フロム

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/08/24

「双極性II型」気分障害と高度成長期との関連 -星飛雄馬や矢吹丈や岡ひろみのように生きてしまうこと- (本文第4版のまま 最終更新)

 安易な「世代論」は慎みたいのだが、現在40代までの世代のうつ病のあり方が、以前とは異なってきていること(いわゆる「非定型」うつ病や「双極性障害II型」と診断を受ける人が増加していること)を検討する上で、やはり必要な観点として、ちょっと大胆すぎるかもしれないことを、敢えて書いてみたくなった。

 日本の「高度成長期」とは、狭い意味では、オイルショック(1973)に至るまでの1955年から1973年までの18年間であるという前提で以下の話を進めたい。

 そして、「高度成長期に育っている」世代というのを、私なりの、やや強引かもしれない境界線として、少なくとも小学校時代全体を1973年度までに終えていると設定することに同意していただければ幸いである。

 そうなると、単純計算で、そうした世代の一番若い人間は、1961年(昭和36年)生まれであり、今年度(2009年)のうちに満48歳を迎える人間であるということになる。

 更に、上限も規定しよう。高度成長期に突入した時点(1955年)で、いろいろな幼年期の記憶が残りはじめていることが確実な年齢層。それを3歳から5歳ごろと仮定すると、2009年現在は58歳から60歳の人たちということになる。

 この範囲におさまる人たちは、まさに12年=1世代である。いわゆる「新人類」世代といわれるものと、実にぴったり重なることになる。

 現在では、この世代の人たちが、社会を実質上動かす「壮年期後期世代」として活躍していることになる。一世代ばかり上には「団塊の世代」が今も「ボス」として君臨していることになるわけだが。

 この世代の人間は、子供時代の重要な時期を、未来に向けての「人類の進歩と調和」を疑わず、日本もどんどん経済成長する中で、「親がすでに獲得した立ち位置で、更に努力を重ね、精進していけば、会社での昇進や事業拡張に伴う収入増加と、家庭の生活水準が向上していく」ことを非常に楽観的に信じていられる中で育っている。

「会社のために尽くせば尽くすほど、その忠誠心に応えて、会社は必ず自分に報いて生活水準の向上をさせてくれる」

ということを素朴かつお人よしなまでに信じていられたという点では、高度成長期のサラリーマンは、バブル崩壊以降、リストラ等の現実に直面し辛酸を舐めて来た世代に比べると、信じがたいくらいに純情ですらあり、(敢えてこの言葉を使わせていただく)日本的な『甘え』の構造に、骨の髄まで浸かっていたと思う。

 このわずか十数年の間に、年功序列も有名無実化し、終身雇用制度も風前の灯の「実力主義」の生き馬目を抜く競争社会に日本も急速に変貌してきた。

 天下泰平の江戸時代の武家社会以来命脈を保って来た、「忠義には恩賞で応える」という職業倫理観そのものがもはや崩壊してしまった。

 日本における古典的な「うつ病」のあり方が、実は欧米社会のそれとは、メンタリティが一見似ていて内実は異なる点が得てして見落とされている。中井久夫先生が「分裂病と人類」の中で指摘しているがごとく、うつ病の病前性格とされた「メランコリー親和型性格」とは、欧米(この概念をテレンバッハが生み出したドイツにおいてですら!!)では、当初から、むしろあまり高い価値づけを与えられるパーソナリティ・タイプではなかったのである。

 (私が目にできた範囲では、このことに真正面から言及しようとしている文献に最近の著作でなかなかお目にかかれない気がするのだが)日本における狭い意味での「古典的な鬱病者」とは、実はこうした、すでに過去のものとなった「会社への『忠義』が報われる」という社会システムへの過剰適応者に生じる失調形態であり、今や、古き良き日本の職業観に基づき生きてきた、すでに60歳より年長の世代に固有の「社会的性格」を担う人たち(および、その世代の「超自我」を、不幸にしてもろに転写する形で受け継いでしまった、「すでに時代とズレた」メンタリティを持つ、後継世代の中の一部分 を占めるに過ぎない人たち)に、かろうじて残存しているに過ぎないと考えるべきなのである。

 はっきり言う。このことに、うつ病についての著作を書く現在の日本の精神科医の先生方の多くがなかなか(少なくとも一般の人向けの)著作の中で言及しないのは、ひとつにはDSMというアメリカの診断基準を「治療的輸入文化」として「丸呑みに」受け止めるという、未だにアメリカという「親」への媚びへつらいから脱却できない、主体性に欠ける精神医学観しか持ち得ていないまま、「未だに『戦後』をやっている」状況から抜け出せていないためであり、フロムやリースマンの水準での超古典的「社会的性格」論ですら実は掌中にしないまま、せいぜいありふれた社会評論家の水準でしか現代社会を論じる力がないままに、目の前の患者さんと漫然と会い続けているに過ぎないということであり、医者自身が無意識的に身を浸している、「ある世代(特に「新人類世代」)より上の指導的職業人一般に共通する」職業倫理観を「相対化」して「突き放して」見つめなおすというパースペクティブを確保しえていないということかとも思う。

(もちろん、すでに日本における「超古典」の域の中井先生ないし神田橋先生によるものでなくても、こうした点での大局的洞察力に富んだ、「ポスト中井世代」の精神科医の先生方の近年の著作も確かに幾つも存在するようだ。それらについては今後の記事で紹介しながら、私の問題意識と重ねた詳しい考察を試みるつもりである、・・・・・そもそも、私が今書いているこの記事を「インスパイア」したのがどの先生のどの著作かまで具体的に「言い当てる」ことができる慧眼な読者の皆さんがおいでになっておかしくないはずだ。ただ、何と私はその著作を現在私自身が「まだ所有していない」ままなので[追記、購入して、書評の連載をこちらから始めています]、その先生がすでにその著作で具体的にお書きの細部と私の今回の論考が重なるのかすらわからないまま「見切り発車で」とりあえず書いてしまっているのである!! ・・・・ヒントを出すと、今回の記事は、中井先生や神田橋先生の「後継者」の呼び声が高い、熊木俊夫先生の著作をヒントにしているわけではないので、念のため!! 熊木先生の代表的著作については、遂に入手しましたので、遠からず何かこの場で書ける具体的スケジュールに入りました![追記:書きました]。あと、ほんとは、中井先生に代わって今や少なからぬ現場精神科医の尊敬を一身に担っているという濱田秀伯先生の大著「精神症候学」を精読するのがひとつの小さな夢なんだけど、までスケジュールに入れられる段階ではないのです・・・・つまり濱田先生の「洗礼」を著作水準ではまだ受けていないのであるし、この記事の内容とも直接の関連性はないはずである )

