楽天

2010/10/14

「のだめ本」の決定版はこれだ!!

 Amazonレビューとかでしっかり予備調査した上で、実は楽天のアフィリエイト・ポイントの方で入手しました。

茂木大輔/読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会

 茂木(もぎ)さんという方は、NHK交響楽団の主席オーボエ奏者を続けた後、指揮者の道も志され、著作活動も豊富、特に有名なのは、「拍手のルール―秘伝クラシック鑑賞術」という本でしょうか。

 先述ののだめ本、原作者の推薦文つきで、原作と同じ講談社から出ていますので、原作の画面も公然と引用できています。

  私は茂木さんが著作活動を本格化される頃と行き違いで、「レコード芸術」読者とかからも離れたので、この「拍手のルール」しか実は存じあげていないのですが、非常ににわかりやすく、軽快な文体でクラシック音楽の世界についてお書きになる。私が若い頃にはおられなかったタイプの著者です。

   オーボエ奏者というのは、一日中リードをナイフで削っている「気難しい」人・・・という固定観念があったのですが(音程の調整が一番難しい楽器。だから、オケの調弦のAの音は通例オーボエが最初に音をだすのです)、茂木さんって、不思議なおおらかさとユーモアの飄々とした文体ですね。

*****

 この方が「のだめカンタービレ」の原作と出会うまでのきっかけ自体が、偶発的な「運命の出会い」!!そこからの茂木さんの「行動力」がまた凄いんですが、そのあたりは本書を読んでのお楽しみということで・・・

 結果的に、茂木さんは「のだめ」原作のパリ編あたりから以降の音楽アドバイザーのひとり(あくまでも、ひ・と・り・。それ以前に原作者の二ノ宮さんは、ある、とんでもない「音楽学の大御所」を監修者として味方につけておられたのです・・・)」

 そして「のだめオーケストラ」の創設者、更に、ドラマ版の音楽監修者の一人として「全面協力」するに至ります。

 そういう、ディープな当事者の茂木さんご本人が、出し惜しみせずに、ドラマ化の裏側すら書いて下さっているので、私がこちらの記事で書いた疑問や予想の95%までは氷解ました。

 前の記事、一部私の勝手な誤解や思い込みもありましたが、敢えてその部分は茂木さんの本に基づいて修正はしないでおきます(^^)・・・マジ、茂木さんが同じ事を同じように書いておられる部分があるだけで、私の方がぎょっとしました(・・・これじゃ、自慢ですね、すみません)

 劇場版公開に合わせて刊行された本ですので、劇場版の裏話はありません。「パリ・スペシャル」までは先取りで裏話がわかってしまいましたけど、もうここまでくれば、どの程度先にネタバレ読んでから観ても、ドラマにしても原作にしても新鮮な驚きと心からの満悦しか待っていそうにないですね、私にとっては。

 ただ、ドラマの裏話はあくまでも本書のウエイトの3分の1も占めてはいません。本書2分の1はのだめオーケストラの裏話です。それはそれで、確かに「読むだけで楽しめ」ます(^^) 例によって「原作が透けて見え」ます!!

 あと、ドラマでの、モーツァルトのオーボエ協奏曲の代演は、茂木さんではないけど、茂木さんの後に入団した、超一流の後輩N響奏者だった・・・ということまではネタバレしておきますね。

 これ以上は、読んでのお楽しみということで・・・

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

2010/06/20

ドナ・ウィリアムズ著「自閉症だったわたしへ」を読み始めて。

 人は、ある意味で、外界からの刺激に対して、選択的に「心を閉ざす」能力を身につける中で、はじめて自我を形成し始めることができるのではないかと思う。

 特に、「生身の人間」という、得体のしれない他者から不用意に発信されてくる「意味不明の」働きかけに対して、選択的に「こころを閉ざす」能力である。

 今、これを書きながら思い出したのだが、「選択的不注意」という概念そのものは、サリヴァンが「現代精神医学の概念」の中で鍵概念として用いているものであるから、何ら目新しいものではない。

サリヴァン/現代精神医学の概念

 そして、人は自分の思う通り、感じるとおりではなくて、周囲の「重要な他者」(必ずしも養育者でなくてもいい、たった1回の出会いの同世代の子供の場合すらあるかもしれない!!)の言動の「まねをする」ことが「うまくなる」ことで、とりあえず、「仮の社会的自我」というものを形成して行くとも言えるのかもしれない。

 もとより、大抵の場合、思春期に到るまでのどこかで、そうした周囲への「順応」と、「自分だけの世界」と「他者にさらす世界」の使い分けだけでは生きづらくなる葛藤に直面するものだとは思うが。

*****

 どうも、私は周囲の子供たちとは「別の世界」に生きているようだという感覚を、私は、小学校に入学した頃からはっきりと感じ始めていた。

 幼稚園時代には、なかった感覚という気がする。

 ・・・・このように言うと、読者の皆様の中に、「いや、自分は、幼稚園に入る前から、周りの子とは違うという感覚に圧倒されていた」とおっしゃる方々がたくさんおられるであろうことは百も承知である。

 私の場合、環境因も大きかったと思う。私が入学したのは、いわゆる「教員養成大学の附属小学校」だったから。

 ところが、私には、こうした場合にありがちな「お受験」対策を受けた経験がない。そもそも、ある日親にある場所に連れて行かれたら、「附小の入試会場」だったので、ともかく問題を解いてみた・・・そういう成り行きである。

 正確には、学力選考のみではなくて、その後に「くじによる抽選」というプロセスも経ているので、お受験対策の加熱によって、最初から地域の優等生ばかりが集まりすぎることへのセーブは掛かっていたのかもしれない。

 だが、確実に言えるのは、入学した80名の新1年生の中で、地域の「お受験」対策幼稚園とされる2つの幼稚園の出身者ではない合格者は、私以外にもう一人だったということである。

 私以外の新入生たちは、みんなどちらかの幼稚園時代からの「友だち」がいる。そして、「どちらの幼稚園の出身者なの?」というのが、クラスメートからの最初の挨拶代わりだったのをよく覚えている。そして、「どちらでもない」こと自体に、怪訝な顔をされた。

 こうして、友達作りと集団への溶け込みという点で、私は入学当初から負荷要因を背負っていたことになる。そして、このことの特殊性とカルチャーショック抜きにして、私の「周囲の子供たちとは何か、基本的なところが違う」というギャップ感の背景を語ることはできまい。

 幼稚園時代にはできたはずの、鉄棒の「逆上がり」ができなくなった。これも何かストレス要因があったためだろう。

*****

 では、私の親が、何の「受験対策」も私にしていなかったかというと、そういうことではいない。

 もの心ついた頃から、私のまわりには、小学校上学年向けと思える図鑑や学習事典の類がたくさん準備されていた。私は、そうした図鑑や事典をむさぼり読む中で幼稚園時代を過ごした。

 だから、漢字力や、知識力だけなら、小学校2年生ぐらいまでは、なぜ周囲がそこまで「知らない」のかが、わけがわからなかった。

 ある意味で、「努力して勉強する」ということを知らない子だった。授業中も、先生の授業に上の空になり、鉛筆の先っぽを遠近法で見えるか見えないかの角度で目の斜め横にかざして遊ぶ一人遊び(↓)に没頭して、何度低学年の担任の先生に注意を受けたことだろう。

Enpitsu

(↑ピンぼけですが、まあ、だいたいこんなアングルで鉛筆の先端を見え隠れさせるひとり遊びだと思って下さい) 

