日本精神技術研究所

2011/12/26

フォーカシングはどこで学べますか?(転載)

 2009年10月31日現在、日本には、The Focusing Institute認定のトレーナー、およびトレーナー訓練生(TNT)が156名います。

 そうした人たちの中で、個人開業されている方は、私を含めてごく一部、個別指導を予約に日時さえあえば受け付けているカウンセリング機関も必ずしも多くないのが現状です。

 一方、カウンセリング現場や教育現場でフォーカシングを柔軟に活用されているトレーナーは、かなりの数におよび、多くのトレーナーの方はそうした場で、いわば「フォーカシング指向心理療法」的に柔軟に活用されているものと思われます。

 また、「子供のためのフォーカシング」という領域がありまして、日本にはこのジャンルで情熱を注ぐ人たちがたくさんいます。教育や保育の現場で活用されています。

 一方、ボランティアに近い形で、フォーカシングのセッションを引き受けてくださる人、地域でのフォーカシングや体験過程理論の勉強会(これはかなり大規模のものあれば、少人数でささやかに地道になさっている方々もおられます)はかなりの数に及びます。

 認定トレーナーないし訓練生の人たち同士に限定した実習、大学院研究室での実習、トレーナーではないけれども、お互いに学びあう場として集まりを持たれているケースなど、多様なスタイルでなされています。

 大きな機関になると、ほとんど毎月のようにワークショップが開催されている場合もあります。

 そうした中には、新規参加者歓迎のところもあれば、むしろクローズドなメンバーで研鑽を積むことを重視している場合もあります。

 私の掌握している範囲では、北は北海道から南は鹿児島までの広がりがあります。推定では、少なく見積もっても50-60団体(あるいは個別セッショントレーナー)が機能していると思います。

 (NLPなど、他流派の研修課程においても、フォーカシングを重視しておられるケースがあるようですが、ここまで述べてきたのはThe Focusing Instituteないし日本フォーカシング協会系の団体・個人に限定しての情報です)。

*****

 今ご紹介した、「日本フォーカシング協会」は、The Focusing Instituteと連携しつつも、日本独自の組織であり、資格認定(私の資格研修プログラムはこちら)は直接関与していません。フォーカシングを「愛好する」皆様(もちろん、これから学ぼうという皆様を含めて)であれば、大学の研究者からカウンセラー、教育関係者ばかりではなく、一般の皆様にまで開かれたネットワークです。

 年会費3,000円をお払いになると、協会「メンバー」として登録され、年4回ニュースレターが送付されるばかりではなく、認定トレーナーが主催する研修会やワークショップの多くにおいて割引料金が適用されます。

 また、年に一度開催される、泊まりがけの「フォーカサーの集い」(日本各地を巡回しています)に参加できます(別途参加料はいただきますし、原則的に滞在地の宿はご自身で確保していただく必要があります)。

 フォーカシングの関心を持つ、日本全国の人たち(時には海外から著名トレーナーが参加されたこともあります)と、交流を深められるばかりか、 フォーカシングのパートナーシップ(個別セッション)を体験するための小部屋も設けられ、それと並行して、「出店方式」と呼ばれる、その場で自由に選択で きる分科会に参加し、日本のフォーカシングの主なるトレーナーによるミニ・ワークショップをオールスターキャスト(?)で幾つも体験できます。

 ニュースレターには、各地でのワークショップ情報や、勉強会のレポートも満載されています。

 ただし、日本フォーカシング協会事務局は、トレーナー紹介についての直接の個別のお問い合わせにはお応えできないという原則を貫かせていただいております。この点はご了承下さい。

*****

 以下、私が調べた範囲で掌握している、ネット上のフォーカシング関連サイトを一覧にしてご紹介します。

 なお、以下にご紹介しているサイトは、そこのオーナーに打診すればフォーカシングについての質問に答えて下さるとか、学びの機会を具体的に提供してくださることを必ずしも意味しません。

 各サイトの趣旨・ポリシーを尊重し、くれぐれも個々のサイトのご迷惑にならないようにご配慮願います。

※個々のサイトにリンクの許可をいただいている場合とそうでない場合があります。サイトの管理者の皆様、ここでのご紹介を抹消依頼の必要をお感じでしたら、快くお引き受けいたしますので、どうかご遠慮なくご一報ください。

以下、私のインターネット上の情報源:

*****

・・・以上、これまで継続していたブログ、「フォーカシングQ&A」をこの機会にたたませていただき、「ふくおかフォーカシング・セミナー」公式サイトへと再構築いたしましたので、これを機会にそちらの記事の中で重要記事であったこの記事を、修正の上で転載させて頂きました。

もし、新たにフォーカシング関連のサイトをお始めになった方、あるいは発見された方からのご連絡を歓迎いいたします。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2010/11/25

「1カ所限定『どこでもドア』、行き先はどこにする?」

ブログネタ: 1カ所限定「どこでもドア」、行き先はどこにする?参加数拍手

 今回のお題への私の答えは、「東京駅丸の内口」でしょうかね。

 30年も関東に住みましたが、ひとつ思い入れのある場所を思い浮かべようとすると、こうなってしまう。八王子と横浜と鎌倉に住んでいたんですけど、ひとつには、月一度ぐらいの非常勤の勤務先が九段下でして、神奈川県在住時代に、横須賀線か東海道線で東京駅に出て、東西線の大手町駅まで丸の内口から地上を数百メートル歩いていた印象が強いからかもしれない。

 あと、有楽町駅との間にある「東京国際フォーラム」が、学会とかの行事が頻繁にある場所だったことも大きいかもしれない。

 八王子時代は新宿に出向くこと多かったですけど、鎌倉・大船時代は新宿とは縁遠くなって滅多に行かなくなっていたし。

 今は、倹約して生活すれば時間だけは有り余っている。

 ですから、関東への「恋しさ」の象徴は「東京駅」ということで。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/11/26

「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)

 私自身が共著者の一人として名前を連ねて1章だけ書いているので、ご紹介するのは少し恥ずかしいのですけれども、それでもやはり、日本(特に関東地区)におけるフォーカシングの普及において、ひとつのターニング・ポイントになった本だと思いますので。

 それはどういうことかといいますと、本書が刊行(1995年)された少し前、フォーカシングの有力なトレーナーであるアン・ワイザー・コーネル女史が初来日され、ワークショップを開催しました。その時の実習と、当時ワークショップ参加者だけが購入できたアンさん独自の技法マニュアル(それが後に刊行されたものが、あの「入門マニュアル」「ガイド・マニュアル」です)を元に、東京の日精研などを舞台として、恩師、故・村瀬孝雄先生や日笠摩子さん、近田輝行さんたちと共に、そのアンさんの技法を自己掌中のものにするべく勉強会を重ねました。

 そうした中で、村瀬先生の立案で、アン・ワイザー法を詳しく具体的に紹介することに大部を割いた本を4人で1冊書くことになったのです。

 つまり、本書は、日本における、公刊された、アン・ワイザー法フォーカシング「事始め」でもあるのですね。

 日本フォーカシング協会設立の、少し前の時期のことです。

フォーカシング事始め―こころとからだにきく方法

●神田橋條治先生による本書の書評(「精神療法」誌 第22巻 3号掲載)

******

 次に、本書の目次をご紹介します。

  1. フォーカシングとは?(村瀬孝雄)
  2. フォーカシングの不思議な力(村瀬孝雄)
  3. 熟練した2人のガイドとのフォーカシング経験(日笠摩子)
  4. あるワークショップの記録(村瀬孝雄)
  5. フォーカシングを実際にやってみるために(日笠摩子)
  6. フォーカシングQ & A(村瀬孝雄・日笠摩子)
  7. フォーカシングの歴史と理論(村瀬孝雄)
  8. フォーカシングの諸相と日本・世界の現況(村瀬孝雄)
  9. カウンセラーがフォーカシングを学ぶことの意味(近田輝行)
  10. フォーカシングの「臨床適用」について(阿世賀浩一郎)
  11. 補章:谷川俊太郎の詩 「きもち」を借りてフォーカシングを解説する(村瀬孝雄)
  12. フォーカシングについてもう少し知りたい人のために(村瀬孝雄)

*****

 その後、私たちは、後続するジェンドリンや奥様のメアリー・ヘンドリックス(The Focusing Institute 現CEO)、アン・ワイザー、エルフィー・ヒンターコフ、ジャネット・クライン、ケビン・マケベニュ、バラ・ジェイソンらの著書や論文、ワークショップ(邦訳はありませんが、メアリー・マクガイア、ドラリー・グリンドラーをはじめとする人たちによる、重篤事例についての重要な論文があります)からさらに多くのことを学び、日本国内でワークショップ・セミナー・研究会を仲間たちと実施したり、それぞれの臨床・教育現場の中での適用を模索する中で、更に研鑽を積んで行きました。

 しかし、今回、本書を久しぶりに読み返してみたのですが、(自画自賛じみて申し訳ありませんが)、よくもまあ、この段階で、ここまでフォーカシングの当時最先端の潮流を咀嚼し、広範囲の視点から総合的にご紹介できていたなと、ほっと胸をなでおろした次第です。

 私たちの「フォーカシングの青春時代」は無駄ではなかった(^^)・・・・まだ、古くなってないです。

*****

 本書の中の白眉のひとつは、日笠さんが苦心の末に編み出した、当時のアン・ワイザー法に基づく「フォーカシング・フローチャート」(p.pp.124-6)でしょう。このフローチャートを観てみるだけのためですら、本書を借り出したり、購入する価値があるかもしれません。

 ジェンドリン自身のオリジナルのフォーカシング技法が、単純に要約された、せいぜい1,2ページのマニュアルとして配布され、「それがフォーカシングというもの」と学習者に思い込まれてしまって伝播したことの最大の弊害は、フォーカシングの手順というものを、「空間づくり」にはじまり、「フェルトセンスをつかむ」→「手がかりとなる言葉やイメージを見つける」→「見出した言葉やイメージが実感にぴったりかどうか共鳴させる」→「フェルトセンスに問いかける」→「受け止める」という段取りを、順序だてて進めたときにはじめてフォーカシングしていたことになる・・・かのような誤解を広め、それでは思うように成果が上がらないと諦められてしまう事態を招いたことでした。

 (このことが、ジェンドリンも望まない事態で、もっと柔軟な適用が肝心であることについては、ジェンドリン自身の著作、「フォーカシング」を丁寧に読み解けば、繰り返し説かれていることなのですが)

 アンさんは、ジェンドリンの技法をベースにしながらも、それをわかりやすくて「勘所」を明確にした「5つのステップと5つのスキル」に再構成しました。

 その結果、気がかりな「事柄」からであろうと、その時の漠然とした「身体の感じ」からであろうと、柔軟にフォーカシングを始められるばかりか、内側から生じてきたものは取りあえずなんでも「認めてあげる(acknowledging)」ことと、フェルトセンスから性急な言語化を引き出さないまま「共にいる」ことを重視する丁寧でかゆいところに手が届くものとなりました。

 この「認めてあげる」や「共にいる」は、実はセッションの最中のいたるところで提案される教示なので、実は番号を振って直線的に順序だてて説明することになじみにくいところがあります。

 更に、フェルトセンスから「遠すぎる(too distance)」状態になった人と、「近すぎる(too closed)」状態になった人(アンさんのいうフェルトセンスを「脱同一化(disidentification)」して感じられる状態が程よく維持できないという点では、どちらの事態も共通です)への臨機応変な介入も必要です。

 これらをすべて表現しようとすれば、もはやフローチャート形式をとって空間的な表現にして、必要あればあっちに行ったりこっちに戻ったりということを一望できる図版にするしかない。

 日笠さんを中心とした人たちが取り組んだこの「図版化」は、アンさんの技法書のどこにも出てこないオリジナリティあふれるもので、これがアンさん来日2年目で達成されたことは、再評価されてしかるべきと思っています。

 (アンさんの技法体系そのものも、その後進化を続けていますが、この段階でのアン・ワイザー法の、几帳面な丁寧さのプラス面は、フォーカシングを「意図的なスキル」として緻密にトレーニングする場においては、決して過去のものにされてはならないというのが私の信念です。このフローチャートは、私の主催するささやかなグループでの恒例の配布資料で、現在もあり続けています(^^)) 

*****

 さて、私が執筆した第10章ですが、のっけから「臨床家自身がフォーカシングを身につけ、日常の中で役立てられていないうちは、臨床現場での適用なんていうことは考えない方がいいのでは?」という、不遜なまでに挑発的なメッセージからはじまっています。

 さすがに若気の至りではなかったかなと、その後多少自己嫌悪に襲われ、長らく読み返さないでいたのですが(^^;)、本書刊行から14年を経て、一読者の心境で客観的に読み返してみたところ・・・・ほっとしました。私なりに十分にジェントルで丁寧な語り口で書けている。

 (つい最近、認知行動療法の大家、伊藤絵美先生が、これからCBTを学ぶ専門家への心構えとして、実にそっくりの表現を、著作でなさっているのに気がつき、安堵したというのあります)

 そして、当時はジェンドリンが書きつつある「フォーカシング指向心理療法」のdraftを村瀬先生によって手渡されて、その一部を読み解くぐらいの段階でしたが、私がその時点で言葉にできた「臨床現場でフォーカシングをどのように生かすか」という方向性に、その後ブレはなかった、完全に今日の私のスタイルへと繋がっていると確信できました。

*****

 更に、この私の書いた章、さすがアニメおたくカウンセラーこういちろうですね(^^;)、私自身すっかり忘れていたのですが、次のような部分がありました(pp.241-2):

========引用はじめ=========

 このようなクライエントさんたちにとっては、自分が「どんな」感じでいるのかについて語ることは、まだサナギの状態でしかいられない昆虫が、性急に脱皮を急がされたような外傷体験に容易に結びついてしまう危険があるのです。・・・最近(95年7月)、「風の谷のナウシカ」等で有名な宮崎駿氏らスタジオジブリ制作による長編アニメ、「耳をすませば」が封切られ、映画館でご覧になった方も少なくないかと思いますが、この映画の中で、主人公の月島雫(しずく)という中学生の少女が、留学した恋人が日本に戻るまでに、自分もなにかをやり遂げようと一大決心をして、受験勉強を投げ出して、寝食を忘れてファンタジー小説の執筆に打ち込む展開があります。

 憔悴して眠り込んだ雫は、ある悪夢にうなされます。鉱脈の中の壁一面が原石でできた洞窟の中で、ほんとうに輝くただひとつの純粋なエメラルドを見つけ出そうと焦って探し回るけれども、なかなか見つからない。これぞと思って壁から抜き取った石は最初は光り輝くかに見えました。しかし次の瞬間にその石は、雫の手のひらの中で、まだ卵からかえっていないヒナの死体へと変容するのです。

 悲鳴と共に飛び起きる雫。目の前には一向に進まない、破り捨てた書きかけの原稿用紙の山があります。

 映画の中の雫の場合には、物語をともかくも書き上げるだけの自我の強さと、そうした彼女を理解して見守る幾人かの周囲の人たちのまなざしがあったから救われたのですが、私たちが現実の臨床現場の中で出会うクライエントの中には、まさに賽の河原で石を積んでは壊されるかのようにして、自分の中の「卵」や「サナギ」を性急に孵化させようとしては流産させることを繰り返す中で傷つき、内面をすり減らし、蟻地獄のような絶望と無力感に次第次第に沈んで行く人たちも少なくない思えます。

 むしろそうしたクライエントさんたちにまず必要なのは、自分なりにさなぎ(繭)をつくって、その内部で成長と分化が暗黙のうちに進展するのを見守ることが許されるような治療的な場の保障と関係性ではないでしょうか。

 すなわち、彼ら/彼女らは、まずは、自分たちの中にうごめく形(言葉)にならない混沌が、自分を破壊する可能性がある脅威ではないという安心感を抱けるように徐々になれる治療的な場を保障してもらえる必要があるように思います。

 そして、その言葉にならない混沌を、いとおしみながら育み育てるための子宮的な空間を、自分の身体の内部や外部に安定した形で確保できる自分なりの工夫を見出せるようにサポートされるべきです。

 (これが、本書でもすでに第5章で示した、アン・ワイザー女史の言う、フェルトセンスと「一緒にいる」ということにあたります)

========引用おわり=========

耳をすませば [DVD]

(楽天ブックス)

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

続きを読む "「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄・日笠摩子・近田輝行・阿世賀浩一郎 共著)" »

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

 

2008/09/09

作りかけのプラモデルを持ってきてもいいんです:フォーカシング個別指導についての私見

 さて、ネット上の「フォーカシング Q&A」の再活性化を図ることにした、ちょうどいいタイミングなので、フォーカシング個別指導のあり方について、最近やっと自分の中ではっきり言葉にでき始めたことを書きたいと思います。

 「フォーカシング個別指導」という言い方は、本来、私もかつて20年間担当していた、(株)日本・精神技術研究所心理臨床センターでのオープン・コースプログラムのひとつとして設定されたものです。

 これは、日時を決めて、一定時間有料で、フォーカシングの1対1の指導を受けること(予約制)なのですが、このスタイルを引き受けることをネット上でもオープンに告知しているのは、現在でも、この日精研のコースと、かつて私が「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」、現在は「久留米フォーカシング・カウンセリングルーム」で開いているコースだけなんですね。

 もちろん、お話がまとまれば、この「個別指導」にあたることを、有料、あるいはボランティアでやって下さるフォーカシングのトレーナーは全国各地においでの筈です。

 しかし、その情報リソースは幅広い皆様に公開されていないままなのです(この点については、日本フォーカシング協会に善処を願います。

 せっかく、来年(2009年)はフォーカシング国際会議が日本で開催されることですし、フォーカシングに関心を持たれた一般の皆様や臨床家の「フォーカシングをどこで学べるか」という素朴な疑問にも率先してお答えできる体制の整備が急務かと思いますので。

 ワークショップやセミナーなどのグループ形式ではない形で、しかも居住地域に近い場所で、気軽にフォーカシングを受けてみたいという潜在需要は、すでにいくらでもある筈だと思えてなりません。


*****


 さて、今回お書きしてみたかったのは、以上のことでは実はなかったのですが(^^;)

 現段階で、フォーカシング個別指導の設定がどういうふうに使われているかといいますと、実は、

1.フォーカシングの実体験がない人がとりあえず実体験をしてみたいという形での、とりあえず1回というニーズ

が少なくない気がします。


 続いては、

2.セミナーやワークショップでフォーカシングを実体験して、入門的なやり方は学んだ。フォーカシングの自主クループの際や、フォーカシングを学んだ知り合い(フォーカシング・コンパニオン)との間で、ある態度、リスナーとフォーカサーの役割交換をする形での経験(フォーカシング・バートナーシップ)を、おぼつかないなりに持つことはできる。しかし、そうした際にあと一歩技量を深められない。

という皆様からのニーズでしょうか。


更に、

3.ひとりでフォーカシングするとなるとうまく行かないので、そのスキルを身につけたい

という皆様。


*****


 日本におけるフォーカシングの幅広い普及はまだこれからの段階ですから、こうしたニーズにお答えすることは、フォーカシングのトレーナーとしてまず第1に果たすべき務めです。

 しかし、私は。そうした方々のニーズに喜んでお答えしていきたい一方で、独特の漠然とした欲求不満を抱え続けてきたのです。

 それだけでは、私がフォーカシングのトレーナーとして果たしうるものとして思い描いていたものと「何か」が違う!!


****


 ある、フォーカシングを学んで来た社会人の方が、先日、これに関して、おもしろい比喩で語って下さったんです。


作りかけのブラモデルがあったとします。
 説明書だけではどうしてもうまく作れそうにない。
 そういう時に、その未完成のプラモモデルを持参して、

  『ここんところ、どうやったらいいんですか?』

 みたいに、解決策について、手取り足取り指導してもらう。

 そういう、いざという時のお助け役として、
 個別指導のトレーナーをちょっとだけ活用してもいいんですよね?」
 


.......そう、私がトレーナーとして腕を振るいたいと感じていたお手伝いは、こういうあり方だ!!! 

 一気に胸のモヤモヤははっきり言葉になって、シフトしてしまったこういちろうでした(^^)


*****


「ある気がかりについてフォーカシングしようとしたら、これまでと勝手が違って、すごく気が散ってうまくいかないんで、そのことの解決のヒントをもらいに来ました」 


 こんな時の、ワン・ポイントのお助け隊でいいんですよ。

 トレーナー資格を持つ人なら、こういう際に、一般的なアドバイスだけではなく、実地にセッションを持つ形で、手ほどきできるだけの経験とスキルを持っている筈なんです!!

 そういう「使われ方」を、フォーカシング愛好者からしてもらえるための気軽な場を、
 全国のトレーナーの皆さん、
 皆さんなりのオリジナリティで開拓していだだけることを!!

2008/01/22

こういちろうの自分史

●@nifty TimeLine



このコンテンツは、刻々と増補されます(途中を含めて)

2008/01/14

このブログは「顧客誘致活動」の域を超え過ぎていることは、皆様とっくにおわかりのはず!!

 mixiはじめたばかりですけど、マイ・ミクシィには、ネット友達が早速オールスターで登録してくださいました。ありがとうございます。

 で、そうやってマイ・ミクシィの追加認証する側になって気がついたんだけど、申請くださった方の中に、何らかのネットビジネスを展開するために過ぎないのではないかと懸念できる方が一部含まれていて。

 そういう形でmixiで活動するあり方を私は否定しません。そういう「商売的勧誘」目的の人を判別できることも、ネット社会を活用する側の人間に必要な社会性だと思うから。

 そういう社会性を培うための若い人への教育やアドバイスというのも、公式・非公式にもっとなされるべきだと思う、少なくとも義務教育の公立学校で正規のカリキュラムに組んで、騙されない、あるいは、賢い利用の仕方を実践的に教えるのは当然の段階でしょう。例えば、アダルトサイトで、うっかり利用規約を読まないままクリックする誘惑に負けると、法外な料金を請求されるとか、性教育よりも大事なくらいかも。(性病のこととかは大事。道徳の時間めかないことだと思う)。ネットに限らず、キャッチセールスなど、消費者教育こそ義務教育でやるべきこと。

*****

 それはそうと、私のサイトにおいでになった時に、私が単にカウンセリングへの勧誘目的で、このサイトをやっているなどと誤解している人はもはやいないと思う。

 どう見ても、超ディープなayuファン、iPodファン、歴史マニア、元アニメおたくがやってるとしかおもえない(爆)。

 むしろ、この人、ちゃんとしたカウンセラーか? という不安がもたげるくらいでちょうどいい

 実際には、臨床心理の世界では著名そのものの師に学び、東大の大学院の研究生を経て、フォーカシングの国際資格においては、日本に12人いる、国際資格を出せる資格の所持者、そして「国際組織の世界百数十名の幹部のひとり」などどいう、我ながらどんでもない偉い人ということになってます(^^;) その中でも、日本を代表する、現場臨床におけるフォーカシング指向心理療法の最先端を、日本の業界の現状にKYを決め込んで、勝手に爆走している「最前衛」のひとりなんですよね。

 我ながら未だに言ってて「歯が浮く」んですが。

 もちろん、このネットで、私は、まさにそういう存在として、「日本での代表者」としての責任を果たす水準のコンテンツも書き続けています。私には、日本に、対等な立場のフォーカシング関係者しかいないのです。

 だから、日本の「フォーカシングの先生」に苦言を呈することをむしろ責務(duty)とみなすし、それだけの実力を絶えず伸ばし続けるべく、日々研鑽してもいます。


*****


 でも、私は、読者の皆様に調子を合わる無理なんて、できるだけしたくない。

 その結果が、このサイトの、記事ごとのワープ度の半端ではない高さなのですね(^^)

 私は、むしろ、「職業がたまたまカウンセラーである社会人のひとり」ぐらいのスタンスで、ネットでの私に接してくださることを、望んでいるのです。

2007/11/29

「触れないでおくことも、実は触れることなのよ」(2)[第2版]

 これで今回のタイトルの意味がきちんと完結するところまでは書きます:

 先に述べたように、本研究の主題は、患者が目下のところはどうしようもないこととして訴える症状との言語下水準で体験される、患者にとっての「どうしようもない感じ」についての「間(ま)」の体験的習得である。そしてそれに関する、いくつかの概念や治療技法の考察は、その研究当初において、明らかにE.T.Gendlin(1982)[注:著作「フォーカシング」のこと]が提唱する体験過程療法から発生してきたフォーカシングのひとつのステップとしての、本人が困っていることや気がかりなことについて「間を置くこと」(Clearing Space)に示唆を受けている。(p.42)

 実は、増井先生が、こうやってフォーカシングからの影響を著作の中で公然と語っているのはかなり珍しい(^^;)

 しかし、ここですでに、増井先生は、一見小さなことに見えて、実は重大な混同をし始めている。

 "clearing a space"と"make a space"の混同である。

 クリアリング・・スペース(村山・都留・村瀬訳の言う「空間づくり」)は、確かにフォーカシングの「第1の動き(1st momement=第1楽章とも訳せる!!)」として位置づけられているが、これは、単に「気がかりな事柄には入り込みすぎず、かといって離れすぎず、自分の前に保っていられるようにすること」ではない

 それなら、むしろ"make a space"(村山・都留・村瀬訳の言う「距離を取る」)の方が適切である。そしてそれは、ジェンドリンの元々の技法においてですら、フォーカシングを進めるどの段階でも調整して維持されるように配慮されるべきこととみなされている。

 増井先生はアン・ワイザーのトレーニング法が日本に広まる前にこの著作(.....というか、九州大学教育学部初の、統計調査を伴わない博士論文だった)を書いておられる。アンの用語で言えば"identificate"して(自分と気がかりや情動が一緒くたになって)いるか、"disidentification(脱同一化)"ができているかという違いとして、ジェンドリンより精妙にとらえられるに至ることへの認識は、この時点での増井先生にはまだなかったともいえる。

 なお、「空間づくり」については、私の本部サイトの「フォーカシング入門」のこのページをご参照ください。


*****


 ただ、増井先生が次のように続けておられるのは、傾聴に値する:


 そのような「間(ま)」が容易に作ることができたら、何も入院や外来で治療を受ける必要がない。


 ジェンドリンの「間」の概念が抽象的すぎるという、増井先生の現場臨床的な疑問符は、もっともなことと言わねばなるまい(^^)


*****


 しかし、そこまで話題を進める前に、またもや私の若き日の「今でも付け加えることがない」代表論文を紹介する方があとの吟味が早く進む。

 ●「フォーカシングにおけるclearing a space 再考 ~面接記録に基づく~」 
   東京大学教育学部心理教育相談室紀要  第14集  1992

 この紀要論文は、手前味噌だが、近年、私よりずっと若い院生たちが、何人となく、「すごく役に立った」と別々に言ってきて下さったもののひとつで、読み返したら、「いったいこれは誰が書いたのだろう?」と首をかしげるくらいに、結局、これより私は前に進んだ論文を書いていないと感じている一本である。

(もうひとつは、前年の同じく東大相談室紀要13号所収論文、「「身体の感じと状況との関わりを重視するフォーカシング・アプローチ・序説」 である。.....これは、アン・ワイザーを知らないうちに、アンと同じアプローチ(問題について身体の感じを掴むやり方の他に身体の感じに触れていく中から、プロセスが進む内に自分の置かれた状況や問題との結びつきが自然と喚起される場合とがあり、実は後者のアプローチの方が平易である人が多いということ)を書いてしまっていて、初来日時のアンと一気に意気投合するきっかけとなった論文。我ながら、よくここまで自分でこの段階でたどり着けていたと思う代表作なので、是非遺稿を著作集にまとめて下さる場合には選んで下さい.....と、もの凄く早めに遺言しておきます。もう1本も、そこまでは行かないけど、いいところはあるかと思う。)


*****


 さて、私が"clearing a space再考"で何を書いたか。

それは、

「気がかりな事柄をひとつひとつ『棚卸し』していくclearing spaceの過程そのものが、フェルトセンスに注意を向けることと、そこから個々の「気がかり」という「とりあえずの象徴化」が浮かび上がってくるという、体験過程の小さなステップの推進の繰り返しそのものである」

というテーゼに集約される。

 もとより、これを実現するには、「今の自分が申し分なくいられるのかな? いられないとすれば、何があるのだろう」という問いかけを身体に向けてじっくりとしていき、ひとつ気がかりが浮かび上がったら、それについてそこそこ話してもらった段階で「あとは必要なら相手をしてあげるから」と気がかりに約束してもらい、「おおまかなタイトル」を付けたり、「ともかく胃のあたりにすっきりしない感じがある」といった表明も、気がかりな事柄と全く対等に受け止め、アンふうに言えばacknowlegingした上で、「ではそれを別にすると、あとは申し分ないかな?」とフォーカサーに内側に問いかけてもらう提案をするという、こまやかでじっくりしたフォーカサー=ガイド間の相互作用の積み上げが大前提となっている。

 このへんが、いかに私の場合丁寧で、フォーカサーのペースを尊重したものかは、私のセッションを実際に体験したり、ご覧になった方はご存じのはずである(きっぱり)。

 そうした際のデリカシーについは、現在でも、2,3ヶ月単位で区切ってみれば、明らかに質が上がり続けているという自負はある。前回よりもより向上した質のガイディングができるようになろうという点で、私は自らに課している要求水準は際限がない。少しでも、ルーティン・ワーク化したセッションが自分に許せない。何か前回よりも無駄がなく細やかなものになる新鮮さがないとと思い続けている。しかし、私の技法には、更に細やかなフォーカサーの自発性への配慮と、厳重な構造化が、杓子定規とはほど遠い形で、徐々に育成され続けているのである。


****


 手前味噌はこのくらいとして、この"clearing a spaceそのものが体験過程の推進"という、ラディカルな観点を導入すると、どういうメリットがあるか。

 それは、"clearing a space"を丁寧に進めると、「このことがこれだけ気にかかっているとは気づかなかったという「気がかりについての気づき」がフォーカサーの中に生じることが少なくない、という、熟練者がよく知っている事実をうまく説明できることになる。

 そしてそうしたことに気がつけただけで、何か心の整理ができて、少し自分を取り戻し、帰り道に更に別のより本質的な気がかりに自発的に(ジェンドリン用語で言う「自己駆進的 self-propelling]に」)気がつくなどという形で、"clearing a space"が自動的に進行し、しかもそれがパンドラの箱を開けるような恐慌体験には日常の中ではならず、心を落ち着かせ、無理なく次回の継続セッションに「持ってくる」まで深追いしすぎないで保持することが可能なことが、少なくとも最近の私がガイドのセッションでは増え続けている。これは、それを可能にする「抱え」の構造を生み出す関係性の質を高めることにも私が更に成熟しつつあるから可能なのかもしれない。それは、私の人生に対する姿勢全体が、clearing a spaceされたものに、少なくとも現状では高まっているということと、最後には連動しているのではないかと感じる。

 その人の、面接室を離れた日常そのものが、少しずつでも半ば無意識的かつ自己流にclearing a spaceできる方向が「身につく」援助になれば、実はそれだけで最も重大な援助ができていることになると思えるし、それが生じないままなら、clearing a spaceを形だけ行うことは、むしろその人がすでに維持していた内面の平衡を崩す危険もあり、有害無益だろう。

 .....実はこの点では、増井先生と私はかなり共通の問題意識しかいだいていない。

 いや、増井先生の「心の整理法」(下記著作参照)ですら、杓子定規になされたら、確実に、面接後のクライエントさんの日常の中で混乱を招く「反動」が生じる危険があるはずだ。

 増井先生がもしこのような危険に遭遇しないとすれば、増井先生の、クライエントさんとの関係性の質.....ウィニコットの言う「抱え」の構造が実に見事な職人芸で確立されているからに違いない。

 これは決して明文化できない領域である。

 なお、私の"Crearing a Space"の臨床適用の実際については、すでに絶版だが、「フォーカシング事始め」(村瀬孝雄 編著 日笠摩子、近田輝行との共著 1995)の第10章の拙論、「フォーカシングの『臨床適用』について」の第5節でも、今にすれば未熟な内容だが、紹介している 。


*****

 
  更に言えば、

  こうなると、
 
  「気がかり」や嫌な感情を

  「自分が思い描いた壺に入れる」(田嶌誠一)
 
  とか、

  「どこかに置く」

  ということをイメージしてみるプロセスは、


  「内容そのもの」に名前を付けるか、

  内容を入れた「容れもの」の質感や置き場所を具体的にイメージするか

  という違いであるに過ぎず、

  これらも実は体験過程の推進のステップを安全に刻むための工夫であるに過ぎない


 ......という見地に立ってしまえば、

 ついに、

 増井先生や田嶌誠一先生とフォーカシングのインサイダーとの間のギャップは、

 論理実証主義的に言えば(^^)、ほぼ消滅することになるのではないか。


 まさに、冒頭に述べたとおり、

 「触れないでおくことは、触れること」

 なのである。


*******


 ここまで先に書いてしまってから、増井先生の著作について更に先まで吟味するというのは、ちょっとずるいやり方かもしれないが、さすがに午前3時となったので、最終的完結編は、今日の夜までに書くこととします。

 長文におつきあいいただき、ありがとうございました。

 おかげで、ayuの「伝説ライブ」の動画紹介の記事が埋もれてしまったけど、pingであちこち飛ばされているので、大丈夫でしょう。

 おやすみなさいませ。


 (今度こそ最終回になるはずだった回に続く)

2007/06/09

明日は「私設心理相談」研修会参加

 明日は、東京・駒込の大正大学で、日本臨床心理士会の「私設心理相談」の研修会があります。

 午前10時には会場に着いていなければならない性格上、今日は夜更かしは自重したいので、「今週のベスト20」発表はまる一日延期、日曜の晩にします。

 私設(開業)心理臨床というテーマで、日本全国から臨床家の皆様が集まる場が、どのようなものになるのか、まさにこの領域の固有の問題について具体的な議論が盛り上がる場となることを期待しています。

 おそらくひとつの大きなテーマになるのは、臨床家の倫理と法律の問題だろうと想像しますが、経営的なたいへんさだとか、新規にこの領域に踏み出す際に、クライエントさんをどう開拓するか、普段の広報宣伝活動をどうしているのか、などという「現実的な」ホンネの部分での意見交換がどんどん出てくる場になって欲しいなと思っています。

 その内容についての感想も、このブログで何らかの形で報告させていただきたいと思っています。


*****


 一般の読者の皆様の目にどう映っているかと思いますが、日本では、純粋に開業だけで生計を維持している臨床心理士はまだかなりの少数派といっていいはずと思います。この辺、欧米の映画とかに出てくる「精神分析医」みたいなイメージをもたれてしまうと全然違うんですよね。

 いつもいいますけど、少なくともフォーカシングを「表看板に掲げて」開業している「常設相談機関」は、日本・精神技術研究所のオープン・プログラムを別にすると、不詳私の「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」日本最初かつ現在でも唯一のはずです。個人的な面接を結構引き受けておられて、そこでフォーカシングを活用されている方は他にもあるかと思いますが.....

 もっとも、いつも申し上げているように、私のポリシーとして、通常のカウンセリングにおいて、私の方からフォーカシングをお薦めすることは全くしていません。これはお題目ではなくて、本当に現実にそうなのです。

 私は、流派や療法の違いによって、カウンセリングの優劣があるなどというのは全くの幻想だし、ある特定の症状だとか病理水準の人にある特定の心理療法が効果的ということすら全く信じていません

 そのカウンセラーにとっての主たるオリエンテーション(拠って立つ基盤)というのは、あくまでも、その臨床家が、専門家として成熟していく上で、いわば「てこの支点」となったものであるに過ぎないと思っています。

 いわば、「町の開業内科医」のようなスタンスとしての「街のカウンセラー」というものがある気がしてならない。クライエントさんの守秘義務を尊重する形で、精神神経科や心療内科の専門病院・クリニックや、地域精神保健、公的な教育相談や児童相談、そして教育機関やスクールカウンセリングと緩やかに連携し、そうした機関とのクライエントさんとの関わりや活用をサポートしつつも、それらと競争関係にあるのではない、敷居の低い開業カウンセリングというのがあり得ると信じています。

 こうした、まだまもなく開業2周年にすぎない私の発想をいかに具体化するか、開業の先輩方の知恵を借りながら、吟味する場になることも、研修会に期待しているのですが。

*****

 【追記】:研修会に実際に参加してみての感想は、こちらの記事を筆頭として、いくつかのトピックを書いてみるつもりです。

2006/12/21

佐治先生だけが言ってくれた(第3版)

 「おまえ、まだひとりで全部稼(かせ)いでいないだろ?」

 それがどういう場面で、どういう脈絡だったかすら思い出せない。

「恐らく」日精研(日本・精神技術研究所・心理臨床センター)でのことである。

 それがあまりに、唐突とした脈絡に私は感じられたし、その直前に長い会話をしていた記憶がないのだが。

 その頃私は、日精研からの嘱託(派遣)カウンセラーとして、法政大学の多摩学生相談室の非常勤の仕事と、時たま入る、都心の日精研での「フォーカシング個別指導」の助言者(トレーナー)のひとりをしながら、東大の大学院の研究生をし、併設の心理教育相談室で研修を受けていた。確か、それらがすべて重なる「その年」のことだったと思う。

 以前も書いたが、私が東大の「大学院」に、研究生としてであるにしても、正規に3年間在籍することができるようになるまでの過程そのものが、ほとんど信じられないほどの偶然と、私の執着気質的な「執念」で、当時の立教の大学院の実験系の先生方を根負けさせたこと、更に、はっきりいって「ずるい」機転による抜け駆け、そして何より、当時の私の水準におけるフォーカシングについての理論的・実際的理解力すら率直に認めて下さった村瀬孝雄先生の誠実な人徳なしには考えられないものであった。

 何しろ、この段階で、日本の開業常設カウンセリング機関で、「フォーカシング個別指導」を、有料で、一般の皆様に向けて常時受け付けていた(予約制だが)のは、日本広しといえども、東京の日精研だけだった。

Focusing_hyoushi_1 私以外の担当者は、当時唯一の翻訳された「技法書」だった、ジェンドリンの「フォーカシング」3人の共訳者の先生方のうちのお2人、つまり、当時東大の、我が恩師、村瀬孝雄先生と、確か当時まだICU(国際基督教大学)におられたはずの都留春夫先生という、当時ロジャーズ派系の日本を代表する大家だった(ちなみに、もうひとりの訳者は、今も臨床心理士をなさっている皆様で存じ上げない方は少ないであろう、当時九州大学の村山正治先生である)先生方である。

 はっきりいって純粋の「臨床的経歴」からすれば、20代の研修中の社員と50代-60代の部長・重役が、同席の「担当者」として名前を連ねているというのに近い、異様な事態だったと思う。

*******

 ところが,現実は、経済的には、「新入社員以前」もいいところだった。

 恥ずかしながら、まさに冒頭の一句の状態だったのである。

 そして、それを全く唐突に思えた脈絡で、私に切り出したのが、日精研心理臨床センター所長をなさっていた、佐治守夫先生だったのである。

*******

 佐治先生は、千葉県市川市国府台にある国立衛生研究所附属病院の精神神経科で、「日本最初の」職業心理カウンセラーのひとり(恩師村瀬孝先生もその中のひとり)をされた後、東大教育学部で教鞭を取られ、東京大学教育学部心理教育相談室という、「大学院生のための研修機関を兼ねた、常設外来カウンセリングルーム」の先駆けのひとつ(今では全国数十の「第一種指定校大学院」に存在するが)の設立から、「佐治門下」と今日言われる、今現場や教壇の第一線にある、数々の優秀な臨床心理学者や現場カウンセラーを輩出するまでの時代に教鞭をとられた。

 だれもが佐治先生は定年退官後、もっと定年の長い別の有名大学がらの招聘を受けられるものと想像していた。ところが、佐治先生は、敢えて、「単なる現場カウンセラー」に戻る道を選択される。

 しかも、それは、すでに「株式会社」という形態を持った組織として完全に自活していた、予想外の「企業」の、いわばベンチャー部門の立ち上げのようにして、今から30年前、ささやかにはじまるのである。

 それは、賃貸ワンルームマンションの一室からはじまったという。

 クライエントさんは最初ほとんど来なかったそうである。そのうちに、その場は、佐治先生を慕うカウンセラーたちのささやかな研修会の場ともなり、後に「佐治研究室」という研修生システムとなる。

 その後、20年近くかけて、日本精神技術研究所心理臨床センターは、スタッフを増員し、より大規模なビルへと移転を繰り返し、佐治先生所長時代の末期には、ついに「各種学校」としての法人格を持つ、「心理臨床学院」を併設する、病院附属ではない、日本を代表する民間大規模開業カウンセリング機関、兼、全国の著名カウンセラーをゲスト講師として招聘するカウンセラー研修機関となる(もとより、指定校大学院ではないので、臨床心理士の資格取得そのものをここだけでできるわけではない)。

 だが、その.30年前のワンルームマンションの草創期から、10年前にお倒れになり、数日後お亡くなりになる「その日」まで、この相談機関の現場カウンセラーとしての「主戦投手(捕手?)」は、佐治先生であり続けた。定年退官後の20年、驚くべき数の面接数を担当し続けておられたことは、その最後の数年に末席から様子をおうかがいしていたにすぎない私にも、「面接予定表」の埋まり具合についての記憶がある。

******

 私は、フォーカシング個別指導以外、研修を受ける側を含めて、日精研の催しに積極的に関与することは今日に至るまでないままである。 

 最初の頃、月に一度の事例検討会にも参加を許され、佐治先生の前で学生相談におけるフォーカシングの活用の事例を提出させていただいた記憶もある。

 いくつかの感想は参加者から散発的にいただいたが、「積極的評価」も「批判」も受けなかった。佐治先生は、ほんの数言、司会的な言葉を挟まれただけだったと思う。私にはそれが「ひどくこたえて」、それ以降、事例検討会から足が遠のいた気がする。

*****

 それから、2,3年は後の言葉だと思う。冒頭の一句を、ほとんど出会い頭のご挨拶程度の儀礼的日常会話の際に,突然ぶつけられたのは。


 「おまえ、まだひとりで全部稼(かせ)いでいないだろ?」


 その時は、その言葉にぎょっとしながらも、できるだけ平常心を取り戻した。


*****


 ところが、その一言を言われたということが、あとあとまで私の中に残るのである。平均すれば、週に一度近くは脳裏を掠(かす)めたかもしれないくらいに。

 なぜなら、立教の大学院時代からを含めて、私に、上記の一言を面と向かってつぶやいた「カウンセラー」は、佐治守夫先生、たった一人だったからである。

 もちろん、私はそのへんのことになると、口を濁していたから、何か別にバイトぐらいしているのだろうと思い込んでいた周囲の人も多いかもしれない。でも、私はそれを、

「周囲のかなりの範囲の人が漠然と『察して』いるのに口にしていないだけ」

と思い込んでいた。「見抜かれている」と確信して「いた」
 
 そして、実はそのことを誰も「もろに」言ってくれないことそのものに、カウンセリングの世界の「厳しさ」をひしひしと感じて「いた」

 でも、どこかで、そのことを私につきつけて説教「してくれない」周囲への、屈折した「恨み」も感じていたように思う。

(土井健郎先生にご登場いただくまでもなく、今思えば、これ自体が「甘え」だったと言わざるを得ないです。

でも、「そういうのは『甘え』だ」、と「言葉で」突きつける一般の人やカウンセラーには、何か違和感があります。堂々巡りに本人を追い込み、結局今度は他人に「そういうのは甘えだ」を連発する人間にしてしまうだけですから。「そこから先が」ホンモノの関係性と信じます)

******

 実は、佐治先生に

あのダイレクトな一言を言っていただいていて、

しかもそれがよりによって、

私が「実際に」大学カウンセラーや非常勤の大学講師をして「ほんとうに自活」するまで、

後にも先にも、この時、

佐治先生から

「だけ」しか

いただけなかった一言だったからこそ
私はその後、
つぶれてしまうこともなく、
思い上がり過ぎることもなく、
研究者や教職の道をめざすこともなく、
現場臨床にこだわる「カウンセラー」として生き延び、
独立開業カウンセリングという世界に踏み込んだ気がしてならない。

 今にして思えば、
 あの一言こそ、 
 私への

 最大の「救い」、

 その後の生きる支え

 となる

  「受容と共感の」
   ひとこと

 「だった」のだと思う。

 私にとって、佐治先生とは、まさに冒頭の「図星」をまともに「言ってくれた」、(ここだけ「敢えて」敬称は使いません)、唯一のカウンセラーとして,恐らく私の生涯、ずっと記憶されていくのである。

******

 どんなクライエントさんとも、一般にいわれている意味での「受容と傾聴のカウンセラー的態度」で一貫して接することで、尊敬を集め、希代の名カウンセラーのひとりといわれる佐治先生は、実は、自分の教え子たちひとりひとりとは、たいていといっていいほど、「伝説に残る大げんか」を一度はしておられるらしい。

 私はそれらについて、「また聞き」を含めて、知る範囲のことを語ることはもちろんできません(^^;)。

*****

 ただ、そういう、日精研で、佐治先生と、私などより遥かに密接な関係にあった諸先達を含む皆様たちによる、「それぞれの方の」人生の重大転機となったのかもしれない、佐治先生との「思い出深い一言」が文中にたくさん掲載されている、没後10周年の寄稿集が、日精研直販でなら、どなたでもお買い求めになれます。

 実はまだ日精研公式ウェブサイトの書籍販売コーナーにまだ掲載されていないようですが(06/12/21現在)、


Sajisensei_1

日本・精神技術研究所 編

「日精研における佐治先生」

日精研叢書 第3巻


......定価1,050円(税込み)、送料150円です。

注文について、詳しくは、上記のウェブサイトをご覧下さい。

 私のカウンセリングルームにカウンセリングやスーパービジョンに実際においでいただいた皆様には,ご希望がある場合「摘価で」お分けいたします。

(以上の件、すでに日精研の担当責任者の方にご了解いだだいています)


*****


 BGMは、敢えて、確信犯で、浜崎あゆみの新アルバム、
"Secret"です!!

 実は「確信犯」と言っても、この書き込みの「第2版」のために敢えて大船の私のオフィスまで自転車を飛ばす際途中で、ホントに突然フェルトシフトして「洞察」したことなのです(^^)。

ほんの数行目から、細かい字句修正と、「独特のリンクの張り方」以外、まさに「ライブの」フォーカシングをしながら、一貫して書いてます。

 私がこのアルバムについての書き込みの2つめぐらいから、漠然と、しかしはっきりと「全体像」をつかんで「いた」事柄、まさに一連の書き込みで"around"しながら迫ろうとしていた問題を、この書き込みまでかけて、「やっと、いくつかの切り口から、かろうじて書けた」という思いがあるからです。

 そう、私がこの「秘密(Secret)」を語る必要が「あった」んですよ(^^)

より以前の記事一覧

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー