madonna

2009/12/05

浜崎あゆみの"Duty"とMadonnaの"American Life"

 この記事を、前の記事関連で、ayuの"countdown live 2000-1"の持つ特異な構成について対話した時に、madonnaのこの曲とPVを思い出させてくれた、我が「戦友」に捧げます。

*****

 2001年、9.11の後、アメリカがブッシュ政権下の戦意高揚とナショナリズム一色に染まり行く中、madonnaは、非難ごうごうの嵐のをものともせず、この衝撃的なPVとアルバムを発表した。

アメリカン・ライフMadonna - American Life

●Madonna American life - subtitulado(YouTube ←著名な「放送禁止バージョン」と思われます)

American Life←内容は確認していません。もうひとつの「おとなしおめの」バージョンのPVだと思いますが)

 アルバムはmadonnaのアルバム史上最低のセールスを記録した。しかし、そうなるであろうことなどお構いなしの確信犯としての圧倒的気迫は、このPVと、あまりにも皮肉っぽい歌詞にはあふれ出している。 

******

 浜崎あゆみに絶大な影響を与えているのがmadonnaであることは、気づいている人は少なくないだろう。特にライブとプロモーションビデオの演出においてそれは顕著であり、上のmadonnaのPVを観るだけで、ayuファンは圧倒的な「既視感」に襲われるはずだ。

 そして、ayuもまた、2000-1のカウントダウンライブ・・・・アルバム"duty"の曲中心だが・・・・において、徹底的に「戦争」をモチーフにする舞台演出をしていたのである。しかも9.11が起こる年を迎えるカウントダウンで、まるで未来を予言するかのように!!

 ayuの初期のカウントダウン・ライブは、まだ声量がなかった上に、レコード大賞→紅白→カウントダウンというとんでもないハードスケジュールの中で実施されていたため、好不調の落差が凄まじいのだが、この時のカウントライブに関しては、ayuの初期のコンサート映像記録としては、何かしら異様なまでの窮迫感が、声の荒れた質を凌駕した、隠れた傑作である。

ayumi hamasaki countdown live 2000-2001 A [DVD]

●"Duty" ayumi hamasaki Dome Tour 2001(←こっちはほんとにDome Tourじゃありませんってばさ!)

 この時のコンサートの冒頭曲は、まるでモーツァルトのレクイエムを思わせる、不気味な前奏と、鎖で足を繋がれた囚人が足を引き摺るようにして歌う重苦しさで有名な、この、アルバムタイトル同名曲である。背後には十字架の群れ(エヴァの旧劇場版も思い出されてしまうが)。

 この曲の背景には、当時avexの行く末をすべて一身に背負わされたayuの苦悩の深さがあると解釈するのが、今日では定説化しているし、ayu自身が2004年のTVドキュメンタリーでそれを間接的に示唆する証言をしている。

●Ayu's decision : "I will live AS A PERSON in AVEX!!"(YouTube)

 なお、iTunes Storeでは、単独曲としての"Duty"のオリジナルバージョンだけはなぜか登録されていない。これはayu個人の意思の反映だと私は考えているが、その代わりに、浜崎あゆみ - SUPER EUROBEAT presents ayu-ro mix 2 - Duty私が好きなリミックスバージョンにリンクしておきたい。

 ちなみに、歌詞の、

「ひとつの時代が終わるのをこの目で見たよ/だけど次は自分の番なんてこと/知りたくなかったんだ」

・・・・とは、小室哲哉の時代が去り、自分の時代が来てしまったことを指すという解釈が妥当であろう。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/29

浜崎あゆみと中島みゆきとアラニス・モリセットの共通項(第3版)

 久々にayuネタを書くかと思ったら、ここまで搦め手から来るか? と思われる方もあるだろうなあ・・・・coldsweats01

 でも、J-Popと洋楽の両方に詳しい人だと、もっともな着眼だ!!と、あっさり言われそうな気もする。

 実は知りあいから紹介されて、最近聴いているんだけど。

 最初に、ベスト盤の、" The Collection"から聴いた。

ザ・コレクション(スペシャル・エディション)(DVD付)
 
 曲想は、結構、私の好きなオリヴィア・ニュートン=ジョンを思わせるところもある曲も少なくなくて、マドンナの起こしたレーベルからデビューした人にしては、意外とオールド・ファッションだなあと感じたけど、私にとっては非常に入りやすいスタイル。本人がギターやハーモニカなど、幾つも楽器をこなせる人だから、全く自然な成り行きなのだろうし、それとこの人、カナダでのインディーズ・デビューがわずか10歳らしかったから、ベースにある音楽スタイルっていうのが、年齢の割には古いあたりにあったんだと思う。

 私って、洋楽を聴いていて、耳で歌詞のverbalな意味が読み取れるような英語力ではない。でも、歌詞カードを読むと、何か、凄ーーーーく「婉曲な」形で、プライベートなメッセージをぼろぼろと書いていくタイプの人であることに気がつく。添付の和訳は、そこらへんの「含みの多さ」の一面しか訳すことができていない。質は違うけど、どこかでayuの詞を思い出させるところがあって。

 いきなり「誰にでも感情移入できる」普遍的な言葉で詞を書く人ではないのだ。「特定の人」を強く意識した書き方だから。

 でも、最初、「この人何をぶつぶつとグチ言ってるんだ」と思いながらも話を聴くうちに、多くの人に共感できる接点が拓け出てくる・・・という、じんわりと効き目が聴いてくるタイプの詞なのだと思う。

(もっとも、2枚目以降のオリジナルアルバムでは、一転してシンプルな歌詞のものも増えてくるようですね)

 でも、内容の自己披瀝的な赤裸々な側面は、むしろみゆきの系譜に近いかもしれない。
 

***** 


 そして、全世界で2400万枚というセールスを記録したという、ファースト・アルバムの"Jagged Little Pill"に聴き進むわけですが。

ジャグド・リトル・ピル

 ベスト盤では、この、一曲ごとのアプローチの変化はとてもわからなかったなあと思う。そして何より、リスニングが無っ茶苦手で、意味は、ながら聴きだと全然伝わってこない私なのに、iTunesに入れて何かの作業をしていると、この人の声が、それこそ、

 ♪ワケのわからぬこと話してる

(浜崎あゆみ/independent)


・・・・というだけで、もう、何か訴えよう、訴えようとしているのが、(サリヴァンふうにいえば)"verbal"にではなくて"vocal"に伝わってきて、見事にinterruptされるわけである。

 声の質として、エキセントリックなのではない

 むしろ不器用ですらある声だと思う。

 なのに、それを総動員して、くどくどくどくどと叫びを上げるのだ、この人は。

 このような感覚に襲われたことは、あまりない気がした。


 まさに、「角張った小さなタブレットを飲み干す」ひっかかかりというか、絶妙なアルバムタイトルである。

*****


 2枚のCDのライナーノーツによると、この人、先ほど述べたように、10歳でのカナダでのインディーズ・デビュー、カナダ国内でのメジャー・デビュー、そして、上述のアルバムを引っさげての国際的なメジャー・デビューという階段を歩んできたみたいだけど、それぞれいろいろ賞をもらって高評価の中で次のステージに進んだのに、「何か、何か違う」と違和感を感じ続けていたみたいである。「周囲は大人ばっかりだったし」とインタビューにも答えているらしい。

 このあたりも、10代初めに福岡ですでにモデルやCMの仕事をはじめ、上京してから「未成年」「闇のパープルアイ」「ツインズ教師」などで演技力にも注目され、avex以前に一度は歌手デビューしているayuのかかえ続けた「違和感」とも何か通じるところがあるのではないか???

 まだ、確定情報ではないので、情報リソースは明かしませんが、ayuのプロモーション・ビデオの中に、アラニスののそれに相当影響を受けているという説があるものもあるらしくて、もし仮にayuが好きなアーティストとしてアラニスを掲げる発言をどこかで公言していたとしても、何も違和感がない気もします。

 以前、ayuの好きなアーティストについての何かのインタビューでの情報に接して、「私の知らない洋楽女性シンガー」がそこに含まれていたのだけど、なんとなくそれがアラニスという気もしてきた・・・・誰か教えてくだされ!!


*****


【第2版で追記】

「王子のきつね」さんにこの件をネットでお尋ねたら、実にあっさりと返事をいただきました(^^)

少なくとも、この"Thank U"のPVがayuの"Loveppears"のジャケットに与えた影響は大いにありそうです。

●Alanis Morissette - Thank you (subtitulado en español)(YouTube)

浜崎あゆみ/Loveppears


*****


 彼女の曲は、iTune Storeで十分に整備されていますね。

Alanis MorissetteiTunes StoreのAlanis Morissetteコーナー


*****


  おしまいに、YouTubeから、アラニスのファンに、「このバージョンをいきなり紹介するのは反則!!」といわれるのを承知で、メロディーの美しさと詞の悲しさが好対照の、"Your House"を。

(アラニス自身の声ではなくて、あくまでもカバーですが)


Lyrics | Alanis Morissette lyrics - Your House lyrics

 やっぱり、この曲の、オリジナルアルバムへの収録の際の手法を、ayuさん、まねてるんじゃない?? 上記のアルバムの浜崎あゆみ - Kanariya - Kanariya (Original Mix-Radio Edit)あの曲で?

ジャグド・リトル・ピル~アコースティック

 "Your House"をフツーに聴くなら、10年後に再録された↑このアルバムということになるのかな?

Alanis Morissette - Jagged Little Pill Acoustic - Your House"Your House" Acoustic Version


*****


 そうそう、ayuよりみゆきより、何より矢井田瞳さんなんて、作風的に、アラニスともろにかぶるという点で、日本では代表的な人の筈・・・・ですよね?

 iTunes Music Store(Japan)


 iTunes Store(Japan) iTunes Store(Japan) iTunes Store(Japan) iTunes Music Store(Japan)

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2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

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 私のプロフィールはこちらです。


 《2008/9/25 19:08更新》

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です(^^)

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2008/06/03

2008年ミズクラゲの旅

悪いのは君たちではない(^^)

Image304

わかる人だけに、タイムリーネタということで。

何日か前、新江ノ島水族館にて、こういちろう撮影。

Madonna - Hard Candy (Deluxe Version) - Miles Away Madonna / Miles away

2007/04/21

こういちろう、楽器の練習をはじめる

 前の記事でも書いたように、どうも、そろそろやっと「退屈」の虫が騒ぎ出したようで(^^;)、いろいろと,これまで手につけていなかった、ローリスク、ローリターン型の構想が動き出しているこういちろうなのである。(経営的には別に追いつめられてもいないと言うか、新たな投資は不要の域で、「追いつめられることが不可能」な構造をすでに作ってしまったのだが。ホントはその結果獲得した、歯が浮くような「社会的身分」(臨床心理士でこれをももってる人は日本ではまだ相当少数派で、これから急激に増えるとは思うが、「先駆け」の一人と思う.....を口にしたくて仕方がない見栄っぱりのこういちろうなのだが、そのためにはあと一枚「公文書」が届く必要があるので、そっちの正式認可を待っている)

街で公開セミナー開いて、仮に聴衆二人でも私はへこたれないと思う。学会の小規模な個人発表なんて、壇上よりもフロアの聴衆の方が少ないなんてこと、ありふれてある。私は発表者としては、幸いそういう目にあったこと一度もないけど)

 これから書くことは、ほとんど振って湧くような事態なのだが、動き出してみたら、かなり意外ではあったが「必然」という気もし始めた。


*****


 幼稚園時代にヤマハの音楽教室に通っていたので、譜面は早くから普通の人より読めた。実は子供の頃から自分で作詞作曲するのが好きだった時期があるという隠された過去がある(だから、楽典は早くから万全で、譜面を書けと言われたら、普通の人よりはよほど書けます)。人前で歌うのは、「ちょっと変」な意味で幼少時より好きだった。

 しかし、音楽の時間、「楽器の演奏」だけは、絶えず「×」だった。ハーモニカもリコーダーも、要するに練習がおっくうな人間だったのである。しかし、クラシック音楽が好きだったので、中学や高校の音楽の歴史の内容なんて簡単過ぎて(そう、あの、「勝手に指揮を始める」という、「あの」タイプの典型だった)、歌はイタリア歌曲ですら音節の区切り方をみっちり練習するし、楽典の完璧さとあわせるとペーパーテストは満点だったので、音楽の成績は「楽器の演奏 ×」を乗り越えて「5」ばかりであった。

 そのあとは、もっぱら「聴く方」一辺倒だったけど、ほんとうは、中学校時代から、楽器の演奏が出来る人たちがうらやましくてしかたがなかったのである。

 実は、以前、音を鳴らす機会が与えられて、そもそも音を鳴らせないことに絶望的な思いを感じた楽器があった。ひょんなことから、その楽器を再び触わる機会を得たこういちろうは、今回は、何と、しばらくいじっているうちに、「取りあえず不快でない域に音を出せる」ことに気がついてしまった。

 やっぱり、「この楽器はこうやって音を出します」という指導があって、ガチガチの状態で、言われた通りにやろうとすると、すくむタイプなのね、私って。


*****


 生まれてこの方、身体的習熟を必要とするスキルの領域となると、私にはそういうところがある。

 自転車に乗れるようになるのも人より遅かった。親が必死にコーチしようとしても乗れなかったのである。

 ところが、小学校4年生の時、入っていた「郷土クラブ」で、秋になったらサイクリングで片道15キロ以上かけて史跡訪問をするという企画に直面した。

 これは私にとって「万事休す」だった。

 その「自転車遠足」には何が何でも行きたい。

 そこで、自宅の近くの緩い坂を下り、足を添えることから始める自己流の特訓を夏休みの最初に始め、夏休みのうちに、一気に、ちょっとしたサイクリングができる域まで身につけてしまい、それから数年間は、片道数十キロはあたりまえの「自転車乗り」に変貌していたのである。


******

 フォーカシングにしても、初期段階で私は実技を「人に教わって」いない。知らなかった人が聞くと「あんびりーばぶる」らしいのは、私は、師である亡くなった村瀬孝雄先生と、実は一回もセッションを持ったことがないまま(フォーカサー役、リスナー/ガイド役にかかわらず)となったという、知る人ぞ知る事実である。そういう人間が「国際資格認定資格者」になってしまうのだから、見かけ上ほとんど詐欺である(^^;) 


 しかし、かなり以前(20年前)から、全くの初心者に、フォーカシングを「受け身の体験としてはうまく体験させる」技量となると、人一倍高いことこそが、私の「欠点」であった。

 受け身でのセッション体験をしてもらうガイドをするだけなら、全くの初心者相手の成功率は、その後も年々そのテクニックは上達するばかりであり、現在の日本でも「格別に高い」ひとりの筈である。

個人セッションだと、全く知識のない初心者で、遅くとも2回めまでのセッションで十分なフォーカシング体験と感じていただける確率は90%以上であろう。

 この、受身でフォーカシング体験をしていただくだけなら「うますぎる」ことこそが、それと日常やひとりでフォーカシングしようとする際、あるいは普段のパートナーとのフォーカシング・セッションとのギャップにフォーカシング学習者を苦しめる「副作用」を生み出す深刻な事態に私を直面させていたのであり、とっくの昔に、フォーカサーに「自律的に」「無理のないペースで」技量をあげてもらえるサポートという課題にしか関心がなくなっていたのである。

 でも、真の意味で自律的フォーカサーを育てるには、いざとなれば手取り足取りの徹底的にサポートするガイディングの臨機応変な「手練手管」を操れた上で、それをみだりに使わないで済ませ、本人の自発性を優先するというやり方をとれる域に達している必要があるというのが私の考えである。

 そもそも、自分自身のフォーカサーとしての技量、ガイドとしての技量に、それくらいの自己信頼を置いている人間がガイドをしている、という、ただそれだけのことで、非言語的な次元でのフォーカサーの安心感と「抱えの構造」の安定度は基本的に違う筈である。

 私は、その後で、フォーカサーのプロセスへの信頼感、つまり「おせっかいをやかなくても大丈夫」ということを学びさえすればよかったのである。


 でも、以前から思っているんだけど、


自分自身のプロセスにすら信頼感がない人が、

どうして、

「クライエントさんのプロセスを信頼する」ことができるんでしょうか?????


 このことを、パーソン・センタード系(ロジャーズ派)のカウンセラーの皆さんに、敢えて立ち止まって考えてほしい。

 ただ、そうやって「プロセスを信頼する」生き方が、周囲の人にとって説得力あるものにならなければ、意味がないということについては、自戒を込めて付言しておきたい。


*****


 話を「楽器」の話に戻そう。

 ともかく、「さる事情」で、少なくとも「本体」にはお金をかけずに、楽器が目の前にある事態になってしまった。そして、「ともかく鳴らせる」という「ハードル」は越えられそうだという手応えをつかんでしまった。

(.....ということは、少なくとも、音を出すのに「押せばいい」「はじけばいい」「吹けばいい」という、ピアノやキーボードや、ギター、リコーダーではないということである)

 ほんとは、楽器をやるなら旋律と伴奏が当時に可能な楽器をという野心があったのだが、この際それへのこだわりは捨てる。

 旋律楽器である。幸い、賃貸の古い集合住宅なのに、建築年代が古い分、逆に壁が異様にしっかりしていて、テナントばかりの入居者の中でひとりだけ住居にしているという特異性のため、タンノイのスピーカーを遠慮なく鳴らせる域の私の現在の自宅は、この楽器を鳴らすぐらいでは人に迷惑にならない。

 目標:○○の「○○。○。ー○」ぐらいは弾けないものだろうか。あと、ayuのスローバラードとか、どこかに譜面がありそうなものである。

 もんのすごく音色がアナログな楽器で、音を出すだけで酔いそうなので、意外と続くのではないか?


 ........ほとんど答えを言ってるようなものですが(^^)


 これ以上のことは、少なくとも○○の「○○。○。ー○」ぐらいは一応弾けるという既成事実を作るまでは書かないことにする(^^)

 ショパンの夜想曲第2番(もち論これのこと)を弾くことだけを目指して中年からピアノをはじめて成功した人もいるらしいではないか。それならこれもありだ。


*****


 おまけ:

 ayuはある時期まで自転車に乗れなかったという説がありますね。最近の、休憩時間に自転車でうろうろしている映像はDVDのメイキングに収まってます。この自転車でうろうろネタそのものに、またもや余計な尾ひれがついたネット情報が跋扈しているようですが(- - ;)。

 その一方、写真集"uraayu"の撮影のために香港に数年前に行った時、ある晩、ホテルで明け方までギターを鳴らしていた、という記述が、私がすでに2年は前に中古で手に入れた「限定版(DVDつき)」のみの「撮影日記」みたいなものに書いてあるけど、ayuがある程度以上たしなめる楽器があるのかどうか、ということについては、これ以外知識なしです。

 いざとなれば、マドンナおば様なみに、ステージで弾ける域まで「怒濤に練習」しそうな人ですけど。

 

*****


 というわけで、さっき都心での仕事から帰って来てからも、その楽器の「初歩練習」に熱中しているので、今日はブログをこれ以外書かない。

 実は、自分で調律できるのになじめるまでに、それ以前に「半日」かかった。そこそこ絶対音感あるつもりだったんだけども。

 もう、からだ中がいろいろ凝っている(^^;)
 

2007/03/31

iPod向け「超」高級ヘッドフォンの世界!!(+α増補)

 わたしにとってもまだ手が届かない、コンデンサー型「でない」ヘッドフォン、オープン型と密閉型の「頂点の世界」の音を、知人の協力で体験できたので紹介したい。

 

ALESSANDRO MUSIC SERIES PRO(後面解放型)

(こちらも参照)


 わかりやすく言うと、私の愛機、GRADO SR325Iのハウジングを、アルミ削り出しから、マガボニー材を削り出したものに置き換え、更にヘッドバンドとつなぐ金属のスライド式調整棒を丸から四角の棒にして堅牢化するなどのマイナーアップデートをしたものと思って下さるといいでしょう。

 同社の同じようなマガボニーのフライホイールの高級機、RS-2などとはフライホイールのサイズ等、若干異なり,大きめで,ダイナミックレンジ、周波数レンジも広い、より新しい製品のようです。

 ALESSANDRO(アレッサンドロ)というのは、人の名前(George Alessandro)で、エリック・クラプトンをはじめとするハイエンドのギタリストの楽器や周辺機器のオーダーメイドを請け負ってきた人らしい。この人の楽器製作で培われたセンスと,グラドの技術が結合した製品なのですね。GRADO SR325Iですら4万円なのに,更に2万高いです(^^;)

 SR325I信者の私からすると、もうここまで来ると○△□☆※!!な領域の音!!

 ある意味で音のスコーンとした「抜けのよさ」はSR325Iより落ちます。SR325Iも、きちんとした装置と電源管理で聴く限りは,決してキンキンの音にならない筈なのだが、こちらは微妙にくすんだ,更に「艶(なまめ)かしい」音調になる。

 それは、まさに木のスピーカーの、あのくすんだ暖かみと陰影なのだ。タンノイスピーカーの愛好者である私からすると、ヘッドフォンでこういう音調が聴けるということ自体驚き。ある意味では、たしかにこれは「楽器の音」である。ただ、時としてこういう木製ハウジングの高級ヘッドフォンにある、穏やかになり過ぎて、音のレンジ感が狭くなり、透明感が失われる印象が非常に少ない。

 つまり、ロックやトランス・ミュージックやayuのようなパルシブなソースでも「おとなしくなる」印象がなくて、分解能が高くて瞬発力を持ちながら、ひとく貴族的に、しかしめいっぱいバリバリ鳴らすという、ギリギリのバランスがとれている。

 なのに、「艶かしい」。何度もいいたくなるけど。この、絶対矛盾の自己同一の上にある(?)製品。

 そして、SR325Iの欠点である、低域がやや野放し的でボテっとしてしまう面が見事にコントロールされ、変わって、上質の楽器の「胴鳴り」のような、上質の引き締まった響きに置き換わる。クラシックとか、もう、言語を絶する生々しさになる。

 これ、ひとつあれば、「私の」理想に限りなく近いと思う。


うううううう。.....稼ごう。


******



ULTRASONE Proline 750(密閉型)

(こちらも参照)


 トランスミュージックのお膝元のドイツのメーカーでっす。だからカタカナ読みなら「ウルトラゾーネ」でごさいます。

 この製品の上位に、更に"EDITION 9" という、25万円する化け物機種(>* o, *<)があるらしくて、そっちは冗談みたいな「雲上界」だけど、こっちはSR325Iより安めで実売3万強くらい。

 しかも、この機種にはオーディオチェックとエージング用の、広帯域収録の音楽+生録CDが付録でついてます。「スペースインベーダー襲来の砂漠の嵐」を無機的に延々聞かせれるくらいなら(これだけで意図がわかる人にはワカル)、大波ドドーン!! の遙か彼方に「霧笛」が微かに聞こえるのに浸って瞑想するのも一興かもしれない(^^;)。この付録CDだけでも売りに出せる水準かも。

 これはALESSANDRO MUSIC SERIES PROとは文字通り正反対の路線の音。ある意味で何ともサラサラとした「超ネアカな」」音。細やかな陰影で聴かせるタイプではない。音に「陰影」と「深み」と「コク」を求める人にはまるでピンとこない音だろう。

 作りもそうなのだが、何かすごーく「プラスチック臭い」音なのだ。ゴリゴリしたリアルさからはほど遠い。

 でも、だからといって、日本で言えばテクニカ的なストレート・サウンドを想像すると、またピント外れになる。

 全然音が硬くない!!

 ではソフトで「眠い」音質なのか?
 
 いや、これほどレンジが特に上の方に伸び、細やかな分解能で、音の粒子が細かく鮮明に飛び散り、ハイスピードで、広大なステレオ空間が定位する製品は珍しいだろう。

 S-LOGICという技術が、この広大なステレオ音場に関係するらしい。誤解なきように言うが、これは電子的なサラウンド回路とかではなくて、あくまでも構造的なメカニズムである。

 ある意味では、ayuのアルバムのサウンドがここまで細かく分解して細部まですっきり見通せる製品は聴いたことがない。

 しかし、低域は、ソフトで、ややボタっとしているし、暴れまくる。

 何より音色の深みが感じにくいのだが、この製品のケーブルのブラグは両端ともミニステレオジャックで、ヘッドフォン本体側はねじ式の着脱できるタイプなので、それを差し込む部分のかなり小さい口径と一致する、短くて高品質のステレオミニ×ステレオミニのケーブルとかが見つかれば(自作すれば)、この独特の「能天気過ぎる」「浅い」音色を改善できるのではないかとも思う。

追記:80センチのステレオミニジャック仕様ショートケーブルが1800円で別売りとのこと。ネットでのショートケーブルのみの単独注文はここでできます)


******


 なお、どちらの機種も基本はステレオ標準プラグです。

 ALESSANDRO MUSIC SERIES PROには、本体直つけのケーブルの末端につなぐ、15センチぐらいの、ミニプラグへの、同じ材質の「変換ケーブル」が標準装備。でも、アルミ削り出しの変換ブラグをブチルで縛り上げて泣き止めした私の「自作改良型変換プラグ」に比べると、皮膜材質がビニール系なので響きの反応の瞬発性と低域のレスポンスのインパクトが微妙にのろく、甘くなります。

 ところが、GRADO=ALESSANDROのヘッドフォンのケーブルって、UHPLC銅線という上質のものを使っている(これが音質にかなり決定的な筈)。だから、この短い変換ケーブルをULTRASONEのステレオ標準ブラグの先につないで、聴いてみる、という、天をも恐れぬ(?)アイデアを思いついた。

 ケーブルとは、直列につなぐと、接点での劣化はあるにしても、短くても、より高品質のものの方の材質の音色が支配的になるという法則があります(スピーカーケーブルも)。

 予想通り、ある程度、ですけど、ULTRASONEの響きが、「ネアカな性根はどうにもならないけど、少しだけ端正でまじめ」な方向に変化しました(爆)


※なお、URTRASONEには、iCANという、まさにiPod向けを意識したネーミングの小型軽量機もあるようです。私は未聴ですが、上記で紹介した機種の、圧倒的にたっぷりとした音の広がり感までは,価格相応にないらしいです。石丸電気(アキバだけ?)では試聴態勢があるとのこと

 更に、。このiCanシリーズには、上位機種として、下から順に"Okta""Naos""Aurum"とあるそうです。詳しくはこちらをどうぞ。


※この記事を書く上で、「ためごろうのヘッドフォン日記」を参考にしています。このサイト、ヘッドフォン情報にほんとにディープにお詳しいので、皆様にも参考になるかと思います。


●おまけ:
少しソニーを弁護したくなった
(そんなに悪いか? この機種)

ソニーMDR-D777SL-S  今、楽天で個数限定で安いので、それだけで思わずご紹介してしまう。

 はっきり書きますが、評判は良くなかったみたいで、現在あちこちで安売りされています。

 ただ、あれからもう一度自分のiPodつないで試聴しなおして、何か複雑な思いに駆られたので、敢えて珍しくソニー弁護の論陣を張るぞ。

 確かに一見地味な音かもしれないし、安い製品と見かけが変わらないし(^^;)、ケーブルが頼りなく見える。

 高域がすごく「上品」なので(帯域的に出ていないのではなく、ある意味では「実に素直に」伸びているのは宣伝通り)、アウトドアでの使用だと「エッジが立たない」ことが音を物足りなく感じさせる可能性はある。

 しかし、それは,以前にも書いたように、「高域」というものへのありがちな誤解によるものが大きいだろう。5KHzから12KHzのあたりにどこかピークを持たせさえすれば、シャリシャリと「高域が伸びている」印象を持たせるのは容易なのだ。

 低域は「実は」随分伸びていて、なのに引き締まっていてドロンドロンせず、すっきりしたスピード感があるののは密閉型としてはむしろ「上質」で、なかなかないだろう。この点では既に紹介したテクニカのATH-ES7よりもかなりいい。(逆にいうと、あれだけ薄型でこっちより定価で1万安いのに、低域以外はこちらを凌駕する、私の好みの「実直さ」に徹しているES7はたいしたものだ)

 見かけ上(聴きかけ上?)の高域に、「外国語の子音に鈍感そうな」、伝統の「勘違いした聴きやすさ」のソニー臭さ(^^;)がまだやはりあるが、全体として、間接音成分がすごく上質。

 ある意味では、周波数特性的にはフラットな振動版を「強迫的に」開発し、コンパクトなプラスティックのハウジングとフライホイールで可能な範囲で、不快な音が出る要素をとことん「制御」してしまい、「鳴き」が出ないようにしたことが不評につながるという、不幸なボタンの掛け違いがユーザとの間に生じた製品。
 
 ちなみに、「外の音を聴くための」スライド式のポートというのは余計な仕掛けと思う。音楽が流れていない時にすら、このポートを開けても閉めても「ほとんど」外の音の聴こえ方が変わらない(爆)。これのために少し音質的にマイナスになる構造を呼び込まなかったか?

 テクニカES7はステンレス製ハウジングによる「構造のシンプルな堅牢さ」というところにベースを置いたのでこうならずに済んだのだと思う。

 ヘッドフォンの好き嫌いが凄く激しい私が敢えて言うが、「7000円のヘッドフォン」としてみたら、日本製ではかなり上質、こういうのを「フラットな,超カマボコ型特性」というのだと思う。


 もっとも、イアパッドが上質であることが、逆にかけ心地の上で「うっとおしく」感じさせるという矛盾に陥っているかも。装着感が良すぎることで逆に「耳が」一瞬「閉所恐怖症」に襲われて「こわい考えになってしまう」のがむしろ嫌われるか? 夏場は耳がムレそう(^^;)

 エージングすると思ったより音は「伸びて」聴こえ出すタイプかと。

 全般に、ソニーのヘッドフォンって、ある意味で、通俗的な意味で「オーディオチック」というより、耳にやさしい,繊細な聴きやすさはあると思います。パッと聴くといい音なのに、何か飽きやすい音(^^;) でもこの「平凡さ」は、実は「偉大な平凡さ」かも?。聴いているうちに、耳が痛くなって不快になるよりはいい。いい意味での「日本的な」ヘッドフォンらしさがある。ちょっと線が細い、「蒸留水性」があるんだけど。

 下手にインナーイヤーにこだわるよりは、よほど、余裕感はあるし。

 もっとも、ayuを「極める」とか、細かい音までどんどん訴えてこないと、という人には"?"かもしれない。音のバランスはすごくいいけど、すごく「優等生」のayuになってしまう(^^;)

 ただ、こういうヘッドフォンの音を聴くと、ayu自身が、ライブの際には、パナソニックではなくて(爆)、ずーっとSONY愛用者で通しているのも悪くはないかなと思う。耳に負担にはならないし、パートがごとの音が自然と聴き分けやすいのはソニーの伝統。

 それに、ヘッドフォン(イヤフォン)は、一度好きなのが決まったら、むやみと変えない方が、自分なりのモニター的音の聴き分けの勘は狂いません。いくら倖田やマドンナ(マドンナのはコードのみかけとその後ろ向きの引き出し方と跳ね上がりぐあいはどうみてもE5cのシルバー色ケーブルなのに、装着部は、肌色の耳をきれいにふさぐデザインなのでオーダーメードと思う)がシェアー系でも、我が道を行くべきです(きっぱり)

 ayuをひたすらネアカでもいいから(爆)そのサウンドの細部まで「3万円前後出して」堪能して聴くなら、URTRASONEのPROline750にショートケーブル追加投資の方が、いくら低域がボテボテ暴れようと、「遥かに凄い」、滅多には味わえない領域とは断言しますが(^^)、「7000円払うヘッドフォン」なら、このソニーも、かなりいい方です。


 でも、これが「売れなかった」と知って、何か変だよと言いたくなった私。


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2007/03/25

「訊き上手」の勧め -会話下手で困っている人のための、プロカウンセラーのテクニック公開!!-

 学生相談をしていた頃、よく、「周囲の話す話題の輪に入れない」という相談を受けたものである。

 男なら野球やサッカー、女優やタレント、女性だと、ファッションや恋や男性タレントや男優の話とかに、自分は興味も関心もなかったし、今の音楽でどんなのが流行ってるかもよく知らないし、車の話もわかんないし.....というわけである。

 私にしても、親が自家用車のユーザーでなくて私も免許を持っていないせいもあるが、極論すれば、「『あの』マークがついてたらベンツ」「昔のフォルクスワーゲンなら形でわかる」....以上、終わりである。

 ちなみに、私はまだ「エビちゃん」なるもの(蛯原 友里)の動く映像をテレビで観てないとおもう(^^;)

 ちなみに、はっきりいいますけど、(みゆきやユーミンとか、上の世代は「殿堂入り」として)浜崎あゆみと大塚愛とELTと宇多田ヒカルを除いてしまうと、私は今のJ-POPシーンに「全く無知」である。chemistryやゆずの曲すら一曲もidentifyできないし、椎名林檎は「りんごの歌」しか聴いたことがない。矢井田瞳「は」、一枚聴いたことある。島谷ひとみのベスト盤は「持ってる」。要するにBoAや倖田未來すら、耳に入ったことはあるが、恐らく「一曲も」identifyできない。あとはすべて大晦日の紅白歌合戦とその後のMTVCDと、年に一度のa-nationのDVDで「一年まとめて掌握している」だけである(avexに異様に偏ってるけど、それでもこんな調子なのだ)。今度、YUI「という人」のを聴いてみるつもりなのだが。

 これが、クラシックとなると、はっきりいってこの10年新譜をほとんど全く買ってないので、今のアーティストの動向には無知そのものだが、古くはグレゴリオ聖歌やヒルデガルド・フォン・ビンゲンから、少なくともブーレーズやベリオや武満ぐらいまでは(一部民族音楽を含めて)「まんべんなく」守備範囲にしている。基本的に「きらいな作曲家」「きらいなジャンル(管弦楽、室内楽、独奏とか)」というものはありません、みんなそれなりの持ち味で楽しめます、といえるくらいに。言葉の障壁から、歌曲と歌劇はやや手薄です、というくらい。10年以上前にとっくに輸入盤中心にCD1000枚を超えていたわけでして。

 私はクラシック音楽と心理療法と世界史と洋画(そしてかつてのアニメ)を除けば、実は自分の関心を巧妙に「狭く深く」に追い込み、わき目をふらなくていいようにするタイプである。

 確か、浜崎あゆみも、基本的には本来特別な音楽好きでは「なかった」し、実は他の人の音楽を驚くほどに限定してしか聴いていないと、何かで読んだような気がする。Madonnaや、日本で言えば、レベッカ(Rebecca)とかは、確かにある程度早くから意識していたと思うけれども(avex以前のオーディションの時に"moon"を歌ったそうで、これは妙に納得。レベッカは私も以前からLD(!)やアルバムの大半持ってますし、iPod入ってますよん。....まあ、レベッカそのものが、"Love is Cach!"は"Material Girl"のパクリでないかいというくらいにMadonna意識していたと思うけど。....レベッカのライブ記録とかと比較すると、ayuのライブの歌やバンド演奏やダンスが、もはや比較にならない高水準が「当たり前」になったことを痛切に感じますが)


*****


 話が大幅に横道にそれかかった(^^;)。

 このように、いざとなると話すネタだけなら無尽蔵に出てくる私が保証するが、友達の輪の中に入って「話に入っていけない」原因は、ほとんどの場合、「話題についていけるかどうか」とは無関係なのではないかとは断言したい。

 バブルがはじける前に二十代を送った私の世代は、「クライ」「明るい」二分法が、いまからは想像がつかないくらいに猛威をふるっていた。「中島みゆきのファンである」ということは公言するのもはばかられると感じていた人が実際たくさんいたのである。オタクネタを口にするのはかなりの蛮勇が必要だった。

 だが、今や宇多田ヒカルのゲーム好きはみんな知ってて、若いメジャーな女性タレントが、コスプレチックなことをあまり恥ずかしがることもなく、ひとつの趣向としてやれてしまうわけで、その点では、20年前がウソのような状況が実現している。そういう意味では、関心や話題の「ボーダーレス化」が進んでいて、私は若い世代がうらやましいくらいである。

 問題は、「話題の内容」ではない。自分の側の話せる話題など豊富でなくてもいい。

 決定的なのは、「聞き上手」であるかどうかである。


*****


  しかも、
  ここでいう

  「聞き上手」

  とは、
  必ずしも

  「聴き上手」

  のことではない。

  「訊(き)き上手」

  でありさえすればいいのである。


 カウンセラーは「傾聴(Lintenning)」について専門的に学ぶ。

 しかし、現実の日常会話では、実は、「聴く」力と同じくらいに「訊く」センスがものを言う。


 実はこの点を、カウンセラーももう少しふりかえるべきではないかと私は考えている。

 「カウンセラーの先生に話をしても、『ウン、ウン』ときいてくるばかりで、何も言ってくれないんです」

とよくいわれるし、
多くの場合、それは、

 「具体的アドバイスをしてくれない」

という意味に受け止められているけれども、実は、

「カウンセラーは何も『訊いて』くれない」

という点にこそ、核心がある場合が多いのではないかという気がする。

******

 ここでいう、『訊く』とはどういうことか?

 「質問する」「尋ねる」「問いかける」="asking"と言い変えるだけでは、うまく言い尽くせない。

 手元の「広辞苑」には「たずねること、問いただすこと」としか、実際、出ていないのだが。


 例えば、

 「母には、そのことを嫌がられている気がしてならないんです」

という話が進行していたとします。

 「お母さんには嫌がられているんじゃないか......というと?」

と水を向けて、しばらく「聴いて」いても、

 「だって、私は、○○だし、△△だし.....」

という話は繰り広げられても、お母さんに「実際に」どう言われたかの「具体例」に決して話が広がらないとしますね。

 こういう時、話の聴き手は、「現実のところ」どう言われたのか、についての関心をはっきり意識的に伝えることによって、単に話を「聴いて」いる状態よりもさりげなく半歩踏み込んでもいいのだと思います。

 「例えばどんなこと言われたの?」

でもいいんですね。

 すると、実は「お母さんがそのことを嫌がっている」というその人の思いこみが大きくて、実際にはそのことについて拒否された体験があるわけではない、ということが、二人に見えてくる場合もあるでしょう。

 あるいは、実際にどんなふうに言われたかまで話してもらって、はじめて相手の話が、自分が予想していたのとは別の次元での、親との対立なのだということが、いきいきと伝わってきて、

 例えば、軽率に、

 「おかあさんの言うことなんて、気にし過ぎないで、無視、無視、やりたいようにやってしまったら?」

とか、アドバイスして済ませなくて良かった!! ということなど、よくあることでしょう。


 時には、どうアドバイスしたらいいかわからなくなるかもしれない。

 そういう時には、ただ黙り込んでしまうぐらいなら

 「たいへんだね」

 「難しい問題だね」

 「凄いお母さんだね」

などと、ともかく言葉にしてしまう方が、ただ相づちを打つよりはよほど「具体的な」応答だと思います。

 そういうことを、心の中で思っているだけではなくて、実際に相手に言葉にしてしまうことです。
 それだけで、話の「間が持つ」し、相手に、自分のことに関心を持ってくれているという「絆」感が生じる。....いや、あなた自身に、その人と「関わっている」という「手応え」が生じる筈です。

*****

 かといって、私は、面接初回に、機械的な形で、いわゆる「生育歴」「既往歴」「相談歴」などを訊いてしまうあり方には違和感があります。

 「生育歴はどうなっているのですか?」

 ......なつかしい思い出なんですが、ロジャーズ派の佐治先生の薫陶が深かった東大の心理教育相談室に在籍していた当時、年に一度、「五大学」と通称された、東京・名古屋・京都・広島・九州の5大学の教育学部心理教育相談室合同の、合宿形式の事例検討会が、5大学持ち回りで2泊3日で開かれていました。大学院研究生だった私はその催しに3年連続参加させていただいたのですが、その際に、東大の相談室員の事例発表に対して、他の4大学の相談室員から、「実に頻繁に」ぶつけられていたのがこの問いかけでした。

 つまり、当時の東大のカウンセリングの伝統には、「生育歴・来談までの経過」を面接初回にクライエントトさんからひと渡り「訊いて」しまうという「文化」そのものがなかった!! これは、他の4大学の院生の「常識」を覆す事態だったようです。

 「治療目標とは何ですか?」

この問いに困ってしまうのも、東大組でした(^^)

 まあ、面接がどこまでたどりついたら終結かなんていうのを早い段階で設定してしまえるなんてウソで、当初の相談内容が、クライエントさんもカウンセラーも予想もしない方向に展開してこそほんとうのカウンセリング的相互作用だと、私は今でも信じて疑いませんけどね。

 もちろん、その段階その段階で、治療者が「見立て」についての「仮説」を立てること、それに応じて「見通し」についての「仮説」を持っていることは大事でしょう。しかし、それは何回も何回も手直しされ、変化していくのがむしろ自然ですらあるということです。

 それはそうと、私も、今も、生育歴・家族構成・来談までの経過を、カウンセリングの開始の回に「機械的に」訊いていくことは避ける姿勢を保っています。

 面接一回目で、話を自然に聴いていれば、いつの間にかそうした情報のかなりの部分が「自然と」クライエントさんから話してもらっている、という流れになれるのが本来の姿です。

 面接初回は、クライエントさんに最初提示された相談内容にとらわれがちで、ベテランにならないとそうはできないといわれそうですが、今の私の考えでは、カウンセラーが、先ほど述べていた、一般の人の日常会話において全く自然に機能するはずの「訊く能力」をタイミング良く発揮すれば、それほどキャリアを積まないうちにでも、できるひとには十分できるはずという気がしてきました。

 そして、そうした「話しそうで話さないままの」話を、その後の面接の、どういう脈絡で、どういうふうにクライエントさんが話し始めるか、ということそのものが、まさにクライエントさん固有のあり方の本質が伝わって来る、絶好の機会なのだと思っています。

 例えば、「学校を中退した」という経歴が語られているのに、その理由についてクライエントさん自身が自分からは話さなかった場合には、私は焦って「どうして辞めたの」とは訊かないことも多いです。心の片隅にはそのことを置いておきます。

 面接の流れの中で、クライエントさんの方から自然と語られるかもしれないし、カウンセラーとしての私が「なぜ中退したか」を是非訊いてみたくなるタイミングが必ず来るとあっさり信じています。

 そういう「旬」の瞬間にクライエントさんに「訊いてみる」と、場合によっては、面接の展開の上で、クライエントさんにとっても、カウンセラーとしての私にとっても、新鮮で意外な発見となる、予想外の形での、問題の更に核心についての発見を、自然と二人で共有できることが多いようです。


*****


 「あなた、ご実家が経営的にたいへんだといつも話してくれてたけど、具体的に、どんな仕事なさってるの?」

 日常の対人関係でも、いきなり相手の個人的事情を根掘り葉掘り「訊き」すぎるのもどうかと思いますけど、あまり相手の個人的事情を詮索して嫌がられたくないという思いからの「抑制」が効き過ぎているのが現代の対人関係という気もします。


「ね、ね、彼のお母さん、働いてるって言ってたけど、何して働いてるの?」

「え?........私も、そこまで彼に訊(き)いたことないんだけど.......」

2007/03/19

みんなみんな生きているんだ友だちなんだ!! -茂木健一郎さんの記事によせて(1)-

 しばらく前に、たまたまWikipediaで見つけた「クオリア(Qualia 感覚質)」概念とフェルトセンスとの関連についての、とりあえずの私見を書いたが、この「クオリア」の研究者である茂木健一郎さんが、この@niftyココログの著名ブロガーのお一人とは、「ココログセレブ」で特集が組まれるまで存じ上げていなかった。

 ここでは、「クオリア」概念いついては、興味深いのだが、まだ不勉強なのでさておき、茂木さんのこの特集での発言の興味深かったところについて述べてみたい。

*****

 のっけから、

> 「固定リンク」。それがブログの大発明!?

という小見出しが立てられている。もうこれだけでうれしくなってしまうこういちろうであった。


 つまり、各記事ごとに個別のURLがつくかつかないか、ということです。掲示板で日記を公開しても固定リンクがないのでどんどん記事が流れていってしまう。アーカイブ性がないっていうのかな。つまり、それまでは僕自身も読者もどこに何が書かれているのかわかりにくかったんですよね。

 ブログにはコメントやトラックバックといった機能もありますが、一番の大発明は『固定リンク』という機能にあると思います。要するに、記事単位で互いにリンクを貼ることができるようになったということですね。その機能があったからブログに移行したんです。 


 そう、この「アーカイブ(書庫)」性というのが、ブログのひとつの持ち味なのだ。

 私は、ご覧のとおり、ayuからトムとジェリーからiPodオーディオからフォーカシングから現場臨床カウンセラーのあり方への愚痴まで、まったくノンジャンルに気ままに記事を書いている。ひとつの記事の中でayuとフォーカシングとアニメとオーディオ関連と歴史の内容が混在してしまうことなどザラである。

 もう少し細かく整理して述べた方が読者にわかりやすいとは時々思うし、

「いっそのこと再構築して、カウンセリングとフォーカシング関係のサイトとしてわかりやすく整理したほうがアクセスも伸びますよ」

.......と、あるマスコミ関係のプロの方から再三アドバイスいただいていたりもする(^^;)

 しかし、私は、確かにあるわかりやすさは必要だと思うし、余裕があれば、ジャンルごとに記事を分割して書こうと「これでも」努めているつもりなのだけれども(^^;)、それでも、

ayuとフォーカシングが同居しているからこそこのサイトなのだ!! 

という基本スタンスを変えるつもりはまったくない。

 私は、カウンセリングが、世間の日常と切り離されて論じられるのが嫌いだ。

 ましてや、フォーカシングが他流派や現場カウンセリングや独立開業カウンセリングの経営的現実と切り離されて論じられることなど、「論外」と思っている。

 なぜなら、カウンセリングは、ごく普通の社会の中で具体的に生を享けたひとりひとりの人が、その人なりに社会に「棲息する」(中井久夫先生ふうにいえば、「世に棲む」)あり方への援助以外の何者でもないからである。

 (中井先生の名作論文のひとつ、「世に棲む患者」は、中井久夫著作集(岩崎学術出版)第5巻収録だが、現在古書市場でも稀観本のようである。たいていの大学の心理臨床系大学院のある図書館に在庫とは思いますが)

 今、「棲息する」という言い方をしたが、これは決してカウンセリングの対象になる人たちを差別しているつもりはない、私なりの用語法である。

 それこそ、私自身もまた、地球に「棲息」し、「寄生」している一個の生命体に過ぎないという認識の上で用いているつもりだ。

 そういう「棲息物」全体への大いなる連帯と共感と同族意識の上に成り立つものなのである。

 つまり、私は、野良猫や溝鼠やボウフラにも、浜崎あゆみやマドンナに対するのと同じ連帯意識を持つ(^^)

 それは「どっこい生きてる」ということなのである。

 これを読んでいて、

こっちではなく、

こっちを連想してほしいのだけれども(.......ああ、いつもながらのひねくれた衒学的なマニアック変化球( ^ ^;A

 ちなみに、私はかつて「ぽんぽこ」の舞台になっていた町田市町田回廊の山の中の某大学に勤務し、裏道で実際に行き返りに狸ばかりか狐や(恐らく捨てられた)フェレットとも遭遇していたのだが(最近は猪がでるそうで)、それは置いといて。


******


 実はこの「どっこい生きてる」ネタは、まさにこの記事を書き出してから思いついた「即興」である。

 こうした「即興」で、当初書こうとしていた内容とはまったく別の方向に思考が膨らみ、タイトルまで変えてしまったりすることは、私の記事ではごくありふれている。しかもそれが、当初書きたかったことを見失ってしまう(missing)のではなく、たいてい当初の構想を統合しつつ、より進んだ内容に再統合することへと現在進行形で結びついていく。

 この種の、ハプニングをすべて生かしてしまう「ライブ性」こそが、どうも私の発想には欠かせないことのようである。

 そもそも、そういう「ライブ感覚」がなければ,現場カウンセリングは成り立たない。


 その意味で、ブログという媒体の即時性は、私にとっても重要だ。

 そして、頭の中のアーカイブの検索が自動的に始まり、

「そうか、このことについては関連事項もすでに書いたな」

.......と思い出し、茂木さんの言われるがごとく、とっさに「相互リンク」を張ってしまうわけである

(.......こうして、ちゃんと話の脈絡は見失わないのであった.....(^^:A


 それをフォーカシングでは「体験過程の推進(carry forward)」というのだが、これまた脇に置いといて。


*****


 コメントを読んだり、トラックバックをたどっていくと自分の勉強になることが多いんです。10人が僕のブログを読んだとすれば、その10人それぞれの異なった読み方になるんですよね。たとえば作家の村上春樹さんは、『読者が自分の作品を読んで誤読されたものの総体が自分の作品なんだ』と言っています。ブログの場合は誤読とまでは言いませんが、自分の日記がさまざまな形で読まれることを知ることにより、刺激を受ける。

 
 私のayu関連記事について、

「ここまでくるとayuへの片想いのラブレターだ。関係者や本人に取材してみようとしたことがあるのか」

.......というご意見もいただいた(^^;)

 しかし、私はそういう「片想いの思い込み満載」の文でどこまでいけるかにチャレンジしている(爆)

 ....というか、もし仮にayu自身(ないしayuスタッフ)がこのブログの記事を読んで下さっても(最もラディカルなayuサイトの一つを自負してますから、少なくともavexの「ネット監視担当者」の探索網には引っ掛かってると思う)、まさにそのような「勝手な思い込み」が書かれていることこそ、ayu(スタッフ)は面白がってくれるだろう確信しているからである(きっぱり)

 だって、

(.....この、「だって、」の時点でこの先を予想できた読者は、かなりのayuファンですが、きっと何人かいるよね)

ayuは、

「自分が絶望を歌ったつもりのところに、
君(聴衆)はきれいな花を見つけたりする」

高らかに歌い上げているからである!!

浜崎あゆみ - I Am... - Flower Garden"flower garden"

 思い込みの危険を冒さないところに理解の糸口などない。こちらも参照)

 思い込みを避ける人は、実は「知ったかぶり」に「安住」しているだけだ。

 「脱錯覚(disillusion)」のスリルこそ、生きることの醍醐味である!!


 もとより、それが自分が傷を受けるだけならともかく、相手に傷を追わせないように努めるだけの思いやりは必要と思ってますが(^^;A

↑この脈絡でこの作品を紹介すな!! という声が聴こえて来るかもしれませんが、原作、傑作だと私は思ってます。まだアニメ版は観てないのですが。この作品を「マジに」けなす人より、「アブナいなあ...」と言いつつも、「心から」爆笑できる人の方が、私はオタクとして好きだなあ.....)


****


「もし夏目漱石が生きていたら、彼はブログを使って小説を書いていたのでは?」

「ブログというのは『不特定多数の読者への贈り物』であり、誰もがそういう意識で書くべきだと僕は考えています。有名人のブログなどでよく見られるのは、片手間に書いているような文章だけど、『もっと本気で書いてほしいな』と僕は思いますね。多くの人はブログというものを甘く見ている気がします。そんなに甘いもんじゃないですよ、ブログというものは」

 全面同意!!


****


 .......と、ここまででかなりの長さにもなったし、茂木さんについての記事の前編と後編でトラックバックを分割するとちょうどいいので(^^)、こちらも前編と後編にしてしまいましょう。

 まだ、未読なんですが、茂木さんの著作や関連グッズ(監修されたもの)もここで紹介させていただきます:

脳とクオリア -なぜ脳に心が生まれるのか-

脳を鍛える!パソコンでできるみんなの脳力トレーニング

「やわらか脳」

脳に快感 アハ体験! (PSPゲームの監修)

「ひらめき脳」

茂木健一郎のモーツァルト・モード (CD監修)

プロフェッショナル仕事の流儀(6)


 私の専門とももろにかぶりますので、寄り道せずに、これから、まずは「脳とクオリア」を読んでみようかと思っています。

2007/03/18

再び、菊川玲とayuと宇多田ヒカルに登場いただくと.....

 先日菊川玲と浜崎あゆみの類似性について書いたばかりだが、msnの見出しで、菊川玲が、連載「何しろ仕事好きなもので」の第3回に登場していたことを思い出させてもらった。読んでみたら、すでに読んだ記憶がしっかりあった(^^;)

自分に課すハードルをあまり高くせずに、そのときどきの自分に合わせて頑張ればいいんじゃないかな。

 結局、自分の心をどれだけ満足させられるのかってことに目標って直結してるんですよね。だから、周りの人から見たら「どうして?」って思うことでも、達成したときに本人が気持ちよくて、幸せならばそれでいいんです。それが、生きるってことなんですから。

......これだけ読むと、ありふれたインタビューの応答にも見えたが、今の時点で読み返すと、少し違うニュアンスで読み込める気がしてきた。

 なるほど、彼女はものすごく要求水準が高く、現時点では男性と恋愛する心の余裕もないままなのかもしれない。

 それを、傍から「そんなことだから彼が出来ないのだ」とばかりいうのは、余計なおせっかいかもしれない.....とも思えてきたのだ。

 彼女は、理想が高いといっても、性急なのではない。非常に長いスパンでものごとの成り行きを捉え、自分が出来る範囲のことを、自分が納得がいくように積み上げることに関心があるのだろう。その結果、「いつ」「何が」「どのような形で」結実するかは神のみぞ知るでいいではないかと。

 恐らく、男性との出会いに関しても、そのように自然な流れに任せているのだろう。その時の自分が、今の自分とどのように変化していて、何が出来るようになっているかもわからない。それならば、その時になって何が「縁」で、誰と、どういう出会いになるかどうかもわからないではないかと。

*****

 そういえば、宇多田ヒカルと紀里谷明氏の離婚に関して、msn=毎日の記事で、


「(紀里谷氏が)孤独みたいな私の像を救おうとしてくれた。でも結局、私は救われようとしなかった」

「彼の理想は(公私ともに)一体化することで、でも私はそうじゃなかった」


という彼女の雑誌での発言が引用されているのが印象的だった。

 
 私はどっちのタイプかといえば、「公私共に一体化」することを望むタイプではないかもしれない。ヒカルと同じ「一人っ子」でもあるが。

 過去を振り返るにつけ、実はこの点がひとつのポイントだったのかなあと、思わず思い返してしまう(--;A

 ただ、ひとつだけ以前の私と今の私が違うのは、もはや昔のような意味での劣等感のとりこではなく、自分のありかたと路線にそこそこの自負を持ち、手ごたえを感じているということだろう。

 もちろん現状のままでいいとはまったく思っていないのであるが、それはもっぱら「稼ぎがまだまだ」という非常に現実的な視点からの課題であるに過ぎない。それも、1年前に比べると倍以上のお客様においでいただくペースは安定した。それでもまだ採算ペースに届いてはいないのだが、なぜ1年前よりお客さんがぐっと増えたのかは、自分なりにその理由に気がついているつもりである。

 はっきりいうと、「コネクション」や「宣伝のあり方」とは無関係である!! このブログを読んだことがある人すらお客様の半分未満なのだ。

 では、その「理由」とは何か? ......これは、ここで言葉にしないままの方が、自分への戒めとして、ふさわしい気もするので、今は敢えて明言しないでおきたいが。


*****


 あとは、片意地にならず、自分の視野に入ってくる、別の領域を含めた、さまざまな人たちの生き様へに刺激を受けることにオープンでいられるかだろうかと思う。

 再び菊川さんのインタビューに戻ると、

 でも、ドラマや番組で共演した出演者の方はもちろんですが、裏方で働いているスタッフの皆さんはいつも輝いて見えるんですよ。充実感が顔に出ているっていうか、仕事をすごく楽しんでいるのが見て取れる部分があって。

 カメラマンさんだったら、どのアングルで撮ろうかって話し合いながら、それぞれの役割をキチンと果たしているでしょ。そうやって、年齢も性別も関係なく、仕事に真剣に取り組んでいる姿を見ると、すごく素敵だなって感じます。

 これ、社交儀礼ではないと思います。

 それこそメイキングなどでみられるayuのふるまいをみていても(madonnaもそうなのだが)、自分を支えるスタッフたちからの刺激と支えがあっての自分だということに驚くほど謙虚な面がある。

 「自分にないもの」を持つと感じた他者について、素直に「うらやましく」思え、何らかの意味であやかりたい、あやかれなくても協力や受けた刺激に心から報いたいという思いを失わなければ、人とのつながりも自然と広がる。そんな気もする。

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