プロセス指向心理学

2010/02/08

浜崎あゆみの詞における「僕」と「君」、「わたし」と「あなた」 -サリヴァン的次元で解説してみよう- (第2版)

 浜崎あゆみさんの詞って、驚くぐらいに具体的なシチュエーションが出てこない。

  •  地名・・・ゼロ。それどころか「海」という言葉は出てきても、「山」「川」はひとつもない。
  •  人名・・・中島みゆきなら「♪真理子の部屋に、電話をかけて(「悪女」中島みゆき - 寒水魚 - 悪女 (アルバム・ヴァージョン))」と出てくるくらいの、一般化した次元でもゼロ。
  •  学校時代をイメージさせる表現・・・・ゼロ。唯一の例外が、浜崎あゆみ - A BALLADS - 卒業写真荒井由実の「卒業写真」をカバーしたケースだけであるという、驚くほどの徹底性。
  •  「僕」「君」「あなた」という人称を異様に多用する。「彼」「彼女」も例外的では?

 そして、そもそも「君」「あなた」が誰なのかが非常に曖昧で多義的で、どのようにでも受け取れ、再解釈できる

  • 生身の「濱崎歩」
  • アーティストとしての「浜崎あゆみ」

    (ベスト盤浜崎あゆみ - A BALLADS"A Ballads"の最後に収録された「卒業写真」のカバーそのものが、「街で見かけた」かつての自分のポスター等との対話というシチュエーションで理解してもらうことをayuははっきり狙っていたと思う。アルバムジャケットも、←こんなふうですからね)
  • 聴衆
  • 過去の、そして現在の同性の親友たち。
  • 父親
  • 過去の、そして現在の異性の知り合い(max松浦もそのひとりだけど、それだけ強調するのは明らかに偏った理解。最近はさすがにこのこじつけはいい意味で廃れましたけど)
  • 過去の恋人
  • 現在の恋人
  • 聴衆にとっての大事な人

 ・・・ちょっと年季が入ったayuファンなら、実は今私が箇条書きにした順序くらいでとりあえずいくつも当てはめていくのが無難であることに気がついているかと思う。

 "teddy bear"浜崎あゆみ - Duty - Teddy Bearや"memorial address"浜崎あゆみ - Memorial address - Memorial Addressの「あなた」がもっぱら父親のことを指す、"ever free"浜崎あゆみ - Vogue - Ever Freeは亡くなった祖母のこと・・・などと、特定的に捉えていい・・・といったケースというのはむしろ例外的なのである。

 要するに、ayuの詞というのは、非常に純粋な形で、「外的」および「内的」な「二者関係」に無限に「投影」させ、「転移」させることに開かれ切っている。

 
似たようなことは、他の歌手でもある程度は曲によって見られるが、ayuのように「首尾一貫した厳密な方法論」と言える域の人を、私は知らない。

 ayuは、本当にこの経験則だけで詞を書き続けていられる。裏を返すとayuのような詞を他人が「模作」しても容易にメッキが剥げる筈と断言できるくらいである。

*****

 この現象をうまく説明するのに役立つ、私の守備範囲に入っている精神療法家は、誰をおいてもサリヴァンである。

 私はこのことを公然とネットで書いたことが実はないままなことに、直前の記事でサリヴァンに言及した際に気がついた。

サ リヴァン/現代精神医学の概念(中井久夫訳)

 サリヴァンが、 本書で、「パラタクシス的(parataxic 私なりの意訳をすれば「相互転移的=投影的二者関係の次元」)なもの」と呼ぶ対人的相互作用の次元での象徴化・言語化様式と、まさにぴったり符合するのだ。

=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======

 (前略)この合理化とは、実は「個性とは一人一人独自なものである」という妄想の特殊な一側面である。それは、「概念としての『私』と「概念としての『あなた』(conceptual "me" and "you")がそれぞれ特異的な境界線をもっているためにどうしてもそのように考えられてしまうのであるが、実際には、「概念としての『私』や『あなた』とは、個人の知覚の舵取り役をつとめるもののその人の経験の意識可能な範囲を限定する参照枠[frame of reference]となるものに過ぎない(邦訳p.111)。

=======引用終わり=======  

 サリヴァンは凄まじい逆説を述べているので、一見難解だが、ちょっと解説してみよう。

 サリヴァンは、本書の別の箇所で、「我々は、基本的には同じような人間である」という前提が大事ということを述べている。

 これは、一見「個性」というものを否定しているかに見えかねないが、一見精神病状態になるかに見える人間でも、基本的には自分と同じような人間として捉える基盤が大事だということを強調していると受け取れるだろう。

 そして、「個人」という自己完結的システムとして人間を捉えるのではなく、「対人関係的相互作用の場」過程という次元でとらえることを基本スタンスとしていることこそがサリヴァンの本質なのだ。

 この点はジェンドリンも「人格変化の一理論」の削除された草稿部分(TFI日本語サイトで村瀬孝雄訳を閲覧できます)で、サリヴァンとの比較論に紙数を割いて評価している。

 「性格は、対人関係の関数である」

・・・・サリヴァンの、もっとも有名な言葉のひとつである。

 ひとは、自我を持つ存在として他者と関わる限り、「共人間的有効妥当性確認(consensual validation)」ができる形での言語での意思疎通の能力を身につけねばならない。

 この"consensual validation"という概念は、中井先生の「超訳」の典型として著名だけれども、わかりやすく言えば「お互いに話が『通じあう』水準での言語使用になじむ」必要がある、ということ以外の何者でもない。対義語は、端的に、「自閉的(autistic)な言語使用ということになる。

 もとより、人はこの能力の獲得の過程で、「自己態勢(self dynamism)」から「私-では-ない-もの(not-me)」として解離しなければならない有機体的経験の膨大な領域を持つことになる。そのある部分は容易に他者に投影され、ある部分は端的に「否認」されることになるだろう。

 しかしそれはサリヴァン的な見地からすれば、人がその所属する文化に適応(accultualization)していくための必要悪でこそあれ、さまざまな精神的失調・・・・正確に言えば、そのは単に「個人内」の現象ではなくて、「対人的相互作用」における齟齬ということになる・・・・の温床でもある。

 そうした意味で、アイリッシュ系であるサリヴァンは、WASPを中心とする当時のアメリカの価値観がアメリカの青年、特に前思春期の男子の成長に与える悪影響についてむしろ非常に尖鋭な批判者であったことは是非とも述べておかねばならない。

*****

 さて、こうした前提で、「パラタクシス的なもの」自体についてのサリヴァンの言葉を引用しよう:

=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======

 パラタクシス的[paretaxic]な対人的関わり方とは、話し手の意識の枠内におさまるような内容規定を持った対人関係と並んで[="para-"=並行して] 、影が形に添うように、もう一個の対人関係が存在し、対人的なかかわり合い方の傾向が前者とは全く異なり、しかも話し手はその存在をまず完全に意識していない場合である。

 パラタクシス的な場においては、精神科医と患者とから成る二人組と並んで、ある特別な『あなた』パターンに迎合するように自己を歪めた精神科医」と「未解決の過去の対人的なかかわり合い追体験しながらそれに対応する特別な『私』パターンを現している患者」とから成る幻の二人組がある。コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、この移動が稀にしか起らないこともあるが、いすれにせよ、普通、話し手の気の配り方は、結構ちゃんとしていて、活用や語法、語順などまちがわないで文法に適った言明を作ることができる。そのため一見首尾一貫した議論の立て方となる。またかなりはっきりと聞き手を意識した語りかけ方となる。(邦訳pp.112-3)

=======引用終わり======= 

・・・・この最後のパラグラフなんて、全くもってayuの歌詞のありかたそのものについて言及していると言えるだろう。

 ayuって、びっくりするくらいに、はるか以前の対人関係のことを意識し続け、ひきずり、繰り返し歌い続けずにいられない人のようだ。

 このあたりの具体的な解析と人物の同定については、王子のきつねさんのブログの随所で繰り広がられてきた情報収集力と慧眼と説得力に私はとてもかなわない。

 念のために申し上げると、いわゆる「成熟した」対人関係を持つ人間同士でも、この「パラタクシス的」次元は容易に顔を出す。ベイトソンのいう「ダブル・バインド」も「パラタクシス的なもの」の特殊な形態のひとつといえる。

 興味深いのは、高機能自閉症の人にとっては、まさにこうやって「影のように寄り添う別次元の対人関係様式」という、いわゆる「健常者」が全く無自覚に撒き散らす「含み」の成分というものを厳密に「理解」「識別」できないとパニックに陥る場合があるということだ(私は発達障害の専門家ではないが、当事者やご家族の話をうかがう限り、いわゆる「アスペルガー」タイプの皆さんの少なからず場合にあてはまりそうだ)。

******

 ちなみに、先程の引用部分で、

>コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、

と述べたが、あゆの場合、同じ歌の内容が同じシチュエーション、同じ相手を指すと強迫的に捉えようとすると意味が全体として通じにくくなるケースが稀ではない。

 これについては、先述のきつねさんが、"(miss)understood"(アルバム名ではなくて曲の方浜崎あゆみ - (miss)understood - (miss)understood)について、見事な分析をしている。

●甘いスイカに砂糖をかける(王子のきつねOnLine)

●Miss Understood Lyrics - 浜崎あゆみ (English and Hiragana)(YouTube)

 私が大好きな歌です。

 ここでいう「君」って、全部ayu自身のことを指すものとして理解しなおしてみるだけで、ぐっと深みが出ますよね(^^)

*****

 もうひとつ、アルバム"(miss)understood"の「心臓」であり、もっとも深みある曲のひとつと私が感じている、"In the Corner"浜崎あゆみ - (miss)understood - In the Corner

●Ayumi Hamasaki - In the corner(YouTube)

 ちなみに、この歌詞を聴いて、ayuのことを「ボーダーチック」だとか"as if personality"だとか言い出すのは、私は心理の学部生までしか許さないから(^^)。

 自分のことを振り返ってみるとどうだろう?

 「まずは罪なき者が石を投げよ」。

 相手への愛情を一瞬たりとも疑ったことがない人がいるとすれば、そういう人のほうが無理のしすぎで心配である(^^)

 ayuは、素直なだけなんだよ。

 あるいは時々、聴衆を意識して、こういうことを敢えて歌にして「予防ワクチン」をファンに打っておかないと、自分も持たないし、ファンも危ういと感じているだけ。

 そういう意味ではほんとに「ファンに気を使っている」からこそ、こんな、ファンを「脱錯覚(disillusion 幻滅)」させる危険がある「暗い曲」をアルバムに入れておく。

 私が聴いた、アルバム発売時のツアーの、少なくとも長野2日めと代々木の楽日という、私が臨席した2つのライブでは歌わなかったけど、最近はライブでも歌っているらしい。

 私なら、ayuをむしろ、若干分裂気質も合質しながらも、高エネルギー型執着気質をベースにした、適応水準の高い双極2型に分類する(・・・・って、それこそ私自身のパラタクシス的「投影」でもあるかもしれないけどね)

浜崎あゆみ/(miss)understood (DVD付)浜崎あゆみ - (miss)understood

(楽天市場の同商品)

*****

 最後に,YouTubeの「公式」動画より。

 敢えて次の初期の曲で、私が最初に提示した「君」の読み替えを徹底的にやってみてください。

●浜崎あゆみ / TO BE(YouTube)浜崎あゆみ - A COMPLETE ~ALL SINGLES~ - TO BE PVはTO BE

浜崎あゆみ/A COMPLETE ~ALL SINGLES~ (DVD付き)浜崎あゆみ - A COMPLETE ~ALL SINGLES~

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2010/01/21

NHK クローズアップ現代、「 “助けて”と言えない ~共鳴する30代~」

 正確にはこの番組はホームレス問題についての「続編」である。

 前回登場した入江さん(仮名 32歳)の姿が見られなくなった。どうしていたかというと、結局生活保護受給申請にに踏み切り、月に79.940円を受け取るようになって、やっと路上生活ではなく、ネットカフェで寝泊まりできるようにはなっていたのである。

 それ以前は、2日に一個、100円のおにぎりに切り詰めつつも、食費を切り詰めた分、洗濯をはじめとした身奇麗さには気を配っていた、二枚目といっていい方で、確かに当時のたたずまいでも誰もホームレスとは思わないだろう。

 現在も求職活動は続けているが、「住所がない」ことのために容易に働き口が見つからない。

 この、彼が前回の番組で発した、「(結局は)自分が悪いんです」という言葉がネット界では大反響を呼んだ。共感のメッセージが満ち溢れたのである。

 現在30代になった人たちは、就職戦線が大変厳しい中、「自己責任」と「成果主義」を刷り込まれて社会に巣立った人たちである。

 「助けて」と言えないのだ。心を開けないのだ。言ったらおしまいだと思っている。

 経済情勢の中でそうやすやすとは業績が上がらなくても、全部「自分のせい」と思い込む。中には、親に介護が必要になったのに、介護休暇の申請ができないまま無理をするうちに退職したり、うつ病になった人の例も紹介されていた。

*****

 

しかし、ホームレスの人の大半は、別に天涯孤独な身の上ではない。実家があり、親もいるのだ。

 ゲストの、作家、平野啓一郎氏は語る:

「別に親子関係が希薄になったとばかりはいえないのではないか。むしろ、幼児期から築きあげた親の前でのイメージを崩したくないのだ」

 だから、再び社会人として稼げるようにならないと、実家には本当のことは話せない・・・・

 北九州でホームレスの人たちのためのNPOを運営している奥田知生(ともや)さんは語る:

「自己責任は大事だが、それはあくまでも社会が個人への責任を果たしてから、はじめて強調すべきことのはず。今の時代、「絶望」や「希望」が、自己完結した世界の中で語られ過ぎている。希望とは社会的なものであり、人との関係の中で初めて抱けるものであることに気づいて欲しい」

 私も、多くのクライエントさんとの関わりの中で痛感するのは、

自信がない
→自信がない自分が悪い
→自分で自信をつけねばならない
→自分で自分に自信をつけられない自分が悪い
→・・・・

・・・・という果てしない悪循環の上で、やっとカウンセリングを受ける気になった人のあまりの多さである。

 中には、「どうしてそこまで自分に自信がないんだ?自信を持てよ」などと親しい人や恋人から繰り返し言われて、更に自己嫌悪して、「私は相手のお荷物になっているのに、情けをかけられているだけの存在ではないか?」と思い詰めて行き、ひとつ間違うと、それまでの人との絆ですら切れるに任せかねない人すらいる。

 確かに、他人が自分に自信をつけてくれるとか、地位や身分や何かの成功が自分に自信をつけさせてくれると単純に言っていいかというと、決してそういうものではない。

 自分のいだいている自己イメージと、具体的な他者がいだいている自分へのイメージが、かなり深い次元でまで一致している、しかもそこに継続的な連関性があるという確信が得られた時に、人はある安定を獲得する。エリクソンがアイデンティティということを言い出した際の、本来の意味はそういうことである。

 しかし、それは、孤立した人間どおしの「思い込み」の次元での表層的なものにとどまっていては、その人を結局のところ追い詰めるだけなのだ。

 我々は真空の宇宙を漂う孤立した惑星のような自我を築くにとどまるべきではない。バリントふうに言えば、地水火風といった「形のない、自分を包み込んでくれるもの」を介して、互いに「息=ギリシャ語でいう「プネウマ」=たましい」の交流をして、相互に浸透しあっている時、はじめて「やさしさにつつまれた」社会に生きていると感じるのである。

 平野氏はこうも付け加えた:

 「法律で制定された国からの給付となると、税金をいやいや取り立てられた人のお金を分けてもらっているという後ろめたさを感じるのだと思う。むしろNPO団体への寄付などを通して、『お互い同士で融通しあう』感覚になれば多少は気が軽くなるのではないか。寄付の形であれば所得税控除にもなるし」

*****

 なお、NPOに寄付して大丈夫かという思われる方もあるかもしれないが、NPOに対する会計監査は大変に厳しく、問題があれば実に厳格に解散命令が出る。収益は上げていい。しかし、NPOをやめる時にはNPOの収益や備品はすべて寄付することでしか処分できない。

 私の居住する地域近郊でも、最近4つものNPOがそうやって解散処分を受けているくらいである(地域のNPO研修会で学んだことである)

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/08

日本人間性心理学会第28回大会、公式ウェブサイトで、詳報先行掲載されています。

 今年は、私が学生相談室で12年間勤務した、法政大学町田校舎(多摩キャンパス)で、8月28日(金)から30日(日)にかけて開催されます。

 ●日本人間性心理学会第28回大会公式ウェブサイト

 まだ郵送での案内が届いていないのに、大会案内とワークショップ案内の、恐らく郵送バージョンと同一のものが、すでにpdfファイルで公開されている心配りには感心しました(^^)

 この学会は、参加資格がオープンですから、このような率先したネット公開の姿勢はいよいよ歓迎すべきかと思います。


******


 大会案内でも書かれていますが、法政大学多摩キャンパスは、宿舎を確保しようと思うと、ひとつ間違うと、思いのほか、アクセスが不便になります。

 特に、「町田」という地名に幻惑されて、町田駅前のホテルなどを確保したら、1時間かけてもたどり着けない可能性も出てきます。

 JR横浜線からですと、橋本駅のとなりの相原駅からほとんどのバスが出ていて、しかも本数が必ずしも多くないのです。

 参加される皆様には、むしろ、JR八王子駅のそばのホテルの確保が、公共交通機関の本数も多いのでお勧め。ただし、JR八王子-西八王子間を一駅だけ中央線で移動なされて、10分に1本運転の法政大学行きバスにお乗りになることがお勧めですhappy01

JR八王子駅前には京王プラザホテル八王子がありますし、南口の目の前に八王子アーバンホテル、北口から3分ぐらいでマロウドイン八王子、三惠シティホテル八王子、千代田ホテル、シーズイン八王子という、簡単な朝食つきないし素泊まりのシンプルなスタイルのビジネスホテルがあります。

 JR八王子北口から徒歩3分に京王八王子駅はあり、R&Bホテル八王子と、京王八王子駅前ホテルというシンプルスタイルビジネスホテル、八王子プラザホテルというミドルクラスのホテルがあります。

 このあたりまでがほんとうに駅に近いホテルでしょう。

 JR駅前から北西に伸びる八日町や八幡町の交差点まで歩いていいという皆様(八王子の歓楽街はこの通りです)だとこの限りではなくなりますが。車でおいでの方だと、八王子インターから16号線で降りてきたこの近辺のホテルの方が、そのあとの法政多摩までのドライブ(15分ぐらい)の上でも余計な回り道がないでしょう。

 セントラルホテル八王子、八王子スカイホテルがこのタイプ。

 橋本駅だと、橋本パークホテルが徒歩数分にあるくらい??? 数は多くありません。


 ・・・・以上、20年間以上八王子市民だったこういちろうより。


●楽天トラベル 八王子近辺のホテル

楽天トラベル



大きな地図で見る


******


 私は、今回の大会の個人発表にエントリーします。

 この数年の体調不良の中で、「エントリーする」とこのサイトで宣言しつつ実現できないことの方が多かったのですが、今年は、色々な意味でモチベーションが強いので(^^)、きちんとこれから貯蓄を重ねて(爆)万全の体制を作るつもりです。

 私の、一年ぶりの、関東再上陸となるわけですね(^^)

 すでに予告しておりますように、発表の内容は、

●薬物療法を受けているクライエントさんのセルフ・コントロールと、主治医とのコミュニケーションのサポートに貢献する、フォーカシングスキル・トレーニング(仮)

という、チャレンジングなテーマです。


****


※今回の大会の準備委員会の中心メンバーである、法政大学現代福祉学部の末武康弘さんと、おなじみ、近田輝行さん、村里忠行さんのご3名、更に、吉良安之さん、伊藤研一さんが分担執筆、そして諸富祥彦さんが編者も兼ねた、「フォーカシングの原点と臨床的展開」という本が上梓されました。

9784753309030128pix
岩崎学術出版社のサイトでの詳しい紹介。

フォーカシングの原点と臨床的展開


 この件は、nanaさんの† tangine †サイトでの速報より。

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2008/09/04

カウンセラーとクライエントの「こころ」が共同で生み出した「物語」への尊厳

 前の記事で、私のカウンセリングルームでの「個人情報のお取り扱いについて」に出発してひとつの問題提起をしました。

 今度は、別の条項を引き合いに出して、少し違った観点から問題提起をしましょう。


7.甲(カウンセラー)は、学会発表や著作等に、乙(来談者)との相談内容を具体的に事例として記述する場合には、乙の許可を受けて公表します。その場合も、乙との相談が終結して原則として満 1 年を経過した事例についてのみ公表します。乙 には事前に発表内容について閲覧し、甲に修正を求める権利があります。公表の際、聴衆や読者に乙という特定の人物が推測・同定できない水準まで、個人情報の一部を改変・省略して公表するように努めます。

 こちらの方は、すでに臨床心理士の共通理解として定着したものです。

 私も異論はありません。個人情報保護の観点からみても、必要なことですし。

 たいていのカウンセラーが実践しているのは、「発表についてクライエントさんの承諾をいただく」という水準のことかもしれません。

 しかし、特に日本心理臨床学会大会の多くの個人口頭事例発表に参加して気がついたのは、近年、クライエントさんに、発表草稿全体を文書の形で全文クライエントさんに読んでいただき、いただいた感想まで含めて発表なさるカウンセラーの皆さんが徐々に増えて来ている気がするということです。

 私はこうした発表者の姿勢に心から敬服しています。


*****


 一方、クライエントさん本人に「発表すること」の許諾は求めても「発表内容」全体までクライエントさんに開陳することには踏み切れないでおられるカウンセラーの皆様は、少なくないかと思います。

 
*****


 個人情報保護の観点ではなく、純粋に臨床的観点から考えた場合、「発表することをクライエントさんに許諾していただく」ということそのものが、治療的に悪影響を与えないか、という不安を、多くのカウンセラーは一度は抱くと思います。 クライエントさんの症状が再び悪化したらどうしよう?....などと。

 確かにこれは大変デリケートな問題なのですが、少なくとも、「発表の草稿をお読みいただくこともできます」と選択肢を提示したり、「私としては、むしろ一度お読みいただきたいのです。よろしければ、感想やご意見、間違いの指摘などをいただきたいのです」と、カウンセラーの側から提案することは、フランクになされていいのではないかと感じます。

 カウンセラーの方によっては、むしろ、これを「フォローアップ面接」のいい機会と受け止めておられる方もあるかもしれません。

 もちろん、こうした、発表についてのクライエントさんとの話し合いの中で、クライエントさんが発表に難色を示した場合には、どれだけ発表したくてもおやめになるカウンセラーの方が多いと思います。

 特に「成功事例」と考えるものを発表する場合、そこには、カウンセラーの中にある「評価を受けたい欲求」という厄介なものが介入していることも少なくないかもしれません。しかし、それが発表者の「記憶そのもの」を変容させる可能性は,確かにあると思います。

 しかし、「失敗事例」「中断事例」とカウンセラーご自身が考えているものを敢えて学会で発表したり、論文で書こうとされているカウンセラーも増えて来ているように思います。こうしたことは、一般にはあまり知られていないかもしれませんが、こうした事例で的確な考察がなされているもの、あるいは、座長やフロアの参加者と活発な議論がなされた上で、それも大事にして論文におまとめになることは、他の臨床家にとっても、大きな学びの場を提供して下さることとなり、敬意を表しています。


*****


 更に、事例研究発表を考える際に忘れてはならないのは、発表するために、記録に基づき再度事例を振り返り、まとめ直し、考察する過程そのものが、実は、カウンセラー自身による、面接過程の「再話」であり、「物語化」であるということです。

 私はこれを、必ずしも否定的な意味で述べているのではありません。そうした再検討の過程で、記録の中の、完全に忘れていたさりげないエピソードに気づくことをきっかけに、以前から頭の中で思っていたのとは別の形で事例全体が見えてくることは、実によくあることだからです(臨床家の皆さん、経験がありますよね?)

最近、「ナラティヴ(説話、あるいは「物語ること」)」という社会構成主義の観点からカウンセリング過程を検討することが盛んになっています。私は、実は未だにこの用語についてほんとうに納得できたと感じたことはない不勉強なものなので、以下の内容はこの概念の奥行きを理解していない浅学な者の引きつけ方かもしれませんが、ともかくナラティヴという概念も連想した、私個人の素朴な考えというぐらいのつもりで以下の内容をお読みいただければ感謝いたします。
 

*****

 
1. そもそも、クライエントさんが、カウンセラーに語り出す内容そのものが、すでに、クライエントさんが無意識のうちに創造したた「物語」だともいえます。

2. クライエントさんの周辺の人たちが、クライエントさんをどう見ているか、というのも、ひとつの「物語」です。

3. 更に「周囲の人たちが自分をどう見ているのか」というクライエントさんの「物語」という次元がある訳ですね。

4. カウンセラーがクライエントさんの話をどのように理解するかも「物語化」の過程です。

5. カウンセラーにどのように理解されているのか、というのも、クライエントさんの「物語」です。

6. そして、こうしたこと全体が複雑に相互作用している多元的なトポス(場)として、治療場面は存在します。


 いずれにしても、「事例発表」は、質のよい事例発表ですら、クライエントさんが聴いたらびっくりたまげかねないような「カウンセラーの物語」になっている可能性はたいへん高い。これは、カウンセラーが誠実であろうとしているか、などと言った次元でなく、生身の人間ゆえの限界でしょう。

 現実には、事例発表の段階で、すでにそのカウンセラーを直接指導する先生や、スーパーバイザー、事例検討会に参加した他の参加者の紡ぎだす「物語」との相互作用が進んでいるわけで、それらをもとに学会発表された時点ではすでにもの凄い「物語化」が生じているわけですね。

 それを学会で口頭発表する際に、クライエントさんの感想も聞く。

 更に、学会発表の際の座長やコメンテーターの先生や、フロアからの発言。

 それに輪をかけて、論文を投稿した後の、査読の3人の匿名の委員の先生との文書によるやり取りの繰り返し。

 ......果たして、これらがほんとうに、カウンセラーの見地を「より真実に迫らせた」といえるかどうか????

 何しろ、ロジャーズ派や一部の家族療法を除いては、面接の過程の記録を、録音や録画の形で検証可能な状態にないのが普通です。仮にそれらが存在したとしても、リアルタイムで面接と同じ時間をかけて)再生し、それらを全検討者が検証するというのは非現実的であり過ぎます。どこかで「圧縮」が必要なのです。


*****


 だとすると、最低限どのラインで、「物語化の副作用」を抑止し、修正することでけじめをつけるか。

 私の答えは、面接過程の中で、折々、クライエントさんと、それまでの面接過程について小刻みに振り返り、クライエントさんがそれまで感じていたけどコトバにならなかった違和感などを、面接のなかで取り上げて互いに納得いくまで相互作用することを繰り返し、学会発表のための草稿をまとめる時点でその一応の総決算をしておくことだろうと思います。

 まずは、このことがカウンセラーとクライエントさんとの相互作用の中で、丁寧になされていること。


 敢えて言います。

1. カウンセリングの過程をどう受け止めるかは、究極的にはまずはクライエントさんの内心の自由であること。

2. 続いて言えば、カウンセリング過程の直接の当事者であるクライエントさんとカウンセラーの共有物であるということ。

3. もし、これが、カウンセラーとスーパーバイザーや指導者との共通理解の方が、2.よりも長期にわたって優先するようになったら、もはや注意すべき状態ではないかということ(たとえ、いわゆる「現実吟味」が低下している重症精神障害や認知症や発達障害の場合ですら!!)。

4. 時として、カウンセラーとクライエントさんの間のいわゆる「転移/逆転移」関係の中で、一度お互いに何らかの意味で「クレージーな」状態を経過するリスクを幸いうまく切り抜けられたので、活路が開けるということもままあることである。指導者やスーパーバイザーは、そうした可能性を一方で必要な時点で示唆することを忘れるべきではないが、クライエントさんとの相互作用のただ中で、両者が自発的に脱錯覚していく権利は保証されるのが望ましいのではないか。


******


 面接過程は、担当カウンセラーとクライエントさんの共同作品です。

 いかなる権威も、指導者も、二人の関係に、ある「尊厳」を感じ、「抱え」の姿勢で見守る、フィロバティックな姿勢を堅持してこそ、自律的な、責任感ある、経験を消化する力の高い、良き治療者は育つのだと思います。


*****


 私は、6年ほど前、福岡在住で、ウィニコット、ビオンをはじめとするイギリス対象関係論のもっとも誠実な日本での指導者であり、現場カウンセラーとしては、重度の摂食障害患者との入院治療で知られた、松木邦裕先生に、かつて、大会場での事例のコメンテーターをお願いするという、怖い者知らずなことをいたしました(カウンセリング関係者なら、これがいかに無謀か、ご想像できるかと)。

 結局、例のごとく、カミソリで痛みもなく斬られました(^^;)。

 先生の見解にすべて納得したわけではありません。

 しかし、先生の


 「クライエントさんを汚しちゃいけないよ」 


という言葉だけは深い印象に残っています。

 ......ここからの自由連想なのですが、


 「クライエントさんと、カウンセラーの関係を、汚しちゃいけない」 


とも言えるのではないか。


 .......日本中のカウンセラーの指導者の先生方に向けて。


*****

この記事、更なる続編がこちらにあります。

*****


 臨床心理における社会構成主義的アプローチについては、東京大学の下山晴彦先生のセミナーに一回出た経験しかない。

 わかりやすい入門書は、以下の本だそうですね。


●ナラティヴ・セラピー入門 高橋 規子 (著), 吉川 悟 (著)  金剛出版
 

2007/11/03

「開業カウンセリングの研修会記録 4部作」を改めてご紹介

 記事別アクセスが何件かあったので、ここからはじまる、日本臨床心理士会主催の「私設心理臨床」(開業カウンセリング)研修会に参加した時の私なりの記録、4部作を読み返したら、(書いた当時は実は結構落ち込んでいて、こういうことを自分で書くことへの妙に内罰的な感情があったのですが)この問題について結構しっかりと大事な点をまとめていたなといえることに、我ながら気がつきました。

 なおこれらの記事では、「知る人ぞ知る」タイプの開業カウンセラーのベテランの先生方にご迷惑がかからないように、講師の先生方の実名はお書きしていません。私も学会等で懇意の、プロセス指向心理学の日本における第一人者の先生を除き。

 リンクでつながっていて、4部作続けて読めますが、

●成功したキャリアある開業カウンセラーはひとりでどのくらい稼げているか?
●開業カウンセラー「についての」臨床心理学(?)
●「士」族の「商」法(?)を超えて
●格差社会の中での開業カウンセリング


....我ながら、ひとりぼっちでなくなり始めると、同じ自分の文章も前向きに読めてしまうものですね(^^)

 ちなみに相方が、前から予定していた、関東の反対側の県の、自分の専門の研修会に行ってますので、今日はひとりぼっちです(^^;) 「週間記事ベスト20」も久々に、深夜1時頃の定刻に発表予定(;;)





2007/06/29

「究極の」フォーカシング指向心理療法とは?

 カウンセラー側が、面接の場の流れ全体をフェルトセンスとして感じながら(そこには、当然、「クライエントさんが」面接の場の流れ全体をどのように感じているかについて、カウンセラーが、クライエントさんの「身になって」感じていく過程も含まれる)、個々の応答や、面接をどう進めるかについての提案を吟味した上で振る舞い続け、更にその結果、そうしたカウンセラー側からの応答や提案を、クライエントさん自身が実感としてどう受け止めているのかについて照合してもらうように促し、その結果を尊重する方向に面接を進めているならば、その面接過程は、すべて、フォーカシング指向心理療法的面接であるといえるだろう。

 そこで「フォーカシング」だとか、「フェルトセンス」という言葉が使われているかどうか、あるいは「それを身体に戻してじっくり感じてみて下さい」などという教示が用いられるかどうかと言うことすら本質的ではない。

 優秀な行動療法家や、認知療法家、プレイセラピストやダンス療法家、ユング派の臨床家が、こうした点で、実質的には、フォーカシング指向心理療法の原則と結果的に完全に一致したセラピーをしていることなど、いくらでもあり得ることになる。

 ある観点からすれば、フォーカシング心理療法的アプローチは、もはや特定の技法体系ではない。道具立てとしては、「なんでもあり」なのであり、「ただの、必要に応じたカウンセリング」なのである。

2007/06/11

「士」族の「商」法(?)を超えて

 またもや「私設心理相談」研修会より。

 これは、プロセス指向心理学の分野では日本の第一人者で、ご自身も開業されている藤見幸雄先生が全体会でお語りなったことであるが、「士・農・工・商」でいうならば、臨床心理「士」は「士業」のひとつとイメージされるとことがあり、そこからすると「農業・工業・商業」的側面は、臨床心理士のシャドウ(影)になりやすいという。特に、最下層である「商」は、周縁化(マージナライズ)されやすいと。

 ところが、私設心理相談業(開業カウンセリング)は、臨床心理学のどの領域よりも「商」に深く関与している。そのため「軽く」「低く」みられ、安易な開業が絶えず、社会に生きる商人、経営者、起業家としての側面を意識化できていなければならないのに、そのことはもっとも忌み嫌われている。つまり、「武士は食わねど高楊枝」というわけである。臨床心理士自らが、「金儲けのために」独立開業に走る、などと、開業臨床心理士に、負のバイアスをかけてとらえようとする偏見にとらわれやすい。

 ところが、その一方、私設心理相談業は、力量のある有能な臨床家にのみ許された境域として羨望されてきた側面もある。これは弁護士や会計士といった、ランクの高い、ランクの高い「士業」へや専門性への強い憧れと不可分ではない。

 結局、私設心理相談業は、「低さ」と「高さ」、「影」と「光」の両側面を担わされつつ、その「二律背反的な」原型がsplitしたままとなり、それを一身に体現し、統合していくために具体的に検討され、論じられることが少ないままの領域になっている.....藤見氏はそのようにとらえるのである。ユング派的にいえば、なるほどそうも説明できると得心させられた。

*****

 これは、幾人かの他の先生も語られたことではあるが、専門的技能によって消費者を援助するサービス業として位置づけた場合、開業カウンセラーは、代価と引き替えに、何ができて、何ができないのかについて具体的に自己規定し、それを「顧客さん」に「提示した上で、相互了解の上で職務を遂行できるかとうか。

 医療や福祉、地域精神保健、公的援助、法律関係など、カウンセリング以外の、その人の問題解決に役立つ援助的資源を熟知していて、適切なアセスメント(見立て)の上で、必要に応じて情報提供したり、紹介したり、提案できるだけのスキルを持っていることは大前提である。

 そうした上で、カウンセリングの中では、何ができるのか。

 壇上に立たれた多くの先生が語られたのは、「あなたと一緒に、どうすれば解決できるか考えていきましょう」という姿勢をどれだけ説得的に伝えられるかということであった。そして、苦情や違和感の表明を歓迎し、誠実に受け止める姿勢をどこまで一貫できるかが肝心ということであった。 

 私個人、つくづく思うのは、相談を進める中で、カウンセラー自身が当初立てていた仮説は刻々と覆されていくのが当然であるという思いである。これは、経験を積み、アセスメントの能力が高まっていこうと決して、「予想通り」に進む事例が増えるという形にはならない。ただひたすら、「以前だと、この次元のことまではクライエントさんと話し合うことができないまま、素通りしていたのではないか?」という反省ばかりが積み上がる。

 ある観点からすると、面接当初の時点でのカウンセラーとしての「思いこみ」や先入観をどこまで崩しつつ、しかもクライエントさんと相互に了解できる、クライエントさん自身にも思いもよらなかった次元での気づきや洞察に至る過程を「同道」できるかということになる。ある先生は、その過程を「和して同ぜず」と表現した。

 私が時々使うのは、

「たいていの場合、ある程度納得のいく問題解決のプロセスというのは、できあいの容易に予想できる形とはどこかで異なる、予想外の、事前に予想しろといっても無理だといいたくなる形になっていくことが多い気がしています。つまり、あなたにとっての、今のあなたにこそ通用する解決の方向性という形になる。だから、恐らく、ご一緒に探索していく過程がうまく進めば、今のあなたには思いもよらない、そして今の私にも思いもよらないところに、解決の糸口が見つかるのではないかと思います。そのような形で問題を一緒に探っていくためのあなたとのコミュニケーションをできるだけ効果的に進めるのみ役立つ専門家としてのスキルを私は磨いてきたつもりです」

などといった言い方です。

*****

 つくづく最近思うのですが、何も「商品」を引き替えにお渡しするわけでもないのに、1時間お話をする中で、「現金」を数千円以上手渡しでいただくというのは、何かすごいことを日々の糧を得るための生業に選んだものだという思いです。その数千円をコンビニのアルバイトで稼ごうと思えば、8時間働かないとならないわけですね。それだけの手応えを感じてもらえているかどうか? ということを振り返り続ける感受性は失いたくないなと思っています。「取りあえず、また来てみて下さいよ」に近い言い方だけは決してするまいと肝に銘じています。

 その回の面接で何が起こったのか。その成果として何を感じるのか。まだうまく取り扱えないで居る課題は何か、次に取り扱いたいことは何か。前回の面接の後何を感じ、日常の中でどんな状態や気持ちで過ごしたか。.....こうしたことを、クライエントさんなりに絶えず具体的に確認できる方向に面接をまとめようという意識が、以前よりずっと強くなってきたなと感じています。


更に続きはこちらです。

2006/09/01

フォーカシングは「転移/逆転移」すら一気に超え得るはずである。(第2版)

 直前の書き込みを読み返してあっさり気がついたのですが、

 たった2回のカウンセリング(その2回めの1時間だけ)で、


 「実は、前回のフォーカシング・セッションの、終わりの方で言わすに済ませたのは、自分の中に『せっかち』という言葉が浮かび、それがいろんな連想に結びつきはじめた、その中身だ」

 「子供の頃母親が『せっかち』な人で、食事の時もそわそわしていて、落ち着いて飯食べられなかった」

 「自分の彼女が、デートの度に『ふくれる』のは、実は自分が『せっかち』で、観光したり一緒に展覧会に行く時も、さあ、次はこれ、次はこれ、と、彼女のペースにあわせてじっくり『味わう』ことをしていなかったからだなあ。だから別れ際が「じゃあね!!」とさっさと歩き去られてしまい、後のフォローがたいへんだったのだとしみじみ思った」

 「職場でも、上司に、『お前は先を焦るあまり、数は『こなす』が、一つ一つの仕事の仕上げが雑になってる』と先日叱られた」

 「実は、前々回までのセッションの中で、先生(ガイド、トレーナー)が『せっかち』なものだから、[私=クライエントさん.......は]『消化不良』に陥っていた」


 ........これだけのことを、クライエントさんが一気に自発的に語り出すということは,通常のカウンセリング場面では滅多にあり得ないことでしょう。

 『せっかち』というキー・ワード以外の『』内の言葉の多くが、「消化(「こなす」こと)(digest)」に関わる、しかも「日本的な」言葉であることにお気づきでしょうか。要するにこの人は、およそ何に関しても「『せっかち』な早食いで、いつも胃が『もたれて』いた」人だったんでしょう。

 しかも,ガイド(カウンセラー)側にもどこか実際に(つまりフォーカサーの「投影同一視」[(c)メラニー・クライン]ばかりではなく)『せっかち』なところがあるので、「場の雰囲気」を通して、お互いを「環界」((c)バリント ウィニコット)の一部とする中で「共振れ」((c)土井建郎)を起こし、フォーカサーの「身体」という"container"(容れ物)」((c)ビオン 田嶌誠一)を通して生じた「ファントム」((c)安永浩、神田橋條治)としてのフェルトセンスとして現れたのだと思います。

(フォーカサーは、リスナー側個人の体験過程を促進する"container"でもある、ということ、以前どこかで書きましたよね。少なくともこちらこちらを参照)

 「せっかち」というキー・ワード自発的に見いだしたフォーカサーの「気づき」は、

「子供の頃の親子関係」
「異性関係」
「職場の人間関係」
「治療者との面接の場での関係性」

へと自然に拡張する場合が、フォーカシングのセッションでは、かなりありふれた形で生じ得る得るわけです。

(改めて読み返してみて、我ながらぎょっとしました)

 このような、同じような「布置(constellation)」((c)ユング ジェンドリンも使います)にある対人関係についての気づきの連鎖反応のことを、ジェンドリンは、「人格変化の一理論」

ジェンドリン著、池見陽著/編訳、/村瀬孝雄・日笠摩子他 訳 所収)

で、「全面的な適用(grand application)」と呼び、ロジャーズやジェンドリンが開発した「体験過程尺度」(experiencing scale)」という、治療的面接においてクライエントさんが自分の内面に「どのように(how)」関わるかの深さを計る尺度においては、stage 7ピーク値となります。

 (体験過程尺度については、沢山の方々の研究や論文等がありますが、池見陽先生の「心のメッセージに聴く」でのやさしい解説が一番入手しやすいかと思います)

.......このような連鎖反応が生じた場合、「転移」についての洞察を、クライエントさん自らが一気にしてしまっていることになりませんか?

 実は、フォーカシング・セッションにおいては、フォーカサー(クライエントさん)の中のフェルトセンスは、そこでのガイド/リスナーの共にいる「場の雰囲気」「関係性」が反映されたものとしてしか形成されていません。

 ガイドの人の教示のみならず、すべての言語的、非言語的応答も、実は、その場の「関係性」の枠の中でしか生じていないはずです。

 ガイドの人のガイディングや言語的.非言語的応答が、ガイドの人自身の体験過程に開かれたもので、単なるマニュアル的手順ではなく、全くライヴに「自己一致」し続けた「活(い)きた」応答である限りフォーカサーもまた、、フォーカシングの場のただ中で、目の前のガイド役の人との「関係性についての気づき」をライヴで自発的に語り、.親をはじめとする、面接室外での対人関係と二重写しして「まさに体験しつつある自分を体験する」という、転移についての「真の」洞察が一気に自発的に生じる可能性があることになります。

 これが、どういう範囲の人に、どのくらい「安全な形で」生じるかは、まさに、治療者自身の「個人としての」フォーカシング能力がどこまで日常活用され、スキルアップしているかにかかっている、といえると思います。

 ****

「論文で書けばいいのに、いいのか?」(←内なる批評家)

「いいよ。他流派の心理臨床家の顧客さんが増えることに結びつけば。私だけではなく、フォーカシング「業界」全体に


 

フォーカシングにおける「身体の感じ」とは何か

 「........あの、さっき昼飯食べて来たもので、今,気になるとすれば,胃の辺りに、何か張っている感じがある。.........うーん、それくらいですかねえ」 

 フォーカシグのオーソドックスなトレーニングで、最初の段階で

 「今、自分は申し分なくいい感じでいられるかな? と身体の内側に問いかけてあげてみて下さい」

という教示をガイド(トレーナー)がした場合に、フォーカサー(フォーカシングをする本人。クライエント役(以下、F :と略することあり)が、じっくりと内面に注意を向けた結果、このように述べて来た時(これは,昼過ぎのセッションで、「ごくありふれて」みられる実例です.特定の方の例ではありません)、トレーナーはどう対応すべきでしょうか?

●ガイドA:
「ああ、それではそれはただの身体の感じですから。他には何か気になる感じは出て来ませんか?」

●ガイドB:
「何か、胃の辺りに、『張っている』みないな感じがある(F:........エエ)....それはひょっとしたら、さっき昼飯を食べたばかりだからかもしれないなあ、という気もなさるわけですね。(F:........エエ)....それでは、その胃の辺りの感じに向かって、『ああ、そこいらへんに、そういうふうに、張った感じがあるのはわかっているからね.....』と、声をかけてあげてみて、しばらくその感じと一緒に居てあげてみるのは,いかがでしょうか」


 私は、ガイドAの応答は、「もったいない」というか、少なくともフォーカサーがまさに「今」感じていることの流れに自然に寄り添った応答ではないと思います。

 ガイドBは、その点で、フォーカサーが感じているものにしなやかに自然と寄り添った応答であり、ガイディングです。ガイドAしかできない人には、私はトレーナーの資格を出しません(^^)

*****

 ここで、「その感じに『わかったわかった』と声をかけてみる」とか「その感じと一緒にいて上げてみる」ということもピンとこないフォーカサー向けのサポートの「オプション」がありますけど、ここではそれは略します。

*****

 「その、おなかの感じと、『ああ、そこにそんなふうにあるなー......』みたいにして、無理なく一緒に居てあげられる(or そばにいてあげあられる or 無理なく身体の中に「抱えていられる」)感じですか?」

(F:.......[ 沈黙30秒] .....エエ)

「では、あとしばらく、そのおなかの感じのそばにたたずんであげてみるのはいかがでしょう?.......そして、もし、『とりあえずもう十分一緒にいたあげられたなあ』、とお感じになりましたら、ちょっと手を上げてでもいいですから、何か合図いただけますか?」 


(F:わかりました、やってみます.......[ 沈黙1分30秒] .....[手をあげる]あれ? さっきまでとちょっと違って来ましたね。胃の辺りにあるにはあるんですけど) 

 「ほう、何かさっきまでとちょっと変わって来たんですね」 

(F:ええ、.......[ 沈黙30秒] ....なんというのかなあ、これ......[ 沈黙45秒] ....何か、さっきまでは、「もたれる」というか、そんなふうな感じがあったわけです) 

「はい」 

F:それが何か「溶ける」.......というか、あたたかくなって、やわらかくなって、溶けて行くみたいなかんじになって。 

「ああ、さっきまでは、「もたれる」というか、そんなふうな感じがあったんですね(エエ)。それが、どういうわけか、 何か「溶ける」.......というか、あたたかくなって、やわらかくなって、溶けて行くみたいなかんじになられたわけですね」 

(F:ええ)

「では、その、胃の辺りに向かって『あ、さっきまではさっきまでは、「もたれる」というか、そんなふうな感じがあったんだけど、いつのまにか、 何か「溶ける」.......というか、あたたかくなって、やわらかくなって、溶けて行くみたいなかんじになっちゃたんだね』と、声をかけてあげてみるのはいかがでしょう?」

(F:やってみましょう......[ 沈黙1分30秒] ........うん、その溶けて行くみたいな感じそのものがすごく心地いいです) 

「ああ、その溶けて行くみたいな感じが、何かすごく心地いい」 

(F:.....うん、いいですね、『この』感じ) 

「では、もうしばらくその感じと一緒にいてあげる時間をお取りした方がよろしいでしょうか? 」 

(F:...........あ、じゃ、あとちょっとだけいただきますね) 

「わかりました、どうぞ」 
.
(F:....[ 沈黙1分10秒] .......[手を上げる]) 

「実は、そろそろこのセッションのための時間が終わりに近づいているのですが(設定時間終了5分前)、どうでしょう? その胃のあたりの感じに、『どうもあと5分くらいで終わんなきゃならないんだって。でも、「こういう」感じだったってこと、覚えておいてあげるから、それでいいかな?』と言ってあげてみることもできるんですが.......」 

(F:あ、それ、いただき! ...やってみますね。.........[ 沈黙35秒] .........[突然苦笑].....あの、「あと1分ぐらいつきあえ!!」言われました 

「あ、『あと1分ぐらいつきあえ』と言われちゃったんだ。それじゃ、あと少し,お時間をお取りしてもいいです」 

(F:いただきます(笑).........[ 沈黙1分35秒] .......もう、いいそうです。) 
.
「それじゃ、今日、こういう感じだった、ってこと、覚えておいてあげるからね、と言ってあげてみたらいかがでしょう?」 

(F:そうですね。.........[ 沈黙35秒] .......「覚えておけ!」....と「凄まれて」しまった(笑))

「あ、『凄まれて』しまったんだ」

(F:ええ『凄まれて』.........うふ、ああ、そうか........)

「何かお気づきになったことがあるようですが、1分で話せるようでしたら、お話いただいてもいいですし、そのまま自分の中で味わっていただいてもいいですけど」

(F:それじゃ1分下さい)

「どうぞ」

(F:.......[ 沈黙35秒] ......もう、いいそうです。「サヨナラ」と言ってました

「ああ、もう、『サヨナラ』と言ってくれてた」。

(F:.......実は「私には」心残りもあるんですけど、言われちゃった以上、しかたないので、「じゃ、またね」とは(笑)

「ああ、『いわれちゃった』わけですね。.....で、あなたは、しかたないけど、『じゃ、またね』と。

(F:ええ..........)

「で、あなた自身は終わらせそうですか? もう一度内側にきいてみてもいいかもしれませんが.....」

(F:.......あ、もう大丈夫です。ありがというございました)

「こちらこそ、短い時間でしたが、お相手できて光栄です」

********


このブログ始まって以来、初の、フォーカシングのライブとは「こういうものだ」という公開です

 フォーカシング関係者の皆様は、これだけで十分リアルなセッションでしょうが、これ、念のためにいいます。全くの創作です)

 
*********


 ちなみに、このフォーカシングセッションの一週間後の次の回が、通常のカウンセリングをご希望されて、その内容が

 「実は、前回のフォーカシング・セッションの、終わりの方で言わすに済ませたのは、自分の中に『せっかち』という言葉が浮かび、それがいろんな連想に結びつきはじめた、その中身だ」

 「子供の頃、母親が『せっかち』な人で、食事の時もそわそわしていて、落ち着いて飯食べられなかった」

 「自分の彼女が、デートの度に『ふくれる』のは、実は自分が『せっかち』で、観光したり一緒に展覧会に行く時も、さあ、次はこれ、次はこれ、と、彼女のペースにあわせてじっくり『味わう』ことをしていなかったからだなあ。だから別れ際が「じゃあね!!」とさっさと歩き去られてしまい、後のフォローがたいへんだったのだとしみじみ思った」

 「職場でも、上司に、『お前は先を焦るあまり、数は『こなす』が、一つ一つの仕事の仕上げが雑になってる』と先日叱られた」

 「実は、前々回までのセッションで、先生(ガイド、トレーナー)が『せっかち』なものだから、『消化不良』に陥っていた」

 みたいな、「フォローアップ面接」に、自然となっても,何もおかしくないわけです。


******


 なお、上記の架空事例の、


「ああ、もう、『サヨナラ』と言ってくれてた」。

(F:.......実は「私には」心残りもあるんですけど、言われちゃった以上、しかたないので、「じゃ、またね」とは(笑)

「ああ、『いわれちゃった』わけですね。.....で、あなたは、しかたないけど、『じゃ、またね』と。

の部分、ガイドの応答の方が実はズレていて、フォーカサーによって修正され、その修正を、ガイドが受け止めて、言い直している点に注意。

 これが、この前書いた「弁証法的過程」ということです。

 この記事の続きというか、解説みたいなものは、次の記事をどうぞ。

******

 しかし、ここまでリアルに、フォーカシングセッションを「捏造」できるとなると、もう、「事例発表」できない身体になってしまった.....(^ ^);

より以前の記事一覧

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