水戸

2009/09/03

「カウンセラーこういちろうの雑記帳」の主要過去記事を一番簡単に一覧するには

 このブログって、すでに創設4年9ヶ月、過去のエントリー記事総数が、「この」記事で1,914本め、なのに一日あたりの新エントリー、平均1.10本以上を現在も維持、しかも長文が多いという、へヴィー級ブログです。

 おかげで、もはや@ニフティココログが割り振ってくれているサーバー負荷が相当なものになっているせいか、

  • 私の方からトラックバックを送ることがもはや機能しない
  • pingも自動では飛ばせない(その割には随分多くの読者の皆様が、新記事アップ直後においでいただけることを幸いだと感じています)
  • カテゴリーにすべての記事が反映しない(カテゴリーによっては300から400エントリー分表示されようとするわけで)

・・・・・という、新しくおいでいただいた読者泣かせのブログになっていると思います m(_ _;)m

****

 もちろん、バックナンバー全体を表示してくれる、『アーカイヴ』ページ(自身がココログユーザー以外の読者の皆様、お気づきでしたか??? 右フレームの「バックナンバー」という文字そのものをクリックするとたどり着けます)というものも、あるにはあるわけです。

 しかし、このページにお行きになっていただいたとしても、過去の個々のエントリー記事のタイトル一覧があるわけですらない

 このページからの「〇年〇月」を全部めくっていただくだけでも(全く休眠した数ヶ月を除いても、現在50か月分ほどあるわけですね(^^;)。その50ヶ月分、それぞれ月ごとに、毎月30から40エントリーずつはあるわけですから・・・・・

 つまり、私がこのサイトでこれまで書いてきた主要記事がどんなものか、新しい読者の皆さんにおおよその見当をつけていただくには、もうデタラメにご不便をおかけしていることと思います   il||li _| ̄|○ il||li

*****

 この問題を一気に解決し、

  • 新記事の方が上に来る形で、
  • 過去の記事に関しては私がある程度絞り込んでセレクトしたものを、
  • 数百記事ばかり、1ページをスクロールできる形で
  • ブログのような表示の重さがない形で一覧したいただける

そういうページが、実はずっと以前から存在します!!

●阿世賀浩一郎のホームページ/index

 開設1995年12月(つまりWindows95発売直後)開設、日本において、インターネットで個人サイトを作ることが本格的に普及し始めた黎明期から、何と基本的なデザインを変えないまま運営し続けているサイトです。

 かつては、ネットを代表するエヴァ・サイトのひとつ、「エヴァンゲリオン論考」で著名だった時代もありますけど、幸いにして著作化させてもいただきましたので、そのコーナーは全面削除いたしておりますが(「ちーちゃんの部屋」というアニメコーナーがかつて存在したことを覚えておられる方もあると嬉しかったりして ^^;)・・・・

そのトップページから、このブログでの新エントリー記事を書く度ごとに、固定リンクへのリンクを、たいてい速攻の連続作業でお貼りしてもいるのです。

 恐らく、皆様のRSSリーダーに反映するスピードの比ではない「即時性」で「新着情報」が掲載され続けています。

 同一エントリー記事の更新(改版)情報すら、可能な限り早くお伝えしています。

 

そこに並んでいる、当ブログ個別記事へのリンク数は、常時数百あるはずです(古いものから時々、精選のための「ダイエット」をかけますので、一定数以上には増えません)。

 しかし、敢えて今でも、基本的には「素朴なhtml言語の手打ち」に依存し、javaスクリプトすらないに等しいということで、このトップページそのもののバイト数の多さの割には、表示が圧倒的に軽い筈です(このブログのトップページを表示するよりは軽いと思いますよ)

 
当方のアクセス解析によって、「こっちのページで新着情報見つけるほうが手っ取り早い」ことにお気づきの、毎日数名以上の固定ユーザーの方がおられることは掌握しています(感謝!!)。

 しかし、そうした方の占める比率が以前よりもかなり減っているようにも思いましたので、改めてご紹介させていただきました。

 

今後とも、「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしくお願い申し上げます。

blogram投票ボタン
ブログランキング・にほんブログ村へ
人気ブログランキングへ
携帯アクセス<br /><a href=ビジネスブログランキング
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 心理カウンセリングへ
にほんブログ村 音楽ブログ 女性ミュージシャン応援へ
にほんブログ村 ニュースブログ ニュース批評へ

 

2006/06/22

いかに「外部」の人たちにフォーカシングを広めるか

 自分で言うのも恐縮ですが、前回の記事をお読みいただくと、長年、日本でフォーカシングを学んだり、教えたりしてきた皆様も、この記事が、いかに「オーソドックスな」フォーカシングの教え方についての解説であるかはお認めいただけると思います。

