライエントさんは、カウンセラーがクライエントさんの「状況を俯瞰して」みる限り、もしそのことを医者が知らないままとすれば、あまりにもったいない、といいたくなる話を、なんともさりげなく始めたりします。
クライエントさんご本人も、それが自分の主訴の治療に関係ないとすら思っている場合の方が多い。
例えば、うつ状態の改善をめざして通院しつつもカウンセリングに通っている患者さんが、
「実は一緒に住んでる母が、今度入院して手術を受けることになったんです」
「実は親父がリストラで会社を首になったんです」
などという話を、何かのきっかけで話したとします。
「それ、あなたの会っているお医者さんに伝えた?」
というと、
たいてい「いいえ」といわれます。
回復期の欝の人に限らず、およそ通院が必要な水準まで心の問題を抱えている人は、それを支えている家族の他の誰か一人が家の中で機能しなくなるとか、「実家の」経済基盤に大きな変化が生じるというだけで、実は相当なストレス要因、あるいは「余裕の喪失」を抱え込むことになります。薬がそれに応じて変更されたとしても何もおかしくありません。
あるいは、精神症状と一見無関係な一見些細な身体症状の変化。
「風邪を引いて2日仕事を休みました」
「最近下痢が増えました」
とか。
私は、こうした時、よほど特別な場合を除いては、お医者さんに宛てて「○○クリニック ○○先生 御机下」に始まる「公式の『経過報告書』」を書いて、クライエントさんに持たせるということもしません。
「1.○○○があった
2.△△△になった
3.身体の調子が□□□だ
この三点だけは、「絶対」、今度お医者さんに会ったらお伝えするようにしてね。
私は医者じゃないから、確言できないけど、ひょっとしたら薬の処方とか、変わるかもよ」
念のために、それらを箇条書きにして「メモ用紙に」書いたものと、私の名刺一枚を、クライエントさんに渡して、
「お医者さんに渡してね。お医者さんが、私からもっと詳しい状況を聞きたければ、『いつでもお電話下さってかまいませんと、カウンセラーが言っていました』とも伝えてもらってもいいから」
ということまですることもありますが。
******
私は、特別な場合を除き、こうしたことをお医者さんに伝えることを、クライエントさん本人に委ねます。
カウンセラー自身が、クライエントさんの許可を受けた上だとしても、クライエントさんの「頭越しに」医療機関へと連絡を取るのは、ほんとうにこのままでは本人の心身に多大な悪影響が出る可能性が高い水準の「危機介入」が必要な場合と考えています。
もっとも、本人があまりに心細そうだったら
「あなたの了解の下に、お医者さんに電話を入れてもいいよ」
とも、わりとあっさり応じますが。
(もとより、カウンセリングのはじめに、通院していると知った時点で、「カウンセリングを始めたことは、お医者さんに伝えて欲しい」とは、名刺を渡して必ず言い添えています)
*******
こうしてお医者さんの「5分間診療」の密度を上げ、
「そうか、こんなことをお医者さんに伝えればいいんだ」
ということをクライエントさんに「身につけて」もらう為にも、
ほんとは、こんなふうな、
「コーチ役」、
カウンセラーにとって、大事な役割だと思ってます。
これは、そんなに高度な医学についての専門知識がカウンセラーになくても、できる筈のことです。
ちなみに、カウンセリングを始めてからお医者さんを紹介する時は、原則的にきちんとした『紹介状』を書きますよ。
(すでに信頼関係と過去の実績があり、紹介状なしでもそのクライエントさんに間違いのない対応をして下さる確信が私の中にある、ほんの2、3の開業医の方を除いては)
クライエントさん本人にも読んでもらい、納得してもらえる形でのものにします。
最近自分でもやっとはっきり気がついてきたのは、
「ひとつの対象にずっとのめりこむ」とエネルギーが容易に枯渇する、
という、当たり前のことです。
「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」
とは、スイスの宗教家、カール・ヒルティが「幸福論」第一巻の
「仕事の上手な仕方」という、「幸福論」の中でも、ドイツ語の教科書として使われるくらいに有名な文章の中でも語っていることでした。
ヒルティという人は、第一次世界大戦の直前に亡くなった、スイスを代表する法律家で、ハーグの国際司法裁判所の初代判事までやった「実務家」なんですが、キリスト教への信仰が深く、今日では宗教的著述家として名前を知られています。「眠られぬ夜のために」という、誰だったか、JーPOPのアルバムのタイトルにすらなった著作も有名。
そして、ヒルティも、基本的にはプロテスタンティズ厶の立場に立ちつつも、「神」との関係がひどくパーソナルです。
ヒルティがいう「神の声を聴く」というのは、 スピリチュアルなナチュラル・フォーカサーに近い人ではないかとも。この点は後で詳しく書きます。
「幸福論」、第2巻以降は宗教色が強いですけど、第1巻は、19世紀末のドイツ語圏の第一級の碩学が書いたエッセイとして、お勧めです。私は「三大幸福論」といわれるアラン、ラッセルと比較しても、文句なく一番好きなんです。
私は中学生の時に、岩波文庫を3冊まとめて自分で製本しなおして、繰り返し読んでいました。
ジェンドリン、そしてフォーカシングと出会うまで、私の「心の師」だった人です。
私が一見「守備範囲」がすごく広く見えるのは、ひとつには、根っからの歴史好きというのもありますが、実はヒルティがこの本の中でに繰り返し紹介してくれる、古代から近世までのヨーロッパ文化のエッセンスに、中学生という、むやみに早くから接したせいが大きいと思っています。
******
「宗教的著述家」と紹介したので、まるで隠者みたいな人をイメージされかねないですけど、正反対です。
19世紀の後半3分の2ぐらいを生きて、第一次世界大戦直前に亡くなった、スイスのベルン大学の国際法の教授にして国会議員、ついにはハーグに設立された国際仲裁裁判所の初代判事(というと、私の「浩一郎」という名前の由来である「なるちゃん」の奥さんの「おわちゃん」のお父さんの大先輩?!)、スイスを代表する法律の大家でした。
アプサントというお酒がある。このお酒、当時大流行して、印象派の絵の題材とかにもなっているけれども、中毒になると精神症状が生じて犯罪にも走るものが大量に出て社会問題になった。
このアプサントを生み出した国がスイス。そのスイスで1907年「アプサント禁酒法」が成立してから、国際的な規制が始まったそうだけど、この法律の制定に尽力した立役者が、当時国会議員をしていたヒルティらしい。
ヒルティは永世中立国スイスの国際法の大家として、どうすれば国際平和が保てるかにも尽力していた。要するにバートランド・ラッセルとかの先駆者でもある。だからこそハーグの裁判所の初代判事にもなることになる。
******
つまり、すごい「実務家」でむちゃくちゃに勤勉な人。一日10時間完全に規則的に働いた。75歳の祝賀会を大学が開こうとしたら「もっとも都合のよいのは朝の7時」と応えた逸話は当時有名だったらしい。
でも、古今東西の書物に通じた恐るべき読書家でもあった。もちろん最終的には聖書を何より大事にするんだけど、コーランでも中世の神秘思想家でもギリシァ・ローマの古典でも、当時「現代人」だったニーチェやドストエフスキーからマルクスの「資本論」まで何でもかんでも読んでいた、スイスの法曹界の「中井久夫」のような人である。
(私が中井先生の本をあっさり愛読した背景には、ヒルティという下地があったのだと思う)。
フロイトに間に合わなかったのが残念ではあるが、結構心理学的なエッセイも書いている。
そして、
「これから一度は労働者が支配階級となる時代が来ると期待して誤りない。しかし、彼らが他人の労働で利札を切る怠け者になってしまえば、結局滅びるより他ないであろう」
「たとえば福音書、コーラン(!!!)、『アンクル・トムの小屋』などは、『資本論』が読まれなくなっても読まれるであろう」
などという、完璧に時代を先取りした言葉も残している。
(いずれも「幸福論」第一巻より)。
******
では、ヒルティとジェンドリンをつなぐ接点は?
それは、ヒルティが、ヒンターコフが「スピリチュアリティとフォーカシング」でいうところの、
既成宗教の儀礼に従う"religiousness"よりも、
自分個人の体験としての"spirituality"
を徹底的に大事にする宗教観の持ち主だったからだろう、と今では思う。
この点では、同じスイスの、ほんの少しあとの世代、ユングにも似ているが、ヒルティは、まあ、ユングよりは、正統派信仰の枠を大事にします(私のユングへのシンパシーの背景も、やはりヒルティとの共通風土なのだろう)
例えば、次のような言葉:
「ひとは祈りに対する神の答えが聞こえなければならない。そのためには普通の『祈る人』たちよりもかなり鋭い耳を持ち、我欲の少ないことが重要である。答えを期待しもせず、また得られもしない祈りは、単なる無益な形式であって、やめても一向にさしつかえない」
「真の祈りは『ききいれられること』それ自身をのうちに含んでいるが、人間の心があらためて神にすっかり自己を委ねようとする意志行為である(中略)。そういう祈りは、地上の最も偉大な二つの力を、はじめから味方につけており、だからこそ実現の保障をそれ自身のうちに持つのである」
「神の実在のまことの証拠は(中略)、神の力がしばしばただ一瞬の間に、しかも永久にわたって、人間を解放しうることである。この場合、その人はそのことをひとつの出来事として、また、これまでしばしば試みながら無駄であった自己改善の決意とは全く異なるものとして、感ずる。このことに決して思い違いはおこらない」
これ、フォーカシングで言う「フェルトシフト」(身体感覚の変化を伴う真の「洞察」体験)と、あまりにも似ています。
(「幸福論」第3巻 最終章「より高きをめざして」 岩波文庫 草間平作訳より)
どうみても、ヒルティは実質的にフォーカシングを「していた」!!
ひょっとしたら、ジェンドリンのほうこそ、ヒルティで私が潜在的に学んでいたものに、具体的な方法という道を指し示してくれた「だけ」なのかもしれない。
*****
おまけで、おもいつくままに、ヒルティの箴言。
前も書いたように、昔、日本でもドイツ語のテキストとしてよく使われたという、「幸福論」第一巻の最初の章、「仕事の上手な仕方」より:
「仕事の対象を分散させ、一度にでなく、少しずつ、代わる代わるにやるのがいい」
「働きの喜びは、自分でよく考え、実際に経験することからしか生まれない」
「わがスイスの美しい谷々は病院ばかりになったが、この病院もやがては、この安らぎを知らぬ多数の人々のために一年中開業することになるであろう。彼らはここかしこに休息を求めて動き回るが、どこにもそれを見出さない……なぜなら、仕事の中に休息を求めないからだ」
「よく働くには、元気と感興がなくなったら、それ以上強いて働き続けないことが大切である」
「あすはひとりでにやってくる。そして、それと共に明日の力もまた来るのである」
そして、極めつけ!!
「本当の勤勉は、ただ休む暇もなく働き続けることではなくて、頭の中の原型を目に見える形に完全に表現しようという熱望をもって仕事に没頭することである」
「言葉にならない『何か』、その曖昧なモヤモヤを、少しずつ「自分の」言葉にしていく、という、
「フォーカシングの真髄」そのものである!!
【注】以下、2010年に書いた記事です。ここで書いたことは、すでに「現実そのまま」になってしまっていますが。
*****
やっと、常用漢字表に、「欝」の文字が入ったみたいですね。時代の趨勢を感じます。
ただ、最近、私が新たな環境に適応する中でつくづく思うようになったことを書きます。
*****
一時期、「アダルトチルドレン」という言葉がやたらと濫用され、どんどん拡大解釈され、いつしか「怪しげな」流行に過ぎなかったかのように使い捨てられた時代がありました。
同じようなことは、「PTSD(心的外傷後ストレス症候群)」についても、確かにPTSDという臨床病態は歴然と存在しますが、一般世間的には、「トラウマ(心的外傷)」という言葉の深刻度が正確に理解されたがどうか?
安易に使われ過ぎたり、逆に、ほんとうに深刻な場合のことを区別して理解することも正確に流通しない・・・という、混乱状態が実は延々と続いているような気もしてなりません。
そして、今は「新型うつ病」とか、そういう言葉も駆使されながらの、いわば「汎-気分障害」の時代のようにも感じています。
このへん、ほんとうは難しい。
欝って、「症状像」なのか? 「疾病概念」そのものなのか?
私は医師ではないので、あくまでも現状での個人的感想として書きますけど、そろそろ「欝」(広義の気分障害を含む)という概念と適用対象の広がりが限界に達する時期が来たんじゃないかという予感がし始めました。
*****
私の想像するに、今から数年後には、精神医学や臨床心理の世界は、「うつ」「気分障害」に代わって、「発達障害」という概念がものすごく幅広く使われる時代になっていると思います。
つまり、「汎-発達障害」の時代が来るということです。
私は発達障害の臨床的専門家としてのキャリアはありません。スクールカウンセラーとしての経験もなかったので、特別支援教育(学級)の現場を垣間見る機会もありませんでした。
以前にも書きましたが、私が大学で学生相談をしていた時代は、まだ、高機能発達障害の学生さんへの対応というのは「黎明期」のテーマであり、私も多少関わらせていただいた経験はあります。
そういう私が書くことですから、以下の内容、多少の(かなりの?)見当はずれがあってもどうかお許し下さい。
*****
ここからは、話を明快にするために、発達障害の中のひとつの診断分類である学習障害(LD)についてだけ書きます。
しかも、学習障害の「純粋型」とも言える人たちをモデルとして思考実験してみます。
以前もこのことは当ブログのこちらでお書きしましたが、他の点では全く普通のコミュニケーション能力や知的水準があるかに「一見」お見えの人が、学業というより、例えば、もっと身近で日常的な筈の計算能力という点だけ取り出すと、びっくりするほどお困りのまま、影ではたいへんな苦労を重ねて成人になられているケースは、確かに見られます。
「今から15分後」というのが何時何分か暗算では全然わからない。だから、絶対に大きめのアナログ時計を持ち歩いて、1分、2分と手で指さしながら勘定されるそうなんですね。
「学習障害」の当事者として、その極端な知的能力のアンバランスの現実について、テレビ出演・著作・講演活動もなさっている、笹森理恵さんのおっしゃっていたことですから、ここでここまでお明かしても何も問題ないかと思います。
(もっとも笹森さんご自身は、ADHD・LD・アスペルガーなど、まさに複合的な高機能「自閉症スペクトラム」、更にもろもろを一身に背負われ、いい専門家との出会いの中で、やっとのことで今のご生活が可能になり、今度はご自身が援助職の側に立とうと努力を重ねておられる方です。ウェブサイトはこちらです)。
そういう意味では、「勉強における努力と根性や、家庭や地域社会でのしつけや見習い、学校教育一般の問題」をまるっきり超えた次元での、生得的な「学習障害」っていうのは、歴然とこの世に存在する。
より浅い次元に翻訳すると、誰にだって能力の「偏り」はあり、得意科目と不得意科目の違いは、単なる努力や勉強の仕方の次元を超えて存在する。
もちろん、これからの時代、今度は、ではどの水準からかを「学習障害」とみるのかが、本当に「悩ましい」問題になると思います。
*****
そこで思うんですけど、
広い意味での高機能発達障害の皆様の中で「気分障害的」症状に苦しまれている方々はたくさんおられるようです。
その一方、「気分障害」の皆様の中で、私なりの命名ですが「軽度高機能学習障害」みたいな生育歴をお持ちの方も少なくないようです。
それを「しつけ不足」や「勉強嫌い」、「努力不足」の還元しようとすると、何か、説明仕切れないsomethingが残る。
「その当時の」養護学級・学校システムでは「受け皿」自体がなかった。ただし、その人の子供時代に「現在の」都市部並みの特別支援学級制度が存在したら、運命はひょっとすると異なっていたかもしれない・・・・・という、「ある世代より上」の人たち。
そういう、学力やその他の知的能力のかなりのデカラージュ(私が若い頃に学んだ言葉で、「さまざまな次元での発達因子相互間に相当なギャップやズレがひとりの間の中にあること。・・・・今現在、こういう場合に使う言葉かどうかは、私は発達心理学者ではないのでわかりません、誤用ならお許しを)を、それこそ「努力と根性」で乗り越えて生きて行こうとするうちに、限界に達して、その結果、うつ(気分障害)状態にはまる・・・みたいな人たちがいそうな気がしてきたのです。
******
私は、良きにつけ、悪しきにつけ、空想します。
数年後に、何かというと、精神疾患が、今度は「発達障害の潜在」の可能性から語られるのが「過剰になり」すらしまいかと。
もちろん、そうした中で、現在のうつ病(気分障害)の現場臨床のお医者様の中の良心的な先生方と同じように、「うつ傾向もある発達障害」と「発達障害も潜在しているかもしれないけと、基本にあるのはあくまで内因性の気分障害の波」という、デリケートな鑑別と処方の使い分けがおできになるお医者様が今後もずっとおられるであろうことを。
DSMも、バージョンがVI(6)あたりまで進んだら、ほんとうに別世界かもしれないなあ・・・とか。
DSMだけで、やはりすべてをカバーするのは、いろいろ限界があるのかなあ・・・とか。
*****
このことを考えさせていただけるそもそものきっかけになったのは、次の本でした。
スクールカウンセラーとしての経験もなく、特別支援教育(学級)と関与する経験もないままキャリアを積み上げた私に取って、いろいろな意味でインパクト満載の本でした。
新書ですが、発達障害最前線の現場児童精神科医の書いた、エッセンスが隙間ないくらいにビッチリと詰まった、非常に奥が深い本ではないか?というのが私の感想です。
ありがちな「ゲーム脳」論は微塵もなし。生まれ持った素質に対して「特別支援教育の専門家なら」何ができるか、薬物療法を含めた医療に何ができるか、ご家族のサポートとして何ができるか、進路や就職問題まで、理想と現実の狭間のギリギリの世界(!)を書いておられるように思えています。
私の世代の専門教育しか受けていない人間が、実際の今の特別支援学校教育の現場を臨床的に知らないまま、安易に「発達心理」と関連する教壇に立つ資格はもはや「ない」のではないか・・・・と「絶句」させられるくらいのものがありました。
何か、私がこれまで学会で発達障害についての研修会とかで学んだこととは「異次元」の世界に一気に吸い込まれる迫力を感じました。
本書のAmazomレビュー、例外的に星二つにとどめた「ロック」さんまで含めて、みっちりみんな目に通す価値があるように思います。
星二つの方も、本書を否定しているのでは決してない。むしろ本書を基本的に認めた上で「更に先まで進むための、ほんとうに最低限の入門書なんだ」という点を強調されているだけなのですね。
*****
【第2版 10/06/11】
なお、気分障害と発達障害のある種の輻輳性(?)みたいなものについては、以前からお読みしていたkyupin先生のサイトの一連の記事にもインスパイアされています。
最近のkyupin先生の記事、
●広汎性発達障害と心因反応(kyupinの日記 気が向けば更新 精神科医のブログ)
もご参照下さい。
この記事で取り上げられているのは、あくまでも旧来の「引きこもり」のある部分は間違いなく広汎性発達障害だったろう・・・という御趣旨であり、気分障害との関連付けではないのですが。
中島みゆきの「エレーン」の歌詞についてなんですが。
みゆきのアルバム「生きていてもいいですか」
に収録された、最後から2つ目の歌ですね。
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何度も読み返して味わうまで、
私はこの歌が「いたみ」の歌であること
をあまり意識していなかったです。
つまり「痛み」であるだけではなくて「悼み」の歌であることを。
アルバム「生きていてもいいですか」はLP時代から持っていたひとつだったのに。
ものすごい辛辣な風刺の効いた「キツネ狩りの歌」は私のお気に入りだったし、「蕎麦屋」
の「知ったかぶりの大相撲中継」が流れる中友人に呼び出されて蕎麦を食う中でのやりとりも好きだったし、最後の「異国」
の描き出すstrangerとしての痛みの驚くべき噴出ぶりには鳥肌が立ち、そう滅多に気軽にとても聴けないものを感じていたのに。
この「エレーン」の歌詞にも出てくる「生きていてもいいですか」という言葉を、ayuの"Loveppears" の"immature"
にはじめて出会い、
>僕らはきっと幸せになるために生まれて来たんだって
>思う日があってもいいんだよね
という歌詞を聴いたときに、ふと思い出しこそしたものの、この「エレーン」という歌が「悼み」の歌という、一番大事なことを聴き逃していたのを恥じ入りました。
***
そして、
> 行く先もなしにおまえがいつまでも
> 灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
> ひとつずつ のぞいている
という部分が、そのまま、
「次の歌」である
> 百年経っても私は死ねない
と歌う
「異国」につながっている、
「対(つい)になっている」歌なんだ
と気がついた時、私は、本当に、これまでにないくらいにみゆきの歌詞に「戦慄」しました。
「異国」がそれまで感じていたより更に数倍壮絶な歌に思えはじめた。
「エレーン」で、「この世に残された者」の視点にたち、
「異国」で「あの世にも行けない」魂の痛みにそのものに己れを重ね、同化を試みる!!
もっとストレートな表現をすれば、みゆきは、まずは「エレーン」で、その女の人を見送る人間の一人という立場からので曲を書き、
続いて今度は「異国」で「この世をさまよい続ける『幽霊』に「同一化」する視点で曲を書き、そこに自分の生きる痛みを重ねるという、逆方向のアプローチをしたのだ。
「だから」
このアルバム最後の2曲の前に、インストルメンタルの歌のない曲をはさみ、この2曲を「切り離した」のに違いない。
****
この女の人が、例えば酒とかで身を持ち崩した果てに病死したのか、自死なのかは描かれていない。
でも、
「自殺者が増えたら学校や会社の評判の上で困るから」
とか、
「自殺者を出すと治療者自身のナルシシズムが傷いてしまうから」
という次元でのものに実は突き動かされていることが少なくないかと思える
「自殺防止への取り組み」
とかが、何か「汚らわしい」もののようにも思われた。
***
そして、私は、カウンセラーという人種がいつの間にか発散しやすい、
「似非受容的な空気」
に常に不信の念を抱いている自分のことを思いました。
クライエントさん自身が心の底で感じている「痛み」をまるで真綿でくるんで「麻酔をかけてしまう」ような次元での「受容」の浅薄さを。
クライエントさん自身もすぐにはその痛みにもろに「直面」はできないかもしれない。
でも、他人がそれに単に「麻酔をかける」ような次元での「受容」や「共感的理解」しかしなければ、クライエントさんは「本当の自分」を無視されたとやはりどこかで感じるのではないか。
少なくとも、カウンセリングをはじめる中である種の「被害妄想性」を強めるような人は、実はそのカウンセラーの表面的な「わかったつもり」「理解したつもり」が生み出した「医源性」の被害妄想なのかもしれない。
必要なのは、「相手に理解されている」ということなのではない。
人は、相手が自分のことを「理解していない」とか、「冷たい、拒否的な態度を取られる」ことには、実は結構耐えられるのではないかと思う。
一見「受容的」態度の結果、「自分が自分でいられなくなること」にこそ、人は絶望するのではないか。
だから「ただ、そこにいる」だけの人物は必要なことがある。
ある意味では、自分の中の、相手への「共感できなさ」への敏感さ、そしてそういう「共感できない自分」をありのままにackowledgeできることの方が、相手に「共感しようとすること」より大事なのかもしれない。
相手を「理解できねばならない」というドグマに縛られているからこそ、相手を理解できないと動揺するのではないか。
ある意味で、その人を、より深く理解しようという方向へ導けるのは、その人自身だけであるし、それは、その人の「権利」ではあっても「義務」ではない。
その、その人自身が「自己理解を深める『権利』」を行使するための単なるお手伝い、それがフォーカシングのスキルを「人に伝える」ということなのではないか。
その人がほんとうにそういう「個体化」「個性化」の道をほんとうに歩き出し始めたとたんに、その人への「やさしい心遣い」をむしろ「撤収」し始めるような、そんなカウンセラーは、この世にはたくさんいる。クライエントが自分に取っての「いい子」でなくなると、リビドーの備給を取り下げてしまうのである。
*****
何かまとまりがつきませんでしたが、
「相手のことを理解できない、共感できない自分」を静かに認めてあげられるカウンセラーをめざしたい」、
と、思った次第。
これは、ひとつの「逆説」です。
> 君の心ががわかると たやすく誓える男に
> なぜ女はついていくのだろう そして泣くのだろう
この「女」をクライエントさんに、「男」を「カウンセラー」に置き換えてもいいかな。
「ポプラの枝にな」り、「ここにいるよ」だけでほんとうはいいことが少なくない。
でも、「ポプラの枝のように」のみ、人と「共にいる」のは、一番難しいことの一つかもしれない。
もとより、自戒を込めて。
***
今の今まで、やっと開封する気になった、みゆきお姉様の"歌姫 Live in L.A. "
と題された、ロサンゼルスでのスタジオ・ライヴのDVDをを堪能していました。
やっぱりこの迫力は半端じゃない。
ayuライヴでおなじみの、小林信吾さんがキーボードで出てますね。
この記事の続編がこちらにあります。
これは何人かのクライエントさんに話してみたことなのですが。
「わらしべ長者」という昔話がありますよね。 ある農夫が、観音様のお告げのままに、転んで最初にたまたま手にしたたわらしべをいじり回したりしているうちに、最初はそれをぶんぶん飛ぶあぶが小うるさいのであぶをわらにくくりつけ、振り回しているうちに、たまたま通りかかった牛車の子供がそれを欲しがり、それを○○と取り替えて..... .......などということを繰り返していくうちうに、大金持ちになる話しです。
******
カウンセリングには、これからの自分がどうすればいいのかを「捜し求めて」堂々巡りをした果てに相談に来られる方が少なくないのですが。
実は、人の人生の重大転機のかなりの部分は、自分から目標をたてて努力をしたり、他人に教えを請うてその通りにやってみた結果として「達成」されたものではなく、 ふとした偶然の巡り会わせで、何とはなしに手に取った本とか、たまたま言葉を交わした人との出会いとか、何となく行ってみたくなった無計画な旅での出会いとか、理性的に見るとそんなものにこだわってみても無意味で、ポイと投げ捨ててもいいとしか思えないものをなぜか「いじくりまわして」みるという、偶然の積み重ねとしか見えないものを積み上げる中で自然と定まってくることが多いように思います。
「捜し求めた挙句に、努力に努力を重ねてようやくたどり着く」、 というより、 「ものごとを無理のない成り行きに任せて、たまたま出会った」 ものの方から受けた恩恵の方が遥かに大きいです(^^;)
理性的になりすぎ、「これは無価値」と切り捨てないこと。
でも、興味が続かないならしばらく「放置」すること。
でも、そこから、その対象との、以前とは別の形での「再会」が、時を経て生じることもあるのかもしれない。
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もう一度、この昔話そのものに立ち返って、私なりの、「こうも解釈できる」というあたりを述べてみようかと思います。
ころんだ偶然に手にしたわらしべを、ないがしろにせずに、「いじくりまわして」いるうちに、これまたたまたま回りを飛んでいてうざったかったあぶをく繰りつけて振り回し、それを牛車に乗った子どもが欲しがり、みかんと交換して.....と。
ある意味で成り行き任せを重ねて行くうちに、本人も思いもよらなかった長者になりわけです。 前回までは、その「偶然の積み重ねの、成り行きに身を任せる」態度を、目標を目指して効率優先で脇目も振らずにがんばっては挫折するパターンを持つ人間に欠けた「何か」を示唆しているのではないかという観点から見ていったわけです。 今回は、この主人公の別の側面から光を当ててみます。
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観音様のお告げは「まず最初に手にしたものを大事にせよ」というだけで、それをほしがる人とどんどん物々交換していけ」などとまではいっていない訳です。 文字通りに「大事にせよ」というだけなら、牛車の子供がそれを欲しがった時に、みかん3個とはとりかえないままにすることのほうが、観音様のお告げに従うことだったはず、とも解釈できます。
しかし、かれは、その段階で自分の「唯一の所有物」であるわらしべを、子供にくれてやる決断をした訳ですね。 その後も基本的に同じパターン。反物の時は3つの中でひとつだけで馬と交換して、残り 2つで装束を整えるという知恵を発揮してますけど、それを除くと、ともかくその時点での所有物すべてを相手に提供するという態度で基本的に一貫してます。
しかも、相手がその代償として提供するものを断りもしなければ、逆にそれでは足りないと駆け引きすることも一切ない。遠慮がないとも言えますが、「ありのままに」受け取るのみともいえます。何の計算も入ってないんですよね。 何の計算も入ってないまま、それを欲しいという人が現れた時、はじめてすべてを差し出す。
そしてその代価をありのままに受け止める。 ある意味で「欲がない」というか、「執着」というものがない。自分からは何ものかを欲しがろうともしない。 その点からすれば、実はこの主人公そのものが「仏様」の境地にあるとも言える気がします。
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この説話の時代背景を、勝手な思い込みで考えてみました。
この話、封建制度ががっちりと機能している、江戸時代以降に時代設定すると成り立たない面がある気がします。むしろそういう制度のたがが緩んでいる時代。 牛車というものがいつごろまで貴族階級に使われたのかわかりませんが、あえて時代設定すれば、応仁の乱の室町後期から戦国時代ではないかとも思えます。物々交換でばかり話が進むのは、貨幣というものの信用がまるでない時代と想定できます。
そして、最後に「戦に出向くために」馬と領地を交換する武士というのも、江戸時代の幕藩体制の元では考えにくい話で、「どこかの領主に自分を売り込み、戦いで手柄をたてて一気に成り上がろう」と考えていた、ごくごく小規模の領地しか持たない貧しい武士だったと想像できます。
主人公はその小さな領地に満足し、そこをまじめに耕す中から得られた利益で満足していた。幸い、領地争いの戦とも無縁な、地政学的にも地味な土地だったんでしょうね。だから「長者」といっても、ものすごいお金持ちではなくて、せいぜい村の庄屋さんとして土地を貸した小作農からの上納米をもとに取引できるぐらいの収入が得られたので、一般の百姓よりは1ランク羽振りがいい、それ以上の欲もなかったのだと思います。
恐らくこの時代、領主が誰かもはっきりせず、それこそ映画「七人の侍」のように、野盗や山賊まがいの支配者が、武力で兵糧や若い女を略奪し、一つ間違えば、丹誠込めたせっかくの田畑が戦場として踏み荒らされる、ある意味でまさに「わらにもすがって」いないと、明日の生活がどうなるかもわからない中で、土地に縛られずに、臨機応変に刻々と変わる現実を受け止めて生き延びた風来坊の中に、むしろ本人も予想していなかった「階級上昇」を果たした連中も、少ないながらもいたのだと思います。
*****
私たちは。今の現実が同じように明日も続くという前提に立って、今の経済や社会の継続を前提にした「長期的計画」のもとにやっていることが多すぎるのではないでしょうか。
このブログの読者の皆様はご存じのように、私は、浜崎あゆみと中島みゆきを別格的に「溺愛」しつつ、「ふたまたかけて」いる(^^)
こういう人は、決して例外的ではないとは思っている。.
....この2人の世代差はたいへん大きいにもかかわらず。
でも、私はこのブログで、軽率に二人の共通項や比較論をする気は全くない。
なぜなら、そんなことをしたら、ayu様とみゆきお姉様の目が怖いからである。
特に、ayu様のご機嫌を損ねるのがこあ~~~い......
だって、"1 LOVE"(
7th.アルバム"Secret"収録)
で、
> 前になんてならっていられない
.....と、歌っておいでですので.....
わ、私めは、
別にみゆきさんを見習え!!
なんて申し上げるつもりは、
毛頭、
毛頭、
ございません!!
ayu様は、
ayu様の信じるままの道をこそ、
お進みになることを!!m(_ _)m
........などという、 私の勝手な思いこみの世界は置いといて...../(^^;)/
*****
客観的に見ても、ayuとみゆきにはちゃんとひとつの接点があります。
それは、小林信吾氏という音楽スタッフを抜きに語れないということです。
ayuの場合には、アルバムでいうと、3rdの"duty"、正確にいうと、ライブでいう、
"ayumi hamasaki concert tour 2000 A 第2幕”から、5thの"Rainbow"を経て、ミニアルバム
”Memorial address”までの時期、ayuのいわゆる「我らがボス」、小林信吾氏は、いつもステージのバンドの中央のキーボードの席にでんと座っていました。
この、小林信吾さんが直接関与した時期を真ん中において、その前、その後と、都合3つの時期に分けてとらえると、ayuの音楽性の変化をとらえる上で、ひとつの指標になるように私は感じています。
ayuの場合には、一枚ごとの変化がたいへん激しいので、このことだけを大きく取り上げれば済むということはありませんし、それぞれの時期のayuとその音楽チームにそれぞれの魅力はあり、しかもその音楽チームの渦中でayuは変化し続けるので、ayuの歌に親しむ私としては、軽率にどの時期が「良い」という言い方だけは避けたいと感じていますが。
小林氏は、それ以降は、後進に道をゆずり、確か"teens"のカバーの際のピアノ担当を最後に表舞台には現れなくなりましたが、昨年(2006年)の
"(miss)understood"ツアーの最終日の楽屋には、小林さんは顔を出しているのがDVDにきちっと映っていますね(^^)。
スーパーバイザーとまではいえなくて、もう何も具体的アドバイスはしていないかもしれないけど、暖かく見守っている、というポジションなのだろうと想像します。
(後日記 07/01/18):
昨年大晦日の紅白での"JEWEL"では、ayuはバンドもダンサーも連れて来ていませんでした(控えめなシンセは録音では? あの後のカウントダウンライブが、ayuが最近ライブで歌わなかった曲と演出の再現であった以上、これは全く賢明な選択です)。
ひとり伴奏のピアノを弾いていたのが....小林さんみたいでしたね。HDレコーダーで改めて確認しました。こういう時は駆けつけるわけですね)
*****
さて、みゆきの場合には、小林さんは、瀬尾十三さんをプロデューサーに迎えて以降、バンドのキーボード担当としてしばしばクレジットされているばかりか、L.A.でのスタジオライブのDVDのキーボード担当者であり、そして、
「夜会 Vol.13 午後24時着 午前0時発」では、生演奏の大がかりなオーケストラ(....と、思わずいいたくなります)の指揮をしています)。
もともと、編曲者・キーボード担当者として、豊富なキャリアがある方のようですし、歌手のバックではないバンド活動もされているようですが、私とそんなに歳は離れていないお方で、結構、意外なアイドルやアニメ声優の歌にも関与された経歴があるみたいですね。
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もうひとつ、ayuとみゆきの音楽上の接点。小林信吾氏の他に、現在もayuとの接点があるのが、弦楽奏者のグループである、Gen Ittetsu Stringsという団体です。
ayuの最新アルバム"Secret"でも「不可欠」の重要な彩りを添えていますが、先述の、みゆきの「夜会 Vol.13 午後24時着 午前0時発」にも出演しています。
●相手に自分の気持ちについて話をしてもじっくりしてらった筈なのに、相手が、「話してすっきりした」という安堵感を感じている様子がない時。 「何か、話してしまったら、むしろ後味(あとあじ)が悪い感じでもあるのかしら?」
●一緒にいる人にくつろいだ様子が見られず、打ち解けた様子に欠けているかに思われた時。 「何か居心地が悪いの?」 「腰が据わらないの?」 「なじめないの?」
●その人の気持ちについてもっと深く感じてもらい、具体的に言葉にして欲しい時。
×......「どんな気持ちだった?」
×......「どんな感じだった?」
○......「どんな『心地(ここち)』だった?」
○......「その時の気持ち、もう少しじっくり味わいなおして、言葉にしてみることができるかも」
****
日本語の文法のひとつ特徴的な点は、英語であれば「目的語」であるはずの言葉を、「は」「が」という、「主語」として表現すること(ができること)が少なくないということです。
わかりやすい例をあげると、
「頭-が-痛い」
とはいっても、
「私-は-頭に-痛さ-を-感じている」 ("I feel some pain in my head.")
と言ったら、何か翻訳調で堅苦しい、不自然な言い方になっています。
これは、ちょっと広げると、 「雨-が-振る」 英語だと "It rains." ですよね。
さりげないことですが、 日本語では、 「頭-が-痛い」=「頭-が-痛い(-と-訴えている-ことに-私は-気づく)」 というふうに、体の部分部分が自己の「主体」として振舞うことを当たり前のように使う言葉の世界に生きています。
そして、それは今では「比喩」だと思われていますが、実は身体的な直接体験として文字通りに受け止めなおすと、生々しい実感を伴う言葉として体験しなおせます。
「胸-が-悪い」=「胸-が-嫌だ(-と-訴えている)」
「虫-が-好かない}=「(私-の-腹-の-中-に-棲(す)んで-いる)虫(-のようなもの)-が-「嫌だ」(-と-訴えて-いる)」
「腹-に-据えかねる」=「それ-を-腹-の-上-に-据えようとしても-腹-が-そうされるのを-嫌がる」
「腕-が-なる」.....ほんとうに、「指をポキポキ鳴らして」待ち構える人は一部でしょうが(^^;)。
(←わかる?)
中国語は、「主語」「動詞」「目的語」が明快なぶんだけ、実は欧米語に近いわけです。
*****
「フォーカシングでシフトを引き起こす言葉には『漢語」よりも『やまとことば』が多い」 これは、私が大学院に入った当時に、師の故・村瀬孝雄に進言して以来、師によって吹聴していただいた法則です。
このことは、実は体験的にはすごく当たり前の摂理なのに、はっきりと注目されることはありませんでした。
なぜなら、フォーカシングの英語の文献では、事例などの翻訳でも、これらの言葉はえてして「漢語」の「熟語」としてしか訳されない運命にあったからです。
そして、更に悲しいことに、心理用語の多くは「漢語」の「熟語」として翻訳される習慣がつきました。
おかげで、カウンセラーの頭脳は、「漢語」「音読み文化」に汚染され、感性の貧困とあたまでっかちと杓子定規な「パターン主義」に直面していると思います。
しかし、現実の臨床面接場面では、
「嫉妬」、
というより、
「妬(ねた)ましい」
、
「羨望」、
というより、
「羨(うらや)ましい」 、
「愛情」、
とよいうより、
「愛(いと)しい」、
「愛(いと)おしい」、
「退屈」、
というより、
「つまらない」、
「後悔」、
というより、
「悔(くや)しい」、
「口惜(くちお)しい」、
「脱錯覚(disillusion)」
「拠(よ)る辺(べ)ない」(=依存できる相手や場所がない=助けが得られないこと=”help-less-ness")
後者の言い方を面接の中で自然と言葉にできる人の方が、自分の気持ちに実感のレヴェルで深く触れながら話していることが多いわけですね。
私は面接初期から、そういう話し方の傾向が強いクライエントさんだと、それだけで安心します(^^)
これらのうちの前者の言い方は、仮に中国語そのものにそのままの熟語がなくても、少なくとも読みは、いわゆる「呉(ぐ)音)」か「漢音」に大半は遡れる「音読み」系列なわけです。
しかし、時代的に意味は変容しても、日本土着の身体的言語感性は、後者、「やまとことば」の系列の「訓読み」文化の中にこそ、現在も、多くの人にあると思います。
「訓読み」の世界の独特なところは、それは「万葉仮名」のように、漢字の音に「やまとことば」を単に当てたものではなく、むしろ逆に、その漢字の中国語の発音にはまったく存在しなかった音を、漢字の意味にあてはめて「意訳」したという点かと思います。おかげで、表意文字性を強く持つ漢字を細かく使い分けることによって、「やまとことば」は、更にデリケートなニュアンスを使い分けられる表現型になったわけですね。
たとえば、 「降る」 「経る」 「振る」 「古」い ......みんな 「ふる」 なわけです。 「生きて」 「活きて」 (いきて) も 同じようでいて、違う。
この前使った、 「住む」 「棲む」 では、同じ 「すむ」 でも、かなりニュアンス違いますよね。 自分の気持ちを言い表す時に、「熟語」を使うのではなくて、それをもう一度「やまとことば」に置き換えて「訓読み主体」で更に言い換える習慣をつけるだけでも、人とのコミュニケーションは深いものになる可能性は十分あると思います。
このブログでも、私のそうした「訓読み」=「やまとことば」用法への「言い換え」のこだわりは、実はあちこちで発揮されているわけです(^^)
*****
「愛している」
「好きだ」
というより、
「君のことを『愛(いと)おしく』感じるんだ」
の自然に口にできたら、告白の言葉としては「効く」かもしれない!!
「自己愛」
とかいうとネガティヴに響くけど、
「自分のことを『いとおしめる』か」
と言ってしまうと、あまり嫌な響きはないと思います。もっとも、実は、この場合に関しては実は前者は後者を全然できないが多いのですが。反対語に近い。
家庭用電源にも、「極性」というものがあります。わかりやすくいえば、プラグをどちら向きで差し込むかで音は変わります。
このテーマについては、実に多くのサイトで詳しく取り上げられています。
●特集 音場工房 電源の「ヘェ~」 | ジョーシン
●オーディオ・電源極性、アース管理
●音生命!2-1)交流電源の極性合わせ
●電源コンセントの極性合わせ(オーディオ)・その徒労と異常性を大公開!!
●ステレオの鳴らし方 初級編 電源をとろう 1 極性を合わせる
●電源の極性を合わせよう ~宅録モニター講座
●電源の極性について
●電源極性とOAタップ | OKWave
●A-1Drive Audio Tips-電源
・・・・等々。
これらのサイトで共通して言われているのは、
1.コンセントの左側の、右側より細長い方が「ホット側」の筈である。ただし、これは、家の施工の際に必ずしも適切に配線されているとは限らない。
2.そのため、検電ドライバー等でどちらがホット側であるかチェックした方がいい(発光ダイオードが光る側がホット)
このチェックをテーブルタップの極性まで皆チェックして、ホット側にマーキングをいれておくといいかと思います。
3.オーディオ機器の場合は、電源プラグに矢印が付いている側、白くコードが塗ってある側が「ホット」であるのでその向きに挿し込むこと。
4.しかし、コードに目印がついていない場合も多いので、それは実際に音を聴いて聴感で確認するしかない。もちろんコードの抜き差しの際には電源を切ること。一般に、極性があっている場合のほうが、音像の広がりと定位感がいいはずである(・・・・好みによる場合もあるが、一度慣れてくると、どのような音響機器でもどちらが適切な極性での音かどうか、シスコンやiPodオーディオのレヴェルでも耳だけで判断できるようになります)
5.できれば、こうした極性合わせを、オーディオやパソコン機器以外のすべての家電製品についてもチェックする方がいい。
******
次に、デジタル機器が敏感に反応する高周波ノイズの対策について。これは音質のみならず、AV機器の画質にも影響します。
ノイズフィルター付きの、あるいは配線の金属等を吟味した高価なテーブルタップもありますが(例えばオヤイデのこれ)、オヤイデ系で比較的安いものだと、
・・・・これは私が以前から使っているものです。
より安いものだと、
の評価がそこそこ高いようですが、オヤイデにはかなわないというレビューもあり。
しかし、こうしたテーブルタップの吟味と共に、安上がりで効果的なのは、フェライトコアをケーブルに噛ませる方法です。
パソコン機器のケーブルの途中に筒型の膨らんだ部分がある場合にはそこにすでにフェライトコアは内蔵されいています。
以前はオーディオテクニカに一般家電店でも普通に売っている商品があったのですが、どうも生産中止のようです。しかし、今でも同様の製品が販売されています。
![]() ノイズ対策198円!フェライトコアD(クランプタイプ) 対応ケーブル9-13φ(mm) 8DFB メール便対応 |
この種のフェライトコアを電源ケーブルばかりか、USB等すら含むすべての配線ケーブルに私はくっつけています。書斎に限定すれば、家電を含むすべてのケーブルにこのフェライトコアを噛ませるところまでやっています。
リビングの部屋のすべてのAV機器配線や、エアコンや冷蔵庫のような、持続的に運転される家電の電源ケーブルにもくっつけているくらいに徹底しています。20年以上前からこの種のフェライトコアは数十個ゴロゴロしていましたので。
一般的に言って、音も映像もノイズ感が減り、静寂の中から音が立ち上がり、分離の良い、くっきりとした透明な音になります。ボリウムを上げてもうるさく感じなくなる。iTunesに蓄えたファイルをパソコンスピーカで再生する際にも音の違いがわかります。
ちなみに私の使用スピーカーはBoseの旧製品ですが、今でいえば、
・・・・このクラスになります。しかし、クラシックのようなアコースティックなソースでも、全くデジデジしない、まろやかで透明な音になり、アナログLPレコードを聴いている気分にかなり肉薄していますし(弦の音がまるで違ってきます)、ロックやJ-pop等でも音の分離がはっきりして、細部まで鳴り渡るようになるかと思います。
音源は、USB外付けのSound Blaster SXを介して、24bit/96kHzまでハイビットサンプリング化しています(AV機器もこれをもう一台使ってデジタルテレビと光端子接続です)が、そうでなくても違いがわかるかと思います。
ただ、人によっては、度を越すと、今度は逆に、「音が詰まったように聴こえる」「音が柔らかすぎる」と感じる人も出てくるかもしれません。私は、その録音が持っているソースの音の良さから限界まで「むき出し」になるのが好みなのですが。
フェライトコアは少しずつ買い足し、より電源部に近い方、あるいはデジタルノイズを発信させやすい機器の電源コード側から噛ませて調節していくのが定石でしょう。
*****
なお、夜の方が昼より元の電源のノイズが多いのは歴然とした事実でして、こうしたノイズ対策をしてもはっきりとした昼夜の差がある(それでもしないよりはまし)というのは、シスコンでもわかる現実です(^^;)
【追伸】:ちなみに、Twitter友達から頂いた情報としては、次のような「蓄電池」だと実に綺麗なサインウェーブが出るそうです。ただし高価だし、当然「時間制限」あります。
さて、カウンセリングにおける受容・共感についての入門編であった前回の続きなんですが。
受容・共感していくつもりで話を聞いていくと、カウンセラーであるあなたは、必ずといっていいほど、途中で、ある葛藤と壁にぶつかります。
クライエントさんが、あなたが受容も共感もしにくいことを話し始めるわけです。
例えば、やや極端な例で言えば、
「死にたくて、その方法を色々考えているんですよ」
「実は、私は同姓のほうを好きで、性転換手術を真剣に考えてお金を貯めています」
なんてその典型です。
そこまで行かなくても、
「大学を辞めてしまいたい。この大学の人たちってちゃらちゃらしている奴が多い。あんな連中ばかりじゃ友達もできない。授業も退屈で。やはり第一志望だった大学に入りなおそうかと、仮面浪人を考えています」
なんて話を聴いていたら、あなたの中に、思わず
「どこの大学だって似たようなものだよ」
「友達ができないのは、あなたの受け身な性格のせいもあるのでは?」
「まじめな学生や、いい先生とまだめぐり合えてないだけだよ」
「友達が大学でできなくったって、バイト先とかでいい友達にめぐり合えればいいじゃないか。実際私はそうだったし」
「辞めることで高い入学金や授業料、アパート代とかを払ってくれた実家の親に申し訳ないと思わないのかしら」
などなどという、いろんな思いがあなたの中を駆け巡り、それが、 「クライエントさんの言うことは、まずは『受容・共感』して聴いてあげないと」 という、カウンセラーであるあなたの中のドグマ(「カウンセラー教」の、神聖にして犯さざるべき「絶対的教義」)と葛藤を起こし始めるかもしれません。
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こういう時、とりあえず無難な切り抜け方は、 カウンセラーとしても受容・共感しやすい切り口から、クライエントさんに更に詳しく話してもらう方向に促すことです。
「そんなに死にたくなるようにつらいんだ。そのつらさについてもっと話してくれる?」 「自分が男(女)であることへの違和感って、どういうあたりから感じ始めたの?」 「授業がつまらない、って、たとえばどんなふうに?」
こうやって、クライエントさんに事情や状況を更に詳しく話してもらうだけで、クライエントさんがそれまで語っていなかった、カウンセラーにとっても予想外の、受容・共感しやすいエピソードが語られ始めることも少なくありません。
*********
しかし。こうした「更に詳しく話を聴くこと」で、クライエントさんに共感しやすい接点が見つかる場合ばかりとは限りません。 聴けば聴くほど、いよいよ受容・共感「しにくい」話を繰り広げ始めるクライエントさんも沢山います!!
あるいは、前回の面接で、理解しあえる接点が見つかったと思ったら、次の面接ですべては振り出し、ということもあります。
例えば、今度は、自分がどのように死のうとしているかについての具体的な計画をいよいよ延々と具体的に話し始めるかもしれません。 カウンセラーとしてのあなたは、正直うんざりし、無力感すら感じながら、 それでも「負けてたまるか!」とばかりに、 (おいおい、あんたはクライエントさんと「勝ち負け」争ってるわけ?)「このクライエントさんを受容・共感してみせる!!」 という使命感に燃え、 表面上はニコッとした優しい顔で、 がんばって話を聴き続けるかもしれません(^^;)
あるいは、 「こういう『希死年慮』が強いクライエントさんは精神医療との連携を考えるべきである」 という方向に一気に考え出すかもしれません。 (半分皮肉なの、わかりますよね。もちろん、医療とつながることを提案することは大事ですが、それが「逃げの姿勢」とクライエントさんに受けとられないようにできるのはなかなか大変なことです)
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なにか、こういうあけすけな次元で、カウンセラーの葛藤をリアルに書いた文献ってあまりない気がしてきました。 書いている私自身、面白くなってきたので、当初と「予定変更」します。
わざと、少しずつ、長期連載にして小出しに書いていきましょう。 次回、請うご期待!!
さて、前回の、カウンセリング場面で、クライエントさんを受容・共感することと、カウンセラー自身が「自己一致」していることをどうやって両立させていくかについて、私がカウンセリングの現場で用いている技法について具体的に説明していきます。
まずは、「共感的理解」についての、私なりの入門講座からスタートします。
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私は、「共感」ということは、一般に考えられているより、はるかに精緻な事柄と思っています。
例えば、恋人に振られて「傷ついて」いる人がいるとして、その人に「共感的理解」を示すとは、とういうことを指しますか?
1.同情深げに、ともかく相手の話を「うん、うん」と聴いてあげることでしょうか?
なるほど、自分の意見を差し挟まずに、まずは相手に話したいだけ話させてあげること、それは「受容的傾聴」の基本です。
現実の友人関係とかでは、相手の話途中でさえぎって自分の意見を述べたり、
「あたしの場合はね~」
......とかいう調子で、「自分の」失恋談義に「すり替えて」しまう(^^;)とかが普通です。
カウンセラーは、まずはそういう聴き方を「超える」ことができねば「存在意義」はありません。
ただ、できれば、一方的に、「うん、うん」というだけで延々黙って聴いているのではなく、 時々、「クライエントさんの身になって」、自分の解釈や意見を差し挟まずに、クライエントさん自身が使ったキーワードはそのまま大事にしながら、要点だけでも「伝え返し」をして、カウンセラーの理解と、クライエントさんの伝えたいことにズレが出てきていないかを照合することは大事です。
今、「クライエントさんが使ったキーワードはそのまま大事にしながら」と書きました。
例えば、クライエントさんが 「悔しくて」 という言葉を使ったところについて、カウンセラーが不用意に、 「腹が立って」 と置き換えてしまうのは、実質的には無害なことも多いですが、時には、それだけでも、いつのまにかクライエントさんとの間に気持ちの溝ができてしまうこともあります。
ただし、こういう「言い換え」の微妙な危うさを、カウンセラーが体験的な実感として理解していないうちに、ただ「相手の言ったことをそのまま『鸚鵡返し』する」ようなことをドグマのようにカウンセラーの卵に教え込むのは、クライエントさんにカウンセラーが、非人間的な、ただの「鸚鵡返しロボット」のように感じさせてしまい、話を「聴いてもらっている」気がしない状態に陥らせる危険があります。
カウンセラーは、クライエントさんの気持ちに「触れようとする」という基本姿勢を失ってはならず、言葉の上での「理解」や「言葉の返し方」の技術講座になっては意味がありませんから。
この辺の勘所をつかむには、カウンセラーがフォーカシングをフォーカサーとして学ぶ経験を積み上げると、その「塩梅(あんばい)」が体験的に身につきます。
一言で言えば、カウンセラーがクライエントさんに同じ言葉で伝え返しをするのは、クライエントさんにその言い方で自分の実感にぴったりか照合してもらうためだけではなくて、カウンセラー自身が、自分の身体にそのクライエントさんの言葉を発声しながら「響かせる」ことによって、クライエントさんへの「感情移入的なフェルトセンス」をカウンセラーの中に「擬似的に」喚起するための手助けである、と私は考えています。
このことはたしかすでに「現代のエスプリ 治療者にとってのフォーカシング」のどこかで私は書きました。
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2.「共感的理解」とは、クライエントさんの失恋体験とカウンセラー自身の失恋体験と重ね合わせて、その傷つきを共有することでしょうか?
カウンセラーとクライエントさんの心は、パソコン同士がネットワークでつながっているようにつながっているわけではありませんので(^^;)、クライエントさんの感じている「傷つき」を、カウンセラーに「転送」するわけにはいきませんよね。
その意味では、カウンセラーは、クライエントさんの話の内容や話しぶり、声の調子、身体言語などから受け止められるものを、自分の想像力と感受性を総動員して、自分の過去の類似の体験の時に自分がどんな「感じ」になったかとも重ね合わせながら「擬似的に」追体験しようとするしかありません。
場合によっては、クライエントさんが振られるまでの、具体的なエピソードとか、その時その時の思いを、さらに詳しく話しをしてもらうように、クライエントさんに促さないと、カウンセラーは、十分なリアリティと臨場感のある形で、クライエントさんの失恋の傷つきを「追体験」して「感じ取ろうとする」ことはできないかもしれません。
しかし、忘れないでくださいね。
どこまで行っても、カウンセラーの「失恋体験」と、
クライエントさんの「失恋体験」は、別のものだということ。
私が、北山修先生の「あの素晴らしい愛をもう一度」を引き合いに出した、「黄金のトライアングル」で述べたように、
> 同じ花を見て 美しいといった二人の
感じていた「美しさ」すら、実は「同じ」体験ではないのかもしれない。 まして、あなたの「花(恋愛体験)」とその人の「花(恋愛体験)」は別々のものでしょう?
でも、カウンセラーがそのことを謙虚にわきまえながら、なおも、クライエントさんの失恋体験の話を共感的に傾聴し続けている時、クライエントさんの間に、ある独特の「絆」が生まれ始めることが多いのは確かです。
******
次回は、この、受容と・共感的理解が、できなくなって行く方向に追い詰められていく、現場カウンセラーの赤裸々な現実を暴露しましょう。
受容・共感の問題について、この前にお書きしたことの続きです。
特に、カール・ロジャーズのクライエント中心療法的なカウンセリングの教育を受けたカウンセラーの陥りがちなジレンマは、 クライエントさんを受容しよう、しようと「がんばる」 ばかりとなり、 クライエントさんを「受容できない」カウンセラーとしての自分を、まだ「未熟だ」と責め苛(さいな)む悪循環にはまりやすいことです。
これが、もともと、他の人の顔色を伺い、本音を出せず、自分の気持ちを押し殺して順応する傾向が強かった人がカウンセラー修行を始めた場合、どうにもならない行き詰まりを生み出すことがあります。
私は、 カウンセラーの、クライエントさんへの共感的理解とは、『努力』して『達成』するものではなく、 カウンセラー自身が、 ありのままの自分=ありのままの「世界」 に開かれていれば、『向こうから自然とやって来る』ものではないか と感じ始めています。
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このように言うと、少しカウンセリングを勉強した人だと、 「受容、共感だけではなくて、カウンセラーが「自己一致」していること、 つまり、自分の経験と感情に開かれた、自分に正直でいられることと両立しないとならない、 とは、ロジャーズが「治療の3要件」として述べている。 そのことでしょ?」 とお感じかもしれません。
なるほど、私は、これまで言い習わされてきた言い方で言うところの、 「カウンセラーの自己一致」 と「共感」「受容」のジレンマという問題について述べているつもりです。
では、現実のカウンセリング場面で、カウンセラーとしての「あなたにとって」、自己一致する、とは、どのようなことですか?
例えば、クライエントさんの語ることがあなたにとって不快なときに、
「あなたのそんな話を聴いていると嫌な気分になります」
と告げることですか?
それをやったら、今度は「受容」の方の条件が満たされなくなりますよね? 「自己開示」 という言葉が最近安易に使われる傾向がある気がします。
私は、この「自己開示」というこの言葉がうさんくさくて大嫌いだ、ただの美辞麗句に過ぎないと感じているあたりは、 「私のフォーカシング」第1部最終回でも書きました。
> 石が『自己開示』しますか?
> 空の星が『自己開示』しますか?
などという挑発的な言い方で。
ひとは「そこにーいる」というだけで、すでに自分の存在を世界に曝(さら)しています。
これは先日、心理臨床学会での青山学院大学の北村文昭先生の「カウンセリングにおける身体性」と題するご発表で、アフォーダンスと関連付けて述べられたことを会場で聞かせていただいた私が報告した時にも、北村先生自身のご発言からを引用したとおり、 「『非』言語的コミュニケーション」とは、ほんとうは「顛倒した」言い方であり、「身体性を持ってそこに存在し続けている」カウンセラーとクライエントさんが、まず先に「そこに-共にーある」。
ここからは私の感想も入りますが、カウンセラーとクライエントさんの「言語的相互作用」なんて、その身体性の上に「乗っかってる」やり取りに過ぎないわけですね。
敏感なクライエントさんは、カウンセラーの語る「意味内容」と、声の調子やそぶり、漂わせる雰囲気が「一致していない」ことを、何となく察知しているものです。
もとより、クライエントさんによっては、すごい、歪曲された形でそれを「意味づけ、カウンセラーの『本心』を決め付けてくる」ことも多いのですが、それはクライエントさんの生育暦や素質のせいばかりではなく、その火種は、必ずカウンセラー自身も、たいてい「見え透いた、形だけの、薄っぺらな受容」という形で蒔いています。
私は、クライエントさんが、えらく根の深い、ある種のボーダーライン性や妄想性を持つ場合は、「薄っぺらの」受容、あるいは「無理を重ねた」受容しかしなかった「歴代」カウンセラー、精神科医によって、「引き出され」、「増悪された」繰り返しの結果の可能性があると思います。
だから、私は、みゆきの「空と君のあいだに」を引き合いに出して、
> 君の心がわかると、たやすく誓える男(=カウンセラー)に
> なぜ女(=クライエントさん)はついていくのだろう、そして泣くのだろう
といいたくなるわけです。
*****
では、私の考える、実際の臨床現場での、真の「受容・共感」と「自己一致」との共存とは何か?
それについては、続編で論じます。
欝の人は、自分の未来を思い描く際に、「新しい未来」という方向ではなく、実はひたすら「過去の再現」を志向していることが少なくない、というお話です。
*****
欝になりかけの頃(こうした人は、「その頃がすでになりかけだったのだ」と、後になって、すでに欝が重くなり、生活や働くことに大きな支障が出始め、医者にはっきり「欝状態」と診断されて治療が始まっ時点で、はじめて徐々に認識できることが多いのですが)、努力と根気で切り抜けられると固く信じていた人が少なくないと思います。
もちろん、以前よりも無理を重ね、少しずつふんばりが効かなくなりつつことに心のどこかで不安を募らせ始めてもいるのですが、
「このままではいずれもっと働けなくなる危険もある。そうなる前に何とかしないと」
という方向で、「転ばぬ先の杖」として、無理にならないように自制したり、早いうちから治療に自分から足を運ぶことは少ないのですね。
周囲が心配しても、「大丈夫です」。
本人も、大丈夫なつもりでいる。少なくとも、大丈夫だと強く自分に言い聞かせているものです。
そして、更に無理を重ねた挙句、ほんとうに行き詰ったところで、はじめてそうした自分と直面するけれども、そういう自分をなかなか率直に身近な人に打ち明けない。
そういう人は、その段階でも、全くの孤独ということはなく、普段は、友人や家族や同僚たちと、一見打ち解けた、親しい関係を維持していることも多いのです。
しかし、肝心要の、自分の中に迫りつつある破滅への恐怖や、ものすごい焦りを、素直に周囲に告白しないままのことが多いのですね。
そうした挙句、自分だけで抱え込んでほんとうに絶望すると、いきなり自殺を考えたり、実行してしまったりすることも少なくないことになります。
そういう意味で、欝の深みにはまりつつある人は自分の「近未来」に「迫りくる、切迫しているはずの危機」に対しては、見かけ上、「奇妙なまでの楽観主義者」であるかのようだとも言えるのですね(あくまでも、ひとつの逆説です)。
「大丈夫、大丈夫」と自分に暗示をかけ続け、ほんとうにエンストを起こすまでは、ひたすらパワーを上げ続ける。
ある意味で、自分の心身の未来予測能力という点では、とても客観的とはいえない、ほとんど麻痺している状態にはまり込みがちです。
*****
そもそも、多少なりとも欝の素質がある人たちが、近代社会においては多数派を占めています。
つまり、実際に欝にならなくても、普段から
「近い将来に起こる可能性がある大破局」
に対する危機感を抱きにくく、多少それが脳裏を掠めても、すぐにそのことを意識から排除してしまう。 まさに、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」ですね。
「昨日と同じように今日があり、
今日と同じように明日は続くだろう」
....という、
まったりとした日常の繰り返しに対する、奇妙なまでの信頼感を支えに生きています。 要するに「立ち直りが早く」て、くよくよしない。
多少何かがうまくいかなくても、そのことがむやみと後を引くことはなく、すぐに立ち直り、 「明日は大丈夫だろう」 「明日には挽回できる」 という、大いなる日常への期待と信頼をもって、あまりぐらつき過ずに生きていくのです。
これは、基本的に平穏な日々が続く限り、社会を安定して維持する上では、むしろ、小さな行き詰まりから容易にリバウンド(立ち直り)ができるという意味で、そうした人たちが多数派を占めることは、ふさわしい、適応的なあり方ということになります。
その代わり、将来に生じうる大変化を前々から察知し、先回りして予防したり、対策を立てて実現するとう点では、アンテナが鈍い。
そうやって先の見通しを失って、悪あがきを重ねた挙句、心身の疲労でどうにもやれなくなった現実に直面してはじめて、もはや「後の祭り」だ、単なる「建て直し」は不可能ということを、かろうじて徐々に受け入れ始めることができるともいえます。
バブル崩壊やら、グローバル化の流れの中での、日本の政治・経済の後手後手の対応を見ていると、なるほど、「徐々に追い詰められて、従来のやり方が通用しなくなってきているのは目に見えているのに、未来に向けて先手を打つことがなかなかできない」という点で、うつ病に実際に落ちいって行く個々の人たちと同じようなことが国全体のレヴェルで進行している気もします。
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ある意味で、欝傾向のある人は、「建設的に未来を切り開く」というのが、苦手なんです。
先例に倣って、社会の中で、ある段階まで十分役割を果たせる状態まで到達すると、そうやって到達した「調子のいいときの水準」を維持すること、そして、多少の波があっても、以前の「調子がいい時」の状態を「取り戻す」ことを何より目指します。
ある年が不作でも、翌年に取り戻せばいいさ、ということですね。
欝的な人にとっての「未来」というのは、
得てして、
「過去にすでに経験した、
調子のいい時を再び回復する(維持する)」
ということでしかないのです。
つまり「新しい未来」なるものを構想し、予測し、実現する力に乏しい。
******
.....からだの病気を含めて、およそ病気からの「回復」というものを、「以前のように健康に戻れる」ことととらえるのは、一見当たり前のことでしょう。
しかし、
ことカウンセリングの領域では、
必ずしもこうしたとらえ方はメジャーではありません。
単なる「回復」ではなく、
「変化」し、「成長」して行けた時に
成果が上がったという発想の方がむしろ主流でしょう。
単に以前に戻ることを理想とする、と発想しない。
心理療法の先駆者、フロイト自身、さまざまな症状が治まるのには、その人の中で、まだ未成熟なままだった部分が成長し、自我に統合されるという、「それまでになかったその人の成長」が生じた時だということを発見したわけです。
*****
ところが、この点で、「うつ病的」な人、そして、いろいろなストレスが身体の素質的に弱い部分に噴き出した「心身症」傾向の強い人は、「新しい自分に成長する」というイメージをリアルに描けない場合も少なくないのですね。
(ある観点からすると、うつ病とは、ストレスが、もっぱら中枢神経(脳や神経系)に「身体症状」が出た心身症のようなものともいえます)
「以前と同じように働けるようになれば」
あるいは、
「今回は欝に陥ったが、
回復したら、
今度は同じように頑張っても『欝(心身症)』にならない、
より強い人間に成長したい」
と、更に「超人化」することを期待することが多い。
つまり、
「病気になるまでの過去の自分のあり方そのものは全肯定」
という点ではすごく頑固な方が少なくない気がします。
「これを機会に新たな人生へと進んでください」 などといわれても、内心では、 「ごもっとも。でもちょっときれいごとの言い方だな」 と感じておられることも少なくないかと思います(^^)
「変化しろ??? あのさあ、これまでの自分の人生を否定して生まれ変われっていうの?、何とも偉そうなご宣託だね」
控えめな方でも、
「そんなこと言われたって、これまでやってきた生き方(働き方)以外に、私がどうやって生きて行けるしょう? もう青年時代に戻れるわけではないし、今更やり直せといわれても無理だよ」
......このへんが本音でしょう。
これは、実は「欝をきっかけに新たな人生の再出発」みたいな言葉をカウンセラーや精神科医から安易に投げつけられた皆様の、実は当然のお気持ちではないかと、今の私は思うようになりました。
自分の生き方の変化や心の変化を、他人に押し付けられることに反発するというのは、ある意味で健康な心情だ、という前提に、われわれカウンセラーも、謙虚に立ち返らなければならない気がします。
*****
そうした一方で、世の中には、、これまでの自分、今の自分に耐えられないことにこそ悩んでいる皆様もたくさんおられるでしょう。
別な自分、理想の自分に成長することこそが目標、でも、それをうまくやれないことに悩んでいる皆様です。
こうした人たちは、これからの自分に不安を感じたり、このままの自分では駄目になるという予感を、むしろ強烈に実感しています。その意味では、欝傾向の人とは正反対に、「未来」に本当の自分はあると感じる傾向が強いわけですね。
自分は、まだ人生の真の「祭り」に到達していない、いつまでたっても「祭りの前」にしかいられないと感じているわけです。
そして、自分の人生にも「祭り」の時が訪れるかどうか、という無力感と焦りの中でこそ「落ちこむ」わけです。
これは、いわゆる欝傾向の典型の人の陥る「うつ状態」と、(似た面もありますけど)かなり違った性質のものでもあります。
恐らく、未来への「焦り」と不安が空回りして、不器用な形で挑戦しては失敗を繰り返してみたり、本当に現実に可能な自分を変えていくやり方を地道に、あるいは、自分に可能なペースをつかんで腰をすえてしぶとく経験値を上げることができないのでしょう。
.....しかし。
実はこうした皆様の中にも、実はその、つらいはずの現状を変えていくことへの、単なる変化への不安にとどまらない、「今のままでいたい」という心情、それどころか「あの日に帰りたい」という思いが隠れていることも少なくない気がします。
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さて、あなたは、もっぱら「以前のように順調に」と願う「祭りの後」形人間でしょうか?
それとも、
もっぱら「自分の未来にこそ希望を賭けつつも実現できないまま」であることに苦しんでいる「祭りの前」人間でしょうか?
それとも、「いや、私の中には両方の面があるな」とお感じでしょうか?
皆様が、自分の悩みの性質、特に、一見「落ち込んだ」状態、欝っぽいかに感じられる状態がどんな性質ものかを見つめなおしてご覧になる上で、ささやかなヒントになれば幸いです。
【追記】:この、「祭りの前」「祭りの後」というのは、精神科医の木村敏先生が提唱されたもので、木村先生の後輩にあたる中井久夫先生の著作にもずいぶん出てきます。それを参考に、私なりにかみ砕いて書いてみたつもりです。
さて、薬物療法に対する不安というのにはいくつかの次元がある気がします。
1.自分の感情や意識を、薬の力で別次元のものに「変えられて」しまうという不安
2.身体的・精神的副作用への不安
3.仮に薬で心身のいいバランスが得られたとしても、薬を飲まなかったらそうは行かないのだから、薬をやめられるまでの自分はほんとうには健康だといえないのだという思い。
しかし、次のようにとらえたらいかがでしょう?
薬というものを、自分の無理が利かなくしてくれるもの、休息をじっくりとらせてくれるための大事な「サポーター」、「相棒」だと思えたら?
もっとも、その薬が自分の心身に「合っている」手応えが」ある限り・・・でしょうが。
これが、純粋に「身体の病」だと、多くに人には何の偏見もないわけです。
例えば、慢性の生活習慣病や心臓病で薬をもらっている人は、薬を自分が全く飲まないで済む状態が来ることをあまり期待しないだろうと思います。
以前ほどの無理はできないかもしれないけど、薬の力を借りれば自分のおおかれた状況の中でまずまず力を発揮できるとしたら、それはそれで「サイボーグ」として、多少の不自由さを感じながらも生きていくのでいいのではないかと思っています。
「眼鏡をかけて」生きることや、緑内障の治療のために人工水晶体入れてしまうことは、すでに自分の身体を「サイボーグ」化する第一歩とも言えるかと思います。
なお、ここでいう「サイボーグ」とは、通常の人間には不可能な超人になること、という意味では使っていません。生身の身体機能の一部を人工的なものによって置き換えたり、補完したりしている存在、というぐらいの意味です(wikipedia参照)。
すでにかなりの昔から、人類におけるサイボーグ化の普及は、義足や眼鏡という形ですでにかなりの水準で進行しているという見方もできるかと思います。それなら、向精神薬ですらそのような「人工的な補助ツール」にたとえてもいいのではないかという、拡張した発想に立ってみたのです。
そのような意味で「サイボーグ」化してしか生活を送れないことを、完璧に健康ではないとは誰も思わないでしょう?
「ホールボディ・フォーカシングの臨床適用についての現段階でのとりあえずの私見」、 その2です。
*****
自分ひとりだけで、もの思う(reverie)ことと、 目の前に他者がいて、思っていること、感じていることを話すことの間には、雲泥の差があります。
そこに他者がいても、自分の世界に没頭できることとなると、さらにすごいことです。
母親が炊事洗濯をしている背後で、母親の存在を忘れて、おもちゃ遊びの中で、自分の空想の世界に浸っていられる子供でいられような状態ですね。
これを、
イギリスの精神分析家、
ウィニコットは、
「ひとりでいられる能力(ability to be alone)」
と呼びます。
(↑ここで掲げた本に、そのものズバリ、このタイトルの論文が収録されています。精神分析系に限らず、カウンセラー必読の本のひとつかな)
これは決して「自閉」ではなく、 母親という「環境」に対する基本的な安全感と信頼があってできることです。
****
さて、カウンセリングは、たいてい椅子に座ってなされています。 カウンセラーとクライエントさんの椅子の配置として、 「一番無難な角度は90度」 ということは誰が言い出したか忘れました。
これだと、それぞれが真正面を向けば、視線をそらさなくても、相手と視線を交わさなくて済むし、 逆に、相手と「距離を詰めて」話し込もうとすれば、お互いちょっとだけ内側を向けばいいわけですね。 (どうかデートの時にもご活用を)
もちろん、90度でも、2つの椅子が近すぎると、相手に不安を与えるでしょう(^^) 間に小さめの、背の低いテーブルがあるといいかも。 背もたれや肘掛けも、ある程度しっかりしたものがあるといいでしょう、
****
なぜこんなことを前フリとして長々と書くのか? それは、ホールボディ・フォーカシングを1対1でやる場合、ガイド役とフォーカサーは、1メートル前後離れて向かい合わせに「立って」いることが基本形みたいだからです。
これって、特に日本人にとっては、かなり非-日常的な、他者との対峙のしかたでしょう。 本気でけんかするか、愛の告白をするか、とか(^^;)
*****
もちろん、フォーカサーが望むなら、180度正対でなくてもいいとは思いますが、両者が立っているという基本は崩せないと思います。
なぜなら、ガイド役の人も、「立っている」フォーカサーの人の「身になって」、自分の身体の感覚を「通して」、フォーカサーが感じていることを受け止め、言葉を返す必要があるからです。 そして、実はこうしてガイド役も立ってくれているということが、 フォーカサーの「環境」を形成する、場の「守(まも)り」の「枠組み」でもあることは、ある程度体験されると、感じられることも少なくないかと思います。
*****
中には、ガイドの「前に立って」、内面に注意を向けることそのものが、どうにも苦痛という人もあるでしょう。 そういう場合には、 「身体のすみずみの感じに、じっくり聴いてあげましょう。『どういう向きや、どういう姿勢をとりたがっているのかな?...と」 などとガイドは声をかけるかもしれませんね。
この際に、フォーカサーの身体の内側の感じのベクトルが求めている方向に、少しずつ姿勢や向きやポーズが変わりたがっているのを、少しずつ自分に「許していく」というスタンスを取ってもらえるように導ければいいでしょう。
そして、フォーカサー自身の「身体が」、 「こういう感じでとりあえずOK」 という反応を返してくれたところで、そのまましばらくその姿勢で内側から味わってもらう。 それは、たとえば、ほんの少しだけ身体の重心を後ろ寄りにする程度でいい場合すらあります。
****
実は、ある程度通常のフォーカシングに慣れた人ですら、これだけで、思いもよらないことが自分の内面と身体の感じに生じはじめることに驚く場合もあるはずです。
******
ホールボディ・フォーカシングでは、この後、自分の肩の高さに手を挙げるまで、体の感じに聞きながら、それこそ数ミリ単位で徐々に腕を上げていくワークをします。
すると、その過程で、身体が、実にとんでもない、曲がりくねった姿勢を取ることを求めてくることがあるのですね。この醍醐味はやってみて初めてわかります。
*****
さらに言えば、自分のフェルトセンスにぴったりのものを見つける際、言葉やイメージではなく、「身体のポーズでも良い」ということは、実はジェンドリンが、早くから指摘していることです。
以上、ごく入門的なことを書きました。
カナダのトロント在住のフォーカシング・トレーナー、ケビン・マケベニュ氏が、フォーカシングとアレクサンダー・テクニックの融合として開発したのが、「ホールボディ・フォーカシング」です。
ホールボディ・フォーカシングをワークショップ等のワークとして進めるにあたっての最初の教示としては、 ますは集団の参加者に向かって(どうも円陣を組む形が無難のようです)、経験豊富な「ガイド」の人が、 みんな立ち上がった状態で、
「まずは、自分の身体全体が周囲の環境(大地)に支られているという感じをじっくり味わってみましょう」
という実習からはじめることが多いようです。
集団でやっている時には、何となく周りと同じように、身体を楽にして、内側に注意を向けて、何となく味わっていたら、 「あ、こんなあたりでいいのかな?」 と、場の雰囲気に支えられて味わえたような味わえなかったような(?)気分になれる皆さんが多いかと思います。
少なくとも、足の裏が、靴を通してでも床についてる感じを「足の裏で」感じることは無理なくできる方が多いでしょう。
そして、そうやって足から太もも、腰、おなか、背中、肩、首筋、頭というふうに徐々に身体内側の感覚に注意を少しずつ上げていくつもりで向けてみれば、それでけで、 実は人間が『立っている』ということが、それだけでどれだけすごいことかに 今更のように、実感を通してお気づきの方も少なくないかと思います。
いかに重力に逆らってバランスを維持するために、身体のあちこちの部分に「負荷」がかかっているか。 筋肉や内臓、関節や首筋など、身体のいろんな部分に、 普段は意識しなかったけど、 いざ実際に感じてみようとすれば、いろんな緊張や無理や痛みが、いろんな質感で、からだのあちこちに感じられていることに気がつける方が少なくないかと思います。
*****
極論すれば、まずはこのことを身体で実感することが、ほんの2,3分でもできて、 思わず「身体のあちこち」に向けて、 「『お前ら』、それぞれ結構しんどい思いして、『俺』を支えてくれとるんだな」 とか、 「でも、しっかりした床の上に『立ててる』時に、『床』はこんなに『私』に安心感を与えてくれているんだな」 とかを味わえるなら、 あなたはすでに、ホールボディ・フォーカシングをしていたのです。
このような、日常気がつかない内側の微細な感覚への気づきやすさという点で、ホールボディフォーカシングは、座ってやるのが普通の通常のフォーカシングに導入する場合よりも平易かなとすら思います。
座ったままで椅子と接する背中やお尻、膝や足元の感じを内側から感じるよりやりやすい場合が多いばかりか、 通常のフォーカシングの熟練者でも、 「座ったまま」の時とは全く異なった、予想もしない身体感覚に、 「立ったまま」味わうと気がつけることが多いかと思います。
*****
この件、次に、「ガイド役がフォーカサーの『正面に立っている』ことの意味」という観点から続きを書きます(^^)
「インシュレータ」とは、 オーディオ装置(アンプ/CDプレーヤ、アナログプレーヤ、スピーカなど)への外部からの振動よる影響を消すために挟み込む(とされることが多い)、金属製や木製、石製などの小さなアクセサリーです。
装置の足の下に挟むのがいい場合と、足そのものを交換する方がいい場合があるとされます。 大きく分けると、
○低反発ゴム(ソルボセインなど)を使う場合
○チタンなどの密度の高い金属を使う場合(特定周波数で「鳴き」(共振)が出ないように「切れ込み」に工夫したり、異種金属を張り合わせる場合もある)
○黒檀などの、密度の濃い木材を使う場合(特にスピーカ)
○金属か木材で、ピンポイントの接点(と受け皿)を使う場合
○空気か磁気反発で、「宙に浮かせる」場合
などがあります。
値段という点では、地震の時動かないため用の密着型の透明なゴムだと一組数百円、逆に高級素材を使った凝った製品だと、脚一つ分で数万円という、とんでもない世界に突入するわけです。
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しかし、はっきりいって、インシュレーターをどうするか、ということぐらい、お金の投資に引き合わない、果てしない泥沼が待っている世界はありません。
インシュレーターの素材そのものの固有の音質が必ず反映するからです。これは、素材がゴムだろうと金属だろうと木材だろうと変わりありません。
更に言えば、機器と、おかれている場所の間に「接点」が増えるわけです。ゴム系やエアクッション系、磁気反発系などだと、接点そのものが不明瞭になり,実は絶えずグラグラしていることになるわけですね。
最初から付属している製品を除き、インシュレーターなしで可能な限りいい音にできることが、オーディオの基本かと思います。
例えば、タンノイのプレステージ・シリーズのスピーカー(スターリングなど)は、スターリングに別売りの台があるのを除くと、床に直置きが基本です。
何しろ、DJ用ではない、家庭オーティオ用のアナログプレーヤーですら、海外のものだと、硬いゴム脚だけでインシュレーターなしのものがあります!!
REGA PLANAR3 それでハウリングを起こさない、そういう設計になっているんですね。ターンテーブルとピックアップを載せている土台の素材そのものが重くて分厚くて頑丈だから、特別なインシュレーターなしのこんな設計ができるんですね。
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だから、まずはオーディオセットを設置する場所を強固なものにする方が見返りが大きいでしょう。
オーディオ用を装ったオーティオラックの中には、実は羽目板の表面はきれいでも、実はベニヤの化粧板の中は空洞のうっぽんっぽんというのがあり(表面をたたけばわかる)、そういうのは論外です。
東急ハンズとかで売ってる、厚さ2センチないしそれ以上ある、中身がしっかり詰まった分厚くて重た〜い針葉樹の合板(最初から化粧板処理してあるのがあります)で、設計図は自分で引いて、適切なサイズにカットだけはしてもらい、電動ドリルでねじを硬く締めて、組み立てる方が、工具購入費込みでも結局安上がりで、使い勝手のいいものができる場合があります。DIY初挑戦としては、張り合いがあるチャレンジになるかもしれません(木材を本当に垂直・直角にカットするのはプロに任せた方がいいでしょう)。
なお、設計図を引く際は、
1. 実際に機器の寸法を測定して、特に奥行きと、個々の機器の上の空間(高さ)に5センチは余裕のある空間を取ること。
特にアンプなど放熱の激しい機器の上は隙間を多めに取り、風通しを良くすること。
2. どの面が切り口として露出するのかということを意識して板取りをして下さい。ハンズの針葉樹系の化粧板付き集成合板の場合には、あまり「板目の向き」というものは気にしなくてもいいと思います。ちなみにノコで露出した切り口にぴったり貼付けるテープ状の化粧板もどきもハンズなどでは売っています。
そして、ただ「ロ」の字や「日」の字、「目」の字の形に板を組み合わせるだけではななめの力に弱いので、裏板を、これも天板や側板や棚板、底板と同じ、分厚い材質の木材で補強して、横向きの開口部を持つ箱形に近い形にしてしまうこと(正面が「日」型とすれば、右側面から断面で観ると「ヨ」になるように裏板を付ける)をお勧めしますが。
ただ、配線の都合も考えてくださいね。中板の後ろにある程度何らかの隙間をとったり、裏板を2枚に分けて、スリット状に縦に隙間を確保するなどして、機器の裏側の配線を上下貫通してケーブルを通せる構造に設計する方が、わさわさ穴をくり抜くより手っ取り早いかと思います。
裏板のそれぞれについて、必ず2x2=4箇所のねじ止めをするのを忘れなければ、斜め方向への強度は保てます。
今も、昔の「技術・家庭科」にあたる実習は中学校で必須にあるのかしら? ないとすれば、いざという時、生き残るためにも困ると思いますが。 私は、大陸引き上げ・焼け跡世代の父親の、設計図も引かない、あまりに完璧なDIYを観て,手伝って育ったので、自分のことを不器用だと思っていたのに、いざ実習となると、周囲の生徒よりはしっかりしたものが作れてしまい、「5」をもらえるのに「こんなものでいいのかいな」と思った記憶があります。
自宅のオーディオラックも、既製品と自作のを組み合わせたものと知って、運送屋さんや、引っ越しの際に出入りする内装や電気関係の技師の人に感心されたりして。 ただ、ひとこと助言すれば、
1.電動ドリル(ねじ回し)は、トルク(まわす力)の強い、プロ用の、さまざまなサイズの穂先(?)をセットにした、凝った製品を買う方がいい(結構安いですよ)。充電式のものはトルクが弱いことが多いです。
2.ねじを電動ねじ回しでねじ込む前に、より口径の小さな細いドリルで「先進誘導坑」を先にあけておく方が失敗しにくい。
まちがっても、今時電動ねじ回しなしで工作など考えないで下さいね。時間と労力の損失以外の何者でもありませんから。
**** それでもインシュレータを試してみたい方のために。
東急ハンズで売ってる、黒檀の小さなブロックとかからお試しになるのがいいかと思います。
特に安上がりかつ効果明白なのは、
この種の円錐。
一個150〜180円!!
原則として装置側を平面側、床側をピンポイントにします。
絨毯ならこのままでたいていイケますが、床や台の化粧板を傷つけそうなら、床側におなじような材質の平面で1.5センチ厚ぐらいのブロックをおいて「受け皿」にすればいいでしょう。できれば「受け皿」なしに超したことはありませんが。
これで、上に合計50キロとかのむやみに重たいアンプとか載せない限りは、円錐が割れるということはないと思います。
スピーカーの下に3点支持ないし4点支持、これだけでも、音質に与える害は最小限で、シスコンでも「音像だけが見事に引き締まる」ことがあります。
*****
最後に、大事な話。
インシュレータは、機器の「外部からの」振動を遮断するためのものと思い込まれていますが、
機器の「内部の」トランスとかから発する振動で機器そのものがゆすられることによる電気回路への弊害を止めるという面が決定的な場合があります。
こうした場合には、例えば、
この製品のような、水晶や石英など、振動周波数が可聴帯域外にある素材をアンプのやCDプレーヤのインシュレータにする方が、音の静寂感などに大きな違いが出るとされています。
もっとも、ほんとうによくできたオーディオ機器なら、この種の「内部振動」の問題を最初からクリアーしているべきなのですが。 Linnの製品とかが、ソフト系の一見たよりない脚だけなのは、この「内部振動相殺」への配慮が行き届いているからです。
ケーススーパーバイスを受けているカウンセラーであるあなたが、ケーススーパーバイザーである先輩カウンセラーに「気にいられたい」と思い、「本当はスーパーバイザーの言うことに違和感や反感を感じている」のに、それを押し殺しているのだとすれば、
1.あなたのクライエントさんは、カウンセラーであるあなたに「気にいられたい」という呪縛を抜けられず、「本当はカウンセラーであるあなたの言うことに違和感や反感を感じている」のに、それを押し殺している可能性が高いと思います。
あるいは、
2.カウンセラーであるあなたは、クライエントさんに「気にいられたい」という呪縛を抜けられず、「本当はクライエントさんの言うことに違和感や反感を感じている」のに、それを押し殺している可能性が高いと思います。
*****
スーパーバイザーの先生に、
「先生の言ったとおりにクライエントさんに接しでも、たら、事態は相変わらずです」
述べた時の、スーパーバイザーの先生の反応が、
「そうか。ひょっとしたら、私たち二人は、クライエントさんの言ったことについて、まだまだ検討不足だったのかもしれない。だろう。こういう時、私たち二人が二人ともまだ『見落として』いることがあることが多いと思う。
あなたがまだここで語ってくれていない事柄の中に、重要な鍵があるのかもしれない。
これはあなたを責めているのではないよ。私(スーパーバイザー)がある仮説や感想を述べたものだから、その後、あなたが自然と口にしたかもしれないことを私が結果的に話せなくしたのかもしれないからね」
というのに近い反応をしてくれるか。
そういうタイプのスーパーバイザーに、若きカウンセラーの皆様が巡り会えることを。
以上、自戒を込めて。
「行動化(acting out)」とは、クライエントさんが、本来治療者との面接の関係「の中で」「内面を見つめながら」解決すべき事柄を、その「枠」を壊して行動して解決しようとすること全般を指します....という言い方をすると、たいていのカウンセラーの方と共通理解が得られるでしょう。
でも、実は結構曖昧な使い方がされている概念です。
例えば、カウンセラーに何も告げないまま他のカウンセラーに相談に行くこと、面接の予約時間を破ること、カウンセラーを異性として好きになり、無理矢理抱きついたり、カウンセラーの帰宅時に「あとをつけていく」などのストーカー行為に走ったり(この問題の深刻さは、あまり表立って議論されていない領域です)、オーバードーズやリストカットなどの自殺企図、「転移」の問題に直面した時、衝動的な性的逸脱行為や飲酒に走ることなど、みんな「行動化」=「よくないこと」とされています。
ですが、どうも、それらを「クライエントさん側の自我が弱いために引き起こされた、本来好ましくない、カウンセラーにとって迷惑な行動」と位置づけ、「行動化」を起こすクライエントさんはそれだけ病理が深く、手におえない「厄介な」クライエントさんだと位置づけるに留まることが多いのです。
しかし、それを言い出すのなら、カウンセラー自身がアルコール中毒といわれかねない深酒をしていたり、衝動的で不安定な異性関係を繰り返す癖があったりしたって、カウンセラーの「行動化」でしょ? と私ならいいたくなります。
クライエントさんが次々とカウンセラーや治療者を渡り歩くこと(セラピスト・ショッピング)が「行動化」というのなら、カウンセラーが次々といろんなカウンセラーにアドバイスを求め、面接の内容までぶちおまけて相談するのも、「ワークショップ・ショッピング」を重ねるのも、見事な「カウンセラーの」行動化ではありませんか!!
中井久夫先生が「看護のための精神医学」等で、クライエントさんのその種の「セラピスト・ショッピング」を「よくない事態」と考えることそのものに敢えて異議を唱え、
「そうやって、幾人もの治療者を渡り歩く中で、患者さんの病理は次第に『弱毒化』されていることが多い」
という画期的な発言をして、治療者としての自分は、そのクライエントさんの巡回する、たくさんある『寄港地』に一つに過ぎない、くらいのスタンスでいればいいかのごとく示唆しているわけです。
つまり、「クライエントさんが行動化を引き起こす責任をカウンセラー側の責任として『抱え込み』過ぎることにも警告を発しているわけですね。
ただ、今度は、この「行動化の傾向が強いクライエントさんとの面接過程」について、担当カウンセラーが他のスタッフやスーパーバイザーや上司に相談せず、「ケースを『抱え込む』のみになるのはよくない」ということ自体が「カウンセラー教」のドグマになっている。
中井先生が示唆しているのは、
「抱え込まずに事例検討会に出せ」
ということではなく、
「クライエントさんがあちこちの治療者を
渡り歩くのを適当に放置しておき、
舞い戻ってきたら、相手をするくらいの
スタンスでいいんだよ」
ということなのである!!
.....ってことは、セラピスト側が、いろんな流派のいろんなセミナーやワークショップ、スーパーバイザーを「渡り歩く」という「行動化」に走ることも、中井先生は許しておられるとみていいでしょう(^^;;;;;;)
ある観点から見れば、カウンセリングを受けようか迷っている一般の皆様が、 「問題を自分とその対人関係の当事者の間で解決できる『べき』なのに、カウンセラーのもとに通って、親兄弟や妻や恋人や上司や同僚のプライバシーまで暴露するのはよくないことではないか」 .....と悩み抜き、カウンセリングの門をたたくかたたかないかを、時には何年も躊躇し続ける一般の皆様の心情はきわめて健康的なものであり(!)、カウンセラーなんぞに相談することを、ここでいう「行動化」にあたると感じていても、全く当然なんですね!!
カウンセリングの開始とは、実は、クライエントさんの最初の「行動化」である、という視点に立てば、「行動化」というものへのカウンセラーの視点が柔軟になると思うのですが。
*****
ちなみに、中井久夫先生、河合隼雄先生、神田橋條治先生、ユングなどといった先達の諸先生方が、自分自身の事例の公表を、少なくとも中年期以降、全く控えておられることは、業界では有名ですよね。ほんとうは、これらの「大先生」でなくても、その治療者がある程度業界に名前が有名になり出したら、事例公表には慎重になるのが的確なのではないかと思います。 そして、実は「無名な」治療者でも、実は共通する問題を抱えているのではないかと。
クライエントさんご本人の許可を得たとか、終結後数年を経た事例であるかどうかなんて、実は全く表面的な「手続き」問題として処理されがちで、「カウンセラーの責任回避」にクライエントさんを「巻き込む」リスクを犯している面もあることへの配慮が欠けていることが少なくないのではないかとすら思いますよ。
一般に、何をはじめようとしても「億劫(おっくう)」な時というのは、まるで自分のエネルギーが「下がっている」状態と捉えられているかと思います。
私は、実は正反対の場合があると思うんですよね。
「億劫」になっている人のかなりの部分は、
実は自分が
「やりたいこと」
「やらねばならないこと」
が幾つもあるのを、
意外と自覚しているものです。
ただ、それらの優先順位がつけられないだけなのですね。
いわば、川の「淀み」のようなものです。
しかし、どんな川の「淀み」でも、必ずそうやって流れをせき止めている「何か」(他より硬い岩盤の地層とか)があるから、淀むのです。
そして「淀み」に出口のない川なんてありますか?
それこそ、イスラエルの「死海」みたいに、流入する河川があっても、水分の蒸発が上回り、とこにも海への出口がない川なんて、例外中の例外です。
古代から、人類には、
そういう「淀み」の原因になっている
「堰き止めている」地形の部分を発見し、
少人数ででも、「ほんの少し」さえ切り崩せば、
「そこ」から水が流れ出し、
あとはその流れ自身の浸食力で,
自然とそこから新たな川筋が
「生み出されるがままに任せる」
くらいの力はありました。
***** オランダの伝説として、次のようなものがあります(実話かもしれない)。
オランダの陸地の多くは、実は1000年以上にものぼるであろう歴史が生み出した人工的な干拓地で、海面の方が地上より水位が高い地域が国土の数十パーセントにおよぶことは有名ですよね。
首都のアムステルダムそのものが、13世紀に「アムステル」川に「ダム」を築いて作られた干拓地、というのは、ウソのような、ホントの話です!!(Wikipedia参照)
(もとより、川から運ばれてきた土砂による洪水などの反復で、0メートルより低い土地は徐々に数百年かけて「埋め立て」」られ、純粋の「海抜マイナス○メートル」の土地は、意外と今では少ないかもしれませんが)。
さて、そのオランダの干拓地の海べりの堤防で、一人の少年が、遊び半分に、堤防の土に、指を突っ込んで穴を開けた。
すると、指を抜いてみると、何とそこから海水が勢いよく噴出した!!
よほどそこの地盤が陸地側の堤防壁側まで緩んでいて、指で「あと一突き」すれば一気に亀裂が開いてしまうところだったのでしょう。
「このままではこの穴がどんどん大きくなって、
堤防が崩れる!!」
少年はあわててもう一度指を差し込み、「栓」をすると、大声を上げて助けを求める。
でも、干拓地の広々とした耕地に人影がない。
それで、少年は、確か発見されるまで1日ぐらいは指を突っ込んだまま耐え続けた。
この少年は、大人から非難されるどころか、干拓地の大水没を防いだ「英雄」として称えられた..
....という話だったと思います。
*****
心理学に「水路づけ(canalization)」という有名な概念がありますよね。
わかりやすくいうと、
人間の欲求というのは「はけ口」を求める。
そして、一度ある一定の「はけ口」をみつけると、
まるでそこから「侵食」が始まり、
川筋が形成されるようにして、
欲求をその「はけ口」を通してのみ
解消しようとするパターンにはまる。
もしその「はけ口」が閉ざされたら????
「運河(canal)」を掘るしかなくなるわけです!!
柔軟な人というのは、
いわばそういう「運河」を、
自分の中に「縦横に張り巡らし」て、
その時の(自然)状況に応じて、
たくさんの水門を開いたり閉じたりして、
流れのエネルギーを有効利用できる人です!!
*****
ものごとをやるのが「億劫な」人には、恐らく、川の水そのものが乏しい状態になっている場合も確かにあるでしょう。
(そういう人の場合には、逆に「河口堰」とか「ダム」を作り、川の水を「溜め込む」まで「時が満ちるのを待つ」技術の習得が必要かもしれません。人間にはエネルギーの「自然回復力」があります。
もっとも「干ばつの年」を何とかしのぎ切り、「翌年」まで待たねばならないこともあるし、水の無駄遣いをいわば強制的に押さえ込み、「休息を取らせる」ために、薬の処方がまずはふさわしいこともあります)
しかし、実はすでに、エネルギーの塊のような「水量の備蓄」がありそうな人が、「億劫さ」で悩んでいるケースが、意外と多いと思います。
そういう人は、面接の場でも、
何やらわけのわからんエネルギーを
本人が持て余しているだけ、
というのが、その人の、「エネルギッシュな」話しぶりや、非言語的な「切迫感(まさに、内側からの何かのものすごい圧力で、自分の心の壁が吹き飛びそうな感覚)」から伝わってくるのが、カウンセラーとしての私にも「感知」できるんです。
「もう、やる気が出なくて、困り果てています」 と「言葉の内容としては」物語るクライエントさんが、本当に「エネルギー枯渇」に悩んでいるのか、それとも、「ものすごいエネルギーや切迫感」が非言語的にはカウンセラーを圧倒している状態かを識別する「感度」をカウンセラーは磨かねばなりません。
1. 少なくとも,自発来談の場合、ほんとに、エネルギーが枯渇している人だとすれば、カウンセリングに通い、「やる気が出ない」と切々と訴える力がどこから出て来たのでしょうかね???
2. もちろん、カウンセリングルームや精神科に「身体を持ってくる」のがやっとという感じで、どう言葉をかけても憔悴して,「言葉数が非常に少ない」、でも「カウンセラーの顔色を気にして」緊張しているわけでもなさそうな人はいるかもしれません。この種の人は「何をするにも億劫なのか?」と問いかければ肯定しますが、私なら、カウンセリングを継続する前に、お医者さんに紹介状を書いてあげます。
3. あるいは、「カウンセラーの顔色を気にしている」ようすがないのに、何も話さず、緊張している雰囲気のクライエントさんもいるでしょう。しかし、この種の人は「億劫」という言葉を自分から使うことはまずあり得ないので、この記事の対象からは外され、別の理解をする必要があります)
カウンセラー側の、
この識別の「感度」が鈍いと、
たいてい、
カウンセラーの側が
いつの間にか
「この人に、どうしてあげたらいいんだろう」
という「焦り」と「切迫感」に
巻き込まれるわけです!!
ここで、まずはカウンセラーの側の、自分の中での「認知行動療法」(爆)が即席で必要になります。
「この人は、
エネルギーがないから、
『億劫』なのではなく、
エネルギーを持て余して、
それを「どこから」「どう」活用するかを
考え出すと、
頭の中で「悪循環の堂々巡り」
にはまって苦しんでいる人なのである」
・・・と。
このように捕らえるだけで、カウンセラーの中に、そのクライエントさんへの深い思いやりが生まれ、心の余裕が生じます。
ここから後は、それこそ「認知行動療法」でもいいし、
「系統的脱感作法」でもいいし、
増井武士先生の「こころの整理法」
でもいいし、
山上敏子先生流の、
一種の「シェイピング(形成化)」の宿題を
クライエントさんと共同で練り上げる
行動療法
(暴露反応妨害法)
でもいいでしょうね。
*****
最後に、我がフォーカシングのジェンドリンの「名言」をひとつ。
「(毛先のバラけてきた、使い古しの)ブラシを新しいものに取り替えるだけでも、そのひとの成長と変化のための小さなステップである」
「夢とフォーカシング」村山正治編訳 福村出版 訳書p.135。
第15章、16章全体もご参照下さい。
大好評をいただきました「『信』なき理解」ですが、
今度はこの問題を、
クライエントさんとカウンセラーの関係の問題から、
カウンセラー同士、
あるいは、看護や福祉、
地域精神保健等を含む、
広い意味での「援助職の人間どうし」や、
「私的な」人間関係
に拡張してみようかと思います。
***** 流派や個人差によってある程度違いがあるかとは思いますが、一般に援助職に携わる人間は、
「相手の話をまずは受容的に傾聴し、
相手を不要に傷つけないように応答する」
のが「習い症」になっています。
これを、クライエントさんとの関係を離れたら、即座にスイッチを切り替えて、相手に愚痴も言えば怒りもぶつける「普通の」人間関係に切り返られるものかとうか?
援助職に就く人というのは、
もともと他人の痛みに
我がことのように「同情」し易く、
普段の日常の人間関係でも、
周囲の人の相談相手としても、
「聴き役」になったり、
あるいは少なくとも、
家族や集団の中で、
相手に不平不満をいわないで
大人しく「いい子」として
従順に、
あるいは、
「甲斐々々(かいがい)しく」
ふるまったり、
自分を殺して「いじめられ役」
になっていた人
.......が、(すべてではないですけど)かなりのパーセンテージを占めていることは確かでしょう。
自分で自分の人生に悩んだり、 自分自身が、「救いがない(helplessness)」人生経験をした教訓を生かして、自分が、人を援助する仕事に就こうと思うようになった人たちが少なくないはずです。
*****
こういう人が、
相手のことを受容し、
傷つけない応対の仕方を、
更に「職業的訓練」として学んでしまうと
私生活での対人関係はどうなるか?
****
.......もう、目に見えていますよね。
場合によっては、前回書いた、クライエントさんとカウンセラーとの関係より悲惨な状況が待ち構えていることは。
何しろ、問題は、もはや、
1時間なら1時間の「『枠』のある面接構造」、
一日8時間の「勤務時間」
の外側での私生活の領域なんだから、
24時間営業、逃げ場がないのです。
*****
そして、援助者同士の人間関係というのも、職場の中であるか否かに関係なく、一つ間違うと、悲惨な側面を抱え込みます。
「この人はじっくり話を聞いてくれる」
からといって、
それが「相手の本心」からかどうか、
まるで信頼できない。
だって、
その話し相手は
「カウンセラー」
なんだもの!!
裏でどんな陰口を言われているか、
わかったものじゃない。
それどころか、
自分のいない席では、同僚たちは、
「あの人は『病気』だ」
という噂すら立っているのに、
普段は全くにこやかに、
「職業的仮面」をかぶって、
「私にも」、みんなぐるになって
「何ともないかのような」、
「しらばっくれた」
顔をしているのではないか????
.........こういうふうにカウンセラーひとりひとりが「お互いに」職場で同僚に「疑心暗鬼」の中で「腹の探り合い」ばかりしていたとしても、
それはその人個人の「被害妄想」ではなく、
そういう状況におかれたら、
誰でも陥る可能性がある
「集団心理的」な
異常な対人関係の場
であるからだということは、
一般の皆様にも、お察しいただけるかと思います。
******
この問題について、私が知る限り、唯一真正面から取り扱った名著をご紹介します。
グッゲンビュール=クレイグ著「心理療法の光と影 -援助的専門家の「力」-」
この方は、ユング派の重鎮のひとりですから、ユング派の用語が多く使われていますが、書かれている内容の「普遍性」に関しては、最低限のユング派用語を理解できる援助的専門家の方は、胸をえぐられる思いをなさるかもしれません。
スイスのユング研究所の研修生の間では「青本」と呼ばれる、必読の教科書の一つとのことです。
ここで展開される、
「傷ついた癒し手」
という元型をキーワードとする論述は、
援助職に就く者の内面の暗部(「影」)を
情け容赦なく抉り出すと同時に、
そうした「影」との戦い、克服の過程で
はじめて得られる癒しについて、
すべての「援助職」の人に
生きる勇気と希望の「光」となり、
「標(しるべ)の星」ともなる、
感動的な名著だと思います。
永らく再販されていなかったこの本の復活を私は心から喜んでいます。
「私の敬愛する本ベスト5」のひとつ。
私は、事例検討会や学会の事例研究発表で、自分の土俵にすぐに引きつける、「流派の他流試合」的なでのコメントの応酬、あまり好きではないのです。
私は,例えば知り合いの座長の先生から、
「フォーカシングの観点からみて、この事例をどう思われますか」
とコメントするように「振って」いただいても(私、それくらいには、そこそこ「フォーカシングの阿世賀」で、少なくとも大学学生相談や人間性心理学の「業界」に流通してます)場合ですら、まずは、発表者の方が使われた流派的・理論的枠組みを尊重したコメントでしか口火を切りません。
これこそ「フォーカシング的」態度です!!
「その人の実感にぴったりの言葉
(ロジャーズの言う
「内的照合枠(internal frame of reference)」
をまずは尊重する、
「リスナー」となること!!
特に日本心理臨床学会大会なんて、すべての流派のカウンセラーの皆さんが交流できる、
「日本中の各流派勢揃いの総合大博覧会」
であることこそが「魅力」なんだから、フロア(客席。アリーナ席(^^))の参加者にはいろんな流派の勉強をして来た人がいるはず。
そういう場面で、自分の流派の宣伝めいた発言に終始ずるのは了見が狭いと私は思うんですよね。
どの流派の方も接点をもてるような形でのカウンセリングのエッセンスの次元でのディズカッションこそ、学会参加者の皆さん全員の「おみやげ」になるのです!!
その点で、例えば行動療法の山上敏子先生に対して、一見正反対のアプローチであるかに見えるクライエント中心療法のカウンセラーの皆様の間に圧倒的「ファン層」がいるという現実など、山上先生の懐の深さを含めて、私はすばらしいことだと思っています。
「看護のための精神医学 第2版」(中井久夫 /山口直彦 共著)についての、私なりの感想と、そこからの連想をつづることにします。
「『信』なき理解」に
ある種のクライエントさんはさらされている」
という言い方が著作の中に出てきます。
まずは「この言葉が私の目にとまっただけ」の時点での私なりの感想をお書きします。
*****
「『信』なき理解」とは何か?
いろいろな言い方ができそうな気がします。
1.クライエントさんの発言や行動について、
カウンセラーの側が、
「理解しよう」
「受容的に受け止めよう」
とがんばってはいるけれども、
カウンセラー自身は、
本当のところは、
クライエントさんの言動に違和感や嫌悪、恐怖、
あるいは、予後に対して不安を感じているのに、
理解した「ふり」だけをしてしまうこと。
2.更に、クライエントさんも、
カウンセラーのそうした「理解ある」態度を
「ほんとうに『真に受ける』」か、
あるいは、
薄々違和感や抵抗を漠然と感じていたり、
それどころか
「全然私の気持ちの
大事な勘どころををつかんでもらってない」
とはっきり感じて「いた」のに、
面接の場のなごやかな空気を壊したくなかったり、
不満や異論を唱えたらカウンセラーに嫌われたり
怒られたりしそうなことへの恐怖のために、
本音を抑えて、表面だけ「理解してもらえたフリ」
をいつの間にかしてしまっている。
ところが、クライエントさん自身も、
この「ほんとうは理解されてない」違和感を
「抑圧」してしまい、
「自分は『十分に』理解されている」
と思い込む方向に、
「反動形成」、あるいは
「理想化転移」を治療者に向けてしまう。
3.その結果、最悪の場合、
カウンセラーは「理解したつもり」
クライエントさんは「わかってもらえたつもり」
という
、
「偽物の相互理解」の「つながり」幻想が
両者に共有される
(この「3.」項は、「藤嶽法」の創始者である、三重のカウンセラー、藤嶽大安氏が、すでに2005年の日本人間性心理学会第24回大会発表論文集(こちらを参照)でお書きの表現を拝借しました。)
4.しかし、この「偽りの蜜月」は、
何かのきっかけで破綻する。
「このくらいのこと、
もういわなくてもわかっているはず」
と、クライエントさんも、
カウンセラー自身も思い込んだ結果、
ある日それが「錯覚("illusion")」であったことに
双方が直面する、悲劇の瞬間が訪れる。
5.これをきっかけに、
クライエントさんはカウンセラーへ
「猛烈な怒りと恨み」を抱き、ぶつけ始める。
6.カウンセラーの側は、
そうした、クライエントさんからの
「突如の、理屈を超えた怒り」を
ぶつけられて、
傷つき、
途方に暮れ、
無力感を感じるか、
逆に、そういうクライエントさんに
怒りや嫌悪を感じる。
7.クライエントさんは、この傷つきのために、
その後別なカウンセラーに相談する際も
最初から不信感を抱えてしまい、
すっきりあっさりとは本音を言わなくなる
傾向が更に強まる。
8.医者やカウンセラーの方は、その後、
「このタイプの」クライエントさんだと察すると、
最初からクライエントさんに「防衛的」
になり、「苦手意識」が強まり
「真剣に」クライエントさんの話を聴く
誠実さを失っていく。
9.1.に戻る(^^;)
******
こうなることを防止するのには、ひとつには、クライエントさんの話を「ウン、ウン」とあっさり受け止め、話させ続けるのではなく、小刻みに伝え返しをし、
カウンセラーの側の理解が何かズレていないかを、カウンセラーの側から率先してやさしく小刻みに丁寧に確認していく姿勢が大事と思います。
「私の言うことが
何かピント外れだと感じたら、
あなたは決して遠慮することなく、
クレームをその場で私につけてね。
あなたをいつの間にか誤解したくないから、
早めにクレームもらえた方が、
私は心からあなたに感謝します」
これは、新しいクライエントさんとカウンセリングをはじめた早い段階で、最近の私はクライエントさんに必ず伝えます。
そして、私の理解の誤りをクライエントさんに実際に指摘してもらえるたびに、
「私の理解がずれていたことを
あなたが、
率先して言葉にしてくれたことに
感謝します」
とすら時々言い添えます。
これ、実は”Focuser as Teacher"で述べたことを、一般面接の中で、カウンセラーの側からクライエントさんにそれとなく促進するための、さりげない工夫であると、気づいていただける皆様、結構あることかと思います。
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さて、カウンセラーをはじめとする「援助職」の人が陥りやすい「形だけの受容」が引き起こす、ある意味ではより不幸で深刻な問題について、続編で論じたいと思います。
一般の方のためにまず説明しますと、「ケーススーパーバイズ(ケーススーパービジョン)」とは、カウンセラーが、自分のクライエントさんとのカウンセリングの過程について助言を受けるために、経験豊かなカウンセラーに、一定の時間と時刻を決めて、一定料金を払い、多くの場合、ある程度継続的・定期的に相談することをいいます。
これに対して、カウンセラーがますは自己修養するために、自分の流派の先達をカウンセラーとして、実際に「本物の心理療法」をみっちり継続的に受けることを「教育分析(教育カウンセリング)」といいます。
日本では、この「スーパーバイズ」と「教育分析」ということがごっちゃになされていることがまだ少なくなく、クライエントさんとの関わり方について助言を受けに来たカウンセラーが、
「このクライエントさんとうまく行かないのは自分の性格にまだ未熟なところがあるためだ」
という「自虐的」モード(!)にはまりやすいのですが、
私は「スーパーバイズ」と「教育分析」は、本来、別人の先達に、切り離して受けるのが正しいという考え方に立っています。
だって、(少し厳しいことを言うようですが)プロって、結果がすべて、「自分の性格がまだ至らないからだ」といくら弁解しても、言い訳にならないでしょ?
「スーパーバイズ」とは、あくまでも、すでにプロの(あるいは、プロになりつつある)カウンセラーが、自分のカウンセリングの技量を磨くための場です
その一方、「教育分析」は、本当に情け容赦なく自分が「クライエントになって」自分を見つめなおすことです。
カウンセリング技量の向上と、カウンセラーの人格的成熟、この二つには、当然切り離しえない側面もあります。しかし、どちらが主で、どちらが「背後で暗黙のうちに結果的に伸びていくこと」なのかは、はっきり区別する「別の設定」がある方が生産的と思います。
もっとも、教育分析家とスーパーバイザーの考え方があまりに異質だと、若いカウンセラーの皆さんは混乱するだけになるとは思いますから、そのあたりは先輩や指導教授と話し合って決めるのがいいかもしれませんね。
「ケーススーパーバイズ」が先で、「教育分析」は後から始めるのでも、何も問題ないと思いますよ。「完璧に成熟した、性格的欠点のない人」なんてこの世に居ませんから、改めて自己修養の必要を感じた時点で「教育分析」を始めるのでも一向構わないと思います。
ついでにいいますと、「スーパーバイズ」も、「教育分析」も、大学の自分の直接の指導教授には受けないのが、正しいあり方です。社会的に直接の「上下関係」にあるもの同士では「本当の修行」になりません!! 時には別の流派の先達に教育分析やスーパーバイズを受ける方が効果的なこともあります。
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さて、助言を求められるカウンセラーは「スーパーバイザー」と呼ばれますが、特別にそのための資格があるわけではあません。敢えて言えば、助言を求めに来たカウンセラー(「スーパーバイジー」といいます)が「臨床心理士」なら、「スーパーバイザー」も「臨床心理士」でないと、臨床心理士としての資格更新(5年毎)のための研修「実績」と認定されない、というくらいでしょうか。
実は、私、開業の時に、開業の先輩に、
「スーパーバイザーになるには何か資格認定協会に特別な書類を出して選考を受ける必要があるんでしょうか?」
とお尋ねしたんですね。そしたら、
「特にない」
とあっさり言われて拍子抜けしました。
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私がスーパーバイズする際にはどうしていたかについての続編はこちら。
神田橋條治先生の"「現場からの治療論」という物語"p.56-57から、 幾つかの部分をご紹介し、 今回は、かなり詳しく、 私なりの解説と感想を添えさせていただきます。
「動物が内なる自然治癒力の活動を助けるべく、状況を設定する活動があります。その中心となるのは環境の整備と退行であり、ともに生体の活動域を縮小して、生体恒常性の営みに専念できるようにすることです。典型は、いわゆる『元気がない』状態です」
神田橋先生は、動物が病気になったり消耗したりした時の、動物自身に備わった回復のやり方をモデルにして、人間の一番自然な回復過程とは何かを原点から問い直そうとしているのです。
「自然治癒力の活動それ自体が病の本質と誤認されがちです」。
わかりやすく言えば、発熱、嘔吐、炎症、下痢、疲労感、無気力、鬱状態などが、「自然治癒力の働きそのもの」なのに、それ自体が「病気の本態」であると誤認されやすく、それらの「症状」を「治療しよう」とするという「余計な人工的介入」なっている場合があるのではないかという、根本的な問い直しですね。
例えば、激務で無理して働き続けた人が、その後かなりの長期間「鬱状態」になるのは,生体恒常性の「全く自然な営み」であり、その鬱状態を「病気の本態」としての「症状」とみなし、「鬱でなくなること」を「治療の目標として」、人為的に、薬物や精神療法で「積極治療」しようとするのは、不自然である、という発想「も」必要ということでしょう。
「治療は,有益な時も、無効の時でも、必ず生体に対して有害な作用をもたらします。そして副作用として表現されるものは、もっぱら生体[恒常性]の対処反応であり、歪み自体ではありません。(中略)治療者は、治療の名のもとに、どのよう歪みを引き起こしているかについて、五感と想像力を駆使して推察する必要があります。」
神田橋先生は、積極治療が必要なのは、人間それ自体の持つ自然治癒力だけでは手遅れになる危険があるその「勘所(得てしてごく短い期間)」を外さずに行使する、一種の「危機介入」のようなタイミングであるとお考えだと、私は理解しました。
つまり、小さな傷なら、細菌感染を防ぐための消毒とかをして患部を保護する手当で十分なわけですね。場合によってはバンドエイドやリバテープ(九州内の人だけわかる)を何かと小さな傷に張りまくると、逆に傷の箇所が乾燥しないどころか、むしろそのバッドの部分に汚れや細菌を「増殖」させ、化膿をひどくする装置にもなる。
白血球や血小板が傷を修復しようとしている過程で生じた痛みや発熱に「身体が負けてしまう危険がある」ような傷の状態のみに、痛み止めや、化膿防止の薬剤を最小限使うのが適切ということになります。
(例えば、前歯を抜歯すれば、縫合もしないまま、しばらくガーゼや脱脂綿を「噛んで」いるように求められはしますし、「念のために」痛み止めの薬も渡される歯医者さんもいますが、大臼歯の抜歯の場合のような「縫合」もないことが多いでしょう? 「縫合する」方がその傷の回復という自然治癒力の発動効果が高まるから縫合するだけのことです)
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一般に精神医療において、薬A群の「副作用」止めのために、更に薬B群を追加することがあります。 更に今度はその薬B群の「副作用」を止めるために、薬C群を出すことすらあります(^^;;;)
せめて「薬B群」まででまとめられない医者は、真の現場臨床経験に乏しい医者だと、ベテランからは見られていることが多いでしょう。
そもそもフェルトセンスとは何か?
「何か気がかりな事柄についての漠然とした曖昧な言葉にならない感覚」
というのが一番古典的な説明でした。
この、フェルトセンスとは何か?
私は「フェルトセンスを」感じているのか?
.......ということに初心者の皆様は得てして振り回されます。
私は、アン・ワイザーさんが日本に来日される(1994年)に先んじて、すでに、1990年の段階で
、
「自分の日常や状況や存在のあり方と、何か、(somewhat)、どことなく(somewhere)、何となく(somehow)響き合っているかのようにも漠然と感じられなくもない、気分だとか居心地だとか身体の感じ『のようなもの』」
.......であればフェルトセンスとみなしていい、
という、ある意味でアバウトな定義を公式に表明した日本で最初の人間であります。
身体の感じそのものとの直接の関わりを大事にし、ボディワークをフォーカシングに取り入れるという試みは、当時「東京フォーカシング研究会」と呼ばれた、白岩紘子・井上澄子・川村玲子(故人)という3名の先生が独自の形で既に展開していて、私も大学院1年目まで、2年ほどその場に参加させていただいていたのですが、当時はこのアプローチはフォーカシングなのか? ということそれ自体論争になっていました。
私は、身体の外側からアプローチするものとしてのボディー・ワークには、いい体験でしたけど、積極的な関心までは抱いていなかったのです。私は当時から生意気にも「独立学派(中間学派)」であると自称している、ひとりフォーカシングにこだわる人間でした。
そして、ただの身体の感じとフェルトセンスの違いに拘泥することそのものが、何かフォーカシング学習者を戸惑わせるばかりで、「ただの身体の感じ」であるかに思える感覚でも、それに触れていけば、そこからいくらでもフォーカシングに持ち込めるチャンスは自然と何回もめぐって来るんだから、と、そのへんで論争になること自体、内心はため息をついていたのであります(^^)
私が、「昼食後だからおなかが張るに過ぎない」と自分で主張するフォーカサーの方とすら、そのおなかの感じを出発点にしてフォーカシングのガイディングをして、ご本人も私も驚くような、その人の抱えた子供時代から現在の対人関係にまで通底していた問題についての連鎖反応的気づきに結びつくセッションが、初心者のフォーカサーでも遅くとも2セッション目で可能なことすら少なくないことを、かなりありふれた現象と思っていることは、既にこのブログのこの記事で実例と共に詳しく述べたとおりです。
そして、身体の感じに注意を向けることが「順調に」進むと、「身体感覚の局在化」現象が進行する、ということも1990年に論じています。
つまり、不快だった感覚それ自身が、「自ずから」次第にその領域を狭め、いわば「コア(核)」の部分へと濃縮されて行き、感じの質としては「更に」鮮明かつ細やかに感じて来るのに、同時に楽に抱えていられるようにもなる、という現象を見いだしていました。
そして、裏を返すと、身体の中のいろいろ気になる感覚を、ゲンシュタルト心理学でいうと「図(figure)」とする形で浮かび上がらせている「地(ground)」の部分の感覚、つまり、身体の感覚として注意を向けられていなかった部分の、それまでneutral(中立的)だった感覚や、それどころか実は「いい感覚」ですらあった部分を、敢えて、図と地を反転させて(!)感じてみようとすると、不快な身体の感じの局在化は自然と進行し、適切な距離が見いだされることを、自分のひとりフォーカシング体験の中から気がついていました。
さらに、自分の気になる、得てして不快な身体感覚に関わる際には、そのneutralな部分の方に意識の「居場所」をおいて、「そこ」から、いわば身体内に幾つか島のように点在する感覚を「見やる」、あるいは時々その局在化された感覚の表面にセンサーを伸ばして時々タッチするぐらいのつもりで注意を向けるといいことに気がついていました。
それは、その頃村瀬先生から入手した、Mary MacGuireの境界例水準のクライエントさんとの関わりで"solid place"......「確かな居場所」とでも訳しましょうか....を見いだし、そこから関わりづらい感覚と関わるやり方と、発想が重なることに気がついたわけです。
(マクガイアは、そのクライエントさんの過去の「たったひとつの」いい思い出をありありと想起して感じてもらうことで、クライエントさんに"solid place"を見いだしてもらったという点で、「時間軸」上に求めたのに対して、私は身体内感覚の「空間軸」上に見いだ点に違いがあったのですが、実は共通の観点が含まれていると思いました。これは、感じと単に距離を取るというより、身体感覚自体としてのdisidentificationを生み出すと言うべきでしょう)
確か私が池見陽先生から、「アン・ワイザーというトレーナーが最近言い出していることと君の技法に似たところがある」と聞かされたのは、1991年だったはずです。
アンが実際に来日する3年前でした。
この、"neutaralな感じの場所も感じられる?"という言い方、私をガイドとするセッションの体験がある方には、おなじみな、私秘伝の「隠し味」です。
ただし、この教示は、さりげない「誘いかけ」であるべきであり、下手に「狙いすまして」強迫的に使うと、うまくいきません!!
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もうひとつヒント。
「フォーカシングするのは、自分にとって楽な姿勢なら、立ったままでも(!)、横になってでもいい。「中途でうやむやなままに眠り込んで」も、「ただ単に寝ようとして眠る」よりは暗黙のうちにプロセスが進み、寝覚めがいいことが多いので、寝てしまったことを後悔する必要はない」
......どの文献か忘れたけど、これまた、1990年までに、既に私はどこかで書いていた筈です(^^;)
主として、ジェンドリンの
『フォーカシング』(1981)」(以下、《フ》と略)と、
『人格変化の一理論(1964)』(《人》と略)
における用語の関係、そして、
体験過程尺度(experiencing scale)などとの関係について、簡単にまとめておきます。
これだけを一般の皆様がお読みになると、何が何だかわからないでしょうが、フォーカシング関連で修論を書こうとする心理臨床系の大学院生の皆様には、これだけでも重宝していただけるはずと思います。
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●[技法としてではなく、自然に人の中に生じる現象としての] フォーカシング(focusing) 《フ》
=直接のレファランス(direct reference) 《人》
=体験過程尺度 stage 5
●フェルトセンス(felt sense) 《フ》
= 直接のレファラント(direct referent) 《人》
=[体験されている]暗黙の意味(implicit meaning)
●フェルトシフト(felt shift)[あるいは、略して、「シフト」(shift) 《フ》
=ひらけ(unfolding) 《人》
=体験過程尺度 stage 6
●連鎖的、拡大的な連続シフトが生じること 《フ》
=全面的な適用(grand application ) 《人》
=自己駆進的(self-propelling)体験過程 《人》
=体験過程尺度 stage 7
]
●フェルトセンスとしてですら、感じようとしても感られない 《フ》
=「暗黙の意味」が感じられてない《人》
=構造拘束的(structure-bound)[な体験過程様式のもとにある]【注1】 《人》
=凍結した全体(frozen whole) 《人》
●フェルトセンスとしてすら感じようとしても感じられなかった「何か」が、注意を向ければ、フェルトセンスとして体験可能になる過程 《フ》
=再構成化(reconstituting)【注2】
●情動(emotion)に巻き込まれた 《フ》
=距離が取れて(make a space)いない 《フ》
=脱同一化(disidentification)されていない【注3】
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【注1】
「構造拘束的(structure-bound)」体験過程様式の対義語は「過程進行中(in prosess)」である。1990年頃までの日本の研究論文には、"structure- unbound"という言葉が散見されるが、ジェンドリン自身の論文にはそんな用語はない....というより、体験過程理論がほんとうに理解されていない時代の遺物と思って欲しい(ゴメンね、使った先生方m(_ _)m )。
このことを学術論文上で公式に指摘して、その後"structure- unbound"なる言葉を、新たな学会誌から放逐するきっかけとなったのは、大石英史氏の論文による指摘である
【注2】
この「再構成化(reconstituting)」という用語をに関しては、現在でも日本の研究者の論文では、正確で厳密な使用がなされていると確信できるものを私は読んだことがない(^^;)。ジェンドリンがちゃんと「人格変化の一理論」で、厳密に説明しているのに......
「再構成化」によってフェルトセンスとして体験可能になった場合にしか、フェルトセンスと「象徴化」の相互作用における、体験過程の「推進(carry forward)」は生じない。
逆もまた真であり、フェルトセンスと「象徴化」の相互作用における、体験過程の「推進(carry forward)」によって、「再構成化」は徐々に進展するのである。
【注3】
「脱同一化(disidentification)」は、フォーカシングを学んだ人にはおなじみの、アン・ワイザーさんがフォーカシング技法論に導入した概念である。
精神分析用語的に言うと、「意図的(意識的)な『解離(dissociation)』」という、論理的には矛盾のカタマリに思える状態を指すことになる(これについては、松木邦裕先生と田嶌誠一先生からの直接のご示唆に感謝いたします)。
しかし、実は誰にとってもごくありふれて生じている現象である。
アイデンティティの概念を広めることになった、精神分析のエリクソンの「同一化(indentification)」概念とは何も関係ない。
むしろ、トランスパーソナル学のケン・ウィルバーが「ケンタウロス段階」における現象として用いた「脱同一化(disidentification)」に起源があると推測できる(そういえば、Ann自身にこのこと確認しないままだ)。ケン・ウィルバーはこの点ではフォーカシングを正しく理解しているし、Annの用法とも矛盾しない。
しかも、それを「更に」遡(さかのぼ)ると、サイコシンセシスの創案者アサジオーリに起源があるようだ。
(確か、ウィルバーのこの著作での吉福氏の訳注にこの解説がある。もとよりアンへの言及はない)
だが、アサジオリまで逆にたどると、吉福氏にの記述に拠る限り、アンのそれとは、かなり意味が異なりはじめるかなと思う。
先日ご紹介した、読売新聞の25日の記事を、さっきOCRで取り込んで起こしましたので、全文ご紹介します。太字と改行はこういちろうに拠ります。
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●読売新聞 朝刊 2008年1月25日版
うつノート 回復めざして 第4回 「心は更地 安らぐ表現」
※カウンセラー相性も大切※
吉田恭子さん[仮名、27])は高校時代から、うつ症状で悩んでいた。2005年末には会社を退職。06年には、慢性的な軽いうつ病である「気分変調症」という診断を受けた。入院し、休養と薬物療法を受けたが、気持ちの平安はなかなか得られなかった。「元の私に戻りたい」という気持ちにとらわれていた。
治療の転機になったのは、カウンセリングだった。
「病気で何もかも失ってしまった。自分は空っぽ。魅力がないし、何の可能性もない。自分は『無』だと感じる」。
カウンセラーにそう話すと、
「自分を『更地』のように感じているのではないか」
と問いかけられたという。
「更地」という言葉を聞き、「更地だから何もないけど、どんな花を植えようと自由なんだ」という居心地のいいイメージがわいてきた。不安感や焦燥感が薄れた。
現在、うつ病の治療では、薬物療法が主流だ。しかし、心理療法を求める患者は多い。
古田さんは「フォーカシング」というカウンセリングの方法が性に合った。フォーカシングは、自分の実感に当て、言い表すことで、心を理解しようとする心理療法。
「更地」の心境でしぱらくすごしているうちに、元気になった吉田さんは昨年、週1回、派遣で事務の仕事を始め、週3回まで増やした。
しかし、作業の能率は落ちていた。気持ちに波があり、疲れやすい。
「以前のように仕事できない」
「自分は人から遅れてしまった」
というプレッシャーを感じて、気分も落ち込んだ。仕事は半年ほどでやめた。
それでも、以前とは違う。以前は休養していても、焦りや不安で心の中は嵐のようで、心は休めていなかった。カウンセリングによって、自分の感情を扱いやすくなり、休養中、平安を取り戻すことができるようになった」と吉田さん。現在は、ウォーオーキングをしたり、ジムに通ったりしながら、体力をつけ、生活リズムを整えることを大事にしている。
フォーカシングの専門家である関西大学教授、池見陽(いけみあきら)さんは、
「健康なときは、職場で嫌なことがあっても帰りの電車の中で忘れることができる。しかし、ストレスが強くなると、寝ても忘れられなくなる。カウンセラーとともに、自分の感情との距離のとり方の練習をすることが必要」
と話す。
「感情は本来、移り変わっていくもの。感情に名前をつけて、ちょっと距離をおいて観察してみる。すると、感情も変わってくるかもしれない」
吉田さんは、自分の焦燥感に「せっかち君」と名前をづけた。
「せっかち君が顔をのぞかせたな」と思ったらら、心の中でせっかち君と会話すると、せっかち君は引っ込むようになった。
池見さんは、
「薬と休養でよくなってきた段階で心理療法を併用するのは効果が期待できる。性格的な問題があるケースや、働き過ぎなどの生活状態の問題がある場合に、有効だと考えられる。療法よりもカウンセラーとの相性が重要だと思う。主治医に相談してほしい」
とアドバイスする。
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すでに自己レスコメントでも先行させましたが、この記事での池見先生のコメントについての更なる注釈を、池見先生ご自身が個人サイトで公開しておられます。こちらをご覧下さい。
【追伸 09/08/15】
この時の記事は、その後本になった、「私のうつノート」(読売新聞生活情報部 編著)に、全文そのまま転載されていたことに、やっと気がつきました(p.122-4)。
確か中井久夫先生がどの著作かでお書きになっていたことなのですが、
「他科の医者から精神科に転じた医者というのはたいへん多い。しかし、精神科から他科に転じた医者というのはほとんどいない」
私はこの言葉がずっと気になっていました。
「他の職種の社会人経験を経てカウンセラーになった人は実に多い。しかし、カウンセラーを捨てて他の職種の社会人になったという人の話は滅多に聞かない」
というのも真実な気がして。
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文筆業を別にすれば、「精神科医」としての経歴もあって、他の業界でも成功した人、というのは、世界的に見ても、滅多に聞かない気がします。
既に亡くなった指揮者のジュゼッペ・シノーポリも、精神医学を学んだ経歴はありますが、現実の臨床現場に出た経験がある、という叙述を少なくとも私は知りません。博士の学位をいくつもの分野で取ることそのものは、ヨーロッパのインテリではありふれたことですから。カール・ベームも「法学博士」だったと思いますし。
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精神科医が医者全体の中で占める比率は、人数的にはたいへん少ないと聞いたことがあります。しかも、欧米の方が必ずしも精神科医のシェアが高いというわけでもないとすら。
カウンセラーは、精神科医よりはるかに新興のprofessionです。もともとカウンセラーの実人数が人口比的に少ないから、「カウンセラー出身」の他業種でもひとかどの人材になった人のことが話題にならないだけかもしれません。臨床心理士ですら確かまだ1万数千人ですから。
少なくとも、「人生の達人だから」カウンセラーになるわけではない。
それなら、当然のごとく、カウンセラーを廃業して他分野で成功して有名になる人がもっと出てきてもいいはずと思います。(繰り返しますが、著述業は除きます)
カウンセラーとしての有能性が、その人の社会人としての適応の良さを前提としないことは確かです。
もとより、どんな分野でも、自分の専門を離れたら、生きる術をまるで見失う人は多いと思いますので、ことカウンセラーが特別ではないとも言えるでしょう。
でも、「大学の先生」でも「著述業」でもない形で、そして単に現場臨床への挫折感を体験して他業種に転じるのでもない形で、「カウンセラー時代」を人生のひとつのステップとして、広い意味での「援助職」以外の別な領域で生きるようになったことに
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