中世・ルネサンス音楽

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

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 私のプロフィールはこちらです。


 《2008/9/25 19:08更新》

・メンタルヘルスランキング 573位 -5167サイト中
 └心理カウンセリングランキング 14位 -130サイト中
・音楽ランキング 1022位 -9033サイト中
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・総合ランキング 29793位 -218968サイト

です(^^)

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2007/03/25

「訊き上手」の勧め -会話下手で困っている人のための、プロカウンセラーのテクニック公開!!-

 学生相談をしていた頃、よく、「周囲の話す話題の輪に入れない」という相談を受けたものである。

 男なら野球やサッカー、女優やタレント、女性だと、ファッションや恋や男性タレントや男優の話とかに、自分は興味も関心もなかったし、今の音楽でどんなのが流行ってるかもよく知らないし、車の話もわかんないし.....というわけである。

 私にしても、親が自家用車のユーザーでなくて私も免許を持っていないせいもあるが、極論すれば、「『あの』マークがついてたらベンツ」「昔のフォルクスワーゲンなら形でわかる」....以上、終わりである。

 ちなみに、私はまだ「エビちゃん」なるもの(蛯原 友里)の動く映像をテレビで観てないとおもう(^^;)

 ちなみに、はっきりいいますけど、(みゆきやユーミンとか、上の世代は「殿堂入り」として)浜崎あゆみと大塚愛とELTと宇多田ヒカルを除いてしまうと、私は今のJ-POPシーンに「全く無知」である。chemistryやゆずの曲すら一曲もidentifyできないし、椎名林檎は「りんごの歌」しか聴いたことがない。矢井田瞳「は」、一枚聴いたことある。島谷ひとみのベスト盤は「持ってる」。要するにBoAや倖田未來すら、耳に入ったことはあるが、恐らく「一曲も」identifyできない。あとはすべて大晦日の紅白歌合戦とその後のMTVCDと、年に一度のa-nationのDVDで「一年まとめて掌握している」だけである(avexに異様に偏ってるけど、それでもこんな調子なのだ)。今度、YUI「という人」のを聴いてみるつもりなのだが。

 これが、クラシックとなると、はっきりいってこの10年新譜をほとんど全く買ってないので、今のアーティストの動向には無知そのものだが、古くはグレゴリオ聖歌やヒルデガルド・フォン・ビンゲンから、少なくともブーレーズやベリオや武満ぐらいまでは(一部民族音楽を含めて)「まんべんなく」守備範囲にしている。基本的に「きらいな作曲家」「きらいなジャンル(管弦楽、室内楽、独奏とか)」というものはありません、みんなそれなりの持ち味で楽しめます、といえるくらいに。言葉の障壁から、歌曲と歌劇はやや手薄です、というくらい。10年以上前にとっくに輸入盤中心にCD1000枚を超えていたわけでして。

 私はクラシック音楽と心理療法と世界史と洋画(そしてかつてのアニメ)を除けば、実は自分の関心を巧妙に「狭く深く」に追い込み、わき目をふらなくていいようにするタイプである。

 確か、浜崎あゆみも、基本的には本来特別な音楽好きでは「なかった」し、実は他の人の音楽を驚くほどに限定してしか聴いていないと、何かで読んだような気がする。Madonnaや、日本で言えば、レベッカ(Rebecca)とかは、確かにある程度早くから意識していたと思うけれども(avex以前のオーディションの時に"moon"を歌ったそうで、これは妙に納得。レベッカは私も以前からLD(!)やアルバムの大半持ってますし、iPod入ってますよん。....まあ、レベッカそのものが、"Love is Cach!"は"Material Girl"のパクリでないかいというくらいにMadonna意識していたと思うけど。....レベッカのライブ記録とかと比較すると、ayuのライブの歌やバンド演奏やダンスが、もはや比較にならない高水準が「当たり前」になったことを痛切に感じますが)


*****


 話が大幅に横道にそれかかった(^^;)。

 このように、いざとなると話すネタだけなら無尽蔵に出てくる私が保証するが、友達の輪の中に入って「話に入っていけない」原因は、ほとんどの場合、「話題についていけるかどうか」とは無関係なのではないかとは断言したい。

 バブルがはじける前に二十代を送った私の世代は、「クライ」「明るい」二分法が、いまからは想像がつかないくらいに猛威をふるっていた。「中島みゆきのファンである」ということは公言するのもはばかられると感じていた人が実際たくさんいたのである。オタクネタを口にするのはかなりの蛮勇が必要だった。

 だが、今や宇多田ヒカルのゲーム好きはみんな知ってて、若いメジャーな女性タレントが、コスプレチックなことをあまり恥ずかしがることもなく、ひとつの趣向としてやれてしまうわけで、その点では、20年前がウソのような状況が実現している。そういう意味では、関心や話題の「ボーダーレス化」が進んでいて、私は若い世代がうらやましいくらいである。

 問題は、「話題の内容」ではない。自分の側の話せる話題など豊富でなくてもいい。

 決定的なのは、「聞き上手」であるかどうかである。


*****


  しかも、
  ここでいう

  「聞き上手」

  とは、
  必ずしも

  「聴き上手」

  のことではない。

  「訊(き)き上手」

  でありさえすればいいのである。


 カウンセラーは「傾聴(Lintenning)」について専門的に学ぶ。

 しかし、現実の日常会話では、実は、「聴く」力と同じくらいに「訊く」センスがものを言う。


 実はこの点を、カウンセラーももう少しふりかえるべきではないかと私は考えている。

 「カウンセラーの先生に話をしても、『ウン、ウン』ときいてくるばかりで、何も言ってくれないんです」

とよくいわれるし、
多くの場合、それは、

 「具体的アドバイスをしてくれない」

という意味に受け止められているけれども、実は、

「カウンセラーは何も『訊いて』くれない」

という点にこそ、核心がある場合が多いのではないかという気がする。

******

 ここでいう、『訊く』とはどういうことか?

 「質問する」「尋ねる」「問いかける」="asking"と言い変えるだけでは、うまく言い尽くせない。

 手元の「広辞苑」には「たずねること、問いただすこと」としか、実際、出ていないのだが。


 例えば、

 「母には、そのことを嫌がられている気がしてならないんです」

という話が進行していたとします。

 「お母さんには嫌がられているんじゃないか......というと?」

と水を向けて、しばらく「聴いて」いても、

 「だって、私は、○○だし、△△だし.....」

という話は繰り広げられても、お母さんに「実際に」どう言われたかの「具体例」に決して話が広がらないとしますね。

 こういう時、話の聴き手は、「現実のところ」どう言われたのか、についての関心をはっきり意識的に伝えることによって、単に話を「聴いて」いる状態よりもさりげなく半歩踏み込んでもいいのだと思います。

 「例えばどんなこと言われたの?」

でもいいんですね。

 すると、実は「お母さんがそのことを嫌がっている」というその人の思いこみが大きくて、実際にはそのことについて拒否された体験があるわけではない、ということが、二人に見えてくる場合もあるでしょう。

 あるいは、実際にどんなふうに言われたかまで話してもらって、はじめて相手の話が、自分が予想していたのとは別の次元での、親との対立なのだということが、いきいきと伝わってきて、

 例えば、軽率に、

 「おかあさんの言うことなんて、気にし過ぎないで、無視、無視、やりたいようにやってしまったら?」

とか、アドバイスして済ませなくて良かった!! ということなど、よくあることでしょう。


 時には、どうアドバイスしたらいいかわからなくなるかもしれない。

 そういう時には、ただ黙り込んでしまうぐらいなら

 「たいへんだね」

 「難しい問題だね」

 「凄いお母さんだね」

などと、ともかく言葉にしてしまう方が、ただ相づちを打つよりはよほど「具体的な」応答だと思います。

 そういうことを、心の中で思っているだけではなくて、実際に相手に言葉にしてしまうことです。
 それだけで、話の「間が持つ」し、相手に、自分のことに関心を持ってくれているという「絆」感が生じる。....いや、あなた自身に、その人と「関わっている」という「手応え」が生じる筈です。

*****

 かといって、私は、面接初回に、機械的な形で、いわゆる「生育歴」「既往歴」「相談歴」などを訊いてしまうあり方には違和感があります。

 「生育歴はどうなっているのですか?」

 ......なつかしい思い出なんですが、ロジャーズ派の佐治先生の薫陶が深かった東大の心理教育相談室に在籍していた当時、年に一度、「五大学」と通称された、東京・名古屋・京都・広島・九州の5大学の教育学部心理教育相談室合同の、合宿形式の事例検討会が、5大学持ち回りで2泊3日で開かれていました。大学院研究生だった私はその催しに3年連続参加させていただいたのですが、その際に、東大の相談室員の事例発表に対して、他の4大学の相談室員から、「実に頻繁に」ぶつけられていたのがこの問いかけでした。

 つまり、当時の東大のカウンセリングの伝統には、「生育歴・来談までの経過」を面接初回にクライエントトさんからひと渡り「訊いて」しまうという「文化」そのものがなかった!! これは、他の4大学の院生の「常識」を覆す事態だったようです。

 「治療目標とは何ですか?」

この問いに困ってしまうのも、東大組でした(^^)

 まあ、面接がどこまでたどりついたら終結かなんていうのを早い段階で設定してしまえるなんてウソで、当初の相談内容が、クライエントさんもカウンセラーも予想もしない方向に展開してこそほんとうのカウンセリング的相互作用だと、私は今でも信じて疑いませんけどね。

 もちろん、その段階その段階で、治療者が「見立て」についての「仮説」を立てること、それに応じて「見通し」についての「仮説」を持っていることは大事でしょう。しかし、それは何回も何回も手直しされ、変化していくのがむしろ自然ですらあるということです。

 それはそうと、私も、今も、生育歴・家族構成・来談までの経過を、カウンセリングの開始の回に「機械的に」訊いていくことは避ける姿勢を保っています。

 面接一回目で、話を自然に聴いていれば、いつの間にかそうした情報のかなりの部分が「自然と」クライエントさんから話してもらっている、という流れになれるのが本来の姿です。

 面接初回は、クライエントさんに最初提示された相談内容にとらわれがちで、ベテランにならないとそうはできないといわれそうですが、今の私の考えでは、カウンセラーが、先ほど述べていた、一般の人の日常会話において全く自然に機能するはずの「訊く能力」をタイミング良く発揮すれば、それほどキャリアを積まないうちにでも、できるひとには十分できるはずという気がしてきました。

 そして、そうした「話しそうで話さないままの」話を、その後の面接の、どういう脈絡で、どういうふうにクライエントさんが話し始めるか、ということそのものが、まさにクライエントさん固有のあり方の本質が伝わって来る、絶好の機会なのだと思っています。

 例えば、「学校を中退した」という経歴が語られているのに、その理由についてクライエントさん自身が自分からは話さなかった場合には、私は焦って「どうして辞めたの」とは訊かないことも多いです。心の片隅にはそのことを置いておきます。

 面接の流れの中で、クライエントさんの方から自然と語られるかもしれないし、カウンセラーとしての私が「なぜ中退したか」を是非訊いてみたくなるタイミングが必ず来るとあっさり信じています。

 そういう「旬」の瞬間にクライエントさんに「訊いてみる」と、場合によっては、面接の展開の上で、クライエントさんにとっても、カウンセラーとしての私にとっても、新鮮で意外な発見となる、予想外の形での、問題の更に核心についての発見を、自然と二人で共有できることが多いようです。


*****


 「あなた、ご実家が経営的にたいへんだといつも話してくれてたけど、具体的に、どんな仕事なさってるの?」

 日常の対人関係でも、いきなり相手の個人的事情を根掘り葉掘り「訊き」すぎるのもどうかと思いますけど、あまり相手の個人的事情を詮索して嫌がられたくないという思いからの「抑制」が効き過ぎているのが現代の対人関係という気もします。


「ね、ね、彼のお母さん、働いてるって言ってたけど、何して働いてるの?」

「え?........私も、そこまで彼に訊(き)いたことないんだけど.......」

2007/02/25

民族主義・ユートピア主義の超克(第5版)

 私にとって、「成熟とは何か」と問われれば、答えは割とはっきりしている。

 すでにこのブログでも何回か言及していることなのだが、

「自分のものの感じ方や判断の仕方が、実はある種の思い込みや先入観に基づくものではないかということに謙虚であり、以前の見解を修正したり撤回したりすべきと判断できたら潔くそれを実践すること」

.......である。

更にもうひとつ付け加えれば、

 「およそ人間のシミュレーション能力というものには限界がある。自分がどこまで緻密にさまざまな可能性について仮説を立てたとしても、現実には必ず自分のシミュレーションを超えたような事態はあっさりと生じる。最善を尽くしてシミュレーションをしつつも、それすら覆されることを当然と考え、むしろ自分のシミュレーションを超えた事態に直面できることこそを「天が与えた祝福、成長の機会」としてうけとめることができる必要がある。でもこれは、最初から何もシミュレーションしないとのは、雲泥の差がある、現実への前向きで柔軟な姿勢である

ということ。

 さらに言えば、私の中には、ある種の「懐古的ユートピア主義」へのものすごい警戒心がある。つまり、「昔はよかった。そこには調和的でよりすばらしい世界があった」「現在はそのことに比べると悲惨である」というタイプのものの見方への警戒心がある。すべての「復古主義」をうさんくさいと感じているのだ。

 「今の日本では古き良き日本が失われた」

という言い方を私は基本的に好まない。戦乱になると武士たちが略奪の限りを尽し、婦女子は強姦して刺し殺すのがあたりまえだった時代。自分の上司が死んだら「殉死」するのが美徳とされた時代。飢饉になったら最悪の場合人間の肉すら食べた時代。町のある一定の個所には斬首刑になった犯罪者の首が当たり前のようにさらされていた時代。武士の機嫌を損ねたらちょっとしたことで、裁判すらなしに切り捨てられても誰も文句が言えなかった時代。キリスト教の布教をちよっと前まで奨励していたのに、数十年後には一転して信仰を捨てなければ死罪になった時代。口べらしのために生まれた子供をすぐに絞め殺したり、娘を女郎屋に売り飛ばした時代。

*****

 日本でも、ちょっとした家柄であることを示すために、武家の系図はなぜかさかのぼるとたいてい源氏か平氏か藤原氏=まわりまわって天皇家の流れを組むことになっている。実際に政略結婚でそういう古い家柄とのつながりで箔をつけた例もあろうが、たいてい、それ以前から、そういうご先祖様がいることになっているのだ。

 これはヨーロッパでも似たようなもので、ホメロスの「オデュッセイア」に集約された古代ギリシアの歴史は、先住民族だった「トロイア人」に対して勝利を上げていくというとこそにみーんな収束していく。

(検索しているうちに出くわしたこの本未読ですが、ちょっと興味を感じる)


、つまり、ギリシャ=ローマ文化の中心地から支配されていた地域が独自の力を貯え、地中海沿岸地域と拮抗する政治力や武力を持つ国家として成長を始めると、必ず、「祖先はトロイ人の英雄だれそれ」という方向に年代記は脚色されることにより、「自分たちはギリシャ・ローマよりも実は古い歴史と文化の後継者なのだ」という逆転ホームランで権威付けしようとする。

 不思議なもので、ヨーロッパには、自分たちを古代メソポタミアやエジプト文化の末裔であるという権威つけのパターンは存在しない。対ペルシャ、対エジプトという形で自らのアイデンティティを主張する伝統は、ユダヤ民族の独占物になっていたように思える。

 要するに、「キリスト教的ヨーロッパ」の世界観においては、ペルシャもエジプトも「東国」ないし「アジアの一部」として一括して捕らえられてしまうのである。こうなった背景のひとつには、中東諸国が、中世初期までにあれよあれよという間に、イスラームの政治的・文化的枠組みに包括されたものとして受け止められたことも大きいのだろう。

 そして更に、ヨーロッパの場合には、ゲルマン民族の侵入「以前」の、地中海沿岸を除く、中・北部ヨーロッパの歴史の空白を埋めるために、「トロイア人」にとって代って、今度はケルト人」「ケルト文化」という概念が、全く都合のいいように埋め草として、ある時代から「忽然と」使われるようになる歴史がある。

 純粋の「ケルト文化」として位置づけられるものがあるとすれば、一万数千年まえの青銅器文化の時代までさかのぼるしかないのに.....である。

 スコットランドの文化が、独自のアイデンティティをもつものとして称揚されはじめるのは、何と、スコットランドが実際にイングランドに政治的に統合された1707年以降のことである。単なる「地酒」としてそれまでは外国人に見向きもされなかった「スコッチ・ウイスキー」がひとつの国際的ステータスを徐々に確立していくのはこれ以降の時代である。

 それどころか、今や「スコットランド」のイメージの典型となっている「タータン・チェック」は、実は昔から織物が作られているヨーロッパ地域では、最もシンプルな織り柄として広範な地域で作られていた模様であるに過ぎないし、バグパイプにしても、ヨーロッパのいろんな国で中世から使われていた楽器で、別段スコットランド由来でないことは、西洋の古い絵画や音楽の歴史をひも説いた人には周知の事実。

 さらに言えば、あの男性の着用するキルトというスカートめいたもの(現在のファッションの世界では意味が拡張されていますが)は、実はイングランド人が、スコットランドの自分の鉱山の採掘所で労働者の作業着として便利なので「発明した」品が、比較的短期間に、まずは他の類似の現場にも「便利だから」という理由で広がっていくという歴史の浅さしか持っていない。

 それらがスコットランド民族のアイデンティティの象徴であるかのように「普及する」きっかけは、イングランド(グレート・ブリテン)王ジョージ4世が、1822年(!!)に、イングランド王としては数代ぶりにスコットランドに公式に行幸する際に、その公式行事のイベントの総プロデューサーとなった、大作家、ウォルター・スコットが、ジョージ4世に、タータンチェックのキルトといういでたちで行幸させ、公式行事に参加する貴族たちにもこのスタイルでレセプションに現れるように「要請した」ことがまんまとあたって、タータンチェックとキルトの大流行が中流階級以降に一気に生じて以降のことである。「氏族ごとにはるか昔から受け継がれたタータン・チェックの柄がある」という「伝統」も、実はこの時を境に、すでに産業革命の流れに乗って紡績工業が発展し、仕立て屋が商売繁盛させるためのセールス・トークとして「ねつ造された」過去の歴史ということになる。

 ヨーロッパの民族衣装における地域性というのも、実は、18世紀に勃興した「民族主義」という「新しい」潮流と、産業革命によって衣類や織物が量産できるとうになってから、はじめて「実現された」商業主義の出会いの産物ということになるらしい。それ以前は、一般庶民は、ヨーロッパのどこに行こうと似たり寄ったりの、「貫頭衣」のようなワンピースに近いものを着用していたにすぎない。布地を作ること、手に入れることそのものがたいへんな時代の庶民(特に農民)の衣服なんてそんなものである。

 そもそも「民族主義」は、あくまでも、近世以降、ヨーロッパ列強による帝国主義的な覇権の争いの中で、それに屈した地域の中ではじめて形成されてくるものなのである。しかもその出発点は、むしろ征服した側の民族や国家の側からの一種の懐柔策、あるいはいわば「辺境ロマンチシズム」のファンタジーのようにして形成され始める。征服された側の人たちがそれを自分たちのアイデンティティとして積極活用しはじめた後で、支配者側は、大慌てでその民族の象徴の文化....もとはといえばプロデューサーは自分たちなのに.....の弾圧をはじめる。その時点で、古代からの誇り高き民族の「神話」が、あたかも昔からの言い伝えのようにして歴史の断片から半ば「ねつ造され」ることになる。

 そもそも「国民国家」という概念そのものが、いわばフランス革命以降、18世紀以降に成立するものであるにすぎない。フランス革命あったればこそ、神聖ローマ帝国に属する小さな領邦国家群にすぎなかった地域に「ドイツ民族主義」が勃興する。それまでは、ハプスブルグ家をはじめとするヨーロッパの王室の公用語は、フランス語だったのである。

 そういう中で、ドイツ・ロマン主義が興隆するし、長らく忘れ去られていた「ニーベルンゲンの歌」(ワーグナーの「ニーベルングの指輪」はその焼き直し.池田理代子さんのコミック版があるとは知らなかった)も「再発見」される。グリム兄弟は童話集を出版するが、実は童話集の多くの素材が、実際にドイツの民衆の言い伝えを採取してまとめられたというのは真っ赤な嘘で、せいぜい、貴族の娘たちあたりから聞いた話にグリム兄弟が大幅に創作を加えたのが真相らしい。

 先日言及した「赤ずきんちゃん」にしたところで、長らく、より成立年代が古い、シャルル・ペロー作のフランス語版の童話の方が、より古い「民俗学的」採集にもとづく古い形とされたグリム童話版の焼き直しにすぎない長年思われていたが、実際にはペロー版の方が早く成立し、それを「脚色」したのがグリム兄弟でなかったか、という方向に学説は逆転して動いているようである。グリム兄弟は、実際、その後ドイツ語の純化をすすめる「国家政策」に大きな働きを果たすのだが。

 同様のことは、ゲール語=ケルト文化固有の「古代叙事詩」としての「歴史的大発見」とされ、ロマン派の文学や劇音楽の運動で、国境を越えて多くの作品に影響を与えた「オシアン」において、「これは民俗学的フィールドワーク」の産物ではなく、古代ゲール語から「翻訳」したジェームズ・マクファーソン自身が、周囲のスポンサーの期待に応えるために思わずやらかしてしまった、大部分が「創作」にすぎないものはないかという嫌疑がかかり、今日ではそちらの説の方が有力で、いつの間にか岩波文庫からも「オシアン」の翻訳は消えてしまい、今や古書市場ですら見つけるのがかなり困難な作品になってしまった。

 いずれにしても、近代にいたるまで、戦争において、兵士とは、金を稼いだり戦利品(人間も含む!!)を獲るために、あるいは、むりやり徴用されて(場合によっては、兵士を集めるために「意図的に」借金の返済という状況に騙されて追い込まれて)集められた兵士が、領主ないし傭兵隊長(あるいは奴隷にとっての「市民」)の命令に従い働くに過ぎない存在であり、「国のため」に戦う(ないし国の現政権打倒のために)戦うというイデオロギーそのものが、近代の産物であるにすぎないのである。

 そういう意味では、「『フランスを』救うために」戦ったジャンヌ・ダルクなどは中世の「異端児」そのものであり、現実には、歴史的経緯の上でも、実際の政治情勢の上でも異様なまでに複雑に入り組み、いとも簡単に「寝返り」を繰り返した、イギリスとフランスの諸侯の政治ゲームに利用され、スケープゴートにされるのは半ば宿命的だったともいえる。

(だから100年前後も「だらだらと」続くのだ!!究極には「国」と「国」とのたたかいではなく、地理的に現在のフランスとイギリス(イングランド)にあたる地域の諸侯の、果てしない「合従連衡」の時代としかいいようがないのだから)。

 そして、その後の時代を含めて、いかなる時代も、「純粋な愛国心」の持ち主というのは、「少数派の変人」であったに過ぎないともいえる。私利私欲と支配のためか、背に腹は代えられずに日々の糧を得るためか、煽動者であることそのものを生きるか、扇動されることを「消費」する、その時点ではいわばローマのコロセウムの観客であるに過ぎないか、徴用され、支配され、搾り取られ、犯され、人殺しをさせられ、殺されたり不具になるまで支配者の犠牲になるか。それだけである。


*****


 このようにして、「我々は過去に素晴らしい文化を持っていたんだ」という伝統主義そのものが、むしろ後の時代にねつ造された「ユートピア」を過去に投影したものにすぎない、ということは、世界的な現象として残念ながらかなりの程度見られる。おそらく、日本国内の「固有の地域文化」「伝統」といったもののかなりの部分にも、そうした面があるのは、残念ながら事実だろう。

 わが故郷、久留米を代表する名産品、人間国宝の機織りを輩出した「久留米絣」は、ほんとうに幕末ごろに井上伝というひとりの女性の創意工夫の中から生まれた、比較的歴史の新しい「久留米の伝統工芸」であるにすぎないことは、幸いにして地元では小学生でもきちんと学んでいる(はずである)。しかし、ほとんど同時代的に、絣の製法は、日本各地にうまれたものというのも現実なのである。

 福岡の「黒田節」と、雅楽の「越天楽」そして、「君が代」が、基本的には同じ系列の流れにある可能性が高いことは、以前も書いたかと思います。

 それにしても、相変わらずこの水準ですからね。最近の新しい用語「だけ」取り入れてかっこつけていい気になってるだけではないか。この、お茶目な道化もの!!

 もとよりこれは、現実の文部行政には無知蒙昧、もとい、初心者としての新鮮な気持ちで臨んでおられるトップの大臣さンだけのことで、文科省の官僚さんもしらけ切っているし、全国の教育委員会や校長先生方の中には、良識的かつ現実的な方も「地上の星」としていくらでもおられるでしょうから、例えば私がスクールカウンセラーを志願したとしても、採用して下さる奇特な自治体はあると思います(^^)。

 批判するにしても、自画自賛するにしても、ある組織・団体に属する存在を上から下まで「単一民族国家」、もとい、「同じ考えを持った等質集団」と思い込むことそのものが「全体主義的」ファンタジーですからネ!!

.......なーんてことを,採用面接ではおくびも出さないのがオトナです!!

(このウイットに「笑える」人だけが、私と関わってくれればいいの!!)


*****

 話が拡散しそうですけど(^^;)、私はもちろん未来を楽観する「予定調和的進歩主義」の持ち主ではありません。でも、あるひとつの技術やメディアの登場が、人間の人間性を一層すさんだものにして、自然破壊を広げ、人心をすさませ、人類の滅亡を早め、子供の教育にマイナスになる、式の論調は基本的には「大嫌い」です。

 たとえば、私のような開業カウンセラーは、携帯電話の普及によって、家族や職場の人たちのことをクライエントさんが気にせずに申し込んだり、打ち合わせができるという点ではむしろほっとしています。

 はっきりいって、ネットや携帯電話の発達によって、以前より「構造化された」カウンセリング関係の維持が難しくなったと感じているようなカウンセラーは、そのカウンセラーの方が携帯やネットという媒体の活用法について未熟な水準に甘んじているだけか、あるいは、クライエントさんとの信頼関係を、一定の節度のもとに形成できない程度の、「優柔不断な未熟さ」にとどまっているだけです。

 なるほど、ネットにはさまざまな誘惑の火種があります。しかし、たとえば家に押し掛けるセールスマンやギャッチセールス、アイスクリームをわざとくっつけておいて親切を装うスリのグループや、荷台に乗せたままの客の手荷物を渡さないうちに走り去るタクシーの運転手、通常の電話での勧誘、いや、会社のビジネスにおけるフェイス・トウ・フェイスの交渉の中ですら、いくらだって詐欺まがいの勧誘の魔の手はあって当然ではないでしょうか? 

 実は、そうした連中の中から相手の本性を見抜き、「そうはいきませんよ」とやんわりとうまくけん制して相手にその気を失わせたり、いざとなれば強い態度で拒否したり、次の約束をすっぽかしたり、無視したり、まっしぐらに逃げる!! などの眼力と実践的対処法の育成という点では、「メディアが何であれ」基本的には同質のもののような気がします。

(《註》:ここでいう「メディア」とは、「マスメディア」とか「通信手段」いう意味にとどまらない。ここでは、直接の面と向かったやりとりすら含む、相手との交渉や出会いのchannelの様式全般をさす。"medium"という言葉本来の意味に戻る。だから「媒介なし」とか「偶然出くわす」も「メディア」の「一様式」である)

 人間って、新しい技術やメディアには、勝手に、バラ色の未来か、堕落させる誘惑の「どちらか」を見てしまいやすいものだと思います。

 あるいは,過去の伝統や、昔ながらの失われた生活様式に、今は失われた「人間性」とか、残酷さ、「野蛮さ」の「どちらか」を見てしまいやすいものだと思います。

 そして、いつの時代も、その時点での「現在」の視点から、その両方を繰り返して来たのです!!

 しょせん、私にとっても、インターネットは「ただのメディア」です。インターネットを使う方が余計にもうかるだとか全然思っていない。儲けのうまい奴は、どんな「媒体」を活用してもうまいし、「うまくなる」し、最後にはそのことに溺れて「没落する」のではないか? 

そして.....地道に普及させるしかない対象は、ネットを通しても地道にしか広がらない。

 どうも私は、「書く能力」という武器は持っているし、大人数を相手に即興で場の雰囲気を妨げないようにコントロールしながら意見を言う能力も伸び続けているみたいなので、媒体もまだインターネットがない時代なら、雑誌や機関誌なんかに投稿するか、自分で手紙や「覚書」の頒布や、演説をしまくる私がいただけ、という違い「だけ」でしょうね(^^;)

*****

 私の方針はある意味でシンプルです。まずは、私とのカウンセリングやフォーカシングのトレーニングに「代価に値するだけの」意味があったと感じてくれる人を「ひとり」生み出す。

そして「2人目」を生み出す。

「3人目」を生み出す。

 そうこうしているうちに、私の側にも、多くの人に対して同水準の援助を維持できるだけのスキルと経験が蓄積され、それにちょうど見合うぐらいに顧客さんも増えていく。

 そうこうするうちに、顧客さんの口コミがはじまり、そして私の訓練を受けた人たち同士の横のネットワークも、堅実に成長する。「どこに出しても通用する」人たちを!!

 私は最初から、私に依存しなくても、その人なりの主体性をもって、生活のただなかでフォーカシングをかなりの程度活かせる水準の人、自立して、主体的にトレーナーの活動をできる水準の人を、少数精鋭で、一人ずつゆっくりと増やすことしか考えません。

 そうやっていくうちに、中には、私よりも、「天性の素質として」、グループワークの形で集団に指導するのが向いている人たちも含まれてくるだろう。私はそういう弟子たちから「学び」、「協力を受ける」形でしか、「裾野を広げる」スキルを身につけられないかもしれないが、それはそれで、一番地道な発展の手順ではないのか。

 それしか、健全な形で、それぞれの地域や業種の中で、核となって、フォーカシングを有効活用でき、指導できる人たちを増やしていく手立ては存在しない!!

 ある意味で、古いタイプの職人の天性であることは、私の宿命のように思う。

******


 さらに言えば。

 フォーカシングとは、人が、自分自身の気持ちと向き合い、それを言葉にして、受け止めていくことすら、いかに大変なことかということへの厳粛なまでの謙虚さと、「敬意ある自己信頼」(これは単なるナルシシズムとは雲泥の差がある事柄)にたどり着くためのひとつの道なのだと思います。

 自分自身との関係においておやしかり!!

 まして、たった一人の他者と、限られた瞬間にお互いに確かに気も市が通じ合えたと感じられることは、いよいよ厳粛な「奇跡」であり、感謝に値する事柄なのだと思ます。

 そしてそれは、ひょっとしたら、身近な、ある程度慣れ親しんだ「日本人」同士がほんとうに絆を築くことも難しさは、生まれも育ちも文化も言語も異なる外国の人の「ひとり」と、「ある限られた場で」形成される「理解しあえた」と思えることの難しさと、ほとんど何の違いがない水準の領域かもしれない。

 軽率に「日本的な」フォーカシングなどという言葉を口にすることで、フォーカシングとは名ばかりの、単に周囲への「気を使い」方がへたくそで場になじめない人(そういう人たちこそ,フォーカシングの潜在的な強力なユーザなのに)を暗黙のうちに排除するような、フォーカシングとは名ばかりの「えせフォーカシング」に換骨奪胎されないことを、私は心から祈ります。

 もともと日本的な世渡りがうまい人だけ、そして、そういう人たちの「ご機嫌を伺う」ムラ社会追従者道徳としてのみ「センスを磨く」域に留まるフォーカシングの普及など、

「くそくらえ!!」

である!!

 なお、たまたま今はフォーカシングのことだけを例に挙げていますが、これらのことはおよそすべての心理療法流派においても,本質は同じでしょう)

 いえ、およそすべての職業、いや、すべての媒体、すべての制度が、何か他のものよりも「便利だ」とか「効果的だ」と思い始めた瞬間に陥る悪魔の誘惑です。

 できるのは何か? 自分の「現場」という、てこの支点を立脚点として、自らの限界を真っ正面から見つめつつ、創意工夫を重ねていくことでしかない。

*****

 少なくとも、私は、

「ドイツ文化固有の」フォーカシングの在り方、だとか、

 そんなことがフォーカシングの国際的な場で論じられたりテーマになったことがあるなどとは記憶しません。


 まずは「あなたの」フォーカシングの世界を作ることを。

 「日本人」であることは、あなたのアイデンティティの構成要素の一部であるに過ぎない。

 どうせあと、50年もしたら、日本も、少なくともアジアのいろいろな国の出身者が共存する社会になるでしょう。EUならぬ「アジア共同体」の一部として、共通の貨幣を使っているかもしれない。

 そういう時に外国からの移住者を排除するための極右政党の人身をまとめるためにフォーカシングが用いられていないことを心から祈るものであります。

(こういうのが、この前の記事で書いた、「真意」を汲んで欲しい、私のウィットのつもりなんですが)


私は、実は何一つ、「独創的な」ことはやっていません。
しかし「私の」フォーカシングをしています。

人は、結局、今、この瞬間に最善を尽くす以外の生き方はできない。

どこまでも、愚直であれ!!


※推薦ミュージックビデオ(やっとこの傑作PVもiTunes Storeに入った!!):
浜崎あゆみの
momentum"momentum"
(アルバム"Secret"収録)


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●参考資料

原聖/「<民族起源>の精神史 -ブルターニュとフランス近代-」)
「高橋哲雄/スコットランド 歴史を歩く」

「シュリーマン旅行記清国・日本」

ハリー・ レヴィン/「ルネッサンスにおける黄金時代の神話」

2006/07/14

音抜けが圧倒的に良く、決して低域がダブつかない、究極のオールラウンド密閉型ヘッドフォン!!(第4版)

HEADPHONE(ヘッドフォン)STANTON(スタントン) DJPRO3000STANTON(スタントン)/ DJ PRO 3000

 さて、忘れた頃にやってくる「万国iPod用ヘッドフォン大博覧会」、続編です。

 しかも、この製品の紹介ぐらい、「意表を突きまくった」チョイスはないことだろうと思います。

(それより、あの、ディープなカウンセリングの記事を書く「こういちろう」のブログだよね......と、最近からの読者の皆様、愕然としないで下さいね。私のブログのあり方そのものが「意表を突きすぎて」いる???

 もっとも、以前すでに、ピカリングのOEM供給のVESTAXDM-01を紹介したくらいではありますから。

 昔、アナログカートリッジで著名だったメーカーのかなりの部分が、ヘッドフォンの制作に比重を移すことで生き延びたケースは、、日本では、オーディオテクニカ、外国ではSHURE(シェアー)が典型です。

   要するに、
   「針先の振動をコイルで電流に変換する技術」
   と、
   「電流をヘッドフォンの小型スピーカーという、
    実際の音の振動に変換する技術」

どちらもコイルが絡むわけで、しかもそこには、単なる音響工学を超えた、職人的な音のセンスの伝統が決定的です。何しろ、耳たぶの形や耳道は人によってまるで違う

 ...が、もともと、アナログDJ用の、要するに、ターンテーブルの「逆走に強い」「乱暴にビックアップを上げ下げされてもびくともしない」針の構造を持っていたスタントンピカリングが、現在もアナログカートリッジやプレーヤーを含む、現役バリバリのDJ用品総合メーカーであり続けている、というあたりになると、実は、DJに興味のある人(秋葉原でも、特別な大型店でない限り、「DJ用品専門ショップ」に通う人)か、アナログ再生に今でも関心を向けているオーディオファンしか、もはや視野に入っていないことが多いということになるかと思います。

 まして、スタントンピカリングアナログカートリッジ「クラシック向きではない」という評価が、少なくとも昔は高かったので、いよいよプロ・アマ問わず、DJの世界でのみ著名という構造が定着し、それを、こともあろうにiPodを聴くためのヘッドフォンとしての選択範囲に入れるなどという発想は、通常はないと思います。

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 さて、今回ご紹介のSTANTON(スタントン)/ DJ PRO 3000に話を戻しますと、

   この機種、何と日本では
   11,000-13,000円
   の価格で売られています!!

 大抵の「高級」iPod用ヘッドフォンやイアフォンより安いわけですね!!

   ところがどっこいぎっちょんちょん、
   驚異の音です。

 クラシックからロック、トランス・ミュージック、浜崎あゆみを含むJ-POP、昔の歌謡曲やフォーク、古いアナログ録音から最新のデジタル録音まで何でもOK!!

 いわゆる、 アメリカの「ウェストコースト」サウンドそのものであり、ある意味では、湿度の低い「サラリとした」音です。

  この点では我が愛器、GRADO(グラド)/ SR325I(ただしそちらはものの見事な後面開放型)が持つ、音の移ろいに大変敏感な繊細な生々しさ緻密さと両立する、圧倒的なパワーと「熱さ」、とはかなり異質なのですが、

    両チャンネル間の音場空間の
    細やかな端正さ(位相特性の良さ)、

    低音が決してボンボンいわない、
    ハイスピードでタイトにゴリゴリと押してくる
    エネルギー感のすばらしさ

という点では、大抵の密閉型の常識を覆します

 クラシックですら、録音が古いものは古いなりの周波数帯域の狭さを実感させつつ、でも、ものすごい解像度で、独特の品格のある音の世界を作ります。

「ドンシャリ」に全然ならないんですよ!!

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 ちなみに、音量にあわせて左右についた青色ダイオードがチカチカ発光する仕掛けがついています。しかしこれはスイッチでON/OFFできます。発光させても音が変わる感じがまるでしないのは見事です。

 インピーダンスを3段階に切り替えるスイッチもついていますが、これは中間の標準のままで、iPodでは耳が痛いくらいの音量が出ますので、いじらなくてもいいはずです。

 ちなみに、フライホイール部をベッドバンドの中に折り畳んで小さく収納できますけど、基本的にはかなり堅牢な構造の部類でしょう。ただ、「重く」はないけど「軽い」と言う部類にはいれられません。私のグラドの方が堅牢度は高いのに軽量で、頭への圧迫感は低いです。でも、耳を覆ってしまう密閉型大型ヘッドフォンの中では、これでも軽い部類でしょう。この辺はさすが、DJがかなり身体を動かしながら機械の操作をすることを考慮していますね。また、ヘッドフォン本体へのケーブルを根っこから着脱して別にできます


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 欠点をいくつか上げます。

 1.標準装備の、ステレオ標準ジャックからミニジャックへの変換プラグがあまり上質ではない。ビニール系のペナぺナした音に私は感じます。

 この点については、以前ご紹介したように、テクニカやソニーやビクターから出ている、オール金属削りだしタイプの変換プラグに、、スーパーの台所・水廻り用品売り場や、TVアンテナケーブル売り場で「防水用テープ」として売っている程度の、あまりベトベトしない[UT-19] 融着テープ 19mm×1M「ブチル(自己融着)ゴム」テープを、

   「分厚く」
   「何重にも」
   「引き延ばしながら」

巻き、表面がべとつかないように、ティッシュか布で巻いて「鳴き止め」加工を自分でなさったものがお薦めです。

Henkanplug
 以前の記事ではその実物はお見せしなかったので、今回は私のを写真にとってお見せします。

 ちょっと写り具合の関係で、ブチルがむき出しすぎに見えるでしょうが、私が使ったブチルが柔らかめのものだったので、ティッシュを二枚重ねのまま、数日ごとに更に3、4重巻いてということを、最初の1ヶ月は続けました。黒いゴムは「ティッシュを透かして」見えてるだけで、実際には手も汚れません。

 でも、ブチルの中にティッシュは数ヶ月単位でいえば、長期間のうちに次第に「沈み込んで」いきます(^^;)し、これからは夏場の温度上昇で柔らかくなることも考えられますので、月に一度ぐらいはティッシュを更に上から巻く作業は必要かもしれないし、尖ったものがぶつかると、そこからブチルがしみ出して、他のものを黒く汚す危険はあります。

 まあ、そこまでするか? は、

     「マニアの世界」

と割り切ってくださいね(^^;)

 表面をこれ以上加工すると、今度は「その素材の」音が出る可能性があります。ビニールテープとかの方がよほどのりがはみ出して汚くなるんですよ。私の予感では、ブチルゴムの表面にとかを巻くと、仮に音が変わっても、少なくとも嫌な音には変化しないだろうと思います。

 ブチル巻かなくてもオール金属削り出しのブラグの方が音がすっきりするのはわかるかと思いますので(そんなら最初からそう書けって? でも、高域に輝きが出過ぎ、低域も引き締まらない可能性はあります)

*****

欠点その2:

  密閉型のはずなのに,
  外への音漏れかなり大きい

イヤパッドが少し堅めなんですよね。

少なくとも、例えば、

新幹線の中で、隣に座っている人に迷惑をかける可能性、

●夜行寝台の個室でないB寝台車で上下や向かい側の人寝るのに迷惑をかける可能性

はあるでしょう。通勤電車や、国内線の(....というか、乗客の多くが仮眠をとる「長距離国際線」では「ない」)飛行機の中や、街頭では、耳掛け型やオープンエアよりは「よほど」シャリシャリした音漏れ少ないので大丈夫とは思いますが。

*****

あとは、ヘッドバンドにデカデカと描かれた、

STANTON

の、ロゴマークを、

ファッションの一部だい!!」

開き直れる度胸

がすべてです。

ともかく、私の常用ヘッドフォンに一気にのし上がった逸品です。

2006/04/21

イベリア半島におけるキリスト教国家と「北アフリカの」イスラム王朝との関わりについて(第6版)

仕事が休みの昨日、また「LOVE!シネマ2500シリーズ」第2弾エル・シド<デジタルニューマスター版>映画「エル・シド」を通して見てしまったこういちろうです。

スペイン関係の本は何冊か読んだのですが、やはりElcidbookエル・シッド・カンペアドルの密度が圧倒的なので、

Spanishnithehistory
現在、同じラモン・メネンデス・ピダルの書いた「スペイン精神史序説」という本を読みました。

Spainnnorinen_1
更に、橋本一郎/西澤龍生 編/訳「スペインの理念」(ピダルとガニベー、ライン・エントラルゴの別々に刊行された論文をまとめたもの 新泉社)も今読んでまして、もっと巨視的・通史的な形で、スペインと周辺諸国の関わり全体をとらえてみるつもりでいます。

***

後ウマイヤ朝の滅亡後、当時のイベリア半島北部は、キリスト教国家ですが、レオン・アストゥーリアス・カスティーリア・ナバーラ・アラゴンなどの地域別に、いくつもの国・伯領に分立し、統合しようとし始めているくらいの段階でした。

イベリア半島中部・南部は、タイファと呼ばれるイスラム教君主の小国家乱立状態。

レオン=カスティーリア・ナバーラがひとつに統合しようとすると、「全スペインの皇帝」を称する国王が死んだら分割相続された王子たちの争いになったりとか、なかなか求心力が高まらない。このへんはウィキペディアのこのページの説明読んで下さい

タイファ諸国は、お互いに抗争し、キリスト教国家のそれぞれと戦ったり、貢ぎ物を差し出すことで和平を結んだり、キリスト教国家の重臣すら「裏で」タイファと通じていて、故国の政敵をつぶすために利用したりとか、この辺、むやみに込み行った駆け引きを繰り返したようです。

しかし、領地争いをめぐって、「キリスト教徒が内輪揉めして無駄な血を流すくらいなら」と、双方の国の王がが公認した国内ナンバー・ワンの騎士(「軍旗護衛将」とよばれた)同士を、国の命運を背負わせて、両国王族と観衆の見守る競技場で、カトリック教会の祝福の元に一騎打ちさせて決めるなどという、中世の騎士道物語物語そのもの紛争解決も、まだ実際に行われていたようです

Chuuseiknight
(映画には、ブルフィンチの「中世騎士物語」(岩波文庫)で語られているのと細部まで手順がそっくりの、こうした「国をかけての決闘」戦いの際の作法が再現されています。この本、アメリカではよく読まれていた歴史教養書だそうなので、歴史考証の上で参考にしたのではないかと思われます)。

タイファ諸国の南、ジブラルタル海峡の向こう側では、ベルベル人の「ムラービト(アルモラビト)朝」が勢いをつけ、モロッコからマリ・ガーナのあたりまで征服して、地中海から大西洋まで縦に貫く、北西アフリカの大帝国となっていた。そして今度はイベリア半島の「奪回」を狙っていたわけである。このムラービト朝というのは、同じイスラム教徒でも、地中海東側のアラブ人のアッバース朝とは異なり、むしろ「北アフリカの王朝」というべき性格が強かった。

この北アフリカの王朝の当時の国王ユースフは、国土膨張への野心が強く、好戦的なので、必ずしもタイファ諸国にとっても歓迎すべき存在と映ったわけではなく、純アラブ系の「後ウマイヤ朝」の文化の末裔たちのもとで育まれたタイファ諸国の中には、絶えず、「スペイン側につくか」「北アフリカ側につくか」というあたりで、王室レヴェルだけではなく、イスラム教徒もキリスト教徒(モサラべ)も混在する同じ国内でも、宗派を越えて「スペイン民族派」「アフリカ派」が入り交じり、葛藤し、日和見し、という状態。

この辺、映画「エル・シド」はきちんと歴史考証していて、海を渡ってきた「ムラービト朝」側の兵士の装束って、アラブ的というよりアフリカ的。打ち鳴らすドラムも、「トルコ=中央アジア的」というより、アフリカの先住民の響きがするように思います。このへんは、数百年後のオスマン・トルコの軍楽隊とは全く異質な描き方をしています。

この太鼓の音、この映画を最初にテレビで見た子供の頃も、大変不気味なものを感じたことはよく覚えています。史実でも、エル・シドを追放した「主君の方の」軍隊の兵士たちは、この太鼓の音色だけで恐慌状態になり、雪崩式の敗走をしたそうですから、タイファのイスラム教徒国家の軍隊にはなかった心理戦術なのでしょう(自分たちの居場所を敵に教えるような物ですから、単に軍隊の秩序を守るための行進曲ではなく、イスラム側の兵士を一種トランス状態に置き、敵軍を恐れさせる、一種呪術的な意図はあったのではないかとも感じますが。

「ベン・ハー」や「十戒」のように、欧米人なら常識の聖書の物語ですらないので、特に、かなりのスペイン好きを除けば、日本人とかには、話の筋がとらえにくいかも。同じ人が敵になったり味方なったりがかなり込み入ってますので。でも、この「装束」「文化」の違いに注意すれば、この3つの陣営の区別がつくと思います。

*****

史実のエル・シド(ロドリゴ・ディアス・デ・ビバール)も、兵糧を調達するためなら、タイファ諸国の大きめの町に「ちょっと立ち寄って」、武力で圧倒し、敵兵士ばかりか住民をも殺したり、町の手前に陣を張り「『あの』エル・シドの軍だぞ」と威圧するだけで降参させたりして、残った住民との『取引』として金品食糧を得た場合もあれば、残った町の住民をまるごと人質にして、その人質たちを別の都市でまたもや金品兵糧と交換の上で釈放したりなどしているのですが、ともかく「自国でも政敵は暗殺する」のが普通の時代です。

国王にカスティーリア国外に追放され、「彼への援助をした者は目をくり抜く(映画では「手首を切り落とす」だか)」との王のおふれの中でもついてきた少数の「私兵集団」に過ぎない以上、国境を越えた『敵地』で、ひたすら『現地調達』で当座を切り抜けるしかない中では、兵を失わず生き延びるためにできるだけ戦わず、敵味方にもできるだけ死人を出さないままのやむをえない「駆け引き」だったとも言える。

これでも、戦利品のために住民皆殺しもいとわなかったキリスト教徒側の「普通の武将」よりは、無駄な殺生を避けるかたちで、ことをできるだけフェロ(キリスト教国とタイファ諸国の個々の国別の慣習法)に基づく「契約」として、穏便に済ませることが多かったらしいです。法律に詳しく、アラブ語の読み書きにも不自由しなかったらしい。

まあ、映画ではそのへんの「イスラム教徒への分け隔てない態度」をかなり誇張していますけど、タイファ諸国の中には、サラゴサのイスラム宮廷では賓客として迎えられるとかは、史実だそうです。

おそらく、時と場面によっては、「恐ろしい殺戮者の頭領」であり、時には王の命令を無視してすら政治的にも軍事的にも活動し続け、兄弟を殺して国位に就こうとしている新しい王にすら、宣誓式のその場で臣従を拒否し、法的根拠に基づき逆に王の「言質」をとって、公衆の面前で王に屈辱を味あわる「政治的な権謀術数家」であり、政敵に嫉妬されたり、タイファ諸国の君主や住民にも尊敬されたりと、いろんな面を見せ、いろんな評価をされていたことでしょう。

しかし、エル・シドが、国王にどれだけひどい仕打を受けようと、国王への5分の1の献納は果たし続け、ほんとうなら自分が受けてもいい、征服した土地の王位をカスティーリアの「皇帝」に献上し続けた。

結果的に、志半ばに死して後も、キリスト教文化とイスラム教文化を融合させる形で「スペイン」という「国家単位」での統合の象徴となり、文化的にも、本人のまだ「生きている」時代から、スペイン側の文書のみならずアラブの年代記にもその名が讃えられた。

"el Cid"という、存命中からのあだ名(現代スペイン語の発音からすれば「エル・シード」が近いそうです)そのものが「頭領、主人」を意味する"sayyid(サイード)"というアラブ語由来で、彼を畏敬するイスラム教徒の間からはじまり、キリスト教圏でも使われゆようになったとのこと。elはカスティーリア語の定冠詞なので、英語でいえば"The Boss"ということになる?

Elcidbunko
そして、武勇と人格については、本人が生きている間に吟遊詩人に歌われ始め、死後わずか数十年から百年の間に、今日に写本が伝わる武勲詩が成立する過程で、アラブ語と古代ロマンス語が融合した、スペイン語の原型になる最初の「国民文学」ともいえる『我らがシドの歌』となったのは確かのようです。

*****

人間とは矛盾に満ちたもの。

カウンセラーとて同じことだと思います(^^)。

自分がどんなつもりで発言しても、行動しても、結局最後の判断はその人と関わった「相手が」判断するのは止められない。

それをみんな「引き受けて」、相手との関係樹立に「役立てて」しまえてこそ、カウンセラーでしょう(^^)

2006/03/15

5万アクセスを2日前に突破していました

このブログ「カウンセラーこういちろうの雑記帳」、おととし(2004年の12月19日にスタートしましたが、おととい、つまり、2006年3月13日(月)に5万アクセスを達成していました。今(3/15 am5:40)現在
、50257です。総記事数でいうと、「この」記事が330番め、1年4ヶ月弱かかったことになります。

今月に入って、私の生活の中でのエネルギーの振り向け方が大きく変わったため、ほとんど更新していないにもかかわらず、連日100数十アクセスして下さる方が途絶えない中で達成された数字です。1週間に1000アクセスのラインは決して割り込まなくなっていましたので、時間の問題ではありました。

アクセスの数そのものにはもはやあまり拘泥していませんが、

私の、時として傲慢にも、挑発的にも見える「カウンセラーらしくない」ブログを読んでくださってきた皆様、

トラックバックやコメントを返して下さった皆様、

そして何かの「ご縁」で、この記事が最初のアクセスになった皆様を含めて、

ありがとう。

そして、これからどう変化するかかわからないけど(?)、ともかく続けてはいくでしよう。

よろしくお願いします。

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BGM(といっても私の心の中の)はやっぱり、浜崎あゆみの"alterna"でした。

私は【CD】HEAVEN/浜崎あゆみこれに収録されたアコースティックバージョンのリミックスが、しみじみ聴けてます。

(この曲には独特の思い入れができてしまいました)

2006/02/11

とことん興味本位であることが本当に「身につき」「使いこなせる」」(+ iTunes Music Store の隠れ技、公開!!)(第9版)

最近一時期の書き込みのペースが落ちたとお感じの方もいるかもしれませんが、別に本業が忙しくなって来たからではありません(^^;)。

「顧客さん」を「増やすために増やす」つもりでのネットへの投資はあまりし過ぎたくないし、マジ、体調の関係で、もし今の2倍のクライエントさんが来たらまだ身体が持たないでしょう。

むしろ、当面書きたかったことを「やっと」かなり書き尽くしてそれなりに満足したというのが大きい気がします。

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本業そのものは「ぼちぼちでんな」というところで、時間が空いた時は、読書などの、ある意味では「先行投資」的活動の方が多いでしょうか。

ちなみに、その多くは歴史書や日本/世界問わず、歴史関係の20世紀半ば頃の代表的かつ独創的な研究者の著作か、日本語訳だけど「超古典」に属する「原典」ですね。

例えば、今の今、並行してかわるがわる(! )読んでるのは、まずは、

gariasebki
カエサルの「ガリア戦記」

キリスト生誕を遡ること50年前、「紀元前」に、実際戦争の将軍をやったカエサル(シーザー)「本人が」刻々と「戦況報告」としてローマの元老院に送ったものをその直後に本人が推敲したと考えられている!!

古典ラテン語の代表的教科書であり、その簡潔な、主観を排した文体は「歴史記録の鏡」とまで言われる。

キリスト教以前の政治家がどういう倫理観で、すでにローマの脅威になりつつあった「ゲルマン民族」および、ゲルマン民族とローマとの板挟みにあった、今で言うフランスにあたる地域の「ケルト民族」をはじめとする「先住民」という、異世界の族長や将軍たちと、実際戦闘に入る前に、どのような賭け引きや裏交渉をしたのかまで生々しく伝わる、統計的数字にも誇張がない、カエサルその人が、恐ろしく「醒めた知性」の持ち主だったことが伝わる、ある意味で凄い本である。

欧米人の根底にある異文化相手の国際政治観/戦争観を、古代最高の軍事制度システムを持った「超大国」の、これまた最高の現実主義的「政治的/軍事的知性」を持った人間が、自ら書き残しているという意味で、この本など、今の時代にこそ、日本人に読まれるべきだろう。

なお、「ケルト民族」は、こうしてローマに支配が及ぶ中で、今で言うフランス中部あたりからブリテン島や今で言うフランスの辺境地区などに本格的に移住。

【Rock/Pops:エ】エンヤEnya / Watermark (CD) (Aポイント付)エンヤの音楽で一気に日本でも脚光を浴びたケルト人(=実はローマ人にとっての「ガリア人!!」)は「イギリス由来の」ものでは「ない」のだ。wikipediaによれば、インドに近い中央アジアから移動して来たケルト人そのものが先住民を制服し、現在フランスの中央部にあたる地域を占領し、一度定住したたのである。

その「一部」が「将軍」カエサルをはじめとするローマ帝国の拡張もあり、以前から進出していたブリテン島とアイルランドに「本格的に」移動し、先住民をまたもや征服して定住、そして更に後から流入して来たアングル民族、サクソン民族に支配の優位を明け渡す、しかし、イギリス/アイルランドをはじめとして、今もケルト語系の言語を日常語とする層が、何十万人もいるのである!!

実は、文字文化を当初持たなかったケルト人が、ローマの進出の中で世俗化し、方言化したラテン語を早くから話しはじめた場所にこそ、例の「中世ロマンス語」圏の成立が始まるのである!!

keltojinnnogariasenkiちなみに、ケルト人の立場で史料を読み込み、ローマから「侵入される」過程をとらえてみた、
「ケルト人のガリア戦記」(原修二 著) という本、届きました。図版も豊富で、ケルト人側だけではなくて、ローマ側の文化や政治機構についても客観的、かつ、劇画タッチの図版盛りだくさんの視覚的に訴えるやり方で解説してある、「ガリア戦記」の副読本としてこれ以上考えられないくらいの絶対のお勧め本

***

次に、

sezokushijindante
アウエルエルバッハの「世俗詩人ダンテ」と、

ブルフィンチのシャルルマーニュ伝説「シャルルマーニュ伝説」です。

コーラン(上)改版コーラン(中)改版コーラン(下)改版井筒俊彦訳「コーラン」はいつ届いてもいいはず。

私にとって「世界史」って、受験勉強ではなくて、そういう興味本位の読書で形成された「好きなもの」です。ただ、なぜか、「歴史小説(ふうのもの)」はほとんど読んだことないです。


でも、気がついてみると、後にイスラム教の影響も強く受ける「南ヨーロッパのロマンス語地域」という一点で、私の最近の読書傾向は「交差」してます
ね(^^;)。

ほとんど「ロマニスト」です。

「ロマンティスト」ではなくて、

「『ロマンス語系』文学研究者」のことらしい。

上述のアウエルバッハの本は、『神曲』はヒルティの影響でとうの昔に手元にある(「天国編」は読まないまま)ので、「ダンテ関係」ということで「勘」だけで楽天ブックスで選んだんだけど。

実は今世紀最大の「ロマ二スト」の処女出版らしい。しかし、これを「楽しく」読める人は相当歴史や哲学思想に「ロマン」を感じて自分から接して来た人だろうと思う。

でも、精神分析の精神分析の方法(1)ビオンの翻訳に比べたら、私には遥かに、遥かに「楽しい」本です。訳者の、かつて心理臨床学会の個人発表で座長をお願いした藤山直樹先生、ごめんなさい(^^;))

*****

大長編ローマ人の物語(1)「ローマ人の物語」で著名な、「学者」の書いた「学術書」ではなく、「歴史教養書」の部類と思われる著作活動を続ける塩野七生も、すでに2年ぐらい前に読んだコンスタンティノープルの陥落「コンスタンティノープルの陥落」だけ。


「ガリア戦記」とか、なぜこれまで私が読んでなかったのがむしろ不思議なくらい。

歴史(上)歴史(中)歴史(下)ヘロドトスの「歴史」

(ギリシャ時代、ペルシャ帝国滅亡後に、当時の中近東地域を「実際に」訪ね、当時のクフ王のピラミッドやスフィンクスの印象、ミイラの製法までこと細やかに書いている。まだクレオパトラよりずっと前の時代、今日の「風化が進む前の」スフィンクスやピラミッドを実際に見ているのである!!)
ゲルマーニア改訳タキトゥスの「ゲルマニア」

(これもローマ時代当時、実際にケルマン民族地域をを旅してはいないが、当時「蛮族」と見られていたゲルマン人を含む北部ヨーロッパ人への敬意を持って書かれた)、
インディアスの破壊についての簡潔な報告ラス・カサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告」

(これまた、何とコロンブスの航海に「同乗」した宣教師という同時代人による、宣教師であるにもかかわらず、披征服民へのスペインの政策を批判し、変えさせようとする政治運動を実際に続けた当事者による「現地報告」)

とかは、高校時代にとっくに読んでるのに。

.....あ、そうか!! 見地を多角的にするには、

中世イスラムの歴史家、イブン=ハルドゥーンの古典的歴史書、

歴史序説(1)「歴史序説」も注文しておこうかな)

****

何か、「ひけらかし」みたいで気が引けますけど、

こういう本をいつも「楽しんで」読む人間が、学校教育の枠にはまらない面があったことは、想像して頂きたくて。

私はこうした「歴史好き」と同じようにして、浜崎あゆみや中森明菜や松田聖子やクラシック音楽や鉄っちゃんやアニメをや実写映画を、

そして「フォーカシングを」

「楽しんで」いるだけなのです。

そして、そういうふうにして(強制ではなく)自分の好奇心のままに「身につけ」た時、人はそれを、「仮面」としてではなく、自分が主人公となる形で「身につけ」られるのだと思います。

「優等生」の中に囲まれているのが、苦手で、もの足りないし。エリート主義者でもない、

自分がなりたいものになってきた(注:ただし現在進行形)その成り行きで、現在ただの「在野の一臨床家」をしていることに心から納得している私の心境をお伝えしたいだけです。

これが、「健全な」自己愛を育んだまま、強迫性ともまた別な探究心を失わず、「時には」したたかかつ自由に、「社会的ペルソナ」を使い分けることそのものを「遊んでしまう」生き方、ということになるかもしれません。

そこには、劣等感コンプレックスの裏返しとしての、みせかけだけ自分を「人より上位の」人物に見せたい欲求など(時には生じても)、

結局、

「ズル」や「カン二ング」で動くのは『つまんない』や」

という気持ちの方が勝ってしまい、

「ね、ね、僕、すごいでしょ?」

と、まわりに無邪気に「ほんとは」思わず口走りたい、3,4才の頃の私が、ただその上に「経験値」を積みあげると同時に「年食った」だけの存在として、そこにいるのだと思います。

(直前の部分、第3版と第4版で表現を大きく変え、タイトルも変えさせて頂きました。今の今、「はじめて」言葉にできたことです)

そして、

浜崎あゆみが、今、

「みんなに見せたい『景色』」

とは、

そのことではないかと。

「オリジナリティ(originality)」って、

「本来的、始源的」

ということであり、

「人と違う」

ということとは本来関係ないんではないか?


(以上、第5版で追加)


******

さて、話題を変えます。

「検索ページ上位掲載率増加」のための対策にも、信頼できる「大手の2社」に投資していますが、それも「むやみな掛け金」ではないんですよね。金を積めばもっとアクセス数増えるのはわかってます。

楽天から得られる「楽天通貨=ポイント」の収益は、私は次第に何をどのように、どのようなやり方をして、楽天を通して(通さずに)買うと、「必要な、今後絶対投資した見返りがあるもの」を買えるか、のコツが見えてきました、

もっとも、もう、本以外はこれからの自分の生活に必ず役立ち、「減価償却」できるか(税理士事務書取り仕切ってた父が、私が母親の胎内にいる頃から、何千回、何万回も、繰り返し口にする中から「理屈抜きにしみ込んでいた、「経営用語」である)という観点から揃えたかったものは揃えたので、むしろ楽天での買い物額自体は一時期より落ちているでしょう。

アフィリエイトは、自分が紹介したい商品を紹介しているだけですから「料率狙い」はほとんど全くしません。(「一カ所だけ」意識的に本部トップページでやってます)


ところが、楽天の方、気がつくと、やり方次第で結構ぎょっとするポイント還元が得られる「からくり」も自分なりに見えて来た気がするのです。

(例えば、毎月、小額でいいから各コーナー「満遍なく」利用するとか。私は「ゴルフ」と無縁なので「倍率5倍」までしか持っていけないのが残念ですが)

いきなり「ひと月○万ポイント」に跳ね上がって来て、驚いているのです。

こうした「どっと還元された」分については、どうしても読んでみたいけど価格の関係で先送りしていた本(中古市場/フリマも点検する)や、「効果」確実で継続購入することにした消耗品(消臭剤とか)のまとめ買いなど、「確実な先行投資」にむしろ「手堅く」使っています。

*****

CDは、ayu以外で、よほどの高音質で聴きたい場合を除いては、すでに繰り返し触れるようになったiTunes Music storeでまずは探すように急速に変化しました。

ただ、もともとクラシックはかなり偏ってるし、J-POP系はアーティストによってある人とない人の格差が、今の段階では日本人向けには極端で、まだ日々刻々とレパートリーを増やしている段階ですね。

でもこのレパートリーの幅の問題が「ある程度」解決した瞬間、

若い世代は

「音楽を聴くためにiPodを多少無理してでも買う」

時代に雪崩式に一気に流れ込む

かもしれません。

中島みゆきはCD高めのままなのに、何と"Singles""singles II"以外「全部」あります。30年かけた30数枚のフルアルバム、そして新譜のシングルまで「すべて」があります。

みゆきは本質はアルバム・アーティストですが、有名曲でもなぜかアルバムにないシングルのみの曲(例えば「「誘惑」)があるので、「全曲購入」に恐らく10曲ぐらい足りないのかな?

あと、ライブの「夜会」シリースは別です。あれは、今や、映像が残っている限り、DVDの映像で売りに出されるべき思います)

浜崎あゆみは、1stと2ndのフルアルバムの内それぞれ何曲かはまだですし、リミックスとベストアルバム、シングルCD時代のB面曲、一部のマキシシングルにしか納められていない曲を除くと「すべて」あります、何より、新発売の"(miss)understood"すら買えてしまう

(ちなみに、「CDの場合」、このアルバムに収録された曲でマキシシングルで先行した曲、すべてリマスタリングされ、音質は向上し、楽器間のバランスとかも再吟味されて統一感が出るようになってますから!! そして、曲順とかにも明らかにそこのひとつの「コンセプト」が与えられている。そして、アルバムでしか聴けない曲にこそayuの本音がストレートに出ているのは今回も同じ。

つまり、ayuも本質は「アルバム・アーティスト」です。だから、今後フルアルバムに「必ず」マキシのプロモーションビデオが収録されるとならば、焦らないならマキシではCDのみで、DVDとセットのを買わないままフルアルバムを待つのも手です。

しかし、ayuの場合は、PVが曲のメッセージを「補完」していることが多いので、ayuの「神髄」に「リアルタイムで」迫りたい人、ayuのためなら出費を無理してもしていいというに人は、今後も、シングル段階での「(CD+DVDのセット買い」がおすすめです)

*****

ITunes storeの話題に戻ります。

このように、最新フルアルバムまでラインアップに既にある浜崎あゆみとは対照的に、同じavex所属でもはや売れるCD枚数も浜崎あゆみより上かもしれず、曲のアレンジ、ライブでのパフォーマンスに至るまで、すでにayuと異質な存在感を歴然と示している、「ほんもの」のアーティスト(本人はこの言い方、好まないでしょうが)である、大塚愛の場合だと、■送料無料■大塚 愛 CD+DVD【LOVE COOK】12/14同時期発売の最新3rdフルアルバム、まだiTunes Storeで出し惜しんでますものね。「ブラネタリウム」もシングルですらまだ。

(この違いは何かというと、浜崎あゆみは満単位の会場での、かなりハードな日程のコンサートツアーでほぼ満員になる「集客力」が今もある(「追加公演」すでに公示されましたものね)ので、「CD では稼がなくていい」、でも大塚愛は、ライブでもお客さんを楽しませる才能はあるが、もっと小さめな会場向きだし、結果的にもチケットでは浜崎あゆみより「稼げない」ので、新作をCDでしか買えない期間を長期化して、CDの売り上げから収入を得たいという、avexのまことに健全な企業戦略の結果生じた違いに過ぎないでしょう)

ちなみに、レコード会社は別だけど、iTunes Storeでダウンロードでき出したら、確実にNo.1ダウンロート数を築くはずの「世界にひとつだけの花」という切り札を持つSMAPは、まだ登録ゼロです!! 会社とAppleの交渉がまだまとまらないのでしょう。

iTunes Store圧倒的に強いのが、「英米音楽、しかもクラシック『以外』系」であることは言うまでもないことのようです。何しろ、「日本の」ストアにはまだPVは一曲も置いてないので、第4世代iPodのビデオ機能は「合法的には」(!)活かせないままなわけです(パソコン用AVソフトで署名な某社は、すでに公然と「コピーソフト」を出してますが)。

しかし、トップページではなくて、「パワーサーチ」の方に回ると、何と倍以上の「隠れジャンル」検索があるんですよ!! これはどの国のiTune storeであるかを「越境した」データベースのようで、日本円で、JCBで、最初のダウンロード契約を国別とかでやり直さなくとも、そんまま購入できてしまいます(たたし、値段設定が日本円ですっきりしてますから、恐らく日本版ではアクセス不能な曲はたくさんあるのだと思います。iTuneを「英語版として」セットアップして、AMEXやMasterのカードで英語で登録するとどうなるかは、まだ実験してませんが(パソコンを2台持っていて、OSも同じにして、ダウンロードした曲のファイルの「置き場所」さえ共有してしまえば、論理的には日本版とアメリカ版、いや、ドイツ版すら動かせるはずで、そうなればクラシックのレパートリーもよほど広いかもしれませんが(^^)、まだやってません。

でも、現状でも、"Germann folk"とか、「日本人の多くに未開の広野」が、首都圏の巨大な輸入盤屋さんをたよらなくても、ともかくそのジャンルの代表的なものはあるみたいです。

****

そういう中で、今私が突如関心を持った「ある」音楽ジャンルが、前回述べた「○○○(中略)○○」です。

などと、「この」ネタ、まだ先送りにして練り込んでからにするつもり!!

ANAエコ割_あなたらしい旅しませんか?_125*125abhotel7ipod_125-125.gif


2006/01/30

ほとんど「オーディオの奇跡」という領域のヘッドフォン!!(+ 私の20余年におよぶヘッドフォン選定のさまよえる歴史)(第5版)

グラド プレステージシリーズ【税込】 SR325I(GRADO) [SR325IGRADO]【0127アップ祭2】GRADO SR325I

私の愛用する「iPodで使っている」ヘッドフォンの中の「横綱」をついに紹介します。

この製品のアフィリエイトを張っている楽天Joshin Webさんは、ネット上で売っているヘッドフォンの選択という点では、ちょっと他に類例を見ないセンスで商品を選んでいます。既に私が紹介したヘッドフォンの幾つかもここに含まれています。

でも、いつもここで買っているわけではなくて、ほとんどはお店で実際に試聴しないと私はヘッドフォン買わない主義なんですよね。

ホントに比較的最近になって、私が他の店でiPodで(!)試聴して合格点を出した製品の多くが取り上げられていることに、アフィリエイト・リンク探す過程で気がついた、という順序なんです


*****

学生時代(まだアナログ全盛の頃です!!)から非常に長い間、今はすでにとっくに製造中止となっている、ゼンハイザーの「黄色いイヤパッドの」ミドルインピーダンスのオープンエア.....といっても、かの名器410(だっけ?)でないあたりが、私のチョイスの、「絶対に自分の耳しか最後には信じない」ところですが......を、製品が自然に壊れるまで(要するに、振動板が経年変化でへなへなになってまともな音がしなくなるまで.)愛用していました。柔らかめの、ビニールに近いブラスチックの製品なのに、1000円もしないイヤパッドの交換さえし続ければ、例えば、誤って踏んづけるとかしても(^^;)、ちょっとやそっとでは壊れない製品で、この超シンプルな原理での「柔構造的堅牢さ(????)」はもはや今のゼンハイザーにはないものです(^^;)

でも、その私が、学生時代から、

「ゼンハイザーを凌駕するとすればベイヤーだな」と、

お金がないのに、自分の耳「が」うらやましがっていたのは確かです。

ゼンハイザーが「モニター的」というより、「音の演出のうまさ」で酔わせるというのは全然変わっていないあたり、凄すぎる「ブランドの誇り」、全然変わってない!!

そういう意味では、「年代物の」グッチとかを大事に使い続ける、「本物のブランド志向」の女性の皆様のお気持ち、理解できます。

つまり、時代が変わって、デジタル全盛、そしてiPod旋風の今に至るまで、この2社、音のポリシーの基本は「頑固一徹なまでに」変わっていないわけです!!

*****

私は、中学1年時代(1973年ですね!!)に、父親からのお下がりの「会話録音用」モノラル携帯カセットレコーダー(そうですね、「新書版サイズ」で厚さ4センチぐらいだったかと。マイクは内蔵されていない)に、「片耳のクリスタルイヤフォン」で、交響曲を聴いていた(!!!!)という、

ウォークマン登場より「遥か以前」からの「モバイルオーディオ愛好者」

です!!!

これはどiPodを語るにふさわしい人物は、滅多なことではいない!?

父親は、特に音楽好きではなくて、オーディオマニアでもない。チューナーとアナログブレーヤー内蔵のアンプでスピーカーだけはセパレートできるシスコン(という言葉もなかったろうと思う)で歌謡曲や軍歌や演歌を聴く程度の人間でした。

ただ、当時はビクターからでていた8枚組の、豪華な装丁の「クラシック音楽全集」(何しろ、この前書いたように、カラヤンを排斥しようとしたヴァイオリン名曲集ハイフェッツの「メン・チャイ」「ツィゴイネルワイゼン」(ここでは敢えてこれらが少しずつ聴ける抜粋盤を紹介しました)とチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番ルービンシュタインの「チャイコの1番」ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」/シューベルト:交響曲第8番「未完成」ミュンシュの「運命/未完成」(「未完成」はものすごい名演と今でも思ってます)【音楽CD】美しく青きドナウ~ウィーン・フィル・シュトラウス・コンサートカラヤン/ウイーン・フィルのワルツ集が含まれる!! 私のクラシック音楽との出会いって、今から思うと凄く高水準のものだったことになります)、 

そして、この前紹介した【音楽CD】アンセルメ/ビゼー:《カルメン》《アルルの女》アンセルメの「カルメン組曲/アルルの女組曲(ただし後者は抜粋)」と、「ウィーンフィルの10人の偉大な指揮者たち」という1枚ものオムニバスのLP(これに該当するもには今は出ていないみたいなので、ウィーン・フィルハーモニーと名指揮者たち新装版タイトルがそっくりの本(写真集みたいです)をご紹介)、

さらに、これはさすがに「ロンドンレコード(キング)」に発売元が移ってからの。【音楽CD】チャイコフスキー:組曲《白鳥の湖》/情景(第2幕) ワルツ(第1幕) 小さな白鳥た...カラヤン/ウィーン・フィルの「白鳥の湖」「くるみ割り人形」組曲抜粋

さらに、なぜかSPで「庭の千草」と「ソルヴェークの歌」が入った奴、

そして、通信販売の「ソノシート」で4枚組の。たしか、クルト・ヴェスという指揮者とベルリンなんとか交響楽団の「新世界交響曲」全曲、

以上、クラシックは持っていたんですね。

でも、親がそれを自発的に聴いていた記憶はないです。

ただ、『マドンナの宝石』フィドラー/ボストンポップスの「ベルシャの市場」をかけてくれと私が繰り返しせがんでいた幼き日の記憶はあります。

そして、中学1年の時、学校の音楽の時間で聴かされた、先述のビゼーの組曲「アルルの女」で、完全にクラシック音楽に突如目覚めます。

「そういえば、うちにもあったな」と。

だから、アルルの女は、主人公フレデリばかりではなくて、私にとってもFemme Fatale(ファム・ファタール=その女と出会った為にその男の人生が悲劇に至る「宿命の女」)なんです!!

もっとも、「幸せな」出会いであり、何の後悔もありませんが(^^)

父も、実はそれまでは、私が自分でステレオ(「ステレオ」=一体型の装置全体を差す)で「レコード(=LP、EPの円盤のこと)をかけると怒っていたのですが、私がクラシックファンになった途端に自由にさせてくれ、「あ、この音じゃ、針がもうすり減ったんだ、買って来てやる」といろいろ世話を焼いてくれる始末。

そういう、私の「自発的興味」にはひたすら「阿吽の呼吸で」「投資する」親でした。思春期以降、何かを押し付け、命令してくることは皆無。まさに「空気のように」私を助けてくれたのです

今でも.....かな? でもさすがにこの歳にして「直接の仕送り」「借金の肩代わり」とかは全くないですよ。

楽天への「投資」と楽天からの「利益還元」および「借り入れ」「返済」でバランスとってます(マジ!!)。

「アフィリエイトの現金収入」は「リンクシェア」さんのがそれでも一番多いかも。要は「楽天社会主義経済(???)」が私の経済の「結構」重要な部分です。正直なところ、このブログでアフィリエイトした商品の9割は、「すでに自分が同等品持っていた商品(たいていJ-POPや異常に偏った「洋楽」やクラシックのCD、DVDや本)、あるいは「持ってもいない」商品です。職場および自宅から歩いていけるヤマダ電気大船店の方が楽天より(更に、交通費が数百円かかるヨドバシより)安いパソコン関連や家電商品はそっちで、できるだけ「現金一括で」買って、「ヤマダの(ヨドバシの)」ポイント還元を「最大限に」生かすし、JCBカードのポイントも今やみんな楽天で「5倍で交換」できちゃうし、いわゆる「100円ショップ」も頻繁に器用に使ってます。

なぜか「米の蓄え」は1,2年分ではすまないくらいにある(これこそ「こういちろう最大の謎」かも)。服は紳士服量販店で「しか」買わない。中島みゆきやayuの旧譜コレクションのかなりは中古で集めたもの。1000枚を越すクラシックCDの大半は一番円高の頃(10年くらい前?)に輸入盤あさりしたもの。世界史は「気がついてみたら」学年どころか全国模試2桁の順位。国語はこれまた「なぜか」共通一次198点。今普段乗ってる自転車は楽天フリマの落札品。出張時の宿も楽天トラベル楽天トラベル(旧「旅の窓口」)経由で安いのや早割のしか探さない。東海道新幹線はこだまの自由席、小田原乗り換えしか普段は使わない(「滅多に隣に人が座らない」快適さ!! のぞみに追い抜かれるためのほとんど各駅の長い停車時間は、電波は絶対強い場所だし、「使い放題のモバイル」に最適環境!! すし詰めの指定席に「たった1,2時間早く着くために」乗るメリット、ストレス増やすだけで何もなし)。夜行寝台は料金同じのB「個室」の早期予約こそ最高!!福岡への帰省はそりゃもちろんスカイマークの早期予約が最近は多い!!

 「だから」(どこが!!)楽天の「画像表示可能なアフィリエイト商品リンク」に興味を引かれてこのブログ始めたんですよ。いずれにしてもライブドアでなくてよかった(爆))

*****

話をもとにもどします。

それくらいの筋金入り

「音楽を『イヤフォン』できいて持ち歩く

先駆者の大学生時代まで。

当時は当然CD規格そのものがまだ「なかった」わけで、秋葉原のオーディオの店(当時は完全に「オーディオの街」でした)では、数台のアナログブレーヤーを音源としてスイッチ切り替えで試聴できるという、現在では想像もできない売り場の光景がありました。

その10年間の間に、かの「携帯カセットプレーヤ」としてのSONY「ウォークマン」がはじめて開発され、それまでのヘルメットみたいな(^^;)ヘッドフォンが急速に軽量指向となりました。

これに、日本ばかりか世界のヘッドフォンとマイクロフォンの老舗の専業メーカーすら振り回され、危うく「軽量型薄利多売」路線に巻き込まれかかった不幸な時代が始まるのです。

コンデンサー型高級「イヤ・スピーカー」(「ヘッドフォン」と呼ばれることをかたくなに拒否していた(爆))で「あの」スタックスですら、

「携帯用コンデンサー型、電池式超小型アンプで中継するイヤフォン」という、ぶっ飛んだ領域に手を出したわけです。

音はスタックスの本道を行く大型コンデンサー型イヤ・スピーカーと比較すると

「まあ、一応健闘はしているけどねー」

でしたが(^^;)

スタックス コンデンサー式イヤースピーカーシステム【税込】 SR-001MK2(スタツクス) [SR001MK2...何と今もその機種、型番すら同じまま、「現役商品」です!!

この店でなくても、ヨドバシにすら置いてありますよ!!

(こういうあたりが、日本のメーカーにはあり得ないこと)

*****

さて、グラドのヘッドフォンの話でしたね(^^:::)

ジャンルは選びません。

そして、もののみごとに「後面開放型」だから、個室寝台でもない限り、とても他人のいる電車や飛行機の中では聴けません。

ブラグもステレオ標準ブラグのみですから、ステレオミニプラクへの変換プラグは自分で買って下さいね。プラグアダプターSONY PC-233Sこの機種のような、表面がプラスチック製やビニール製ではない、金属削り出しのものがお勧めです。

更にその筒状の表面にフチルゴムを2、3重くらいに巻き、表面がそのままではべたつくので、ティッシュを一巻きして余分をちぎってしまうと、しばらく使っているうちに、ティッシュの白さがフチルゴムの黒さに同化して、べたつかなく見栄えもそこそこに仕上がります。

こうすると、金属の鳴きが止まり、しかもプラスチックやビニール皮膜のものよりずっと音が澄んだものになります。

(しかし、そうなると、iPodで聴くとなると、ヘッドフォン端子から10センチは「固形物」が張り出すわけですから、てこの原理でへし折らないように用心して下さい。もっとも、力学的に見て、「ミニジャック端子が」折れるだけで、落としでもしない限り構造が堅牢そのもののiPod側のイヤフォン受け入れ端子はこわれないだろうと思いますが、万が一はあり得ます)。

あと、「振動板が凄く繊細そう」ですから、置き場所や持ち運び、尖ったものと接触しないようには細心の注意を!!

ちなみに、振動板のことを別にすれば、イヤパッド以外、すべてアルミ削り出しですので、並みの製品以上に堅牢です。

頭へのかけ心地ですか? 

軽いし、装着していることを忘れるくらい、「耳当たり」も自然です。

私は、「他の」ヘッドフォンに付属していたビロードのきんちゃく状の袋に入れて、一昨日までの四日市行きにも持参しました。

だから、危険を全く冒したくないなら、

自分の部屋でiPod音楽を聴くための製品と割り切った方がいいでしょう。

*****

(もうわかりましたよね、「音楽性は凄く違う」けど、「音楽を聴きながら」人ごみや電車へ「外出する」際に最高の機種と私が考えているのがどの製品か。

消去法でわかりますけど、「その製品」については敢えて直接書かずに、この、知る人が日本では「一層」限られているであろう製品の紹介を持って、代えさせて頂きます)

*****

ただ、Joshin Webさん、あの宣伝文句じゃ、クラシックファンがそっぽを向きますよ!!

もの凄いのは、少なくともiPod直結で聴く限り、

ロスレスかAACか、それどころかコピーするCDの音源が新しいか古いかすら全く関係なしに。異様なまでの生々しさですべての音楽ジャンルが聴こえることです。

アナログ時代の、しかも70年代ぐらい録音された、特に優秀録音といわれていたわけですらない、「マルチ録音の」オーケストラ曲を聴いてみるとわかります。

木管楽器のソロが、決して「音像肥大」せずに、適切なサイズで、間接音成分やホールトーンまで、信じられない「臨場感」で聴こえること!!

アコースティック音楽についても、恐ろしく繊細にして、恐ろしく解像度が高く、同時にバリバリのハードロックまで、迫力満点で「熱く」聴けます!!

.......というのが適切な宣伝文句でしょうね。

******

新品は一見少し音がハードに堅く聴こえる人もあるかと思いますが、2,3日の鳴らし込みで、ayuの最新アルバムも、まるで「現実のライブすら超えるくらいのライブ感」で、激しく、しかも繊細に(!)聴けると私は感じてますが!!

もっとも、例えば、浜崎あゆみ MaxiCD【Fairyland】同じマキシシングル収録なのに、実は"alterna"の方が"fairyland"より「遥かに」音がいい、どいうことまで容易に聞き分けられてしまいます(^^;)

要するに、デジタル録音で、録音時点での、マイクやコンソール、音のチューニングやミキシングに問題があると、それはむき出しで露呈されるようです。

その意味ではデジタル録音のスタジオでのモニタリングにおいても最高の機種の一つでしょう。

古い録音でアナログへのリマスタリングが「平均的」水準に達しているものの方がよく聴こえるわけです

******


もとより、現段階では、フルサイズのiPodの第2-第4世代機で、しかも「補助バッテリー付き」であってもなくてもいいから)家庭用電源から「切り離して」聴いた場合に限定した感想です。

しかし、これで、パソコン本体はWinでもMacでもいいから持ってるとして、

一番値段の高いIPod最新機種とあわせても実売10万前後

という、信じられないコスト・パフォーマンスことになります。

私の場合、これを超える音楽体験は、知人の紹介で、さるオーディオショップの試聴室で、LINNをはじめとするヨーロッパ最高級のビュア・オーディオの組み合わせ(1000万に乗っていいたかも....)でクラシックを聴いてみた時だけだということ。

*****

ただし、

以前書いたことを繰り返します。


「あなたの耳が」

確かに凄いと感じたときだけ買って下さい。


私は、ただの「情報源」になりたくはありませんので。

AVアンプへのリンク

2006/01/02

ブログのカテゴリー分けをより具体化させる形に徐々に更新していきます(第10版)

@niftyのココログって、一度凝り出したらカスタマイズがし放題に近く、しかも文の長さにも制約がないので、ある程度HTMLタグを自分で打ち込めるくらいのホームページ制作能力があれば、凝り出したら切りがないのが特徴です。

同時に複数のカテゴリーをいくつ指定してもいいし、オリジナルカテゴリーも無尽蔵に作っていいみたいなんですよね(^^)


私のブログって、私の文章の「ワープ」的越境能力をとことん駆使してやろうという方針ですから、一つの記事について10幾つものカテゴリーを設定するという「荒技」を駆使してきました。

しかし、現在の@niftyココログのシステムからすれば。例えば「心理学」「心理療法」「精神療法」「カウンセリング」「開業カウンセリング」「サイコセラピー」「セラピー」などというふうに微妙な表現の間の違いでも、例えばこれらの言葉と「ヘッドフォン」との間にある差異と同じくらいに、「意味論的差分」の上で等価的/並列的に別のカテゴリーになってしまうことにもなります。

私はこれを、インターネットが「フラットランド」と呼ばれるものであることの「諸刃の剣」の側面についてのひとつの理解であると思っています。

ちょっと難しい言葉でいうと、「階層的分類」というものには、実は凄く個人的な側面があり、どうしても、誰もが納得する分類分け(パソコン風に言えば、「ツリー構造」)などあり得ないということになります。

その意味では、実はカテゴリーのパーソナライズを、完全に増えるに任せて野放しにしている@niftyのココログの方針は、「現実主義的に見て」、無難でしょう。さもないとクレームの山に忙殺されてしますでしょうから。

****

もっとも、記事をアップする前に、内容から自動的にカテゴリー「候補」を選び出し、作者に表示するまでなら、単語のデータベースとかと連動させれば、今のサーバー管理コンピュータでも容易にできるでしょう。

もっとも、アップロードまでのトラフィックがいよいよ渋滞する危険は高いですが(^^;)

しかし、今のコンピュータは、まだ、文章の本格的な「意味論的解析」という点では、まだ開発の歴史の初期段階なのは確かでしょう。最優秀といわれる自動翻訳ソフトの現状をみればどなたもお分かりですよね(^^)

「心理療法用語をまるでひとつも使わずに」カウンセリング関連の奥深いエッセイを仕上げるなんて、少しキャリアをつめば、ある程度できるようになりますから。


******

いずれにしても、私のブログ、カテゴリーの設定の個別化・具体化・パーソナライズという点では、これまでほとんど手を付けていない分、新たな読者の皆様を増やし、読みたいタイプの記事を過去に遡って検索して頂くには実に不便な状態だったと思います。

なんらかの意味でカウンセリング・マインドに関わる記事については、敢えて「手作業で」、「ウェブ上のカウンセリング論集 index」を制作してあり、右側(この点改訂)のテーブルの、ずずずず〜っと下の方に常設の入り口があります(以外と気づかれてなかったりして)。

でも、これじゃ、純粋の音楽系、例えば「J-POP」や「歌手別」の検索や、「オーディオ系」の記事は、はみ出してしまうわけですよね。


*****


そこで、本日、オリジナルカテゴリーの大量設定に踏み切りました。

先ほど述べたような理由で、極論すると、「心理療法」「精神療法」「サイコセラピー」「セラピー」という用語の間の違いですら、これらの言葉と「ヘッドフォン」「HDCD」という言葉の間にある差異意味論的「差分」の上で「等価」というのでやむなしというのが@niftyココログの「方針」(個人の「パーソナルな世界観」を尊重する開かれたネットワークを目指す限りこの方針はぜひ守り続けて来ださい!!)のようである限り。

私は敢えてこれらの「同義」の言葉を並列的に別のカテゴリーとして登録することに決断しました。

カテゴリーのリストがかなり長大化することは、どうか皆様お許しください。

なお、この記事で「だけ」、今後私が普段使用するカテゴリー「ほとんどすべて」にリンクを張っています。@niftyココログの「標準カテゴリー」の中で、ここにに含まれていないのは「ギャンブル」「スポーツ」「ファッション・アクセサリ」「グルメ・クッキング」など、ほんの幾つかということになりますが、こらら幾つかのカテゴリーですら、過去すでに適切と判断して使ったことがあります。

「ギャンブル」で意識的に私がどの記事でリンクを張ったか、すぐに思い当たる方は、相当ディープなこのブログの読者の方ですね(^^)

しかし、こういう「告知記事」でそこまで含めるのはそのカテゴリーの読者に迷惑なだけと考えて、敢えて今回は外しているだけです。

普段はもっとすっと短いので、どうかご安心を、

******

もっとも、私のブログの場合、個々の記事について、カテゴリーの再分類をするのは、なにしろこれが1年ちょっとなのに、すでに272件、しかも長い文が多い私のブログの性格上、とても一気にはできません。

最近の、しかも皆さんの関心を引く度合いが高そうな記事からカテゴライズの再構築をボチボチしていきますので、どうかじっくりお待ちください。

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