書評:クリストファー・レーン/乱造される心の病(Amazonレビューの転載)
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2009年10月4日付読売新聞における春日武彦氏による本書の書評は、まるで本書がうつ病と診断されている人について書かれた本であるかのような誤解を与えかねない記述になっているが、本書の実態はそうではない。
この本はあくまでも、単に内気(原題:"Shyness")な人が、特に「社会不安障害」という診断に祭り上げられる過程について告発する意図で書かれたものである。
しかも原著者は精神医学の専門家ではなく、気鋭のジャーナリストですらない。英文学者である。amasonの英語版サイトで星をほとんどつけていない人の酷評ぶりはすさまじい。
「この本は教養課程キャンパスの象牙の塔の中で広まっているように思える、奇妙で、反科学的なパラノイアの典型です」(Gina Pera氏)
製薬会社が「病気を作り出す」プロモーション活動をしてきた問題についての本なら、冨高辰一郎氏の「なぜうつ病の人が増えたのか」の誠実で慎重な筆の運びの方を遥かに推薦したい。
また「日本の」精神医療の薬物療法への過剰な依存、多剤処方、誤診の多さと、その背景にある医師業界や医療制度上の問題点、心理療法サイドと医療サイドとの微妙な関係についてのルポルタージュとしては、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」の書籍化されたもの(放送された番組より密度は3倍濃いくらいの徹底性である)の迫真性こそ大いに推薦したい。
結局、本書は、純情なまでの「フロイトおたく」の英文学者が、「正義の」力動精神心理学(=「フロイトの」精神分析。しかもかなり単純化されている)の旗の下、クレペリンに始まる「伝統的精神医学=脳科学主義者=薬物療法推進論者」の系譜という「悪の枢軸」を「仮想敵」として仕立て上げて、熱心にいろいろ調べたりインタビューして書いたにしては、「まずは結論ありき」の本であり過ぎる。
フロイトを引用する時の意図も、時々あまりに強引に自説に好都合な形になっている(それは、素直に読めば、「フロイトは将来の薬物療法の可能性に期待をかけていた」ことを示唆する筈の、「精神分析学入門 (中公文庫)」で書かれたフロイト自身の叙述を引用した、p.213以下で顕著に明らかとなる)。
正直に言って、精神分析にある程度詳しい専門家の目から見たら、「ひいきの効き倒し」が過ぎて苦笑するかもしれない。
フロイトは、ある時期コカインによる治療に入れあげたように、薬物療法であろうと、精神療法であろうと、治療に役立ちそうなものなら何でも活用しようとした、あくまでも「現場実践」の人である。
薬物療法と精神療法を、どちらかが好ましく、どちらかがまやかしであるという、二者択一的で対立的なものとしてとらえるあり方そのものが、現場臨床からあまりにもかけ離れている。むしろ「相互に補い合う」「必要に応じて取捨選択される」ものであるべきなのだ。その点で、本書は世間にありがちな偏見を助長するものでしかない。
DSMを「脳科学=薬物療法的」観点からのみとらえるのは強引。むしろそこから一定の距離を取ることに腐心している
面もある。むしろ、DSMが良きにつけ悪しきしつけ、行動主義的な「操作的定義」であり、特定の見地からの「原因論」に立ち入らないことを目指したとみるのが正道のはずである。
薬物療法を使う医者が、まるですべて生得的な脳の問題としてしかとらえていないかのような「極論化」が行き過ぎている。心理的・社会的要因を無視する精神科医はそう滅多にいないと思う。
(もっとも、どういうわけか、本書では、統合失調症と「重たいうつ病」についてだけは、同じ論理では斬り掛らない。もうこの段階で「内因性精神病」概念の確立者としてのクレペリンを肯定していることになる「自己矛盾」があるのだが)
パキシルの製造元の会社の、不利な情報隠蔽体質、あるいは幼児期の双極性障害やADHD(注意欠陥・多動性障害)に関してアメリカで子供に対して安易に薬物療法が施行される傾向の問題点、そしてアメリカでそのことを啓発する運動の先頭に立っていた精神医学者と製薬会社の癒着の問題については、例えば加藤忠史氏の「双極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書)」
でも詳しく紹介されている。加藤氏の著書では、なぜ薬物の治験において統計的に有意な差が出ないことが多いのかについて、意外な現実も紹介している(要するに、アメリカでは治験に応じると報酬が払われる。そのお金ほしさに病気のフリをして治験をハシゴしてまわり、薬は実際に飲まないまま偽薬であろうとほんとの薬であろうと薬が効いたフリをして報告するいる輩が随分いるらしい。これでは統計上有意な差が出にくくなって当たり前である)。
もとより、DSMにおける、特に「2軸」の「人格障害」カテゴリーというのは、読みようによっては非常に多くの人がそれに当てはまりかねない表面的な記述があまりにも多く、活用する際には大いに用心する必要がある。この点では著書の指摘はかなりの程度妥当であるし、DSM策定のプロセスにおける委員会内部での凄まじい駆け引きのルポルタージュとしては興味深いが、その記述の中でも、精神分析の側を「善玉」的に描き過ぎてはいまいか?
ある意味で、アメリカの精神分析は、一方で腐敗を抱えながらも絶大な影響力を持ち過ぎていた側面があるのであり、そうした「精神分析偏向」から距離を取るための「学界政治的」駆け引きの末にDSMが作成された側面があることは、リアリスティックにみて、止むを得ない側面があるはずである。
しかしこの著作は、あくまでも精神分析側の立場を擁護する方向からでのみ、関係者からのインタビューや関係者の文書のやり取りを紹介している懸念が拭えない。
(更にいえば、本書におけるユング派の「内向」についての取り扱いも底が浅い。「影」の領域に「外向性」を抱え込んでいることと相補的なものとしての「内向」という観点が不在である。また、スキゾイドが統合失調症の「病前性格」というのは、あまりに古い、それこそ1921年のクレッチマーの「体格と性格 (1944年)」の次元と思われる理解で述べているに過ぎず、今日の理解、すなわち、スキゾイドに「はまれた」人は統合失調症にむしろ発展しにくく、それだけで精神科治療の対象とされることは珍しいという状況、あるいはむしろ発達障害との近縁を示唆する動向からすれば、異様なまでに古風である。また、フロイトの先駆者、それこそ「力動心理学」の歴史に欠かせない重大人物ピエール・ジャネ(本邦訳では「ジャネット」と誤訳。「心理学的医学」などの著作あり)についての認識も、確かに心理的要因を重視するフロイトとは異なり、精神障害の内因的・体質的要因を重視した側面があるとはいえ、もっぱら「敵役」としてのみ登場するのは、どうにも腑に落ちない。他方、pp.210-3にみられる認知行動療法についての、精神分析と比較しての批判的叙述は、ありがちな極度のステレオタイプであり、例えば、伊藤絵美氏の「認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング」を読んでしまうと、この療法の全くの門外漢の理解の水準に留まることが明白となる・・・・結局、彼がとらえる意味での「精神分析」以外の精神療法については偏見の塊であることが露呈している)
いずれにしても、DSMが様々な不完全な妥協の産物という側面を有し、DSMにそうしたマニュアル的表面性が付きまとうことについてはすでに多くの精神医学者の著書でも語り尽くされていることである。
つまり、医者が、DSMに「基づいて」診断や治療を「決めて」いるというのは、もはや「都市伝説」の領域に近い。
心ある医師は、DSMが「診断基準」としては全く表層的なのを承知で、「共通語としての診断名」をDSMから慎重に「あてはめている」だけのことである。
(例えば、中井久夫氏の「治療文化論―精神医学的再構築の試み (岩波現代文庫)」(中井先生は意外と反精神医学にすら同情的である)、内海健氏の「うつ病新時代―双極2型障害という病 (精神科医からのメッセージ)」参照)
更にいえば、本書の構成の一番摩訶不思議なところは、クライマックスであるはずの第6章「プロザック帝国への反乱」において、例えば、「実社会における」薬物過剰利用への反対運動の当事者や患者へのインタビューが満載されているのであれば、それはそれで説得力がありそうなのに、実際にその大半を割いて繰り広げられているのは、あくまでも最近の映画や小説という「フィクション」の世界でのその問題の取り上げられ方についての文芸批評家的な叙述の連続なのである。著者が本業が英文学者であるという観点からすれば「本領発揮」のつもりかもしれないが、「プロモーション」を批判するのに「フィクション」を持って対抗するというのは、戦術的にみてもあまりに悲しいやり方ではないか? 「虚構」対「虚構」になってしまうからである。
この著作がアメリカでヒットした背景には、それだけ精神医療が役立たなかったと感じる人たちが多いことの証しであることは十分に想像できるが。
******
【追記】:レビューで追及しなかったことまで詳しく補足し、レーン氏の論の進め方の矛盾点をあぶりだしたエントリーが、
ですので、興味のある方はお読みください。
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