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2022年6月26日 (日)

カウンセリングの「中断」について

面接の終結を「円満に」迎えるような事例のほうが怪しいんです。本人がその後をとりつくろっているだけのことが少なくない。

これ、「逆説」ね。

何の音沙汰ない #カウンセリングの中断 後、どうみてもいい経過をたどるクライエントさん、結構多い。

#中井久夫 先生は、「治療の終結を一抹の寂しさと感じるのがいい経過」と書いておられます。

♪感謝して別れるのは 小説だけ~ (#松任谷由実  ハートブレイク)

私はリアルタイムで #松任谷由実 (#ユーミン )も #中島みゆき もおいかけて、#LP 買ってたからいくらでも書けますう。#jpop

CD時代になってからとんと聴かなくなった。みゆきとの再開は「Singles 2000」。その後のみゆきは結構アルバム聴いてますが。#中島みゆき  #jpop

#精神科医 #カウンセラー #福祉 関係者をはじめとする #援助的専門家 は、患者さん、クライエントさん、利用者さんを自分の「生きがい」にしてはならないという大逆説。

そうなるくらいなら、#ウマ娘 を生きがいにしてみたほうがいい!

どこその #プリキュア にはまっているカウンセラーさん、素晴らしい!

日々の糧のためにカウンセリングしている、と、クライエントさんに「問われれば」言えるカウンセラーの中にこそ、信頼できる人がいる。

これ、#中井久夫 先生のパクリです。

給料が少ないとクライエントさんにグチるカウンセラーさんはどうかと思うが。

 

 

 

リアル競馬を知らない皆様のための基礎知識

noteの「ウマ娘の精神分析」シリーズでは、煩雑になるので、原則として以下のレースにしか言及しないつもりです。

 

●年間の主なレース日程(すべてGI)

 

皐月賞 芝2000m 4月14日~21日頃 GI初レースのことが多い。クラシック3冠レースのひとつ。

天皇賞(春) 芝3200m ゴールデンウイーク頃 2年目以降の馬(シニア級)が対象。

東京優駿(日本ダービー)芝2400m 5月26日~31日頃 クラシック3冠レースのひとつ。

宝塚記念 芝2200m 6月23日~29日頃

菊花賞 芝3000m 10月20日~26日頃 クラシック3冠レースのひとつ。

天皇賞(秋) 芝2000m 10月27日~11月1日頃。
 
ジャパンカップ 芝2400m 11月24日~31日頃 国際GIレース。成績を上げた外国馬も来日、レースを競う。

有馬記念 芝2500m 12月23日~28日頃。

URAファイナルズ 予選→準決勝→決勝 1月はじめ 距離・コースはトレーナーの育成ウマ娘に適合したものが自動的に選ばれる。(ゲーム「ウマ娘」のフィクション)

 

 

●距離(ゲーム「ウマ娘」の中での)

 

短距離 1000m~1400m
マイル 1400mより上~1800m
中距離 1800mより上~2400m
長距離 2500m~3200m

 

 

●コースの地面

 


ダート(土)

 

 

●脚質(走り方の特徴)

 

逃げ 絶えずトップを走り、逃げ切ろうとする
先行 中盤まで上位集団に位置し、終盤で先頭に立とうとする
差し 中盤まで中段・下位集団に位置し、第4コーナーを回って先頭に立とうとする
追い込み 中盤まで下位集団に位置し、ゴール寸前になってギリギリで差すことをめざす

サイバーリンクパソコン工房

2022年6月25日 (土)

私のウマ娘厩舎の実力

私のウマ娘厩舎の実力をスクリーンショットで示しておきます。

レヴェルはB2と表示されていますが、あと5100ポイントでB3に昇格。

このくらいの実力でも、URAファイナルズでほぼ常勝できることは、ゲームをしている方なら周知の事実でしょう。

トレーナーIDは197 070 078。

フレンド申請は歓迎します。

私の特に好きなウマ娘は、ゴールドシチー、エイシンフラシュ、セイウンスカイ、ライスシャワー、アグネスデジタル、キングヘイロー、マンハッタンカフェ、スマートファルコン、メイショウドトウといったところ。

画像はセイウンスカイ新衣装。

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2022年6月24日 (金)

「ウマ娘の精神分析」シリーズをnoteではじめます。

「ウマ娘 プリティーダービー」。現在ちまたで流行しているゲームです。

実際の競馬の歴史に登場した名馬たちを、美少女キャラにしたものです。

頭に耳、そしてしっぽが生えています。

ゲームをする人は、トレーナーとなり、ひとり(一匹)ウマ娘を選び、日本トレーニングセンター学園(トレセン学園)という専門の学校で育成し、トゥインクル・シリーズと呼ばれる、いろいろなレースに出場させ、共に成長していくこととなります。

最後は、「URAファイナルズ」と呼ばれるグランドチャンピオンレースでの優勝をめざします。

彼女たちは、単にレースを重ねるだけではなくて、レース優勝の度にステージに立ち、歌って踊れるアイドルもしています。

いろいろな歌があるのですが、グランドチャンピオンになった時にだけ歌える「うまぴょい伝説」は、幅広いブームとなっています。

このゲームは、ソシャルゲーム(ソシャゲ)というジャンルに属し、スマホでもパソコンでもプレイすることができます。

基本無料。課金によりガチャ(ウマ娘を抽選で引き当てること)のための資金(ジュエル)を迅速に調達することもできます。

このゲームは、ゲームファンのみならず、リアルワールドの競馬ファンの人気も集め、2022年1月現在、すでにダウンロード数1,300万、「日本ゲーム大賞2021」優秀賞を受賞しています。発売は(株)CyGamesです。

私は、2021年2月の、このゲームの頒布開始からほどなく、このゲームをはじめました。

もうハマりまくりましたね。

空いている時間があると、ひとりのウマ娘を育て上げるまで止まらない。

私は普段からゲームをしていた人間ではないので、そんなに育成の仕方が上手な方とは思いません。ネットをみると、あっという間にすごいスペックを持ったウマ娘育てあげ、SSランク以上の評価を獲得できる人もたくさんいます。

私の場合は、試行錯誤を重ねた結果、現在では、新たに獲得したウマ娘を、一回目の育成から、確実にURAファイナルズ優勝に導けるようになったところです。

それぞれのウマ娘には、モデルとなった実在の競走馬の生育歴や性格、得意とする走り方や距離、レース戦績、引退後の生活などを参考にキャラクター設定がされており、個性的な容姿・衣装(勝負服)とともに、明確な性格が与えられています。それぞれのストーリーも用意されています。

どのような家庭環境で育ち、どのウマ娘と仲良しで、どのウマ娘とライバルか、趣味や特技は何かとか、ともかく設定が細かいです。

そこで思い立ったのは、私が心理カウンセラーを職業としていること。

ひとりひとりのウマ娘を紹介しながら、その生育歴や性格を、専門家としての私が心理分析して、読者の皆様にお伝えできれば、興味深いのではないかと。

このゲームをまだやっていない皆様、もう熟達した皆様、そして競馬ファンの皆様にも楽しめる内容にするつもりです。

この本は、ウマ娘ごとに一章ずつを割り当て、モデルとなった実在馬の簡単な紹介、そしてウマ娘の紹介と、性格分析をしていく形をとります。

現在七十数人のウマ娘がいて、実はニューフェイスも刻々と増えています。しかし、私が実際にプレイできたウマ娘の数に限りがありますので、おそらく30人ぐらいしか紹介できないことを、どうかお許しください。

自分のひいきのウマ娘が含まれていないではないか!と怒らないでくださいね。

ウマ娘の中には、きっとあなたに似た、子供の頃からの育ち方をして、似たような性格を持ち、似たようなことで悩んでいるウマ娘がいるのではないかと思います。そした皆さんへの、生きるアドバイスにもなればと思いながら、この連載記事をはじめました。

ストーリーはネタバラシになりすぎない範囲、しかも後半はお楽しみという形にします。

それでは、ウマ娘たちに、会いに行きましょう!!

*****

このページから、マガジンとして一括して読めます。(無料)

 

2022年1月27日 (木)

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非常にタイトな音だと思います。

痩せているというのではなく、まるで何本もの鋼線を織りなした音という感じで、特にアコースティックソースを聴いた場合、声部の細かいところまで顕微鏡的に細密に聴き分けられ、音の起伏も生き生きと描き出すという形で、逆に、ヤワではない繊細さが出て来るという感じです。

非常に存在感のある音になり、大理石を削り出したかのような感じで、現実の音はこんなに「個体」感はないだろともいいたくなりますが、音の浮かぶ空間は非常にすっきりしたクリーンな感じになる気がします。

低域の、全くばやけたドローンとした感じはなく、ぐいぐい押してくるのは特筆してよく、ティンパニやドラムスはぐりぐりきます。

また、音の立ち上がりが非常にハイスピード。解像度は高いが「剛」の音という点では、これまで体験したことが全くないタイプです。

ハイレゾだと音が繊細で緻密になる気もします。Snapdragon SoundTMという次世代規格で、少なくともXperia5では次の世代の製品からはじめて対応してくれるものなので、本来の可能性は聴けていないことになります。

真鍮と思われるケースは価格から考えると高級感があると思います。

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2022年1月26日 (水)

何のかのといって、なぜ私は結構健全に育ってきたのだろう?

私自身が若い頃、女性への劣等感のかたまりの「弱者男性」そのものだったから思うのだが、男って、結構、一回風俗ではない女性と関係を持てたら、相手がそこそこいい人である限り、非常にあっさりと性的劣等感の壁は超え、それ相応のスキルも急速に身につくことも多いのでは?

私の経験では、いっぱい実際告白していっぱい振られてみると、女性がどういう心境で生きているのかについての経験値が増えて、どういうふうに交際していかないとその先に行けないのかにも気づいていった。どれだけふられようが自己肯定感が揺るがなかったのは、自分の仕事への自負があったからだと思う。

おたく趣味持ってる人が性的に奥手であると決めつけるのも全くの偏見で、深い交際できて幸せな人はいくらでもいると思っている。

今でもいろいろと未熟で、不勉強で、決して幅広い人たちに満足していただけてきたカウンセラーとは思わないし、実際反省するようなことばかり重ねてきたし、過去の事例記録を読み返したりしたら目も当てられないとは思っているが、それでも自己肯定感は揺るがないできたのはなぜだろう?

私にとっては「うらやましい」は若い頃から「魔法の言葉」だった。

これは誰に教わったわけではない。

「自己嫌悪」とは「ねたましい」の「抑圧」された形であり、「ねたましい」は「うらやましい」のこれまた「抑圧」された形であると、ある時突如洞察したのである。

自分より現場臨床の力があるなと言う人に接したら、自己嫌悪するというより、「うらやましい」と思い、どう技量を「盗んで」やろうかと思うタイプだった。

20代までは、対人恐怖症そのもので劣等感の塊だったと思うが、自分の(専門を含む)おたく性には妙に自負があった。そこに、非常に寛容で受容的なカウンセラー仲間や先輩方に受け入れてくださってきたのも支えとなった。今振り返れば私の生意気なところによくあれだけつきあってくださったと感謝している。

変に権威主義的で、自分のプライドを守るために人をおとしめるようなことがなく、攻撃的でもない、腰の低い、謙虚な先輩方に恵まれてきたのも幸いだったと思う。

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2022年1月24日 (月)

キリストの受難(passion)を我が身で感じることとカウンセリングの「共感」的理解 -インタラクティヴ・フォーカシング-

たまたまTwitterで、

 

ロジャーズの論においてなぜ受容が難しいか?というのは痛みを拒否しているからだと思う。痛みを感じずに受容しようとするからこねくり回す。受容とは痛みを感じ、その痛みを通して相手を理解すること、そのものだと思う

 

受容が難しい理由をアレコレ考えていたけど、キリスト教的視点に戻ったとき、そう思った。

 

というご意見を目にしたので、

 

"suffering"を"com-passion"する、という言葉が思い浮かびました。私なりの聖書的理解ですが。

 

とお返しした。

 

私はクリスチャンではないか、すでに別の記事でも書いたように、中学時代から、スイスの宗教的著述家、カール・ヒルティの「幸福論」「眠られぬ夜のために」をはじめとする著作に傾倒してた時期があるし、高校もプロテスタントのミッション系である。聖書には英訳を含めて親しんできた。

"suffer"とは「被る」という意味であるが、キリスト教的には、イエス・キリストの十字架に至る苦しみの「受難」を指すことになる。

キリストの「受難」とは英語で"passion"である。バッハの「マタイ受難曲」が"Matthäus-Passion"であることをご存知の方もあるだろう。

更に哲学の分野では、デカルトが「情念論(仏: Les Passions de l'âme、英: The Passions of the Soul)」という本を書いているが、精神の働きに能動(意志)と受動というものがあり、「情念(Passions)」というものが、(わかりやすく言えば)環境から末梢神経を通しての脳への刺激として「受身的(passive)」に生じるという考えを述べている。

話をキリスト教に戻すと、14世紀のイタリアではペストの流行によって社会不安が蔓延し、ドミニコ会修道士の指導のもと鞭で体を打つことで功徳を得ようとする「鞭打ち苦行団」が組織された。

これは、キリストが身体に受けた傷を、自分も受けることで追体験し、贖罪を得ようとするものである。

この苦行は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」でも描かれたので、ご存知の方もあるだろう。

このような苦行は極端なものであるとしても、キリスト教において、イエスが心身に受けた苦悩を偲ぶことが、自らの苦悩の癒やしとする考えがひろくみられることは確かだろう。

さて、来談者中心療法の祖であるカール・ロジャーズのいう「共感的(正確には、感情移入的="empathic")理解というのは、あくまでも、「あたかも(as if)その人の感じている「かのように」感じてみるということです。

この"empathy"に対して、私も指導を受けたフォーカシング教師、ジャネット・クラインは、"compassion"という態度があると主張し、区別しました。

フォーカシングにおいては、自分の感情や悩みを「身体の内側の非言語的な感じ」それ自体(フェルトセンス)として直接注意を向け、感じてみるという態度を取るわけです。

これをフォーカシングを学んだカウンセラーの場合で言えば、クライエントさんの言語的・非言語的メッセージを、カウンセラー自身が、自分の身体の内側の感じとして、言わば「疑似体験」しようとすることになります。

まさに、身体の感じを通しての「痛み-の-共有(com-passion)」をしようとする姿勢ということになります。

もとより、あくまでも「疑似体験」ですが、自分がかつて感じたこころの「痛み」を、身体を通して追体験しようとする姿勢です。

もちろん、身体症状化した人の痛み「それ自体」とか、肉体的虐待を受けた人の痛み「それ自体」は感受できないでしょうが、そこで感じた苦しみの感情に対する、身体次元で波長を合わせての想像力というものは、限界があっても持つことはできるかと思います。

クラインは"empathy"で接する時と"compassion"で接する時を、はっきり別の段取りとして区別します。

前者では、あくまでもクライエントさんの感じている「であろう」認知枠に忠実であろうとし、後者ではカウンセラー自身の体験と身体感覚次元で共鳴させてしまうことを求めるわけです。

このふたつは混同されてはならず、今からするのはempathicな応答である、それに対して今度はcompassionとしての応答であるとはっきり示してしまいます。

compassionとしての応答は、カウンセラー自身が自分の体験と重ね合わせていますので、当然「思い込み」の要素があります。
ですから、あくまでも「私は」こう感じた、と、そっと差し出す姿勢が重要で、クライントさんにそれを「修正」してもらい、それを再び受容的に傾聴することになります。

ところが、このような相互作用を丁寧に進めると、クライエントさんは、自分が感じていた以上の新鮮なことを感じられるようになるという、促進的な作用をすることが少なくないです。

それどころか、クラインは、この後の手続きとして、ここまで進めた結果、「カウンセラーが」とのような「感じ」でいるのかについて、クライエントさんに「感情移入」して感じてもらい、言葉にしてもらう、という、相互的(インタラクティヴ)なやりとりの往復として行うことを定式化しました。

このことを繰り返すと、カウンセラーとクライエントさんの間に、非常に深い信頼関係と「絆」が形成されます。

これを、カウンセリング場面に限定せず、パートナーや親子などに、役割を交代しながら日常の中でもやってもらえるように「コーチ」する、というのが、クラインのめざしたスタイルです。

興味をお持ちの方は、ジャネット・クラインの「インタラクティブ・フォーカシング・セラピー」をお読みください。

なお、以下にリンクしたAmazonのレビューに、私自身の更に詳しい解説っがあります(3つしかないのでどれが私のレビューか、すぐわかるでしょう。やたらと長大なの)。

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2022年1月23日 (日)

昔、小林よしのりと論争した時に思ったこと

このご時世では、いかなる「ムーブメント」も、それが価値観の押し付けになり、個人自身の感じ方を抑圧する装置となれば、結局は全体主義を促進する作用しかもたらさないと思う。敢えていうが、狂信的なフェミニズムすら、「全体主義の一翼を担う」装置の一部となり得ると思う

私はいかなる価値観の「押し付け」にも反対する。一人ひとりが自分だけのユニークな価値規範を生み出し、それに基づいて行きていくことを理想して掲げる。

ひとり一思想であり、共感できるひとりひとりの人間と、「個々の条項で」同意できる場合においてにのみ共闘を結ぶ。

そもそもすべての点において同意できる相手なんて、この世には存在しないのではないか。すべては「条件付きの」信頼であり、共闘だと思う。

昔、小林よしのりが「自分の頭で考えろ」と「ゴーマニズム宣言」で書いたので「すべての人がひとりひとりゴーマ二ストになるべき」と手紙を書いたが、次の誌面で「それでは価値紊乱の社会になる」と逆襲された。私は価値紊乱でいいと思うけど。手を組むところだけ手を組む。それが個人主義だと思うが。

仮に私が今より名前が知られるようになったとしても、私は決して「信者」を求めないだろう。批判者だらけがふさわしい。それで個々の人がいうことがもっともだと思ったら個別に同意するだけだ。

親鸞も「歎異抄」で「俺を師としてたてまつる奴らはアホだ。偉いのは阿弥陀如来様だけ」と言っている。

何かあまりに「正義」の名のもとに人を屈服させ、洗脳しようとしている人が多い気がしたから、相当なストレスになってるので、思わず書いてみた。

「正義」をふりかざすことは、すべて「全体主義」への誘惑だと思う。

敢えて宣伝すれば、実は、フォーカシングというのは、他人の言うことへの、すぐには言葉にならない「違和感」にとことん敏感になり、それを相手に「通じる」形で言語化するスキルを磨きあげ、徹底した「個人主義者」を生み出す装置だったりする。

それと矛盾するようだが、他人のいうことは、何らかの意味で「正しい」。その「正しい」部分だけを選り分け、自分の糧にすることが、人間の貪欲な成長なのだと思う。

もっとも、自分が「違和感」を感じた意見に、いちいち自分から反論したり挑戦したりは、よほどのことがない限りしません。 スルーして、その人がその後どういう見解を述べていくかを「観察」する方が、「省エネ」だし、余計な誤解や先入観で泥沼化しないで済みますから。 挑まれれば受けて立ちますが。

Twitterでは、基本的には、その人の言うことに新鮮な発見と学びがあり、一理あると思った時にだけ「いいね」やリツイートをして、それでも「更に」同意したい時だけ引用リツイートやレスを返します。

自分が狭い世界に生きていて、大抵の人の言うことに、その人なりの生活の「現場」があり、そこから抽出された意見や思いだったりすると思うし、その人なりに探求してきた「博識」があると感じるから、滅多に自分のオリジナルのツイートはしなくて、むしろ「圧倒されて」、学びばかりと思っていますが。

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北山修「幻滅論」からの連想

「無意識」というものを他の人が「言い当てる」ことは不可能だと思う。そうした「言い当て」はすべてそれを言う人の「投影」だろう 。本人が漠然と感じている「感じそれ自体」をその人自身が感受して行き、言葉になったことだけが、その人の無意識「だった」ということになるだけだ。

他人に気持ちを「察して」もらわないと相互作用が成り立たないなのは、ある意味では赤ん坊だけだと思う。幼児になれば、大人との言葉「も」介したコミュニケーションの中にあり、子供からの自発的・言語的訴えを大人が「引き出す」コミュニケーションを主導する形になっていくのだと思う。

成人になってくれば、相手に自分の気持ちを「理解させようとする」言語スキルを磨くことになってくる。そのためには自分で自分の気持ちを「理解」し言語化できる前提がある。 もとより、そのスキルを磨いてもらうための援助をする他の人間は必要であり、自己責任に帰することはできない。

非常に個人主義的で、日本的「察し」の文化ではない理想論かもしれないが、原則的にはそう思う。

ネットのような、表情や身体の態勢、息遣い、声の調子、臭いなどの非言語的なもの(仮に画像があっても3Dではなく、presence=臨在性が低い)が伝達されない媒体を通してのコミュニケーションというのは、よほど用心しないと、行き違いだらけになるのも宿命かと思う。

「臭い」なんて、極端なこといいますけど、コロンを変えたなとかもあるし、フェロモン(性的な意味だけではなく)同士の原始的相互作用というのだって、動物ではない人間にも多大に実はあると思います(臭いについては、中井久夫先生も触れている文献があります)。

私は、カウンセラーとは、クライエントさんが「自分なりの新鮮な」言葉(それはカウンセラーにとっても全く新鮮なものでものであることも多い)で自己理解をしていくのを「援助」する存在でしかなくて、クライエントさんの気持ちを「言い当てる」ことへの欲望を持つべきではないと考える。「偶然」当たることはあっても。

人が「悲しい」と言っている「悲しい」も100人いれば100通りの「悲しい」であり、それを「その人が」心身でどのような「質感」で感じてる事象であるかは本人にしかわからないと思う。そのことの「尊厳」は守った上で「共感しようとしてみる」のだ。

 

ひょっとしたら「理解しあえた」というのは「理解したつもり」と「わかってもらえたつもり」という双方の「幻想(錯覚)」がたまたま一致しているだけかもしれない。「あの時同じ花を見て美しいと言った二人」の心が通い合っているのかどうか?

・・これ、作詞者の北山修先生が問題提起したことですよ。

興味がある人は、北山先生自身の「幻滅論」読んでみてください。

ここでいう「幻滅」とは精神分析家、メラニー・クラインのいう"disillusion"(脱錯覚)のことであり、否定的な意味ではありません。

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2022年1月22日 (土)

Social Phobia(社交不安障害、社会不安障害、対人恐怖)について

私が若い頃、学生相談をしている時にはあたりまえの概念で、実際そういう主訴の人も多かった「対人恐怖症」という言葉そのものを目にすることがなくなったのはどういうことだろう?・・と、ふと思った。

対人恐怖症は、英語では"Social Phobia"というのだが、調べてみたら、現在のDSM-5では「社交不安障害(Social Anxiety Disorder)」あるいは「社交不安症」と訳されているようである。

しかしこの訳語は流通しておらず、「社会不安障害」と訳されていたのではないかと思う。

なるほど、「社会不安」という言葉だけ取り出してみたら、全然別のイメージのものとなってしまうので、「社交」不安と訳した意図は理解できる。

でも、古式ゆかしき「対人」恐怖という言葉に込められた含蓄というのも捨てがたい気もする。

DSM-5には、

 

「他者の注目を浴びる可能性のあるひとつ以上の社交的場面に対する著しい恐怖または不安、例えば見られること(例:食べたり飲んだりすること)、他者の前で何らかの動作をすること(例:談話すること)などが含まれる。」

 

とあるから、「対人恐怖」という場合にあてはまるのは確かだが。

ただ、「社交」という言い方だと、たとえ街頭や電車の中でひとりぼっちで「いる」時でも、周囲の視線を気にしたり、凄い孤独感・疎外感を伴う不安を感じる場合があるというニュアンスが出にくい気もするのだ。対人関係を「回避」しているみたいな印象を与える。

学生相談の世界では、「排尿困難」という言葉もあった。これは、若い男性が、公衆トイレで、他に人がいると、どれだけ尿意があっても実際に排尿できないという症状のことを指し、得てしてそういう人は個室に入って用を足す。しかも室外に人の気配がしたら駄目だったりする。

今日では、この言葉は完全に泌尿器科の用語になってしまっているので、はっきり区別が必要だが、対人恐怖の症状のひとつの身体化した現れ方であるととらえられると思う。

そこには、自分自身の感情や衝動を、ありのままに認め、自然と「放つ」ことができないというメカニズムがあると私は考えるが、ある意味で「強迫神経症」にも通じる性質のものでもあると思う。

いずれにしても、「社交不安障害」という訳語はほとんど流通していないし、「パニック障害」と比べれば、日陰の障害という扱いという気がする。

私見では、「社会不安障害」というだけの場合には、薬物療法に頼らなくても、格好の心理療法の対象であり、カウンセラーとしてキャリアを積む上でも、早い段階で研鑽を詰めるケースかと思う。少なくともいきなりうつ症状の人を相手にするよりはいいのではないか。

私自身、カウンセラーとしての出発の時点では、学生相談を職場としたため、「対人恐怖症」の人との関わりが多かった。

この症状を持つクライエントさんがカウンセラーと良好な関係性を築けることそのものが実はセラピーそれ自体としての効果を持つ側面も大きい。ある意味で、クライエントさんがカウンセラーへの対人恐怖を最低限乗り越えることを繰り返さないと継続的カウンセリングそのものが成立しないからである。

それに加えて、技法的にどのようなものが考えられるかは、流派によって異なるかもしれないが、私なりのスタイルは持っていた。

しかし、それについては具体的には触れないでおきたい。

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«占いや開運グッズにこだわることの長所と短所

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トロントだより

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     The Focusing Instituteの第17回国際大会(2005/5/25-31)の開かれた、カナダ、トロントの北の郊外(といっても100キロはなれてます)、Simcoe湖畔のBarrieという街に隣接するKempenfelt Conference Centreと、帰りに立ち寄ったトロント市内の様子を撮影したものです。

神有月の出雲路2006

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     11月の勤労感謝の日の連休に、日本フォーカシング協会の「フォーカサーの集い」のために島根県の松江に旅した時の旅行記です。https://focusing.jp/  
    ご存じの方は多いでしょうが、出雲の国には日本全国の神様が11月に全員集合することになってまして、「神無月」と呼ばれるわけですが、島根でだけは、「神有月」ということになります。(後日記:「神無月」は10月でしたよね(^^;A ........旧暦なら11/23前後は10月でせう....ということでお許しを.....)  
    ちょうど紅葉の時期と見事に重なり、車窓も徒歩もひたすら紅葉の山づくしでした。このページの写真は、島根の足立美術館の紅葉の最盛期です。

淡路島縦断の旅

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     「フォーカシング国際会議」が、2009年5月12日(火)から5月16日(土)にかけて、5日間、日本で開催されます。
     このフォトアルバムは、その開催候補地の淡路島を、公式に「お忍び視察」した時の旅行記(だったの)です(^^)。
     フォーカシングの関係者の紹介で、会場予定地の淡路島Westinという外資系の超豪華ホテルに格安で泊まる機会が与えられました。しかし根が鉄ちゃんの私は、徳島側から北淡に向かうという、事情をご存知の方なら自家用車なしには絶対やらない過酷なルートをわざわざ選択したのであります。
     大地震でできた野島断層(天然記念物になっています)の震災記念公園(係りの人に敢えてお尋ねしたら、ここは写真撮影自由です)にも謹んで訪問させていただきました。
     震災記念公園からタクシーでわずか10分のところにある「淡路夢舞台」に、県立国際会議場と一体になった施設として、とても日本とは思えない、超ゴージャスな淡路島Westinはあります。

水戸漫遊記

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     友人と会うために水戸市を訪問しましたが、例によって鉄ちゃんの私は「スーパーひたち」と「フレッシュひたち」に乗れることそのものを楽しみにしてしまいました(^^;)。
     仕事中の友人と落ち合うまでに時間があったので、水戸市民の憩いの場所、周囲3キロの千破湖(せんばこ)を半周し、黄門様の銅像を仰ぎ見て見て偕楽園、常盤神社に向かい、最後の徳川将軍となる慶喜に至る水戸徳川家の歴史、そして水戸天狗党の反乱に至る歴史を展示した博物館も拝見しました。
     最後は、水戸駅前の「助さん、格さん付」の黄門様です。
     実は御印籠も買ってしまいました。

北海道への旅2005

  • 051012_1214
     日本フォーカシング協会の年に一度の「集い」のために小樽に向かい、戻ってくる過程で、他の参加者が想像だに及ばないルートで旅した時の写真のみです。かなり私の鉄ちゃん根性むき出しです。  表紙写真は、私が気に入った、弘前での夕暮れの岩木山にしました。