中島みゆきとカウンセラー(改題の上で再掲)
すべての詩人がそうとはいえないでしょうけど、広い意味で文筆や芸術を業(なりわい)としている方って、土地に根を張った「実業」の中で生きる人たちに対して、微妙な「異邦人」意識を持つことが少なくないでしょう。
しかし、それを延々疎外感として引きすりながら、それを主題として描いていくタイプの人と、むしろ「今いる場所こそその時の自分の故郷」みたいな心境に至れる人(もちろん、その二つの間を揺れ動く人)がいると思います。
カウンセラーも、「自分の人生」を生きるのではなくて、いわば「他人の人生」を生きること」、より過激な言い方をすれば、他人の人生に「寄生する」ことを生業(なりわい)としているという意味では、永遠の漂泊者という気がするのです。
だって、自分ひとりではとても体験不可能な、さまざまな人の生き様を
「見せていただける」
「聴かせていただける」
わけで。
でも、それはカウンセラー自身の人生ではない。
極論すれば、クライエントさんを自分の「生きがい」にしてしまうことで、いつの間にかクライエントさんを無意識的に自分に縛りつけ、いつまでも「先生、先生」といってもらえることに満足を見出す状態にはまる、「悪魔の誘惑」と戦い続けなばならない。
ちょっと前に流行って一気に廃れた言葉ですが、カウンセラー自身のクライエントさんへの「共依存」への誘惑です。それをきつい言葉で言えば「寄生」になるわけですが。
私たちは、クライエントさんからいつの間にか忘れ去られる存在にならねばならない。
少なくともそのことへの「覚悟」は常にしていなければならない。
***
ふしぎなもので、自分がちょうど克服したばかりの課題をもろに抱えたクライエントさんが突然目の前に現れるってこと、よくある気がします。
どうみても、それがこちらが今そのことに関心を持つ「認知枠」を持ち、そこで自分に「ひきつけよう」としているからそう思える、というだけでは説明がつかないケース。
ユングの言う
「治療者は自分のたどり着いた所までしか患者を治療できない」
が真実と思える瞬間です(ユング 『心理療法論』 みすず書房)。
相手との関係がバランスがいい場合、なぜかクライエントさんは、その時点でどこまでその治療者に話しても大丈夫か、ほとんど本能的に察知しているのではないかと感じる瞬間って、よくあります。
・・・ま、単に、以前もクライエントさんはその種のことを話していたけど、その時点ではこちらにそれを受け止めるセンサーがなかっただけ、という場合も、面接記録を詳細に読み返すと気づくことも多いですけどね(^^;)
そして、自分のことが見えてくるにつれて、他人のこともわかる(より正確に言えば、相手の方に、「わかってもらえたという手ごたえ」を感じていただけるようになる)というのも、なにも治療場面に限らず、日常の対人関係でもおこる、当たり前のことかもしれませんね。
****
私はこの数年、面接場面に埋没しすぎたと思ってます。結果的に、「カウンセリング」を生きがいにしすぎたと。
もとより、それが体調を壊し、こういう経緯を経て、大の社会人が経済的心配をせずに、自分の好き勝手ななかで無為の日々を過ごし、自分を振り返れたということ自体、ほんとうに贅沢な「充実しきった」日々でした。
****
この前、
「『巌』となりて」を書いた時に「小石のように」でひさしぶりに中島みゆきのことを思い出しまして。((アルバム「親愛なるものへ」収録)
実は「予感」以降の中島みゆきはフォローしてないので、口を挟まないことにしますが、やはり、アルバム「寒水魚」は特別なオーラを放っていると思います。
特に最後の2曲、「砂の船」
> 誰か 僕を呼ぶ声がする
> 深い夜の 海の底から
と始まる曲と、
「歌姫」
> 歌姫 スカートの裾を
> 歌姫 潮風になげて
> 夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ
ともりあがる曲、この2曲は、歌詞の意味内容とかに関係なく、「この世の人」が歌っていると感じられないくらいの、言葉で言い尽くせないオーラに満ちていると感じてます。
この2曲を知らずして、日本のポピュラー音楽を語るなかれ、と個人的には言いたくなるほどの、深い思い入れが「今でも」できることに、気がつきました。
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実はこのアルバムの「時刻表」という曲に、
> 誰が悪いのかを言い当てて
> どうすればいいかを書き立てて
> 評論家やカウンセラーは米を買う
> 見えることとそれができることは
> 別物だよと米を買う
という、辛辣そのものの歌詞が出てきて、大学院生の頃から、いい意味で「苦笑」していたんです。
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