ゲシュタルト療法

2012/01/02

夢フォーカシング 技法の実際

今度は、ジェンドリン自身が開発した、「夢フォーカシング」の技法の詳しいマニュアル。

この技法の特徴については、本部サイトのこの記事。あるいは当ブログのこの記事この記事、やこの記事、そして昨日のこの記事ですでに概説していますが、それを具体的マニュアルとして概説することにします。

本書を手に取り読み始めると、16の「質問」が羅列的に並んでいる印象になり、具体的にどういう段取りで進めるのかのフォーマットがややわかりにくいので、それを私なりに整理しなおして書いてみましょう。

夢フォーカシングは、一度身につけてしまえば、通常のフォーカシングより容易にひとりでも実施できますので、以下の部分では、敢えて「一人称」で書いてみたいと思います。

なお、私は以下の内容は日本人間性心理学会の「人間性心理学研究」で原著論文として書いています。(夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」 人間性心理学研究 第11巻 第2号)

******

1.夢の内容について選び、(聴き手がいれば)語る。夢は断片的なものでも構わない。(朝起きてすぐに書き留められるように枕辺にノートを準備しておくが吉)。一般には、古い夢ではなく、最新の夢を選ぶ方が効果的である。

※聴き手がいれば、聴き手その内容を丁寧に伝え返し、誤りがあれば語り手に修正してもらう。内容的に不明瞭な部分、よく覚えていない部分は、「曖昧な部分は曖昧なままに」聴取すべきである。

2.夢について、自分なりに思い浮かぶ感想や理解、実感を探り、言葉にしてみる(【質問1】、【質問2】。

・・・・リスナーがいる場合、夢を観たご本人なりの感想や理解等をまずは語り尽くしていただくことを十分にすすめて、次に進むことがたいへん重要です。

3.夢の中で、一番興味を引く部分はどの部分かを確認する。

4.ここから先、大別すると3つの方略がある。
 すなわち、「場所の方略」「登場人物の方略」「物語の方略」である。
 これらは夢を観た人が興味をひくのであれば、自由に選択していい。

(聴き手の側は、自分のフェルトセンスに照合しながら、夢をみた人のプロセスの流れにふさわそうな「質問」を提案していくほうが円滑に進むことが少なくないであろう)

●場所の方略【質問4】

* 夢の中に出てくる場所と似た場所に行ったことがあるか?

* 形状や様子は似ていなくても、夢の中で「そういうふうな居心地になった」場面というのを、生活の中で味わったことがあるとすれば、どんな場面か?(心象風景)

●登場人物の方略

* 夢の中で関心を持てる登場人物を選ぶ。
 (それまで出会ったこともない見知らぬ人、ちょい役ぐらいの人、場合によっては無生物[建物、調度、花、植物など]を選んでみるのも一興である)【質問6】

* そのような人物の特性が、もし「自分の中に」少しはあるとすれば、どんな部分? ひょっとしたら、自分の中にそうした側面があと少しあってもいいというサインかもしれない【質問7】

・・・・このへんは、ユング的に言えば「アニマ」「影」などの元型を投影された相手というふうにもとらえらるかもしれない。「自我」というものは「自己」の全体性の一部でしかない。

* 試しに、その人に「なってみると」どのような感じだろう?【質問8】

・・・・これは、ゲシュタルト療法とは異なり、心の中だけの演技のつもりでいい。子どものための学芸会で、大げさに身振りを交えつつ演技するつもりで。

(「端役」ばかりか「花」「山」「岩」の役など、幼稚園児の学芸会ならあると思える)

●その他のオプションとして私がおすすめの質問

*もし、その夢に「続き」があるとすればどのような方向に向かうだろう?【質問9】

*事実に反するものは?【質問12】 

・・・夢の中と日常では違うこと、部屋の構造、登場人物の性格や役割などでもいい。
・・・たとえば、階段を降りていたはずなのに、出た先は山頂だった・・・みたいな矛盾なども。

*****

他にも幾つかの【質問】をジェンドリンは準備していますが、私なりに思うに、それらをあまり安直に使うと、ありがちな「頭での」「象徴解釈」になりがちと思えるので、ここでは解説を省略します。

*****

ジェンドリンが、夢との関わりで重視しているのは、

「人は、自分の夢についての理解において、普段の日常生活において自分を理解するのと同じような形で理解しようとする傾向(バイアス)がある。そのために夢は新鮮な気づきとして活用できないパターンにはまる」

ということです。

夢フォーカシングは、とことん「楽しむ」ものです。

私がセッションを持った経験からすると、仮に怖い夢や苦しい夢であっても、爆笑ないし苦笑する思いもよらない展開になり、ご本人も楽しい体験になることがほとんどです。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/06/08

「フェルトセンスに問いかける」教示についてのヒント(第2版)

 フォーカシング技法において、ジェンドリン自身のオリジナルな技法(『フォーカシング』)において「第5の動き(movement)」として位置づけられているのが、フェルトセンスに「問いかける(asking)」の教示です。

 フォーカシング技法とは、別に、

第1の動き:空間づくり(clearing a space)
第2の動き:フェルトセンスをつかむ
第3の動き:フェルトセンスにとりあえずフィットする言葉やイメージを見つける(get a handle)
第4の動き:フェルトセンスと、見つけ出した言葉やイメージを響き合わせる(Resonating)

という段取りを順々に進めていき、その後で、この、フェルトセンスに「問いかける(asking)という部分に進んではじめてシフト(気づきと身体的ナな緩み)が生じ、その成果を、

第6の動き:受け止める(receiving)

で受け止めて完成! といったものではないことは、これまでこのブログでも繰り返し申し上げてきました。

 自分の中にその時の自分のフェルトセンスに直接注意を向けられることに気がついたら、わざわざクリアリング・ア・スペースをやらないままに、早速フォーカシングを進めてもいいのです。

 そういう形でフェルトセンスに関わろうとしても、何かうまくいかないで、心を乱すいろいろな何かがありそうだと気がついた時点で、クリアリング・ア・スペース・・・・今の自分を不調にしている気がかりについて、ひとつひとつ確認して脇に積み上げていく、「たな卸し」作業に立ち戻ってもいいのです。

 クリアリング・ア・スペースを進める中で、「そうか、自分にとっての今の本当の気がかりはこのことだったんだ!」と、思いもよらない新鮮な形で「気がつける」だけで心が大きく解放されるということも珍しくないわけで、その場合には、いかなり、ジェンドリン法で言う、6.「受け止める」に進んでも何も差し支えもない。

 フェルトセンスにぴったりの言葉やイメージが見つからなくても、「この」感じ、などという直接指示語で、本人にとってその感じをつなぎとめ続けるのに何も苦労しないのなら、それ以上、ぴったりの言葉やイメージ探しに過剰に強迫的にこだわることは、百害あって一利なしです。

 そして、アン・ワイザーさんが、自分の技法を形成する際に、「フェルトセンスと共にいる」ことを重視し、独立した教示とし、フェルトセンスに何かを引き起こそうとする、ありがちな性急な誘惑に乗らないままでいたほうが、変化が自然と生じるべき時に生じる(そのセッションの中ではっきりとした気づきが生じることはなくてもいい)事を重視したことは、画期的な業績でした。

(もっとも、ジェンドリン自身フェルトセンスのそばにしばらくの間じっくりと留まってみることの重要性は、繰り返し、繰り返し強調しているのです。簡便化されたショート・マニュアルなどでは抜け落ちてしまいがちなだけのことなのです)

****

 アンさんは、フェルトセンスとの「内的な関係作り(inner relationship)」を重視しましたので、ジェンドリンのオリジナル技法で言う、「フェルトセンスに問いかける」を、オプショナルなものとみなし、あまり重視しません。

 日本では、アンさんのトレーニングの影響が濃いために、そもそもジェンドリンの「フェルトセンスに問いかける」という教示を実際にセッションで普段使いしているフォーカシング・トレーナーや学習者がかなり少ないという印象があります。

(公開ライブ・セッションを拝見した限り、唯一の例外が、ジェンドリンの直弟子である池見陽先生で、私が拝見した時には、当意即妙のセンスで柔軟にaskingを使って、フォーカサーのプロセスに無理のない小さな刺激材を供給しておられました)

****

 今も述べましたが、このaskingの教示そのものが、実は、フォーカシングのプロセスが、第4の動き(ここまでが繰り返しなされるうちに展開が生じることも多いです)まででは、何かあと一歩プロセスが進まないときの、小さな刺激剤的な提案としてなされるものに他なりません。

 フォーカシングの技法の発展史に詳しい若手研究者にきいたところ、このaskingの技法そのものが、ジェンドリンの教示体系の中では、一番最後の段階で付加されたものであるようです。

 つまり、そもそも、必要不可欠ではない。敢えて言えば、料理の最後にお好みでふりかけてみる香辛料程度のもの、つまり、食卓テーブルの上の「スパイス」です。

 しかし、「スパイスこそが料理の成否を決める」という人もいるでしょう(^^)

 そして、こうしたスパイスには何通りもお好みの品が取り揃えられているわけです。他の人がスパイスとしてあまり使わないものすら、フォーカシングの学習者やトレーナーごとに、色々工夫して、調合して、臨機応変に使い分けるストックがあっていいわけですね。

CM : 楽天市場「スパイス」関連商品

*****

 ジェンドリン自身が『フォーカシング』の中で、この「問いかける」の教示について詳しく説明しているのは、第9章「何もシフトしない時は」です(邦訳pp138-146)。この部分で例としてあげているものは、意外とそっけないまでのリストだったりします(^^;)

「これは何だろう、いったい全体?」(阿世賀訳:「ほんとのところ、それって何?」

「この核心は何か?」

「それが最悪だとどうなる?」(誤訳。「その(感じの)中の何が最悪なの?」)

「一番悩まされているのは、それらのうちのどの2,3点なのか?」

(↑【注】何ともこなれない訳である。
"What are the two or three things about it that trouble me the most?"
・・・・・私なりの意訳案:
「あなたにとって一番厄介だと感じている事柄をそこまで行き詰まらせているのは、実は、そのことと関係した、いくつかの一見些細な事柄かもしれません。そういうものがあるとすれば何でしょうか?」)

「それの下に何があるか? それは何をしているのか?(阿世賀訳:そこでは何が進行しているのか?)」

「 それについて何が起こったら私にとっていいのか?」

「いい気持ちになるにはどうなったらいいいのだろう?」

*****

 この教示を使う際に重要なのは、この問いを、リスナー/ガイドは、フォーカサーに、この質問に頭で考えて答えを返してもらうために発しているのではないということです。

 むしろ、フォーカサーが、自分のフェルトセンスに対して、こうした問いを投げかけてみて、しばらくそのまま佇(たたず)んでみることを提案しているに過ぎません。

 すると、最初は非常にかそけき形で、そしてしばらくするうちに思いもよらない方向へと、自分のフェルトセンスが変化しする場合もなります。

 それが2,3分以内に生じない場合には、あっさりとその問いかけは諦めてしまい、他の教示を試してみるか、あるいは、フェルトセンスと再び共にいる態勢に戻るくらいの、「ちょっとした試み」というセンスが肝心でしょう。

 フォーカサーの側から、

「何か、この後の私のプロセスを進めるために役に立ちそうな教示を、2,3提案していただけませんか」

などとヘルプを出されたタイミングで、いくつかメニューとして、控えめに提示する・・・みたいな関係性がすでに形成されている中で活用されるのが、一番成功率が高いようです。

 つまり、フォーカシングをどうすすめるかに関して、ガイド側にまだ依存している度合いが高いフォーカサーに安易にaskingの教示を提案すると、成功率が低く、仮に見かけ上そこでプロセスが動いたとしても、本当の意味でフォーカサーのプロセスに寄り添わないままとなり「セッションの場の中でだけのシフト体験」となり、フォーカサーの日常の体験過程のプロセスとしっくり溶け合わないというリバウンドを背負った、「早すぎた、突出しすぎのシフト体験」になることが多いというのが、トレーナーとしての私の反省でもあります。

 ですから、実は、askingの教示が重宝するのは、意外にも、セルフ・フォーカシングの場面であるということも、私の経験からいえます。

*****

 そして、この教示は、フォーカサー自身が、まだ自分でフェルトセンスとの相互作用(対話)を先に進めていこうとしている最中に、リスナー/ガイド側からの性急な介入としてなされるべきものではありません

 セッションの経過に、焦っている、せっかちになっている、不安になっているのは、フォーカサーなのか、むしろリスナー自身のほうなのか、ということをきちんと「感じ分けて」ください。

 リスナーの側が自分の中に「焦っている自分」を見出せれば、それを自分の中で「認めてあげて(acknowledging)」みるだけでも少し余裕が取り戻せるばかりか、驚くべきことに、リスナーの側がそうした内的作業を終えた直後に、まるでそうしたリスナー側の余裕感の回復が「空気伝染」するかのようにして、フォーカサーのプロセスが自然に無理なく動き出すこともごくありふれたことです。

 それでもなお、フォーカサーが自分と格闘して堂々巡りになっていと感じられ、ただそれをリスニングし続けるのは「何かが違う!!」というメッセージがリスナーの内側から響いて柄来るようなら、もはや教示の提案をあれこれ工夫するとかリスニングするといった態勢にのみこだわるのがもはやふさわしくはないのかもしれない。

「・・・・・ちょっといいですか?(などと断りを入れた上で)・・・・さっきから、自分の内側の感じと必死に格闘しておられるあなたの様子が伝わってきます。ただ、そのご様子を拝見していていて、そのことがおつらくなって来ているのではないかとも感じられてきました。もっとも、今のままであとしばらく自分なりに思う存分内側と関わっていろいろ試してみたいと言うお気持ちがあるのでしたら、喜んでおつきあいします」

などと、リスナー側が自分の気持ちを、アサーティブに率直に伝える方がいい場合もあるかと思います。

*****

 さて、さきほど例を並べましたが、askingの教示というのは、実はフォーカシング技法の中では、本には書かれていない無数のバリエーションがあり、フォーカシングを学ぶ一人ひとりが、自分にとってのお気に入りのasking教示のレパートリーを「道具箱」に蓄えておいていいものです。

 「ジェンドリンのこのasking教示の具体例を私は意味がそもそもわかんないし、うまく使えたことがない」

 としても、そのことは別に気にしなくてもいいことです。

 もとより私のように25年もやっていれば、普段は全く使わないaskingの教示が結構効いた!! という経験が出てきていて、そもそも本に書いてあるフォーカシングの教示で使ったことがないものはほとんどまるでないという事態に結果的になっています。

 しかし、私はそもそも、フォーカシングを学ぶ最初から、自分にとってその存在意味がピンと来ないフォーカシングの教示は全然使わず、使える教示だけ日常の中で使い込み、それだけではうまくいかなくなった時に、はじめて「頭では覚えていた」フォーカシングの教示を、苦し紛れに使ってみて、予想外に活路が開けるという経験の繰り返しのなかで、フォーカシングの技法の幅を広げてきた人間です。

 そして、そうした際に、教示や技法というものが、その場でふさわしい形に、柔軟にカスタマイズされていく必要性があることを身に染みています。

 そもそも、ガイドをはじめる際に、「いつも使っている、なじんでいるはずのやり方」ではじめようとして、身体が違和感を訴える場合には、もう、それだけで、恐らく、そのままでは、フォーカサーの援助になるガイディングをできる態勢にないと判断しています。

(そうした時にどうやって私が解決するのか・・・・というのは、企業秘密です^^; 最近やっと発見した「コロンブスの卵」ですが、これは私のもとにフォーカシングを学びにおいでの方だけにお明かししています)

*****

 私個人としてお勧めのaskingの教示は、

「その感じの下の方(beneath)に、もうひとつ別の感じの層が隠れていると仮定してみてください。そこらへんは、どんな感じでしょう?」

というものです。

 英語に詳しいフォーカシング学習者にこのことを伝えると、

「単に、『下にあるのは何?』といわれても、何ことなのかピンと来なかったと思う。でも"beneath"ならピンとくる!! "beneath"って前置詞そのものに、「・・・・に隠れて」「・・・・の裏に」みたいな含蓄があって、表面の皮みたいなものの下にあるものっていうニュアンスだから」

と言ってもらえました。

 その人にとって、それまで必死に関わろうとしていたフェルトセンスは、容易に名前もつかないし、その感じのそばに佇んでいることもなかなか難しい、でも、その人の人生の長い期間にわたってずっと暗々裏に感じ続けてい「いた」けれども、自分の存在のありようを根本的に不自由にしていた、文字通りの"background feeling"でした。

 そのフェルトセンスの"beneath"にその人が見出し、感じられた感じというのは、それまで直接その感じに触れて味わったことがない、たいへん新鮮なフェルトセンス体験で、実にあっさりと、大きな気づきの引き金になったようです。

アルク

*****

 ジェンドリンのaskingの教示集にある

「このことの核心(crux)は何?」

というのも、ピンと来にくく、フェルトセンスからではなくて、頭で考えたことを答えそうなものなのですが、これについては、私は、フォーカシングのガイドを学ぶ人に、時には、次のように説明してみています。

「私は、これを、曖昧で漠然とした広がりを持つフェルトセンスが、いわばゆで卵の白身黄身のような二層構造を持つと仮定してもらい、その中の黄身の部分の感じを感じ分けてもらう・・・・ぐらいのつもりのものだと理解しています。フェルトセンスを更に細やかに感じてみてもらうための刺激剤のバリエーションなんですね。だから、私は、

『その感じの奥の方に、その感じの源泉(あるいは泉の吹き出し口)のようなものがあると想像してみてはいかがでしょう? その源泉のあたりの感じはどんなものでしょうか?』

などという言い方で使ってみることがあります」

 ・・・・・この話を聴いていた学習者は、この話を聴いているさなかに、すでに、その時の自分の中のフェルトセンスの「源泉」をいきいきと新鮮に見出し、身体で感じていました(^^)

*****

 もうひとつ、これはジェンドリンの『フォーカシング』には書いてないけれども、実は私なりに、同じジェンドリンの『夢とフォーカシング』の「質問」項目からアレンジしたaskingの例。

「その感じそのものになってみるということもできるかもしれません。誤解なきように言いますけど、これはその感じに浸りきるということとは違います。あなたは、子供のための舞台演劇で、その感じのを、子供のために、大げさに誇張しながら、喜劇的に演じるつもりになるのです。これなら、どんな怪物でも、不快なものでも、その役になりきって感じてみるのは、あまり抵抗ないかもしれません」

 あるフォーカシング学習者が、

「もうすでに何日も『この』感じの相手をしてみたんですけど。その感じは絶対に私に口を聞いてくれないんです!! 一緒にいるだけで、私ももういやなんです!!」

と訴えた際、その人に上記の「感じになってみる」提案したら、その場でその人はやってみて、すんなりと次の展開が生じました(^^)

*****

 ・・・・・このように、カスタマイズが大事です!!

 あと、一般論として申し添えれば、フォーカサーとしての自分に試してみて、効き目がまだ実感できない教示を、ガイディングの際に使うと、そのわずかな「おぼつかなさ」はフォーカサーに伝染し、プロセスを停滞させると思ってください。

 「おぼつかない教示」でも、フォーカサーがそこから成果を上げられるとすれば、それはフォーカサー自身の力に助けてもらっているというだけのことです。

 もとより、いつも書きますように、およそこの世の中のカウンセラーに、クライエントさんからの感情移入と思いやりと忍耐によってはじめてカウンセリング関係が可能になっているわけではないほどにすばらしいカウンセラーは、実は存在しませんが(^^;)

*****

 なお、フォーカシング技法についてのウェブ上の入門としては、すでに定評をいただいている、私の

●フォーカシング入門

をご参照ください。

 これまで、まさにasking以降の部分が欠けていたのですが、この記事をもって、取りあえず補完したものとさせていただきます(^^)

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2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

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2007/11/12

夢フォーカシングのコツ(第2版)

 夢フォーカシングについてまとまった記事を書くのはこの時以来で、内容は一部重複しますが、1年半たって、もっと描き込める気もしましたので、この記事をお読みになる価値はあると信じます。

ジェンドリン/夢とフォーカシング(村山正治 編訳)

 夢フォーカシングについては、福岡大学の田村隆一先生が日本では特にお詳しく、セミナーや「フォーカサーの集い」などで繰り返し講義やワークをなされていますが、どうも、ジェンドリンが上記の著作で書いているままの個別セッションを引き受ける態勢にある場となると、日本ではたいへん限られているようです。

 日本における夢フォーカシングの紹介は、比較的早く、「夢とフォーカシング」(原題が"Let Your Body Interpret Your Dream".....「自分の身体に夢の解釈をしてもらう」)翻訳に続いて、池見陽先生編で、実は私も分担執筆している「フォーカシングへの誘い」に、森あい子さんによる、大変わかりやすい、迫真的かつユーモラスな(?)実例が掲載されています。

 しかし、インタラクティヴ・フォーカシングや、こどものためのフォーカシング、ホールボディ・フォーカシングについては、日本に既に何カ所か拠点があり、活動が盛んなのに比べますと、以外と地味な展開のように感じています。

 夢フォーカシングは、フォーカシングの経験がない皆様にも堪能できるものです。個人的には、夢のワークとして、これだけおもしろいものは滅多にないと思っていますが、フォーカシングの経験をある程度積まれた方の場合、通常のフォーカシングよりも軽快なプロセスでありながら、プロセスがいきいきと展開し、通常のフォーカシングでは超えられなかったDead Endを易々と超えていくほどの体験になる場合もあります。

*****

 ところが、ジェンドリンの上述の本に書かれているのは、一見、20近くの「質問」が並列的に記載されているように見えてしまい、段取り的にはどうなるのかとか、質問をどういうタイミングで、どのように繰り出すのいいのか、見当がつきにくいのですね。

 そのことが気になっていた私は、すでに1993年の段階で、

 ●「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」
  人間性心理学研究 第11巻 第2号

 という論文を書いていました。

 そこで、私は、まず、順序として、3つのステージに区切り、

1.夢を話してもらい、途中で少しずつ内容を投げ返し、話者に助言者の理解に間違いがないかどうか、丁寧確認していく。

2.話者に、その自分の夢についてどう感じるか、どう理解するか、自由に話してもらう部分

3.助言者が、様々な示唆的な質問を一つずつ提案し、話者が、気に入った質問を自由に試してみる部分

としてみました。

 そして、この3.の部分の《質問》群を更におおまかに3つの方略に分け、

3a) 場所の方略
3b) あらすじの方略
3c) 登場人物のの方略
3d) その他の方略

.....これらの方略それぞれに分類できる幾つかの《質問》に、平易で無理がないものから、更に高度なものへという深め方の提案順序が、Level 1 からLevel 4まであるというふうに整理しました。

 夢フォーカシングの20あまりの《質問》は、すべて提案してみる必要はなく、ほんの幾つか幾つかやってみるだけで自然と大きな展開が生じ、十分堪能できるものになることが少なくないかと思います。

 逆に、その柔構造な側面が、技法を学ぶ際に見当つきづらく感じさせるようです。そのための目安としてのチャートを作ったつもりです。

 実は私の夢フォーカシングへの習熟は、この1993年に一応完成されていたのですね。


******


 思いつきで、ひとつだけ示唆します。

 私が「登場人物の方略」の一番アドバンスなものに一応位置づけた、ジェンドリンの「登場人物になってみる」という質問がについてですが、この時、ジェンドリンは、見知らぬ登場人物や、場合によってはさりげなく場面に登場登場している「無生物」になってみるのが面白いと明言しています。

 夢の話の中で。話者が自発的に具体的に言及したアイテムなら、なんでも素材になり得る。

 例えば、
 
 「私は、普段はまず行かないようなしゃれた店で、ワインを片手に、赤いレンガの壁のそばの席で、中学時代の片思いの人とデートしている夢を見ました。キャンドルが美しくて雰囲気よかったですね。でも、その対話は結構ヘンな対話で.....(以下略)」

という夢が報告されたとします。

 夢について語った人が具体的に明言したアイテムなら、登場人物が対話している建物の「壁になる」とか、「テーブルの上のキャンドルになる」とか、「飲んでいるワイン」になるというような、一見唐突なアイデアです。

 最初は素っ頓狂に思えるでしょうが、好奇心半分で,」ユーモラスに、それらのアイテムの「身になって」場面を感じてみると、予想もしない展開に爆笑したり、思いもよらない深い体験ができることもある。

 例えば、夢の中のけんか相手に「なってみる」などという、いかにも正攻法な思いつきをあっさりやってみるのではなくて、搦(から)め手から遊び心でやってみると結構面白く、夢フォーカシングの体験そのものが苦しいものになる危険を大幅に軽減しています。

 それこそ、なぜか、この提案を話者がやってみたら、その、夢の中での「片思いの相手との奇妙な会話」の含蓄が、夢を見た人に、その人の一見夢の内容と無関係な現実状況と一気にスパークするみたいな洞察をもたらし、身体までスッキリす
ことなんて、結構あるのです。

 リスナーで提案の助言者である側の人物には、夢フォーカシング技法を、普段から柔軟に自分に使い込んでいるからこその余裕と、遊び心、そして、いわば芸人が観客を舞台にあげて、決して傷つけない形で爆笑の対話の場とできるようなセンスが必要かと思います。


******

 .......というわけで、湘南フォーカシング・カウンセリングルームの「フォーカシングによる夢分析」コースは、1時間わずか4,500円で、すごく贅沢な時間を過ごせるかもしれない場なのですが.....

 私は、完全にジェンドリンが上記著作で書いている通りの技法を自由に使いこなせます。

 条件はただひとつ。できるだけ最近みた新鮮な夢であること。

 詳しくは思い出せなくて、断片的で、ワンシーンだけしか覚えてなくていいです。それでも1時間堪能できる場合もあります。


※追記

↓うちの弟子がネット上でこんなこともやっていたりするので。

●夢分析(夢フォーカシング)のプロのカウンセラーです。 (Ameba リクエスチョン)


*******

 ちなみに、ユング派の夢分析や、ボスナックのdreaming body(ご本人のワークショップに出ました)、あるいはゲシュタルトのワークとどう違うの? ....とお感じの皆様、皆様がこれらの体験に慣れ親しんでおられても、まさにそういう皆様にこそ新鮮なものになるか思います。 


2007/06/29

「究極の」フォーカシング指向心理療法とは?

 カウンセラー側が、面接の場の流れ全体をフェルトセンスとして感じながら(そこには、当然、「クライエントさんが」面接の場の流れ全体をどのように感じているかについて、カウンセラーが、クライエントさんの「身になって」感じていく過程も含まれる)、個々の応答や、面接をどう進めるかについての提案を吟味した上で振る舞い続け、更にその結果、そうしたカウンセラー側からの応答や提案を、クライエントさん自身が実感としてどう受け止めているのかについて照合してもらうように促し、その結果を尊重する方向に面接を進めているならば、その面接過程は、すべて、フォーカシング指向心理療法的面接であるといえるだろう。

 そこで「フォーカシング」だとか、「フェルトセンス」という言葉が使われているかどうか、あるいは「それを身体に戻してじっくり感じてみて下さい」などという教示が用いられるかどうかと言うことすら本質的ではない。

 優秀な行動療法家や、認知療法家、プレイセラピストやダンス療法家、ユング派の臨床家が、こうした点で、実質的には、フォーカシング指向心理療法の原則と結果的に完全に一致したセラピーをしていることなど、いくらでもあり得ることになる。

 ある観点からすれば、フォーカシング心理療法的アプローチは、もはや特定の技法体系ではない。道具立てとしては、「なんでもあり」なのであり、「ただの、必要に応じたカウンセリング」なのである。

2007/06/01

壺イメージ療法 -「容れもの」「置き場所」を想像してもらう技法- (1)

 私が敬愛する、田嶌誠一先生「壺イメージ療法」について、はじめて、正面から、書いてみます。

この技法についてはこちらでも、もう一度ご紹介しています。

****

 
 この「壺イメージ療法」、ある意味では、現場臨床家の間では、フォーカシングよりメジャーです。いわゆるロジャーズ派(来談者中心療法)カウンセリングの流れにあるわけではない人ですら、これだけは現場で必要があれば使いこなしているカウンセラーの方々に結構巡り会えます。

 この技法、フォーカシングとの関連で語られることも少なくないんですけど、むしろ田嶌先生の師である成瀬悟策先生(催眠療法、臨床動作法でも著名ですが)のイメージ療法の流れを汲んで、田嶌先生が独創されたととらえる方が歴史的には正確です。

 この技法について詳しく述べた単著、「壺イメージ療法 -その生い立ちと事例研究-」(監修:成瀬悟策 編著:田嶌誠一 創元社)は、この技法の成立過程と詳しい解説、様々な実践者による詳細な事例報告、そして、ゲシュタルト療法の倉戸ヨシヤ先生、中井久夫先生、増井武士先生、そして我が師、村瀬孝雄を含む豪華キャストによる座談会が収録されており、一冊でこと足りる充実度という点では、現在でも代表的文献といえるはずなのですが.........数年前から、絶版です。

 田嶌先生が、壺イメージに留まらない、イメージ体験一般を含める形で、より幅広い読者層を対象にお書きになった「イメージ体験の心理学」(講談社現代新書)も......困ったことに絶版です(^^;) 田嶌先生ご自身、この現実をお嘆きなんですが。

 もちろん、アマゾンの中古市場で手に入ります。しかし、新書刊の後者はともかく、前者は、ご覧の通りの高値がついています(;;)。....それだけ、臨床関係者で、欲しい人はすごく欲しい本なんですけどね。

【追記 11/11/19】:

田嶌先生のイメージ療法関連、やっと新著が出ました。

心の営みとしての病むこと――イメージの心理臨床

*****

 さて、この技法、臨床家一般には、「クライエントさんが面接の中で語る困難な問題や、表出された苦しい衝動、怖いイメージとかについて「封印」するための「壺」を思い浮かべてもらう技法、であるかのように、臨床家の間でもとらえられている場合があります。

 そのような用途にも使えるのですが、田嶌先生が技法体系化した本来のやり方からすると、それは「応用問題」であるに過ぎません。

 以下に、技法の本来の流れについて概説します

(基本的には前述の前者の方の著作のp.55以下に書いてある「標準的手続き」を要約していますが、若干阿世賀なりの示唆も含めています)

1.導入

*リラックスしてもらう(通常は目を閉じる)

*目の前に、心の中のことが少しずつ入った、いくつかの壺(あるいは壺状の「容れもの(瓶・箱・袋など)」が出てくると想像してもらう。

*壺が(ひとつ)出現したら、治療者は「どんな壺?」などと尋ね、その形・大きさ・材質・色などについて言語化してもらう。

*壺のイメージそのものが浮かばない人には「壺があるような感じ」を味わってもらい、「あるとすれば、どんな気持ちか」を言葉にしてもらうだけで十分なこともある。

*それをどこに置いたらいいかを尋ねる
(阿世賀注:自分の前のどの辺という距離感でもいい。左右の位置を優先するクライエントさんもあろう。積み上げるという人もあるだろう。必ずしも真正面ではなくて、斜め前とか真横とかでもいいことを示唆する方がいい場合もある)。

*ひとつの壺(状のもの)についてこれをやってもらったら、他にも壺が出てこないか探してもらう。そして同様に形等について尋ね、置き場所を見つけてもらう。(一個だけのままでもいい)

*(阿世賀注:ひとわたりいくつもの壺について、形等を尋ねた後で、置き場所や並べ順を見つけてもらう方がいい場合と、ひとつの壺ごとに形等を尋ね、置き場所を見つけてもらうことをワンセットにしたほうがいいい場合があるようである。こうした場合、先に置いた壺との位置の相互調整も許容する方がいい場合も多い)

*いくつもの壺と、その置き場所を見つけても、まだ何か、壺という形にならない気分やモヤモヤなどがあるという表明が自発的になされた場合には、それを入れておく壺状のものを敢えて想起してもらうように示唆するとクライエントさんの役に立つことがある。

2.壺に「ちょっとの間だけ」入ってみてもらい、すぐに出て、蓋をしてもらう。

*クライエントさんが「入りたくない」「入れない」という壺には、入らないまま、後述の、蓋をしてもらって続きに進んでいい。

*壺に入れたクライエントさんについては、「どんな感じですか?」と尋ねると、「.....な感じです」「......が見えます」などという答えが得られることが多い(気持ち、身体感覚・壺の中の空気感・雰囲気など)。「何も感じられない」という応答もそのまま受け止める。

*この段階ではじっくり味わう必要がないことを示唆し、その壺の中に感じやイメージを残したまま、壺の外に出てきてもらう。

*蓋については、クライエントさん自身が気持ち的に落ち着ける状態になれるやり方を自由にイメージしてもらう。「栓」のようなものを連想する人、板状の何かを乗せる人、何かで「覆う」というのに近いのがしっくりくる人、蓋を紐などで更に縛りたくなる人など、クライエントさんなりにいろいろ自発的工夫の余地があることを、あまりに先取りしすぎない範囲で治療者側が示唆する方がいい場合もある。「蓋をしないままでいい」という人もそのまま受け止める。

*壺への「入り心地」の実感を参考にして、壺を並べる順序や並べ方を再調整してもらう。

*最初から入ろうとしないままの壺があっていい。多くても2,3個でよく、このへんはクライエントさんと相談して決める。

3.壺の中での感じをじっくりと味わう

*一番入りやすそうな壺を選んでもらい、今度はゆっくりと、長く入ってもらうことを示唆する。

*入れたら、クライエントさん自身がもう十分と思うまで味わってもらう(どのくらい入っているかは、クライエントさんのペースで判断してよく、無理に入り続ける必要はないことの示唆はあっていい)。

*治療者は、「どんな感じですか」と尋ね、気持ちや身体感覚やイメージを言語化してもらう。感じや気持ちが変化したらそれも言葉にして行ってもらっていいことを適切な瞬間に示唆する方がいいことも多い。

*万が一、中から出られないとクライエントさんが訴えたら、出るための工夫についてクライエントさんと話し合いながら工夫する(もっとも、入るまでの段取りが、クライエントさんのペースを尊重した、性急さがないものであれば、滅多にこういう事態は生じない)。

4.壺から出たら、改めて蓋をしてもらう。

*壺を出た後でも不快な感じが残った場合には、
  「同じ壺に繰り返し入り直す」
  「楽に入れた壺に入り直す」
  「その不快感を入れておく容れものを改めて見つける」
などの工夫を、クライエントさんと話し合ってしていく。

5.(特に)不快な体験をした壺については、蓋のしかたや「置き場所」について、クライエントさんが気持ち的に楽になるやり方を丁寧に見つけていく援助をする。

(阿世賀注:例えば、蓋をした壺を桐の箱に入れ、それを耐火金庫にしまった上で、その金庫を土深く埋めたいという人もあるかもしれない。こうした際に「何メートルぐらいの深さか?」などと具体的に尋ねてみたり、「埋めた後の土の表面はどうする?」などと敢えて尋ねてみることが援助的な場合も多い。田嶌によれば、「金庫の鍵は私(治療者)が預かる」などの工夫もありという)

※ 以上、4.-5.を、入ってもいいと思える壺について試みる。

6.次回この面接室に来るまでは、壺を自分で開けたり中に入ったりしないことを約束。

※なお、この技法は、日常現場臨床的に言えば、1.の「壺を思い浮かべ」「蓋をみつけ」「置き場所を見つけてもらう」までの部分だけで十分な効果があることが多く、2.-4.の「壺に入って感じてもらう」部分までやってはじめて意味があるわけではない。2.-4.は飛ばして5.でクロージングするので十分なことが多いことに注意すべきである。

 田嶌先生ご自身も、短いセミナーなどでは、2.ー4.を省略して講義と実習をされる場合も結構おありのようです。

****

 セラピーのキャリアがある人には想像がおつきかと思いますが、この技法が安全に進むかどうかの鍵は、治療者とクライエントさんの関係性にあります。

 治療者が強制したり、誘導したりする形になるのは避けるべきです。クライエントさんのペースに随(つ)き従う態度が重要です。

 そうすれば、クライエントさんや治療者が混乱したり、後味が悪くなるような展開そのものが出てこないもののように思います。この点は田嶌先生も言及されています。「段取り」だけ技法として学んでしまうとしくじるという点では、一見フォーカシングよりも技法的手順がわかりやすいこの技法の場合でも全く共通だと感じています。

 精神分析的に言えば、治療者=クライエント間に「抱え」の構造ができていれば、クライエントさんが体験する壺(=ビオンの言う"container")との関わりのプロセスも、安全なものになる。これは自然の成り行きです(田嶌先生自身、ビオンの概念とについて、最近学会で言及されました)。

 それと同様に、クライエントさんの自発的な「拒否能力」「工夫する能力」「(治療者に)注文をつける能力」(後二者は、田嶌理論の基本概念として著名)の発揮を尊重し、喚起する姿勢は大事です。治療者が「こんな工夫もできるし、こんな工夫も...」などと、具体的メニューを「列挙」するのが「先取り」になり過ぎてもよくありませんし、かといって、反対に、クライエントさんが何か言い出すまでじーっと待ってばかりで「放置」するのも良くないのですね。

 「壺は嫌です。段ボールの箱」といわれて、治療者が「それでは困る」と固執するのも不自然です。あるいは「どこに置く」といわれて「割ってしまいたい」「燃やしてしまいたい」「爆破してしまいたい」といわれたらどうするか? ....私なりにこうしたケースを切り抜けた経験はありますけど、敢えてその実例はここでは示しません。

 そうした時に、治療者側も、最初は当惑しつつも、クライエントさんとの関係性の場の中で、どのように柔軟に、お互いに無理のない解決策に行き着けるかのセンスそのものが問われていると思いますから。

*****

 これは私見ですけど、治療者の側が、頭の中で「このイメージにはこうした意味があるのではないか」などと分析することは、壺イメージ療法の本質とは関係ない問題だと思います。もちろん、クライエントさんが、自発的にそうしたことを感慨として語るのを傾聴し、共有する姿勢は大事ですが。

 また、大事なのは、クライエントさんがその体験をどのように「実感」しているかです。時として生じるのは、出てきたイメージに「カウンセラーの方が」勝手に怖くなって、壺から出るべきだとか、勝手に判断したくなる誘惑に駆られることです。逆に、カウンセラーの側が、イメージの「内容」についての価値判断を勝手にしてしまい「これは大事な、深い次元での体験のはずだから、じっくりやってもらおう」などと勝手に判断するのもマイナスでしょう。

 壺イメージ療法におけるクライエントさん本人の変化は、そのイメージ体験をどのように知的に理解するか、あるいは、内容的に「何を」体験するかとは無関係に生じていくものです。田嶌先生は、これを「体験様式の変化」と読んでたいへん重視しています。この点については、後続の記事で更に具体的に解説したくなるかもしれません。

*****

 ......この項、連載として続きます。

 次回は、この技法の持つ特徴についての私見を述べ、私がこの技法を、普段のカウンセリングや、フォーカシングのトレーニングの中で、具体的にどのように応用しているのかについて、書かせていただくつもりです。
 

2006/11/15

身体の中のneutralな感じの部分を大切にするとフォーカシングは楽に進むことが少なくない -フォーカシングのコツシリーズ 1-(第2版)

 そもそもフェルトセンスとは何か?

 「何か気がかりな事柄についての漠然とした曖昧な言葉にならない感覚」

というのが一番古典的な説明でした。

 この、フェルトセンスとは何か?

 私は「フェルトセンスを」感じているのか?

.......ということに初心者の皆様は得てして振り回されます。

 私は、何とアン・ワイザーさんが日本に来日される(1994年)に先んじて、すでに、1990年の段階で

 「自分の日常や状況や存在のあり方と、何か、(somewhat)、どことなく(somewhere)、何となく(somehow)響き合っているかのようにも漠然と感じられなくもない気分だとか居心地だとか身体の感じ『のようなもの』」

.......であればフェルトセンスとみなしていい、という、ある意味でアバウトな定義を公式に表明した日本で最初の人間であります。

研究業績一覧参照。1990年の3本の合計著作・論文で言及しています)

 身体の感じそのものとの直接の関わりを大事にし、ボディワークをフォーカシングに取り入れるという試みは、当時「東京フォーカシング研究会」と呼ばれた、白岩紘子・井上澄子・川村玲子(故人)という3名の先生が独自の形で既に展開していて、私も大学院1年目まで、2年ほどその場に参加させていただいていたのですが、当時はこのアプローチはフォーカシングなのか? ということそれ自体論争になっていました。

 私は、身体の外側からアプローチするものとしてのボディー・ワークには、いい体験でしたけど、積極的な関心までは抱いていなかったのです。私は当時から生意気にも「独立学派(中間学派)」であると自称している、ひとりフォーカシングにこだわる人間でした。

 そして、ただの身体の感じとフェルトセンスの違いに拘泥することそのものが、何かフォーカシング学習者を戸惑わせるばかりで、「ただの身体の感じ」であるかに思える感覚でも、それに触れていけば、そこからいくらでもフォーカシングに持ち込めるチャンスは自然と何回もめぐって来るんだから、と、そのへんで論争になること自体、内心はため息をついていたのであります(^^)

 私が、「昼食後だからおなかが張るに過ぎない」と自分で主張するフォーカサーの方とすら、そのおなかの感じを出発点にしてフォーカシングのガイディングをして、ご本人も私も驚くような、その人の抱えた子供時代から現在の対人関係にまで通底していた問題についての連鎖反応的気づきに結びつくセッションが、初心者のフォーカサーでも遅くとも2セッション目で可能なことすら少なくないことを、かなりありふれた現象と思っていることは、既にこのブログのこの記事で実例と共に詳しく述べたとおりです。

 そして、身体の感じに注意を向けることが「順調に」進むと、「身体感覚の局在化」現象が進行する、ということも1990年に論じています。つまり、不快だった感覚それ自身が、「自ずから」次第にその領域を狭め、いわば「コア(核)」の部分へと濃縮されて行き、感じの質としては「更に」鮮明かつ細やかに感じて来るのに、同時に楽に抱えていられるようにもなる、という現象を見いだしていました。

 そして、裏を返すと、身体の中のいろいろ気になる感覚を、ゲンシュタルト心理学でいうと「図(figure)」とする形で浮かび上がらせている「地(ground)」の部分の感覚、つまり、身体の感覚として注意を向けられていなかった部分の、それまでneutral(中立的)だった感覚や、それどころか実は「いい感覚」ですらあった部分を、敢えて、図と地を反転させて(!)感じてみようとすると、不快な身体の感じの局在化は自然と進行し、適切な距離が見いだされることを、自分のひとりフォーカシング体験の中から気がついていました。

 さらに、自分の気になる、得てして不快な身体感覚に関わる際には、そのneutralな部分の方に意識の「居場所」をおいて、「そこ」から、いわば身体内に幾つか島のように点在する感覚を「見やる」、あるいは時々その局在化された感覚の表面にセンサーを伸ばして時々タッチするぐらいのつもりで注意を向けるといいことに気がついていました。

 それは、その頃村瀬先生から入手した、Mary MacGuireの境界例水準のクライエントさんとの関わりで"solid place"......「確かな居場所」とでも訳しましょうか....を見いだし、そこから関わりづらい感覚と関わるやり方と、発想が重なることに気がついたわけです。

(マクガイアは、そのクライエントさんの過去の「たったひとつの」いい思い出をありありと想起して感じてもらうことで、クライエントさんに"solid place"を見いだしてもらったという点で、「時間軸」上に求めたのに対して、私は身体内感覚の「空間軸」上に見いだ点に違いがあったのですが、実は共通の観点が含まれていると思いました。これは、感じと単に距離を取るというより、身体感覚自体としてのdisidentificationを生み出すと言うべきでしょう)

 確か私が池見陽先生から、「アン・ワイザーというトレーナーが最近言い出していることと君の技法に似たところがある」と聞かされたのは、1991年だったはずです。

 アンが実際に来日する3年前でした。

 この、"neutaralな感じの場所も感じられる?"という言い方、私をガイドとするセッションの体験がある方には、おなじみな、私秘伝の「隠し味」です。

 ただし、この教示は、さりげない「誘いかけ」であるべきであり、下手に「狙いすまして」強迫的に使うと、うまくいきません!! 

 フォーカサーの「身体」が、ガイドである私からの「操作」に反逆しますので!! この反逆は、全く自然かつ健全な、フォーカサーの「心身の」営みです!!


 ガイド(トレーナー)は、

「フォーカサーに『うまく』プロセスを『生じさせよう』」

という、ガイド自身の

『我欲』

に屈してはならないのです!!


 それから15年以上、なぜか、いまだにこの教示のまねをする人とは、私は直接出会ったことないんですが(^^;)
 
******

 もうひとつヒント。

 「フォーカシングするのは、自分にとって楽な姿勢なら、立ったままでも(!)、横になってでもいい。「中途でうやむやなままに眠り込んで」も、「ただ単に寝ようとして眠る」よりは暗黙のうちにプロセスが進み、寝覚めがいいことが多いので、寝てしまったことを後悔する必要はない」

 ......どの文献か忘れたけど、これまた、1990年までに、既に私はどこかで書いていた筈です(^^;)


 
*******

 この当時、私はアニメ雑誌の読者投稿常連でもありました(^^)

 その後、実際にアンの初来日時に、いきなりアンと意気投合し、そして更に、私の人生経験と臨床経験のための年月が流れたのです(^^)
 



2006/07/24

ネット上の、鬱病克服、社会復帰の秀逸な記事のご紹介(第3版)

msnのこのページにあります。

ここまでリアルで詳細なのは珍しい!!

 この人の場合、

   自分の気持ちを大事にし、
   決してあきらめず、
   安易に妥協することなく、
   自分の仕事のあり方の、
   「理想」と「現実」のギャップと「戦い抜き」、

   そしてキャリア形成の上で、
   大変いいコンサルタントと巡り会えた
   「出会い」の意味も大きかった

ようですね。

******

そうそう、

「お風呂に入るの面倒になる」んですよね全く!!

 私は自分で入浴法に工夫を凝らし、正味10分、しかも入浴が楽しみになる「動機付け(motivation)を高めるように、男の癖して、わざとマルセイユリキッドソープ リフィル オリーブ(ラベンダーの香り) 1000mlちょっと凝った入浴剤☆天然のスポンジ(海綿)☆5個買うと1個プレゼント!!送料も無料!!「海綿様」を購入したのを思い出しました。

今はもう、その入浴剤使いません(でも、皆様結構薬局とかでご覧になったことあるはずの泥炭石3ヶセット泥炭石鹸使ってるのです。確かに毛穴まできれいになる感覚ありますよ)が、あの当時は何とも有効な「投資」だったと思っています)。

そうそう、私の本部ページの記事に、

「フロイトと海綿の対話」

という、「不朽の名作」があります(これこれこれも参照)。

これ、何と「学会発表」を「実演付き」で昨年やって、大受けしたのですが。

@niftyココログでカテゴリーが多い人が即座に画面に新規記事や更新を反映する裏技!!(第2版)

 ・・・・・というわけで、「オリヴィア・ニュートン・ジョン」すらカテゴリーへの直接リンクが「ベスト20」に食い込むという、予想外の事態を迎えましたので、歌手別ではこれまでカテゴリーを持たなかった、

「井上陽水」「カーペンターズ」「Queen」、更に、夢フォーカシングとの関わりが密接な「ゲシュタルト療法」(ジェンドリン自身、そこから影響を受けていることを著作の中ではっきり認めている)の4カテゴリーを増設させていただきました。

*****

 この@niftyココログのいいところは、カテゴリーの増設が無限に許されていることなんだけど、そうなると、トラフィックがひどくなると、新規記事や記事の更新、コメントの掲載がなされなくなるという弊害を抱えています。先日の2日をかけたメインテナンスでかなり改善されましたが。

 そこで、そういう、カテゴリーの多さでこの問題に苦しんでいる人向けに、「裏技」対策をお知らせします。結構気づいておられる方も多いかと想いますが。(「ブラス」コースの場合の例です)

1.記事を投稿して"Proxy Error"が出たら、「管理ページ」→「ブログ一覧」に入り、該当するブログを選ぶ

2,「設定(の変更)」→「表示設定」を選び、実際には何の表示設定も変えないまま「変更を保存」を押す

3.すると「サイトに反映」の表示が出るのでそれをまたクリック。

4.すると小さなウィンドウが開く。ここでまず「メインページのみ」を押す。

5.「反映終了」の表示が出たら、今度は「個別バックナンバーのみ」反映を選択する。すると40ページずつ反映されていく様子が見れます(私の場合、この記事が450番目ですから、何と12回画面がこの時点で自動的に変わるわけですね。私はだいたいこれに総計2.3分かかります。

6.同じことを次は「月別バックナンバーのみ」反映でくり返す。これは400ページをひとまとまりとしてやりますので、私の場合、2つめの「401-450ページに反映する」まで画面が一度だけ切り替わるわけです。だいたい今の私はこれの完了のみで40秒前後。

7.同じことを最後に「カテゴリーバックナンバーのみ」反映で繰りかえす。これはブロードバンド光回線の私の場合すら、数分後に”"Proxy Error"が出て未完に終わるのですが、実際にはカテゴリーの大半に反映済みのようです。

*****

 なお、これと同じことは2.の時点で「デザインの設定」に入って、実際にはデザインを変えないまま「設定を保存」にしても、あとは、4.以下の形で同様にできますが、私の経験では、この「デザイン設定」の保存し直しより「表示設定」経由の方がトラフィックが楽なようです。

 もっとも、ワールドカップの時はこのやり方すら通用しない時間帯がありました(^^A

 @nifty側も更に根本的な対策(=データーペースの分散化)を計画しているようですので、それを待ちましょう。

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