意味論的差分

2009/12/19

「リア充の科学」 (第2版)

 恐らくニコ動貼り付けるのは初めてですが、ともかく内容の摩訶不思議な完成度と、読者のつっこみコメとのコラボ含めて、いやに納得してしまったもので(^^)

 肖像権もへったくれもありませんが(^^;)

●【ニコニコ動画】リア充の科学

【第2版で追記】

 これはこれでいい意味で笑えたので追加。初音ミクの力借りてるとはいえ、こういう曲を作れる人のセンスはうらやましい。

【ニコニコ動画】【初音ミク】 リア充爆発しろ! 【オリジナル曲】

 おまけで、某所で見つけたこの図版も妙に納得した(^^;)

Netculturetable

 今日はこのあとにお仕事が詰まっているこういちろう。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/23

こういちろうはいかに短期療法に入門したか(前編)

 このタイトル、「こういちろうによる短期療法入門」などというあまりにおこがましい形を避けたことがミソです(^^;)

 今朝方の記事に書いたように、私はバラの本の速読と、今回の日本産業衛生学会総会の催しでの、児島達美先生のレクチャーと、ライブ・コンサルテーションを通して、全くはじめて短期療法や解決指向心理療法について知ったというのが現実である。

 この、実質的「ワークショップ」では、単に短期療法についてのものではなく、産業保健活動(EAP)における臨床心理士の果たす役割というテーマと密接に関わりあっており、それは短期療法の本質と切り離しえない側面があり、それについてもいろいろ感想を述べたい気持ちもあるのだが、内容が錯綜しかねないので、、今回のこのエントリーでは、敢えて、短期療法それ自体の魅力という方向性から、以下のことを書いてみたいと思う。


*****


 短期療法(ブリーフセラピー)というと、「セラピーを短期間で終わらせる療法」というふうにとられかねない。確かに「時間制限心理療法」という、最初から12回のセッションに限定する約束で行なう心理療法が、今日言う意味での「短期療法」の先駆みたいにして存在するんだけど、実は、この「時間制限心理療法」の「外面的な」設定についてだけが教科書的な知識として広まったおかげで、短期療法は、クライエント中心療法や精神分析的技法などの、長期間かけて人格の変容を促す技法を主に学んだ人たちから、不要な偏見にさらされることになったように思える。

 念のためにいうと、「短期療法」というのは、ある特定の心理療法流派というより、一群の心理療法流派が共有する特性を総括したグループ分けのようなものと見たほうがいいようだ。

 代表的なものとしては、狭い意味では、

ミルトン・エリクソンの心理療法
○神経言語プログラミング(NLP)
○MRIアプローチ
○解決志向(指向)心理療法
○家族療法のうちのいくつかの流派
○ナラティブ・セラピー

こうしたあたりを指すことになり、広義に解釈される場合には、

○論理療法
○認知行動療法
○応用行動分析

などまで枠を広げることになるようだ。

 しかし、児島先生のレクチャーとデモに接して痛感したのは次の点である。

短期療法とは単に心理療法の分類でもなければ流派でもない

 むしろ、現実の臨床実践(コンサルテーション)場面で、クライエントさんや、クライエントさんと関わる当事者(家族や上司)、そしてカウンセラーという3者が、いかに不毛な堂々巡りを(それぞれの中で、それぞれの相互間で)し過ぎることなく、悪循環的な相互作用を脱し、良循環的相互作用の関係に転じることを、無理なく、自然に、しかも現実的に必要な「そこそこの」水準で成し遂げていくか、そしてそのことのために、最小限の介入でありながら、使えるものは何でも使うというスピリットに基づいてなさていれば、それは短期療法的アプローチである。

 ・・・・・このように定義するのがアクティブでリアルな理解だ!! ということだった。


どうも、

「効率性」
「過去でなくて現在をテーマとする」
「洞察や気づきではなく、問題解決重視」

などという言葉を下手に振り回すと、実は短期療法についての誤解を広めるだけだとすら感じました。

 短期療法の中でも、クライエントさんは深い気づきや洞察は体験することは決して珍しくはないですし、クライエントさんを単に受身に服従させるだけの効率性重視など、まがいものの、一番唾棄されるべき短期療法のあり方だと見なされている気がします。

 もとより、洞察や気づきが生じることを自己目的的に礼賛することは短期療法ではあり得ないわけですが。


*****


 いずれにしても、上に述べたベースラインを踏み外してしまったならば、認知行動療法の名の下になされる場合ですら、「短期療法」の名に値しないし、逆に、ある「フォーカシング指向心理療法セラピスト」によって、この点をしっかり押さえて実践されていれば、「フォーカシング指向心理療法」だって、立派な「短期療法」であるといえるのである。

 恐らくこのことは、ひとつの独立した技法体型としてのフォーカシングのトレーニングのことしか知らず、フォーカシング指向心理療法を、単にそれを現場臨床場面に適用・応用したものであるかに過ぎないようにまだ思い込んでいる人には、全く気づかれない、思いもよらない事柄かもしれない。

 フォーカシング指向心理療法は、いったいこれのどこがフォーカシングなのか、ほとんど痕跡をとどめないくらいに解体され、カスタマイズされ得るのである。そしてそれがブリーフ・セラピー的な技法と自由に行き来できるところま到達したら、熟達したブリーフ・セラピストの実践と、全く判別不能の域になってしまうだろう。

 私は、児島先生の発言や、ライブ・セッションから。そのことを痛烈に感じ取ることになる。

 
*****


 興味深い人には興味深いテーマでしょうから、私がここまで書いたことまででとりあえずアップしてしまい、児島先生のレクチャーとライブ・セッションからの具体的ご紹介は「後編」にまわしたいと思います。

 ・・・うう、児島先生が言われた次の教えに一番反する順序で紹介してしまったのかもしれないcoldsweats01


 「先に理屈をつけて、特定の方法や技法を学んでも、結局身につきませんからね!」


 ・・・・「はじめにブリーフセラピーありき」で、ブリーフセラピーをどんな形で、どんな領域で、どんなクライエントさんに適用できるか、などと考えて学んでいるううちはモノにはならないわけです。

 同様に、「はじめにフォーカシングありき」で、フォーカシングをどんな形で、どんな領域で、どんなクライエントさんに適用できるか、などと考えて学んでいるううちはモノにはならないわけです(^^;)。



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2009/04/16

適度に不安定で健全な不信関係

 男性にとってはさりげない誘いのつもりが・・・・・言葉による暴力、モラルハラストメントにあたる展開をいかに容易に生むかの典型例として。

●Vol.1116 ショックな出来事をきっかけに、男性を好きになれない (msn恋愛・結婚:恋愛相談)

============引用はじめ============

2ヶ月ほど前まで、メールのやり取りをしていた男性がいました。
出会いのきっかけは、彼からのナンパでした。
今まで、男性から声なんてかけられなかった私は、
彼がメールで「タイプだ」とか、「付き合いたい」と言ってくれて、少しずつ好きになっていきました。

ある日、彼が「映画でも見に行こう」と誘ってくれたので、
休日を合わせて行く約束をしました。
ほんとに嬉しくて、楽しみにしていました。

しかし約束をした次の日から、
メールの内容が、やたらとエッチの話ばかりになってきたのです。
どうやら彼のほうは、「ナンパ成功=エッチができる」と思っていたらしく、
優しい言葉で近づけば、簡単にさせてくれると思っていたようなのです。

恥ずかしいことに、私はこの歳で経験がなく、
たとえ冗談でも、そういう話には抵抗があるほうです。
硬いと思われるかもしれませんが、私は「この人なら」と思う人としかしたくないし、
どんなに気をつけても、女性のほうがリスクの高いエッチを、軽い気持ちではできないので、
きっぱりと「そういうつもりで会うわけではない」と伝えました。

すると彼の態度が一変し、
「簡単にできると思ったのに騙された」「時間の無駄だった」といい、
ひどい時には「お前みたいなブサイクな女は一生縁がないだろう」という
メールが来るようになったのです。

確かに、私は外見にコンプレックスがあり、
それが原因でフラれたことは、一度や二度ではありません。
でも彼に声をかけられた時は「こんな自分でも声をかけてくれる人がいるんだ」と
とても幸せな気分になれたのに…。

そんなことがあってからは、好きな人ができません。
仲の良い友だちが出会いの場を用意してくれるのですが、
「もし、上手く行かなかったら」「また酷いことを言われたら」と思ってしまい、
どうしても勇気を出せないのです。

=============引用おわり===============

 この例は、言葉による見えない暴力=モラルハラストメントの条件を十分に満たしています(きっぱり)。

 もっと深刻な例もたくさんありますけど、だからといって、この例について「軽度の例」などと言ってしまうのは全く適切と思えません。

Q&A モラル・ハラスメント―弁護士とカウンセラーが答える見えないDVとの決別

●関連サイト・記事:

* 福岡市・久留米市の、DV・モラハラ・ストーカー関連の公的な相談機関のご紹介(久留米フォーカシング・カウンセリングルーム)

* カウンセリングルーム「おーぷんざはーと」(大阪府大阪狭山市)


 恋愛がナンパからはじまること自体は、何も軽薄なことではないと、私は本心から思っています(きっぱり)。

 私はモラハラやDVやストーカーの加害者を頭ごなしに糾弾し、「更生」し、「精神改造」させようとするばかりではなく、そうした行為をしてしまった(繰り返している)個々の当事者固有の苦しみの領域への、ほんとうに想像力を駆使した的確な理解をベースラインにした絆が生まれることを必要条件と考える立場です。

● ゆすれない願い (カウンセラーこういちろうの雑記帳)

 もっとも、少年院・少女院や鑑別所、アルコールや薬物中毒の更生施設の専門家からお話をうかがう機会も何回かありました。

 そうした中で、加害者に対する治療者や担当官の「安易な」共感性が、面接の中で嘘を見破れない水準にとどまるとなった時に、むしろそうした担当者への、加害者側からの軽蔑と不信に容易に転じてしまうものであることのシビアさにも気がつかされましたが。

 そして、実は、加害者自身が、「てめーにそんな簡単には騙されないぞ」というトラウマ体験を幼少期から、家族や教育者との間でかかえていることが少なくない。それを繰り返し担当専門家のほうにぶつけてくることが多いわけですね。

 その結果、結論的には、次のような指標が実践的といえるかと思います:

 担当専門家と加害者の間、双方向での、「てめーにそんな簡単には騙されないぞ」という精緻なしのぎの削りあいゲームから決して降りないこそが、加害者と担当者の間の安定した信頼関係・・・・・・というより、私は

「適度に不安定で健全な不信関係」の絆

という、ウィニコットや神田橋先生が好みそうな言葉を使いたくなりますが.・・・・・の樹立に貢献するのだと思います(^^)


 ......もっとも、、恋愛や政治や外交を含めて、およそ人間関係というものの理想は、まさに「適度に不安定で健全な不信関係」の絆を保てることかとも思います(ウィットを込めて!!)


****


 さて、冒頭のmsnの事例にもどります。

 ただ、ここで描かれている例の男性に関していえば、おそらくモラハラについて何もご存じないとしても、若い男性の間からですら、さすがに非難ごうごうかもしれませんね(^^)

 こうした書き方そのものが、女性の方へのモラハラになる「適度なリスク(?)」を承知で、架空例(少し2chに不慣れな人向け緩和版?)を挙げれば、


名無しさん:エッチな話で水を向けていいけど、女性の反応から空気を読めよな orz
名無しさん:処女とおつきあいはじめられることの幸せをかみしめろ[注:絵文字はこういちろうにより転載の際にカットされた]
名無しさん:何勘違いしてる? 幸せじゃないゾ。処女のお相手ぐらい心と身体のケアが肝心なのはないでしょう?思い出の男になる資格てめえにあるのか?中級者向け? たいていの男は、自分より少し経験ある女の方に手ほどき受けて、はじめて立って中でイケル程度でしょ?
名無しさん:そそ。この男自身が、風俗でしか知らないマグロでさ、きっとはじめてナンパ成功したりした奴だったりして。
名無しさん:ありそー....
名無しさん:この男、ブサイクだとは言わないが、それなりに女に声かけて恥ずかしくない靴、履いてたかどうか心配。
名無しさん:>「簡単にできると思ったのに」
       ......なんて言ってるし。
名無しさん:♪Boy meets Girl♪@trf
名無しさん:歌うなKY
名無しさん:.....スマン

........and so on.........(^^)



* 参考記事:

●第29回 ペアルック(msn恋愛・結婚 : 「数字が教えるみんなの恋愛常識」)


*****


最後にやはり。

お若いの。いくらいろんな避妊があるとはいえ、妊娠するリスクを自分の身体にかかえた存在としての女性に敬意を払えないまま、セックスするような男にだけはなるな。

そこまで「身体張って」恋してるか?


「責任とってね!!」(ラム)

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー [DVD]



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コードネームは「なでしこ」

 現在鋭意ロビー活動と準備を進めている、カウンセラーこういちろうの故郷久留米での経済環境の抜本的安定のための改善計画における「最後の切り札」として、秘密裏に奨められている、「コロンブスの卵」的なアイデアに基づく、堅実な新業務計画に、このネーミングを冠することにした。

 別に、フォーカシングを活用して、女子サッカー選手の心身のストレスと緊張をほぐし、集中力を高めることで、コーチとして副収入を得ようという計画ではない(^^;)

 このコードネームに基づいてなされる機密プロジェクトには、2つの具体的な実行プログラムが含まれている。

指令1. 私が子供時代に住んでいた旧宅を活用した、現在の開業カウンセリングルームには、猫の額ほどの広さではあるが、住居南側にがある。

 昨年帰郷してから冬を迎えるまでは、せいぜい雑草を抜く程度の手入れしかできず、おかげで、むき出しになった、結構肥沃な地面の土砂が雨が降るたびに流れ出し、溝を埋めてしまい、今度はそうやって埋まった溝から再び土砂を浚(さら)い出すといういたちごっこを繰り返すのみであった。

 そこで、花屋さんと相談して、今年は、その庭の地面一面に、多年草であるなでしこを栽培し、雑草の繁茂を抑止し、私やクライエントさんの目を、わずかなりとも安らがせることを期待することにした。


指令2.  現段階ではまだ具体的な公表の段階ではないので守秘するが、なでしこの間に大麻草が植わっていたり、地中で人工衛星と偽って弾道ミサイルを栽培しているのではないことだけは保障できる(^^) 

 ......しかし、これはやはり一種の「土壌改良を伴う栽培計画」であるとは思われる。.



