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2012/01/09

デジタル機器・オーディオのための電源極性管理とノイズフィルター

家庭用電源にも、「極性」というものがあります。わかりやすくいえば、プラグをどちら向きで差し込むかで音は変わります。

このテーマについては、実に多くのサイトで詳しく取り上げられています。

特集 音場工房 電源の「ヘェ~」 | ジョーシン
オーディオ・電源極性、アース管理
音生命!2-1)交流電源極性合わせ
電源コンセントの極性合わせ(オーディオ)・その徒労と異常性を大公開!!
ステレオの鳴らし方 初級編 電源をとろう 1 極性を合わせる
電源極性を合わせよう ~宅録モニター講座
電源極性について
電源極性とOAタップ | OKWave
A-1Drive Audio Tips-電源

・・・・等々。

これらのサイトで共通して言われているのは、

1.コンセントの左側の、右側より細長い方が「ホット側」の筈である。ただし、これは、家の施工の際に必ずしも適切に配線されているとは限らない。

2.そのため、検電ドライバー等でどちらがホット側であるかチェックした方がいい(発光ダイオードが光る側がホット)

このチェックをテーブルタップの極性まで皆チェックして、ホット側にマーキングをいれておくといいかと思います。

3.オーディオ機器の場合は、電源プラグに矢印が付いている側、白くコードが塗ってある側が「ホット」であるのでその向きに挿し込むこと。

4.しかし、コードに目印がついていない場合も多いので、それは実際に音を聴いて聴感で確認するしかない。もちろんコードの抜き差しの際には電源を切ること。一般に、極性があっている場合のほうが、音像の広がりと定位感がいいはずである(・・・・好みによる場合もあるが、一度慣れてくると、どのような音響機器でもどちらが適切な極性での音かどうか、シスコンやiPodオーディオのレヴェルでも耳だけで判断できるようになります)

5.できれば、こうした極性合わせを、オーディオやパソコン機器以外のすべての家電製品についてもチェックする方がいい。

******

次に、デジタル機器が敏感に反応する高周波ノイズの対策について。これは音質のみならず、AV機器の画質にも影響します。

ノイズフィルター付きの、あるいは配線の金属等を吟味した高価なテーブルタップもありますが(例えばオヤイデのこれ)、オヤイデ系で比較的安いものだと、

・・・・これは私が以前から使っているものです。

より安いものだと、

の評価がそこそこ高いようですが、オヤイデにはかなわないというレビューもあり。

しかし、こうしたテーブルタップの吟味と共に、安上がりで効果的なのは、フェライトコアをケーブルに噛ませる方法です。

パソコン機器のケーブルの途中に筒型の膨らんだ部分がある場合にはそこにすでにフェライトコアは内蔵されいています。

以前はオーディオテクニカに一般家電店でも普通に売っている商品があったのですが、どうも生産中止のようです。しかし、今でも同様の製品が販売されています。

この種のフェライトコアを電源ケーブルばかりか、USB等すら含むすべての配線ケーブルに私はくっつけています。書斎に限定すれば、家電を含むすべてのケーブルにこのフェライトコアを噛ませるところまでやっています。

リビングの部屋のすべてのAV機器配線や、エアコンや冷蔵庫のような、持続的に運転される家電の電源ケーブルにもくっつけているくらいに徹底しています。20年以上前からこの種のフェライトコアは数十個ゴロゴロしていましたので。

一般的に言って、音も映像もノイズ感が減り、静寂の中から音が立ち上がり、分離の良い、くっきりとした透明な音になります。ボリウムを上げてもうるさく感じなくなる。iTunesに蓄えたファイルをパソコンスピーカで再生する際にも音の違いがわかります。

ちなみに私の使用スピーカーはBoseの旧製品ですが、今でいえば、

・・・・このクラスになります。しかし、クラシックのようなアコースティックなソースでも、全くデジデジしない、まろやかで透明な音になり、アナログLPレコードを聴いている気分にかなり肉薄していますし(弦の音がまるで違ってきます)、ロックやJ-pop等でも音の分離がはっきりして、細部まで鳴り渡るようになるかと思います。

音源は、USB外付けのSound Blaster SXを介して、24bit/96kHzまでハイビットサンプリング化しています(AV機器もこれをもう一台使ってデジタルテレビと光端子接続です)が、そうでなくても違いがわかるかと思います。

ただ、人によっては、度を越すと、今度は逆に、「音が詰まったように聴こえる」「音が柔らかすぎる」と感じる人も出てくるかもしれません。私は、その録音が持っているソースの音の良さから限界まで「むき出し」になるのが好みなのですが。

フェライトコアは少しずつ買い足し、より電源部に近い方、あるいはデジタルノイズを発信させやすい機器の電源コード側から噛ませて調節していくのが定石でしょう。

*****

なお、夜の方が昼より元の電源のノイズが多いのは歴然とした事実でして、こうしたノイズ対策をしてもはっきりとした昼夜の差がある(それでもしないよりはまし)というのは、シスコンでもわかる現実です(^^;)

【追伸】:ちなみに、Twitter友達から頂いた情報としては、次のような「蓄電池」だと実に綺麗なサインウェーブが出るそうです。ただし高価だし、当然「時間制限」あります。

●ソニー ホームエネルギーサーバー CP-S300

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2010/10/05

何を今さら!? 遅れに遅れてハマった、「のだめカンタービレ(ドラマ版)」について。

 このブログに書き込みをするのはかなり久しぶりである。

 実はここしばらくネットというもの自体から相当に距離を取っていて、そもそもパソコンそのものを開かないでいる日の方が多かった。

*****

 それにも関わらず、久々に記事でも書いてみようかという気にさせたのは、私の住んでいる地域で、「のだめカンタービレ」の最初のTVシリーズ実写「ドラマ版」が再放送されたからである。

のだめカンタービレ DVD-BOX (6枚組)

 このように言うと、福岡県在住の読者の方でも「そんなのいつやっていた?」と思われるかもしれない。・・・そう、フジ系列のTNC(テレビ西日本)でやったのではないから。

 実際には同じフジテレビ系列でも、「サガテレビ(STS)で」9/17から10/1にかけて再放送したのだ。

 UHF地上波の発信場所が、福岡県と佐賀県の県境の背振山系の九千部山に共にあるため、福岡県と佐賀県にまたがる筑紫平野ほぼ全体のTV視聴者は、同じアンテナの向きで福岡と佐賀の地方局も見れてしまう。こういうスピルオーバー(おこぼれ)現象を公然と容認するしかないのが福岡県と佐賀県の放送事情である。

 チャンネルを自動設定すればNHK佐賀(総合と教育)とSTSが、私の住む久留米でも自然と共有される。逆に言うと、佐賀県のかなりの部分の地域で、福岡県の民放を見れてしまうことになるわけで、これは日本唯一、民放局がひとつしかない県に佐賀県を留め続ける大きな要因の一つと思う。

 これを聞くと、千秋君の「どーして佐賀県に入るんだ? 大川は福岡県だろ!!」を思い出されるのだめファンの方があるかもしれない(^^)

(以下、すでに数年以上前の原作およびドラマですから、相当ネタバレして書きます)

 ドラマの最後まで見る前の時点でwikipediaだけで情報的にわかってしまったのだが、のだめの出身地は、佐賀県と、筑後川を挟んで共に境を接する久留米市の南西隣、大川市であることを鑑みると、単に人気ドラマというだけではなくて、「ご当地ドラマ」でもある。

 のだめの家族役の役者さんの何人かを福岡県出身の人にするところまでこだわってくれているそうですね。

 それだけでも、この意外な時期に平然と再放送を打つひとつの理由なのかもしれない。「あの」ドラマ版最終回の「あの展開」を再放送で観たい!! という情熱が私の住む地域一体には「特異なまでに」渦巻いていて、エリアの視聴者からの要望も多かったのではなかろうか(勝手な妄想^^;)。

 もっとも、TVシリーズの最終回が「ああいう」展開とは全然知りませんでした。ドラマ最終回は先入観や予備知識無しで見ましたけど、「あの」感動シーンは、すでに「伝説的」名場面であり原作そのままらしいというのは、幸い観た後ででしたが、情報的につかんでしまった・・・

 (余談ですが、ちょっと前の時期には、そっちは新劇場版タイアップの「おかげ」といえますが、TNCとサガテレビで違う時期の「踊る大捜査線」を再放送で並行的に観れてしまい、このドラマがなぜ人気ドラマだったのかを短期間で学習させていただきました(^^)。実はその後で、以前の劇場版のTV放映も観れたけど、・・・あ、あそこまでいくと、TVシリーズの方が感情移入しやすくて、劇場版は少しいろいろと詰め込み過ぎかなあと思いましたが、私の調べた限り、「のだめ」の劇場版って、クチコミはスゴクいいみたいですね)

*****

 このような、2006年10月に本放送が放映されてからちょうど4年も立つというのに、数年間遅れて勝手に一人で盛り上がっているからわかるでしょうが、本放送から4年立つというのに、私はこのドラマを実際には観たことがなかった。原作も全く現物をまだ目にしていません。

 ただ、このドラマと「遭遇した」瞬間はとうの昔にあった(^^;)

 wikipediaに基づく再放送データから想定すると、正確には、3年前のTVでの「パリ・スペシャル」前後編放送直前の正月頃の集中再放送の時だと思うが、チャンネルを切り替えていて、何かの弾みに、上野樹里演じる、のだめの頭の上にピンク色のハートマークheart01がアニメチックに浮かび上がり、のだめの部屋の中が物凄いゴミ溜め状態なのに千秋が呆然とするというあたりまでは何かの弾みに観た。

 ほう・・・最近の実写ドラマはこういうマンガチックな表現も画面でさりげなく実現できているんだ、デジタル合成もこんな使い道があるんだ・・・ということは印象に残った。

 どうもそれが、かの噂に高い「のだめ」のドラマらしいとはすぐに気がついた。

 ただ、恐らくこの時は、数時間かけて全話一気に集中連続再放送というイベントらしいことに気がつき(画面のどこかにそういう表示が出ていたのだと思う)、億劫になってほんの数分で観るのを中断してしまった。あるいは、そういう気力に欠けていた時なのかもしれない。

 今回見てわかったけど、それは第1話の冒頭に近い、マンションでの、のだめと千秋の出会いのシーンだったわけで、もし「この時」集中放送をHDDプレーヤーに録画してあとで観る形としてでも、ともかく観ていたら、その後の私の4年間の人生は随分と別のものになったかもしれないと思う次第である(大袈裟 ^^;)。

 何しろこの私のブログで「のだめ」という単語を使ったのはこの記事が最初なわけで(追記:検索するとこんな記事さりげなく書いてました・・・^^;)。運命の針がひとつ違っていたら、とっくにこのブログのかなりのウエイトを「のだめ」関連が支配していたかもしれない???

***** 

 ともかく、つい先日(2010/09/17)、の劇場版「最終楽章 後編」の上映が終了して数ヶ月などという思いもよらない時に、しかもこれまた全くテレビの前に座ってチャンネルいじっていて偶然に、いきなり第1話千秋の幼年時代の回想の独白からはじまるシーン(「たまごっち」のあたり)が突然始まって、直感的に「これって、まさか、『のだめ』?」と気がついて、千秋君の、大学キャンパスの建物外でいろんな学生が楽器を練習している間を歩きながら「下手くそめ!」「こいつもだ!!」と独白しているあたりにやっと間に合う形で、大慌てでHDレコーダーを起動、チャンネル合わせて録画をはじめた。

 全11話であるから、一度録画予約設定を済ませてしませば、月曜から金曜までの同一時間枠の再放送は2週間と1日で疾風のように終了した。

 正直に言って、テレビの実写ドラマでここまで「はまった」ことがあるだろうかというくらいにはまった。

 どれだけ気に入ったドラマでも、留守録だとか途中でトイレや所要で席を外す場合を除いて、「録画」したものをて保存し思わず何回も「繰り返し」通して見てしまうことなど、私の人生にこれまで果たしてあったろうか?

 昔、アニメファンしていた時、気にいった作品をビデオ録画で繰り返し観るということをしていた時以来ということになる。

 私は「エヴァンゲリオン」でTVアニメからは足を洗った。

 TV作品でこういう事態になったのは、その時以来ということになる。

******

 私は、別に「のだめ」を大したことない作品と見くびっていたわけではないつもりだ。2006年にドラマ化された当時から、多角的に一大ムーブメントを呼び起こした作品であり、嫌が上でも、別に調べたりしなくても情報は目に飛び込んできていたし。

 コミック原作の、天真爛漫変態天才ピアノ少女と、指揮者をめざす、艶(つや)つけた兄ちゃん(千秋)を主人公とした、かなりぶっ飛んでコミカルだけど、同時に、下手なツッコミを跳ね除けかねないくらいに本格的にクラシック音楽の世界を描いたラブコメで、原作段階で、この作品によってクラシックに関心をもつコミックファン層の開拓し、一方「のだめオーケストラ」なるものまで編成されてライブも重ねられるという、凄いブームになったことまでは知っていて、「ベト7」など、当時のiTunes Storeには「のだめ関連」であることを明記した音楽が上位ランキングに随分入っていることにも気がついていた。

 「のだめワールド」というべき、一度はまると読者や視聴者を虜にしてしまう性質が極めて強いらしいことも。

 むしろ、心のどこかで、実際にドラマを通して見てしまったら「はまる」ことを「恐怖して」、遠ざけていたというのに近い心境と言えるかもしれない。

 自分自身が、業の深い(?)クラシック音楽ファンであり(このブログでは、クラシック関係の記事の比率は少ないですが、かつて「ロベルトの部屋」という、シューマン専門ウェブサイトをやっていたりもしました)、「音楽マンガ」というジャンルで、コミックの世界を飛び出して映像化された場合に本当に成功した作品が限られているばかりか、例えば洋画とかの世界まで広げても、クラシック音楽をテーマとしたフィクション作品での本当の手応えのある成功作は必ずしも多くない(そんなに何でもかんでも見たきたわけではないですが)中で、それをひっくり返した作品というものこの世に存在するとすれば???

 私には、およそ、ものごとについて、そこそこということを知らず、一度はまると没入しやすい嗜癖体質・・・というより、むしろ職人肌の父の血をもろに受け継いだ「執着気質」みたいなものが強いと思う。一見ナルちゃん、場の空気を読んでない言動の時もあるかと思われるかも知れませんが、実は場の空気を読みすぎて潰れる事の方が多い。そうでない時の「軽躁的」とも見える私の姿はちょっと特別な時です。それが現実的バランスを危うくしかねない(?)自分の問題点であるとも自覚している。

 (およそ、そこそこということを知らずものごとを勝手に抱え込み過ぎて、現実の自分に不全感や自責感を抱き過ぎて潰れてしまうこともあるし。実際のリアルワールドでの身の振り方に関しては、このあたりで体質改善しないとどうにもならないと思っているが・・・)

*****

 前述のように、これを書いている現段階では原作をめくってもいないのだが、実写ドラマ版がしか見なくても、このドラマ化が、(ある程度内容を原作から「圧縮」はしているだろうけれども)、どこまで原作の味わいを実写ドラマに出来るか、原作ファンを失望させないかという点で稀有な水準のものであることは、ビンビンと「透けて見える」ように伝わってくる気がした。

 フジテレビ系列の多くのドラマに共通するある種の「ケレン味」はあるといえばあるのかもしれず、原作の描線のタッチ(これはネットをあされば、画像が見つかりますから、サンプル確認済み・・・・)の持つある種の「淡白な描線」(私のそんなには幅広くはない、ここ数年は全く無知になっていたコミック歴からすると、一昔前の柴門ふみさんの「描線」をもっと淡白にしてみたあたりというと、,当たらずとも遠からず?・・・・原作ファンの人、こういう表現が軽率でしたらお許し下さい)をやはりどうしても好むという人もあるかとは想像しますけど。

 コンパでコンミスの三木清良が「(マーラーの)一千人の交響曲(やらない?)!!」と、酔った勢いとは言え叫びだすに至っては、クラシック・ファンにとってはドン引きのギャグになる(^^) これがきっと、原作で「書き文字」か何かなのをそのまんまセリフとしてドラマになっても省かないで活かしているとしか思えない。そういう「こだわり」がありそうだと容易に推測できたのだ。

 シュトレーゼマン(ミルヒー)を竹中直人が怪演しているらしいことは知っていまして、(原作では髪は長くないんですね)、このあたりが一番好みを分けるかなと想像していましたけど、私は一度見始めたらあっさり気にならなくなりました。

 つまり、言葉本来の意味での「コミック」=「喜劇」の「お約束」なんだと納得してしまえるということかと。カット割りとかが存在しないにしても演劇舞台における「誇張」と似たものなのだと思えてしまえばそれで受け止められちゃうのですね(^^)

 外国人俳優にしたら、どれだけ日本語が堪能な人でも、実は配役の基本の「重心」が保てなくなると判断されたのではないかと。なぜなら、さもないと、物語が本当に若い人ばかりがおもてに出てくる話しになってしまう。

 「裏軒」の峰龍太郎の親父役に伊武雅刀さんを持ってきたのも同じことで、竹中さんと伊武さんという個性派の年長俳優が「重し」になっていてちょうどいいバランスだというキャスティング上の判断とかもあったのかと思います・・・・そうそう、出番は少ないとはいえ、秋吉久美子さんの大学理事長役というのも、私の世代にとっては何か嬉しいです(^^)

 玉木くんによる千秋の独白を含むハイテンションな長ゼリフの連発も、上野さんによるのだめの、あの異様にはまったぽわーんと演技や揺れる声回しも、むしろそういう「演劇舞台的」感覚で味わっていくとむしろはまってしまうもののように思います。「アニメ感覚」というだけではない。「役作り」の凄みとしかほんとにいいようがない。

 カット割りやテンポ感も冴えに冴えている。演出の人も只者ではないのではいかと思います。

(追記:・・・・アニメ版第1話はフジテレビオンデマンドで無料配信を公式にやっているのを見つけて後で見ましたが、ここまで「ほとんど同じ」とは思わなくて・・・ホント、単なる「制約」ではなく、いい意味でも多少「刈り込んで」はいるのでしょうが、驚くべき原作尊重主義で実写ドラマを作っていた結果、ある側面ではコミックを超える、奥行と深み(???)を獲得できていると評する人もいそうな、類稀れな成功例なんでしょうねえ・・・)。

*****

 俳優さんたちへの「演奏演技」指導もテレビドラマの制作水準としては非常に画期的な水準だろう。

 玉木宏さん演じる千秋君の指揮姿の徹底性は、何しろ指揮シーンを集めた独立したDVDまで出てしまったそうであるが(^^;)、少なくとも私は「演技として」指揮者を俳優にやらせた映画やドラマの類で、国の内外問わず、ここまで「演じ切れた」ものは観たことがないという水準(追記:もっとも、劇場版の方がずっと指揮姿が凄いそうですね)。

のだめカンタービレ 千秋真一 コンプリート・エディション[DVD]

 ピアノ演奏シーンは、まだしも、鍵盤の反対側からのショットでの俳優の「演奏演技」と代役の鍵盤上の手元を写すシーンをカット割りで切り替えることがやりやすい部類と一般的には言える。

 それでものだめ=上野樹里さんに課せられた演技指導の水準はかなり凄い。ほぼ完全に嘘くさくないのではないか。

 楽器は、幼稚園時代のヤマハ音楽教室止まりの私ですが、特にこのドラマでのシューベルトのイ短調ソナタの練習段階の時かな? 「上野さん、顔も手も同時に映るシーンで、実際にきちんと指使いと鍵盤一致しているのでは?」って。・・・

 ・・・・と思ってwikipedia等で調べたら、上野樹里さんって、ピアノの弾き語りができて作曲もできて、「みんなのうた」で自作の曲、「えがおのはな」が放映された水準の人なんですね。お姉さんがシンガーソングライターというあたりからしても、ある種の音楽的素養がもともと相当高くもあると知って得心(^^)

 映画初主演だった、女子高校生ジャズもの映画「スウィングガールズ」(私は何かで予告編だけは観た記憶が・・・)での製作過程や反響も共通の性質のもののようで、「のだめ役=上野樹里」は、かなり早期に決定されていたのではないかと想像します。

(追記:それどころか、ドラマ化の企画が実際に出る前から、業界内部でも「のだめ役なら上野樹里」という風評すら存在したとか)

 「おなら体操」(いわゆる「リアルのだめ」さん作曲とは存じています)は、ホントに上野さん、「楽々弾き語りで」実際に音源化しているのかもしれない?

 これじゃ、ショパンやシューマンやラフマニノフやストラヴィンスキーの難曲でない限り、演技+演奏指導を受ければ、「吹き替えなしで、とりあえず音符通りに鳴らしてみる」ことができとしまえるところまで、マジで特訓受けてたどり着いていたのかも・・・・・。

 多くの演奏シーンで、姿勢とか、手の交差とか、この曲のそのあたりではそのへんの「腕使い」してるはずでは?・・・という水準まで。音と体全体の動きのシンクロ度が高い。限られているはずの収録時間や準備期間の中で、どうしてここまで・・・と、私なりに思っていたのです。

 【追記】:この「上野さん自身はどれくらい弾ける人なのか」という点は、このページのQ&Aでほぼ妥当なんでしょう、ほんとうに。「悲愴」の少なくとも第2楽章が弾けるなら、後述のシューベルトのイ短調ソナタ第1楽章冒頭も冒頭のあたりなら問題なく一応弾けるかと思います。特にこの曲の時、顔も鍵盤上の手も同時に映っているシーンが特に多い気がして。

****

 実は、「演奏演技」的に何より驚いたのは弦楽器合奏シーンなんですよね。これは、ピアノの吹き替えよりも更にハードルが凄く高い筈。「ギターなら少し弾いてました」が通用する次元ではないので。

 このドラマで実際セリフにも出て来ますが、オーケストラでは、弦楽器の「合奏」というものは、各人勝手にボウイングすることも許されない。コンマスなどの指示で、同じパートは全員旋律を同じ弦=指使いで引き、同じボウイングで統一されていないとならない。

  全くの初心者がバイオリンをきちっとした姿勢で抱えて、弓を弦に吸い付くように(弾まないで)絶えず動かすことができ、「取り敢えずボウイングして」ギコギコしない豊かな音が出せるまでですら通常大変なはずである。ましてや!!左手のヴィブラート(・・・私は結局できないままだ・・・)や「返し弓」がサマになって「見える」までですら。

 それを短期間に俳優さんたちに仕込んで、プロや公募した若い演奏者に混じって、オーケストラの旋律の中で、俳優さんが、そこではその音はG線で鳴らすよねという瞬間には確かにG線のあたりを右腕が一糸乱れず揃って、左手も同じ指使いでボウイングしているように見えてならないだけでも感動モノである。

 ほんと、弦楽器系の俳優さんのかなりの人、少なくともその部分の旋律「ともかく鳴らせる」域まで演奏指導特訓受けて来ているのでは? 指使い覚えちゃってるのでは?

 (画面に合計10人くらいしか映らないサイズのショットでの、同じパートの「演奏演技」吹き替えなしはザラに見られるので、それでボウイングや指使いが完璧に一致しているように見えるというのは・・・・)。

 バイオリン・ソロの場合も、瑛太さん演じる峰龍太郎や、水川あさみさん演じる三木清良の演奏演技、「左手の押さえまで」いい加減ではなさそうに私には見える。これはどういうこと?

*****

 そして、こうしたミュージシャンもののコミックや小説の最大の関門というべき「演奏それ自体」。これはプロの人達が大幅に関わってであり、オーディションして音大生学生奏者集め、短期間の練習でオケがここまで音を出せたら凄すぎる域すら、かなり含むかと思います・・・・

 かの有名なショパン・ピアノコンクールのドキュメンタリーを2回観たことがあります。でも、決勝に残る水準のピアニストですら、その中で2人か3人しか、魅力的な音を出していると感じる人はいません。緊張しているので当然といえばでしょうが。私はブーニンも好きではありませんし。ただし、2000年優勝のリ・ユンディさんは、確かにコンクール予選時から際立って才能あるピアニストぶりを発揮していましたが。

 ・・・・そういう物差しを当てて、「ドラマの演奏シーン」の「音楽それ」自体を、いつの間にか引き込まれるように大真面目に聴いてしまったのです・・・・

 この作品の場合、単に「名演・熱演であればいい」というわけでは「ない」というのが、収録上大変な筈なのである。

 オーケストラの練習段階シーンで「未熟なフリ」の演奏をして収録するのは、実はそんなに困難ではないだろう。それどころか、モーツァルトの「音楽の冗談」や、サン・サーンスの「動物の謝肉祭」の「ピアニスト」という曲、あるいは「ホフナング音楽祭」ライブのように、「敢えて下手に引く」、冗談音楽の伝統は列記として存在する。

 演奏演技ではなくて、演奏自体自体となると、ハードル高いのははむしろソロの方。すでに原作から曲を実際には聴かないままイメージを膨らませてきた読者ばかりか、もともとクラシックも実際よく聴いてきて、コミックを読みながら曲がたいてい即座に脳裏に浮かび、「(特に)のだめ流の演奏はこんなふうでは」?と妄想してきた読者たちの期待を裏切らないかという点が肝心だった筈。

 この「演奏自体の表現の調整」が、大健闘、どころか、尋常ではないのではないか。この点では、原作を現段階では知らないまま、先入観なく地上波デジタルの音で、一応デジタル出力してオンキョーのバスウーファー付き小型スピーカー通してのことなんですけど、クラシックの演奏会のライブ番組を試聴する場合と同じラインで(!)私の期待をほとんどの場合にまずは大きく超えてしまった。このあたりだけは私もこのドラマをなめていた。

 千秋君が「この演奏はああだこうだ」と解説している、まさにそのイメージと、そこれ流れている「のだめの」ピアノの音が、殆どの場合、すんなりとしっくりくるのである。

 私の聴いた印象では、のだめはのだめ専門の代役、千秋には千秋専門の代役、コンクールの他の演奏者ですら、更に別の代役が、ちゃんとおられるのでないかと思う(追記:のだめの代役は、三輪郁さんというピアニストが大半をお務め。ただし、更に別の演奏者という「例外」は「3曲」あります)。音の響きやタッチが役ごとに違うように思えてならない(!)のである。楽器や演奏場所を変えるだけでも音色は随分変わるものだが、その域ではない。

 そして、何より、

 「のだめ風、楽譜の指示に忠実ではないが、天真爛漫で、何か人を魅惑する演奏」

・・・・というのを、ちゃんと「現実の音」にできているように思う。もっと大げさにもオチャラケさせられるはずだけど、ある「品位」をギリギリのところで維持した、どこかチャーミングな「聴かせちゃう」演奏なのね、実際(^^)

そして、少なくとも、

 「のだめがまだ練習不足で、苦労しながら弾いている時の演奏」 

 「のだめが本調子ではなく、崩れた時の演奏」

 「のだめが、練習を重ねて完成度が上がった時の演奏」

というのがそれぞれちゃんと別テイクで録って、使い分けているのではないか?!

 第1話で最初の方の、のだめの演奏に千秋がそもそも耳を留めるきっかけとなったベートーヴェンの「悲愴」ソナタの第2楽章の段階で、私は千秋くんにに言われるまでもなく、確かに最初は「このテンポ、音の切り方、音の揺らしは何だ!!」だったけど、数秒後には「妙に魅力的なものを秘めた演奏ではないか!」。千秋君が「カプリチオーソ・カンタービレ!」とつぶやくのもわかる気がする・・・とマジに思ってしまった。

 私は私はピアノ曲といえばまずはベートーヴェン、シューマン(作曲されたぼぼ全曲制覇、聴き込んでる。ショパンの方が実は苦手)です。

 悲愴ソナタ自体が、比較的初期作品だけど、まずは一曲だけ気軽にベートーヴェンのピアノソナタ聴き直したいと望めば選ぶ、偏愛気味の曲です。

 もとより、第2楽章は、ビリー・ジョエルの"This Night"をはじめとして、CMまで含めて、皆様、結構知らず知らずに耳になじんだ曲かと思いますが、のドラマ編第1話はじめの方の、ドラマで「のだめの音」が初登場する時の演奏は、「若干ポピュラーチックに引き崩し」たら、こういう演奏もありだよな、という、まさにそういうラインなんですね。下手に面白おかしくしようとしようとし過ぎてもいない、さりげなーく演出した、絶妙な演奏ライン!!実は「悲惨」過ぎはしていない(^^;)

 峰龍太郎くんと、のだめのベートーヴェンのバイオリン・ソナタ「春」も、自己陶酔的でロックなつもりの演奏を「思い切って」やったら確かにこんな音になるでしょう(^^;)。ここまで来ると、クラシックファンの方が千秋くんに解説いただかなくても音を聞いた瞬間に音だけで爆笑ものなんだけど。

 そういう演奏を音にして演奏して頂いた演奏家と、「もうちょっとこんな感じでやって下さい」と、場合によっては原作持参で、その場所を演奏者に実際に読んでもらった上で、収録時にくり返し弾いて試してもらったであろう演出・監修のスタッフのこだわりには敬意を表するしかありません(^^)

 そして、千秋がピアノを弾いてのだめや龍太郎との伴奏や二重奏で、「今日は自由にやれ(俺は合わせて見せる!)」で弾き始めていくと、最初は自分勝手だったのだめや龍太郎の音が、徐々に、本当に徐々に美しく自然な方向に変化して、合奏としても音が溶け合っていく!!・・・・・代演の演奏者に、その水準まで実現してもらっているんですね(^^)

*****

 のだめがさわりだけでもベートーヴェンの第7交響曲のピアノ版を(これは美しいぞ!!)弾いてくれているのも嬉しかった。

 そして、特に、ラフマニノフの2番協奏曲の「のだめバージョン」(特に千秋くんがオケパートを弾いた2重奏版)というのは、よくもまあここまで常識破りの、でも何やら凄い演奏を「現実化」したものだと感心するしかなかった。

 そもそも、ピアノ協奏曲の練習のためにオケの伴奏部をピアノでやるという二重奏自体は、音大でコンサートピアニストを目指す域の学生さんの講習レヴェルでは日常の光景でしょうけど、それを、たとえ数分間の「さわり」だけにしても、この水準でこうして現実の音として「公表」してもらえただけでも、のだめファンのみならずクラシック・ファンには目の幅涙(TT)の人が少なからずいると思う。そういう「オケ伴奏をピアノで伴奏した二重奏での」CDなど、少なくとも私はクラシックのCDで観たことはありませんので。

 ・・・・そうそう、モーツァルトのオーボエ協奏曲・・・・オーボエ奏者、黒木の代演の人、でたらめにうまい!! ほんとに世界に通じる一流の人使ってるとしか・・・しかも、練習の時の「いぶし銀の武士」の響きと本番の「ピンク色」の響き、別バージョン録音ということを確かにやってると聞こえる。ただイコライジング操作したのではないと思う。

****

 実は、この「のだめ」という作品、原作の曲のセレクトを可能な限りいじらないという、得てして一番妥協や変更がされやすい部分が非常に少ないのには感心した。演奏曲を「省略」しても、可能な限り「変更」してないんですね。

 wikipediaによれば、曲を「差し替えた」のは、Sオケの最初の曲がベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」から第7番に置き換えられていること(これはドラマ版のOPをはじめとして、このドラマの「テーマソング」がベト7ということで一貫させる上でむしろ潔い変更)、ティンパニの奥山真澄くんがいいとこみせようとしてしくじったのが、第9の第九の「第1楽章」ではなくて原作では「第2楽章」だったらしいことぐらいのようである(厳密にはもっと別のもあるのかも知れませんが)。

 この第9の第2楽章は、通常の調律とは別の、オクタープ調律の2つのティンパニが用意され、19世紀初めの初演の時、聴衆にその部分で思わず驚きの声を上げさせるくらいの、当時としてはラディカルな演奏効果を上げる部分が延々とあるので、そのリズミックさで「千秋様」の気を引こうとしたあまり「踊り出してしまう」というのは、ドラマ版より原作のほうが理にかなっている(^^;)。

 でも、ここまでぎりぎりまで切り詰めたテンポ感でテレビドラマを展開しようとすると、「曲全体の」演奏はじめの方ですぐにコケるという形でないと、自然で無駄の無い流れにならないので、いきなり第2楽章というわけにはいかず、やむを得ぬ、このTVシリーズドラマ版では例外的な差し替えかと思います。

*****

 これ以外、練習や演奏会やコンクールのシーンでも、第何次予選かとかは変わっても、曲の数だけ減らしただけ、曲そのものはドラマと原作共通という徹底性が貫かれているらしいことというのはwikipediaで確認済みです。

 そもそも、この作品、ピアノ曲の選曲というのは、必ずしも「いわゆるクラシック入門者向け」でもない。相当に「通好み」とも言えるし、むしろクラシック通だと、コンサート・プログラムの構成としては異例、あり得ない!とすら感じる超絶的な場合を含む興味深いラインの曲が含まれて並んでいる。

 結局はフランスに留学することになるお二人だが、日本編は、BGM込みで、広い意味でのドイツ・オーストリア・旧ボヘミア音楽が非常に贔屓されていると思う(チェコにしても、プラハとヴィーンの距離はかなり近い ^^;)。

 オケ演奏シーンの曲は「あの」ガーシュインとカルメン幻想曲、ラフマニノフの協奏曲2番を除いてはすべてドイツもの。特にピアノの演奏シーンの方は、ドビュッシー・ショパン・ストラヴィンスキー、各1を除いてはドラマの中で演奏されているのは全部ドイツものである(もちろん、「おなら体操」は別格)。これをドラマ編で一貫させたのはほんとうに「潔い」と思う。

 そもそも、ピアノ曲においてショパンの有名曲に「依存」しないのが潔い。練習曲10の4という、同じ作品10の中でも「革命」とか「黒鍵」といったあたりを使わないのが。 

 他方、シューマンで「ピアノソナタ第2番」という超渋い選曲がなされている。私なりに、一番ありがちなラインを想定すれば、「幻想曲」とかになりそうなのに、そうは来ないのが興味深い。

 ソナタ2番って、シューマンの3つのソナタの中では一番簡潔で演奏頻度は高いとは思いますが、技巧的にも、「演奏栄え」させるのは大変な難曲で、「幻想曲」や「謝肉祭」、「クライスレリアーナ」は弾いてもこの曲まではレパートリーにしていないピアニスト、多いと思います。この2番、天才肌の巨匠の演奏までいくと、ちょっと「ロックな」過激なフィーリングな曲になるんだけれども(リヒテルやアルヘリチ盤)。

リヒテル・イン・イタリー~シューマン:蝶々、ピアノ・ソナタ第2番、他

アルゲリッチ/リスト:ピアノソナタ/シューマン:ピアノソナタ第2番

*****

 他方、9話と最終話で出てくる、シューベルトの「イ短調」ソナタ(16番)なんていうのも、別の意味でかなり「通好み」かな?(特にピアノ学習者でないなら、クラシックファンのつもりの人でも「通」の方かと思います) 

 「即興曲集」や「さすらい人幻想曲」、そして一番入門曲としてはシューベルトのソナタでは向いていそうな「イ長調」'ソナタ(13番)だったら初心者には聴いても演奏しても馴染み易いし、最晩年の三大ソナタ(19-21番)の方が曲として安定した恰幅の良い完成度があるはずだけど、そこまでシューベルトが上り詰める直前の時期の「イ短調」ソナタ(すごく"fragile"=「脆い危うさ」と隣合わせの曲)だからこそ、のだめはものすごい格闘を要することになりはしないか?

 「シューベルトって、気難しい人なんですか?」とのだめが思わず千秋先輩に相談するのは、本当に自然だと思う。

 この曲で演奏映えさせるのは本当は非常に高度なことなのだと思う。いわゆる「ピアニスティック」な曲ではない。ショパンやリストのような見かけの押しの強さがない。ドビュッシーの緩やかな有名曲ほど容易には「ポエジー」にもならない。指が回れば取り敢えず自己満足的に盛り上がれるというのからこれほど遠い曲はない。

 繊細そのものの配慮と、シューベルトの器楽曲だけが持つ"wandern"(ドイツ語でいう、「さすらいの歩み」)の感覚を身になじませられないと! でも、私の勘ですが、地に足をつけた勉強をして行く限り、音大のピアノ科の学生さんは丁寧にレッスン受ける価値が確かに高い曲かと存じます。

でも、いくら断片とは言え、ひとつ間違うと「もっさりと」「野暮ったく」なりかねないこの曲の、すっきりとしたウェルバランスのいい演奏だと思いました。中期の「幻想」ソナタとかこの曲は、晩年の3大ソナタ以上に「聴かせる」のがたいへんともいえるかも知れず、私もほとんど納得した演奏にめぐり合っていません(私、シューベルトは基本的にはブレンデル党)。

*****

 現実のコンクールでそんな選曲をそういう順序ですることはあり得ないと思えるケースすらある。ドラマ版第10話で出てくる、マラドーナ・ピアノコンクール本選での、先述のシューマンの2番ソナタの後にストラヴィンスキーの「ペトルーシュカからの3章」なんていう超難曲連続プログラムは、若い頃のポリーニやアルヘリチですらひるんだであろう(^^;;;;)。

 後者については、古今のピアノ曲で最も高度な超絶的な技巧を要すると評する人もいる(^^;) 曲を献呈されたルービンシュタイン自身は弾くことがなく(!)、ポリーニ盤が出るまで、録音皆無ではないにせよ、時代に埋れていたともいえる曲だと思いますし。

ストラヴィンスキー:《ペトルーシュカ》からの三章、他

(上記リンクは最新の廉価版に張りましたが、レビューこちらの2001年発売盤をどうぞ。レビューの中に、「のだめ」ファン向けの他の推薦盤を掲げて下さっている方がおられますよ ^^)

 このストラヴィンスキーの曲を、バスの中だけで譜読みして、シューマンの2番に続けてコンクールに臨んで弾くというのは、2曲を知ってるクラシックファンなら、いよいよ、「絶対あり得ないです!」と、呆然とする展開なのだ。

 もっとも、(これは原作を読んでいない段階なので、「深読みし過ぎ」なのか原作ですでに仕組まれた「伏線」なのかどうか確信が持てないが)、「ペトルーシュカ」(ああ、原曲のバレエ曲自体が私が愛してやまないバレエなのだ!! 正直、同じストラヴィンスキーでも、「春の祭典」より断然引き離して「好物」である)というのは、本来のバレエとしてのストーリー自体「操り人形が楽屋裏では自らの命と心を持っている」という内容であり、まさにこの時のストーリー上の、のだめの置かれた葛藤や境遇とまで一致している。そして最後の「その曲で」のだめはとんでもない暴走をする・・・まさに操り人形の糸が切れたかのように・・・

 でも、ホントにドラマで劇中劇としてアニメ化されている「プリごろ太」が、単にドラえもんのパロディだと一見してわかり、のだめ変態ワールドの能天気さを表しているのではなく、ストーリー上直後の、千秋君の対人関係上の洞察(?)への伏線として見事に繋がる形で描いているくらいの、実はストーリーを「構築的に」進める実力が高い原作者のようですから、「ベトルーシュカ」を単に「テクニックで乗り切る難曲」故に選んだ訳ではないかとも思います。

 原作者が音楽面での協力スタッフや読者からのアイデア提供があっても、最後にストーリー固めるのは二ノ宮さんご自身だったはずですから。

 原作では、この2曲の前にコンクール本選、モーツアルトのソナタ8番イ短調まで演奏していることになっているらしいけど・・・この曲もテンションが凄く高い、ストイックな曲なので、この3曲連続となれば、重量級過ぎて、現実のプロの演奏会ではいよいよありそうにない。ましてコンクールで!!

 まさに、フィクション故に可能な「夢の」演奏プログラム!(これまた、物語上の意味付けがあるのだろうか?)

 敢えて言えば、ドラマ版での、このシューマンとストラヴィンスキーだけが、私が物足りなかった「のだめちゃんの」演奏である。これはさすがに代役の人(私の勘では女性)にとっても難題だったと思う。レッスンでも、ましてやステージではとてもとても「弾いたことない」というプロの方も少なくなかろうと思うので。

 前者はアルヘリチかリヒテル、後者は先述のかの有名なポリーニ盤というのがどうしても私の念頭に比較軸としてある(現在での名盤評価はどうなんだろう?)ので、やむを得ない。

*****

 もとより、ペトルーシュカの「あの」メロディーが、「某有名な古典的テーマソング」と似たところがあることを生かした物語展開というのは、私の想像を絶した、でもコロンブスの卵で、そのように感じているクラシックファンがちらほらいてもおかしくない、素晴らしいアイデアであった(^^)。

 スッペの序曲「詩人と農夫」の序奏のチェロ・ソロが、「♪線路は続くよ、どこまでも」にすり替わったり、ヴォーン・ウイリアムズの「イギリス民謡組曲」の冒頭が「♪カッパッパー、黄桜~」のCM連想させるのにかなり肉薄しているかと(^^)

 こういう時には連載が進むに連れて読者との間でいい相互作用が生じるから、ひょっとしたら、「のだめちゃんがもしコンクールに出たら弾いて欲しい曲」「この曲をこう料理すればギャグになるのでは?」みたいなアイデアとかが読者からどんどん来て、生かされていたりもし始めていたかもしれない。

*****

 先述の、ショパンの練習曲10の4番に至っては「え? その曲なら覚えてますよお」で、子供時代以来久しぶりに、数秒後にここまで弾ける無名の音大生がいたら確かに仰天するくらいの充実した完成度(この曲のだめの代演は、例外的に河野紘子さんという方の演奏)。「これ以上、何をお望みですか?」私の愛聴盤、ポリーニ盤のLP初発売時の有名なチャッチコピー)

 ドラマを先入観なく、この曲すら知らないで観ている人に「のだめは、好調なら、実はとんでもないテクニシャンとしての実力がある」ことを理屈抜きに驚愕させる力が、演奏に本当にある。

 そして、少なくともドラマでは、ここまで展開してきた後で、はじめてのだめの幼年期のフラッシュバックがドラマ上はじまるというのが「原作段階でも」仕込まれているとすれば・・・いくらいろいろアドバイザーがいたとしても、二ノ宮さんという作家は、やはり、「物語構成力」という点で非凡の域かと思う(「面白い」とか「考証が行き届いている」というだけではこの作品の凄みは語りつくせないのではないか)。

 いすれにしても、シューベルトのイ短調ソナタとショパンの練習曲という2曲は、先述のシューマンのソナタやペトルーシュカに比べると、遥かに「ピアノ演奏者にとっては」上級まで行くまでの学習過程でかなり定番でしょうから、しっかりとした代演の人が確保できて何もおかしくなく、この2曲は「ドラマの中でほんとうによくここまでの演奏収録して使ってくれましたね!!です。

******

 千秋君ピアノのラフマニノフの協奏曲を含めて、オーケストラの演奏が、正攻法で硬派で本格派な、レヴェルかなり高いのにも感心。いい意味で恰幅が良いけど明晰な演奏で、正直にいって、ここまで練り上げられていなかったり、変なクセっぽさのある、現実の演奏会での演奏は現実にはいくらでもあるんじゃないかと思います。

 このドラマのためには半端な演奏はできない!! という、指揮者と演奏者(オケの「コンサートシーン」での音源は、クレジットに明記された東京都交響楽団の人たち中心で実際弾いてるんでしょうね)のプライドみたいなものを感じるのです。

 (ドラマではやってませんでしたが、ブラームスの交響曲第1番の第2楽章には、コンサートマスターによる美しくて長大なバイオリン・ソロの部分がある。ここなんて、コンミスの三木清良の見せ場として原作では描いてないか? その演奏で、コンクール2位の屈辱を晴らし、ベルリン・フィルの師匠を納得させてないかい?・・・などと、逆に未だ目にしていない原作について妄想状態にどんどん陥る私であった・・・)

 全体を通すと、ほんとうに、通常の演奏会の実演で、この水準ホント滅多にないくらいの掘り出し物は、モーツアルトの「魔笛」の「夜の女王のアリア」とオーボエ協奏曲・・・・そうそう、もうひとつ、コンクールでライバルの弾いていた、ブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」は五つ星!! 「のだめの」演奏ではショパンの練習曲5ツ星、シューベルトのイ短調ソナタに4つ星半差し上げましょうか。千秋のピアノはどの曲でも最低4ツ星以上は差し上げたいアベレージの高さでしょう。特にラフマニノフの2番協奏曲は、こういうタイプのどっしり型の演奏がマジに私の好みです。

 【追記】:結局、劇場版後編公開にあわせて、今年の4月にこれらの音源が、かなり断片的なものまで、曲によってはのだめの「状態別テイク」まで含めて、数枚組でCDとして販売されてしまったらしいですね。単に既成の名演のオムニバスを組んで発売する(そういうのも当然先に出ている)という商売っ気よりも微笑ましい。

のだめカンタービレ コンプリート BEST 100

 DVDで音も十分だろ?で止まらないで、最後になって「ドラマでの演奏音源」それ自体までCD化するあたりが・・・むしろ「ファンの期待にどこまでも応えます!!」みたいで。

*****

 BGMも恐らく95%ぐらいは既成のクラシックの曲ですが、「この曲」が「このシーン」で「こうくるか!」と、時には吹き出したくなるくらいに選曲が効果的。このへんももともとクラシック愛好者だった方がいろいろと笑えますね(^^) 

 ミルフィの「強制送還」の前触れがマーラーの交響曲第1版「巨人」の第4楽章の冒頭の轟き、「逮捕」の直後に突如ブラームスの交響曲第3番の第3楽章、そして飛行機が飛び始めると、「巨人」の第4楽章の、今度はラストのファンファーレに一気にもう一度転じるとか(^^)。

 第10話の終わりの寂しいシーンで、ゆっくりと静かに流れるピアノのメロディが、実はベートーヴェンの交響曲第7番の第1楽章第1主題をものすごくスローに弾いたものであることにふと気づいた瞬間(録画したのを再生した2回めでやっと気がついた)は、そのさりげなさが心憎い(^^)vと思いました(^^) 

 この曲が「寂しく」響くBGMにできるというアイデア自体への感服。しかもドラマのテーマソングみたいなメロディだから、絶妙な隠し味なわけで。これは服部隆之さんのアイデアかな?

 そして、あの「口笛」は・・・ここはネタバレしません!

*****

 ちなみに、この作品、千秋の子供時代がプラハという設定になっているので(原作もそうなのかな? 指揮者さんの名前、セヴァスチャーノ・ヴィエラというのは何となくイタリア系っぽい名前という気もするけど私の認識不足?・・・・(追記:wikipediaで再調査したところ、原作はViella=フランスと国境を接するスペインに地名としてあり。Vieira=フランス語、ポルトガル語での人名、Vieraだと、パンソニックのTVブランドの綴りでもあり、スペイン語圏の名前になるですね。・・・・ということは・・・・スペイン隣のフランス生まれ???・・・・どちらにしてもラテン系ですね・・・・あ、正解がちゃんと某所に書いてあるではないか。)BGMで、ドヴォルザークの音楽がえらい贔屓を受けている気がする。ドヴォルザークは交響曲全集で3番以降なら繰り返し聴くくらいで、シューマンと並んで妙に思い入れのある私です(^^)。私の好きなスラブ舞曲作品72の第2番を繰り返して使ってくれているのは目の幅涙(TT)

 ただ、その私ですら、「このメロディづくりは絶対にドヴォルザークなのに曲の見当がつかない、悔しいーーー!」 と思ったのは、私が名前すら知らなかった「チェコ組曲」からの2曲とのことだ(ドラマ1話冒頭での、千秋のプラハでの子供時代の回想シーンでのっけから出てきて、その後も結構繰り返し出てくる、あの曲です)。

 あと一曲だけ、TVシリーズドラマ編で、どの作曲家のどの曲かわからないままの、マンドリン(キターではなくて)みたいな響きが入った曲がありますけど、意外と、5%ほどしかない筈の、服部さんのオリジナルBGMのひとつだったりして・・・

 【追記】 10/10/22 : 服部さんの「のだめカンタービレ」オリジナル・サウンドトラックのCDまでレンタルして確認しました。予想通り、このマンドリン曲は、服部さんのオリジナルBGMでした。「我が母校」というタイトルです・・・・ということは、TVシリーズで出てきたクラシックの曲でBGMでも演奏でも私にとって未知な曲=「CD所有していない」曲は、上述のドヴォルザークの「チェコ組曲」のみと確定!!)

*****

 そして、そのビエラ役のスデニエク・マーツァルという人は、名前にはっきり記憶があります。うちのCDひっくり返したら、ドヴォルザークで、どの曲かで出てくるのではなかろうか? 少なくともドヴォルザークの交響曲第7番かピアノ協奏曲のどっちかを若い頃初めて聴いた時の指揮者だと思います。

 ここ10年、クラシック系の雑誌も読まなくなり、CDをほとんど全く買い足して来なかったので、マーツァルがチェコ・フィルの常任も務めた(まさにこのドラマ制作の頃を含む時期!)ことを知りませんでしたが、ドラマ版で千秋君が「ドヴォルザーク・ホールでビエラ先生の演奏を・・・」と語るのにはウソはないことになります。「プラハ芸術家の家・ドヴォルザーク・ホール」こそかチェコ・フィルの「ホーム・グラウンド」ですから!!(このあたりのことは、wikipedia頼らなくてもスラスラ出てきます)

*****

 敢えて、現実の演奏会ではあり得ない突っこみどころを上げれば、ひとつは、たとえコンクールであっても、独立した曲、一曲終われば一度立ち上がってちょっと会釈はして次の曲に入ることが通例だろうということ。もっとも、のだめのコンクールでの心理状態は異常なテンションになってますから、これは「確信犯」的演出表現かもしれない。

 あと、最初にSオケが第7をした時でしたが、あそこまで多くの聴衆が身体を揺らすこともあり得ない・・・・とか、終演後にあんなふうに雪崩を打ってドミノ倒し(正確には「倒し」じゃなくて「立ち上がり」ですが)式のスタンディングオベーション(拍手)はしないだろうあたりですけど、ドラマとして嫌味がない品位は維持している気がします。

*****

 いすれにしても、コミックに親しめる素養がすでにあって、クラシック音楽を日常的に聴いて来たという視聴者も下手なツッコミ入れる隙が全くに近くないどころか、クラシック・ファンの方が余計にピンと来るくすぐりギャグすらテレビドラマで全開モード、そして演奏シーンや演奏そのものが期待を裏切らない。

 もちろん、ほんとうの業界内部の人や音大生の中でどう見られるのかは、私はわかりかねますが、第1線の国内のプロにも、この作品の少なくとも「ファン」を多数生み出したらしいことや、Amazonでの原作についての音大生のレビューとかも「音大なんてこんなものです」と好意的というあたりからすると、「あくまでも漫画」、フィクションだけど、それをはみ出す、人の心の琴線にふれる「何か」を持った域に「突き抜けてる」んでしょうね。

 かなり突飛な比較かも知れないですけど、少し前、CSで「チーム・バチスタの栄光」の続編らしい「ジェネラル・ルージュの凱旋」を観たんですが、その時に感じたゾクソク感にすら通じると言うと言い過ぎでしょうか?(堺雅人という俳優さんは、何考えてるかわからない、本心がなかなか読めない人間を演じさせたら、何とも妖しい魅力がある、今後の日本の男性俳優の中で稀有な存在になるのではないかと。そうか、「篤姫」の徳川家定役だったし、先日まで放送されていた「ジョーカー 許されざる捜査官」でも感じたのですが、それについては何か別の機会に書きましょうか)。

 Amazonで、あるレビュアーの方が「子どもから大人まで、家族全員揃って安心して楽しめる」という書き方をされていましたけど、確かに話が「ドロドロしない」ので、子供に見せたくないと感じる堅苦しい親は少ないでしょうし、音楽を媒体とした「ラブコメ」ドラマとして観る人は観るし、いつの間にか真剣に「熱血青春ドラマ(!)」として見る人は見るだろうし、視聴者層への間口が広い。

 それを、「クラシック音楽もの」という、なかなか期待通りの内容にならない、克服すべき課題が多いジャンルで、むしろ「原作のコミックのイメージをどこまで損なわないか」に演技面と音楽面の両方でとことん妥協しないでチャレンジして成功した、稀有な「実写」ドラマだということは、何か凄い「のだめ」ムーブメントがあったのだなと、痛烈に実感しました。

 あの人と「のだめ」の話しをもっと早くできる私だったら良かったのに・・・という相手が、幾人か思い浮かんで、後悔してしまうくらいなんです!!!

 ある意味で、ハリウッド系の下手な3D合成SF映画より「進んだ」、コミック文化国、日本の誇るべき「実写」テレビドラマとして歴史に残る・・・かも(国によっては、千秋ののだめへのあまりにマンガチックな仕打ちは、女性への「過激な暴力シーン」みたいに見られるでしょうが^^;)

 公式サイトで、原作者の二ノ宮さん自身、「なるべく音楽に失礼のないようにすること(を大切にした)」とコメントされていますが、そこに「クラシックももともと好きな原作ファンを決して失望させない」「クラシックともコミックとも縁がなかった通常の21時台ドラマの視聴者も何の先入観なく楽しませる」という、更にワン・ステップ先の奇跡が生じたドラマ作品なんでしょうね。

******

 ・・・・などと、今頃になって興奮して書いている私の様子に、「何を今さら」と思われるのは承知です(^^;)

 個々の俳優さんは現在4歳分年齢を重ねていると思いますが、これが今年制作されたドラマだと言われても何も違和感がないくらいに思います。原作ものの場合、再放送のたびごとにそれ相応の著作権料を余計に放映局が払うのかどうかまでは存じ上げませんが、劇場版が終わってしまったたこれからも、非常に息が長く再放送されたりするのではないでしょうか。

 内容的に、古さを感じさせる可能性が当面なさそうに思えてならないし、後述するように、現在、いよいよこれからこそ「旬」に差し掛かったのでないかと思える第一線の(少なくとも「のだめ」ドラマ化段階では)20代の実力派人気俳優さんがたくさん出演しているみたいですからね。

 原作者の公式サイトで、原作は、実は不定期にせよ「アンコール編(オペラ編)」までつい最近〔8月!!)まで「連載されていた」・・・・と知って、驚いた私でもあります(^^)。

 現在、Googleで検索かけようとすると「のだめ」と入れるだけで「25巻」という言葉が選択肢にすぐに並ぶ。実は現在24巻までしか出ていないので、今か今かと、最終巻を待っている読者さんがたくさんいるということでしょうね。

*****

 原作は、アマゾンのアフィリエイト・ポイントがもう数百円貯まると出費なしの大人買いで一気に手に入れられそう。

 劇場版との間をつなく「パリ・スペシャル」前後編あたりはレンタル屋に置いてくれてると助かる。

 なお、劇場版「最終楽章」前編は、もうすぐ、10/10(日)、21:00にCSの日本映画専門チャンネル(恐らく大抵の地域のケーブルテレビでは特別料金なしでアナログ受信できるチャンネルでしょう)に登場します。

【追記10/11】実際に劇場版前編を観てからの感想はこちらです。

*****

 以下は余談:

 「コントラバスが歩いている」小柄でキュートな女の子、佐久桜役の子、サエコ・・・どこかで何か名前聞いたな・・・・と思ったら、このドラマの出演後、ダルビッシュと結婚した人なんですね(^^)

 そして、この「のだめ」の主要出演者のうち少なくとも3人が、来年のNHK大河ドラマ、「江〜姫たちの戦国〜」の主要登場人物と重なるというのは・・・今の若手俳優さんについて無知に近い私も、ほんと、実力者揃えていたんだな・・・と感心致します(^^) 

(のだめ=上野樹里=江、コンミスの三木清良=水川あさみ=初、プレイボーイのチェリスト、菊地(=先日まで水木しげる)=向井理=徳川秀忠。更にいえば、峰龍太郎=瑛太=「篤姫」の小松帯刀・・・NHK大河ドラマの重要な役をこの後つかんだ人、他にもいるのかな?)

*****

 今の段階でしたら、もう、少なくともドラマ版のTVシリーズについては、「ネタバレしてます」とかいうお断りも全く不要だろうというつもりで、勝手な憶測全開で、恥も外聞もなく書きました(^^)

 たいへん僭越かも知れませんが、劇場版までずっと観たという皆さんへも、改めてTVシリーズをDVDレンタルしてでも再度ご覧になるささやかなきっかけにもなれば幸いです。

*****

 「のだめ」ネタは、原作だとか劇場版だとか、私がこれから焦ることなく実際に触れていく中で、またブログでも言及することがあるかと思います(^^) 

 でも、これ以上の「ネタバレ」や細かすぎることまでは書かずに、さらっと書くでしょう。

 今回は、ともかく、多くの皆様より遅れてきた「のだめ」ショック状態に陥った私に免じてお許しを m(_ _)m

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2010/02/08

浜崎あゆみの詞における「僕」と「君」、「わたし」と「あなた」 -サリヴァン的次元で解説してみよう- (第2版)

 浜崎あゆみさんの詞って、驚くぐらいに具体的なシチュエーションが出てこない。

  •  地名・・・ゼロ。それどころか「海」という言葉は出てきても、「山」「川」はひとつもない。
  •  人名・・・中島みゆきなら「♪真理子の部屋に、電話をかけて(「悪女」中島みゆき - 寒水魚 - 悪女 (アルバム・ヴァージョン))」と出てくるくらいの、一般化した次元でもゼロ。
  •  学校時代をイメージさせる表現・・・・ゼロ。唯一の例外が、浜崎あゆみ - A BALLADS - 卒業写真荒井由実の「卒業写真」をカバーしたケースだけであるという、驚くほどの徹底性。
  •  「僕」「君」「あなた」という人称を異様に多用する。「彼」「彼女」も例外的では?

 そして、そもそも「君」「あなた」が誰なのかが非常に曖昧で多義的で、どのようにでも受け取れ、再解釈できる

  • 生身の「濱崎歩」
  • アーティストとしての「浜崎あゆみ」

    (ベスト盤浜崎あゆみ - A BALLADS"A Ballads"の最後に収録された「卒業写真」のカバーそのものが、「街で見かけた」かつての自分のポスター等との対話というシチュエーションで理解してもらうことをayuははっきり狙っていたと思う。アルバムジャケットも、←こんなふうですからね)
  • 聴衆
  • 過去の、そして現在の同性の親友たち。
  • 父親
  • 過去の、そして現在の異性の知り合い(max松浦もそのひとりだけど、それだけ強調するのは明らかに偏った理解。最近はさすがにこのこじつけはいい意味で廃れましたけど)
  • 過去の恋人
  • 現在の恋人
  • 聴衆にとっての大事な人

 ・・・ちょっと年季が入ったayuファンなら、実は今私が箇条書きにした順序くらいでとりあえずいくつも当てはめていくのが無難であることに気がついているかと思う。

 "teddy bear"浜崎あゆみ - Duty - Teddy Bearや"memorial address"浜崎あゆみ - Memorial address - Memorial Addressの「あなた」がもっぱら父親のことを指す、"ever free"浜崎あゆみ - Vogue - Ever Freeは亡くなった祖母のこと・・・などと、特定的に捉えていい・・・といったケースというのはむしろ例外的なのである。

 要するに、ayuの詞というのは、非常に純粋な形で、「外的」および「内的」な「二者関係」に無限に「投影」させ、「転移」させることに開かれ切っている。

 
似たようなことは、他の歌手でもある程度は曲によって見られるが、ayuのように「首尾一貫した厳密な方法論」と言える域の人を、私は知らない。

 ayuは、本当にこの経験則だけで詞を書き続けていられる。裏を返すとayuのような詞を他人が「模作」しても容易にメッキが剥げる筈と断言できるくらいである。

*****

 この現象をうまく説明するのに役立つ、私の守備範囲に入っている精神療法家は、誰をおいてもサリヴァンである。

 私はこのことを公然とネットで書いたことが実はないままなことに、直前の記事でサリヴァンに言及した際に気がついた。

サ リヴァン/現代精神医学の概念(中井久夫訳)

 サリヴァンが、 本書で、「パラタクシス的(parataxic 私なりの意訳をすれば「相互転移的=投影的二者関係の次元」)なもの」と呼ぶ対人的相互作用の次元での象徴化・言語化様式と、まさにぴったり符合するのだ。

=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======

 (前略)この合理化とは、実は「個性とは一人一人独自なものである」という妄想の特殊な一側面である。それは、「概念としての『私』と「概念としての『あなた』(conceptual "me" and "you")がそれぞれ特異的な境界線をもっているためにどうしてもそのように考えられてしまうのであるが、実際には、「概念としての『私』や『あなた』とは、個人の知覚の舵取り役をつとめるもののその人の経験の意識可能な範囲を限定する参照枠[frame of reference]となるものに過ぎない(邦訳p.111)。

=======引用終わり=======  

 サリヴァンは凄まじい逆説を述べているので、一見難解だが、ちょっと解説してみよう。

 サリヴァンは、本書の別の箇所で、「我々は、基本的には同じような人間である」という前提が大事ということを述べている。

 これは、一見「個性」というものを否定しているかに見えかねないが、一見精神病状態になるかに見える人間でも、基本的には自分と同じような人間として捉える基盤が大事だということを強調していると受け取れるだろう。

 そして、「個人」という自己完結的システムとして人間を捉えるのではなく、「対人関係的相互作用の場」過程という次元でとらえることを基本スタンスとしていることこそがサリヴァンの本質なのだ。

 この点はジェンドリンも「人格変化の一理論」の削除された草稿部分(TFI日本語サイトで村瀬孝雄訳を閲覧できます)で、サリヴァンとの比較論に紙数を割いて評価している。

 「性格は、対人関係の関数である」

・・・・サリヴァンの、もっとも有名な言葉のひとつである。

 ひとは、自我を持つ存在として他者と関わる限り、「共人間的有効妥当性確認(consensual validation)」ができる形での言語での意思疎通の能力を身につけねばならない。

 この"consensual validation"という概念は、中井先生の「超訳」の典型として著名だけれども、わかりやすく言えば「お互いに話が『通じあう』水準での言語使用になじむ」必要がある、ということ以外の何者でもない。対義語は、端的に、「自閉的(autistic)な言語使用ということになる。

 もとより、人はこの能力の獲得の過程で、「自己態勢(self dynamism)」から「私-では-ない-もの(not-me)」として解離しなければならない有機体的経験の膨大な領域を持つことになる。そのある部分は容易に他者に投影され、ある部分は端的に「否認」されることになるだろう。

 しかしそれはサリヴァン的な見地からすれば、人がその所属する文化に適応(accultualization)していくための必要悪でこそあれ、さまざまな精神的失調・・・・正確に言えば、そのは単に「個人内」の現象ではなくて、「対人的相互作用」における齟齬ということになる・・・・の温床でもある。

 そうした意味で、アイリッシュ系であるサリヴァンは、WASPを中心とする当時のアメリカの価値観がアメリカの青年、特に前思春期の男子の成長に与える悪影響についてむしろ非常に尖鋭な批判者であったことは是非とも述べておかねばならない。

*****

 さて、こうした前提で、「パラタクシス的なもの」自体についてのサリヴァンの言葉を引用しよう:

=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======

 パラタクシス的[paretaxic]な対人的関わり方とは、話し手の意識の枠内におさまるような内容規定を持った対人関係と並んで[="para-"=並行して] 、影が形に添うように、もう一個の対人関係が存在し、対人的なかかわり合い方の傾向が前者とは全く異なり、しかも話し手はその存在をまず完全に意識していない場合である。

 パラタクシス的な場においては、精神科医と患者とから成る二人組と並んで、ある特別な『あなた』パターンに迎合するように自己を歪めた精神科医」と「未解決の過去の対人的なかかわり合い追体験しながらそれに対応する特別な『私』パターンを現している患者」とから成る幻の二人組がある。コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、この移動が稀にしか起らないこともあるが、いすれにせよ、普通、話し手の気の配り方は、結構ちゃんとしていて、活用や語法、語順などまちがわないで文法に適った言明を作ることができる。そのため一見首尾一貫した議論の立て方となる。またかなりはっきりと聞き手を意識した語りかけ方となる。(邦訳pp.112-3)

=======引用終わり======= 

・・・・この最後のパラグラフなんて、全くもってayuの歌詞のありかたそのものについて言及していると言えるだろう。

 ayuって、びっくりするくらいに、はるか以前の対人関係のことを意識し続け、ひきずり、繰り返し歌い続けずにいられない人のようだ。

 このあたりの具体的な解析と人物の同定については、王子のきつねさんのブログの随所で繰り広がられてきた情報収集力と慧眼と説得力に私はとてもかなわない。

 念のために申し上げると、いわゆる「成熟した」対人関係を持つ人間同士でも、この「パラタクシス的」次元は容易に顔を出す。ベイトソンのいう「ダブル・バインド」も「パラタクシス的なもの」の特殊な形態のひとつといえる。

 興味深いのは、高機能自閉症の人にとっては、まさにこうやって「影のように寄り添う別次元の対人関係様式」という、いわゆる「健常者」が全く無自覚に撒き散らす「含み」の成分というものを厳密に「理解」「識別」できないとパニックに陥る場合があるということだ(私は発達障害の専門家ではないが、当事者やご家族の話をうかがう限り、いわゆる「アスペルガー」タイプの皆さんの少なからず場合にあてはまりそうだ)。

******

 ちなみに、先程の引用部分で、

>コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、

と述べたが、あゆの場合、同じ歌の内容が同じシチュエーション、同じ相手を指すと強迫的に捉えようとすると意味が全体として通じにくくなるケースが稀ではない。

 これについては、先述のきつねさんが、"(miss)understood"(アルバム名ではなくて曲の方浜崎あゆみ - (miss)understood - (miss)understood)について、見事な分析をしている。

●甘いスイカに砂糖をかける(王子のきつねOnLine)

●Miss Understood Lyrics - 浜崎あゆみ (English and Hiragana)(YouTube)

 私が大好きな歌です。

 ここでいう「君」って、全部ayu自身のことを指すものとして理解しなおしてみるだけで、ぐっと深みが出ますよね(^^)

*****

 もうひとつ、アルバム"(miss)understood"の「心臓」であり、もっとも深みある曲のひとつと私が感じている、"In the Corner"浜崎あゆみ - (miss)understood - In the Corner

●Ayumi Hamasaki - In the corner(YouTube)

 ちなみに、この歌詞を聴いて、ayuのことを「ボーダーチック」だとか"as if personality"だとか言い出すのは、私は心理の学部生までしか許さないから(^^)。

 自分のことを振り返ってみるとどうだろう?

 「まずは罪なき者が石を投げよ」。

 相手への愛情を一瞬たりとも疑ったことがない人がいるとすれば、そういう人のほうが無理のしすぎで心配である(^^)

 ayuは、素直なだけなんだよ。

 あるいは時々、聴衆を意識して、こういうことを敢えて歌にして「予防ワクチン」をファンに打っておかないと、自分も持たないし、ファンも危ういと感じているだけ。

 そういう意味ではほんとに「ファンに気を使っている」からこそ、こんな、ファンを「脱錯覚(disillusion 幻滅)」させる危険がある「暗い曲」をアルバムに入れておく。

 私が聴いた、アルバム発売時のツアーの、少なくとも長野2日めと代々木の楽日という、私が臨席した2つのライブでは歌わなかったけど、最近はライブでも歌っているらしい。

 私なら、ayuをむしろ、若干分裂気質も合質しながらも、高エネルギー型執着気質をベースにした、適応水準の高い双極2型に分類する(・・・・って、それこそ私自身のパラタクシス的「投影」でもあるかもしれないけどね)

浜崎あゆみ/(miss)understood (DVD付)浜崎あゆみ - (miss)understood

(楽天市場の同商品)

*****

 最後に,YouTubeの「公式」動画より。

 敢えて次の初期の曲で、私が最初に提示した「君」の読み替えを徹底的にやってみてください。

●浜崎あゆみ / TO BE(YouTube)浜崎あゆみ - A COMPLETE ~ALL SINGLES~ - TO BE PVはTO BE

浜崎あゆみ/A COMPLETE ~ALL SINGLES~ (DVD付き)浜崎あゆみ - A COMPLETE ~ALL SINGLES~

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2009/12/27

不世出の名歌手、マリオ・デル・モナコ

 ドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスといういわゆる「3大テノール」が束にかかってもかなわなかったのが、「黄金のトランペット」と呼ばれたデル・モナコである。

 日本では、1960年代初頭の「イタリア歌劇団」来日公演が、当時レコード会社との専属契約で不可能だった、「奇跡のオール・スターキャスト」での伝説的な名唱と呼ばれており、欧米でもこの時の映像が繰り返して放送されているようだ。

 まずは、そのイタリア歌劇団来日公演の中から、映像がYouTubeでみつけられたものを4つ(NHKの放送で私も何回か観ています)。

●Leoncavallo.Pagliacci.Vesti la Giubba.Mario del Monaco(YouTube)

 デル・モナコの当たり役、レオンカヴァルロのヴェリズモ・オペラの至宝、「道化師」より、カニオの「衣装をつけろ」Francesco Molinari-Pradelli, Mario del Monaco & Orchestra dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia - Mario del Monaco - Grandi Voci - I Pagliacci: Recitar!...Vesti la giubba

●Simionato & del Monaco - Final duet (Carmen - Tokyo 1959)(YouTube)

 ビゼーの「カルメン」の終幕の場。デル・モナコは当然ドン・ホセ役です。カルメン役はシミオナート。この、「切ったら血が出る」迫力は凄いというしかない!! これと対抗できるのは、カルロス・クライバー指揮によるウィーン国立歌劇場来日公演での、ドミンゴとオブラスツォアのライブ(DVDで持ってます!)だけでしょうね。

●Mario Del Monaco in Otello 1959 "Esultate"(YouTube)

 デル・モナコといえばウィルディの「オテロ」こそ当たり役。永遠の語り草とされる、第一幕のオテロ登場の瞬間!!Herbert von Karajan, ウィーン国立歌劇場合唱連盟, Mario del Monaco & Wiener Philharmoniker - Verdi: Otello - Otello: Esultate!

●Mario Del Monaco Tito Gobbi Otello (vaimusic.com)(YouTube)

 ↑そして、ゴッビ演じるイヤーゴと、最後には「超鬼気迫る」掛け合いに盛り上がる名シーン。埋め込み無効リクエストですので、YouTubeサイトでご覧下さい(^^)

●Mario del Monaco sings O sole mio in Tokyo(YouTube)Mario del Monaco & Ernest Nicelli - Mario del Monaco - Grandi Voci

 「特別演奏会」(ガラ・コンサートですね)で「飛び入りで」歌った、「オー・ソレ・ミオ」。オーケストラに楽譜の準備がなくて、ピアノ伴奏になったそうですが、これ、レコードになった演唱よりも凄い気がする。・・・・このくらいのこと、即興で楽々だったんですね(^^)

 ↓おまけで、「オー・ソレ・ミオ」と並ぶカンツォーネの名曲、「帰れ、ソレントヘ」。Mario del Monaco & Ernest Nicelli - Mario del Monaco - Grandi Voci - Torna a Surriento

●Mario Del Monaco "Torna a Surriento"(YouTube)

オ・ソレ・ミオ / ビー・マイ・ラヴ ~デル・モナコ・ソング・アルバム

オテロ*歌劇 [DVD]

道化師*歌劇 [DVD]

ご参考までに、私の愛蔵している、カルロス・クライバーのビゼー:歌劇《カルメン》全曲 [DVD]

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2009/12/24

両親と「第九」を聴く

 昨晩は、両親と、久留米のとなりの佐賀県鳥栖市郊外、田代近辺にあるライブステーキハウス、「花やしき」 本店で、「第九」のディナー・ショーを堪能して来ました(^^)

 「第九」に行くのだとは父に聞かせれていたのに、なぜかJR鳥栖駅までしか辿り着きようもない切符を、待ち合わせた駅で渡され、鳥栖駅からどんどん人里離れた山里に向かうではないか!

 私の父は物事を普段はひどく「婉曲に」「思わせぶりに」言うところがある(この点ではひどく保守政治家的である^^;)ので、まさか父自身が別の日の「第9を歌う会」に参加しているとかいった、とんでもない仕掛けになっていて、昨晩は普通にちょっとしゃれた郊外での飲み会なのかと途中で妄想に走りましたが、・・・・・まさかこんな隠れ里のようなところで、ディナー・ショーの第九があるとは。

 関東だと、軽井沢辺りにありそうな、センスのいい瀟洒なお店でした。

K3100153_s

 ベートーヴェンのシカゴ交響合唱団, Chicago Symphony Orchestra, Hans Sotin, Jessye Norman, Reinhild Runkel, Robert Schunk & Sir Georg Solti - 決定版!ベートーヴェン - ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125《合唱》:第4楽章:プレスト-アレグロ・アッサイ 「第九」(もちろんピアノ伴奏、しかも第4楽章から管弦楽前奏を省き、それ以降もやや短縮したバージョンですが)の前に、クリスマス・キャロルや、フォーレの歌曲(「夢の後に」や「ラシーヌ賛歌」)、ドイツ・リート(私の定番だったシューベルトのDietrich Fischer-Dieskau & Gerald Moore - Schubert: Lieder - Erlk?nig, D. 328 (Op. 1): Wer Reitet so sp?t「魔王」も含みます)、イタリア・オペラのアリアが続き、知ってる曲しか出てきませんでしたので、こういちろうはたいへんご満悦だったのだ(^^)

 特に、私がキリ・テ・カナワの名唱のライブLDで溺愛してきた、プッチーニの歌劇「つばめ」Kiri Te Kanawa - Kiri Te Kanawa - Artist Portrait 2007 - Puccini : La Rondine : Act 1 "Chi Il Bel Sogno Di Doretta" [Magda]ドレッタの美しい夢という、(CMでも使われたことありますけど)ちょっと「通」向けのアンコール・ピースを第9の前に聴けたのが嬉しくてたまらなかった。

 この曲、ピアノによる前奏からして、もう、ここまでしゃれたタッチの、しかし円熟した無駄の全くない完成度の、イタリア・オペラのアリアはないと、ずっと思っていたので。

●Kiri Te Kanawa-Chi il bel sogno di Doretta

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2009/12/23

「肉食系」的なやさしさ (第2版)

・・・・・というものがある気がしてきた。

 それは、いわゆる「草食系」のやさしさとは何か次元が違うのだけれども、今の日本(の特に若い男性)に、再度賦活されていく必要があり、それが今後の日本の舵取りの鍵を握ると思えるのである。

 Wikipediaによれば、「草食系男子」というのは、200610月に深澤真紀が『日経ビジネス オンライン』で連載している「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で「草食男子」として命名されたのがことのはじまりであるとのことだが、私はその原典やその後に続いた著作を読んでいるわけではない。

 しかし、広い意味で女性一般の方は何らかの意味で「肉食系」の側面を発現し続けて来た人が多い(これは見かけ上大人しめであるかどうかとは無関係。そのことに気づかないでいる男性がいるとすればちと御目出度すぎる)ものだから、余計に浮かび上がってきた現象ではないかと考えている。

 そして、私なりのネットフィールドワークの結果到達したのは、(数年前の小林よしのり信者がたくさんいた頃はまた別かもしれないが)、少なくともここ2,3年のネットのプチ〇翼の若者は、実は揃いも揃って「草食系」である、いや、「草食系男子」の心性と非常に親和的なものとしてプチ〇翼というスタンスが、非常に広範な若者に、ネットでこの種の発言をする匿名ピープルよりも相当に裾野が広い形で浸透しているというのが私の結論である。

 彼らはもはや、例えば小林よしのりや石原慎太郎に当たるような特定の「頭目」を押し立てることすらしない。フラットランド化したネットの2次情報,3次情報をシェアするだけで群れている、徹底的に「顔のない」集団である。

 ・・・・ちなみに私は"SPA!"を離れる以前の「ゴーマニズム宣言」の愛読者で、感想をしきりと送っていた人間であり、その頃のよしりん氏に「八王子の阿世賀浩一郎は凄い! 参考になる」と、コマの欄外でコメントされ(今刊行されている単行本のバージョンにも載っているかどうかは確認していない)、公式「ゴー宣」本にかなり長い感想文が実名で載っている人間である。

 "SPA!"との関係を辛抱し切れなくなったところで、小林氏はあるバランス感覚を喪失したというのが私の意見だが、それでも、「新しい歴史教科書をつくる会」との関係を絶つ時でしたか、「日本のこの種の人たちがアメリカとの関係ということになると急に態度を変えるのが納得がいかない」という趣旨の発言をしたことに関してはある共感を覚えた。

 ちなみに、よりのり氏も私と同じ福岡県出身である。最近の私のネット上での物言いに、思想それ自体というより、発言スタイルの点で、時々「ゴー宣」調のノリが無意識のうちにも出てしまってるあたりに我ながら苦笑している。福岡県人独特の、いざとなると嵩(かさ)にかかって斬り込む、直裁な「喧嘩節」の伝統という点では共通のルーツなのかなと(^^)

 宮崎哲弥さんが久留米出身で、今年初めて久留米で講演会を開いた時のことはこちらの記事で書きましたが、そういえば、今、自民党内部を引っ掻き回す発言をしている舛添要一さんも、(その政治姿勢にすべて賛同するわけではないが)北九州(八幡)出身の苦労人だものな・・・

*****

 実は、そういう、「いざとなると嵩(かさ)にかかって攻め込む」気概をむき出しにできる人間にしか発現しない、「肉食系のやさしさ」というものがどうもあるようだ、という気がしてきたのだ。

 少なくとも私の中で、明らかに、そういう意味での、潤いある「やさしさ」と「包含力」、むしろ「献身性」ですらあるものが、ここしばらくの間に、特にリアルワールドにおけるクライエントさんやオフィシャル・プライベートを含む人間関係の中で発現してきている気がする。

 それは決して「暑苦しくて」「脂肪分が多い」、「押し付けがましい」ものではないようなのだ。それは、狩人をしていない時の豹の母親が子供たちに対して示すような、何かそういう質の、静かな「母性」に近いもののようにすら思う。

*****

 それとどこまで関係あるかどうかわからないのだけれども、昨日東京に日帰り出張した時に、ANAの機内誌、「翼の王国」12月号を読んでいたら、「日本"山水”探訪記」というグラフィック特集で、「熊本・鹿児島編」として、「南九州の空と土」という記事に大部が割かれていた(pp.40-63。文・絵:堀越千秋 写真:阿部雄介)。

 装飾古墳として著名な熊本県山鹿市のチブサン・オブサン古墳、延々と続く謎の地下トンネル遺跡として著名な玉名郡菊水町の「トンカラリン」、鹿児島県南九州市川辺町の「清水(きよみず)磨崖仏群」、熊本県人吉市の青井阿蘇神社、熊本県上益城群山都町の、江戸時代を代表する潅漑用水道路の要というべき、古代ローマの水道橋を思わせる、時々の放水で著名な「通潤橋」などが取り上げられていた。

 それらの記事を眺めている時に、私は何ともいいようがない次元での、ほとんど元型的な次元での「血の共感」を覚えずにはいられなかったのである。

 すでに何回も書いてきましたが、福岡市から南に向かい、大野城市のあたりの地峡を越えて筑紫平野に入り、筑前の国から筑後の国に入り、更に筑後川を渡ってしまった久留米に入った途端に、同じ福岡県でも、古代からの文化の質は一変して、むしろ熊本県とも通底する「中九州」文化圏の北限に位置した土地ととらえる方が自然である。

 厳密には博多弁と久留米弁はかなり異なり、久留米弁はアクセントが明瞭ではないという点では日本の方言の中でも特異な位置を示す。(わかりやすくいえば「橋」と「箸」の音韻上の区別というのは、久留米人は学校教育を経ないとできるようにならない)。

 その「異様に平坦に」流れるような早口は、我が郷土の生んだ、本名「蒲池法子」さんに、実例をお示しいただこう(^^)(この番組、放送された時に観た記憶があります)

●松田聖子の久留米弁 その1(YouTube)

●松田聖子の久留米弁 その2(YouTube)

 ・・・・・私は父親が「大陸育ち(標準語圏)」だし(かなり久留米弁を戦後身につけましたが、母親の「ネイティブな」古式ゆかしき久留米弁ほどではない)、私自身は「久留米附属」(「久留米大付設」ではありません。聖子さんの確かお兄さんが「付設」出ですよね)という、教員養成大附属小中学校という、地域社会とは切り離された中で成育し、更に30年も関東暮らしをしたので、とてもとても聖子さんのように鮮やかなギアチェンジができる人間ではありません(^^)

 でも、私が「異様に早口でのっぺりした標準語」で延々と話す時があることは、ライブこういちろうをご存知の、特に同業者の皆様は、時々、ついて行けなくお困りのことがあろうかと思います(^^)

*****

 ・・・・話を本題に戻すと、久留米南部地域というのは、大和時代の豪族、磐井の乱(525年)でも日本史に名を残すように、ヤマト政権からは独立性が高い、ダイレクトに大陸側(新羅と書かれていますが)との交渉を維持した勢力が、かなり後の時代まで維持された土地柄です。

 記紀の世界で「熊襲(くまそ)」とされた民(ヤマトタケルの征伐神話からすれは一応2世紀頃に相当するが、これはどうみても「前倒し」の可能性が高いが)は熊本県球磨地域に一応同定されている。一応、「熊襲」よりも、その勢力はしぶとく残ったことになるとも言えるわけである。

 いくら当時までのヤマト王権の正当化のための歪曲ありとはいえ、「磐井の乱」を伝えた日本書紀は、物語的な古事記と異なりまだしも歴史書としての体裁がしっかりしており、編纂時から遡っても「200年未満」の時点で起きた事件についての著述には、何らかの史実の裏づけは濃厚と思える。

 私自身は、邪馬台国九州説は根拠薄弱という立場です(オーソドックスに、奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)を卑弥呼の墳墓とみなしたい)が、大和地域よりは、黒潮に乗った東南アジア、南洋地域、中国南部、そして朝鮮半島寄りの経路で中国北部との頻繁な交渉がダイレクトに早期から形成されていたであろう九州の持つ政治的独立性は、実際には九州北部沿岸のごくごく一部の地域を点と線でつなぐ形でしかヤマト政権の安定した覇権を置き得ない状況に、少なくとも663年の白村江の戦いの直前の頃まではあったのではないかと思います。

 なぜ天岩戸伝説を日向の高千穂峡天孫降臨の神話を同じく日向の高千穂峰(もっとも、前者には異説がある)に同定しなければならなかったのか? これもそれだけ南九州にもともと強大な勢力があり、それを実際の歴史上は大化の改新(646)以降、天智・天武朝の頃にやっと臣従させた上で、その地域の神話(むしろ朝鮮か南方由来)と中国神話を加味して歴史を「数百年遡って塗り直す」だけの必然性があったればこそでしょう。

*****

 いずれにしても、久留米以南の中九州・南九州文化圏には、ちょうどヨーロッパ諸国が、ローマ帝国以前の原住民やゲルマン民族の歴史をキリスト教で塗り消し、地下に潜伏させたのと同じように、後のヤマト政権が上塗りして完成された「ヤマト民族主義」を一皮向けば、より古い層の元型的な無意識の世界が容易に溢れ出す地域性というものが潜伏しているのではないかと思います。

 それが、幕末における薩摩や佐賀を中心とする倒幕・維新勢力、あるいは真木和泉守ら、久留米の勤皇の志士に活躍の舞台を与える原動力にもなり、筑豊炭田で鉱夫たちが使う地下足袋の大量生産に起源を発する、ブリジストンの創業者、石橋正二郎(鳩山金脈の元はここにある!)をはじめとする日本の主要ゴム3社の発祥の地を久留米とし、そして、今日に至るまで、井上陽水、武田鉄矢、チェッカーズ、松田聖子や浜崎あゆみをはじめとする芸能界から、政治に至る様々な人材を関東に送り続ける、過激なまでの「上京指向」の人材バンクとして福岡が機能し続ける原点にあるのだと思います。

 私も、そのような福岡の久留米が生んだ「異能者」(?)として、関東での30年をむしろ「踏み台にして」、今後、地元久留米に根を張って、はじめて「地に足が着いた」形で、50代という一番脂が乗り切ったこれからの10年、身体が衰えを感じないうちに、本来のパワーを発揮し尽くせることを祈っています。

 BGMは、「エヴァンゲリオン」の、高橋洋子による、高橋洋子 - 魂のルフラン/心よ原始に戻れ - EP「魂のルフラン/心よ原始に戻れ」 以上にぴったりなの、ないでしょ?

そして、高橋洋子 - 残酷な天使のテーゼ 2009VERSION - EP「残酷な天使のテーゼ」もまた、久々に「封印を解いて」聴き返して、「肉食系の母親」の歌なんだとつくづく感じて、ふと目頭が熱くなったこういちろうである・・・・

 私がこのブログで、ずっと封印してきた、過去の軌跡、「エヴァ」。

・・・・・というわけで、もはや私には1円の稼ぎにもならない(・・・・あ、アフィリエイトで中古買ってもらうと少しはポイントになるのか・・・・)本の宣伝も久々に(^^;)

阿世賀浩一郎/エヴァンゲリオンの深層心理―「自己という迷宮」

*****

 更に、まさに我が母校に教育実習においでの際に、リアルのお姿を拝見した、「武田先生」に捧げる(?)、海援隊 - Acoustic Live ~君の住む町へ~ - 母に捧げるバラード「母に捧げるバラード」(Live)

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2009/12/20

浜崎あゆみの"Connected"のPVってアニメなんですよ。

 "Connected"は、ayuの曲の中でも、作曲・編曲:Ferry Corstenという、バリバリのトランス・ミュージックとして、知る人ぞ知る超名曲です。

Ayu/Connected

 ドイツ輸入盤ですが、このバージョンがお勧め。音質もデタラメにいいです。

 さて、この曲のPVが、もろ"AKIRA"調の、全編アニメーションということを知っている方は、ayuファンでも限られているかもしれない。

●浜崎あゆみ / Connected(YouTube)Connected

 ただ、このPV、ayuのPVとしてはほんとうの成功作かどうかという思いがあります。

 なぜなら、ayuがこの曲で「私たちはどこでも繋がっている」と歌い上げているのは、こんな「電脳空間での猥雑なconnection」の次元なんてはるかに超越したスピリチュアリティに開かれたものだから。

 この曲に対する、実験的な「ひとつの解釈」として受け止めておくのがいいかと思います。

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2009/12/17

浜崎あゆみの"Momentum"と"No Way To Say""CALOLS"が似合う季節になってきました。(第2版)

 急に冷え込む日が少なくなる中、私の身近にも、クライエントさんにも、体調の維持に苦労されている皆様が決して少なくありません。

 どうかご自愛下さい。

●浜崎あゆみ / momentum(YouTube)momentum

●浜崎あゆみ / No way to say(You Tube)

●浜崎あゆみ / CAROLS(YouTube)CAROLS

 なお、この記事は、"No Way To Say"も抱き合わせた以外は、王子のきつねさんの記事のほとんどパクリです(^^;) きつねさん、お許しを。

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2009/12/14

「未熟型うつ病」とは何なのか? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(2)-

 昨日は、県臨士会のSC研修会でネットは一日お休みしました(お会いできた皆様からたくさん刺激をいただけたことに、心から感謝申し上げます)。

 やっとこの記事の続編(・・・・というか、結論は先に書いてしまったことにもなりますが)を書かせていただききます。

*****

 午後の部の講演に招聘されていた講師の先生は、自治医科大学で奉職されている、精神科医の阿部隆明先生でした。

 先生は、「新型うつ病」の一類型としての「未熟型うつ病」概念の提唱者です。私がこのブログで繰り返しご紹介してきた、内海健先生や加藤忠史先生ともお親しいようで、いわば日本のうつ病治療の最前線におられる先生のお一人です。

 講演のタイトルは、『現代の多様なうつ病像とその治療』でした。

 いわゆる「新型うつ病」や「双極スペクトラム障害」をはじめとする現代日本のうつ病の諸相について、これほど明確かつ立体的に解説していただいたことはない、と申し上げたいくらいに素晴らしい内容で、参加させていただいて、本当によかったと思っています。

*****

 まず、この先生のスタンスでたいへん興味深かったのは、下田光造が1943年に提唱した、うつ病の病前性格概念としての「執着性格」と、1961年にドイツのテレンバッハが提唱した、同じく、うつ病の病前性格仮説としての「メランコリー親和型性格」を、共に、クレッチマー以来躁うつ病の病前性格として提出された来た「循環気質」に対して新たに提出された、両国の高度成長期に生じた、当時の「新型うつ病」概念であると、明晰にお語りになったことです(この点では、内海先生の路線と明確に符合しますね)。

 そして、「執着性格」が、こだわり、几帳面、完全主義的自我理想に動機付けられた高エネルギー型であるのに対して、「メランコリー親和型」は、秩序愛と他者のために尽くすことに動機付けられ、周囲への罪責感という超自我的な動機付けで動く、むしろ弱力型のうつの病態であると解説してくださいました。

 中井久夫先生のご著書(確か、「分裂病と人類」)で、ドイツにおいても、メランコリー親和型性格は、男権的なドイツ的価値観からするとあまり評価される性格ではないということはお読みしていましたが、なるほどと思った次第です。

 もっとも、日本の高度成長期においてはメランコリー親和型性格は、少なくとも、重責に就く以前のサラリーマン道徳としては、明らかに「適者」の存在様式であったことになります。

*****

 「双極スペクトラム障害」についての先生のご解説も、今や0.5型から小数点0.5刻みでVI型まで提唱されているそうで、興味深かったのですが(私個人は、原則的に、DSM-Vで双極スペクトラム概念が気分障害の「大分類」として導入されることに大きな期待をかけているひとりです)、詳細になりすぎるのでここでは割愛させて頂きましょう。

 むしろ、先生が、「軽症うつ病で安易に抗うつ薬が処方され過ぎている」こと、そして、「抗うつ薬をトリガーとした躁転」という問題の重要性をやはり強調されたことは特記しておきたいと思います。

*****

 さて、ここからが一番興味深い部分です。

 阿部先生は、「メランコリー型」「執着性格」を含む、現代のうつ病の諸相の相互関係について、実に明快な図版を呈示くださいました。

 原典は飯田真先生らとの共著にあるとのことですが、敢えてこの図だけはここで配布されたパワーポイントファイルの縮刷版を取り込ませていただくことをお許し下さい(私の書き込みも読めてしまうので、観づらいかとも思いますが。

Dr_abe

 

 この図だけではわかりにくいでしょうから、ここで、いわゆる「新型うつ病」について、阿部先生が実に簡潔にご紹介くださった既成の諸概念についての解説を、この図と関係ない部分を省略してそのまま転載します。

※青年期のうつ病像

●ディスチミア(dysthymia)親和型 (樽味)

  • 回避的な傾向が強い
  • 不全感と倦怠感
  • 「生き方」と「症状経過」の不分明

※成人期後期(20代後半-30代のうつ病像)

●逃避型抑うつ (広瀬)

  • 高学歴、上司との関係、選択的抑制(こういちろう注:すべてのことへの興味や関心が失われるわけではないということ)、弱力的ヒステリー性格、自己愛的

●未熟型うつ病 (筆者ら)

  • 20代前半までは周囲から庇護されて葛藤なし
  • 職業上、家庭生活上の挫折から発症
  • 経過中に不安焦燥感優位で、自責に乏しい病像
  • 周囲に対する依存攻撃性
  • 状況からのストレスが棚上げされる(庇護的な環境におかれる)と軽躁状態(双極II型-I型的)

 そして、「執着性格」と「未熟型うつ病」が、内因性・生得的な気分昂揚的・躁的素因を持つ「高エネルギー型」であり、「メランコリー親和型」と「逃避型抑うつ」は、そうした「気分高揚方向への」内因的素因がなく、むしろ神経症水準での「弱力型」ということになるようです。

 これに当てはめたら、私なんて、もう、絵に描いたような「執着性格」ってのが、本来のあり方ですね(^^・・・親父もそうだな・・・・)

*****

 さて、この図の鍵は、

  • 「希薄な愛情備給」→「メランコリー親和型」か「執着性格」
  • 「過保護・溺愛」→「未熟型」か「逃避型」

・・・・と一般化されている点でしょう。

 ここで私の頭の中は???で一杯になってしまいました。

 私の父親って、ややおせっかいなところはあったけど、「熱く」私を愛し続けてきてくれた。でも、私の進路や勉強については全く口出ししなかった。子供時代、私の好きな鉄道旅行にどれだけ付き合ってくれたことだろう。全然希薄な愛情備給ではない。

 母親も、ある意味では偏屈で頑固な父親のやさしい話の聴き手になれ、子供の頃から私の前で神経質になることも皆無、まもなく87歳の今も、情緒的な安定感の高さと同時に、頭脳明晰で愛嬌あふれ、腰が曲がったのを除くと、70前と思われかねないくらいのみずみずしい感性(肌の色艶も)を維持している。 

 そして、何より、「未熟型うつ病」の説明図式を追っていくうちに、確かに、こうした説明で典型的に理解できる「新型」うつの患者さんも一定数はいるかもしれないことは認めるにしても・・・・・

 これじゃまるで、育ちのいいぼんぼんやお嬢さんが、厳しい社会に出てはじめて傷ついて発病したみたいな印象与えないか???

 さすがに上の赤字の言い方まではフロアからの発言上は控えましたけど、私が現場で体験しているこのタイプに当てはまりそうなクライエントさんから詳しく訊いた生育暦や、親御さんと接した時の印象との隔たりがあまりに大きいと感じました。

 「未熟型うつ病」であるかに見える人に家族内での葛藤がなくて庇護されていたなんて、私の知る臨床的現実とはまるっきり正反対なのだ。

 確かに、この種の病態を示す人たちの、養育者との関係は「密着していた」時期を持つことが少なくないのは認める。

 でも、それは、断じて、子供の側が依存し、それに対して親が庇護を与えるという循環構造ではないのだ!! 

 得てして、気分変調的な側面をすでに持つ母親まずは存在する。その母親の機嫌を損ねないように、子供の頃から、涙ぐましいまでに気を使い、家庭の平和を守るためのキー・パーソンとして「世代間逆転」的な形で一家を支えてきたのが、患者として現れた若い人たちなのである。

 家庭に葛藤がないかに見えたのは、子供の方が親の気持ちにとことん寄り添って「平和維持」に努めてきたからこそではいか????

 その人たちには、むしろ親に安心して甘えられた経験など欠落している。

 そして、非常に孤独な努力を重ねて、親の引力圏から離脱するために、優秀な大学に入り(得てしてこの時に親元から離れた大学を選択する。それを可能にするためには、地元を離れるに値すると親に見なされるほどに優秀な大学である必要があるのだ!) 

 そして、これまた親のグーの根も出ないくらいの進路(留学、企業)へと進んでいく。ひたすら、親から自由になるために!!

 そうやって、どこまでも飛翔した先の企業などで、彼ら/彼女らはついに力尽きるのである。

 このような経緯を持つ患者さんが、医師との治療関係が一応ついて、「陽性転移」の時期を経たは何が起こるか????

 ・・・・もう、目に見えている。

 親や医師、社会を相手に恨みや攻撃性を爆発させることそのものが、不可避の「治療過程のプロセス」なのである。

 そうした「治療過程のプロセス」を、「疾病像」と誤認することの危険が、あまりに大きくはないのか?

*****

 もちろん、簡潔に、紳士的で丁重な表現を取らせていただきましたが、私がフロアから阿部先生にお伝えした感想は以上のようなものでした。

 このこととの関連で、この前の拙文、

●「過保護」という概念は安易に使われすぎていまいか?

をお読み頂ければ幸いです。

*****

 BGMは、まさにこうした生き方をしてきたとしか思えない、浜崎あゆみさんを称えて、浜崎あゆみ - A Song for XX - Signal"SIGNAL"浜崎あゆみ - A Song for XX - Hana"Hana"浜崎あゆみ - LOVEppears - too late"too late"

●ayumi hamasaki SIGNAL~Hana~too late live

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2009/12/12

新人類世代の絶対的自己肯定ドラマとしての「超時空要塞マクロス」

 1984年という年は、日本のアニメ史において、ひとつのメルクマールとなる、今にして思えばとんでもない年である。

 なぜなら、宮崎駿の「風の谷のナウシカ」、押井守の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」、そして当時24歳の若手だった河森正治を監督とした「劇場版 超時空要塞マクロス 愛・おぼいえていますか」という、日本アニメ史の不朽の金字塔というべき3作が、共に劇場公開された、空前の「当たり年」だからである。

超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか HDリマスター版 [DVD]

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 ・・・・私が、いわゆる「昭和35年組」アニメファン、すなわち、日本初の国産テレビアニメ「鉄腕アトム」の本放送を幼児期に体験し、日本のアニメの歴史と完全に同時代的に歩み、エヴァ本まで出した、超筋金入りの世代であることは繰り返し申し上げてきた。この「劇場版マクロス」等が公開された年に23歳ということになる。

 だが、不思議と、このブログでこれまでにただの一度も名前が登場していないビックネームの監督さんがいる・・・・そう、「ガンダム」シリーズの富野喜幸という名前である。

 私は、いわゆる「初代ガンダム」本放送を体験し、たいへんな衝撃を受けた世代の一人であることには変わりがない。しかし、「Zガンダム」以降はどうしても感性がついていかなかった。アムロとシャアが登場する限りは、すべての劇場版を公開時に観ていますけどね(^^)

 そこには、ひとつには「ニュータイプ」という概念への基本的な違和感があるのだと思う。「初代」のTVシリーズの最終話の、あの何とも印象深い終わらせ方より先まで、ニュータイプについては執拗に物語を紡ぐ必要があったとどうしても感じられないのだ。

 そこには、ひとつには、私が加藤和彦と北山 修 - 加藤和彦 作品集 - あの素晴らしい愛をもう一度「あの素晴らしい愛をもう一度」(←やっと北山修と加藤和彦のオリジナル、iTunes Storeに入りましたね)への再三のこだわりで示してきたように、ウィニコット的な対象関係論に骨の髄まで浸かった人間観の持ち主であること、すなわち、

「人と人とのこころは直接対話できない。できたと思ってもそれは錯覚(illusion)なのかもしれない。こころの交流という思い込みは、はかないまでに容易に幻滅(disillusion)に転じる。しかし、そうやって思い込みが覆された後も、希望を捨てないで更にリアルに交流し続けることによってしか人との心の絆は築き得ない

という圧倒的な信念を自分のアイデンディディとして生きてきた軌跡のためでもある。

 もちろん、ガンダムにお詳しい方は、きっと、「それだけではニュータイプ論は語り尽くせない」といろいろな反論はお持ちかもしれない。あくまでも、「初代ガンダム」以降の富野作品と内的対話が成立しなかった私の一面的な独断と偏見であると見なしていただいて結構である。

(当時のサンライズ系作品では、むしろ装甲騎兵ボトムズ - 【映像パック】装甲騎兵ボトムズ (OP/ED:ノンテロップ)「ボトムズ」に思い入れが深いタイプである)

*****

 どうも、「ガンダム」主流派にとっては、この「マクロス」という作品はチャラチャラした作品に見えるらしい。

 しかし、私は、「マクロス」こそが、当時の、ニュータイプならぬ「新人類世代」が、圧倒的な開き直りの中で到達した、自分たち世代の絶対的自己肯定賛歌だったように思えてならない。

 生まれながら、テレビの向こうの側の出来事こそ「世界の現実」であるという逆転構造を当たり前にようにして生きてきた私たちの世代。

 宮崎さんがいかに「ラピュタ」でシータの口を借りて「地に足をつけなければ人は生きられないのよ」と説教垂れようと、私たち世代はとっくに「地球という故郷を喪失」して宇宙空間を漂う巨大な要塞都市の住民としてしか存在していないのである。

 単なる会社の「兵士」としてしかアイデンディディを持たないくせに、そこからだけの視点で「現実」を振りかざして「戦いを挑んで」くる「巨人族」=親世代たちは、どうもすでに夫婦の亀裂も深いらしく(爆)、お互いに戦闘状態にある(劇場版の世界観に従えば)。

 それに挑む新人類世代は、自分たちの「身の丈」も省みず、「巨大ロボット」に乗って応戦するしかないのだ。

 そして、「歌=文化」の力で、巨人族=親世代たちの「脳みそをかく乱」させる!!

 当時はまさに松田聖子と中森明菜の絶頂期でもある。リン・ミンメイには、この現実の2大歌姫が深く投影されていることは、知る人ぞ知るとおりである。

 ミンメイの「性格」は、我が故郷久留米の生んだ最大の「偉人」(?)の一人である、当時の聖子の「ぶりっ子」イメージをものの見事に投影していますが、今回調べてはじめて知りましたけど、劇場版のステージ衣装はむしろ明菜の舞台姿の影響が濃いそうですね(^^)

*****

 1984年といったら、まだ今日のCGや3Dバーチャル・リアリティのシステムは存在しないに等しい。このアニメ映画で表現された世界は、その点でどれだけ時代を先取りしていたことか!! 映画の最初の方のミンメイのコンサート・シーンなんて、リアルワールドでは当時は夢のまた夢の演出手法だったはずである。

 そして、1984年という数字を意識すると、この映画全体が、すべて手書きのセルアニメで表現されているということが、どれだけ途方もないことだったか!! アニメーターたち(「エヴァ」の庵野さんも主要アニメーターの一人)は、何ともはやクレイジーな領域のことを現実化していたのである。

 ちなみに、公開当時はドルビーサラウンドですらない、モノラルでした(^^)

 この作品を紹介するにあたって、私はあの「あまりにも美しすぎる」クライマックスの戦闘シーンではなくて、むしろミンメイと早瀬美沙、一条輝のラブロマンスに焦点を合わせたという点では実にセンスがいい、スペイン語バージョンを選ばせていただくことにしました(一部、TVシリーズの画面も混ぜているのだけど、むしろそれが何ともニクイ使い方である)。

●MACROSS - Ai Oboete Imasuka [Español](YouTube)

 ・・・・確かに、当時の私たちは必死に背伸びしていたのかもしれない。

 しかし、その「昭和35年組」も、来年度にはついに満50歳を迎える

 もはや、社会を動かす指導層としての責任を果たさねばならない。

 結局、若い頃に「観念まみれ」になった上で、高度成長期の甘い夢が醒めた「傷つき」を引きずる、「団塊の世代」が、今の日本に何を残したというのだ?

 子供時代に中国大陸から「生還」し、裸一貫からたたき上げた経理の職人である、「団塊」のひとつ上の世代である私の父には、今でも「硝煙の匂い」が染み付いている気がすることがある。

 流浪の引き上げ日本人コミュニティの歩哨に立っていた父親(私の祖父)が馬賊に銃撃され殺されるなど、私には細かくは語らないけどど、どれだけ多くのシビアな悲惨さを、旧中国東北部から、大連で食うや食わずの生活をして終戦後1年を経て帰還できるまでに、大陸で、その目で見たことだろうか。

 私は、その、戦場をさ迷った父の「嫡子」である。

 ほんとうに、リアルワールドで「戦い抜き」、「サバイバル」する気概のない人間のたわ言にはいちいちつきあっていられない。

 そもそも、自分が進んでリアルワールドでの「政治」の世界に「身を投じ」、泥にまみれるくらいの覚悟は持て!!ひとつの重要な暗示・・・・私の場合、正確には「復帰」です・・・・

 馬鹿馬鹿しいまでに「命のやり取り」を覚悟して物事に挑む迫力を示せる人間の方が絶対に強いと確信している。悔しかったら「リアルワールドで」私の足を露骨に引っ張るくらいの謀略性と戦闘性で挑んできて欲しいものである(^^)

 公開されたネット上で私に公然たる批判を書いたらすべて私のサイトのアクセス数増加にしか貢献しないことを、すでに一部の皆様は身に染みてお感じのはずだ。アンチこういちろうサイト、心の底から大歓迎ですが(爆)

 そして、リアルワールドでの顧客様の着実な増加が、もはやネットでのアクセス数へのこだわりから私を解放している。経営的にはすでに地方都市久留米への移転後のほうが成功したと断言していいい。

 (最近、アクセス数が300台弱のラインへと後退気味な主な原因は、先日のココログのシステムのメジャーアップデートで、カテゴリーバックナンバーが、最新10個以降「見出しのみ」の表示になり、全文の複合検索ではヒットしにくくなったためというのが主因とわかってますし。

 まあ、それでも少しは投資をかける余裕が出てきましたので、Googleマスターツールやanalytics、小額なりにお金を出してのAdWordsの管理者の側にすでにいます。万が一「おかしな動き」があった時はGoogleに向け「積極介入」することになります)

*****

 話をマクロスに戻すと、リアルワールドにあらわれた私の「リン・ミンメイ」が、この映画公開当時はまだ5歳前後だったはずの、これまだ我が福岡が生んだスーパー歌姫、浜崎あゆみであることは、いうまでもない(^^)

 こうして、生のayuをライブで観ない時間が長くなると、もうそれだけでayuの存在感が私の中でもどんどん希薄になってしまう(^^;)

 ・・・・もとより、私も、「ミンメイ」ではなくて「早瀬美沙」を取るであろう(爆)

*****

 最後に、詳しいことは知らないままですが、私とほぼ一緒に年をとった河森さん、現在公開中の「劇場版マクロスF」の興業的大成功、おめでとうございます!!

●劇場版マクロスF -虚空歌姫- 公式サイト

*****

 共通するスタッフによって引き続き制作された、「裏マクロス」というべき「メガゾーン23」も私が敬愛する作品です。このブログのあちこちですでに言及していますので、興味ある方はお探し下さい。

代表作は、

●なりたかった大人になればいい

です(^^)

●MEGAZONE23 AMV(YouTube)

メガゾーン23 [DVD]

メガゾーン23 PART 2 〜MEGA ZONE 23 PART 2〜 [DVD]

*****

 更に、河森さん関連で言うと、「マクロス・プラス」についての古い拙文はこちら

 劇場版「エスカフローネ」についてはこちら

 「創生のアクエリオン」についてはこちら

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