大学院

2011/10/18

成熟の過程で人は何を失う危機に立たされるのか -「魔法少女まどか☆マギカ」についての臨床心理学的小考察- (第4版)

直前の記事で、おふざけの方向に走ったので、「こいつホントにカウンセラーか?」などとまたもや言われ出されないうちに、「魔法少女まどか☆マギカ」についての、硬派で専門家的考察も、ささやかながらまとめておきたい。

今から書く内容は、すでにネットやまどマギ本で考察されてきたことの、私なりの焼き直しに過ぎないかもしれない。

ただ、私が眼にしてきた膨大な数のネットでの「まどマギ」論考でははっきりと使われなかった概念まで使って試みることにする。

******

本作品は、「魔法使いサリー」に始まる魔法少女ものアニメの集大成といわれており、そうした物語のダークサイドに深く踏み込んだものであると位置づけられる。

過去の魔法少女モノがどのようにタイプ分けできるかについて、私が16年前((1994)に学会発表した論考、「二つの母性の相克:~「セーラームーン」についての精神分析的対象関係論に基づく考察」から引用して整理しなおしておこう。

=========以下引用==========

『魔法少女』ものにおける家族構成には大きく分けて二つのタイプがある。

   A.「魔法の国の王女様地上降臨型」:

 「魔法の国」の王と王妃の間に生まれたプリンセスが、何らかの理由(おてんば過ぎて自分から飛び出す・修業に出される・魔法の国の滅亡の危機を救うものを見つけるetc.)で、「地上世界」に普通の人間の女の子になりすまして滞在する。『魔法使いサリー』『魔法のマコちゃん』『魔女っ子メグちゃん』『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』などが代表的であるが、『サリー』を除くと、地上の世界で「親代わり」をみつけ、家庭に入り込むのが定石となった。

実の子供、親戚、居候などの形をとるが、大抵魔法の力によってその家族を洗脳し、彼女が家庭に入り込んだことに疑問を感じないようになっており、彼女が魔法使いであること自体、その家族を含めた地上の人には秘密とされる。

ちなみにそうした「地上での疑似家族」もまた、魔法の国の両親と同じくらいにgood enoughな(=そこそこ良い) 養育者であることを常とする。多くの昔話における「意地悪な継母」にあたる役は、魔法の国の王家の敵対勢力から現実世界に派遣された娘や手下が演じるか、主人公の現実世界でのライバルとしての「お金持ちのお嬢様」の家庭によって代理されることが多いとみなしていいだろう。

もとより、『ミンキーモモ』のように、そのような特定の「悪玉」の設定を排除して、主人公自身を含めた人間一人一人に内在する弱さや諦めやエゴイズムとの内面的戦いへと昇華した作品もある。

B.「地上の少女使命拝受型」:

good enough な養育者の元ですくすく育った地上世界の普通の少女(大抵目に見えない異世界への特別の感受性を持つ)が何かをきっかけにして魔法の国(の人物)と遭遇し、使命を授かり、魔法を使うためのアイテム(コンパクトやステッキ)を授かる。この場合にも魔法を使えることは家族を含めた周囲の人には秘密とされる

 『ひみつのアッコちゃん』に原型があるが、その後、魔法の国から遣わされた 妖精が動物の姿を借りて主人公のお供をするのが普通となった。『花の子ルンルン』『魔法の天使・クリィミーマミ』『魔法のスター・マジカルエミ』など。

(中略)

だが、興味深いことに、主人公のうさぎ以外のセーラー戦士4人全員が、両親共に揃った家庭としてはっきりとは描かれていない

もとより主人公のうさぎを強調しようとすれば自然と他の脇役の家庭の描写はなされなくなるのでないかと言えば言えてしまうが、今日、アニメやコミックの世界で、一応現在の現実世界を舞台にしている場合ですら、まだ独り暮らししていない子供である主要な登場人物の家族が全く描かれないケースは非常に多く、そのことの中に現代の子供の心の中での家族との距離感が反映しているという見解はかなり一般的なものとなっているので、一応注目しておくに値するだろう。

具体的に言うと、水野亜美(セーラーマーキュリー)は、全国模試連続一位、 IQ300 <笑> の超優等生である。成績がいいことを鼻にかけない優しい少女であるが、人付き合いが苦手で社交に通じていないため、場にそぐわない本音を平気でボソッと言ってしまうところがある。彼女には、女医の母親がいることになっているのだが、亜美本人の自宅での自室でのシーンは時々描かれるにもかかわらず、物語の中で母親の姿が登場したことは一度もない。父親は日本画家でチェスの手ほどきを亜美にしたことはわかっており、亜美が父親に今もある敬愛を抱いていることは描かれているのであるが、少なくとも現在ではすでに亜美は母親との二人暮らしのようであり、父親は回想を含めて画面に登場したこともなく、離別か死別かすらはっきり物語の中で語られたことはない。

 占いや呪術などの超能力をもつ霊感少女にして私立中学の生徒会長でもある火野レイ (セーラーマーズ)。積極的だがやや気位が高く、うさぎとはいつも口げんかばかりしているが、いざとなるとうさぎをさりげなくサポートする行動をとっさに取る機転が一番効くのも彼女である。彼女は神社の神主の祖父のもとに同居し、時々巫女の仕事も手伝っている。祖父は脳天気な子供っぽさを持つ脇役としてかなり頻繁に登場するが、レイ自身の父母はどうしたのかは物語の中で一度も問題にされたことはない。

腕っ節が強くて喧嘩ばかりしていたためにうさぎや亜美のいる街の公立中学に転校せざるを得なくなった木野まこと(セーラージュピター)は、アパートでひとりぐらししており、男っぽい外観にもかかわらず、掃除や料理は得意という家庭的な面も見せ、出会う男性にすぐに「昔好きだった先輩」と似ている所を見つけて一目惚れして尽くし始める。しかし、父親母親等家族については物語の中で何ら言及されない。

うさぎを含む他の4人より以前から正義の味方セーラーV(ヴィーナス)として活躍していた愛野美奈子は、『セーラームーン』原作の武内直子が以前から連載し、今も並行して執筆している『コードネームはセーラーV』という姉妹作品では、両親が登場する家庭が描かれているが、『セーラームーン』では、自宅のシーンはかなり頻繁であるにもかかわらず家族は一度も登場したことはない。

=======とりあえす引用終わり========

・・・・ここまで引用してみると、登場人物の名前さえ置き換えれば、まどマギの魔法少女たち五人組の設定とあまりに重なっていることに、まどマギファンの方なら容易に気づけるはずだ。

ちなみに、「セーラームーン」も「まどか☆マギカ」も、上記の分類でいう、「B型」=「普通の少女使命拝受型」である。

「セーラームーン」の月野うさぎがそうであったがごとく、家族との関わりの日常描写が丁寧に描かれるのは、主人公のまどかに限定されている

(大企業で恐らく上級管理職をしているキャリアウーマンの母、専業主夫の父、弟が一人。住宅は広々と大きいので、経済的には中流の上の家庭だろう。この記事の最後の動画を参照) 

美樹さやかは両親がそろっていると想像され、自宅に住んでいるが、一戸建ての玄関先のシーンしかない。

巴マミと佐倉杏子は両親と死別しており、そのいきさつはきちんと描かれているが、暁美ほむらに至っては家庭の事情は全く不明である。

このうち、マミとほむらは結構な住居でひとり暮らししているが、杏子に至っては野宿生活で中学校にも通っていないと思われる。

これら3人の経済的支えは?・・・・登場時から魔法少女なので、恐らく「魔法の力」である。

:*****

さて、魔法少女のものの少女たちの変身は、

  1. この世のダークサイドの化身としての悪者や怪物と戦う正義の味方としての活動をする。
  2. 自分の夢を魔法で叶え、思春期の入り口までの少女が、大抵18歳前後の、年上の、魔法の力を持った女性に変身する(その目的は少なかぬ場合、年上の男性への恋心が動機となっている)、しかし、本来の少女としての自分と変身後の自分との間のギャップに悩み苦しみ、変身後も魔法を使っても、事態は思ったようには容易に解決できない。