 結構勘のきつい子で、すぐに大声で泣き出したりした。

 そうしたことも、幼稚園時代や家庭ではなかったことだった。運動は苦手で、小学校中学年頃には、典型的ないじめの標的にされた。

 「附小」から「附中」への進学はエスカレーターではない。附中には外部から純粋に受験で勝ち抜いてきた公立小出身の生徒が数十名加わる。

 放っておくと、そういう「外部からの受験組」の学力に「内部進学組」は圧倒されるので(実際、その傾向は防ぎ難かった)、全児童に対して、「小学6年生になったら附中合格のための受験勉強をすること最優先」というのが当然のこととされ、業者テストも繰り返し実施された。

(もちろん、中には、久大「付設」高校やラ・サールへの進学のための勉強をするものもいたが、それらを受験すると「内部進学」の道は閉ざされるという「二者択一」の「掟」があった。一方、附中に進学しても学力的に適応できないと判断された児童・・・それほどの人数ではない・・・・には穏便に前もって「肩たたき」をされることにもなっていた)

 この、業者テスト(8科目)の2回めで私は、何の弾みか学年で2番になってしまう。それまで、ほとんど成績が学内で中の中を上下していたに過ぎない私が、突然のこの結果に、周囲からも唖然とされた(社会科だけは、教師に、「私に君に教えることは何もない」と言わしめる圧倒的な高学力を小2から維持していたが)。

 しかし、第3回目(1学期の終わり)では再び中の中に逆戻り。「やっぱりあれは、たまたまだったんだ」というよう冷笑した目で周囲のクラスメートたちは私を見た(ような気がした)。

 私はこの時始めて、「自分から意識的に学力を上げることにチャレンジしてみること」に関心を向けた。

 いじめられっ子だった自分を一発逆転で周囲に見返す、これ以上良いチャンスはないではないか! あの「学年2位」は偶然ではなかった事を証明したい・・・・ただそれだけだった。

 目標は、「もう一度でいいいから、業者テストで2番になること」だった。

 そのために、自分から問題集をバリバリと解いて行った(親は何の口出しもしなかった。成績が悪くても決して叱らず、よくても決して褒めない親だった) 。

 そして、秋の5回目の業者テストで、私は再び「学年2番」を取ることで面目をほどこした。

 ただ、親が私の勉強にとことん不干渉だったために、私は「なぜ勉強するのか」というテーマに、中学に入ってからひたすら悩むこととなる。勉強に対する「外圧がない」というのも、それはそれで葛藤のぶつけ場所がないということになるので。

*****

 「附中」に進学してからは、そうやって「なぜ勉強するのか」を時には徹夜して日記を書きながら考えてしまう哲学少年になっていた。

 だから、「全力を尽くしていた」などとはいえないかもしれない。努力できた部分はあったに違いない。

 しかし・・・・

 数学が・・・・中1の途中から、私にとって、「圧倒的な壁」として立ちはだかり始める。

 これだけは、果たして「努力」の問題だったのかどうか? 半端ではなく、どう仕様もなくなっていたのである。

 私は、数学的な抽象性というものを、すべて「具体的な実感」として理解できる形に「還元」しないと全く理解できないタイプの人間だったようである。小学校時代も、他の科目より算数は最良でも10点は低かったのだが。いわゆる「幾何系」より「代数系」の方が小学校時点でも苦手だったのはよく覚えている。

 しかし、「公式のまる覚え」をすることは私の良心が許さなかった。悪戦苦闘した。・・・そのうち、学年で数学は下から2番というのが完全な定位置になってしまった。

 ところが!! 国語の業者テストに関しては、特に何の準備勉強もせずに、答案用紙に向かいさえすれば「学年1位」を何回も取れたのである。

 これは小学校時代にもなかったことだった。もともと得意の社会科の学力を維持するためには、かなりの努力が必要だったのに・・・である。

 こうして、国語と社会科「だけ」は得意なこういちろうと揶揄される中で、地域一番の公立進学校(はっきりいいって、「明善高校」ですね)には不合格となる。

******

 こうした次元のことを、「学習障害」などと呼んだら、実際にそういう診断を受けておられるみなさんにお叱りを受けることは承知している。

 しかし、もし、今の都市部での特別支援教育と同じ判断基準があったら??? 私は、いくら附属とはいえ、「何らかの」検討の対象になりはしなかったかと思う。

 ・・・こう感じる私は、まだまだ学習障害について不勉強なだけなのだろうか?

*****

 滑り止めで入った、当時は不良も結構いた高校(今では男女共学になり、大学には医学部はないのに、他大への医学部入学者も輩出する福岡市有数の進学校である)でも、私は数学では試験は「0点」のことすら稀ではなかった。つまり、レポート提出とかで「下駄を履かせて」もらえなかったら、私は永遠に高校で進級できなかったのである。

 国語の方は、古典は努力で勉強したが、現代国語は、「ともかく点数をぎりぎりまで上げるために」漢字の書き取りだけは熱心にやった。おかげで全国共通一次試験一期生として、国語198点、他方、数学は71点(数学の全国平均点140点台だったその年に!!)という極端な数字を取ることとなる。

 これで、地方大学の補欠合格には潜り込めたのだが、私は敢えて、東京の私大へと向かう道をとることになる。

 いとこが東京の大学に進学した時の、駅での見送りの光景が、私を東京への憧れへとかきたてたのである。

*****

 こうやって書いているうちに、読み始めたばかりの、ドナの「自閉症だった私へ」から、随分隔たったところに話題が来てしまった気がする。

自閉症だったわたしへ (新潮文庫)

(楽天ブックス)

 ただ、冒頭に書いた十数行こそが、私がこの本から受け止めた、まず最初の、私なりの新鮮な言葉としてお伝えしたかったことであることには代わりがない。

 ともかく、この「古典」を先入観なしに読むことから、私の発達障害について自己流の勉強は「一から出直し」のつもりである。

 ドナの文体のみずみずしさ(訳もいいのだと思う)には、心から魅惑されながら読み進めている。

*****

【追記】

 ドナは、良い治療者との出会いもあり、大変な努力を払って、自らの自閉症と「折り合いをつけた」稀有な人であることが読み通して伝わってきた。

 今日、精神医学の世界で、「発達障害」は市民権を得た一方で、ほんの2,3年前まで、なんでもかんでも「気分障害(特にうつ病)」の枠で捉えようとしていた「汎-気分障害」の時代から、やや過剰な「汎-発達障害」の時代にいつの間にかあっさりと移行してしまったことへの危惧も、不勉強なりに感じている。

 そこに「<コミュニケーション>ができること」に対する時代的な規範の独特の強化の反映も否定できない気がする。

 安易に「コミュ障」という言葉が独り歩きして、重度の発達障害や「高機能自閉症」の人はむしろ迷惑している状態だろう。

*****

 ちなみに、私自身の自己診断は、基本的には父の血を受け継いた、気分の持続性の強い職人肌の「執着気質」と思っている。

(強度の「執着気質」が、「高機能自閉症」とどこかで重複する可能性がないとは言えない気もするが)

 父は対人関係が本当は不器用なのを戦後日本の貧しい時代からの努力の過程で乗り越えた「経理の職人」。数字のこととなると私からするととてもかなわないくらいに頭が回る。

 ただ、一見「礼儀をわきまえた」、そつない人との関わりに、何か「人工的に身につけた」ものを感じる。父にあるのは「職業的な」対人関係のみで、「友人」というものがいた試しがない。

