マリー・アントワネット

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

 

2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

ブログランキング・にほんブログ村へ

 私のプロフィールはこちらです。


 《2008/9/25 19:08更新》

・メンタルヘルスランキング 573位 -5167サイト中
 └心理カウンセリングランキング 14位 -130サイト中
・音楽ランキング 1022位 -9033サイト中
 └女性ミュージシャン応援ランキング 8位 -60サイト中
・ニュースランキング 392位 -2540サイト中
 └ニュース批評ランキング 60位 -226サイト中
・総合ランキング 29793位 -218968サイト

です(^^)

今後は、以下のクリック、どうかよろしく!


人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへにほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へにほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

2007/10/16

マリー・アントワネット処刑の日にちなんで

 この記事で紹介したCDを再度紹介しておきます。

 ウェルサイユの調べ ~マリー・アントワネットが書いた12の歌/
ドゥセク作曲 : 朗読つきピアノ組曲「マリー・アントワネット処刑」

 池田理代子(ソプラノ・朗読・ライナーノーツ) 蒲谷昌子(ピアノ) KKCC-3010


 「ベルばら」の原作者、漫画家の池田理代子さんが、1995年に音大に入りなおして声楽を学び、今はオペラやミュージカル、コンサートの舞台にも立つソプラノ歌手としても活躍していることをどのくらいの方がご存知だろうか? 

 このCDの前半はマリー・アントワネット自身による作曲とされる歌曲12曲を池田さん自身がフランス語で歌っている。詳細は上述の、以前に書いた記事参照。

 後半は、ドゥセクの朗読つきビアノ組曲だが、アントワネットが投獄されてから処刑されるまでの9つの情景を、ナレーションをはさみながら9曲つなげたものである。(ドゥセクは革命前の、アントワネットを含む王室との親交を理由にフランスには居づらくなり、イギリスに活動の拠点を移し、アントワネットの処刑の直後にこの曲を作曲している。つまり典型的な「王党派」とみられていたということになる)

 だたしこの録音では、ナレーションをすべて「ベルばら」原作の該当シーンに置き換え、池田さん自らがアントワネットに扮して朗読している(当然日本語)点に特徴がある。池田さんの朗読は、むしろアニメのオスカル役の田島令子さんの声に近いタッチとも受け取れるが、なかなかうまい気がする。

 こうした、標題音楽的な器楽曲は、当時決して珍しいものではなかった。ベートーヴェンの「田園」交響曲からして、実は類似の「田舎の生活」をテーマとした表題音楽がすでに山のように作られていた中で作曲されたので、発表当初「ああ、またこのパターンの曲か」と、さほど人々の注目を引かなかっただけである。

 曲想は、まるでベートーヴェンの頃の古典派音楽を「堅実に」学んだ作曲家なら、このように表現するだろう、といいたくなる、古典派的であり、適度にドラマチックな書法である。ベートーヴェンやモーツァルトが「超Aクラスの」somethingを持った大作曲家として歴史に残るには、このような類似の書法の「Aクラスの」作曲家.....ただし、後世はあまり聴かれなくなる.......が、同時代にはたくさんいて、人気を博していたとみる方が自然なことのようにも思う。

 つまり、すべてをモーツアルトやベートーヴェンが作り上げたわけではなく、同時代の曲から多くを吸収し、さらに時代を突き抜けた「何か」をそこに含ませられるかどうかの違いが、後の時代にまで「天才」と呼ばれるかどうかの違いであろう。

 でも、「ベルばら」の名シーンの、原作者による朗読に、アントワネット処刑直後に同時代の作曲家がつけた劇音楽が時代を超えてひとつになったと思うと、普段クラシックと無縁の人すら、結構楽しめるかとおもいます。


映画「マリー・アントワネット」(キルスティン・ダンスト主演)

Siouxsie & the Banshees - マリー・アントワネット (オリジナル・サウンドラック)オリジナル・サウンドトラック)

2007/03/16

ベートヴェンの「運命」交響曲にもろに影響を与えたフランス革命期の作曲家がいた!!

 随分先延ばしになっていた、マリー・アントワネット関連の最後のネタです。

 ウェルサイユの調べ ~マリー・アントワネットが書いた12の歌 [池田理代子(ソプラノ・朗読・ライナーノーツ) 蒲谷昌子(ピアノ) KKCC-3010]

 「ベルばら」の原作者、漫画家の池田理代子さんが、1995年に音大に入りなおして声楽を学び、今はオペラやミュージカル、コンサートの舞台にも立つソプラノ歌手としても活躍していることをどのくらいの方がご存知だろうか? 

 完全に「余芸」の域を超えているのである。漫画家として功なり名を遂げた後の第2の人生の歩み方として、きわめて興味深いものがある。虚構の世界を超えて、現実の世界でステージに立つというところまで突き抜けるのは、並大抵の努力ではなかったはずである。

 彼女は、2005年末に出したこのCDで、マリー・アントワネット自作とされる歌曲12曲の歌唱と、ボヘミア出身で革命直前のフランスで活躍した作曲家、ドゥセクの、朗読つきピアノ組曲「マリー・アントワネット処刑」の朗読を担当している。

 マリー・アントワネットの歌曲は、すでに海外にも多少の録音はあったが、12曲もまとめてというのは世界初だったらしい。池田さん自ら執筆のライナーノーツによれば、不慣れなフランス語の歌唱の習得を含めて、さまざまな協力者を得て、万全の体制でこの企画に臨んだようである。協力者・指導者への丁重な謝辞が個別に列挙されているのも、慎ましい謙虚な姿勢で、たいへん好印象である。


*****


 さて、マリー・アントワネット「自作の」歌曲といっても、メロディから伴奏まですべてアントワネット自身が作ったというわけではなく、お付きの音楽教師による「大幅な補作(^^;)」を経ているのは間違いないようである。もとより宮廷でこれらの曲の何曲かを歌手として披露した可能性はあるらしい。

 もとより、アントワネットの「音楽教師」というのが半端ではない。グルックという、古典派を代表するオペラ作曲家である。グルックはアントワネットのオーストリア時代から、フランス時代にまで親交があり、何と、母マリア・テレジアとマリーの間の往復書簡の伝達者として頼まれたこともあるらしい。そして、フランスの歌劇界を巻き込んだ「ブフォン論争」といわれる、様式上の対立に、当然グルックの後ろ盾となったアントワネットが与えた影響は芸術史上に残るものとなった。

 ひょっとしたら、マリー「自作の」歌曲の中のどの曲かが、グルックの補作を受けていることは大いにあるだろう。今日、2,3のオペラとその序曲、バレエ音楽、そして、そうした挿入曲のひとつだった、フルートをソロとする「妖精の踊り」以外はほとんど聴かれなくなった作曲家だが、私の手元にあったバレエ音楽集(↓)の様式と比較しても、その可能性は結構ある気がした。

(追記:ちゃん今も売ってた!!)

 そこには、モーツァルトからベートーヴェン初期のころの、古典派の音楽語法が、実に「堅実に」反映されている気がするのである。裏を返すと、そこには、モーツァルトやベートーヴェンのような天才的な閃きはない。でも、古典派様式に熟達した「音楽教師」なら、当然こういうスキルを習得していたはずと感じさせる「堅実さ」はあるわけである。

 だから、確かに歌詞はフランス語なのだか、ちょっと聴くと、むしろドイツ古典派のような様式感の曲が多いことになる。しかし、モーツアルトがパリへの演奏旅行で、フランスの音楽様式に大いに触発されていたり、ハイドンがロンドンに渡って成功を収め、オペラとなればイタリアの作曲家がドイツ・オーストリアでもフランスでも大きな影響を振るった時代である。この前書いたように、ヨーロッパに民族主義と国家主義の潮流が鮮明になるのはまさにフランス革命を通してである。ヨーロッパの王室や貴族社会はみんな「親戚同士」みたいなものだった。その後イメージされるような「フランス的な」音楽というものは、当時まだ成立していないともいえる。

 ただ、ここに収録されている「マリー・アントワネット自作」とされる歌曲の中に、何曲か、アントワネット自身まったく「感知しない」、それどころか彼女の処刑後の時代の作品としか思えない様式のものも含まれているのも確からしい。つまり、「贋作」されたか、あるいは「この曲はアントワネットが作った」という「伝説」が自然発生的に後から形成されたものもありそうとのこと。そういわれると確かにそのようにも聴こえてくる。

 私はフランス語歌曲は苦手なので、十分な評価ができる立場にないかもしれないが、池田さんが十分すぎるくらいの下準備の元に周到に録音したであろうことは伝わる演唱の水準だとは思える。一部、歌いにくそうな部分があるが、曲そのものにぎこちない無理があるためとも思える。

*****

 さて、後半は、ドゥセクの朗読つきビアノ組曲だが、アントワネットが投獄されてから処刑されるまでの9つの情景を、ナレーションをはさみながら9曲つなげたものである。(ドゥセクは革命前の、アントワネットを含む王室との親交を理由にフランスには居づらくなり、イギリスに活動の拠点を移し、アントワネットの処刑の直後にこの曲を作曲している。つまり典型的な「王党派」とみられていたということになる)

 だたしこの録音では、ナレーションをすべて「ベルばら」原作の該当シーンに置き換え、池田さん自らがアントワネットに扮して朗読している(当然日本語)点に特徴がある。池田さんの朗読は、むしろアニメのオスカル役の田島令子さんの声に近いタッチとも受け取れるが、なかなかうまい気がする。

 こうした、標題音楽的な器楽曲は、当時決して珍しいものではなかった。ベートーヴェンの「田園」交響曲からして、実は類似の「田舎の生活」をテーマとした表題音楽がすでに山のように作られていた中で作曲されたので、発表当初「ああ、またこのパターンの曲か」と、さほど人々の注目を引かなかっただけである。

 曲想は、まるでベートーヴェンの頃の古典派音楽を「堅実に」学んだ作曲家なら、このように表現するだろう、といいたくなる、古典派的であり、適度にドラマチックな書法である。ベートーヴェンやモーツァルトが「超Aクラスの」somethingを持った大作曲家として歴史に残るには、このような類似の書法の「Aクラスの」作曲家.....ただし、後世はあまり聴かれなくなる.......が、同時代にはたくさんいて、人気を博していたとみる方が自然なことのようにも思う。

 つまり、すべてをモーツアルトやベートーヴェンが作り上げたわけではなく、同時代の曲から多くを吸収し、さらに時代を突き抜けた「何か」をそこに含ませられるかどうかの違いが、後の時代にまで「天才」と呼ばれるかどうかの違いであろう。

 モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調の終楽章の変奏曲には、明らかにロマン派の先触れのにおいがして、変奏のひとつが、「ラ・マルセイエーズ」に似ていることはよく知られている。そしてこの曲は、20番の二短調協奏曲とともにベートーヴェンにも愛され、自身のビアノ協奏曲第3番ハ短調(私の大好きな曲である)に深い影響を与えている。彼らもフランス革命時代の空気を吸っていた時代の子であり、なおかつそれを超えていたという「だけ」のことともいえるだろう。


*****

 しかし、そうした「Aクラス」どまりだった同時代の、今日ほとんど演奏されない作曲家の中にも、

 「あ、あの。この人がベートヴェンにもろに影響を与えたということぐらい、もっと振り返られてもいいでしょ?」

という域の人が確かにいるようだ。

 フランスの作曲家、メユール(Méhul)がそうである。

 1763-1817の生涯であるから、ベートーヴェンの1770-1827からすると、わずか数年の「先輩」である。1756-1791のモーツアルトからすると、わずかに後輩。

 特に、この作曲家の交響曲第1番と第2番が、ベートーヴェンに「もろに影響を与えた」可能性というのは、たいへん興味深いテーマである。

 こういうマイナーな作曲家となるとレパートリーが豊富な、上記の香港ナクソス・レーベルのCDを今回初めて聴いてみたのだが(わずか1000円!! ただ、入荷に時間がかかった。それがこの記事の遅れの主要な原因である)、誰もがこの2曲を聴くと唖然とするはずである。

 まず第1番。第3楽章の舞曲楽章はテンポが速めで実質スケルツォなのだが、主部がすべて弦楽のピティカートで演奏される!! トリオ(中間部)の、上昇する小刻みな音階中心の部分も、何とはなしにどこかで.....そう、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」第3楽章である。

 さらにショッキングなのがこの曲の第4楽章である。あの「ミミミドー」の「運命の動機」そのものが聴こえるどころか、それが執拗に繰り返されて展開されていくあたりは、「運命交響曲」の第一楽章をどうしてもイメージさせる

 ただし、それが、まるでモーツァルトのト短調交響曲(第40番)のような、やや女性的な、「疾走する悲しみ」として、「なで肩」でセンチメンタルに展開され、ベートーヴェンのような「剛性のあるダイナミックな伸縮体」としての性格を持たないだけである。

 この第一交響曲そのものが、ソナタ形式として非常に構成的にしっかりした第一楽章をはじめとして、ハイドンやモーツアルトの古典派様式を非常に「堅実に」身に着けた上で、革命期のフランスにしかなかったであろう、ある独特の情緒性とロマンチックさが匂いたつという点では、むしろ少し後のウエーバーやメンデルスゾーンの先取りとすらいいたくなるところがある。

 実際、この曲を再発掘して「再初演(?)」したのは、ゲバントハウスでメンデルスゾーン指揮によるものであり、メンデルスゾーンと朋友シューマン自身が、ベートーヴェンの第5交響曲との類似に注目する発言をしている。

 交響曲第2番の方が、明朗な曲想で、ハイドンあたりとの近縁を感じさせるが、第1楽章の冒頭の序奏の音階上昇は、それこそベートーヴェンの、第7交響曲の第一楽章の序奏の先取りにも聴こえ始める。更に、終楽章の冒頭が、ティンパに独創による4つの音の連打で幕を開ける際の響きは、ベートーヴェンのバイオリン協奏曲の第一楽章の冒頭を髣髴とさせる......といったぐあい。

 ただし、ベートーベンの第五交響曲とメユールの第1交響曲は、何と同じ1808年に作曲されている!! どちらかかどちらかに影響を与えたというには作曲時期があまりに近すぎるので、共通の音楽背景のもとで独自に発展させていった結果、「結果的に似てしまっただけ」という可能性は否定できないらしい。

 でも、第3番、「英雄」交響曲にみるように、ナポレオンのことをあれだけ意識していたベートーヴェンである。すでにフランスの音楽院で大物教授の一人として名声を博していたメユールについての最新のいろんな情報が、フランス革命の進展の情報とともに、どんどんベートーヴェンのもとに入っていた可能性は、決して低くないだろう。

******

 しかし、メユールの交響曲は、少なくとも国際水準でいうと、ウェーバーやメンデルスゾーンの地味目の管弦楽曲曲以上に演奏会のレパートリーに乗らないままである。シューベルトの初期交響曲(←愛聴版)ほどにも知られていない。なぜそうなったのか???

 私には、メユールが「あまりに堅実すぎる作風だったから」としか言いようがない。シューベルトの初期交響曲のほうが構成力という点では弱い曲もあり、学生やアマチュアオーケストラでの初演などという地味な形でしか生前は知られていなかったのは確かだが、ちょっと凝った前期ロマン派の管弦楽曲好きには、なくてはならないチャーミングで魅力的な作品群であることは確かだ。メユールはそこに「何か」が届かない。シューベルトだと、いうまでもなく、メロディーのはちきれんばかりのチャーミングな「歌う」魅力で勝ってしまうということになる。

*****

 繰り返すが、今日も演奏されるレパートリーに残るか残らないかを決めるのは、"something"の有無というしかなく、実は同時代には評判が高かった、似たような作風の、非常に熟練された作曲の腕を持つ「Aクラス」作曲家がたくさんいるという背景がなければ成立しなかった、ということは、音楽に限らず、さまざまな歴史を振り返る上で忘れてはならないことだとつくづく感じたしだいである。

2007/02/15

フィガロ=ボーマルシェ???

「ボーマルシェ/フィガロの誕生」

 アントワネットつながりで「やっと」観たもう一本の映画です。映画の存在は数年前から知っていて、気になっていたんですけど。

 「フィガロの結婚」というと、モーツァルトのオペラが有名ですけど、ここで題材になるのはその原作としてのボーマルシェの戯曲が上演されるまでの顛末です。

(ちなみに、オペラの方は、あまりにもスタンダードですけど、映画的に作り込まれた、ポネル演出のベーム盤の印象が強い世代なんですよね。これと、ベームとヴィーン国立歌劇場引っ越し公演の時のをテレビで観たのが。あのベーム晩年の、「第4幕終結が遅くて」話題になった奴です。オペラの「フィガロ」については、wikipediaにまとまりのいい解説が出たばかりですのでそちらに譲ります)

 さて、この映画に出てくるボーマルシェは、ある意味で「目的のためには手段は選ばず」、詐欺、賄賂、買収、詭弁、二枚舌を使いこなす権謀術数の士、超ウルトラ現実主義者です。フランス革命直前の時代に、一方では、王権や貴族社会を風刺する劇の上演を高等法院や王自身と争いつつ、賄賂で同時に裁判官もやって貴族社会に入り込んでいる。一方では市民の英雄、人気取りに走りつつ、その裏では、王や貴族たちとそつなく関わり、いかに儲けるかに血道をあげている。女性関係も奔放。上演停止、市民権剥奪、牢獄への収監を食らったと思ったら、実は宮廷の重臣に、とっくに深い人脈を築いていて、王からその匿名性を利用して、イギリスへのスパイ活動を要請される。

 でも、ミイラ取りがミイラになり、逆に騙されて危機一髪になったり、フランスからアメリカ独立戦争に荷担する兵器輸出(ライバルのイギリス憎さのために、フランス旧体制が、民主主義を前に進めて自国に革命を喚起し自分の首を絞めかねない、こうした援助をしてしまっていたことは、史実として存在するが、この映画では、何とボーマルシェ自身がが先の王、ルイ15世が既に進めていたものであると「でっちあげて」ルイ16世を丸め込んでのこととして描かれている)を王から「公式に」たのまれつつも、その密輸出の元手は自分で貿易して稼げと突き放される始末。

 映画は、ボーマルシェにあこがれて弟子入りしたひとりの若者と、同じようにボーマルシェに真実の愛を捧げようと現れた女性の視点から描かれる。ふたりは、この、「裏表」どころか、「右左」「上下」「斜め」、あまりにも矛盾に満ちたさまざまな自分を使い分けるボーマルシェに失望しても行くのだが......という話。

 当時のフランスの民衆の「人気者」たちは、多かれ少なかれ、このような様々の顔を使い分け、旧体制と革命派の間を泳ぎ回るタイプだった。ミラボーしかり。「ベルばら」の悪役で有名なオルレアン公こと、後のフィリップ=エガリテしかり。

 そして(この人を好きな人なんていなかったが)、貧しい僧侶から三部会議員に当選して、当時もっとも過激な共産主義的独裁者として、「リオンの大虐殺」を指揮したかと思えば、気がついてみると、テルミドールの反動後から、ナポレオン総統時代、帝政時代更に復古王政に至るまで、警察長官として闇の秘密を一手に握って、私腹を肥やし、フランス第2の資産を持つ貴族にまで泳ぎ渡った「爬虫類」フーシェしかり。


(あ、この本、私が岩波文庫版を中古で買った後、6倍近い値段のしか残ってないわけ??)

 私の読んだツヴァイクのアントワネット伝によれば、ボーマルシェは、自分で、ルイ16世の「不能」を喧伝する「秘密文書」を作っておきながら、それを別の作者によるものと偽り、自分で「密告」し、その文書が「広まらないようにする」ための「裏工作資金」を、アントワネットの母のマリア・テレジアから巻き上げようとして未遂に終わり、鞭打ちと禁固刑を受けたこともあるらしい(「スペイン王冠法についてのスペインの分家に対する重要な文書」事件という)。

 恐らく、その史実あたりから、この映画におけるボーマルシェのキャラクターは膨らまされているのであろう。

(だから、アントワネットが

「『セビリアの理髪師』(『フィガロの結婚』が続編)だーい好き!!スザンナ、チャーミング!! 宮廷の劇場で、私絶対スザンナ役やるの!!」

で「宮廷学芸会」に向けて暴走しはじめた時、マリア・テレジアは、

「あ、あなた、ボーマルシェって、あなたを4年前にカモにしようとした『あの人』なのわかってるの?」

と唖然とすることになるわけですが。

 でも、アントワネットの『理髪師』『フィガロ』びいきがなかったら、モーツアルトのあのオペラが、いくら原作戯曲の政治的に過激な部分のセリフを緩めたとはいえ、順調に作曲され、ハプスブルク家お膝元のヴィーンでともかくも初演されることはなかったろうとのことです)

 でも、この映画、全然暗くないのです。そういう、常に背水の陣の綱渡りの人生を、周囲を煙に巻くようにして送っていくボーマルシェを描き出す中で、この、革命前夜の、混沌に満ちた時代の人間のバイタリティを、肯定も否定もせずに、切れ味ある演技と演出で、肌でビシバシ感じさせようとしているという印象です。

 そして、まさに、ボーマルシェの生き方そのものが、彼が戯曲で生み出した、貴族を翻弄する「フィガロ」よりは更に過激な「フイガロ」そのものの生き様であるかのように描かれている思います。

 この映画の中にも、アントワネットは出てきますけど、ルイ16世にフィガロの最終脚本を読んで聴かせるだけという、地味な役回り。ちなみにこの映画で出てくるルイ16世は、20歳過ぎにしては老け顔で、貫禄もあり、映画の途
中で死んでしまうルイ15世とあまり違いがないといいますか、結構リアリストの政治家として描かれています。

 生身のルイ16世そのものも、実際には「どの映画で」描かれている以上に、複雑で多面的な人間ではなかったかとも、最近の私は感じ始めていますが。

2007/02/14

「大人」自身が自分の価値観を崩し続ける「冒険者」でいられるには?(第2版)

> 「昔の子どもは家事を手伝うことで、働く者として家族から認められた。 今、日本の子どもたちは家事を手伝う必要がない。そのかわり、消費者として自分を確立する。(略)今の子どもはしばしば『これを勉強すると何の役に立つんですか』と聞く。消費者として自分を確立した子どもには当然の問いである。消費者にとって、自分がその有用性を理解できない商品は意味をもたないからだ。
 だが『何の役に立つか』と問う人間は、ことの有用無用について自分の価値観が正しいと思っている。勉強によって自分の価値観そのものがゆらぐことを知らない

『下流志向 学ばない子どもたち働かない若者たち』内田 樹 著

「勉強とは、自分の価値観を揺らがせる可能性に敢えて身を委ねる『冒険』である」

というのは、真実という気がします。

 少なくとも、自分からやっていく勉強というのは、そういう面がないのなら、実はなんの張り合いもないものだと。

 歴史の勉強なんて、自分の「歴史観」「人間観」を揺るがす「冒険」そのものになってこそ、おもしろい。私の場合、ほとんど「趣味」化していて、ひとつのテーマが気になり出すと、どんなジャンルの本より興味の赴くままに広げまくり、渉猟し続けまけど。

 同じ歴史歴事実について、数冊の本を読むと、ほんとに自分の価値観がぐちゃぐちゃにされる危険があるんだけど、「それこそが」おもしろい!! 

 .....ということで、マリー・アントワネット関係のもう一冊のお薦め本、これです。

「ルイ十七世の謎と母マリー・アントワネット―革命、復讐、DNAの真実」 (デボラ キャドベリー著/櫻井 郁恵 訳)

 「ルイ17世」って誰? という人も多いでしょう。もちろん、ルイ16世とアントワネットの息子です。ルイ16世やアントワネットと一緒にダンプル塔に幽閉されました。国外亡命した後のルイ18世やシャルル10世、亡命貴族(エミグレ)のみならず、革命政府を承認していなかった国(ある段階ではアメリカですら!!)は、ルイ16世の処刑の後、フランスの国家元首は「ルイ17世」である、という立場を公式に表明していたわけです。

 彼は、父ルイ16世の処刑の後、ひとりだけ引き離され、「共和主義者」への手荒い洗脳を受けます。そして独房に食事を差し入れられるだけの状態で拘禁されて1年、テルミドールの反動が終わってやっと医療の援助と人間的な扱いが回復し始めますが、時既に遅し。彼の身体は衰弱し、病魔に蝕まれ、10歳で死んでしまう。

(そうなる前も,勝手に「実は父親はルイ16世ではない。あのふしだらな、オーストリアの雌犬、アントワネットの不倫相手だ」という憶測パンフレットは当時のマスコミで山のようにばらまかれていた。当然、フェルセンが父親説もありました。でも,歴史的には、フェルセンだけが王以外の男性というのは結構定説化してました。ちなみに、意外と知られてないでしょうが、ルイ「15世」時代に、すでに、「現在日本で一番普及している避妊器具」は,実用段階のものとして、ありました。女ったらしのイギリスのチャールズ2世が王位継承をややこしくし過ぎないために、侍医が1651年発明とのこと(wikipediaによる)。牛の腸幕で作っていたそうなので、ほんとに上流階級の人だけだったでしょう。ルイ15世も、愛妾に「鹿の園」で徹底管理されていましたが、ハーレム状態でした。ちなみに、ルイ16世は、愛人を持つことを宮廷内で勧められても拒否し続けたくらいに、20代にして、性生活は「王としての公的義務」であっても「楽しみ」ではなかった人らしいです)。

 ところが、ダンペル塔に幽閉されていた「ルイ・カペー(16世の、王権を取り上げられてから処刑までの革命政府の公式呼称)の息子」は、実は他の子供にすり替えられ、監獄から救出され、実は生き延びているという伝説が生まれ、世界各地に「自分こそ生き延びたルイ17世」を名乗る人間が次々あらわれる。そのあまりのホンモノらしさに、革命後生き延びた、生前のルイを知る関係者すら翻弄される。

 この問題に、最終的な決着を与えたのが、DNA鑑定だったわけです。今から数年前のことに過ぎない。アントワネットの遺体も息子の遺体もまともな埋葬をされていませんでしたから、この鑑定に用いられた「サンプル」が現代にまで伝えられるプロセスそのものが、「小説より奇なり」の歴史の流転のドラマです。どこで出て来るかはお明かししませんが、「ロベスピエールが隠し持っていた時期がある」「イギリスのチャールズ皇太子もDNAを提供した」というくらいの広がりがあるのですね。

 そして,変化する政治情勢の中で、憶測とフィクションがいかに人間を翻弄するかについて、切ない思いにかられます。「生き延びたルイ17世」という存在そのものが、虚言癖がある人物や詐欺師というだけでは説明がつかない。「ルイ17世生き残り伝説」を信じたい人々が、よってたかってそれにおあつらえの人間を無意識のうちのも選び出し、いわば心理=社会的アイデンティティの上での「クローン」を生み出してしまう歴史共謀者であり、自称「ルイ17世」たちに対する扱いの変転そのものが政治的利害関係に翻弄され、彼らは本気で自分を「ルイ17世」と確信するとことまで周囲に追い込まれた挙げ句に見捨てられた人間なのではないかと思えて来ます。

 児童虐待や政治的洗脳の問題みならず、人のアイデンティティとは何か?人の善意とは何かということにすら,根源的な問いをつきつける素材と思います。

******

 ちなみに、アントワネットやフアナと対照的に、「婚姻政策」の道具にされることを断固として拒否し、むしろその自らの道具性を「ちらつかせ,活用する主体」となる生き方を選択することで、家臣や外国の王族を翻弄して、自らは結婚しないまま政治力をふるった女王といえば、この人ですね(^^)

「エリザベス」(主演:ケイト・ブランケット)

 この映画は既に以前に見ていました。

 あと、比較論の対象として面白いのは、それこそオーストリア=ハンガリー「二重帝国」(今度は正確な用語法だ!!)成立の立て役者、悲劇的最期を遂げたハプスブルグ家の美貌の流浪の王妃として名高い、皇妃エリーザベトでしょうか。名香智子さんのコミック版は、なぜか以前の職場に置いてあって、すでに読んだことがあります。私がこれまで本でエリーザベトのことをまとめて読んだのは「ハプスブルク家の女たち」だけです。もちろん、宝塚でヒットしたことは知っていますが、現段階でそこまで観てみようとは思わない。あとは私のヨーロッパの城への関心がらみで蘊蓄があるけど、今はまだ先送り。


******


 いずれにしても、ある特定のテーマだけを切り口にして、歴史の本を「複数」実際に読んでみることがそれがどれだけ人間と社会というものについての開かれた視野を生み出すか。下手にカウンセリングの本を一冊読むよりはよほど勉強になっているとすら思います。

 でも、これは、例えば物理学についてですら、生物学についてですら、基本的にはそのはずなのだと思います。

この記事なんておもしろいかな)

 ただ、私はここで「今の子供たちは」にしてしまうことに、違和があるんですよね。

 戦後世代の今の親たち自身が、とっくに、できあいのものの「消費」を生き甲斐とし、「消費」的な物事の学び方になじんでいる気はするので。

 いや、フランス革命の昔から、いかに「マスコミの扇動」で大衆が動くばかりかというのは、何も変わっていないとも言える。

 それこそ、この本を読んで(それどころか、この本「についての」新聞の社説だけを読んで!!)「そうだそうだ!!」でいることを、読み手の大人たちが日々の生活の中で超えていけるかどうかこそが大事と思います。さもなければそれそのものが、ただの、大人たちの

> 誰が悪いのかを言い当てて
> どうすればいいかを書き立てて

「一部の」評論家やカウンセラーが「米を買う」プロセス、

一時的な気休めのための「消費」です。(^^;)

(恒例、中島みゆきの中島みゆき - 寒水魚 - 時刻表"時刻表")

 自分の価値観を自分で揺るがして、統合し直すことそのものをおもしろがる主体としての「冒険者」を生きる「大人たち」がいないことには。さもなければ、それを受け身にやらされるだけだと、子供たちが「呑み込まれ不安」に留まるのも自然かと。

 フォーカシングは、まさに、多用な価値観に翻弄されるだけではなく、その中で「自分自身」であり続けるための援助であることこそ、ジェンドリンが「フォーカシング」の中で高らかに歌い上げた理念だと思います。

*****

 今日、たいていの人は、まだ、一連の新しい形式がいずれは賛成されるものと思い込んでいます。つまりこのことは、以前と同じように、わたしたちが、自分自身と他人に、新しい形式を押しつけねばならないことを意味しています。

 こうした古いスタイルの形式の押しつけが未だにつづいていることも事実です。例えば、今や人びとは新しい役割のパターンとして、嫉妬したり、所有的であってはいけないと考えています。もし恋人ないしつれあいが、他の人と性関係を持った場合、それを受け入れねばならないと感じています。しかし実際にはそれを受け入れることはできないのです。そこで人びとは、自分たちを新しい役割・パターンに一生懸命はめ込もうと苦労しているのです。フリーセックスは新しい形式です。だから人びとが古い形式を変えようと準備している間に、新しい形式を押しつけられてもピッタリしないわけです。そこで新しい形式がピッタリしないためにために、罪責感と自責の念が生まれ、とめどなく心が傷ついてしまいます。「いったい私のどこが悪いんだろう」と自分への問いかけがどんどん進みます。「もしこの形式が他の勇気ある人たちにふさわしいならば、なぜ私にふさわしいことにならないのだろうか」という疑問が湧いてきます。形式だけが新しいのです。これが古いあるいは新しい形式に同調していく普通の様式なのです。

 フォーカシングを知っているある夫婦は、彼らの関係を開かれたものにしていくユニークで複雑な方法を発展させていきます。またある人たちは、嫉妬を自分のからだに感ずるのだから、また改めてそれを大切にすることにしたといっています。ここで明確なことは、新しいものであれ古いものであれ、一般的なパターンを取り入れることがのぞましい方法ではないことです。私たちのからだは絶えず新しい学習を吸収していて、すでに持っている巨大な智恵の貯蔵庫に新しく何かを加えているのです。

 本当の学習は、自分自身のからだとの対話の中でのみ起こるのです。感受性に富んだフォーカシングのアプローチだけが、私たちひとりひとりにと親しい人びとの中に、ユニークでピッタリするような、本当に生きたパターンを生み出していくことになるでしょう。パターン創造をやってみようではありませんか。

Focusing_hyoushi_1ジェンドリン/『フォーカシング』訳書pp.211-2より。

2007/02/08

映画『マリー・アントワネット』追加報告。あるいは「学術研究」のあり方への感慨 (第2版)

 ブレイザーの原作、読了です。

 ブレイザーは、一カ所もツヴァイクに直接言及していませんが、明らかにツヴァイクを下敷きにして書いているとしか思えない部分は多いです。一方、ツヴァイクの名前こそ出さないものの、ツヴァイクに書かれてることを個々の点で否定することになる見解は、ところどころに観られます。

 例えば、アントワネットの兄のフランツ1世がフランスを訪問してルイ16世に会った目的が、ルイの「不能」問題の解決のためのルイへの忠告とアドバイスであったことはそのまま認めていますが、「手術」を勧めた、その結果「手術」をルイは受けた、ということには否定的です。

(映画ではだからそこまで言及しないのですね。....ああ、キルティン・ダンストが演じるアントワネットが「オクテ」ゆえにあの程度しかルイにベッドの上で「迫れ」ないことを繰り返したということが「画面で」伝わらないことを監督が問題にしなかったことが命取りに思えてきた.....。あるいは,台詞の字幕の訳にも限界があったり,観客が映像作品での露骨な性描写に慣れ過ぎているせいなのか?)

 その理由は、麻酔や痛み止めがない当時、一度手術を受けたら、2,3ヶ月は、とても乗馬できる態勢にないにもかかわらず、ルイ16世のその頃の狩りの記録にそれにあたる空白がないことを指摘しています。

 私には実際の馬の鞍にまたがってみた経験は、ごく短時間しかありませんが、なるほど、鞍というものは予想外に硬いものだし、早馬の時に腰を浮かせるにしても、股間に筋肉の力がかかるでしょう(^^;)。

 更に、二人が床を共にした日に、シーツに、「的を外した発射後の痕跡があった日」の公式記録なるものは存在するらしい。王妃の「将軍夫人」の日(脈絡でわかりますよね)も逐一公式記録があるとのことなので(^^;)

 こんな記録が召使いによって逐一確認され、記録され、実家の母親(テレジアのこと)にまで「手紙での報告義務」があったりすれば、「最初の一回に成功するか否か」に不安がある若者同士の心理的プレッシャーを考えれば、悪循環そのものであり、我々でも失敗と自己嫌悪、相互の気まずい思いを連発して、その気が失せそうである(^^;)

 だから、手術は受けないまま。フランツ1世は、女性経験のある男なら誰でも想像できる次元の「ちょっとした工夫」のアドバイスをしただけ、ということになります(^^)。
 おそらく、事前に「人工的あるいは意図的に」潤滑性を十分に高めるための手法、そして、そうした上で「ちゃんと動かせ」!!「抜かずにいろよな!」ということです(爆)

 これらのことから想像して、マリーちゃんもルイ君も、基本的にセックスに淡白で、悦楽の花園に誘惑する異性そのものに「実習を伴うレッスン」を受けて欲望開発してもらう機会もないまま長期間放置される環境にいたと想定するしかなくなるのであります。

 「一回目は立たなかった」「一回めの更に一回目は誤爆した(服脱ぐ間もなく「暴発」し、その後立たなかった)」「一回目は(男の方も)痛いばかりで傷だらけで、一番デリケートな部分の傷や炎症や痒さにその後苦しんだ(液体や雑菌への免疫がないので)」などというのが真相という皆様が、実は非常に高いパーセンテージでいないとは言わせませんが(^^;)。どっちかが経験者でない限り(そうであったとしても)、そんなものでしょう。

 「心とからだの感じ」にデリケートに依存する「習熟スキル」である限り、双方未経験から、いきなり両方が絶頂に達し、本音のところで満足できる、百点満点のことができるなんて、幻想でしょう(きっぱり)。

(おいおい、「専門家」としておまえはここで、そこまで「アブナい橋を渡る」暗示的比喩を使うか? って? 

 ....いや,別に、私は、スポーツや車の運転ですら、全く未経験の人が、知識だけ詰め込んで、いきなり試合や路上の運転をすらすらと楽しめるなんてあるかね? と、「いろんなジャンルのことがらに共通のあたりまえのこと」をいいたいだけです。

 .......皆さん、妄想的にならないように(^^;))

 何事においても、「失敗」や「気まずい思い」、「試行錯誤」は避けて通れず、少しずつ「うまく」なり、少しずつ「おもしろくなって」くること。そしてそのことをお互いに理解しあうための相互の思いやりや気配りなしにはなりたたない。適切なタイミングでの適切なアドバイザーの配慮あるピンポイントの助言がないばかりに,深刻な悩みへの悪循環になってしまっているだけだったりするわけですね。一回のアドバイスだけですべてがバラ色、というのもウソですが。

 これは、個々人が、そのことをどこまでできるか、どこまでめざすか、どこまで興味を持つか、どこまで「際し障りがないくらいに最低限身につけ、演技もするか」否かの判断の自由を認めた上でのことです(^^;)

*****

 ツヴァイクの伝記そのものは、同時代人でない以上、「一次資料」にふんだんにあたっていても一次資料そのものではない
 そして,他の人の、推測による、あるいは政治的/意図的に歪曲された歴史解釈を厳しく退けつつも、ご自身はといえば「文学的創作」の誘惑に明らかに負けている部分もある。

 それに対して、フレーザーという人は、奥ゆかしい人で、「私の商品は『ここが』従来の他社製品とは違う!!」なーんていう自己喧伝で評価されることに無関心、ないし、そういうの、見苦しいという価値観の持ち主なんでしょう。イギリスの名門の人みたいですしね。

 古今のオックスブリッジ出身の学者で、こういう点で「商品差」の喧伝に存在意義を露骨にかけるひとはいくらでもいるにしても。
 ウィトゲンシュタインの前期論理実証主義哲学なんて、師、ラッセルの数理哲学と記号論理学への重大な「誤解」(「階層」の問題についての)を前提としているわけです。

 ........でも、すでにツヴァイクを十分読み込んだ人には、どこでツヴァイクの見解を否定したかはわかる筈の書き方はしている、というあたりでしょう。

*****

 思わず、学術論文というものだと、「既成研究をどこまで押さえていて、どこからが独自性か」を明示できないとならないことそのものが、実はそれだけでは必ずしも既成研究への謙虚な理解を前に進ませるとは限らないものである現実を、自戒を込めて振り返ってもしまいました。(^^;)

 だって、既成研究そのもの読解を筆者が間違っていたり、論文審査委員の方が間違っていることはいくらでもあるのだ。私は、両方の立場での実経験があります。

 誤解.誤読、流行、権威主義、知ったかぶり、売名への野心、党派性、媚びへつらい、プライド、受け売り、嫉妬....こうしたものからほんとうに自由な研究というのは、結局最後にはひとりひとりの良心性、そして「自分の間違いを認める勇気」なしには成り立たないのかもしれません。

2007/02/07

映画「マリー・アントワネット」「女王フアナ」、あるいは浜崎あゆみの「成熟」について(第2版)

 この映画と比較してみるとおもしろいのが、ヴィセンテ・アランダ監督のスペイン・ポルトガル・イタリア合作映画「女王フアナ」(2001年制作)である(解説サイトはこちらなど)。

原作本。フアナについては、かなり前にこれこれも読みました。


 フアナは、カスティーリア(スペイン)女王、イザベルの娘。イサベル女王は、あの、イベリア半島最後のグラナダ王国を陥落させてレコンキスタ(キリスト教徒の失地回復運動)を完成させ、コロンブスを新大陸に送り、大航海時代のスペイン繁栄の礎を築いた女王である。
 フアナは、イザベルのしくんだ政略結婚で、ハプスブルグ家のブルゴーニュ(現在のティジョンを中心とする、フランス北西部の狭義のブルゴーニュ地域のみならず、今のオランダ・ベルギー、ルクセンブルグなどのフランドル地域から、アルザス・ロレーヌなど、フランスとドイツの辺境地域を含んでいたと思ってください)公、フェリペ王子のもとに嫁ぐ。
 情熱的で美男子のフェりペにフアナはすぐに惚れ込み、二人は最初仲むつまじく暮らし、子供にも恵まれるが、フェりぺに愛人がいることが発覚、フアナは、フェリペと愛人に異様なまでの嫉妬心を向け始める。王や王子が愛妾をもつことは当然とみられていた時代、フアナのヒステリックなふるまいは宮廷では異様なものと映り、「王女は狂っている」という噂が、実際よりも誇張されて貴族社会に広がる。
 皇太子だったフアナの兄、フアンの急死。更に次の皇位継承者の姉の死が生じ、カスティーリアのしきたりに則り、母、イザベル女王の死後、皇位継承権は、思いもよらず、フアナのものになる(フェリペは「共同統治者」を名乗りたかったが、「王の配偶者」(王配)としてしか認められなかった。
 スペインには、ハプスブルグ家の血をひく男子が王室の血を継いでいくことに対して内部抗争があり、ハプスブルグ家と結んだスペイン勢力は、フアナの情緒不安定を理由にフェリペを摂政にしようと企む。
 ところがそのフェリペも、伝染病で若くして急死してしまう。フアナはその衝撃で精神状態を更に悪化させ、やっと「自分のもの」になったフェリペの棺を家来たちに引かせて、スペインの荒れ野をさまようという奇な行動を取り、その後40年、修道院に幽閉される。その後も、時々フェリペの棺を訪問することを許され、ミイラ化した亡骸に接吻するという行動を繰り返したという。
 フアナの女王としての身分は保たれたが、その間に、息子のカルロス5世が摂政として実質的な権力を握り、神聖ローマ帝国とスペインを併せた巨大国家の長として君臨することとなる。

 ...このように歴史を紐解くと、「十代での政略結婚」「尾ひれのついた噂の中で政治的に利用される」「若くして幽閉生活へ」という点で、マリー・アントワネットの生涯と妙に重なるところがある。夫がプレーボーイだったという点ではフアナは対照的だが。

 そして、共に時代に翻弄され、スキャンダルまみれになった「悲劇の王妃」「悲劇の女王」は、実は、王族というには「あまりに普通の若い女の子」だっただけではないのか、という視点から描き出している点でも、この2つの映画には共通項がある。

 更に言えば、フアナは、修道院に幽閉された後も、ヨーロッパ制覇の野望に燃えて新大陸から得られた富をひたすら戦争につぎ込むだけのカルロス5世の支配に反対するスペイン貴族たちの反乱にも巻き込まれるなど、後半生にも波乱があるのだが、映画「女王フアナ」は映画「マリー・アントワネット」同様に、「ドラマチックな晩年」をクライマックスとして描くことへの、観衆への期待を見事に裏切るかのような時点で、突如エンディングを迎えてしまうのである。

*****

 ソフィア・コッポラ(もちろん大監督フランシス・コッポラ」の娘)の「マリー・アントワネット」、「期待はずれ」という感想に接することが私は今のところ多い。それでも自分の目で見て納得しないと気が済まないのが私であった。

 なるほど、いくらソフィア・コッポラとの数年前の映画では評判だったとしても、主役のキルティン・ダンストは、いくら14歳で結婚するアントワネットを演じるには今や少し苦しいかもしれない。どうしても少しカマトトっぽく見えてしまうのね。「数年前には」ハイティーン向けのテレビドラマで人気があったにしても。
 同じようにスペインのハイティーン向けのテレビドラマで人気絶頂だったフアナ役、ピラール・ロペス・デ・アジの「映画初挑戦」と比較してしまうと、分が悪い。

****

 余談ですが、今の浜崎あゆみだと、うまくすれば「十代の高校生でっす!!」という演技をさせようとしても無理がないのだ。この人の場合、特に"I am..."から"Rainbow"の頃は、実際以上に背伸びしていたと思うし、メイクも嫌に大人びていた。でも、ほんとうは今でも156cmで、思春期体型に近いことは、ナマのayuを間近で観れた人(あるいは私のように双眼鏡で視野いっぱいに拡大してayuの3Dでのプレゼンスを味わったことがある人)ならご存じのはず。

 そして、何かおととしの「人間臭くいたい」発言のちょっと前の頃から、ほんとうに見かけ年齢が逆に若帰ったようにも思える。これはメイクのせいだけではなくて、本人の精神的変化が自然と現れているのだと私は感じている。ホントに「等身大」になってきたし、そうやって「等身大」になることこそがayuの「更なる成熟」だったという逆説を私は感じてます。
 だから、シークレットインソール気味の、ヒールの高いロングブーツさえ脱いでしまい、等身を本来の形に戻してしまえば、メイクと演出と演技次第で、10歳はサバを読むことが今でも全く不可能ではない(褒めてるんです。念のため)。

 そのあたりの効果が絶妙に発揮されているのが、"momentum"のPVにおける、ティーンの女の子とも妖精とも受け取れてしまう、「雪の中ayu」の名演技である(明らかに、意識的に底の薄いブーツ履いてると思う)

 ......"momentum"のPVについては、も一回書きます。

*****

 話を元に戻すと、映画「マリー・アントワネット」は、意識的に現代的なものを織り込んだ、音楽と靴とケーキを別にすると、実は歴史考証の上ではほとんど「何も」おかしなことは描いていないのです。この映画を観た時点では、映画の原作のフレイザーの方の伝記はまだ全く読んでませんでしたが、ツヴァイクの伝記だけによってすら、この映画にはほとんど矛盾する描写は出てこないのですね。この段階で、フレイザーの伝記が、ツヴァイクの伝記に敢えて挑戦するような内容ではなく、一致点の方が多いだろうことは、想像がつきました。

(今、フレイザーの方を半分ほど読みかけてますけど、基本的には、思ったよりずーっと「同じ路線」なのです。歴史の予備知識に自信がない人には、そのあたりまでやさしく解説するフレイザー、文章の「濃さ」と迫真性と辛口度という点では、ツヴァイクというところでしょうか)。

 結婚宣誓の文書のアントワネットのサインが「あんなふうになってしまった」のも、史実ですし(^^)、あの、贅沢三昧の時期のアントワネットの頭の上の、もの凄く盛り上り、いろんな模型が刺さっているファッションは、同時代に書かれた肖像画やツヴァイクの伝記の描写そのもの。

 プチ・トリアノンに映ってからの「ナチュラル &スローライフ」志向への切り替えが、当時のルソーの「自然に帰れ」の「最新流行」にそのまんま乗った「だけ」の「贅沢の一種」なのも、ツヴァイク描かれている通り。宮廷の中では、アントワネットのこの段階での「ナチュラル指向」ファッションは明らかに「浮いて」いて、旧弊な宮廷人からは眉をひそめられたそうです。でも、そもそもああやってお金をかけて「農民ごっこ」をしていた夫人は、他の貴族にもいっぱいいたのですね。なのにアントワネットだけそのことを取りざたされるのは、彼女がファースト・レディだったからに他なりません。

 史実と異なるのは、

.1..パリの「女たちのヴェルサイユ行進」の結果、国王一家がヴェルサイユからテュイリー宮殿に移動するまでのいきさつ(1789年10月5日)で、宮殿のバルコニーの下で待つ群衆の前に最初に姿を現わしたのは、夫のルイ16世の方で、実はその時点ではルイは文句なくそのことで喝采を浴びた。
 まだ革命のこの段階では、市民の大半は、ルイ16世の廃位とか殺害なんて思ってもいない。確かロベスピエールすらまだ王党派だった。政治的扇動の上でも、そこまでねらうほどの急進共和主義者ははまだ多くなかった。「王が公平な議会制立憲君主制に同意してくれれば十分」「悪いのはみんな『浪費の女王』アントワネット」というのが大勢だった。ルイ16世に「期待」してもいたのである。
 だから、ルイ16世がバルコニーに立つだけでは民衆はおさまらない。次に、あの「諸悪の根源」「世紀の悪女」アントワネットを出せー!! というムードだった。ツヴァイクの評伝を読む限り、むしろ、アントワネットがバルコニーに立つことの方が、投石や、狙撃による暗殺などの危険がよほど高い中で、彼女は敢えて決断してバルコニーに出たのである。しかも、映画でのように民衆に頭を下げることすらせず、黙って立ちつくすだけで、怒号の民衆を「気で圧して」沈黙させたらしい(アメリカ独立戦争に義勇軍を率いて参加した民衆の英雄、ラファイエットがすぐに王妃の隣に立つという機転を利かせたことで、「王妃万歳!!」の歓声が沸き起こるのだが)

(後日記:この部分、これは、映画の中で全く出てこない、後の事件、つまり、テュイリー宮殿に移った後の、1791年6月の国王一家の国外逃亡の失敗(ヴァレンヌ事件)、その更に後の、1792年8月10日、今度はテュイリー宮殿が再び大群衆と義勇兵に取り囲まれて、国王一家が議会に避難した後、宮殿で生じた、近衛兵の発砲を引き金とした義勇兵と民衆による、宮殿に残っていた人たちの大虐殺(「8月10日事件」)を経て、王権停止の議決、ダンプル塔に国王一家が幽閉されるまでのいきさつと、私の頭の中でごっちゃになっていたようです。m(_ _)m )

 ちなみに、ルイ16世は、ルイ15世より王として頼りないと言ってしまうのは不公平みたいです。元をたどれば、先代のルイ15世が統治数十年の長きにわたりる治世において、愛妾との生活にうつつを抜かして政治にあまり関与しなかった間に、パリの貴族階級全体の爛熟と社会経済の困窮はゆっくりと準備されていたのだし、ルイ16世も、ルイ15世が溺愛し、帝王学をみっちり仕込まれた王太子が急死したものだから、皇位継承権が「繰り上がって」しまっただけ。しかもルイ15世そのものが病気で急死したもので、予想以上に早く18歳で王位に就いた。
 つまり、帝王学を学ぶ余裕もないままに、あまりにも早くフランス王国の「負の遺産」を背負い込んだ不運な人であり、そんなに迷妄ではない、真面目でそこそこ善良な人間だったのである。
 庶民の暮らしの現実をあまりにも知らなかったとも言えるが、この点は大抵の貴族と五十歩百歩である。プレイボーイと正反対であったが、女性に宮廷を牛耳られる構造はすでに先代のルイ15世の時代に確立していたとも言える。ちなみに、錠前作りは、ブルボン家代々の修行だったらしいし。狩りが何より好きというあたりは、劣等感の裏返しとはいえ、男らしくもあったといえる。「国王の狩りの勇姿は観に行く価値がある」という証言が残っているそうだが、おべっかばかりではないようだ。.....性格は、確かに、少しアスペルガー的ですらあるとは思いますが。
 アントワネットの濫費についても、アントワネット自身の出費ではなくて、アントワネットの取り巻きたちがピンハネした利益、貴族や僧侶身分の裕福な層の濫費の問題が、ひとりのよそもののオーストリア女に押しつけられ、スケープゴートにされたという側面を考えれば、傾国の原因の氷山の一角。
 ちなみに、アントワネットの母親のマリア・テレジア女王にしても、まさに「かかあ天下」そのものの存在だったし、若い頃は賭博好きだったらしい。自分のそういう「負の側面」がアントワネットに受け継がれている兆候があったればこそ、あれだけ手紙で口やかましく説教したのである。
 アントワネットも、上の姉が死んだので、大国への王妃候補として繰り上がってしまったという点では、ルイ16世と同じ状態で、甘やかされていた末娘として、王妃にふさわしい修行は、フランスへの縁談が具体化した時点で「ドロ縄式」になされはじめたものだった。「この子の欠点は、集中力がなくてその時の気分だけでパッと反応すること」ということを母親(マリア・テレジア)ははっきり見抜いていた。
 アントワネットの知能そのものは高くて、目の前にいる人間への直感的判断応力と決断力には秀でていたことは間違いないし、ほんとうに革命の進行の中で追い込まれていくと、公的な発言の場での機転と隙のない切れ味の良さが出てくることは確かである。
 処刑される前の裁判での弁論など、すでに相当やつれていた筈(子宮がんが疑われるらしい)なのに、2日間、一日10時間以上の法廷の緊張に耐え抜き、自制心を失わず、自分を陥れようとするエベールや証人たちを完膚無きまでに隙なく論破していることは公判記録に明白に残っている。要するに「はじめに死刑ありき」だから通じなかっただけで、アメリカあたりへの第3国への国外追放処分というあたりが妥当な判決だったと、数年前にフランスで行われた「模擬裁判」の結果、90パーセント以上の陪審員が判断したらしい(以上、フレイザーの伝記より)。
 ユング風性格類型論的に言えば、主機能外向的感情型(物事を好き・嫌いで判断する)副次機能は感覚型(つまり、目の前にある対象への審美眼はあるが、背後に隠された可能性は見抜けない=事態の「直観」的洞察力には欠ける)、エゴグラムで言えば、FC(自由な子供)優位だが、CP(批評的な親)やAC(順応的な子供=いい子)の低さに比べれば、A(成人的な現実性)は平均水準以上、というところか。世間の現実は知らない分経験値が低いのでAの潜在的高さが生きないだけである。
 まあ、二人とも「あなたら国一番のVIPなんだから、よほど用心しないと、ていのいいスケープゴートにされちゃうよ」という先読み的政治的現実感覚という点では、全くもって無防備だったとは言えると思います。
 映画で描かれているように、最後のパリ外出時のオペラ座見物での聴衆の反応が以前とまるで違っていたことに危機感を覚えつつも、「気がついたら宮廷に出入りする人が減っていて」、バスチーユが陥落しても危機感なし、前述の、パリから女たち中心の大群衆が行進して来るその日まで、ルイ16世は「いつも通り」狩りにでかけ、アントワネットもプチ・トリアノンで、農夫の姿で物思いにふけっていたというのは確かですが、そのくらいに、ベルサイユはパリの現実から実感的にも離れていたわけです。あのへんは、ほとんど「ツヴァイクの」伝記での語り口が、映像でそのままダイレクトに見事に表現されているといってもいいでしょう。
 でも、それは、世界中に、家のドアを一歩外に出れば、いつ犯罪に巻き込まれてもおかしくない現実が生々しく待っている地域がたくさんあるということなど実感できない、たいていの日本人の「無防備さ」と何も変わらないとも言えるかと思います。

2.どうして、ルイ16世の不能の原因が「○○○○」だったからに過ぎないこと、アントワネットの兄のフランツ2世がわざわざフランスまでやってきたのが、男と男の仲で、その「治療」を勧める目的だったからということを描いていないのかはちょっとわかんない。
 むしろ、映画を観る人が「誤解」するのは、お母様のマリア・テレジアから手紙で「もっと積極的に迫れ」と要請されたのに、「あのくらいしか」ベッドで誘惑しないアントワネットの描写が「物足りない」と感じてしまうだろうこと。アントワネットは「耳年増」で、女友達には話を合わせていたかもしれないけど、実はすごい「オクテ」だったのは歴史的事実のようです。ほんとうに夫とフェルセン「しか」男性経験がない可能性が高い。
 「レズビアン」という噂が立ったのは、まさにアントワネットがまだサリヴァンのいう「前思春期段階」的な同性との親密さの域に留まったまま、みかけだけ背伸びしていたから。そして、この映画、映像文法の上では、満たされぬ性欲そのものというより、昨今日本で話題の(--;)「子供を産む機械」としての期待のプレッシャーに加えて、問題に「私の友達やおじいさま(ルイ15世)は今頃えっちしてるのにぃ!!」という、周囲からの疎外感のフラストレーションがアントワネットを追い詰めていくさまを、正攻法で表現している。
 これがそのように見えないのは、ひとえにキルティン・ダンストのプレゼンスのせいであろう。てめー、演技やメイクや演出によっては「初々しく」見えない点ではayu様にまるで及ばぬ。こういうのは、中井久夫先生ふうに言えば「こころの産ぶ毛」を保ったまま成熟できるかどうかという、半ば天性の問題だから.....
 この点で、『女王フアナ』を観ると、フアナが、まだ精神的には幼ないままの状態で、手練れの「プレイボーイ」のフェリペ君に、会った早々「初夜を迎える宮廷儀式」すらすっ飛ばして30分もかからずに陥落されてしまったおかげで、アントワネットとは逆に、むしろ、宮廷でのすべての社会的ストレスが性的ストレスの悶々に「置き換わる」方向で尖鋭化したんじゃないのか? というあたりを、フアナ役のピラール・ロペス・デ・アジは、うまく演じきっている気がする。こういうあたりは、もうおじいさんに近い老練な監督さんの方が演技指導もうまくいくのだろうと思う。

 あと、「せっかくベルサイユでロケしたのに」という言い方は、かつて「ベルサイユの薔薇」実写映画版(私は観ていません。でも、雑誌の記事のグラビアとかの記憶はあり。俳優は皆西洋人です)も、ベルサイユでロケされたのに、そういう映画があること、たいていの人、記憶すらしてないということを念頭に置かないと、「返す刀でバッサリ!!」ということになるわけでして。
 私は、ベルサイユでロケしているのに、それがまるであたりまえのことであるかのように描かれてしまうからこそ、この映画は意味があるのだと思います(^^)。ルイとアントワネットにとって、それは「あたりまえの日常」だったのだから。幻想と追憶の彼方にある世界、みたいな変なオーラがないことにこそ、この映画の意義なのです。

******

 でも。私の結論としては、問題をキルティン・ダンストの限界に還元したくはない。あるいは、ソフィア・コッポラの監督としての技量の限界故の不徹底さにも(それもあるかもしれない気がするが)。

 ひとつには、実は、予告編のイメージとのギャップで損してないかな、とも思うのだ。

 あの予告編だと、まるでこの作品の基調が、

「ちょっとキッチュな、コメディタッチの作品」

を期待させてしまう気がするのだ。

(予告編は、映画スタッフとは別の人が作るのが通例とのことですが)

 実際には、むしろ叙情的で、淡彩で静かで透明な、パーソナルなトーンが中心の作品という気がする。むしろ、多くの衣装だけが古めかしいことにミスマッチ感覚が出てしまうくらいでいいのだ。

監督は「マリー・アントワネットは、実は、なぜかセレブな家に生まれちゃっただけの、中身は現代の普通の女の子と何も変わりがないティーンの女の子なの」ということこそ、描きたかったことなのだろうし、彼女の実像はホントにそうみたいなのである。
 ブレイザーではなくて、すでに75年前に書かれたツヴァイクの伝記のサブタイトルそのものが「一平凡人の肖像」というのだけれども、彼女が全く「中庸の女性」であり、歴史があのような悲劇的運命に追い込まなければ全く平凡で無名な王妃に終わったろうということこそ描こうとしていることなのである。

 ルイ16世が「家庭の父」としては十分に愛情あふれる存在であり、そういう「家族人としての夫」との関係においては、アントワネットも十分に満たされているばかりか、ベルサイユを離れてから、テュイリー宮、更にタンプル宮と、より自由度のない、狭い空間に幽閉され、ルイの王権が制限されればされるほど、ルイとアントワネットの一家は、ささやかではあるが親密で暖かい家族関係という点では、ベルサイユ時代よりも幸せですらあり、実際にこのファミリーに接した看守をはじめとする周囲の人間は、「フランス人民を苦しめた諸悪の根源」というマスコミや政治家のまき散らしたイメージと、そのあまりの「普通の幸せな家族っぽさ」のギャップに当惑し、巻き込まれれ、いわゆる「王党派」ではなくても、思わずこの一家に善意に同情的に振る舞ってしまうところがあったことも確かなようである。
 このあたりは、(映画では出てこないけど)逃亡がヴァレンヌで発覚して、パリに帰還する際の、監視役として馬車に同乗した国民公会の特使2人(ひとりはバリバリのジャコバン派闘士の筈)が王室一家のアット・ホームぶりに巻き込まれていくあたりの、ツヴァイクの語り口は、そのまま映画にできそうなくらいのコメディーである。ジャコバン派闘士さんは、何と回想録で、ルイ16世の妹のエリザべートに愛を向けられたという思いこみを綿々とロマンチックに書き連ねたことで死後も恥をさらし続けている。
 逃亡の行きがけなんて、実際に馬車が走り出せばほんとうに家族的なピクニックのようなノリだったらしい(本人たちの意識にそうやって危機感がなさ過ぎたことも、失敗の一因なのだが。計画をあそこまで準備した、フェルゼンさんはさぞ空しかったことだろう.....この人、行く国ごとに愛人を増やしていく、当時の社交界空前のプレイボーイだったけど、監獄の中のアントワネットとも文通を続け、救出作戦を練るくらいの、アントワネットになくてはならない相談相手、心の友であり、ほんとうにアントワネットのためとなると東奔西走、尽くしに尽くし、アントワネットの理想の「白馬の騎士」そのものとして生きたことは史実である。

 このへんまで映画のノリのままで描くこともできただろう。もっとも、そうなると3時間の超大作にする必要があったろうし、それは今の時代には不可能だろう。

*****

 しかし、この映画は、それを遡る、ベルサイユからチュイリー宮殿への移動、夕日のベルサイユを観ながら馬車が走り出すシーンでエンドとなる。

 でも、まさにその、夕日をのベルサイユを観ながら、ルイとアントワネットが「あの会話」を交わせたところで、この映画のメッセージはすでに十分完結していたとも言えるだろう。

 この映画では、二人の宮中での食事の場面が、同じアングルで繰り返し出てくるが、その執拗な繰り返しが、このラストの二人の会話に収束した時点で。

 この瞬間、やっと、ルイとマリーは、ほんとうに「出逢えた」。

 フェルセンは、「マリー」にはじめて恋の炎をともした、ひとときの夢のようなできごと、白馬の王子様、という薄っぺらい存在感だけで作品舞台から退く。この映画では、それでかまなわないのだ。

****

 ちなみに、『女王フアナ』が、フェリペの死の後、先に述べた、フアナ伝説のクライマックスと言うべき、「亡き夫の遺骸の棺桶を引かせての荒野の放浪」(それについてのもっとも有名な絵がこれです。凄み、ありますよ。wikipediaの画像ファイルへのリンクがスペイン本国版からはたどれて良かった)すらさらりと暗示するだけで、THE ENDに向かうのも、全く同じ理由かと思う。


****

 BGMは、ayuの浜崎あゆみ - Startin'/Born To Be... EP - teens (acoustic version)"teens"にしておきます(^^)

 それこそayuのアルバム”My story"のアルバムオリジナル曲、"(miss)understoood"
"Secret"の時期のたいていの曲がそのままOKと感じますが。

****

 なお、この2005年のライヴの冒頭で、ayuは明らかに自分をアントワネットになぞらえています。.

 私が実際に2回も体験している、"teens"のライヴでのayuの、CD版を超越した名演は、こちらです。

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

2007/02/01

眼鏡なしの歴史三昧(あるいは,今後の予定)

 珍しく、ブログを3日ほど書かなかったのですが、その間も、ブログを更新していたときと全く同じペースで当ブログにおいでいただき続けていたことに感謝申し上げます。

 私の活動全体のペースそのものは全く変わっていません。

 結局、眼鏡は発見できませんでした(^^;)。40代半ばで、老眼が刻々と進んでいる筈なので、結局、福井への出発日である本日から逆算してぎりぎりの日に、「再検査してフレームごと眼鏡を新調する」決断をしました。「今」やっと、できあがった眼鏡を引き取って来たのですね(^^)

 さすがに、遠視乱視近視すべてが重なっていますと、パソコンは画面20センチに接近しないと見えません。その姿勢でブログを無理して打つと、かなり猫背せざるを得ず、「腰にくる」ので、完全に開き直り、面接をしている時間以外は、ブログの記事は無理して書かず、その分を職場の新しいパンフレットの作成と発送と、普段から眼鏡なしが普通の、読書にのみ集中することにしました。

******

 ....で、何を読んでいたかと言うと、予定通り、歴史書三昧でした(^^)。いったんその世界に入ってしまうと、いろいろな思いが湧いて来てしまって、それを整理してうまくことばに言葉にできないモードにもなってしまい、(思わず浜崎あゆみ - No Way to Say - EP - No Way to Say"No Way to Say")、一層書くことから遠のいてしまった気がします。

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

 結局、映画「マリー・アントワネット」は眼鏡なしでだと最前列で観てももったいないので観ないままです。私はもともと、有楽町マリオンの日劇の大スクリーンは別とすると、前から3列目から5列目ぐらいで視野いっぱいに映画を観るのが好きなくらいですから。
 ......で、ジャコバン・クラブの前身、ブルトン・クラブがブルターニュ出身者が多いことに何か意味があるのかという関心から、

ブルターニュの民族主義成立の背景→ケルト民族

原聖/「<民族起源>の精神史 -ブルターニュとフランス近代-」)

→スコットランド

高橋哲雄/スコットランド 歴史を歩く」

.....とまわって、結局、マリー・アントワネットに戻り、マリー・アントワネットの伝記の古典である、ツヴァイクの本(1932)を読破。

 更に、マリー・アントワネットの作曲したとされる歌曲を、「ベルばら」の作者、池田理代子さん(音大を出て,現在はソプラノ歌手としても第1線で活躍しているのはご存知の方が多いかも)自らが歌ったCD、

 そして、このあとは演劇としての「フィガロの結婚」の作者、ボーマルシェの映画

(「演劇」フィガロが検閲をくぐり抜けて上演にこぎつけるまでにはにはアントワネットが大きく関わっている。アントワネット自身がベルサイユの宮殿内の舞台で「役者として」演じている!!)を経て、「ルイ17世問題」とアントワネットの肖像に詳しい本を経て、更に、恐らくロベスピエールの恐怖政治の背景についての本を探すところまでは、一気に「フランス革命」モードで走ると思います。

 映画「マリー・アントワネット」は、そういう渉猟の途中,来週の木曜日の
「定休日」に藤沢で観てしまうでしょう。

******

 さて、今から上野駅に出発するまでに書ける範囲は限られているので、「今後の予定」内容をかいつまんでダイジェストするにとどめます(^^)。
 
 つくづく感じ始めているのは、フランス革命のプロセスそのものの中に、現代にも通じる、政治と社会と個人のありようが、縮図のように読み取れるという思いです。

 そして.....

 このブログの記事の流れの中で、実はすでにさりげなく,何度となく示唆していることになるかもしれませんが、少し前から、私の中に、ひとつの「直感」としてあるのは、

浜崎あゆみのあり方を
マリー・アントワネットのあり方と
シンクロさせたらどうなるか

という思いなんですね。

 ツヴァイクによる伝記を読んだ時点では、この直観は生かせそうだと感じています。

 結論は書いておいてもいいでしょう。

 「浜崎あゆみはバカじゃない」

 これは、ayuのデビュー1周年の頃の、「オールナイト・日本」でのayuの特番がでDJした時に使われたサブタイトルですが、

 「マリー・アントワネットも、おバカさんではなかった」

.....ということ。

 気づくのが遅過ぎたし、ある意味で、最後まで「王」に必要な決断力を発揮できなかったルイ16世の「王妃」というアイデンティティを超えられなかったがゆえに堂々巡りしたところがあるにしても、彼女は、ハプスブルグ王朝黄金期を築いたオーストリア=ハンガリー帝国の最も英明な政治力を持った女王、マリア・テレジアの娘そのもの、つまり、「『王の器』の精神的後継者」として、母親のアイデンティティを見事に引きついだ、自立した「政治家」として生涯の最後の数年を終えたとはいえそうだということです。

 それが「ツヴァイクの」史観といえばそうなのかもしれないけど、少なくとも、フェルセンの果たした役割について、もっとスウェーデンの政治情勢と直結させてシビアな理解はできるかもしれない可能性をツヴァイクの伝記に感じる点は留保するにしても、王妃
としての「アイデンティティの確立」までの問題として、アントワネットの生涯を読み解く価値が十分ありそう
とは、強く感じました。

 

2007/01/23

マリー・アントワネットからスコットランドへの道(?)(第2版)

 少し前の記事でご紹介した、
原聖/「<民族起源>の精神史 -ブルターニュとフランス近代-」)

を本格的に読み返すきっかけを生み出したのは、意外にも「マリー・アントワネット」なんです。順調にいけば、今週末、四日市で見るようにスケジュールを組んでいます。

(後日記:本格的なこの映画評はこちらで掲載しました)

最新映画、話題作を観るならワーナー・マイカルで!

 私は、クリント・イーストウッドの「硫黄島2部作」の時と同様に、事前に世界史の復習を始めたわけです(^^)。つまり革命前夜からフランス第一共和制のあたり。実は、プチ・トリアノンに引きこもって以降のアントワネットが必ずしも瀟洒な生活ばかりを愛したわけではない、とか、かの有名な「パンの代わりにお菓子を食べればいい」という言葉は、アントワネットに対する悪意から歪曲されて伝わった可能性があるということは知ってました。

 今回調べてわかったのは、私はずっとフェルゼンというのは、「ベルサイユの薔薇」の虚構の人物と思いこんでいたんですね(「ベルばら」のディープなファンの人、笑ってください^^;)。そしたら実在も実在で、マジにアントワネット命だった人らしいということ。アントワネットが処刑された後は、スウェーデンの外相、元帥(そこまで偉くなったとは知らなかった)として、かなり強烈な反動的な政策を行い、母国スウェーデンの政治家として民衆の恨みを買い、最後は、政治的謀略の中で見殺し同様の形で民衆に惨殺されて生涯を終えたとのこと。

 スウェーデンという国は、スカンジナビア諸国の中でも、特異な「政治的」影響力を持ち、デンマークにおけるドイツ(神聖ローマ帝国→プロイセン)、フィンランドにおけるロシアのように、大国と直接隣接していなかったために、デンマークとしょっちゅう戦争したり合体したりしながらも、バルト海の南の国々からの影響を「独自路線」で摂取し、中世から近代まで、日本で一般に知られるよりは、大きな役回りを演じた国のようです。

 ヨーロッパ主要国に張り巡らされた姻戚関係のみならず、近代的な「国軍」の創設という点でも、グスタフ・アドルフのドイツ30年戦争へのプロテスタント勢力への積極的荷担がドイツ国土を荒らし回る脅威を通して、むしろ他のヨーロッパ諸国のその後の手本となった。「傭兵」に依存する軍隊が時代遅れのものになり始める大きな転機となるのである(このへんは菊池良生/「傭兵の二千年史」 による)

 その結果、プロテスタント諸国では珍しいくらいの絶対王権を持ち、プロテスタントらしからぬ(?)壮麗な教会を含む、ヨーロッパを代表する宮殿や城を生み出してもいます(この、私のお城や宮殿についてのこだわりはまたいずれかの機会に)。

 Wikipediaによれば、そういう近代の「大国」スウェーデンの、革命前夜のフランスへの介入のためのスパイがフェルゼン(「フェルセン」と読むのが本来の発音らしい。これは納得)だったとのことです。実はアントワネットの実家、オーストリアのハプスブルグ家は、30年戦争でドイツへの覇権を争って以来の、スウェーデン王室にとって最大の目の敵だったわけです。しかし、どうも本国の「アントワネットを籠絡して操縦しろ」という意図を超えた「個人的感情」で結局動いたところもあるようです。

 日本の無条件降伏が実は「中立国」スウェーデンに打電されたことをご存じの方もあるかもしれません。「日本のいちばん長い日」でも、スウェーデンへの打電の時刻をせっつく外務省の役人が繰り返し出てきますね。

*****

 思わず最近関心が強くなったスウェーデンという国の話題に、フェルゼンのことから、寄り道してしまいましたが(私は、こうやって一国ずつヨーロッパ史を渡り歩くようである)、本題に戻りますと、あの恐怖政治を引いた、ロベスピエールらのジャコバン派
実は、ブルターニュ出身議員で作る「ブルトン・クラブ」が原型だったということを知り、フランスの中でも特異な地域性を持つブルターニュ独特のナショナリズム(民族主義)と、ジャコバン派の急進性の間にひょっとしたら連関があるとすれは、たいへん逆説的ではないかという発想が生じ、もう一度ブルターニュについて丁寧に調べ直そうという気持ちが生じたわけです。ちなみに、さっき「ブルトン・クラブ」といいましたが、ブルターニュ固有の言語のことを「ブルトン語(ブレイス語)」と呼ぶわけで、中央集権的「言語純粋主義」の権化のフランスという国の中で、ブルトン語(ブレイス語)の復権運動は、特異な政治的・文化的位置づけができるようです。

 実は、この問題に踏み込み始めると、ブルターニュから海を越えてイギリス(特にスコットランドとウェールズ)・アイルランドといった国々のアイデンティティ形成に特異な役割を果たした、「ケルト民族」「ケルト文化」の歴史的位置づけの変容の問題がどうしても絡んでくるようです。

 そのおかげで、職場のパンフレット作りが終わった途端に私が手に取った本は、ブルターニュの続きを追う前に、高橋哲雄/スコットランド 歴史を歩く」にまで飛んでしまってます(^^;;A

 我ながら、ほとんど自由連想的に横に広がる歴史的関心なんですが、「こういう」世界史の学び方っていうのが、現代日本の学校教育に一番欠けていることだと、私は感じています。

 通史的に歴史を追う知識の構造化という点では、最悪の効率なんですけど、国際関係について、現在の国際情勢にもそのまま通じる教訓と得たり、感性を養う上では、どっちが得るものと刺激が大きいだろう?....と。

 私、世界史は得意科目でしたけど、年号を覚えるとかいう点では、さほど根を詰めてやらなかった人です。スウェーデンの歴史について、私も「グスタフ・アドルフ.....30年戦争」以上の連想が半年前までまるでなかった人間ですけど、「もったいなかったな」と今にして思います。

*****

(第2版で追記:)

 なお、この記事にトラックバックを貼ってくださいましたブログ「映画で楽しむ世界史」のマスターは、すでに単行本を出しておられるようです。

 謹んで、ご著書を紹介させていただきます。

オンライン書店 boople.com(ブープル)

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー