浜崎あゆみ/ "I am..."(AVCD-17037)
1. I am...
2. opening Run
3. Connected
4. UNITE! "Original Mix"
5. evolution "Original Mix"
6. Naturally
7. NEVER EVER "Original Mix"
8. still alone
9. Daybreak
10. taskinlude
11. M "Original Mix"
12. A Song is born
13. Dearest "Original Mix"
14. no more words
15. Endless sorrow "gone with the wind ver."
(シークレットトラック)."flower garden"
ayuの4枚目のフルアルバムCD。
ベートーヴェンの音楽的変遷について、「エロイカ的跳躍」という言葉がよく使われる。第3交響曲、「英雄」が書かれて以降のベートーヴェンの作風の大きな変化のことを指すわけである。
それとの比較でいえば、浜崎あゆみのアルバムの歴史には、「”I am..."的跳躍」という現象が歴然と存在した、というのが私の理解であり、実にいろいろな意味で、ayuが思い切って新たな方向性を打ち出した、記念碑的アルバムであると私は考えている。
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《寄り道》:「英雄」交響曲の、私の好きな代表的名盤として、全く異なるタイプの3つの演奏を掲げておく。

一つ目が、「ウラニアのエロイカ」として知られるフルトヴェングラーの1944年の歴史的演奏。刻々と変化するテンポ、曲の高揚と沈静が完全にめくるめくドラマとして完結する、奇跡の完成度の白熱のライヴ。なのに、フルトヴェングラー自身が、戦後、レコード化したアメリカのウラニアという会社を相手に訴訟を起こして販売中止に追い込み、ソ連で勝手に発売されたLPが高値で取引された時代を持つ、曰く付きの録音。しかし、そういう「幻の名盤」のオーラをはぎ取って、容易にCDを入手できるようになってかなりたっても、この演奏の「伝説」は今も一向に衰えない。私は、そんな有名な演奏とは全く知らないまま、最初に聴いた演奏がいきなり「これ」でした。これはたいへん「やばい」事態というか、この曲は「こういう曲」だというイメージが私にできあがり過ぎているのである。実はベートーヴェン演奏で、フルトヴェングラーのものを本当に私が別格視するのは、これと、コンラート・ハンゼンをビアニストにした、
「ピアノ協奏曲第4番」のみです。
「バイロイトの第9」にすらごだわりはありませんので。
ワルター/コロムビア管弦楽団
怒濤のごとき灼熱のフルトヴェングラーとは正反対。ピュアーでヒューマンなロマンあふれる演奏。それが、アメリカのオケの響きのヨーロッパ的ではない側面を補ってあまりある演奏。すでにステレオ録音の時代に入っています。
カラヤン/ベルリン・フィル
カラヤン3回目の全集のもの。ひたすら流線型で快適な響きですが、意外かもしれませんが、フルトヴェングラーでないとすれば、ここまで「逆に徹底的な」演奏を私は好んで聴いてきました)。
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では、"I am...."的跳躍とは何か?
それを的確に短い言葉で表わすことは難しい。
確かに言えるのは、この跳躍を果たす直前の曲が、3rdアルバム
"Duty"
制作時に最後に作られた、独創的な名曲、
"SURREAL"であり、"SURREAL"が、ayuにとって、「敢えて崖っぷちから飛び込む踏み切り台」というべき曲だったということである。
"SURREAL"の次のリリースが、当アルバムに収録された"M"である。この曲からしばらくの間、ayuは唐突に、CREAという名前で作曲も手がけた曲を立て続けに連発する。
アルバム"I am..."にも、「すべての作詞・作曲 浜崎あゆみ」と明記されているが、厳密には、専門の作曲家との共作の曲もあり、そして、唯一の例外として、小室哲哉の単独作曲による”A Song is born”も含まれている。
この、CREA作曲の曲をどうとらえるかは人それぞれであろうが、私は実際には普段はほとんどそのことを意識しない。誰に作曲してもらおうと、ayuの歌には如実にayuの刻印が刻まれているとしか思えないからである。
しかし、この時期、自らが曲作りを主導するリスクを背負う中で、ayuが自己の作風の変化と「進化(それこそ"revolution")」を一気に突き進めたということは間違いないだろう。
こうして、"M"→"evolution"→"NEVER EVER"→Endless sorrow→”unite!"→"Dearest"までリリースされ、その時点ではじめてアルバム"I am..."の制作に取り組んだようである。
実は、ayuのアルバムで頻繁に見られる現象は、そうやってシングル(マキシ)リリースされた曲と、アルバムで新たに発表された曲に、すでににある「ステージの違い」があり、その「ステージの違い」の中に包含された形で「アルバムの構成曲」先行発表の諸曲を改めて聴きなおすと、曲のイメージそのものが様変わりして受け止められてしまうことが多いということである。
このことは"Duty"の場合にも言えることで、わかりやすくいえば、"vogue""far away""SEASONS"という「絶望三部作」と、それ以外の曲ではすでに「ステージ」が違い、"End of the World"""audience""duty"などといった曲は、確かに"SURREAL"と"M"との間に重大な跳躍があるものの、むしろ"M"→"evolution"→"NEVER EVER"→Endless sorrow→”unite!"→"Dearest"までの漸進的な変化過程の脈絡でとらえる形で、敢えてアルバムを超えて「ひとまとまり」のものとしてみてみると興味深いところがある。
すでに多くの人に語られてきていることではあるが、"I am...."期のayuに特徴的なのは、「ロック指向の顕在化」である。これを、私は、ライブコンサートをきっかけとして、恒常的バンドメンバーとして、小林信吾氏のみならず、よっちゃんとエンリケという日本を代表する二人のギタリストを活用できるようになったことがひとつには影響していると私は考えているが、もちろんそれだけではないとは思っている。
いずれにしても、この「テクノからロック指向への大胆な切り替え」は、実際にはアルバム"Duty"の"End of the World"にはじまっている。この曲はその年のカウントダウンでしかステージに載っていないが、身をよじるような赤裸々なインパクトがある、シンコペーションリズムが研ぎ澄まされた、独特の「怖さ」を秘めた曲である。
こうした、テクノ性よりロック性が「顕著に優位」な曲は、"NEVER EVER"→"unite!"とリリースされていき、アルバム登場曲の中では"Naturally"が更に加わることになる。
これらのうち、コンサートに欠かせない"unite!"は別格とすると、「まさか」と思っていたステージでの再演が、今年初めのカウントダウンで実現して、客席の私が狂喜したのが、"NEVER EVER"だった。三拍子系のリズムでとことんロックするという点でも異色のこの曲、曲もステージでの演出も好きな曲のひとつだったので(^^)
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一方、"M"は、バラード系の要素を持ちながら、ロック性も強烈、メロディラインやリズムも一筋縄ではいかない、非常に個性的な曲である。これに続く"evolution"の持つ斬新なリズムでのテクノとロックの融合、そして舞台映えする、コンサートに欠かせない祝祭性を持つ曲と並び、曲の緻密さと集約性の高さと独奏性の高度な調和という点では、浜崎あゆみの曲の歴史で格別な次元の2曲であることは間違いない。
私としては、これに更に直前の"SURREAL"を加えた「三部作」とみなしたい誘惑が強くある。これは音楽的密度と独創性のみならず、実はこの3つの曲のプロモーションビデオが明瞭に「三部作」だと断言できる、象徴表現上の連鎖を多角的にはらんでいるためである。
これについての解説は、画面がないと「無意味」な(できれば歌と動画であることが更に望ましい)ので、実はサイト上では一度も言及しないままだが、私の日本人間性心理学会での自主企画(および「フォーカシングでの集い」における再演)のプレゼンテーションにおいては、プロモーションビデオのスクリーンでの映写と共に、パワーポイントを駆使してこの点を細かく検証し、実際に観た「歴史の証人」」20数名ほどには、とても思いこみとは言えない説得力あるものとして大好評だった。
これは学術研究であるがゆえの著作権の制約からフリーだからこそ可能だったもので、ここでも公表するつもりはないが、いずれavexの公式許諾を得て、「図版付きの学術論文」化をまずはすることが私の夢のひとつである。
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これらに加えて、このアルバムの独創性を際立たせているのは、冒頭曲、
"I am..."である。伴奏なしに歌いだされるこの曲を、ジャンル的にどう分類したらいいだろう? 王子のきつねさんのご指摘を待つまでもなく、あえて言うと、この歌詞とメロディは「演歌」に分類するしかない。しかし、それを支えている編曲は、エスニックな香りもあるテクノ・ロックともいえる。いや、最終的にはそうした分類そのものを完全に虚しくさせてしまう、唯一無二の独創性のある、かけがえのない特別な音楽世界というべきだろう。
この曲を最初に聴き、歌詞に込めたayuのあまりにも苦しいメッセージを受け止めた時、少し前から関心を掻き立てていた浜崎あゆみは、私にとって、鳥肌立つ特別な「邂逅」と感じさせる存在にはじめてなったのである。
.....私の「某サイト」との出会いはそのあとのことだった(^^;)
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そして、ある意味で、この曲への、とりあえずのayuの吹っ切れた"reply"として、"part of Me"を私が位置づけていることは、ここに明言しておきたい。
"I am..."から引きずってきたayuの中の怨霊は、やっと成仏したのである。
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