 これに対して、母は明らかに、ひと好きのする「循環気質」圏(鬱状態にはほとんど振れない)の人である。私の人間好きな側面は母の血だ。

 ただ、かなりの高齢出産でもあったので、かすかに父の血にまじった発達障害因子が、遺伝子の微妙な傷として発現したかもしれない。

 私の場合はそこに更に、すでに10年前になってしまったが(2004年12月にこのブログを始める2年程前、2002年のことである)、はっきりとした新たな過酷なストレス状況(それについては私以外の人のプライバシーのも関わることなので、ブログ上では一切触れないことにしている)に対する「適応障害」の抑うつ状態となり、その際に、SSRIを不適切に投与されとことによる、かなり医原性の「双極性II型」の余波が残っている状態かと思う。

 ただ、そういう「軽躁性」が私の中から「重心が低い」形に安定しつつあることは、ここ数ヶ月の私の記事をお読みの方は、感じていただけるかと思う。

 職人的なこだわりのある、ねちっこい、完全主義で(「柔軟であろうとすること」もむしろ完全主義の一部である)、しかも精力的な「粘着」だとお感じかもしれない。(12/1/11記)

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2010/02/14

池見陽著 : 「僕のフォーカシング=カウンセリング」のご紹介を兼ねて

 「書店で目にすることができる多くのフォーカシングの著作は、『誰々が演奏するフォーカシング』になってはいない」(p.2)

 ジャズを勧めるとしたら、最初にジャズの技法や奏法の本を勧める人がどこにいるだろう? ライブかCDを勧めるはずだ。「○○の演奏による」が存在しないジャズの名曲など存在しないというわけですね。

 趣味でジャズ・トランペットを奏することでも知られた池見先生による、「革新的な」著作です。

 全編が、鹿児島で催したワークショップへの出発から大阪への帰着までの「ドキュメンタリー」というより、「私小説」に近いタッチで書かれています。

 こういうかっこよくてクールな文の書き方は、池見先生でないとお似合いになりません(^^)

 先日私もご紹介した、ジェンドリンの「セラピープロセスの小さな一歩」のはじめの方の、

フォーカシングであれ、リフレクションであれ、他のものであれ、
二人の間に挟み込んではならないのです。

(中略)
武装しているという感じになってくる。


を引用して、「武装解除」宣言からはじまるわけですね(^^)


池見陽/僕のフォーカシング=カウンセリング

(楽天ブックス)

*****

 「久留米でフォーカシングを学ぶ会」、本日、滞りなく開催されました。

 その参加者の方から上記の本をご紹介いただきました。

 この本、その方はたまたま偶然Amazonでの発売予告を目にして予約購入なさったそうですが、2月10日に発売されたばかり。私も、何の情報も持ち合わせていませんでした。

【追記 10/11/16】:実際に自分で入手して、お読みしてからの感想はこちら

 そのご紹介からの影響からか、今回は、スコット・ラファロ在籍時のビル・エヴァンズ・トリオのような、「各奏者が対等な」、しかし完全に「脱技法化された」対話だけで数時間がじっくりと柔軟に進行しました(^^)

 次回は3/14(日)に開催です。

 フォーカシングについての学習経験が全くない方の新規参加も歓迎しております。

 参加エントリー、お持ち申し上げております。 

 詳しくは、こちらをご覧下さい。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
人気ブログランキングへ
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログへにほんブログ村

2010/02/08

浜崎あゆみの詞における「僕」と「君」、「わたし」と「あなた」 -サリヴァン的次元で解説してみよう- (第2版)

 浜崎あゆみさんの詞って、驚くぐらいに具体的なシチュエーションが出てこない。

  •  地名・・・ゼロ。それどころか「海」という言葉は出てきても、「山」「川」はひとつもない。
  •  人名・・・中島みゆきなら「♪真理子の部屋に、電話をかけて(「悪女」中島みゆき - 寒水魚 - 悪女 (アルバム・ヴァージョン))」と出てくるくらいの、一般化した次元でもゼロ。
  •  学校時代をイメージさせる表現・・・・ゼロ。唯一の例外が、浜崎あゆみ - A BALLADS - 卒業写真荒井由実の「卒業写真」をカバーしたケースだけであるという、驚くほどの徹底性。
  •  「僕」「君」「あなた」という人称を異様に多用する。「彼」「彼女」も例外的では?

 そして、そもそも「君」「あなた」が誰なのかが非常に曖昧で多義的で、どのようにでも受け取れ、再解釈できる

  • 生身の「濱崎歩」
  • アーティストとしての「浜崎あゆみ」

    (ベスト盤浜崎あゆみ - A BALLADS"A Ballads"の最後に収録された「卒業写真」のカバーそのものが、「街で見かけた」かつての自分のポスター等との対話というシチュエーションで理解してもらうことをayuははっきり狙っていたと思う。アルバムジャケットも、←こんなふうですからね)
  • 聴衆
  • 過去の、そして現在の同性の親友たち。
  • 父親
  • 過去の、そして現在の異性の知り合い(max松浦もそのひとりだけど、それだけ強調するのは明らかに偏った理解。最近はさすがにこのこじつけはいい意味で廃れましたけど)
  • 過去の恋人
  • 現在の恋人
  • 聴衆にとっての大事な人

 ・・・ちょっと年季が入ったayuファンなら、実は今私が箇条書きにした順序くらいでとりあえずいくつも当てはめていくのが無難であることに気がついているかと思う。

 "teddy bear"浜崎あゆみ - Duty - Teddy Bearや"memorial address"浜崎あゆみ - Memorial address - Memorial Addressの「あなた」がもっぱら父親のことを指す、"ever free"浜崎あゆみ - Vogue - Ever Freeは亡くなった祖母のこと・・・などと、特定的に捉えていい・・・といったケースというのはむしろ例外的なのである。

 要するに、ayuの詞というのは、非常に純粋な形で、「外的」および「内的」な「二者関係」に無限に「投影」させ、「転移」させることに開かれ切っている。

 
似たようなことは、他の歌手でもある程度は曲によって見られるが、ayuのように「首尾一貫した厳密な方法論」と言える域の人を、私は知らない。

 ayuは、本当にこの経験則だけで詞を書き続けていられる。裏を返すとayuのような詞を他人が「模作」しても容易にメッキが剥げる筈と断言できるくらいである。

*****

 この現象をうまく説明するのに役立つ、私の守備範囲に入っている精神療法家は、誰をおいてもサリヴァンである。

 私はこのことを公然とネットで書いたことが実はないままなことに、直前の記事でサリヴァンに言及した際に気がついた。

サ リヴァン/現代精神医学の概念(中井久夫訳)

 サリヴァンが、 本書で、「パラタクシス的(parataxic 私なりの意訳をすれば「相互転移的=投影的二者関係の次元」)なもの」と呼ぶ対人的相互作用の次元での象徴化・言語化様式と、まさにぴったり符合するのだ。

=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======

 (前略)この合理化とは、実は「個性とは一人一人独自なものである」という妄想の特殊な一側面である。それは、「概念としての『私』と「概念としての『あなた』(conceptual "me" and "you")がそれぞれ特異的な境界線をもっているためにどうしてもそのように考えられてしまうのであるが、実際には、「概念としての『私』や『あなた』とは、個人の知覚の舵取り役をつとめるもののその人の経験の意識可能な範囲を限定する参照枠[frame of reference]となるものに過ぎない(邦訳p.111)。

=======引用終わり=======  

 サリヴァンは凄まじい逆説を述べているので、一見難解だが、ちょっと解説してみよう。

 サリヴァンは、本書の別の箇所で、「我々は、基本的には同じような人間である」という前提が大事ということを述べている。

 これは、一見「個性」というものを否定しているかに見えかねないが、一見精神病状態になるかに見える人間でも、基本的には自分と同じような人間として捉える基盤が大事だということを強調していると受け取れるだろう。