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2009/04/06

このサイトはping送信にほとんど対応していません(^^;)

 これまでに1745というエントリー記事数、しかも長文記事がほとんどと、あまりにもコンテンツの量が多く、更に何より、カテゴリー分類を、心理学統計で言う、オズグッドのSD法(意味微分法)チック(あくまでも「...チック」です)に活用するポリシーを意識的に立てて、カテゴリー指標をたいへんに多くしているために、アップロードが異常に重いのです。

 「トップ」→「個別バックナンバー」→「月別バックナンバー」→「カテゴリー別バックナンバー」という順で、手作業でひとつのエントリー記事を掲載したり更新したりしています(15分はかかる ^^;) アップロードの際に自動のトラックバック送信をココログサイト側で行なうことがとっくに不可能なブログなんですね(^^;)

 ですから、このサイトから他のサイト様記事へのトラックバックをしようにも、今ではもう飛ばせません。

 このデメリットを、「日本ブログ村」をはじめとする、各種の、サードパーティーのping送信仲介サービスサイトを仲介させてある程度はカバーしていますが、恐らく、お手持ちのブラウザやメールソフト付属、あるいは「はてな」をはじめとするRSSリーダーに直接このブログを登録して下さった、継続的愛読者の皆様にこそ、最新記事や記事の更新の反映が遅い(遅い場合には3-4日かかります)という形で、大きなご迷惑をおかけしていることかと思います。 どうかご容赦ください。

 なお、この現象は、開業サイトの方では、まだコンテンツが少ないので全く見られません。

 私は現在、「雑記帳」をプライベートサイト、およひカウンセリング関係のベンチャー的な記事(?)をとりあえず書くためのものとして、開業サイトとある程度使い分けるポリシーを進めています。開業サイトのほうが、同じ内容の記事でも、ずっと推敲されたフォーマルな文体に変更しています。

 こちらのサイトでのような、

 「歌って(ayuライブで)踊れるカウンセラー、こういちろうのワンマンライブ こういちろうワールドへようこそ!!」

 とは区別しています。

 この結果、すでにアクセスシェアの上で、開業サイトが3.5割をコンスタントに占めるところまで変化して来ました。私の目論見どおりといえます。

 それでも、ココログ系の私のサイトだけでも、一日全体で500アクセス近く(2月中旬までの「沈黙の数ヶ月」ですら200アクセスキープ)いただいていることにつきましては、心から感謝申し上げます。


*****


 「緩やかな形でしか公私の区別をネット上でしない」というのが、私が1995年パソコン通信時代にネットデビューして以来変わらない、一貫するポリシーということは、もはや繰り返すまでもないでしょう。

 それでカウンセラーとして食いっぱぐれるなら、我が人生に悔いなしとしか思っていませんし。最後の手段としては生計はバイトしてでも何とかするということですし。


 もっとも、カウンセリング関係の記事で、開業サイトのみにあって、こちらで言及されていないものは、ごく事務連絡的なニュースを除くと全くありませんよ(^^)

・・・・この種のことは、年に一度ぐらいは、新規の読者の皆様のためにお書きしています。


 今度、ささやかながら「宮仕え」もいたしますので(^^)


****


 あと、「私がまだ切っていないカード」<strong>のひとつが、開業カウンセラーなら地域密着するための定石ルートである、「地域の公民館等での講演会」であることは、そろそろこういう場所のこういう記事!で、さりげなーーく示唆し始めていい頃かな?(^^)
 


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2009/03/24

フォーカシング技法を活用した、鬱状態のクライエントさんのための「主導型積分的フェルトセンス照合」スキルアップトレーニング(案) [第2版]

 自分のフェルトセンスと「ふたりぼっち」で主体的に生き抜いた日々の思い出は、仮に欝状態に陥っても簡単には死にたくなったり、虚妄と感じるようにはならないものである。
 
 「自分が欝になったことから生じる憂鬱」
(私はこれをも「二次症状」と呼ぶ)
の部分は、すでに経験を積んだフォーカサーなら、
フォーカシングでかなり緩め得ると思う。

 フォーカシングが「無理のし過ぎ」を助長するか、
 薬物療法の援助として機能するかは、
 その人なりに経験値を上げていける事柄だと思う。

 そうやって経験値を上げるためには、

* 同じ薬について、薬を飲むたびごとに毎回比較する。
* 薬を変えたり、追加した際に、前の薬の飲み心地とある程度経過を追って比較する。
* 毎朝起き心地の質、毎晩眠りの質を比較する。

など、さまざまな基準を作り、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを連続的に具体的に比較するための「枠組み(table)」を自分なりにはっきりさせてみると効果的だろう。

 まずは、

1.「パーソナルな」指標の選択
2.その選択した指標への、本人の実感に即した「命名」

ということをする。

「パーソナルな指標」とは、鬱になって以来繰り返して体験してきた特徴的な現象のことで、それをともかく思い出すままに列挙するという手続きである

(フォーカシング関係者向け:クリアリングスペースのことですね)

 ただし、そうした際に、ありきたりの医学用語などはできるだけ避ける。仮に使ったとしても一ひねりするとよい。

 むしろ、自分の実感に即し、「こんなこと医学的に見て『症状』として認められているのかいな???」と思うようなものすら、自分的に印象的なものは採用してみて、更に、ユーモラスですらある(!)「自分だけの命名」を試みるといいだろう。

(フォーカシング関係者向け:フェルトセンスのハンドルをみつけるにあたることですね)

例えば、

「はじめてジェイゾロフトを飲んだ時に、飲んでからわずか二時間で体験でき、その後も朝起き抜けに時々は体験できてきた、頭の中にミネラルウォーターが湧き出したような感じ」

「パキシルを飲んで、その後ちょっと無理をすると生じ始める、まるで昔のFMチューナーで、放送局を別の放送局に切り替えようとする時に聞こえた、頭の中で「ジャッ、ジャッ」と音がするみたいな感覚」

(↑【注】これを患者から聴いて、「幻聴では?」という仮説しか浮かばない医者がもし居たら、即刻見捨てるべきです。パキシルを減薬するときの副作用のひとつとして「頭の中のシャカシャカ感」と明記しているお医者さんも居ますので!!)

「この日、物を置き忘れる」

(↑【注】一般の人もでしょうが、欝になるとこれがひどくなる傾向があるのは実におなじみのことかと。どこまでが鬱のせいでどこまでが薬のせいかはともかく

「孫悟空ーーー!」

(↑【注】うつの人には申し上げるまでもなく、医学的には「被帽感」「緊張性頭痛」と呼ばれるもの。ズキズキ脈を打ちません。この感じが弱い人は、ほんとに頭にティアラか何かを載せてるくらいに感じるんですが、一方、生まれてこの方この感じを体験したことがない人もいます。そういう人や家族が下手に精神医学の本とかを斜め読みすると、「た、体感幻覚では?」という方向に心配するというのは結構よく聞く話だと思います。しかし、うつの人にとっては、年中帽子をかぶってるようなもので、他の症状に比べるともはや症状のうちには入らないと思っている人も少なくないでしょう。もちろん例外もあるかもしれませんが。しかし、この「孫悟空の輪っか」が頭に出ている時には、「まだエンジンがかかっていない」とか「疲れてきたかな」という警告サインとしていつの間にか大事にしている欝の人は凄く多いはずです。そして、薬をかなり異質のものに切り替えなどがあると、「これまでの『輪っか』だけじゃなくて、鋼鉄のフレームがつき、蜂の巣状に脳に刺さってきそうな『帽子』になった」などと、程度だけではなくて質の変化を明瞭に感じる人もあるかもしれません)

「この状態で外出したらトイレに間に合わないという大惨事に至る危惧すら思える下痢の予感」

ゆったりとした潤いが頭蓋骨の脳室の底に広がってたまっていく落ち込みもどき。これは疲労というよりデジレルを飲んでしばらくすると生じてくることが多い。要するにデジレルの睡眠薬的効果なのに、私は時々誤解して、その落ち込みもどきに落ち込みそうになる。眠気と落ち込みの区別がつきにくいって、あなたにピンときてもらえるかな?」

不眠タイプA 前門のトラ後門の狼タイプ。眠ろうとすると寝られず、起きてしまうと今度は横になりたくなるという果てしない葛藤に陥る。」

「私のうつの純度100%系。自分の内側の感じに触れようとして、触れることはできるけど、感じそれ自体から私が注意を向けたことにまるで『応答』するかのような反応が返ることが決してない。最初にこの体験をしたときにイメージとして浮かんでいたのは、灰色の干からびた雑巾が土の中の断層に引っかかっている」というものであり、そのイメージさえ浮かべればそのときの、感触を擬似的にうっすらとだがいつでも呼び戻せる」

私のうつ、これならぐっすり眠れ、翌日は結構大丈夫系。ともかく仰向けに横になって内側に注意を内側に向けると、内側からあたたかくてほっと緩むような応答あり。ああ、昔はこれで何とかなったのになあ」

「私にとっての『典型的軽そう状態』に固有な脳内の『殺伐とした』感じ。これと似ているけど区別できる気がするのは、うつになる前からあった、まるで脳の中に乳酸がバリバリで出ているときの感じ。これそのものはただの『無理して寝不足』のようだが、いつの間にか後者が前者に化けることがあることに要注意なのだ」

単なる『無気力な』感じというのは、考えてみたら、欝になってからは一度も経験していないなあ.....。『おっくう』というのは、『無気力』とはまた違う感じなんだよ。それ以外に『純粋の鬱感覚』ってのは確かにあるの。私の場合は、『焦り』すら感じようがなくなった『純粋の鬱感覚』ってのは、意外としのぎやすい。『死にたい』じゃないんだ。すでに自分がこの世の人たちが喜んだり悲しんだりしているのをよーわからんときょとんとして眺めているようなものだし」

などなど。


*****


 さて、薬についてフェルトセンス的に体感するとはどういうことかという話に進みます:
 
 同じSSRIでも、薬ごとに飲み心地が異なることは、うつの患者さんにとっては、フォーカシングを体験的に知らずとも、全く常識次元の事柄のようだ。

 その薬を飲んだ後の感覚の違いは、ある程度は他のうつ患者と間主観的に共有可能な側面もあるが、フォーカシングを学ぶことで生じる何より重要な変化は、本人自身の中で、内部感覚を実に細やかに識別して感じ分け本人にとってぴったりのフェルトセンスのハンドルといえる言葉やイメージを見出す力が高まることだ。

 例えば(あくまで例です)、

「パキシルの抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、何が地面の下から自分の身体を支える台が張り出してきたという感じで、やや暑苦しくて『肉食系』」

「ジェイゾロフト抗鬱作用(ひょっとすると軽躁まで反転した時)は、すっきりと透明に、まるでハーブキャンディのように冴えるというのに近い。パキシルが『暑苦しい熱血漢』なのに比べると『クールで草食系』。

「以前はパキシルのある種の『力強さ』『泥臭さ』が懐かしかったんだけど、今は変えた後のジェイゾロフトの『洗練味』に『落ち着き』を覚える」

「パキシルからデパケン(気分調整薬)に変わったんだけど、ある意味ではパキシルでうまくやれていた時代が懐かしくもある。そりゃ、躁鬱の揺れに振り回される度合いがどんどん大きくなって苦しかったけど、それを自分なりにしのげていた頃は、明るいにしても落ち込むにしても、情動の持つ「泥臭さ」とか「ねっとりとした」味わいがあったようにも今では思う。その誘惑がヤバイとも今では思っているけどね。デパケンになじむ、確かにジェットコースターのような振幅はなくなって、いつもコンスタントに8割の状態を維持できるし、以前よりも無理した後のリバウンドはなくて、まるで以前は盲腸のような袋小路で悪循環していたエネルギーがちゃんと進行方向とは反対に噴射して私の身体を前に押してくれるようにして、気力も持続するけどね。何か、上からも下からも押し込まれた間の狭苦しい空間に、ゴシック体の自分が居るみたいな感じなのよ」

などといったものです。

 「薬を飲む前と飲んだ後の自分の内側の全体的な感覚をフェルトセンスとして感じてみる」......それは、単なる身体感覚だとか重苦しい気分にどっぷりと浸ることとは異なる。いわゆる薬の「官能検査」とも異なる(薬の味の報告ではないし)

 その具体的な違いについてはジェンドリンやアンの技法書に譲るとして、「フェルトセンスとして少しだけ触れる」というだけなら、実は一見否定的な感じであっても実は心地よいという矛盾が両立する(ジェンドリンが『フォーカシング』で書いていることです!!)。基本的に重い情動にただ浸るよりは「軽い」感じられた質を持ち、繊細な微妙な言語化・イメージ化が可能で、実は同じ処方であり続ける限り、自分の背景にある基本的な感覚(background feeling=背景感覚)として変化しにくい感覚を、薬ごとに(!)捕まえることができる(はずである)。

 「ああ、昨晩と同じまた『この』感じだ」とか、「以前のと似ているけど、何か違う質の感触が混じった。何か少し濁ったかな?」などと識別しやすいのである。

 そして、この後に述べるように、日ごろの悩みなどという次元を脇において、主に薬を飲む前と飲んだ後の内部感覚というテーマに集約・限定して、一定時間(2時間、6時間、就寝前)を開けて再度「ちょっとだけ」感じてみるという課題を明確に規定することにより、深い抑うつやひどい焦燥感にただ巻き込まれる状態になりにくくする予防効果もある。


*****


3. さて、ここからが、フォーカシングでいうとフェルトセンスをt『共鳴させる』の部分なのだが、過去のフェルトセンスと現在のフェルトセンスを比較するということを意識的に導入します。

 しかもそこに、3つの次元での躁鬱のサイクルが同時に進行していて、患者自身はその複合・錯綜したものを体験しているというとりあえずの仮定の下に、患者さんと一緒に多次元で解析していくわけです:

A.短期的な変動(1,2時間から一日程度)・・・・広義の「日内変動」を質的差異としてパーソナルにとらえる(メランコリー型固有のものを「狭義」として)
B.1週間程度の変動(現実の日常生活の疲労サイクルを仮定)
C.その人が双極性障害だと仮定した場合の躁鬱のサイクル


*****


 まずはA.の次元(短時間)から話を始めますが。

 すでに薬物療法とフォーカシングにに慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか1時間-2時間の時点で感じられる新たな感覚が、新たな薬の効き目が安定した2週間後の感覚と同じ質でであったと正確に感じ得るほどの精度を持つ場合がある(これは全然大げさではない!! 何と飲んで10分後に体験された感覚が、2週間たっても時々現れると報告する人もいる)

 それところが、数時間の間にも進行する気分や調の変動(日内変動)のただ中でも、あるベースラインの質感が『背景感覚』としてずっと維持されていることにまで気がつけることも少なくないのだ。

 いわば旋律やメロディがどう変わっても、一番下のパイプオルガンの基低音は実はずっと持続的に同じ音色で鳴り続けていたことに気がつけるみたいなことことも少なくないのである。

 こういう『背景感覚』をつかむのは高度な課題だと思っているフォーカシング関係者も少なくないかもしれない。だが、むしろ個別的な感覚が現れては変化していくことを逐次報告できねばならないというフォーカサー側の強迫的ともいえる思い込みが邪魔をしていただけで、実はずっと「背景感覚」を感じていたのに、それを言語的に報告していいことに気がつかないだけだった(いわば、イメージの背景のスクリーンの色は報告の対象ではないことを自明の前提にしていたけれども、実はイメージよりも背景の方がその人にとって自然に無理なく報告できるものだった)というケースは予想外に多い。要するに、その人は「たいへんそうな感じ」を一気に「またぎ越して」背景の感じ全体に触れるということにいきなり習熟してのである。

 そうとわかってしまうと、鬱についての話を延々と繰り広げるよりも、「こころと気分の背景の感じ(その人が好きな名前をつければいい)」にアクセスしてちょっとその質感を確認することの方がはるかに簡単で、負担も感じないという人も多いのである。

(このへんは、フォーカサー自身が自分に無理のない形に創意工夫していいし、リスナー/ガイドの臨機応変の提案がフォーカサーの援助になることも少なくないはずである。更に、フォーカサーの側のフォーカシングがうまく進む時は、実はフォーカサーの側のリスナーやガイドといい関係性を作る潜在能力にガイド・リスナー側が支えられていること(......逆にあらず)を忘れるべきではない)


*****


 私はこうしたいくつものタイムスパンで、しかもいくつかの具体的観点からフェストセンスの質感的な変化を読み解くことを、仮に「フェルトセンスへの積分的照合の構え(orientation)」と名づけることとする。 ※数ヶ月前から練りこんできた、この概念の初公開です (C)阿世賀浩一郎

 なぜここで敢えて「積分的」という言い方をしてみるかというと、もし、その人がそれまでもっぱら「今これからどうするか」という点での迷いを解決するためにフォーカシングする習慣が強かった場合には、「今のこの行き詰まりの感じが、いつ、どのように変化(シフト)を起こしはじめるか」に敏感であったことになる。

 こうした人は、それまでは、いわばフェルトセンスの照合の際に「微分的」あるいは「差分的」な構え(orientation)が強かったことになる。

 (この発想が、中井久夫先生の「分裂病と人類」に基づくことは、こっちのブログではもはや繰り返す必要、ありませんよね!)

 私の経験では、前述の「積分的構え」で具体的にいくつかの観点と、短期から長期に至るタイムスパンでフェルトセンスの感じられた質の変化を同時並行的に検証することに意図的に「なじむ」つもりにならないと、うつ状態の下で、自分の内部感覚全体を立体的に適切な遠近法で「俯瞰しつつ味わう」ことに熟達しないようにも思われている。


*****


 さて、先ほど、薬を途中で変更したり追加した場合について、

> すでに薬物療法に慣れている人の場合、この感度は、新たな薬を初めて飲んでからわずか2時間の時点で感じられる新たな感覚が、薬が安定した2週間後の感覚と同じであったと感じ得るほどの精度を持つ場合がある。

> ところが、数時間の間にも進行する気分や体調の変動(日内変動)に比べると、あるベースラインとなる背景感覚が、具体的な薬ごとに、基本的には維持されていると体験されることも少なくないはずである。

 と書いたが、 これに対して、

 (Aサイクルの日内変動ではなくCサイクル=双極型の人特有の躁と鬱の中期的なうねりが前に進んで(carry foward)生じた変化は、そうした背景にある基本感覚そのものががらりと変質することが多いように思う。

 例えば、実は3カ月おきの躁鬱の中期的な波がある人が、それまで生じていた、基本的には軽躁的な中で生じている「頑張っている時」と「疲労がたまった時」という、毎週末ごと(Bサイクル)の、似たような感じられた質の推移を伴う小変動(もしこれだけなら、薬に支えられているとはいえ、薬が「維持療法段階」に達した後の安定状態ともみなせる)を3回繰り返せた時点で、さてまた4回目に入るかなと思っていたら、突如、全然別次元での不調(例えば、それまで未体験なくらいの下痢と起き上がり不能な深刻な状態)になり、それまでの3週間のそこそこの安定期は、その後数年にわたる経過の中で、二度と同じような体験の質としては戻ってこない、というようなことである。

 (もとより厳密には、躁鬱の急速交代型(ラビッドサイクラー)のケースだと、日内変動と周期的な波の区別がつきにくいことは承知している。しかし、私が患者さんから聞いた範囲では、ラビットサイクラーの診断は安易に使われがちで、双極性障害II型の診断が適切なのに、気分調整剤ではなく抗うつ薬!! が多めに処方され(リーマスは出ていてもあまりにも量が少なすぎて有効血中濃度に届いているはずもない)、その「抗鬱薬」副作用としての不規則な軽躁状態との慎重な鑑別が医師によって必要なことが少なくないようにも思う)

 つまり、双極型でいう躁鬱の波の変動そのものが、ひとサイクル進行すると、そのたびごとに、躁状態でもうつ状態でも、それまでと同じ薬の効き目や副作用についてのフェルトセンスが、本人に予想もできない、あさっての方向へと感じられた質felt quality)そのものが別の状態に激変していることすら少なくないのである!!


****


 え? 薬の変更よりも、躁鬱の周期的な波の変化の繰り返しの方が毎回同じように質的にも体験されるのではないか?.....ですか?

 当然生じる疑問である。

 しかし、考えてみて欲しい。もし躁鬱の周期的な波(日内変動ではなくて)を本人が同じような繰り返しとして、容易に「すでにお馴染みの感じられた質の感覚」の再来として体験でき、薬の変化の方を新鮮な質的体験として感じられるのなら、患者自身、薬を変えたことによる変化と、自身の躁鬱の繰り返しの感覚の質的違いによほど容易に気がつけるはず.....ということになりはしまいか?

 つまり、双極性の患者本人の体験世界の中で、そううつの波の体験は、単なる堂々巡りの繰り返しではない「質感的差異」を伴う「質的に新しい」体験として認知し続ける、一群の人たちがいる可能性、むしろそのことが鍵なのではないか。

 そしてこうした現象は、実は双極性障害なのに単極性うつ病と診断され、抗うつ薬しか処方されず、その結果、波が進み、一度躁転してから鬱にはまるたびに副作用が悪化し続けてきた双極II型の人に独特のフェルトセンス体験様式の推移ではないか、とも思えるのである。

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↑ こうして、もう一度、以前解説したしたNHKスペシャルの図を再表示することになります。

 気分障害の診断と薬物のAPA標準処方について、基本的なことをすでにご存知というハードルはありますが、この水準が、おそらく、フォーカシングの専門家向けの学会発表や学会論文として幅広い人に読んでいただける妥当なまとめ方かと思います(^^)

 更にいえば、こうしたやり方が、ある意味でフォーカシング指向心理療法的な認知行動療法的アプローチのバリーエーションのひとつであることは、認知行動療法の体験者の皆様にもご想像できるのではないでしょうか。(別の認知的バリエーションとしてすでに書いたものは、ひとつはここにあります。)

 しかし、何より、この発想のアイデアの源泉になったのは、中井久夫先生のもうひとつの不朽の業績、統合失調症の患者に生じる身体的なさまざまな兆候と精神症状の兼ね合いについての継時的臨床研究であるということについても、言及させていただきます。

精神科治療の覚書 (からだの科学選書)


(とりあえずここまで掲載します)

*****

※この記事の著作権は阿世賀浩一郎にあります。そのことを明示してくださる限り、ネット上でのご紹介、一部の引用、リンクは自由といたしますが、トラックバック等があれば感謝いたします。なおこの記事に基づく学会発表を2009年度中に行ないます。この記事を参考文献として明示して下さった上で学会発表に役立て下さる方があれば、ご批判も含めて、歓迎いたします。 (C)阿世賀浩一郎


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2008/03/02

大船でフォーカシングを学ぶ会、今後第4土曜日にも開催!!

 恒例、「大船でフォーカシングを学ぶ会」開催報告です。

 その前に告知!!

 この「学ぶ会」には、かなり遠方からの日帰りの参加者の方が多い(片道2時間半クラス)ことに気がつきました。
 更に、もし「土曜日開催」ならおいでになれる方も増えるのではないかというご意見も頂きました。

 そこで、とりあえず試行的に、今月の第4土曜日、3/22(土)に【B日程】で急遽開催することを思い立ちました。

 この後、第4土曜に継続開催しようという気持ちは強いのですが、【B日程】で続けるかどうかは、皆様のニーズに基づいて判断します(【A日程】の時間帯と比べて、どちらが参加者の便宜になるか判断がつかないからです)


*****


 さて、本日、3/2(月)は、久しぶりに大人数、私を含めて参加者7名でしたが、初参加の方もすでに既成のフォーカシングの勉強会に参加されている方で、くつろいだ中にも密度が濃い内容にできたように思います。

 前回、少人数ということを生かして実現した懇切丁寧なプログラムが、こういう大人数でも無理なく実施できるかが、私の課題になりました。


●第1部:身体感覚中心のclearing a space スペシャルバージョン(ホールボディ・フォーカシングつき)

 前回と同様に、7名様で、1時間をゆうに超える時間を要した、集団法clearing a speceの中ではかつてない丁寧さを持ったコンテンツ!!


 どういうことかといいますと、

1.身体の各部分ごとに丁寧に「今申し分のない感じでいれれるか?」と身体に問いかけてもらうことの、もっとも詳細なやり方。

 胸→背中→お腹→腰→あし(太ももからつま先まで)→腕・手先→肩・首筋→首から上→周囲の空気→各人が自由に身体のあちこちを感じてもろう、という私のフォーマットでのフルコースを、参加者が各部分を味わうことに完全に十分と感じるペース(一箇所3分-5分以上!!)で、個々の参加者に確認を取りながら進めた。


2.ホールボディ・フォーカシングの統合

 それぞれの部分を感じる際に、楽でいられる安全基地の確認を重視、「そこ」を大事にしながら、身体の実感を大事にして、身体がどういう姿勢や筋の伸ばし方を求めているのかをじっくりと試してもらう。これはホールボディ・フォーカシングの応用だが、各人が「心地よい身体の姿勢」を主体的に探してもらい、自由に味わう時間をたっぷり取って、私を含めた参加者7人が納得がいく体験をしたことを確認した上でしか、次の身体の部分を中心に感じてもらうことに進まない。これが、ひとつの身体の部分だけで5分近くかかるという長大化の要因ともなった。


3.ひとつの身体の感じを味わった後に、それを言語化する権利の保障、言語化しない権利の保障

 大人数だとこのことを確認する余裕がなくなるかなと思いましたが、それでもここまでまで含めて、参加者に了解を取って進めることにチャレンジしましたが、存外に順調に進みました。結果的には途中でどなたも言語化の権利を行使しなかったのだが、これは、言語化する権利を保障したからこそ生じた状況であり、それぞれご自身の中では体験を言語化するというプロセスが生起していたという逆説があったと今回も思います。

「今何分やってたのかしら?」
「10分ぐらいかな?」

という雑談が出たことに私は内心苦笑していました。ホントは1時間かけたんですよ!!


4.それぞれの身体の感じを味わううちに自然と生じた日常場面の回想日頃の悩みとの関連を身体の感じと無理のない範囲で行き来して味わい、無理のない体験的距離を見つけて、それぞれを「認めてあげて(acknowledging)」、あとで必要あればもう一度関わることを約束するプロセスの丁寧な実施。

 私の見出した分類における「外共鳴(external resonating)」を無理のない体験的距離を見出すまでじっくりやっていただいたことになる。


 .....こうなると、1時間を超えるclearing spaceが、各参加者のペースを尊重した、自由で伸び伸びしているけれども、深い身体と心の落ち着きが獲られるプロセスとなる。

 参加者の多くに、ほとんどここまでで、その日参加した十分な満足感を感じ、身体も心も普段にない充足感や、日常の気がかりについての生産的な気づき、最低でも「焦点化」して無理のない「体験的距離」を見出すブロセスが生じたようである。


●第2部:藤嶽法第1法フルバージョン


 何しろひとりの語り手に6人もの人間が、相手の身になった応答を返してくれるという、インタラクティブ・フォーカシングのラウンドロビン・フォーマットとしては超豪華版!! カードを媒介とするのでひとまわりするのに2時間以上かかりました。

 この前と同じように、最初のひとり二人の語り手が終了し、3人目に持ち回る頃には、皆さんやり方のコツをわきまえてしまい、段取りの進め方がポーカーゲームのようにスピードアップ!!カードで文字や絵で表す共感的な応答にセンスがどんどん上がるし、皆さん絵を描くの早くなる!!

 その結果、前回と同じように、フォーカサーの提示する絵画と、リスナーが提示する絵画の一致度、リスナー相互間のカードの一致度が、奇跡的なまでに上がっていくのですね。

 もう、お互いに全然ズルしてないのに、そっくりの絵を提示したリスナー同志が驚いてしまう域にまで達しました。

 もう、言葉以前の次元で、集団全体が「おなじ花を見て、同じ美しさを感じて」いる驚異の水準ともいえました。

 凄いのは、「漢字の一致」すらはじまったことです。

ひとりのリスナーが、

「留(どと)める」

と書いたカードを出して、

次のリスナーが、

「溜(た)める」

と書いたカードを出した時には、みんなその象形文字の一致に驚愕しました(^^)

 そして、微妙なずれそのものを味わい直すことが、フォーカサーとリスナーの体験過程のステップを更に促進するという、理想的な展開になりました。

藤嶽法は、文字でマニュアルを理解してもらおうとすると煩雑ですが、「体験的に」コツをつかむのは、「フォーカシングの初心者でも」実に簡単なんです。もっとも、「トレーナーが熟達していれば」の話です....自戒ならぬ自負を込めて)


*******


●今後の予定:


 今後は、


【B日程】3/16(日) 14:45-19:00
【B日程】3/22(土)《新設》 14:45-19:00
【A日程】4/6(日)  13:00-18:00

の予定です。


*****


 継続的な参加を必要とする内容にはいたしません。

 第1・第3日曜、第4土曜のいずれかのみ参加、
 敢えて月2回、3回の参加、
 更に、ランダムに参加されること等、ご自由に選んでいただければと思います。

 ただし、開催日前日夕刻までに、どの日にご参加希望かのエントリーを、継続者の方も、メール・ファクス・電話等で必ずお願いいたします。8人定員を遵守いたします。

******


 更に付言しますと、第1日曜の「学ぶ会」開催日については、夜19:00以降の個人カウンセリングの新規申し込み、第3日曜、第4土曜については、14:30までに終了するカウンセリング・フォーカシング個別指導・ケーススーパービジョンの新規申し込みも受け付けています。

2008/01/18

こういちろう学習障害あるいはADHD、あるいは「星の王子様」説(第2版)

 「この人ADHD(注意欠陥障害)? それとも学習障害(LD)かしら?」


 恐らく、このサイトをご覧いただいているカウンセリングの専門家の中で、ほんとうに勉強されている方は、そういうことをお感じの方っていると思います。

 さすがにもはや「躁うつ病」しかでみないようなら、現代臨床心理学におけるアセスメント能力としては欠陥が多すぎる(爆)

 そして、ここまで書いてきたら、そして、写真まで公然と掲載しているから、体型も資料になるわけで、私のベースが、どう見ても、クレッチマーのいう「躁鬱気質」からほど遠い(全然社交的ではないものね、本来は)こともおわかりのはず。

Ann_weiser__and_koichiro

 でも、人間は大好きだし、冷たい人間ではない(むしろ無茶苦茶ホットでハートフルな)ことも伝わってると思うし、体型も根っからの細身ではない、むしろ肩幅が広い、ずんぐりむっくりであることもわかるでしょう?(私の師、村瀬孝雄先生は、立教の研究室に私を迎える直前、他の院生に「今度来る奴は柔道の選手みたいな体型をしている」と事前に伝えていた) 。そうなると、分裂気質説も不十分(30%は分裂気質でしょうけど)


++++++


 そうなると、残るのは、てんかん型、あるいは闘士型といわれる執着気質、ないし中心気質と呼ばれるものですね。これについては私の古くからの知り合いで、私の「エヴァ」本プロデュースをはじめとしていろいろ引き立ててくれ、著作も凄く多いどころか、近年はTV出演もなさる、同じ開業カンセラーの矢幡洋さんが、「『星の王子様』の心理学」で書いたことがあまりに私にもあてはまります。

 (ちなみに、私のもうひとつの古くからの大事な人脈が、「あの」NHKアナウンサーを奥様にした、テレビでもおなじみ、文化人類学者の上田紀行さんです)

 人と、むしろ開けっぴろげまでに胸襟をひらいてつきあいたい。そして、「星の王子様」に出てくる薔薇のような女性の側面は嫌悪してますしね。女性のそういう側面に媚を売ることは死んでもするかと思っている(このことを肝に銘じていたら、私とつきあいやすくなるよ、女性のみなさん)。

 そして、圧倒的なまでのひとつの対象への持続的集中力としぶとい職人性。気難しさ、「瞬間湯沸かし器」、一種恍惚とした超越的世界に一瞬にして突き抜ける側面(空海さん)、そして、好戦的なところ、とくれば、むしろいよいよ『闘士型』こそベースとわかる。

 時代が違えば、私は宮本武蔵か、それこそ、中世スペインの英雄「エル・シド」なんです。

 あるいは、現代なら、言うもはばかれるけど、イチロー中田!! 


 だから、「お通さん」や「ヒメナ(エル・シドの妻。映画のソフィア・ローレンですね。この人、ホントにエル・シドの死後、2年ぐらいはバレンシアの領主を務め上げたくらいに「できた」人だったみたい)のような女性を心の中でずっと求めている(「イカ天」の頃の、イチローの奥様、もう、最高に好みの女性でした!!)し、そういう女性たちをほんとうに苦しめかねない。

 すぐに旅立っちゃたり、人質に取らせたり、やりかねないので。自覚してます。この点で女性に負担が大きいのは。

 でも、今は政略結婚やお世継ぎのためにで妾を増やす「現実的必要」ないでしょ?
 ほんとうは、すごーーーーーく、一途ですよ!!!


******


 ......となると、まずADHD(注意欠損障害)仮説はちょっと似合わない。確かに話題は次々飛ぶけど、私って、実は何を「話題」にしいていても、実は、手を換え品を換え、同じテーマを追求しているということは、すでに常連の読者の方はお気づきかと思います。

 学習障害仮説は肯定します。テスト用紙に向かいさえすえば、業者テストの国語は学年一、社会科も、普通に勉強して業者テスト全国上位、共通一次試験第一期生で国語自己採点198点。

 一方、数学は、幾何など、空間認識が関われば、あるいは「集合論」(記号論理学って、実は「集合論」との親和性が高いのは、学んだ人は知ってますよね!)には、ついていけたばかりか、ある種のセンスがあったけど、要するに微分・積分・方程式の世界を全く理解できない永遠の学年最下位


******

 もっとも、ほんとうの学習障害の人って、この程度のものではないことは、先日の研修会で笹森理絵さんのお話に接して、よくわかりました、彼女の100倍希釈に過ぎませんね。私の学習障害度は。


*****


 いずれにしても、これで私の今年の恋愛の抱負、「とことん高望みしてみる」の真意が少しつたわりましたよね。

「その人を自分が苦しめ、傷を負わせないかとうか、十分に吟味し、少しずつ交際を深める中でお互いを理解していく。できるだけいきなりセックス(セルクス)しない(爆)」

ということ!!

2007/11/29

「触れないでおくことも、実は触れることなのよ」(2)[第2版]

 これで今回のタイトルの意味がきちんと完結するところまでは書きます:

 先に述べたように、本研究の主題は、患者が目下のところはどうしようもないこととして訴える症状との言語下水準で体験される、患者にとっての「どうしようもない感じ」についての「間(ま)」の体験的習得である。そしてそれに関する、いくつかの概念や治療技法の考察は、その研究当初において、明らかにE.T.Gendlin(1982)[注:著作「フォーカシング」のこと]が提唱する体験過程療法から発生してきたフォーカシングのひとつのステップとしての、本人が困っていることや気がかりなことについて「間を置くこと」(Clearing Space)に示唆を受けている。(p.42)

 実は、増井先生が、こうやってフォーカシングからの影響を著作の中で公然と語っているのはかなり珍しい(^^;)

 しかし、ここですでに、増井先生は、一見小さなことに見えて、実は重大な混同をし始めている。

 "clearing a space"と"make a space"の混同である。

 クリアリング・・スペース(村山・都留・村瀬訳の言う「空間づくり」)は、確かにフォーカシングの「第1の動き(1st momement=第1楽章とも訳せる!!)」として位置づけられているが、これは、単に「気がかりな事柄には入り込みすぎず、かといって離れすぎず、自分の前に保っていられるようにすること」ではない

 それなら、むしろ"make a space"(村山・都留・村瀬訳の言う「距離を取る」)の方が適切である。そしてそれは、ジェンドリンの元々の技法においてですら、フォーカシングを進めるどの段階でも調整して維持されるように配慮されるべきこととみなされている。

 増井先生はアン・ワイザーのトレーニング法が日本に広まる前にこの著作(.....というか、九州大学教育学部初の、統計調査を伴わない博士論文だった)を書いておられる。アンの用語で言えば"identificate"して(自分と気がかりや情動が一緒くたになって)いるか、"disidentification(脱同一化)"ができているかという違いとして、ジェンドリンより精妙にとらえられるに至ることへの認識は、この時点での増井先生にはまだなかったともいえる。

 なお、「空間づくり」については、私の本部サイトの「フォーカシング入門」のこのページをご参照ください。


*****


 ただ、増井先生が次のように続けておられるのは、傾聴に値する:


 そのような「間(ま)」が容易に作ることができたら、何も入院や外来で治療を受ける必要がない。


 ジェンドリンの「間」の概念が抽象的すぎるという、増井先生の現場臨床的な疑問符は、もっともなことと言わねばなるまい(^^)


*****


 しかし、そこまで話題を進める前に、またもや私の若き日の「今でも付け加えることがない」代表論文を紹介する方があとの吟味が早く進む。

 ●「フォーカシングにおけるclearing a space 再考 ~面接記録に基づく~」 
   東京大学教育学部心理教育相談室紀要  第14集  1992

 この紀要論文は、手前味噌だが、近年、私よりずっと若い院生たちが、何人となく、「すごく役に立った」と別々に言ってきて下さったもののひとつで、読み返したら、「いったいこれは誰が書いたのだろう?」と首をかしげるくらいに、結局、これより私は前に進んだ論文を書いていないと感じている一本である。

(もうひとつは、前年の同じく東大相談室紀要13号所収論文、「「身体の感じと状況との関わりを重視するフォーカシング・アプローチ・序説」 である。.....これは、アン・ワイザーを知らないうちに、アンと同じアプローチ(問題について身体の感じを掴むやり方の他に身体の感じに触れていく中から、プロセスが進む内に自分の置かれた状況や問題との結びつきが自然と喚起される場合とがあり、実は後者のアプローチの方が平易である人が多いということ)を書いてしまっていて、初来日時のアンと一気に意気投合するきっかけとなった論文。我ながら、よくここまで自分でこの段階でたどり着けていたと思う代表作なので、是非遺稿を著作集にまとめて下さる場合には選んで下さい.....と、もの凄く早めに遺言しておきます。もう1本も、そこまでは行かないけど、いいところはあるかと思う。)


*****


 さて、私が"clearing a space再考"で何を書いたか。

それは、

「気がかりな事柄をひとつひとつ『棚卸し』していくclearing spaceの過程そのものが、フェルトセンスに注意を向けることと、そこから個々の「気がかり」という「とりあえずの象徴化」が浮かび上がってくるという、体験過程の小さなステップの推進の繰り返しそのものである」

というテーゼに集約される。

 もとより、これを実現するには、「今の自分が申し分なくいられるのかな? いられないとすれば、何があるのだろう」という問いかけを身体に向けてじっくりとしていき、ひとつ気がかりが浮かび上がったら、それについてそこそこ話してもらった段階で「あとは必要なら相手をしてあげるから」と気がかりに約束してもらい、「おおまかなタイトル」を付けたり、「ともかく胃のあたりにすっきりしない感じがある」といった表明も、気がかりな事柄と全く対等に受け止め、アンふうに言えばacknowlegingした上で、「ではそれを別にすると、あとは申し分ないかな?」とフォーカサーに内側に問いかけてもらう提案をするという、こまやかでじっくりしたフォーカサー=ガイド間の相互作用の積み上げが大前提となっている。

 このへんが、いかに私の場合丁寧で、フォーカサーのペースを尊重したものかは、私のセッションを実際に体験したり、ご覧になった方はご存じのはずである(きっぱり)。

 そうした際のデリカシーについは、現在でも、2,3ヶ月単位で区切ってみれば、明らかに質が上がり続けているという自負はある。前回よりもより向上した質のガイディングができるようになろうという点で、私は自らに課している要求水準は際限がない。少しでも、ルーティン・ワーク化したセッションが自分に許せない。何か前回よりも無駄がなく細やかなものになる新鮮さがないとと思い続けている。しかし、私の技法には、更に細やかなフォーカサーの自発性への配慮と、厳重な構造化が、杓子定規とはほど遠い形で、徐々に育成され続けているのである。


****


 手前味噌はこのくらいとして、この"clearing a spaceそのものが体験過程の推進"という、ラディカルな観点を導入すると、どういうメリットがあるか。

 それは、"clearing a space"を丁寧に進めると、「このことがこれだけ気にかかっているとは気づかなかったという「気がかりについての気づき」がフォーカサーの中に生じることが少なくない、という、熟練者がよく知っている事実をうまく説明できることになる。

 そしてそうしたことに気がつけただけで、何か心の整理ができて、少し自分を取り戻し、帰り道に更に別のより本質的な気がかりに自発的に(ジェンドリン用語で言う「自己駆進的 self-propelling]に」)気がつくなどという形で、"clearing a space"が自動的に進行し、しかもそれがパンドラの箱を開けるような恐慌体験には日常の中ではならず、心を落ち着かせ、無理なく次回の継続セッションに「持ってくる」まで深追いしすぎないで保持することが可能なことが、少なくとも最近の私がガイドのセッションでは増え続けている。これは、それを可能にする「抱え」の構造を生み出す関係性の質を高めることにも私が更に成熟しつつあるから可能なのかもしれない。それは、私の人生に対する姿勢全体が、clearing a spaceされたものに、少なくとも現状では高まっているということと、最後には連動しているのではないかと感じる。

 その人の、面接室を離れた日常そのものが、少しずつでも半ば無意識的かつ自己流にclearing a spaceできる方向が「身につく」援助になれば、実はそれだけで最も重大な援助ができていることになると思えるし、それが生じないままなら、clearing a spaceを形だけ行うことは、むしろその人がすでに維持していた内面の平衡を崩す危険もあり、有害無益だろう。

 .....実はこの点では、増井先生と私はかなり共通の問題意識しかいだいていない。

 いや、増井先生の「心の整理法」(下記著作参照)ですら、杓子定規になされたら、確実に、面接後のクライエントさんの日常の中で混乱を招く「反動」が生じる危険があるはずだ。

 増井先生がもしこのような危険に遭遇しないとすれば、増井先生の、クライエントさんとの関係性の質.....ウィニコットの言う「抱え」の構造が実に見事な職人芸で確立されているからに違いない。

 これは決して明文化できない領域である。

 なお、私の"Crearing a Space"の臨床適用の実際については、すでに絶版だが、「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄 編著 日笠摩子、近田輝行との共著 1995)の第10章の拙論、「フォーカシングの『臨床適用』について」の第5節でも、今にすれば未熟な内容だが、紹介している 。


*****

 
  更に言えば、

  こうなると、
 
  「気がかり」や嫌な感情を

  「自分が思い描いた壺に入れる」(田嶌誠一)
 
  とか、

  「どこかに置く」

  ということをイメージしてみるプロセスは、


  「内容そのもの」に名前を付けるか、

  内容を入れた「容れもの」の質感や置き場所を具体的にイメージするか

  という違いであるに過ぎず、

  これらも実は体験過程の推進のステップを安全に刻むための工夫であるに過ぎない


 ......という見地に立ってしまえば、

 ついに、

 増井先生や田嶌誠一先生とフォーカシングのインサイダーとの間のギャップは、

 論理実証主義的に言えば(^^)、ほぼ消滅することになるのではないか。


 まさに、冒頭に述べたとおり、

 「触れないでおくことは、触れること」

 なのである。


*******


 ここまで先に書いてしまってから、増井先生の著作について更に先まで吟味するというのは、ちょっとずるいやり方かもしれないが、さすがに午前3時となったので、最終的完結編は、今日の夜までに書くこととします。

 長文におつきあいいただき、ありがとうございました。

 おかげで、ayuの「伝説ライブ」の動画紹介の記事が埋もれてしまったけど、pingであちこち飛ばされているので、大丈夫でしょう。

 おやすみなさいませ。


 (今度こそ最終回になるはずだった回に続く)

より以前の記事一覧

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