このテーマ、このブログでも以前からお約束していて、書こう書こうと思っていたんですけど、あまりにも大きなテーマで、まだまだ勉強不足と感じている段階ですので、とりあえず、今構想していることを、備忘録的に書いておきます。
フォーカシングと認知行動療法、両方の技法に関心がある人にも、今私がいろいろ思いながら試みつつあることを未整理のままでお伝えするだけでも、何かヒントになるかもしれませんので。
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認知行動療法におけるオーソドックスな「記録表」とか「カラム表(コラム表)」と呼ばれるものを、私なりに咀嚼して、フォーカシング的に味付けをした形態を示してみよう。
・・・・・このあと、必要あれば、このローテーションを1.から再度繰り返す。
こうしたことを生活の中で記録する「宿題」をいきなり出されたら、多くのクライエントさんにとっては負担以外の何者でもないだろう。
むしろ、カウンセラーが順を追って質問していき(あるいは、クライエントさんの語りを大事にしながらも、「穴埋め」的に徐々に質問して、答えを引き出していき)、むしろカウンセラー側で整理 して、図表のようにして呈示することもできるだろう。
まず最初の段階では、クライエントさんのある特定の日に生じたひとつのエピソードだけを取り出して、その出来事の前と後に何があり、どうか感じたのかを拡充していく形で、このくらい分節化して一覧にして、カウンセラーと二人で、
「なぜここでこういう感じ方をして、こういう行動になってしまったんだろうね?・・・・その結果が結局こうだものね。こういう結果に至らずに済んだとしたら、この日のどこに認知や行動の分かれ目があったんだろうね?」
・・・・など検討してみるというだけでも、カウンセリング場面を、非常に生産的で、クライエントさんにとってもやりがいがあるものにする可能性は高いであろう。
そして、こういう、ある特定の日の特定のエピソードだけではなくて(クライエントさんに毎日日記のようにつけてもらうところまでしなくても)、面接のたびごとに、その時クライエントさんが語るエピソードについてこうしたことを数回繰り返すだけでも、そのクライエントさんが生活全般の中で繰り返している、認知と行動(問題解決)バターンの固有のクセというのものは、法則化可能な次元まであぶり出されて行き、二人で一緒に検討していける材料は、当面出揃うと思うのである。
私の理解では、認知行動療法的アプローチのベースラインになる「カウンセラーと共に考える(見直してみる、再検討する)」というのは、このような素朴な水準の検討であり、それを洗練させていくいちに、今日使われる、いろいろな技法が使われるようになった・・・・という視点は大事だと思う。
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さて、認知行動療法にフォーカシングや体験過程理論による「味付け」をしていく勘所について説明を後回しにしてしまっていたので、次に述べたい。
オーソドックスな認知行動療法においては
状況に対する「認知」の結果として、ある「感情」が生じ、
その「感情」に基づいて「行動」が生じる
(「状況」→「認知」→「感情」→「行動」→「新たな状況の生起」)
という基本的な図式を用いることが多いというのが私の理解である。
「認知」が先にあって、感情が後に「生じる」というだけでは認知と感情の相互作用は説明できず、実際には、今度はそうやって生じた感情に対する「認知」が更に生じて、それが更に新たな「感情」を巻き起こす・・・・などという細かな相互作用がどんどん生じているものであろう。つまり、「刺激」は「反応」を生み、今度は「反応」そのものが次の「刺激」となるという、あたりまえのことである。もちろんここまでのことは、認知行動療法の人たちも重々ご承知で、技法的にもそもまで手抜かりなく配慮していると言われることだろう。
これにフォーカシングや体験過程理論を援用すると、人間は「はっきりとした」感情や、「単なる」気分、「単なる」身体感覚が具体的に生じて来る次元とは別に、未分化で曖昧な漠然とした「感覚」それ自体(「実感」そのもの)として状況をまるごと感受する次元(フェルトセンス次元)というものが、人間の認知や感情や行動の生成過程に大きく関与していることを、更に細かく分節化して抽出することが可能になる。
より理論的に言えば、認知行動療法の理論で「自動思考」と呼ばれているものは、体験過程理論でいう「構造拘束的(structure-bound)な」体験過程様式に該当する。
人は、ある一定の、共通する外的・内的布置(constellation)を持つ状況に置かれると、同じ感じられた質のフェルトセンス(正確には、フェルトセンスとしてとして直接注意を向けることが「可能なはず」の、曖昧な実感)を体験することを繰り返す。
そのフェルトセンスにフォーカシングすることをしないままなので、人はいつも同じ状況になると同じような気分になり、同じような以前からの受け止め方(認知)の虜になり、同じような反応・行動を取り、同じように行き詰るという堂々巡りの連鎖から抜けられない。
誤解なきように言うが、別に技法としてのフォーカシングが介入しないと、この「構造拘束的な」悪循環の輪から抜け出せないと言うことではない。
「別な認知(とらえ方)をしてみる」ことや「別な行動をしてみる」ことをセラピストの側から具体的に「提案」したり、先に試みられることは、フォーカシング的観点から見ても何も差し支えないばかりか、強力な効果を発揮することがある。
フェルトセンスとの照合によるによるモニタリングは、認知を変えてみたり、行動を変えてみた後で、「後追いで」発揮させても、何ら差し支えはない(このことを、フォーカシシングを知らない人も、日常の中でさりげなくある程度「やっている」し、認知行動療法を受けている人も、自然発生的にかなりの程度「できている」ことにはなる筈である)。
しかし、その人にとって無理のない行動から少しずつ本人が見つけ出して試していく過程を「共に考える」形でのサポートは大事にしていいだろう。これは行動療法の暴露反応妨害法などでも大事にされている「目標行動のスモール・ステップによる形成化(シェイピング)」だが、実はフォーカシングの世界でも「アクション・ステップ」と呼ばれる技法として以前から知られ、「フォーカシングの第7のステップ」として、最近は以前より更に重視されて来ている(この「アクション・ステップ」についてはこちらで私なりに詳しく実例を書いてみました)。
シフトとは、別にフォーカシングをして、ぴったりの言葉をシフトと共に見つけ出す際にはじめて生じるものではない。フェルトセンスに直接注意が向けば、それだけでシフトになることも少なくないのだが、実際問題として、人が実際にある行動をなし終えただけで、その人の中にシフトが生じることは多い。むしろ日常の中ではそうしたシフトの方が遥かに多く、当たり前のように生じているはすだ。
例えば、あなたが、事故の影響で電車ダイヤが少し乱れた中、会社に遅刻せずにたどり着けた瞬間感じる「ほっとする」感覚と、身体のちょっとした脱力だって、立派なシフトなのである。
(フォーカシングを学んで来た人のほうが「え? それだけでもシフトか?」とびっくりされそうですが、「未完了(incomplete)」だったプロセス、すなわち「時間通りに会社にたどり着けるかどうかについてのモヤモヤ」が、やっと解放されてスッキリした(「完了(complete)した)ことには変わりないわけですね。、電車が定刻より遅れて来ないホームに立っている時や駅の途中で停止した時の体験していたであろう、不快なフェルトセンスは、会社にたどり着けた時には、見事に「解放」されているでしょう? 更に言えば、空腹の時に食べ物を食べたことによる満足だって「シフト」なのです。・・・・このように見て来ると、「フォーカシングしてはじめてシフトが起こる」「シフトが生じるのにはフォーカシングが必要」みたいな思い込みからどんどん自由になれるかと思います。行動そのものがシフトを引き出すことがいかにありふれているか!!)
そうではなくて、そうやって定刻にたどり着けたのに、全然身体がほっとした気分にならないで、次の瞬間には別の重苦しい思いにばかりとらわれるとすれば、そちらの方こそが(フォーカシング学習者なら)「意識的な」フォーカシングの対象にできるだろうが。
次に、「行動」ではなくて「認知」について考えてみましょう。
そもそも、認知行動療法でのような、「そのことについては別のとらえ方ができるのでは?」というリフレーミングにあたることを、日常の中で私たちは困難にぶつかるたびにある程度は自然発生的にやれているはずである。
そうした「とらえなおし」によって実際に気持ちが楽になることはあるし、「ほんとうはどうであろうと、このようにとらえておく方が無難だ」という現実的判断としてのダブルスタンダード・・・・例えば、
「相手に敵意があると仮定しない方が、対人関係もうまくいく。特に今のあの人との関わりにおいては、こちらの過剰な警戒心は、むしろ相手の敵意を無用に引きずり出すリスクを高める」
・・・・などと、むしろ実際的処世術の観点から、ものごとの受け止め方を決めるということも、多くの人は日常で少なからずやっているはずである。
しかし、そうやって、自分なりに、いろいろ「やってみて(行動してみて)」も、「とらえなおし」をいろいろと試みてみても、心定まらず、現実生活の中で「堂々巡り」を抜け出せないからことも多いのですね。
そういう時に、人はセラピーの門を叩いたりするのだと思います。
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ところで、そもそも、そのような個々の「とらえなおし」を意味があるとか的確だと判断しているのは、単にその人の合理性や論理性、すなわち「理性」であろうか? 実際に行なった「より適切な行動」を評価しているのは「理性」であろうか? フォーカシングの立場からすれば、それを最終的に受け入れているのは、その人の実感そのもの=フェルトセンスからの肯定のサインと、小さなシフト体験とそれに伴う心身の安堵それ自体(つまり、身体に「腑に落ちる」かどうか!!)である。
この点で、平均的な認知行動療法の場合、そうやってとらえ直す「前」と「後」とで、(単なる「知的納得」ではなく)自分の中に感じられている実感がどのくらい変化(シフト)したかということを照合して確認するということを「くっきりとは」やっていないことが、フォーカシングを学んだ人間からすると、もったいなくすら思えてならない。
私たちは、人の話を聞いて、「なるほど、そういうとらえ方もできますねえ」などとこたえつつも、実は心の中では、その人のとらえ方に違和感ビンビンにことなんて、ありふれてあるではないか?
認知行動療法を行なう空間が、単に「先生(セラピスト)に対する「優秀な生徒」として、より適応的な認知という「模範解答」を呈示して、とりあえず「先生」の承認を得るための「ゲーム空間」に過ぎなくなる危険はあるのではないか?(私が体験者に聞いた範囲では、認知行動療法の「グループワーク」になじめない人の少なからぬ部分は、そういう「場の空気」を感じて違和感を隠し切れない人たちのようである)
ほんとうにその人の生活の中にまで影響を与え続ける「新たな認知」とは、本人自身が、そのようにとらえなおしてみることで心身が実際に楽になるという裏打ちがあって受け入れられた認知のはずである。
フォーカシング的に言えば、小さなフェルトシフト体験を喚起するような新たな認知は、その新たな認知を受け入れた際に生じた新たなフェルトセンスと重ね合わせて繰り返し反芻(すう)して味わう(=「共鳴させる」)と、更にその中で、その人の中にしっかりと定着するのである。
例えば、
認知行動療法だと、通常、この中の3.の部分の認知について、そこに「自動思考」がないか、「別のとらえ方」ができないか・・・・というふうに介入する筈である。
例えば、
「《一度留守電して、相手からの返事が得られないうちに、もう1回催促の電話を入れたら、それだけで相手にとって非常に不快なことである》・・・・という自動思考が存在することが最終的に行き詰らせたのではないか? 社会常識的にみて、4回も5回も催促の電話をしたら相手も『うざく』思うかもしれないが、仮に昨晩更に「1回だけ」再度電話してみたとしても、相手はそのことで余計に不快に思う可能性はほとんど全くなかった筈である」
・・・・・このようにとらえ直してみる提案をして、更に、クライエントさんに、そうとらえてみるとどれくらい楽になるのか、身体の実感に聴いてみることを提案することが、フォーカシングを学んだセラピストならできるのである。
これは、「昨晩実際に1回だけ電話をかけ、幸い、相手が快く出てくれていたらどうなっていただろう?」ということを、具体的にイメージしてもらい、そのイメージを身体で味わってもらうことによって、更に「強化」される新たな認知となる可能性が高いだろう。
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・・・・いずれにしても、少し訓練を受けた認知行動療法のセラピストなら、クライエントさんの状況を観察して、いかにセラピストの目から見て、それがより合理的で好ましい認知や行動の仕方だと思えても、クライエントさんの方が、そうした受け止め方に難色を示す場合には、その部分を力技で説得してしまうのは好ましくないこと、つまり、新たな認知は「提案」であっても「押し付け」になってはならないことを熟知しているであろう。
セラピストから提案するにしても、更に別のとらえ方がないかどうか、アングルを変えて提案するであろう。
そして何より、クライエントさん自身が、自分で、自分なりに、別の受け止め方がないかどうかを自立的に探索する姿勢をこそ喚起しているはずである。
ところが、そうやってクライエントさんが、「別のとらえ方ができないか」ということを自分で自由に探索してみる姿勢を取れるとはどういうことなのか? フォーカシング的に言えば「(問題と)距離が取れている(making a space)」中ではじめて可能なことなのである。
フォーカシングでいう「内なる批評家の声(inner critic)」というのも、認知行動療法的に言えば、自己処罰的な「自動思考」である。
フォーカシングを進めて行くにあたっては、実は認知行動療法で言う「自動思考」を次々と「棚上げ」にしていくセルフ・スキルの形成が、自明の前提として組み込まれてすらいるのだ。
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認知行動療法をフォーカシング的にアレンジする際に、生粋の認知行動療法セラピストよりも強みになりそうなのは、フォーカシングを学んだセラピストは、クライエントさんの言葉ではっきりと説明しにくい、曖昧で漠然とした未分化な内部感覚をじっくりと傾聴しながら受け止め、クライエントさん自身が丁寧に、自分の気持ちにぴったりの固有の言語化を細やかに見つけていく過程につきあうことにめっぽう強いという点だろう。
認知行動療法においても、カラムを書き込む際に、ある状況下において自分の中に生じてきた「いくつもの」感情について、パーセンテージで数値化しながら表示させてみるというやり方もあることは私も知っている。
例えば、クライエントさんに、ある時に家族といさかいを起こした「直後の」感情について、
怒り(30%) 悔しさ(20%) 劣等感(20%)悲しみ(20%) 孤独(10%)
などと記入してもらったりするわけである。
これはこれで、繰り返しワークしてもらうと、自分の気持ちの襞を細やかに自覚していくスキルアップに役立ちそうなのですが。
ただ、このようにして、人間のある一定の状況下での複雑な感情を、並行記述的(あるいは「微分的」)に無理やり展開して表現するという手法には、ある限界さと不自然さがあると思う。
なぜなら、人が自分がそのときに体験している感情に貼り付けるラべリングは通常ひとつずつしかできないからである。
つまり、例えば、
私は、「怒り」を感じていたが、そのうち、「怒り」の奥に「悲しみ」を新たに見出した
というのが人間の自然な営みに即した感情(表現)過程(feeling prosess)であり、
「怒り」と「悲しみ」を感じている
などというのは、はるかに「人工的」な説明様式であろう。
私が今味わっているのは「砂糖40%」と「塩60%」である
と、料理に熟練しているわけでもない人には表現できるわけもないのと同じである。
フォーカシングをやっている私のような人間がアレンジすると、次のようなやりとりをすることを連想してしまう(すでに、オーソドックスなフォーカシングの教示からすれば、「かなり思い切った草書体」に書き崩していると思うが)。
T:「その時あなたはどんな気持ちだった?」
C:「・・・・・やはり『怒り』でしょうかね」
T:「『怒り』(エエ)・・・・・そういう言い方でその時のあなたの気持ち、言い尽くせているでしょうか? もし、それが単に『怒り』だけではないとすれば、どんな気持ちなんでしょう?」
C:「そうですねえ・・・・『悔しく』もあるかな」
T:「『悔しい』(エエ)・・・・・『怒っている』だけではなくて『悔しく』もあるんですね」
C:「いえ、そういう言い方よりもですね・・・・・『悔しい』から『怒って』いたというほうが近いかもしれない」
T:「ああ、『悔しい』から『怒って』いた」
C:「そうです。・・・・ほんとうは『悔しい』の方が強かったんでしょうね」
T:「ほんとうは『悔しい』の方が強かったようにも思えてきたんですね(エエ)。・・・・・では、その『悔しい』という気持ちは、いったい何を引き金として、どんな思いから生じてきたんでしょうね(直前の状況と行動の探索)」
C:「昔は弟よりも僕の方が勉強もできたし友だちがたくさんいたんですよ。でも今の僕は働けないまま病気で家にいる。弟はフリーターしながらも家にはお金を入れもせずにのうのうと生きていて、結構遊び回っている。そうやって夜遊びから帰ってきたばかりの時に、無神経に僕を軽蔑するようなことを言ったんですよ。そういう弟に『悔しさ』を感じたんです・・・・・そうか! 『悔しい』って思うのは、今の僕は、あんな弟にですらも『劣等感』を感じはじめているていうことかもしれませんね(フェルトシフトと共にに、自分の感情についての新たな認知を獲得している)。
T:「いつの間にか、弟さんに『劣等感』すら感じるようになっていたことに気づいたんだね(エエ)・・・・・今、君は『劣等感』って言い方をしたけど、もっと別の言い方ってできないかしらね」
C:「弟に対して、いつの間にか『萎縮』してしまっていた自分がいるのかもしれない。いや、弟に対してに限らず、家の中で『萎縮して』しまっている自分が自分でも苦しいんですね(体験過程尺度でいうと、ある特定の状況についてのひとつの気づきが、より一般的な状況についての気づきに拡張しているので、stage7に該当する)。
T:「その『萎縮』の感じを少し身体で味わってみて。・・・・・・そして、今度は、そうした『萎縮』から自分をのように解放できたらどんな感じか、ちょっとだけ試してみるのもいいかもしれない(フォーカシングでいうaskingの教示のひとつのバリエーションであるともいえるし、解決指向心理療法で言う「ミラクル・クエスチョン」の典型でもある)」
C:「・・・・・(沈黙)・・・・・ちょっとだけ身体が楽になりました。僕って、家を離れて、この面接室に出てくる時にまで、わざわざその『萎縮』をかかえて持ってきていたんですね」
T:「何もこの面接室にまで、ずっとその『萎縮』を抱えて来なくてもいいではないかと思えてきたんですね」
C:「そうですね。僕は何をそこまで、ここに背負ってくる必要があったんだ?、という気分ですね、今は。(弟さんとの事件があった後、「萎縮」を抱え続けていたことの「非合理性」についての気づき)」
T:「・・・・ちょっと聞いてみたくなったんだけど、いいかな?(ドウゾ)、例えば、ここに来るまでの電車の中で、弟さんと同じ世代の、楽しそうな若い連中とすれ違う時に、そうした『萎縮』は感じていましたか?」
C:「・・・・・・・いや、待って。・・・・・そういう、すれ違う人たちから新たに刺激を受けて『萎縮』が更に募る感じがあるかってことですか?(ソウ、ソンナノ)・・・・・ちょっと待って下さいよ。・・・・・・うーん、そこまでは、なかったなあ・・・・ないですよ! そこまでは、さすがに。・・・不思議なものですね、あくまでも、弟の振る舞いだから、僕の気持ちをあれだけ揺らしている気がする。
・・・・こうした展開の中で、
「少なくとも、弟を目の前にしてもいないし、家の中にいるわけでもない状況下でも、『萎縮』を感じ続けていく必要など、どこにもないではないか?」
・・・という新たな認識と、それに伴う心の自由が徐々に準備されていくのである。
「弟に対してどう振舞うか」という課題は、次のテーマとして先送りしてもいいであろう。
背後には、彼の中に、例えば、「人に叱責されたら、その時の辛い体験の実感は心身に刻み付けて味わい続けるべきである」などという、一見何とも非合理的な自動思考(・・・・・親から同じことで繰り返し叱られるたびに、「叱られた時のことをもう忘れているのか? それはおかしい」という教育を我々は無意識のうちに受けているはずである)が隠れていたことへの気づきに結びついていくかもしれない。
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・・・・・以上は、私の面接場面で普通にやっていることを脚色して再構成してみた創作と受け止めて欲しい。
今の私の現場面接は、このような、やや「ソリューション・フォーカスド・アプローチ」や「認知行動療法」(「論理療法」っぽくもありますよね)のテイストも混ぜ込んだ、フォーカシング指向心理療法である。
・・・・・何か十分な整理にならなかったかもしれないが、私が自分で現在展開し、進展させつつある、カウンセリングの方向性の進捗状況をその「未完成」のままでとりあえず公開したものと受け止めていただければ幸いである(^^)
「貞本エヴァ」としてアニメ版とは一線を画する評価で認知されているコミックス版、10年越しでまだ完結していないのだが、コミックス13巻まで一気に読破した。
非常にスイスイと読めてしまったが、このコミックス版は、テレビ放映の半年前からすでに連載されて、アニメへの興味と期待を掻き立てるところから出発したものの、アニメ放映は半年で終わり、更に旧劇場版、そして新劇場版という形でアニメ制作が進んでいくさなかにも、全く貞本さんに「ブレ」がない形で物語がすすめられていると思う。
この作品の基本設定というべきものに極めて忠実なようで、謎が変に舌足らずにならずに少しづつ解き明かされる進め方にもなっている。
「学園エヴァ」的な、登場人物たちの日常とその中での心のひだと互いの交流も細やかに描かれており、アニメ版よりも膨らみがあるようにも思える。
何より、トウジがエヴァに乗るに至るまでの過程のあたりから、この貞本版の細やかさが際立ち始める。加持さんの過去なども丁寧に描かれ、いい意味で「熱気あふれる殺伐」とでもいいたくなる持ち味がある。このあたりはアニメ版では結果的に描ききれなかったものを見事に「補完」してくれていると言えるだろう。
カヲルくんが実際に登場人物たちとどのような人間関係を持つのか(実際にエヴァに乗ることを含めて)も、アニメ版の唐突さを感じさせないじっくりとした描き込みである。
ストーリーは、あくまでも「旧劇場版」の方向に向かうことを必然のようにして展開する。個人的には、ミサトさんの「自己嫌悪を繰り返すだけ。でも前に進めた気がする」というセリフがないのが惜しい気もするし、なぜ「自爆」でないとならないのか・・・とか、わかんない点もあるが、「リリスとアダムの融合」をどういう形でゲンドウが進めようとしていたかも具体的に描写されるあたりまで考慮すれば、旧劇場版を「補完」する意味は大きいように思える。
いずれにしても、貞本エヴァのシンジは、育つ過程でそういう性格にならねばならなかったというだけで「病理水準」としての深さはない。このあたり、別に私は重みに欠けるということを言いたいのではなく、いい意味で一貫させていると思う。
新劇場版がどういうストーリー展開になろうと、あくまでも「旧劇」に沿ったストーリー展開で、ブレることなく完結をめざしていることに、大いなる期待をしたいと思う。
ただ、このペースでだと、あと2巻分は待たされることになるのかもしれない(^^)
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・・・・あ、私のブログの以前からの読者の方はご存知でしょうが、私はエヴァ本一冊出版してます(^^) 写真の中でさりげなく本への宣伝しているつもり・・・
恐らくニコ動貼り付けるのは初めてですが、ともかく内容の摩訶不思議な完成度と、読者のつっこみコメとのコラボ含めて、いやに納得してしまったもので(^^)
肖像権もへったくれもありませんが(^^;)
【第2版で追記】
これはこれでいい意味で笑えたので追加。初音ミクの力借りてるとはいえ、こういう曲を作れる人のセンスはうらやましい。
【ニコニコ動画】【初音ミク】 リア充爆発しろ! 【オリジナル曲】
おまけで、某所で見つけたこの図版も妙に納得した(^^;)
●Delta Goodrem - Fragile(YouTube)
一度に6つのことが浮かぶ。1つにしかフォーカスできないよ。
一週間には7日あるけど、私の人生はまだ始まったばかりだよ。
そのうち、気持ちは落ち込んじゃって、何もできなくなった。
時には、ひとりだって感じる。
私はあんなに強くはないって思うことも。
どうにも儚(はかな)くて、小っちゃくって。
人の言うことに振り回されやすいしね。
ちょっと脆(もろ)いな、って思うことがある。
脆いな、って。
6千年前から、どういうことなの?って問いかけて来たよ。
こころの底から言葉にしたり、メロディにしたりして。
そのうち、気持ちにとらわれちゃって、打ち負かされてしまった。
時には、ひとりだって感じる。
私はあんなに強くはないって思うことも。
何も感じられなくなったり、
人の言うことに振り回されやすいしね。
ちょっと脆(もろ)いな、って思うことがある。
脆いな、って。
みんなが私の瞳を通して真実を観ることができるっていうのなら、
見せかけだけではない、開かれた通路のように感じれくれるのなら、
もう怖がらない。泣き叫ぶことを。
もう逃げないよ。内側で感じていることを、包み隠さず示してあげる。
ちょっと脆(もろ)いんだけどね。
脆(もろ)いんだけど。
時には、ひとりだって感じる。
私はあんなに強くはないって思うことも。
どうにも儚(はかな)くて、小っちゃくって。
人の言うことに振り回されやすいしね。
ちょっと脆(もろ)いな、って思うことがある。
脆いな、って。
(こういちろう訳)
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デリタ・グッドレム(Delta Goodrem)は、オーストラリアのミュージック・シーンで大活躍している、シンガーソングライター。
Wikipediaによれば、スターダムに躍り出たデルタを襲った突然の悲劇が悪性リンパ腫のホジキンリンパ腫(Hodgkin's Lymphoma)であった。このニュースはオーストラリアで大々的に取り上げられ、連日新聞やTVなどで報道された。放射線治療により髪が抜け落ちたものの、家族やファンのサポートを受け快復したという。
この曲は、YouTubeで全く偶然に見つけ出したのだが、何の予備知識なしでも、一聴してそのインパクトに圧倒されたので、ご紹介することにした。
Innocent Eyes/Mistaken Identity
【送料無料】Delta Goodrem デルタ・グッドレム / Innocent Eyes / Mistaken Identity 輸入盤 ...