*****

 もっとも、「新人類世代」は、高度成長期においては、まだ十代ないしそれ以下の「扶養家族」であり、本人自身はまだ実社会に出た「就労者」ではなく、家族の生計の当事者ではなかった。実はこの点こそが肝心である。

 現実社会の中で「努力と根性」で生きて、一家を支えているのは、戦前(昭和10年代=1935年前後以降)・戦中に生を享けて、戦後初期の貧しさの中で子供時代から十代を過ごす中から、死に物狂いで家の生活水準を上げてきた「親世代」なのだ。

 新人類世代の人の子供時代においては、「努力と根性」の果てに立身出世するという倫理は、自分がそれをやるかどうかは別として、ひとつの「理想像」としては、結構素直に受け入れられていたと思う。まさに「巨人の星」「エースをねらえ!」を子供時代から十代前半に堪能していた世代そのものなのであるから。

 ところが、それはあくまでもひとつの「ファンタジー」ないし「自我理想」として存在しても、自分の身にひしひしと差し迫るリアリティとしては体験していない。

 そうした中、当時の子供にとって、唯一の例外の「努力と根性」へのプレッシャーを社会から否応なしに受けるリアルな場が、現在よりも「遥かに」過激な受験戦争だったろうとは思う。

  しかし、(敢えて言わせて頂ければ)受験勉強というのは、一度乗っかってしまえば、ゲームの上達と同じような、シンプルな仕掛けの「バーチャルな」次元での競争であるに過ぎない(ネットゲームやセカンドライフ的仮想世界では、ある種の「対人関係スキル」がある程度問われることは否定しない。ここでいう「ゲーム」とは、あくまでも、「スタンドアロンな」ゲームの場合である)。

 受験とは、複雑な人間関係や駆け引きなどへの対処を含めた、実社会でのサバイバルや栄達までの修羅場で必要な、複雑で多次元の「全人的能力」の総合性が試されるフィールドではないのだ。

 いくら「学歴信仰」が今よりも強い時代だったとはいえ、大人になった自分が「実際に」世間の荒波に飲まれてどこまで「通用するか」とは別次元の問題であることなど、子供心にもうすうす懸念していたことが多かったはずである。

 つまり「勉強ばかりさせられる」ことだけで、大人として通用する未来が開けるわけではない筈だと、心のどこかで気づいていたのではないかということだ。

 大人になって、世の中を生きるとは、そんな単純には行かないものでないか?

 だからこそ、多くの子供は、受験勉強にばかり縛り付けられることに、自分の未来への、漠然としてはいるが深刻な危機意識の中で「抵抗し」、ほんとうは、何か別のものをこそ、大人から吸収したかったのではないかと思う。

*****

 そういう中で、自分が成長していく上で見習っていく先達=「大人」としての手本を、その世代はリアルワールドの中では見失っていたのではないかとも思う。

 いわゆる「ポスト全共闘」しらけ世代にあたる、自分より少し年長の、大学生から社会人になりたての世代は、自分の目から見ても、「身体を張って生きてきた」親世代そのものに比べると、心優しいけど、どうにもこうにも軟弱で、「お兄さん」「お姉さん」ではあっても、「大人としてのあり方」として憧れるというのにはイマイチだ。

 そういう、自分よりも少し年長の世代にあたる「物語上の」主人公たちが「努力と根性」で社会に巣立っていくまで支え、見守り、鍛え上げる、更に上の大人世代・・・・まさに星一徹や宗方コーチの「大人としての厳然たる存在感」がなかったならば、その種の成長ドラマは、子供にとっても、全然魅力的なものとはならなかったはずである。

 しかし、自分の親そのものは?・・・・厳しい小言はいうけれども、少なくとも家庭で見るその姿は、経済的豊かさを「消費」しながら、休日はぐったりと横になっているばかりで、全然かっこよくない(ほんとうは、多くの場合、職場では地道にその人なりに奮闘していたであろう、親の大変さまでは子供にはリアルに実感できないのだから)。

***** 

 私は、この「新人類」世代の人が鬱になる場合は、それ以前の世代の人が鬱になる場合と比べても、すでにかなりの傾向差があるし、更に「新人類」世代以降になると、更に別の傾向を示すのではないかとも感じている。

 大雑把過ぎるのを承知で、敢えて大胆に言うならば、「新人類世代」=特に「双極性2型親和的」な世代ではないか?・・・という思いが私の中に生じてきているのである。

 古典的なメランコリー鬱病親和的な人たちは、「新人類世代」になると、ぐっと割合が減り始め、それと交代するかのように、「双極性II型」と診断される人の率が増える・・・・という仮説である。

 現状では双極II型の診断を日本の精神科医の多くが十分に的確にできるまでの「途上段階」に過ぎないので、日本における「双極II型」と診断される患者さんの年齢別・世代ごとの分布の統計が、もし仮にあったとしても、十分に信頼できる水準のものが日本にあると言える段階ではないかもしれない。

****

 しかし・・・・・ふと思ってしまうのである。

 星飛雄馬は、大リーグボール3号を編み出しこそしたものの、それはまさに「身を削る」投法に他ならず、最後には腕の筋肉が断裂するという形になったではないか。

 矢吹丈にしても、そうだ。ホセ・メンドーサとの死闘の後で、皆さんご存知の通り「真っ白な灰」になった。

 岡ひろみも、宗方コーチの死のショックから立ち直って、再びウインブルドンに旅立つまでに、どれだけぼろぼろな日々を送ることになったか。.

 この3人の生き方って、もう、びっくりするくらいに、双極性II型気分障害に陥った人の「現実の人生」と類似しているのではないか?

 双極性障害II型の人に内在する超自我は、まさに「星一徹」や「宗方コーチ」のような超然たる厳しさを持ったものではないか?

 そうした「内的コーチ」の期待と信任に応えるべく、極限までの努力を孤独の中で重ねて、遂には燃え尽きる・・・・

 (宗方の死で幕を閉じた、アニメのTV版「新・エースをねらえ!」あるいは劇場版「エースをねらえ!」しかご覧になったことがない皆さんは、原作の物語がその後延々と岡ひろみの「リハビリ」の過程(!)を描き続けたことまでご存じないかもしれません。実は、原作における宗方の死以降のストーリーも、原作とはかなり異なる展開ですが、かなりたってから、実に丁寧にアニメ化され、2クールかけたオリジナルビデオアニメシリーズという形で発売されています(「エースをねらえ! 2」 「エースをねらえ! ファイナルステージ」)。もっとも、その後衛星放送やCSや深夜時間帯で何回も放送された筈なので、そういうきっかけでご覧になった皆さんもあるかとも思いますが)

*****

 こうした、「新人類」世代の子供時代のヒーロー、ヒロインが「努力と根性」の果てに燃え尽きていくドラマを、あたかも自分自身が現実の中で再演する「かのようにして」、結果的に生きてしまったのが、双極性障害II型の人の生き様である・・・・という、大胆な仮説はどうだろう?

「現状がいかにしょぼくて、疎外されたものであろうとも「努力と根性」さえあれば、いつか報われるに違いない」

「 ・・・・・その前に、自分程度の者は、燃え尽きてしまい、安住の地にたどりつけないのではないか?」

「でも、このやり方しか自分にはできないんだ! きっとそのうちに誰かが認めてくれる・・・」

「それにしても、この、一見のどかで平和な時代って、何か、ふわふわしていてさ、生きている実感に乏しくて、どこか「嘘くさく」ないか?」

「きっと、「ほんとうの現実」っていう奴が、どこか別のところにあるんだよ」

「もし、そこに待ち受けているのが悲劇の幕切れであろうとも、自分が「ほんとうの現実」に触れた充実感に出会えるのならば、それが一瞬の花火でもいいではないか!」

・・・・まるで、徐々にパンチ・ドランカー症状に苦しみ始めた矢吹丈が、試合の前に、川辺で(ジョーを慕っていた)紀子に語った、かの有名な「真っ白な灰になる」という結語に至る一連のセリフみたいであるが、双極性II型の皆さんの中に、ある共感を抱いてくださる方が少なからずあるのではないかと思う。

 そして、そういう生き方が、自分を苦しめ、燃え尽きることを繰り返す双極性の病に陥らせたことへの、砂を噛むような不毛感も。

●あしたのジョー2 傷だらけの栄光(YouTube)

****

 もちろん、こうしたことを「テレビやマンガの悪影響」などという次元で私は語っているつもりは全くない。

 (恐らく、ここで書いてきたことは、「メディアの子供への悪影響」という論を張るのがお好きな人たちにはむしろ絶対に思いつけないし、お知りになったら「呆然とする」見解(?)であろう。星飛雄馬や岡ひろみの生き方を「不良」で「不健全」呼ばわりする人など、そういう人たちの中にこそ、一番いそうではない気がするので)。

 私が伝えたいのは、そうした人たちが子供時代を過ごした社会全体の「時代の空気」豊かさと、「成長」幻想の影に隠された不安と焦燥)との「隠された」親和性の問題である。

 この世代の、少なくともある一定範囲以上の人たちが、社会に出るまでの間の成長過程で育んだ、「成長」や「自己実現」の理想化されたイメージと、大きな共振作用を起こす形で、こうしたヒーロー・ヒロインの物語上での生き方として社会的=象徴的に「表象された」のではないか?

(このようなメジャーな雑誌に連載される、すでに人気が出た物語の原作者というものは、その時代の読者層をいかに感動させる物語展開にするかにこそ、神経をすり減らしているものであることはいうまでもないでしょうから)

*****

【追記】この記事を書くヒントは、

内海健/うつ病新時代 -双極2型障害という病-

実際には1ページも読んだことがないままに、amazonにおける本書についてのいくつかの書評からのみインスパイアされたものです。

 書評をお書きの皆様(特にSeaMount様)に厚くお礼申し上げます。

 すでに内海先生の本を「実際に読み」ましたが、この記事を「後出しじゃんけん」で増補改訂することは一切しないことにしました。

*****

※関連記事

●胸がすく思いの名著!! ・・・・内海健 著「うつ病新時代 -双極性II型という病-」 書評 (第1回) 

2009/9/14 NEW!!

●若手カウンセラーの方が、私たちよりも「したたかに」実力をつけていくのではないかという、大いなる期待(・・・実は「おゆとり様」世代の大肯定論です)

■Amazonの関連商品:巨人の星エースをねらえ!あしたのジョー

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2007/12/23

現代の「渡世人」「渡り職人」としての「派遣」

●【断 大月隆寛】「ハケン」と矜持(msn=報知)


 大月氏の意見は、一件逆説的極論のようだが、ただ待っていても、派遣依存の雇用構造は変わらない。

 私としては、正社員として会社を転々としてキャリアアップすることが一般化する時代までの過渡的現象となるとみているが。

 しかし、そうなると、もはや高度成長期に終身雇用制の中で働き、家族を支えた時代の「倫理」そのものがもはや通用しないと言うことになる。家族関係も、社会的モラルも、勤労道徳も、当然、新しい形に変容していくだろう。

 価値観や道徳の復古主義はあり得ても、経済構造の復古主義は、もはや誰も主張していないことは、苦笑すべき現象かもしれない。

 そうなった時、終身雇用制社会において「不適応者」だった、各世代の人たちの中から、次の世代の「働き方」を見つけ出す、名もなき先駆者、中島みゆき - 短篇集 - 地上の星「地上の星」が次々現れるだろう。


*****


 以下の2冊は、「社会的性格」論(その社会において典型的な人間の性格)の基本文献。

 社会的性格論は、歴史の中における価値観の変遷のベースラインを俯瞰的に眺める上で、非常に示唆に富む視点を提供してくれる。いい、悪いではなく。

 しかし、現在では、入手困難状態が続いている。私の大学学部生時代の愛読書で、昔はあちこちの本屋にあったのに。


フロム/人間における自由("man for himself")


リースマン/孤独な群衆

 フロムの上記の著作は、かの「自由からの逃走」よりもよほど学問的に重要なはずだけど.....

2007/10/01

msn産経化(?)

 郵政公社開始以上にネット界での話題かもしれない。

 私はmsnに最初に告知が出た、数ヶ月前のその日に気がついていたのだが、マイクロソフトは何を考えているのか、日本でのマイクロソフトやWindows系パソコンのシェアにすら影響しないかすらと感じた人は少なからずいて、とっくに議論が山のように出た事柄とは当然認識している。

 ちなみに毎日新聞側は、毎日jpサイトを今日から新規開設している。

 ともかく、日本の「ネット」社会の、報道に対する意識についての歴史的(?)実験かもしれない。他のマスコミが報道するかどうかが、みものである。

 私のブログでは、この記事を参照。(とりあえず)。

 BGMはもちろん宇多田ヒカル - Beautiful World / Kiss & Cry - EPこのアルバムの一曲目です。


*****


 かつて小林よしのり氏が「参考になる」と誌面のはじっこで明言した「八王子の阿世賀浩一郎」(当時)によるすてんからーじん!!イズム宣言の運営・執筆する、当サイトより!!

Stenka Rasin!!


 最後に、

ファンファーレ!!  Eder Quartet & Dmitri Shostakovich - The Very Best of Shostakovich - Festive Overture(ドミートリイ・ショスタコーヴィチ/祝典序曲)

2006/02/11

とことん興味本位であることが本当に「身につき」「使いこなせる」」(+ iTunes Music Store の隠れ技、公開!!)(第9版)

最近一時期の書き込みのペースが落ちたとお感じの方もいるかもしれませんが、別に本業が忙しくなって来たからではありません(^^;)。

「顧客さん」を「増やすために増やす」つもりでのネットへの投資はあまりし過ぎたくないし、マジ、体調の関係で、もし今の2倍のクライエントさんが来たらまだ身体が持たないでしょう。

むしろ、当面書きたかったことを「やっと」かなり書き尽くしてそれなりに満足したというのが大きい気がします。

*****

本業そのものは「ぼちぼちでんな」というところで、時間が空いた時は、読書などの、ある意味では「先行投資」的活動の方が多いでしょうか。

ちなみに、その多くは歴史書や日本/世界問わず、歴史関係の20世紀半ば頃の代表的かつ独創的な研究者の著作か、日本語訳だけど「超古典」に属する「原典」ですね。

例えば、今の今、並行してかわるがわる(! )読んでるのは、まずは、

gariasebki
カエサルの「ガリア戦記」

キリスト生誕を遡ること50年前、「紀元前」に、実際戦争の将軍をやったカエサル(シーザー)「本人が」刻々と「戦況報告」としてローマの元老院に送ったものをその直後に本人が推敲したと考えられている!!

古典ラテン語の代表的教科書であり、その簡潔な、主観を排した文体は「歴史記録の鏡」とまで言われる。

キリスト教以前の政治家がどういう倫理観で、すでにローマの脅威になりつつあった「ゲルマン民族」および、ゲルマン民族とローマとの板挟みにあった、今で言うフランスにあたる地域の「ケルト民族」をはじめとする「先住民」という、異世界の族長や将軍たちと、実際戦闘に入る前に、どのような賭け引きや裏交渉をしたのかまで生々しく伝わる、統計的数字にも誇張がない、カエサルその人が、恐ろしく「醒めた知性」の持ち主だったことが伝わる、ある意味で凄い本である。

欧米人の根底にある異文化相手の国際政治観/戦争観を、古代最高の軍事制度システムを持った「超大国」の、これまた最高の現実主義的「政治的/軍事的知性」を持った人間が、自ら書き残しているという意味で、この本など、今の時代にこそ、日本人に読まれるべきだろう。

なお、「ケルト民族」は、こうしてローマに支配が及ぶ中で、今で言うフランス中部あたりからブリテン島や今で言うフランスの辺境地区などに本格的に移住。

【Rock/Pops:エ】エンヤEnya / Watermark (CD) (Aポイント付)エンヤの音楽で一気に日本でも脚光を浴びたケルト人(=実はローマ人にとっての「ガリア人!!」)は「イギリス由来の」ものでは「ない」のだ。wikipediaによれば、インドに近い中央アジアから移動して来たケルト人そのものが先住民を制服し、現在フランスの中央部にあたる地域を占領し、一度定住したたのである。

その「一部」が「将軍」カエサルをはじめとするローマ帝国の拡張もあり、以前から進出していたブリテン島とアイルランドに「本格的に」移動し、先住民をまたもや征服して定住、そして更に後から流入して来たアングル民族、サクソン民族に支配の優位を明け渡す、しかし、イギリス/アイルランドをはじめとして、今もケルト語系の言語を日常語とする層が、何十万人もいるのである!!

実は、文字文化を当初持たなかったケルト人が、ローマの進出の中で世俗化し、方言化したラテン語を早くから話しはじめた場所にこそ、例の「中世ロマンス語」圏の成立が始まるのである!!

keltojinnnogariasenkiちなみに、ケルト人の立場で史料を読み込み、ローマから「侵入される」過程をとらえてみた、
「ケルト人のガリア戦記」(原修二 著) という本、届きました。図版も豊富で、ケルト人側だけではなくて、ローマ側の文化や政治機構についても客観的、かつ、劇画タッチの図版盛りだくさんの視覚的に訴えるやり方で解説してある、「ガリア戦記」の副読本としてこれ以上考えられないくらいの絶対のお勧め本

***

次に、

sezokushijindante
アウエルエルバッハの「世俗詩人ダンテ」と、

ブルフィンチのシャルルマーニュ伝説「シャルルマーニュ伝説」です。

コーラン(上)改版コーラン(中)改版コーラン(下)改版井筒俊彦訳「コーラン」はいつ届いてもいいはず。

私にとって「世界史」って、受験勉強ではなくて、そういう興味本位の読書で形成された「好きなもの」です。ただ、なぜか、「歴史小説(ふうのもの)」はほとんど読んだことないです。


でも、気がついてみると、後にイスラム教の影響も強く受ける「南ヨーロッパのロマンス語地域」という一点で、私の最近の読書傾向は「交差」してます
ね(^^;)。

ほとんど「ロマニスト」です。

「ロマンティスト」ではなくて、

「『ロマンス語系』文学研究者」のことらしい。

上述のアウエルバッハの本は、『神曲』はヒルティの影響でとうの昔に手元にある(「天国編」は読まないまま)ので、「ダンテ関係」ということで「勘」だけで楽天ブックスで選んだんだけど。

実は今世紀最大の「ロマ二スト」の処女出版らしい。しかし、これを「楽しく」読める人は相当歴史や哲学思想に「ロマン」を感じて自分から接して来た人だろうと思う。

でも、精神分析の精神分析の方法(1)ビオンの翻訳に比べたら、私には遥かに、遥かに「楽しい」本です。訳者の、かつて心理臨床学会の個人発表で座長をお願いした藤山直樹先生、ごめんなさい(^^;))

*****

大長編ローマ人の物語(1)「ローマ人の物語」で著名な、「学者」の書いた「学術書」ではなく、「歴史教養書」の部類と思われる著作活動を続ける塩野七生も、すでに2年ぐらい前に読んだコンスタンティノープルの陥落「コンスタンティノープルの陥落」だけ。


「ガリア戦記」とか、なぜこれまで私が読んでなかったのがむしろ不思議なくらい。

歴史(上)歴史(中)歴史(下)ヘロドトスの「歴史」

(ギリシャ時代、ペルシャ帝国滅亡後に、当時の中近東地域を「実際に」訪ね、当時のクフ王のピラミッドやスフィンクスの印象、ミイラの製法までこと細やかに書いている。まだクレオパトラよりずっと前の時代、今日の「風化が進む前の」スフィンクスやピラミッドを実際に見ているのである!!)
ゲルマーニア改訳タキトゥスの「ゲルマニア」

(これもローマ時代当時、実際にケルマン民族地域をを旅してはいないが、当時「蛮族」と見られていたゲルマン人を含む北部ヨーロッパ人への敬意を持って書かれた)、
インディアスの破壊についての簡潔な報告ラス・カサスの「インディアスの破壊についての簡潔な報告」

(これまた、何とコロンブスの航海に「同乗」した宣教師という同時代人による、宣教師であるにもかかわらず、披征服民へのスペインの政策を批判し、変えさせようとする政治運動を実際に続けた当事者による「現地報告」)

とかは、高校時代にとっくに読んでるのに。

.....あ、そうか!! 見地を多角的にするには、

中世イスラムの歴史家、イブン=ハルドゥーンの古典的歴史書、

歴史序説(1)「歴史序説」も注文しておこうかな)

****

何か、「ひけらかし」みたいで気が引けますけど、

こういう本をいつも「楽しんで」読む人間が、学校教育の枠にはまらない面があったことは、想像して頂きたくて。

私はこうした「歴史好き」と同じようにして、浜崎あゆみや中森明菜や松田聖子やクラシック音楽や鉄っちゃんやアニメをや実写映画を、

そして「フォーカシングを」

「楽しんで」いるだけなのです。

そして、そういうふうにして(強制ではなく)自分の好奇心のままに「身につけ」た時、人はそれを、「仮面」としてではなく、自分が主人公となる形で「身につけ」られるのだと思います。

「優等生」の中に囲まれているのが、苦手で、もの足りないし。エリート主義者でもない、

自分がなりたいものになってきた(注:ただし現在進行形)その成り行きで、現在ただの「在野の一臨床家」をしていることに心から納得している私の心境をお伝えしたいだけです。

これが、「健全な」自己愛を育んだまま、強迫性ともまた別な探究心を失わず、「時には」したたかかつ自由に、「社会的ペルソナ」を使い分けることそのものを「遊んでしまう」生き方、ということになるかもしれません。

そこには、劣等感コンプレックスの裏返しとしての、みせかけだけ自分を「人より上位の」人物に見せたい欲求など(時には生じても)、

結局、

「ズル」や「カン二ング」で動くのは『つまんない』や」

という気持ちの方が勝ってしまい、

「ね、ね、僕、すごいでしょ?」

と、まわりに無邪気に「ほんとは」思わず口走りたい、3,4才の頃の私が、ただその上に「経験値」を積みあげると同時に「年食った」だけの存在として、そこにいるのだと思います。

(直前の部分、第3版と第4版で表現を大きく変え、タイトルも変えさせて頂きました。今の今、「はじめて」言葉にできたことです)

そして、

浜崎あゆみが、今、

「みんなに見せたい『景色』」

とは、

そのことではないかと。

「オリジナリティ(originality)」って、

「本来的、始源的」

ということであり、

「人と違う」

ということとは本来関係ないんではないか?


(以上、第5版で追加)


******

さて、話題を変えます。

「検索ページ上位掲載率増加」のための対策にも、信頼できる「大手の2社」に投資していますが、それも「むやみな掛け金」ではないんですよね。金を積めばもっとアクセス数増えるのはわかってます。

楽天から得られる「楽天通貨=ポイント」の収益は、私は次第に何をどのように、どのようなやり方をして、楽天を通して(通さずに)買うと、「必要な、今後絶対投資した見返りがあるもの」を買えるか、のコツが見えてきました、

もっとも、もう、本以外はこれからの自分の生活に必ず役立ち、「減価償却」できるか(税理士事務書取り仕切ってた父が、私が母親の胎内にいる頃から、何千回、何万回も、繰り返し口にする中から「理屈抜きにしみ込んでいた、「経営用語」である)という観点から揃えたかったものは揃えたので、むしろ楽天での買い物額自体は一時期より落ちているでしょう。

アフィリエイトは、自分が紹介したい商品を紹介しているだけですから「料率狙い」はほとんど全くしません。(「一カ所だけ」意識的に本部トップページでやってます)


ところが、楽天の方、気がつくと、やり方次第で結構ぎょっとするポイント還元が得られる「からくり」も自分なりに見えて来た気がするのです。

(例えば、毎月、小額でいいから各コーナー「満遍なく」利用するとか。私は「ゴルフ」と無縁なので「倍率5倍」までしか持っていけないのが残念ですが)

いきなり「ひと月○万ポイント」に跳ね上がって来て、驚いているのです。

こうした「どっと還元された」分については、どうしても読んでみたいけど価格の関係で先送りしていた本(中古市場/フリマも点検する)や、「効果」確実で継続購入することにした消耗品(消臭剤とか)のまとめ買いなど、「確実な先行投資」にむしろ「手堅く」使っています。

*****

CDは、ayu以外で、よほどの高音質で聴きたい場合を除いては、すでに繰り返し触れるようになったiTunes Music storeでまずは探すように急速に変化しました。

ただ、もともとクラシックはかなり偏ってるし、J-POP系はアーティストによってある人とない人の格差が、今の段階では日本人向けには極端で、まだ日々刻々とレパートリーを増やしている段階ですね。

でもこのレパートリーの幅の問題が「ある程度」解決した瞬間、

若い世代は

「音楽を聴くためにiPodを多少無理してでも買う」

時代に雪崩式に一気に流れ込む

かもしれません。

中島みゆきはCD高めのままなのに、何と"Singles""singles II"以外「全部」あります。30年かけた30数枚のフルアルバム、そして新譜のシングルまで「すべて」があります。

みゆきは本質はアルバム・アーティストですが、有名曲でもなぜかアルバムにないシングルのみの曲(例えば「「誘惑」)があるので、「全曲購入」に恐らく10曲ぐらい足りないのかな?

あと、ライブの「夜会」シリースは別です。あれは、今や、映像が残っている限り、DVDの映像で売りに出されるべき思います)

浜崎あゆみは、1stと2ndのフルアルバムの内それぞれ何曲かはまだですし、リミックスとベストアルバム、シングルCD時代のB面曲、一部のマキシシングルにしか納められていない曲を除くと「すべて」あります、何より、新発売の"(miss)understood"すら買えてしまう

(ちなみに、「CDの場合」、このアルバムに収録された曲でマキシシングルで先行した曲、すべてリマスタリングされ、音質は向上し、楽器間のバランスとかも再吟味されて統一感が出るようになってますから!! そして、曲順とかにも明らかにそこのひとつの「コンセプト」が与えられている。そして、アルバムでしか聴けない曲にこそayuの本音がストレートに出ているのは今回も同じ。

つまり、ayuも本質は「アルバム・アーティスト」です。だから、今後フルアルバムに「必ず」マキシのプロモーションビデオが収録されるとならば、焦らないならマキシではCDのみで、DVDとセットのを買わないままフルアルバムを待つのも手です。

しかし、ayuの場合は、PVが曲のメッセージを「補完」していることが多いので、ayuの「神髄」に「リアルタイムで」迫りたい人、ayuのためなら出費を無理してもしていいというに人は、今後も、シングル段階での「(CD+DVDのセット買い」がおすすめです)

*****

ITunes storeの話題に戻ります。

このように、最新フルアルバムまでラインアップに既にある浜崎あゆみとは対照的に、同じavex所属でもはや売れるCD枚数も浜崎あゆみより上かもしれず、曲のアレンジ、ライブでのパフォーマンスに至るまで、すでにayuと異質な存在感を歴然と示している、「ほんもの」のアーティスト(本人はこの言い方、好まないでしょうが)である、大塚愛の場合だと、■送料無料■大塚 愛 CD+DVD【LOVE COOK】12/14同時期発売の最新3rdフルアルバム、まだiTunes Storeで出し惜しんでますものね。「ブラネタリウム」もシングルですらまだ。

(この違いは何かというと、浜崎あゆみは満単位の会場での、かなりハードな日程のコンサートツアーでほぼ満員になる「集客力」が今もある(「追加公演」すでに公示されましたものね)ので、「CD では稼がなくていい」、でも大塚愛は、ライブでもお客さんを楽しませる才能はあるが、もっと小さめな会場向きだし、結果的にもチケットでは浜崎あゆみより「稼げない」ので、新作をCDでしか買えない期間を長期化して、CDの売り上げから収入を得たいという、avexのまことに健全な企業戦略の結果生じた違いに過ぎないでしょう)

ちなみに、レコード会社は別だけど、iTunes Storeでダウンロードでき出したら、確実にNo.1ダウンロート数を築くはずの「世界にひとつだけの花」という切り札を持つSMAPは、まだ登録ゼロです!! 会社とAppleの交渉がまだまとまらないのでしょう。

iTunes Store圧倒的に強いのが、「英米音楽、しかもクラシック『以外』系」であることは言うまでもないことのようです。何しろ、「日本の」ストアにはまだPVは一曲も置いてないので、第4世代iPodのビデオ機能は「合法的には」(!)活かせないままなわけです(パソコン用AVソフトで署名な某社は、すでに公然と「コピーソフト」を出してますが)。

しかし、トップページではなくて、「パワーサーチ」の方に回ると、何と倍以上の「隠れジャンル」検索があるんですよ!! これはどの国のiTune storeであるかを「越境した」データベースのようで、日本円で、JCBで、最初のダウンロード契約を国別とかでやり直さなくとも、そんまま購入できてしまいます(たたし、値段設定が日本円ですっきりしてますから、恐らく日本版ではアクセス不能な曲はたくさんあるのだと思います。iTuneを「英語版として」セットアップして、AMEXやMasterのカードで英語で登録するとどうなるかは、まだ実験してませんが(パソコンを2台持っていて、OSも同じにして、ダウンロードした曲のファイルの「置き場所」さえ共有してしまえば、論理的には日本版とアメリカ版、いや、ドイツ版すら動かせるはずで、そうなればクラシックのレパートリーもよほど広いかもしれませんが(^^)、まだやってません。

でも、現状でも、"Germann folk"とか、「日本人の多くに未開の広野」が、首都圏の巨大な輸入盤屋さんをたよらなくても、ともかくそのジャンルの代表的なものはあるみたいです。

****

そういう中で、今私が突如関心を持った「ある」音楽ジャンルが、前回述べた「○○○(中略)○○」です。

などと、「この」ネタ、まだ先送りにして練り込んでからにするつもり!!

ANAエコ割_あなたらしい旅しませんか?_125*125abhotel7ipod_125-125.gif


2006/02/04

「医療心理士」と「臨床心理士」と「医師」についての資格問題の記事、重要な増補改訂

前回の、上述の問題についての記事本日改訂の「第3版」で、重要な増補改訂をしましたので、是非お読みください。

これは狭い意味での「資格相互間の問題」ではなく、

「資格を所持すること」、

そして、

およそ「法的にみて」人を指導する立つ権限を持つこと

全体についての、

私なりの「倫理観」と「実践」具体的に述べた、重要な書き込みのつもりです。

2006/01/10

夢はきっとかなう? -浜崎あゆみ”Pride”に寄せて-(第3版)

私が大学院に入った頃、フォーカシングは(今でもそうですが、今よりずっと)カウンセラーの間でも知られていませんでした。

(今は、「フォーカシング」と「体験過程」について最低限数行ぐらいは書けないと、臨床心理士資格試験の1次試験向け受験勉強としては、明らかに不十分です。つまり、若い「臨床心理士」がフォーカシングについて「何も知らない」というのはモグリです.....と断言します)」

focusing_hyoushi
左サイドの"My Fovorite Books"でも紹介している、ジェンドリンの著作、「フォーカシング」の項でも書きましたが、私にとっては、フォーカシングとの出会いは、それこそ、電撃が走る「運命の出会い」でした。

法政大学市ヶ谷校舎の大学の生協(今はきっとすでに2回ぐらいは店舗改築してて、当時の見る影もないのでは?)で立ち読みしていただけなんですから。

それまでも、おととしだったか、亡くなられた、小此木啓吾先生の著作を入門書とする形で、精神分析の本はかなり読んでいたし、自由からの逃走新版「自由からの逃走」で著名だった、エーリヒ・フロムの本は当時出ていた訳書を全部読んでいました。

(フロムの本で私の一番のお勧めは、"Man for Himself"(当時の翻訳タイトル「人間的自由の本質」です。すでに絶版、図書館で探してください)。

今とは違い、ユングには何かピンとこなかった。

なのに、このジェンドリンという人は、私が読んできた「すべての」心理学者が見落としていた事柄について見事に捕らえている!!!

「言葉にならない曖昧な『感じ』そのもの(=フェルトセンス)が一番大事なんだ!!」

これは、私にとっては、それこそ「ニュートン力学」から「アインシュタインの相対性理論」への跳躍に匹敵する「パラダイム」の変換、心理療法の世界における「大革命」としか思えなかったのです。そのことに気づくのに、ページをめくりだして5分もかからなかったんですね。

しかし、その時の私は、臨床心理の他大学の大学院を受験して落第したばかりの、一大学院浪人生(法政や早稲田や都立大学の正規の聴講生はしていました)に過ぎなかったのです。

そして、何とすでに「先ごろ」受験したばかりの立教におられる村瀬孝雄先生が、前述の訳書にも共訳者として名を連ねる、日本のフォーカシングの第一人者知らないまま、「一回目」の大学院受験を立教ですでにしていたことに気づいて呆然としたのです!!

****

それからの3年間は、先日書いたような、実験心理や行動主義心理学などを含む、心理学全般についての私の学力が独学で上昇して、村瀬先生「以外の」立教研究室の先生方が、

「阿世賀の合格、やむなし」

と「根負け」するまでの我慢比べ(爆)になったわけです。

*****

そこまでが凄かったですよ。2年目の村瀬先生を含む教授会面々を前にした面接で、私は、

「どうして私を合格させないんだ!!」

と叫んだくらいです。

*****

これ、「思い込み」がそれだけ強かったとか、「自信過剰のナルシスト」だからではないのです。

私なりにその段階で日本人の研究者が書いたフォーカシングの論文に目を通してみたら、

「そもそもジェンドリンの著作を『きちんと』読んでいたらこのような『誤解』をするわけがない」

という水準のものばかりであることに気がつき始めていたからでした。

それは私にとっては悪い「冗談」としか思えない状況でした。

たかが一大学院浪人の私が、当時の日本のフォーカシング研究者「全体」よりもジェンドリンを正確に理解している「らしい」

こんなことが許されていいのか!!!

(これは、ある種の「恨み」と「悲しみ」「呪詛」すら秘めた感情です。だって、ことフォーカシングに関しては、ほんとうに「甘える」ことができる「先達」が誰もいないということですから)

私は、その時点で、自分が思いもよらない「十字架」を背負わされたことに気づき始めていたのです。

まさに、● 浜崎あゆみ ”Duty ”CD (2000/9/27)"duty"ですね(^^)

****

この段階で、私は目標を「ステップアップ」し始めていました。

「ここまでは、日本中の研究者に『馬鹿馬鹿馬鹿!!」

と叫びたくなるくらいに「予想外にあっさり」クリアーできた。

もう、日本のフォーカシングの『研究者』として大成するだけでは『つまらない』。

ただのフォーカシングの「トレーナー」にとどまるのも「嫌だ」。

『現場臨床のカウンセラー』としても、第一線で活躍できることを目指そう!!

そこまでたどり着けなかったら、フォーカシングそのものが「無意味」である。

しかし、フォーカシングの可能性は必ず「現場カウンセラー」として役立つものを秘めている。

たとえジェンドリン自身がそこまでたどり着けなくても、私は「そこ」まで目指す!!

精神分析が、フロイト以降、メラニー・クラインやバリントやウィニコット、ビオンなどによって更に発展して行ったように。

フォーカシングを「輸入学問」にさせてたまるか!!

もちろん、日本や世界のフォーカシング研究者や実践家のさまざまな挑戦の中で、「私にとって」ほんとうに刺激的で、可能性を秘めたアプローチはどしどし「参考にする」し、そういう人たちとはお互い刺激し、切磋琢磨しあう「ライバル」関係にすすんでなろう。

でも、何より最後には、「自分の」試行錯誤、そう、私自身が「フォーカシング」を重ねる中で、フォーカシングそのものが刻々と「更新」されていくはずだ!!

「南海の」野村捕手ではないけど、

「生涯1フォーカサー」

であり続けよう.....と。

****

夢を見続けるには、

安易に妥協せず、

(少なくとも心の中では「不満な自分」を認めてあげて(aknowledging))

「絶望」し続けられる「能力」が必要なのです。

(この部分、絶望「しない」能力、と書いていないことがミソです)

時には、妥協した「フリ」だけして、ゲリラ戦的に「チャンスをうかがう」方が効果が゙ありますが(^^;)、

「ミイラ取りがミイラにならない」ようにするのもたいへんです。

そのためのコツは、「自分の盲目的な信奉者になる」弟子を決して作ろうとしないことだと思います。

(私は「さる筋」からの情報で、ジェンドリン自身がそういう考えであることを知っています。単に自分の「寵愛を受ける愛弟子」になろうという人を遠ざけ、他の人には「あの人にはオリジナリティがないから」と本音を漏らす人だということを。私はそれでけで、「自分の限界を踏み台にして、自分の死屍(しかばね)を『食って』、踏み越えてでも、更に先に進め」と本音のところでは思っている人というだけで、ジェンドリンを尊敬します)


私は、見込みがある人ほど、ある意味で「突き放し」ます。

その人自身が、「その人自身」の十字架を背負うことを願って。

****


BGMは、■送料無料 初回盤■浜崎あゆみ CD+DVD【(miss)understood】 06/1/1【11/30発売 新作CD】浜崎あゆみ /Bold&Delicious/Pride(CD+DVD)<2005/11/30>浜崎あゆみの”Pride"でした。

2006/01/02

ブログのカテゴリー分けをより具体化させる形に徐々に更新していきます(第10版)

@niftyのココログって、一度凝り出したらカスタマイズがし放題に近く、しかも文の長さにも制約がないので、ある程度HTMLタグを自分で打ち込めるくらいのホームページ制作能力があれば、凝り出したら切りがないのが特徴です。

同時に複数のカテゴリーをいくつ指定してもいいし、オリジナルカテゴリーも無尽蔵に作っていいみたいなんですよね(^^)


私のブログって、私の文章の「ワープ」的越境能力をとことん駆使してやろうという方針ですから、一つの記事について10幾つものカテゴリーを設定するという「荒技」を駆使してきました。

しかし、現在の@niftyココログのシステムからすれば。例えば「心理学」「心理療法」「精神療法」「カウンセリング」「開業カウンセリング」「サイコセラピー」「セラピー」などというふうに微妙な表現の間の違いでも、例えばこれらの言葉と「ヘッドフォン」との間にある差異と同じくらいに、「意味論的差分」の上で等価的/並列的に別のカテゴリーになってしまうことにもなります。

私はこれを、インターネットが「フラットランド」と呼ばれるものであることの「諸刃の剣」の側面についてのひとつの理解であると思っています。

ちょっと難しい言葉でいうと、「階層的分類」というものには、実は凄く個人的な側面があり、どうしても、誰もが納得する分類分け(パソコン風に言えば、「ツリー構造」)などあり得ないということになります。

その意味では、実はカテゴリーのパーソナライズを、完全に増えるに任せて野放しにしている@niftyのココログの方針は、「現実主義的に見て」、無難でしょう。さもないとクレームの山に忙殺されてしますでしょうから。

****

もっとも、記事をアップする前に、内容から自動的にカテゴリー「候補」を選び出し、作者に表示するまでなら、単語のデータベースとかと連動させれば、今のサーバー管理コンピュータでも容易にできるでしょう。

もっとも、アップロードまでのトラフィックがいよいよ渋滞する危険は高いですが(^^;)

しかし、今のコンピュータは、まだ、文章の本格的な「意味論的解析」という点では、まだ開発の歴史の初期段階なのは確かでしょう。最優秀といわれる自動翻訳ソフトの現状をみればどなたもお分かりですよね(^^)

「心理療法用語をまるでひとつも使わずに」カウンセリング関連の奥深いエッセイを仕上げるなんて、少しキャリアをつめば、ある程度できるようになりますから。


******

いずれにしても、私のブログ、カテゴリーの設定の個別化・具体化・パーソナライズという点では、これまでほとんど手を付けていない分、新たな読者の皆様を増やし、読みたいタイプの記事を過去に遡って検索して頂くには実に不便な状態だったと思います。

なんらかの意味でカウンセリング・マインドに関わる記事については、敢えて「手作業で」、「ウェブ上のカウンセリング論集 index」を制作してあり、右側(この点改訂)のテーブルの、ずずずず〜っと下の方に常設の入り口があります(以外と気づかれてなかったりして)。

でも、これじゃ、純粋の音楽系、例えば「J-POP」や「歌手別」の検索や、「オーディオ系」の記事は、はみ出してしまうわけですよね。


*****


そこで、本日、オリジナルカテゴリーの大量設定に踏み切りました。

先ほど述べたような理由で、極論すると、「心理療法」「精神療法」「サイコセラピー」「セラピー」という用語の間の違いですら、これらの言葉と「ヘッドフォン」「HDCD」という言葉の間にある差異意味論的「差分」の上で「等価」というのでやむなしというのが@niftyココログの「方針」(個人の「パーソナルな世界観」を尊重する開かれたネットワークを目指す限りこの方針はぜひ守り続けて来ださい!!)のようである限り。

私は敢えてこれらの「同義」の言葉を並列的に別のカテゴリーとして登録することに決断しました。

カテゴリーのリストがかなり長大化することは、どうか皆様お許しください。

なお、この記事で「だけ」、今後私が普段使用するカテゴリー「ほとんどすべて」にリンクを張っています。@niftyココログの「標準カテゴリー」の中で、ここにに含まれていないのは「ギャンブル」「スポーツ」「ファッション・アクセサリ」「グルメ・クッキング」など、ほんの幾つかということになりますが、こらら幾つかのカテゴリーですら、過去すでに適切と判断して使ったことがあります。

「ギャンブル」で意識的に私がどの記事でリンクを張ったか、すぐに思い当たる方は、相当ディープなこのブログの読者の方ですね(^^)

しかし、こういう「告知記事」でそこまで含めるのはそのカテゴリーの読者に迷惑なだけと考えて、敢えて今回は外しているだけです。

普段はもっとすっと短いので、どうかご安心を、

******

もっとも、私のブログの場合、個々の記事について、カテゴリーの再分類をするのは、なにしろこれが1年ちょっとなのに、すでに272件、しかも長い文が多い私のブログの性格上、とても一気にはできません。

最近の、しかも皆さんの関心を引く度合いが高そうな記事からカテゴライズの再構築をボチボチしていきますので、どうかじっくりお待ちください。

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