 そして、「個人」という自己完結的システムとして人間を捉えるのではなく、「対人関係的相互作用の場」過程という次元でとらえることを基本スタンスとしていることこそがサリヴァンの本質なのだ。

 この点はジェンドリンも「人格変化の一理論」の削除された草稿部分(TFI日本語サイトで村瀬孝雄訳を閲覧できます)で、サリヴァンとの比較論に紙数を割いて評価している。

 「性格は、対人関係の関数である」

・・・・サリヴァンの、もっとも有名な言葉のひとつである。

 ひとは、自我を持つ存在として他者と関わる限り、「共人間的有効妥当性確認(consensual validation)」ができる形での言語での意思疎通の能力を身につけねばならない。

 この"consensual validation"という概念は、中井先生の「超訳」の典型として著名だけれども、わかりやすく言えば「お互いに話が『通じあう』水準での言語使用になじむ」必要がある、ということ以外の何者でもない。対義語は、端的に、「自閉的(autistic)な言語使用ということになる。

 もとより、人はこの能力の獲得の過程で、「自己態勢(self dynamism)」から「私-では-ない-もの(not-me)」として解離しなければならない有機体的経験の膨大な領域を持つことになる。そのある部分は容易に他者に投影され、ある部分は端的に「否認」されることになるだろう。

 しかしそれはサリヴァン的な見地からすれば、人がその所属する文化に適応(accultualization)していくための必要悪でこそあれ、さまざまな精神的失調・・・・正確に言えば、そのは単に「個人内」の現象ではなくて、「対人的相互作用」における齟齬ということになる・・・・の温床でもある。

 そうした意味で、アイリッシュ系であるサリヴァンは、WASPを中心とする当時のアメリカの価値観がアメリカの青年、特に前思春期の男子の成長に与える悪影響についてむしろ非常に尖鋭な批判者であったことは是非とも述べておかねばならない。

*****

 さて、こうした前提で、「パラタクシス的なもの」自体についてのサリヴァンの言葉を引用しよう:

=======以下引用(中井久夫訳。太字、および[ ]内はこういちろうによる)=======

 パラタクシス的[paretaxic]な対人的関わり方とは、話し手の意識の枠内におさまるような内容規定を持った対人関係と並んで[="para-"=並行して] 、影が形に添うように、もう一個の対人関係が存在し、対人的なかかわり合い方の傾向が前者とは全く異なり、しかも話し手はその存在をまず完全に意識していない場合である。

 パラタクシス的な場においては、精神科医と患者とから成る二人組と並んで、ある特別な『あなた』パターンに迎合するように自己を歪めた精神科医」と「未解決の過去の対人的なかかわり合い追体験しながらそれに対応する特別な『私』パターンを現している患者」とから成る幻の二人組がある。コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、この移動が稀にしか起らないこともあるが、いすれにせよ、普通、話し手の気の配り方は、結構ちゃんとしていて、活用や語法、語順などまちがわないで文法に適った言明を作ることができる。そのため一見首尾一貫した議論の立て方となる。またかなりはっきりと聞き手を意識した語りかけ方となる。(邦訳pp.112-3)

=======引用終わり======= 

・・・・この最後のパラグラフなんて、全くもってayuの歌詞のありかたそのものについて言及していると言えるだろう。

 ayuって、びっくりするくらいに、はるか以前の対人関係のことを意識し続け、ひきずり、繰り返し歌い続けずにいられない人のようだ。

 このあたりの具体的な解析と人物の同定については、王子のきつねさんのブログの随所で繰り広がられてきた情報収集力と慧眼と説得力に私はとてもかなわない。

 念のために申し上げると、いわゆる「成熟した」対人関係を持つ人間同士でも、この「パラタクシス的」次元は容易に顔を出す。ベイトソンのいう「ダブル・バインド」も「パラタクシス的なもの」の特殊な形態のひとつといえる。

 興味深いのは、高機能自閉症の人にとっては、まさにこうやって「影のように寄り添う別次元の対人関係様式」という、いわゆる「健常者」が全く無自覚に撒き散らす「含み」の成分というものを厳密に「理解」「識別」できないとパニックに陥る場合があるということだ(私は発達障害の専門家ではないが、当事者やご家族の話をうかがう限り、いわゆる「アスペルガー」タイプの皆さんの少なからず場合にあてはまりそうだ)。

******

 ちなみに、先程の引用部分で、

>コミュニケーションの過程がこの二つの形影相添うような対人的なかかわり合いの一方から他方へとめまぐるしく飛び移ることもあり、

と述べたが、あゆの場合、同じ歌の内容が同じシチュエーション、同じ相手を指すと強迫的に捉えようとすると意味が全体として通じにくくなるケースが稀ではない。

 これについては、先述のきつねさんが、"(miss)understood"(アルバム名ではなくて曲の方浜崎あゆみ - (miss)understood - (miss)understood)について、見事な分析をしている。

●甘いスイカに砂糖をかける(王子のきつねOnLine)

●Miss Understood Lyrics - 浜崎あゆみ (English and Hiragana)(YouTube)

 私が大好きな歌です。

 ここでいう「君」って、全部ayu自身のことを指すものとして理解しなおしてみるだけで、ぐっと深みが出ますよね(^^)

*****

 もうひとつ、アルバム"(miss)understood"の「心臓」であり、もっとも深みある曲のひとつと私が感じている、"In the Corner"浜崎あゆみ - (miss)understood - In the Corner

●Ayumi Hamasaki - In the corner(YouTube)

 ちなみに、この歌詞を聴いて、ayuのことを「ボーダーチック」だとか"as if personality"だとか言い出すのは、私は心理の学部生までしか許さないから(^^)。

 自分のことを振り返ってみるとどうだろう?

 「まずは罪なき者が石を投げよ」。

 相手への愛情を一瞬たりとも疑ったことがない人がいるとすれば、そういう人のほうが無理のしすぎで心配である(^^)

 ayuは、素直なだけなんだよ。

 あるいは時々、聴衆を意識して、こういうことを敢えて歌にして「予防ワクチン」をファンに打っておかないと、自分も持たないし、ファンも危ういと感じているだけ。

 そういう意味ではほんとに「ファンに気を使っている」からこそ、こんな、ファンを「脱錯覚(disillusion 幻滅)」させる危険がある「暗い曲」をアルバムに入れておく。

 私が聴いた、アルバム発売時のツアーの、少なくとも長野2日めと代々木の楽日という、私が臨席した2つのライブでは歌わなかったけど、最近はライブでも歌っているらしい。

 私なら、ayuをむしろ、若干分裂気質も合質しながらも、高エネルギー型執着気質をベースにした、適応水準の高い双極2型に分類する(・・・・って、それこそ私自身のパラタクシス的「投影」でもあるかもしれないけどね)

浜崎あゆみ/(miss)understood (DVD付)浜崎あゆみ - (miss)understood

(楽天市場の同商品)

*****

 最後に,YouTubeの「公式」動画より。

 敢えて次の初期の曲で、私が最初に提示した「君」の読み替えを徹底的にやってみてください。

●浜崎あゆみ / TO BE(YouTube)浜崎あゆみ - A COMPLETE ~ALL SINGLES~ - TO BE PVはTO BE

浜崎あゆみ/A COMPLETE ~ALL SINGLES~ (DVD付き)浜崎あゆみ - A COMPLETE ~ALL SINGLES~

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 
メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログへにほんブログ村

2010/01/23

Delta Goodremの"Fragile"

Delta Goodrem - Fragile(YouTube)

一度に6つのことが浮かぶ。1つにしかフォーカスできないよ。
一週間には7日あるけど、私の人生はまだ始まったばかりだよ。
そのうち、気持ちは落ち込んじゃって、何もできなくなった。

時には、ひとりだって感じる。
私はあんなに強くはないって思うことも。
どうにも儚(はかな)くて、小っちゃくって。
人の言うことに振り回されやすいしね。
ちょっと脆(もろ)いな、って思うことがある。
脆いな、って。

6千年前から、どういうことなの?って問いかけて来たよ。
こころの底から言葉にしたり、メロディにしたりして。
そのうち、気持ちにとらわれちゃって、打ち負かされてしまった。

時には、ひとりだって感じる。
私はあんなに強くはないって思うことも。
何も感じられなくなったり、
人の言うことに振り回されやすいしね。
ちょっと脆(もろ)いな、って思うことがある。
脆いな、って。

みんなが私の瞳を通して真実を観ることができるっていうのなら、
見せかけだけではない、開かれた通路のように感じれくれるのなら、
もう怖がらない。泣き叫ぶことを。
もう逃げないよ。内側で感じていることを、包み隠さず示してあげる。
ちょっと脆(もろ)いんだけどね。
脆(もろ)いんだけど。

時には、ひとりだって感じる。
私はあんなに強くはないって思うことも。
どうにも儚(はかな)くて、小っちゃくって。
人の言うことに振り回されやすいしね。
ちょっと脆(もろ)いな、って思うことがある。
脆いな、って。

(こういちろう訳)

******

 デリタ・グッドレム(Delta Goodrem)は、オーストラリアのミュージック・シーンで大活躍している、シンガーソングライター。

 Wikipediaによれば、スターダムに躍り出たデルタを襲った突然の悲劇が悪性リンパ腫ホジキンリンパ腫(Hodgkin's Lymphoma)であった。このニュースはオーストラリアで大々的に取り上げられ、連日新聞やTVなどで報道された。放射線治療により髪が抜け落ちたものの、家族やファンのサポートを受け快復したという。 

 この曲は、YouTubeで全く偶然に見つけ出したのだが、何の予備知識なしでも、一聴してそのインパクトに圧倒されたので、ご紹介することにした。

Innocent Eyes/Mistaken Identity

【送料無料】Delta Goodrem デルタ・グッドレム / Innocent Eyes / Mistaken Identity 輸入盤 ...

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ
にほんブログ村 音楽ブログへにほんブログ村

2009/12/24

愛よその日まで

 クリスマスソングとして、このブログで何を最後に表示しようかと思っていた中で、突如思いついたのが、この、往年のアニメファンには懐かしい(その割には、「ヤマト」シリーズの中では影が薄いかな? 何せ、みんな生き返ってしまいましたものね^^;)、でも、阿久悠/布施明の隠れた代表曲のひとつではないかと思える、この曲です。

●[MAD]ヤマトよ永遠に(PS版)⇒愛よその日まで/布施明(YouTube)

EMOTION the Best 宇宙戦艦ヤマト ヤマトよ永遠に [DVD]

阿久悠を歌った100人 勝手にしやがれ 男性ポップス編

(listen Japanサイト)

 ちなみに、松本零士さん久留米ご出身です(^^)

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス解析
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/11/11

ついにあの、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化!!

 実は裕さんの方が先に気づいてくれてサイトで紹介してくれたので私も気がついたばかりなのですが、私が延々と連載記事を組み、私のサイトが一気にうつサイト化するきっかけとなった、画期的な番組、「NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる」書籍化されたようですnote

NHKスペシャル うつ病治療 常識が変わる

(楽天ブックス)

 恐らく番組では描き切れていなかったことまで書かれている

しょうから、もう、期待大というしかなく、楽天ポイントも生かせる(結局書店で買うよりコンビニ受け取りで安くなってしまう)ので、早速注文しました。

******

 ほんとうに、あの番組を境に、このサイトの「鬱サイト化」が急激に進行したわけです。

 気分障害全般にわたる薬物療法について、このわずか半年あまりの間に、臨床心理士の分際で、むやみやたらと勉強させていただきましたし。

 実は、うつ病と気分障害の誤診と、薬物投与の問題点のおかげで、いつまでも苦しんでいる人たちがいる可能性に気づかされたのは、この番組の放送直前の時期のことでした。

 あるクライエントさんとお会いしている時に、調子がよくなると通院しなくなり、調子が悪くなると別の病院で通院再開されるパターンを数年にもわたって繰り返しておられることに気がつき、投薬歴をすべて訊き出して、カウンセリングルームに常備していた「今日の治療薬 ―解説と便覧」首っ引きで点検していったのですね。

(楽天ブックス)

 すると、処方されてきたのは、三環系にしてもSSRIにしても、ともかく抗うつ薬ばかりが中心。

 私には、そのクライエントさんには、まさに双極2型に相当する周期的な気分変動があるために、鬱が治ったと感じた時点で治療中断を繰り返す現象が生じているかに思えもしたので、リーマス、デパケン等の気分スタビライザの処方がなされたことがあるかどうかを確認したかったのですが、一番最近の病院でやっとごく少量のリーマスの処方がなされたばかりでした。しかも、リーマスの処方の際に並行して不可欠なはずの「血中濃度検査」を受けた形跡がないのです。

 私はしっかりとこうした点を紹介状にしたため、その地域の信頼できそうな精神科病院に行くことを勧めることになりました。

*****

 そうしたできごとからさほどたたないうちにこの番組に接したものですから、インパクトはたいへんに強烈でした。

 この本だけは、読まないうちから安心してお勧めできそうです(^^)

 Amazonの書評も好発進しているようですし。

****

 【追記】:

 この本を実際に読み始めてからの感想は、こちらからお書きしています。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

  

2009/11/04

オイルヒーター暖房の自然さ 2009-2010年版

 一気に寒い日が増えてきましたので、当ブログの晩秋恒例の記事です。

*****

 「オイルヒーター」という、昔の学校のスチーム暖房とかに外見が似た、電気式の暖房器具、ご存知でしょうか?

これが典型的なスタイルです。

 これ、主としてヨーロッパでよく使われている暖房器具です。

 その最大の特徴は、

 「そこに『熱源』があることを全く意識させず、まるで室温そのものが最初からその温度であったかのような、全然『存在感』のない、無音で放射熱も温風も臭いも感じない暖房機である」

 ということ。密閉度の高いヨーロッパの住宅だから発達したとも言えますが、最近の日本のアパートやマンションもそういう密閉製が高くなってきているので、じわりじわりと普及しています。

 パネルヒーターとの「持ち味の違い」があると思います。比較検討してみると面白いかもしれません。

 デロンギ(DeLonghi)をはじめとして、ドイツやオランダ・イタリア製のものに安くていいものが多く出回ってます。

 デロンギは、コービーマシンや調理器具でも、独特のセンスあふれる商品を世に送り出しています。

 ●デロンギ社日本公式サイト

******

 なお、日本の家電店は、デロンギやフィリップス、日本製だとトヨトミばかりが置いてあるけど、世界は広いのです。他にも「膨大な」製品があります。スウェーデン、イギリス、ブルガリア製などなど。

 ●楽天市場のオイルヒーター関連商品一覧

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

2009/10/26

書評:冨高辰一郎著 「なぜうつ病の人が増えたのか」(第2版)

 さて、いよいよ冨髙氏の著作を実際にお読みした上での書評を書かせていただきます(^^)