フランス南部、プロヴァンス地方を舞台とした、短編集「風車小屋だより (岩波文庫 赤 542-1)」と、その中に収録された短編を戯曲化した「アルルの女 (岩波文庫)」でも知られる、フランスの作家、ドーデの一番有名な作品は、実際には、ドイツとフランス、双方への帰属を繰り返したアルザス地方・・・その中核となる特権的自治都市が「ストラスブール」であるが・・・を舞台にした「最後の授業」という短編だったろう(どうもドーデにはこうしたフランス「辺境地域」趣味のようなものがあったのではなかろうか?
「最後の授業」は、昔国語の教科書に掲載され、誰でも知っていた。本来、ドーデの短編集、「月曜物語 (岩波文庫 赤 542-3)」
に収録されている。しかし、あのストーリーで、普仏戦争に敗北して再びドイツ語圏に戻ることを嘆き悲しみ、ドイツ語を「汚らしい言葉」と侮辱し、「フランス万歳!」と黒板に最後に大書して立ち去るのは、確か、パリから派遣された教師ではなかったか? ところが、多くの住民たちが実際に日常話していたのは、ドイツ語圏の方言という方がよほど適切な「アルザス語」だったのである。
この点に注目すると、あの「最後の授業」という短編は、非常に「皮肉な」読解が可能な作品なのだともいえる。もっともドーデ自身はフランスで「学校教師」の経歴を持つので、「フランス万歳!」と大書した教師の側に己れを同一化していた可能性が高い。
アルザス地域は、ドイツより遥かに中央集権的な国家、フランスに何回となく「領有」されつつも、容易には「同化」されないしたたかさを持っていた。少なくとも、ライン川がスイスにまで至る途中の「国際港」としての南北の主要交通・運送路としての意味を持ち、ウイーンとパリを結ぶ街道という陸路(おかげで、
マリー・アントワネットも、そして少し遅れてモーツァルトも、ストラスブールに滞在することになる)との「十字路」にストラスブールが位置する限り、ルイ14世も、革命後のフランスも、ストラスブールにある固有の「特権」を与えざるを得なかったと言える。
アルザス地方、特にストラスブールは、その意味で、フランスとドイツに挟まれ、歴史に翻弄された悲劇の地などでは決してない。むしろ、その固有の存在意義を両国に認めさせて「サバイバル」してきた、固有のアイデンティティを持った地域に他ならない。
第2次大戦後、フランスに安定して帰属するようになって以降は、フランス語教育が浸透し、現在アルザス語の話者そのものは減少し続け、むしろ復興運動すら生じているらしいが、その件については本書では深入りしてはいない。
しかし、現在欧州議会が置かれたこの都市の、そうした長年の「身の処し方」について、自身、ストラスブール大学で博士号をお取りの著者が、心を込めて、わかりやすく解説した、非常な良著であると思う。
2001年、9.11の後、アメリカがブッシュ政権下の戦意高揚とナショナリズム一色に染まり行く中、madonnaは、非難ごうごうの嵐のをものともせず、この衝撃的なPVとアルバムを発表した。
アルバムはmadonnaのアルバム史上最低のセールスを記録した。しかし、そうなるであろうことなどお構いなしの確信犯としての圧倒的気迫は、このPVと、あまりにも皮肉っぽい歌詞にはあふれ出している。
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浜崎あゆみに絶大な影響を与えているのがmadonnaであることは、気づいている人は少なくないだろう。特にライブとプロモーションビデオの演出においてそれは顕著であり、上のmadonnaのPVを観るだけで、ayuファンは圧倒的な「既視感」に襲われるはずだ。
そして、ayuもまた、2000-1のカウントダウンライブ・・・・アルバム"duty"の曲中心だが・・・・において、徹底的に「戦争」をモチーフにする舞台演出をしていたのである。しかも9.11が起こる年を迎えるカウントダウンで、まるで未来を予言するかのように!!
ayuの初期のカウントダウン・ライブは、まだ声量がなかった上に、レコード大賞→紅白→カウントダウンというとんでもないハードスケジュールの中で実施されていたため、好不調の落差が凄まじいのだが、この時のカウントライブに関しては、ayuの初期のコンサート映像記録としては、何かしら異様なまでの窮迫感が、声の荒れた質を凌駕した、隠れた傑作である。
この時のコンサートの冒頭曲は、まるでモーツァルトのレクイエムを思わせる、不気味な前奏と、鎖で足を繋がれた囚人が足を引き摺るようにして歌う重苦しさで有名な、この、アルバムタイトル同名曲である。背後には十字架の群れ(エヴァの旧劇場版も思い出されてしまうが)。
この曲の背景には、当時avexの行く末をすべて一身に背負わされたayuの苦悩の深さがあると解釈するのが、今日では定説化しているし、ayu自身が2004年のTVドキュメンタリーでそれを間接的に示唆する証言をしている。
ちなみに、歌詞の、
「ひとつの時代が終わるのをこの目で見たよ/だけど次は自分の番なんてこと/知りたくなかったんだ」
・・・・とは、小室哲哉の時代が去り、自分の時代が来てしまったことを指すという解釈が妥当であろう。
2010/6/10
境界例のナルシシズム=マーラーの分離個体化理論でいう、「練習期」を経て、「再接近期危機」に直面しつつも「見捨てられ不安」未克服=「矮小な自己像」への防衛としての「誇大自己」であるに過ぎない。
ほ んとうの「自己愛人格障害」のナルシシズム=マーラーの分離個体化理論でいう「練習期」のまま、つまり「幼児的万能感」のままで大人になっている(親もたいてい自己愛人格障害者な)ので、実は自己中心的で他者に対する感情移入能力を欠き(この点ではDSMの診断基準は正しい)、自分を「崇拝」する「子分た ち」としか関係を結べない。他者との関係は、常に相手を「利用する」という関係です。
この2つは全く別のものです。
ボーダーの人は、他者の「他者性」にすごく敏感過ぎて、まわりが大人に見えて、すごく「縮こまっている」ナーバスな人たちです。でも、実は、後者の「ホントのナルちゃん」たちよりも、発達段階的には実は上位なんですよ。
ところが、この世のカリスマ的成功者の「ある部分」は、明らかに本物の「自己愛人格障害」です。
DSMの診断基準しか頭に入ってない人には、この「実は境界型人格障害の方が発達段階的に上位」という大事なポイントが見えにくいかと思います。
その意味で、他の方もお書きのように、本書は全然古びていないですね。
マスターソンを読むならこの一冊です。
一般の皆様は驚かれるかもしれないが、心理の専門家の間で、「過保護」という概念が使われることは滅多にない。
そしてそれは「親に甘えている(甘やかしている)」という言い方を心理専門家が可能な限り排除するのと、実は共通の背景がある。「甘え」という概念が専門家と一般の皆様との間でどのくらいギャップがあるかは、すでにこの記事で詳しく論じた通りである。
wikipediaの「過保護」の項は、この点についての配慮が行き届いているが、敢えて私なりの言葉で定義すれば、「過保護」とは、次のような現象に関して限定的に用いられるべき概念であると私は考える。
「養育者が、子供の欲求や願望の充足と、不快や不安や困難の低減や除去を何より優先する形で養育活動を行うこと」
つまり、この場合、親は子供の完全な僕(しもべ)という位置に近い。
実は、このような、「純粋な過保護」というべき現象は、一般に思われているよりもはるかに少ないはずである。
しかし、この歌は「私はもう少女ではないのだから、もっと好きにさせて」と歌う歌である。つまり、"protected"とは、むしろ親の「拘束」を示唆するものであろう。
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ここでお気づきの方はお気づきだろう。
「過保護」であるかに見えるケースのほとんどは、むしろ養育者の「過干渉」 とむしろ親和的なのだ。
「過保護」も「過干渉」も、少なからぬ場合、養育者と子供との距離が過剰に密着しているという点では共通項があるかもしれない。
しかし、「過保護な子供は葛藤なく育っている。ストレス耐性が低い」などという言い方が安易に使われるとしたら、実は養育者と子供との相互作用の上っ面だけを眺めているに過ぎないケースが大半だと思える。
現実には、子供の方が親の気まぐれなまでのわがままな言動に必死にチューニングして、世代間逆転的な形で、親のメンタル面での安定を保とうと必死なまでに甲斐甲斐しく振舞ってきた経歴を持つことが少なくないのではないか。
つまり「親子間の葛藤がない」かに見えるのは、子供の側から、必死になって「平和を支えてきた」からこそというべきケースが多いように思える。
そのかりそめ平和の中で、一見「仲良し親子」のように端からは見えることが多いかもしれない。しかし、それは実は親のちょっとした不機嫌によってもろくも崩れ去る、薄氷を踏むかのような平和であることに周囲は(酷い時には母子の傍らにいるはずの父親も)、全く不感症である場合がある。
養育者と当人の間の相互作用を丁寧に観察して吟味していくと、実は本人よりも養育者のほうが(控えめにいっても)よほど「気分変調症」的ではないかと思われてくる事例の多さに注意すべきである。
子供の方が、むしろそういった親を「あやす」ことを子供の頃から求められ、「オトナとして振舞う」ことを強いられてきた側なのである。
そうやって成長した子供が、真の自立を求められる局面で失調し、他罰性や攻撃性が強い存在に見かけ上大反転を起こしたとしても、それはまったく自然な展開ではないか? 目の前にいる、いわゆる「新型うつ病」患者は、実は、家族力動の犠牲になった"Identified-Patient(見なし患者)"なのかもしれないのである。
いわゆる「新型うつ病」世代の気分障害全般を考える際、こうした視点は重要な鍵になる可能性があるように私は思えてならない。
もちろん、だからといって、親を諸悪の根源視してもどうにもならない。親自身が、何らかの意味で、やはり自分の親やもう一方の配偶者との不幸な関係を背負っていることが少なくないからである。
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このようにいうと、あの懐かしいカタカナ語=「アダルトチルドレン」を思い出される方があるかもしれない。確かにある程度は重複することになるかもしれない。
しかし、どのような概念として「説明」するかは、セラピーそのものの成否とは全く無関係である。
何より大事なのは、目の前に現れた個々のクライエント(患者)さんと虚心に向き合い、安易なレッテル張りや分類を超えたところで相互作用を持ち、解決策を、一緒になって探していく、「テイラー・メイド」ないし「一品料理」を作れる専門家としての力量であろう。
前回の続き。
午後の部の講演に招聘されていた講師の先生は、自治医科大学で奉職されている、精神科医の阿部隆明先生でした。
先生は、「新型うつ病」の一類型としての「未熟型うつ病」概念の提唱者です。私がこのブログで繰り返しご紹介してきた、内海健先生や加藤忠史先生ともお親しいようで、いわば日本のうつ病治療の最前線におられる先生のお一人です。
講演のタイトルは、『現代の多様なうつ病像とその治療』でした。
いわゆる「新型うつ病」や「双極スペクトラム障害」をはじめとする現代日本のうつ病の諸相について、これほど明確かつ立体的に解説していただいたことはない、と申し上げたいくらいに素晴らしい内容で、参加させていただいて、本当によかったと思っています。
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まず、この先生のスタンスでたいへん興味深かったのは、下田光造が1943年に提唱した、うつ病の病前性格概念としての「執着性格」と、1961年にドイツのテレンバッハが提唱した、同じく、うつ病の病前性格仮説としての「メランコリー親和型性格」を、共に、クレッチマー以来躁うつ病の病前性格として提出された来た「循環気質」に対して新たに提出された、両国の高度成長期に生じた、当時の「新型うつ病」概念であると、明晰にお語りになったことです(この点では、内海先生の路線と明確に符合しますね)。
そして、「執着性格」が、こだわり、几帳面、完全主義的自我理想に動機付けられた高エネルギー型であるのに対して、「メランコリー親和型」は、秩序愛と他者のために尽くすことに動機付けられ、周囲への罪責感という超自我的な動機付けで動く、むしろ弱力型のうつの病態であると解説してくださいました。
中井久夫先生のご著書(確か、「分裂病と人類」)で、ドイツにおいても、メランコリー親和型性格は、男権的なドイツ的価値観からするとあまり評価される性格ではないということはお読みしていましたが、なるほどと思った次第です。
もっとも、日本の高度成長期においてはメランコリー親和型性格は、少なくとも、重責に就く以前のサラリーマン道徳としては、明らかに「適者」の存在様式であったことになります。
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「双極スペクトラム障害」についての先生のご解説も、今や0.5型から小数点0.5刻みでVI型まで提唱されているそうで、興味深かったのですが(私個人は、原則的に、DSM-Vで双極スペクトラム概念が気分障害の「大分類」として導入されることに大きな期待をかけているひとりです)、詳細になりすぎるのでここでは割愛させて頂きましょう。
むしろ、先生が、「軽症うつ病で安易に抗うつ薬が処方され過ぎている」こと、そして、「抗うつ薬をトリガーとした躁転」という問題の重要性をやはり強調されたことは特記しておきたいと思います。
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さて、ここからが一番興味深い部分です。
阿部先生は、「メランコリー型」「執着性格」を含む、現代のうつ病の諸相の相互関係について、実に明快な図版を呈示くださいました。
原典は飯田真先生らとの共著にあるとのことですが、敢えてこの図だけはここで配布されたパワーポイントファイルの縮刷版を取り込ませていただくことをお許し下さい(私の書き込みも読めてしまうので、観づらいかとも思いますが。
この図だけではわかりにくいでしょうから、ここで、いわゆる「新型うつ病」について、阿部先生が実に簡潔にご紹介くださった既成の諸概念についての解説を、この図と関係ない部分を省略してそのまま転載します。
※青年期のうつ病像
●ディスチミア(dysthymia)親和型 (樽味)
※成人期後期(20代後半-30代のうつ病像)
●逃避型抑うつ (広瀬)
●未熟型うつ病 (筆者ら)
そして、「執着性格」と「未熟型うつ病」が、内因性・生得的な気分昂揚的・躁的素因を持つ「高エネルギー型」であり、「メランコリー親和型」と「逃避型抑うつ」は、そうした「気分高揚方向への」内因的素因がなく、むしろ神経症水準での「弱力型」ということになるようです。
これに当てはめたら、私なんて、もう、絵に描いたような「執着性格」ってのが、本来のあり方ですね(^^・・・親父もそうだな・・・・)
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さて、この図の鍵は、
・・・・と一般化されている点でしょう。
ここで私の頭の中は???で一杯になってしまいました。
私の父親って、ややおせっかいなところはあったけど、「熱く」私を愛し続けてきてくれた。でも、私の進路や勉強については全く口出ししなかった。子供時代、私の好きな鉄道旅行にどれだけ付き合ってくれたことだろう。全然希薄な愛情備給ではない。
母親も、ある意味では偏屈で頑固な父親のやさしい話の聴き手になれ、子供の頃から私の前で神経質になることも皆無、まもなく87歳の今も、情緒的な安定感の高さと同時に、頭脳明晰で愛嬌あふれ、腰が曲がったのを除くと、70前と思われかねないくらいのみずみずしい感性(肌の色艶も)を維持している。
そして、何より、「未熟型うつ病」の説明図式を追っていくうちに、確かに、こうした説明で典型的に理解できる「新型」うつの患者さんも一定数はいるかもしれないことは認めるにしても・・・・・
これじゃまるで、育ちのいいぼんぼんやお嬢さんが、厳しい社会に出てはじめて傷ついて発病したみたいな印象与えないか???
さすがに上の赤字の言い方まではフロアからの発言上は控えましたけど、私が現場で体験しているこのタイプに当てはまりそうなクライエントさんから詳しく訊いた生育暦や、親御さんと接した時の印象との隔たりがあまりに大きいと感じました。
「未熟型うつ病」であるかに見える人に家族内での葛藤がなくて庇護されていたなんて、私の知る臨床的現実とはまるっきり正反対なのだ。
確かに、この種の病態を示す人たちの、養育者との関係は「密着していた」時期を持つことが少なくないのは認める。
でも、それは、断じて、子供の側が依存し、それに対して親が庇護を与えるという循環構造ではないのだ!!
得てして、気分変調的な側面をすでに持つ母親がまずは存在する。その母親の機嫌を損ねないように、子供の頃から、涙ぐましいまでに気を使い、家庭の平和を守るためのキー・パーソンとして「世代間逆転」的な形で一家を支えてきたのが、患者として現れた若い人たちなのである。
家庭に葛藤がないかに見えたのは、子供の方が親の気持ちにとことん寄り添って「平和維持」に努めてきたからこそではいか????
その人たちには、むしろ親に安心して甘えられた経験など欠落している。
そして、非常に孤独な努力を重ねて、親の引力圏から離脱するために、優秀な大学に入り(得てしてこの時に親元から離れた大学を選択する。それを可能にするためには、地元を離れるに値すると親に見なされるほどに優秀な大学である必要があるのだ!)
そして、これまた親のグーの根も出ないくらいの進路(留学、企業)へと進んでいく。ひたすら、親から自由になるために!!
そうやって、どこまでも飛翔した先の企業などで、彼ら/彼女らはついに力尽きるのである。
このような経緯を持つ患者さんが、医師との治療関係が一応ついて、「陽性転移」の時期を経た後は何が起こるか????
・・・・もう、目に見えている。
親や医師、社会を相手に恨みや攻撃性を爆発させることそのものが、不可避の「治療過程のプロセス」なのである。
そうした「治療過程のプロセス」を、「疾病像」と誤認することの危険が、あまりに大きくはないのか?
*****
もちろん、簡潔に、紳士的で丁重な表現を取らせていただきましたが、私がフロアから阿部先生にお伝えした感想は以上のようなものでした。
このこととの関連で、この前の拙文、
をお読み頂ければ幸いです。
一昨日参加させていただいた、福岡県精神福祉冬期講座「不況を生き抜く -多様化するうつ病と休職・失業からの再出発-」の報告記、第1弾。まずは午前の部についてご紹介します。
講演午前の部に招聘された先生は、大正大学の廣川進先生。「休職・失業のキャリアカウンセリング -人生の危機・転機を越えていくために」という演題でした。
ベネッセで18年間勤務され、雑誌「ひよこクラブ」などの編集に携われた後、衛生管理者としてヘルスケア部門を担当され、採用・教育研修など、人事の業務も経験されたとのことです。
40歳を迎えるにあたり、臨床心理士になることを決意されて大正大学大学院に社会人入学。病院臨床の経験も積まれ、現在も大正大学の准教授をお勤めの傍ら海上保安庁にも勤務され、先日の佐世保での事故の際にも危機介入のため活躍されたとのことでした。
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企業人から産業カウンセラー・キャリアカウンセラーに転じられた経歴をお持ちというだけのことはあり、企業の内部事情にも精通された上で、個別処遇を重視する、会社内のさまざまな関係者を「チーム」としてフル活用した、うつ状態に陥った中間管理職の社員への細やかな復職支援の統合的アプローチの実践例を例示いただき、たいへん参考になりました。
少なからぬ場合、配置転換されてきた、業績至上主義の新上司からのパワハラの問題が関わること、今の日本企業は競争社会になったために、「かわいがった部下に先に昇進される」リスクがあるため、社内の空気そのものがギスギスしているため対話が少なくなっていること。会社再建のために銀行から派遣された役員によって、実力ある管理職がスケープゴート的に詰め腹を切らされ、リストラされることが引き金となるうつの発症などがあるというお話は興味深かったです。
また、うつによる休職と並行して、家族構成員に様々な問題が「同時多発」することが多いということ。子供の引きこもりや行動化、配偶者の抑うつ、親の介護などの問題が、一気に表面化=「同時多発化」しやすいようです。それまで、「ともかくも働いてしっかり稼いできてくれる」ということによってかろうじて見かけ上の平衡を維持していた家族力動の、潜在的な歪みが一気にあふれ出すということのようです。
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廣川先生のお話は更に、失業者のメンタルヘルスの問題について、ハローワークを訪れる求人者の意識の実態調査に基づいて踏み込んだ問題提起へと展開しました。
多くの退職者は、見かけ上は、キャリアアップや「今の会社があわない」などの理由を真っ先に挙げますが、実際には社内(特に上司)との人間関係に悩んだ末であることが少なくないそうです(これは私見ですが、いわゆるリストラの場合ですら、その対象として選ばれるかどうかには、この人間関係上の問題が少なからず影を落としていることがあると思います)。
そして、求職者は、もはや仕事が見つからない「恐怖」に脅かされており、それまでのキャリアが通用しないことによるアイデンティティの喪失、求職活動しては不採用になることを繰り返す中で、精神的消耗やうつ状態、身体症状の悪化、場合によってはアルコールやギャンブル嗜癖に向かうなど、潜在的に「自殺者予備軍」となる危機にさらされている。
しかし、ハローワークの現段階でのメンタルヘルス相談の体制は、まだ専門的訓練を受けた相談員が少なく、場合によっては「説教され、発破をかけられる」に留まる状況は何とか改善されていかねばならないことを先生は示唆されました。
*****
しかし、こうしたお話をうかがう中で、私の中に、何か大事な問題が抜け落ちているという思いが生じてきました。
質問タイムが最後に取られたので、私は口火を切ってフロアから感想をお伝えいたしました。
「大企業の管理職の方々の復職支援における統合的アプローチ、そしてハローワークを訪れる求職者のメンタル状況のついてのお話はたいへん示唆に富むお話でした。しかし、今日のうつ病患者の増加は、20代後半から30代において顕著であり、私がお会いしてきた通院中のクライエントさんの非常に多くが正社員ではなくて、その世代の派遣勤務です。
リストラされなかった正社員のバーンアウト症候群の問題は確かに深刻ですが、それと平行する形で、それまで派遣社員を統括していた正社員自体が配置転換され、「ベテランの派遣社員」に、その正社員の業務が「丸投げ」される現象が生じてきているようです。
その結果、一番優秀な派遣社員がオーバーワークになり、深刻なうつの危険に直面している気がします。
しかし、多くのケースにおいて、派遣社員は産業カウンセリングや企業メンタルヘルスのシステムの蚊帳の外に置かれたままという気がしてなりません」
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(以下、第2回、午後の部についての記事に続く。
ほんとうの意味で、相手の「身になって」話を聴くとはどういうことか? そのための具体的な相互トレーニングを示した書
2009/11/17By こういちろう VINE™ メンバー
形式:単行本
カウンセリングの学習においては、「傾聴」や「共感的理解」ということがひたすら強調される。そして、ロジャーズの来談者中心療法のオリエンテーションが強いロールプレイや事例検討会の場で、「それであなたは十分に相手に共感しているのか?」的な叱責がなされたり、「私は十分に相手に共感できない」ことに思い悩む、カウンセリングの初学者は未だに少なくないのではないかと思う。
最近のNHKの、ほとんど畳み込むような、うつ関連の番組の連発には敬服するしかない。
今回は、のっけから、
「うつ病は心の風邪」
という、あの、よく使われるキャッチフレーズに対して、実際の鬱病の患者さんたちの多くが、いかに違和感を感じているかを、調査結果に基づき紹介することから開始した点は買いたい。
つまり、「ツカみはOK!!」だったとは思います(^^)
なぜなら、うつ病の治療は、風邪薬を飲んで静養していれば、特別な場合を除いて、長期の場合でも1,2週間で回復するようなわけにはいかない。
何回も途中で調子を崩したり入院したりして、数年以上闘病している人もたくさんいるからである。
私も、この、「心の風邪」という言い方がはっきりいって嫌いな人間である。
この番組では、この言い方は、「誰もが欝になる可能性がある」ということ以上に、
「病院の門をくぐるまでに迷ってしまう人たちに、早期に受診してもらうため」
のキャッチフレーズであるに過ぎないことを強調していた。
もとより精神科や心療内科に通い始めることを躊躇したまま頑張っていると、欝の回復が長引いてしまうことは確かだ。
「このくらいのことでホントに病院に行ってもいいのか?」と迷いを感じるくらいのタイミングで受診するほうが、経過はいいのである。
このことは、「こころ相談.com」の私へのインタビュー記事でも述べさせていただいたとおりである。
・・・・・しかし、やはり思う。
もはや、「うつ病は、心の風邪」というキャッチフレーズよりも、もっとましなものが普及すべきであるとは。
私ならば、例えば、
「無理のし過ぎで、脳が消耗しすぎて、脳のある特殊なエンジンオイルが切れて、脳のピストンも歯車も痛みかかっている状態です。そう簡単にはその特殊オイルを補給することもできないようなものでして、歯車やピストンも一度動かすのを止めて、メインテナンスに出して磨きなおす必要があります」
などと言ってみるかもしれない。
番組の前半は、この「心の風邪」という言い方への違和という問題を鍵として、相当な密度で展開して、満足度は高かった。
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SSRI、三環系、四環系抗うつ剤の持つ、「セロトニン再取り込み阻害」作用の仕掛けは、恐らく多くの鬱の患者さんにとっては、すでに十分知れ渡ったことをうまく噛み砕いて説明してくれているとしか感じられないかもしれない。
しかし、一般の人たちへの幅広い啓蒙という意味では、この番組恒例の「着ぐるみ」登場のバラエティのノリで、わかりやすく説明する役割を引き受けてくれたことには意味があるかもしれない。
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・・・・そうそう、パネラーの山瀬まみさんが、「なぜ心の風邪と呼ばれるか」という質問に、
「症状を抑える薬はあっても、根本を治す薬がないという点で風邪の治療薬に似ているから」
という、なかなか思いつけない答えをしていた点を買います。
答えが正しいかどうかではなくて、そういう着想をできることが得がたいセンスなんですよ。これは単なるヤラセではなくて、彼女の事前情報収集と感性の産物かと思います(^^)
******
番組後半は、何かしら密度感が低下したようにも感じられたが、
●認知行動療法が、薬物療法や休息を経て、すでにかなりの程度の回復期に達した人においてはじめて効果を上げる可能性があること(私の知るところによれば、中程度以上に重い欝の人や、不安障害を伴う人への認知行動療法は、むしろ鬱を悪化させる場合もあるとも言われています)。
●運動や外出もまた、かなりの回復期になり、本人にも興味が出てきたタイミングで無理なく導入したほうがいいものであること(それは、体力回復のためというより、むしろ脳にいい刺激を与えて、神経伝達物質作用を高めるためであること。私見を言えば、番組で紹介されたような凝った体操でなくても、犬の散歩でも、自転車に乗って平衡感覚を刺激するのでもいいと思いますよ)
・・・・・これらを指摘していたことも評価したい。
一直線に、エレベーターを一気に登るような形で回復することを期待するのではなく、行きつ戻りつ、途中の「踊り場」で余裕を取り戻しながら、じっくり鬱と向き合う姿勢こそ、この番組が最終的に強調したかったことかと思えた。
*****
ただ、なぜなんでしょう???
