法政大学

2010/10/15

「ぎゃほーーん!!」 -のだめカンタービレ in ヨーロッパ 前編-

・・・と、今度は、のだめ風に、ますは感嘆の声を上げさせていただきます!

(当然、上野樹里さんの声の演技を想定して下さい ^^)

 劇場版「最終楽章 前編」の次に、今度は、TVシリーズの後に制作された、いわゆる「パリ・スペシャル」前編(Lesson 1)を観る(DVDレンタルです)というのは、順序的にみると行ったり来たりですけど、私のように、遅れて来た「のだめ」ファンにとっては、これでもまだ「作法にかなった」鑑賞順序(?)でしょう。

(追記10/10/22 : 最終楽章 後編の感想はこちら

のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]

※ ↑ どうもセル版は前後編2枚組のようですが、少なくとも私の借りたレンタル屋さんでは、「前編」と「後編」は別パッケージでした。当然、後編も同時に借りていますが、前編観た段階で、「千秋様」の投げる「人形のだめ」並みに「ぶっ飛ばされる」衝撃度だったので、後編を観るのは後回しで、以下の記事を書きます。

 【注】このTV版スペシャルも、2年半以上前(2008年1月)の放送ですので、ネタバレ全開モードで書きます。

*****

 まずは絡め手から。

 千秋くんが、プラティニ指揮者コンクール第2次予選でりヒャルト・シュトラウスの交響詩、「ティル(・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら)」を振った時に緊張し過ぎてオケぎくしゃくし、恐るべき「負」のオーラに取りつかれている時に、のだめが投げかけるセリフ。

のだめ:「ただ、オケの人に嫌われちゃっただけですよ。Sオケの時と同じで。音楽性より人間性」

千秋:「人間性・・・」

のだめ:「先輩って、誤解されやすいですよ。、粘着の、完全主義だから。でも、コンクールの先輩から言わせていただくと、ある意味で良かったんじゃないでしょうか。ポッキリ折れて、鼻が。人間は負けて大きくなっていくんですよオ!のだめのように」

千秋」:「(突如立ち上がり、のだめの首を締め上げながら)・・・お前ここにホントに何しに来たんだ?! 」

のだめ:「エール送ってるんですよオ!」

千秋:「どこがエール送ってるんだ? 人の傷口に塩を塗りやがって。お前だって、『負けた』と思ってるんだろ?」

のだめ:「のだめ、ジャン(注:コンクールでライバルの指揮者)に負けたと思ってないでしゅ!」

千秋:「俺だってジャンに負けたとは思ってねえよ。・・・(落ち着きを取り戻し)・・・負けたのは・・・・自分に・・・・」

のだめ:「・・・・・」

 ・・・・ここまでのセリフに、さりげなく「粘着」という言葉が入っているのが凄いです。

 のだめは、どういうわけか、クレッチマーの「粘着質」概念を知っている=原作者は、千秋の性格をそのように造形している?!

>このタイプは几帳面で礼儀正しく義理がたい。着実で手堅く非常識な面が無い。 忍耐強い性格であるがストレスを内側に溜め込み、我慢が一定のレベルを超してしまった時の怒り方は凄いものがある。 また、非常に頑固な面を持ち、自分の意志を曲げようとしないことも多々ある。まかり間違えば独裁者になりうる素質の持ち主。

>地道な努力で、一度手がけた仕事は最後まで粘り強くやり通すが、その反面手際が悪く感じられることもある。 対人関係では、信頼はおけるが面白みに欠けるタイプである。

 (以上、「アニメキャラクター分析(キャラ考)」サイト by 雪音 様 より引用。これは原典がしっかりしたものからの引用としか思えないレヴェルです)

 ・・・完全に、千秋くんそのものでしょ?

 (千秋君はマッチョ体型ではないけど)

 二ノ宮さんの考証って、半端じゃないことが、こういうさりげない所に出てます。

 やはり、以前から書いてるように、実は非常に「構築的な」クールな作家というイメージが更に強まりました。

*****

 次に、劇場版では始まって10分であっさりに「お断り」で妥協したのに、この「パリ・スベシャル前編」の中で、特に前半、のだめ(上野樹里さん)も千秋(玉木宏さん)もフランク(ウェンツ瑛士さん)もタチアーナ(ベッキーさん)も、フランス語をここまでしゃべくりまくるとは!!

 ひょっとして、ハーフのウェンツさんとベッキーさんにはフランスの血が流れていないかと調査したところ、特にそうではないらしい・・・(呆然)

 私は、大学(学部は法政)の第2外国語で、当時の日本で代表的なドイツ語の先生の講義を受けて全部「A」もらってます。哲学科でカントの原典購読していたし、クラシックファンでドイツリートも大好きですから、今でもドイツ語の文章なら、旅行会話水準の言葉("Wie geht es Ihrnen?"とか)ある程度口をついて出ますし、少なくともドイツ語の文章をいきなり読み上げて、単語の意味不明でも、やや古風かもしれない標準ドイツ語としておかしな発音は、ほぼしない自信あります("Ich-Laut"と"Ach-Laut"の使い分けまで)。

 辞書さえ引けば、今でもだどたどしくなら翻訳できる・・・今の私のドイツ語力は、単語の語彙数を別にすれば、英語力よりそんなに低くないとすら。

(英語力が立教クラスの大学院出(更にその後、「院研究生」として、不肖ながら、何を間違ったか東大です・・・)としては低すぎるだけだって?)

 恐らく、「米語」を聴く耳より「ドイツ語」を聴く耳のほうが今もいいはずです。

 ところが、全然学んでいないフランス語となると、読むこともできない(クラシックファンなのに、CD洋盤ショップで”Dutoit”って誰よ?・・・が大きな壁として立ちはだかった)。

 フランス映画を観ても、何かドイツ語に比べると「ふにゃふにゃ」した軟体動物のような声がするのを呆然と聴き、完全に字幕依存。「メルシー、ボク-」とか「コマンタレ・ブー」とかなんとかと聞こえる「音声」(「言語」以前の認識水準^^;)が頻発させるのは何だろう?ということになります。

 (閑話休題。実際に生身で遭遇すると、生粋のフランス女性(=アングロサクソン系の血が皆無と思える)の放つ「オーラ」って、ファッション以前にダイレクトに凄いですね・・・。これは、ちょっと慣れれば、アメリカ人と、「言葉を聞かずに、見た目だけで」容易に区別できるようになります)

 実は私、ドイツ語の場合なら、歌える「訳詞」でトイツリートの曲(「第9」はいうまでもなく、シューベルトの「魔王」や「流浪の民」、歌曲集「白鳥の歌」「冬の旅」「美しき水車屋の娘」の主要曲を覚えて歌い、更に原詩でもある程度歌おうとしていたくらいですが、フランス語は「超」別世界。

 ポップスやロックを聴く中で英語を覚えたという人は少なくないでしょうが、私がほんとうに熱中して聴いたのはビートルズぐらいですから、「イギリス英語」への耳はそこそこあっても、「米語」耳はほぼなしです。

 (でも、ビートルズで全曲歌い通せるのは”Yesterday”のみという情けない始末。逆に「魔王」や「白鳥の歌」からの何曲かならドイツ語で一応歌えます)。

 もとより、のだめたちが話しているフランス語は、ネイティヴよりは「日本語的発音」のものなので、聴いていてもカタカナで置き換えられそうですが、それにしても、セリフとして予想を遥かに超えるだけの量のフランス語。

 「のだめ」という作品の役者さんたちへの要求水準はかなり壮絶だったんだな・・・・と、つくづく。

 (突然ですが、来年の大河、「江」で時代劇初挑戦、しかもいきなり主役の上野樹里さん、役者として幅を広げる大チャレンジですが、「篤姫」の宮崎あおいさんに劣らぬ成果をおさめられますことを・・・)

 のだめならずとも、マジ、例えば「エヴァゲリオン」の英語版やフランス語版、ドイツ語版があれば、「スピードラーニング」私もできるかなと思った次第。

 エヴァ本、阿世賀浩一郎/「エヴァンゲリオンの深層心理―自己という迷宮」まで出させて頂いた私、今でもTVシリーズのセリフみんな覚えてますもんね(・・・そういう水準で書いた、「ガイナックス非公式黙認」を「公式に」ダイレクトに取った上での本でした^^;)。

でも、実際、海外の"OTAKU"の皆さんは、そうやって日本アニメに熱中する中で、ホントに日本語を、全く書けなくとも「耳から」覚えるらしいですから、この物語での「あの」描き方も、実は「リアル」の裏付けなしとは言えないでしょうね(^^)

*****

 さて、やっと、このブログ恒例、大真面目な「音楽(演奏)評」を書きます!

 「指揮者コンクール」とはこのようなものだということを、ここまで具体的にリアルに描いた「フィション」作品は「世界初」でしょう(=原作段階でもそうということ!)。

 私も、ピアノ・コンクールはいざ知らず、指揮者コンクールの「実像」について、ここまで勉強になるとは思えず。

 実は、このあたりは、このブログでは直前に記事として書いた、茂木大輔さんの、のだめ公式内幕本、「読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会」でネタ明かしされてます(ここだけ当書のネタバレお許しを)

 つまり、原作段階で、本格的な指揮者修行も経験した、茂木さん自身の監修が入っているのです。

 茂木さんご自身は、すでにオーボエ奏者として日本の第一人者を長年務められた上で、故・岩城宏之氏の門をたたき、更に外山雄三氏の指導をお受けになるなどの経験を重ねられた方で、何を今更指揮者コンクールそのものを経る必要はお持ちではなかったのですが。

 それでも、非常に謙虚な文章で、「一介のオーボエ吹き」が指揮をするに到るまでの壮絶な壁との格闘を本書でリアルにお書きになっています。

 そして、きっと、指揮者コンクールに、「オケの演奏者」の側で参加された経験はご豊富なのではないかと推察いたします)。

*****

 さて、この「スペシャル」でも、相変わらず、演奏が練り上げられるまでの音の変化や、指揮者ごとの「解釈の違い」まで、マジに実際の演奏として収録されて、使われているのですね。

 千秋の音は、ドイツのシュトレーゼマンに認められるだけのことはあって(?)、少なくともこの「パリ・スベシャル」では、正統派ドイツ風の、構築的で硬派な演奏=「黒」(^^)

 対抗馬であるフランスのジャンの音は、まさにエレガントで透明=「白」(^^)

 もうひとりの片平元の演奏も、確かに独創的! でも音楽が完全にその指揮ぶりと一致している。

 踏み込んだことを言えば(・・・以下のあたりのことは、何も参照しなくても、「湯水のように」書けるクラシックおたくです)、彼が演奏した、グリンカの「ルスランとリュドミーラ」序曲は、グリンカそのものがロシア最初の著名な作曲家ですが、「ルスランとリュドミーラ」は、実はロッシーニ系のイタリア(喜)歌劇の影響を大きく受けながら試行錯誤の中で作曲されている、ロシア初の「国民オペラ」なんですね。

 だから、実は「ロシア臭く」やると野卑に響きすぎるという自己矛盾を内包した曲であり、ここで「片平さん」が演奏しているような、軽快なスタイルだと、曲の持ち味が「本当に」出てます。名演です(^^)

*****

 次に、千秋君の本選曲のひとつである、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲

 私はこの曲には好みがはっきりしています。オケは軽快かつシンフォニック(・・・自己矛盾!!)に、ソリストも、力演だと感じさせずに、何の苦労もなく演奏しているような、クセのない演奏でないと嫌なんですね。

 そのせいで、本当は、往年の名盤であるハイフェッツ/ライナー/シカゴ交響楽団の演奏以外、本当にいいと思ったことがありません(実はハイフェッツ盤には、録音当時(1950年代末かと思う)慣例だった「曲の省略部分」があるのですが)。

メンデルスゾーン&チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

 ところが! 

 断片とは言え、コンマスをソリストとする[千秋君の」演奏は、私を十分に肯かせたのです!! 

 これには正直、驚きました。私の永遠の座標軸がハイフェッツですから!!

*****

 更に音楽面、別の観点から見てみます。

 コンクールの公演を聴いた直後の具体的感想のセリフを聞くと、のだめちゃんにしても、フランクくんやタチアーナにしても、若くして、オケ演奏の良し悪しへの「感度」が凄すぎる!!

 このへん、物語として「出来すぎ」なんですが、3人の感想そものは、実際に音になっている演奏に対して(!)、全くリアルなんですよ!

 本当に「恐ろしい水準」の「TVスペシャル」です。

*****

 おしまいに。

 敢えて細かく言及しませんが(それがこのブログの、「のだめ」関連記事の、正統派ではない、婉曲で意地悪なところ)、総合的に見ても、この「パリ・スペシャル」、ドラマとしても、コミカルなテンポ感、切れ味、TVシリーズを凌駕すらしていて、「映画」と言っても何の遜色もない。

 日本にいる登場人物たちとのコミュニケーションも、これ以上あり得ないくらいに絶妙にいい味出してますしね(^^)

 更にこの上を行く、「最終楽章」の劇場公開となっていることは「前編」だけで十分すぎるほど分かりましたので、本当に、この作品の実写映像化って、どんどん進化しかしなかった、「化け物」的奇跡だと思います!!

 まだ、「パリ・スペシャル」後編と、「最終楽章」後編観てないのに、キッバリ断言できます!!

(全部観るのは、もはや時間の問題。無理のないペスで記事化するのみです。・・・・ただし、原作の感想のみ、少し遅れる可能性があります。当サイトのAmazonアフィリエイトレポートの、最近のポイント累積傾向予測からすれば、予想では「11月下旬」です。もっとも、未着の10月分レポートで、クーポン引き換えまで「一気に」貯まってくれれば、「実質無料、全巻大人買い?」可能まで一気に累積完了!! 予想外に早まるかも)。

*****

 ・・・・・以上、「粘着質」かつ「執着気質」のあいの子で(爆)、時々「対他配慮」が行き過ぎて逆にコケるのが玉に傷の、こういちろうよりの、「のだめ」ワールド航海日誌、第5弾でした!!

 (「パリ・スぺシャル 後編」への感想はこちらをどうぞ!!

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2009/09/30

最近このブログの内容の性格がずいぶん変わってきた

・・・・と、自分でも感じています。

 特にこの9月になってからの1ヶ月

 文字通り、「カウンセラー」こういちろうの雑記帳という、ブログのタイトルそのものになってきて、次から次へと、新たに接した素材(それが映画であろうと)について、ハードに煮詰めた形で書くようになって来た気がする。

 文体も、硬質でタイトなものになって来たように思うし。

 読者によっては、遊びがなさ過ぎるというか、要求水準が上がりすぎているとお感じの方もあるかもしれない。

 アクセス解析を観ても、読者層の皆さんの入れ替わり現象みたいなものがかなり顕著になって来たようですね。

*****

 そうなったひとつの刺激剤は、8月末の、1年1ヶ月ぶりの東京上京と、日本人間性心理学会第28会大会への参加だと思う。

 それが私にとって、久留米で生きることについて、やっと本格的に腹が据わる契機となったことはこちらの記事でも書いた。

 そして、東京からの帰途の飛行機の中で発想し、構想を煮詰めていったのが、昨日突如公式ウェブサイトを、秀吉の「墨俣一夜城」のごとく公然化させた「久留米でうつと働き方を語る会」発足に向けての動きである。

 私としては珍しいことだが、この構想を、幾人もの先達の諸先生方、何人ものグループ体験のあるクライエントさん、元クライエントさんに打ち明け、ご意見やご感想を頂き、もちろん既成のこの種の団体のウェブサイトをあちこち検索して参考にさせていただきながら、慎重に構想を煮詰めて行った。

*****

 もっとも、あのサイトそのものの「ウェブデザイン」は、マジに28日に半日で仕上げました(^^;)。私の作ったウェブサイトではこれまででもっとも美しいですね。どうしてこれまではこうはいかなかったのかと自分でも苦笑しています。cssまで使いこなしたのは今回が初めてです。

(追記:画面右端が空白だった問題は、すでにどのブラウザで見ても解決されているはずです)

***** 

 もうひとつ、東京での学会参加が、私を思いの他刺激したのは、一方でこれから地域に根を張る現場臨床にいよいよ踏み込むというのと同時に、アカデミズムというか、臨床心理「学」の領域で、まだ私にもできる、残された仕事がありそうだという思いだった。

 体調回復まで、思ったようにまとめられなかったため、このブログで再三「今年は個人発表する」と繰り返しながら、ここ4年ほどブランクが空いている。

 私の現場臨床における関心がうつのクライエントさんをいかに支援するかに重点が置かれ、フォーカシング指向心理療法に関しても「そのために」いかに役立てられるかという観点から探求の試みをしている最中である。

 それを構築するためには、まだまだうつ医療や認知行動療法をはじめとする様々なアプローチについての膨大な文献を読むことになるだろう。

****

 だから、今回は控えめにお伝えしておくと、来年の人間性心理学会第29回大会は、何しろ久留米から特急で1時間弱の熊本大学であることは確定しているので、そこで「何かについての」個人発表はします。これはうつに関するテーマをおもてに押し立てるかどうかは未定くらいに考えておきたい。

 ところが、更に翌年、2011年の日本心理臨床学会第30回秋季大会は、どうも九州大学が当番校になる可能性が高いそうですね。

 少なくともこの段階までには、「うつ」というテーマに関する私なりの現場臨床での実践のとりあえずの「総まとめ」を「学界で公表できること」を目指そうと思います。

*****

 ともかく、「うつと働き方を語る会」立ち上げ準備までのプレッシャーからは解放されました。

 私の、このブログでの立ち振る舞いも、10月は、別の意味で"Next level"に変容するかもしれません(^^;)

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2009/09/10

面接場面でのメタ・コミュニケーション自体を話題にする -Mick Cooper博士による、心理療法における多面的(pluralistic)アプローチ-  (3)

 ミック・クーパー(Mick Cooper)博士による特別講演、「多面的心理療法における理論・研究・実践」を拝聴した報告記の、前回に続く第3回です(^^)

 すでに連載第1回で述べたように、クーパー博士は、本来非指示的(non-directive)で、面接場面での、クライエントさんの主体性と自己決定権を最大限尊重するはずのクライエント中心療法的アプローチ(パーソン・センタード・アプローチ[PCA])そのものが、もしクライエントさんに、その治療者に対して唯一期待し得る心理療法の技法となった場合に、それが、メタな次元では、クライエントさんが、クライエント中心療法に従うように強制されるという、セラピスト側からの「指示性(directive)」のある関係性転倒してしまうという、究極の逆説を提起した。

 カウンセリングにおいて、クライエントさんに何の成果もあがっていないように見える場合にも、面接だけはずるずると繰り返される場合があることはよく知られている。

 クーパー氏は、こうしたケースのことを「クライエントが面接を引き伸ばす(defer)傾向」と名づけ、「PCAを押し付けられた」場合、すなわち、クライエントにPCAアプローチが適していなかったにも関わらず、治療者側からのPCA的な介入を受け入れて(私なりに言い換えると、受け身に「甘受して」「甘んじて」いたに過ぎないことの示唆ではないかと述べた。

 心理セラピーにおける治療者とクライエントさんとの相互作用を見つめるに当たって、「メタ・コミュニケーション」の次元を重視することが大事であるということになる。

 具体的には、セラビー初期の段階で、

  • 「セラピーに何を望んでいますか?」
  • 「あなたは、私たち(セラピスト)が、どのようなことができるかもしれない(may)と感じていますか?」
  • 「これまでの経験の中で(そこにはそれまでのセラピー経験も含まれる)、あなたにとって、役に立ってきたことや、役立たなかったことは何ですか?」

などというテーマで、じっくりと話を聞いておくことが重要であるとする。

 また、面接の各回のはじめにも、

  • 「今回のセッションで何を得たいですか?」
  • 「今日は何を話し合ったら役立ちそうですか?」

などと率直に問いかけておくことも大事だとクーパー氏は述べた。

 パワーポイント上には書かれてはいないが、

「このような話し合いが十分なされないまま、漫然と面接が繰り返されることは、治療同盟上の傷を深めるだけだ」

・・・・クーパー氏はそこまで明言した。

*****

 クーパー氏らの教育・研修活動によって、すでに現在、最初から多元的アプローチに熟達すべく臨床専門教育を受けたカウンセラーが、育ち始めているという。

 そうした臨床実践家は、PCAに限らず、精神分析でも、認知行動療法でも、行動療法でも、様々な臨床実践の多種多様性の中から、その時の個々のクライエントさんに適した方法を提案できる能力を備えていくことが目指されている。

 つまり、クライエントさんが、セラピーから望むものを得ることをサポートするような実践である。

 (これが、クライエントさんが望むがままのものを差し出せる、無制限なまでの「何でも屋」になれ!ということとは異なることは、すでに第2回で述べた)

 そこに必要になってくるのは、「より拡張され、高められた次元で(enhanced)、メタコミュニケーションをしていく」ということだと、クーパー氏は論じる。

 そうした面接の実際では、そうした、治療者-クライエント間の「メタ・コミュニケーション」次元での話題が頻繁に出てくることになるはずだという。

 具体的に言うと、セラピーでクライエントさんが望むことやしたいことを、治療者がクライエントさんに確かめたり、それについての対話を進める場面が、かなりの頻度で出てくるはずということである。

 例えば、

 「確かに、私たちは、この時間帯に、この話題について話し合おうと決めていたわけです。私たちの間で、その話題の意味について理解を深めるような分かち合い方ができるかどうか[が肝心なん]ですよね。

 ・・・・・ちょっと思ったんですけど、その話題について、私の方から、いくつかの具体的な質問をして差し上げた方が、あなたの役に立ちそうですか? それとも、[そうした私からの質問なんて邪魔で、]あなたにとって話す必要があることを話してもらうことに時間を使った方がよろしいでしょうか」

などといった、セラピスト側からの問いかけを挟むことなどがそれである。

*****

今回で最終回にしたかったのですが、この部分、長さの割にはへヴィーとも感じましたので、残りの部分を更に分割して、次回に続く・・・・とさせていただきます。

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2009/09/09

メタ次元で「クライエント中心的」でありつつ、各流派の心理療法を、セラピーのひとつひとつの局面ごとに、柔軟に有効活用すること -Mick Cooper博士による、心理療法における多面的(pluralistic)アプローチ-  (2) [第3版]

 日本人間性心理学会第28会大会の特別招聘講師、ミック・クーパー(Mick Cooper)博士による特別講演、「多面的心理療法における理論・研究・実践」を拝聴した報告記の、前回に続く第2回である。

*****

 今回は、博士が実際に「多面的心理療法」を臨床現場で具体的にどのような形で実施するのかの方法論について述べたい。

 すなわち、治療者とクライエントの関係性というメタ次元で、クライエントさんの主体性と自己決定権を尊重する「クライエント中心(PCA)的」でありつつ、心理療法の諸技法を柔軟に使い分け、有効活用するための方法論である。

 クーパー氏は、基本的な仮説として、次のようなものを提起する:

「心理的な困難には、多数の原因があるだろう。

 ・・・・すべての用件にあてはまるような『正しい』セラピー方法は、ひとつではなさそうである。

 ・・・・異なる時、異なるプロセスが、異なる人の役に立つ」

(Cooper & McLeod,2007)

 そのためには、ある特定のクライエントさんとの間で進行しつつあるセラピーのプロセスを、個々の局面としてとらえて概念化する枠組みが必要だという。

 クーパー氏のいう「多面的アプローチ」は、あるクライエントさんにはクライエント中心療法が向いている、別のあるクライエントさんには認知行動療法が向いている、などと、単に、クライエントさんによって、セラピー手法を「使い分ける」というような「大まかな割り振り方」の域を完全に超えている、遥かに緻密なものなのである。

 詳しくは、大会準備委員会サイトにまもなくアップされるであろうパワーポイントファイル日本語版(講演時に配布されたものに更に大幅な修正がなされるとのことである)の図表31ページ以下の流れを追っていただくのが望ましいが、簡単にいうと、次のような項目を列挙して、矢印で相互関係を図示してある。

  • 目標(Goal)・・・・クライエントさんは、具体的に何がどうなることを求めているのか(セラピスト側が勝手に設定するのではない点が大事である)。
     例えば、「自尊感情を高めたい(自分にもっと自信をつけたい)」「お母さんとの関係をもっとうまくやって行きたい」「嗜癖的な習慣を止めたい」などといったことが、面接の中で、クライエントさんが求めていることとして、具体的に浮かび上がってくる可能性があるかもしれない。
     これらの「目標」は、互いに関連しあっているかもしれないし、別々の次元でとらえる方がいい場合もあることになる。
  • 課題(Task)・・・・クライエントさんのために、何ができるかについての、「一般的な方向性」のことを指す。
     例えば、「自己理解を深める」「具体的な場面での問題解決スキルを高める」など。
  • 【方法(Method)・・・・これは更に、「クライエントさんの(面接場面での具体的な)活動」と、「セラピストの(面接場面での具体的な)活動」に別れる。
     ここで大事なのは、面接場面でセラピスト側が何をするかが最終的に重要なのではなく、クライエントさんが何を選択をするかを尊重する「共同作業」としてなされていくことである。

 クーパー博士が具体例として掲げたのは、同一のクライエントさんの中に次のような系列が同時に構成要素としてあるケースである(p.33以下)

  • 【目標1】自尊感情を高める
    • ←【課題1】もっと自己受容できるようになる
    ←【クライエント側の行なう方法1】否定的な思い込みを覆すこと
     ←【セラピスト側が行なう方法1】
      否定的な思い込みに立ち向かう[ように促す]
      (恐らく、論理療法や認知行動療法、行動療法に近いアプローチであろう)

    ←【クライエント側の行なう方法2】自分についてオープンに語る
     ←【セラピスト側が行なう方法2-1】受容する
     ←【セラピスト側が行なう方法2-2】傾聴する(上記2つはクライエント中心療法的であろう)
     ←【セラピスト側が行なう方法2-3】質問する(「具体的な話題を引き出す」という意味ではなかろうか?)

    • ←【課題2】自分の中の肯定的な特質をリストアップする

  • 【目標2】お母さんともっとうまくやっていく

(以下略)


 ブログの表示能力の限界があるのでわかりにくいかもしれませんが、これは【目標】を頂点とするツリー構造のようにして、末広がりに枝分かれさせる形で、←【課題】←【クライエントの方法】←【セラピストの方法】を構造的に概念化する試みである。

 これらの構造は、セラピスト側が一方的に整理し、デザインし、具体的な方法を押し付ける形になってはならず、セラピー過程の実際の個々の具体的局面の中で、クライエントさんとセラピストの間の「共同作業」として形成され、試みられ、修正されていくことが重視されている。

 セラピー空間における変化の過程で、クライエントさんが「アクティブな行為者」として機能できるように援助するのがセラピストの務めということになる。

 そのためには、セラピスト側が、「どうすれば自分がクライエントさんのお役に立てそうか?」ということについて、クライエントさんにオープンに問いかけ続ける姿勢が必要となる。

 例えば、鬱状態のクライエントさんに対して、「多面的アプローチ」のセラピストだと次のように問いかけるかもしれない。

T:「鬱を改善する上で、あなたにとって、これまでどんなことをするのが役に立ちましたか?

C:「運動することです」

T:「ではどうやったら、運動する機会を増やせるのでしょうね?

 このようなやり取りを進める中で、クライエント自身も、それどころかセラピストの側ですら(!)思いつきもしなかった、予想外の、「コロンブスの卵」的な改善のための方法が見つけられるかもしれない。

 たとえば、そうしたやり取りを進める中で、その鬱のクライエントさんが、いつの間にか、「自分の現状について、誰かに、もっとオープンに話してみてもいいのではないか?」ということに気がついていく・・・・などという展開も、大いにありである。

****

 もっとも、こうした際に、クライエントさんの希望を訊く中で、そのセラピストにとって、できることとできないことがあることをも率直に伝えることが必要であることも、クーパー氏は強調している。

 例えば「自分が何をどうすればいいか」を逐一導いて欲しい、などとクライエントさんに言われたら、(中井久夫先生流に言えば)「治療者は、クライエントさんに自分を高く買わせてはならず」、それは自分には無理だということもフランクに伝えることが大事だということのようである。

 この点に関連して、フロアから池見陽先生が質問に立ち、

「そのクライエントさんに適切なアプローチが治療者としての自分の技法の引き出しをはみ出してあり、より適格者がいると感じた場合、他のその技法専門のセラピストに紹介する場合もあることも、クーパーさんの射程に入っていると理解していいのか?」

とお尋ねになった。

 クーパーさんの応えは”Yes, of course!"(「もちろんそうです」)であり、クライエントさんがある特定の課題実現について援助してもらうために、他の流派の専門家に手助けしてもらうことも十分に選択枝の中に組み入れるべきであると明言された。

 (池見先生が危惧されたのは、恐らく、聴衆であるカウンセラーたちが、いろいろの技法を学ぶのはいいけれども、「自分だけで何でも抱え込んで」セラピーを進める必要があるかのように理解しまいか? という思いではなかったろうかと、私は想像する)

*****

  次に、クーパー博士は、「多面主義アプローチ」をとるセラピストが、他のセラピストに対して取るべき立場について、次の3点を述べた。

  •  PCAの流れそのものが現在多様性を帯び、さまざまに分化した技法やアプローチが試みられているが、その時の個々のクライエントさんにふさわしい形でカスタマイズ(特化)された、[私なりに言い換えると、「テイラー・メイド」で「一品料理」化した]ひとつひとつのセラピー実践は、あくまでも尊重して、異論を挟むことはしない。
  •  しかし、「教条的で独善的(dogmastic)なパーソンセンタード性」には立ち向かっていく。
  •  PCAのセラピストが、他の流派のセラピーの諸原則や諸技法に対して、一定の的確な評価を持てるように促す役割とる。
     流派を問わず、セラピー領域が、ひとつの包括性を持つ文化であり、諸流派のセラピスト同士がお互いに適切に認めあって行けるような動きを擁護する。
     むしろ、積極的に、各流派の無用な対立(認知行動療法[CBT]のみが「国定」心理療法になってしまったイギリスでは特に顕著らしい・・・・英文だが、この記事などをお読みになると想像がつくだろう)に対する積極的な調停者の役割を果たす。

*****

 残りは、第3回にまわします。

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2009/09/08

「クライエント中心療法」が押し付けられた時、メタ次元では「セラピスト中心療法」になる! -Mick Cooper博士による、心理療法における多面的(pluralistic)アプローチ-  (1) [第2版]

 日本人間性心理学会第28回大会の参加報告の続きです。

 今回招聘された特別講師は、イギリス(スコットランド)のグラスゴーにある、ストラスクライド(Strathclyde)大学教授、ミック・クーパー(Mick Cooper)氏であった。

パーソンセンタード・アプローチの最前線 -PCA諸派のめざすもの- (共著)

  私は、28日の夕刻に催された2時間の特別講演、「多面的心理療法における理論・研究・実践」のみに出席したが、30日には、氏を講師とするワークショップも開かれている。

 この講演内容が、今の私にはたいへんエキサイティングだったので、ここでご紹介したい。

(なお、この講演の時のパワーポイントファイルの日本語訳が、近日中に大会準備委員会サイトで公開される筈であるが、私はすでに手元にあるパワーポイントの印刷資料と、そこに書きつけたメモに基づいて以下の内容を書いていくことをお許し願いたい)

******

 ここでクーパー氏が言う、心理療法における「多面的(pluralistic)」アプローチというのは、ある観点からすると、俗に「折衷的(eclectic)アプローチといわれるものと、外見上は類似している。

 つまり、心理療法の各流派の技法を臨機応変に柔軟に取り入れて活用する性質を持っている。

 ただし、そこにあるのは、単に「役立ちそうなものなら何でもあり、片っ端から総動員」ということではなく、基本にある一本のポリシーが通っている。

 それはある意味で、私が準拠し、国際資格を取得している「フォーカシング指向心理療法」が、単にフォーカシング技法を臨床現場に適用するという次元を遥かに越えて、精神分析から認知行動療法、行動療法に至るすべての流派のアプローチの「エンジンオイル」(隠し味)として役立てる柔軟性を指向していることと共通項を持つ。

 だが、クーパー氏の「多面的」アプローチは、より包括的なビジョンと方法論を提供してくれようとしているものにすら思われた。

 それは一言で言えば、面接過程の個々の局面(micro-steps)でどの技法を選択するかという点において、治療者とクライエントさんとの意思疎通を極めて重視し、最終的判断をクライエントさんに委ね続けるという、「メタ次元でのクライエント中心性」を絶えず維持していくための、臨床現場での具体的な方法論を持つという点である。

 このことを具体的に解説していくために、クーパー氏は、ロジャーズのクライエント中心療法をはじめとする、パーソン・センタード・アプローチ(PCA)の基本に流れるものの再確認から話を説き起こした。

******

 クーパー氏は説き起こす:

 パーソン・センタード・アプローチには、今日さまざまな広がりが生じているが、それらが共通して強調しているのは、「人間存在の独自性(uniqueness)」「自己決定の権利」の尊重である。

 「独自性の強調」とは、個々の人格を、交換可能ではない、かけがえのない独自性を持つものとみなすということである。

 更に言えば、「それぞれの人が生きている経験的なリアリティというのは、初源的にひとりひとり独自のものである(ロジャーズ)」。

 これは、裏を返すと、自分にとっての他者存在は、自分とは異なる独自の人格を持ち、独自の経験世界に生きていることを認めるということでもある。クーパー氏は、哲学者、レヴィナスの、

「他者の他者性は初源的に知りえないもの」

という言葉を引用している。

*****

 さて、こうした背景のもとに、例えばロジャーズのクライエント中心療法の「非指示(non-direstive)性」は成立した。クライエントさんの語りをひたすら受容・共感・セラピストの自己一致の原則で傾聴して行くものの、セラピーの時間に何をどこまでどのように語るか、あるいは、どこまでたどりついたらカウンセリング関係を成功し、終結していいものとみなすのかは、クライエントさん側の完全な主体性に委ねられることになる。

 そして、面接場面でのセラピストとの関係性の中での相互作用によって、クライエントさんは、それまでの生育暦の中で経験した、ある一定の条件を満たした場合にのみ価値ある存在として認められ、受容された(「条件付きの」肯定的配慮の)経験に基づく歪みから己れを解放し、その人らしいライフスタイルを自ら見出していくプロセスを歩み始めるものとされている。

 ところが、こうしたことを面接場面で可能にする理論と方法論を、ひとつだけに一元化しようとする傾向を、パーソン・センタードの療法家すら持っている(例えば、ロジャーズの「必要にして十分な条件」)。

 「これは、あらゆる時、すべてのクライアントに対して、ほんとうなのだろうか?」

・・・・と、クーパー氏は問いかける。

 様々な実証的リサーチの結果は、同じ技法を用いていても、クライエントさん個人によって、そのセラピーが有効であるかどうかが異なることを示しているという。

 例えば、多くのクライエントさんは、セラピストから共感してもらえたと感じる水準が高ければ高いほど、最善の成果を挙げていくことは確かである。

 しかし、セラピスト側の反応に人一倍過敏な傾向があるクライエントさん、疑い深さが強いクライエントさん、治療への動機付けに乏しいクライエントさんの場合には、セラピスト側の共感能力の高さが効果を発揮しないことがある。

(こういちろうの私見・・・・そして恐らく神田橋條治先生や、増井武士先生、田嶌誠一先生らの見地によれば、あまりにも細やかにセラピスト側が言語的にチューニングして応答したら、場合によっては[特に統合失調症や境界例性が強いクライエントさんの場合]、むしろ弊害が出るケースもあるように確かに思える。クライエントさんが「曖昧に、漠然と」感じていることを、それ以上明確化しないままに暗に認めてあげつつも、むしろクライエントさんの中で、適切な「体験的距離を見出す」ことを援助する方が望ましい場合が、確かにあるのである)

 逆に、ロジャーズ派的なセラピーから最善の成果を引き出し得るタイプのクライエントさんは、高い水準での抵抗力(resistance)・・・・私が推測するに、神田橋先生のいう、健全な「拒否能力」とほぼ同じもの・・・・、要するに、自分にとって違和を感じさせる外界からの働きかけに揺るがされにくく、応じない傾向が強く、自分自身に生じる様々な問題を、認知行動療法で言うところの「コーピング・スタイルの内在化」・・・・問題を容易にacting outすることなく、自分自身の関わる課題として引き受けて直視する力のようなものが高い場合が多いという。こうしたクライエントさんには、確かに、古典的でオーソドックスなクライエント中心療法で一貫して進めることが向いているといえる。

 いずれにしても、もし、クライエントさんがどう望もうと、自分の担当カウンセラーが、古典的なロジャーズ派の「非指示的な」カウンセリングでしか対応してくれず、それがそのカウンセラーに期待できる「唯一可能な」セラピーのあり方だったとすれば?

 この時、クライエントさんは、セラピストから、「非指示的な」カウンセリングを押し付けられる=「指示される」、という、メタ次元ではむしろ「指示的」療法に屈する渦中に置かれることになる!!

 これほどのパラドクス(逆説)があろうか?

*****

 ここで、クーパー氏の、「多面的(pluralistic)」アプローチの提唱の意義が明らかになりはじめるのだが、連載として第2回にまわすこととしたい。

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/08

日本人間性心理学会第28回大会、公式ウェブサイトで、詳報先行掲載されています。

 今年は、私が学生相談室で12年間勤務した、法政大学町田校舎(多摩キャンパス)で、8月28日(金)から30日(日)にかけて開催されます。

 ●日本人間性心理学会第28回大会公式ウェブサイト

 まだ郵送での案内が届いていないのに、大会案内とワークショップ案内の、恐らく郵送バージョンと同一のものが、すでにpdfファイルで公開されている心配りには感心しました(^^)

 この学会は、参加資格がオープンですから、このような率先したネット公開の姿勢はいよいよ歓迎すべきかと思います。


******


 大会案内でも書かれていますが、法政大学多摩キャンパスは、宿舎を確保しようと思うと、ひとつ間違うと、思いのほか、アクセスが不便になります。

 特に、「町田」という地名に幻惑されて、町田駅前のホテルなどを確保したら、1時間かけてもたどり着けない可能性も出てきます。

 JR横浜線からですと、橋本駅のとなりの相原駅からほとんどのバスが出ていて、しかも本数が必ずしも多くないのです。

 参加される皆様には、むしろ、JR八王子駅のそばのホテルの確保が、公共交通機関の本数も多いのでお勧め。ただし、JR八王子-西八王子間を一駅だけ中央線で移動なされて、10分に1本運転の法政大学行きバスにお乗りになることがお勧めですhappy01

JR八王子駅前には京王プラザホテル八王子がありますし、南口の目の前に八王子アーバンホテル、北口から3分ぐらいでマロウドイン八王子、三惠シティホテル八王子、千代田ホテル、シーズイン八王子という、簡単な朝食つきないし素泊まりのシンプルなスタイルのビジネスホテルがあります。

 JR八王子北口から徒歩3分に京王八王子駅はあり、R&Bホテル八王子と、京王八王子駅前ホテルというシンプルスタイルビジネスホテル、八王子プラザホテルというミドルクラスのホテルがあります。

 このあたりまでがほんとうに駅に近いホテルでしょう。

 JR駅前から北西に伸びる八日町や八幡町の交差点まで歩いていいという皆様(八王子の歓楽街はこの通りです)だとこの限りではなくなりますが。車でおいでの方だと、八王子インターから16号線で降りてきたこの近辺のホテルの方が、そのあとの法政多摩までのドライブ(15分ぐらい)の上でも余計な回り道がないでしょう。

 セントラルホテル八王子、八王子スカイホテルがこのタイプ。

 橋本駅だと、橋本パークホテルが徒歩数分にあるくらい??? 数は多くありません。


 ・・・・以上、20年間以上八王子市民だったこういちろうより。


●楽天トラベル 八王子近辺のホテル

楽天トラベル



大きな地図で見る


******


 私は、今回の大会の個人発表にエントリーします。

 この数年の体調不良の中で、「エントリーする」とこのサイトで宣言しつつ実現できないことの方が多かったのですが、今年は、色々な意味でモチベーションが強いので(^^)、きちんとこれから貯蓄を重ねて(爆)万全の体制を作るつもりです。

 私の、一年ぶりの、関東再上陸となるわけですね(^^)

 すでに予告しておりますように、発表の内容は、

●薬物療法を受けているクライエントさんのセルフ・コントロールと、主治医とのコミュニケーションのサポートに貢献する、フォーカシングスキル・トレーニング(仮)

という、チャレンジングなテーマです。


****


※今回の大会の準備委員会の中心メンバーである、法政大学現代福祉学部の末武康弘さんと、おなじみ、近田輝行さん、村里忠行さんのご3名、更に、吉良安之さん、伊藤研一さんが分担執筆、そして諸富祥彦さんが編者も兼ねた、「フォーカシングの原点と臨床的展開」という本が上梓されました。

9784753309030128pix
岩崎学術出版社のサイトでの詳しい紹介。

フォーカシングの原点と臨床的展開


 この件は、nanaさんの† tangine †サイトでの速報より。

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2008/09/22

構造主義と実存主義の弁証法的止揚?(第2版)

 構造主義は、現在においても社会構成主義などという形で、形を変えつつ影響力がまだまだ残っていると思うけど、いろんな次元のことに複眼的な観察と思考と判断能力を持つことと、そうした分析過程を経て、1個人がどのような「選択」をしていくかということは、ある意味では共存可能でありつつ、同時に別次元の問題だと思うのである。

(などと「止揚」してみる)

 単なる価値相対主義のニヒリズムに留まる構造主義「者」に留まるのもつまらないと思う。ある意味でこの人の論調そのものが、単に金魚鉢を神の視点から眺めようとしているだけの、今日ありがちな論壇のあり方に留まり、「現実の制約の中で『自分は』どう行動するのか」という問題を回避している気がする。


*****


以上、

九尾のキツネ

もとい、

王子のきつねさんサイトの、

●サルトル先生はそのような擁護に迷惑なのでは…

への私のレスより転載。
 

2008/08/07

人間性心理学会大会、熊本は再来年。来年は法政多摩!!

 日本人間性心理学会大会、熊本大学は再来年(2010年)で、来年(2009年)は法政大学町田(多摩)校舎とのこと。

 ここには現代福祉学部があり、末武康弘先生というフォーカシングの代表的研究者のおひとりがおられます。

 今年は取りやめにしましたが、
 来年こそ、今年予定していた発表内容で、
 人間性心理学会、心理臨床学会、
 ともに個人発表するつもりです。

 皆様と再会できることを楽しみにしておりますので、どうかよろしくお願い申しあげます。
 

****


 私はこの法制多摩キャンパスの学生相談室のカウンセラーを10年以上つとめたのです。

 何かと町田との縁は続くこういちろうであった。

 (...と書いても、本当の真意がわかる人は約1名 f^_^; 
  追伸:そのご本人から発表は見に行くとレスいただいた)


*****

 なお、元八王子市民、および大学に勤務した者としてひとこと。

 法政大学町田キャンパスの最寄り駅は、決して町田でも橋本でもありません。
 JR中央線西八王子駅、あるいは京王高尾線めじろ台駅です(バスの本数もたいへん多い)。

 町田駅近郊からは約40分かかり、バス等の接続(これはJR横浜線相原駅から)もかなり本数が少ないです。

2008/06/20

秋葉原通り魔殺人の彼が贖罪できるだけの「環境」があることを!!(第6版)

秋葉原通り魔殺人事件と、宮崎勤の死刑「執行」のタイミング関連の、前の記事の続きです。

現段階での私が知る情報の範囲内で観ると、恐らく「精神病的な」面はほとんどなくて、「精神病質」でもない。「分裂型人格障害(schizotypal)」あるいは「分裂病質(統合失調症質)」(schizoid)というDSM的診断は最大公約数としてできるだろうけど、その診断に当てはまる層の多くは社会的にごく真っ当に生きている人たちの10数パーセントは当てはまると思う。

 要するに,クレッチマーの性格分類でいう「分裂気質」のやや濃い人たちのある部分、あるいは中井久夫が「分裂病と人類」でいう「S親和者」=それを典拠を示しつつ拝借した浅田彰が、「逃走論」で「スキゾ」とポップに名前を付け替えた、「病理」というには過ぎ、社会の最前線で適応的に行けている人は、有名・無名を含めて五万(じゃなくて日本に500万?)といて、「人も歩けば棒に当たる」水準の範疇化(カテゴリー分け)しかできそうにない。

 こう分類できる人を排除したら、文化や政治に貢献したかなりの人は抹殺されることになるし、ただの「パラノ」だけでは社会そのものが機能停止し、全人類が窒息する(浜崎あゆみだって、後述の夜回り先生、水谷氏だって楽々このカテゴリーに入る。

 未熟な私だって堂々とその末席を穢(けが)せる(^^)

 宮台さんだって、ある意味では浅田彰よりはかしこく大人になって、しかもしたたかに社会にコミットする戦略を続けている「熱い」人物だろう。

 もっとも、あそこまで博学な、衒学的(ペダンチック)な饒舌さと感じさせてしまう多弁を押し付けると、「鼻持ちならなさ」とだけ感じられてしまいかねない限界はあるとして。

 安易に「大衆を啓蒙する」ノリにはまらないのはひとつの挟持だと思うが、まだまだ「身を守っている」気もする。

 宮台さんもあと一歩「突き抜ける」必要はある。

 いうまでもなく、私も。

****

 今回の事件の犯人については、学習障害などの広汎性発達障害の可能性もそんなに高くないだろう。

いずれにしても、犯行時の「責任能力」は十分にあったと思う。

もし今後、彼についてまたぞろ「多重人格障害」とか出てきたら、それは弁護士と精神鑑定医の「ひいきの引き倒し」となるだろう。少なくとも故宮崎や故宅間よりは健康性が高かったまま凶行に及んでいると思う。

ちゃんと贖罪できるパーソナリティの筈。

そうならないなら法曹界や司法精神医学やマスコミがよってたかってこじらせたといわれてもしかたない。


人がきちんと贖罪できるためには、それを可能にする「環境」におかれていること!!

これは今後の展開のためにほぼ断言しておいていいと思う。

******

もとより、現行法制のもとでは死刑以外になる可能性は全くに近くないと思いますが。

私はこの問題が「死刑の是非」論になった瞬間に本質を置き去りにした議論に過ぎなくなると確信しています。

******

●【秋葉原通り魔事件】加藤容疑者のメル友女性告白「悩んでいるようには見えなかった」(msn=産経)

(前略)

 彼女がトモと初めて会ったのは昨年7月末だった。

 携帯電話の出会い系サイトで知り合い、メールを何通かやりとりした。送られてくるメールは笑顔や悲しい顔などのカラフルな絵文字入りで、2、3行の短いものがほとんどだったが、一度始まると何往復もした。

 お互いに青森市に住んでいることが分かり、トモは「会いたい」と言ってきた。

 市内の駐車場で待ち合わせをした。ありふれたチノパンとシャツを着て、髪形には気を使っていないような印象を受けた。

 「きっと彼女はいないんだろうな」

 そう思った。

 名前を「ともひろ」と読み当てると、トモは「珍しいな。1回で読めた人」と笑顔をみせた。彼女はトモと呼ぶことに決めた。

 トモの軽乗用車に何度か乗せてもらった。車内は整頓され、後部座席にはUFOキャッチャーで得たらしいディズニーなどのキャラクターもののぬいぐるみが4、5個並んでいた。会話はあまり弾まなかった。ラジオやCDはかけず、車内はシーンとしていた。

 「この車、ずっと乗っているの?」

 「前はスポーツカーに乗ってたんだけど、事故起こした。今度、GT−R買いたいんだ」

 2人ともゲームが好きで、よくゲームセンターでUFOキャッチャーをやった。一度だけカラオケにも行った。歌を歌うのは好きらしく、一般の人は知らないようなアニメ系の歌を次々と入れていた。

 8月1日には2人で「浅虫温泉花火大会」に遊びに行った。屋台で食べ物を買ったり、花火を携帯電話の動画に撮ったりして半日過ごした。2人でいる間、トモは携帯電話の着信などを気にする様子はなく、親しい友人はいないようだった。
     
 花火大会の翌日。「親に家を追い出された。アパートに引っ越したから来ないか」と自宅に誘われた。

 部屋はアパート1階の1LDK。電気はまだ通っておらず、中は真っ暗だった。壁紙は張り替えたばかりらしく、清潔な感じがした。玄関にはスリッパが2足並んでいた。向かって右側にトイレと風呂、その奥にキッチン。左側奥には居間、その手前に小さな寝室があった。

 居間は10畳以上あり、フローリング床でテレビと大きなクリーム色のL字型ソファが占拠していた。「お金には困っていないのかな」と思う一方でこうも思った。

 「こんな大きなソファに1人でいたら寂しいだろうな」

 寝室には青っぽい絨毯が敷かれ、しわひとつない黄緑色のカバーがかかったベッドがあった。自炊をしている様子はなく、冷蔵庫にはその日の分のコンビニで買ってきた食べ物やプリンなどしか入っていなかった。

 一度、コンビニで買ってきた缶入りのカクテルを部屋で飲んだことがあった。トモは何本か飲んでも変わらず、酒は強そうだった。
   
 部屋では2人でもっぱらテレビを見て過ごした。夕方にはニュース番組をみることが多かった。バラエティー番組を見ているときなどは、トモは口元に手を当ててクスッと笑うこともあった。

 「オレと一緒になればいいのに」

 本気かウソか分からないが、トモがそんなふうに言ってきたことがあった。彼女は「それはないから」と、それとなく交際を断った。

 帰り際には必ず、「また来ていいから」と言われた。何度目かに自宅を訪れたとき、突然、合鍵を手渡された。

 戸惑いながら「いや」と言うと、トモは「いつでも来ていいから」と鍵を手のひらに押し込んできた。

 「誰かに頼られたいのと、自分も誰かに頼りたいのかな」

 そう思って鍵を受け取ったが、彼女がその鍵を使うことはなかった。

 8月も終わりに近づき、気がつくとメールのやりとりは途絶えていた。

 彼女が連絡先を変えたこともあり、それ以降連絡は一切取っていない。

「生きていれば何とかなる」と言っていたのに…
     

 加藤容疑者は彼女にとって「お兄さん」のような存在だったという。口数は少なく、自分の家族や悩みについて話すことはなかった。

 その代わり、彼女の話はよく聞いてくれた。

 当時、人間関係に悩んでいた彼女に対し、加藤容疑者は「生きていれば何とかなる。何かあってもオレがいるから」と優しく励ましてくれたという。

 当時を振り返り、彼女は「あんなふうに言っていたのに、自分がそうなったら(事件を起こしたりしたら)ダメだよ」と語る。

 彼女は加藤容疑者について「病んでいたり、悩みがあるようには思えなかった。もし悩みがあったのなら、私が聞いてあげていれば、あんなにたくさんの人を殺さずにすんだかもしれない」と唇をかむ。

 わずか1カ月間のつきあいだったが、今回の事件で、彼女自身もショックから立ち直れないでいる

*******

 
.......この記事は、あまりにもリアリティがある気がする。

 もちろん、彼女の力ではどうしようもなかったと思う。

 彼女の深い後悔と傷つきは、まさに知り合いに「自殺された人」が誰でも陥る「あの日にこうしてあげたら」心理状態とかなりの程度同質のものとすら思うが。

 私が大学学生相談カウンセラー時代に何度も研修を受けた、自殺学の権威、高橋祥友氏が"postvention"(「自殺された」人のケア)の問題として、語っているものを熟読のこと。

一冊なら「青少年のための自殺予防マニュアル」がおすすめ。

これは「犯罪防止マニュアル」でもあるのかもしれないという思いから。
 

以上、トラックバックうまく張れないでいるけど、

●公共機関のために準備中の文章です。誤りのご指摘などお待ちします。第2部【上の第1部に続きます】(MIYADAI.com Blog)

に寄せて。

臨床心理士にできるのは「診断」ではなく「見立て(assesment)」であり、直接あっても居ないクライエントについてのこうした推論は慎むべきとされているのを承知の上で、精神科医や臨床心理士など現場臨床家の多くが首肯し得る非常に無難かつ最大公約数的なラインとして申し上げました。

マスコミや弁護士や留置のありかたが,彼の症状を今後こじらせ得る「原因」として機能し得るため、犯行時の真相究明をむしろ混乱させ、類似の状態にある人たちにも悪影響としてしか機能しなくなるということを示唆することこそ私の狙いです。「自己成就的予言」への危惧ですね。

●【人、瞬間(ひととき)】あの先生 夜回り先生、水谷修さん(52)(中)(msn=産経)

この記事、何か、自分を見るようです。

私自身は学生運動まっただ中の団塊世代ではないし、いわゆる「ノンポリ」だった。しかし、ロックアウトや学内で発煙筒が炊かれるを学内で体験できた「団塊余韻世代」、水谷氏の数年後輩を、東京千代田区のお隣の私立大学で「哲学科生」として体験した。

体験した哲学科生としての違和感は、水谷氏と接点が相当あると思う。

水谷氏自身は「遅れてきた」「時代遅れの」学生運動家みたいな世代的マージナル(辺縁)性を持っていたと思うので。

より以前の記事一覧

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