イスラム教

2009/09/25

「おくりびと」・・・・臨床ということ

 日本映画の最高の金字塔のひとつというべき「生きる」に引き続いて、同様に「死」をテーマにしつつも、黒澤監督もなし得なかった、アカデミー外国語映画賞を受賞したばかりのこの映画を鑑賞するというのも、何とも味があるものである。

 

おくりびと [DVD]

 先日「完全版」がテレビ放映されたものをHDレコーダーに録画しておいたものをやっと観たのだが、どうもDVD版での一部シーンのカットを惜しむ声も少なくないようなので、むしろこうした形で観ることができたのは幸いなことかもしれない。

*****

 今回は、またもやや私的な次元からの感想として書かせていただく。

 ただし私自身の近親者や関係者の死の問題と絡めるようなことはしませんのでご安心を。

 私は臨床心理士であるが、「臨床(clinic)」とは、本来「ベッドのそばにたたずむ」という意味のみならず、「死に至る患者さんのそばに臨(のぞ)み続ける」という含蓄が込められていた言葉であるという。これは確か中井久夫先生の著作のどこかで読んだことである。

*****

 私の業界では、「臨床」という言葉を意識的に使う時には、カウンセリングや心理療法などを通して、ひとりひとりのクライエントさんと向き合う現場を持っている・・・という含蓄で使われることが多い。

 つまり、机上の学者などではないということである。

 もっとも、今日指定校大学院で勤務されている先生方は、むしろそうした意味での臨床現場のプロだった先生方が「請われて」教職に身を転じられたケースが増えてきているので、以上のことは別に揶揄のつもりで申し上げているつもりはありません。

 むしろ、大学という組織の煩雑な雑務に忙殺されるくらいならは、臨床の現場にあと少しでも立ち戻れれば・・・という引き裂かれる思いも感じておられる中堅の先生方も少なくないのである。

 実際、「あの先生はついに大学教育の場に向かわれた」という情報を耳にしたと思っていたら、いつの間にかほんの数年のうちに教職をお辞めになり、またもや現場に戻られてしまった、功成り名を遂げた筈の臨床家の先生の再度の転身に驚いたこともある。

 もとより、ご本人の意思ばかりではなくて、「先生がいないと現場が成り立たない」という切望もあったのではないかと推察もするのだが。

*****

 医師という身分は、実は日本でも欧米でも、実は必ずしも敬意を払われる仕事として歴史上一貫して見なされてきたわけではない。「鍼灸師」「マッサージ師」などと同じように「士」ではなくて「師」の字が長い間通称としてあてがわれてきたことの中には、実は必ずしも階級が高くない、表舞台に登場する性格のものではない「日陰の職人」であるに留まるという含蓄がある。

 この、「師」と「士」の字の含蓄の違いについて私に教えてくれたのは、何と私の父である。父はそこから「だからお前は医者より偉いんだ!」という凄まじい論理展開で私に発破をかけてきたのだが、お医者様の皆様、これはあくまでも個人開業(私設心理臨床)している私への、父の溺愛のなせる技とお許し願いたい。

****

 この映画の中では、従来注目を浴びていなかった「納棺師」という職業にスポットライトが当てられているわけだが、「死人と接せざるを得ない」という点では大抵の医師と納棺師には共通項がある。

 何しろ、日本の法律上は歯科医師にすら、役所に提出する死亡届に必要な死亡診断書を書く公的な権限が、今でもあるのだ(このことの是非はとりあえず置くとして)。

 私のような臨床心理士も、少なくとも「死にたい」というクライエントさんからの訴えや、かつて自殺を考えた、試みた、あるいは重い身体病を乗り越えた、今も身体の中に「爆弾」をかかえているというお話、あるいは肉親や知り合いとの死に目のお話をうかがわない日はないと言っていい。

 そして・・・・実は今や脚光を浴びる仕事となった臨床心理士(もっとも、職場を得て、安定した生計を成り立たせることの大変さも知れ渡りつつあるが・・・・)においても、実は、ひと皮向けば、普段「おかしい」人たちばかりを相手にしている、だとか、人の泣きごとを聴くだけでお金を取る人種だとか、ほんとうは社会や家族、地域共同体が背負うべき、悩める人や行き詰まっている人たちを有料で救う専門家が存在すること自体が、人間疎外を更に押し進めるシステムだとか言われる立場にあり、実は「世間の普通の人がやる職種ではない」という偏見にさらされているのである。

 「私、臨床心理士になりたい!」と肉親に口にした途端に、この映画の中の主人公の妻が夫の職業について知った時に示した拒絶反応と実は似た体験をされた、心理臨床志望の若き人は決して稀ではないはずだ。

 その理由は、単に大学院まで出る学費や収入的な安定という面での懸念などではとても説明し尽くせない、「生理的な嫌悪」を感じさせられる世界に、自分の子息が身を投じたがっていることへの困惑という側面が内包されていることが多いのではないかと、なぜかこの映画を見ている中で気づかされた。

****

 この映画は観た人が少なくないでしょうから、ここからはネタバレになることをお許しください。

 広末涼子が演じる妻は、本木雅弘演じる夫がやっているのが納棺師だと気づく前は、直前に絞(し)めて捌(さば)いたばかりの鶏を目の前にすることに何の抵抗もなかった。それどころか、買ってきた蛸が「まだ生きている」ことに気がついた時に悲鳴を上げた。

 つまり、私たちの多くが、普段肉食(にくじき)をする際に、それが「死体」に他ならないことを忘却しているのと同じ次元に生きていたのである。

 この映画で殊に印象的なシーンのひとつが、社長と主人公たちが、

「うまいか?」

「困ったことに」

などと対話しながら、進んで肉食を繰り返すシーンであることは衆目の一致するところであろう。

 私はベジタリアンを貫こうとする人を揶揄する気はもともとない。中には健康上の理由からベジタリアンを貫くひともあろうが、欧米ではベジタリアンでありながらもキリスト教徒である人は少なくないかと思う。

 ところが、キリスト教という宗教そのものが、「我々の罪を背負って十字架にかかって下さった主イエス」への信仰であるばりか、多くの宗派において、「聖餐」という儀式を大変重視するものである。

 これは聖書に伝えられる「最後の晩餐」におけるイエスの発言に基づき、ワインをイエスの血、パンをイエスの肉として口にする儀式である。多くの宗派の公式の教義では、聖別されたワインとパンは、まさにイエスの肉体そのものなのであり、決して「象徴的な表現」などと見なしてはいないそうである。

 実はイスラム教徒は、このあたりを指して、「キリスト教は教祖の人肉を食らう野蛮な宗教」と喧伝した時代もあるとのことである。

****

 こうして私は、敢えて仏教的・東洋的な発想から一定の距離を取ったままこの映画についての小考察を進めてきたが、そろそろ、私なりの言葉で、今回書きたかったことの核心に触れていこう。

 人は、他者の生命の犠牲の上に立ってしか生きていない存在である。

 いかに自立・独立を尊ぶ人でも、一切の衣食住をすべて自分で賄(まかな)って生きる、ロビンソン・クルーソーのような生き方をしているわけではあるまい。

 人は幼年期を脱した後も、何らかの意味で他者に「寄生して」生きているのである。収入を得られるいうことは、回りまわって、誰かがお金を出してくれたということである。

 誰もが「人の生き血を吸って」生きている。このことに貴賎はないと思う。

 臨終から葬儀、火葬、埋葬、そして追供養と続く一連の儀式は、悲しむための儀式ではない。むしろ悲しみが感謝に昇華される過程となるのがふさわしいのだろう。

 「愛(いと)し」「恋し」「哀(かな)し」といった古語の意味を探っていくと、これらが自然と融合する接点が出てくるようである。

 死や病が日常世界から隠蔽され、不死と無限の健康へのファンタジーが満ち溢れかねない時代(今度の不況で、そこに少しブレーキがかかったかとは思うが)であればこそ、病や死と日常の間にある、目に見えない「門」をつなぎ、その間にさ迷うしかなくなっている、個々人の「成仏できない思い」の仲介者となる「渡し守」が職業としても必要な時代なのだとも思う。

 それはむしろ、個々人日常生活の中に、そうした「愛(いと)し」「恋し」「哀(かな)し」の思いが行き交う世界が復興するための、ささやかなお手伝いなのだと思う。

*****

 BGMは、中島みゆきの中島みゆき - 歌でしか言えない - 永久欠番「永久欠番」ということで。

 ・・・敢えて、「生きる」の記事ではなくて、こちらの記事の方に。

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2009/09/20

チャールトン・へストンの真の代表作というべき映画「エル・シド」とその歴史的背景

エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD]

(本作品の楽天ブックスサイト)

 この映画、感動のラストシーンで、知る人ぞ知る、歴史スペクタクルの傑作です。

 なのに、「十戒」「ベン・ハー」ほどに人気がない最大の理由は、この映画で描かれている11世紀の頃の段階での、スペインにおけるイスラームからのレコンキスタ(いわゆる「国土回復運動」「再征服運動」)について、日本人の関心がそもそも低いこと (少なくとも、アルハンブラ宮殿が絡む、イザベラ女王時代の、グラダナ陥落(1492)による、レコンキスタ完全達成の頃に比べれば)が大きいのでしょう。

 かつてのスペインの独裁者、フランコですら、「エル・シドの再来」と呼ばれながら歴史の表舞台に躍り出た。そのくらい「エル・シド」という名前のネームバリューが日本と欧米では違うのだと思います。

 クレジットには明記されていなかったと思いますけど、この映画の歴史考証をしているのはスペインを代表する歴史学者で、「エル・シッド・カンペアドル」で知られる、ラモン・メネンデス・ピダルという人。この人のエル・シド観はすでに古いと学術的には言われているけど、少なくともこの映画が製作された時点ではまだまだ最高権威でした。

 一見わかりにくい錯綜した人物関係も、恐らくエル・シッド伝説を基本教養としているヨーロッパ人なら、このくらいで十分に理解できるという水準なのだろうと思います。

 むしろ、映画制作当時としては歴史考証の細部にリアリズムのこだわりがあるとすら言えます。

 例えば、海の向こうから押し寄せるイスラム勢力が、なぜ、アフリカ的な装束しかしていないのか?

 後代のオスマン・トルコの軍楽隊と全く異質であることに我々は衝撃を受けるのか? 

 何とも狂信的な指導者なのか?

 全部、この映画が作られた「当時最新の」歴史考証の結果なんですよね。あの衝撃のラストシーンにも、ちゃんとそれなりの歴史文献的根拠がある。

 以上、イギリスの歴史学者フレッチャーによる「エル・シッド―中世スペインの英雄 (叢書・ウニベルシタス)」 という本で、ピダルの学説への丁寧な批判と、何と、チャールトン・へストン自身にすら取材して、映画のワン・シーンも写真で掲載して書かれていることなん です。映画「エル・シド」を実際に観た人が、その虚構性がどのあたりかまで歴史背景をお知りになりたくなったら、この本に止めを刺します。

 理想化された騎士道の物語として観ても、これほどすばらしい映画は滅多にない。この「泥臭さ」があってこその騎士道。 

 馬上槍試合の描写、エル・シド在世当時と厳密には一致しないとしても、少なくともある時代の中世騎士道で理想化された作法の、実に忠実な再現です。アメリカで幅広く読まれていたという、ブルフィンチの「中世騎士物語 (岩波文庫)」を直接参考にしているのではないかと憶測します。

*****

 「エル・シド」関連の記事というと、当ブログで一時期、探求の紆余曲折を重ねつつ、延々と取り組みましたけど(この記事がその集大成です)、今回、goo映画レビューにすでに書いていたものを更に推敲して「カウンセラーこういちろうの書評・DVD・CD評ブログ」向けに掲載したものを、改めてこちらにも転載させていただきます。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

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 私のプロフィールはこちらです。


 《2008/9/25 19:08更新》

・メンタルヘルスランキング 573位 -5167サイト中
 └心理カウンセリングランキング 14位 -130サイト中
・音楽ランキング 1022位 -9033サイト中
 └女性ミュージシャン応援ランキング 8位 -60サイト中
・ニュースランキング 392位 -2540サイト中
 └ニュース批評ランキング 60位 -226サイト中
・総合ランキング 29793位 -218968サイト

です(^^)

今後は、以下のクリック、どうかよろしく!


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2008/01/18

こういちろう学習障害あるいはADHD、あるいは「星の王子様」説(第2版)

 「この人ADHD(注意欠陥障害)? それとも学習障害(LD)かしら?」


 恐らく、このサイトをご覧いただいているカウンセリングの専門家の中で、ほんとうに勉強されている方は、そういうことをお感じの方っていると思います。

 さすがにもはや「躁うつ病」しかでみないようなら、現代臨床心理学におけるアセスメント能力としては欠陥が多すぎる(爆)

 そして、ここまで書いてきたら、そして、写真まで公然と掲載しているから、体型も資料になるわけで、私のベースが、どう見ても、クレッチマーのいう「躁鬱気質」からほど遠い(全然社交的ではないものね、本来は)こともおわかりのはず。

Ann_weiser__and_koichiro

 でも、人間は大好きだし、冷たい人間ではない(むしろ無茶苦茶ホットでハートフルな)ことも伝わってると思うし、体型も根っからの細身ではない、むしろ肩幅が広い、ずんぐりむっくりであることもわかるでしょう?(私の師、村瀬孝雄先生は、立教の研究室に私を迎える直前、他の院生に「今度来る奴は柔道の選手みたいな体型をしている」と事前に伝えていた) 。そうなると、分裂気質説も不十分(30%は分裂気質でしょうけど)


++++++


 そうなると、残るのは、てんかん型、あるいは闘士型といわれる執着気質、ないし中心気質と呼ばれるものですね。これについては私の古くからの知り合いで、私の「エヴァ」本プロデュースをはじめとしていろいろ引き立ててくれ、著作も凄く多いどころか、近年はTV出演もなさる、同じ開業カンセラーの矢幡洋さんが、「『星の王子様』の心理学」で書いたことがあまりに私にもあてはまります。

 (ちなみに、私のもうひとつの古くからの大事な人脈が、「あの」NHKアナウンサーを奥様にした、テレビでもおなじみ、文化人類学者の上田紀行さんです)

 人と、むしろ開けっぴろげまでに胸襟をひらいてつきあいたい。そして、「星の王子様」に出てくる薔薇のような女性の側面は嫌悪してますしね。女性のそういう側面に媚を売ることは死んでもするかと思っている(このことを肝に銘じていたら、私とつきあいやすくなるよ、女性のみなさん)。

 そして、圧倒的なまでのひとつの対象への持続的集中力としぶとい職人性。気難しさ、「瞬間湯沸かし器」、一種恍惚とした超越的世界に一瞬にして突き抜ける側面(空海さん)、そして、好戦的なところ、とくれば、むしろいよいよ『闘士型』こそベースとわかる。

 時代が違えば、私は宮本武蔵か、それこそ、中世スペインの英雄「エル・シド」なんです。

 あるいは、現代なら、言うもはばかれるけど、イチロー中田!! 


 だから、「お通さん」や「ヒメナ(エル・シドの妻。映画のソフィア・ローレンですね。この人、ホントにエル・シドの死後、2年ぐらいはバレンシアの領主を務め上げたくらいに「できた」人だったみたい)のような女性を心の中でずっと求めている(「イカ天」の頃の、イチローの奥様、もう、最高に好みの女性でした!!)し、そういう女性たちをほんとうに苦しめかねない。

 すぐに旅立っちゃたり、人質に取らせたり、やりかねないので。自覚してます。この点で女性に負担が大きいのは。

 でも、今は政略結婚やお世継ぎのためにで妾を増やす「現実的必要」ないでしょ?
 ほんとうは、すごーーーーーく、一途ですよ!!!


******


 ......となると、まずADHD(注意欠損障害)仮説はちょっと似合わない。確かに話題は次々飛ぶけど、私って、実は何を「話題」にしいていても、実は、手を換え品を換え、同じテーマを追求しているということは、すでに常連の読者の方はお気づきかと思います。

 学習障害仮説は肯定します。テスト用紙に向かいさえすえば、業者テストの国語は学年一、社会科も、普通に勉強して業者テスト全国上位、共通一次試験第一期生で国語自己採点198点。

 一方、数学は、幾何など、空間認識が関われば、あるいは「集合論」(記号論理学って、実は「集合論」との親和性が高いのは、学んだ人は知ってますよね!)には、ついていけたばかりか、ある種のセンスがあったけど、要するに微分・積分・方程式の世界を全く理解できない永遠の学年最下位


******

 もっとも、ほんとうの学習障害の人って、この程度のものではないことは、先日の研修会で笹森理絵さんのお話に接して、よくわかりました、彼女の100倍希釈に過ぎませんね。私の学習障害度は。


*****


 いずれにしても、これで私の今年の恋愛の抱負、「とことん高望みしてみる」の真意が少しつたわりましたよね。

「その人を自分が苦しめ、傷を負わせないかとうか、十分に吟味し、少しずつ交際を深める中でお互いを理解していく。できるだけいきなりセックス(セルクス)しない(爆)」

ということ!!

2006/05/03

ピダルは映画「エル・シド」の時代考証助言者その人だった!!(第6版)

まだまだ続く「エル・シド」へのこだわりです(^^)

(wikipediaはこちら

エル・シド デジタルニューマスター版 [DVD]

(本作品の楽天ブックスサイト)

ひょっとしたら......という思いもなくはなかったのですが、

Elcidbook「エル・シッド・カンペアドル」の著者、
スペイン最高の歴史学者の一人、
ラモン・メネンデス・ビタルその人が、
映画「エル・シド」の
「歴史考証助言者」その人
であることがやっと判明しました!!

Fletcher_elcid
イギリスの歴史学者、リチャード・フレッチャーによる「エル・シッド 〜中世スペインの英雄〜」(原著1989, 林 邦夫訳 法政大学出版局)で判明した事実。

ちなみに、このことは映画のクレジットには明記されていないようだ(当時は、ハリウッドの赤狩り旋風の影響で、実際の脚本家が別人ということはザラで、この作品もその点では多いに怪しいらしい)。

これじゃ、映画を観た際に「ベン・ハー」や「十戒」の比ではない透徹した歴史観がそこに隠れていることに私が感銘し、ピダル以外のスペイン中世史の本に出てくるエル・シド(エル・シー{ド}あるいはエル・シッド)観が食い足りなくて当然ということになる。

フレッチャーの著作は、探しまわって確かこれで7,8冊めでやっとたどり着いた、ビタル以降の代表的なエル・シドをめぐる著作である。

*****

私がこれらの著作を読む以前、子供時代以来久々に映画を観ていきなり直感したのは、

「彼を単に、王に冷遇されようと、スペインのレコンキスタに、キリスト教スペインの再生に貢献した英雄」

ととらえるのは実は狭い理解であり、むしろ、

「すでに現実のもの」として積み上げられた、イベリア半島におけるキリスト教徒とイスラム教徒の「混在」を、単に一方を排除するのではなく、両者を融合する形での「スペイン」という独自のアイデンティティを持った「国家理念のビジョン」という、当時まだ両陣営のイベリア半島の君主や政治家の多くが考えることもできなかった高次の解決のために、現実に政治的・軍事的生涯を捧げ尽くした人物」

として「とらえなおして」いるという点だった。

*****

モロッコの動乱を鎮圧する中で、「エル・シドの再来」と呼ばれたリベラ(フランコはその後継者)により、1927年に成立していた第2共和政を転覆し、外国からの義勇軍にも多くの血を流す、悲惨な内戦(1936-39)を経て、第2次世界大戦後も30年続く独裁体制の中で、エル・シドは、日本でいえば元寇や南北朝の歴史の有名人(楠木正成とか)と同様に、スペインの民主派やヨーロッパの自由主義者からは、スペイン民族主義の生み出した「胡散臭い虚像の英雄」であるかのように過小評価される傾向にあったようだ。

すでにスペインには、19世紀後半、「エル・シドの墓に二重に鍵をかけろ」という言葉を残したコスタに代表される、伝統スペインを否定し、西ヨーロッパ的発展を求める思潮と、ガニペーに代表される「伝統主義者」ではあるが「国粋主義者」ではない、ヨーロッパとは別のスペイン独自の道を模索すべきという潮流があり、ピダルも後者の「伝統主義者」流れに立つと「一応は」位置づけられる。

Ganivetbook_1
(この節 ガニペーの「スペインの理念」
橋本一郎氏によるスペイン語と対訳の教科書(!)

の、

橋本氏による、語学教科書としてはかなり長大な解説より第5版で補足)

第2共和制に先立つ1925年、「エル・シッドのスペイン」刊行当時には、ヨーロッパ全体で絶賛されるベストセラーになる一方で、公文書や地方の年代記の断片的叙述、イスラム諸国の歴史家の叙述におよぶ山のような文献を整理して「詩」と「真実」を選り分ける、その文献学上の徹底的「実証主義性」を国内では批判する勢力が「伝統主義者」の中にすら少なくなかったピダルも、スペイン内戦終結(1939年)後は、一転して、フランコ独裁政権のイデオロギーに結果的に貢献した保守的歴史観にとどまる、時代遅れの過去の歴史家という偏見にさらされたようである。

****

ちなみに、

ソ連を背景とするコミンテルンの指導のもとに人民戦線内閣成立が1936年
その直後にフランコのモロッコでの蜂起、
ピカソの絵で著名になるドイツによるゲルニカ無差別空爆(当時人民戦線側の勢力範囲)が1937年
フランコ内閣成立が1938年
ナチ宥和政策をとっていたイギリス、フランスによるフランコ政権承認が1939年2月
続く3月にフランコ政権は日独伊防共協定に参加(!!)
4月にフランコによる「内戦終結宣言」
5月にアメリカによるフランコ政権承認、
そして、9月に、ヒトラー政権によるポーランド侵攻により第2次世界大戦が始まる

スペインは、なんともや、政治の利害にいいように翻弄される、痛ましいまでの展開の舞台である。

しかし、ピダル本人は政治的には中立を貫こうとし、スペインアカデミー会長職を追われ、銀行口座の凍結、「反体制主義者」の疑いで独裁政権の法廷に繰り返し呼び出され尋問されるという屈辱にも耐えた。

Spanishnithehistory

そして、1951年、「歴史の中のスペイン人」

(=邦訳、既に紹介した「スペイン精神史序説」

で、

「単独政権として優位を占めるのが、2つのうちの一方であってはならないのだ」(訳書p.187)

と、国民的な和解と、新たな形でのスペインの再興に国民が心を合わせていくことを祈念している。

****

ここまではフレッチャーと橋本氏の著述をもとにウィキペディアで肉付けしたものだが、

私なりの推測を述べれば、

こうしたピダルの戦後の思いの延長に、1961年公開の映画「エル・シド」の制作へのピダルの協力をとらえ、

その映像と物語に、「語られざる」ピダルのメッセージのかなり直裁な反映をみてもいいのではないかと私は推測する。

すでにイスラエルとイスラム諸国の間の中東戦争は勃発していた。

そういうさ中で、いわゆる「レコンキスタ」終結以前のアラブ人とベルベル人のイスラム勢力の間に、すでに軋轢があり、

『イスラム 対 キリスト教国家』、

というより、

『イベリア半島連合 対 急進的・拡張的アフリカ勢力』

の戦いだったこと

(当時のムラービト朝は、こ~んなとんでもない版図を持つ「アフリカ帝国」でした!!

Elchidafrcamap_3

(この地図のイベリア半島の地中海側の都市、バレンシアが、1094年にエル・シドが奪回した都市です。先述の、フレッチャ─の著作,1989の日本語訳、p,252より転載)

そして、

「レコンキスタ達成以前のスペインは単なる争乱と混沌のるつぼではなく、イスラム教徒とキリスト教徒の政治的・文化的融合のための独特のバランス感覚が長い時間をかけてすでに熟成されていた」

こと、

「単なる人種・宗教を超えた形で国家アイデンティティを形成を模索するために現実と戦う政治家」像

を描き切れたこと自体、たとえそこにかなりのフィクションが含まれているにせよ、決して古びることないメッセージが込められていたのではないか。

****

すでに、この映画からすでに半世紀が過ぎようとしている現在、それこそ「イスラム原理主義」とイスラム教諸国そのものが「自由主義諸国と」の対立する勢力として「一緒くたに」語られかねず、ヨーロッパ諸国の中でも、異民族排除的な傾向が高まる現代において、あらたな意味を獲得したのではないかと思える。

*****

フレッチャーの本は、まだ読み始めたばかり。エル・シドが当時のスペインで最強の武将、王と自分を対等と自認し、かつ周りにもみられていことは認めているし、希代の碩学ピダルに敬意を表しつつも、ピダルの著作より、更にクールな目で、彼がスペイン教会史研究から得た新資料や過去の歴史史料を読み直し、しかもより長いスパンでの歴史的背景にさかのぼり、スペイン人にはいわずもがなの歴史的背景(ピダルの本は、いわば日本人が信長や秀吉について書くのに自明の前提にするのと同じ水準の、ヨーロッパ史の中でのスペインや、大航海時代以前のアフリカ史についての歴史教養がないと「ここはどこ?」「あなたは誰?」になってしまう。)にまでわかりやすく目配りし、より「リアルな」エル・シドを浮き彫りにしようとしているようである。

映画で主役をやった、チャールトン・ヘストンにすらインタビューしている。という、その内容についてはまだ更に書きます。

*****

ちなみに、映画の「あの」ラストシーンすら、史実の客観的裏付けがあることは、フレッチャーの著作ではじめてわかりました。

つまり、エル・シドの遺骸は、実際に........

*****

でも、これで、私が映画「エル・シド」を子供時代以来、久々にDVDで観た時に直感した、

同時代の歴史ものスペクタクルを超えた、重たい「何か」を解き明かす旅路

は、ほぼ、終わらせられる気はしています。

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2006/04/21

イベリア半島におけるキリスト教国家と「北アフリカの」イスラム王朝との関わりについて(第6版)

仕事が休みの昨日、また「LOVE!シネマ2500シリーズ」第2弾エル・シド<デジタルニューマスター版>映画「エル・シド」を通して見てしまったこういちろうです。

スペイン関係の本は何冊か読んだのですが、やはりElcidbookエル・シッド・カンペアドルの密度が圧倒的なので、

Spanishnithehistory
現在、同じラモン・メネンデス・ピダルの書いた「スペイン精神史序説」という本を読みました。

Spainnnorinen_1
更に、橋本一郎/西澤龍生 編/訳「スペインの理念」(ピダルとガニベー、ライン・エントラルゴの別々に刊行された論文をまとめたもの 新泉社)も今読んでまして、もっと巨視的・通史的な形で、スペインと周辺諸国の関わり全体をとらえてみるつもりでいます。

***

後ウマイヤ朝の滅亡後、当時のイベリア半島北部は、キリスト教国家ですが、レオン・アストゥーリアス・カスティーリア・ナバーラ・アラゴンなどの地域別に、いくつもの国・伯領に分立し、統合しようとし始めているくらいの段階でした。

イベリア半島中部・南部は、タイファと呼ばれるイスラム教君主の小国家乱立状態。

レオン=カスティーリア・ナバーラがひとつに統合しようとすると、「全スペインの皇帝」を称する国王が死んだら分割相続された王子たちの争いになったりとか、なかなか求心力が高まらない。このへんはウィキペディアのこのページの説明読んで下さい

タイファ諸国は、お互いに抗争し、キリスト教国家のそれぞれと戦ったり、貢ぎ物を差し出すことで和平を結んだり、キリスト教国家の重臣すら「裏で」タイファと通じていて、故国の政敵をつぶすために利用したりとか、この辺、むやみに込み行った駆け引きを繰り返したようです。

しかし、領地争いをめぐって、「キリスト教徒が内輪揉めして無駄な血を流すくらいなら」と、双方の国の王がが公認した国内ナンバー・ワンの騎士(「軍旗護衛将」とよばれた)同士を、国の命運を背負わせて、両国王族と観衆の見守る競技場で、カトリック教会の祝福の元に一騎打ちさせて決めるなどという、中世の騎士道物語物語そのもの紛争解決も、まだ実際に行われていたようです

Chuuseiknight
(映画には、ブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)で語られているのと細部まで手順がそっくりの、こうした「国をかけての決闘」戦いの際の作法が再現されています。この本、アメリカではよく読まれていた歴史教養書だそうなので、歴史考証の上で参考にしたのではないかと思われます)。

タイファ諸国の南、ジブラルタル海峡の向こう側では、ベルベル人の「ムラービト(アルモラビト)朝」が勢いをつけ、モロッコからマリ・ガーナのあたりまで征服して、地中海から大西洋まで縦に貫く、北西アフリカの大帝国となっていた。そして今度はイベリア半島の「奪回」を狙っていたわけである。このムラービト朝というのは、同じイスラム教徒でも、地中海東側のアラブ人のアッバース朝とは異なり、むしろ「北アフリカの王朝」というべき性格が強かった。

この北アフリカの王朝の当時の国王ユースフは、国土膨張への野心が強く、好戦的なので、必ずしもタイファ諸国にとっても歓迎すべき存在と映ったわけではなく、純アラブ系の「後ウマイヤ朝」の文化の末裔たちのもとで育まれたタイファ諸国の中には、絶えず、「スペイン側につくか」「北アフリカ側につくか」というあたりで、王室レヴェルだけではなく、イスラム教徒もキリスト教徒(モサラべ)も混在する同じ国内でも、宗派を越えて「スペイン民族派」「アフリカ派」が入り交じり、葛藤し、日和見し、という状態。

この辺、映画「エル・シド」はきちんと歴史考証していて、海を渡ってきた「ムラービト朝」側の兵士の装束って、アラブ的というよりアフリカ的。打ち鳴らすドラムも、「トルコ=中央アジア的」というより、アフリカの先住民の響きがするように思います。このへんは、数百年後のオスマン・トルコの軍楽隊とは全く異質な描き方をしています。

この太鼓の音、この映画を最初にテレビで見た子供の頃も、大変不気味なものを感じたことはよく覚えています。史実でも、エル・シドを追放した「主君の方の」軍隊の兵士たちは、この太鼓の音色だけで恐慌状態になり、雪崩式の敗走をしたそうですから、タイファのイスラム教徒国家の軍隊にはなかった心理戦術なのでしょう(自分たちの居場所を敵に教えるような物ですから、単に軍隊の秩序を守るための行進曲ではなく、イスラム側の兵士を一種トランス状態に置き、敵軍を恐れさせる、一種呪術的な意図はあったのではないかとも感じますが。

「ベン・ハー」や「十戒」のように、欧米人なら常識の聖書の物語ですらないので、特に、かなりのスペイン好きを除けば、日本人とかには、話の筋がとらえにくいかも。同じ人が敵になったり味方なったりがかなり込み入ってますので。でも、この「装束」「文化」の違いに注意すれば、この3つの陣営の区別がつくと思います。

*****

史実のエル・シド(ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール)も、兵糧を調達するためなら、タイファ諸国の大きめの町に「ちょっと立ち寄って」、武力で圧倒し、敵兵士ばかりか住民をも殺したり、町の手前に陣を張り「『あの』エル・シドの軍だぞ」と威圧するだけで降参させたりして、残った住民との『取引』として金品食糧を得た場合もあれば、残った町の住民をまるごと人質にして、その人質たちを別の都市でまたもや金品兵糧と交換の上で釈放したりなどしているのですが、ともかく「自国でも政敵は暗殺する」のが普通の時代です。

国王にカスティーリア国外に追放され、「彼への援助をした者は目をくり抜く(映画では「手首を切り落とす」だか)」との王のおふれの中でもついてきた少数の「私兵集団」に過ぎない以上、国境を越えた『敵地』で、ひたすら『現地調達』で当座を切り抜けるしかない中では、兵を失わず生き延びるためにできるだけ戦わず、敵味方にもできるだけ死人を出さないままのやむをえない「駆け引き」だったとも言える。

これでも、戦利品のために住民皆殺しもいとわなかったキリスト教徒側の「普通の武将」よりは、無駄な殺生を避けるかたちで、ことをできるだけフェロ(キリスト教国とタイファ諸国の個々の国別の慣習法)に基づく「契約」として、穏便に済ませることが多かったらしいです。法律に詳しく、アラブ語の読み書きにも不自由しなかったらしい。

まあ、映画ではそのへんの「イスラム教徒への分け隔てない態度」をかなり誇張していますけど、タイファ諸国の中には、サラゴサのイスラム宮廷では賓客として迎えられるとかは、史実だそうです。

おそらく、時と場面によっては、「恐ろしい殺戮者の頭領」であり、時には王の命令を無視してすら政治的にも軍事的にも活動し続け、兄弟を殺して国位に就こうとしている新しい王にすら、宣誓式のその場で臣従を拒否し、法的根拠に基づき逆に王の「言質」をとって、公衆の面前で王に屈辱を味あわる「政治的な権謀術数家」であり、政敵に嫉妬されたり、タイファ諸国の君主や住民にも尊敬されたりと、いろんな面を見せ、いろんな評価をされていたことでしょう。

しかし、エル・シドが、国王にどれだけひどい仕打を受けようと、国王への5分の1の献納は果たし続け、ほんとうなら自分が受けてもいい、征服した土地の王位をカスティーリアの「皇帝」に献上し続けた。

結果的に、志半ばに死して後も、キリスト教文化とイスラム教文化を融合させる形で「スペイン」という「国家単位」での統合の象徴となり、文化的にも、本人のまだ「生きている」時代から、スペイン側の文書のみならずアラブの年代記にもその名が讃えられた。

"el Cid"という、存命中からのあだ名(現代スペイン語の発音からすれば「エル・シード」が近いそうです)そのものが「頭領、主人」を意味する"sayyid(サイード)"というアラブ語由来で、彼を畏敬するイスラム教徒の間からはじまり、キリスト教圏でも使われゆようになったとのこと。elはカスティーリア語の定冠詞なので、英語でいえば"The Boss"ということになる?

Elcidbunko
そして、武勇と人格については、本人が生きている間に吟遊詩人に歌われ始め、死後わずか数十年から百年の間に、今日に写本が伝わる武勲詩が成立する過程で、アラブ語と古代ロマンス語が融合した、スペイン語の原型になる最初の「国民文学」ともいえる『我らがシドの歌』となったのは確かのようです。

*****

人間とは矛盾に満ちたもの。

カウンセラーとて同じことだと思います(^^)。

自分がどんなつもりで発言しても、行動しても、結局最後の判断はその人と関わった「相手が」判断するのは止められない。

それをみんな「引き受けて」、相手との関係樹立に「役立てて」しまえてこそ、カウンセラーでしょう(^^)

2006/04/13

再びエル・シッドについて(第6版 ピダルの著作の刊行年確定版)

Erlciddvdエル・シドについて、
更に続きですが、

史実としてのエル・シド(エル・シッド)については、
Elcidbookエル・シッド・カンペアドル
(著者:ラモン・メネンデス・ピダル 1950) 以上の著作はないでしょう。

スペイン本国でも、ヨーロッパでも、イスラム教圏でも、ここまで歴史的評価が混乱し、揺れ動いた人物は稀とのことです。当時中南部に小国分立してたイスラム教徒から金品を巻き上げるただの盗賊騎士団の頭領だったという見解から、ヨーロッパ的な歴史観における「レコンキスタ」(つまり、本来キリスト教徒の土地であったイベりア半島を「侵略」していたイスラム教徒を「追い出す」までの歴史過程における聖なる英雄、いわば「ヨーロッパの西側における私設「十字軍」みたいな存在として祭り上げられたり、あるいは「スペイン」民族主義の象徴、更にはスペインが「つい四半世紀前まで」フランコ独裁体制にあったことからくる(若い人の中には、「へえ、そうなんだ」という人もいたりして)、歴史の流れの中で、いいように利用されて、誹謗されても来た人物なのです。

しかし、アーサー王伝説とかとは異なり、まさに中世後期に忽然とタイムスリップしてあらわれた「古代の伝説的英雄」みたいな人ですので、実は同時代の『現在進行形」的文献的記述が、スペイン(当時のレオン=カスティーリア王国)王室に残る公式の文書から、エル・シードの歌「我らがシドの歌」をはじめとする、すでに彼の死の直後に成立した吟遊詩人の伝承の記録や、イスラム圏を含めた年代記における、その武勇と戦略についての賞賛すら含む記述等を含めて、山のようにあるそうです。

現在進行形的な情報が、いかに主観に歪められがちかは、現実の「今の」歴史が証明しているでしょう。しかし、良きにつけ、悪しきにつけ、歴史はそういう「誤解」と「思い込み」の中で動くものですから。

エル・シドが、一騎士としても抜きん出た人物で、戦略家としても有能、裁判官としても、ローマ法、「フェロ」と呼ばれる、王室と地域諸領主との間の慣習法)にも精通して公正な裁判を行うだけの明晰な知性を持ち、王室に対して発言力があり、多くの政敵に嫉妬され、謀略の中でも生き延び、志半ばで死ぬしかなかったものの、現実に彼と関わり、彼の姿を観た人々に取って、忘れがたい「何か」を発散し、彼なしでは世界史、少なくともスペイン統一までのあり方が変わり、それは、コロンブスによるアメリカ「発見」以降の「大航海時代」がどのようにはじまるかにも影響したろうと言いたくなるのは確かです。

そこから「歴史」と「伝説」を丁寧に選り分ける膨大な作業を費やし、学術書「エル・シッドのスペイン(1929)」をまとめた時点で、数百年続いたエル・シッド論争に終止符が打たれたとまでいわれたそうです。

更に、第2次世界大戦後、ピダルは、この著作に基づきつつも、スペインのアウストラル蔵書のために一般向けに書きおろしたのが、この「エル・シッド・カンペアドル」なのですが、これですら、今時1500円というのが嘘みたいな、ヘヴィーな2段組の「大著」ですよ。ここまで公平で多角的で、学術的正確さを期しつつ、歴史読物としても読める歴史書は稀でしょう。

ただ、いきなり読むと、スペイン史(というか、イベリア半島におけるキリスト教圏とイスラム教圏の矛盾に満ちた、長い「抗争」と「共存」「相互影響」の歴史が頭に入ってないと、ついていけないでしょうから、上に紹介した、映画「エル・シド」を先に観てからにして下さい。

この映画の脚本家がその時点でどれだけ卓抜な歴史認識をもっていたかもわかります。もちろん、史実を強引に「圧縮して」いるし、エル・シドを実際より「いい人」にして、影の側面はある程度切り捨てているとは言えますが、それでも。ここで描かれた「歴史をほんとうに動かした人」の存在感の生々しさ。そこでくり広けられた政治的駆け引きのシビアさ。脚本家の「歴史的洞察力」が当時としては半端ではなかったのは確かしょう。ピダルの原典は1950年に出版されています、それを十分に活用しているようにも思えます。

まあ、映画のエル・シドと現実のエル・シドの違いは、このブログでイメージされる私と現実の私ぐらいの落差しかないかも(爆)

チャールトン・ヘストンの真の代表作は、「十戒」でも「ベン・ハー」でもなく。この作品です

この人、その後全米ライフル協会の会長なんかに祭り上げられなかったら、もっと光栄に満ちた老後を迎えているでしょうに。

2006/02/24

「エル・シド」こそ、今の時代に世界中の人にもう一度見てもらいたい名画である!!

前回の書き込みの第4版の時点で追加した、エル・シド「エル・シド」、結局、どうしてもまた見たくなってDVD発注していたんです。

なぜ、この映画の細部を忘れているのに、子供心に、「訳の分からないくらいのインパクト」があったのか?

30数年ぶりに見て、その謎は簡単に解けました。

敢えて、内容については触れません。

ただ、いわゆる「スペイン」という国か「成立」するまでの、中世末期の歴史を頭に入れてから見直すと、実はこの映画の、時代を超えた「名画」(ひょっとしたら、「深み」という点ではベン・ハー コレクターズ・エディション <初回限定生産>「ベン・ハー」すら超える「超傑作」)であることが一層よくわかります。

たとえこの映画に「多少の」史実との違いがあったとしても、

「政治」を担うとは何なのか、

「外交」とは何なのか

について、ここまで深く考えさせる映画は稀でしょう。

******

ただの

「贅沢に費用をつぎ込んだ歴史ものスペクタクル」

と思っていた方、

実はこの映画の「ほんとうの凄さ」の鍵を握っているのが、

「脚本」を書いた人物の卓抜な「歴史観」「政治観」なのではないか

ということは、強調しておきたいと思います。

****


エル・シドについては、こちらに続きがあります。

2006/02/17

「歴史」が、たいていの若い世代にとって「暗記科目」に過ぎない現状では.....(第6版 「エル・シド」の項大増補!!)

「侵略」であろうと「進出」であろうと、どっちでもいいでしょ?

といいたくなります。

そういう「言葉尻」が問題になるという背景には、

「歴史教育についての『統一見解』を『国家の責任』で作り、『国民に教育』する義務がある」

ということが「自明の前提」として含まれているわけですね。

......ということは、「歴史教科書批判」をしてくる国も、「それへの対応を迫られる国」も、

およそ、

「『正しい』「公教育」というものを『政府が検閲』し、正しい認識を『与える』べきである」

という大前提を、

政府も国民の多くも、暗黙のうちに受容してしまっている、

「不精な」国民・国家

なのだと、私は判断します。

*****

歴史上のどんな事件でも結構です。

例えば「トゥール=ポアチエの戦い」としますね。

西暦732年に、イスラム教徒国家が「フランク王国」にそれ以上進入しようとするのを食い止めた、という意味で、イスラム教国家の、ヨーロッパ大陸「西側からの」それ以上の「進入=進出=侵略」を不可能にした、世界史上の重大な転機がかこの戦いであることには変わりがありません。

しかし、恐らく日本の「大学受験生」なら、

1.この時のフランク王国がまだ「メロヴィング朝」であり、「カロリング朝」ではないこと

2.この時のフランク王国の実質的な支配者が「宮宰」(摂政のようなもの)の「カール・マルテル」であり、いわゆる「シャルルマーニュ大帝{カール1世)(追記参照)」ではないこと

(追記:私は正確には、これでは「シャルル『大』大帝」になることを知っている。「シャルル大帝」か「カール大帝」か「シャルルマーニュ帝」か、単に「シャルルマーニュ」にしないとおかしいのは知っている。しかし、それこそ、この「カール(シャルル)」帝へは、法王からの「ローマ帝国皇帝」の王冠を捧げられ(ゲルマン人初?)、孫3人に、今日の「ドイツ」「フランス」「イタリア」の原型となる形で国を分割相続する伏線となり、「カロリング朝ルネサンス」といわれる、旧ローマ帝国の学問・文化を積極的に復興することへの積極的貢献など、ラテン(旧ローマ帝国)系とゲルマン系を統合した意味での「中世ヨーロッパ」世界の「とりあえずの」確立において政治的・文化的に果たした役割のあまりの「巨大さ」から、「唯一無比の」の「カール」という意識が無茶強いので、「確信犯的に」、この、屋根屋を重ねる言い方を「好んで」いる(^^;)。

ちなみに、彼の祖父、いわゆる、「カール・マルテル」は、イスラム教徒軍勢のイベリア半島を越えた本格的侵入に)『鉄槌』かました『カール』」と言う意味で、後の時代の人が読んだことに由来。世界史的に大事なのは、何より「祖父(マルテル)」と「この人(大帝)」を混同しないことであろう)

3.この戦いを、「ローランの歌」で有名な、778年の「ロンズウォーの戦い」における「カール大帝」の「バスク人への」勝利と混同しないこと

4.しかしこれらの戦いの後にイスラム教国家が、即、イベリア半島から消滅したのではなく、「レコンキスタ」の完全な成功は、何とスペイン(カスティーリア王国)による1492年のグラダナ陥落までかかっていること。

..........ここまで掌握していれば、私の大学受験時代、私立文系の最難関といわれた、早稲田政経学部の世界史の要求水準を満たしていたでしょう。

(「以下の記述の中から、間違っているものを選べ」的設問の「引っ掛け」選択肢になりそうなのは、これらのポイントです)


(この20年の間に、偏差値の数字と受験学力との関係は「ものすごい大暴落」を起こしていて、当時の早稲田の政経合格に必要な水準の「受験勉強」など、今の日本の「どの」大学でも求めていない、「とてつもない」域であったことを忘れてはなりません)

ちなみに、「ローランの歌」は、これら「すべての」混同に加えて、イギリスの「アーサー王伝説」(6世紀から8世紀にかけて成立)における「円卓の12人の騎士」の伝説すら「一緒くたに」なって、しかも11世紀の「十字軍派遣」を背景に成立した叙事詩であります。

(以下アーサー王関係商品のリンク)
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ですから、この「ローランの歌」成立当時(のヨーロッパ人は、もはや自分たちの過去の歴史を「その程度」にしか掌握していない、まさに『歴史認識』における「中世の暗黒時代」にあったという点では、もはや同時代のイスラム教国家の歴史家の高度な客観性に全く歯が立たない状態だったみたいです。

(ただ、イスラム教国家側の王の武勇を賞賛する内容も含まれているので、ダンテの「神曲」が、ムハンマド(モハメット)が地獄に落ちた醜い悪者として描写されたためにイスラム教国家でも「禁書」扱いになっているのと同様な扱いは至っていないようです。

*****

ちょっと年号だけはwikipediaで再確認させていただきましたが、ロランの歌岩波版の「ロランの歌」の訳者の解説の部分まで読めば、こうしたことはほとんど全部掌握できます!!

副読本として、シャルルマーニュ伝説ブルフィンチの「シャルルマーニュ伝説」があれば一層パーペキです!!

なお、はっきりバラしますけど、「中世初期のフランク王国とイスラム勢力との関係」というのは、私が(後で詳しく述べるようなきっかけを経て、中学時代から関心を深めてきた特別「興味の深い」領域だから、wikipediaの助けだけで、即席でこの程度に仕上げられるという「だけ」のことですから(^^;)

*******

歴史的「叙述」というものには、およそどんな場合でも、その時代の「政治状況」や「国民的偏見」から自由になれません。

まして、歴史上の登場人物や階層、民族が「どういうと意図で」のそのように行動したか、という時限になると、結局、その歴史叙述をする人の「世界観」ばかりか、個人としての「価値観」や「もののとらえ方」によって再構成された「物語」であることとを私は決して越えられないと思います。

歴史や政治とは、どの時代のどんな特定の「事件」だけをサカナにしても、このような、羅生門芥川の「藪の中」(=黒澤明のジェネオン エンタテインメント 羅生門 デラックス版映画「羅生門」に陥ることに目覚め、人からの受け売りや新聞やテレビの報道を妄信しないことが大事だ、ということに気づき、自分なりにいろんな情報をいろんな次元で探したり、場合によっては「事件の現地や史跡や博物館の展示」に足を運んででも、「自分なりに」視野を広げることそのものに「醍醐味がある」のです。

そのことに目覚めさせないような、そんな「歴史教育」なら、無意味です。

例えば、「世界史」の時間の1ヶ月間が、例えば「トゥール-ポアティエ間の戦い」という一つのテーマに絞って、生徒ひとりひとりにネットや図書館とかを駆使して勝手に調べさせ、

先ほど述べたような、「果てしないくらいに無尽蔵な」当時のさまざまな社会的現実や事件との連鎖反応的関連について何でも自分なりにレポートにまとめ、「どんな方法で」それをプレセンテーションしてもいいとします

例えば、●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)ジョン・ウィリアムズ/アルハンブラ宮殿の思...ギター曲の「アルハンブラ宮殿の思い出」を弾いてみせる生徒がいてもいいし、

ひとりの生徒の提案で、何なら3コマ分ぐらいブッ通しで、映画、「エル・シド」の鑑賞会をしてもいいではないですか。

*******

エル・シド「エル・シド」は、私が子供の頃、偶然、テレビで見て、ともかく、スペインでの、イスラム教徒との戦いということだけは当時の私にもわかりまました。

迫り来る圧倒的な数の「海を渡って来た」イスラムの大群の脅威を前にして、自分の城で瀕死の身体でありつつ、「スペインの『英雄』であることを「一身に引き受けた」、エル・シドの、何とかスペインを守りたいという強烈な使命感と「今、生きて戦いに赴ける身体ではない」ことへの「断腸の思い」がひたひたと伝わって来たのだけは覚えていました。

そして、ラストシーンの記憶は失われていたのに、見終わった直後、とてつもない「衝撃」をうけたことだけは「身体が」覚えていました。

(そういう彼を支える妻の役って、ソフィア・ローレンだったんですね。主人公役がパラマウント ホーム エンタテインメント 十戒 スペシャル・コレクターズ・エディション「十戒」ベン・ハー コレクターズ・エディション <初回限定生産>「ベン・ハー」と同じ人(=チャールトン・へストン)なのは子供の私にもわかりましたが)。

私の、広い意味での、中世のヨーロッパ西方でのイスラム国家との戦いに関心を持つ「原点」が実はこの映画です

ただ、当時の受験参考書や百科事典水準の史料では「エル・シド」の名前を見つけられなかったもので、

この戦いは「トゥール・ポアチエ」か? あ、違った

あれ、「ロランの歌」の「ロンズウォー」でもないな?

いつ、どこでの戦いなんだ〜!!

などと模索するうちに、

フランス建国の父「とされる」、メロヴィング朝の「初代の王」クロヴィスからはじまる中世初期から中世末期に至る、ヨーロッパ人と、イスラム教勢力との「ヨーロッパ西方での」ぶつかり合い全体が「特別な」興味の対象としてどんどん育っていったのです。

******

一方的に出来合いのマニュアルに基づく歴史の流れを「通史的に」教える(これだけなら、受験勉強のためなら、講義より、参考書一冊読む方がよほど情報量多くて手っ取り早い)のではなく、

生徒各人が各人なりに歴史を「おもしろい」と感じる切り口を見つける「きっかけ」を作り、

通説や世間のその事件と関連する事項への「常識的理解」への疑問符、

立場が違えば状況が違って見える可能性

その歴史上の登場人物や民衆の心情への「感情移入的理解」のさまざまな可能性.......

,,,...などなどに気づかせるきっかけになれば、

それ以上立派な「歴史教育」(それどころか、「社会」や「政治」への、各自なりのもののみ方を養う訓練)はないと思います。

私は、その領域に詳しい人が、「私を」さらに納得させてくれることを言ってくれたら、たとえそれが小学生の言うことであったとしても、「敬意をもって」拝聴するつもりです。

そういう「出会い」がなければ、人生って楽しくないじゃないですか!!

******

日本史だと、これが「南北朝」時代への別格的な関心ということになりますが。

何しろ私は『小沢昭一が選んだ 恋し懐かしはやり唄』「青葉茂れる桜井の」(「大楠公」)を小学生にしてフルコーラス歌えましたし、今でも歌えます!!

日本の「軍歌」のほとんども、もし歌詞カードがあれば歌えます。

当時の政治は政治として、これら戦前の文部省唱歌や軍歌を避けて、日本の音楽史を語らないと、「卑怯」だとすら思います。

日本神話を「教え『ねばならない』」という考えには反対ですが、

自国の神話や伝説について個人個人が学ばないでいるとすれば、『もったいないなあ』と思うし、少なくとも、口語訳古事記『古事記』なんて、素晴らしい『文学作品』だと思いますが。

(図説地図とあらすじで読む古事記と日本書紀この本なんて日本神話と大和朝廷がほんとうに安定するまでの歴史/文化/社会/文学についての入門書として、偏らないさまざまな見地からの理解への道を開く、図版盛りだくさんの、簡潔ですごく読みやすいたいへん上質の『記紀』入門書です)

これらを教えるだけで『右』とみられる場に教師がいるのなら、その先生、わかいそ過ぎますね。

*****

もとより私個人は、政治的には「ある意味では急進的、でも現実主義的慎重さを失わない『リベラリスト』」そのもののつもりです!!

*****

でも、靖国神社隣の「昭和館」は時間をかけてじっくり見ました(政治的な中立性を十分に保った展示がなされています)。

弘前城の場内展示された「仇討ち」の資料の話はこの前の記事のコメントの最後の方で書きましたし、

私の友人が住む、水戸を訪問した際、常盤神社でも、歴史上の事実としての「黄門様」の解説や自筆の手紙の文面を読めたのは楽しかったですね(^^)

そろそろ偕楽園は梅の季節でしょうか?

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