 ただ、今回は、冨高先生に対してはたいへん僭越な趣向かもしれませんが、私がこの前、読売に掲載された「春日氏の本著への書評」への感想記事を、冨高氏のご本そのものは「全くめくらないままで」書かせていただいた段階で、冨髙先生の著作に私が「期待する」ポイントとして列挙した内容の大半を丸ごと引用して、どこまでその期待が適(かな)えられたかということを示していくスタイルを取ることをお許しください。

 携帯でこのサイトのお読みの方にはご迷惑で、更に言えば、Windowsパソコンだと、あまり見かけ上美しく表示されないことを承知で、この前の感想から引用部分斜字体とさせていただくことをお許しください。

冨高辰一郎/なぜうつ病の人が増えたのか

 

(楽天ブックス)

●参考資料:読売新聞サイトの春日氏の書評の全文

*****

 「うつ病が急増しているといわれる。(中略)実際、1999年から2006年までの6年間の間に、うつ病患者は2倍以上に増えている。99年から患者数が急増しているのである。ではその年に何があったのか」

 このことが、冨高氏自身の発想の原点にあったことは、Amasonのサイトですでに確認済みである。

・・・・・・まさにそういう本です。

 春日氏は、(中略)

 「しかしそれでノイローゼ患者が増えたというのならばともかく、うつ病患者が2倍にも膨れ上がるものなのか」

 この言葉が冨高氏の原著にある言葉なのか、春日氏の表現なのか不明だが。

・・・・・この「ノイローゼ」という表現は冨高氏の本には見当たりません。

*****

 「99年は、本邦でSSRIと呼ばれる新型の抗うつ剤が導入された年である。ニュータイプの抗うつ薬の売れ行きと、うつ病患者の急増は相関している。だが新薬登場でうつ病患者が減ったというのならばともかく、逆に増えたとはどういうことなのか」

 「ここで製薬会社による啓発活動(一般市民および医師への)がクローズアップされる」

・・・・・このことは、慎重な筆運びで、丁寧に言葉を選びながらですが、詳細に統計データをつけて、冨高氏自身が問題提起しおられる。

******

 冨高氏が、日本以外の、アメリカやヨーロッパ諸国でも、SSRIが認可された時を境にうつ病患者が急増した統計データも示してくれているかどうかに関心がある。

・・・・・ものの見事なまでに、数カ国以上のデータを集めておられます。

*****

 もとより、「1995年ごろには欧米でSSRIへの評価が下がりはじめたので、日本が特にプロモーションのターゲットにされた・・・・というあたりの論が冨高氏の著作の方で展開されている可能性あり!とシミュレーションしますが。

・・・・・本書の中でその可能性は十分示唆されています。

****

 「ここで製薬会社による啓発活動(一般市民および医師への)がクローズアップされる」

・・・・・・お医者さんならではといいますか、製薬会社提供の学会でのランチョン・セミナーの様子や、病院への製薬会社の営業スタッフの訪問激増ぶりが生々しく報告されています。

 そして、私が以前一度警戒すべきサイトとして釘を刺したことがある筈の「utu-net」が、某製薬会社・・・・・冨高氏は明言されてはいないが、サイトの内容からして、不安障害(パニック障害)にも強迫性障害にも鬱にも適用できる薬っていったらパキシルかルボックス=デプロメールぐらいのものでしょ?・・・・・に支援された、典型的な「市民向けプロモーションサイト」であることを明言しておられます(p.104)。

 そうした製薬会社の支援を受けていることをサイト上ではっきりと「公示」した上でPR活動をすることは全然かまわないと思うのですが。

****** 

 特に、パキシル(パキセロチン)の発売元であるグラクソ・スミスクライン社の広報活動と不利な情報隠蔽体質に関しては悪評ぷんぷんたるものがあることは、検索すればいくらでも情報源があるが、私は敢えてここで、加藤忠史氏による「躁極性障害―躁うつ病への対処と治療 (ちくま新書)」すでに書かれていることから引用したい。

 以下、紫色の部分は「加藤氏の」この著作からの引用です: 

「それどころか、これらの新しい抗うつ薬が、うつ病にほんとうに効くのかどうかということまで、最近議論になってきておりまして、ちょっとその話題を紹介したいと思います。

 実は、抗うつ薬をうつ病の方に処方して、効いたかどうかを調べた臨床試験の結果は、論文になっているものといないものがあるのですね。

 そこで、アメリカにFDA(食品医薬品局)という薬の認可をなどを行っている部署があるのですが、そこの論文開示請求を出して、論文になっていないパキセロチン(パキシル)の臨床試験を出してもらった、という研究があります。

  そこで再解析したところ、論文にされていない臨床試験は、みな効果がない結果に終わっていました。論文になっているのは、効果があるものだけだったので す。それで、これはバイアスがかかっているのではないかという研究結果が論文として報告されました」(pp.177-8)

 加藤氏は更に続けて、その後の論文で、パキシルは中症から重度の患者ではプラセボ(偽薬)よりもやはり有効だったけれども、その効果はわずかで、軽症例では効果に差がないというものが公表されていることを示しています。

・・・・・・これらのことは、加藤氏の著作と重複する部分、加藤氏より詳しい部分があります。

 もとより、内容そのものは、医師向けの専門雑誌どころか欧米のマスコミでは繰り返し取り上げられてきた内容なので、不幸にして加藤氏の著作よりも「たった数ヶ月」刊行が遅れただけの冨高氏は、加藤氏がここまで書いているとご存知なかった可能性が高いかと思います。

*****

 更に加藤氏は、アメリカの臨床試験の厄介な問題についても言及しています。

 「アメリカではこういう臨床試験に参加した人に報酬を払うのです。報酬が出るとなると、お金だけがほしいといういう人もいまして、こういう臨床試験をいくつも掛け持ちする人が出てくるわけです。

 たくさんの臨床試験に偽名で参加して、報酬だけもらいながら薬は捨ててしまう。そして医師には、うつらしい症状を話しながら治ったふりをする。そういう人たちがいるのです(中略)。[これでは、]効くべき薬に[統計調査上の]差が出ません。飲んでいないのだから差が出るわけがない」(p.179-80)

・・・・・この問題については冨高氏は言及していません。

 むしろ、「二重盲検」という治験スタイルそのものに「倫理的な」問題があることが欧米では問題視されつつあることを指摘しています。

 その一方では、まさに「二重盲研」に基づくデータも結構活用しておられますが、これはやむを得ないでしょう。倫理的問題は別として、このやり方こそがエビデンスド・ベースドな最も厳密な研究法であることは確かでしょうから。

*****

 さて、この「製薬会社のプロモーション」の問題を考える際に、ちょっと視点を変えますと、実は同時に考えねばならない重大なテーマがあるはずです。

 それは、「薬価」の問題です。(中略)

 もし私がこの2冊の本で言及されていると嬉しいと思っているのは、そもそもなぜSSRI(特にパキシル!)の薬価があそこまで高いのかという問題それ自体です。

・・・・・パキシルの薬価が格別に高いことはお示しですが、残念ながら「なぜなのか」という「素朴な疑問」そのものについてはダイレクトに解き明かしていただけませんでした。

*****

 SSRIは、本国でも価格が基本的に高い薬なのですが、単順に経済的に考えて、もし「薬価」を法外に高くせざるを得ないやむをえない事情があるのであれば、特に保険制度を民間に依存しているアメリカでは、「プロモーション活動」に巨額の投資をせざるを得なくなるだろうということになります。

 それとも、最初からそのプロモーション費用を「回収する」見込みまで立てて、「薬価」が高くなるようにいろいろ偽装したということまでありでしょうか?

 このあたりについては、実に興味深いことを冨高氏は示唆しておられました。

「米国では95年から2000年までの間に、製薬会社の営業部門で働く社員の数は60%増加した。一方、研究部門で働く職員は2%減少したという。最近の調査によると、米国の制約業界全体では営業活動に570億ドル費やす一方で、新薬の研究開発には315億ドルしか使っていないという」(pp.78-9)

 こうした現象は、「製薬業界の化粧品業界化」と呼ばれているそうです。

*****

 次に、特に冨髙さんの本で、「鬱症状」の病態によって、使用する薬を変える必要性についてどこまで踏み込んだことをお書きになっているのかについても関心があります。

 Amazonの書評欄を見ると、本書の中で、「再発予防のためのリハビリの重要性」だとか、「(SSRI以外を含めた)多種多様な抗鬱剤の効果の程がわかる」とのことなので、この点はあまり心配しなくてよさそうである。

 ひょっとしたら、うつ病と誤診されやすい双極性障害II型において、リーマスや抗てんかん薬、場合によっては非定型薬、更には睡眠誘導剤が役に立つことについても言及されているだろう。

・・・・・ SSRIと他の抗うつ薬の副作用の出方の違いについては、冨高氏は慎重な筆運びで、良心的に、時には両論併記でお書きになっている。

 私にとって、双極性障害「II型」についての解説が、もっともな内容が書いてあるけれども、もの足りなかったことについては、直前の記事(第2版)で先行して書かせていただいたことを、リンクをたどって参照いただければと思う。双極性障害II型(双極スペクトラム障害)の人は、この冨高氏の本を読んでも肩透かしを食らうだけになります。

 古典的うつ病と、双極性障害「I型」(いわゆる「躁うつ病」)以外の気分障害についての取り扱いという点では、ちょっと弱い本だと思います。ほんとうにそれはプロモーションの弊害だけで説明がつくのか、私には大いに疑問符がつくのです。

***** 

 そして、薬物療法だけではなくて、医者の小精神療法やカウンセラーによるカウンセリングが連動していること、更には家族や雇用者側の対応についてまで踏み込んでくれていることを期待したい。

・・・・・総体的にはかなり突っ込んで描かれていると思います。

 もっとも、認知行動療法についての紹介は、この種の、認知行動療法のマニュアルやワークブックではない、鬱についての一般向け啓発本の中では「平均水準」でしょう(これは、私にとっては、少し物足りなくて平凡の域ということ)。認知行動療法以外のカウンセリングに特に偏見をお持ちの方でもないようです。

 認知行動療法について知りたい人は、何よりもまず伊藤絵美先生の「認知認知知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング」を読まないと、認知行動療法についての基本的理解が間違ってしまうことは、すでにこの記事でご紹介したとおりです(一般の人でも楽々読める平易な本です。むしろ、流派に関係なく、達人の域に達したカウンセラーとはここまでクライエントさん思いの良心的な存在なのだと感じていただけるでしょう)。

 これを機会に申し添えますと、伊藤先生は、この本の中で、コラム表だけを渡して、さあやってみてくださいだけで、やって来れないと『あなたには認知行動療法は向きません』で済ませるようなあり方を、認知行動療法への誤解を広めるものとして厳しく退けています(pp.107-8)。

 次に、雇用者側の対応についてですが、冨高氏は、製薬会社の側のあり方と、企業内での、雇用者に対するうつ病についてのメンタルヘルス的な広報・支援活動の問題を完全に切り離して論じています。

 「だからと言って広報支援活動そのものを狭めるべきということにはならない。いったん広がった入口というより、出口(実際に鬱に罹患した人への企業の対応のあり方)をどうしていくかである」と。

 そして、何より予防的に効果があるのは、残業ルールを厳密に守ることであると、具体的に断言しています。

 更に、安易にEAP(メンタルヘルス関連の活動の外注)に依存することの弊害を説き、京セラ本社で、わずか1名の専属産業医師、山田達治氏と看護師1名で繰り広げた、緻密そのものの休職・復職支援活動の結果、2年間で「再休職した人ゼロ」という驚異的な実績を残したことを紹介している(pp.222-3)。

****

 「これはメタボリック・シンドロームと同じ構造である。以前だったらただの『小太り』が、今で病院受診や保険診療の対象となる。早期治療といった考え方もあろうが、いたずらに多数の『病人』が作り出されたとも言えるだろう」

  この部分は、冨高氏ではなくて、書評の春日氏の言葉であろう。

 (中略) 例えば、「ちょっとおなかが出ている人」とするだけでもニュアンスは変わる。

・・・・・メタボ啓蒙活動との比較論は冨高氏の著書に存在する。しかし、もちろん書評の春日氏のように、ただの『小太り』などという不謹慎に言葉は出て来ない。

「こういった基準を満たす、少しお腹の出た、収縮期血圧が130程度の軽度肥満の中年男性は、昔からいくらでもいた。しかしそれだけの理由で、そのような人々が病院を受診することはなかった」(p.152)

 春日氏と冨高氏の人柄の違いを感じさせられてしまう・・・・(^^;)

*****

 「ただ啓発運動が逆に病気でないものを掘り起こしているといった視点もある。『病気の押し売り』と評され、うつ病以外に小児の躁うつ病、男性型脱毛、性機能障害、ADHD(注意欠陥・多動性障害)、軽い高コレステロール血症などが欧米では批判されているらしい」

(中略)

  またもや加藤先生のご著書「双極性障害」に戻らせていただくと、実はすでにこの本で、「小児思春期の躁うつ病」問題について、第2章第4節全体(pp.47-51)を割いています。

 特にアメリカでは、一時期、ほんの3,4歳の子供まで双極性障害と診断され、薬物療法の対象になるケースが結構あったようです。

 加藤氏は、これに対して、大人の双極性障害に適応が認められている薬を、臨床試験なし子供たちに使うことができるアメリカの現状を危惧しています。

 2歳の時に「いつもそわそわして走り回っている」との理由で診断を受け、検査の結果、3歳になった直後に、ADHDすら飛び越して双極性障害と診 断され、非定型薬、気分安定剤をはじめとする1日10錠もの薬を飲んでいたそうです。そして4歳になって、薬の過剰摂取が原因で亡くなって、両親が第1級 殺人罪として起訴され、両親側は医師の指示に従っただけと主張したという事件があったとのこと。(CBSドキュメントによるとのこと。探せば今でもサイト 上に何かあるかな?)

 ADHDへの「精神刺激剤」投与の経験がある人に小児期の双極性障害発症が生じやすいという研究があることも紹介されています。

 そして極めつけは、次の事件。ここも加藤氏の著作よりの引用:

 「小児双極性障害の診断増加に中心的な役割を果たし、こうした子供に対する抗精神病薬治療を境に先 駆けて提唱していたのは、ハーバード大学のビーダーマン教授でした。最近、小児性双極性障害の権威である同教授とその同僚が、製薬会社から多額の現金を受 け取り、大学に報告していなかったという事実が報道されました(2008年6月8日 ニューヨークタイムズ)」

・・・・・この部分については、加藤氏の本のほうが少し詳しく、手厳しく、具体的なくらいかもしれません。

******

 おしまいに、この本を書くにあたっての冨高氏が思いを語った、終わりの方の部分から引用したい。

 「『SSRI発売後、日本全体でうつ病患者が急増した』と説明されても、気分を害す患者の方が多いのではないかと思う。うつ病で苦しんでいるのに、大局的な一般論を説明されると、不快に感じる人もいると思う。正直に言うと第1章から第3章までの内容に関しては、家族から患者に積極的に伝える必要はないのではないかと思う」(p.240)

・・・・・・しかし、読売新聞と春日氏(と出版元の幻冬社?)が、この本をここまでセンセーショナルに仕立て上げてしまった。

 私が言いたいのは、個々の製薬会社の個々の薬に関して、治験のあり方、副作用の問題、プロモーションのあり方が問題にされてしかるべきだけれども、十把ひとからげな医療不信を煽る発言は、患者を不安に陥れるばかりで危険だということです。

・・・・・と、私はこの前の記事で書きましたが、情報的にはネット界では結構知られていても、この種の一般向けの本がどういうわけか日本ではあまり出版されて来なかった中であえて出版に踏み切ったこと(しかも冨高氏のように、非常に冷静でつつしみ深い表現をなさるお医者様がお書きになったこと)に十分な意味はあると思います。

 ・・・・ですが、正直に言って、あの新聞の書評だけで、「おまえは大した鬱じゃない、働け!」やら、「薬を飲むのはやめなさい!」的な家族争議が日本のどれだけの家庭で発生し、うつの人の心を揺らし、混乱させたか(更に病院でも多くの患者さんとお医者さんとの間で騒動があったことだろうか)容易に想像がつく。

 そのような事態は、著者の冨高氏自身は全く望まなかった事態の筈である。

 それこそ、「プロモーションの恐ろしさ」ではないか!!

 冨高氏も、純粋に薬の効き目としてみた場合については、旧来の抗うつ薬よりSSRIの方が常に安全で副作用が少ないとはいえないことを、慎重に論じているに過ぎないのである。

 何しろ、冨高氏自身は、SSRIが自殺率が高いという、よく言われがちなことについては、ご自身の臨床経験からはむしろ懐疑的なくらいである。

*****

 私は、この本を、お読みになるとすれば、冷静に細やかに読解し、安易にこの本を振りかざして、「重たくない」とされるうつ病の人を軽視することに繋がらないことを祈ります。

 何と冨高氏自身も、本書の中ではっきり次のように書いておられる。

「会社員のうつ病は、統合失調症や重度うつ病より診断が楽ということは決してない(p.28)

 ・・・・よって、amazon的に言うと、複雑な思いを込めて★★★とします。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

2009/10/25

冨高氏の「なぜうつ病の人が増えたのか」、到着!!(第2版)

 今日夕方になって、この前の春日武彦氏の書評への感想記事で、書評の対象となっている本のうちの一冊として紹介した、冨髙辰一郎氏の「なぜうつ病の人が増えたのか」が、やっと楽天ブックスから届いた。思ったよりも時間がかかったが、「第3刷」となっているので、読売での春日氏の書評の影響もあり、増刷まで時間がかかったのだろう。

今回は楽天ブックスに義理立てして、楽天の方へのリンクだけにします(^^)

 (本を出版したことがある 方はご存知かもしれませんが、出版業界には、実は「第1刷」と「第2刷」までは、同時に印刷するという風習がある。少なくともある程度売れる見込みがある本だったらこのような態勢を敷いておくことが少なくないものなのだ。

 だから、「第3刷」を出せたかどうかというあたりからが、その本がほんとうに「売れた」目安なのである)

Nazeutsu

downwardleft何しろ、この「帯」がついているのだから、完全に読売の書評の後の再販ですね(スキャナ取り込み)。

*****

 ちなみに、私はこの前の「春日氏の書評」への記事を書いた段階で、その時掲載されていた、確か3件だけだったAmazonの書評以外の一切の情報を、この本について入手しないまま第7版最終稿まで書いた。

 マジに、私が立ち寄った久留米の書店にはその段階でこの本は置かれていなかったし、「立ち読み」もしていなければ、目次の内容の細目も知らないまま。

 自分の実力を試すスリルを楽しむ意味も込めて(ああ、やっぱり私はフィロバット!!)、書評の対象の本を全然読まないまま「書評そのもの」をとこまで厳密に批判できるかという賭けに出たわけですね(^^;)

 つまり、端から、春日氏の書評の書きぶりに違和感を強く感じたことと、書評の対象になっている、未だ読んでもいない本の著者への礼儀切り離すということは徹底的に遵守していたつもりです。

 私は、例えば、自分が観てもいないテレビ番組について揶揄するような輩はそれだけでちょっと距離を取りたくなるタイプですので。

 (・・・・・誰のことを揶揄しているのかは、私の同業者の若きネットユーザーの少なからぬ部分ならidentifyできるかと ^^)

*****

 今、冨髙氏の本の細かな目次を読ませていただいたばかりです。

 その結果、この前の記事で私が「判断の指標」として事前に提起させていただいていた条項の幾つもについて具体的に詳しくお書きになっていることは確かだと思いました。

 ただ、目次を読む限り、「双極性II型」(双極スペクトラム障害)とうつ病の鑑別と処方の違い、という、私がむやみとこだわる一点に関しては、ちょっと不安があります。

(その不安が「杞憂に終わった」時は、上の一文を残したまま、ここでそのことを明言します)

【第2版(09/10/26)追記】

 p.203に4行のみ言及があります。SSRIに限らず、抗うつ薬全般における「躁転」の副作用が双極性II型を増やした可能性(そこで言及していない用語を使えば、「物質誘発性気分障害」である可能性)についてである。

 これについては異論はないが、「物質誘発性気分障害」の診断基準からすれば、躁転を誘発する薬の服用をやめて4日後には気分変調症状が沈静しないとならないはずである。

 可能性としては、ほんとうは双極性障害II型の診断がふさわしい人に、未だに抗うつ薬中心とする治療が継続され、気分スタビライザ主薬の方向に切り替えられていないことだろう。

 しかし、現実には、抗うつ剤の安易の処方が双極性II型の素質を「開花」させたケースが非常に多いと仮定しても、このことが「トリガー(引き金)」となる形で、気分変調や軽躁とリバウンドとしての鬱の往復の慢性的長期化は、当事者にとっては投薬変更後もとてつもなく後を引くほど深刻な問題である、この点について、冨高氏の著作では結局言及が成されないままに終わった。

 結局、この著作は「うつ」についての著作の域を超えてはいない。

(追記終わり)

******

 いずれにしても、冨高氏のお書きの内容そのものは、春日氏の書評とはかなりイメージが違っていそうだ・・・・ということを、とりあえず最初のご報告として。

【第2版(09/10/26)追記】

 
ほんの3時間で完読できました(^^) そのくらい、私のこの前の記事ぐらいの事前認識があれば実に読みやすい、多くの点で説得力がある本ということです。この前の記事は、いい意味で、冨高氏の著作についての「読まないままの」書評であることにほぼ成功した!と断言できます。

 そして、著者の冨髙氏が、センセーショナリズムからはほど遠い、慎み深くて慎重な論の運びをするお医者様ということも保障できます。

 もとより、それでも、いくつか物足りなかった点もあります。

 しかし、それでも、春日氏の読売の「書評」だけでこの本の内容を掌握したつもりにだけは絶対にならないことをお勧めします。

 本日(10/26)の晩には、ついにこの冨高氏の本を実際に完読した上での、徹底的に中立的な、私の書評を掲載できるかと思います。

(第2版での追記終わり)

*****

 ちなみに、思いもよらない成り行きで、レーン氏の本の邦訳のほうも、近日中に「ご提供」下さる方が現れそうです(^^)

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ

より以前の記事一覧

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー