カラオケ

2010/02/11

カラオケで「歌わない」人には二種類いる。

  1.  自分でもカラオケで歌うこと自体を苦手と感じていて、カラオケの閉じられた空間で他のメンバーに気を使ってどう振舞うのかに神経をすり減らしている。そうした挙句、周囲から「お前も歌え!」と繰返し言われるハメになることが苦手で、カラオケの場に臨席することが延々と苦手なままである。
  2.  その人は、カラオケで自分からマイクを握ることはまずない。それどころか、終わってみれば、一曲も「歌わずじまいで(意図して)済ませている」かのようにすら見える。しかし、カラオケの場の空気にはさりげなく「空気のように」溶け込んでいて、隅っこで小さくなっていたわけでは決してない。

 ・・・・・1.のタイプの人には、「2.のタイプの人って、実はたくさんいるでしょ?」と言ってはじめて「そういえばそうだ」と気づいてもらえる。

 だが、どうすれば2.のタイプの人のようにふるまえるかは、1.のタイプの人には「想像を絶する」領域であるらしい。

 鬱になりやすいのは、明らかに1.のタイプの人である。

*****

 意外に思われるかもしれないが、私はこの2つの中のどちらに近いかといえば、圧倒的に2.のタイプであろう。これは、欝や気分障害圏のクライエントさんと話を繰り返す中で確信になってきた。

 つまり、私がかつて欝だったとしても、「典型例」からはかなり逸脱していたということだ。

 十分に「執着気質」だとは思いますが、実は若干「隠れて棲むことを最善とする」分裂気質の影響も血の中に入っている。・・・・明らかに「循環気質」とは遠いと思います。

 つまり、リアルワールドでのこういちろうは、そんなに自己主張が強くはなく、場の空気に「任せる」タイプで、自分が関与しなしないままの方が賢いと思った事柄には決して口をはさまず、場の「空気」のような存在になってしまえる。よほど打ち解けた相手を別にすると、酒席では相手の話ばかり聴いているタイプである(^^) 

 ・・・・そういう意味では、私もまたネット人間であり、ネット人格だったりするわけであるが(もちろん、一面では、「愕然とするほどにネットそのまんま」でもある。読者であるクライエントさんはよくそのことをご存知であろう。私のクライエントさんって、こうしたブログ上とかでも並行してコミュニケーションとるタイプの人が非常に珍しいのです)

 ・・・・・・ある面では「意図的に」ネットの人格とリアル人格を一貫「させよう」とすら私はしている!!

 ただ、私は本音がすぐに顔にでるタイプだとも言われる。

 同時に、人が良さそうなのに、いざとなると、突如としてやることが極端で、そういう意味で怖いとも言われるが。

*****

 いずれにしても、普段はジェントルで慇懃であるかに見えても、家族や恋人や自分のゼミの学生たちを相手としたり酒席となると、途端に気むずかしくなったり、海援隊 - 贈る言葉 - あんたが大将「あんたが大将!」になる「内弁慶」タイプの人には、ご同情申し上げるのみである。

 (・・・・自戒を込めつつも、やはり私はそういう側面は小さい、敢えていうと「外弁慶」な方だろうなとはいいたい。・・・・・「へえ? あの人の実態って、そこまでそうなんだ!!」という話の方はむやみと小耳に挟むもので・・・・)

*****

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2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

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2009/05/21

みんなでマスクすれば、患者さんはいじめられないかも?(第3版)

 新インフルエンザの日本上陸、神戸から関西全域、そして関東へと感染者確認が広がりつつあります。

 関西では、一斉休校になった途端にカラオケルームに生徒たちが怒涛のように押し寄せるという、これでは感染予防にまるでならないではないかという事態もニュースになりましたね。

 私の知り合いがネット上の某仮想空間で遭遇したエピソード。

 成り行きで、関西の女子中学生のたまり場スペースに入り込んでしまったら、みんなで「わーい、休校だ、休校だ!!」と踊り狂っていて、そのエネルギーに圧倒されたとか(^^;)

 インフルエンザウィルスはコンピューターウィルスに変異する可能性はないでしょうからcoldsweats01ネット上の仮想空間でたむろできることは、むしろこうした場合には、むしろ「有効な感染予防対策」であろうかとも思われます(^^;)

 高校生世代が特に感染しやすく、他方、高齢者の感染率がかなり低く、最新情報によれば、1957年より前に生まれた人には免疫抗体が存在している可能性があるということです(・・・・ギリギリで圏内に入れなかった)。タミフルをはじめとする薬の投与や配給の問題、開業医での受診拒否問題、他地域の自治体首長が、関西での教訓を生かして、特定の中核病院に患者さんが押し寄せるのではなく、軽症者は地域の開業医に分散受診し、自宅静養を促す方向へと、事前に広報上・行政指導上の対策をとりはじめるように指示をした旨会見したというニュース、新ワクチン配布の見通しについてなど、いろいろな情報や意見がネット上でも飛び交っていますが、このエントリーではそうした、すでに語り尽くされている切り口はご遠慮するとして・・・・・

 そうそう、大阪での浜崎あゆみや倖田來未や大塚愛のライブコンサートも中止になってしまったんでしたよね。すでにかなり前からライヴコンサート重視にシフトしているavex(アーティスト所属事務所と、CD制作会社と、ライブ公演興業会社がすべてavexグループの構成部分という、総合的な企業体なのである。こういう形態の会社は珍しい)、こういう時には律儀だから、感染が収まったら、同じプログラムの代替公演、今回残念な思いをした人優先でチケット準備してくれると思いますので。

 追加公演に関する現在の最新の進行状況(5/22)は、


●コンサート中止に伴うご案内(5月22日現在)(avex公式サイト)


で読めます。追加公演「最終調整」段階とのこと。

 ライブの場合、もちろん若い人が観客に多いということもありますが、実際にはその特定の狭い地域からのみ観客が集まるわけではなく、追っかけの人も少なからずいるため、実際には日本各地の人が来ているともいえます。そうなると、感染した人は日本各地にウィルスを持ち帰るわけです。更に言えば、そうした遠方組は、体力的にも無理をする強行軍を組んでいることも少なくないのではないかとも思えます。そう考えると中止もやむなしかなと思いますね。


*****


●「マスク」 新型インフルエンザで需要急増 予防効果なし!?「過剰防衛」  (msn=産経)


 この件についても、実際の感染者からの飛まつ感染の危険を押さえたり、鼻や喉、呼吸器の炎症を緩和することに効果があっても、予防効果はないので、特に日本で顕著な、マスク品薄現象は(罹患して本当に捜し求めている人には行き渡らないわけだし)無意味なものであるという意見は、すでに多くのサイトで語られています。

 中には、これもひとつの「経済需要」呼び起こしの効果があるとまで開き直った意見までありますけれども(^^;)

 私なりに思うのは、日本の、こういう時になると、ものの見事に付和雷同する集団主義のいい側面は、こうやってみんながマスクをつけて街を闊歩してくれれば、すでにほんとうに罹患しているのに、どうしても事情があって外出するしかない人たちが、白い目でみられ、心苦しい思いを味わうストレスを若干でも軽減するかもしれない????

 もとより、こうした場合に、調子が悪いなと思ったら、「新インフルエンザ」であるかないかに関係なく、できるだけ仕事や学校を早めに休む決断をして、身近な適切な医療を受診をした上で、自宅静養する早期決断であることには変わりないかと思います。


*****


 「うつ病は心の風邪」という言い方をあまり好きではない私ですが(だって、1週間でうつ病が軽快する人がいたら、うつ病とは呼ばずに済むと思うし、何年も何年も鬱に苦しみ、病院やカウンセラーめぐりをしている人の心情、まるで逆撫でしかねないから)。

 でも、こういう時は、風邪にかかった人に、欝の人にお医者さんがまずおごそかに宣言することと同じことをお勧めしたいです:

 「休んだ場合の職場への迷惑とか、あとのことを気にし過ぎず、ともかく、休みましょう!!」

と。


【第3版で追記】

 こんな記事もありますね。

●【Re:社会部】明日はわが身と思えますか(msn=産経)


==========引用はじめ==========

 「まるで黴菌(ばいきん)扱いされているようでした」

 新型インフルエンザの取材を通じて思いだすのは結核にかかった元男性患者の言葉です。

 結核は感染症法上「2類」に分類され、保健所は感染のおそれがある人をリストアップして感染しているかどうかを調べます。この際、患者の実名を明かすことはありませんが周囲の知ることになり、男性のように疎外感を感じることが少なくないようです。

 新型インフルエンザでも感染者は同様の思いを味わったのではないでしょうか。成田空港の水際対策で生徒らの感染がわかった大阪府の高校に誹謗(ひぼう)中傷が寄せられました。感染拡大を防ぐことは重要ですが。日本では極端にいえば、感染者を「病原体」と見てしまう傾向にあるように思いました。

 産経新聞も含め主要メディアは、神戸市で国内発生が今月16日に確認されてから感染者が通う学校名を報じました。

 不正確な情報で不安や風評被害を広げてはならないという判断だったのですが国はこれまでと同様、学校名を公表していません。「社会的受容ができておらず時期尚早」という考えです。

 「新型」は季節性並みという見解が示されました。明日はわが身として「共感」できるかどうか、自分自身が試されていると思うのです。(杉)

==========引用おわり==========


*****


【第2版で追記】

 次のような報道もある:

●【新型インフル】マスク着用、すべきか否か(msn=産経)


==========部分引用はじめ==========

 制服組は着用率が高い。百貨店やスーパー店員、鉄道係員などは、マスクが制服の一部と化している。通勤電車のサラリーマンにも多い。同僚の観察によると、阪急京都線における朝のラッシュ時の着用率は約8割。感染者が多く出た高校近くの駅からは、マスク組がどっと乗り込んでくるという。

 ところが産経新聞大阪本社がある大阪・ミナミの街頭を昼間に歩くと、マスク着用率は2割もあるかどうか。多くの通行人は5月の風を心地よさそうに吸い込んでいる。報道は重点的で特異現象を探しがちだから、同じ関西でも時や場所によって大きく違うことまでなかなか伝えられない。着用率の濃淡は新型インフルエンザとはまた別のテーマだ。

 欧米ではマスク着用率が低いという。8日付小欄で「マスクから日本人が見える」と書いた。またiza(イザ!)などブログにも、〈トイレットペーパー買い占めを思いだす〉〈集団心理〉など日本人の特性とマスク着用を結びつける意見が目立つ。しかし自分の目で観察ができるようになって、国民性に帰する見立てはどこまで有効なのかやや心許なくなってきた。

 米国では政府そのものがマスク着用を推奨していないという。対して日本の厚生労働省はずっとマスクの着用を呼びかけてきた。自治体や企業もそれに従って指針を立て、社員らに着用を義務づけたり促したりする。当然、強制力のある組織に属する人たちの間で着用率は高くなるはずだ。

  さて、この原稿を書いている産経新聞大阪本社編集局。見渡しても、マスク着用者は数えるほどしかいない。ここは日本なのだろか。(坂本英彰)

==========部分引用終わり==========


・・・・この人は、産経新聞の記者さんなのだろうか?(爆)


この記者さんの語る脈絡、読み取りようによっては、日本人であることよりも、自由闊達で反骨な大阪人気質の方にプライドを持っているみたいで、何かエールを送りたい気もする(^^) 


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2009/04/16

コードネームは「なでしこ」

 現在鋭意ロビー活動と準備を進めている、カウンセラーこういちろうの故郷久留米での経済環境の抜本的安定のための改善計画における「最後の切り札」として、秘密裏に奨められている、「コロンブスの卵」的なアイデアに基づく、堅実な新業務計画に、このネーミングを冠することにした。

 別に、フォーカシングを活用して、女子サッカー選手の心身のストレスと緊張をほぐし、集中力を高めることで、コーチとして副収入を得ようという計画ではない(^^;)

 このコードネームに基づいてなされる機密プロジェクトには、2つの具体的な実行プログラムが含まれている。

指令1. 私が子供時代に住んでいた旧宅を活用した、現在の開業カウンセリングルームには、猫の額ほどの広さではあるが、住居南側にがある。

 昨年帰郷してから冬を迎えるまでは、せいぜい雑草を抜く程度の手入れしかできず、おかげで、むき出しになった、結構肥沃な地面の土砂が雨が降るたびに流れ出し、溝を埋めてしまい、今度はそうやって埋まった溝から再び土砂を浚(さら)い出すといういたちごっこを繰り返すのみであった。

 そこで、花屋さんと相談して、今年は、その庭の地面一面に、多年草であるなでしこを栽培し、雑草の繁茂を抑止し、私やクライエントさんの目を、わずかなりとも安らがせることを期待することにした。


指令2.  現段階ではまだ具体的な公表の段階ではないので守秘するが、なでしこの間に大麻草が植わっていたり、地中で人工衛星と偽って弾道ミサイルを栽培しているのではないことだけは保障できる(^^) 

 ......しかし、これはやはり一種の「土壌改良を伴う栽培計画」であるとは思われる。.



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2009/04/13

にほんじんは、せんそうのしかたをしらない? (第7版)

(のっけから、雑記帳恒例の、挑発的な一言)

 日本人は、どうも殖産興業のあり方についても、未だに高度経済成長時代の計画の歪みと戦い続けている。

 だが、九州自動車道の久留米ICに隣接する東合川地域の総合開発事業の一環としての、「ゆめタウン久留米」を中心センターとする商業コンプレックスは、旧市街地から車で数分、筑後川堤防沿いの水田地帯の広大な敷地に、九州でも最大級の一大ショッピングモールを建設するという計画であった。

K3100039_2

 それは幸いにして、久留米では大成功をおさめた。シネコンプレックスや大ゲームセンターなど、久留米の若者の娯楽の中心そのものを旧市街から大移転させることにまんまと成功、今や中学生ですら、久留米市内の市街地を徘徊しない。福岡県南半分、筑後地区最大の商業・娯楽施設群である。

 九州内の全鉄道駅で乗降客数第5位を誇る西鉄久留米駅からは、夜23時まで毎時最低3本、休日には日中毎時6本のシャトルバスによるピストン輸送体制があるので、中学生でも比較的健全に近場で娯楽やショッピングを楽しめる体制が整っているわけである。

Nishitetsukurume西鉄久留米駅西口

K3100116
↑だが、そのぶん、明治通りを中心とする、西鉄久留米駅とJR久留米駅の間の旧市街地の地盤沈下は進み、創業80年を誇った、久留米井筒屋(旧旭屋デパート)は、今年2月でついに閉店となった(地図参照)。


大きな地図で見る

 2年後に迫ったJR久留米駅への九州新幹線の開通に関しても、JR駅のごく周辺部での、博多駅までわずか12分という、福岡市の衛星都市化を見越しての高層マンションの建設ラッシュが進むばかりであり、商業圏としての明治通りルート(旧東西ルート)は見捨てられたかのようである。

S35meijistreet
↑昭和35年の明治通り、西鉄久留米駅側から西=旧国鉄久留米駅方面に向けての眺望。一番奥に見える中層のビルが当時の久留米井筒屋デパート。

大砲ラーメン本店に設置のチラシより転載)

 このままでは、明治通りルート(旧東西ルート)に抜本的な対策が取られないまま、旧市街地北郊外の、櫛原バイパス-久留米東バイパスを通って、

「JR久留米駅-久留米大学医学部-百年公園-ゆめタウン-久留米IC」

という「新」東西ルートを通しての、マイカー利用中心の商業圏(このルートを貫通する公共バス路線もできそうにない)がこのまま確立しそうなことに危機感を抱く市民はたいへん多いはずである。

K3100089_2
↑久留米東バイパス・百年公園前陸橋より、東側、ゆめタウン久留米・久留米IC方面を臨む。遠くに見える山は高良(こうら)山。


 日本はほんとうに、群馬県みたいに、アメリカ的な車社会=郊外型ショッピングモール中心社会になっていいのか?

 神奈川県大船時代には考えられなかったのは、私のカウンセリングルームにおいでになるクライエントさんのほとんどがクルマでしかおいでにならないということだ。福岡市からでも、鹿児島県からですら!! 

Kfcmap1a

 それはさておき。

 西鉄久留米駅、岩田屋側の新しい東口から国道3号線沿いに南に広がる諏訪野町にかけての一帯は、以前から税務署、ハローワーク、旧久留米市公会堂など、筑後地区のさまざまな官公庁が軒を連ね、古くからの学校の跡地も連ねる(?)一角であったが、そこに忽然と建設された、巨大総合公共施設が、「えーるピア久留米」である。

K3100037_2

 この施設は、ひろびろした立派なエントランスを持ち、

* 生涯学習センター
* 男女平等推進センター
* 人権啓発センター
* 消費生活センター

が置かれている。

 付言すれば、「男女平等推進センター」とは、DVやモラハラやストーカーなどの諸問題についての筑後・久留米地区の公的な相談窓口の中心であり、「消費者センター」とは、ネット詐欺や通販・キャッチセールス等の解約問題・それに伴う借金問題と関連する、同地区の公的な相談窓口の中心である。

****

 繰り返します。

 必要なのは、実は戦争の技術でも訓練でも、老獪な外交でもありません!!

地域における「殖産興業」と「失業者対策」、
更には、「田地開発」と「潅漑・治水」、
年貢や租税の厳密な管理、
 「観光事業」(この記事も久留米の宣伝!!)、
そして「○○○○」に貢献した者のみ、
真のよき領主となるのである!!

 「天地人」で脚光を浴びた直江兼続真の功績は、実はそのあたりにこそあるのである。

 それが兼続の主君(米沢上杉家)の遠縁ともいえる、吉良上野介の、領地三河国幡豆郡での評価と類似していることを知る人も少なくないかと思う。

 もっとも、米沢上杉家にとって吉良は、上杉鷹山による藩政改革までは米沢藩の藩財政を窮乏させる要因のひとつであり、むしろこの三河の領地でのみの評判は、一種の「判官びいき」では?という見解がwikipediaには紹介されているが。

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2008/09/24

昨日からにほんブログ村に参加しています。どうかよろしく!!(第2版)

 すでにお気づきの方もあるかもしれませんが、やっと昨日午後から参加しています。

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 私のプロフィールはこちらです。


 《2008/9/25 19:08更新》

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です(^^)

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2008/03/05

「現役カウンセラー・キャリアアップ講座」開始遅れていてすみません

 3月3日(月)開始のはずがまたもやずれ込んでしまっていて、もうしわけございません  m(__ __)m

 この試み、ともかく、

「カウンセリング技法を学び、事例検討を重ねるだけではカウンセラーはやっていけない」

「現場に出てキャリアアップできるかどうかは、実は狭い意味での心理療法専門家としての専門技能向上以外の領域でのスキルアップや情報収集力向上の姿勢で勝負を分ける」

というモットーを掲げ、カウンセラーをはじめとする援助職の現場の最前線にある皆様のホンネの悩みにアドバイスするという、ほとんど「灯台もと暗し」的なニッチジャンルへの果敢な挑戦という側面があります。
 
 書きたい内容は山のようにあるのですが、それをどのように提示するとeラーニングにふさわしく、わかりやすくて効果的になるかという点での、書いては消しの試行錯誤が泥沼にはまり、更に花粉症の季節を迎えて、身体の痛みと集中力の低下に現在苦しんでいるところです(^^;)
 
 その泥沼の試行錯誤の煮詰まりに開き直りができ、今度こそ形にしてしまえそうな予感はしています。

 私にとって、このブログやセーイチさんのブログでのように、即興と勢いで、気分のおもむくま一丁上がりと書き上げるのではないまとめた文章でA4数十ページ分はかちっと書くのは、5年以上のブランクがあります。

 そういう文章となると、実は私でもプレッシャーの固まりになるのですね。

 現場カウンセラーとして自分を特化する間に、1時間の間、最大限の集中力を維持して、即興かつ臨機応変に(もちろん過去の専門性の蓄積の上に立ってです)予想外に変動する事態に対処するスキルは上がったのですが、長い文章として固定的にまとめる執念の方は、若い頃ほどの執着心が薄らいでいるのをしみじみ感じています。

 その日、港に上がったばかりの魚を、過去の経験を総動員して一気に「活(い)き作り」するのが、私の性に会っているようです。

   「刺し身職人」

・・・・・かつて、私の大事な人から言われた言葉ですが。


******


 いずれにしても、これらはすべて「言い訳」じみてしか響かない。

 ともかく、現在の私の「事業」のなかで、唯一、見返りが具体的に形に表れて期待できる試みですので、そんなに延期してばかりはいられません!!


 BGMは、まだ親父が若く、貧しかった時代、子供の私が憧れたドラマの主題歌。
 私のカラオケの隠し球なんですが(^^)
 もう一曲の隠し球は、西郷輝彦の「星のフラメンコ」


●Japan 1960-1970 Pt.26 これが青春だ(youTube)
青い三角定規 - エッセンシャル・ベスト/青い三角定規 - これが青春だ(←こちらは布施明ではなくて青い三角定規のカバーです)


 ハングリーさを己れにかき立てようとするこういちろうであった。
 (実際にすでにhungryという噂もある)

 そうなると旧「ヤダモン」のエンディングも追加したいところだが、古い方の「ヤダモン」がYoutubeで発見できなかったので(^^;)

 .....わかる人にはわかるよね。この、新旧「ヤダモン」の、あまりにも明白な違い(爆)

Yadamon「ちびっこ怪獣ヤダモン」のことを言っているのです(^^;)

2008/01/13

踊る初音ミク

 「彼女」については、私はYouTubeで時々拝見するぐらいですが(^^)

 ほんとに、うまいバランスで声が作られて、もとい、「歌って」いると思います。

 製作者はロケ★スタさんです。

 この方のサイトからダウンロードのこと!!

 恒例、ゆみっちょん♪さんのブログでの紹介より。

2007/03/01

ほどよい「違和感」こそ宝となる

 これもまた、なぜかこのブログでご紹介しないままになっていた話題のひとつなんですけど。

 昨年の10月に放送されたNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、株式会社ウィズ社長の横井昭裕さんが登場した回を、テレビ番組を普段はほとんど観ない私が、DVDを観た後に画面で偶然始まったまま、おもしろくてしっかり最後まで見通してしまったことがあるのです。

 これから書くことは「たまごっち」をはじめとするヒット商品企画の仕掛け人として著名なこの方についてご存じの皆様には衆知の「伝説的」事柄かもしれないけど、きっと、ポイントのとらえ方に私なりのものもあると思うので、書いてみましょう。

******

 実際にある新しい商品の企画を進める段階で、その商品の「デザイン」として3つの案が出された時の、社長、横井さんの対応がおもしろかったのです。

 30名近い社員に「人気投票」をさせた。すると、票は20名人近い社員が得票したC案にかたまった。これは、いかにも最近のアニメキャラじみた顔のデザインになっていたものでした。

 ところが、横井さんはそれにもかかわらず、得票者の少なかったA案で前に進めることを社員にアピールしていくわけです。

 それは、単にそのA案を「横井さん自身が」が好んだなどという次元でのことではありません。横井さんもそれらの中のどれが売れるかわからない、だからスタッフのアンケートを採った。

 では、なぜ同じ少数派のB案は退け、A案を推したのか。

 B案の支持をする人の中には、熱烈に支持する人はいなかった。ところが、A案を推した社員の中に、2人、A案を非常に熱烈に支持した社員がいたから...ということでした。

 確か次のようなことを横井さんは取材スタッフに語ります。

 「ヒット商品というのは、誰にとっても「無難に」好印象を与える商品であることは実は少ないんですよ。むしろ、大半の人の第一印象としては多少「違和感」を覚えさせるくらいのものが多い。熱烈な支持者がスタッフの中に少数ながらいた、まさにこうしたラインの商品ががむしろ有望なんです。どこかに少しトゲがあるくらいの商品の方が、実際には大ヒットに結びつくことが少なくないのだ」

と。

 最初に紹介したNHKのホームページの資料には「トゲ」という業現はあっても、私の耳に最初耳に響いて来た「違和感」という言葉は載っていません。この回の録画は残してないのではっきり確認できませんが。

 もちろん、違和感があるので全く売れなかった商品も一方にはあると思います。でも、考えてみれば、「無難なライン」を狙って、最初からかなりの投資をして製品のストックを作り、広告に力を入れても、結局それらの投資を差し引くと、期待したほどの儲けにはならない......で、「ま、商売なんてこんなものだよ」......それを繰り返すうちにその会社はじり貧になる.....なんていうことは珍しいことではないでしょう。

  
 「猫ニャンぼー」「プリモプエル」など、横井さんのヒット企画商品は、ある意味で高級感あふれる本格的な大型商品でないものが多いと言うことはあるかもしれません。つまり、一度ブームに乗ったら、大車輪で大量生産にも持ち込める性質のものが多いとは言えるのかもしれない。


****


 もっとも「最大公約数の人には当初は違和感があったのに、その頃の歴史や記憶は忘れ去られているだけ(爆)一度大衆的な下からの人気が支え始めると、いつのまにかその商品のセンスの方が時代のスタンダードになっていた......なーんてことは、例えば後に時代の寵児となった俳優さんでも、歌手でも、映画でも、お笑い芸人の人たちでも、よくあることではないでしょうか。

 だから、その人物や商品が登場した「当初の」批評なんかでは、批判的意見ばかりを実はあの大御所評論家も書いていた.....なーんていう例は、資料を発掘すればいくらでも出てくるわけですよね。

 「熱狂的賛辞」をごく一部の無名な評論家だけがしていて、今度は、気がついてみたら、その評論家そのものが10年後には大物になっていた......みたいなことすらある。

 私の趣味の畑で言えば、クラシック音楽の世界では、初演の直後はさんざんな批評だった(ひどいのになると、初演時の批評そのものが歴史的資料としてほとんど入手しがたい、なんていう例は山のようにあるわけですね。

 ベートーヴェンの「英雄」交響曲「合唱」交響曲についての初演の時点での新聞批評なんて、言いたい放題にへんちくりんな音楽としてけなされています。

 それどころか、「2曲とも同じ日に初演された」というのが信じがたい「運命」「田園」
に至っては、初演時の批評家の発言の歴史的記録そのものがほとんどない。
 
 映画の世界とかも似た面がなきにしもあらずで、鳴り物入りで宣伝され、直後に大ヒットした映画に限って、意外と忘れ去られるのも早い。

*****

 最近何かと話題の森進一さんは、デビューの直前は「な、なんだ、こんな声の奴!!」という形であしらっていた当時の音楽業界の大御所もいたとのこと。

私は父親が完璧な森進一の同時代ファンで、デビュー曲からちゃんと同時代的に親は買っていました(和田アキ子の「デビューシングル」とかも実家にはちゃんとあるのだ。歌えますよ。おかげで私は)。

 でも、森さんの曲の多くって、森さんの「あの声」と一体化しているから名曲なんであって、実は素人がカラオケで歌っても、あるいは他の演歌歌手がカバーして歌っても、「あの味」は全然出ない。

 「襟裳岬」なんかも、吉田拓郎のオリジナルアルバムとして出ていただけだったら、少なくともここまである世代以上の人にとって、究極の「歌謡曲の名曲」としての扱いを受けているだろうか?

森進一は、実は偉大なる「異端の」演歌歌手なんである!!

 今回の「おふくろさん」事件については、ある意味で、どこかの、ネットであとになって「内弁慶」的に声を上げることしかできなかった「誰かさん」に比べると(自分の曲とファンを愛していて、パクってない自信ががあるなら、最初から堂々としてなさい)比較にならないほど「大人」ですね。

 最初はこの歌はもはや「自分の」歌、というプライドを、奥さんと別れた後という、ただでさえ世間にいろいろ言われかねないタイミングに堂々と言ってのけ。今度はその後は、2回も自分から「アポなしで」遠路作曲者を訪問して謝罪しようとして、相手が留守だったとしても、「お会いできなくても、こうやって2回謝罪にうかがったということで私の気持ちはお伝えしていることになりますから」と言ってのけられるなんて、ある意味では大人の態度を一貫しつつも、かっこいいと思う。本当のプライドとは、こういうことをいうのである。

 坂本九さんの「上を向いて歩こう」なんて、実際に録音の場面になったら、彼が楽譜と全然うリズムで歌い出して、作曲家を激怒させたらしいですしね.。

つまり、作曲家(中村八大さんでしたかね)は

「うーえをむーいて、あーるこおおお」

と譜面に書いてたのに、のっけから坂本九は

「(八分休符)うんえんうぉんむーふぅーいんてん、...っあーーるっこーうぉんうぉんうぉん」

(それだけ、当時の坂本九が、当時の洋楽やジャズのリズム・パターンに首まで浸かっていたことに、新人時代から自負があったということでしょう)

とレコーディングのリハーサルで歌い出したらしい(^^)
 

 こうして、日本の歌で、恐らく現在も、これからも、日本で、世界で果てしなくカバーバージョンを生み出し続けるであろう
、永遠の名曲は産声を上げた。


 *****

●こちらの記事も参照


イノベーティブワン~横井昭裕 氏(株式会社ウィズ 代表取締役社長)

****

※なお、「たまごっち」も育てゲーとも言えるという観点から、強引に関連づけますと、私が唯一、2時間あればノーセーブで自由自在なエンディングに導ける域に達していた「熟練」ゲームだったのが「卒業」です(^^)。「プリンセスメーカー」にはそこまではまらなかったあたりが私の性格が反映していたのか。

さすがにオリジナルはもう出ていないみたいなので、"Next Generation"のほうをを掲げておきます(^^;)

あと、オリジナルの復刻版の中古も見つけたので。

......そうか、私って、「ハーレム」落ちだけは達成できないままだった....5人とも結婚させたり、5人とも国大合格はいとも簡単にやれましたが。

 ああ、あの頃は中本静のファンだった私.....

 「タカビー」という言葉をこのゲームで知りました(^^)

トイザらス・オンラインショッピング"

2006/11/14

フォーカシングへの誤解を解く(?) その2

これはクラシック音楽の何かの雑誌で読んだことだと思うのですが、

 特にある程度年長になってバイオリンの持ち方を教えてもらい、弓を弦の上に運ぼうとした時、そもそも「弓を弦に吸い付けたまま」ボウイング(弓の上げ下げ)をするということそのものが、こんなにも難しいものかと感じた方は少なくないかと思います。

 ギターはこの点有利です。ポロンと音を鳴らしてみるだけなら、抱え方すら知らなくたって誰でもできる。いじくってるうちに、同じ音が違う弦だとどのポジションを押さえればいいかも、そこそこきちんと調律されていれば、いじっているうちにわかる。オクターブだとか、ドミソの協和音とかも、自己流で鳴らせる。「調律されていない」と、違う弦で同じ音を鳴らしたつもりでも、「音がうなる」という、貴重な体験もできる。

 そして、違う弦で同じ音を鳴らすと、響きが実は異なる(倍音成分が異なるから)ことにも気がつくし、

つま弾く部分をネック寄りにするだけで音色が変わるのもわかる。

 不協和音でいいからジャラジャラ鳴らしてみると、何となくギターを弾いて音楽をやっている気分になれる(^^;)

 中には、純粋に自分で試行錯誤する中で、5本の弦の全く自己流の調弦の仕方すら身につけ、全く何も教本を見ない独学で、伴奏でコードをジャラジャラ鳴らして歌の伴奏にする境地までたどり着いた、という方も決して稀ではないと思います。

 ピアノには、この、「音色の多様性を楽しむ」という側面があまりない。

 だから、何が弾けるかというと、フォークギターでコード伴奏するくらいなら何とか.....という人が、ピアノやバイオリンより、「人口比的にずっと多い」のだと思います(^^)

 バイオリンに至っては、ギターには当然ある「フレット」がないから、取りあえず正確な音程を出すだけで、実は、高度な能力が必要とされる。

 もとよりバイオリンの、この音程のアナログ的なコントロールの自在さは、人間の声と同じように微妙な音程の変化や、ヴィブラート、そして、ほんとはピアノのような「平均律」の楽器だと微妙に濁ってしまう和音の「純正な」響きを生み出すのにも役立つ。


*****


...で、そのバイオリンを学ぶ時、ヨーロッパでは、ボウイング(弓の上げ下げ)ができるようになった段階で、石造りの残響(エコー)の多いドームとかに連れ出して、まずは自分の弾くバイオリンの「響きの快感」に十分浸らせる教育がよく取られるとのこと。

 同じことは、もちろん声楽でもギターでもピアノでも応用できるわけですが。

 要するに、「お風呂場の名歌手」ないし「カラオケのエコーの快感」状態に置くわけですね。

 学校なら階段の踊り場とか、体育館とかが、うってつけの空間でしょう。

でも、日本にはそういうエコー成分の豊富な空間がなかなかない。

 石造りの建物の中で育まれた西洋楽器の勉強の初歩はまずそこでつまづくわけです。

 もちろん、本格的に練習を始めたら、かなり響きの薄い「デッド」な部屋の方が、厳密な練習には向いているでしょうが。

 ヨーロッパなら、素人であっても、幼児期に「教会堂の響き」の中で聖歌隊の歌声を聴いた瞬間の恍惚感ことが、その音楽家の音楽を志すきっかけだったというような話はいくらでもあるでしょう。

 少なくともフランスの、最後までピアノが弾けなかった、管弦楽法の大家、「幻想交響曲」が一番著名なベルリオーズの「回想録」には出てくる話です。これが音楽家の家系で全然はないベルリオーズがフランスの片田舎から音楽家になる夢を執念深く(この人の場合、どうしてもそういいたくなります)持ち続ける決定的な出会いだったんですね。

*****


 で、私がなぜこんな前口上を述べたのかといいますと、


 フォーカシングにまず最初に関心をもってもらうためには、

 フォーカシングの「出会い」そのものが「心地よい」体験となり、

 「あの」体験を自分でも繰り返し味わえるようになりたい!!


 という「誘惑」のための「動機付け」が必要だ
と思うのですよ。


******


 この点で、フォーカシングとの出会いがワークショップ形式というのは、必ずしもふさわしくはないのではないかと私は感じています。

 自分がやってることがこれでいいのかどうかよくわからん。

 他の参加者の人の中には、何か知らんけど「感動的な」体験をしている人もあるようだ。自分にはなぜそれができない?

 そもそもワークショップにはじめて参加する人って、フォーカシングであろうとなかろうと、何らかの意味で「劣等感」に敏感な人が多いわけではないですか!!

 ということは、一回目のフォーカシングセッションは、フォーカサーにとって「素晴らしい体験」になるように、「個別に」徹底的にサポートするガイディングで一向かまわないのではないかと思います!!

 これは、決して「無理矢理にシフトに持ち込む」ために策を弄する」というのとは実は正反対のことだということに、最近の私はやっと気がついてきました。

 私にとっては、フォーカシングの初心者の方との出会いのセッションぐらい「胸ときめかせる」ものはありません(断言!!)

 むしろ、フォーカシングに関心を抱いて「くださった」方に、極論すれば、最初に申し込みの電話でやりとりする時点から、いかに私への信頼感をいだいていただけるような、自由に振る舞ってもらえるような「関係づくり」がはじまるのです。

 「もし道にお迷いでしたら、いつでも携帯で電話してくださいね。誘導しますから」

 この段階で、私は

「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム・ワールド」

というべき、私がその場に関して誰にも第3者に気兼ねしなくていい空間を、「その」おいで下さる方のためにしつらえさせていただくことをはじめているわけですね。

 最近、結構大事なのは、実際に「セッション」を始める前にブレイクタイムをはさむことだと気がつきました。

 今ぐらいの季節の昼間なら、関東は、冷暖房なしぐらいでちょうどいいのですが、私は、何となく窓を開けて空気を入れ換えたくなったりします。

 すると、その時にトイレに立ったり、ベランダの外の景色をちょっと眺めたくなる方って、いたりするわけです(^^;)

 そして、そういう方の多くに、最初のセッション1回目から

「フォーカシングってbeautiful !!」

と感じていただける体験をしていただけることを目指して、日々研鑽を積んでおります。

そうでないと、そのあと興味が続きますか?

(英語には「スゴイ」という意味で"beautiful"を使うことが多いというのは、今、たいへんお忙しい境遇にあられるはず高橋祥友先生の、本業ではない名著、「英語力を身につける」で知ったことです)



 そうなればフォーカシングの本を「関心を持って」読んでもらえる(再読してもらえる)ことにもなる。特にアンの本には、私の実際のセッションと符合する内容は「体験してはじめて『読めて』くる」形でたくさん出てきます。



ところが、2回目からはしばらく普通のカウンセリングを望まれる方もある。それもよし!!

2,3回の体験の時点で、早くも

「フォーカシングのトレーナーになりたい」
「カウンセリングにに生かしたい」

と言い出す人には、あっさりと

「じゃ、フォーカサーとしての私のリスナーなってみること、試してみる? .....大丈夫。どうリスニングや教示をすればいいかは私が同時進行で教えていくから」

と、"Focuser as Teacher"体験をしてもらったりします。


そして、私は、言葉の端々に、

「実は、フォーカシングはひとりでもできるようになれる」

ということを、さりげなく含めていくわけですね!!


最近思いついた言葉で気に入ってるのが、


「フォーカシングはあなたの『私有財産』のはずです」


 先日の人間性心理学会第25回大会ののシンポジウムで、シンポジストとのひとりの山折哲雄先生がいわれたことで、不思議と気に入ったのは、

親鸞......だったと記憶してましたけど、今ネットでうろ覚えを検索したら、あっさり見つかりました。


「彌陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」


ここでこの言葉を引き合いに出すのが適切かどうかわかりませんけど。


カウンセラーなど、援助職の方には、

「そして、ひとりでもできるようになると、例えば現場臨床でどの程度、どのように活用できるかのヒントは、あなたのこれまでのカウンセラーとしての経験や知識がみんな生きる形で、自然とあなたなりに見つけられるはずです」

という、何とも「無責任な」メッセージをさりげなく含めたりします。

すると、「こんなフォーカシングをやってみた」という、

「ひとりフォーカシング日記」を、全く「自発的に」持ってくる人まで現れる。

私は別にそういうやり方をはっきり勧めてすらいないのに。

こっちから勧めたら、きっと、私への「優等生」なことしか書いてきませんものね。

それじゃ、「その人の」フォーカシングにはなりませんから。

 
******


 ジェンドリンが、「フォーカシング指向心理療法」で、「フォーカサーの運転席を乗っ取ってはならない」というのはもっともなことです。

 いつまでも、ガイドの手取り足取りの教示によってフォーカサーの体験をすることを求めるようなあり方に留まるのは確かに善くないかもしれない。



 (でも、そういう受け身のフォーカシング体験が本人にとって、厳しい日常のストレスから解放されるかけがえのない場だとすれば、それを繰り返し求める人の「権利」を否定することはないとすら思います。たとえその人の日常が何も変化しなくても。日常とフォーカシングを学ぶ場のギャップに「本人が」苦痛を感じないのなら!!)

******


「ひとりでフォーカシングする」ということのために、特別な時間とコンディションを整えねばならない人もいます。

例えば、家族が家にいると、できないという人は結構多いでしょう。

家族が全員、家から外出していても、家の「雰囲気」そのものに縛られるという人もあるかも。

私はそういうベストコンディションが来るまで、フェルトセンスを2日も3日も心の片隅に「キープ」することすら習熟しました。そしたら必ず、

「いい加減で『私』の相手をしろ!!」

と「フェルトセンス」ゴネまくって、となりで他の人が寝ていようが、電車の中だろうが、フェルトセンスからの「脅し」に屈して、ありあわせの状況下でフォーカシングする「芸当」も身につけました。

 フェルトセンスがホントに私に相手をしてもらいたがっているその「瞬間」こそ、フォーカシングの絶好のチャンスということですね。


******


 更にいうと、わざわざフォーカシングのための時間をとらないまま、生活それ自体の最中で、自分のフェルトセンスを「絶えざるセンサーにして」生活する、という次元が可能ということです。

例えば買い物の際にどこの売り場をどのようにまわるか。
その品物を買うか、買うのを延期するか?
それどころか、すでに相当なじんだ大船の町の「どの街路を通るか」

みーんな、フェルトセンスの御宣託任せなわけですね。


A:「今日は疲れているからタクシーを使いたいよう」

わかったわかった。

B:「でも倹約すべきである!!」

わかったわかった。

C:「明日も同じ場所に行く。2回ともタクシーは避けて、その時ホントに疲れていたらタクシーに乗る、というのでどうか?」

わかったわかった。

D:「おい、そんなもの買ったらまた太るぞ」

わかったわかった。


 フェルトセンスからではなくて、「内なる批評家」やら「内なる無精君」やら「内なるええかっこしい」やら、

自分へとふリ注ぐいろんな「内なるささやき」をかたっぱしからacknowledgeして(認めてあげて)いく。


E:「あなたは今ここでアイスクリームひとつを食べてしまうことに本当は罪悪感を感じているだろ」

......おっしゃるっとおり。ほんとはそんなに食べたいとすら感じてないのに食べてます。

私は、今、単なる「批評家の声」ではなく、フェルトセンスに「逆らった」ことをやっているとしか思えない「違和感」を感じています。


E:「わかったわかった」



 この前も書きましたが、人は、フェルトセンスに従わ「ない」自由も持っている!!

これこそ「フォーカシング三昧(ざんまい)」を生きる極意である!!


「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」



wikipediaの「親鸞」の項にある解説を読む限り、


フェルトセンスに従って「いない」自分を「自覚」できている人間は、フェルトセンスに触れないまま自分は善をなしていると信じている人間よりはましなのではないか?.... と理解したら、親鸞がこの言葉に込めようとした「逆説」にも一致するのではなかろうか??


********


「親鸞は弟子一人ももたずさふらう。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念佛をまふさせさふらはゞこそ、弟子にてもさふらはめ。彌陀の御もよほしにあづかつて念佛まふしさふらうふひとを、わが弟子とまふすこと、きはめたる荒涼のことなり。」

こちらの文は、私の古文の力量でも、何の解説なしにもわかります(^^)

ほんとうは、フォーカシングとその人の出会いが、こうであって欲しいと念じている、私がいることを。


「彌陀の御もよほしにあづかつて」フォーカシングと出会わせていただいた、という思いが、私の中に基本的にあるみたいです。

 だから、私のフェルトセンスそのものは、フォーカシングを他人を説得してでも普及させることには基本的に嫌悪感があります(^^;)

*****

 先日、これまた人間性心理学会で、池見陽先生とアン先生の「フォーカシングと言語」と題する素敵な対談がありました。

 discussionに入って、いったい池見先生とアン先生の、どのやりとりから"inspire"されて(霊感を吹き込まれて)フロアから発言する気になったのかすら忘れてしまいましたが、


> 「ジェンドリンは、『フォーカシング』の中で、
>
> ぴったりなコトバがなかなか浮かび上がってこないようなフェルトセンスが生じてきたら、それはむしろ歓迎されるべきである
>
> というようなことを述べていた。
>
> そういう時に、焦ることなく、
> 心の中のスペースを大事にして、
> 新鮮な『言葉』が
> おのずから立ち現れてくるのを
> じっくりと待てるということは、
>
> 新たな『状況』が
>  おのずから生じてくるのを
>  じっくりと待てることと同じことだと思う」

と、自分でも、口にしてからびっくりするような、思いよらないことを口にしていたのです。

 思い浮かんでから発言し終わるまで3,40秒だった気がします。


 「言葉」が思い浮かぶことと、「状況」が生じることは、全く別次元のことの筈ではないか!!

 .....でも、なぜか自分でも気に入って、メモしておいたのです。

 ........この発想なんて、ある意味では「他力本願」そのものではないか?....とさっき気づいたのですが、いかがでしょう?

*****

 何か、前半と後半で、全く矛盾すること書いてるとお思いかもしれませんが、私の思いはひとつです。

 フォーカシングを「お勉強」から解放したいということ!!


「三昧」ないし、"playing"の領域ということです。

それと「真剣さ」「厳粛さ」は両立します。

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