 私は日本的なムラ社会、集団主義にはなじめない人間です。

 率直に言って、そういう日本的な風土が、フォーカシングを教えたり学んだりしている皆様を、フォーカシングの世界の中だけで(更に細分化された)「ムラ社会」を作って自足してしまう弊害にたいへんな危惧を抱いてきました。

 昨年、トロントのフォーカシングI国際会議に出席させていただいて、強烈に感じたのは、欧米や中南米、イスラエルのフォーカシング関係者の、人間的なスケールの大きさとオープンな暖かさが、日本とはまるで異次元のスケールを持つということでした。

 それに比べたら、日本のフォーカシングは、何と「チマチマ」したものにとどまっていることか!!

 こんなことだから、日本のカウンセラーの間では、フォーカシングとはたいしたことがないかのように、実は深いところまで知りもしない半可通のままで「なめられる」のだ!!

 私は、完全な独立開業ですから、学閥とか学会の政治的問題に振り回されなくていいし、すでにフォーカシングの国際資格としては、「コーディネータ」という、「資格認定資格者」という、世界でも100名あまりの人だけが持つ、最上の資格をいただいておりますから、もはや業績作りに窮々とする必要は全くありません。

 ただ、「食って行ける」だけの数のクライエントさんフォーカシングを学びたい皆様スーパービジョンを受けたいカウンセラーの方々に来ていただき、しかもそれがそれぞれの皆様のお役に立っている実感を感じていただける援助となれば、職業人としては、特に何もいりません。

 ですから、遠慮仮借なく、日本のフォーカシングの悪口も率先して書きます。

 しかし、それは、私が、フォーカシングを愛すればこそなのです。

I love Focusing as if to be my 2nd heart.

2006/02/17

「歴史」が、たいていの若い世代にとって「暗記科目」に過ぎない現状では.....(第6版 「エル・シド」の項大増補!!)

「侵略」であろうと「進出」であろうと、どっちでもいいでしょ?

といいたくなります。

そういう「言葉尻」が問題になるという背景には、

「歴史教育についての『統一見解』を『国家の責任』で作り、『国民に教育』する義務がある」

ということが「自明の前提」として含まれているわけですね。

......ということは、「歴史教科書批判」をしてくる国も、「それへの対応を迫られる国」も、

およそ、

「『正しい』「公教育」というものを『政府が検閲』し、正しい認識を『与える』べきである」

という大前提を、

政府も国民の多くも、暗黙のうちに受容してしまっている、

「不精な」国民・国家

なのだと、私は判断します。

*****

歴史上のどんな事件でも結構です。

例えば「トゥール=ポアチエの戦い」としますね。

西暦732年に、イスラム教徒国家が「フランク王国」にそれ以上進入しようとするのを食い止めた、という意味で、イスラム教国家の、ヨーロッパ大陸「西側からの」それ以上の「進入=進出=侵略」を不可能にした、世界史上の重大な転機がかこの戦いであることには変わりがありません。

しかし、恐らく日本の「大学受験生」なら、

1.この時のフランク王国がまだ「メロヴィング朝」であり、「カロリング朝」ではないこと

2.この時のフランク王国の実質的な支配者が「宮宰」(摂政のようなもの)の「カール・マルテル」であり、いわゆる「シャルルマーニュ大帝{カール1世)(追記参照)」ではないこと

(追記:私は正確には、これでは「シャルル『大』大帝」になることを知っている。「シャルル大帝」か「カール大帝」か「シャルルマーニュ帝」か、単に「シャルルマーニュ」にしないとおかしいのは知っている。しかし、それこそ、この「カール(シャルル)」帝へは、法王からの「ローマ帝国皇帝」の王冠を捧げられ(ゲルマン人初?)、孫3人に、今日の「ドイツ」「フランス」「イタリア」の原型となる形で国を分割相続する伏線となり、「カロリング朝ルネサンス」といわれる、旧ローマ帝国の学問・文化を積極的に復興することへの積極的貢献など、ラテン(旧ローマ帝国)系とゲルマン系を統合した意味での「中世ヨーロッパ」世界の「とりあえずの」確立において政治的・文化的に果たした役割のあまりの「巨大さ」から、「唯一無比の」の「カール」という意識が無茶強いので、「確信犯的に」、この、屋根屋を重ねる言い方を「好んで」いる(^^;)。

ちなみに、彼の祖父、いわゆる、「カール・マルテル」は、イスラム教徒軍勢のイベリア半島を越えた本格的侵入に)『鉄槌』かました『カール』」と言う意味で、後の時代の人が読んだことに由来。世界史的に大事なのは、何より「祖父(マルテル)」と「この人(大帝)」を混同しないことであろう)

3.この戦いを、「ローランの歌」で有名な、778年の「ロンズウォーの戦い」における「カール大帝」の「バスク人への」勝利と混同しないこと

4.しかしこれらの戦いの後にイスラム教国家が、即、イベリア半島から消滅したのではなく、「レコンキスタ」の完全な成功は、何とスペイン(カスティーリア王国)による1492年のグラダナ陥落までかかっていること。

..........ここまで掌握していれば、私の大学受験時代、私立文系の最難関といわれた、早稲田政経学部の世界史の要求水準を満たしていたでしょう。

(「以下の記述の中から、間違っているものを選べ」的設問の「引っ掛け」選択肢になりそうなのは、これらのポイントです)


(この20年の間に、偏差値の数字と受験学力との関係は「ものすごい大暴落」を起こしていて、当時の早稲田の政経合格に必要な水準の「受験勉強」など、今の日本の「どの」大学でも求めていない、「とてつもない」域であったことを忘れてはなりません)

ちなみに、「ローランの歌」は、これら「すべての」混同に加えて、イギリスの「アーサー王伝説」(6世紀から8世紀にかけて成立)における「円卓の12人の騎士」の伝説すら「一緒くたに」なって、しかも11世紀の「十字軍派遣」を背景に成立した叙事詩であります。

(以下アーサー王関係商品のリンク)
王様の剣劇場未公開部分約16分を追加した“ディレクターズ・カット版”ブエナビスタ・ホームエンターテ...の剣 キャメロット 特別版(期間限定) ◆20%OFF!エクスカリバー戦記 【OPSD-S107】=>18%OFF!エクスカリバー戦記【送料一律380円】【新品】 ブロークン・ソード 〜眠れる竜の伝説〜(PS2)バンダ・シンフォニア/リック・ウェイクマン〜アーサー王と円卓の騎士達〜イギリス生まれの物語たち図説アーサー王百科〈民族起源〉の精神史感動の世界名作アニメ アーサー王物語

ですから、この「ローランの歌」成立当時(のヨーロッパ人は、もはや自分たちの過去の歴史を「その程度」にしか掌握していない、まさに『歴史認識』における「中世の暗黒時代」にあったという点では、もはや同時代のイスラム教国家の歴史家の高度な客観性に全く歯が立たない状態だったみたいです。

(ただ、イスラム教国家側の王の武勇を賞賛する内容も含まれているので、ダンテの「神曲」が、ムハンマド(モハメット)が地獄に落ちた醜い悪者として描写されたためにイスラム教国家でも「禁書」扱いになっているのと同様な扱いは至っていないようです。

*****

ちょっと年号だけはwikipediaで再確認させていただきましたが、ロランの歌岩波版の「ロランの歌」の訳者の解説の部分まで読めば、こうしたことはほとんど全部掌握できます!!

副読本として、シャルルマーニュ伝説ブルフィンチの「シャルルマーニュ伝説」があれば一層パーペキです!!

なお、はっきりバラしますけど、「中世初期のフランク王国とイスラム勢力との関係」というのは、私が(後で詳しく述べるようなきっかけを経て、中学時代から関心を深めてきた特別「興味の深い」領域だから、wikipediaの助けだけで、即席でこの程度に仕上げられるという「だけ」のことですから(^^;)

*******

歴史的「叙述」というものには、およそどんな場合でも、その時代の「政治状況」や「国民的偏見」から自由になれません。

まして、歴史上の登場人物や階層、民族が「どういうと意図で」のそのように行動したか、という時限になると、結局、その歴史叙述をする人の「世界観」ばかりか、個人としての「価値観」や「もののとらえ方」によって再構成された「物語」であることとを私は決して越えられないと思います。

歴史や政治とは、どの時代のどんな特定の「事件」だけをサカナにしても、このような、羅生門芥川の「藪の中」(=黒澤明のジェネオン エンタテインメント 羅生門 デラックス版映画「羅生門」に陥ることに目覚め、人からの受け売りや新聞やテレビの報道を妄信しないことが大事だ、ということに気づき、自分なりにいろんな情報をいろんな次元で探したり、場合によっては「事件の現地や史跡や博物館の展示」に足を運んででも、「自分なりに」視野を広げることそのものに「醍醐味がある」のです。

そのことに目覚めさせないような、そんな「歴史教育」なら、無意味です。

例えば、「世界史」の時間の1ヶ月間が、例えば「トゥール-ポアティエ間の戦い」という一つのテーマに絞って、生徒ひとりひとりにネットや図書館とかを駆使して勝手に調べさせ、

先ほど述べたような、「果てしないくらいに無尽蔵な」当時のさまざまな社会的現実や事件との連鎖反応的関連について何でも自分なりにレポートにまとめ、「どんな方法で」それをプレセンテーションしてもいいとします

例えば、●3000円以上購入で全国送料無料!(一部地域除)ジョン・ウィリアムズ/アルハンブラ宮殿の思...ギター曲の「アルハンブラ宮殿の思い出」を弾いてみせる生徒がいてもいいし、

ひとりの生徒の提案で、何なら3コマ分ぐらいブッ通しで、映画、「エル・シド」の鑑賞会をしてもいいではないですか。

*******

エル・シド「エル・シド」は、私が子供の頃、偶然、テレビで見て、ともかく、スペインでの、イスラム教徒との戦いということだけは当時の私にもわかりまました。

迫り来る圧倒的な数の「海を渡って来た」イスラムの大群の脅威を前にして、自分の城で瀕死の身体でありつつ、「スペインの『英雄』であることを「一身に引き受けた」、エル・シドの、何とかスペインを守りたいという強烈な使命感と「今、生きて戦いに赴ける身体ではない」ことへの「断腸の思い」がひたひたと伝わって来たのだけは覚えていました。

そして、ラストシーンの記憶は失われていたのに、見終わった直後、とてつもない「衝撃」をうけたことだけは「身体が」覚えていました。

(そういう彼を支える妻の役って、ソフィア・ローレンだったんですね。主人公役がパラマウント ホーム エンタテインメント 十戒 スペシャル・コレクターズ・エディション「十戒」ベン・ハー コレクターズ・エディション <初回限定生産>「ベン・ハー」と同じ人(=チャールトン・へストン)なのは子供の私にもわかりましたが)。

私の、広い意味での、中世のヨーロッパ西方でのイスラム国家との戦いに関心を持つ「原点」が実はこの映画です

ただ、当時の受験参考書や百科事典水準の史料では「エル・シド」の名前を見つけられなかったもので、

この戦いは「トゥール・ポアチエ」か? あ、違った

あれ、「ロランの歌」の「ロンズウォー」でもないな?

いつ、どこでの戦いなんだ〜!!

などと模索するうちに、

フランス建国の父「とされる」、メロヴィング朝の「初代の王」クロヴィスからはじまる中世初期から中世末期に至る、ヨーロッパ人と、イスラム教勢力との「ヨーロッパ西方での」ぶつかり合い全体が「特別な」興味の対象としてどんどん育っていったのです。

******

一方的に出来合いのマニュアルに基づく歴史の流れを「通史的に」教える(これだけなら、受験勉強のためなら、講義より、参考書一冊読む方がよほど情報量多くて手っ取り早い)のではなく、

生徒各人が各人なりに歴史を「おもしろい」と感じる切り口を見つける「きっかけ」を作り、

通説や世間のその事件と関連する事項への「常識的理解」への疑問符、

立場が違えば状況が違って見える可能性

その歴史上の登場人物や民衆の心情への「感情移入的理解」のさまざまな可能性.......

,,,...などなどに気づかせるきっかけになれば、

それ以上立派な「歴史教育」(それどころか、「社会」や「政治」への、各自なりのもののみ方を養う訓練)はないと思います。

私は、その領域に詳しい人が、「私を」さらに納得させてくれることを言ってくれたら、たとえそれが小学生の言うことであったとしても、「敬意をもって」拝聴するつもりです。

そういう「出会い」がなければ、人生って楽しくないじゃないですか!!

******

日本史だと、これが「南北朝」時代への別格的な関心ということになりますが。

何しろ私は『小沢昭一が選んだ 恋し懐かしはやり唄』「青葉茂れる桜井の」(「大楠公」)を小学生にしてフルコーラス歌えましたし、今でも歌えます!!

日本の「軍歌」のほとんども、もし歌詞カードがあれば歌えます。

当時の政治は政治として、これら戦前の文部省唱歌や軍歌を避けて、日本の音楽史を語らないと、「卑怯」だとすら思います。

日本神話を「教え『ねばならない』」という考えには反対ですが、

自国の神話や伝説について個人個人が学ばないでいるとすれば、『もったいないなあ』と思うし、少なくとも、口語訳古事記『古事記』なんて、素晴らしい『文学作品』だと思いますが。

(図説地図とあらすじで読む古事記と日本書紀この本なんて日本神話と大和朝廷がほんとうに安定するまでの歴史/文化/社会/文学についての入門書として、偏らないさまざまな見地からの理解への道を開く、図版盛りだくさんの、簡潔ですごく読みやすいたいへん上質の『記紀』入門書です)

これらを教えるだけで『右』とみられる場に教師がいるのなら、その先生、わかいそ過ぎますね。

*****

もとより私個人は、政治的には「ある意味では急進的、でも現実主義的慎重さを失わない『リベラリスト』」そのもののつもりです!!

*****

でも、靖国神社隣の「昭和館」は時間をかけてじっくり見ました(政治的な中立性を十分に保った展示がなされています)。

弘前城の場内展示された「仇討ち」の資料の話はこの前の記事のコメントの最後の方で書きましたし、

私の友人が住む、水戸を訪問した際、常盤神社でも、歴史上の事実としての「黄門様」の解説や自筆の手紙の文面を読めたのは楽しかったですね(^^)

そろそろ偕楽園は梅の季節でしょうか?

nmacmini_125-125.gifANAエコ割_あなたらしい旅しませんか?_125*125初めてのお泊りは10倍お得!?プロの愛用品

2006/01/15

ストーカー「加害者」の心理(第4版)

なぜストーカーをやめられないで苦しむのか?

それは、相手が「死んでしまう」という心配から逃れられないからです。

*****

「え? ストーカー『被害者』がそうだというのならわかるけど?」

と思われる方が多いでしょうね(^^)

もちろん、『被害者』にもこのことが当てはまるんですけどね!!

自分が相手(ストーカー)との関係を「断ち切った」ら、相手が自殺しはしないかという不安から逃れられないので関わり続ける悪循環にはまる。ここまでなら常識論でしょうから。

でも、本当に『現場臨床』経験豊富な、精神分析系(特に「対象関係論」系)、あるいは「プロセス指向心理学(POP)」のカウンセラーの皆様なら、私のこの「加害者」心理の説明に頷(うなずい)て下さるはずです。

***

そして、当のストーカー「加害者」をやめられなくて「悩んでいる」皆様(「悩めていない」人は別です)約30%は、

私のこの説明に「絶句」して

共感して、ちょっとだけ「救われた」思いをなさってくださると、

私はシミュレーションしますが、いかかですか?

******

現在、すでに、いわゆる「ストーカー法」という法律があります。

その趣旨はよく理解できるのですが、おかげで、少しでも相手にしつこく言い寄ると「犯罪者」にされてしまう危険があることで苦しむあまり、逆に自殺してしまう人が「実際に」出てしまうという「副作用」があると思います。

ストーカー「加害者」、およびその「予備軍」への救済・援助(prevention)という観点から、カウンセラーは何ができるか、真剣に検討しないと、回りまわって、いよいよ日本の「出生率」は下がるかも知れませんよ(^^)。

中島みゆきなんて、日本一のストーカーになってしまう(^^;)

少なくとも、一層「恋愛音痴」を増やしますよね。

もっとも、「恋愛のしかた」まで、大学の1年生向けの基礎講義科目に加えなんかしたら、もはや若い世代の「管理」のし過ぎすぎでしょうし(^^;)

要するに、「人権を守る」という美名のもとに、先進国の世界人類はどんどん「過保護」になる=「管理」される、という副作用を背負っているわけで、これはほんとうに、答えを見つけるのに「いたちごっこ」の難しい問題ですよね!!

2006/01/03

そろそろ帰省からお帰りの常連読者の皆様、わずか数日の間の新規記事の多さにビビらないでくださいね!!

裏を返せば、年末になるまでは、私がそれなりに、本業のカウンセリングの仕事も「していた」ということの証左でもあるかと思います(^^)。

私って、食って寝て、ブログの記事さえ書いていればよい状況に置かれたら、これくらい文章書いたり、ブログの再構築作業が出来る人だったりする(^^;)

カテゴリーの再構築って、ブログのおもて側の表示に全く立ち寄らすに、コントロ−ルパネル側からだけでできる作業なので、今日なんて、普通の日よりも、「自分自身によるアクセス回数」ほとんどないはずなのに、午後8時台ですでにアクセス数200楽々突破しました!!

ありがとうございます。


*****


アクセス解析をすると(以前も書いたけど、このアクセス解析って、「どなたが」アクセスして来たかまで特定できないので、ご安心を)、

この中の数分の1は、明らかに、@niftyココログトップページから、新たにおいでいただいた方々です。

私のブログの記事に、少しでも興味を持って、来て頂いただけでも感謝いたしします。

****

私のブログの大まかな内容とポリシーについては、半年近く以前、やっとpingサーバへのトラックバック機能を活用し始めた時に書いた、当時の皆様への改めてのご挨拶の文章がすでにありますので、それを持って代えさせて頂きますので、よろしく。

****

まだ、カテゴリーの再構築は、数パーセントの進捗度でして、全体への反映にはほど遠い段階です。少しずつ無理のないペースで進めていきますので、ブログ内でのカテゴリー検索のあまりにも不完全な現状を、どうかお許しください。

どれだけ膨大なカテゴライズ増設に吹き切ったかは、

↓こちらをご覧になればわかりますよね(^^)

2006/01/02

ブログのカテゴリー分けをより具体化させる形に徐々に更新していきます(第10版)

@niftyのココログって、一度凝り出したらカスタマイズがし放題に近く、しかも文の長さにも制約がないので、ある程度HTMLタグを自分で打ち込めるくらいのホームページ制作能力があれば、凝り出したら切りがないのが特徴です。

同時に複数のカテゴリーをいくつ指定してもいいし、オリジナルカテゴリーも無尽蔵に作っていいみたいなんですよね(^^)


私のブログって、私の文章の「ワープ」的越境能力をとことん駆使してやろうという方針ですから、一つの記事について10幾つものカテゴリーを設定するという「荒技」を駆使してきました。

しかし、現在の@niftyココログのシステムからすれば。例えば「心理学」「心理療法」「精神療法」「カウンセリング」「開業カウンセリング」「サイコセラピー」「セラピー」などというふうに微妙な表現の間の違いでも、例えばこれらの言葉と「ヘッドフォン」との間にある差異と同じくらいに、「意味論的差分」の上で等価的/並列的に別のカテゴリーになってしまうことにもなります。

私はこれを、インターネットが「フラットランド」と呼ばれるものであることの「諸刃の剣」の側面についてのひとつの理解であると思っています。

ちょっと難しい言葉でいうと、「階層的分類」というものには、実は凄く個人的な側面があり、どうしても、誰もが納得する分類分け(パソコン風に言えば、「ツリー構造」)などあり得ないということになります。

その意味では、実はカテゴリーのパーソナライズを、完全に増えるに任せて野放しにしている@niftyのココログの方針は、「現実主義的に見て」、無難でしょう。さもないとクレームの山に忙殺されてしますでしょうから。

****

もっとも、記事をアップする前に、内容から自動的にカテゴリー「候補」を選び出し、作者に表示するまでなら、単語のデータベースとかと連動させれば、今のサーバー管理コンピュータでも容易にできるでしょう。

もっとも、アップロードまでのトラフィックがいよいよ渋滞する危険は高いですが(^^;)

しかし、今のコンピュータは、まだ、文章の本格的な「意味論的解析」という点では、まだ開発の歴史の初期段階なのは確かでしょう。最優秀といわれる自動翻訳ソフトの現状をみればどなたもお分かりですよね(^^)

「心理療法用語をまるでひとつも使わずに」カウンセリング関連の奥深いエッセイを仕上げるなんて、少しキャリアをつめば、ある程度できるようになりますから。


******

いずれにしても、私のブログ、カテゴリーの設定の個別化・具体化・パーソナライズという点では、これまでほとんど手を付けていない分、新たな読者の皆様を増やし、読みたいタイプの記事を過去に遡って検索して頂くには実に不便な状態だったと思います。

なんらかの意味でカウンセリング・マインドに関わる記事については、敢えて「手作業で」、「ウェブ上のカウンセリング論集 index」を制作してあり、右側(この点改訂)のテーブルの、ずずずず〜っと下の方に常設の入り口があります(以外と気づかれてなかったりして)。

でも、これじゃ、純粋の音楽系、例えば「J-POP」や「歌手別」の検索や、「オーディオ系」の記事は、はみ出してしまうわけですよね。


*****


そこで、本日、オリジナルカテゴリーの大量設定に踏み切りました。

先ほど述べたような理由で、極論すると、「心理療法」「精神療法」「サイコセラピー」「セラピー」という用語の間の違いですら、これらの言葉と「ヘッドフォン」「HDCD」という言葉の間にある差異意味論的「差分」の上で「等価」というのでやむなしというのが@niftyココログの「方針」(個人の「パーソナルな世界観」を尊重する開かれたネットワークを目指す限りこの方針はぜひ守り続けて来ださい!!)のようである限り。

私は敢えてこれらの「同義」の言葉を並列的に別のカテゴリーとして登録することに決断しました。

カテゴリーのリストがかなり長大化することは、どうか皆様お許しください。

なお、この記事で「だけ」、今後私が普段使用するカテゴリー「ほとんどすべて」にリンクを張っています。@niftyココログの「標準カテゴリー」の中で、ここにに含まれていないのは「ギャンブル」「スポーツ」「ファッション・アクセサリ」「グルメ・クッキング」など、ほんの幾つかということになりますが、こらら幾つかのカテゴリーですら、過去すでに適切と判断して使ったことがあります。

「ギャンブル」で意識的に私がどの記事でリンクを張ったか、すぐに思い当たる方は、相当ディープなこのブログの読者の方ですね(^^)

しかし、こういう「告知記事」でそこまで含めるのはそのカテゴリーの読者に迷惑なだけと考えて、敢えて今回は外しているだけです。

普段はもっとすっと短いので、どうかご安心を、

******

もっとも、私のブログの場合、個々の記事について、カテゴリーの再分類をするのは、なにしろこれが1年ちょっとなのに、すでに272件、しかも長い文が多い私のブログの性格上、とても一気にはできません。

最近の、しかも皆さんの関心を引く度合いが高そうな記事からカテゴライズの再構築をボチボチしていきますので、どうかじっくりお待ちください。

2005/10/19

「守護聖者 人になれなかった神々」のご紹介

私が水戸に行った時(実はこのブログのコメント常連の永野さんに行った会いに行った時だったんです)のフォトアルバム「水戸漫遊記」に、水戸市内を分断するようにして細長く湖水をたたえ、水戸城の外堀の役目を果たしてもいた千破湖(せんばこ)の由来として、巨人「ダイダラ坊」について説明してある石碑の写真を載せました。

そしたら、別の方から、鹿児島にも「弥五郎どん」という巨人伝説があると聞かされました。

******

私は「巨人伝説」というと、唐突に、聖クリストフォルスのことを思い出しました。

彼は、ものすごい背丈の大男で、世界一強いものに仕えようと思って諸国を渡り歩いていたけど、それが果たせないでいた。

ある人に、「それならその背丈を利用して、川の渡し守をするといい」と忠告を受け、大きな川で、人を肩に担いで渡し守をしていた。

ある日、小さな子供が目の前に。

あやすい御用と肩に載せて川の中を歩き始めたものの、信じられないほど重い。まるで地球全部を背負っているかのよう。

渡し終えると、その子が、実は子供の姿をしたイエス様だったとわかる。

それ以来、クリストフォルスは決して暴力は使わずにキリスト教の布教者となり、最後には殉教したとのことです。

*********

今日たまたまネットサーフィンをしていたら、キリスト教の「守護聖人」についての興味深い本を発見しました。

守護聖者 人になれなかった神々「守護聖者 人になれなかった神々」植田重雄 中央公論新社

私はあっさりこの電子ブック版をダウンロード購入して読み始めてしまいましたが、

Amazonでは、すぐ入手できるようです。


この第1章「聖クリストフォルス」です。

そもそも、この著者が学生時代に、ジャン・クリストフロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」(ベートーヴェンをモデルにした虚構の大河小説です。私も中学時代に読みました)の各巻の冒頭に、

「いかなる日もクリストフの顔を眺めよ、その日汝は悪しき死を死せざるべし」

という銘文が刻まれているのはなぜだろう、という「気がかり」を引きずっていたことがきっかけだそうです。

今職場にいて手元に本がないのですぐに確認できませんが、確か、「ジャン・クリストフ」の物語の中に、何の解説もないまま、突然イエスと聖クリストフィルスの物語が、冒頭かラストのどっちかで出てきます。

ヨーロッパ人にとっては、民衆にも子供の頃から伝え聞かされる「常識」なので、特に断りもなしにでて来るんですね。

さっきの銘文(ヨーロッパでは誰でも知っている域のものらしい)は

「聖人クリストフォルス様のことを毎日思い浮かべなさい。
 そうすればあなたは『不慮の死』を遂げることなく、キ
 リスト者にふさわしい死に際を迎えるでしょう」

という意味とのことです。

「キリスト者としてふさわしい死に際」とは、狭い意味では、カソリックでは、懺悔の告解をして、終油の秘蹟を受けて死ねる、ということをさしますが、

「死に臨んで、思い残すことなく死ねる」

という広い意味にも理解できるみたいです。


誰でも『死に際』ぐらいは自分で選びたいですよね!!


私がやたらと「守護霊フェルトセンス」という言葉を使ってしまうので、この、ヨーロッパ文化における「守護聖人」成立の社会的・文化的背景にまで立ち入った本をお勧め。

2005/08/01

「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」の「カウンセラーこういちろうの雑記帳」をよろしく

えーっと、永らくの読者の方には何をいまさらということになるんですけど、実は「プラス」コースにアップグレードした時点でいろいろ高度な設定ができ,RSSリーダやらpingサーバーの設定、更新通知などの機能をぜんぜん生かしていなかった、ということに気がつき、これを機会にご新規様もおいでになるかと思いますので、改めてこのブログについて紹介させていただきます。

私、阿世賀浩一郎(あせが・こういちろう)は、神奈川県の大船で「湘南フォーカシング・カウンセリングルーム」という名前で独立開業している臨床心理士(心理カウンセラー)です。

しかし、根っから性格がクロスオーバーしてまして、心理やカウンセリングの話がいつの間にかayuこと浜崎あゆみ、中島みゆき、ユーミン、ELTなどのJ-POP、それどころかクラシック音楽の話題にすり替わったり、iPODの音質向上対策の話になったり、社会保険の任意継続制度の話になったり(未だに毎日1件はこの用語で検索してこのページに確実にお見えになる方、いるもんなあ)、アニメの話になったり、鉄ちゃん系の話題になったり、英語ができないままの無謀な海外旅行の話になったりします。

本部の個人WebSite、「阿世賀浩一郎のホームページ」に行けば、野猫ウォッチャーに凝った時期もあることがお分かりになります。

そういう自分の節操のなさを、実はいろんな検索用語にひっかかり、予想外の分野からの「お客様」の増加にもむすびつけようというせこい魂胆もないとはいいません!!

しかし、お読みいただければわかりますが、実際には、カウンセリングや心理療法の本質について、私がup to dete に感じていること、換言すれば、フランスの現代音楽作曲家・指揮者のピエール・ブーレーズの言葉を借りれば"Work in Progress"、つまり、まだ目に見えぬ、曖昧な「何か(something)」としてしか感じられないもののcompleteに向けて、ひたすらギリギリ限界の思索の試行錯誤を、遊びながら、かつ心身をすり減らしながら構築していく、"Thinking at the Edge(TAE)"の「実験現場」を公開しているのであり、しかもそれが生半可な「有名」心理学者や精神分析医の大半よりもスリリングで新鮮で生き生きとした文章で綴られていると自負してもいます。

というわけで、興味をもたれた方は、半年分たまっているバックナンバーを読んでみてください。


*****


恒例、今回の「強引アフィリエイト」ネタ。

ピエール・ブーレーズの指揮で私が一番好きな、【音楽CD】ストラヴィンスキー:バレエ《ペトルーシュカ》(1911年原典版)バレエ《春の祭典》ストラヴィンスキーの「春の祭典」「べトルーシュカ」がひとつ。ほんとは私、旧盤の方が好きです。

もうひとつは、私が専門としていてトレーナー養成・認定国際資格を持っている「フォーカシング」という技法こそ、マジに、まだ自分の中ではっきりしない、言葉にならない心身のモヤモヤ、まさに"something"との対話を深め、その人独自の完成に導く技法である、ということと関連付けて、もろ、【Rock/Pops:ヒ】ビートルズBeatles / Abbey Road(CD) (Aポイント付)The Beatles の"something"です。

これはこじつけでも何でもなく、今年5月に出席したトロントでのフォーカシング国際会議で、会議最後の「フォリー」と呼ばれる、いわば「打ち上げお楽しみ会」で、フォーカシングの名教師として著名なAnn Weiser女史が、ホントに歌ったのです!!

もっとも、途中から、だんだん曲がおかしくなり、恐らくAnnさんのお好きなオペラのコロラトゥーラのアドリブに化けていってしまったのですが(^^)。

コメント・トラックバックについて

  • このブログのコメントやトラックは、スパム防止および個人情報保護の観点から認証制をとらせていただいております。これらの認証基準はかなり緩やかなものにしています。自分のブログの記事とどこかで関係あるとお感じでしたら、どうかお気軽にトラックバックください。ただし、単にアフリエイトリンク(成人向けサイトへのリンクがあると無条件で非承認)ばかりが目立つRSSリンク集のようなサイトの場合、そのポリシーにかなりの独自性が認められない場合にはお断りすることが多いことを、どうかご容赦ください。

最近のコメント

はてなブックマーク


最近のトラックバック

last.fm


フォーカシングの本1

フォーカシングの本2

フォト
2012年1月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

banner

  • 携帯アクセス解析
  • Google Sitemaps用XML自動生成ツール
  • Firefox3 Meter
  • ブログランキング・にほんブログ村へ

ブログパーツたち

  • track feed カウンセラーこういちろうの雑記帳
  • アクセス状況
    アクセス解析

カテゴリー