宴会

2010/02/13

場の空気に「溶け込もう」とし過ぎるあまり、やりたくもないことをやらされる方向に追い込まれる人たち。

 先日のカラオケの話の続きである。

  1.  自分でもカラオケで歌うこと自体を苦手と感じていて、カラオケの閉じられた空間で他のメンバーに気を使ってどう振舞うのかに神経をすり減らしている。そう した挙句、周囲から「お前も歌え!」と繰返し言われるハメになる

  それはまるで、カラオケの空間で他のメンバーに気を使った「おかげで」、苦手なカラオケを強制させられる事態を引きずり出したかのようにも見える。

 同じような話はいくらでもあろう。

 ほんとうはPTA活動とかでの他の生徒の親との付き合いなんて煩わしい、逃げたいと感じていながらも、集まりの場の中で、なぜか周囲には、「進んで参加している」「場を盛り立ててくれている」、いや、「社交的である」とすら勘違いされてしまう。そうやって、役員をやることからいよいよ逃げられなくなるタイプの人。

 このタイプの人は、場の流れに「溶け込もう」とはしても「身をゆだねる」ことはできない。

 あるいは、ちょっと居心地悪くて寂しくてもいいから、場の片隅でできるだけ目立たないようにじっとしているという選択肢も取れないのである。

 漂わせるオーラの上で、「ここまで積極的参加意欲がない人に押し付けるのもどうか・・・・」という気に周囲をさせるのは実は容易である。それすら押し切って標的のようにして場に関わらせようとする人間というのはこの世の中にそんなにいるものではない。

 むしろ、「その場にいてもいなくても全然平気なのに平然とその場にいる」タイプの人間というのは、結構子供時代にいじめの標的とされる場合がある。

 これもまた、「場に身を委ねる」というのとは似て非なることなのだ。

******

 ひとつ間違いなく言えることは、自分が無理して頑張ってやっていることを、周囲に、まるで平然と普通に、それどころか喜んで積極的かつ器用に、易々とやり遂げているかのように思い込まれやすい佇(たたず)まい(presence)の人は、確かにいるということである。

 これまた、欝になるタイプの人に、実に多く見られ勝ちなことだ。

 周囲は、そうした人たちの気遣いを「湯水のように浪費」する。しかし「反対給付」としての気遣いは返してくれない。

*****

 今の私は、若い頃、周囲に溶け込ず、話題にもついて行けないまま、飲み会の帰りのひどい孤独と疎外感を感じながら家路についていた日々をむしろなつかしく思い出す。

 いわば、「不器用に、場に身を委ねていた」自分のあり方についてである。

 「いや、あれはあれで、巧妙で無難な『適応(棲息)様式』だったんだ」とすら、今ならあっさりと受け止められるのである。

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2010/02/10

「病気になる前も、病気になってからも、病気が回復してきても、どういうわけかやってしまえないままでいること、何かありませんか?」

 この問いかけを、私は、医療に通院中でもあるクライエントさんに、最近時々思いついたようにしてみるように、いつの間にかなっていた(^^)

 この問いへのクライエントさんの答えっていうのは、クライエントさんの人生にそそり立つ大きな壁・・・・・などにはならず、クライエントさん自身、改めて思い返してみて、今さらのように気がつくような、一見ささやかなエピソードが多い(こちらとしては、別に、そのように仕向けたつもりもないのだが)。

 例えば・・・・(これは架空の例である)

 「実は、一人きりで飲み屋とか居酒屋やバーとかで飲んだことって、ないままですね」

 だからと言って、実際に一人きりで飲みに行けば人生全体の活路が広がる筈だ、などと私は勧め過ぎないように用心している。

 ただ、まさにその程度のことを思いつきでやってみる気になるかならないかぐらいのところに、人生が堂々巡りするか、少しずつ螺旋状に前進している手応えが出てくるかの違いがあるのかもしれないですよ・・・・などという示唆はしてみる。

*****

 すると、「実は、別のこのこともできないままで・・・」という、これまた一見全然別の、それまでの面接場面で一度も語られたことがなかった脈絡に、クライエントさんの方から話題が飛ぶことが多い。

 しかも、もしそれを聞かせていただけないままだったら、クライエントさんについて、何か基本的なところで「ひとり合点」したままになって、たいへん申し訳ないことになりかねなかったことに感謝せずにいられないくらいの事柄へと「飛ぶ」ことが多いのである。

*****

 ・・・・・これは、私なりに思いついた、「ミラクル・クエスチョン」である。

 いわゆるブリーフセラピーや解決志向心理療法の本に載っているかとうかは不勉強にして確認しないままですが、これらの流派のカウンセラーの先生方も、タイミングを外さなければ「効きそう」だと納得してくださることかと存じます。

*****

 なぜこの問い掛けが意味を持つのか?

 説明不要で直感でき、納得された一般読者の皆様も少なくないかとは思いますが、野暮を承知で(^^;)、理屈をつけてみましょう。

  1.  「病気がなかなか回復しないので」自分の活路が開けないでいるのだという、クライエントさんの認知スタイルに、全く自然に、新たな開かれた視点を提供する機会になるため?
  2.  その人を病気に「至らせた」それまでの生育歴上の問題点、病気を「長引かせた」要因、病気からの回復過程に入ってもなかなか活路が開けないできた要因を、その人なりの統合的な視点から、実感をくぐらせて、共通の布置 (constellation)のもとに理解できる洞察をもたらす?
  3.  しかもそれが即、今後の具体的な無理のない、スモール・ステップでの行動指針の獲得にも繋がるため?

 ・・・・・まあ、こういったところであろうか。

*****

●BGM:ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番 第2楽章 エミール・ギレリス(p.) クルト・マズア/ソビエト国立交響楽団(Live) beethovenpianiconcertono5.mp3 (10036.0K)

 ↑ ベートーヴェン ビアノ協奏曲第5番「皇帝」 第2楽章 エミール・ギレリス(ピアノ)/クルト・マズア/ソビエト国立交響楽団(ライブ)

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2009/12/24

両親と「第九」を聴く

 昨晩は、両親と、久留米のとなりの佐賀県鳥栖市郊外、田代近辺にあるライブステーキハウス、「花やしき」 本店で、「第九」のディナー・ショーを堪能して来ました(^^)

 「第九」に行くのだとは父に聞かせれていたのに、なぜかJR鳥栖駅までしか辿り着きようもない切符を、待ち合わせた駅で渡され、鳥栖駅からどんどん人里離れた山里に向かうではないか!

 私の父は物事を普段はひどく「婉曲に」「思わせぶりに」言うところがある(この点ではひどく保守政治家的である^^;)ので、まさか父自身が別の日の「第9を歌う会」に参加しているとかいった、とんでもない仕掛けになっていて、昨晩は普通にちょっとしゃれた郊外での飲み会なのかと途中で妄想に走りましたが、・・・・・まさかこんな隠れ里のようなところで、ディナー・ショーの第九があるとは。

 関東だと、軽井沢辺りにありそうな、センスのいい瀟洒なお店でした。

K3100153_s

 ベートーヴェンのシカゴ交響合唱団, Chicago Symphony Orchestra, Hans Sotin, Jessye Norman, Reinhild Runkel, Robert Schunk & Sir Georg Solti - 決定版!ベートーヴェン - ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125《合唱》:第4楽章:プレスト-アレグロ・アッサイ 「第九」(もちろんピアノ伴奏、しかも第4楽章から管弦楽前奏を省き、それ以降もやや短縮したバージョンですが)の前に、クリスマス・キャロルや、フォーレの歌曲(「夢の後に」や「ラシーヌ賛歌」)、ドイツ・リート(私の定番だったシューベルトのDietrich Fischer-Dieskau & Gerald Moore - Schubert: Lieder - Erlk?nig, D. 328 (Op. 1): Wer Reitet so sp?t「魔王」も含みます)、イタリア・オペラのアリアが続き、知ってる曲しか出てきませんでしたので、こういちろうはたいへんご満悦だったのだ(^^)

 特に、私がキリ・テ・カナワの名唱のライブLDで溺愛してきた、プッチーニの歌劇「つばめ」Kiri Te Kanawa - Kiri Te Kanawa - Artist Portrait 2007 - Puccini : La Rondine : Act 1 "Chi Il Bel Sogno Di Doretta" [Magda]ドレッタの美しい夢という、(CMでも使われたことありますけど)ちょっと「通」向けのアンコール・ピースを第9の前に聴けたのが嬉しくてたまらなかった。

 この曲、ピアノによる前奏からして、もう、ここまでしゃれたタッチの、しかし円熟した無駄の全くない完成度の、イタリア・オペラのアリアはないと、ずっと思っていたので。

●Kiri Te Kanawa-Chi il bel sogno di Doretta

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2009/12/16

田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」

 私の臨床心理学上の恩師は、言うまでもなく、ジェンドリンの「フォーカシング」「体験過程と心理療法」の一介の一読者に過ぎなかった私を「拾ってくださった」、故・村瀬孝雄その人である。

 そして、精神医学を含めた意味での治療者のあり方において、私の「神」なのは、未だにお姿すら拝見したことがない中井久夫先生である。

 フォーカシング・トレーナーとしての偉大な先達にして、敢えて"fellow"とお呼びしたいのが、初対面の時から異様な意気投合に到達したアン・ワイザー・コーネル女史である。

 最後に、私が若い頃から声をかけてくださり、一緒に飲ませていただき、九州に戻ってからも色々相談に乗ってくださった、私にとっての、あまりにも頼もしい、「現場心理臨床の兄貴」、それが、現九州大学大学院教授の田嶌誠一先生である。

****

 福岡県大牟田市生まれ。十代はそこそこ不良でした(^^)。しかし、高校時代のある時、突如心機一転して猛勉強、九大を目指します。

 そして、催眠療法や臨床動作法であまりにも著名な、日本を代表する心理療法家、成瀬悟策先生門下の逸材(認められるまでが大変だったそうですが)として、最初は病院心理臨床で、重篤な患者さんとの面接のキャリアを積む中で、深い変化を静かに引きおこししつつも、患者さんの自我を危機に至らせない「安全弁」を持つ、独創的な心理療法、「壷イメージ療法」を開発。

 続いて、広島修道大学、更には九大で大学学生相談を担当、深刻な精神疾患、暴力や引き籠もりの学生との関係作りに、他の誰にもまねができない独創的かつ積極的なアプローチで成果を重ねます。

 引き続き、文部省のスクールカウンセラー事業の草創期に、もっとも荒れた中学校を担当、教師、家族、生徒たち全体を巻き込む「ネットワーク型アプローチ」を導入して、学校の空気そのものを一変させ、少年院送りを繰り返す水準の不良生徒たちからも卒業時には崇敬を集めるという、神がかりな活躍をなさいました。

 そして、現在取り込んでおられるのが、多くの場合、家族からの虐待から保護された子供たちが収容される、児童養護施設内部で陰惨に繰り広げられてきた、「施設内暴力」を一掃するシステムをコーディネートすることなのです。

 日本の心理臨床の生んだ、空前の「現場で行動する臨床心理士」、それが田嶌誠一先生です。

*****

 田嶌先生の新著について、かなり前からこのブログで記事を書くとお約束しながら、私自身が急激に多忙化する中でなかなか果たせないで来ました。 

●田嶌誠一:「現実に介入しつつ心に関わる -」(金剛出版)
ISBN:978-4-7724-1103-5

 

現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵

(楽天ブックス)

 講演記録を元に、新たに書き下ろされた、児童施設内の暴力問題への対応についてを中心主題とする、本書冒頭の「総論に代えて 現実に介入しつつ、心に関わる」以外の論考は、その大半について、先生が最初に学会発表されたその場に臨席もしたし、学会誌でお読みしている。

 冒頭の章の概要そのものも、先述の記事で書いたように、先生に直接お会いする機会を持たせていただいた時にうかがっている。

 今回、実際の著作の内容と照合しても、その内容の最低限のイントロダクションの意味は、すでにあると思えたので、ご参照下されば幸いである。

*****

 そういう意味で、「ライブ田嶌」先生からすでにうかがった内容のほうが私の中で大きなインパクトを占め過ぎているために、どうもこのご著書の内容を改めて客観的に概説するとなると、私は心境的にちょっと重荷になりすぎる。

 ただ、申し上げたいのは、先述の、今回書き下ろされた、冒頭の「総論に代えて」の持つ、凄まじいまでのインパクトと、そこに示された先生の決然たる問題提起だけは、是非、多くのカウンセラーの皆様に、実際に目を通していただきたい。

*****

 いくつか、この「はし書き」と最初の章から、田嶌先生の言葉を、アフォリズム的に拾い上げてご紹介することとします:

=======以下引用========

 「私は、当事者のニーズの応えること、そしてできればもっとも切実なニーズに応えることを心がけてきたつもりである」(p.5)

 「現場のニーズを、『汲み取る、引き出す、応える』ためには、心理臨床家が従来のようにもっぱら心の内面や深層に関わるという姿勢(それも必要ですが)のみでは不十分で、『現実に介入しつつ心に関わる』とそれに基づく多面的アプローチが必要となります。これは、心理臨床が生き残れるかどうか、換言すれば心理臨床が社会に貢献できるかどうかに関わる重要なことだと私は考えています」(p.12)

 「しばしば間違えるのは、学校の先生と保護者とが『原因は何でしょう』と話し合うことです(中略)。すると、お互い内心は『こいつだな』と思っているわけです。そうすると、連携がちっともうまくいきません。
 それよりも、この子が元気になるために学校に何ができるか、保護者に何ができるか、それを一緒に話し合うというスタンスでいきますと、割合、無難な対応ができます。(中略)
 保護者の力、担任の先生の力、生徒たちの力、そして相談に乗った私と、いろいろな人がネットワークを活用してその子の援助をしていくという形になります。これが『ネットワーク活用型援助』です。心の内面だけではなく、現実に介入していくわけですね」(pp.18-9)

 「[まずは]いじめという現実がなくならないといけない。その解決は、いじめが沈静化する必要がある。完全な解決かどうかはともかく、とりあえずいじめがなくなる[ように、その学校内のネットワーク・システムに介入する]。その後、本人の心を扱うという形をとる。これが『現実に介入しつつ、心に関わる』ということの例のひとつですね」(p.19)

 「このように、いじめなどがそうですが、必ずしも本人が変わるべきではなく、周囲が変わるべきである場合もあると考えるようになりました(中略)。今では問題は、『主体と環境の関係』だというふうに言っています。主体と環境、つまり、内的環境と外的環境があって、その心、内面の問題は内的環境との関わりの問題なのだろうと考えるようになりました」(pp.19-20)

 「大事なのは、『個人の心理や病理』だけではなく[学校や地域の]『ネットワークの見立て』どということを強調しているわけです」(p.20)

 「[施設内暴力]に加担した加害児のうちのひとりは、1,2年前まではそのボスからおしっこを飲まされたり、散々いたぶられています。つまり、かつての被害児が加害児童になっているわけです」(p.25)

 「施設では多くの場合、[マズローの言う]『安全欲求』が満たされていないわけです。これは成長の基盤です。だから[まずは、施設内での]暴力をなくさないといけない。しかしこの理屈が意外と臨床心理の人に通りが悪かったんです。つまり、こどもたちが暴力を振るうのは、心の傷があって、それをケアすることが大事なんだという発想が強すぎて、理解が進まないんですね。心のケアは大事だけど、その前に、暴力を使わないで暴力をきちんと抑えるということが必要です」(p.27)

 「それらの問題行動は、過去の虐待や苛酷な教育環境への反応として、反応性愛着障害や発達障害の兆候として理解されてきたように思います。(中略)
 しかし、それらの問題行動は、子供間暴力(児童間暴力)や職員からの暴力等の、その子が現在[施設内で]置かれている状況への反応である可能性があるということになります。(中略)入所前に受けた虐待が主なる原因ではない」(p.27)

 「『愛着』や『トラウマ』関係のどの本でも、安心・安全が重要であると述べられていますが、その安心・安全を施設で実現していくことがいかに大変なことか、どうやって実現していったらいいかということが、まったくといっていいいほど言及されていないのです」(p.37)

 「[施設内暴力という問題それ自体に対する]専門家によるネグレクト、大人によるネグレクト、そして社会によるネグレクト」(p.38)

 「私は臨床家ですから、『告発者』としてではなく、外部から援助者として現場にうまく入らないとならない。そのためには、大変なエネルギーと技術が必要です。しばしば、「志は高く、腰は低く」という姿勢が必要です。そして問題を発見して、解決システムを模索して考案していくという順序になります(p.39)

======引用終わり=====

 田嶌先生が全国の児童養護施設に提案し続けている「安全委員会」システムとはどのようなものかについては、ネットでの情報などでは済ませずに、是非、実際に本書をお読み下さい!!

 なお、こうした被虐待児を一箇所に百名以上収容する施設など、欧米には存在しないとのこと。だから、解決策には輸入できるモデルなんてないそうです。

 「里親制度」・・・・欧米は基本的にそっちなんですね。

 日本にも里親制度はありますが、時折、里親自体からの子供への陰惨な暴力がマスコミ記事になることはたいへん痛ましいことです。里親と子供への、地域の個別の公的サポート(監視)体制が不十分すぎるんですよね。

*****

【追記】:  この著作についてのご紹介シリーズ、追補して書かせていただくことにしました。こちらからどうぞ。

******

【更に追記】:

この本の続編、「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」が刊行されました。

その本のご紹介は、こちらでしています。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/23

フォーカシング指向心理療法と短期療法のベースには共通点があり過ぎる!!

 日付が変わって昨日になってしまいましたが、以前予告しておりましたように、福岡国際会議場で開催された、第82回日本産業衛生学会の関連行事、第2回産業心理技術研究会に参加してまいりました。

Image573

 長崎純心大学の児島達美先生を講師にお迎えして、

「産業保険活動をより効果的に進めるための心理的支援
 -ブリーフ・セラピー、システムズアプローチの視点から-」

というテーマでのものでしたが、産業保健領域でのうつ病のクライエントさんの就労支援についての「ライブ・コンサルテーション」と呼ばれるものの実演に接したことが、私にとって非常に大きなインパクトになりました。

 ここでなされている相互作用は、すこぶる、すこぶる、フォーカシング的なものだったのです!!

 実はこの催しにあわせて、泥縄で、最近、日笠先生の監訳で邦訳が刊行されたばかりの、バラ・ジェイソン著、「解決指向フォーカシング療法―深いセラピーを短く・短いセラピーを深く」を斜め読みして臨んだのですが、そこから予想されていたものを遥かに超えた水準で、短期療法の達人(日本ブリーフセラピー学会元会長)、児島先生のライブ・セッションは、成功裏に進むフォーカシング・セッションと、あまりに共通のマインドと、驚くべき「ライブ性」を備えていました。

 その内容については、守秘義務には慎重に配慮した上で、当ブログでもご報告します。

 こちらに前編があります。

 博多駅近くの水たき屋での、参加者の皆様との二次会の懇談もたいへん充実した、楽しいひとときでした。

 お会いできた皆様、これからもよろしくお願い申し上げます。


****


 そして。

 もう、決めました。
 先述のバラの本これから数日で読破です。
 もう、現場実践で盗みまくらせていただきます。

 私の中に、それを受け入れるだけの準備は、実はいつの間にか、最近の私の目指す方向性の中に暗々裏に含まれていたことにも驚きました。

 数日後までには、いきなり、この本の詳しい「書評」を、かなりまとまった完成度でこの場でお書きできることでしょう!!


追記:書評にまではなりませんでしたが、まずとりあえずは、こちらの記事をどうぞ!!

●「すべてのことには、時がある」

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2009/04/24

こういちろう、酔った挙句に、友人の絵の印刷屋さんと化す!! [第2版]

コネタマ参加中: 酔ったら止まらない?!お酒の失敗談教えて!

 大学生時代の頃は、ずいぶんお酒に弱かったです。ビールコップ1,2杯で酔っ払うところがあって(今は最初からペース配分するので、結果的には意外と飲んでも平気なようになりました)。

 記憶しているのは、大学(法政)のゼミ(この時のはカントのゼミ!)での飲み会の後に、別な大学に通う高校時代の友達と会うことにしていたんだけど、お店で完全に記憶喪失。気がついたら、セミの友人に肩を借りてJR市ケ谷駅にやっとのところでたどり着いたばかり。

 そこに高校時代の友達は車で迎えに来てくれていた(携帯もない時代に、いったい誰がそういう段取りにしてくれていたのやら?)。その車の助手席で、私は彼に、彼が当時付き合っていた彼女についてのひがみを実に遠慮なくぶつけまくっていたあたりで再度記憶が途切れて(今にして思うとスマン.....)

 朝もう一度起きてみると、彼のアパートで横になって寝ていた。

 彼にお礼を言って別れた後(.....か、彼は、いったい何のために私に会ったのか?!)、中央線に乗って、当時住んでいた八王子に向かい、八王子駅にたどり着いた後になってはじめて、通りがかりのおばさんから、「背中に絵の具がべったりついてますよ」と。

 私のシャツの背中には、彼が美術の宿題として描きかけていた絵が見事に「転写」されていた!!

 どうみても、キャンパスを敷布団にして寝ることを私の無意識が選択したとしか思えずcoldsweats01

 帰る途中に、電車を2,3本乗り継いで、席にも腰掛けたのは間違いないので、私はあちこちに転写しまくっていたのではないかと思う( ̄○ ̄;)!


******


 いずれにしても、去年のくぅちゃんの謝罪事件のあたりから、謝罪する側も、謝罪を求める側についても、何か違和感を感じさせられる事件ばかりが多い中、今回の草なぎ君の事件に関しては、謀略説も立てようがないし、国策捜査でもないだろうし(^^;)、しばらく芸能活動自粛、ご本人も今後反省して謝罪するという流れがしなやかに予想できる。

 つまり、ほんとうは、誰にとっても、今回の事件はショッキングではない筈。対応に追われるテレビ局の番組制作スタッフや所属事務所のスタッフ以外は誰も被害者がいないわけだし。すごくまっとうかつ清純な(?)、スキャンダルともいえないくらいのスキャンダルだと思う。

 いくら地上波デジタルのキャンペーンを担当していたからとはいえ(そりゃ、降りてもらうしかないだろうけど)、今回に関しては鳩山総務相の怒りの会見も、むしろ「最低の人間」とまで言い出す鳩山さんの方がこあーーい!といいますか。

【追記】 鳩山さん、発言撤回しましたね(^^) 「最低の行為」もまだ言いすぎかもしれませんが。更に最低はいくらでもあるでしょうしdown

●【SMAP草なぎ逮捕】鳩山総務相が「最低の人間」発言を撤回(msn=産経)


 あえて言えば、今回の事件を一日ネタにしたら一晩で忘れるcoldsweats01くらいの、実にあっさりとした態度をたいていの日本国民が取れることは信頼していいと思うし。今の日本はそんな場合ではないでしょ。


 そういう意味では、草なぎ君、国民に、飲んだらスカッとする、一服の清涼剤のような事件を、どうもありがとう (○゜ε゜○)ノ~~

跡は、もとい、後は、お水で簡単に洗い流せまーす ♪(o ̄∇ ̄)/


(.......い、いかん、某所で「放牧」している弟子のノリが写って来たではないか)


******


 私は、KYという言葉がすごく嫌いである。

 なぜなら、その言葉を使う側の人のほうが、他人に気持ちを汲んでもらうことを今や図々しいまでに期待している、マグロのような人たちに思えるので。


●リンク: 草なぎ剛に何があった? - ココログニュース

この記事へのコメントの中で、A.Kさんという方が指摘している以下のポイントは傾聴に値するかもしれない。

========引用はじめ=======

警察の、草なぎ剛さんの逮捕は、法律違反:警察犯罪との重大な疑念があります
1.公然わいせつ罪は故意犯で過失は不可罰であること
2.草柳さんの全裸は、極度の酩酊常態下で成されていること
3.午前3時との人目に付かない時間帯であること
4.酩酊とは心神耗弱常態を意味しますから、刑法が要求の「行為性」を有しない
5.現行犯逮捕の要件を欠くこと
Ⅰ意志の欠缺との非行為性 Ⅱ逃避等の証拠保全必要性を阻害する行為をとって居ないこと
等の事実があるからです
草柳さんの逮捕の理由は、警察官に喰ってかかったとの理由が、最大の理由としか思えません
だとすると、警察の行為は、刑法の逮捕罪との犯罪行為との結論に成ります
まじめな下級警察官の存在に比し、幹部(逮捕状請求権を持つ警部以上)警察官のイフシ事件、電車痴漢騒動での被害者の一方的主張との客観性を有しない資料での被疑者逮捕等、国民生活を侵害の警察の犯罪手法が横行しています
テレビ・新聞マスコミは、なぜ、今回の、警察の逮捕に疑問を持たないで、警察情報を垂れ流して、
草柳さんの人権侵害を行ってイルのでしょうか?
報道の客観性との姿勢を忘れているマスコミには、警察の逮捕が違法なら、草柳さんの人権侵害に、重大な責任があります

========引用終わり=======


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2009/04/02

SART(主導型リラクセイション・セラピー)のセミナー参加報告 [第4版]

 福岡市で行なわれた、臨床動作法の新たな流れというべき、SARTの体験セミナーに出席して2週間半もたってしまいました。

 以前お約束した、開発者の大野博之先生(福岡女学院大学 NPO法人心理リハビリテイションセンター)に「自由に書きなさい」とむしろ発破をかけていただいた報告記、お待たせしました。

****

 そのセミナーの最初の講義で、大野先生が、まさに「前フリ」としてお話になったことを今回は書いてみたいと思います。

 「今、心理療法の領域で、一番元気がいいのは認知行動療法だろう。しかし、認知行動療法は、翻訳文化そのものというか、輸入された、そのままの形で日本中で教えられている。つまり、教えられたままを教える、という形に留まっているように思います....」

 九州大学の成瀬悟策先生が開発した「臨床動作法」は、その基本的な着想から、その独特の心と身体の関係についての理論、そして現場での臨床実践とその適用範囲の拡大が、日本人の研究・実践者の間で草の根レヴェルでも学術的にも発展してきた、世界に誇る日本発のセラピーのひとつである。

 今や、自閉症スペクトラムを含む乳幼児発達障害、知的障害、事故等による障害からのリハビリ、認知症、終末期医療を含む、それこそ、ゆりかご(生後数ヶ月の乳児にも可能!!)から墓場まで、臨床動作法の適用対象は広がっている。この対象年齢と適用領域の広がりという点では、恐らくどんな心理療法も臨床動作法には適わない。

 何しろ、成瀬先生の教えを受け、なが年福岡教育大学で教鞭をとられ、臨床動作法における中心的な役割を果たしてきた鶴光代先生が、現在の日本心理臨床学会理事長である。

 実は、臨床心理士の世界の内部では、そのくらいに臨床動作法がメジャーであることについて、殊にネットの世界ではほとんど全く知られてない(ネット検索すると、その情報量の乏しさには驚きを禁じえない)。臨床動作法の関係者の皆さんこそが、まさに「リア充」の典型を生きる援助職の皆様というべきかも知れない。

 しかし、そうやって発展してきた「臨床動作法」そのものが、実際には、ひとつの重大な問題に直面していることをひしひしと実感する最前線にいたのが、まさにこの大野先生でした。

*****

 臨床動作法には、一定の、一連の動作課題がある。それは当初、障害者の肢体不自由を改善し、少しでもその人たちの行動の自由を増すことを援助するためのものであった。

 (それはその後、身体への働きかけを通して実はメンタルな治癒も進んでいるという発見につながり、それは障害者に限らず、誰にでも効果があるセラピーとして普遍化されていくのですが)

 しかも、その特定の動作課題を達成してもらうために、援助者は、対象となるクライエントや障害者の人たちを完全に受身にする.....十分に心身をリラックスさせて、施術者に不安や緊張を感じることなく身を委ねられるように導くのが効果的であるという、たいへん「逆説的な」アプローチを採用した。

 もとより、そのことを可能にしたのは、成瀬先生がすでに催眠療法とリラクゼーションの大家だったからであることは、知る人ぞ知るとおりである。

 そして、ある意味ではその逆説こそが、臨床動作法の真髄であったことは間違いない。

*****

 だが、それでも、日本のどこかの研修会や臨床現場で、時折、間接脱臼や骨折等の「事故」が生じるという現実に直面する。動作法関連の組織の委員=責任者として、大野先生は、多忙な時間の合間を割いて、そうした事故が生じた日本の各地の障害者やそのご家族のもとを訪問し、お話をうかがい、謝罪する旅を続ける、まさにその当事者だったのだ。

 大野先生は、この問題を解決するため、旧来の臨床動作法が自明の前提としていた原則そのものを大幅に見直し、ある意味で更にもう一度逆転させるという、大胆なアプローチに踏み出していく。

 「腕を上に上げて下さい」.....でも、どのように腕を上に上げるかについては、まずは自由にやってもらう。

 援助者はそうしたクライエント側の自発的な動作と、それを本人がどう体験しているかを丁寧に見極め(熟練トレーナーは、この、姿勢や身体感覚を共感的に「観る目」の感度が半端ではありません!!)、相手の身体に触れて感受しながら、無理のない、最低限の範囲でしか動作補助をしない

 それどころか、クライエント側の人各自が自分なりに動作課題を工夫し、案出し、「つまみ食い」的に日常で繰り替えることを奨励すらする。

 動作課題は、クライエント(子供でも、重度知的障害者でも!!)が、無意識のうちに日常の中で繰り返す、自発的(主導的)なユニークな一連の動作の一部に過ぎなくなる。

 こうして、何と「今のところ事故率ゼロ」の動作法が、ついに開発される!!

******

 それは更に、最初から独習するための読者を前提とした、「ひとりSART」のためのヒント集的なハンドブックの公刊という、我がフォーカシングが未だ果たしえなかった成果を、すでに達成してしまったのである。

 だが、大野先生はそれでもなお強調する。

「ここに書いてあることを全部やってみる必要なんて何もないのです」

 と。もう一冊の新著は、ついに「ヒント集」に過ぎないことを明確に打ち出した。

(これら2冊は直販制です。DVD版もあります。ご注文はこちらのサイトをご覧下さい)

 そこには、「トレーニング・マニュアル」として、あたかも学校の教科書のようにして学んでいかねばならないという発想への、強烈なアンチ・テーゼが内包されていると思う。

*****

 私の知る限り、認知行動療法になじめなかった人の多くが語る不満、それは、それがまるで「学校の勉強みたいだ」という点に共通項がある。

 (もちろん、臨床面接の現場で、患者さんの反応を見ながら、全く臨機応変な新鮮さを保ちつつ認知行動療法を生かしているカウンセラーが確かに実在することも、私は承知しているが)

 幸か不幸か、ある意味で学校での勉強のように学ぶことから一番遠い形をとらないと真にスキルアップしないのがフォーカシングのトレーニングである。

 ところが、SARTのセミナーでは、そうした、フォーカシングトレーナーのすべてを驚愕させる、想像を絶する実例がすでに蓄積されつつあった事実が明らかにされたのである。

 それはどのようなものか?

【第4版での追記】:

 ・・・・・それについてより具体的に別記事でお書きする予定だったのですが、機会を逸したまま今日に至ります。

 いずれ書評の形でいか貴意したいと思っていることには変わりがありませんが、これを機会に、タイトルにあった「予告編」の文字は取り下げさせていただきますことをお許し下さい  

*****

【追記】フォーカシングと臨床動作法の出会い

 共に九州大学が日本での臨床研究の聖地であったという兼ね合いから、フォーカシングと臨床動作法の間の交流は、特に九州ではすでに四半世紀の歴史を持っている。

 私も、約20年前学会での、成瀬先生、鶴先生、池見先生らを交えた自主企画シンポジウムのすでにフロア参加し、成瀬先生のあまりにも強烈な個性に接した。

(きっと大丈夫なので、正直に書きます!!)

「このおじいさん先生、もの凄く偉い人かもしれないけど、もう少し人の話を聴いて欲しい!!」

とあきれ返りながらも、諦めずに論戦を挑み続けていた、若き日の私がいた。

 今にして思えば、それこそが、成瀬悟策先生にしかない、豪快な生き様の一端だったのだと思う。これほとインパクトのある大先達の先生には、確かに他にお会いしたことがなかったのである。

 つい先年、全くの偶然のようにして、成瀬先生や鶴先生と同じテーブルでのお酒の席につく機会が学会研修会(福井)で生じた。私は、当然昔の私のことなど覚えておられないという前提で成瀬先生のお酌をした。

 昼の部での動作法の実習講義、そしてその宴会の席で深く感じさせられたのは、一見豪放であるかに見えた成瀬先生の中に、クライエントさんへの、類稀れなやさしい心遣いか秘められているということだった。

 この先生は実は凄く繊細な方だと。

*****

 それよりかなりさかのぼるが、10年ほど前、私の少し先輩の学習院大学の伊藤研一先生と、「現代のエスプリ」410、「治療者にとってのフォーカシング」の共同編集を進める中で、伊藤先生が臨床動作法とフォーカシングを重ね合わせた時に何が見えてくるのかに、たいへんな関心を抱いておられることを知った。

 伊藤先生は、このエスプリの特集の中で、当時兵庫教育大学に奉職されていた冨永良樹先生に、「フォーカシングと動作法」という原稿を依頼し、掲載されている。

 これが、私が直接掌握している、フォーカシングと臨床動作法の日本での出会いの歴史である。

****

 もっとも、「リア充」な福岡の大学院生たちは、今も実にフットワーク軽く、動作法、SART、フォーカシング、精神分析のワークショップを飛び回っているわけで、そうした院生たちこそ、フォーカシングと臨床動作法の、草の根での出会いを、すでに紡ぎ続けている、「地上の星」になるべき若手たちなのだと、私はつくづく思っている(^^)

 私はそうした若手の皆さんに、その得がたい機会を自覚しないまま、今の時期を通り過ぎて行って欲しくはない。

 だから、こうして、草葉の影から、もとい、草の根臨床のまだまだ新米中年として、若手に、そのことに注意を向けてもらうきっかけになりそうなことを書くのだ。

 これこそ、すでに中堅になった私に、全く無理なくできる、「出会い」のセッティングである(^^)

 (ああ、もう仲人をする齢だったりして)


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2007/10/01

ステンカ・ラージンについて(第4版)

ヴォルガの流れは果てしなく続いていました。
ステンカ・ラージンは、手下たちと一緒の舟に乗っていました。
麗しいペルシャの姫に彼はご満悦。
でも、手下たちがそれを誹謗(ひぼう)していることに、ラージンは気づきました。

そこで早速、ラージンは、姫をヴォルガ河に放り投げました。


 「ヴォルガ、ヴォルガ、
 生みの母、
 ヴォルガ、
 ロシアの河よ。
 贈り物を受け取ってくれ。
 これがドン・コサックからの美しい贈り物だ」

Stenkara_2


* どうしてステンカ・ラージンはペルシャの姫をボルガ川に投げ込むのか
     (サイト「ロシア民謡の謎を追う!」)

そして、ラージンは、更に叫びます。

 「お前たちはなぜ沈んでいる?
 さあ、フィルカよ、
 踊ってくれ。
 皆で陽気に歌い、
 姫の冥福を祈ろう。」

(一般に日本で唄われている与田準一による訳詞とメロディはこちら。)

Don Kosaken Chor, Iwan Assur & Serge Jaroff - Meisterst?cke - Stenka Rasin

【注】ステンカ(ステファン)・ラージンは、ドン河を中心として活躍した「ドン」・コサックの首領。皇帝に対して反乱を起こし、最後に処刑されたた「ステンカ・ラージンの乱」(1858)を通して、民衆のヒーローとして様々な伝説を生む。補遺ーローとしてドン・コサックはヴォルガ河を経由してカスピ海を南下し、ペルシャを侵略した。この「姫投げ」のモチーフは、キリスト教以前のロシアの自然崇拝における母なる川への生け贄という異境的儀礼の名残りでもあると推測される。

 なお、歌詞中のフィルカとは、ステンカ・ラージンの娘のことを指すだろうとのこと。

 (........以上、伊藤一郎著「マーシャは川を渡れない -ロシア民謡の中の文化-」による。)


******


 私は、子供の頃に、このロシアの歌(ドミートリー・ニコラエヴィチ・サドフニコフ作詞)の日本語訳(直訳)をはじめて読んだ時の異様な感慨と同じ感じに襲われるたびに、

すてんか らーじん!!

と心の中で叫ぶようになりました。


 もっとも、私は、手下たちの「嫉妬」を察しての、ラージンの行為だとのみ、ずぅーーーーっと、勘違いしていました。でも、私の感じたわけのわからない衝撃は、生け贄儀礼の残照と理解する方がよほど実感とフィットします。

 これが私の太古的・元型的表象(???)の具現化、すてんか・らーじニズムの原点です。

 直前の記事参照。

 続編こちらにあります。

2007/07/06

こういちろう、キジネコ軍団のリーダーとして高良山にツーリングして、打ち上げ宴会で盛り上がるの巻

BlogPet 今日のテーマ いぬねこワンニャン
「猫と犬 どちらが好きですか?」
 そりゃ、ネコです。前も書きましたけど(^^)

 先日、夢の話をエヴァで書きましたけど、(今日、定休日でして)昼寝の際に,ホントはその種のネタに格好そうな夢を見ました。

 私は実家の久留米に帰省しているのですが、子供の頃家で飼っていたネコたちの末裔とおぼしきネコが30匹ほど住んでまして。ほとんどがキジネコ。

 どういうわけか、私はその連中を引き連れて、

「さあ、今からみんなで高良(こうら)山にのぼろう!!」

「オウ!!」

.....とネコたちは答えて(.....答えたんだよ!!)まるで暴走族のように(^^;)隊列をなして耳納(みのう)スカイラインを駆け上がるわけであります。

 高良会館前駐車場(高良大社下)まで来ると、すぐにUターンして、今度は怒濤のように下り始める。

 マラソンと同じで、かなりペースが遅れているネコたちもいて、下る途中ですれ違う。

 最後の3匹はまだ山の麓のあたりをのぼり始めたばかり。見ると、その3匹は生まれて2ヶ月ぐらいの子猫たちでして。ヨチヨチとのぼって来ている。

 私は、こんな連中までいたのかと,驚き、小さいのに感心だな.....と思って

 「おい、大丈夫か?」

と声をかけるが、

 「よいしょ、よいしょ」

と声を出しながら真剣にのぼる様に、こいつらのやりたいようにやらせようと思う。

 「遅れて来てもいいからな。下で待ってるから」

と声をかける。


****

 
 次のシーンでは、
山を下りた我がキジネコ軍団は、
そのまま明治通りから一番街あたりの飲み屋に終結して、
机を並べた座敷席に並んで、
コップを片手に(両手だったかもしれないが)ビールで乾杯している!

 打ち上げ?????


(シュールな映像だ....)


 すると、となりの列にも、30代ぐらいの会社員の20名ぐらいの団体さんがいて宴会していたところから、

「おう、にいちゃんたち(ニャーちゃんたち?)、
 盛り上がってるねえ!!」

と声がかかり、意気投合して和気あいあいと交流が始まる!!

****

その頃、別の飲み屋では、私の実家の親戚一同数十名がこれまた飲み会をやってまして(^^;;;)

 そこに、私と、先発隊の3匹のネコが到着。

私は、

「どうもすみません、遅れまして。
 今、高良山までみんなとちっと走って来まして。
 別なところで飲んでたもので。

 そこで別な会社の人たちと盛り上がってしまってねぇー。

 残りもまもなくこっちに合流しますから」



するとまたもや会場から


 「うぉーーーーーー!!」


という歓声が上がる。


******


 ネコも親類縁者のメンバーで当然!! というこの夢の中の常識は、ちょっと異様な、でも妙な「豪快さ」のある光景であった。

Oyasumi_3

(↑)酔いつぶれたネコ軍団(......のわけない!!。以前も紹介しましたけど、ほんとうに身体をよせあってとぐろを巻いて冬の北風の中で昼寝していた30匹ほどの野ネコ軍団の貴重な写真です)


070706a

.....こんな夢、おまえとばっかりここで掛け合い漫才しているせいかしらん?、「あゆさま」。


.......「山」に一気に駆けのぼり駆け下りた「私」が、今、「世間の中に」帰り着いた......というのは、ある一つの実感としては、私なりに腑に落ちます。

 恐らく、私の行動スタイルの、まさに「今」、直面している「転機」と一致している気がします。


(↑)これ、他の人が作ってた質問ですけど、ここにも貼れるので。

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