この番組、終わりの方まで観ていくと、鬱の人にとって、だんだんと気分が鬱になりかねない、すっきりしないものを淀ませるところがある気がします。
ひとつにはタイトルがよくないのでは?
「うつ病よサラバ!」????
・・・・・この番組の内容が伝えていたのは、実は、うつ病とは容易にはおサラバできないものなんだよ!! というメッセージになってしまったから。
*****
それと、あと数点、バラエティ番組に対しては要求水準が高すぎる、揚げ足取りを覚悟で数点言及すれば、
ただ、一部の視聴者に、この「海馬の萎縮」の問題と、この番組の今回のサブタイトルの「脳が変わる」という言葉が重なってしまい、無神経とすら感じさせてしまった可能性まで心配するのは、私の妄想し過ぎであろうか?
「メガゾーン23」(板野一郎監督)という、これまた限られた映画館でしか公開されなかった、いわゆるOVAと呼ばれるジャンルのアニメ作品があります。
その作品世界は、実は漂流する大宇宙船の中で、1980年代東京23区を再現して、その時代の東京に生きているとみんなが洗脳されて生きている、地球滅亡後の世界。
「地方に行った」というのは、すべて植えつけられた記憶なんですね。
その世界が「虚構」であることに気づいた少年少女たちは、暴走族のような反体制活動を軍を相手にしている。
そして、その世界をコントロールする要となっている、圧倒的人気を誇るアイドル歌手、「時祭イヴ」(実はマザーコンピュータが生み出したバーチャルリアリティだけの存在)に会いに行くことだけを目標にしている。
(これ、20年以上前の作品!! 設定があまりに時代に早すぎた!! CD開発より前!! 歌手のモデルは明らかに中森明菜ですね)
仲間たちの犠牲の上で、主人公は、ついにマザーコンピュータの中心で、イヴの幻影と対峙する。
そして、嘘つきばかりの「大人たち」への幻滅と怒りを綿々とイヴにぶつける。
彼女は応える。
「なればいいのよ、あなたがなりたかったような、そういう大人に」
(私がアニメで出逢った、もっとも好きなせりふのひとつです)
イヴ(マザーコンピュータ)は、実は軍のコントロールは完全には受けておらず、ラストで始めてわかる意外な形での「世界の再生」に向けて「幻想の自己破壊」へと独自に動き出していたのですが。
1984年という年は、日本のアニメ史において、ひとつのメルクマールとなる、今にして思えばとんでもない年である。
なぜなら、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」、押井守の>「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」、そして当時24歳の若手だった河森正治を監督とした劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼいえていますか」という、日本アニメ史の不朽の金字塔というべき3作が、共に劇場公開された、空前の「当たり年」だからである。
・・・・私が、いわゆる「昭和35年組」アニメファン、すなわち、日本初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」の本放送を幼児期に体験し、日本のアニメの歴史と完全に同時代的に歩み、エヴァ本まで出した筋金入りの世代であることは繰り返し申し上げてきた。この「劇場版マクロス」等が公開された年に23歳ということになる。
だが、不思議と、このブログでこれまでにただの一度も名前が登場していないビックネームの監督さんがいる・・・・そう、「ガンダム」シリーズの富野喜幸という名前である。
私は、いわゆる「初代ガンダム」本放送を体験し、たいへんな衝撃を受けた世代の一人であることには変わりがない。しかし、「Zガンダム」以降はどうしても感性がついていかなかった。アムロとシャアが登場する限りは、すべての劇場版を公開時に観ていますけどね(^^)</p
そこには、ひとつには「ニュータイプ」という概念への基本的な違和感があるのだと思う。「初代」のTVシリーズの最終話の、あの何とも印象深い終わらせ方より先まで、ニュータイプについては執拗に物語を紡ぐ必要があったとどうしても感じられないのだ。
そこには、ひとつには、私がウィニコット的な対象関係論に骨の髄まで浸かった人間観の持ち主であること、すなわち、
「人と人とのこころは直接対話できない。できたと思ってもそれは錯覚(illusion)なのかもしれない。こころの交流という思い込みは、はかないまでに容易に幻滅(disillusion)に転じる。しかし、そうやって思い込みが覆された後も、希望を捨てないで更にリアルに交流し続けることによってしか人との心の絆は築き得ない」
という圧倒的な信念を自分のアイデンディディとして生きてきた軌跡のためでもある。もちろん、ガンダムにお詳しい方は、きっと、「それだけではニュータイプ論は語り尽くせない」といろいろな反論はお持ちかもしれない。あくまでも、「初代ガンダム」以降の富野作品と内的対話が成立しなかった私の一面的な独断と偏見であると見なしていただいて結構である。
(当時のサンライズ系作品では、むしろ「ボトムズ」に思い入れが深いタイプである)
*****
どうも、「ガンダム」主流派にとっては、この「マクロス」という作品はチャラチャラした作品に見えるらしい。
しかし、私は、「マクロス」こそが、当時の、ニュータイプならぬ「新人類世代」が、圧倒的な開き直りの中で到達した、自分たち世代の絶対的自己肯定賛歌だったように思えてならない。
生まれながら、テレビの向こうの側の出来事こそ「世界の現実」であるという逆転構造を当たり前にようにして生きてきた私たちの世代。
宮崎さんがいかに「ラピュタ」でシータの口を借りて「地に足をつけなければ人は生きられないのよ」と説教垂れようと、私たち世代はとっくに「地球という故郷を喪失」して宇宙空間を漂う巨大な要塞都市の住民としてしか存在していないのである。
単なる会社の「兵士」としてしかアイデンディディを持たないくせに、そこからだけの視点で「現実」を振りかざして「戦いを挑んで」くる「巨人族」=親世代たちは、どうもすでに夫婦の亀裂も深いらしく(爆)、お互いに戦闘状態にある(劇場版の世界観に従えば)。
それに挑む新人類世代は、自分たちの「身の丈」も省みず、「巨大ロボット」に乗って応戦するしかないのだ。
そして、「歌=文化」の力で、巨人族=親世代たちの「脳みそをかく乱」させる!!
当時はまさに松田聖子と中森明菜の絶頂期でもある。リン・ミンメイには、この現実の2大歌姫が深く投影されていることは、知る人ぞ知るとおりである。
ミンメイの「性格」は、我が故郷久留米の生んだ最大の「偉人」(?)の一人である、当時の聖子の「ぶりっ子」イメージをものの見事に投影していますが、今回調べてはじめて知りましたけど、劇場版のステージ衣装はむしろ明菜の舞台姿の影響が濃いそうですね(^^)
*****
1984年といったら、まだ今日のCGや3Dバーチャル・リアリティのシステムは存在しないに等しい。このアニメ映画で表現された世界は、その点でどれだけ時代を先取りしていたことか!! 映画の最初の方のミンメイのコンサート・シーンなんて、リアルワールドでは当時は夢のまた夢の演出手法だったはずである。
そして、1984年という数字を意識すると、この映画全体が、すべて手書きのセルアニメで表現されているということが、どれだけ途方もないことだったか!! アニメーターたち(「エヴァ」の庵野さんも主要アニメーターの一人)は、何ともはやクレイジーな領域のことを現実化していたのである。
ちなみに、公開当時はドルビーサラウンドですらない、モノラルでした(^^)
「あまりにも美しすぎる」クライマックスの戦闘シーン・・・・確かに、当時の私たちは必死に背伸びしていたのかもしれない。
しかし、その「昭和35年組」も、来年度にはついに満50歳を迎える。
もはや、社会を動かす指導層としての責任を果たさねばならない。
*****
話をマクロスに戻すと、リアルワールドにあらわれた私の「リン・ミンメイ」が、この映画公開当時はまだ5歳前後だったはずの、これまだ我が福岡が生んだスーパー歌姫、浜崎あゆみであることは、いうまでもない(^^)
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【追記 2013/1/28】:
マクロスの歌姫ではない飯島真理についての小論はこちら。
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共通するスタッフによって引き続き制作された、「裏マクロス」というべき「メガゾーン23」も私が敬愛する作品です。このブログのあちこちですでに言及しています。
私の、ある一人フォーカシング体験の中で、お腹で改めて出てきた最後の言葉だけをここで書きます。
「巌(いわお)」。
いうまでもなく、「君が代」の「巌となりて」の「いわお」です。
あの歌の意味、皆さんも一度くらいは誰かから説明してもらったと思いますが、
「小さな小石(細(さざ)れ石)が大きくなって、苔のむす大きな岩になるまで」
という、「自然界の法則の正反対」を歌っているわけですが(^^;)
もとより、川を流れ下った細かくなった堆積物が地層になって、褶曲して地面に出て、さらに侵食されて大きな岩の形になるまで、と言う意味に解すれば、
「人類史なんかはるかに超えたすごい悠久の時」
を歌った歌として「再認識」出来ますが(^ ^)
もともとは、どうも筑紫の国(つまり我が故郷であり、ayuの故郷でもある、福岡!!)の伝説に基づき歌い継がれた古謡にさかのぼり(実は雅楽の「越天楽」も同じメロディに起源を持ち、更には、まさに福岡の「黒田節」も同源というのはかなり知られたことかと思います)、古今和歌集で撰者の紀貫之が、「賀歌」の項の筆頭歌として、「君が代は」ではなくて、「わがきみは」で始まる歌として採録したあたりから、「公的な」色彩を帯びるわけですが。
(追記:恐らく、中国の隣の「小国」日本が、世界に名だたる「大帝国」になるまで……という意味で「公的には」受け取るべきなのでしょう。でも、ひょっとすると、「わがきみは」で始まってた当初の由来は、ひとりの娘さんから男性への「あなたにずっといて欲しい。あなたに栄達して欲しい」という「恋歌」だったのかもしれない。このへんはまだ資料にあたってません)
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いずれにしても、私の中では、「いわお」という言葉は、山奥の大渓谷の数十メートルはある大きな岩魂(がんこん)、苔どころか、上に何本も松の木が生い茂るくらいの岩のイメージとなり、それが私のおなかのあたりに「どっしりと」ある、という実感で見事に身体と響きあい(resonateして)、味わえていました。
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私としては、その地域の教育委員会と教職員組合が、つまらないところでの論争に明け暮れるくらいなら、そして、その程度のことで教師の処分とかがなされるくらいなら、目の前にいるひとりひとりの子供たちのことについてもっと「具体的に」考えることに共にエネルギーを注ぐのが当たり前の時代が早く来ることを祈るのみです。
もとより、近隣の国でも、お札の「国家最高指導者」の肖像の部分に折り目を入れただけで罰されたり、映画館で映画が始まる前に国王の姿と国歌が流れる中で全員起立しているかどうかを憲兵が見張る国もある。
都知事になる以前の青島幸雄が訳した、ジェームス・クラベルの「23分間の奇跡」という本にも描かれているごとく、「国旗への忠誠」問題は他ならぬアメリカの公教育上の問題としてブッシュ政権よりはるか以前から問題視されていたことは知っています(それを引き合いに出して、「アメリカだってそうなんだから日本でも」という論理しかいえない奴は、「自分」というものがないただの○○(^^;))なんですが)。
私自身は、君が代は、東洋の国歌のなかでも民族的な旋律の響きをもっとも大事にして作られた「名曲」のひとつであり、親しみを覚えます。
早く「起立したかしないか」を「卒業」しないと、むしろこの歌がかわいそうです(^^;)
****
そして、もうひとつ、この時の私の連想と結びついた、歌をご紹介して、終わりとします。
> 山をくだる流れにのせて
> まだ見ぬ景色あこがれ焦がれ
> 転がりだす石は16
……と始まる歌なんですが。
……この歌を「君が代」との対応で考えたことある人、います?
> お前 お前 海まで百里
> 座り込むにはまた早い
> 砂は海に 海は大空に
> そしていつかあの山へ
「小石のように」
詞・曲・歌:中島みゆき
アルバム「親愛なるものへ」に収録。
すべての詩人がそうとはいえないでしょうけど、広い意味で文筆や芸術を業(なりわい)としている方って、土地に根を張った「実業」の中で生きる人たちに対して、微妙な「異邦人」意識を持つことが少なくないでしょう。
しかし、それを延々疎外感として引きすりながら、それを主題として描いていくタイプの人と、むしろ「今いる場所こそその時の自分の故郷」みたいな心境に至れる人(もちろん、その二つの間を揺れ動く人)がいると思います。
カウンセラーも、「自分の人生」を生きるのではなくて、いわば「他人の人生」を生きること」、より過激な言い方をすれば、他人の人生に「寄生する」ことを生業(なりわい)としているという意味では、永遠の漂泊者という気がするのです。
だって、自分ひとりではとても体験不可能な、さまざまな人の生き様を
「見せていただける」
「聴かせていただける」
わけで。
でも、それはカウンセラー自身の人生ではない。
極論すれば、クライエントさんを自分の「生きがい」にしてしまうことで、いつの間にかクライエントさんを無意識的に自分に縛りつけ、いつまでも「先生、先生」といってもらえることに満足を見出す状態にはまる、「悪魔の誘惑」と戦い続けなばならない。
ちょっと前に流行って一気に廃れた言葉ですが、カウンセラー自身のクライエントさんへの「共依存」への誘惑です。それをきつい言葉で言えば「寄生」になるわけですが。
私たちは、クライエントさんからいつの間にか忘れ去られる存在にならねばならない。
少なくともそのことへの「覚悟」は常にしていなければならない。
***
ふしぎなもので、自分がちょうど克服したばかりの課題をもろに抱えたクライエントさんが突然目の前に現れるってこと、よくある気がします。
どうみても、それがこちらが今そのことに関心を持つ「認知枠」を持ち、そこで自分に「ひきつけよう」としているからそう思える、というだけでは説明がつかないケース。
ユングの言う
「治療者は自分のたどり着いた所までしか患者を治療できない」
が真実と思える瞬間です(ユング 『心理療法論』 みすず書房)。
相手との関係がバランスがいい場合、なぜかクライエントさんは、その時点でどこまでその治療者に話しても大丈夫か、ほとんど本能的に察知しているのではないかと感じる瞬間って、よくあります。
・・・ま、単に、以前もクライエントさんはその種のことを話していたけど、その時点ではこちらにそれを受け止めるセンサーがなかっただけ、という場合も、面接記録を詳細に読み返すと気づくことも多いですけどね(^^;)
そして、自分のことが見えてくるにつれて、他人のこともわかる(より正確に言えば、相手の方に、「わかってもらえたという手ごたえ」を感じていただけるようになる)というのも、なにも治療場面に限らず、日常の対人関係でもおこる、当たり前のことかもしれませんね。
****
私はこの数年、面接場面に埋没しすぎたと思ってます。結果的に、「カウンセリング」を生きがいにしすぎたと。
もとより、それが体調を壊し、こういう経緯を経て、大の社会人が経済的心配をせずに、自分の好き勝手ななかで無為の日々を過ごし、自分を振り返れたということ自体、ほんとうに贅沢な「充実しきった」日々でした。
****
この前、
「『巌』となりて」を書いた時に「小石のように」でひさしぶりに中島みゆきのことを思い出しまして。((アルバム「親愛なるものへ」収録)
実は「予感」以降の中島みゆきはフォローしてないので、口を挟まないことにしますが、やはり、アルバム「寒水魚」は特別なオーラを放っていると思います。
特に最後の2曲、「砂の船」
> 誰か 僕を呼ぶ声がする
> 深い夜の 海の底から
と始まる曲と、
「歌姫」
> 歌姫 スカートの裾を
> 歌姫 潮風になげて
> 夢も哀しみも欲望も 歌い流してくれ
ともりあがる曲、この2曲は、歌詞の意味内容とかに関係なく、「この世の人」が歌っていると感じられないくらいの、言葉で言い尽くせないオーラに満ちていると感じてます。
この2曲を知らずして、日本のポピュラー音楽を語るなかれ、と個人的には言いたくなるほどの、深い思い入れが「今でも」できることに、気がつきました。
****
実はこのアルバムの「時刻表」という曲に、
> 誰が悪いのかを言い当てて
> どうすればいいかを書き立てて
> 評論家やカウンセラーは米を買う
> 見えることとそれができることは
> 別物だよと米を買う
という、辛辣そのものの歌詞が出てきて、大学院生の頃から、いい意味で「苦笑」していたんです。
これは、鳥インフルエンザ、というものが話題となった最初の年のことと記憶します。
「だめよ!! きちんとつけてないと風邪悪くなっちゃいますよ!!」
内科病院の待合室。
「いや、いや!!」
と泣きわめく小さな男の子。
男の子が身体をバタバタさせるのを必死に抱え込み、
口にマスクをつけさせようとする若い母親。
まるで、その男の子の様子を周りの待合室の患者に必死に「隠す」かのように。
「風邪の方は念のためマスクの装着をお願いします」
と、病院側が、待合室の風邪の患者さんひとりひとりに紙製のマスクを配布するということをしていたのです。
この様子を知ってか知らぬか、周囲の人は気にもとめていないようなふるまい。病院スタッフも。
******
私は決心しました。
その男の子の方に回り込み、腰をかがめて、目と目をあわせて、言いました。
「それ(マスク)つけてると、むずむずして、キモチワルイんだよね」
その子は途端に泣きやみ、じっと私の目をみました。
わたしは、
「♪じゃーねー♪」
みたいにちょっとその子に手を振って、自分のもといた席にさっさともどります。
「どうもすみません」
と私に振り向いて母親。
しかし、その後、その子はずーーーーっと泣くのをやめたきりで、おとなしくしていたのです。
*****
私は病院からの帰り道で、いろんな連想をしました。
あんな子供ですら、ほんの一言、その子の「身になって」、共感的な言葉かけをするだけで、あそこまで一変することがある。
むしろ、そういう子供の変化に、私の方が「学ばせていただいた」とすら感じました。
*****
それにしても、なぜ、それまであの子は泣きやまなかったのか???
お母様は、泣き出し、じたばたする我が子の姿に狼狽していたばかりではなく、
そうやって我が息子が大声を上げて泣いていることが、「周囲の方のご迷惑になる」ことに気持ちをとらわれていた。
そして、そうやって子供を黙らせることができない母親であることを、周囲の目にどう見られるかという焦りにばかりとらわれていて、子供の気持ちそのものに、子供の身になって共感して一言かければそれだけで子供は落ち着くという、「コロンブスの卵」のあやし方を、狼狽の中で、たまたま思いつけなかったのでしょう。
お母さんも、男の子自身も、この待合室の場の中で「孤立無援」(helplessness)だったんだなと、ふと思ったんです。
どうして、むしろ普段はそんなことをするのが苦手な筈の私が、この時に限って、この母子に助け舟を出さずにいられなくなったのか?
********
> 私ほんとうは目撃してしまったんです きのう電車の駅、階段で
> 転がり落ちた子供と 突き飛ばした女の薄笑い
> 私驚いてしまって 助けもせず 叫びもしなかった
> ただ怖くて逃げました 私の敵は私です
> ファイト! 戦う君の唄を 戦わない奴らが笑うだろう
> ファイト! 冷たい水の中を 震えながら上って行け
何より、私は、
私自身を、 そして、
「私の中の」その母と子の、
「味方」をし、救いたかったんでしょう。
「ファイト!」中島みゆき アルバム「予感」収録
先日、都内某所の、あるファミレスで昼飯を食べていた時のお話です。
喫煙席で 背中は横に長いソファ、でも、正方形の小さなテーブルの向こうに椅子が一つだけ、という、二人で一組になるいすの配置が並んでいたところでした。
私がソファ側で一人で座って食事をしている時、隣の席の若いサラリーマンが、ウエイトレスさんを呼んで、自分の灰皿を新しいものに交換してもらったのです。
見ると、灰皿には、彼の吸ったとおぼしきタバコの吸い殻が「3本だけ」しか入っていませんでした。
「3本で灰皿変えてもらう? 几帳面な人だな」
とぐらいにしか私は最初、思わなかったのです。
*****
ところがその後の彼の一連の行動に、私は小さな驚きを覚えました。
まず、自分が座っていた、ソファ側から、同じテーブルの反対の側の席に座り直す。
「あれ、私の煙が横に流れて、迷惑だったのかな?
でも、彼もスモーカーなわけだし」
そして、次に、(彼はアイスコーヒーのドリンクバーだけだったんですが)
彼は自分の席の側にアイスコーヒーを引き寄せ直すと、テーブル全体を、自分でナプキンできれいに拭いてしまうのです。
「そうか、待ち合わせかな。
で、自分は、ソファの「上座」から、
反対の「下座」に移動したわけだ」
恋人との待ち合わせ?????
........いや、違う。彼は背広だし、平日だろ、今日。
*******
彼はそのまま、もうタバコはすわないまま10分は待っていました。
時計に時々目をやりながらも。
「そうか!!!
営業のサラリーマンの、
顧客さんとの待ち合わせなんだ!!」
煙草の灰皿を早めに取り替えてもらったのは「長時間待っていた」と、顧客さんを恐縮させないため。
上座から下座にわざわざ座り直したのも、相手が「顧客様」だから!!
