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2021年7月28日 (水)

【ウマ娘】:サクラバクシンオー、URAファイナルズへの挑戦。

「学級委員長」ことサクラバクシンオーは短距離先行のウマ娘ですが、短距離ですからスタミナやパワーは度外視してスピード勝負でいい筈でしたが‥
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【ウマ娘】:ダイワスカーレット、URAファイナルズ挑戦の軌跡。

ダイワスカーレットは久しぶりの育成でした。「作戦」のいじり方がずいぶん身について来たように思います。
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【ウマ娘】:ハルウララ、URAファイナルズ、有終の美。

ハルウララを最後まで勝たせることは私の一つの目標でした。

本来ダートの「差し」ウマですが、「魔改造」を施しました(^^;)

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【ウマ娘】:トウカイテイオー、URAファイナルズ挑戦

トウカイテイオーは、中距離先行のウマ娘です。

何回チャレンジしたことでしょうか。

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【ウマ娘】:タイキシャトル、URAファイナルズへの挑戦

前のエントリーのようなシリアスなテーマからよくもまあウマ娘に飛べるなあとお思いの方もあるでしょうが、こうやって普通にゲームできるっていくことの幸せを受け止めていることも大事だと思う。

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2021年7月27日 (火)

障害者差別を克服することは、単に「差別はいけない」という倫理規範を広めることではない。

障害者差別を解消するためには、「世話をすることの大変さ」を抱えた人たちが、その大変さを、互いに共有し、連帯し、横のネットワークを持つことにことに、まずは基礎づけられなばならないと思う。

そして、それ以外の人たちが、そういう世話をする人たちに、いたわりのこころを持ち、具体的に支えて行くことである。

差別を「いけないこと」とする「道徳」を広めることではないのだ。

一般の人たちは、そうやって障害者の世話をする人(家族、施設の職員)たちに、「任せて」いることを「恥じ入る」ことから始める必要があるだと思う。

それこそが、障害者問題を、社会が包摂し、各々が責任を持つことの基本なのだ。

誤解を恐れずにいえば、「障害者もひとつの人格を持つものとして公平に扱い、接する」などという道徳的で高尚な問題ではないんだよね。

だって、直接ケアする人たちは、たいへんなんだもの。

*****

【追記】:私は、すでに

●最重度障害者の現実

でも書いたように、半年とは言え、施設でのケアの経験を持っています。

ただ、テレビとかでも知的障害者が単なる天使とかではなくて、大幅な生活の介助が大変なことは伝えていると思います。

それはまさに、認知症老人の介護の大変さに「非常に」よく似ていると思います。

このへんに想像力を働かせれば、一般の人もそのたいへんさが共有可能と思います。

施設収容される必要がある知的障害者はかなりレヴェルが揃っているので、家族どうしの連帯は可能だと思います。

そして、知的障害も持つ人のcareの大変さがあるからこそ、施設職員の暴力的で手荒な扱いが誘発されるのだし、植松自身もその大変さを委ねらていた存在ということになります。

そういう、いつの間にか「暴力を振るう」人たちにすら、連帯し、共感することになります。

これでこそ生産的な、社会的包摂となると思います。

だから、私は「差別はいけない」と言うこと自体を敢えて「排除」したい。

だって、「たいへん」なんだもの。

敢えて、障害者の「人権」などという「高尚な」論理を排除したいんですよね。

敢えて言えば、そういう「大変な」人を捨ててしまう(この世から抹殺してしまう)のが許されるのか、という点のみが倫理的な問題だと思います。

いわゆる、障害者「差別」は、人種差別とか男女差別とは何か質が異なる事柄のように思います。

先程、障害者のcareは認知症老人のcareの大変さと実質同じと書きましたが、「老人差別」という概念はあるでしょうか?

「careするのがたいへんだ」・・・そこに回帰する問題と思います。

そういう、エゴイスティックな「本音」こそが、問題の核心を共有する基盤となると。

施設や専門家の手に委ねる時点で、その「たいへんさ」といエゴイズムゆえに、私達は障害者や認知症老人に対する「責任」を放棄しているともいえる。

そして、市民全体が、そうしたcareに対する「責任」を分有しといることの自覚にもつながると思う。

行政の問題や法律の問題以前なのだ。

敢えて言えば、植松を生み出したのは、私たちひとりひとりの「責任」(というか、責任「回避」)なのだ。

その私達の責任「回避」の帰結として、私達の「代理」となって、植松は重度障害者を「殺した」のであり、殺された被害者に対して、私達ひとりひとりが責任を追っているということになるのだと思う。

あまりに素朴な古めかし過ぎる論理展開になるかもしれませんが、福祉とは、私達ひとりひとりでは「たいへん」過ぎてかかえきれない問題を、国民主権である政府に、税金を払って委託する、というシステムであるという視点も必要かと思います。

だからこそ、消費税がほんとうに福祉のために使われているかどうか監視する責任が、私達にはあるのだと思う。

2021年7月26日 (月)

相模原、津久井やまゆり園殺傷事件の原因・背景について、もっと具体的に検証する必要がある。-今も「植松」はたくさんいる- 

あの悲惨な事件から5周年です。

Twitter上には、植松死刑囚の障害者差別とヘイトクライム、優生思想を、あってはならないこととして振り返るツイートが溢れかえっています。

しかし、私はそれらが理念的一般論になっており、フィールドワークとして、植松死刑囚の施設内で利用者と、具体的にどのように関わっていたか、そしてそれが施設内でどう受け止められていたかの具体的再検証に踏み込んでいないものばかりのように思われてもいました。

その一方、やまゆり園の内部では、職員の利用者に対する暴力と虐待が日常化しており、そのことが問題視されるようにもなっていたという情報も、ネット上のどこからか目に入っていました。

「障害者差別」「優生思想」が良くない、と啓蒙するだけでは問題は何も解決しないと思う。まずは障害者を支えることの「たいへんさ」を分かち合うところからはじめねばならない。

本日、私のツイートラインのYahoo!ニュースに、次のような記事が流れて来ました。

 

 

この渡辺一史氏によるレポートは、やまゆり園の内部資料と、実際にやまゆり園に勤務したことがあるT氏の証言に基づいて、植松死刑囚が利用者にどのように接していたが、それは施設内でどのように受け止められていたか、やまゆり園という施設の職員の利用者に対する暴力と差別と支配の実態についても渾身のレポートとなっている。

それによれば、職員としての植松は、在職中に書いた「ヒヤリハット報告書」(実際に「ヒヤッとした」事件に対してどのように「ハット」気づき、具体的にどのように対処していったかについて、時系列を追って報告する書類)のいくつかの報告において、実は冷静で迅速な対応をしており、むしろ通常の職員より懇切丁寧で利用者思いですらあったことが伺われる。

しかしそうした植松の対処は、上司には認められず、ことなかれ主義の職場風土の中で、むしろ厄介者扱いされ、そうした中で植松が苦しでいた様が描かれる。

そして、やまゆり園の施設の職員の間で、利用者に対して、差別と暴力と手荒な対処を行うことが常態化していたことが、元職員T氏の証言からも浮かび上がる。

植松がそうした中で無力感を深めていたことも間違いないようだ。

もとより、そこから、植松が、利用者をこれ以上生きていても仕方がない存在としてとらえ、無差別連続殺傷に至るまでの経緯についてはまだ飛躍がある。

しかし、植松自身が措置入院の処分を受け、「反省の弁がある」という理由で退院させられるといった経過の中で、植松のこころに一層の歪みと鬱積がたまり、植松自身の奇妙な使命感が誇大妄想的に広がり、確信犯となるに至る経緯があったように思われます。

もとより、植松の殺傷という行動化は、残酷な犯行そのものであり、許されるべきものではありません。

しかし、障害者差別や優生思想はあってはならないと理念的に糾弾するだけでは、施設におけるリアルな現実は浮かび上がっては来ず、今後似たような事件が起こらないための処方箋にはならないと思います。

今も、多くの日本の障害者施設の中で、職員の利用者に対する差別と暴力的処遇が繰り返されていて、「事件化」していないだけであろうことを、じっくりと見つめねばならないと思います。

植松まではいかないだけの人間は、今も施設職員の中にいっぱいいる。

******

なお、事件直後に私が書いたエントリーがあります。

私のこの種の施設での研修経歴の基づくものでもあります。

●最重度障害者の現実

なお、知り合いからネット上に次のような記事がすでにあることを紹介いただきました。

●「植松被告」に死刑判決でも事件が不可解な理由 裁判員制度による「核心司法の問題点」を露呈

この問題から私が思うに至った帰結はこちら。

●障害者差別を克服することは、単に「差別はいけない」という倫理規範を広めることではない。

******

なお、Yahoo!ニュースはひとつの記事の保存期間が短い傾向がありますので、全文のコピーをwordファイルとして以下にアップしておきます。

ダウンロード - e58685e983a8e8b387e69699e3818ce6988ee3818be38199e6a48de69dbee88196e6adbbe58891e59b9ae381a8e6b4a5e4b985e4ba95e38284e381bee38286e3828ae59c92e381aee694afe68fb4e381aee5ae9fe6858b.docx

 

「空の青さを知る人よ」 -31歳の人にこそ観てほしい傑作アニメ-

私は、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(2011年)」という傑作TVアニメシリーズがあるらしいことは知っていた。

そのスタッフ、監督:長井龍雪、脚本:岡田麿里、作画監督:田中将賀による、2019年の長編劇場用アニメである。

ちょうど、新海誠監督の「天気の子」と同じ年だが、この「空の青さを知る人よ」は、優るとも劣らない、たいへんな傑作だと思う。

******

ストーリーは、現実的なようでいて、不思議な話でもある。

舞台は秩父市。

高校2年生の相生あおいは、13年前に両親を事故で亡くして、31歳になる姉のあかねと共に暮らしている。

13年前、あかねはあおいと同じ高校のバンドのマネージャーのようなことをしていた。あおいは当然幼かった。

ベースをしていた「しんの」こと金室慎之介にあおいは憧れ、自分もベースを弾きたいと言い出した。

「しんの」は高校卒業と共に、音楽で身を立てるために上京しようとするが、その際にあかねも一緒に東京に行くように求めるが拒まれていた。

13年後、あおいはベースを弾き、上京することを夢見ていた。

そのための練習場として借りた、寺のお堂のような建物の中で、あおいはひとりの青年と遭遇する。

それは、13年前の、高校生の姿のままの「しんの」とうり二つだった。

お堂の中の「しんの」は、どういうわけか外に出ることができない。

まるでかつての「しんの」が、時間が止まったまま、生霊となっているかのようだった

・・・といっても、飯も食うし、身体も触れる存在。

姉のあかねは、市役所の職員をしており、町興しのイベントの担当となった。

それは演歌歌手、新渡戸団吉を招聘するというものだったが、そのバックバンドで、31歳になった「しんの」=金室慎之介はギターを弾いていた。

バックバンドのベースが食べ物にあたって活動不能になり、代わりにあおいが代役を務めることとなる。

果たして31歳になった慎之介と、同じく31歳になったあかねは、どういう関係を求めていくのか?

その一方で、生霊の「しんの」とあおいは、練習に打ち込む。

・・・・まあ、このあたりまでで、ネタバレは止めよう。

******

まずは、あかねとあおい姉妹のキャラクターが非常に魅力的。

作画は極めて丁寧で、秩父の風景も繊細で美しい。

そして、音楽の演奏も、実に本格的である。

脚本は、どうしてこんなストーリーと展開が思いつくのかというくらいに独創的であり、しかも緻密な構成力を持っている。

クライマックスで、突如アニメにしか不可能な展開になるのも、ともかく凄い。

本編の物語の終わらせ方が、また潔いのです。

主題歌はあいみょん担当。

演歌歌手の声は、松平健が演じている。

恐らく、観客対象は、あおいと同じハイティーンから、あかねと同じ30代までを見込んでいると思われるが、幅広い層に楽しめる内容だと思う。

****

調べてみたら、「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」にはじまり、「心が叫びたがってるんだ。」(アニメ版と実写版あり)を経てこの作品は、前述の3人を中心スタッフとする「秩父三部作」というべきものらしい。

できれば前の2作とも観てみたい気がする。

 

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2021年7月25日 (日)

泣きたい私は猫をかぶる

この劇場用アニメの共同監督をしている佐藤順一さんといえば、私にとっては「きんぎょ注意報!」「セーラームーン」のチーフディレクターである。

そして、「ユンカース・カム・ヒア」の監督さんでもある。

この「泣きたい私は猫をかぶる」という映画は、当初劇場公開の予定だったが、コロナのために上映できなくなり、Netflixが最初の配信となった。

原作のない、オリジナルアニメーションである。

******

主人公の中学生、笹木美代(無限大謎人間、略してムゲというあだ名がある)は、クラスメートの日之出賢人のことが好きだった。

美代は、一方的に賢人に話かけていたが、賢人はつれない。

ムゲ(美代)は、ある晩、大きなキジ猫から、猫の面をもらう。その猫の面をかぶれば、猫に変身できるのだ。

美代はネコの姿で賢人の家に繰り返し行くようになり、「太郎」と呼ばれるようになる。

「太郎」には愛着を持つ賢人に、美代は、切ない思いを感じる。

賢人は、陶芸家の祖父のあとを継ぎたいという気持ちをはっきり言えないでいるし、美代は、一見円満だが、実は複雑な家庭環境の中で、腫れ物に触るように扱われるのに嫌気がさしている。

美代は思い切って賢人へのラブレターを書くが、その手紙はクラスメートに晒しものにされてしまう。

その時の賢人の反応に、美代は傷つく。

お面屋のキジトラは、美代にネコのお面を貸し、ネコになれることの代償として、美代の人間としての面を取り上げて、ネコからもう戻れないようにしようと企んでいる。

この結果、美代は「太郎」でしかいられなくなり、美代の面は、他のネコに与えられてしまうのだが・・・

******

愛知県常滑市が舞台。

非常に丁寧に日常描写を積み上げたファンタジーであり、何も奇をてらうところがない。
子供でも楽しめると思う。

佐藤さんは私と同い年の監督さんであり、もはやベテランの域に入ると思うが、足が地についた、オープンな作家性を今も堅持していると思う。

良作である。

なお、この作品を制作した、スタジオコロリドという会社は、「ペンギン・ハイウェイ」の制作会社でもある。

 

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「夜は短し歩けよ乙女」 -アングラ演劇的世界を、アニメーションでしか表現不可能な豊潤な表現でタイトに描ききった傑作-

「ペンギン・ハイウェイ」つながりで、森見登美彦原作のアニメで、秀作アニメがあると知り、観てみたのですが。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」にはまっている私にとっては、対極にある、極めて抽象的と言うか、極度に描線を切り詰めた画面。

「ペンギン・ハイウェイ」の、ジブリ的ジュヴナイル的日常描写に秀でた作品世界とも全く遠い世界で、とても同じ原作者の作品とも信じられないのですが、ともかくこのアニメ、観てみる価値、おおありですよ。

ストーリーを端的に説明するのは困難ですが、大学生の主人公、「先輩」は、同じ大学の「黒髪の乙女」に恋をしている。

でも、面と向かってコミュニケーションをすることはできず、遠くから眺めていた。

しかし、「ナカメ作戦」という、彼女の目にとまるように「外堀を埋めていく」やり方で徐々に迫っていく。

ただ、その遠回りは、実に多くの、怪人めいた人々との出会いと、騒動に巻き込まれる形でしか進んでいかない。

彼女の幼少期の愛読書で、彼女の手から離れていた、「ラ・タ・タ・タム」を取り戻し、彼女に進呈しようとしていくための作戦へと収束していくのだが、ともかく多難な障害にぶつかり続ける。

「黒髪の乙女」は彼女の方で、酒ばかり飲みながら、破天荒な形で、人との出会いを繰り返していく。

「先輩」は運命の糸をたぐり、果たして「黒髪の乙女」との出会いに導けるかどうか?

・・・・まあ、そんな話なのだが、個性あふれる群像劇が、ひたすらどんちゃん騒ぎの中に、凄まじいまでのアニメ的な豊潤な想像力の中でめくるめく展開していくのはたいへん刺激的であり、タイトな、退屈しない1時間半がまたたく間に過ぎる。

ここで描かれる大学生の世界は、昭和的なもので、何かひどく懐かしさを覚える。

非常にアングラ演劇的世界なのだが、アニメによってしか不可能な表現だろう。

劇中劇は、ミュージカル的表現をふんだんに用いている。

監督の湯浅政明という人は、非常にとんがった才能の持ち主と言わざるを得まい。

主役の「先輩」の声は、星野源が務めている。

******

・・・今、「アングラ演劇的世界」と書いたが、実際、この原作、このアニメ版と同じ脚本家のもとで、演劇としても上演されたらしい。

乃木坂46の久保史緒里が、「黒髪の乙女」役で、ハマり役として出演し、たいへん評価が高かったそうである。

●舞台『夜は短し歩けよ乙女』6月6日 開幕!恋は突然やってくる、不思議な縁の物語

 

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«「ペンギン・ハイウェイ」 って、単なるジュヴナイルではない。【ネタバレ注意】

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トロントだより

  • 050601_0957
     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

  • 20061122150014_1
     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

  • 050708_2036
     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

  • 050723_1544
     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。