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2013年1月 1日 (火)

待つ女 -スカイ・クロラ-(再掲)

 

 

 以下、恒例、原作についての予備知識なしの人間が、一回観た段階での感想として書くので、もし何か重大な勘違いがあってもお許しいただくとして。

 


【以下、物語の核心に関わるネタバレありです】

 

 

スカイ・クロラ (通常版) [Blu-ray]

 

*****

 

 主人公、函南優一の基地への着任を待ち受けていた、草薙水素(すいと)。彼女は、永遠に「待つ女」である。戦闘で死なない限り永遠に子供の姿のままで生き続ける「キルドレ」である彼女は、その永遠に続く変わらない日常を打破してくれる「男」をひたすら待ちわびる無力な存在に過ぎないとも言える。

 

 この、ゲームとしての戦争を果てしなく続けることを「平和のための保険」であるという共通合意が成立した近未来世界の、果てしなく淀んだ「大いなる日常」を崩すためには、決して負けることがない、しかもキルドレではない「大人」の操縦士とされる、「ティーチャー」を撃墜することによってしか達成されない。

 

 水素は、かつてその「ティーチャー」と男女の仲になり、一子を設けた。その「娘」は、確実に成長し続けているのであるから、「ティーチャー」がキルドレではないということ自体は虚構ではないと見なしていいのだろう。

 

 水素も、その「ティーチャー」を自らの手で撃墜しようとすることがある。しかし、それは決して果たされない。しかも、「ティーチャー」の側が、彼女に限っては決して「止(とど)めを刺して」はくれないという「生殺し」状況もあるのではないかと想像できる。

 

 キルドレには、過去の記憶が非常に曖昧な形でしか存在しないようである。子供時代の記憶というものは決して作中で語られることはなかった。もっとも、戦闘員として必要な技能に関しては例外である。これは、キルドレが、遺伝子操作によって作られたクローン的な存在で、必要な記憶や技能のみが、後で「疑似体験」的に植えつけられている可能性を示唆するものだろう。

 

 ただ、どうもキルドレ(少なくとも大半のキルドレ)の場合、「エヴァンゲリオン」の綾波レイのように、「私には代わりがある」ことそのものを自覚している存在ではないようだ。

 

 「攻殻機動隊」の世界観ふうにいえば、彼ら/彼女らには、個体としての「ゴースト(こころ)」が確かにあるのである。出生から現在に至るまでの人生のストーリーは曖昧なのに、一回限りのものとしての人生という認識までは奪われてはいない。そのこと自体がある意味で残酷であるとすらいえる。

 

 キルドレは、複製品としての、さまざまな擬似情報にばかり囲まれて育った、私たち(以降)の世代の暗喩であるようにも思われる。共有する子供時代の記憶といえば、「あの頃ああいう番組が流行っていたね」だとか、テレビの向こうで繰り広げられていた戦争や事件の記憶が大きな部分を占めている。

 

 現実の私たちにとって幸いなのは、(特に私ぐらいの年齢になると痛いほど感じるのだけれども)、自分が年月を経るにつれて否応なしに変化して来ていることに気がつけていることだ。「若い頃」とは変化しつつある自分と、日々直面し続けることになる。もっとも、それは決して単なる衰えなどではなく、感性と知性のバランス感覚がよくなるという体験として、少なくとも私には体験されている。

 

 そして更に、自分の人生のタイムリミットを意識していられる。「本当の衰えや死が訪れるまでに、自分に何ができるのか」という意識が、大きな支えになっている。もう、若い頃のように、1歳2歳の歳の違いなんてどうでもいい。かつて共に時を過ごした者が、それぞれ自分の人生を歩んでいるのをみても、いちいち動揺しにくくなっている。

 

  
*****

 

 「あなたには、生きて欲しい」

 

 この言葉を函南がつぶやき、水素がはじめて大粒の涙を流した時、函南がこのあとどのような行動を取るのかは、水素にも、そして少なからぬ観客にも予感できたはすである。

 

 その後の函南の出撃と、それを見送る水素の様子は、映画で繰り返し描かれてきた「特攻隊の出撃」映像をなぞるかのようである(もとより、押井さんは、自分の描き方が、まさにそうした過去の映像作品の複製的表現であることを、確信犯的に自覚していたはずだ)。

 

 コックピットの中の函南の表情はいつになく涼しげにすら見える。編隊の他のクルーを全員引き返させ、「ティーチャー」に一人で挑みかかる時、彼は全力で戦い「ティーチャー」を撃墜するつもりでいたろう。少なくとも「刺し違える」つもりでは。

 

 ・・・・・しかし、彼には、「特攻隊員」に死後贈られる栄光すら存在しない。

 

 なぜなら・・・・

 

****

 

 水素は、相変わらず、「待つ女」だった。

 

 このことに立会い、そうした彼女に幻滅した観客が、この作品世界をどう引き受けるか(どう引き受けないか)にこそ、押井さんが込めたメッセージがあるのだと思う。

 

 「あ、この映画(この男、この女)この程度か。つまんないや、他にもっとおもしろいのないかな(いないかな)」

 

と感じた時点で、その人は、水素のダークサイドを無自覚に再演し、そこに引き込まれているともいえる(^^;)

 

 少なくとも水素の中には、過去の男たちとの思い出は生き残っているようだ、仮に彼女自身が過去に撃墜されて、再生されたクローンとしての履歴も持つとしても、彼女の「ゴースト」は完全には死に絶えてはいないように思える(彼女だけは、この点で「特別扱い」なのかも。このへん、原作の設定は知らないが)。

 

 前の男は、「殺してくれ」止まりだった。

 

 次の男は、「お前は生きろ」という言葉をかけてくれ、自ら「世界を変える」決戦に飛び立ち、命を散らした。

 

 更に次の男は?・・・・・あと一歩ステップを刻むかもしれない。

 

・・・・・素子は素子なりに、未来への希望をつないでいるのではなかろうか。

 

 娘がどんどん大きくなる「現実」を見据えながら。

 

 そして、何度「命を散らした」かに見えても、我々自身の中に、クローンが再生するかのような「再生」の機会があるのだと思う

 

 まあ、「再生」するたびに、遺伝子の一部が更に損傷を受けて、老化は進んでいるかもしれないけどね、記憶の多くは、キルドレたちよりは遥かに維持されているであろうし(^^)  

 

 神経繊維のネットワークの方は、歳を重ねても成長できるのだよ。

 

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