病気の「原因」と「治療」とは何か -ナイチンゲール時代の「公衆衛生運動」と「細菌医学」の奇妙な格執-:序論(再掲)
さて、スクタリの病院に集団で収容されることで死亡者が増えたという現実にその後向かいあうことにその後の彼女の人生は捧げられたわけだが、この問題について更に論じていくためには、当時、パスツールなどの先駆的業績の中で認識されはじめていた、伝染病や傷の化膿・炎症における「病原菌」の果たす役割についての学術的な研究への関心の高まりが、実際には、公衆衛生活動を重視する政策の実現と「対立」関係にあったという、現在の目から見ると摩訶不思議な事態を問題にせねばならなくなる。
..... 私はこれを機会に、結果的に、主として19世紀という100年間において、細菌学・微生物学・公衆衛生学の分野で、ある意味で革命的と言っていい進展が生じたかについてひと渡り勉強し直す必要が生じてしまった。
そして、19世紀の100年間が、今日では伝染病や衛生問題について、あまりにも常識的になっている事柄が「全く存在しなかった」時代から、それらの一般通念が一気に常識化するまでという、驚くべき科学的発展の時代であることに気がつく。
そしてそれらの歴史的事実を「点」としてとらえるのではなくて、お互いに関連づける中で、それがある意味であまりに革命的な急激な展開であったがゆえに、その「過渡期で」生じた、不毛な迄の論争と、個々の研究者や実践家の栄枯盛衰や悲劇のドラマにも気がつかされた。
そこには、「基礎研究」と「現場の実践」の間の軋轢という、今日的なテーマの縮図を見る思いもする。
それは、産業革命期という、都市への急激な人口集中の中で、劣悪な労働条件と衣食住の環境の中で生きざるをえなかった一般庶民の生活という背景と一体になっていることにも気がつくのである。
それは現在人口急増と伝染病の蔓延の問題を抱えた発展途上国の公衆衛生の「現在」の「先取り」に他ならない。
ナイチンゲールは、まさにこの細菌学と公衆衛生運動の急激な進展の時代とほぼ重なる時期に生涯を送っている(1820-1910)。クリミア戦争への従軍は1854年から1856年である。
そのため、彼女の考え方や行動には、古い考え方の限界と、その時代の「現場臨床」の観点からすれば実践的には賢明であるばかりか結果的には適切な判断だった側面、そして、新たな科学的知見の導入に先進的だった側面と、保守的なまでに懐疑的だった側面が矛盾をはらみつつも同居しているのであり、それが彼女の業績への歴史的評価を的確にしていく上での複雑さにも結びついている。
スモールの書いた「ナイチンゲール 神話と真実」は、そういう意味では基本常識として知っておかねばならない、細菌学や公衆衛生についての知識の水準がかなり高いと言っていいだろう。
恐らく、看護や医学の専門課程を経た人には「教養課程」水準で求められるものではあるだろうが、少なくとも心理臨床系の大学院でもここまでは必須教養とはされていない水準ではあると感じた。
そしてそれは、単に伝染病や感染症、衛生学の領域を超えて、広い意味で「病気とその治療とは何か」という問題について深く考え、認識を深めていく上で、普遍的な問題意識に触れるものであり、我々心理援助職の専門家においても、「病気とその治療とは何か」ということについての基本的認識に関わる素材だとまで感じるに至ったのである。
*****
今回は、今後の連載のためのチャートとして、取りあえず、心理臨床との接点について最低限のことを示唆しましょう。
今日、統合失調症や鬱病において、脳内の神経伝達物質の働き方が大きく関連していることはかなり解明されている。今日の向精神薬は、まさにこれらの神経伝達物質のあり方に直接介入することをピンポイントで狙う製品が相次いでいる。鬱病におけるSSRIがその典型である。
しかし、では、何がそうした神経伝達物質の代謝異常が生じる「原因」なのか?というのは、まだ模索の段階である。
抗うつ薬というのは、鬱の症状を「抑える」薬ではあっても、鬱の原因を「治療する」薬ではないともいえる。そうした脈絡から、「結局は対症療法に過ぎない」という言い方がよくなされる。
しかし、これが「対症療法に過ぎない」がゆえに意味がないだとか、焼け石に水を注ぐようなものだと軽視されたらとんでもないだろう。
「対症療法」ですら、休息などと共に、人間の身体の自然治癒能力を賦活する上では貢献するのであり、「治癒そのもの」における重大な因子なのである(思わず,神田橋先生の「現場からの治療論という名の物語」も連想するが)。
実のところ、医療という行為のかなりの部分は「原因」そのものを治癒する形ではなく、心身に現れた個々の症状を「対症療法的に」治療することで成り立っている。現在の医学水準では実は原因治療が存在しない場合もある。
眠れないということは、それが続くと、人の心身を急激に消耗させる。だから、鎮静剤や睡眠薬は意味を持つ。高熱になることもまた、心身を激しく消耗させる。だから、「解熱剤」が意味を持つ。
「脱水症状」を引き起こす病気であれば、点滴や、最悪の場合にはポカリスエットですら応急には役に立つ場合もあるらしい。
仮に、その病気が「細菌感染」が原因であるにしても、いったんそれにかかってしまったら、抗生物質のように、体内のその病原菌そのものを死滅させる薬剤「だけで」治療が成立するなどという考えは採られないはずである。身体がそれより先に衰弱したらどうにもならないのである。
そして、抗生物質の第一号というべき「ペニシリン」が実用化されたのは、何と1940年であり、それ以前に「ワクチン」・・・・病原菌に対する免疫抗体を体内に形成する薬として、実用段階にあったのは、まだ1796年のジェンナーの種痘の発明以降、パスツール家禽コレラのワクチンが開発された1879年まで間があいていたくらいである(当然,この段階では,今日のような「免疫理論」は存在しない)。
つまり、特定の細菌感染が「原因」と解明されても、その特定の細菌を標的にした「原因治療薬」の開発までには数十年以上の間隙がある。
その間、どうやって「治療」していたのか?.....感染予防や消毒・殺菌を除けば、結局「対症療法」だった。
しかし、この間にも、伝染病の大流行は以前よりは大幅に阻止され、治療法も進んでいったのである。
一方、(いずれ述べるが)、19世紀後半におけるコッホや北里柴三郎たちの華々しい活躍で、重篤な伝染病の病原菌が次々発見された時代には、およそすべての深刻な病気が「病原菌」の発見によって原因がわかるのではないかという期待すら抱かれ、様々な病気についての「病原菌探し」が果てしなくなされていった。
軍医森鴎外は、軍隊で深刻な問題だった脚気が細菌によるものではないかという仮説に執着したが、結果を出せなかった(皆様ご存知の通り、ビタミンB1不足こそが真の原因である。もっとも、そこから数十年の昔は伝染病の多くが遺伝と栄養不良であるという説も存在した!!)。
中井久夫先生の著作(「分裂病と人類」)に拠れば、統合失調症も、病原菌があるのではないかと必死で研究した医学者たちがいたのである。
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こうした中、「究極の原因が何であろうと、それを予防したり治療したりするのに役立つ実践を普及させるべきだ」という立場と、「原因をはっきりさせないうちに対策だけを講じても効果が保証できない」という立場の対立。これは今の医療(もちろん精神医学を含む)にも続く軋轢が存在した。
これが軋轢になるのはなぜか?
研究にせよ、治療実践や、環境の公衆衛生的な改革事業(上下水道の整備や,建物の構造の改革)にせよ、当然資金が必要である。そして、その資金を引き出すために、時の政治権力や投資者へのアピールが必要である。
いったんそれが公的な政策や事業となったら、その対策のためにお金が費やされるひとつの経済・社会構造ができあがる以上、もう後には引けなくなる。それまでの仮説が間違っているとわかっても、もはや純粋に学問上の論争を超えて、政治論争・権力闘争化してしまう危険があるのである。
こうした軋轢は、精神医療の領域では、生物学主義と、診断学、精神科領域における公衆衛生問題、さまざまな治療法(その中の一部としての「精神療法」)との間で存在した。
こうした、過去の、医療現場と研究と政治と社会構造の間で生じてきた軋轢と不幸な歴史について、過去の教訓として知っておくことはまさに「現在のために」大事であろう。
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だから、医学生や看護学生の読者の皆様には、まるで教養課程のおさらいになってしまう素朴な議論になるかもしれないのは承知の上で、私なりの独学の成果のおおよそを、これからここで公開してしまおうかと思う。
まるで中井久夫先生がすでに十分著作の中でおやりのことを、「自分なりに」ままごとのように「歩みなおす」ような作業にも思えるが。
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以上、序文だけで取りあえず切り離してしまおう。恐らく数回のシリーズになる。
続きはこちら。
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