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2013年1月 2日 (水)

周囲の人は双極性障害2型の人の「気遣い」にどれだけ助けられているかに気がつかない・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型障害という病-」 書評 (第2回)

 さて、内海健先生の「うつ病新時代」への書評、前回に続く第2弾ですが・・・

 今回の内容は、もっぱら、本書の第6章、「同調性の苦悩」の内容からのご紹介です。

****

 スイスのオイゲン・ブロイラーという精神病理学者(精神分裂病=統合失調症という疾病概念の提唱者。フロイトの初期の擁護者としても著名)が、統合失調症の人と躁うつ病(単なるううつ病ではありません)の人の病前性格を比較するために、前者を「分裂性性格」、後者を「同調性格」としてとらえることを提唱しました。

 ここでいう躁うつ病の病前性格としての「同調性」というのは、世間一般で言う「協調性」ということと一見似ていますが、実はもう少し厳密な定義がなされています(このへんがあいまいなまま人口に膾炙し、一般的な解説がネット上でも流布しているようですので用心してください)。

 ここでいう「同調性」というのは、単に周囲に溶け込むだとか、「場の空気を壊さない」(今風に言えば"KY" ではない)ということではないようです。

 「協調性」という言い方をする場合、暗に、社会性を確立するための、単なる「処世術」として、あるいは対人スキルとして「身につけて」しまえる筈のもの・・・・という含蓄がある気がします。

 (これに対して、特に「コミュニケーション障害」という言い方は、暗に発達障害を含意するので、言葉の扱いは慎重にすべきですが、ここではこの問題に深入りしないでおきます)

 しかし、ブロイラーの発想を更に深化・発展させた、フランスのミンコフスキーという精神病理学者は、この、鬱病者における「同調性」について、著書「精神分裂病―分裂性性格者及び精神分裂病者の精神病理学」の中で、次のように述べていることを内海先生は紹介しています。

 「ミンコフスキーによれば、分裂性と同調性は単なる性格標識ではなく、むしろ個々の特徴の間隙に位置して、それぞれの特徴に独特の色彩を与え、環界に対する個々の態度を規定するものである」(p.130)

 ・・・・・さすがにこれだけでは読者には何がなんだか?でしょうから、私なりに内海先生の本から理解したことを元に平易に解説してみましょう。

 ここでいう「環界に対する個々の態度を規定する」というのは、自分という存在が、外の「世界」との関わりにおいて、どういう様式で存在するかという、非常に実存的な次元での根底的な存在様式の違いということです。

 統合失調症の人は、発症前から「世界との生き生きとした接触」の感覚を喪失しています。これを更にドイツのブランケンブルクという人が「自明性の喪失」という概念で発展させました。

自明性の喪失―分裂病の現象学

 「自明性の喪失」とは、わかりやすくいえば、般の人が日常を生きていくうえでは「当たり前すぎる」ことの「当たり前さ」加減が全然ピンと来なくなるということです。

 具体的な例として、このブランケンブルクの著作の中でつとに著名な、アンネ・ラウの症例での患者自身の発言から引用しよう:

 「…誰でも、どう振る舞うかを知っているはずです。誰もが道筋を、考え方を持っています。
動作とか人間らしさとか対人関係とか、そこにはすべてルールがあって、誰もがそれを守っているのです。でも私にはそのルールがまだはっきりとわからないのです。私には基本が欠けていたのです。・・・(中略)・・・
他の人たちはそういうことで行動しているんです。そして誰もがともかくもそんなふうに大人になってきたのです。考えたり行動の仕方を決めたり、態度を決めたりするのもそれによってやっているんです…。」

****

 さて、このような意味で、周囲とのかかわり方がまるでわからなくて困惑するといった存在様式は、実は、うつ病圏の患者さんの周囲との関わりのあり方から、一番遠いものなのである。

 うつ病になりやすい人は、周囲の人が何を感じていて、何を求めているのかを「察する」共感的センサーが敏感であり、しかもそのセンサーの精度は、その人が健康度が高いうちには驚くほど的確で、分裂質の人のような「思い込みの暴走」「関係念慮」には容易には陥らない。自分と関わる相手との適切な距離感を保ちながらも、その場その場にふさわしい「気配り」を実際に行動として取って行くことが実に上手である(内海氏の著作のp.139参照)。

 この「気配り上手」のことを、この内海氏の著作では「他者配慮」ないし「対他配慮」という言葉で表現していることが実に多いことは、この本をお読みの読者の参考になるかもしれない。

 鬱になりやすい人持つ「同調性」とは、単に周囲に迎合するなどという浅薄な次元で「協調性」のことではなく、このような、敏感なセンサーに基づく細やかな対人配慮のことを指すことを改めて強調しておきたい。

 こうした前提で、再び内海氏の著作からの引用に戻ろう:

 「端的に言うなら、[鬱病になりやすい人の]同調性とは、環界と共振・共鳴する原理である。それ自体において、病理性が希薄である。分裂性が、のちにミンコフスキーによって引き継がれ、『現実との生ける接触の障害』という形で、統合失調症(分裂病)の基本障害として結実したのに来比べれば、はるかに健全な原理であるようにみえる。

 しかし、同調性も、行き過ぎれば病的なものになりうる。そのことについて、ミンコフスキーは、同調性格者は『[躁状態とうつ状態の]波にさらわれる結果、自我を確立し、進歩するための地歩を固めることができない』と指摘している。(中略)

 同調性とは、自己が世界と関わりを持つための不可欠の原理であるが、その一方で、自己を押し流し拡散する危険を孕(はら)んでいるのである」(pp.139-40)

****

 さて、いよいよやっと、双極「2型」の人固有の対人関係特性とその失調の話に入れる。

 連載の今回は、その中の、今述べてきた「同調性」に関する側面のみを取り上げよう。

 「双極II型性障害、とりわけ若い事例では、相手が何を考えているのか、大抵のことはわかるという。余裕のあるときには、先を見越して対応ができる。二手三手先まで読む。[ところが、]具合が悪くなると、今度はそれが裏目に出る。読みすぎ、気を使いすぎ、疲れてしまう。相手も自分と同じくらいに[こちらの気持ちを]読めるのではないかとと思い、合わせ鏡のような一人相撲になる。

 また、皆がうまくいっているのか、どこかで諍(いさか)いが起きていないか、ということも、重要な関心事である。そして大抵、彼女らの勘はあたっている。おそしてみるまに、対人関係の相関図が、頭の中に描かれる。

 こうした特性は、彼女らが生まれ育った家族での関係が反映されている。彼女らは、おしなべて甘えべたである。親に甘えるというよりは、むしろ親が彼女らに甘えてきた、と言った方が適切である。

 この関係は、家の外でも再現される。彼女らの多くは頼られる。明白な場合もあれば、目立たぬ形を取る場合もあり、あるいはスケープゴートとして機能を果たしているときもある。(中略)

 この頼られることは、彼女らの生きがいでもあるのだが、抑うつの時には大きな負担となる。(中略)

 双極性II型障害の事例がきまって言うことは、「悩みを持ちかけられる」ということである。そして最も苦手なことが、「他人の悪口を聞かせれること」である。(中略)ある患者はこのことについて、「影で他人の悪口を言うことは、私の悪口もどこかで言っているということになります」と説明した。論理的に聞こえるが、むしろ相手に対する直感的な洞察なのだろう」(p.151)

****

 今回の最後に、では、こうした、双極性II型の人たちへの精神療法において何を大事にすべきかについて、特にこの「同調性」関連で内海氏が述べている部分から引用したい:

 「どのような精神療法にも共通することであるが、患者が自分の問題に気づき、そしてそれに対応するためには、その問題を単に欠点として自覚するだけでは十分とはいえない。

 ・・・というより、それでは患者は浮かばれない。症状であれ、性格の特性であれ、それらは両義的であり、[=環境への不適応の要因になるともいえるが、同時に、その人なりにうまくやっていく上での『強み』でもあり]、かならず評価すべきところがある。

 ましてや、双極性II型障害[の人]が持つ他者配慮は、肯定されてしかるべきでものである。
 この利他的なあり方の中に、ただちに偽善、おせっかい、支配、自分本位などを読み込むべきではない。それは通常人が自らを投影しているものである。
 
同様に、他人の顔色をうかがう小心さ、過度の傷つきやすさ、拒絶への弱さなどになどの脆弱性に還元してすませるべきでもない。

 仔細に日常のあり方、そしてそこにいたる生き方を見てみれば、彼ら彼女らの「けなげさ」「かいがいしさ」を感じ取ることができるはずである。

 他人への配慮や気遣いをしつつ、彼らが奮闘してきたこと、
 彼らによって支えられた人たちがいること、
 そして
 誰もそれを評価しておらず、にもかかわらず、患者に依存し、患者の気遣いを湯水のように消費してきたこと、


そうしたことにに共感が示されるべきである。

 少なくとも、他者への尽力に役に立ったのであり、意味があったのだということを、治療者は繰り返し与えて返してしかるべきである。

 このあたりのへの共感性が持てないと、この疾病に対する治療は、ちょっと難しいかもしれない
(p.161)

(第3回につづく)

内海健/うつ病新時代 -双極2型障害という病-

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コメント

自分は、双極性障害二型なのですが、まさにその通りだと思います。仕事などでも、常々二手三手先を読んでいましたし家庭環境も、まさに書いてある通りでした。
今は働くこともできず、人とあまり接したくない状況です。

私は双極性Ⅱ型障害です。
すごく参考になりました。
内海先生の本をわかりやすく紹介してくださって本当にありがとうございます。
今まで調べたどのサイトの双極性障害の症状と私の症状には違和感があってたのですが、内海先生が書かれている内容には本当にびっくりするくらい納得できます。

双極Ⅱを患っております。
小さい頃から親から「甘え下手な子」だと言われてきました。
できれば親の手をわずらわせたくないという思いで親には心配をかけずに生きてきました。
大人になってからも周囲から「甘え下手」「気配りが素晴らしい」でも「人に気を遣いすぎ」だと言われ、
自分はそんな自覚もなくむしろ「私は気配りが足りない」「もっと気遣えたのではないか」と思うほどでした。
そして周囲からは悩みを聞かされ、愚痴聞き係のような存在になり、
私の愚痴は誰も聞いてくれないのになと思っていました。
こちらの記事にたどり着き、自分に思い当たる部分がほとんどで、
ようやく自分と向き合えそうです。
感謝いたします。

お返事大変遅れました。お役に立てて幸いです。

双極2型、発症してから20年弱。

7年間つとめた福祉施設を辞めることにしました。
辞めることになった原因は人間関係です。
周囲を助けるつもりで、誰もやらない仕事をやったり、誰かの先を見越して仕事を片付けたりしているうちに、周囲に嫌われました。
「恩着せがましい」「私にかまうな」「あてつけみたいなのはやめて」

もとより職場いじめがよくあり、誰かが誰かの悪口を言うのは日常茶飯事でした。
私はそれを聞くのが嫌でたまりませんでした。
自分の陰口も言われているだろうなと想像できたからです。

そしていじめの標的がわたしになり、陰口はもちろん露骨な悪口を言われるようになり、生きる気力がガリガリ削られ、「もうダメだ」と思いました。

同調性の高さは子供のころからありました。まるで「自分」がない。
求められる、喜ばれる役割を果たそうとするあまり、自分が何をしたいのかまったくわからない。

職場でも、嫌悪をむきだしにする同僚に対して、なんとか自分を合わそうとする。相手の無茶振りにこたえて、仕事量を増やす。でも相手はわたしが仕事をしようがしまいが関係なく、いじめをつづける。わたしはさらにパニックになって仕事を増やす。うつ転し、ダウンし、職場に迷惑をかける。

もう人間関係の少ない職場にかわろうと思います。
本当に生きにくい。途方に暮れてます。
立ち寄らせてもらって、双極障害の同調性という側面に気づけて、いっそう理解が深まりました。ありがとうございます。


お読み頂きありがとうございます。

たいへん残念な展開ですね。

周囲に味方になって、認めて下さる方がいなかったのでしょうね。

さぞお疲れのことだったろうと思います。

僕は今大学生です
自分が双極性障害Ⅱ型だと気づいたのは高校生になってからでした

症状は確実に酷くなっていて
気持ちのサイクルがとても早くなっています
そんな中、大学というより多くの人間と関わる中で
色々な人の小さい悪意が見える気がするんです
それは誰かを傷付けたりするものではないはずなのに
僕だけはその悪意にとても傷つけられているのです

僕は体が大きく、一見逞しいとよく言われ頼られますが、心はとても他の人よりも弱いのに頼られるのは辛いです


とても不安定な状態でこの記事を読んで、少し落ち着くことができました。ありがとうございます

t様

お読みいいただきありがとうございます。

お役に立てて幸いです。

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