++++++
案の定、それから10分後に、いかにも町工場の経営者みたいな、作業服のいでたちの中年のおじさんが彼の前に現れた。
そして、注文の後、ドリンクバーへとその「顧客さん」が立ちあがる時、その営業風のサラリーマンも自分のグラスを手に同伴した。
+++++++
「勉強させていただきました。ありがとう。
先輩の教育がしっかりしていたのかもしれないけど、
出世することを祈っているよ」
と心の中で思いつつ、私は席を離れました。
どっちかというとみゆき党で、ユーミンの方は「荒井」時代をほとんど知らず、いきなり、
"REINCARNATION"
"VOYAGER"
"NO SIDE"とアルバム3枚を学生時代にリアルタイムで買って、その後も詳しくは知らないという私なんです。
この3枚、プラス、「荒井」時代のシングル全集
を繰り返し聴くうちに、
「みゆきはクラくて、ユーミンは明るい」
という、ありがちなイメージに何か凄い違和感が出てきました。
このことについては、時を置いて何回かいろんな観点から書きたくなる気もするし、"My Favorite Disk"の方でもこれから書くかもしれないけど、とりあえず書いてみたいことを、まずはユーミンの方から書いてみます。
******
この歌、「調布基地」から、恐らく遠く見積もっても八王子インターまでという、ひどく短い距離しか情景描写されていないことをどのくらいの人が意識しているだろうか?
八王子といえば、学生時代のユーミンが住んでいた土地である。つまり、どこまでも「彼氏に家まで送ってもらっている」歌なのだ。
そして2番の歌詞になると、唐突に、
> この頃は ちょっと冷たいね 送りもせずに
となる。1番の歌詞とさりげなく「時制がすり替えられている」のだ。
つまり、曲が終わってみれば、「中央フリーウェイ」で彼とドライブしたのは、すでに「過去完了」の「思い出」の歌」というふうになってしまっている!!
*****
次に。私が個人的に、シンコペーションが効いたリズムに乗ったメロディラインが大好きな「川景色」("REINCARNATION"収録)を取り上げよう。
※ユーミン自身のYoutubeはことごとく消されているので、素人さんのカラオケへのリンクです
まるで、この時のことがすべて過ぎ去ってから振り返っていることであるかのようにも誤解させる「現在形」と「過去形」の微妙な混用。
> 恋が消えてしまったら この景色も消えるから
まるで、「どうせこの恋も終わる」とすでに決めてかかり、だから「今の」この瞬間を楽しんでいる、ということを「自覚して」しまっている。
これじゃ心の底では不安を実感してしまっていていて、「今」に刹那的に浸りきれない「脱同一化(disidentification)」された「もう一人の自分」の醒めたまなざしが絶えずそこにあるということではないか。
> 流れが音を立てて 足元を危うくする
などというあたりも、この恋そのものの危うさ、儚さの詩的隠喩といえるだろう。
もし、こうした次元での「詞の深み」に、むしろ「大人の女」(人によっては逆に「大人になりきれないモラトリアム少女」などと言い出すかもしれないが)を感じて、自分の恋愛体験と重ねて、深く共感して、ユーミンを愛している層がかなりいるのだとすれば????
もしそうだとすれば、男たちは、結構鋭い刃物を陰で突きつけられながら「にこにこ笑っている」ユーミン好きの彼女の外面にだまされている、「懲りないやつら」と言えるかもしれない
***
以前、「天気雨」について紹介した時の、鉄ちゃんならではの分析は該当ページを参照してほしい。
いずれにしても、この歌、茅ヶ崎で彼とはじめて合流する「おしかけデート」の歌であり、「クールな彼」に気持ちがほんとは通じていないのを「顔で笑って心で泣いている」=「天気雨」の歌なのである。
****
このように見てくると、
「決してこの恋は報われない」
という強迫観念に近いものが「荒井」由美時代の「後期」から実は執拗に繰り返し歌われていることに気がつく。
そのもっともストレートな表現の曲が、ユーミンの不滅の代表曲である、
であり、
> 次の夜からは欠ける満月より
> 14番目の月が一番好き
そして、松任谷プロヂューサーとの結婚を機に、「荒井由美」卒業、引退も考えていたという、「ひょっとしたら最後の曲になるかも」
という深い思いの中で作られた
で、なぜか
> 輝きは戻らない
> 私が今死んでも
という、荘厳なまでの超傑作の「別れの歌」となってしまっている、ということにもつながるのである。
ユーミンにとって、結婚という「満月」に達することそのものは、それまでの自分全体の「死」の危険を犯すことでもあったのだろう。
幸い、ユーミンの真の円熟期は、そのもう少し後の「松任谷」時代にあらわれた、最初に述べた3枚という気が私はするのだが。
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東京の人で「飛行機初めて乗ったのが海外だった」という人が多いのを聞くとびっくりします。
もとより、最近は海外旅行のほうが下手な国内旅行より割安感がすごいのはわかりますが。
Discover JAPAN!
なんてーと、世代は知れますよね。
ユーミンが「天気雨」で、
> 相模線に揺られながら、茅ヶ崎まで
彼に会いに行ったのは、 相模線が、あの、首都圏近郊としては異例だった、電化される前の、ローカル線風情たっぷりの、駅での反対方向列車の待ち合わせがむやみと多い、やたらとのんびり走る単線ディーゼルカーだった当時だからこそ意味があるのではないかと思う。
今でも止まる駅の度ごとに反対方向待ち合わせをして、走ってる時間より止まってる時間が長いのでは? といいたくなる路線ですが、やたらとスマートなデザインの通勤電車になってしまったことは確かです。
「クールな彼」 に会えるまで延々、その今より遥かにノロい相模線ディーゼルカーに耐え続け、表情は明るく微笑みながらも心の中では彼との心の隔たりに時々時泣いている(=天気雨)心境。確かユーミンは八王子に住んでたので、実話かもしれない???
私が若い頃、ユーミンについてまことしやかに噂になっていたことの一つは、
「ユーミンは時々変装してデニーズに出没し、周りの席の若い連中の話に耳をそばだて、それを作詞の発想に生かしている」
というものでした。
まあ、ユーミンも時々お忍びでデニーズで食事をしたかもしれないし、知り合いのエピソードを作詞の題材にしたかもしれません。
しかし、恐らく、当時デニーズで食事をしていた若者の間で、
「ねえねえ、あれ、ユーミンじゃない?」
「え? うっそ〜」
などという会話の中から尾ひれついて生成された「都市伝説」の一つだと思います。
二十数年前なら、ユーミンのファッションや髪型をまね、深いサングラスか何かをかけて街をうろうろしていた女性なんてうようよいたでしょうから。
*****
もっとも、有名人は常にスモークガラスの高級車に乗り、護衛に付き添われて移動しているというのはそれまた勝手な思い込みで、私のように鎌倉旧市街ののど真ん中(もうばらしていいですよね、「材木座」海水浴場から歩いて10分でした)なんかに少し前まで住んでいた人間は、「本人に間違いなし!!」という有名作家が一人で普通にJR鎌倉駅で乗り降りしているのを何回も見かけたことがあります。
タクシーの運転手さんとかの話を聞いても、有名人がお得意様というのは普通のことのようです。
ただ、ayuがかなりのケースで専属の屈強な護衛の男性数名と共にしか移動していないというのは本当のことのようです。に出てくる護衛たちは、役者さんではなく、本当の当時のayuの護衛さんたちです!!(このことはドキュメンタリーを含むさまざまな映像資料から確認済み)
でも、すっぴんだったら、そばを歩いていても誰もayuと気づかないだろう、というのも、正式に公開されている幾つかの写真(例えば写真集)から明白ですね。整形疑惑なんて、メイク技術の凄さをしらない連中のだわごとです。
もっとも、その人が有名人になり、真の才能を発揮するようになるにつれて、ほんとうに素顔も輝き出すというのも真実だと思います。ファンのオーラを浴びているうちに自然とそうなるんですね。
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しかし、次のことは「噂」ではなくて、真実です!!(「噂にもなってないでしょうが)
「カウンセラーこういちろうが、あちこちのファミレスやファーストフードの店で、周囲の席の若者の話に耳をそばだて、現代の若者理解に役立てている」
となりで、明らかに別れ話が盛り上がって来た時なんて最高ですね(^^)
あるいは、30代ぐらいの、「自分ではかっこがいいつもりのナルシスト」の男が、大学生をしきりに口説いていたりする。
ずっと話の展開を追っているとわかって来たのは、
女の子は、何と親友も一緒に来てもらって、その親友の方は、男が「本命」の女の子に核心に迫る話を始めようとすると、さりげなく、全然違う話題を一気にまくしたてはじめて、男のペースを崩してもらうという作戦に出ていた
ということだった!!
そうか、こんなふうな「女の友情」ってあるんだ!!
勉強になるなあ!!。
「甘える」とは、
自分の気持ちや願望を、相手に遠慮なく、平気で「.....を欲しい」「.....を.したい」「......はいやだ」などと言えることではなく、
何も言わなくても、自分の気持ちを相手が「察して」くれることを当然のように期待している自分に気づかないままででいる状態だということ。
このことを天下に示したことこそ、土居健郎さんの「甘え」理論最大の功績である。
だからこそ、甘えという言葉が「 」入りで表記されているのだ。
デパートのおもちゃ売り場で「○○が欲しいよう」と駄々をこねることができる子供は、土井先生の言う「甘え」を卒業している。
何が欲しいかは言わずに(思い浮かばなくて)、「これなんてどうだ」と親にいわれるままに「買ってもらってしまう」のが、土井先生の言う「甘え」である。
相手の気づかいに「甘んじている」だけである。
甘えられれば、もう「甘え」ではない。
土居先生自身の言葉を借りれば、「甘えたくとも甘えられない」状態、こそ、「甘え」である。
実はこの土居先生の言い方そのものが「パラドクス」だということに気がつかない人は、土居先生の「甘え」の理論を字面でだけ、頭だけでしか理解していない。
「甘え」とは、実は結果的に人に甘えを出せないまま、"隷属"する=「甘んじている」状態であり、なおかつ、人を自分の思うがままに(感じるままに)操縦し、”支配”しようとしていることに気がつかず、そのことを感じられない状態でもある。
過剰になればバリントでいう、「オクノフィリア」状態を抜け出せていない(あるいは、改めて退行している)にはまり込んでいることになる。
........これらのことが、私がフォーカシングと接し、自分なりに身につけ始めた初期、20数年前の、ごく初期の気づきであった。
しかし。
その後の私も、甘えたくても甘えを出せないまま、「すねて」いるだけの自分に、繰り返し直面することになる。
浜崎あゆみさんの詞って、驚くぐらいに具体的なシチュエーションが出てこない。
そして、そもそも「君」「あなた」が誰なのかが非常に曖昧で多義的で、どのようにでも受け取れ、再解釈できる。
・・・ちょっと年季が入ったayuファンなら、実は今私が箇条書きにした順序くらいでとりあえずいくつも当てはめていくのが無難であることに気がついているかと思う。
"teddy bear"や"memorial address"
の「あなた」がもっぱら父親のことを指す、"ever free"
は亡くなった祖母のこと・・・などと、特定的に捉えていい・・・といったケースというのはむしろ例外的なのである。
要するに、ayuの詞というのは、非常に純粋な形で、「外的」および「内的」な「二者関係」に無限に「投影」させ、「転移」させることに開かれ切っている。
似たようなことは、他の歌手でもある程度は曲によって見られるが、ayuのように「首尾一貫した厳密な方法論」と言える域の人を、私は知らない。
ayuは、本当にこの経験則だけで詞を書き続けていられる。裏を返すとayuのような詞を他人が「模作」しても容易にメッキが剥げる筈と断言できるくらいである。
*****
この現象をうまく説明するのに役立つ、私の守備範囲に入っている精神療法家は、誰をおいてもサリヴァンである。
私はこのことを公然とネットで書いたことが実はないままなことに、直前の記事でサリヴァンに言及した際に気がついた。
サリヴァンが、 本書で、「パラタクシス的(parataxic 私なりの意訳をすれば「相互転移的=投影的二者関係の次元」)なもの」と呼ぶ対人的相互作用の次元での象徴化・言語化様式と、まさにぴったり符合するのだ。
=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======
(前略)この合理化とは、実は「個性とは一人一人独自なものである」という妄想の特殊な一側面である。それは、「概念としての『私』と「概念としての『あなた』(conceptual "me" and "you")がそれぞれ特異的な境界線をもっているためにどうしてもそのように考えられてしまうのであるが、実際には、「概念としての『私』や『あなた』とは、個人の知覚の舵取り役をつとめるもののその人の経験の意識可能な範囲を限定する参照枠[frame of reference]となるものに過ぎない(邦訳p.111)。
=======引用終わり=======
サリヴァンは凄まじい逆説を述べているので、一見難解だが、ちょっと解説してみよう。
サリヴァンは、本書の別の箇所で、「我々は、基本的には同じような人間である」という前提が大事ということを述べている。
これは、一見「個性」というものを否定しているかに見えかねないが、一見精神病状態になるかに見える人間でも、基本的には自分と同じような人間として捉える基盤が大事だということを強調していると受け取れるだろう。
そして、「個人」という自己完結的システムとして人間を捉えるのではなく、「対人関係的相互作用の場」の過程という次元でとらえることを基本スタンスとしていることこそがサリヴァンの本質なのだ。
この点はジェンドリンも「人格変化の一理論」の削除された草稿部分(TFI日本語サイトで村瀬孝雄訳を閲覧できます)で、サリヴァンとの比較論に紙数を割いて評価している。
「性格は、対人関係の関数である」
・・・・サリヴァンの、もっとも有名な言葉のひとつである。
ひとは、自我を持つ存在として他者と関わる限り、「共人間的有効妥当性確認(consensual validation)」ができる形での言語での意思疎通の能力を身につけねばならない。
この"consensual validation"という概念は、中井先生の「超訳」の典型として著名だけれども、わかりやすく言えば「お互いに話が『通じあう』水準での言語使用になじむ」必要がある、ということ以外の何者でもない。対義語は、端的に、「自閉的(autistic)な言語使用ということになる。
もとより、人はこの能力の獲得の過程で、「自己態勢(self dynamism)」から「私-では-ない-もの(not-me)」として解離しなければならない有機体的経験の膨大な領域を持つことになる。そのある部分は容易に他者に投影され、ある部分は端的に「否認」されることになるだろう。
しかしそれはサリヴァン的な見地からすれば、人がその所属する文化に適応(accultualization)していくための必要悪でこそあれ、さまざまな精神的失調・・・・正確に言えば、そのは単に「個人内」の現象ではなくて、「対人的相互作用」における齟齬ということになる・・・・の温床でもある。
そうした意味で、アイリッシュ系であるサリヴァンは、WASPを中心とする当時のアメリカの価値観がアメリカの青年、特に前思春期の男子の成長に与える悪影響についてむしろ非常に尖鋭な批判者であったことは是非とも述べておかねばならない。
*****
さて、こうした前提で、「パラタクシス的なもの」自体についてのサリヴァンの言葉を引用しよう:
=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======
パラタクシス的[paretaxic]な対人的関わり方とは、話し手の意識の枠内におさまるような内容規定を持った対人関係と並んで[="para-"=並行して] 、影が形に添うように、もう一個の対人関係が存在し、対人的なかかわり合い方の傾向が前者とは全く異なり、しかも話し手はその存在をまず完全に意識していない場合である。
パラタクシス的な場においては、精神科医と患者とから成る二人組と並んで、「ある特別な『あなた』パターンに迎合するように自己を歪めた精神科医」と「未解決の過去の対人的なかかわり合い追体験しながらそれに対応する特別な『私』パターンを現している患者」とから成る幻の二人組がある。コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、この移動が稀にしか起らないこともあるが、いすれにせよ、普通、話し手の気の配り方は、結構ちゃんとしていて、活用や語法、語順などまちがわないで文法に適った言明を作ることができる。そのため一見首尾一貫した議論の立て方となる。またかなりはっきりと聞き手を意識した語りかけ方となる。(邦訳pp.112-3)
=======引用終わり=======
・・・・この最後のパラグラフなんて、全くもってayuの歌詞のありかたそのものについて言及していると言えるだろう。
ayuって、びっくりするくらいに、はるか以前の対人関係のことを意識し続け、ひきずり、繰り返し歌い続けずにいられない人のようだ。
このあたりの具体的な解析と人物の同定については、王子のきつねさんのブログの随所で繰り広がられてきた情報収集力と慧眼と説得力に私はとてもかなわない。
念のために申し上げると、いわゆる「成熟した」対人関係を持つ人間同士でも、この「パラタクシス的」次元は容易に顔を出す。ベイトソンのいう「ダブル・バインド」も「パラタクシス的なもの」の特殊な形態のひとつといえる。
興味深いのは、高機能自閉症の人にとっては、まさにこうやって「影のように寄り添う別次元の対人関係様式」という、いわゆる「健常者」が全く無自覚に撒き散らす「含み」の成分というものを厳密に「理解」「識別」できないとパニックに陥る場合があるということだ(私は発達障害の専門家ではないが、当事者やご家族の話をうかがう限り、いわゆる「アスペルガー」タイプの皆さんの少なからず場合にあてはまりそうだ)。
******
ちなみに、先程の引用部分で、
>コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、
と述べたが、あゆの場合、同じ歌の内容が同じシチュエーション、同じ相手を指すと強迫的に捉えようとすると意味が全体として通じにくくなるケースが稀ではない。
これについては、先述のきつねさんが、"(miss)understood"(アルバム名ではなくて曲の方)について、見事な分析をしている。
●甘いスイカに砂糖をかける(王子のきつねOnLine)
私が大好きな歌です。
ここでいう「君」って、全部ayu自身のことを指すものとして理解しなおしてみるだけで、ぐっと深みが出ますよね(^^)
*****
もうひとつ、アルバム"(miss)understood"の「心臓」であり、もっとも深みある曲のひとつと私が感じている、”In the Corner"。(以下の歌唱はへたくそなカラオケカバーです)
ちなみに、この歌詞を聴いて、ayuのことを「ボーダーチック」だとか"as if personality"だとか言い出すのは、私は心理の学部生までしか許さないから(^^)。
自分のことを振り返ってみるとどうだろう?
「まずは罪なき者が石を投げよ」。
相手への愛情を一瞬たりとも疑ったことがない人がいるとすれば、そういう人のほうが無理のしすぎで心配である(^^)
ayuは、素直なだけなんだよ。
あるいは時々、聴衆を意識して、こういうことを敢えて歌にして「予防ワクチン」をファンに打っておかないと、自分も持たないし、ファンも危ういと感じているだけ。
そういう意味ではほんとに「ファンに気を使っている」からこそ、こんな、ファンを「脱錯覚(disillusion 幻滅)」させる危険がある「暗い曲」をアルバムに入れておく。
私が聴いた、アルバム発売時のツアーの、少なくとも長野2日めと代々木の楽日という、私が臨席した2つのライブでは歌わなかったけど、最近はライブでも歌っているらしい。
私なら、ayuをむしろ、若干分裂気質も合質しながらも、高エネルギー型執着気質をベースにした、適応水準の高い双極2型に分類する(・・・・って、それこそ私自身のパラタクシス的「投影」でもあるかもしれないけどね)
*****
最後に敢えて次の初期の曲で、私が最初に提示した「君」の読み替えを徹底的にやってみてください。
あるいは、そうなるのが「望ましい」。
......これって、私にとっては当たり前の「定理」なんですけど、ここでは書いたことがありませんでしたよね。
要するに、治療者の体験過程の推進と、シフトを引き起こし、それを他の治療者とも共有できる度合いが高い(サリヴァンのいう、「共人間的有効妥当性確認(consensual vaildiation)」が高い)ものが、有意義な「心理臨床的」概念である。
サリヴァンの言う今述べた概念、consensual vaildiationを、「共人間的有効妥当性確認」と訳した、中井久夫先生の、ほとんど「超訳」には感服するしかありません。
ただ"consensual"という言葉には、sense(意味/感覚)を"con-"=共有するという意味が含まれるわけです、これ、よりわかりやすい言葉で言えば、
「意味が-お互いに-『通じる』」
ということになります。
*****
ただ、この、要するに「言葉が-通じる」とは、どういうことか。
これは、方程式を解く過程のようにして、例えば、
X="dog"
Y="犬"
とたてて、XとYが等号(=)で結ばれることを「論理的に」証明できるものではない。
そこにいる「犬」を指差して(direct reference!!)、
「That is イヌ」
"Oh,That is a"dog!!"
ゆえに
「イヌ」="dog"
........なんてものではない。
それこそ、その「犬」を「タロウ」と名付けている人が、
「That is タロウ」
と言った瞬間、その外国人が、
「イヌとは、日本語で『タロウ』というのだ」
と「思い込む」可能性はある。
バイリンガルの人は、こんなふうにして頭の中で方程式を「高速CPUで」演算して、いちいち解いているわけではないですよね。
上記のような「直示的定義」にすら依存せず、しかも、もっと、「感覚的な(sensual)」相互了解の成立に依存している。
*****
ましてや、心理臨床家が使う言葉には、「実体(entity)」としての「イヌ」すら直接指し示せないのに、人(ましてや第3者)の-心の-中に、まるで「もの」であるかのように、
「劣等感」
「罪悪感」
「自己愛的」
なものが「ある」みたいに、言葉でお互い、「伝えたつもり」「わかったつもり」になれるんだから、凄いものです(^ ^)。
例えば、「劣等感」なるものが、「健全な自尊感情」なるものに「変化」したとは、いったい何を「指して」述べているのか?
神田橋條治先生は、以前もご紹介した「現場からの治療という名の物語」の中で、こうした「心的なコトバ」そのものを(神田橋先生が言う意味での)「ファントム」(幻影)に過ぎない、とまで言い放ちました。
覚醒された意識状態とその内容はまだ、からだの領域ですが、そこへ命名機能すなわち概念言語プラス文字としてのこころが参入してくると」、症状という世界が生じます。ファントムであるこころが参入することで、感覚域は命名され、意味づけられて物語の世界となります。
「こころは病まない」
「こころには[身体とは異なり]自然治癒力はない」。生体恒常性がないので制御不能です。
(上掲書 p.33,34より 下線、[ ]内はこういちろうによる)
これは、ジェンドリンが、体験過程理論において、「内容モデル("content paradigm"」として、旧来の心理臨床概念をまるごと批判するあたりを、神田橋先生なりに少しかみくだいて,少なくとも「ある観点からは」説明して下さったことになります。
これこそまさに、ウィトゲンシュタインが「前期」論理実証主義で夢見ながら挫折した問題に通じるポイントなわけですが。
****
そして、
「語り得ぬものには、沈黙するしかない」
ではなくて、
「語り得ぬものは 沈黙してその『感覚』それ自体と『共にいる』ことがまずはできればいい」
としたのが、ジェンドリンともいえます。
****
いずれにしても、"consensual vaildiation"って
「お互いに気持ちや意図が通じているという感覚的共有」
というあたりに、もっと「ひらがなで」中井先生、お訳しになって欲しかった!!
***
デートでずっとみつめあう二人。
「......そうなんだね」
「......そうなの」
といって,お互い微笑む。
そこまで端から十数分観察していても、「何」が「そう」なのか、全然会話に出て来てないではないか!!
でも、「この」一体感こそ、人が永遠に続くことを信じたい関係でしょうね、恐らく。
進化による自由自在性で突き進み、悲劇的結末が必然となってしまったファントムとしての人間にとって、わずかばかりの希望の道があります。それはファントムが自然としての身体を尊重し、からだを主役に引き立て、自らは舞台監督になることです。
(中略)
より高みに上がって、全体を見通すイメージです。(中略)からだを主役にし、からだの特性を生かすべく、身体の声を聞き、[こころ]ファントムの方針を定めて行くのです。
それは、[こころ]ファントムの自己規制としてのさまざまな法制化・ルールとは全く異質のものです。本来、いのちの一部として[こころ]ファントムが発達してきたという進化の原点に立ち戻り、からだと[こころ]ファントムの協調関係・調和を回復する方向です。
(中略)
ただし、この方向への動きは、[こころ]ファントムたる概念言語でとらえられ、表現された途端に、運動自体の本質から離れてしまいます。
[こころ]ファントムと、からだを結んでいるもの、切れ目なく結びつけうるものは感覚です。感覚は、いろんな都合上、命名されて、言語化される時もありますが、言葉であらわされたものは影であり、その実体は言葉以前のものです。言葉に表わされた瞬間に、言語化以前にあった[こころ]ファントムとからだの結びつきは切れてしまいます。
****
ヒトは「体験」の延長上にコトバを造り、コトバ文化を展開し、万物の霊長となった。ところが、時を経るにつれ、ヒトの?下にあったはずのコトバ文化が自らの勢いで跳梁・跋扈し、発祥の地である心身の体験と離別し、ついには主家である心身をないがしろにするほどになった。今やヒトの心身は、コトバ文化が編み上げた疑似体験に隷属し、身を屈してすごすようになっている。他方、コトバ文化の方も、母体である心身体験と離別したせいで、華麗にして空疎なものとなった。
「フォーカシング」とは、体験の延長上にコトバが生じるという原初の自然なありようを復活させようとする原理主義の運動である。この運動は、心身に根ざした「体験」を蘇生させるとともに、母体との密着へ復帰させることでコトバ文化の鼓動をも蘇らせようと意図している。
だがこれは、コトバ文化の支配下では困難な反体制運動である。「フォーカシング」の優れた紹介がすでに何冊か出たものの、コトバ文化の典型である出版の部分であるという障壁を突破しえず、「体験」を蘇生させ得なかった。読者という立場には、目で活字を追いイメージを膨らます体験しか生じないからである。
ゲリラ的にフォーカシング運動を進めてきた著者らは、その「体験」の生の記録を展示することで、フォーカシング体験の運動に踏み出そうよと読者を誘惑する。
その誘惑に乗る読者が一人でも多いことを評者は願う者である。なぜなら、今日の心理療法の対話の現場でこそ、心身の体験とコトバ文化との密着が復活することが急務であると考えるからである。
今日、善意と熱意と訓練と勉学にもとづいて行われている心理療法が生み出している悲惨は目を覆うばかりである。責めはおおむね治療者のコトバ文化が自身の体験と乖離し、治療者の心身がコトバ文化の編み上げた疑似体験に身を屈していることに帰せられる。よってたつ理論基盤を問わずすべての心理治療者がフォーカシングを体験することで、心理療法の失敗のほぼ7割は消滅すると評者は推定する。
それゆえ、第9章「カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味」をまず読まれるようお勧めする。そこには、筆者である近田輝行氏の体験が展示されている。その記述は、心ある読者の内部に自身の体験の記憶を呼び寄せ、充分な誘惑となり、他の章へそしてフォーカシング体験へと進ませるであろう。
ちなみに、評者は心理療法の対話の場で、聞くときはリスナーになり、語る時はフォーカサーになるという心組で「わたしのフォーカシング」を体験している。そのようなつまみ食いでも利益は絶大である。
"******"で区切ったうしろの部分が、同じく<神田橋條治先生の、「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 著 金子書房 1995 絶版)です
・・・・というわけで、長年の封印を解き、押井守さんの劇場版「攻殻機動隊」二部作をやっと観終わったばかりです(^^)
第1作"Ghost in the Shell"の方は、その長期の封印の間にVer.2.0になって、大幅なCG化に留まらない、すべてのシーンの手直しがなされていたみたいでしたし。
予備知識ゼロでぶっ通しで観たわけですが、観てよかったですね。今の押井さんのを観たら、少し頭が痛くならないかと勝手に思い込んでずっと億劫がっていたんですけど、押井さんの硬質のリリシズムの世界って、やはり私には「癒し効果」の方がよほど強かったんだ・・・・と、何を今更ながら感じた次第
押井守さんというと、私にとっては、「うる星やつら」TVシリーズの中の超異色作、「みじめ、愛とさすらいの母?!」(第101話)を本放送で観た時点で圧倒的に熱狂し、この回の拡大バージョンというべき劇場版第2作「ビューティフル・ドリーマー」、は、映画館で見た回数18回という私にとっての最高記録を保持しています。
その後、「天使のたまご」を経て、劇場版「パトレイバー」の2本で、止まっちゃってたんですね。後を追うのが。
今回、この2本を見て、これらの作品の延長線上に、押井さんはやはり押井さんであり続けたまま、それらを全部総合しつつも、なおも前を進んでいるのを感じて、むしろほっとする、故郷に帰ったかのような思いすら感じました(^^)
*****
予備知識なしで観て、最初に何より驚いたのが、この「攻殻機動隊」の作品世界の世界観というのが、精神科医、神田橋條治先生の考え方と実にいろいろと「かぶる」ことに気がついたことなんです。
この近未来の世界では、人体に及ぶ「電脳化」と「サイボーグ化」が、多かれ少なかれ、人々に進行しています。
ここでいう「電脳化」とは、神経にネットに接続する端末が埋め込まれていて、思い切ってわかりやすく言えば、無線LANで常時接続されているような状態にあるということです(個体によってその性能に落差はあるし、高度な情報セキュリティの問題や膨大な情報のやり取りをするとなると、首の後ろの端子を外部機器に接続するやり方がとられるようですが)。
これによって、人は言葉を話さなくても対話できるし、資料を観たり読んだりしなくても、脳に直接情報をインプットできる。情報検索したければ、もはやパソコンを立ち上げ、インターネットブラウザを開けなくても、例えば、いろいろな格言を見つけ出して、臨機応変に口にすることなども自由自在である(おかげで、第2作、「イノセンス」は、古えのことわざや格言やアフォリズムの山となってむやみに格調高いセリフが多い)。
しかしこれは、自分の思いや記憶や体験のどこまでが「自分自身」のものなのか、それとも、ネットを通して取り込まれた情報による「疑似体験」なのかの境界が曖昧化し、「本当の自分とはどこにあるか」と悩みだしたらキリがない状態に置かれているということでもある。
更に、ネットを通しての「ハッキング」が生じると、自分の体験ではないものが植えつけれて、他人により「捏造」された過去を本当の過去のように思い込まされたり、戦いの中で目に見えてもいないものを見えたと錯覚させられて(見えるはずのものを見えないとされる方も当然可能)、混乱させられる可能性もでてくることになる。
そうした、「電脳化」と完全に一体化したものとして身体の「サイボーグ化」を位置づけ、「もはや自分の本来の生身の身体がほとんど残っていない存在」と人間が化した時に生じる可能性がある、アイデンティティーの危機の問題も同時に取り扱えているのが、この作品の実に興味深い点だと思える。
さて、では、ここうやって、身体的にも、脳に及ぼされる情報、蓄積された体験という観点からしても、どこまでが「自分固有のものか」という境界があいまい化した時、最後に頼りにするものはいったい何なのか?
人工知能(これには他人の記憶の複製が使われる)を備えたアンドロイド(この作品世界では「ただの『人形』」という言い方がなされる)と人間の違いはいったい何なのか?
「私の『ゴースト』が、そうささやくのよ」
・・・・主要登場人物二人が、一かバチの決定的な判断を迫られた時に繰り返しつぶやく「決め台詞」である。
フォーカシングを学んできた私には、「私のフェルトセンスがそうささやくのよ」という感覚にひどく通じるのが嬉しかったが)
『イノセンス』に付録としてついている「解説ビデオ」(!)に頼らなくても、この『ゴースト』とはどのようなものか、映画を見ていく中で漠然と察することができる作りになっているので、この言葉に明快な定義を与えないままのほうがいいとすら私は感じるが、
「まるで幻に過ぎないかのように曖昧で不確かに感受できるだけだけれども、その人の奥深くに隠れていると感じられる、<こころ>のようなもの(が指し示す方向性)」
のようなもののことを指しているようにも思われた。そしてそこにはどうも、命をつなごうという生命体の本能のようなものが関与しているような描かれ方であった(この本能が、時として残虐で利己的なダークサイドを持つことすら、「イノセンス」では描かれているが)
****
こうしてみてくると、ここでいう、「ゴースト」としての「こころ」という発想は、神田橋先生の思想を知るものにとっては、神田橋先生の「ファントム(幻影)」としての「こころ」という思想を、嫌が上でも思い出させる側面が出てくる。
もとより、神田橋先生が、こころを「ファントム」であるという時には、もっぱらその否定的な面が強い。つまり、自分自身の「思考」や、様々な外部からの「言語的情報」(そこには、精神医学や臨床心理学者の専門的な分析や解釈も含まれる)や、言葉で表現できる「価値観」によってこねくりまわされ、その人を惑わすだけの存在なのに、何かすごく大事なものであるという「幻想」として「実体化」している「こころ」という概念の徹底的な「価値の引き下げ」こそ、神田橋先生がまずは意図しているものなのだ。
そして、人間が「コトバ文化」の虚妄から解放され、動物には備わっている生体恒常性に従うかたちで生きていく状態をある程度回復していくことをこそ、神田橋先生は理想としている。
厳密に言うと、この点では、「攻殻」の作品世界観と神田橋先生のそれとの間には方向性のズレがあるかもしれない。
押井氏の場合には、そうやって電脳ネットワークにまみれ、情報の渦に巻き込まれ、更には一切の生まれついての生身の身体をすべて失っても、サイバー空間の中で、固有の「個」として存在し続ける「ゴースト=ひとのこころ」との交感の可能性にすら期待をかけているのであるから。
もっとも、物語の中に「神の次に完璧なのは(人間以外の)動物だ」という意味のセリフが登場するし、一見ストーリーと無関係だが、重要な存在感を持つものとして主人公の愛犬が克明なまで描かれていること、更には、
孤独に歩め
悪をなさず
求めるところは少なく
林の中の象のように
という『阿含経』の一節が、「イノセンス」を象徴するメッセージであるという観点からすると、押井氏の世界観と神田橋先生の世界観のめざす方向性は、意外と同じまなざしなのかもしれない。
*****
いずれにしても、私は、まだ『ポニョ』見てませんけど、
「神経症の現代に贈る・・・・」
・・・・うんぬんというキャッチフレーズを、押し付けがましくて、うっとおしく感じ(^^;)、
そのくらいならば、『イノセンス』に出て来るセリフ、
「『ゴースト』があるからこそ、人は狂気にもなれるし、精神分裂にもなれるんだ!!」
というメッセージの方が肌にあう人間のようである。
日本における夢フォーカシングの紹介は、比較的早く、「夢とフォーカシング」(原題が"Let Your Body Interpret Your Dream".....「自分の身体に夢の解釈をしてもらう」)翻訳に続いて、池見陽先生編で、実は私も分担執筆している「フォーカシングへの誘い」に、森あい子さんによる、大変わかりやすい、迫真的かつユーモラスな(?)実例が掲載されています。
しかし、インタラクティヴ・フォーカシングや、こどものためのフォーカシング、ホールボディ・フォーカシングについては、日本に既に何カ所か拠点があり、活動が盛んなのに比べますと、以外と地味な展開のように感じています。
夢フォーカシングは、フォーカシングの経験がない皆様にも堪能できるものです。個人的には、夢のワークとして、これだけおもしろいものは滅多にないと思っていますが、フォーカシングの経験をある程度積まれた方の場合、通常のフォーカシングよりも軽快なプロセスでありながら、プロセスがいきいきと展開し、通常のフォーカシングでは超えられなかったDead Endを易々と超えていくほどの体験になる場合もあります。
ところが、ジェンドリンの上述の本に書かれているのは、一見、20近くの「質問」が横並びに記載されているように見えてしまい、段取り的にはどうなるのかとか、質問をどういうタイミングで、どのように繰り出すのいいのか、見当がつきにくいのですね。
そのことが気になっていた私は、すでに1993年の段階で、
●「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」
人間性心理学研究 第11巻 第2号
という論文を書いていました。
そこで、私は、まず、順序として、3つのステージに区切り、
1.夢を話してもらい、途中で少しずつ内容を投げ返し、話者に助言者の理解に間違いがないかどうか、丁寧確認していく。
2.話者に、その自分の夢についてどう感じるか、どう理解するか、自由に話してもらう部分
3.助言者が、様々な示唆的な質問を一つずつ提案し、話者が、気に入った質問を自由に試してみる部分
としてみました。
そして、この3.の部分の《質問》群を更におおまかに3つの方略に分け、
3a) 場所の方略
3b) あらすじの方略
3c) 登場人物のの方略
3d) その他の方略
.....これらの方略それぞれに分類できる幾つかの《質問》に、平易で無理がないものから、更に高度なものへという深め方の提案順序が、Level 1 からLevel 4まであるというふうに整理しました。
夢フォーカシングの20あまりの《質問》は、すべて提案してみる必要はなく、ほんの幾つか幾つかやってみるだけで自然と大きな展開が生じ、十分堪能できるものになることが少なくないかと思います。
逆に、その柔構造な側面が、技法を学ぶ際に見当つきづらく感じさせるようです。そのための目安としてのチャートを作ったつもりです。
実は私の夢フォーカシングへの習熟は、この1993年に一応完成されていたのですね。
思いつきで、ひとつだけ示唆します。
私が「登場人物の方略」の一番アドバンスなものに一応位置づけた、ジェンドリンの「登場人物になってみる」という質問がについてですが、ジェンドリンは、見知らぬ登場人物や、場合によってはさりげなく場面に登場登場している「無生物」になってみるのが面白いと明言しています。
夢の話の中で。話者が自発的に具体的に言及したアイテムなら、なんでも素材になり得る。
例えば、
「私は、普段はまず行かないようなしゃれた店で、ワインを片手に、赤いレンガの壁のそばの席で、中学時代の片思いの人とデートしている夢を見ました。キャンドルが美しくて雰囲気よかったですね。でも、その対話は結構ヘンな対話で.....(以下略)」
という夢が報告されたとします。
夢について語った人が具体的に明言したアイテムなら、登場人物が対話している建物の「壁になる」とか、「テーブルの上のキャンドルになる」とか、「飲んでいるワイン」になるというような、一見唐突なアイデアです。
最初は素っ頓狂に思えるでしょうが、好奇心半分で,」ユーモラスに、それらのアイテムの「身になって」場面を感じてみると、予想もしない展開に爆笑したり、思いもよらない深い体験ができることもある。
例えば、夢の中のけんか相手に「なってみる」などという、いかにも正攻法な思いつきをあっさりやってみるのではなくて、搦(から)め手から遊び心でやってみると結構面白く、夢フォーカシングの体験そのものが苦しいものになる危険を大幅に軽減しています。
それこそ、なぜか、この提案を話者がやってみたら、その、夢の中での「片思いの相手との奇妙な会話」の含蓄が、夢を見た人に、その人の一見夢の内容と無関係な現実状況と一気にスパークするみたいな洞察をもたらし、身体までスッキリすることなんて、結構あるのです。
リスナーで提案の助言者である側の人物には、夢フォーカシング技法を、普段から柔軟に自分に使い込んでいるからこその余裕と、遊び心、そして、いわば芸人が観客を舞台にあげて、決して傷つけない形で爆笑の対話の場とできるようなセンスが必要かと思います。
******
条件はただひとつ。できるだけ最近みた新鮮な夢であること。
詳しくは思い出せなくて、断片的で、ワンシーンだけしか覚えてなくていいです。
それでも1時間堪能できる場合もあります。
*******
ちなみに、ユング派の夢分析や、ボスナックのdreaming body(ご本人のワークショップに出ました)、あるいはゲシュタルトのワークとどう違うの? ....とお感じの皆様、皆様がこれらの体験に慣れ親しんでおられても、まさにそういう皆様にこそ新鮮なものになるか思います。
こちらの記事も参照。
カウンセリングの学習においては、「傾聴」や「共感的理解」ということがひたすら強調される。そして、ロジャーズの来談者中心療法のオリエンテーションが強いロールプレイや事例検討会の場で、「それであなたは十分に相手に共感しているのか?」的な叱責がなされたり、「私は十分に相手に共感できない」ことに思い悩む、カウンセリングの初学者は未だに少なくないのではないかと思う。
正直に言って、カウンセラーの側は「理解したつもり」、クライエントさんの側も「わかってもらったつもり」でいても、実はそれが「思い込み」に過ぎず、両者の間にいつの間にか「同じ花を見て」「同じ感情を」共有している幻想(錯覚)が解離して行き、見かけ上の和やかさが、些細なきっかけで、そのギャップを露呈して、カウンセリング関係が混乱しはじめることは、よくありがちな実態だろう。
フォーカシングのトレーナー、ジャネット・クライン女史が開発した「インタラクティブ・フォーカシング」技法は、両者の間にある間主観的な関係性に敏感になるためのトレーニングとして、まことに洗練され、なおかつ繊細なトレーニングとなるはずである。
通常のフォーカシングにおいても、聴き手(ガイド)は、相手の感じている心身未分化な曖昧な実感それ自体に「相手の身になって」身体で感じながら傾聴し、応答していくことが重視されているのだが、そうやって聴き手側に感じられた「身になった」結果として思い浮かんできた言葉やイメージをそのまま伝え返すことは避け、ある種の中立性を維持しながら、語り手の語る「その」言いまわしではじめて話し手の内部でつなぎとめられていた、実感それ自体(フェルトセンス)をつなぎとめるための、個人的な含蓄が濃い、パーソナルな表現を、丁寧にありのままに投げ返すことを重視する。それを聴き手側が安易に言い換えたら、話し手がその言葉を手がかりにやっとのことでつなぎとめている内側の曖昧な実感(フェルトセンス)との内的関わりを妨害すると見られているからである。
しかし、インタラクティブ・フォーカシングは、発想を逆転させた。話し手が、自らの話題についての自らのフェルトセンスをじっくり味わっているその時に、聴き手側も、話し手の「身になって」、フェルトセンスを、いわば「疑似体験」するつもりで味わってみるための、「二重の共感の時」と呼ばれる沈黙のひとときを取ることを技法的段取りに組み込んだのである。
そして、その沈黙のひと時の後に、聴き手の側が、話し手の身になって吟味した、手短な言葉や一つのイメージ(慣れるまではこれを見出すことをたいへんだとお感じかもしれない)を先に呈示し、話し手はそれを自分の実感と再照合する。
その結果、聴き手の言葉が、思いの他、自分の実感と「しっくり来る」こともあろうし、一面はとらえてくれていても、何かズレていると感じることもあろう。いずれの場合も、その結果を聴き手にフィードバックするわけである。
誤解なきように言えば、これは聴き手側が話しての実感に「的中」する言葉やイメージを見出さねばならないという強迫に駆られる必要はない。たとえ「ズレて」いても、そのズレを「共有する」ことが、相互理解を非常に深い次元で促進する刺激剤となるのであるから。
ここまで進めたら、今度は語り手と聴き手が役割交代して、同じことを進める。つまり、それまでの聴き手は、今度は、そこまでの話の流れで「自分個人が」感じていた実感を相手に伝え返し、傾聴してもらえるのである。
こうしたことを、まるで野球のイニングを表と裏で進めるように往復していく。「相手の身になって感じて、応答すること」と「自分自身の実感を語ること」を完全に別の段取りとして語るコミュニケーションをすることをとことん「構造化」しているのが、この技法の最大の特徴である。
それは、相手を尊重し、自分の気持ちも尊重する対話を、超スローモーションで少しずつ丁寧に進めることになる枠組み、いわば、CT-MRI(連続断層撮影)的な形で間主観的なプロセスを相互検証できるフォーマットなのである。
この技法で傾聴訓練を重ねたカウンセラーは、現場臨床の面接の中でも、クライエントさんの話を聴くうちに、「今の話を聴いていて、私はこんな感じがしてきたんだ・・・」なとどいいう形で、ポツリと手短に言葉を差し出してみる際に、それがクライエントさんの心にいい形で響く言葉になる感度が圧倒的に上昇する。
ただ、本書の邦訳の副題に「カウンセラーの力量アップのために」とつけてしまったのは、実際の本の内容とは少しかけ離れてしまったと思う。なぜなら、本書の中で示されている事例の大半は「カップル・セラピー」の現場での適用事例だからである。
自己主張的であるように小さい頃から教育された欧米の人たちにとって、恐らく連れ合いとのいさかいは日本の比ではないくらいに激しく、両者を傷つけあうものであろう。本書が、そうした生々しい現実を背景として生まれたものであることを、心に留める必要があると思える。
「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」「秒速5センチメートル」、一気に観ました(^^)
新海誠監督という名前は、私がアニメから身を引いていた時期にもなぜか目に入り、なんとなく私が非常に好む作風の傑作群ではないかという直感がありましたが、それが見事に当たってしまいした(^^)
三作ともに「星6つ」あげたくなる。アニメ史に残る傑作群ではないだろうか?
・・・・うん、こういうアニメが出てくる方向性をこそ、私は期待していた気がする。
三作に共通するのは、「隔てられた男女の絆」。
そのピュアーで甘酸っぱい(でも少しビターな)描き方は気恥ずかしいくらいですが、十分にリリシズムに満ちた、「オトナの文学」している領域。
「ほしのこえ」はオリジナルバージョンで観ました。わすか24分で感動の渦に巻き込んでしまう密度はとてつもない域。
この作品とと、長編「雲のむこう、約束の場所」は、どちらも現代風の日常世界とSF的な別世界がミスマッチ的に共存している点で共通項がある。
特に後者は、ハードSF的な要素もあり、どこまでが夢の世界なのか、現実なのか交錯し続け、観ていて最初の方はそれに戸惑いますが、観ていくうちに謎は解けますね。かなり年季の入った「映画」ファンでないと一回観ただけでは読み解けないかも知れませんが(押井守さんの「イノセンス」に身を乗り出してハマれる人には何も抵抗ないでしょう)、絶妙の構成だと思います。いわゆる「セカイ系」の極みかとも思いますが。
一転して全60分の「秒速5センチメートル」は、「日常系」の何ともしっとりした恋愛もの。一番万人向けなのはこの作品でしょう。普段アニメを見ないオトナでも素直に感動する人が少なくないかと思います。
ハマる人は無茶苦茶ハマる。リアルでスレた現実を生き過ぎている人は、「何、これー?」かもしれないけど、村上春樹の叙情系の作品にハマれる人だと親和性がありそう。
あるアマゾンレビュアーの人は書いています:
「あなたも、心のかさぶたをはがしてみませんか?」
オムニバス形式をとっていますが、3話共に、男性主人公は同じ「遠野貴樹」で、ヒロインの方だけが入れ替わる。実はこの遠野という男性の「恋愛遍歴」ドラマとも言える気がする。
中学時代、高校時代、成人。両思い、片思い、婚約者/恋人との微妙な機微。
そして、「すれ違い」。
遠野って罪作りな男だと思いますが。
ある意味では、男と女の恋愛観の違いも浮き彫りにしてるかも。
男は、いつまでも初恋の女性の面影を追いかけるものだと思う(・・・私がそうなだけか?)
この作品にもロケットがモチーフとして登場せずにはいられないみたいですね(^^)。
****
全作通して、執拗なまでの鉄道へのこだわり。フルデジタルアニメ(あるいはそれに準じる)による透明で空気感に満ち、克明で繊細な日常描写・・・これ以上求めようもない、見事な水準というしかありません。
そして、この新海監督は、脚本から絵コンテ、背景美術、時には作詞まで自分でやってしまうマルチな作家能力。こういう人は宮崎駿しかいなかったのではないか。
この人の作品は「ゼロ年世代」に分類してもいいかと思いますが、こういう「大作家」をこれまで未見だったのは、何とももったいなかったな。
この人の作品についての徹底的なネット上の批判記事は、
●新海誠の痛さ(1)懐かしがっているのは誰か?(蕩尽伝説)
といったあたりかと思う。
ただ、この人の現代社会についての見方も、もはやひとつのテンプレかと思う。この人もまた、現代社会の中で疎外され、行き場を見失い、アニメとかのフィクションに身を静める人種であることには変わりない。
いかに今の現実の中で、自分を見失い勝ちだとしても、単にそれを評論するのではなく、足を地につけ、感性を維持した形でそれと戦うことができるというのが私の信念である。
そして、徹底的に、自分の感性を真っさらにして、作品世界に思い切りどっぷりと身を委ね、ビターなものはビターに、リリックなものはリリックに、その作品ならではの味わいを味わい尽くしたいと思っている(もちろん、これらが交錯している場合もあるのだが)。
・・・だから、私は自分が観た作品をクサすことは滅多にない。
それに、新海さんは、とっくに結婚している人なのだ。恋愛もできる。過去を懐かしがる、自己愛だけの人ではない。
【追記】:
「言の葉の庭」観ました。素晴らしいですね。これまでのベスト!!
【更なる追記】:
なお、「星を追う子ども」もすでに観ているのですが、宮崎駿先品へのオマージュという枠に縛られた作品だと思っています。
8月公開の長編、「君の名は。」は、予告編を見る限り、細田守作品に通じるギャグも散りばめた作品のようですが、まず失敗はしないでしょう。
【追記】:「君の名は。」観ました。これまでの作品に比べると、幅広い層に受け入れられるのは当然!と思います。
10年以上前、アメリカからフォーカシングの有力なトレーナー、エルフィ・ヒンターコフ(ヒンターコプフ)が来日して東京でもワークショップを開いた。そのワークシップが非常に面白かったので、そのことを書こうと思う。
このヒンターコフという人は、アメリカ生まれだが、ヴイーン大学で、先年(1997)亡くなった、ナチの収容所体験とその極限状況下において生の意味を見いだせる人たちについて考察した『夜と霧』(みすず書房)で有名な、実存分析の大家、フランクルのもとで学んだ後、文化人類学に専攻を変え、ネイティヴ・アメ
リカンについてのフィールドワークに打ち込み、更にシカゴ大学のフォーカシングの祖、ジェンドリンのもとでフォーカシングを学び、今や心理療法家、フォーカシングの代表的トレーナーとして活躍中の方である。
ヒンターコフ自身の著書、"Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method"(邦訳「いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法」
日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)によれば、厳格なファンダメンタリズム(聖書を字義通りに理解し、進化論も否定する)の家庭で育ったが、13歳の時、やりたかったダンスを取るか宗教を取るかを決断せざるを得なくなり、彼女はダンスを選んだ。何事も「すべき」か「すべきでない」かでとらえようとするキリスト教の風土は彼女にとって無意味に思われた。それ以来彼女は宗教を拒絶したが、日常の中で、ある「無意味感」を抱え続け、彼女が「意味の探求」と呼ぶものをはじめたという。
前述のフランクルは、生の意味は自分の内側からくみ取るしかないと諭したが、それがどういう意味なのか、この時点での彼女には実感としてはわからなかったという。「わたしは、内側から意味を見出すには何をすればいいのかわかっていなかった」。平和部隊に参加して訪れたインドではヨガの導師に教えを請い、瞑想を学んだが、瞑想をしている最中は安らぎが得られるものの、日常に帰ると、また再び、以前からの葛藤に翻弄されてしまったという。
ジェンドリンとフォーカシングに出会って後、フォーカシング体験を積む中で、はじめて彼女は、以前フランクルが諭した「自分の内側から生の意味をくみ取る」ということ、すなわち、「内側からの、静かな、かそけき声」を聴くということ体験的に理解できるようになった。そして、更に、フォーカシングを深く進める中で、「神、人間、森羅万象と自分が共にある」という体験に至り、仕事や他者との関わりや余暇の過ごし方において、自分の実感を大切にしながら生活することができるようになったとのことである。
***
さて、ヒンターコフの来日セミナーのテーマは「スピリチュアリテイとフォーカシング」というものだった。このテーマは、ひとつには、今述べてきたような、彼女の精神的遍歴と強く結びついたものなのであるが、それにとどまらず、およそ欧米で心理療法やカウンセリングに関わる限り、避けて通れない重大な問題と結びついている。
ご存じの方も少なくないかも知れないが、欧米では、クライエントに、セックスに関する質問を面接の中でしても、日本でに較べれば遙かにフランクに話してくれることが少なくない。だが、相手の信じる宗教は何かについて訊ねることは、日本人からは想像がつかないくらいにタブー視されがちとのことである。
ところが、それにも関わらず、広い意味での宗教的なことに関わるテーマが、多くの面接の中で不可避に登場する。違う宗派の人間同士の結婚にとどまらず、同じ家族の中で、それぞれ信じる宗教が異なり、3つも4つもの宗派に分かれてしまうことも稀ではない。
しかも、そのような家族や周囲との宗教の違いが互いの葛藤に影を落とすことがあるばかりではない。クライエント個人が語る悩みのあり方そのものに、日本人ではあまりみられないものが頻繁に登場する。例えば、
「重要なのは、イエス・キリストと私がどんな関係にあるかということなんです」
「私は神に対して否定的な感情しか持てないでいます」
「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」
「私が前世で体験したことが今の私を支配しているんです」
などということが、カウンセラー相手の悩み相談のテーマとしても、かなり頻繁に登場するらしいのである。
それに輪をかけて事態を厄介にするのは、カウンセラー個人が抱いている宗教的な信念と全く受け入れがたいクライエントの発言をいかに受け止めるかという葛藤も生じることだ。だが、このようなクライエントの発言を避けて通ることは、クライエントとの関係を基本的なところで傷つけるものになりかねない。
人間の移動が激しくなり、家族関係の枠がゆるみ、神秘思想や従来の欧米以外に由来する宗教に関心を持つ人も増え、違う価値観の人が密接に交渉を持たざるを得ない状況が進む中で、もはや欧米でも、宗教的な問題を心理療法の現場で扱いづらいものとしてタブー視するだけでは済まされない状況がいよいよ進展し、臨床心理関係の学会でも重要なテーマとして取りあげられることが少なくないとのことである。
最近はやりの言葉で言えば、心理療法の現場も、マルチカ
ルチュラリズム(多文化主義)的な発想を必要とするようになって来ているのが時代の要請なのである。
***
こうした中で、ヒンターコフは、まず、"religiousness(宗教性)"と"spirituality"(霊性。以下の文中では特に断りがない限りカタカナで「スピリチュアリティ」と表記する)を区別することを提案する。
"religiousness"とは、「ある特定の、組織的な宗教団体や教会などの信念と実践を守ること」である。それに対して、"spirituality"とは、「超越的(transcendent 常識的・合理的な判断を越えた)」次元での、独特の、個人的に意味深い体験」全般のことを指す。
このようにとらえると、個々の具体的な神秘思想や宗派を信じると言うより、遙かに広範な経験が「スピリチュアリテイ」の名のもとに包括されることになる。例えば、自然や芸術作品を味わう中で生じた深い感動なども含まれてくる。
だが、これは後者が前者よりも幅広い、包括的な概念であり、"religiousness"が"spirituality"の部分集合として含まれてしまうことを意味するわけではない。つまり、"religiousness"であっても"spirituality"ではないという次元も存在する。 これは、すでに掲げた、
「私はこれまでの生涯でずっと信心深い人間だったつもりですが、実は一度も神を体験したことがないんです」
という例にも示されているように、形の上では熱心に宗教儀礼をしているつもりでも、「常識的・合理的な判断を越えた次元での、独特の、個人的に意味深い体験」の方はその人に得られていない場合などに典型的にあらわれている。
では、ヒンターコフは、「スピリチュアルな」体験をどのように定義するのか。
この3つの条件を満たす必要があるとのことである。
実は、この中の1.と2.は、フォーカシングで言う、
ということに他ならず、通常のフォーカシング体験や、生産的なカウンセリング場面、あるいは創造的な表現や発見の現場ではごく普通に生じている現象である。
だが、このような「身体で感じられた曖昧なモヤモヤした何かの中から、身体の感じの解放と共にその個人固有の意味が啓示される」という実感ある体
験が、いくら信心しても得られていない人は少なくないらしい。仏教的に言えば「悟り」の経験が得られたという実感がないということにあたるかも知れない。
しかも、それが通常のフォーカシング的体験ではなくて「スピリチュアルな」体験と言えるためには、
3..超越的(transcendent)な次元での成長過程を伴う
が加わることとなる。
ヒンターコフはこの「超越的」体験のことを、
「今までの自分の準拠枠(frame of reference)を越えて新しい次元に進んでいくこと」
「深いところから命を前に進めるエネルギー(life forward energy)があふれ出し、自分の中の何かが動き出すこと」
などとも説明している。いわば「世界」の体験の仕方そのものが全体としていきいきと変容していくような経験であるとも言えるかも知れない。
***
ヒンターコフは、このようにスピリチュアルな体験をフォーカシング的に定義する上で、体験の「内容(content)」ではなくて体験の「過程(process)」という観点を重視した。
つまり、「スピリチュアルな」体験の中で、具体的に「何を」体験し、それをどのように意味づけるかは人それぞれである。ある人はそれを「悟り」と
呼び、ある人は「神の臨在を体験した」と呼ぶだろう。ある人は「前世の自分の記憶を思い出した」といい、ある人は「宇宙と自分との合一を体験した」といい、あるひとは「イエスが神でありなおかつ人であり、いつも自分と共にあることが実感できた」というかもしれないし、ある人は「全てが<無>であることがはじめてほんとうにわかった」というかも知れない。
それらを聞いていて、「内容」や「具体的な意味づけ」に感情移入できないどころか、抵抗や嫌悪すら感じる場合もあるだろう。
しかし、「それは『あなたにとって』どういう意味があるのですか」などと、更に具体的に、そこに到る個人的な心情のひだの動きを更に傾聴していけ
ば、かなりの程度まで、その人個人の中でどういう「感じ」が生じ、それがどのように変容していったのかが実感を持って共有できる可能性が開けてくるのである。つまり、はっきりしない漠然とした感じの中から生起した何かが、身体感覚のシフトを伴う気づきを生み出したプロセスそのものにシンクロし、共有することはかなりの程度可能になる場合がある。
ヒンターコフは、このようなスピリチュアルな体験の「プロセス」の次元でならば、特定の宗教や神秘思想の用語への違和感などに振り回されずに共有可能と考えたのである。この人は「こんな」感じの中から「こんな」感じが生起してきた体験を、例えば「神の実在を体験した」と名付けているのだ、その名付け方には自分はなじめないが、その人にとっては、「その」体験をつなぎ止めるためのhandleとして、それを「神の実在体験」と呼ぶのがどうもぴったりらしいことは受容しよう……という形で接点を作るわけである。
その体験をどのような「名前」で呼ぶかは、その個人固有の領域なのである。
大事なのは、そこに身体感覚の変化と、その人にとって漠然と意味ありげに感じられていたものの中から何かがはっきりとした意味として実感できるようになる過程そのものを、相互作用の中で共有できることそのものなのだ。
***
「果たして、スピリチュアリティというテーマで人が集まるかのか?」
このような疑問を抱いていた人は少なからずいたようである。私もその一人である。多くの日本人の宗教との関わりが形骸化している中で、果たしてピンと来てもらえる人がどのくらいいるのか?
その時の東京セミナーは、幸いにして定員いっぱいの50名近い参加者に恵まれた。インターネットでの日本フォーカシング協会のホームページ経由の宣伝によって関心を持って参加して下さった方も数名おられた。
当初、やはり「スピリチュアリテイ」の定義について若干の質疑応答があった。 ヒンターコフ自身、欧米では「スピリチュアリティ」とさえ言えば多
くの場合自然と共通理解が得られる問題に、日本人が必ずしも易々とは反応してくれない可能性を感じた瞬間があったようである。
・・・が、前述したような、「例えば自然や、詩や、音楽への感動体験の場合にもスピリチュアルな体験と言える場合がある」というような説明の中で、「ス
ビリチュアルな体験」とは、予想していたより幅広い範囲の体験を包含していいのだという共通理解が生まれてはじめて、ワークショップは順調に進みはじめたように私には思われた。
***
さて、以上のような、ひとわたりのレクチャーが終わったところで、休憩をはさんで、全員一緒のワークがはじまる。
最初はヒンターコフの教示に従い、全員一緒に行い、その後で数名の小集団に別れて互いの感想を共有、最後に、再び全体会で、自分の体験を全体で共有していいという人の自発的発言を求める。
最初のワークは、英語版のパンフには
「聖なる言葉についてのフォーカシング」
と書かれ、
「まずは、あなたにとって聖なる意味を持つ言葉(sacred text)をまずはひとつ選んで下さい」
と書いてある!
これだけでは大半の日本人は乗れそうにないところだが、ヒンターコフはすぐに付け加えた。
「これは、あなたに感銘を与えた詩の一節や、ことわざ、あるいは自然の風景などでもいいのです。『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」
私にはこの、ヒンターコフが最後に付け加えた、
「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>がある』という印象を残したようなものがいいと思います」
という示唆にピンと来るものがあった。
そんなに内面をまさぐらなくても、そのヒンターコフの言葉にインスパイアーされるようにして、ここ2,3年、しばしば私の脳裏に甦り、時々反芻してきた、ある光景と、その時の「説明しがたい身体の実感」がいきいきと浮かび上がってきてくれたのである。
***
私の体験について語る前に、ヒンターコフがワークショップで、せいぜい15分前後のワークとして用いる際のワークの手順のひとつをここで示してみよう。
以下の教示をひとつずつ、じっくりと間合いを置いて、相手の応答に即して提示していく。ひとりがこれを読み上げる形で集団で行うこともできる。
ここでは詳しくは説明しないが、これらは、通常のフォーカシングのプロセスとそれぞれ対応している。つまり、
2.フェルトセンスを掴む
3.フェルトセンスにとりあえず実感の上でぴったりな付箋となるような言葉を見
つける(get a handle)
4.フェルトセンスと一緒にいる(being with)
5.フェルトセンスに問い掛けて応答を待つ(asking)
→生じてきたものを受け止める(receiving)
となる(詳しくはジェンドリン「フォーカシング」 福村出版 参照)。
***
さて、私がこのワークで選んだのは、3年前の夏の終わり、蔵王に行った時の体験である。
当時の私には、終末の仕事の帰りに、思いついたように一人旅に出たことが時々あった。帰り道の駅からビジネスホテルに電話して予約して、新幹線でその日のうちに移動できるところまで移動してしまう。あとは出たとこ勝負である。
その時はその日のうちに新潟に出て、翌日米坂線まわりで山形に移動、山形の宿を確保した上で、蔵王に日帰りで向かうことにした。季節運行の山頂まで登れるバスがまだ出ていると知ったからである。
8月29日、バスとリフトを乗り継いでたどりついた蔵王の山頂は、かなり風が強く、やや肌寒くすらあった。夏の山によくあるように、日は射しているけれども、雲が速いスピードで流れていき、いつ天候が崩れて雨になってもおかしくない感じだった。観光客はまばら。
行かれた方はご存じのように、山頂の近くの展望台から、火口湖、お釜が見渡せる。見渡せると言っても眼下に間近にあるわけではない。1キロ近くは
彼方のやや斜め下に見下ろせる。その間には荒涼とした稜線が次第に落ちていき、お釜の右手の方は硫黄が吹き出す緩やかな谷となっていたと思う。
日は射しているにもかかわらず、上空の雲を映して、「お釜」の水面はむしろ鉛色というのに近く、そのまま灰色の稜線と溶け込んでいた。
なぜか私は、その時、遠くに見えるそのお釜の鉛色の水面と、右手に見える白っぽい谷が次第に地平線に向けて高度を下げている光景に「不気味な怖さ」のようなものを感じたのである。
私は、海か山かと言われれば、山派だろう。九州に住んでいたから、霧島や阿蘇・九重・雲仙などには何回も行っているし、火口湖や噴火口の光景にも小さい頃から馴染んでいる。その私が感じたことがない、奇妙な「怖さ」だったのである。
おかげで、それ以来、その時の光景が、この3年間の間、何回も自分の脳裏に自然と蘇り、反芻されていたのである。
すでに述べたように、言葉やイメージを選ぶ際、ヒンターコフは、「『まだはっきりとした意味はわからないけれども、そこには<何か>
がある』という印象を残したようなものがいいと思います」という示唆を付け加えた。この示唆の言葉に触発されて、全く自然に脳裏に喚起されたのは、この三年前の、蔵王のお釜を見下ろした時のイメージと「体感」だったのである。
***
その、目に焼き付いた光景とその時の「体感」を自分の中に繰り返し反芻しながら味わった。(2.)
すると、最初それは「不気味」あるいは「こわい」という言葉が、とりあえずふさわしいように思われた。(3.)
だが、それだけでは言い尽くせないsomething moreが、その言葉にならない実感の中にはあると思えた。
しばらく「その」実感と一緒にいてあげる(4.)うちに、身体に感じられている感じの質が少し別のものに変容してきた。
「不気味」あるいは「恐い」……というより、
……「厳しい」、
そう、何か一種の「厳しさ」「畏怖」のようなもの。
その方が実感には近い。
私は「厳しさ……のようなもの」という言葉を自分の中の記憶の光景と実感に重ねあわせながら、この言葉だけで実感にしっくりかどうか再度確認していく。
……これでもまだ不十分だ。まだ「先」がある。説明され尽くしていないエッセンスの核心、「何か」がそこにはある。
そのうち、その心の中の蔵王の風景を眺めている私の身体の前面の方が、何かある独特の緊張感で満たされてくるのがわかる。身体前半分の皮膚がピリピリしてくる。まるで蔵王の風景に圧迫されるかのように。
そして、なぜか、目頭だけが熱くなる。
「絶対的に、そこにある」
「どうしようもなく、そこにある」
という言葉が浮かぶ。
なぜか、この蔵王でお釜を見下ろした時だけ、「もし、仮にこの風景をハイビジョンの映像として眺めても、ここまでありありと<そこに-ある>という感じはしないだろうな」などということを連想していた自分がいたことを、この時やっと思い出しした。
これは「映像」ではない
湖は、<そこに-ある>
谷は、<そこに-ある>
どうしようもなく、<そこに-ある>
私の中に、その、確かに<そこに-ある>光景に圧倒されつつ、ほとんどそれに涙を流しながら「ひれ伏したい」というのに近い思いがあることに気が付く。
(後で、全体でshareする際に、拙い英語力でヒンターコフにこの時の感じを伝えるのに私が選んだ言葉は、
”surrender(降伏する)”
だった)。
しばらくその感じと共にいた。
「こうふうふうな感じにさせるのは何なんだろう?」と内側に問い掛け、返事を待つ(5.)。
しばらくして浮かび上がった言葉は、自分でも意外なものだった。
「……絶対的父性……
……絶対的父性 ???」
この私の中に、絶対的な父性にひれ伏したいという感情のようなものがあるのだろうか?
これは意外だった。というのは、私は、むしろ「絶対的父権」のようなものを心の中で軽蔑してきたとずっと思っていたからである。
私は更に、6.の教示、つまり、
> 6.そして、最初の言葉やイメージに戻ってみて、今の自分がそれをどう感じているか感じなおしてみて下さい。新しい自分の「感じ」や「気持ち」があれば、それを表現してみて下さい。
に進むことになる。再びお釜を前にしたときの私のイメージと体感に戻ってみる。
すると、これまた予想外なことに、私の身体にしみ通るように感じられてくるのは、先ほどまでの、あの、「恐い」「不気味」「厳しい」などという感覚とは打って変わって、ある柔らかくて、潤いと親しみに満ちた感覚だった。
「その」感覚にぴったりの言葉を敢えて探し求めるならば、……そう、
「愛おしい」
というのがかなり近いという感じだろうか。愛する人やペットへの何とも切ない感覚に近い何か。
***
恐らく、この私のフォーカシング体験の中で問題になるのは、ありふれた「父性復権」についての議論などではない。
私が「絶対的父性」という言葉でとりあえずつなぎ止めている私の中の「体感」が含蓄するもののみが、私にとって重要なのである。
おそらく、
「どうしようもなく、そこにある」
という言い方の方こそが、肝心な本質に肉薄するものだろう。
そこには、確かにあるひとつの布置(constellation)がある。つまり、私のおかれた状況が、非常に多重的な意味で、ある共通の構造を持って、その言葉と響きあっている。
現在の私には、いくつもの意味で、以前よりも責任を負わされつつある。 様々な役職。結婚に際しての、実家との関係の変化。いずれ自分が父になるかもしれないこと。
だが、何より、私自身が、私自身の「存在感(presence)」に、何か基本的なところで不満なのだ。
あるいは、もっと、既成の経験ある先達に素直に心を開き、学びたい気持ちを押し殺して強がっていたのかもしれない。
もちろん、こうした言い方は「ひとつの解釈」にすぎない。蔵王の光景とその時の理屈抜きの体感についてフォーカシングする中から私の中に生じてき
た身体感覚そのものの変容は、このような特定の「意味づけ」だけに押し込めるわけには行かない、something more
としてまるごと味わい続けるべきものなのだと思う。
「そこ」から、無限に、果てしなく、意味が交差(crossing)し、あふれ出してくるのだ。その全てが、何らかの意味で、その時の私にとっては「的確な」象徴化のステップである。
だが、その時その時の言葉の意味内容にしがみつくことはむしろ避けた方がいい。このことはジェンドリンも「夢とフォーカシング―からだによる夢解釈」などで繰り返し述べるとおりである。
ご存じのように、蔵王は山岳信仰の地でもある。もとより、私の場合、ほとんど思いつきで、バスとリフトで背広姿のままでお気楽に昇ってきた人間の印象にすぎないわけだが、やはり、昔の人も、あの目の前の光景から何らかのその人なりの啓示を受けたのかも知れないとは思う。写真もない時代に、遠方からやって来て、苦労して自分の足で登った昔の人に与えたインパクトは遙かに大きなものだったのではなかろうか。
ただ、私の場合、その時の光景から体感された「言葉にならないもの」を自分なりに消化することをはじめられるまでには、こうして3年間も反芻するしかなかったのである。
ヒンターコフのワークを体験させていただいたことは、その停滞していたプロセスが再び化学反応をはじめる触媒として、私にとって、
確かに役に立っている。
***
ヒンターコフは、ワークショップの後半で、もうひとつのワークを示した。彼女が持参した、世界各地の美術館の名画の絵はがきの中から、自分の中の何かを触発するものを選び、それを手元でじっくり観た上で、その中から生じてくる曖昧な実感そのものにフォーカシングするというものである(「ポストカード・セッション」と呼ばれる)。
これは、心理療法の現場にも応用し易いだろう。既成の絵でもいいが、絵画療法や箱庭療法の中でクライエントが作った作品についてこの様なことをクライエント自身にやってもらうのも面白いかも知れない。
あるいは、俳句や短歌の鑑賞にも応用できないだろうか。自分がなぜその句が気に入ったのかを、虚心に振り返り、ことばにしていくための。
ちなみに、こちらのワークで私が選んだのは、北斎の富嶽三十六景の一枚と思われる武蔵野の光景だった。一面のススキの原の彼方に小さく富士が見える、青が基調のもの。
絵そのものをみるとそんなでもなく見えるのだが、私の瞼の内側でのその光景は、強風で煽られてススキが激しくざわざわと音を立てている様になっていた。その激しさには、暗さというより、あるエネルギー感のようなものが伴っていたように思う。
「何か」が、激しく、騒いでいる。
残念ながら、このワークショップの中では、その意味まで開示できなかったが、その絵を見たときの感じは今も残っている。蔵王に代わる、私の新たな「宿題」だったのかもしれない。
参考文献:
Hinterkopf,Ph.D.,
Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method,Amarican Counseling Association,1998.
邦訳
エルフィー・ヒンターコフ著
「いのちとこころのフォーカシング ~体験的フォーカシング~」(日笠摩子・伊藤義美訳 金剛出版)
なお、本文中で紹介したエルフィのワークのマニュアルの日本語訳については、当日配布された日英対訳のブックレットの、日笠摩子さんによる訳を参考にさせていただきました。
エルフィー・ヒンターコフ/いのちとこころのカウンセリング―体験的フォーカシング法
Integrating Spirituality in Counseling: A Manual for Using the Experiential Focusing Method
私は実際に浄土真宗の家に生まれていますけど、親鸞については、ほんとうに日本史の教科書的な記述以上のことはほとんど何も知らなかったんです。「他力本願」「悪人正機説」、僧の妻帯を認めた、一向一揆と、その後の本願寺への権力者による弾圧、ぐらいのことで。
ところが、人間性心理学会のシンポジウムで、シンポジストとのひとりの山折哲雄先生がいわれたことで、不思議と気に入った(実は、この言葉を聴いた瞬間に居眠りから醒めたのであった....)のが、その時点では出典すら記憶になくてメモにも取らなかった。、
「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」
という言葉のうろ覚えが私の中でなぜか響きあい、実際にネットで「歎異抄」を調べ始めて、実際に原文を読み通してみて、いよいよ興味深くなったという順序なんですね。
*****
「歎異抄」という著作そのものは、実は親鸞自身のものではありません。唯円という僧が、若い時代に関東からはるばる京都の親鸞のもとを学友と訪ねた時に歓迎され、滞在時に伝え聞いた話ををまとめたものである。
書かれたのは、親鸞唯一の直弟子となった、親鸞の入滅後30年、唯円自身が亡くなる前、1年以内とされる。
梅原猛氏の説によれば、恐らく、第3門主に覚如(親鸞の曾孫にあたる)が就く際に、再び京都に赴き、彼に親鸞の真意を伝えることによって教えが風化しないことを祈って事前に書き留めた上で講釈したのではないかと推理している。本来「ただひとりの人間」にのみ伝えるつもりの「秘伝」だったらしい。
親鸞自身は、実は師の法然の忠実な継承者に過ぎないと思っていた。法然も親鸞も天台宗の総本山、比叡山で修行を積んだ。学問や厳しい修行がなくても、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、「誰でも」浄土に行けるという思想そのものは法然が既に確立したものである。法然自身が叡山で危険視されたが、あまりの博識と、僧としての持戒の深さ(伝統的に僧が犯してはならないとされる戒めをきちんと守ることの潔癖さ)のために一目置かざるを得なかったようである。
もとより、法然の時点では、「悪人も」「肉食妻帯者も」、念仏さえ唱えれば浄土に行けるという教えだったのだが、親鸞に至り、僧の肉食妻帯を「公然と」認めた(「非公然に」ならば、実際にはなされることが多かったのは、そもそも天台の始祖、最澄自らが歎いていた現実だった。天台宗そのそのものが、最初は既成仏教への改革運動そのものだったのである「阿・吽」というコミック参照)。
親鸞は、師を超え、「悪人の方が浄土に近い」という大逆説まで公然と唱えるようになっていくこととなる。
若い頃は、法然の兄弟子たちの間すら「無学な過激派」とみられていたが、法然自身は弟子たちの集まった前で、「親鸞の念仏は自分の念仏と同じ信心である」と、親鸞が若い頃にすでに公式に発言したという。
宮中の侍女たちとの弟子たちのゴシップを体のいい理由づけにされて、弟子4人は死罪、法然と親鸞は遠隔地に流罪となっている。法然はすぐに京都に戻ったが、親鸞は福井に俗人として長期間滞在し、妻子を設ける。
そして次に歴史の舞台に現れた時は、常陸の国を中心とする関東で長期間布教活動をして、中年期を過ぎてやっと京都に戻る。もっとも、知り合いのところをあちこち点々とするという、地味な暮らしぶりだったらしいが,何と90近くまで生きることになる。
その頃には、親鸞の弟子や「また弟子」たちが、各地で勝手に親鸞の教えを広め、お互いに誰が真の弟子かを競い合う混乱状態が生じていた。しかも、妻帯を公然と認めたものだから、必然的に宗主は、子孫や親族たちの後継者争いになり、それはそれぞれが当時の有力諸候と癒着した生臭いものになる。(親鸞自身は、まさに「異説を広めた帳本人」として長男を廃嫡するしかなかった)。
それは、時代を下るにつれて、時の権力者をも脅かす政治勢力としての性格を強めるしかなくなった。「浄土真宗」と「浄土宗」の分化は完全に歴史の産物なのである。親鸞自身が独立した宗主を自認する発言は全くしていない。親鸞の墓所が正式に本願寺として成立するまで数代、本願寺が独立宗派の総本山と自他共に幅広く認められる存在になるのは、革命的布教者で、かの「石山本願寺」を建てた8代めの蓮如の代である(蓮如は歎異抄を暗記するほど読んでいたが、「危険な書」とも感じていたらしい)。この連如ですら一度は焼き討ちにあい,各地を転々としている。
「本願寺」そのものが、数回場所を変えて建立されるしかなかった。秀吉に京都に本願寺を移すように命じられ、跡地に大阪城作られてしまい、更には家康にそそのかされて東本願寺が分離独立した時点で、浄土真宗は、大勢力ではありつつも、政治家に屈服してしまうのである。
結果的に、単なる無名の地方の僧侶だった唯円が著者だということそのものが歴史に直接は残らなかった。幸い、本山に「お蔵入り」はされていて、唯円という僧についての他の行跡の断片的記録を照合すると、「点と線」は見事につながり、著者唯円が、親鸞自身から聴いたことを書き留めたのは間違いないことは,学界でも宗学の上でも『今は』ほぼ定説化している。
少なくとも、新約聖書の4大福音書の成立(2世紀ぐらい)までに比べたら、直弟子だった人物のまとまった唯一の記録として、親鸞の生の発言が忠実に反映されている度合いが格段に高いとされている。
しかし、この書の存在は長い間知られず、学問的・教学的吟味がはじまったのは、江戸時代中期、本居宣長らによって古事記をはじめとする古い文献への文献学的再吟味が始まった潮流に乗って以降である。この時点で著者唯円説を説得力ある形で唱えた学僧ははいたが、あまり問題にされなかったようである。
この書を有名にしたのは、明治時代になってから、清沢満之とその門弟たち(金子大栄はそのひとり)が真宗改革運動の乗り出す際にこの著作を重視してからであり、それまでは、そもそも「布教に使われることのないまま」埋もれていた。その内容が、基本的に教祖の親鸞自身が「教団」というシステムそのものを否定する、激越な内容を含んでいたためである。
要するに、親鸞が若い熱心な弟子に向かって、問わず語りに、おそらくかなりくつろいだ気分で、ざっくばらんに繰り返し語った「ホンネ」集みたいなもの。
鎌倉時代の、しかもかなり口語的にくだけた文語なので、徒然草よりもかなり平易だと思う。古文に普段なじんでいなかった人でも、実はほとんど使われていない仏教用語そのものすら前後の脈絡から何となく推理でき、現代語訳で解説的に「翻訳」されてしまうと失われる「泥臭いまでに生身の人間の匂いがする」味わいがダイレクトに堪能できるのではないかと思います。
何しろ、私がはじめて「読破」した仏教についての単著がいきなりこの原典、というくらいです。
岩波の金子大栄氏校注は、昔でいう★の厚さにしかならないもので、原文だけならほんの20ページで終わってしまうでしょう。
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私が妄想した、ある光景。
「だってさあ、そうだろ、お前。わかるかあ? 阿弥陀様は、こんな俺のことだけを思って救って下さろうとしたのではないか、とすら感じた気持ち。これって、一見傲慢だろうけどさ、自分が本当に救われた、それは私の意志やがんばりなんかではなくて、師匠の法然様が救ってくださったのですらなくて、本当に、人間の思慮分別を超えた阿弥陀様というものがおられて、何でかわからんけど私なんぞを「救って下さった」というしかない、って。自分を超えた「何か」の「はからい」がないとこうなるわけない!! と心底感じたから、阿弥陀様に念仏を唱えずにいられないわけだよ。」
「俺は「弟子」なんてひとりも持った覚えはないから。俺の教科書をありがたがって知識として「勉強する」だけの奴らなんて何もわかってないの!! ホントぞっとするね(きはめて荒涼のことなり)。そうやってただの生身の人間であるに過ぎない私を崇拝する奴らなんて!! 俺をありがたがるなよ!! 凄いのは阿弥陀様であって俺ではない。俺であってはならないわけ!!」
「 そして、信者たちにありがたがられて、まるで自分が救い主みたいな自己陶酔するなっつーの!! そういうのが俺の高弟でごさい、みたいな態度取ってると虫酸が走るよ。救ってくださるのは阿弥陀様であって、連中が、努力や修行を積んでいけば人々を「救える」ようになりたいと「願う」ことのがそもそも傲慢だよ。どこまでいっても人間はこの世では煩悩から抜け出せないよ。阿弥陀様だけが、俺たちを含む人間の救済を本当に「願う」(本願)力を持っている。「祈って」待つしかないんだ。阿弥陀様の慈悲がその人をお救いになることを。人が人を救える、自分もそういう人間に修行を積めばなれる、なんて発想そのものが、そもそも不届きで傲慢で「煩悩そのもの」なんだよ」
「そういう人間は、自分は徳を積んだ善人だと確信犯してるからいよいよどうにもならん。阿弥陀様もえらいモンだよ。そういう「独善的」エゴイズムにとらわれた人間すら念仏「させてくださって」。いろんな欲や感情にとらわれ、悪いことをして生きていくしかない、そのことへの自嘲と絶望を密かに感じている人間の方が、本当に人を超えた何かに救われたいという思いに近いとすら思うね。(「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」・・・・いわゆる「悪人正機」説)」
「......もっとも、逆に、どんな悪いことをしても、色と欲に開き直っても、阿弥陀様は念仏しさえすれば救ってくださると開き直る連中も、逆方向にどんでもない勘違いしている。念仏ってのはさ、実は自分の意志で「する」か「しない」か自由に決められるものだと思ってるだろ、そいつら。念仏「できる」ことのものが、阿弥陀様の慈悲あってのものだっていう、肝心なことに気がついてない」
「.......え? 『念仏していても全然幸せな気持ちになれないし、そもそも極楽浄土って、そんなにいい場所なんでしょうか?』って? .........正直な奴よのう、お前。......実は、わしもそう思う時がある(爆)。でも、そうやって煩悩や迷妄にとらわれる存在でしかないからこそ、救っていただけるありがたみがあるんじゃないかの? 念仏するかしないかは、勝手にすればあ? としか思ってないんだけどね。」
「....実は、俺すら、この程度の人間だから、阿弥陀様がまっすぐ極楽に連れて行ってくれる保証はないと思うね。すべては阿弥陀様の手の内にありだし、どうみても、一度は地獄行きでもしかたない程度のものだと思うし。でも、そうなっても先生の法然様が俺をたぶらかしたなんて、師のせいにして一切恨まないからね。すべては阿弥陀様の手の内にある、その慈悲にすがるしかないってのは、俺の人生かけて悔いはない帰結なんだからから」
*****
「歎異抄」とは、自分本来の教えの意図がが右にも左にも誤解されて『異』なった姿で論じられるようになったことへの師の『嘆(なげ)き』に共鳴した弟子が、師に繰り返し言われたことの核心を要約してまとめ(『抄』録し)、後続の章で、唯円自身による解説を付記した書物なのである。
ここからは、現段階での私の想像です。
どうも身近な弟子たちは私に媚びてるので信頼ならない。でもはるばる関東の地からやってきたこいつ(唯円)なら、情熱はあるけど頭でっかちではなくて全然スレてない。「浄土ってそんなにすばらしいところか信じられない時もあるんですけど」、とか、無礼な質問すら平気でしてくる誠実さを持っている、こいつなら気を許せる、と見込まれてしまって、飲み屋での老人の繰り言のように、熱弁をふるい出す師の話に「繰り返しつきあわされる」みたいな状態だった唯円。
京都滞在時代の若い頃を思い返すうちに、いよいよ混迷し、政治にも巻き込まれて変節していく教団のありようと引き比べるうちに、師の語った「逆説の山」の真意をいよいよ悟っていった。
親鸞の直接の教えを受けた人たちがみるみる世を去り、直弟子唯一の生き残りとなったところに、関東の外れに「無名だが、直弟子がまだひとりだけ存命」と知った京都の本山からお呼びがかかったが、あまりに過激なその内容に、唯円が精魂込めて書いた持ってきたテキストは、あっさり「お蔵入り」となってしまった。
*****
「他力本願」というのは、実はカウンセラーに必要な究極の姿勢ではないかと思う。
カウンセラーは、自分が修行を積めば人を「救える」ようになるなどとうぬぼれてはならない。「願って」もならない。
ましてや、自分の流派が優れているとか、自分こそが真の弟子だとか論争するのは、恐らくカウンセリングを受けるクライエントさんにすら有害な、もっての他である。
実は相手が以前よりいい状態になることを『願う』ことそのものが、カウンセラーの煩悩であって、身勝手なのではないか。
我が身を振り返ってみろ。そんなに幸せか? そんなにものごとをうまくやれているか? 時には色んな欲や感情に振り回され、ごまかしをし、先生や先輩として慕われることにいい気になり、逆に先達の機嫌を損ねないために媚びへつらい、自分の業績へのこだわりから他人を批判する。身近な人たちを傷つけ、失望させ、他人の命をむしり取るようにして生きている、いつまでたってもそんな人間ではないか。
******
私は、自分が現場カウンセラーが「天職」な人間などとはほとんど思っていません。でも、それは周囲と比較してのの劣等感とか、そんなものでもないのです。むしろ、少し前まで思っていたより、カウンセラーの実力差など、実は「ない」のではないかとすら感じ始めています。
*****
「クライエントさんは、自分の力で治っていく」という言い方も、結局行きすぎだと思います。
なぜかしらんけど、そのひとの「状況」が味方をし始めた、としかいえないことって、多い気がして。
そこまで、クライエントさんを何とかしようという「悪魔の誘惑」にも負けてしまわず、クライエントさんに何も変わらないという絶望を感じさせ、クライエントさんに見捨てられたと感じる無力感からも目をそらさず、「なぜか」関係が維持されていることそのものに感謝を覚えなから、何か活路が生じることを「祈る」ことしかできない。
ちょっと、カウンセラーを「変えよう」と力んでいた私が恥ずかしくもなっています。
出口は、常に「向こうから」やってくる。
そう感じている人だけが、技法に「使われる」ことなく、技法を「なぜか無理なく有効に使えてしまう」ようにも思います。
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ともかく、たまたま浄土真宗の家に生まれたことも、何かの巡り合わせかなと思いました。
私にとって、「成熟とは何か」と問われれば、答えは割とはっきりしている。
すでにこのブログでも何回か言及していることなのだが、
「自分のものの感じ方や判断の仕方が、実はある種の思い込みや先入観に基づくものではないかということに謙虚であり、以前の見解を修正したり撤回したりすべきと判断できたら潔くそれを実践すること」
.......である。
更にもうひとつ付け加えれば、
・・・ということ。
さらに言えば、私の中には、ある種の「懐古的ユートピア主義」へのものすごい警戒心がある。
つまり、「昔はよかった。そこには調和的でよりすばらしい世界があった」「現在はそのことに比べると悲惨である」というタイプのものの見方への警戒心がある。
すべての「復古主義」をうさんくさいと感じているのだ。
「今の日本では古き良き日本が失われた」
という言い方を私は基本的に好まない。
リアルな歴史は、ある意味でいつもすごく残酷ではないか。
戦乱になると武士たちが略奪の限りを尽し、婦女子は強姦して刺し殺すのがあたりまえだった時代。
自分の上司が死んだら「殉死」するのが美徳とされた時代。
飢饉になったら最悪の場合人間の肉すら食べた時代。
町のある一定の個所には斬首刑になった犯罪者の首が当たり前のようにさらされていた時代。
武士の機嫌を損ねたらちょっとしたことで、裁判すらなしに切り捨てられても誰も文句が言えなかった時代。
キリスト教の布教をちよっと前まで奨励していたのに、数十年後には一転して信仰を捨てなければ死罪になった時代。
口べらしのために生まれた子供をすぐに絞め殺したり、娘を女郎屋に売り飛ばした時代。
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日本でも、ちょっとした家柄であることを示すために、武家の系図はなぜかさかのぼるとたいてい源氏か藤原氏=まわりまわって天皇家の流れを組むことになっている。
実際に政略結婚でそういう古い家柄とのつながりで箔をつけた例もあろうが、たいてい、それ以前から、そういうご先祖様がいることになっているのだ。
これはヨーロッパでも似ようなもので、ホメロスの「オデュッセイア」に集約された古代ギリシアの歴史は、先住民族だった
「トロイア人」に対して勝利を上げていくというとこそにみーんな収束していく。
(検索しているうちに出くわしたこの本未読ですが、ちょっと興味を感じる)
更に、ギリシャ=ローマ文化の中心地から支配されていた地域が独自の力を貯え、地中海沿岸地域と拮抗する政治力や武力を持つ国家として成長を始めると、必ず、「祖先はトロイ人の英雄だれそれ」という方向に年代記は脚色されることにより、「自分たちはギリシャ・ローマよりも実は古い歴史と文化の後継者なのだ」という逆転ホームランで権威付けしようとする。
イングランドやフランスのブルターニュ地方がその典型である。
不思議なもので、ヨーロッパには、自分たちを古代メソポタミアやエジプト文化の末裔であるという権威つけのパターンは存在しない。対ペルシャ、対エジプトという形で自らのアイデンティティを主張する伝統は、ユダヤ民族の独占物になっていたように思える。
要するに、「キリスト教的ヨーロッパ」の世界観においては、ペルシャもエジプトも「東国」ないし「アジアの一部」として一括して捕らえられてしまうのである。
こうなった背景のひとつには、中東諸国が、中世初期までにあれよあれよという間に、イスラームの政治的・文化的枠組みに包括されたものとして受け止められたことも大きいのだろう。
そして更に、ヨーロッパの場合には、ゲルマン民族の侵入「以前」の、地中海沿岸を除く、中・北部ヨーロッパの歴史の空白を埋めるために、「トロイア人」にとって代って、今度は「ケルト人」「ケルト文化」という概念が、全く都合のいいように埋め草として、ある時代から「忽然と」使われるようになる歴史がある。
純粋の「ケルト文化」として位置づけられるものがあるとすれば、一万数千年まえの青銅器文化の時代までさかのぼるしかないのに.....である。
スコットランドの文化が、独自のアイデンティティをもつものとして称揚されはじめるのは、何と、スコットランドが実際にイングランドに政治的に統合された1707年以降のことである。単なる「地酒」としてそれまでは外国人に見向きもされなかった「スコッチ・ウイスキー」がひとつの国際的ステータスを徐々に確立していくのはこれ以降の時代である。
それどころか、今や「スコットランド」のイメージの典型となっている「タータン・チェック」は、実は昔から織物が作られているヨーロッパ地域では、最もシンプルな織り柄として広範な地域で作られていた模様であるに過ぎないし、バグパイプにしても、ヨーロッパのいろんな国で中世から使われていた楽器で、別段スコットランド由来でないことは、西洋の古い絵画や音楽の歴史をひも説いた人には周知の事実。
さらに言えば、あの男性の着用するキルトというスカートめいたもの(現在のファッションの世界では意味が拡張されていますが)は、実はイングランド人が、スコットランドの自分の鉱山の採掘所で労働者の作業着として便利なので「発明した」品が、比較的短期間に、まずは他の類似の現場にも「便利だから」という理由で広がっていくという歴史の浅さしか持っていない。
それらがスコットランド民族のアイデンティティの象徴であるかのように「普及する」きっかけは、イングランド(グレート・ブリテン)王ジョージ4世が、1822年(!!)に、イングランド王としては数代ぶりにスコットランドに公式に行幸する際に、その公式行事のイベントの総プロデューサーとなった、大作家、ウォルター・スコットが、ジョージ4世に、タータンチェックのキルトといういでたちで行幸させ、公式行事に参加する貴族たちにもこのスタイルでレセプションに現れるように「要請した」ことがまんまとあたって、タータンチェックとキルトの大流行が中流階級以降に一気に生じて以降のことである。
「氏族ごとにはるか昔から受け継がれたタータン・チェックの柄がある」という「伝統」も、実はこの時を境に、すでに産業革命の流れに乗って紡績工業が発展し、仕立て屋が商売繁盛させるためのセールス・トークとして「ねつ造された」過去の歴史ということになる。
ヨーロッパの民族衣装における地域性というのも、実は、18世紀に勃興した「民族主義」という「新しい」潮流と、産業革命によって衣類や織物が量産できるとうになってから、はじめて「実現された」商業主義の出会いの産物ということになるらしい。
それ以前は、一般庶民は、ヨーロッパのどこに行こうと似たり寄ったりの、「貫頭衣」のようなワンピースに近いものを着用していたにすぎない。布地を作ること、手に入れることそのものがたいへんな時代の庶民(特に農民)の衣服なんてそんなものである。
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そもそも「民族主義」は、あくまでも、近世以降、ヨーロッパ列強による帝国主義的な覇権の争いの中で、それに屈した地域の中ではじめて形成されてくるものなのである。
しかもその出発点は、むしろ征服した側の民族や国家の側からの一種の懐柔策、あるいはいわば「辺境ロマンチシズム」のファンタジーのよにして形成され始める。
征服された側の人たちがそれを自分たちのアイデンティティとして積極活用しはじめた後で、支配者側は、大慌てでその民族の象徴の文化....もとはといえばプロデューサーは自分たちなのに.....の弾圧をはじめる。
その時点で、古代からの誇り高き民族の「神話」が、あたかも昔からの言い伝えのようにして歴史の断片から半ば「ねつ造され」ることになる。
そもそも「国民国家」という概念そのものが、いわばフランス革命以降、18世紀以降に成立するものであるにすぎない。
フランス革命あったればこそ、神聖ローマ帝国に属する小さな領邦国家群にすぎなかった地域に「ドイツ民族主義」が勃興する。それまでは、ハプスブルグ家をはじめとするヨーロッパの王室の公用語は、フランス語だったのである。そういう中で、ドイツ・ロマン主義が興隆するし、長らく忘れ去られていた「ニーベルンゲンの歌」(ワーグナーの「ニーベルングの指輪」はその焼き直し.
池田理代子さんのコミック版があるとは知らなかった)も「再発見」される。
グリム兄弟は童話集を出版するが、実は童話集の多くの素材が、実際にドイツの民衆の言い伝えを採取してまとめられたというのは真っ赤な嘘で、せいぜい、貴族の娘たちあたりから聞いた話にグリム兄弟が大幅に創作を加えたのが真相らしい。
「赤ずきん」にしたところで、長らく、より成立年代が古い、シャルル・ペロー作のフランス語版の童話の方が、より古い「民俗学的」採集にもとづく古い形とされたグリム童話版の焼き直しにすぎない長年思われていたが、実際にはペロー版の方が早く成立し、それを「脚色」したのがグリム兄弟でなかったか、という方向に学説は逆転して動いているようである。
グリム兄弟は、実際、その後ドイツ語の純化をすすめる「国家政策」に大きな働きを果たすのだが。
同様のことは、ゲール語=ケルト文化固有の「古代叙事詩」としての「歴史的大発見」とされ、ロマン派の文学や劇音楽の運動で、国境を越えて多くの作品に影響を与えた「オシアン」において、「これは民俗学的フィールドワーク」の産物ではなく、古代ゲール語から「翻訳」したジェームズ・マクファーソン自身が、周囲のスポンサーの期待に応えるために思わずやらかしてしまった、大部分が「創作」にすぎないものはないかという嫌疑がかかり、今日ではそちらの説の方が有力で、いつの間にか岩波文庫からも「オシアン」の翻訳は消えてしまい、今や古書市場ですら見つけるのがかなり困難な作品になってしまった。
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いずれにしても、近代にいたる以前は、戦争において、兵士とは、金を稼いだり戦利品(人間も含む!!)を獲るために、あるいは、むりやり徴用されて(場合によっては、兵士を集めるために「意図的に」借金の返済という状況に騙されて追い込まれて)集められた兵士が、領主ないし傭兵隊長(あるいは奴隷にとっての「市民」)の命令に従い働くに過ぎない存在であり、「国のため」に戦う(ないし国の現政権打倒のために)戦うというイデオロギーそのものが、近代の産物であるにすぎないのである。
そういう意味では、「『フランスを』救うために」戦ったジャンヌ・ダルクなどは中世の「異端児」そのものであり、現実には、歴史的経緯の上でも、実際の政治情勢の上でも異様なまでに複雑に入り組み、いとも簡単に「寝返り」を繰り返した、イギリスとフランスの諸侯の政治ゲームに利用され、スケープゴートにされるのは半ば宿命的だったともいえる。
百年戦争も、「だらだらと」続いたのは、究極には「国」と「国」とのたたかいではなく、地理的に現在のフランスとイギリス(イングランド)にあたる地域の諸侯の、果てしない「合従連衡」の時代としかいいようがないからでしょう。
そして、その後の時代を含めて、いかなる時代も、「純粋な愛国心」の持ち主というのは、「少数派の変人」であったに過ぎないともいえる。私利私欲と支配のためか、背に腹は代えられずに日々の糧を得るためか、煽動者であることそのものを生きるか、扇動されることを「消費」する、その時点ではいわばローマのコロセウムの観客であるに過ぎないか、徴用され、支配され、搾り取られ、犯され、人殺しをさせられ、殺されたり不具になるまで支配者の犠牲になるか。それだけである。
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このようにして、「我々は過去に素晴らしい文化を持っていたんだ」という伝統主義そのものが、むしろ後の時代にねつ造された「ユートピア」を過去に投影したものにすぎない、ということは、世界的な現象として残念ながらかなりの程度見られる。
おそらく、日本国内の「固有の地域文化」「伝統」といったもののかなりの部分にも、そうした面があるのは、残念ながら事実だろう。
わが故郷、久留米を代表する名産品、人間国宝の機織りを輩出した「久留米絣」は、ほんとうに幕末ごろに井上伝というひとりの女性の創意工夫の中から生まれた、比較的歴史の新しい「久留米の伝統工芸」であるにすぎないことは、幸いにして地元では小学生でもきちんと学んでいる(はずである)。しかし、ほとんど同時代的に、絣の製法は、日本各地にうまれたものというのも現実なのである。
福岡の「黒田節」と、雅楽の「越天楽」そして、「君が代」が、基本的には同じ系列の流れにある可能性が高い。
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その一方、私は未来を楽観する「予定調和的進歩主義」の持ち主ではありません。また、あるひとつの技術やメディアの登場が、人間の人間性を一層すさんだものにして、自然破壊を広げ、人心をすさませ、人類の滅亡を早め、子供の教育にマイナスになる、式の論調は基本的には「大嫌い」です。
たとえば、私のようなカウンセラーは、携帯電話の普及によって、家族や職場の人たちのことをクライエントさんが気にせずに申し込んだり、打ち合わせができるという点ではむしろほっとしています。
はっきりいって、ネットや携帯電話の発達によって、以前より「構造化された」カウンセリング関係の維持が難しくなったと感じているようなカウンセラーは、そのカウンセラーの方が携帯やネットという媒体の活用法について未熟な水準に甘んじているだけか、あるいは、クライエントさんとの信頼関係を、一定の節度のもとに形成できない程度の、「優柔不断な未熟さ」にとどまっているだけかと思います。
なるほど、ネットにはさまざまな誘惑の火種があります。
しかし、リアルワールドでも、たとえば家に押し掛けるセールスマンやギャッチセールス、アイスクリームをわざとくっつけておいて親切を装うスリのグループや、荷台に乗せたままの客の手荷物を渡さないうちに走り去るタクシーの運転手、通常の電話での勧誘、いや、会社のビジネスにおけるフェイス・トウ・フェイスの交渉の中ですら、いくらだって詐欺まがいの勧誘の魔の手はあって当然ではないでしょうか?
実は、そうした連中の中から相手の本性を見抜き、「そうはいきませんよ」とやんわりとうまくけん制して相手にその気を失わせたり、いざとなれば強い態度で拒否したり、次の約束をすっぽかしたり、無視したり、まっしぐらに逃げる!! などの眼力と実践的対処法の育成という点では、「メディアが何であれ」基本的には同質のもののような気がします。
(《註》:ここでいう「メディア」とは、「マスメディア」とか「通信手段」いう意味にとどまらない。ここでは、直接の面と向かったやりとりすら含む、相手との交渉や出会いのchannelの様式全般をさす。"medium"という言葉本来の意味に戻る。だから「媒介なし」とか「偶然出くわす」も「メディア」の「一様式」である)
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人間って、新しい技術やメディアには、勝手に、バラ色の未来か、堕落させる誘惑の「どちらか」を見てしまいやすいものだと思います。
あるいは,過去の伝統や、昔ながらの失われた生活様式に、今は失われた「人間性」とか、残酷さ、「野蛮さ」の「どちらか」を見てしまいやすいものだと思います。
そして、いつの時代も、その時点での「現在」の視点から、その両方を繰り返して来たのです!!
しょせん、私にとっても、インターネットは「ただのメディア」です。インターネットを使う方が余計にもうかるだとか全然思っていない。
儲けのうまい奴は、どんな「媒体」を活用してもうまいし、「うまくなる」し、得てして、最後にはそのことに溺れて「没落する」のではないか?
そして.....地道に普及させるしかない対象は、ネットを通しても地道にしか広がらないと思います。
およそすべての職業、いや、すべての媒体、すべての制度が、何か他のものよりも「便利だ」とか「効果的だ」と思い始めた瞬間に陥る悪魔の誘惑です。
実際、私もネットと出会う前は、雑誌への投稿魔でした。実際に掲載されるまでかなりの修練が要りましたが。
できるのは何か? 自分の「現場」という、てこの支点を立脚点として、自らの限界を真っ正面から見つめつつ、創意工夫を重ねて行動し、声をあげていくことでしかない。
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少なくとも、私は、
「ドイツ文化固有の」フォーカシングの在り方、だとか、そんなことがフォーカシングの国際的な場で論じられたりテーマになったことがあるなどとは記憶しません。
(後記:南米とかでは国を超えた独特のフォーカシング・コミュニティがあるようです)。
まずは「あなたの」世界を作ることを。
「日本人」であることは、あなたのアイデンティティの構成要素の一部であるに過ぎない。
どうせあと、50年もしたら、日本も、少なくともアジアのいろいろな国の出身者が共存する社会になるでしょう。EUならぬ「アジア共同体」の一部として、共通の貨幣を使っているかもしれない。
そういう時に外国からの移住者を排除するための極右政党の人身をまとめるためにフォーカシングが用いられていないことを心から祈るものであります(^^;)
*****
●参考資料
原聖/「<民族起源>の精神史 -ブルターニュとフランス近代-」)
「高橋哲雄/スコットランド 歴史を歩く」
ハリー・ レヴィン/「ルネッサンスにおける黄金時代の神話」
答え:
カウンセラーと相談にこられた方が、実際には向かい合って座っていても、気持ちの上では、45度から90度の角度でたたずみ、二人の「前にある」相談に来られた方の「悩みの全体」を、まるで二人がお互いに「全く同じ」気持ちや感じ方をしながら「味わい、眺めつつ」語り合っている「かのような」気分に「お互いに」なれる瞬間が面接時間の「かなりを」占めるようになった時です。
こうなれば、たとえその時点で、カウンセラーも、相談に来られた方も、悩みや問題の具体的な解決の方向が見えて「いなく」とも、遠からず、二人とも満足の行く 、思ってもいなかった出口にたどりつける可能性が高いです。
つまり、いわば細長い二等辺三角形の鋭角の頂点に、相談に来られた方の「悩み」があり、そちらを二人で、少し距離を置いて「一緒に眺めて」いるような状態ですね。
要するに、
> あの時、同じ花を見て
> 美しいと 言った二人の
> 心と心が 今は もう通わない
のではなくて、ある程度以上の出現率で「通い合う」状態で「あり続ければ」、そのカウンセリングは、絶対にいい方向に向かいます。
******
音楽の教科書にも載り、もはやかなりのお年寄りを除いては、日本中で知らない人は珍しいだろう、日本のフォークの歴史に残る記念碑的作品、
・・・・・オリジナル以外に、若い世代の歌手もカバー・バージョンをいくつも出していますし、
あの「エヴァンゲリオン」の庵野秀明監督の初実写映画、「ラブ&ポップ」エンディングで主役の女の子たちが○○を行進していく印象的なシーンでも、その子たちによって歌われてます。
*******
実は、この歌を、カウンセリングや精神療法の世界で論じたのは残念ながら私ではありません(^^)。
何と、この歌を作詞し、歌っているにもかかわらず(?)、その後イギリスに留学、今や日本の精神分析の世界で第一人者となった、九州大学教授、「北山修」その人なんですよね。
そして、ご自身の著作、「幻滅論」(みずず書房)の、クライマックスといえる箇所で、ここぞとばかりに、著作権所有者ご本人がこの歌詞を引用し、大論陣を張るという、他の誰にも不可能な、なんともうらやましいこと(?)をなさっています。
*****
さて、北山先生は、「幻滅論」で、予想外の脈絡からこの歌詞を引っ張り出します。
江戸時代の浮世絵に描かれた母子像に、たとえば月だとか花火だとかを一緒に見ている姿が、ひとつのパターンとして多い、ということに北山先生は着目します。
子供はお月さんとかを指差して(direct reference!)いたりもするわけですね。
おそらく、こういう場面で、まだ言葉が話せない子供だったとしても、
「あー」
とか何とか叫び月を指差し、お母さんが、
「あ、お月様、きれいねえ」
とか会話をしているかもしれません。
こうした瞬間、母親と子供は、まさに
「同じものを見て、同じように感じている」
一体感の世界にいます。
こうした経験の繰り返しが発達早期の親子関係に決定的な意味を持つ、などということは、北山先生が留学されたイギリスで盛んな「対象関係学派」と呼ばれる精神分析の流派の人たち、たとえばビオン(Bion)とかが、アルファとかベータとかcontainerという小難しい用語を使って説明しているのですが、北山先生は、いかにも日本を代表する作詞家らしく、「日本語で考える」臨床心理・精神医学の樹立の大切さを訴え続けています(その点では、
「甘え」理論の土居健郎先生の流れを汲むともいえます)。
そこで、これらの浮世絵の構図をもとに「共同注視」という、北山先生独自の概念を生み出したわけです。
つまり、母子の何かの対象への「共同注視」が生じている時には、
あたかも
「同じ花を見て」、
同じように
「美しい」
と感じている「かのような」状態が生じている。
****
ここで大切なのは、単に母子両方が「美しい」と感じるかどうかではないということです。
二人ともお互いに、
「同じような」感触、「同じような」質感の「美しさ」
として
感じ、味わい、体験している
という、
「共同幻想(illusion)」
がもてるかどうか、ということです。
これは、お互いの勝手な思い込み、「錯覚」かもしれない。
でも、その「錯覚」こそが、人と人との<絆>の原点です。
哲学の世界で、仮に同じ色刺激、それこそ、”FF 00 00"としてデジタル記号化して共有できる色についても、
Aという人が体験している「赤」と、Bという人が体験している「赤」がはたして「同じ」体験なのか、ということは、古典的な認識論の命題です。
まして「美しい」とか「悲しい」とかいった、人間のものの感じ方そのものをあらわす体験を「共有する」とはいったいどういうことなんでしょう。
人が他者から切り離された実存的「個」としての自我を持つということは、まさにそのような感情体験の「共有」という「幻想(illusion)」が壊れ、それは「錯覚」だったのではないかという「幻滅」にも耐えていかねばならないということでもあります。
(「脱錯覚」「幻滅」どちらも英語で言えば"disillusion"です。そして北山先生の本のタイトルが「幻滅論」であり、そこで北山先生が言わんとしている意味での「幻滅」とは何かということと、深くかかわりあうことになります。
[錯覚」とは、イギリスの対象関係学派の中でも、特に最大の大家というべきウイニコット(Winicott)にとって決定的な鍵概念です。
過度に単純化しすぎる危険を敢えて冒せば、人が「他者」から切り離された「個」として生きる上で避けがたい、他者とかかわりにおけるこうした「幻滅」体験が、特に赤ん坊時代の母子関係で深刻な傷としてのみ残るか、それとも「確かに『思い込み』が壊されて傷つくこともあるけど、少なくとも相手によっては、そして理解し合おうというという探索(まさぐり)の過程がお互いにうまく噛み合えば、
たとえそれが、
「一瞬の接点」
であったり、あるいは
「お互いの感じ方が『どのように違うか』がわかりあえた」
などという逆説的な「共有」であろうとも、
「時には」可能なのだ、自分にも生み出せるのだ、という「わずかな希望と人間信頼」であろうと、人が生きていく支えとなることがあるのだと私は思っています。
カウンセリングの場とは、カウンセラーと相談に来た方が、
「同じ花を見て、同じ『美しさ』(悲しさ、大変さ....)を感じている」
と感じられる、「共同注視」の「黄金のトライアングル」体験を、共に築き上げていく、共同作業の場だと思います。
当然そこには、お互いの勝手な「思い込み」→「幻滅」から生じる「小競り合い」もあるかもしれません。
そういう危機を何度もしのぎ切って、「以前よりは」お互いに理解しあえた、という小刻みなプロセスをどこまで積み上げられるか。
しかし、それをいくつも乗り越えて、カウンセラーとの<絆>を維持できるところまで辿り着けたとしたら、きっと、現実世界での恋愛とかでも、同じ「思い込み」→「幻滅」というつらい体験のくり返しの輪から抜け出せるのではないかと思います。
......というと、 旧劇場版「エヴァンゲリオン」で葛城ミサトが最期にシンジに伝えた
「私も、『ぬか喜び』と『自己嫌悪』の繰り返しだった。それでも前に進めた気がする」
というセリフに通じるものだと思うのです。
はっきり言って、拙書「エヴァンゲリオンの深層心理」 は、書き終わってみれば、このことを言いたいがために書いたみたいなものでした。
*****
【追記 12/12/14】:前の記事の補足(補完?)にもなっている気がしたので、「続投」で再掲してみました。
ちなみに、「黄金のトライアングル」を図版にすると、こういう感じです。学会発表のパワポで使ったものです。
さて、対人恐怖気味の人の陥りがちな、認知と行動の特性は、一言で言えば、
1,「最悪のシミュレーション」と「楽観的なシミュレーション」の
二つしかしないこと。
2.シミュレーションばかりして、現実の行動としては、ひどく受身で消極的であることにあります。
具体的に例を上げると、
ある典型的なオタクファッションをした人が、街を歩いていて、通りすがりの2人の女の子が、すれ違いざまに
「嫌ねぇ」
といわれたように「聞こえて」、ズキンと傷ついたとします。
さあ、彼の頭の中で何が始まるか?
******
{仮説1}あ、やっぱりこんな風体でこんなむさい顔立ちしかしていなかったら、オタクだと「見破られるん」だ
→「自己嫌悪」、
あるいは、
「どうせ俺はオタクだよ!!」という「自己嫌悪的開き直り」、
あるいは
「最近は典型的なオタクファッションではない、むしろ凄くカッコのいい人とか一流企業に勤めるバリバリのスーツ来たビジネスマンがオタクのことなんていくららでもあるのに、認識不足ですね。ああいう人たち」
という、「話題のすり替え型開き直り」(その人がほんとにファッションに凝る時や、一流企業に勤めているのなら、当然こう思う資格アリですが)
*****
{仮説2}いや、あれは僕についての話ではないはずだ、空耳か、そうでなくても、僕ではなくて、きっと僕とは全然関係ない女友達の噂話か何かずっとしていて、通りすがりざまに「嫌ねえ」の部分だけ聞こえただっただけなんだ。
→世間の人がいちいち自分なんかに関心向けるわけないよ。そういう思いに一瞬でもとらわれた僕の方が、実は「自意識過剰」なだけなんだ」
******
{仮説3}仮にあの女の子たちが僕のことを指して「嫌ねえ」と言ったのだとしても、僕は特に何の「損失を被(こうむる)わけではないではないか。通りすがりのあの人たちと僕は2度と出会わないかもしれない。
ましてや、僕は決して浮浪者のような風体をしていたわけでもないから、10分後には彼女らの脳裏から忘れ去られ、喫茶店での話題に種にもならないだろう。
→むしろ、ああいうことを言われたと「感じる」たび、傷ついて半日も落ち込んでしまう自分の方を「困った奴っちゃなあ~」と『苦笑』しながら笑い飛ばせるぐらいが、自然なあり方なのではないか」
*******
さて、今のを読んで、あなたはどう感じますか?
A.「そこまでいろいろ考えるわけ? 疲れる奴っちゃな~」
B.「僕は{仮説1}の最初のところでいつも堂々巡りしていた。こんなにいろんなとらえ方が可能とは気づかなかった。視野が広がり、参考になった」
私は、多かれ少なかれ、感想はこの3つのパターンのどれかに当てはまる確率、70%とシミュレーションします。
*****
思い込みに走りやすい人というのには、実は「ものすごい脳のパワー」の持ち主である可能性があると思います。
そのパワーが、いわば「エンジンは優秀」でも、それを車軸に伝達する部分やハンドルなどの他の部分がそのエンジンの性能に追いつかないでいるために、「レース完走」できないFIマシンみたいなものと考えればいいと思います。
いわば、シャッターが下りたガレージの中でのアイドリングだけしかできないうちに、一酸化炭素中毒になってバテるようなものですね
そのエンジンのパワーをもっと「有効活用」することは、かなりの場合に可能なのではないかと思います。
ですから
一方の極に
「一度『特定の』思い込みにとらわれると、ひたすらそっちの方向に突っ走る、『硬い心』だけど『ガラスのようなもろさ』と背中合わせのタイプの人」
がいて、
他方の極には、
「一つだけではなくて、さまざまなシュミレーションを、
白、黒、抹茶、赤、青、黄色、金銀パールプレゼント!!(古い)
とばかりにあれこれ考え直してシミュレーションしてみることをどこかで『楽しむ』境地に達するばかりか、
「しかし私のシミュレーションは、私がただの不完全な生身の人間である限り、決して完璧では「ない」に違いない。
でもそいれでもいいじゃん!! 自分のシミュレーションを超えた思ってもみない事態に直面するたびに、僕の「経験値」は上がり、次の場面では更にシミュレーション能力に磨きがかかるわけだから、「予想外の展開」大歓迎だ!!
シュミレーションを超えたことが次々起こるにどのように対応していくか、こそ、人生の「スリル」だし、生きる「醍醐味」ではないか」
........とまで開き直れる、
「柔軟で臨機応変で、数手先まで様々なシミュレーションをしては現実に行動し、刻々と修正していく、実は『タフな』タイプ」
を両極端にしているのではないかと思います。
今の部分を読んでいて、宇多田ヒカルの"Beautiful World"の、
どんなことでもやってみて>損をしたって、少し経験値上がる
という歌詞を思い出された方もあろうかと思います(^^)
あるいは、エヴァンゲリオンの「旧劇場版」における、ミサトのシンジへの最後のメッセージの中に含まれている、
「今の自分が絶対じゃないわ。後で後悔する、私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を、繰り返すだけ。でも、その度に前に進めた気がする」
というセリフも思い出しました。
*****
【追記12/12/14】:今読み返すと、ここで書いたことは、私なりの「認知行動療法」のテキストみたいにも読める気がします。
それから、手前味噌ですが、とっくに絶版となった私の書いたエヴァ本「エヴァンゲリオンの深層心理」・・・・もう15年以上前に書き、読み返したら稚拙にしか感じないのではないかと思って読むことを「封印」していたのですが、今回、「旧劇」まで観なおして「一読者として」再読すると、今の自分が読んでも古びてはいないだけのことを書けていたとホッとしました。
「オイルヒーター」という、昔の学校のスチーム暖房とかに外見が似た、電気式の暖房器具、ご存知でしょうか? でも、スチームでも、石油でもありません。
内部に密封されたオイルを対流の促進の媒介にした、れっきとした電化製品です。
これ、主としてヨーロッパでよく使われている暖房器具です。
その最大の特徴は、 「そこに『熱源』があることを全く意識させず、まるで室温そのものが最初からその温度であったかのような、全然『存在感』のない、無音で放射熱も温風も臭いも感じない暖房機である」 ということ。
密閉度の高いヨーロッパの住宅だから発達したとも言えますが、最近の日本のアパートやマンションもそういう密閉製が高くなってきているので、じわりじわりと普及しています。
イタリアのデロンギ(DeLonghi)をはじめとして、ドイツやオランダ製のものに安くていいものが多く出回ってます。 ここで掲示したのは比較的小さな部屋用です。
*****
なお、他にも「膨大な」製品があります。日本、スウェーデン、イギリス、ブルガリアなどなど。日本の家電店は、デロンギやフィリップスばかりが置いてあるけど、世界は広いのです。デロンギはかなり高めの値段設定です。2万円かけないで手に入る製品も結構あるのですね。
ここしばらくの間で最大の事件は父の急死でした。
齢79歳ですから寄る年波には勝てないとも言えますが、母と同居するマンションの風呂場で浴槽につかったまま意識不明、救急車で久留米大学救急救命センターに運ばれ、数日間ICUでの集中治療を受けた後、3月8日に死去しました。
年金生活を送っていましたが、税理士関係の仕事をまだ何件かは続けていて、あと少しで年度末の確定申告関係の仕事が終わる直前でしたので、実際にはかなり疲労していたのではないかと思います。
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父は昭和7年に東京市淀橋区で生まれたが、4歳の時に中国東北部、いわゆる満州に関東軍の軍属となった祖父と家族と共に渡った。
哈爾濱(ハルピン)のそばの「阿城」というところに住んでいたらしく、今度の引っ越しの時に、十五年ぐらい前に再訪した「阿城」駅の写真、そして阿城から通学していた哈爾濱中学までの定期券の実物が発見できた。
もっとも、その定期券の有効期限は昭和20年の10月13日までであり、すでに終戦を迎えていたことになる。何かやはり当時の遺品として大事に持っていたのであろう。
「軍属」というのが何を指すのかよくわからないでいたのだが、今回の引っ越しで、満州時代の父の父の書いた本が表紙がない形で本文だけ「発掘」された。
学校の生徒や教育関係者への訓示を思わせる格調の高い文章。
だから、「視学官」だったのではないかと思える。
いわゆる「大東亜共栄圏」「五族協和」について高らかに歌い上げるというより、実際に満州にいる中で人は何ができるかについての思索の跡が伺える、かなり理想主義的な文章である。
父たちはソ連軍の戦車が来襲する前に大連の港を目指して集団で逃避行となったわけだが、ある宿営の晩、父の父は、「お母さんのところへ行っていなさい」と言い残してその場を離れたという(生前には父から直接聞けなかったが、母から父の死後伝え聞いたこと)。
その後に一発の銃声が聞こえた。
その後、祖母と父は大連で足止めを食らい、約1年間日本への引き揚げ船に乗れなかった。饅頭売りなどをして「人生の底辺を嘗め尽くした」という。
いつでも自殺できるように青酸カリが配られていたが、ほんとうに日本に帰れそうだとなった時点で回収されたという(これは父から聞いていた話)。
日本に帰り一族の本来の故郷である現在の久留米市北野町の本宅に帰り着いた時には、母子二人ともやせ細っていたそうだ。私の曽祖父は「トモエと彦四郎が帰って来たぞ」とふれて回ったとのこと。
父の兄(私の叔父たち)は一人は早稲田大学、一人は玉川大学を出て、二番目の兄のエッセーが収録された文集なども残っているので、中産階級の頭がいい家系ではあったと思う。徴兵後に数年遅れて帰国した長兄の方は、市役所の議会事務局まで務めあげ、30年におよぶ年金生活を悠々自適に送って、昨年98歳で亡くなったが、次男の方は最後は上海の阿片窟で死んだらしいことを父はいろいろ文献を集めて探り当てていた。
父親に進学を進める声もあったが、父の母は「この子にばかり贅沢はさせられない」と言い切り、父は旧制中学一年で中退のままで簿記学校へ通う。その後で当時の北野村の経理指南役にすぐに上り詰めて以降、経理の「超」職人としての人生が始まる。ともかく5人分の仕事をこなせたらしい。雇っている事務員たちのペースがまどろっこしいのだ。
しかも、父は誰よりも早く事務所に「出社」して、部屋の掃除をして冬は暖房をいれておく甲斐甲斐しさも併せ持っていた。「頭は低く、でも技は人一倍に」というのが父の処世術だったようだ。
そういう勤務先で知り合ったのが、10歳も年上の母だったという。母はまさかこの人と結婚する展開なるとは全く思っていなかったようである。
そうした中、上皇、つまり当時の皇太子殿下と美智子様のご成婚の日に「あやかり結婚」する。その名前が新聞に出たものも残っている。
そして、今の皇太子殿下が実際には昭和35年の2月23日生まれなので学齢的には一つ私の方が下になるが、「浩宮」の一字をもらって「浩一郎」という名前になったわけである。
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父の特徴は、万事自分でお膳立てしてしまう「先回りの良すぎる」ところである。「甘やかされた」のではない。私は父の先回りに「甘んじて」いたのである。私自身そういう父から離れないと成長できないと感じたので東京の大学に進んだのだが、私も学生時代に金銭的に不自由したことはない。でも「そこまでしてくれなくてもいい」「自分なりにやらせてほしい」と言い出せないままだったのは私の責任でもある。
その結果、実社会に出て人との関係にもまれるということが遅すぎる形になっていたと思う。若いころバイトは正直に言って一回箇所しかしたことがない。それも友人のコネでである。
晩年の父は、「そうやっていつも先回りしようとするから」みたいなことを私が言ったとたんに「おまえは俺のポチか?」と感情を高ぶらせた。
ポチでいたくはなかったなかったけれども、ポチに成り下がってもいたと思う。
母も、「いつでも『うちんと(父)』がお膳だてするけん、私も世間知らずのままでよくなってしまっていた」と最近語ることが多い。
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父は、自分が時代に流されて必死に生きるしかなかった分、果たせなかったことを他人にはしてあげることによって自分の生きがいを見出すタイプだったと思う。
長らく「カウンセラーこういちろうの雑記帳」としてご愛読いただいてこのサイトの更新が止まり、そして予告もなしに閉鎖してしまったことに、愛読者の皆様にはご心配をおかけしていたかもしれません。
事情はいくつもの込み入った理由がありますが、そのすべてをここでお明かしすることは、逆にリアルワールドでの幾人もの人にご迷惑がかかることでもあるので詳細は控えます。
更新が止まったブログに毎日500名以上おいで頂き、12万アクセスにまでいつの間にかカウントされていたのですが、ともかく、トップページのURLはそのままで一から出直しますので、どうかよろしくお願いいたします。
なお、そうした中でも、お気に入りの記事のいくつかは今後再アップします(バックアップファイルはHTMLのテキストファイルとしても膨大なバイト数なので全面再構築はそもそも不能です)
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