村山正治

2011/12/31

フォーカシング関連書籍、全員集合!!

大晦日でもありますので(?)、Amazonで購入できる、日本のフォーカシング関係の「全」書籍をご紹介いいしたします。

これらのうち、私(阿世賀浩一郎)が編者になっているのが1冊、共著になっているのが三冊です。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/09/20

書評 : ジェンドリン「フォーカシング」

ジェンドリン/フォーカシング

(楽天ブックスでの本書の紹介)

 自分の内側の言葉にならない曖昧な感じからのメッセージを少しずつ受けとめていく技法、フォーカシングの創始者自身による、一般向けに書かれた最初の「技法」解説書としての価値は不朽である。

 言うまでもなく、フォーカシングに関心を抱く人必読の「第一基本文書」だが、技法の手引きとして、他の欄でも紹介している、アン・ワイザー・コーネルをはじめとする様々な実践家による著作で、更なる展開がなされていることを忘れてはならない。

 翻訳の水準は、章によって若干ばらつきがあり、重要な語句の翻訳が抜けている場合もある。しかし、技法としてのフォーカシングの用語の「定訳」を定めた功績は大きい。

 ただ、現実のトレーニングの現場では日本人にすっと入らない教示の言葉も日本語として多く、工夫を要する。

 なお、ジェンドリン自身が実は強調していることだが、フォーカシングにおいては、フェルトセンス(自分の状況と結びついた、自分の中の曖昧で言葉になりにくい実感それ自体)にちょっとだけ触れ、しばらく味わっていられたら、それだけでその人は「現象としてのフォーカシング」を十分体験「していた」していたことになるのである(訳書p.74)。このことは6つのステップを進めている「どの時点でも」生じ得るものであり、6つのステップのすべてを達成した時に、はじめてフォーカシングが完成したのではない。

 「フェルトシフト」と呼ばれる、心身の緩みと共に気づきや洞察が生じる体験は、何回もかけて、小刻みな小さなステップとして生じて行く中で、あたかも漢方薬のようにじんわりと効き目をあらわして「いた」ことに、後で振り返って気づけることも少なくない。

 また、シフトとは「向こうからやってくる」ものであり、「生じさせる」ものではないともジェンドリンは明言している(訳書pp.74-5)。

 こうした簡便化されたマニュアルでは抜け落ちがちな事柄を、この本の中でジェンドリンはあちこちで「さりげなく」書いている。

 この本と出会って20年になる私すら、時折本書をめくり出してみると、「なんだ、このことはジェンドリン自身がすでに書いていたではないか!」と気づかされる部分に遭遇する。

 そうした意味では、やはり技法開発者自身の最初の一般向け著作は奥が深いものだと思う。

*****

 これも、以前Amasonのレビューといして書いたものに更に手を入れて、今の私の思いに近づけてみました。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/09/03

若手カウンセラーの方が、私たちよりも「したたかに」実力をつけていくのではないかという、大いなる期待

おゆとり様”世代を考える.(ココログニュース)

=========引用開始(若干改行を増やしました)========

 2002年度に“ゆとり教育”を導入した新学習指導要領。その頃に中学生だった人たちが今、成人を迎える時期にきている。物心ついた頃からずっと不況で、「貯蓄を重視」し「巣ごもり傾向がある」。

 その一方で『hanako世代』にあたる母親の影響を受け「ファッションには敏感」であり、それでも他人と比べるようなブランド物よりは、ユニクロなどのファストファッションを好む、といった特徴が見られるという。この世代を“おゆとり様”と呼ぶのだそう だ。

 高度経済成長期に熱い若者だった団塊の世代からは、「(おゆとり様には)社会人となり業務上で難題に対し、死ぬ気で何とかやり遂げようとする言動があるのかしら」と戸惑いの声があがる。

 身近な20代女性が「いかにお金をかけないで」楽しむことを重視しているのを見て「これが消費しない若者世代の モットーなのか(中略)そんな彼女たちのマインドにヒットする商品は なかなか難しい」(神戸ものがたり)と、彼らの消費行動が景気に影響を与えるとの見方も。

 一方で、ゆとり教育世代の息子を持つ『主婦だってがんばっちょる!』のブロガーは「どんな時代になろうとも地道が一番だし、何かあった時にやっぱり 必要になるのは貯金ですから」と、その堅実さを肯定する。

 また、“おゆとり様”の傾向分析やカテゴライズそのものに違和感を覚える人も多い。大学生と身近に接する人の中には、全体としてそのような傾向があることは認めつつ、「ファッション好き」と「貯蓄好き」の差は大きく、「別の物と思ったほうがいい」との意見がある。

 さらに「この多様化極まる時代にある 特定の層に“だけ”スポット当て、十把一からげ宜しくレッテル貼りの作業。もうこんな手法は飽きた」など、辛らつなコメントは少なくない。ラベリングで特 定の層を表現するのは、物事をわかりやすくしているように見える反面、肝心な部分を見落としてしまう可能性もあるのかもしれない。

(ははぎく)

=========引用終わり========

 先日、日本人間性心理学会第28回大会に出席したことはすでに述べた。

 この大会期間の中の2日間に、8つの時間帯の個人発表「枠」があった。この時間枠は、日本心理臨床学会大会のように互いに折り重なることはない。つまり、8つの個人発表を連続して聴くことが、参加者に可能な最大数であった。

 この折に、大学院博士後期過程在学中、ないし、少なくとも博士前期課程は修了して、臨床現場に出て数年以内の、非常に若い世代の臨床家たちの個人発表を7連続で「はしごして」回る形になった。

 正確に言うと、私が発表を聴いた中のお一人のみが中堅(というよりベテランの域に踏み込みつつある、私とほぼ同年齢の、学会でも著名な実力派カウンセラー)であり、残りの7人は、48歳の私よりも20歳は若い世代の方々だったのである。

 それらの人たちは、ここでいう「おゆとり様」世代よりはほんの少し上ということにはなるかもしれないのだが。

 事前に送られてきた論文集で目を通して、「ほう・・・・」と感心させられる"something"を感じた方の中からセレクトした。何とその結果、上の世代や同世代ではなくて、一番若い世代こそが、私の鑑識眼を刺激したことに、我ながら驚いたのである。

 これらの7名全員が、日本の「フォーカシング技法」および「フォーカシング指向心理療法」の「第3世代」というべき若手研究者・実践家である。

 もっとも、この学会は、フォーカシング関連の発表が非常に多い学会なので、同じ時間帯に別の教室でフォーカシング関連で発表される若い方すらいる(要するに、「裏番組」も観たい状態)・・・という苦渋すべき事態が頻発した。

 特に心理臨床系の個人発表のように、最低でも1時間の時間枠が与えられる発表についての、大会論文集上の抄録の情報量というものは、発表内容の全容を掌握するリソースとしては、実は不十分なものである。

 ですから、たまたま私が「究極の選択」に窮して会場に出向かなかった若手の発表者の皆様、どうか、別に阿世賀が「裏番組」の発表の方が優れているなどと判断したとは、夢にも思わないでいただきたい。

 私の身体はひとつしかないので、「行きたかったけど、行けなかった」だけです!!

*****

 全くおだてだとか餞(はなむけ)の儀礼などではなく、率直に申し上げたい。

 その7名の発表者の方全員が、私の期待以上の研究実践水準であった!!

 すでに我々フォーカシング「第2世代」(池見先生や、吉良先生、日笠さんや近田さんや村里さんや田村さんや天羽さんも含みます!)が、試行錯誤の中で日本に本格的に根付かせようとしてきた中で積み上げてきたものを、それぞれなりに「当然の前提」として咀嚼し、消化した上で、それぞれの現場に密着した問題意識を抱き、身につけた専門的なリサーチ能力を高度に駆使し、パワーポトントをはじめとする視聴覚素材での洗練されたプレゼンテーション能力も発揮 しながら、厳密な臨床研究手法で、一歩一歩前に進もうとされてる方々ばかりでした。

 池見先生や田村さんや私のような「古株」があら捜しすれば、確かにいろいろと理論的理解や技法実施上のテクニック、統計手法、研究デザインなどに関して、個々の問題点は指摘できますし、それらについては、その会場にいたこれらの先生方と共に、私も遠慮なく(でも簡潔に!)コメントさせていただきま した。

 しかし・・・・池見先生すらも休憩時間に私に漏らされたんですよ。

「『第3世代』は僕たちの若い頃の域をすでに超えかかっているのかもしれないね」

・・・と。

(注:日本のフォーカシング「第1世代」とは? 戦後しばらくして大学教育を受け、主としてカール・ロジャーズの「クライエント中心療法」や「非構成的エンカウンターグループ」の研究実践者として、1970年代までにすでに一定の業績を上げた先生方の中のある部分の先生方が、1978年に、ロジャーズの共同研究者でフォーカシング技法の創始者であるジェンドリンの来日を期に、フォーカシング技法の日本への紹介と摂取に尽力されることになる。故・都留春夫先生、我が恩師、故・村瀬孝雄、そして現在も活躍されている村山正治先生、大澤美枝子先生、白岩紘子先生、井上澄子先生をはじめとする、すでに60代以上の先生方を指します)

*****

 なるほど、今の若い世代の人は、私たちの若い時代に比べれば過酷な受験戦争を体験していないかもしれません。

 しかし、 こちらの記事で書いたこととも関連しますが、高度成長期からバブル崩壊前の楽観主義の中でしか、自分の進路や将来像を描けないまま社会に出てしまった世代に比べれば、自分たちが参入していく社会の現実をシビアにとらえ、自分の立ち位置と社会に出てからの歩み方について、非常に足が地に着いた考え方と判断力でやっていかざるを得ないように、子供時代から肌身で感じて育っていると思うのです。

 そのしたたかさが、実はこれからの日本を支える若い力になるのかもしれない。

 どうか、バブル崩壊以前に社会に出た、現在アラフォー「以上の」世代全体を、どんどん「実力で粉砕」して、「社会を動かす」側に回ってください。

 もし、言ってることややってることがヤバイと思ったら、本気で忠告します。必要を感じれば論戦も厭わない。

 いざとなったら、あなたたちを敵として、武器を手にとってでも、将来「内戦」するかもね!!

 それが、私の世代に、これからできることなのだと。

「おゆとり様世代の諸君、エースをねらえ!!」

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

 

2007/11/29

「触れないでおくことも、実は触れることなのよ」(1)

 この言葉は、増井先生の、確か人間性心理学会での数年前の個人発表の際に、フロアで同席した、私にとってもはや四半世紀のつきあい、まさに一緒に歳を取ってしまい、いつのかにか、出会った頃の年齢に私が達した観がある、私にとっての「フォーカシングの母」ともいうべき、私と同じ、の日本に12名いるTFIコーディネータのひとりである、ホリスティック研究所の白岩紘子さんの感想である。

 白岩さんは、日本のフォーカシング第1世代の中で、果敢に「セラピーとしてのフォーカシング」を率先して追求・実践した先駆者のひとりである。

 この感想に大きくうなづくだけで、私と白岩さんは、増井先生のアプローチの本質について相互了解できた。経験あるフォーカシング関係者、そして増井先生の治療実践についてご存知の方は、これだけで何を言わんとしているか、察して下さる方もあるだろう。

それをもっと具体的に説明していくと、以下のようになる。


*******


 ごく単純な例を示せば、患者に抑圧という説明概念を利用し患者理解を進めようとするより、何やら漠然として、もやもやして、どことなくイライラすることもあり、それを体験することを患者はひどく嫌がっている、というふうに述べる方が、理解の正確さや患者への共感などを含んだ治療的メリットがどの程度あるかを想像するだけで十分であろう(p.31)


 これなど、ジェンドリンが「人格変化の一理論」で次のように述べている以下の箇所と実に見事に呼応しているばかりか、それを更に、増井先生なりに、治療現場での実践知に昇華した発言である:

 抑圧と内容の諸定義の再公式化(Repression and Content Definitions Reformulated)
24.未完の過程としての無意識

 「自我」とか「自己体系」が諸経験を覚知(awareness)から「排除」するといわれるとき,通常これらの諸経験はそうした排除にもかかわらず「無意識の中に」あるいは「有機体の中に」存在していると仮定されている。しかしながら,我々の論議を進めていくならば,それらの経験は存在しないという結論になる。たしかに何かは存在するわけだが,その何かは仮りに諸経験が具合よく進んでいったときにみられるようなものとしての経験ではないのである。現実に存在しているのは,身体相互作用過程がいくつかの点で停止したとき,・・・・・すなわち,そうした過程が生じていないときに,結果的に生ずるところの一つの感じられた生理学的な条件なのである。ではそれはいかなる類の条件であろうか?

 今までのところで我々は結果として生じた機能不全がいかなる形で何かを「欠いている」かを示してきた。しかしながら注意すべきはこの欠けているものを,無意識というところに位置づけてはならないということである。(これはちょうど誰かが空腹なときに節食を無意識の中に位置づけるべきでないのと同様である。)無意識というのは身体の停止した諸過程,すなわち筋肉的内臓的な妨げから成り立っている。これはちょうど停止した電流が裏面で秘かに流れている電流から成っているのではなく,(中断箇所ばかりでなく)回路の様々の部位において蓄積されたある電位から成っているのに似ている。この場合,ある伝導体を入れることによって再び電流が生ずるときには,それが中断されていた条件下において生じていたのとは異なった事象が生ずるのである。ただいうまでもなく,両者は互いに関係し合ってはいる。これをみて我々は,これが電流の再構成化(reconstituted)に先立って(静的な形態をとって)存在していた電気エネルギーだ,という。これが「無意識」なのである。

 諸々の経験や知覚や動因や感情などが我々の覚知には「欠けて」いるというとき,それらは覚知の下に,(すなわち身体や無意識のどこか下の方に)存在しているわけではないのだ。存在しているのは,ある狭められ,あるいはいくつかの点で阻止された,相互作用と体験過程なのである。我々が記述した体験過程の様式は,多くの点で,体験過程や身体的生命過程が「完了して」いないか,さもなければ十分に進行的ではないようなものに他ならない。

 このことは「無意識」というものはないということなのか?我々が覚知しているものだけが存在するのか?事をかように過度に単純な形でとらえることは重要な観察事実を無視することである。我々の理論はこれら様々の観察事実を説明することができなければならない。(新訳p.pp.216-7)


 では、増井先生はジェンドリンのどこに批判的なのか。それは次でご紹介。

(続く)


2007/08/21

第一弾はジェンドリン著、「フォーカシング」です

 新ブログ、「カウンセラーこういちろうのMy Favorite Books」紹介第1弾は、ジェンドリン自身の著作、「フォーカシング」です。

 前の紹介文を大幅に増補改訂しています。

 でも、ホンネでしか書きません(^^;)

 数日後には、Amazonのカスタマーレビューも掲載されると思いますが、さすがにそっちでは個人的思い入れは排しています(^^)

Clipboard01

 

2006/12/21

佐治先生だけが言ってくれた(第3版)

 「おまえ、まだひとりで全部稼(かせ)いでいないだろ?」

 それがどういう場面で、どういう脈絡だったかすら思い出せない。

「恐らく」日精研(日本・精神技術研究所・心理臨床センター)でのことである。

 それがあまりに、唐突とした脈絡に私は感じられたし、その直前に長い会話をしていた記憶がないのだが。

 その頃私は、日精研からの嘱託(派遣)カウンセラーとして、法政大学の多摩学生相談室の非常勤の仕事と、時たま入る、都心の日精研での「フォーカシング個別指導」の助言者(トレーナー)のひとりをしながら、東大の大学院の研究生をし、併設の心理教育相談室で研修を受けていた。確か、それらがすべて重なる「その年」のことだったと思う。

 以前も書いたが、私が東大の「大学院」に、研究生としてであるにしても、正規に3年間在籍することができるようになるまでの過程そのものが、ほとんど信じられないほどの偶然と、私の執着気質的な「執念」で、当時の立教の大学院の実験系の先生方を根負けさせたこと、更に、はっきりいって「ずるい」機転による抜け駆け、そして何より、当時の私の水準におけるフォーカシングについての理論的・実際的理解力すら率直に認めて下さった村瀬孝雄先生の誠実な人徳なしには考えられないものであった。

 何しろ、この段階で、日本の開業常設カウンセリング機関で、「フォーカシング個別指導」を、有料で、一般の皆様に向けて常時受け付けていた(予約制だが)のは、日本広しといえども、東京の日精研だけだった。

Focusing_hyoushi_1 私以外の担当者は、当時唯一の翻訳された「技法書」だった、ジェンドリンの「フォーカシング」3人の共訳者の先生方のうちのお2人、つまり、当時東大の、我が恩師、村瀬孝雄先生と、確か当時まだICU(国際基督教大学)におられたはずの都留春夫先生という、当時ロジャーズ派系の日本を代表する大家だった(ちなみに、もうひとりの訳者は、今も臨床心理士をなさっている皆様で存じ上げない方は少ないであろう、当時九州大学の村山正治先生である)先生方である。

 はっきりいって純粋の「臨床的経歴」からすれば、20代の研修中の社員と50代-60代の部長・重役が、同席の「担当者」として名前を連ねているというのに近い、異様な事態だったと思う。

*******

 ところが,現実は、経済的には、「新入社員以前」もいいところだった。

 恥ずかしながら、まさに冒頭の一句の状態だったのである。

 そして、それを全く唐突に思えた脈絡で、私に切り出したのが、日精研心理臨床センター所長をなさっていた、佐治守夫先生だったのである。

*******

 佐治先生は、千葉県市川市国府台にある国立衛生研究所附属病院の精神神経科で、「日本最初の」職業心理カウンセラーのひとり(恩師村瀬孝先生もその中のひとり)をされた後、東大教育学部で教鞭を取られ、東京大学教育学部心理教育相談室という、「大学院生のための研修機関を兼ねた、常設外来カウンセリングルーム」の先駆けのひとつ(今では全国数十の「第一種指定校大学院」に存在するが)の設立から、「佐治門下」と今日言われる、今現場や教壇の第一線にある、数々の優秀な臨床心理学者や現場カウンセラーを輩出するまでの時代に教鞭をとられた。

 だれもが佐治先生は定年退官後、もっと定年の長い別の有名大学がらの招聘を受けられるものと想像していた。ところが、佐治先生は、敢えて、「単なる現場カウンセラー」に戻る道を選択される。

 しかも、それは、すでに「株式会社」という形態を持った組織として完全に自活していた、予想外の「企業」の、いわばベンチャー部門の立ち上げのようにして、今から30年前、ささやかにはじまるのである。

 それは、賃貸ワンルームマンションの一室からはじまったという。

 クライエントさんは最初ほとんど来なかったそうである。そのうちに、その場は、佐治先生を慕うカウンセラーたちのささやかな研修会の場ともなり、後に「佐治研究室」という研修生システムとなる。

 その後、20年近くかけて、日本精神技術研究所心理臨床センターは、スタッフを増員し、より大規模なビルへと移転を繰り返し、佐治先生所長時代の末期には、ついに「各種学校」としての法人格を持つ、「心理臨床学院」を併設する、病院附属ではない、日本を代表する民間大規模開業カウンセリング機関、兼、全国の著名カウンセラーをゲスト講師として招聘するカウンセラー研修機関となる(もとより、指定校大学院ではないので、臨床心理士の資格取得そのものをここだけでできるわけではない)。

 だが、その.30年前のワンルームマンションの草創期から、10年前にお倒れになり、数日後お亡くなりになる「その日」まで、この相談機関の現場カウンセラーとしての「主戦投手(捕手?)」は、佐治先生であり続けた。定年退官後の20年、驚くべき数の面接数を担当し続けておられたことは、その最後の数年に末席から様子をおうかがいしていたにすぎない私にも、「面接予定表」の埋まり具合についての記憶がある。

******

 私は、フォーカシング個別指導以外、研修を受ける側を含めて、日精研の催しに積極的に関与することは今日に至るまでないままである。 

 最初の頃、月に一度の事例検討会にも参加を許され、佐治先生の前で学生相談におけるフォーカシングの活用の事例を提出させていただいた記憶もある。

 いくつかの感想は参加者から散発的にいただいたが、「積極的評価」も「批判」も受けなかった。佐治先生は、ほんの数言、司会的な言葉を挟まれただけだったと思う。私にはそれが「ひどくこたえて」、それ以降、事例検討会から足が遠のいた気がする。

*****

 それから、2,3年は後の言葉だと思う。冒頭の一句を、ほとんど出会い頭のご挨拶程度の儀礼的日常会話の際に,突然ぶつけられたのは。


 「おまえ、まだひとりで全部稼(かせ)いでいないだろ?」


 その時は、その言葉にぎょっとしながらも、できるだけ平常心を取り戻した。


*****


 ところが、その一言を言われたということが、あとあとまで私の中に残るのである。平均すれば、週に一度近くは脳裏を掠(かす)めたかもしれないくらいに。

 なぜなら、立教の大学院時代からを含めて、私に、上記の一言を面と向かってつぶやいた「カウンセラー」は、佐治守夫先生、たった一人だったからである。

 もちろん、私はそのへんのことになると、口を濁していたから、何か別にバイトぐらいしているのだろうと思い込んでいた周囲の人も多いかもしれない。でも、私はそれを、

「周囲のかなりの範囲の人が漠然と『察して』いるのに口にしていないだけ」

と思い込んでいた。「見抜かれている」と確信して「いた」
 
 そして、実はそのことを誰も「もろに」言ってくれないことそのものに、カウンセリングの世界の「厳しさ」をひしひしと感じて「いた」

 でも、どこかで、そのことを私につきつけて説教「してくれない」周囲への、屈折した「恨み」も感じていたように思う。

(土井健郎先生にご登場いただくまでもなく、今思えば、これ自体が「甘え」だったと言わざるを得ないです。

でも、「そういうのは『甘え』だ」、と「言葉で」突きつける一般の人やカウンセラーには、何か違和感があります。堂々巡りに本人を追い込み、結局今度は他人に「そういうのは甘えだ」を連発する人間にしてしまうだけですから。「そこから先が」ホンモノの関係性と信じます)

******

 実は、佐治先生に

あのダイレクトな一言を言っていただいていて、

しかもそれがよりによって、

私が「実際に」大学カウンセラーや非常勤の大学講師をして「ほんとうに自活」するまで、

後にも先にも、この時、

佐治先生から

「だけ」しか

いただけなかった一言だったからこそ
私はその後、
つぶれてしまうこともなく、
思い上がり過ぎることもなく、
研究者や教職の道をめざすこともなく、
現場臨床にこだわる「カウンセラー」として生き延び、
独立開業カウンセリングという世界に踏み込んだ気がしてならない。

 今にして思えば、
 あの一言こそ、 
 私への

 最大の「救い」、

 その後の生きる支え

 となる

  「受容と共感の」
   ひとこと

 「だった」のだと思う。

 私にとって、佐治先生とは、まさに冒頭の「図星」をまともに「言ってくれた」、(ここだけ「敢えて」敬称は使いません)、唯一のカウンセラーとして,恐らく私の生涯、ずっと記憶されていくのである。

******

 どんなクライエントさんとも、一般にいわれている意味での「受容と傾聴のカウンセラー的態度」で一貫して接することで、尊敬を集め、希代の名カウンセラーのひとりといわれる佐治先生は、実は、自分の教え子たちひとりひとりとは、たいていといっていいほど、「伝説に残る大げんか」を一度はしておられるらしい。

 私はそれらについて、「また聞き」を含めて、知る範囲のことを語ることはもちろんできません(^^;)。

*****

 ただ、そういう、日精研で、佐治先生と、私などより遥かに密接な関係にあった諸先達を含む皆様たちによる、「それぞれの方の」人生の重大転機となったのかもしれない、佐治先生との「思い出深い一言」が文中にたくさん掲載されている、没後10周年の寄稿集が、日精研直販でなら、どなたでもお買い求めになれます。

 実はまだ日精研公式ウェブサイトの書籍販売コーナーにまだ掲載されていないようですが(06/12/21現在)、


Sajisensei_1

日本・精神技術研究所 編

「日精研における佐治先生」

日精研叢書 第3巻


......定価1,050円(税込み)、送料150円です。

注文について、詳しくは、上記のウェブサイトをご覧下さい。

 私のカウンセリングルームにカウンセリングやスーパービジョンに実際においでいただいた皆様には,ご希望がある場合「摘価で」お分けいたします。

(以上の件、すでに日精研の担当責任者の方にご了解いだだいています)


*****


 BGMは、敢えて、確信犯で、浜崎あゆみの新アルバム、
"Secret"です!!

 実は「確信犯」と言っても、この書き込みの「第2版」のために敢えて大船の私のオフィスまで自転車を飛ばす際途中で、ホントに突然フェルトシフトして「洞察」したことなのです(^^)。

ほんの数行目から、細かい字句修正と、「独特のリンクの張り方」以外、まさに「ライブの」フォーカシングをしながら、一貫して書いてます。

 私がこのアルバムについての書き込みの2つめぐらいから、漠然と、しかしはっきりと「全体像」をつかんで「いた」事柄、まさに一連の書き込みで"around"しながら迫ろうとしていた問題を、この書き込みまでかけて、「やっと、いくつかの切り口から、かろうじて書けた」という思いがあるからです。

 そう、私がこの「秘密(Secret)」を語る必要が「あった」んですよ(^^)

2006/10/04

"My Favorite Books"大幅な増補改訂しました。

 主として中井久夫先生の著作中心に、これまでブログ本文の記事としては紹介してきた著作を中心に、「左サイドの常時表示されるコーナーに、大幅に相補しました。

 私が、フォーカシングと共に、25年前から中井先生の著作を支えとして生きて来たといっても過言ではないことが、「単なるフォーカシング教師」「単なるカウンセラー」を超えたスタンスを早くから育(はぐく)み、今日の私のアイデンティティを築き上げてきたことをしみじみと感じる、今日このごろです(^^)

2006/09/24

神田橋先生が「フォーカシング」を示唆した箇所は「ここ」だ!!

 進化による自由自在性で突き進み、悲劇的結末が必然となってしまったファントムとしての人間にとって、わずかばかりの希望の道があります。それはファントムが自然としての身体を尊重し、からだを主役に引き立て、自らは舞台監督になることです。

(中略)

 より高みに上がって、全体を見通すイメージです。(中略)からだを主役にし、からだの特性を生かすべく、身体の声を聞き、[こころ]ファントムの方針を定めて行くのです。

 それは、[こころ]ファントムの自己規制としてのさまざまな法制化・ルールとは全く異質のものです。本来、いのちの一部として[こころ]ファントムが発達してきたという進化の原点に立ち戻り、からだと[こころ]ファントムの協調関係・調和を回復する方向です。

(中略)

 ただし、この方向への動きは、[こころ]ファントムたる概念言語でとらえられ、表現された途端に、運動自体の本質から離れてしまいます。

 [こころ]ファントムと、からだを結んでいるもの、切れ目なく結びつけうるものは感覚です。感覚は、いろんな都合上、命名されて、言語化される時もありますが、言葉であらわされたものはであり、その実体は言葉以前のものです。言葉に表わされた瞬間に、言語化以前にあった[こころ]ファントムとからだの結びつきは切れてしまいます。
 
 *****

 ヒトは「体験」の延長上にコトバを造り、コトバ文化を展開し、万物の霊長となった。ところが、時を経るにつれ、ヒトの?下にあったはずのコトバ文化が自らの勢いで跳梁・跋扈し、発祥の地である心身の体験と離別し、ついには主家である心身をないがしろにするほどになった。今やヒトの心身は、コトバ文化が編み上げた疑似体験に隷属し、身を屈してすごすようになっている。他方、コトバ文化の方も、母体である心身体験と離別したせいで、華麗にして空疎なものとなった。

 「フォーカシング」とは、体験の延長上にコトバが生じるという原初の自然なありようを復活させようとする原理主義の運動である。この運動は、心身に根ざした「体験」を蘇生させるとともに、母体との密着へ復帰させることでコトバ文化の鼓動をも蘇らせようと意図している。

 だがこれは、コトバ文化の支配下では困難な反体制運動である。「フォーカシング」の優れた紹介がすでに何冊か出たものの、コトバ文化の典型である出版の部分であるという障壁を突破しえず、「体験」を蘇生させ得なかった。読者という立場には、目で活字を追いイメージを膨らます体験しか生じないからである。

 ゲリラ的にフォーカシング運動を進めてきた著者らは、その「体験」の生の記録を展示することで、フォーカシング体験の運動に踏み出そうよと読者を誘惑する。

 その誘惑に乗る読者が一人でも多いことを評者は願う者である。なぜなら、今日の心理療法の対話の現場でこそ、心身の体験とコトバ文化との密着が復活することが急務であると考えるからである。

 今日、善意と熱意と訓練と勉学にもとづいて行われている心理療法が生み出している悲惨は目を覆うばかりである。責めはおおむね治療者のコトバ文化が自身の体験と乖離し、治療者の心身がコトバ文化の編み上げた疑似体験に身を屈していることに帰せられる。よってたつ理論基盤を問わずすべての心理治療者がフォーカシングを体験することで、心理療法の失敗のほぼ7割は消滅すると評者は推定する。

 それゆえ、第9章「カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味」をまず読まれるようお勧めする。そこには、筆者である近田輝行氏の体験が展示されている。その記述は、心ある読者の内部に自身の体験の記憶を呼び寄せ、充分な誘惑となり、他の章へそしてフォーカシング体験へと進ませるであろう。

 ちなみに、評者は心理療法の対話の場で、聞くときはリスナーになり、語る時はフォーカサーになるという心組で「わたしのフォーカシング」を体験している。そのようなつまみ食いでも利益は絶大である。


Genbakaranochiryouron_1_1 今、"******"で区切った前の部分が、
神田橋條治先生の"「現場からの治療論」という物語"
p.53-54からの抜粋です。

 (傍線および[  ]内は
  こういちろうによる補足)


Kotohajime
 "******"で区切ったうしろの部分が、同じく神田橋條治先生の、「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 著 金子書房 1995 絶版)への書評季刊精神療法 第22巻第3号 (金剛出版 1996)掲載です。

 更に、こちらの記事もどうぞ。

2006/07/16

夢フォーカシングについて(第3版)

そういえば、私、このブログで最近、

Dreamfocusing_1
「夢とフォーカシング」村山正治編訳 福村出版

については何度も引き合いに出しつつも、ジェンドリンの「夢フォーカシング」についてはまとめて一度も紹介したことがなかったと気がつきました(^^;A
 
 私の専門とするフォーカシングにおける夢理解は、ユング的、特にドリームワークボスナックの"Dreaming Body"(ボスナック氏来日時に一日セミナーを受講しています)、あるいはエンプティ・チェアの心理臨床ゲシュタルト療法のempty chair(倉戸ヨシヤ先生ご自身をはじめとして、どういうわけか日本人間性心理学会を通して、日本の関西のゲシュタルト療法の関係の諸先生方と親しくさせていただく機会が多かった私です。もっとも、ゲシュタルト療法のワークショップそのものには1回しか出席させていただかないままです)との類似性が高いのですが、ジェンドリンは、

 「夢を見た当人は、日常の中でと同じような仕方で夢解釈をしようとする傾向が強い。だから夢解釈が役立たない(悪夢はただの「反復強迫」に終わる)のだ。それを超えるには、"bias control"をかける必要がある」

と述べ、夢の中の、あまり重要で「なさそうな」登場人物に「なってみて」、その「登場人物」を「演じる」つもりになり、内側から感じてみる、などを推奨しています。

 場合によってはその夢の中にさりげなく立っていた「木」でもいい、とすら。

 まさに自分自身の「影」や「アニマ」に「なってみる」というやり方ですが、精神分析の脈絡に置き換えれば、これなんて、ラッカーの「補足的同一視」の自覚的再体験によって治療者自身の自我の再統合をはかる、ということに当たるのかなと思います。
 
Esprit410hyoushi_1
 なお、ラッカーの「補足的同一視」と、フォーカシングにおける「治療者の逆転移の活用」との関連については、私の先輩に当たる、学習院大学の伊藤研一先生が、現代のエスプリ 410 「治療者にとってのフォーカシング」(伊藤研一・阿世賀浩一郎 編  目次はこちら)の中の伊藤先生自身による論考、「『治療者のフェルトセンス』と『逆転移』」で、詳しく論じておられます。

******

Izanai
公刊された著作に書かれた、
日本人による
夢フォーカシングの実例としては、
「フォーカシングへの誘い」池見陽 編/サイエンス社

における、
関西の代表的フォーカシング・トレーナーである森あい子さんがお書きになった自験例が、「もう、これ以上にわかりやすいものはない」というくらいの、抱腹絶倒の「傑作」です。

 ちなみに、私の本部ページの「フォーカシング入門」のひとつの章で、「夢フォーカシング」についての私自身による解説を試みていますが、そこでこの森さん自身の夢フォーカシング体験の概要を引用させていただいています。

 更に言えば、私自身、夢フォーカシングについての論文を書いています(学術論文寡作の私にしては珍しい例外!!)

阿世賀 浩一郎「夢フォーカシング技法の面接場面への適用に際しての幾つかの実用的示唆」 人間性心理学研究 第11巻 第2号 1993

 更に忘れてならないことを言えば、今現在、日本で一番熱心に「夢フォーカシング」に取り組んでおられるのは、これまた私が大学院時代からの知り合いの、福岡大学人文学部の、田村隆一先生です(私と同じThe focusing Instituteのコーディネーターの資格をお持ちです)。
 私も参加した2005年のトロントでのフォーカシング国際会議でも、田村先生ご自身が、夢フォーカシングの分科会を持たれました。
Focusingworkbook_1 田村先生による、「夢フォーカシング」についての紹介と論考のうち、
一般の方にも入手しやすい文献ととしては、
左のブックレビューにも掲載している、「フォーカシング・ワークブック」
「夢のフォーカシング」という、
4ページに凝縮されたマニュアルがありますし、

Esprit382hyoushi現代のエスプリ 382 特集「フォーカシング」
(村山正治編 目次はこちら)に、「フォーカシングと夢分析 -臨床上の有効性と留意点」
という一章があります。

 最初に言及したジェンドリン自身の著作に加えて、こうした資料や専門家をおあたりになると、なぜ私が、
ispot ココロとカラダの癒しすぽっと検索
「支店」Websiteの方の、「メニュー」のコースごとの詳しい解説で、「夢フォーカシング」コースについて、

フォーカシングを活用した夢分析。
それは、この世に多く出回っている「夢解釈」のように、
「海に浮かぶ」=「おかあさんの子宮の中に戻りたい」
みたいな、
夢の内容から、まるで「辞書を引くように」
答えを見つけるものではありません。
あなたと一緒に、
夢の中でどんな「感じ」でいたかを丁寧に振り返る中で、
あなたもびっくり、カウンセラーの私もびっくり!!
みたいな、
予想もしない答えを一緒に見つけていくものです。
フォーカシングの経験がなくても大丈夫!!
占い気分でやってみたら、
あなたをスリルとサスペンスと爆笑にみちた、
アドベンチャーゲームにご案内します。

などと解説したのか(この「女性誌文体」も私自身が書いた文なんです.....)、おわかりいただけると思います(^^)

*********

 ところで、私は、クライエントさんについての夢はほとんど見ないタチです。
 きっと、むしろ、クライエントさんとは一見無関係な内容の夢の中の「他の」登場人物が、それこそ「共通の布置」を持つ「代理人(?)」として、クライエントさんとの関係性、そして私個人のいろんな人との関係性に関わる「夢作業」として課題を私に突きつけているのでしょうね。

 夢フォーカシングについては、こちらにも詳しい記事があります。

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー