"Focuser as Teacher"論 続編(2) -セッション実例編 下の巻-(再掲)
さて、前回は"Focuser as teacher"のセッションの実例編の続き。
前回(上の巻)は、
背中の背骨の上半分の感じ
→しゃちほこ
→その「反り返っている」感覚
→濡れたタオルの端を両手でつまんで、一気に引き下ろす時、反対側の端が跳ね上がる時の感覚を繰り返して楽しんでいる。
→体育館で床に横たえられた太い縄の端を持ち上げて、一気に引き下ろすと、その反動が伝わっていって、反対側の端が、ピン!! と持ち上がる瞬間の感覚。
→地面にまっすぐに横たわっている大蛇のしっぽを持ち上げて、一気に引き下ろすと、その振動が伝わって、蛇の頭が カクン!! と持ち上がり、蛇が失神しそうになるのを繰り返して楽しんでいる。
→「吐くんだ!! 吐け~!!」
→「いたぶる」
→あかずきんちゃんとおばあさんを呑み込んで満腹して(うつぶせに)寝ている狼のしっぽを持ち上げて、一気に引き下ろすと、その振動が伝わって、狼の頭が カクン!! と持ち上がり、狼が失神しそうになるのを繰り返しているうちに、狼の口から、パハッ!! ペロン!!と、あかずきんちゃんとおばあさんが吐き出される。狼は「ごめんあさい、もうしません」とあやまって、これにて一件落着。
→これって、狼を撃ち殺したり、狼の腹を割いてふたりを救出し、石を詰め込んで縫い合わせて「くたばらせる」、童話本来のオチよりも、「誰も傷つけない」という点で、いい解決法ではないのか? という連想が浮かぶ。
.......というところまででした(^^)
*****
"Focuser as teacher"こういちろうの語り口はこのあたりから多弁になる。
これは、こういちろうに限らない(^^;)。
実はこのフォーカシングのセッション最大のシフト(ひらけ unfolding)は、実は「いたぶる」という言葉を見つけた時点で一気に達成されている。
あとはその瞬間にすでに全面的に質的に変容していた曖昧なフェルトセンスの「感じ」そのものの中から、新たな言葉やイメージが、新鮮な観点から、具体的な洞察の形でいくらでも、紡ぎ出され、フォーカサーである私自身の具体的状況と関わる気づきとして統合されるプロセスが進むのである。だから、ここまで来ると、フォーカサーは、その気づきについて具体的にリスナーに物語りたい気持ちがある限り(話さない自由はある)、一気に多弁になる。
これをジェンドリンは、「人格変化の一理論」(「セラピープロセスの小さな一歩」(池見陽 編・共訳・著) 所収)の中で、「全面的な適用(grand application)」と呼ぶが、それが、すでに肝心な変化(シフトそのもの)が生じた後の、「過程の『副産物』であるに過ぎない」ことを強調している。
この部分に入ったら、リスナー・ガイドは、それこそ「うん、うん」とうなづくだけの聴き手でもいいし、要所要所で伝え返しをする際に、フォーカサーのプロセスを妨げないかと神経を研ぎ澄ます必要はほとんどなくなる(どのように終わらせるか、は別として)。
*****
「......『赤頭巾ちゃん』は、そもそも、狼が二人を『丸呑み』にでき、腹を割いても生きていて救出できるという時点で、できすぎた、都合のいい物語なわけですけど、でも「銃で撃つ」とか、「腹を割く」「石を詰める」というあたりは何とも残酷なわけですよね。童話ですらこういうオチをつける。
もとより、このストーリーをリアルに脚色すれば、「残虐ホラームーピー」にもできてしまうわけだし、
「殺されたあかずきんちゃんとおばあさんの幽霊が、その狼の目の前に繰り返し現れて、狼が責めさいなまれる」となれば、四谷怪談みたいな「怪談話」になる。
でも、これらはみーんな「残虐シーン」がいっぱいではないか!! リアルではあるけど、誰かが取り返しのつかないひどいことをしたりひどいめにあったりすることには変わりない。
私が今編み出した、「赤ずきんちゃん」新バージョンこそが、いちばん心優しい世界ではないかと思えてきて」
「......(沈黙十数秒)......そうそう思い出した、まさに『このパターンの』展開しか存在しないアニメ!!
そうか、『これ』のことだったんだ!!
[注:この瞬間に、更なるシフトがこういちろうの中に自然に生じているのである]
「トムとジェリー」じゃないか!!
この物語世界は!!
(wikipediaはこちら)
......例えば、ジェリーの友達の子供アヒルがトムの口に呑み込まれる。すると、ジェリーはトムのしっぽの上にドカンと重たい家具とかを押し倒す。するとしっぽから痙攣が伝わって、トムの
"Ahhhhhhhhhhhhhhhhhh!!!!"
という叫びと共に、口から、アヒルの子がひょいと吐き出される。
たいていこの後、トムは重い家具の下からしっぽをむりやりひきずり出す。するとトムのしっぽは金床で伸ばされたみたいに広がって大きく平たくなってる......でも、トムのしっぽは次のシーンでは見事に復活。再生している。
あと、上から金庫を落とされたら、金庫の扉を駆けて、真四角の身体になったトムかトコトコ歩き出す、というのもこのアニメの定番ギャグでしょ? 凄いのになると、トムは、ジェリーの倒したまさかりで、トムは脳天から真っ二つになっても次のシーンでは蘇る(注:確か、「花咲ける騎士道」、という話)。
トムとジェリーが、お互いから受けた「虐待」を根に持って呪いに呪う話なんてほとんどないし、あったとしても、いざとなると相手がかわいそうになって助けたりする。[注:ジェリーが幽霊を「演じて」トムを懲らしめようとする話はありますね]
トムにしてもジェリーにしても、ブルさんにしても、喧嘩ばかりしているようで、実はそういうことをすぐに忘れて和気藹々ともしてしまえる。
(リスナー:「♪なかよく喧嘩しな」ですね)
「そう、それそれ!! 言ってくれてありがとう。
......あれ、もちろん日本でだけのテーマソングだけど、あの歌詞の一言こそ、この作品の本質を言い当てていると思う。
実は、このアニメについて、以前、アニメの歴史を書いた本[注:創刊直後の頃の「アニメージュ」]で
「暴力的で残虐なアニメ」
で一蹴されている専門家の叙述にぶつかって、
へえ、そんな見方もあるわけ? でもそれだけで済ませるのはないだろ?....と憤慨したことがある。
それをいうなら、いわゆるシリアスでリアルなストーリーのアニメで、敵役が実は単なる悪人ではなかった、という展開にするために、いろいろと理屈をつけたりなんたりすることで説得力を増そうとすることの方が、よほどうさんくさくて、教育上もよろしくないんじないかと。
自分の国は他の国に兵隊を送って戦争しておいて、自分の国の子供たちには「暴力に走らせる」といって、暴力描写のある作品を見せない方がよほど偽善だ。しかも、別段暴力を「正義」として描いてもいないのに、「悪」を滅ぼしてもいないのに、「トムとジェリー」まで「暴力的」と非難したり、「まねしたら困る」というのでは、何かがはき違えられている。
......私の心の中に、いわば、相手への愛情のこもった悪戯心のこもった「大人のウィット」として、少しキツイジョークを言っても、その意図を察して、「わかったわかった」で紳士的に受け止めて、今度はまた、悪戯心のある「大人のウィット」を投げ返してもらって、そこに込められた「善意の忠告」みたいのものをそのまま「信頼できる」みたいな関係への、すごい憧れがあるのかもしれない」
(後略)
※「トムとジェリー」のYoutube動画をこちらにまとめてみました(^^)
******
実は、今の最後の部分もまた、自分の状況と重ね合わせての、統括的な、かなり大きなシフトであり、ここで完全に「体験過程尺度 Stage 7」に到達したことになります。
(.......ということまで、振り返りの際に、訓練生のリスナーには解説しています)
******
更に、振り返りの時に、私は、私の方から、訓練生に次のように尋ねてみました。
「実は、タオルをパシンといわせることを繰り返している時の感じがぴったりだとか、『いたぶる』という言葉を口にしようとした時、私は、あなたに、何か攻撃的だとか、残酷だという印象を与えるのではないかと一瞬躊躇していたんです。でも、その言い方以上に実感にぴったりな言葉がなかったから、結局口にしたんですけど、どう感じていましたか?」
訓練生は答えてくれました。
「いえ、そういう感じは全然していなくて。
タオルの話の時も、
先生は、
『これでは端っこの毛先が痛んでしまうな』
という気遣いを口にしてました。
『これじゃ蛇とか狼も、たまらないだろうな』
とかも。
それが、先生の、やさしさやいたわりみたいなものに思えていましたから」
私は、
「聞いてみてよかった。
そういってもらえたことを心からありがたく思うよ」
と答えました。
そして更に、今やってみたやりとりは、意図したわけではないけど結果的に、リスナー側がどんな感じでいるのか、リスナーへの感情移入的な言語化をフォーカサーの側から提示し、リスナーにそれを修正して、感想を述べてもらうというふうにして、交互に進めるプロセスの中で、自己理解、相互理解を深める、"Interactive Focusing"的にもなっていることを紹介し、いずれその技法も実地のセッションとして紹介するつもりだと伝えました。
******
まあ、こんなふうにして私は、フォーカシング個別指導をしているわけです。
なお、私は、「トムとジェリー」が、結果的に第2次世界大戦の空気や当時の欧米の社会問題をいろいろと反映していて、見る人が見れば、そのことの「暗号」はいろいろ解き明かせるということも、私なりに了解します。
*****
更に、さすがにフォーカシングのセッションでは話してませんし(そこまで訓練生を自分の世界に引き込むことはしない)、半分は後知恵ですが、
1.おばあさんの姿をした狼が「(口が大きいのは)お前を食べるためなのさ」、と言ったところで、「私、トイレに行きたくなっちゃった」と赤ずきんちゃんが言って[ここまではおとぎ話にそういうバージョンがあるそうです]、トイレに行かせたら、窓から逃げていた。
2.おばあさんの姿をした狼の正体がバレた瞬間、赤ずきんは「キャー、男〜!!!」と突然叫び、怪力になり、狼を放り投げ、おばあさんの家全体が破壊されたら、それこそ、「うる星やつら」、水乃小路飛鳥バージョンですね(^^;)
[面堂了子ではなくて!!.....同じ間違いをこのブログで2度犯した私をお許しください]
3.実は、おばあさんは悔しくも悲しいことに食べられた、でも、赤ずきんちゃんは深傷を追いつつも、すんでのところで助かった。狼はその抵抗を受けた際に片目を傷つき失う。そして赤ずきんちゃんは、その後美しい女性として成長する過程で武芸を身につけ、赤い柔道着あるいは赤いチャイナ服に身を包んで、世界中の武道家の中に、「片目のオオカミ男」を探しまわる復讐のさすらいの旅に出たら.....(2つの作品が考えられますね)
(映画もゲームも、「2」全盛の時に体験している世代です。下手でしたけど)
......まあ、こういうバリエーションは、すでにアニメ作品として、小説として、ゲームとして、果てしなく作られており、「赤ずきんちゃん」は、物語の世界の黄金の源泉のひとつとして君臨しているわけです。
「人狼」(この、押井守さんの作品は、早くからDVD持っていたのに、これを書いて3年は経て、やっと観ました)
「赤ずきんチャチャ」(特に初期のギャグの切れ味が好きだった作品)
......他にも山のようにあるらしいですけど、私の守備範囲を超えるので略します(^^)
*****
推薦BGMは、浜崎あゆみの "Beautiful Fighters"(アルバム
"Secret"収録)とさせていただきます。この曲のPVも、シリアスなメッセージがこもった名作と思いますので、推薦。
この記事でこの曲を推薦した意図は、真剣なファンの中に、通じる方々が、少なからずいらっしゃるとおもいますので(^^)
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