・・・・などいった特性を持つことが少なくない。

こうした側面も、まどマギに受け継がれている。

(まどマギでは変身後にオトナに近づくわけではないが、設定資料によると、さりげなく、変身後の方が頭身が高く描かれるという隠れ設定があるようだ)。

*****

さて、ここでひとつの問題提起をしておこう。

今度は、私が大学院1年生として入学する直前(1986年)に、アニメ雑誌「OUT」に投稿して、初掲載された時の文章の一節からから引用する:

===================

●魔法という名のモラトリアム   …「魔法のスター・マジカルエミ」

魔法とは一種の「モラトリアム」であろう。

それだけの社会的・経済的能力がないのに、まるで親のスネをかじって、欲しいものが手に入るのと同じようにして、やりたいことが実現できる

=====引用終わり=====

「まどか☆マギカ」の物語では、中学2年生の少女が、いずこからの使者、使い魔のキュぅべえ(白い動物)から、「魔法少女になってくれたら、君の願いを何でも1つだけかなえてあげる。だから僕と契約して魔法少女になってよ!」と、繰り返し、手練手管を駆使して、しつこく勧誘を受ける。

(このことから、「営業の鑑(かがみ)、淫獣キュぅべえ」と、ファンの間では言われている)

ただし、その「契約」の代価として、ひとつだけ条件がある。

現世での苦悩の末に、絶望した一般の人たちを食い物にする、この世の闇にうごめく「魔女」を退治する使命を果たし続けること。

この使命を続行し続け、魔女たちが息絶える時に排出される「グリーフシード」という黒い石を回収する。

「グリーフシード」によって、彼女らが魔法少女になった時に授かり、魔法の力の源となる「ソウルジェム」と呼ばれる宝石(・・・実は彼女のたちのを移行し、封印したもので、これを肌身離さず持っていなかったり、破壊されてしまうと、死が訪れる・・・)の濁りを除染し続けないと、その濁りが蓄積して、今度は彼女たち自身が人間を呪う「魔女」として怪物化する運命にある。

こうやって、魔女退治が魔法少女達の過酷な「社会的ノルマ」として設定された点に、この作品の新味があり、ダークな部分である。

「魔女」を狩るか、「魔女」になるか。

実は「魔女」はすべて、かつて「魔法少女」だったもののなれの果て。

魔女になるばかりか、今度は自分が別の「魔法少女」に狩られる側になる。

夢をひとつかなえること代償が大き過ぎるのである。

「魔法少女」になるということは、この作品においては、むしろ少女からモラトリアムを奪い、永遠の過酷な状況に突き落とすことに他ならない。

いろいろ悩み、葛藤した挙句、結局窮地に立たせれて、少女たちは「魔法少女」になるのだが、キュぅべえの意図は「第二次性徴期にある少女の希望が絶望に相転移する時に発生ずる膨大な感情エネルギー(・・・こんな小難しいセリフが実際に語られるのだ) を回収して、宇宙の安定のために活用するということであった。

******

魔法少女になるべく「契約」した少女たちが身体の中から「生み出す」ことで所持することになる宝石、ソウルジェムは、の形をしており、使い魔キュぅべえのほんとうの名前は「インキュベーター(Incubator)」、すなわち「孵卵器」である。

つまり、「排卵」できるようになった思春期の少女たちから、身体的には大人になった証拠としての「卵子」を回収して活用するということへのあからさまな隠喩となっているわけである。

「契約」に基づき、魔法少女としての力を授けるキュゥべえは、少女たちから「性的搾取」をするオトナたちを指すともいえる。

******

この作品を、フェミニズムの観点から捉えると、実に奥が深い

だが、広い意味で、男女関係なく、思春期になると、少年少女たちは、自分の夢と現実との葛藤に直面し、絶望の淵に追い込まれる瀬戸際になる。

社会人として巣立つことは、自分の夢を叶えようとすることであると同時に、自分の魂を売り渡すことになるのと紙一重である。

どんな夢や希望も、ダークサイドに憑依される(=「魔女」になる)ことと裏腹の危険な橋を渡り続けることでしかない。

このアニメは、そうしたリアルな葛藤を、非常に切迫した形で描き出した名作であると言えることになる。

******

では、こうした葛藤と堂々めぐりの連鎖(=「円環の理(ことわり)」を引受けつつも克服して成熟していく道は在るのか?

この作品の結末は、魔法少女たち5人のうち何名かの命を引き換えにして、ほむらの最終的な生き様としてその問いに答えているといえるだろう。

 ↑ 「まどか☆マギカ」は劇場版制作が発表され、総集編2本+新作1本とのことですが、上記の動画はよれよりはるか前(放送途中)に素人さんが自分の願望で編集したものです。

*私の「演劇論的」見地からの考察こちら

【追記】:結局続編書きました。

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2011/06/07

なぜ日本は自殺大国なのか(togetter)

 やや大げさなタイトルで、内容がそれと一致しているかどうか???ですが、とぅげり主の@mskzmmrさんのご意向を尊重しておきましょう(^^)

●第1部:
うつ病克服治療が進まず自殺者が多いが...その謎は...?!

●第2部:★なぜ日本は自殺大国なのか...その謎★第2部;オート『ボ』イエーシス理論を学ぼう!!


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2010/10/15

「ぎゃほーーん!!」 -のだめカンタービレ in ヨーロッパ 前編-

・・・と、今度は、のだめ風に、ますは感嘆の声を上げさせていただきます!

(当然、上野樹里さんの声の演技を想定して下さい ^^)

 劇場版「最終楽章 前編」の次に、今度は、TVシリーズの後に制作された、いわゆる「パリ・スペシャル」前編(Lesson 1)を観る(DVDレンタルです)というのは、順序的にみると行ったり来たりですけど、私のように、遅れて来た「のだめ」ファンにとっては、これでもまだ「作法にかなった」鑑賞順序(?)でしょう。

(追記10/10/22 : 最終楽章 後編の感想はこちら

のだめカンタービレ in ヨーロッパ [DVD]

※ ↑ どうもセル版は前後編2枚組のようですが、少なくとも私の借りたレンタル屋さんでは、「前編」と「後編」は別パッケージでした。当然、後編も同時に借りていますが、前編観た段階で、「千秋様」の投げる「人形のだめ」並みに「ぶっ飛ばされる」衝撃度だったので、後編を観るのは後回しで、以下の記事を書きます。

 【注】このTV版スペシャルも、2年半以上前(2008年1月)の放送ですので、ネタバレ全開モードで書きます。

*****

 まずは絡め手から。

 千秋くんが、プラティニ指揮者コンクール第2次予選でりヒャルト・シュトラウスの交響詩、「ティル(・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら)」を振った時に緊張し過ぎてオケぎくしゃくし、恐るべき「負」のオーラに取りつかれている時に、のだめが投げかけるセリフ。

のだめ:「ただ、オケの人に嫌われちゃっただけですよ。Sオケの時と同じで。音楽性より人間性」

千秋:「人間性・・・」

のだめ:「先輩って、誤解されやすいですよ。、粘着の、完全主義だから。でも、コンクールの先輩から言わせていただくと、ある意味で良かったんじゃないでしょうか。ポッキリ折れて、鼻が。人間は負けて大きくなっていくんですよオ!のだめのように」

千秋」:「(突如立ち上がり、のだめの首を締め上げながら)・・・お前ここにホントに何しに来たんだ?! 」

のだめ:「エール送ってるんですよオ!」

千秋:「どこがエール送ってるんだ? 人の傷口に塩を塗りやがって。お前だって、『負けた』と思ってるんだろ?」

のだめ:「のだめ、ジャン(注:コンクールでライバルの指揮者)に負けたと思ってないでしゅ!」

千秋:「俺だってジャンに負けたとは思ってねえよ。・・・(落ち着きを取り戻し)・・・負けたのは・・・・自分に・・・・」

のだめ:「・・・・・」

 ・・・・ここまでのセリフに、さりげなく「粘着」という言葉が入っているのが凄いです。

 のだめは、どういうわけか、クレッチマーの「粘着質」概念を知っている=原作者は、千秋の性格をそのように造形している?!

>このタイプは几帳面で礼儀正しく義理がたい。着実で手堅く非常識な面が無い。 忍耐強い性格であるがストレスを内側に溜め込み、我慢が一定のレベルを超してしまった時の怒り方は凄いものがある。 また、非常に頑固な面を持ち、自分の意志を曲げようとしないことも多々ある。まかり間違えば独裁者になりうる素質の持ち主。

>地道な努力で、一度手がけた仕事は最後まで粘り強くやり通すが、その反面手際が悪く感じられることもある。 対人関係では、信頼はおけるが面白みに欠けるタイプである。

 (以上、「アニメキャラクター分析(キャラ考)」サイト by 雪音 様 より引用。これは原典がしっかりしたものからの引用としか思えないレヴェルです)

 ・・・完全に、千秋くんそのものでしょ?

 (千秋君はマッチョ体型ではないけど)

 二ノ宮さんの考証って、半端じゃないことが、こういうさりげない所に出てます。

 やはり、以前から書いてるように、実は非常に「構築的な」クールな作家というイメージが更に強まりました。

*****

 次に、劇場版では始まって10分であっさりに「お断り」で妥協したのに、この「パリ・スベシャル前編」の中で、特に前半、のだめ(上野樹里さん)も千秋(玉木宏さん)もフランク(ウェンツ瑛士さん)もタチアーナ(ベッキーさん)も、フランス語をここまでしゃべくりまくるとは!!

 ひょっとして、ハーフのウェンツさんとベッキーさんにはフランスの血が流れていないかと調査したところ、特にそうではないらしい・・・(呆然)

 私は、大学(学部は法政)の第2外国語で、当時の日本で代表的なドイツ語の先生の講義を受けて全部「A」もらってます。哲学科でカントの原典購読していたし、クラシックファンでドイツリートも大好きですから、今でもドイツ語の文章なら、旅行会話水準の言葉("Wie geht es Ihrnen?"とか)ある程度口をついて出ますし、少なくともドイツ語の文章をいきなり読み上げて、単語の意味不明でも、やや古風かもしれない標準ドイツ語としておかしな発音は、ほぼしない自信あります("Ich-Laut"と"Ach-Laut"の使い分けまで)。

 辞書さえ引けば、今でもだどたどしくなら翻訳できる・・・今の私のドイツ語力は、単語の語彙数を別にすれば、英語力よりそんなに低くないとすら。

(英語力が立教クラスの大学院出(更にその後、「院研究生」として、不肖ながら、何を間違ったか東大です・・・)としては低すぎるだけだって?)

 恐らく、「米語」を聴く耳より「ドイツ語」を聴く耳のほうが今もいいはずです。

 ところが、全然学んでいないフランス語となると、読むこともできない(クラシックファンなのに、CD洋盤ショップで”Dutoit”って誰よ?・・・が大きな壁として立ちはだかった)。

 フランス映画を観ても、何かドイツ語に比べると「ふにゃふにゃ」した軟体動物のような声がするのを呆然と聴き、完全に字幕依存。「メルシー、ボク-」とか「コマンタレ・ブー」とかなんとかと聞こえる「音声」(「言語」以前の認識水準^^;)が頻発させるのは何だろう?ということになります。

 (閑話休題。実際に生身で遭遇すると、生粋のフランス女性(=アングロサクソン系の血が皆無と思える)の放つ「オーラ」って、ファッション以前にダイレクトに凄いですね・・・。これは、ちょっと慣れれば、アメリカ人と、「言葉を聞かずに、見た目だけで」容易に区別できるようになります)

 実は私、ドイツ語の場合なら、歌える「訳詞」でトイツリートの曲(「第9」はいうまでもなく、シューベルトの「魔王」や「流浪の民」、歌曲集「白鳥の歌」「冬の旅」「美しき水車屋の娘」の主要曲を覚えて歌い、更に原詩でもある程度歌おうとしていたくらいですが、フランス語は「超」別世界。

 ポップスやロックを聴く中で英語を覚えたという人は少なくないでしょうが、私がほんとうに熱中して聴いたのはビートルズぐらいですから、「イギリス英語」への耳はそこそこあっても、「米語」耳はほぼなしです。

 (でも、ビートルズで全曲歌い通せるのは”Yesterday”のみという情けない始末。逆に「魔王」や「白鳥の歌」からの何曲かならドイツ語で一応歌えます)。

 もとより、のだめたちが話しているフランス語は、ネイティヴよりは「日本語的発音」のものなので、聴いていてもカタカナで置き換えられそうですが、それにしても、セリフとして予想を遥かに超えるだけの量のフランス語。

 「のだめ」という作品の役者さんたちへの要求水準はかなり壮絶だったんだな・・・・と、つくづく。

 (突然ですが、来年の大河、「江」で時代劇初挑戦、しかもいきなり主役の上野樹里さん、役者として幅を広げる大チャレンジですが、「篤姫」の宮崎あおいさんに劣らぬ成果をおさめられますことを・・・)

 のだめならずとも、マジ、例えば「エヴァゲリオン」の英語版やフランス語版、ドイツ語版があれば、「スピードラーニング」私もできるかなと思った次第。

 エヴァ本、阿世賀浩一郎/「エヴァンゲリオンの深層心理―自己という迷宮」まで出させて頂いた私、今でもTVシリーズのセリフみんな覚えてますもんね(・・・そういう水準で書いた、「ガイナックス非公式黙認」を「公式に」ダイレクトに取った上での本でした^^;)。

でも、実際、海外の"OTAKU"の皆さんは、そうやって日本アニメに熱中する中で、ホントに日本語を、全く書けなくとも「耳から」覚えるらしいですから、この物語での「あの」描き方も、実は「リアル」の裏付けなしとは言えないでしょうね(^^)

*****

 さて、やっと、このブログ恒例、大真面目な「音楽(演奏)評」を書きます!

 「指揮者コンクール」とはこのようなものだということを、ここまで具体的にリアルに描いた「フィション」作品は「世界初」でしょう(=原作段階でもそうということ!)。

 私も、ピアノ・コンクールはいざ知らず、指揮者コンクールの「実像」について、ここまで勉強になるとは思えず。

 実は、このあたりは、このブログでは直前に記事として書いた、茂木大輔さんの、のだめ公式内幕本、「読んで楽しむ のだめカンタービレの音楽会」でネタ明かしされてます(ここだけ当書のネタバレお許しを)

 つまり、原作段階で、本格的な指揮者修行も経験した、茂木さん自身の監修が入っているのです。

 茂木さんご自身は、すでにオーボエ奏者として日本の第一人者を長年務められた上で、故・岩城宏之氏の門をたたき、更に外山雄三氏の指導をお受けになるなどの経験を重ねられた方で、何を今更指揮者コンクールそのものを経る必要はお持ちではなかったのですが。

 それでも、非常に謙虚な文章で、「一介のオーボエ吹き」が指揮をするに到るまでの壮絶な壁との格闘を本書でリアルにお書きになっています。

 そして、きっと、指揮者コンクールに、「オケの演奏者」の側で参加された経験はご豊富なのではないかと推察いたします)。

*****

 さて、この「スペシャル」でも、相変わらず、演奏が練り上げられるまでの音の変化や、指揮者ごとの「解釈の違い」まで、マジに実際の演奏として収録されて、使われているのですね。

 千秋の音は、ドイツのシュトレーゼマンに認められるだけのことはあって(?)、少なくともこの「パリ・スベシャル」では、正統派ドイツ風の、構築的で硬派な演奏=「黒」(^^)

 対抗馬であるフランスのジャンの音は、まさにエレガントで透明=「白」(^^)

 もうひとりの片平元の演奏も、確かに独創的! でも音楽が完全にその指揮ぶりと一致している。

 踏み込んだことを言えば(・・・以下のあたりのことは、何も参照しなくても、「湯水のように」書けるクラシックおたくです)、彼が演奏した、グリンカの「ルスランとリュドミーラ」序曲は、グリンカそのものがロシア最初の著名な作曲家ですが、「ルスランとリュドミーラ」は、実はロッシーニ系のイタリア(喜)歌劇の影響を大きく受けながら試行錯誤の中で作曲されている、ロシア初の「国民オペラ」なんですね。

 だから、実は「ロシア臭く」やると野卑に響きすぎるという自己矛盾を内包した曲であり、ここで「片平さん」が演奏しているような、軽快なスタイルだと、曲の持ち味が「本当に」出てます。名演です(^^)

*****

 次に、千秋君の本選曲のひとつである、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲

 私はこの曲には好みがはっきりしています。オケは軽快かつシンフォニック(・・・自己矛盾!!)に、ソリストも、力演だと感じさせずに、何の苦労もなく演奏しているような、クセのない演奏でないと嫌なんですね。

 そのせいで、本当は、往年の名盤であるハイフェッツ/ライナー/シカゴ交響楽団の演奏以外、本当にいいと思ったことがありません(実はハイフェッツ盤には、録音当時(1950年代末かと思う)慣例だった「曲の省略部分」があるのですが)。

メンデルスゾーン&チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

 ところが! 

 断片とは言え、コンマスをソリストとする[千秋君の」演奏は、私を十分に肯かせたのです!! 

 これには正直、驚きました。私の永遠の座標軸がハイフェッツですから!!

*****

 更に音楽面、別の観点から見てみます。

 コンクールの公演を聴いた直後の具体的感想のセリフを聞くと、のだめちゃんにしても、フランクくんやタチアーナにしても、若くして、オケ演奏の良し悪しへの「感度」が凄すぎる!!

 このへん、物語として「出来すぎ」なんですが、3人の感想そものは、実際に音になっている演奏に対して(!)、全くリアルなんですよ!

 本当に「恐ろしい水準」の「TVスペシャル」です。

*****

 おしまいに。

 敢えて細かく言及しませんが(それがこのブログの、「のだめ」関連記事の、正統派ではない、婉曲で意地悪なところ)、総合的に見ても、この「パリ・スペシャル」、ドラマとしても、コミカルなテンポ感、切れ味、TVシリーズを凌駕すらしていて、「映画」と言っても何の遜色もない。

 日本にいる登場人物たちとのコミュニケーションも、これ以上あり得ないくらいに絶妙にいい味出してますしね(^^)

 更にこの上を行く、「最終楽章」の劇場公開となっていることは「前編」だけで十分すぎるほど分かりましたので、本当に、この作品の実写映像化って、どんどん進化しかしなかった、「化け物」的奇跡だと思います!!

 まだ、「パリ・スペシャル」後編と、「最終楽章」後編観てないのに、キッバリ断言できます!!

(全部観るのは、もはや時間の問題。無理のないペスで記事化するのみです。・・・・ただし、原作の感想のみ、少し遅れる可能性があります。当サイトのAmazonアフィリエイトレポートの、最近のポイント累積傾向予測からすれば、予想では「11月下旬」です。もっとも、未着の10月分レポートで、クーポン引き換えまで「一気に」貯まってくれれば、「実質無料、全巻大人買い?」可能まで一気に累積完了!! 予想外に早まるかも)。

*****

 ・・・・・以上、「粘着質」かつ「執着気質」のあいの子で(爆)、時々「対他配慮」が行き過ぎて逆にコケるのが玉に傷の、こういちろうよりの、「のだめ」ワールド航海日誌、第5弾でした!!

 (「パリ・スぺシャル 後編」への感想はこちらをどうぞ!!

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2010/02/11

カラオケで「歌わない」人には二種類いる。

  1.  自分でもカラオケで歌うこと自体を苦手と感じていて、カラオケの閉じられた空間で他のメンバーに気を使ってどう振舞うのかに神経をすり減らしている。そうした挙句、周囲から「お前も歌え!」と繰返し言われるハメになることが苦手で、カラオケの場に臨席することが延々と苦手なままである。
  2.  その人は、カラオケで自分からマイクを握ることはまずない。それどころか、終わってみれば、一曲も「歌わずじまいで(意図して)済ませている」かのようにすら見える。しかし、カラオケの場の空気にはさりげなく「空気のように」溶け込んでいて、隅っこで小さくなっていたわけでは決してない。

 ・・・・・1.のタイプの人には、「2.のタイプの人って、実はたくさんいるでしょ?」と言ってはじめて「そういえばそうだ」と気づいてもらえる。

 だが、どうすれば2.のタイプの人のようにふるまえるかは、1.のタイプの人には「想像を絶する」領域であるらしい。

 鬱になりやすいのは、明らかに1.のタイプの人である。

*****

 意外に思われるかもしれないが、私はこの2つの中のどちらに近いかといえば、圧倒的に2.のタイプであろう。これは、欝や気分障害圏のクライエントさんと話を繰り返す中で確信になってきた。

 つまり、私がかつて欝だったとしても、「典型例」からはかなり逸脱していたということだ。

 十分に「執着気質」だとは思いますが、実は若干「隠れて棲むことを最善とする」分裂気質の影響も血の中に入っている。・・・・明らかに「循環気質」とは遠いと思います。

 つまり、リアルワールドでのこういちろうは、そんなに自己主張が強くはなく、場の空気に「任せる」タイプで、自分が関与しなしないままの方が賢いと思った事柄には決して口をはさまず、場の「空気」のような存在になってしまえる。よほど打ち解けた相手を別にすると、酒席では相手の話ばかり聴いているタイプである(^^) 

 ・・・・そういう意味では、私もまたネット人間であり、ネット人格だったりするわけであるが(もちろん、一面では、「愕然とするほどにネットそのまんま」でもある。読者であるクライエントさんはよくそのことをご存知であろう。私のクライエントさんって、こうしたブログ上とかでも並行してコミュニケーションとるタイプの人が非常に珍しいのです)

 ・・・・・・ある面では「意図的に」ネットの人格とリアル人格を一貫「させよう」とすら私はしている!!

 ただ、私は本音がすぐに顔にでるタイプだとも言われる。

 同時に、人が良さそうなのに、いざとなると、突如としてやることが極端で、そういう意味で怖いとも言われるが。

*****

 いずれにしても、普段はジェントルで慇懃であるかに見えても、家族や恋人や自分のゼミの学生たちを相手としたり酒席となると、途端に気むずかしくなったり、海援隊 - 贈る言葉 - あんたが大将「あんたが大将!」になる「内弁慶」タイプの人には、ご同情申し上げるのみである。

 (・・・・自戒を込めつつも、やはり私はそういう側面は小さい、敢えていうと「外弁慶」な方だろうなとはいいたい。・・・・・「へえ? あの人の実態って、そこまでそうなんだ!!」という話の方はむやみと小耳に挟むもので・・・・)

*****

 この記事の続編はこちら

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2009/12/18

カウンセラーは勉強すればするほどダメになる? -田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」への感想 追補-

  田嶌先生の新著についてご紹介させていただいた、この記事追補です。

現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵

(楽天ブックス)

=========引用はじめ=======

 「勉強すればするほどダメになる」・・・・臨床の領域ではこういうことはしばしばあります。学界の動向や専門用語には詳しくなっているものの、フレッシュでまだあまり勉強していなかった時代のほうがいい臨床家であった、あるいはまだマシだったというようなことが結構あります。学会に参加しますと、それとおぼしき人がたくさん目につくので困ったものです。本人はいっぱいエネルギーを使って勉強しているだけに気の毒です。それでも本人はまだしも、それにつき合わされる患者さんこそいい迷惑です」(p.133)

 「患者さんの生活を生き生きとイメージできる共感的理解(中略)、それさえあれば、いくら勉強してもダメになることはないはずです」(p.136)

 「そのこととも深く関係していると思われるのは、しばしば専門家としての自分と素人としての自分が遊離してしまうことです。その人の持つ本来のよさが、専門家としての自分という鎧の下に隠されてしまい、十分にそのよさが発揮できなくなってしまうのです。これも「勉強すればするほどダメになる」パターンのひとつです」(p.137)

 「私たち臨床心理士や精神科医はもっと看護師さんやケースワーカーの人たちから(さらにいえば、学校教師や養護教諭等から)もっともっと学ぶべきだろうと思います。看護師さんやケースワーカーの人たちは面接室以外のさまざまな場面での患者さんの姿を知っているからです。なるべくいろんな場面での患者さんの姿に触れておくことが、生き生きとイメージしたものが、そう、的はずれなものになるのを防ぐのに役立つようです」(p.137)

 「なお、うちの研究室のスローガンは以下の通りです。

  こころはアマチュア 腕はプロ
  おぎなおう 腕の不足は体力で
」(p.137)

=========引用おわり=======

 ・・・・もっとも、この本全体をお読みになると、田嶌先生ご自身の、既成のさまざまな流派の治療理論についての理解と洞察力の凄さにもお気づきになれるはずですので、皆様、誤解なきように。

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2009/12/16

田嶌誠一 著 「現実に介入しつつ心に関わる」

 私の臨床心理学上の恩師は、言うまでもなく、ジェンドリンの「フォーカシング」「体験過程と心理療法」の一介の一読者に過ぎなかった私を「拾ってくださった」、故・村瀬孝雄その人である。

 そして、精神医学を含めた意味での治療者のあり方において、私の「神」なのは、未だにお姿すら拝見したことがない中井久夫先生である。

 フォーカシング・トレーナーとしての偉大な先達にして、敢えて"fellow"とお呼びしたいのが、初対面の時から異様な意気投合に到達したアン・ワイザー・コーネル女史である。

 最後に、私が若い頃から声をかけてくださり、一緒に飲ませていただき、九州に戻ってからも色々相談に乗ってくださった、私にとっての、あまりにも頼もしい、「現場心理臨床の兄貴」、それが、現九州大学大学院教授の田嶌誠一先生である。

****

 福岡県大牟田市生まれ。十代はそこそこ不良でした(^^)。しかし、高校時代のある時、突如心機一転して猛勉強、九大を目指します。

 そして、催眠療法や臨床動作法であまりにも著名な、日本を代表する心理療法家、成瀬悟策先生門下の逸材(認められるまでが大変だったそうですが)として、最初は病院心理臨床で、重篤な患者さんとの面接のキャリアを積む中で、深い変化を静かに引きおこししつつも、患者さんの自我を危機に至らせない「安全弁」を持つ、独創的な心理療法、「壷イメージ療法」を開発。

 続いて、広島修道大学、更には九大で大学学生相談を担当、深刻な精神疾患、暴力や引き籠もりの学生との関係作りに、他の誰にもまねができない独創的かつ積極的なアプローチで成果を重ねます。

 引き続き、文部省のスクールカウンセラー事業の草創期に、もっとも荒れた中学校を担当、教師、家族、生徒たち全体を巻き込む「ネットワーク型アプローチ」を導入して、学校の空気そのものを一変させ、少年院送りを繰り返す水準の不良生徒たちからも卒業時には崇敬を集めるという、神がかりな活躍をなさいました。

 そして、現在取り込んでおられるのが、多くの場合、家族からの虐待から保護された子供たちが収容される、児童養護施設内部で陰惨に繰り広げられてきた、「施設内暴力」を一掃するシステムをコーディネートすることなのです。

 日本の心理臨床の生んだ、空前の「現場で行動する臨床心理士」、それが田嶌誠一先生です。

*****

 田嶌先生の新著について、かなり前からこのブログで記事を書くとお約束しながら、私自身が急激に多忙化する中でなかなか果たせないで来ました。 

●田嶌誠一:「現実に介入しつつ心に関わる -」(金剛出版)
ISBN:978-4-7724-1103-5

 

現実に介入しつつ心に関わる―多面的援助アプローチと臨床の知恵

(楽天ブックス)

 講演記録を元に、新たに書き下ろされた、児童施設内の暴力問題への対応についてを中心主題とする、本書冒頭の「総論に代えて 現実に介入しつつ、心に関わる」以外の論考は、その大半について、先生が最初に学会発表されたその場に臨席もしたし、学会誌でお読みしている。

 冒頭の章の概要そのものも、先述の記事で書いたように、先生に直接お会いする機会を持たせていただいた時にうかがっている。

 今回、実際の著作の内容と照合しても、その内容の最低限のイントロダクションの意味は、すでにあると思えたので、ご参照下されば幸いである。

*****

 そういう意味で、「ライブ田嶌」先生からすでにうかがった内容のほうが私の中で大きなインパクトを占め過ぎているために、どうもこのご著書の内容を改めて客観的に概説するとなると、私は心境的にちょっと重荷になりすぎる。

 ただ、申し上げたいのは、先述の、今回書き下ろされた、冒頭の「総論に代えて」の持つ、凄まじいまでのインパクトと、そこに示された先生の決然たる問題提起だけは、是非、多くのカウンセラーの皆様に、実際に目を通していただきたい。

*****

 いくつか、この「はし書き」と最初の章から、田嶌先生の言葉を、アフォリズム的に拾い上げてご紹介することとします:

=======以下引用========

 「私は、当事者のニーズの応えること、そしてできればもっとも切実なニーズに応えることを心がけてきたつもりである」(p.5)

 「現場のニーズを、『汲み取る、引き出す、応える』ためには、心理臨床家が従来のようにもっぱら心の内面や深層に関わるという姿勢(それも必要ですが)のみでは不十分で、『現実に介入しつつ心に関わる』とそれに基づく多面的アプローチが必要となります。これは、心理臨床が生き残れるかどうか、換言すれば心理臨床が社会に貢献できるかどうかに関わる重要なことだと私は考えています」(p.12)

 「しばしば間違えるのは、学校の先生と保護者とが『原因は何でしょう』と話し合うことです(中略)。すると、お互い内心は『こいつだな』と思っているわけです。そうすると、連携がちっともうまくいきません。
 それよりも、この子が元気になるために学校に何ができるか、保護者に何ができるか、それを一緒に話し合うというスタンスでいきますと、割合、無難な対応ができます。(中略)
 保護者の力、担任の先生の力、生徒たちの力、そして相談に乗った私と、いろいろな人がネットワークを活用してその子の援助をしていくという形になります。これが『ネットワーク活用型援助』です。心の内面だけではなく、現実に介入していくわけですね」(pp.18-9)

 「[まずは]いじめという現実がなくならないといけない。その解決は、いじめが沈静化する必要がある。完全な解決かどうかはともかく、とりあえずいじめがなくなる[ように、その学校内のネットワーク・システムに介入する]。その後、本人の心を扱うという形をとる。これが『現実に介入しつつ、心に関わる』ということの例のひとつですね」(p.19)

 「このように、いじめなどがそうですが、必ずしも本人が変わるべきではなく、周囲が変わるべきである場合もあると考えるようになりました(中略)。今では問題は、『主体と環境の関係』だというふうに言っています。主体と環境、つまり、内的環境と外的環境があって、その心、内面の問題は内的環境との関わりの問題なのだろうと考えるようになりました」(pp.19-20)

 「大事なのは、『個人の心理や病理』だけではなく[学校や地域の]『ネットワークの見立て』どということを強調しているわけです」(p.20)

 「[施設内暴力]に加担した加害児のうちのひとりは、1,2年前まではそのボスからおしっこを飲まされたり、散々いたぶられています。つまり、かつての被害児が加害児童になっているわけです」(p.25)

 「施設では多くの場合、[マズローの言う]『安全欲求』が満たされていないわけです。これは成長の基盤です。だから[まずは、施設内での]暴力をなくさないといけない。しかしこの理屈が意外と臨床心理の人に通りが悪かったんです。つまり、こどもたちが暴力を振るうのは、心の傷があって、それをケアすることが大事なんだという発想が強すぎて、理解が進まないんですね。心のケアは大事だけど、その前に、暴力を使わないで暴力をきちんと抑えるということが必要です」(p.27)

 「それらの問題行動は、過去の虐待や苛酷な教育環境への反応として、反応性愛着障害や発達障害の兆候として理解されてきたように思います。(中略)
 しかし、それらの問題行動は、子供間暴力(児童間暴力)や職員からの暴力等の、その子が現在[施設内で]置かれている状況への反応である可能性があるということになります。(中略)入所前に受けた虐待が主なる原因ではない」(p.27)

 「『愛着』や『トラウマ』関係のどの本でも、安心・安全が重要であると述べられていますが、その安心・安全を施設で実現していくことがいかに大変なことか、どうやって実現していったらいいかということが、まったくといっていいいほど言及されていないのです」(p.37)

 「[施設内暴力という問題それ自体に対する]専門家によるネグレクト、大人によるネグレクト、そして社会によるネグレクト」(p.38)

 「私は臨床家ですから、『告発者』としてではなく、外部から援助者として現場にうまく入らないとならない。そのためには、大変なエネルギーと技術が必要です。しばしば、「志は高く、腰は低く」という姿勢が必要です。そして問題を発見して、解決システムを模索して考案していくという順序になります(p.39)

======引用終わり=====

 田嶌先生が全国の児童養護施設に提案し続けている「安全委員会」システムとはどのようなものかについては、ネットでの情報などでは済ませずに、是非、実際に本書をお読み下さい!!

 なお、こうした被虐待児を一箇所に百名以上収容する施設など、欧米には存在しないとのこと。だから、解決策には輸入できるモデルなんてないそうです。

 「里親制度」・・・・欧米は基本的にそっちなんですね。

 日本にも里親制度はありますが、時折、里親自体からの子供への陰惨な暴力がマスコミ記事になることはたいへん痛ましいことです。里親と子供への、地域の個別の公的サポート(監視)体制が不十分すぎるんですよね。

*****

【追記】:  この著作についてのご紹介シリーズ、追補して書かせていただくことにしました。こちらからどうぞ。

******

【更に追記】:

この本の続編、「児童福祉施設における暴力問題の理解と対応」が刊行されました。

その本のご紹介は、こちらでしています。

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2009/12/10

派遣労働者は企業メンタルヘルスや産業カウンセリングの蚊帳の外? -福岡県精神保健福祉冬期講座に参加して(1)-

 やっはり記事の順序をもう一度再入れ替えしましょう(^^)

 一昨日参加させていただいた、福岡県精神福祉冬期講座「不況を生き抜く -多様化するうつ病と休職・失業からの再出発-」の報告記、第1弾。まずは午前の部についてご紹介します。

 講演午前の部に招聘された先生は、大正大学の廣川進先生。「休職・失業のキャリアカウンセリング -人生の危機・転機を越えていくために」という演題でした。

 ベネッセで18年間勤務され、雑誌「ひよこクラブ」などの編集に携われた後、衛生管理者としてヘルスケア部門を担当され、採用・教育研修など、人事の業務も経験されたとのことです。

 40歳を迎えるにあたり、臨床心理士になることを決意されて大正大学大学院に社会人入学。病院臨床の経験も積まれ、現在も大正大学の准教授をお勤めの傍ら海上保安庁にも勤務され、先日の佐世保での事故の際にも危機介入のため活躍されたとのことでした。

*****

 企業人から産業カウンセラー・キャリアカウンセラーに転じられた経歴をお持ちというだけのことはあり、企業の内部事情にも精通された上で、個別処遇を重視する、会社内のさまざまな関係者を「チーム」としてフル活用した、うつ状態に陥った中間管理職の社員への細やかな復職支援の統合的アプローチの実践例を例示いただき、たいへん参考になりました。

 少なからぬ場合、配置転換されてきた、業績至上主義の新上司からのパワハラの問題が関わること、今の日本企業は競争社会になったために、「かわいがった部下に先に昇進される」リスクがあるため、社内の空気そのものがギスギスしているため対話が少なくなっていること。会社再建のために銀行から派遣された役員によって、実力ある管理職がスケープゴート的に詰め腹を切らされ、リストラされることが引き金となるうつの発症などがあるというお話は興味深かったです。

 また、うつによる休職と並行して、家族構成員に様々な問題が「同時多発」することが多いということ。子供の引きこもりや行動化、配偶者の抑うつ、親の介護などの問題が、一気に表面化=「同時多発化」しやすいようです。それまで、「ともかくも働いてしっかり稼いできてくれる」ということによってかろうじて見かけ上の平衡を維持していた家族力動の、潜在的な歪みが一気にあふれ出すということのようです。

*****

 廣川先生のお話は更に、失業者のメンタルヘルスの問題について、ハローワークを訪れる求人者の意識の実態調査に基づいて踏み込んだ問題提起へと展開しました。

 多くの退職者は、見かけ上は、キャリアアップや「今の会社があわない」などの理由を真っ先に挙げますが、実際には社内(特に上司)との人間関係に悩んだ末であることが少なくないそうです(これは私見ですが、いわゆるリストラの場合ですら、その対象として選ばれるかどうかには、この人間関係上の問題が少なからず影を落としていることがあると思います)。

 そして、求職者は、もはや仕事が見つからない「恐怖」に脅かされており、それまでのキャリアが通用しないことによるアイデンティティの喪失、求職活動しては不採用になることを繰り返す中で、精神的消耗やうつ状態、身体症状の悪化、場合によってはアルコールやギャンブル嗜癖に向かうなど、潜在的に「自殺者予備軍」となる危機にさらされている。

 しかし、ハローワークの現段階でのメンタルヘルス相談の体制は、まだ専門的訓練を受けた相談員が少なく、場合によっては「説教され、発破をかけられる」に留まる状況は何とか改善されていかねばならないことを先生は示唆されました。 

*****

 しかし、こうしたお話をうかがう中で、私の中に、何か大事な問題が抜け落ちているという思いが生じてきました。

 質問タイムが最後に取られたので、私は口火を切ってフロアから感想をお伝えいたしました。

 「大企業の管理職の方々の復職支援における統合的アプローチ、そしてハローワークを訪れる求職者のメンタル状況のついてのお話はたいへん示唆に富むお話でした。しかし、今日のうつ病患者の増加は、20代後半から30代において顕著であり、私がお会いしてきた通院中のクライエントさんの非常に多くが正社員ではなくて、その世代の派遣勤務です。

 リストラされなかった正社員のバーンアウト症候群の問題は確かに深刻ですが、それと平行する形で、それまで派遣社員を統括していた正社員自体が配置転換され、「ベテランの派遣社員」に、その正社員の業務が「丸投げ」される現象が生じてきているようです。

 その結果、一番優秀な派遣社員がオーバーワークになり、深刻なうつの危険に直面している気がします。

 しかし、多くのケースにおいて、派遣社員は産業カウンセリングや企業メンタルヘルスのシステムの蚊帳の外に置かれたままという気がしてなりません」

*****

(以下、第2回、午後の部についての記事に続く。午後の部は、「未熟型うつ病」概念についての非常に詳細な解説と問題提起を含みます。こういちろう畢生の超大作になりますので、明日になってから書きます)

(【追記】・・・といいつつ、その序曲だけをまずは書きました)

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2009/10/04

流派を超えた、現場臨床家の学ぶべきエッセンスの宝庫

「テキストを読んでモデルや技法を頭で理解することと、臨床現場において目の前の患者、クライアントに対して、この療法を効果的に実践することの間には、大きなギャップがあります。そのギャップは特別なものではなく、料理のレシピを熟読することと、おいしい料理を作ることの間にあるギャップと同じものだと思います」(p.iii) 

「私が一番お伝えしたいことは、この療法は、『共同的な問題解決のプロセスである』ということです。そのためにはカウンセラーとクライアントが問題解決のためのチームを組む必要があります」(p.iv)

「重要なのは、まず『個人と環境がどのように相互作用しているか』『その人の社会的な相互作用はどうなっているか』ということを押さえた上で、その人自身の認知、行動、気分や感情、身体的な反応を見ていくのです。

 つまり、インタラクション(相互作用)を二重に見ていただきたいのです。

 ひとつは、今申し上げた個人と環境との相互作用、すなわち個人間の、あるいは社会的な相互作用を見るのです。

 そしてもうひとつが、個人内に起きていることを個人内相互作用としてみるのです」(pp.7-8)

「はじめはクライアントや患者や誰か他の人の体験ではなく、自分の体験を考えてみてください」(p.8)

「最初からクライアントが、相互作用そのものを主訴として出してくるということは、まずないわけです。ですからクライアントが主訴として出してくる話をだんだん広げていって、一緒にその相互作用を把握していけばよいのです」(p.16)

「クライアント自身が自己治療セルフカウンセリングができるようになることを目指す」(p.35)

「カウンセリングの初心者は、クライアントの人生すべてを背負ってしまうような錯覚にとらわれがちですが、クライアントの人生と、カウンセリングでの共同作業は同一ではないことを意識化しておく必要があります」(p.38)

「その人に合った、その人なりの療法をオーダーメイドする感じです」(p.39)

『何かをしたい』『何とかして欲しい』と思って来談している人に、『何もしてもらえなかった』と思われてしまうのは、やはり対応が足りないということです」(p.43)

「この療法で目指すべきは、高度に専門的で特殊な対話ではなく、むしろ私たちが何気なくやっている、気持ちのよい対話を実現することではないかと、私は考えています」(p.45)

「双方が同程度に話す」(p.44)

『物分りがよすぎないこと』というのは、私を含めて特に日本で臨床心理学の訓練を受けてきた人には、気をつける必要があることだと思います。

 共感は必要ですが、カウンセラーの側の推測で理解したつもりになって共感する、というのは、実は順序が逆だと思うのです」(pp.46-7)

「ポイントはイメージです。カウンセラーが[クライアントの置かれた状況や気持ちや行動を]具体的にイメージできたか、というのが重要です」

「『実感としてよく理解できる』というの、アセスメントのポイントです。換言すれば、『実感としてよく理解できる』ようなやり方で、アセスメントをしていかなければなりません(p.60)」

「[クライアントには]、カウンセラーのチームメンバーとして、疑問に思ったことは何でもフィードバックしてもらう必要があります。(中略)言いづらくても言ってもらうと非常に助けになるのでぜひ遠慮なく言って欲しい、といったことを伝えるのです」(p.65)

「アセスメントや心理教育というのは、カウンセラーが一方的にクライアントに提供するものではなく、カウンセラーとクライアントで共同して創り上げていくものだということです。(中略)カウンセラー側の想像で、『ああではないか』『こうではないか』と仮定するものではなく、カウンセラーとクライアントのコミュニケーションの中で理解し、創造して行くものなのです」(pp.65-6)

「話を聴きながら、少しずつ該当する箇所に記入していき、ある程度話が聴けた時点で、何となく全体像が見えてくる、自然とクライアントの体験が循環的に理解される、ということです」(p.68)

「この技法をカウンセリングで使うのであれば、カウンセラー自身自分のために習得し実際に使っていることが絶対に必要です。これはこの技法に限らずどんな技法でもそうですが、カウンセラー自身が自ら習得し、使ってみてその効果を実感しているからこそ、クライエントに勧めることができるのではないでしょうか」(p.114)。

*****

 ここで述べられているのは、熟練した現場臨床家であれば、流派を超えて誰もが言い出しそうな言葉ばかりである(と、私は思う)。

 上記の引用で、私は敢えて、原文とひとつの言葉だけを言い換えている。

 それは、「療法」あるいは「この療法」という言葉に、ここではしてみた部分。

 すべて、原文では"CBT"、すなわち認知行動療法である。

*****

 伊藤絵美先生のセミナーには、半日の短いものではあったが、数年前に出席したことがある。そこにはひとりの非常に柔軟なセンスに富んだ、自分の技法を完全に自分の肌になじませ切っておられる、敬意に値する現場セラピストがおられるというプレゼンスを覚えた。

 ご著書、しかも、この、今や日本で一番定番化しているとされる認知行動療法のテキストをお読みするのは実は今回がはじめてである。

 認知行動療法について、最近私はたくさん言及しているが、もし何か基本的なところで勘違いしていないか? まだ誤解しているところがあるのではないか?と、初心にかえるつもりで紐解いたのだが、半日で、先ほど引用した箇所のある程度先、半分まで一気に読んでしまえるくらいに引き込まれた。

 実践的な、ひたすら実践的な、でも、臨床家としてのマインドを通奏低音として響かせ続ける名著だと思う。

 あちこちに、形だけ几帳面に技法を学ぼう、施行しようとし過ぎたり、認知行動療法固有の用語に足をとられないで済むような、緩急自在の配慮があると思う。

 認知行動療法に未だ抵抗がある心理専門家の皆様にこそ、ともかくもお勧めしたい。

 認知行動療法そのものは現場で意識的に使うつもりがないカウンセラーの皆様にも、きっと得るものがあると思う。

*****

 【追記09/10/27】 : なお、この本の後半部分で書かれた、伊藤先生の、安直なコラム法適用に留まることへの戒めの発言を、この記事の中でご紹介しました。

伊藤絵美/認知療法・認知行動療法カウンセリング初級ワークショップ―CBTカウンセリング

(楽天ブックスの本書のページ)

*****

 ただ、敢えて申し上げれば、この本の中で批判的に書かれているような、教条的なロジャーズ派カウンセリングの教育は、少なくとも現在の心理臨床家養成大学院の教育においては、すでに珍しくなり始めてはいまいか?

 先日ご紹介した、「多元的アプローチ」のクーパー博士のような、"dogmastic"(教条的)なパーソン・センタード・アプローチ(PCA)には敢然と立ち向かうと宣言する「パーソン・センタード・アプローチ」の指導者がいる時代である。

 実際、クーパー博士の発言とオーバーラップする箇所がこの伊藤先生の著作の中に数多く見られる。

*****

 利用できる大学図書館が見つかったので、認知行動療法系についても、いわゆる「第3世代」(マインドフルネス・セラピー」)まで、徐々に読み進めたいと思う。

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2009/09/28

児童福祉施設での施設内暴力

 この言葉を聴いて、皆様は何を連想されるだろうか?

1. 「施設側の職員が入所した子供たちに暴力を振るう」

・・・・・これはこれで由々しき問題であり、現実に存在し、あってはならないことである。

2. 「入所した子供が、他の子供に対して、職員の目の届かないところで、陰湿な形で暴力をふるう」

・・・・・これも歴然と存在する。その中身は、とてもこのブログで具体的にご紹介できないくらいに陰惨な性質のものである。

 しかし、もうひとつ、現状ではあまり問題にされていない、凄まじい次元のものがあるのだ。

3. 「入所した子供たちが、集団で職員を袋叩きにする」

 こうしたことは、例えば少年院などの、法的に厳重なシステムがある空間では、まだしもそれを制御するシステムが機能する。

 ところが児童施設という「福祉」の領域に突入してしまうと、この問題について、誰が、どういう形で介入し、単に個々の入所した子供への対応を超えて、施設の態勢そのものの改善に向けてのチームワークを生み出すのか、そのための方法論はまだまだ未整備らしい。

 この領域に、敢えて臨床心理士の立場で取り組み、「安全委員会」方式という手法を編み出し、更に、こうした問題意識を持つ施設間の全国的ネットワーク作りに現在力を入れておられるのが、私の敬愛する、九州大学の田嶌誠一先生である。

 田嶌先生の、この、施設内暴力問題への取り組みは、福祉の領域にも様々な波紋を巻き起こし、毀誉褒貶著しい状況にあるという。

 しかし、先生は言われる:

 「まずはこの問題について賽を投げることが私の役割。それに対して様々な立場から色々な意見が出るのは当然のこと。そうやってこの問題についての事態が動き出し、いろいろな人が知恵を絞り、相互のネットワークが全国的に機能すようになれば、私のとりあえずの役割は果たしたことになると思っている」

*****

 更に次のようなお話もうかがった:

 「今の時代、臨床家の養成は、だんだん『専門学校化』している気がしてならない。それでは、単にすでにフォーマットがあるスキルを身につけた一団が生み出されるだけだ。

 しかし、そもそも、<臨床>とは、草創期においてはそうしたものではなかったはずだ。フロイトをはじめとして、まずは「<現場>での現実に具体的問題ありきであり、それを何とかしようという試行錯誤を重ねる。その取り組みは同時代の既成の専門家からは胡散臭い目で観られる。

 そういう「新たな問題意識そのものの開拓者精神」を育み、それまでに存在しなかったフィールドを掘り起こすことが、本来、大学という場でこそ成されるべきことなのだが」

*****

1103_2  すでに日本心理臨床学会第28回大会の会場の図書コーナーでご覧になった会員の皆様もあろうかと思いますが、田嶌先生が、この「施設内暴力」の問題を冒頭で取り上げる形で、この10年ほどの、不登校・引きこもり・大学学生相談・スクールカウンセリング・強迫症・など、様々な領域での具体的な実践の軌跡をまとめた新著が刊行されました。

 Amasonにも入荷 しました!!

●田嶌誠一:「現実に介入しつつ心に関わる -」(金剛出版)
ISBN:978-4-7724-1103-5

 目次だけ拝見しましたが、近年の「心理臨床学研究」の田嶌先生のご発表や論文でおなじみの、あの、「節度ある押し付けがましさ」をはじめとする、田嶌先生の生み出した用語も満載の本のようですね。

【追記】:その後、光栄なことに、田嶌先生ご自身にこの本を贈呈いただきました。感謝いたしております。近日中に、僭越ながら感想をこのブログで書かせていただくつもりです(09/10/30)

*****

 以上、昨晩、田嶌先生と福岡で直接お会いしてうかがったお話でした。

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2009/09/27

なぜイギリスで認知行動療法が「国定」心理療法になれたのか。

 以前、NHKスペシャル「うつ病治療 常識が変わる」についての特集連載をした時にも言及しましたが、イギリスでは2002年に国会審議を経て法案が通過したことを期に、認知行動療法のみが、公的保険の適用対象になる医療制度が始まりました。

 これに関して、私が開業サイトこの記事でコメントとして掲載した内容が、今でも開業サイトのアクセスNo.1を継続的に維持しているにもかかわらず、こちらのサイトでは同じ内容は掲載しないままであることに気がつきましたので、これを機会に若干それに手を入れて、転載しておきたいと思います。

------以下引用------- 

 その後調べましたが、イギリスの場合、サッチャー政権以降、医療は、民間病院で全額自己負担で受けるか、地域の定めあられた公的な病院(イングランド地域ではNational Health Centerという名称)で無料の公的保険適用で受けるのかという、徹底した二者択一システムになりました。

 この結果、身体病に関しても、庶民が、高度な医療サービスを、公的保険が認めていないために、容易に受けられなくなる弊害すら生じているようです(この記事参照)。

 うつ病を含む薬物療法についても、公的保健医療において、SSRIなどの高額な薬を使わずに済ませたいという動向が、特定の、統計的に効果が高いとされるセラピー「にのみ」予算を投下したいという思惑を生んだ側面があるようです。でもそうした側面は日本では全く報道されていません。

 そうした中で、セラピスト養成システムそのものもシンプルに規格化しやすい認知行動療法セラピストの国家的養成という大胆な試みに進んだところがあると思います。

 つまり、医療保険制度の、イギリスと日本の基本的な違い(更にはイギリスが相変わらずの「階級社会」であること)という問題に踏み込まないまま、このことを議論できないという当面の結論に至りました。

*****

 記事でも書きましたけど、リサーチ上のデータのことを問題にする際に、「他の」心理療法(精神分析やクライエント中心療法)を行なった場合との「比較検討」という統計資料をまだ目にすることができていないのです。これは、もし存在するのなら是非目にしたいのです(この点については、何の皮肉も込めることなく、そう思っています)。

 私自身、認知行動療法的アプローチに関心を抱き、現場臨床に生かすことについてはむしろ積極的な立場ですらありますが(こちらからの連載記事も参照下さい)、この点だけはどうしても申し上げたくなりました。

*****

 今の時代、薬物療法なしで鬱の治療ができあるという触れ込みをする機関の大半には眉にツバをつけるべきかと思います。適切な薬物療法がなされれば、確かにうつ病の改善を支援する重要な効果があるのです。

 ただし、SSRI等の狭義の抗うつ剤「それ自体」によって鬱の治療が改善するのは統計的には30%ぶんの効果にしか相当しないそうです。狭義の「抗うつ剤」以外の薬、すなわち、リーマスやデパケン等の気分スタビライザー、睡眠誘導剤、抗不安薬(旧来「マイナー・トランキライザー」と呼ばれてきたもの)、場合によっては非定型精神病薬などを含めた絶妙なカクテルを、その時の状況に応じて適切処方するお医者様の技量、生活や睡眠リズムのコントロール、休息とお医者様との診察時の話し合いという「医師という名の薬」の果たす役割が大きいことは言うまでもありません。

 極論すれば、流派に関係なく、どんな流派の心理療法やカウンセリングであろうと、ある一定水準の技量に達しているカウンセラーが、治療段階の適切なステージで実施する限り、薬物療法との併用で改善効果を「促進する」ことは、ほぼ間違いなかろうと思います。

 (認知行動療法ですら、まだ重度の段階にあるうつ状態の患者さんや、不安障害、パニック障害なども併発している患者さんに性急に適用すると病状を悪化させる危険があることが知られています)

 つまり、認知行動療法の研究者だけが、統計データを取ることに熱心である・・・・ただそれだけの違いであるに過ぎないのではないかという疑いが私の脳裏を去りません。

*****

 もっとも、私は、同じ心理療法流派の中でも、いいカウンセラーとそうでないカウンセラーの落差の方がよほど大きいと思っていますし、いい現場セラピストは、ある特定の流派の療法だけでカウンセリングを進めているなど、実はあり得ないわけですが。

 更に言えば、カウンセラー自身が、薬物療法についてのきちんとした認識を持っているかいないか、患者さんと医師との関係つくりをサポートする能力の違いという因子が絶対に大きいはずと考えています。

 こうした点で、医師とカウンセラーの連携についてのシステム作りおよび研修のあり方、更に言えば、カウンセラーに対する精神医学の教育のあり方、日本ではまだ非常に未成熟な段階にあるとも感じられています。

 今、やっと、日本医師会と日本臨床心理士会がいい意味での協調体制を取れる時代が訪れたようです。専門職大学院教育で、医療系大学院と臨床心理系大学院のクロスオーバーな連携は、やっと九州大学をモデルケースとして開始されたばかりです。

 そうした中から、医療と心理療法の好ましい連携スタイルが生まれてくることを信じたいと思っています。

*****

●参考資料:

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